No.812 (2012/12/29)NHKお馬鹿番組の記録P

●2012年12月29日(土)9:00〜10:00
●エネルギーシフトへの挑戦
●エイモリー・ロビンズ

 相変わらず、この種の番組の主題はどうすれば自然エネルギー発電を導入促進できるのかという、自然エネルギービジネスで一攫千金を狙う視点からの報告に終始しています。本質論である、エネルギー供給技術としての社会的な総負担(エネルギー、資源、そして経済コスト)に対する効率という視点がまったく欠落しており、近視眼的な微細技術の改善が針小棒大に宣伝されているだけです。
 技術的にはまったく見るべきものはありませんでした。太陽光発電に対してラジエター付きの装置をさも画期的な技術のように紹介する始末です。熱力学的に考えれば、冷却装置をつければ発電効率が上昇するのはわかりきったことでした。なぜそれをして来なかったのかという視点が重要です。つまり、ラジエターを付加してまで発電効率を稼ぐための装置の追加、その経済コストに鑑みてあまり効果がなかったからということです。

 確かに、自然エネルギー発電の発電効率は次第に改善されていることは確かです。また湯水のごとく金をつぎ込めば自然エネルギー発電を実用に供することも不可能ではないでしょう。しかしそれが有効かどうかというのは、まったく別次元の問題です。エネルギー供給システム全体のエネルギーコストからエネルギー産出比を考えることが必要です(→エネルギー供給技術の有効性の検討)。
 工業的な生産技術の本質とは工業的なエネルギー利用技術です。工業的に高価な製品とは、特殊な工芸品や貴金属装飾品などを除けば、それだけ投入するエネルギーコストが大きいことを示しています。エネルギー供給技術は工業的なエネルギーを投入して製品としてのエネルギーを供給することです。つまり、エネルギー供給技術の効率は経済価値で判断すれば概ね誤りはないのです。高価なエネルギー供給技術はエネルギー利用効率の低い劣悪な技術であることを示しているのです。つまり、高価な原子力発電や自然エネルギー発電は低効率のエネルギー供給技術なのです。
 私たちはエネルギー技術として何を採用すべきかなどという問題を考える必要はないのです。エネルギー供給を完全な自由市場にすることによって高価で劣悪な発電技術は淘汰され、安価な電力供給技術、すなわち最もエネルギー利用効率の高い技術が生き残るのです。その意味で、原発に対する国家による助成(尤も原発については国は核武装を行うことが目的なので、経済性云々はもとより詭弁にすぎないのです)や再生可能エネルギーの高額固定価格買取制度は最も愚かな政策です。行政は公正な電力市場を構築することに専念すべきであり、現業としての発電からは完全に撤退すべきです。
 この際問題になるのが、例えば原子力発電における莫大な金額に上る研究開発費や今後福島の事故処理や寿命の来た原子炉の廃炉によって顕在化するバックエンド費用などが、消費者の目から覆い隠され、電力料金とは気付かない形で知らぬ間に税金から捻出されることで本当の経済コストが目に見えなくなっていることです。
 あるいは自然エネルギー発電でも原発と同様に発電装置だけの費用しか明らかにされず、これに対しては高額固定価格買取制度という市場原理の破壊が行なわれています。また、自然エネルギー発電システムに必要な高圧大容量の送電線網の構築やバックアップ用の蓄電・発電システムなどの構築に必要な莫大な費用が隠蔽されており、おそらくこれらの多くが公共事業として税金の投入によって行なわれることになるのです。
 今私達がすべきことは、こうした隠されたエネルギー供給に関わる費用を明らかにすることを求めると同時に、発送電を分離した上で、原子力発電システムや自然エネルギー発電システムに対する一切の税金からの補助を禁止して発電市場を完全自由化することを求めていくことです。

 ところで、この番組ではエイモリー・B・ロビンズが利用されていました。1970年代に『ソフト・エネルギー・パス』という考え方を提唱した人物であり、初期の主張はそれなりにまともなものでしたが・・・。私の前著『太陽光発電の大疑問』(不知火書房2010年)でも少し触れていますが、私と同年代に人にとっては多少ノスタルジックな感情を呼び覚ます名前です(笑)。
 しかし最近の彼は省エネコンサルタント業によってエネルギービジネスで金儲けをしようとしているようです。時流である自然エネルギー発電ビジネスで一儲けを企む下品な人間に成り下がってしまったようです。ちょうど日本で言えば飯田哲也のように・・・(笑)。

No.811 (2012/12/16)戦前回帰の危うい時代の到来…

 8時を過ぎて開票が始まった。出口調査の予測では自民党が300弱、維新50+…。これは恐ろしい時代になるかもしれない。これで、再生可能エネルギーを含むばら撒き公共事業が復活することは必至である。また、改憲のハードルを低くして、一気に改憲、自衛隊の国防軍化が進むかもしれない。下手をすると尖閣では中国との武力衝突の可能性も否定出来ない。一刻も早く外交交渉のチャンネルを開かねば…。

