No.246 (2006/12/25)CO2温暖化否定論 環境省の反論は『幻』

 さて、『No.227 環境省、温暖化否定論に反論!』において紹介しましたように、2006年8月26日読売新聞によりますと環境省研究調査室の発表として、『同省はIPCCに参加する国内の研究者約30人の協力を得て、温暖化否定論を検証していく。同省研究調査室は「CO2削減が待ったなしで求められるなか、温暖化への疑問に丁寧に答えていきたい」と話している。』と報道されました。このことはネット上でもかなり話題になっていましたので、御存知の方も多いと思います。
 この環境省の主要な標的に槌田敦氏ならびにこのHPが含まれていることは想像に難くありません。この報道を受けて、槌田氏は9月20日付で環境省研究調査室の塚本室長に対して、否定論の検討に当たっては、科学的公正の立場から、否定論の研究者を含めた議論を行うことを申し入れましたが、この件に関する回答はありませんでした。

 本日、槌田氏は直接塚本室長に電話で確認を行ったところ、塚本室長は「そのようなこと(研究者を動員して温暖化否定論に反論し、年内に環境省のHPで説明すること)を発表した事実は無い、読売新聞が勝手に書いたものだ。」と回答したそうです。槌田氏は、現在読売新聞に対して塚本氏の回答の真偽を確認中です。
 塚本室長の回答は驚くべきものです。どう考えても、たとえ読売でも環境省が発表あるいは情報提供しない限り、このような記事をわざわざ掲載することは考えられません。事実は近い内に明らかになるでしょう。

 言った、言わないの議論はさておき、環境省が2006年内に同省のHPで温暖化否定論に対する反論を行うことは無いことが確認されました。これにつきましては、既にNo.227でも述べていた通り、研究者としての自殺行為をしてまで環境省に協力する研究者が現れなかったと考えるのが最も合理的だと考えます。
 つまり、『環境省の温暖化否定論に対する反論』は幻であり、したがって論理的には彼らは、温暖化否定論の正当性を認めることこそ合理的な対応なのです。

■読売新聞の回答
■環境省最終見解

No.245 (2006/12/22)自然科学の危機 その2
気象数値モデルはコンピューターゲーム

 No.242において、電子計算機を多用するようになった自然科学の一般的な問題点について述べました。ここでは、大気現象を模倣しようとする数値モデルについて考えてみます。尚、詳細な議論につきましては中本教授による連載『気候シミュレーションとは何か』をご覧下さい。

 二酸化炭素地球温暖化脅威仮説(以下簡単に温暖化仮説と呼ぶ)において、従来の実証的な自然科学的な方法論からは、否定的な事実は多数あるものの、その正当性を明確に示すような事実はありません。つまり自然科学的には何も立証されていない、出来の悪い仮説に過ぎないのです。

温暖化仮説における予防原則は政治の産物

 それにもかかわらず、ここまで温暖化仮説が蔓延した背景には二つの要素があります。まず一つは気候シミュレーションによる数値実験の将来予測であり、もう一つが予防原則の適用です。
 少し脇にそれますが、予防原則について少し触れておきます。温暖化仮説に対する予防原則というのは「人為的な二酸化炭素の排出が温暖化とそれによる危機的な環境の激変をもたらす」とする温暖化仮説の妥当性は明確ではないが、その可能性があるのならば対策を行うべきである、と言うものです。
 通常、予防原則と言うものは因果関係が明らかな事象に対して、その発生を防ぐための対策を講じることです。例えばインフルエンザの罹患に対する予防接種であったり、手洗いやウガイの励行等です。
 ところが、温暖化仮説に対する予防原則は全く違っているのです。人為的な二酸化炭素の排出が温暖化の原因であることが未だ実証的に確認されていないばかりか、仮に温暖化したとしてもそれが危機的な環境変化をもたらすかどうかもわかっていないのです。従来言われてきた予防原則とは全く違ったものなのです。
 つまり自然科学的に何もわかっていない状況で、闇雲に温暖化対策という錦の御旗の下で二酸化炭素排出の削減だけが叫ばれているのです。温暖化仮説における予防原則とは自然科学とは全く無縁の政治的判断の産物なのです。実質的には二酸化炭素の排出削減に結びつきそうもない先進各国の巨大重工メー カーを喜ばすような技術の導入だけが進んでいる状況は特に留意しておくべきです。

気候シミュレーションの仕組み

 さて、話を元に戻します。では温暖化仮説を支持する気候シミュレーションの実態とはどのようなものなのでしょうか?
 基本的には粘性流体に対するNavier-Stokes(ナビエストークス)の方程式を基に、これを数値的に離散化することで、地球の海洋と大気をモデル化しているのです。この基本は気象予測(=天気予報)用の数値モデルでも気候予測用の数値モデルでも同じです。
 毎日の天気予報では、おそらく日本周辺の大気の数値モデルに観測データを初期値として与えることによって、時間に対する変容を追跡していると考えられます。気象予測では時空的なスケールが地球全体の気候予測を行うモデルに比べてはるかに小さいため、小さなメッシュを使った「詳細」な予測を行うことが出来ます。
 しかし、それでもある程度信頼できる予測期間はせいぜい1〜2日というのが私の生活実感です。週間予報の1週間先の天気を『信じ』ている人はまずいないでしょう。つまり『ナビエストークスの方程式に基づく数値モデルによる気象現象の予測の適用限界はせいぜい1〜2日である。』ということなのです。実際には、日本周辺の天気予報(15時間)では対象地域を5km四方程度に分割したモデルが使われています。これが気象あるいは気候を表現する数値モデルとしては最高の解像度です。
 電子計算機の能力の限界から、予測期間が長くなり、あるいは対象領域が広くなれば、かわりに平面的な解像度を下げなければなりません。東アジア地方の天気を予測するモデル(予報期間2日間)では20km四方になり、全球の天気を予測するモデル(予報期間9日間)では55km四方になります。
 さて、前述のように、生活実感として天気予報をある程度信頼して参考にする期間は1日〜2日程度ではないでしょうか?数値モデルで言えば 5km四方の解像度のモデルに相当する予報と言うことになります。それでは5km四方の解像度のモデルならば気象現象を本当に正しく模倣しているのでしょうか?

完全流体に対するBernoulli(ベルヌーイ)の定理

 流体力学に関して最もよく知られている法則はBernoulli(ベルヌーイ)の定理でしょう。ベルヌーイの定理を利用するためには、流体は完全流体であり、定常流でなければなりません。更に、流体の密度は圧力だけの関数でなくてはなりません。
 完全流体とは、流体表面に作用する力は圧力(流体表面に垂直に加わる力)だけで、流体の表面方向には力が作用しません。これは流体に粘性が無いこと、感覚的には「さらさら」 した流体を意味することから完全流体のことを非粘性流体とも呼びます。定常流とは、時間の経過に対して流れの様子が変化しない流れのことです。
 つまり、ベルヌーイの定理の成り立つ流体運動は、熱や温度、そして時間とは無関係な流れだと言うことになります。これは熱力学的にはエントロピーを発生しない物理現象であって、可逆的な運動です。

気象現象はエントロピーを増大させる非可逆過程

 気象とは大気とその中で起こる物理現象の総称です。気象現象が起こる本質的な原因は地球の重力と自転運動、そして太陽放射を主とした熱エネルギーの流れです。とりわけ熱エネルギーは重要です。また、衛星から見た地球の映像を見れば地球大気のいたるところに渦が生じていることがわかります。大気の流れは各種のスケールを持つ渦が非定常に生成・消滅を繰り返す流れです。大気を構成する物質は分子で構成されており、分子摩擦ないし流体では粘性によって力学的なエネルギーは不可逆的に熱エネルギーに変化し環境中に散逸します(エントロピー増大則)
 更に気象現象を複雑にしているのが水の存在です。水は蒸発するとき周囲から気化熱を吸収して気体の水蒸気へと変化します。地球大気の大雑把な平均的な分子量は標準状態(0℃、1気圧)で29であるのに対して水蒸気の分子量は18なので、水蒸気を多く含む大気は相対的に軽いために上昇傾向を持つことになります。 大気上層へ移動した水蒸気を多く含む大気は断熱膨張し、露点に達すると今度は凝結して水滴あるいは氷の粒へと変化(雲の発生)します。この時には蒸発の場合と反対に周囲の大気へ熱を放出すると同時に体積が減少します。
 このように、気象現象において水の相変化を伴う熱エネルギーの発生・吸収・移動が本質的に重要です(他にも水蒸気や雲には温室効果や太陽放射に対する反射率において非常に重要な要素です。)。

粘性流体に対する Navier-Stokes(ナビエストークス)の方程式は気象を模倣できるか?

