No.731(2012/03/14)震災瓦礫のマッチ・ポンプ報道

 先週、集中的に行われた東北地方太平洋沖地震の震災・原発事故1周年のテレビ番組で、政府の無能・無策による復興事業の遅れについて、中でも瓦礫処理の問題が殊更取り上げられたように思います。その中で瓦礫の広域処理が進まないことが繰り返し取り上げられました。これはかなり意図的な情報操作があります。
 No.727で紹介した武田氏の記事にある通り、今問題にされている瓦礫の広域処理の対象は、2300万トンの瓦礫の内、400万トンだけであり、これを広域処理を行おうが域内処理を行おうが全般的な復興事業の進捗速度を根本から変えるようなものではありません。
 報道ではこうした定量的な議論を伏せたまま、“広域処理が進まない=瓦礫処理が進まない”ということに内容をすり替えているのです。
 今朝のNHKの朝のニュース番組で、瓦礫の広域処理に対して理解を示す世論が増えつつあると報道していました。これは政府に加担したNHK・民法の報道番組による世論誘導の結果を検証した、正にお手盛りのマッチ・ポンプ報道の典型例です。
 こんな報道に惑わされないで下さい。瓦礫の広域処理は放射性物質の域外拡散に結びつくという科学的な主張は普遍的な真実です。胸を張って瓦礫の広域処理に反対する主張を続けることが必要です。

No.730(2012/03/14)民主主義・法治国家・ファシズム/
ファシスト集団大阪維新の会

 巷では、次期総選挙において橋下・大阪維新の会の躍進を待望する国民が少なくないようです。名称からしてこの集団は不気味です。最近の動きとしては大阪市職員・教員に対する思想弾圧は常軌を逸しているようです。更に、日本国憲法において天皇を元首であることを銘記することを政策としています。名前ばかりでなく、橋下は天皇を国家元首に奉じた明治政権を復活させようとしているようです。その一方で、自らの政策を幕末の坂本龍馬による船中八策になぞらえるような子供じみた行動を取る人物です。おそらく、ナチスドイツにおけるヒットラーの台頭と現在の橋下維新の会待望論は同種の社会現象であると考えます。

 橋下の思想は、個の自由よりも全体的な規律を優先するファシズムだと考えます。彼は、例えば卒業式において君が代を教職員が歌っているかどうかを確認させるなど、異常行動をとっています。橋下は、日本は日の丸・君が代を国旗・国家であると定めており、大阪府が職務命令で卒業式において君が代斉唱を義務付けているのだから、チェックや処分は当然といいますが、そうでしょうか?
 まず問題は、法治国家の最高法は憲法であり、日本国憲法は思想信条の自由ないし表現の自由を保証しています。君が代や日の丸について、国旗及び国歌に関する法律(平成11年8月13日法律第127号)において、日本の国旗・国歌に定めています。しかしながら、この法律にかぎらず、すべての国民が同意している法律など実際には存在しないと考えるべきです。それ故、全教職員に対して君が代斉唱を強要する大阪府教委の職務命令のほうが違憲です。他者に対して物理的危害を加えたり実体的な権利を侵害する刑法犯の処罰とは全く性質が異なる問題です。
 民主主義国家であり、しかも憲法において思想信条の自由が許されている日本において、日の丸や君が代に反対する意見を持ち、それを表現することは許されるべきです。これを強権を持って思想調査した上で処罰の対象とすることはファシズムです。
 法治国家であっても法律の内容は時代と共に変化します。これについては疑問の余地はないでしょう。それはなぜか?社会情勢の変化によって、法体系が現実との間に齟齬をきたすために見直しが行われるからです。逆に言えば、法を固定化すると社会の多くの部分が違法状態になるからです。つまり、現行法は絶対的なものではなく、常に国民の意志によって流動的に変化するものなのです。
 現行法を絶対なものとし、意見の分かれる問題に対して、強権と処分をもってこれに従わせることはファシズムであり、民主主義では時間がかかっても話し合いと説得によって意思統一を図らなければなりません。あるいは法律の見直しを行うことが必要です。納得の得られない法については継続的に話し合いを続ける一方で、適用を慎重にしなければなりません。卒業式における日の丸・君が代については、掲揚や斉唱を行わない式次第にする、あるいは斉唱を強要しないなどの処置を講ずべきです。
 橋下あるいはその意向を受けた大阪府教委は敢えて意見の対立する君が代・日の丸に関する業務命令を発令することによって、教職員に対する“踏み絵”による思想の選別を画策したというのが事の本質です。