 未来は大惨敗といっていいだろう。脳天気な脱原発運動は議席獲得にあまりにも無頓着すぎたように思う。このコーナーNo.765 (2012/06/30)総選挙に向けての脱原発実現の戦略で述べたように、意識的に衆議院選での議席獲得への運動方針を早期に明確化すべきだった。漫然とデモンストレーションを続けるだけでは、残念ながら国は動きはしないことを理解すべきだった…。今となっては後の祭りであるが。脱原発は先送りになり、再生可能エネルギー導入だけが税金バラマキの対象として導入される最悪の結果になりそうである。

No.810 (2012/12/13)北朝鮮ロケット打ち上げと中国機の領空侵犯
〜日本は武力では守れない

 昨日朝、北朝鮮がロケット打ち上げに成功した。衛星自体が正常に作動したかは別にして、地球の周回軌道に人工衛星を投入することには間違い無く成功したと見てよいであろう。これで確かに彼らは技術的にICBMの保有まであと一歩のところにまで到達したと見てよいであろう。北朝鮮が近代的電子制御兵器を保有するのは時間の問題である。
 これに対して、日本を始めとする周辺諸国は北朝鮮の通告した打ち上げ期間ということで特別な監視体制をとっていたにもかかわらず、正に不意を突かれた格好となった。つまり、日本のミサイル防衛網などブリキの兵隊ということを事実が示した。本気で軍事的に日本を防衛しようとすれば国民皆兵で日本中をハリネズミの要塞にしない限り不可能である。一体どれだけの資金が必要になると考えているのであろうか?
 仮に北朝鮮や中国が本気で日本を攻撃しようとすれば、ICBMなど不要であり、巡航ミサイルなどレーダー網に掛からぬ兵器、あるいは夜陰に紛れて長大な海岸線から上陸して原発などの重要施設を少人数で破壊すればそれでおしまいである。いい加減に武力で日本を守るなどという非現実的な妄想に縁を切り武装解除して、近隣諸国との間に第二次世界大戦後の戦後処理を徹底的に行い、平和条約を締結し、徹底的な等距離平和外交による安全保障に方向転換すべきである。日本が攻撃される可能性があるのは日本に米軍基地があるからに外ならない。

 現在国連では多くの国が北朝鮮を非難はしているが、北朝鮮の目論見通り、米国を始めとする周辺諸国は今後の外交交渉において一目置かざるを得なくなったことは否定しがたい事実である。米国を始めとする世界の支配体制がどう言い繕ったところで、結局は衣の下の強大な軍事力によって大きな発言力を持っているという悲しい体制がこの世界を覆っている。
 この愚かな体制の中で米国のようなスーパーパワーになり得ないならば、また日本の地政学的な位置から、日本は武力で守ることは不可能であり、軍事的パワーゲームから離脱してまったく異なる道を選ぶことが実は最も安上がりで現実的な選択肢なのである。

No.809 (2012/12/07)あまりに酷い、高校理科教科書

 現在、理科・社会科の環境問題についての記述に対して、理科教育の基本に基づいて説明を試みています。それと並行して特定の理科・社会科の教科書の記述の誤りを個別に指摘するという作業を行なっています。
 まず、ネット上で見つけた入手しやすい啓林館の理科の教科書の内容について検討したのですが…、あまりにも酷い内容に愕然としています。今回とりあえず確認したのは『大気と地球の熱収支』という単元なのですが、初めから全て間違いだらけです。どうもこの単元を書いた著者は地球大気の温度構造、固体や気体の熱放射(赤外線放射)についてまったく理解していないようです。極め付きは地球観測衛星から観測された地球からの赤外線放射のパワースペクトルの解釈です。グラフさえまともに見ることが出来ないようです。
 このような出鱈目な内容に対して、現場の理科教師たちが疑問を持たないということがまず不思議ですし、こんな教科書で教育される生徒は悲劇です。日本の理数科教育がまったく失敗しているのは当然の結果なのだと思います。

No.808 (2012/12/05)衆議院選挙/維新と自民はまず論外

 衆議院選挙が公示されましたが、未だかつてない少数政党の乱立となっています。どこを選ぶかに迷う人も多いであろうと思います。好みもあるし選び方は分かれると思いますが、まずは絶対投票すべきではない政党ははっきりしました。
 日本を戦争の出来る国にして国防予算という最も無駄で愚かな国費の増大を実現することを公言する政党です。橋下・石原の維新の会と安倍自民党です。
 安倍自民党は既に彼が前回総理大臣をやった時と同じで戦前回帰のアナクロニズムの米国傀儡の国粋主義(笑)です。あまり説明の必要もないでしょう。ただ札束を刷らせて財政出動で経済浮揚というのはあまりにも子どもじみた経済政策で笑えます。
 維新の橋下・石原の大雑把で粗雑な物言いには不快感が禁じえません。態度ばかりでなく政策もバラバラで粗雑極まりなく政党の体をなしていません。原発については橋下はよくわからないが、なんとなく“現実的な方法で”(笑)削減するようなニュアンスですが、石原は核武装のためにも維持です。また、選挙後について石原は自民党との協力に積極的だが松井一郎は強く否定等など、むちゃくちゃです。橋下の他政党に対する手当たり次第の批判は彼の品性下劣な本性をよく示しています。実行できない、コロコロ変わるなどという批判ならば橋下自身に向けられるべきものです。橋下の八つ当たりは、維新ブームの陰りに対する焦りかもしれません…。
 次に入れるべきではない政党は公明党です。庶民の党とはどの口が言うのか、ふざけた連中です。そして、庶民のためのマニュフェストをまったく反故にして大混乱をもたらし、増税・TPP推進、原発再稼働容認の野田民主党にも入れるべきではないでしょう。
 小政党では本当の保守を自認する自見・下地の国民新党は同じ穴の狢であり、これも対象外です。みんなの党は微妙なところでしょうか。