 こうした気象現象を表現するためにはベルヌーイの定理は全く使い物にならないことがわかります。そこで気象の数値モデルでは粘性流体に対するナビエストークスの方程式を元に構成されることになります。ナビエストークスの方程式では、流体の有限の微小部分=流体粒子の表面に働く圧力と表面方向に働く力(=粘性によって生じる力)と流体粒子の密度と加速度を考慮して力の釣り合いを考えることによって導かれます。流体の密度と温度は状態方程式によって関連付けられます。気象あるいは気候現象を表現する数値モデルではナビエストークスの方程式と流体の状態方程式を連立させて数値的に解くことによって流体の運動を求めようと考えたのです。
 ナビエストークスの方程式は流体粒子に対して粘性を考慮することによって導かれていますが、この粘性のために隣り合う流体粒子同士は摩擦力を及ぼしあい、散逸仕事とよばれる摩擦熱が発生します。さまざまな熱力学的状態量を含むナビエストークスの方程式で表現される流体運動は我々人間が恣意的に指定する熱力学的状態量に依存するのです。これはナビエストークスの方程式が実際の粘性流体の挙動による運動エネルギーの熱エネルギーへの変化と散逸を物理学的に自明な形でうまく表現できないことを示しています。つまりナビエストークスの方程式で表現される流体運動は実際の粘性流体の挙動と熱力学的に本質的なところで大きな矛盾を含んでいるのです。 
 気体の粘性は異なる速度を持つ隣り合った気体の層が分子の運動によって運動量を輸送するために生じるとされます。液体では流れによって分子の配列が変形を受け、この変形にともなう分子間力によるとされます。海底付近の高圧条件における海水の粘性から海面付近の生命活動の盛んな海水の粘性を我々が指定しなければならないということになります。また水蒸気を含んだ空気の密度と温度と圧力を指定してはじめて空気粒子の粘性がきまります。空間の各点に粘性と密度を決めるさまざまな物理量を盛りこんで初めて我々はナビエストークスの方程式の解を求めることができます。空間の各点で熱力学的状態量を盛り込まないと台風は発生しないのです。
 しかし我々がナビエストークスの方程式に対して、時々刻々変化する空気や海水の粘性や密度の適切な値を空間の各点で指定して、非定常に移動する渦という特異点や前線のような大気の特性や速度が不連続に変化する面を含む現実の大気の現象を一般的に表現することはできません

 このように、気象現象を表現するためにはナビエストークスの方程式、あるいはこれを基に構成された数値モデルには本質的に多くの問題点があるのです。特に気象現象において重要な熱力学的な挙動を適切に表現できない点は決定的な欠陥です。更に、流体粒子という流体の微小部分について成り立つ粘性係数を含んだ拡散型のナビエストークスの方程式を地球規模の巨視的な大気の運動である気象現象に対して当てはめることが妥当だという保証もありません。水の熱力学的な複雑な挙動を考慮する以前に、乾燥した地球大気の運動を表現するだけでも、ナビエストークスの方程式は致命的な欠陥を内包していると考えられます。

気候の将来予測に基づく局地気象の「再現」はコンピューター・ゲーム

 天気予報用の5kmメッシュの数値モデルにおいても気象現象を自然科学的に正しく模倣している保証は全くないことがわかりました。数値モデルによる気象予測の予測期間に限界があることをナビエストークスの方程式という非線形微分方程式の解の不安定性、いわゆる「カオス」に求めることが一般的ですが、むしろナビエストークスの方程式自体が、非可逆的な熱力学的挙動を示す大気運動の実態を表現出来ないという根源的なところに問題があるのです。

 天気予報が1〜2日の天気をある程度言い当てているように見えるのは、数値モデルが正しく天気を模倣していると言うよりも、予測期間が短いために現実の天気とのずれが致命的なレベルに達していないに過ぎないのではないでしょうか。この程度の予測ならば、衛星写真と十分な観測データと熟練した気象予報士がいれば、気象予報の数値計算などあってもなくても、天気予報の精度はそれほど変わらないというのが現実のように思います。

 

 

2006年12月22日午前6時の雲の赤外線写真(上)と天気図(下)

 気象予測の数値モデルにおいても致命的な欠陥が存在することがわかりました。これでは長期の気候予測は意味のある結果が得られるなどとは全く考えられません。
 長期予測を行うためには、熱容量の大きな海洋の影響を考慮する必要があることから、大気・海洋結合モデルが用いられます。大気・海洋結合モデルの解像度は、海洋部分で50km〜200km、大気部分で270kmという非常に粗いメッシュを使用しています。これではたとえナビエストークスの方程式に致命的な欠陥がなかったとしても評価に耐えるような結果が得られるとは到底考えられません。

 

高精度・高分解能気候モデルの開発(気象庁・気象研究所・AESTO)より

 将来の局地気象を評価するために、大気・海洋結合モデルの粗いメッシュで計算した結果を気象予測(天気予報)用の数値モデルの初期値として用いて計算します。確かに天気予報程度の絵を描くのに必要なデータを揃えることは出来ますが、それは電子計算機の中の仮想現実、コンピューター・ゲームのリアルな画像であり、その自然科学的な妥当性とは全く別次元の問題なのです。

 気象は、海洋や大気中における様々な生物・非生物、あるいはミクロからマクロにいたる物理・化学・生物的現象を含んでおり、その総体として私たちに観察されています。
 例えば、観測した気象観測データから非生物的な部分だけを分離することは出来ません。つまり、気象現象を模倣しようとする数値モデルに対して、正しく現象を模倣できている部分はどこで、改良すべき部分はどこであるかを明確に示すことが出来ないのです。実際の現象の観測によって正しいか間違っているかを明確に判断できない数値モデルは自然科学的には無意味であり、単なるコンピューター・ゲームに過ぎないのです

No.244 (2006/12/20)環境省の反論はあるか?

 このHPを含めた「二酸化炭素地球温暖化否定論」に対する行政側からの露骨な思想統制である、政府関連研究機関の研究者を中心として行われるという反論(8月26日読売)はどうなっているのでしょうか?報道では年末までに環境省のHPで温暖化否定論に対する反論が行われるとされていましたが、11日を残すのみとなった本日現在、未だに私の知る限り何の情報も無いようです。
 技術官吏によるデータの隠蔽と捏造が横行する温暖化議論は、戦時中の731部隊の人体実験プロジェクトや原爆開発における米国マンハッタン計画よろしく、国家権力による自然科学者の国家への忠誠を強要するものです(若い人にとって731部隊やマンハッタン計画とはもはや死語なのでしょうか・・・。)。既に洗脳の終わった大部分の科学者たちは乗り遅れまいと、むしろ嬉々として国家へ奉仕し始めています。
 既に(環境)翼賛国会化した立法府、教育現場における愛国心の強要、防衛庁の防衛省昇格と海外派兵の正当化・・・。誠に息苦しい時代が到来しようとしています。
 表面的には年末・クリスマス商戦の馬鹿騒ぎに電飾の氾濫、国を挙げてのお祭り騒ぎが連日続いています。その影では寒さに凍えて命を落とすホームレスが存在し、障害者をはじめとする弱者を切り捨てる政策が着実に拡大しています。今後国家にとって意味のある人間とそれ以外の人間の選別はますます苛烈になる予感を禁じ得ません。

No.243 (2006/12/15)改正教育基本法成立

 国会会期末ぎりぎりで改正教育基本法が成立しました。また、防衛庁が防衛省に昇格すると同時に、自衛隊法の一部改正で、自衛隊の海外派兵が正式な任務になりました。軍事国家への回帰の外堀が徐々に埋められつつあります。この重要法案の成立にもかかわらず、世の中はいたって平静であり、クリスマス・年末商戦の莫迦騒ぎ、クリスマス・イルミネーションがお祭りのように輝いています・・・(省エネや二酸化炭素排出量削減なんて・・・)。
 『核開発に反対する物理研究者の会』は、この危機的な情勢に対応すべく、運動の輪を大衆運動に広げるために『核開発に反対する会』へと発展的に解消することになりました。これに伴って、通信も今回報告の42号で一旦最終号となります。

No.242 (2006/12/12)自然科学の危機

 気候シミュレーションをどう評価するかと言う問題は、極論すると私たちが観察者として自然とどう向き合うかという根源的な問いかけなのだと考えます。私自身工学に携わっていた人間ですから、不可知論には与するものではありません。しかし、何らかの理想化や近似を前提としない限り自然現象を数式や言葉で完全に記述することは出来ないことを常に意識しておくことが必要なのです。

 古い話になりますが四半世紀前、私が学生であったころは、自然現象を表現した微分方程式が存在しても、解析的に解の求められるのは単純な境界条件のごく限られた場合に過ぎないことを繰り返し教えられたものです。また、今ほど電子計算機の使用は普及していませんでした。
 ところが、電子計算機の使用が進んだ結果、解析的に求めることが出来なかった微分方程式でも数値的に解を求めることが可能になってきました。ただし、私の経験した構造物の応力解析では、新たな数値モデルを作った場合、必ず実物実験ないし模型実験結果と数値実験結果を照合する作業を行っていました。

 その後、電子計算機における数値実験は確かに目覚しい成果をあげました。電子計算機の高速・大容量化が進み、複雑な境界条件の問題に対しても解が求められるようになりました。
 この数値実験の成功は、自然科学の方法を大きく変えました。研究者や技術者は、電子計算機が手軽に使える条件が整うにつれ、実物実験や模型実験よりも簡単で手軽に色々な条件の実験の出来る数値実験を好んで多用するようになったのです。