 本質的に権力が法を振りかざすときは、単純に自らに都合のよい法律を持ちだして行為を正当化して国民に強制することを目的にしています。これは法令遵守とは全く異なります。
 例えば、橋下流に悪法も法だから遵守しなければならないというのならば、今、東北地方には日本の放射線防護に関する法体系に違反して数100万人の国民が“違法に”住み続けています。この問題にかぎらず、福島原発事故以降、関東から東北地方においては、超法規的=違法な行政行為がまかり通っています。
 本来、思想信条の自由に関する日の丸・君が代問題のように、他者に対して物理的・実体的な不利益を及ぼさない問題については、運用は柔軟に行うべきであり、むしろ東北の放射性物質による高濃度汚染という住民の身体・健康に物理的な被害を及ぼす違法状態こそ厳格に法律を適用すべきことは論をまちません。
 要するに、権力は自らの都合によって法を国民に強制したり、逆に都合の悪い法律は平気で破るのです。橋下の言う『法律に決められているのだから処分する』という、一見合理的に見える主張には大きなごまかしがあることを銘記しておかなければなりません。橋下のような勢力が増殖することによって、この国の思想状況はますます息苦しくなり、この国はまた第二次世界大戦前夜のような愚かな過ちに突入することになるのかもしれません。

No.729(2012/03/13)原発問題に対する生協の見識…

 再度確認しておきますが、私は生協という組織を敵視するつもりはないし、むしろ頑張って欲しいと思っています。それ故の指摘であることを、まずお断りしておきます。

 生協連の「エネルギー政策の転換をめざして」という冊子の内容について検討した結果、現在の生協連のエネルギー政策や原発問題に対する認識は、残念ながら非科学的・非論理的であることがわかりました。
 更に落胆したのは、平成24年2月17日、鳥取県生活協同組合連合会・消費者庁共催「第45回鳥取県消費者大会“放射性物質と食品の安全性”」に於いて、東大の唐木英明を講師として招いて講演を行ったということです。この人選については参加者からも批判が続出しているようです。
 唐木英明については、このHPでもNo.635「備忘録:東大名誉教授唐木英明」でも取り上げた通り、放射線被曝に対してとんでもない発言を繰り返していることはよく知られています。消費者庁が共催だからとはいえ、このような人物をその主張も吟味せずに安易に講師として招請することに同意した参加生協の脇の甘さには、あまりにも緊張感が欠如していると言わざるを得ないと考えます。

No.728(2012/03/13)東電社長告発要旨/槌田敦

 既に、このコーナーNo.674「犯罪者東京電力の罪状」などで、福島原発事故に対する槌田敦氏の事故分析を報告してきました。これを元に、2012年3月7日に槌田氏は東京電力歴代社長を東京地検に告発しました。告発状の要旨を以下に示します。


告発状1(要旨)    2012年3月7日

東京地方検察庁 御中

告発人 槌田敦 元理化学研究所研究員、前名城大学経済学部教授
被告発人 水野久男 東京電力第5代社長、那須翔第7代社長、
荒木浩 第8代社長、南直哉 第9代社長、
勝俣恒久第10代社長、清水正孝第11代社長

第一 告発の趣旨
 2011年3月11日に始まる福島第一原発災害の原因は、東京電力(株)の歴代社長らによる「未必の故意」または「業務上過失」である。この問題について告発人は、すでに書籍『福島原発多重人災 東電の責任を問う』(日本評論社)などにおいて論じたが、ここに東電社長ら、特に勝俣恒久第10代社長を告発する。

第二 告発の原因
1、大災害としての福島原発事故
 東京電力は大量の放射能を環境にばらまき、強制避難で45人を死なせ、数人を自殺させ、福島県民の心身を傷害した。それだけではなく、BEIR-7報告(アメリカ科学アカデミー、2005年6月29日)によれば、生涯において100人が平均して100ミリSv被曝すると1人はがんになり、またその半分はがん死することになるから、生涯被曝が50ミリSv増と予想される福島県民200万人の場合、1万人はがんになり、その内5000人をがん死させることになる。