 これで選択肢を6つ減らすことが出来ました。
 ここからは選挙の争点によって選ぶことになります。この選挙の最優先課題は脱原発を実現すること、東北の被災者に対する政策です。これに次いで消費税増税の凍結、法人税・高所得者税率の引き上げです。そしてTPP拒否を明確にすることです。

No.807 (2012/12/05)CO2放出量京都議定書をクリアー?!

 さて、今朝のNHKのニュース番組で、日本が京都議定書のCO2放出量削減目標をクリアーしそうだと言っていました。まあ、CO2と地球温暖化は何の関わりもないことだし、私にとってはどうでもよいことなのですが(笑)、とりあえずデータを紹介しておきます。まず、最近のCO2排出量の経年変化のグラフです。

 このグラフを見ると、2008年から2009年にCO2排出量が激減しているような印象を持つかもしれません。これは目盛りのマジックです。目盛りの最低値を0にしたグラフに加工したのが次の図です。

 次に同じ期間の日本の実質GDPの推移を示しておきます。

 どうでしょうか?あまりコメントの必要もないと思いますが、経済活動の浮沈とCO2排出量の変動傾向は見事に一致しているのです。これまでCO2排出量削減対策と称して、一説には20兆円以上がつぎ込まれて雲散霧消(笑)してしまったのですが、2008年から2009年にかけてリーマン・ショックによる経済不況のお陰で経済活動が不活溌になったおかげであっという間にCO2排出量が減ったのです。逆に言えば、経済が成長路線に戻ればすぐにCO2排出量はもとに戻ってしまうのは当然です。
 この事実から、20兆円以上を費やしたCO2排出量削減対策はほとんど効果はなかったこと、CO2排出量を減らそうと本気で考えるならば経済活動を抑制すること、ということです。
 CO2排出量削減のために、極めて発電効率の低い再生可能エネルギー発電を大量導入するために工業生産を増やせば、CO2排出量が激増することは火を見るよりも明らかなことです。なぜこんな明らかなことが理解されないのか、私には理解不能です。

No.806 (2012/12/03)笹子トンネル崩落事故の周辺

 昨日朝、中央道の笹子トンネルのコンクリート版の大規模崩落事故のニュースが飛び込んできました。いろいろな報道があり、事故原因は経年劣化によるアンカーボルトの抜け落ちであろうということになっています。
 私は土木の構造屋なので、この事故の原因はなんだろうかと思っていましたが、紹介されたコンクリート版の取付金具の固定構造を見て、唖然としました。吊り金具の上端で金具を取り付けているT字型の型鋼(CT型鋼)をアンカーボルトでトンネル本体のコンクリートに固定するという構造でした。
 はっきり言ってこれは設計段階の大失敗だと考えます。コンクリート構造物というものは本質的にひび割れを起こす構造物です。そのコンクリートにわずか13cmほどの孔をあけ、ここにストレートのアンカーボルトを樹脂固定しているという構造です。
 基本的にアンカーボルトを引き抜きに抵抗させる構造自体に大きな問題があります。しかも引き抜き力が作用する方向の定着長がわずか13cm、しかもストレートの形状ですから、孔との定着が切れれば抵抗するすべがありません。
 一体どうしてこんな愚かな構造にしてしまったのでしょうか?考えられるのは高度成長期の粗製濫造、工期短縮のためにとりあえず形だけを作ることが最優先されたためにほかならないでしょう。しっかりした構造物を作るのならば、L字型に末端を曲げたタイプのアンカーボルトをコンクリートに埋め込む工法を取るべきものです。




笹子トンネルでは、おそらく工期短縮のためにトンネル完成後にドリルで穴をあけ、後からボルトを差し込んで樹脂固定したものです。この種の樹脂固定のアンカーボルトは重要な構造には使うものではありません。

 おそらく高度成長期当時の土木構造物にはこの手の設計ミス(手抜き?)が多数存在する可能性があります。高度成長期に作った構造物の経年劣化は今後大きな社会問題になるでしょう。

No.805 (2012/12/01)気象学の常識は世間の非常識?!