 次第に数値モデルの適用範囲は広げられ、ついに実物あるいは模型実験による追試が出来ない問題に対してまで適用されるようになりました。これは、画期的な出来事であると同時に、数値実験が自然科学の領域を超え、極めて危険な領域に踏み込んだことを示唆しています。
 自然科学とは、観察者が自然現象や実物あるいは模型実験を観察し、その中に潜む規則性や法則を帰納的に抽出する過程です。こうしてまとめられた仮説は再び自然現象の観察によって検証され、再現性を確認できたとき、理論なり法則として承認されます。
 本質的な問題点は、再現性が確認できず、現実の自然現象によって明確に検証することの出来ない数値実験は、電子計算機という仮想空間内の仮想現実=コンピューター・ゲームにすぎないということなのです。こうした数値実験によって構成された仮想現実の法則や理論は最早自然科学ではないのです。
 問題はそれだけではありません。数値実験の普遍化は、本来、自然現象の観察者であったはずの研究者に自然に対する観察を軽視させ、その代わりに過去の自然現象の研究成果を演繹的に利用し、これを適当に組み合わせて、それらしい数値モデルを構成するプログラマーにしてしまったのです。
 このことは、単に技術的な問題ではなく自然科学の方法論として部分への還元主義と、逆に部分を寄せ集めることによって全体を再構成することが可能なのだという安易な数値実験万能主義を蔓延させているのです。

 数値実験の普遍化は、本来の自然現象の観察による帰納的な過程である自然科学のあり方を軽視する傾向を生み出し、未知の自然現象でさえ既知の理論や法則を演繹的に用いて仮想空間の中に数値モデルを組み立てることによって現象を理解したという幻想を生み出してしまったのです。

 こうした自然科学の危機的な状況をまともに受けているのが、学校現場における自然科学教育であり、若い研究者たちではないでしょうか?彼らは、与えられた原理や法則を演繹的に用いて電子計算機を使って数値化することには長けていますが、自らの五感を通して自然現象を観察し理解する経験が希薄なため、数値実験に対しては絶対的な信頼を置く反面、本来最も重視すべき自然現象の帰納的な解釈を軽視しているのではないでしょうか?正に今自然科学の研究そのものが危機的な状況に向かいつつあるように感じます。

No.241 (2006/12/02)熱烈なファンレター!?

 このHPに対するメールとしては非常に珍しく、「熱烈」=「非論理的」な内容のメールを2通頂きましたのでまず紹介しておきましょう。差出はいずれもMegumi Fukuokaさんです。


件名 現実をみて

米温暖化訴訟 原告側「海岸線200マイル失われる」

 マサチューセッツ州など12州やニューヨークなど3市、複数の環境保護団体が米環境保護局(EPA)に対し温室効果ガス排出量の規制を求めた訴訟で、連邦最高裁は29日、審問を開いた。地球温暖化問題が米最高裁に持ち込まれたのは初めて。温室効果ガス削減をめぐる政府権限の有無や原告の具体的な環境被害が争点となった。

 原告側のマサチューセッツ州のミルキー司法次官補は、EPAが温室効果ガス排出の規制を怠ったことで「継続的な被害が生じている」と指摘。温暖化による海抜上昇で「(州内の)200マイルの海岸線が失われようとしている」と主張した。

 これに対し、「規制の権限がない」と反論している連邦政府のガリ次席検事は「地球の気候変化をめぐり、本質的な科学的不確実性がある」と指摘。経済活動の大半が温室効果ガス排出と結びついており、規制は経済に深刻な影響を与えるとも強調した。

 12州は2003年にEPAを提訴したが、昨年8月、ワシントンの連邦高裁は審理要請を却下。今年3月、最高裁に上訴した。判決は来年半ばに予定されている。(ワシントン 渡辺浩生)
(産経新聞) - 12月1日8時0分更新


件名 このサイトが最大の公害

オゾンホールは代替フロンにより拡大している。
このサイトは閲覧者に環境問題に対する楽観的意識を植え付けかねない非常に悪質なものである。
このサイトを閉鎖または内容の訂正を求めます。

環境省、原則暖房使わず…温暖化対策を強化

 環境省は12月1日から来年3月31日まで、東京・霞が関にある同省で原則として暖房しないなど、温暖化対策を強化する。

 ただ、特に冷え込む休日明けの午前7〜10時、厳冬期で室温が17度未満の日は例外的に暖房を行うという。同じ庁舎に入る厚生労働省も暖房中止を検討しているという。
(読売新聞) - 11月28日1時54分更新


 Megumiさんの文は黒字の部分だけのようです。紺色の部分は「現実をみて」の例なのでしょう。まあ、この2つの記事はどうと言うことも無いので、論評の必要も無いでしょう。つまり、Megumiさんの2通のメールの内容は、


現実をみて、このサイトが最大の公害!

オゾンホールは代替フロンにより拡大している。
このサイトは閲覧者に環境問題に対する楽観的意識を植え付けかねない非常に悪質なものである。
このサイトを閉鎖または内容の訂正を求めます。


と言うことのようです。このMegumiさんの主張は情緒的・偽善的環境保護論者の典型的なものだと言ってよいでしょう。上げ足とっても仕方ないですが、オゾンホールの拡大・縮小の原因が実証的にフロンあるいは代替フロンであると言う事実はありません。
 このHPの目的は、『はじめに』で述べていますように、Megumiさんに代表される情緒的・偽善的環境保護運動に対するカウンターとして、環境問題の本質を自然科学的に冷静に考える場を作ることです。女性(?)からの御要望には極力お応えしたいところですが、残念ながらMegumiさんの御要望に沿って閉鎖することはありません。また、訂正すべき点も今のところ見当たりません。
 うれしかったのは、『このサイトが最大の公害』と言ってくださったことです。情緒的・偽善的環境保護運動側から公害と言うお墨付きをいただいたことを励みに、更に頑張りたいと思います!

No.240 (2006/11/28)NHKスペシャル気候大異変の内幕

 連載『気候シミュレーションとは何か』は、HP公開までにとりあえず私自身が納得できるまで中本教授と意見交換を行い内容を検討しながら進めていますので、多少公開のペースが遅いのですが気長にお付き合い下さい(また、中本教授の裁判も佳境に向かいつつあり、これも影響しています。)。
 これまでの所で最も興味深かったのは、本来気候予測の数値モデルは確率過程としてモデル化すべきものであるという点です。我々の持っている気象に関する観測値は、時空的に離散的なものであり、既に現象の直接的な物理的な情報ではなく気象を確率過程とした場合のサンプルに過ぎないのです。
 近年解像度が上がったと言ったところで所詮全球モデルの水平メッシュサイズは数10km〜数100kmオーダーという極めて粗いものに過ぎないのです。これだけをみても物理現象としての気象現象を再現するなどと言うのはほとんどお笑いです。
 便宜的に流体の物理的な表現である偏微分形式で表された非線形の運動方程式(Navier-Stokesの方程式)を基に気候モデルは作られています。
 まず第一の問題は、非線形な形で与えられた運動方程式の解を厳密に解くことは出来ないことです。そのため、非線形項には適当な数値を与えることで、近似的な線形方程式系を代数的に解くことによって近似解を求めるしか術は無いのです。この件に関して、かつて国立環境研究所の江守氏に疑問を呈したところ、彼はこう述べていました(本HP所収「二酸化炭素地球温暖化脅威説批判/§5気候予測数値実験)。

− 気候モデルでは、非線形方程式を非線形のまま離散化して解いています。大気モデルでは、普通収束計算は行いません。海洋モデルでは収束計算を行うものもありますが、それほど数値的に難しいものではありません。全般的に言って、数値計算の技術的な問題が無いわけではないですが、モデルの難しさの源としては、パラメタ化の難しさの方がずっと大きな割合を占める、というのが私の認識です。

 この彼の『非線形方程式を非線形のまま離散化して解いています。』は全くの虚偽なのです。正しくは線形近似による線形方程式系を代数的に解いているに過ぎないのです。非線形問題の場合、線形近似に繰り返し計算を組み合わせて数値解を厳密解に収束させるという手法が使われます(例えばよく知られている収束計算の手法にはNewton-Raphson法があります)。
 非線形性の強い問題では収束計算を行わないことによる誤算蓄積によってとんでもない結論を得ることになります。Navier-Stokesの方程式の非線形項の影響は残念ながらそれほど小さくなく、収束計算を行わずに時間追跡の繰り返し計算を重ねれば重ねるほど現実とはかけ離れた結果になることは明らかなのです。私の実感としては、現在の日本周辺の気象予報の実用的な予測期間は1〜2日が限度だと考えます。
 大気中の気象現象をみれば、体感的に天候の急変や突発的な気象現象は日常茶飯事であり、大気運動の非線形性はきわめて強いと実感できますし、それどころか不連続線(例えば前線)や特異点(例えば低気圧)もごく普通に存在するのが現実の気象現象なのです。数値モデルではこれらを物理現象に沿った形で再現することは全く不可能です。
 数値モデルで気象を物理現象として長期間にわたって模倣することは不可能だとわかりました。数値モデルに何らかの意味があるとすれば、モデル計算の結果に確率過程として気象現象を表現出来ることが最低の条件になります。この場合重要なのは単に解(例えば温度)の平均値だけでなく、分散や歪度、尖度などの高次の統計量が気象観測の実測値をうまく模倣できない限り、確率モデルとして実際の気象や気候をうまく模倣できていることにはならないのです。中本教授の報告にあるとおり、残念ながら現在の数値モデルは高次の統計量を全く再現できないのです。