2、原発災害での被害の大きさ
 東電は、巨大原発事故となった場合に、その被害の大きさをすでに知っていた。1959年には、東電ら原産会議は「原子炉事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」という文書を作成していた。これによれば、雨の場合に、被害総額は3兆7300億円となる。これは当時の国家予算の2倍以上となり、今回の東日本の広域汚染を暗示する。

3、今回の福島原発災害は、安全対策費用の節約で発生した
 そもそも「原発は火力発電よりも安価である」として登場した。ところが、原発の不具合が見つかる度に安全対策の費用が次々と追加された。これにより、原子力を使う東電の売電価格は、化石燃料を使うPPS(特定規模電気事業者)の価格よりも高くなった。すでに、防衛庁を除く中央官庁のすべては、PPSから電力を購入している。
 そこで、東電の歴代社長らは、原発の安全対策費用を節約すれば、人を殺めるかも知れないことを承知しているのに、これを節約した。その結果が福島原発災害である。
 すなわち、東電による未必の故意による致死傷(刑法204、205条)事件である。また、膨大な量の放射能に対する注意義務違反で業務上過失事件(刑法211条1)でもある。

4、以下に未必の故意もしくは業務上過失としての歴代社長の罪、特に、勝俣恒久現会長の罪について具体的に述べる。
【イ.外部電力喪失で原子炉内の計測不能となる欠陥原発を放置した歴代社長の罪】
 1号機は計測不能だった7時間で、3号機は15時間で、事故の最終段階になっていた
【ロ.立地条件の改悪と防潮堤を形ばかりにした歴代社長、特に勝俣社長の罪】
 10mの津波に襲われれば、遡上高は15mになるとの報告があったのに、無視した
【ハ.非常用発電機をタービン建屋地下室に放置した勝俣社長の罪】
 5、6号機と同様に、1〜4号機でも裏の崖の上に発電機を設置すれば、事故は防げた
【ニ.原発電源相互融通の見送りについて勝俣社長の罪】
 第二原発との電力融通があれば、すべての原子炉で深刻な事故にはならなかった
【ホ.水素逃し口を作らず、1号機の建屋を水素爆発に至らせた歴代社長の罪】
【ヘ.1号機、非常用復水器の欠陥を放置した勝俣社長の罪】
【ト.2〜6号機、残留熱除去系から蒸気凝縮系を削除した勝俣社長の罪】
【チ.放射能の放出情報を住民に知らせなかった勝俣会長と清水社長の罪】
 放射能の放出を住民に知らせず、これを放置した罪は、自動車事故において応急救命と2次災害防止の措置をせず、被害者を現場に放置する轢き逃げの罪に相当し、後に怖くなって自首する未必の故意の犯罪である。この責めは勝俣会長と清水社長が負う。

第三 結語
 以上述べたように、福島第一原発事故の原因は、イ.からト.について、勝俣社長ら歴代社長による安全対策費用の節約であった。勝俣社長らは、安全対策費用を節約すれば事故になることをよく知っているから、未必の故意という殺傷罪となる。
 チ.は、事故を起こして住民に被害を与えた場合、この被害を大きくしないための加害者責任の犯罪である。
 福島原発事故は、これまでの原発巨大事故と本質的に異なる。スリーマイル島原発事故(1979年)は、「逃し弁開閉の誤信号」が原因だった。チェルノブイリ原発事故(1988年)は、「制御棒の設計ミス」であったから、これらには犯意はない。しかし、今回の福島事故は、「安全費用の節約」という未必の故意が原因であり、重大な犯罪である。
 原子力発電は事故のたびに安全費用が追加され、その安全費用は高騰する一方である。そのため、今後も安全費用の節約による原発事故が続発する恐れがある。
 この将来予想される事故を防ぐためにも、東電歴代社長、特に勝俣第10代社長には、犯罪事実ごとに未必の故意による致死傷罪(刑法204、205条)、または業務上過失致死傷罪(刑法211条1)が適用されるべきと思われ、ここに告発する。


 

No.727(2012/03/12)非科学的な震災瓦礫広域処理

 震災によって発生した瓦礫を当該地域以外の自治体において広域で処理するという。具体的に広域処理を行うのは震災によって生じた可燃性固体廃棄物の焼却処分であろう。
 まず第一に、可燃性の固体廃棄物を燃料を使って大量に域外に運搬して、その上で焼却処分することに果たして合理性があるのかどうか。受け入れ側の自治体にしろ莫大な瓦礫を受け入れられるだけの遊休焼却処理施設があるとは思えない。
 第二に今回の震災瓦礫の特殊性は、原発事故の影響によって放射性物質に汚染されていることである。これを焼却処分すれば放射能が濃縮され、高レベルの放射性廃棄物になるものがある。今回の震災瓦礫の域外処理は放射性物質を日本中に拡散することを意味する。