 このところまったく不愉快な報道ばかりです。相変わらずこの時期になるとイルミネーションの報道が何の批判もなく行なわれます。報道の無能さには呆れ果てます。イルミネーション禁止令でも発布したいところです。
 不愉快といえば維新の会の橋下と石原、自民党の安倍の発言には呆れ果てます。
 維新の会の橋下という奴の最近の発言を聞くと、その大雑把さ、乱暴さには呆れ果てます。こんな輩を選んでは絶対いけません。まあ、石原が加わったおかげで逆にファシスト橋下の本性が見えやすくなったのは良かったようです。
 乱暴といえば自民党の安倍もむちゃくちゃです。今回は竹島・尖閣問題という追い風があるからと考えてのことでしょうが、憲法改正・自衛隊国防軍化=戦争できる国家づくりが彼のメインテーマでしょう。経済政策については、日銀に札を刷らせて公共事業を行うという乱暴さです。まったく話になりません。
 滋賀県知事の嘉田氏の“未来”は、とりあえず脱原発の受け皿として限定付きで期待するところです。ファシスト維新の会、戦前回帰の自民党よりは明らかにマシです。ただエネルギー政策のブレインが悪名高き飯田哲也ですから、再生可能エネルギー利権まみれになる可能性はありますが…、あくまでも次善の策として消極的に支持したいと思います。

 さて、本題です。現在高校生向けに高校の理科・社会科の教科書の内容についての連載を行なっています。そこで科学的な基礎についても書いています。今、気象現象について大気循環の項目を書いているところです。私は気象については高校で地学をとっていなかったため、中学生程度の知識しかなく、それ以外は気になった時に調べる程度の門外漢です。
 気象学にはやたらと符牒のような、読んだだけでは意味不明の単語が出てきて、まず言葉の意味から調べなければならず解説が読めないのが面倒なところです。その中でここ数日引っかかっていたのが『傾度風』というものです。
 曰く、傾度風とは「傾度風(けいどふう)は回転成分をもつ風を考えるときに用いられ、気圧傾度力、コリオリ力、遠心力の3つがつりあって吹くものを指し、高気圧性の回転と低気圧性の回転の2つに大きく分けられる。」(Wikipedia)とあります。そして、

 

こんな図がつけてあるのです。

 私は構造屋なので、気象については素人ですが、力学をかじったものとしてはとても違和感を感じるのです。遠心力とは着目している物体と一緒に回転する座標系で現象を観察した時にあたかも作用しているように見える仮想の力=慣性力であり、その意味は単に等速回転運動する物体に実際に働いている力=向心力の符号を逆転させたものという意味しかありません。それを実在の力のように回転運動の図に書き込んで力の釣り合いを考えるというのはいただけません。
 この図や説明を書いた方は、自分が固定された座標系にいるのか、物体と一緒に回転しているのかをごちゃ混ぜにしているとしか思えません。等速円運動に見えるのならば、あなたは固定された(擬似)慣性座標系から運動を見ているのであり、運動方程式には慣性力である遠心力を加えてはなりません。
 逆に物体と一緒に回転する座標系で現象を観察しているのであれば、慣性力は働きますが、物体は静止して見えるはずです。回転座標で表された力の釣り合いを慣性座標系で見ると、この物体には加速度を変化させる力が働いていないのですから静止し続けるか等速直線運動することになります。回転運動は起きません。
 これをごちゃ混ぜにした結果、とんでもない解答を述べています。曰く「同じ回転半径で吹く風では、低気圧性の風(右図)のほうが高気圧性の風(左図)よりも弱い」というのです???

 私が素人なのでなにか見落としているのかもしれないという不安が払拭できません。どなたか説明していただけないでしょうか。

No.804 (2012/11/21)近づきつつある軍靴の音…

 野田佳彦の破れかぶれの解散宣言によって急遽年末総選挙となる。
 野田民主党は福島瑞穂的に言えば(笑)消費税増税・TPP参加による踏み絵による「松下政経塾+α」の純化路線で、おそらく大幅に議席を減らすことになる。
 もちろん野田民主党は下野して当然だと思うが、これに変わる受け皿が問題である。老いぼれ右翼と笑顔のファシストの野合による維新の会。早速、老いぼれ党首石原は日本核武装論をブチ上げている。安倍自民党は前回同様、改憲と自衛隊の軍隊化、米国との集団的自衛権行使の合法化によって、日本を「戦争の出来る国」にしようとしている。
 どちらに転んでもこの国は当分右傾化の方向に大きく振れそうだ。何とか中国との間に軍事的な衝突が起こらないように祈るしかない。
 今回の問題は、老いぼれ老人の策略で中国との間に領土問題が勃発し、この仕組まれた領土問題の緊張にまんまと載せられて国民の中に「強い国=軍事国家」待望の雰囲気が醸成されていることである。
 一方、今日になってようやく脱原発を目指す政党の連携が始まった。集会には、“脱原発”を目指す国民の生活が第一、社民党、減税日本、民主党の有志の国会議員およそ20人と市民グループの関係者ら、およそ80人が出席した。今はこの勢力に淡い期待をかけるしかないようだ…。

 しかし、有権者の意識にも期待が持てそうにない。総選挙の争点の第一位は経済政策であり、早くも原発問題の風化の兆しが強い。No.765(2012/06/30)総選挙に向けての脱原発実現の戦略No.767(2012/07/10)共産党・社民党・みんなの党・小沢新党〜『脱原発』の争点化を急げ!において書いたように、もっと早い段階で脱原発を政策論議にすべく運動すべきであったが、成功していないようである。今は広瀬隆も言うように脱原発を目指す政党の連携において小沢の豪腕が発揮されることに賭けるしかないようだ。