 さて、気候シミュレーションに関する今年最大の話題はそのインパクトの大きさから、掲題のNHKスペシャル『気候大異変』と言ってよいでしょう。
 番組では、冒頭に2004年3月にブラジルを襲った熱帯性と思われる低気圧カタリーナ(catarina)の発生を1年前に地球シミュレーターが予測していたことを以って、地球シミュレーターの正しさを誇示していました。後は2096年に巨大台風が日本を襲うだとか梅雨がどうなるなどと、まるで明日の天気予報のような調子で語られました。
 ちょっと待ってください。1週間先の天気予報を『信じる』人などほとんどいない現状の気象予報なのに、1年先や100年先の局地気象が予測できるはずが無いのです。こんなことは当たり前です。一体どうしてこれほどまでに人は権威に騙され易いのか、私には理解できません。
 本当に1年前に局地気象を予測できるのなら、これを防災情報として最大限活用すべきでしょう、皆さん?気候シミュレーションに関わっている研究者は口が裂けてもそんなことは絶対言いません、なぜか?それは1年先の予想など不可能だと彼ら自身が最もよく知っているからです。
 それにもかかわらず、この番組を仕組んだNHKとこれに協力したと言われる国家機関の研究者たちの世論誘導は極めて悪質だと言わねばなりません。たとえ、番組が採用した気候シミュレーション結果が実際の計算結果であったとしても、です。

 しかしどうもそれだけではないようなのです。猫田白重氏が詳細に情報を収集した結果、この番組の中にはどうもデータの捏造ないし改ざんと思われる部分が数多く含まれているようなのです。詳細は氏のHPをぜひご覧下さい。

気象数値モデルはコンピューター・ゲーム

No.239 (2006/11/27)マスコミの無能と詐欺師研究者集団

 風力発電についての技術評価は既に、このHPのレポート『石油代替エネルギー供給技術の有効性の検討』あるいは拙著『温暖化は憂うべきことだろうか』等で詳細に検討してきたように、石油消費を削減する可能性はまったくありません。また、海上風力発電〜水素製造プラント〜燃料電池システムにいたっては、石油をどぶに捨てるようなものであることは詳細な検討をする必要も無いほど明らかなものです。
 相変わらず無能極まりない新聞報道・マスコミの諸君は、環境問題についての玄関ネタを有難がって全く検討を行わずに垂れ流し続けています。最新版を紹介しておきます。これは大分合同新聞2006年11月27日夕刊の記事です。

 

 この記事の唯一の意味は、『九州大学・京都大学・宮崎大学の研究者は、詐欺師あるいは税金に群がる守銭奴以外の何者でもない』という事が明白になったと言う一点のみです(有効性の目標設定として『原発よりも低コスト』を目指すという欺瞞的な表現を用いる点等、まさに詐欺師の詐欺師たる所以です!)

No.238 (2006/11/09)大入島埋立事業の継続を答申

 既にこのHPでも報告してきました様に、大分県佐伯市の大入島の埋立工事は、地元住民の強い反対運動によって2005年1月以来工事が中断しています。その後表面上の動きは長らく鳴りをひそめていましたが、11月6日に大分県事業評価監視委員会(秋月睦男委員長)が開催され、県側の一方的な説明だけを材料に、地元住民の意見を無視した大入島の埋立工事を継続する答申がまとめられました(新聞報道参照)。

 

 この埋立事業は、本質的には豊かな大入島の沿岸部を産業廃棄物捨て場にするものです。果たして東九州自動車道あるいはそのアクセス道や佐伯港の浚渫というものが行うべき公共事業であるかどうかも大きな問題ですが、単に経済合理性だけで判断すべき問題ではありません。

 大分県事業評価監視委員会という組織がどのようなものかは知りませんが、少なくとも環境問題には全く無頓着な、大分県のお手盛りの委員会であることだけは疑いようがないようです。

No.237 (2006/11/07)進歩不要!

 長らくこのHPの編集作業にはdB-SOFT製の『ホタルHOTALL Ver.6』というソフトウェアを使ってきました。別に何の不都合もなかったのですが、dB-SOFTというメーカーが消滅してしまったために、今後トラブルが発生しても全くサポートがないという状況になり、一抹の不安(例えば、HTMLのバージョン変更などによる不具合など)を覚えていました。
 そんなわけで、仕方なくソフトウェアを新しく導入しました。多分一番売れ筋だと思って選んだI*M社のHPビルダー10です。私の管理するHP、つまり「環境問題を考える」は、基本的に文章と添付図面だけが表現できれば良いわけで、凝った動きのある表現などまったく必要ありませんから、どんなソフトでもいい、それなら無くなる事のない売れ筋のソフトということで選んだのです。
 ところが、です。HOTALLではほとんど悩むこともなく行っていた文書体裁の編集が(右寄せ、中央、左寄せの配置と文字装飾くらいしか編集作業は行いません)、HPビルダー10では全く思うように出来ないことに唖然としました。HOTALLで作ってきたこれまでのページとの違和感を最小限にしようとすると、ソースに直接タグを書き込まなくてはならないという状況なのです。編集効率の悪いことおびただしいのです。
 勿論私のHPビルダー10の操作の習熟度にも因るのでしょうが、マニュアルのどこを見てもわたしのしようとする編集の作業方法は見当たらないのです。・・・という訳で、せっかく購入したHPビルダー10ですが、これで文書を作ることはあきらめ、使える限りこれからもHOTALLを主に使っていくことに決めました。

 さて、我が自由主義的工業化文明は必要以上の利便性を実現して、出来るだけ早く製品を陳腐化する絶え間ざる技術革新によって人間の欲望を掻き立てることによて肥大化を続けています。同時にこれが環境問題の本質的な問題です。環境問題を本気で考えるならば、もうこれ以上の工業的進歩は不要だと銘記することが必要だと考えます。

No.236 (2006/11/02)ご意見の投稿について

 このHPでは、『公開討論』でテーマ別に閲覧者からのご意見を公開してきました。テーマなしの自由投稿を掲載するスペースは今のところ設けておりません。これは、いわゆる自由投稿という形の投稿がほとんどなかったからです。
 今回、閲覧者の方から投稿原稿を受け取ったのですが、前述した事情からどのように公開するかを検討していたのですが、今のところ今後とも継続して投稿が届くかどうか、全くわかりませんので、もう少し様子を見て結論を下したいと思います。
 今回いただいた投稿を含めて、公開しても良いと判断した投稿につきましては、しばらくはこの『HP管理者から』で公開することにしようと思いますので、ご了承下さい。


日本人の出す年間1,800万トンの残飯と環境破壊対策の矛盾
(やっぱり教育改革が必要では!?)
理学療法士 西沢 滋和

 日本国では家庭で出す年間の残飯量が約1,000万トンにも及び、全事業所(主に食品扱い店等)で廃棄している年間食品量が約800万トンで、合計しますと実に世界中で餓死している人達を、約2,000万人救う事が出来る現実をNHK教育テレビで拝見しました。日本人は、この事実を真摯な気持ちになって直視すべきではないのでしょうか。
 このままでは日本民族は堕落し切った感謝や畏敬の念の持てない民族に成り下がってしまうような気がしています。
 また、日本国は世界ではダントツの食糧輸入国だと聞きますから、捨てるために食糧を輸入している、とても間抜けな国であると思わざるを得ません。
 反面、屋上緑化運動でトマトやお芋を収穫して、環境破壊対策を講じている様子を垣間見ますととても矛盾を感じてしまいます。
 何故ならば、食料自給率を著しく下げて、その収穫過程で沸き起こる有り難みが希薄になっているが故に増えると思われる残飯量なのに、環境破壊対策目的の屋上緑化運動で自給まがいの行為を展開しているからです。
 いかがでしょうか、このような観方は?
 毎日食料を口に出来る事が当たり前となってしまった日本に、戦中・戦後に明日の食事に心配した日々やアフリカや北朝鮮等で飢えに苦しんでいる人達の思いを理解する事は、私も含めまして到底無理になってしまったように感じています。
 お百姓さんが汗水流して収穫した食料は尊く、お米1粒でも無駄にしてはもったいないし、それを口に出来る日々を感謝しなくてはお天道様やご先祖様に申し訳ないと常に謙虚な思いや態度を示していた日本人はどこにいってしまったのでしょうか。
 もう1度原点に立ち返って人間とは何ぞや、どうしてこの世に生まれて何を目的に生きているのかを問い質してみてはいかがでしょうか。
 今、教育再生会議なるものが盛んに論議を重ねているようですが、目先の問題に終始せずに前述の疑問にも多少の方向性を示して頂ければと願っています。
 でないと、日本丸のこれからの前途は?