 以上二点に鑑み、今回の震災・原発事故による放射性物質を含む可燃性固体廃棄物の処理は、出来る限り現地で福島第1原発近くで処理し、集中管理することが望ましい。そのために、福島第1原発近くに放射性物質に汚染された可燃性固体廃棄物を放射能を管理しながら安全に焼却できる専用の焼却プラントを作って処理することが最も合理的である。汚染地域の放射性物質に汚染された可能性のある瓦礫を、人為的に日本中に拡散させるような広域処理という愚かな行為はやってはならないことである。

 除染や瓦礫処理などに対する対応を見るかぎり、現在の政府機関及び民主党内閣にはまともな技術官僚あるいは技術的なアドバイザーが全く存在しないようである。国の原発事故対策は科学・技術的な合理性を無視した悪しき政治主導で進められているとしか思えない。このような無能・無責任な集団に原発などという危険なおもちゃを弄ばれてはたまらない。

追記:武田邦彦氏のブログに良くまとまった記事がありましたので、以下にそのまま転載しておきます。


瓦礫問題を再び整理する・・・明らかにして欲しいこと

瓦礫問題がこじれている。日本は「民主主義」だから、「実施する方は説得する努力」が必要で、「判らない奴は黙れ!」などという人は日本から出て行ってもらいたい.民主主義を育てるには、面倒でもキチンと説得する力が必要で、民主主義では説得がイヤな人は実施側の担当を止めた方が良い。

今、瓦礫のことを心配している人を説得するには次のことを誠意を持って説明することだ。

1) なぜ2300万トンの瓦礫の内、400万トンだけを広域処理(被災地以外の処理)をしなければならないのか。もし1900万トンを10年で処理するとすると、それが12年に伸びるだけであるし、もし被災地が望んでいる「新しい処理施設」を2割ぐらい作ると、それで解決する.なぜ、簡単に思われる「被災地処理」をせずに、多くの人の心配を押し切るのか?(今の説明では「思想的指導」、あるいは「被災地以外で心配している人をいじめる」ことが目的ではないかとも思われる.) 説明さえされていない。

2) 瓦礫の汚染度をどうやって特定するのか。焼却灰は1キロ8000ベクレルと決まっているが、比較的、均質なので測定することも可能だが、瓦礫はどうするのか? 1キロ1万ベクレルを超えていれば、法律上「放射性物質」として扱わなければならないが、瓦礫のどの部分がそれに当たるかを特定する方法は無い。法律では「平均」は関係が無い。

3) 瓦礫の基準がセシウムだけだが、ストロンチウムやプルトニウムの基準がない。プルトニウムの毒性については議論があるが、多くの人がプルトニウムが焼却炉からでて肺に入ることを心配しているのだから、「おれは知らない」という態度では不安は消えない。

4) セシウムは「金属セシウム」の沸点が640℃程度で、金属としては水銀に次ぐ揮発性の金属である。焼却炉は一般的に酸化雰囲気だが、一部、還元雰囲気で運転される(炭素が多い場合)。金属セシウムのガスについての説明がない。また酸化雰囲気で酸化セシウムができるとさらに沸点は低く250℃だ。焼却炉の温度は1000℃から1200℃程度だから、「セシウムは粉ではなく、ガス」の可能性が高いのに「フィルターで除く」と言っている。ガスはフィルターではとれない。日本は科学技術立国なので沸点の説明はいる。

5) 「危険か安全か」を議論するときには、「平均」を使うことはできない。障害者は「平均で障害を受ける」のではなく、バラツキの危険側で障害を受けるからだ。つまり、「上限」だけが意味があって「平均」は危険性を議論するときには何の意味もない。この世には「統計学」という学問があり、少なくとも3シグマ(全体の99.7%の人が外れる)を「安全」の境界としなければならない。それでも1億人で30万人が被害を受けるという基準になる。日本は科学技術立国であるので、統計的処理の結果を説明しなければならない。