参考
No.228 (2006/09/25) 安倍『美しい日本』の戦慄
No.233 (2006/10/16) 日本外交の必然的帰結「核保有論」
No.283 (2007/07/26) 参院選、温暖化・憲法・・・
No.284 (2007/08/02) ペテン師安倍に一言
No.285 (2007/08/07) 続・ペテン師安倍に一言
No.290 (2007/09/12) 国際社会?テロ?
No.531 (2011/02/26) 異様な日本社会 そのI 強権・タカ派的政界再編しかないのか・・・
No.730 (2012/03/14) 民主主義・法治国家・ファシズム/ファシスト集団大阪維新の会
No.757 (2012/06/02) 関西広域連合原発再稼働容認/橋下徹という俗な政治屋

■広瀬隆のブログ

No.803 (2012/11/17)節電と電飾を同時に行うむちゃくちゃな国

 また不浄の光の灯る季節となりました。

 九州電力は、原子力発電所の再稼働が出来ないことによって電力供給に余裕が無いことを演出するために11月2日付で『今冬における節電へのご協力のお願いについて』なる文章を出し、この冬の電力使用節約を呼びかけました。曰く「お客さまの生活・健康や経済活動に支障のない範囲で、節電へのご協力をお願いする次第」だということです。しかも大晦日から2013年正月4日までは対象外などという、誠に緊張感のない内容です。
 要するに、実質的には電力供給が逼迫する状況になるようなことはまったくないが、原発が動かせなくて余裕が無いような雰囲気を電力消費者に刷り込み、あわよくば原発を早期に稼働させようと企んでいるということです。誠にふざけた話です。
 だからといって、これまでどおり必要性もないのに年末年始の電飾で電力を湯水のごとく使い続けるなど、狂気の沙汰であり、とんでもないことです。
 福島第一原子力発電所事故までは、原発が存在することによって夜間電力は慢性的にだぶつき気味であったために、都市は不夜城となり、オール電化が推進され、それだけでは飽きたらずに電気自動車までが導入されようとしました。
 1970年代のオイルショックでは、できるだけ夜間電力消費量を減らすために店舗の営業時間が短縮されるだけでなく、テレビやラジオの深夜放送までが短縮されました。しかし当時に比較して原子力発電による電力供給が増加した現在では、最近の原油・天然ガス価格高騰でも夜間電力の消費縮小にはまったく結びつかなくなってしまいました。原発を増やした結果、夜間の省電力が不可能になってしまっていたのです。
 しかし福島第一原子力発電所事故を経験した今は違います。大飯原発以外が停止している現在、夜間使用電力を削減すればそれが直接エネルギー消費の節約に直結するのです。福島第一原子力発電所事故を契機に、原発によって電力をいかに無駄遣いしてきたのかを知り、この堕落した過剰消費社会を見直し、夜間電力消費を削減して、電力会社に対して原子力発電の再稼働など言い出せないようにすべき時ではないでしょうか。

 この国の非科学的で非論理的なむちゃくちゃなマスコミは、電力供給逼迫を演出する一方で、年末年始の風物詩として各地のイルミネーションの紹介をし、馬鹿面した若い女性キャスターに「綺麗ですね」などと言わせているのです。なんという情けない国なのでしょうか。絶句。

No.802 (2012/11/17)高校教師は完全に腐っているのか?其のD 
〜高校生のための副読本連載開始

 さてさて、腐った教師との対応に時間を潰すのはひとまず辞めて、高校生に対して科学的・論理的な情報を発信するという、建設的な作業を開始しました。少しづつ、なるべく初等中等教育で扱われている科学知識をもとに、説明を省略せずにコツコツ連載を続けていきますので、よろしくお付き合いください。
 尚、このプロジェクトに情報提供や、文書作成の協力をしていただける方がいましたら、随時ご連絡いただきたいと思います。

環境問題についての高校教科書の記述を科学する(2012.11.〜)

No.801 (2012/11/14)高校教師は完全に腐っているのか?其のC 
高校理科・社会科教科書の誤り大募集!!

 さて前回まで、多少恨みがましく、大分のとある県立高校の科学教育に携わる教師についての分析を行いました。誠に後ろ向きな結論は以下の通りです。この高校の理科・社会科の教師は次のいずれかの類型に該当します。

類型1:本当に科学的な判断力が欠如した大馬鹿者

類型2:本当はそれほど大馬鹿者ではないが、上位下達の文部行政でタブーである教科書問題に触れるようなことには関わりたくないので、敢てバカのふりをして思考を停止している。

 おそらく、ほとんどの教師は類型2に属するものと思われますが、もしかすると類型1に限りなく近い教師もいるかもしれない(笑)というのが実感です。いずれの類型であっても教師の資質に著しく欠ける不適格者であることは同じです。不適格者には辞職していただくほか道はありません。