 西沢さんのご意見に概ね賛同です。ただ一つ気になるのは、政府の教育基本法を中心とした教育政策論議の焦点は、あくまでも憲法の平和条項の改悪のための地盤作りとしての教育基本法の改正であることを見ておくことが必要でしょう。

No.235 (2006/10/30)受験体制が愚かな人間を増やす

 先日来、高等学校の卒業要件に必要な教科の未履修の問題が取り沙汰されていますが、『何を今更・・・』と言うのが正直な感想です。この国の教育は既に完全に崩壊しています。

 この国の初等・中等教育は、本来の教育の意味を失い、ひたすら『最終目標』としての大学受験を突破するための技巧を身につけさせる場に変質しています(国公立大学の独立行政法人化によって、自主・独立の研究機関としての大学の崩壊も目を覆うばかりですが・・・。)。
 一方では、ゆとり教育と言う馬鹿なお題目の下、小学校・中学校教育では論理的な思考を行うために最低必要な基本的な知識を習得する以前に(あるいは教えないまま)、『自主性を育てる』などという大義名分で、お遊びのような総合学習という時間浪費のためだけに存在するような授業が行われています。その影では、この国の国民としての原罪であるアジア周辺国に対して過去に行った植民地政策の過ちを含む近世の歴史や、この国の社会制度に対する教育は全く施されていないのです。
 更に愚かにも、日本語もまともに読み書きできない小学生から、ただ語学はより若い時期から教える方が習得が早いと言う、技巧的な理由で英語教育を必修にするという、正に亡国の教育政策が導入されようとしています。米国傀儡政権の下で宗主国米国を礼賛する国民を生産することが目的なのでしょう。

 こうした愚かな教育政策の甲斐あって、今やこの国の国民の大部分は、米国かぶれで、上から与えられた情報に従うのみで、倫理観を喪失し、自ら考えることの出来ない従順なでくのぼうに成り果てています。

 おそらく、気候シミュレーションに携わる若手の研究者や技術者諸君も、こうした教育政策の犠牲者であるに相違ありません。彼らにとって、本質的な問題を今更議論することなど、全く眼中にない、いやはじめから存在しないのではないでしょうか?
 研究者・技術者としての職業的な倫理観が少しでも残っているのなら、自然科学的になんら実証されていない二酸化炭素地球温暖化仮説に基づく気候予測シミュレーションという高価なコンピューター・ゲームに対して、能天気にここまでのめりこんでしまうとは、私には考えられないのです。

No.234 (2006/10/28)連載開始『気候シミュレーションとは何か』

 いよいよ本日より、『気候シミュレーションとは何か』本編の連載を開始します。公開の場で気象ないし気候の数値モデルによる予測シミュレーションの『計算結果』ではなく、本質的な科学・技術的な問題点についての議論が専門家自身によって行われるのは、本邦初の出来事であろうと思います。

 これまでは、気候シミュレーションについて、その理論的な背景や信頼性について自然科学的で冷静な評価を行われることは皆無であり、気候シミュレーション結果はまるで『事実』と同等の重みを持って報道され、大衆はこれをそのままに受け入れてきました。
 気候シミュレーションに意味があるのは、最低でも実際の気候を再現できると言う自然科学的・理論的な保証があり、しかも実際に気候現象を再現できることが必要です。理論的には全く不完全だが、ただなんとなく似たような結果が得られたからと言ってそれは単なる偶然でしかないのです。自然科学的・理論的な裏づけのないシミュレーションはコンピューター・ゲームに過ぎません。

 この連載を通して、現在の『気候シミュレーション』が本当の意味で気候現象の模倣を実現しているのか、あるいは研究者の自己満足的な高価なコンピューター・ゲームに過ぎないのかを明らかにしたいと考えています。問題点を明らかにする上で、随時疑問点を連載にフィードバックしていきたいと考えておりますので、疑問点をお寄せ下さい。

註)代表的な気候シミュレーション用の電子計算機である独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の『地球シミュレーター』(NEC製)は、世界有数の演算速度を持つ超巨大電子計算機である。気候シミュレーションという分野は、超巨大電子計算機市場を活性化する起爆剤でもある。現在の地球シミュレーターは、年間の電力使用料金が6億円を超えると言う。更に次期地球シミュレーターは初期費用1000億円を超えるとも言われている。この分野は、既に経済的な利権構造を形成しつつある。

 

 

No.233 (2006/10/16)日本外交の必然的帰結「核保有論」

 自民党の中川昭一がテレビ朝日の番組で「核保有論」に言及したそうです。これは自民党タカ派の一部の突出した意見ではなく、戦後自民党の一貫した主張です。このHPでもこの点については既に何度も触れてきました。

 現在の日本の外交姿勢は基本的に米国服従、あるいは小泉・安倍政権では崇拝とでも呼べそうな全く無批判で盲目的な追従政策です。すなわち、米国的な核兵器・武力による凶暴な力の外交政策をよしとして、これに追従しているのが日本外交です。
 自民党政権は、現日本国憲法の精神を全く形骸化し、自らも米国的に力による外交を実現しようとしているのです。それ故、本気で話し合いによって北朝鮮との緊張関係を解決しようなどと考えていないことは、安倍政権の外交を見れば明らかです。
 力の外交をよしとする、あるいは力の外交を行おうという意味で、米国と北朝鮮、そして日本は完全に同じ立場にあるのです。つまり、本音を言えば自民党政権は核武装したくてうずうずしているのです(そのために、全く合理性のない原子力”平和利用”に固執しているのです。更にこれを合理化するために利用されているのが二酸化炭素地球温暖化脅威論なのです。)。
 ただ、それを実現するための最大の足枷が、言わずと知れた現日本国憲法なのです。この「障壁」を壊すための梃子として、「テロとの戦い」、「拉致問題」と「核実験」を最大限に利用しようとしているのが自民党政権であり、その視線の先には必然的に核武装があるのです。

No.232 (2006/10/16)NHKと思想統制の時代

 NHKが本質的に受信契約者ではなく、国家体制の側の報道機関であると述べてきました。ますますその本質があらわになろうとしています。特にコメントする必要もないでしょうから、朝日新聞の記事を以下に引用しておきます。


NHKに「拉致」放送の命令検討 総務相
2006年10月13日13時41分

 菅総務相は13日の閣議後の記者会見で、「NHKには命令放送を行わせることができる。内閣が代わって、拉致問題が国の最重要事項になっていることは間違いない。そういうことを含めて検討したい」と述べ、NHKの短波ラジオ国際放送で、拉致問題を重点的に扱うよう命令することを検討する考えを示した。総務相は同放送への命令権限を持つが、個別具体的な項目の扱いを求めるのは異例だ。

 命令放送とは、放送法が国際放送について定めている制度。総務相が事項を指定して放送を命じることができる。実際に対象になっているのは、同制度に基づき制作費の一部に国費が投じられているNHKの短波ラジオ国際放送のみとなっている。これまでの命令は、NHKの自主性を尊重するため、「時事」「国の重要な政策」「国際問題に関する政府の見解」といった大枠にとどめ、具体的な放送内容に口出ししてこなかった。NHKによる独自の編集と命令放送との間に境目もなく、事実上、NHKの裁量権が大きかった。

 菅総務相は、安倍首相を本部長とする「拉致問題対策本部」が設置されたことなどを指摘。「国としての重要事項が変わってきている」として、具体的な命令を出すことも検討する考えを示した。

 拉致関連放送としては、拉致問題を調べている「特定失踪(しっそう)者問題調査会」が、北朝鮮向けに短波ラジオ放送「しおかぜ」を流している。英放送配信会社に委託して拉致被害者家族のメッセージなどを放送しているが、妨害電波とみられる通信に見舞われており、官房長官だった安倍氏が5月、「(妨害電波は)北朝鮮国内からと認められる」と述べている。

 菅総務相は、「しおかぜが短波放送を欲しいということであれば、ITU(国際電気通信連合)に正式に申し入れたい。NHKの施設を使えるよう前向きに考えたい」と支援を表明。国際放送のための新たな周波数の割り当てに向けて国際機関に働きかけるほか、NHKの送信所を活用するなどの支援策に乗り出す考えも示した。

 NHK広報局は取材に対し「NHKに正式な話が来ているわけでもなく、今の段階でお答えすることはとくにありません」と述べている。


 国は、二酸化炭素地球温暖化仮説の問題において、自然科学に対して権力的な介入を始め、今回はNHKをかつての大本営発表さながらに国家に従属する宣伝装置・洗脳装置にすることを露骨に検討し始めているのです。
 日本の思想状況は既に戦前に戻りつつあります。更に悪いことに、大多数の国民の思考はほとんど社会性を失い、この危うい状況に全く反応しなくなっています。

No.231 (2006/10/14)北朝鮮の核実験の意味

 北朝鮮が核実験を行ったと『発表』しました。現時点の情報を総合すると、本当に核実験だったかどうか、かなり怪しいのではないかと考えています。まあそれは置いておきましょう。

 北朝鮮が核実験をした(あるいはこのような発表を行った)ことは誠に愚かで非難すべきことですが、ことの善悪を別にすると、その行動はよく理解できます。
 現在の国際情勢はどのような奇麗事、美辞麗句で飾り立てようと実質的には、米国を中心とした核兵器保有を含む軍事力と工業的な経済力による『力』こそ正義なのです。現に、米国はこの数年間で事実無根の容疑で、主権国家を劣化ウラン弾という核兵器を含む武力による殺戮と破壊によって二つも抹殺したにもかかわらず、何の制裁も受けないのです(そして、この凶暴な世界戦略にほとんど世界で唯一、全く無批判に追従しているのが前小泉政権であり、その外交姿勢を継承し、更に積極的に強硬姿勢を示そうとする安倍政権なのです。)。