 何れにしても、愚かな教師任せでは高校教育における誤った環境問題教育を正常に戻すことはできません。ではどうするか?既に高校教師の堕落に気づいている優秀な高校生は少なくないと考えます。その優秀な高校生自身に対して直接正しい情報を提供するメディアを構築することが最善の策ではないかと考えます。
 既にこのHPでは、『高校生のための環境問題講座』というコーナーを設けて、高校の理科・社会科の教科書の環境問題に関する記述の誤りについてレポートしていますが、どちらかと言えば教師用にまとめたものであり、高校生には多少わかりにくいものになっています。今後、もう少し高校までの理科・社会科教育に即した形で、小さな項目ごとにまとめてわかりやすい記事をまとめていきたいと考えています。
 そこで、高校生、教師、保護者を問わず、高校の教科書の記述についておかしな点や誤った内容があれば、具体的にお寄せいただきたいと思います。私達の手で、官製の誤った教科書に対するカウンターとなる副読本を作成したいと思いますので、ご協力をおねがいいたします。

 尚、『高校生のための環境問題講座』に収録してあるすべてのレポートは、出典を明記いただければ、ご自由に利用いただいて結構です。また不明な点や不適切な点がございましたらご指摘いただきたいと存じます。ただし、内容の部分的な書き換えなどはご遠慮ください。

No.800 (2012/11/13)高校教師は完全に腐っているのか?其のB 
宗教となった高校理科・社会科教育

 結論的に、娘の通う県立高校の理科・社会科の教師は完全に腐っているようです。まだ腐りきっていない教師がいればすくい上げたいと思いましたが、既に手の施しようがないようです。
 昨日、意見交換会の折の録音を聞きました。残念ながら、ほとんどしゃべっているのは私だけで、意見を求めても『私たちは科学者ではないので判断できません』という返事しかないのです。彼らは端から説明を聞くことも自分の頭で判断することも放棄し、金科玉条のごとく『私たちは科学者ではないので判断できません』と繰り返すばかりで、ついに教科書の記述についての実質的な意見交換は一切出来ませんでした。

 まず彼らの言う『科学者』あるいは『専門家』というのは何なのでしょうか?どうも職業的な研究者のことをこのように表現している様に思います。彼らの言によると、文科省の覚えめでたく、教科書の編纂に関与する学会の主流に属する権威ある職業的な研究者でなければ、教科書の記述の正誤を判断することは許されない、ということになるようです。
 科学(自然科学、社会科学、人文科学)とは、現実に起こる現象を観察し、それを帰納的に分析することによって現象を貫く普遍的な法則性や原理を導くことです。科学教育とは、積み重ねられてきた科学的な知見を系統的に教えることによって、現象を合理的に解釈する能力=科学的な判断能力を身につけさせることです。
 なぜ科学的な判断能力を身につけることが重要なのでしょうか?それは、科学に裏打ちされた判断には普遍性があるため、同じ現象にたいして子供でも、権威ある研究者でも同じ結論を得ることができるからです。科学教育の目的とは、かつては科学者の特権であった科学的な判断能力を万民の常識にすることです。
 科学(現象についての普遍的な法則性や理論)を教える理科や社会科の教科書に、教師が科学的に理解できない記述や説明できない記述があるということは論理矛盾です。また、科学を教える教師が教科書の内容の正誤の判断を『科学者』や『専門家』に委ねて、科学的な判断を放棄することは自己否定です。
 今回のように教科書の記述に対して誤りがあることを指摘された場合、彼らの立場から教科書の記述が科学的に正しく、指摘のほうが誤りであることを論証するか、あるいは指摘が正しいのならばそれを受け入れるというのが『科学的な態度』です(もちろん、判断が別れる場合両論併記することが必要なケースも存在するかもしれません。しかしそのようなテーマは学校教育におけるテーマとしてはふさわしくなく、正に専門分野の学会での論争に任せるべきでしょう)。
 例えば、オゾンホールの問題では理科教師も公民の教師もともに『オゾンホールからオーストラリアまで2000km以上も離れているのだから影響はない』という私の説明はどうしてなのか分からないと主張しましたが、これは教師として怠慢です。本来彼らのすべきことは『2000km以上も離れたオゾンホールを通過した紫外線がどのようにオーストラリアに影響するのか』を論証することで私の指摘を科学的に棄却することですが、こちらのほうが困難だと思いますが…(笑)。
 この点について彼らは、正誤の判断がつかないと主張するわけですが、科学的・論理的な判断を下す能力を教えるための教科書に、教える教師にとって科学的に判断できない記述があって、一体彼らはその教科書の内容をどのように教えるのでしょうか?
 私はともかく、生徒から同じ質問がされた時にどのように回答するのでしょうか?曰く『偉い専門家の書いた文部省の検定を通過した教科書に書いてあるから、正しいのだ。疑う事なかれ!!』と。高校の教科書は経典となり、教師は科学を教えるのではなく、経典を布教することになったということでしょう。

No.799 (2012/11/09)高校教師は完全に腐っているのか?其のA

 さて、1日経って少し冷静さを取り戻したので(笑)、もう少し大分県立B高等学校の理科と社会科の教師たちの精神状態を分析することにします。
 一つ言い忘れていましたが、前の記事を読まれた読者から、次の一手についてなかなか面白い提案を早速いただきました。今後もご意見を募集いたしますので、どしどしお寄せください!

 意見交換会の席上で、最も特徴的な発言は、『学者や専門家ではない私たち(教師)には教科書の記述の正誤を判断することが出来ない』というものです。これは論理矛盾です。
 科学教育とは、科学的な基礎知識と論理的な推論の方法を習得させることによって、現象を理解するために行なわれるものです。現象を理解することは学者や専門家(が何を指すのか不明ですが…)でなければ出来ないというのであれば、科学教育など不要です。
 科学とは、科学的法則に則り論理的な結論であれば誰が判断しようと、正しいものは正しく、誤りは誤りです。それを判断する能力を習得させることが科学教育です。科学教育を行う教師が『学者や専門家ではない私たち(教師)には教科書の記述の正誤を判断することが出来ない』というのは詭弁です(あるいは本当に大馬鹿者の不適格者なのか??)。
 もし彼らが意見交換会の席上で発言したように、学者や専門家ではないから『正誤の判断ができない』ならば、彼らは一体何を根拠に教科の内容を生徒に教えているのでしょうか。彼らはおそらくこう答えるのでしょう、『教科書検定に合格した教科書に書いてあるから』その通りに教えると。では、試験の採点をどのように行うのでしょうか。正解はともかく、科学的合理性のある予想外の回答に対してその正誤をどのように判断するのでしょうか?例えば、

設問1)オーストラリアの子どもたちはなぜサングラスをかけているのでしょうか?
正解)オーストラリアは南極に近くオゾンホールの影響で紫外線が増加しているので、白内障にならないようにサングラスを着用している。
別解)移民である白人のオーストラリア人は、日差しの少ない北半球の高緯度地方に住んでいた人種であるため、色素が少なく紫外線に対する生体防御機能が弱いために低緯度から中緯度に位置する日差しの強いオーストラリアに移住した結果、白内障や皮膚がんを発症するリスクが高くなったので、白内障にならないようにサングラスを着用している。
設問2)なぜオーストラリアでは紫外線が増加しているのでしょうか?
正解)オーストラリアは南極に近くオゾンホールの影響で紫外線が増加しているため。
別解)通常、「オーストラリアは南極に近くオゾンホールの影響で紫外線が増加しているため」とされるが、オゾンホールの縁からオーストラリア南端は水平距離にして2000km以上も離れているため、直進する紫外線がオゾンホールを通過してオーストラリアに到達することはなく、通説は誤りであり、オーストラリアでオゾンホールを原因として紫外線が増加しているという事実はない

 もし彼らが別解を不正解とするのならば、その理由を理論的に論証しなくてはなりません。また、正解も別解も共に正解だとしたとしましょう。ところが正解と別解は正反対の二律背反の内容であり、成り立ちません。彼らはどうするのでしょうか???

 彼ら教師は教科の内容を生徒に教える専門家です。その前提条件は、教科の内容を理論的に理解していること、教科書に記載されている内容が正しいことを理解していることが最低の必要条件になります。そこで初めて教科書の記述通りに生徒に教えることができるのです。そしてもう一つ重要なことは、各教科の内容間に論理的な整合性があることです。そのために、今回の意見交換会では主に現代社会の教科書の記述について取り上げましたが、理科教師にも参加してもらいました。
 例えばオゾンホールの問題では、オゾンホールの範囲は最盛期の春先でも南極圏(南緯66.6〜90度)の範囲程度であり、オーストラリア大陸の南端の緯度は南緯40度程度ですから、最短距離は緯度にして26.6度、距離にして2950km程度離れています(地理ないし観測科学的事実)。オゾンホールを通過する紫外線は光ですから直進します(物理法則)。この二つの前提から科学的に導かれる結論は、オーストラリアに降り注ぐ紫外線量とオゾンホールの存在は無関係ということです。一体どこに判断できないような問題があるのか、私には、正に『理解不能』です(笑)。

 以上から、意見交換会における教師たちの精神状態として考えられるのは次の三つであろうと考えます。

@大真面目だったが、初等中等教育の内容さえ理解できない大馬鹿者である。→教師不適格者なので即刻辞職すべき。
A管理職から事前に言い含められたかどうかは不明ですが、近藤の言うことには一切の判断を放棄し、馬鹿なふりをして面倒な事にはかかわらず、教科書が嘘だろうと正しかろうと、敢えて面倒な事はせずにそのまま教えればいいという責任放棄。→教師不適格者なので即刻辞職すべき。
B管理職から事前に言い含められ、また同僚から監視されているので(笑)本音が言えなかった。→連絡してください!

 意見交換会はおそらくこのような結果になるであろうことは、事前に多くの現職の中学高校の理科教師の友人知人から聞かされていました。それでも、彼らのように、一人くらいはまともな教師もいる可能性はありますので、とりあえず正攻法で攻めるところまでは攻めて見ましたが、どうやらこれでは問題は解決できないようです。今後は多少トリッキーな手段も考慮すべきなのかもしれません。

No.798 (2012/11/07)高校教師は完全に腐っているのか?