 こうした国際情勢下で、自国の発言力に重みを持たせるために核兵器を保有している、ないしは保有していると思わせるという今回の北朝鮮の行動はその文脈において『合理的』であり『理解できる』ものです。

 風前の灯とはいえ、国際紛争の解決手段として武力行使を放棄するとしている現憲法下において、世界でもっとも凶暴な米国ともっとも親密な軍事同盟関係を持つ日本は、明らかに矛盾した存在です。原則論を言えば、まず日本のとるべき行動は現有核兵器保有国に対する核兵器廃棄の要求を行うことであり、軍事力偏重の国際関係のあり方を是正することに努力することです。この件は既に繰り返し述べてきましたので、ここではこれ以上触れません。

 今回の北朝鮮に対する対応としては、如何に日本国土と国民の安全を確保するかと言う視点からの外交を行うのが政府の責任であり、面子のために国土と国民に危険を及ぼす可能性のある現在の対応はあまりにも無責任だと考えます。いくら刺激しても自国の領土を直接攻撃される可能性のほとんどない米国のお先棒を担いで、同様あるいはそれ以上の制裁措置を口にする日本外交は血迷ったとしか思えません。
 むしろ中国や韓国と協力して、核実験に対しては断固抗議すると同時に、北朝鮮を経済的・軍事的にこれ以上追い詰めるような行動はつつしみ、あらゆる譲歩をしても北朝鮮を話し合いの席に引き戻すことが重要だと考えます。

 しかし穿った見方をすれば安倍政権の外交政策は、ここで更に北朝鮮を挑発して、改憲への弾みをつけ、日本の再軍備化・核兵器保有を加速しようという狙いがあるのではないかと考えます。

No.230 (2006/10/06)NHKが来た!!

 このHPで再三にわたって日本放送協会NHKに対する批判を続けてきた。当然私はNHKに対して受信契約もしていないし、受信料など払う気は無い。NHKが受信料未納者や未契約者に対して法的処置を検討するという新聞報道を今朝読んだ。早いもので、本日午後には私の家にも集金人が訪問してきた。
 予ねて用意していた文章と、拙著『温暖化は憂うべきことだろうか』を1冊進呈して今日のところはお引取り願った。今後とも訪ねてくるだろうから、その都度ご報告することにしよう。


NHK放送受信契約および受信料支払い拒否の申告


1.はじめに

 NHKの放送内容は、社会的・科学的に公正な立場、あるいは視聴者にとって有意義な情報を提供することによってはじめて公共放送としての役割が果たせるものである。
しかしながら現実には、その放送内容は国家権力ないし体制に都合の良い情報に偏向しており、視聴者ではなく国家権力ないし体制のための放送となっている。
それだけでなく、放送に対する意見をホームページ等を介して問題提起しても、まったくこれを省みることを怠っている。

以上の理由から、NHK放送受信契約および受信料の支払いを拒否する。

尚、蛇足ではあるが、NHK職員個人の不正などというのは瑣末な問題である。


2.具体的な事由

(1) 偏向した姿勢

《資料1》
平成13年11月22日付けの(財)日本原子力文化振興財団の役員名簿に日本放送協会編成局担当局長 二宮知道 が就任したことが記載されていた。
原子力事業については民意が分かれているにもかかわらず、原子力事業を振興する立場からの宣伝を行う組織の役員に現職の局長が就任するなど言語道断である。
この件について問い合わせると同時に説明を要求したが、NHKは一切これを無視した。私には一切釈明を行わなかったにもかかわらず、その後一月も経たぬうちにどういうわけか(財)日本原子力文化振興財団の役員名簿から日本放送協会編成局担当局長 二宮知道 の名前が消えた。
この一連のNHKの行動は、単に偏向しているだけでなく、不誠実な体質を如実に示すものである。

No.033 (2002/05/09)拝啓、(財)原文振さま
No.047 (2002/08/14)拝啓、NHKさま

(2) 非科学的な偏向した科学報道

 《資料2》
 NHKの環境問題、特に地球温暖化問題に関する報道やNHKスペシャルなどの科学番組の内容は、自らの検証を怠った誠に非科学的な内容が目立つ。
 この件に関しても数回NHKに対して問題提起し説明を求めたが、一切無視され続けている。NHKの態度は、非科学的であるばかりでなく、不誠実である。

No.002 (2001/02/06)NHKスペシャル 「エネルギーシフト」 を見てみよう!
No.044 (2002/07/17)NHKスペシャル、再考
No.199 (2006/03/10)NHKスペシャル『気候大異変』
No.209 (2006/07/04)NHK=巨大洗脳装置を告発する

註)資料は、私の管理しているホームページ「環境問題を考える」http://env01.cool.ne.jp掲載のレポートである。

3.結論

 以上に示した具体的な事実から、NHKは公共放送の名に値しないものであり、NHK放送受信契約および受信料の支払いを拒否するものである。


 

No.229 (2006/10/04)気候シミュレーションとは何か

 私自身が数値解析に関わっていたのはもう20年以上も前のことになります。最初に関わったのは大学の卒業論文のためのに行った層流中に置かれた傾斜平板周りの流れのシミュレーションでした。極めて単純なモデルですが、当時はこんなモデルでも数値的にシミュレートするのは大変なことであり、ついにまともな結果は得られませんでした。
 その後、大学院では幾何学的な非線形性を有する鋼構造物の数値シミュレーションに関わりました。同期の友人は開水路における物質拡散の3次元シミュレーションに携わっていましたが、あまりうまく行っていなかったように記憶しています。その後も土木構造物の解析・設計に関わってきました。
 これらの数値モデルは、極めて限定的な空間的スケールの現象であり、しかも対象とする現象自体非常に限られた条件下のものに過ぎませんでした。それでも実際の現象を再現することは簡単なことではありませんでした。

 勿論、気候シミュレーションには直接関わったことはありませんが、私自身の関わったあるいは知っている経験から考えて、極めて多様な物理現象に関わり、繊細であるばかりでなく動的に変貌する地球の大気運動を、しかも地球規模という途方も無いスケールでモデル化し、全体として整合性を持つ有意義な結果を得るなど数値計算屋の常識的な感覚からはあり得ないことだと考えています。
 そんな訳で、気候シミュレーションなど端から信頼していませんから、この問題にははっきり言って個人的にはあまり興味はありません。

 しかし、世の中には二酸化炭素地球温暖化脅威説がはびこり、国の政策にまで影響を与えています。その理論的な背景にある二酸化炭素地球温暖化仮説は、実証科学としては既に『CO2地球温暖化説は科学ではない』でも触れたとおり完全に否定されています。それにもかかわらず二酸化炭素地球温暖化仮説が今なお生きながらえているのは、気候シミュレーションの結果がこれを支持しているからに過ぎないのです。
 これは実証的な科学よりも数値シミュレーションの結果を重要視するという、自然科学的な物理現象の認識過程を否定するとんでもない出来事です。これを放置しておくことは出来ません。

 『大気寛容なれども』の訳者であり、地球シミュレーター用の気候モデル開発(次世代海洋大循環モデル開発研究)の初代責任者であった沖縄高専の中本正一朗先生にご協力いただき、気候シミュレーションとは一体何なのかを考えてみようと計画しています。ご期待ください。

■『大気寛容なれども』の配本が再開されました。興味のある方は次の要領でお申し込みください。

大気寛容なれども
- 環境変化の理解に向けて -

この本は原題を"The Forgiving Air(寛容なる大気)"といい、オゾンホール・地球温暖化・気候変動・大気汚染と酸性雨などの地球環境問題について、なぜこうした問題が発生したのか、それに対してどのような対策が取られてきたのか、また、今後どのような対策が必要であるのかについて、学生をはじめとする初心者にも理解しやすく解説されています。

GECでは、この優れた内容を日本においても多くの方に知っていただくため、翻訳・発行し無料配布しています。ご希望の方は、返信用切手290円分を同封の上、[〒538-0036 大阪市鶴見区緑地公園2番110号 GEC総務課  大気寛容係]まで郵便でお申込みください(電話・FAXでの申込みは不可)。

著者:リチャード・C.J.サマービル
共訳:齋藤行正・中本正一朗
発行:(財)地球環境センター
発行月:2001年3月発行
B5変形・326ページ

※『大気寛容なれども』の読み方について
 中本先生から同書とともに頂きました私信の関連部分を以下に紹介しますので参考にしてください

(前略)
この本は私が親しくしていたSomervilleから私がいただいた本を翻訳したものです。Somervilleはこの本の内容をカリフォルニアの学校の先生方に講演したとのことです。

人為起源の温室効果ガスによる地球温暖化や海面上昇については私はSomervilleの見解には賛成いたしませんが、実際に気象学や気候学のモデルがどういうものかを知っている人Somervilleが書いた本であるということが重要だと思っています。

Somervilleが書いたこの本は(例のSteven Schneiderも取った)アメリカ気象学会のルイスバタン賞を取ったそうです。したがってSomervilleのこの本の言説がアメリカの気象学者の一般的な見解に近いとみなすことが出来るのではないかと考えています。
(中略)
私が下訳を担当した第4章では気候モデルがどんなものか、気候モデルが人間の作るものだから信頼できるものではないということをSomervilleが強調していることが伝わるように訳しました。

実際にモデルを扱っている人の本音、つまり「モデルはおもちゃのプラモデルと同じだということ」が本には書いてあると思います。
(後略)