 このコーナーNo.762(2012/06/18)戦前と変わらぬ学校という洗脳装置〜理科・社会科教育の崩壊において、私の娘の通う大分県立のB高等学校の管理職の破廉恥な実態を書きました。その後スッタモンダがあった後(笑)、やっと今日、同校の理科と社会科の教師4人と意見交換を行う場を持ちました。話し合いに先立って、私のこの問題についての考え方をまとめた文章を配布しました。
 しかし、残念ながら、B高等学校の理科と社会科の教師たちは見事に管理されているのか、判で押したように管理職と同じ受け答えでした。
 曰く「教科書の内容を教えるのが教師の仕事であって、教科書の記述に誤りがあるかどうかについては感知しない。」、「研究者や専門家ではないので教科書の記述の正誤を判断する能力はない。」「たとえ教科書の内容に誤りがあろうと、教科書出版社や検定に意見を言う事など出来ない。」だそうです。

 意見交換会の冒頭にこういう話になってしまったために、がっくりしましたが、折角の機会なので用意した資料でオゾンホールと人為的二酸化炭素地球温暖化に関する記述について、単純な事実誤認による明らかな誤りを指摘しました。
 例えば、オゾンホールに関して現代社会の教科書ではオーストラリアは「オゾンホール(オゾン層が局所的に薄くなっているところ)ができている南極に近いため,紫外線が強いなどの原因が考えられている。」と書かれているが実際には「オゾンホールの端からオーストラリアの南端までの距離は2000kmも離れているのだから、オーストラリアにオゾンホールの影響で紫外線が増加することはない。」という事実について、彼らは「学者や専門家ではないので、私たちには教科書の記述について正誤を判断できない。」というのです。あきれ果てました。
 こんな調子で、彼らは教科書の記述について一切判断を放棄し、内容については何も答えないという対応に終始しましたので、残念ながら予定時間を半分残して意見交換会を打ち切らざるを得ませんでした。こんな無責任・無能な教師しかいないB高等学校に娘を通わすしか出来ないことは忸怩たる思いです。
 一体何のために理科教育が行われるのでしょうか?社会生活などにおいて、新たな問題にぶつかった時に科学的な判断を下すための基本的な知識と考え方を修得するためです。自分の教えている教科の内容についての正誤の判断すらできない教師が、子どもたちに一体何を教えるというのでしょうか?

 一体いつからこの国の高校教師の質がここまで堕落してしまったのでしょうか?このような疑問を持つことを許さない上位下達の教育が続けばこの国は近い将来、再び破局を迎えることになるでしょう。本来ならば、この状況を共に打破すべき現場の教師と保護者であるはずなのに、愚かな教師たちは事なかれ主義で個に埋没しているようです。この亡国教育の直接の責任は、自ら考えることを放棄した愚かな現場教師たちの中にこそあるようです…。

 さて、この問題に対して、次はどうしましょうか、読者諸兄に何かよいアイディアがありましたらご教示いただきたいと存じます。

No.797 (2012/11/02)早くも国内太陽電池メーカーの凋落?

 パナソニックが10月31日に2013年3月期の連結決算の業績予測を大幅に下方修正し、7650億円の赤字と発表しました。その要因はリチウムイオン電池と太陽電池パネル事業の業績悪化です。11月1日にはシャープが同様に、過去最大の4500億円の純損失が発生すると発表しました。その主因は液晶パネルの業績の悪化と同時に、パナソニック同様に、太陽電池パネル事業の不振が影響しているようです。
 今年7月に再生可能エネルギー特措法が施行され、国内各地でメガソーラー発電所建設計画が持ち上がっています。本来ならば太陽電池メーカーは活況を呈するはずであったのでしょうが、目論見は脆くも崩れてしまいました。
 既にこのコーナーNo.788(2012/09/18)メガソーラー発電所は韓国製…でも触れたように、国内で計画されている丸紅関連のメガソーラー発電所計画では、すべて韓国ハンファグループ日本法人のハンファ・ジャパンの太陽電池パネルが使用されることになりました。おそらく、その他の国内メガソーラー発電所計画でも、価格差ほど製品性能に違いがないことから韓国を始めとする格安の太陽電池パネルを輸入して利用することになると考えられます。
 4月にドイツの太陽電池パネル最大手であったQセルズ社が倒産したことが驚きをもって報道されましたが、日本の太陽電池メーカーは専業メーカーではないためにいきなり倒産には至っていませんが、早くも太陽電池パネル事業は淘汰されようとしています。
 今後再生可能エネルギー特措法によって海外メーカーによる太陽光発電所や風力発電所が増えるに従って日本の電力料金はますます高騰し、日本の工業製品はますます割高になることは必至です。大きなメーカーは製造拠点を海外に移転することになり、余力のない中小メーカーは淘汰され、日本の製造業はボロボロになるのではないか、とても心配です。
 日本は、エネルギー政策をこの辺りで真剣に科学・技術的に根本から再検討しなければ、取り返しの付かない大混乱に陥ることになるでしょう。

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