No.228 (2006/09/25)安倍『美しい日本』の戦慄

 明日には安倍政権が出現することになります。彼は明治から太平洋戦争敗戦以前の日本の体制が標榜してきた東アジアにおいて覇権を確立するという野望を是とする思想的な流れの中にいるようです(この思想の実現のために殉死した軍人たちを英霊として祀るのが国家神道としての靖国神社です。)。彼が太平洋戦争敗戦の経験から学習したのは、東アジア諸国に対する植民地政策の誤りを反省すことではなく、超大国米国を敵としたことの誤りであり、今度は米国の威を借りて野望を果たそうとしているようです。
 彼は、総裁選の公約の第一に改憲を掲げ、同時に『美しい日本』を目指すとしています。
 彼の言う美しい日本とは、戦前回帰の滅私報国なのでしょう。改憲を射程に入れながら、まず手始めに教育基本法の改悪を目論んでいるのは周知の通りです。その主目的は、愛国心を明記することです。ここに言う愛国心とは言いかえれば国家体制に対する忠誠心を指すことは言うまでもありません。彼は義務教育を再び若者を戦場に駆り立てる装置に変えようとしています。

 

 

民主教育をすすめる大分県民会議のビラ

 更に共謀罪によって、国家体制に対する批判的な言論の封じ込めが画策されています。
 今回、環境省が御用学者を動員して、本来は自然科学の学問的な論争として行うべき二酸化炭素地球温暖化仮説の検討に、国家権力による介入を行おうとしているのは思想統制であり、正に異常事態です。

 体制は着実に戦前回帰の息苦しい世の中を出現させようとしています。しかし、正に平和ボケした大衆や新聞・報道機関はヘッドフォンで耳をふさぎ、ケータイやゲームで個の中に埋没している結果、この異常事態にほとんど無関心なのです。思考停止状態に陥った物言わぬ大衆は一体いつになれば目覚めるのでしょうか・・・。

No.227 (2006/09/02)環境省、温暖化否定論に反論!

 これも前回同様に、猫田さんから紹介いただいた記事です。まず全文を紹介します。


温暖化否定論に“待った”、環境省が反論へ

 二酸化炭素(CO2)が引き起こしているとされる地球温暖化を否定する声に対して、環境省は、国内の研究者の知恵を結集して反論していく方針を決めた。

 「温暖化を疑問視する主張は誤解に基づくものが多く、見過ごせない」と判断した。年内にも同省のホームページで情報発信する。

 産業活動に伴って排出されるCO2などの温室効果ガスが地球を温暖化させていることは、国連などが世界の科学者を集めて組織した「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」などで指摘されている。一方、「20世紀の気温上昇は都市化に伴うヒートアイランド現象のためで、CO2は無関係」など、CO2による温暖化自体を否定する声も一部の研究者の間で根強い。

 しかし、都市化と無関係の海洋でも温度上昇が確認されているなど、温暖化否定論は事実誤認の場合もある。同省はIPCCに参加する国内の研究者約30人の協力を得て、温暖化否定論を検証していく。同省研究調査室は「CO2削減が待ったなしで求められるなか、温暖化への疑問に丁寧に答えていきたい」と話している。

(2006年8月26日14時38分 読売新聞)


 本来ならば、こうした検討は政策を決定する以前に行うべきことなのに、遅きに失した対応です。とはいえ、数年前までならば二酸化炭素地球温暖化説に対する反論は少数意見として無視しておけばよかったものが、今回環境省が『国の威信』(笑)にかけて、御用研究者を動員して否定論に反論するという行動に出ざるを得ない状況になってきたことは、非常に歓迎すべきことです。このHPも微力ながらお役に立っているのではないかと自負しております。
 これは千載一遇のチャンスです。これを機会に、二酸化炭素地球温暖化説が自然科学とも呼べないものであることを白日の下にさらすことが出来るかもしれないのです。

 記事の内容を見ますと「温暖化を疑問視する主張は誤解に基づくものが多く、見過ごせない」とは、噴飯モノです。温暖化に対して環境省が垂れ流している極めて非科学的な『啓蒙』資料をさておき、よくこんなことが言えたものです。誤解と勘違いと詐欺のような数値実験で人心を混乱させているのは国・環境省・御用研究者諸君です(例えば本HP所収の『大分県の温暖化防止活動を考える』参照)。

 ただ、一つ心配なことがあります。環境省の無能役人どもは、どうも本気で二酸化炭素地球温暖化説を『信じている』ふしがあり、理論的に否定論を論破できると思っているようです。これは真正の愚か者です。
 これに対して、少なくとも研究者は二酸化炭素地球温暖化説が全く実証的に確認されていないことを知っており、確かなものではないことを自覚しています。彼らにとって、自らの理論的な弱さを公にしてしまい、それどころか否定されてしまえば自らの研究者生命に関わります。敢えて火中の栗を拾うような今回の環境省のプロジェクトに参加するかどうかです。

 結局、環境省の一人相撲に終わるかもしれませんが、状況を見つつ臨戦態勢を整えたいと考えています。

【参考】
■二酸化炭素地球温暖化脅威説批判
■CO2地球温暖化脅威説を考える
■日本の夏の暑さはヒートアイランド現象
■思えばバカな企画だった

 

No.226 (2006/08/31)墓穴を掘った温暖化数値実験

 蝦夷縞ふく朗氏の掲示板で、猫田さんが面白い記事を紹介してくれました。まずは記事の全文を紹介します。


氷期と間氷期、CO2が変動を増幅…スパコンで再現

2006/08/21(月) 13:33:10

 過去40万年間に繰り返されてきた寒冷な時期「氷期」と温暖な時期「間氷期」の気候変動をスーパーコンピューターを使って再現することに、東京大気候システム研究センターの阿部彩子助教授らが初めて成功した。
 地球の軌道変化が氷期・間氷期の変動を生む引き金になり、二酸化炭素(CO2)の濃度変化が変動を増幅させることを明確にした。
 氷期と間氷期の変動は、地球の軌道変化に伴う日射の変化や、CO2の濃度変化が重なり合って起きたと考えられているが、それぞれがどう影響するかは突き止められていなかった。
 阿部助教授らはコンピューター上で、CO2濃度を一定に保ち日射の変化だけで氷期・間氷期の変動が再現できるかどうかを計算してみた。その結果、日射の変化が、氷期・間氷期の変化のパターンを生む引き金になることが確認できたが、変動の幅は観測値と合致しなかった。このため、過去40万年間のCO2の変化もあわせて計算したところ、過去の変動がほぼ再現できた。
 阿部助教授は「産業活動などに伴う現在のCO2排出は、過去のCO2の変化よりも急速だ。このまま排出が続けば、かつてない気候変動をもたらす可能性が高い」と話している。

(2006年8月21日3時6分 読売新聞)


 この記事のポイントは、過去の氷期・間氷期サイクルの発生する原因がミランコビッチサイクルであることを確認したが、ミランコビッチサイクルだけでは氷期・間氷期サイクルの実際の気温変動は再現できなかったこと、そこに気温変動の結果としての大気中二酸化炭素濃度の変動による「フィードバック」を考慮するとうまく過去の気温変動を表すことができたということです。
 このシミュレーション結果から、言えることは次の二点です。
@氷期・間氷期サイクルにおいて、その発現の原因はミランコビッチサイクルによる太陽放射の変動であること。
A二酸化炭素地球温暖化シミュレーションモデルにおいて、副次的な要素である二酸化炭素の温室効果によるフィードバックを過大に評価していること。

 @は良いとして、Aについてもう少し詳しく説明しましょう。

 南極アイスコアの分析では氷期と間氷期では10℃程度の気温の変化があります。氷期の全球平均気温を5℃としますと、氷期と間氷期(平均気温15℃)の飽和水蒸気量はそれぞれ6.8g/m3と12.8g/m3です。大雑把な比較ですが、湿度を50%と仮定すると、水蒸気の大気中濃度はそれぞれ4231ppmと7964ppmとなり、ほぼ倍の違いになります。どう見ても二酸化炭素の氷期・間氷期の大気中濃度差100ppm程度よりも大きな影響を及ぼすと考えられます。

 

 今日の地球大気を構成する気体の中で最も大きな温室効果を持つのは水蒸気ないし雲であり、全温室効果の90%以上を占めています。氷期においても最も重要な温室効果ガスは水蒸気なのです。
 しかも、氷期・間氷期で二酸化炭素の大気中濃度は200〜300ppm程度の変動であるのに対して、水蒸気は4000〜8000ppm程度も変動するのです。濃度変化量の絶対値だけでなく比率で見ても水蒸気の大気中濃度の変動の方が大きいのです。つまり、氷期・間氷期サイクルに対して温室効果によるフィードバックにおいて主要な役割を果たす気体は二酸化炭素ではなく水蒸気なのです。

 気候予測シミュレーションの数値モデルでは水蒸気による温室効果を含めた挙動を正しくモデル化することが出来ていませんから、今回の阿部氏らの氷期・間氷期再現数値実験では、温室効果として二酸化炭素の挙動だけを考慮していると考えられます(更に、過去の大気中の水蒸気濃度や雲の状態がどのように変化したのかは、二酸化炭素濃度のように信頼できる痕跡を留めていませんので、数値実験に適切に反映させることは不可能です。)。
 つまり、温室効果として最も大きな影響を持つ水蒸気による温室効果を無視して、二酸化炭素の温室効果だけを考慮した数値実験で過去の氷期・間氷期サイクルを再現できたということは、二酸化炭素による温室効果を過大に評価しているということを示しているに他なりません。やはり彼らの数値実験は数合わせのお遊びに過ぎないのです。

 阿部助教授は「産業活動などに伴う現在のCO2排出は、過去のCO2の変化よりも急速だ。このまま排出が続けば、かつてない気候変動をもたらす可能性が高い」と話している。

については、正に噴飯モノです。

No.225 (2006/08/24)都会の豪雨と内陸部の乾燥化

 最近、都市部での集中豪雨強度の強まりが話題になっています。これは太平洋高気圧の周辺を吹く風が太平洋上で水蒸気をいっぱいに蓄えた空気を日本列島に送り込み、ヒートアイランド現象で高温化した都市の地表付近で一気に巨大な上昇気流となって巨大な積乱雲を形成するためだと考えられます。そのために大都市部では短時間に非常に強い雨が降るのですが、不透水舗装によって短期的には洪水の様相を呈すものの、ごく短時間で排水されて、再び都市は乾燥化した高温の状態に戻ります。
 日本列島の太平洋側、関東から東海、中部、近畿圏に至る沿岸部は、既にヒートアイランドではなくヒートベルトと呼べそうな状況になっています。その結果、水蒸気を大量に含んだ空気はこのベルト地帯で上昇気流のカーテンを形成して、太平洋上で供給された水蒸気の内陸への侵入を妨げている可能性があります。本来ならばある程度内陸に侵入して内陸部の夕立となるはずの水蒸気が減少しているのではないでしょうか?
 古川氏のレポート「"打ち水大作戦"の大間抜け」にあるように、農村部や山間部での乾燥化と同時に、この上昇気流のカーテンによって湿潤空気の内陸への侵入を妨げられることによる相乗効果で、内陸部では夕立が少なくなり乾燥化し、内陸の農村部や山間部までがヒートアイランド化していると考えられます。
 更に想像をたくましくすれば、中部山岳地帯を超えた乾燥空気が日本海側に吹き降ろし、フェーン現象によって日本海側までもが高温化しているのでは・・・、などというのは妄想でしょうか。

No.224 (2006/08/15)小泉政権の総括
〜ファシズム・海外派兵・改憲・核武装〜

 この所、二酸化炭素地球温暖化説あるいはその周辺の問題についての話題が多かったのですが、敗戦記念日でもあり、我が国憲政史上まず間違いなく最悪の首相を戴く小泉政権の総括をしておくことにします。

 まず小泉政権の最大の特徴は、比較的に権力集中が起こりにくいはずの議院内閣制の日本において『民主的に』ファシズムを成立させたことだと考えます。これは驚くべきことですが、形式的な民主主義においてもマスコミを使った世論操作によって、まったく合法的に権力の集中とファシズムを成立させる可能性を示したことは重大な教訓として銘記しなくてはならないでしょう。
 これをなしえた背景には、マスコミの無能とともに国民の大多数が思考停止状態に陥っているためだと考えます(この状況は、環境問題に於いては更に顕著であり、既に国会は正に環境翼賛国会の呈を示している。)。
 こうした権力集中を背景に、自衛隊をイラク戦争に派兵し、ついに米帝国主義の世界侵略戦争の一翼を担ったことはある意味で日本の戦後の歴史の画期となった出来事でした。『国際貢献』=米国盲従は明らかであり、このような美名の下に戦争容認の憲法改正が今正に実施段階に入ろうとしているのです。
 その先鞭をつけるべく教育基本法が改正されようとしているにもかかわらず、まったく平和ボケして個人的な平安へ逃げ込んだ国賊的な教師たちは動こうとせず、義務教育は近い将来、再び教え子を戦場へ駆り立てる装置に改変させられるのでしょうか?
 こうした状況を如実に表しているのが東アジア軽視あるいは蔑視の外交政策であり、その象徴が正に今日強行された敗戦記念日の靖国参拝です。
 既に改憲は小泉路線を引き継ぐ安倍次期政権の政治日程に上り、自衛隊の軍隊化はほとんど既成事実であり、次にくるのは核武装であることは間違いないでしょう。現に、保守党の多くの議員たちは核武装容認論者なのです。

 今正に私たちは、戦前回帰の強者のための国家へ向かうのか、あるいは平和国家としての道へ向かうのかの岐路に立っているのです。

公共事業か戦争か?あるいは・・・。

No.223 (2006/08/07)散歩して思ったこと・・・

 暑い夏が続いています。確かに私が子供だったころに比べてかなり暑くなっていると思います。同時に緑の激減にも驚きます。子供のころにはコンクリート舗装の国道や主要道路以外は土の道でした。野原や里山の林以外の場所も大部分が水田や畑でした。それが今ではほとんど野原や里山の林は消え、農地も申し訳程度に残っているだけとなりました。
 この時期散歩していると、市街地ばかりでなく舗装された住宅地の中でもとても暑いのですが、わずかに残されている土の地面のある草の生えた林の木陰に入ると、とても涼しく感じます。都市化による気温の上昇をはっきり感じることが出来ます。

 平均的太陽放射強度(0.49cal/cm2・min)を100とした場合、15℃の平均的な地表面の赤外線放射は113程度です。また、地表から大気への熱伝導は6、水の蒸発の潜熱による放出は24程度と言われます。

 都市化が進み緑が失われ、地表が舗装されてずいぶん地表面は乾燥してきていると考えられます。地表面からの蒸発量が減ると、地表環境は熱平衡状態に近づきます。これがヒートアイランド現象の主要な原因の一つです。
 仮に水の蒸発量が半分に減り、その分の熱が地表面からの赤外線放射の増加になるとすると、赤外線放射は125になります。このときの地表温度をステファン・ボルツマンの式

S=c・T4 ( c=8.1×10-11cal/cm2・min・k4、S=0.49×125/100 cal/cm2・min)

から計算すると T = 294.9k = 21.9℃になります。水の蒸発量が半分になるだけで何と7℃も地表温度が上昇することになるのです。

 私の子供のころは、夏でも最高気温が30℃にならない日もかなりありましたが、今ではほとんど30℃を下回ることはなくなりました。人の住んでいる環境における体感的な気温上昇の原因の大部分は、地球の全球的な気温上昇には関係なく、都市化の進行による生活環境における緑の消失と表面舗装による水の蒸発量の減少、それと工業的なエネルギー消費の増大によるのではないかと考えています(勿論、大気中二酸化炭素濃度の上昇が気温上昇の原因などと言う主張は、高温多湿の日本の夏ではまったく非科学的な主張であり問題外です。)。

 私は集合住宅に住んでいるのですが、窓を閉め切ってクーラーを使うのは厭なので、窓を全開にして仕事部屋の外のベランダに前夜の風呂の残り水を撒くのですが、残念ながら「焼けコンクリートに水」であまり効果はないようです・・・。

【補足】工業的エネルギー消費による気温上昇

 2000年の日本における一次エネルギー消費は約2.277×1019Jと言われています。これを、日本の平地面積を全国土面積の30%として1.14×1011m2で消費しているとします。平地の単位面積あたりのエネルギー消費は、平均的に見ると6.3W/m2になります。
 都市部では平均値の数倍のエネルギー消費があると考えられます。ここでは仮に5倍とします。都市部の単位面積あたりのエネルギー消費は31.5W/m2になります。平均的太陽放射強度は、0.49cal/cm2・min≒343W/m2ですから、これを100とすると都会のエネルギー消費は9.2程度になります。再びステファン・ボルツマンの式から地表温度を計算すると、S=0.49×122.2/100 cal/cm2・minなので、T=293.2k=20.2℃、つまり5℃以上の温度上昇になります。

(2006/08/09 追記)

【補足2】太陽定数、ステファン・ボルツマンの法則

 太陽定数とは、地球の位置において、太陽光に垂直な平面における太陽放射のエネルギー密度をあらわします。太陽放射強度は一定ではありませんが、通常1366〜1368W/m2という値が使われています。地球の半径をRとすると、太陽定数にπR2を掛けることによって地球が受け取る太陽放射の総量を求めることが出来ます。一方、地球の表面積は4πR2なので、地球表面の単位面積あたりに受けとる『平均的な』太陽放射強度は太陽定数の1/4になります。平均的な太陽放射強度は341.5〜342W/m2≒342W/m2になります。1cal=4.186J、1W=J/secなので、

342W/m2=342(J/sec)/(100cm)2
=342((cal/4.186)/(min/60))/(100cm)2
=(342×60/4.186)/1002 cal/cm2・min
≒0.49 cal/cm2・min

になります。
 黒体(外部から入射する熱放射など(光・電磁波による)を、あらゆる波長に渡って完全に吸収し、また放出できる物体のこと。)の放射エネルギーSはステファン・ボルツマンの法則から計算できます。ステファン・ボルツマン定数 c=5.67×10-8W/m2・k4=8.1×10-11cal/cm2・min・k4、黒体の表面温度をT(k)とすると、次の関係があります。

S=c・T4

(2006/08/16 追記)

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