6) (これは何回か言っていますが)今回の原発事故で漏れた放射線量は政府発表でも80京ベクレルで膨大。これが日本全体にまかれたら日本人は日本列島に住むことはできない(一人平均80億ベクレル程度になるから)。国家の計画は最初の基本を決めて、それに応じた個別の計画でないと、最終的に国家がどのようになるか判らないし、それで専門家がOKというわけにはいかない。

瓦礫の問題がこじれるのは、「ヒステリックに瓦礫の危険を叫んでいる人」にあるのではなく、「黙れ!と言って、相手が納得できるような肝心なことを説明しない人」にあり、それは日本の指導者が民主主義を信じていないことによると思う。

「takeda_20120311no.450-(8:56).mp3」をダウンロード

(平成24年3月11日)


 

No.726(2012/03/09)NHKお馬鹿番組の記録O

●2012年3月09日(金)
●NHK総合 「あさイチ」
●司会 解説委員 柳澤秀夫 他
●ゲスト 福聚寺住職 玄侑宗久

 久々の登場です。今、NHKの「あさイチ」という朝の番組で福島原発事故についての話題が取り上げられています。ゲストは、福島県三春町在住の作家であり、福聚寺の住職でもある玄侑宗久(55)という坊主である。曰く「人間は精神的動物、あの道の角を曲がったところに漆の木があると思うだけで発疹が出る。低線量被曝というものも同じようなもので精神的な影響が大きい、云々」だといい、これを受けて司会者のNHK解説委員の柳澤秀夫という人物は「低線量被曝の影響は全くわかっていませんからね」と。更にこの坊主は「低線量被曝の問題は活性酸素の発生であるから、呼吸を整えることが重要」だとか。
 まず第一に、原発事故という物理的な現象を精神論で語る愚かさ。人間の弱さに付け込んで問題のすり替えである。第二にこの素人坊主による誤った情報を大衆に振りまく無神経さ。とんでもないことである。

No.725(2012/03/07)震災復興予算を食い物にする洋上風力発電

 いよいよ“再生可能エネルギー”が震災・原発事故復興予算を食い物にし始めました。今日の新聞記事によると、福島県沖に東大・丸紅・三菱商事や日立製作所・新日鉄など10社の産学連合で、復興予算125億円を食い物にして、浮体構造による洋上風力発電の実証実験を開始するということです。


大分合同新聞2012年3月7日朝刊

 記事の「ポイント」に記されている通り、洋上風力発電は陸上風力発電の数倍の発電コストになることは、当然です。このことは既にこのホームページでは再三述べてきたとおりです。陸上でもほとんど経済的にも、あるいは激しい出力変動の緩和という技術的にも破綻が明らかな風力発電を、更に条件の悪い洋上に展開するなど、技術屋としてはとても考えられないことです。実証試験をするまでもない事です。
 たかが実証試験のために125億円もの、本来ならば震災や原発事故の復興に使うべき資金が、海の藻屑と消えることになるのです。こんなふざけたことが許されるこの国は、完全に狂っています。原発で巨大な事故を起こしても責任を取らないこの国の重電・重工メーカーに、今度は再生可能エネルギー分野で更に餌を与えるというのですから、何の反省もないようです。“将来的には4000人規模の雇用が生まれる”などといういい加減な甘言で地元住民を騙し、税金を重電・重工メーカーと商社に垂れ流すだけのことです。
 付言すれば、もし本気で100万kW出力の洋上風力発電所を建設したりすれば、将来的に巨大な不良資産となるか、あるいは当該地域の電力料金は途方もなく高騰することになります。復興という大義名分とは裏腹に、あらゆる面で被災地を経済的に傷めつけることになるのは必定です。

追記:三菱商事のHPから(2012.03.08)
 東大は勿論、参加する企業を見ると、三菱重工、日立製作所、石川島播磨重工業、清水建設という原子力発電推進企業名が並んでいる。これは何を意味するのかをよく考える必要がある。(近藤)


2012年3月6日

丸紅株式会社
国立学校法人 東京大学
三菱商事株式会社
三菱重工業株式会社
株式会社アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド
三井造船株式会社
新日本製鐵株式会社
株式会社日立製作所
古河電気工業株式会社
清水建設株式会社
みずほ情報総研株式会社

福島復興・浮体式洋上ウィンドファーム実証研究事業について

丸紅株式会社をプロジェクトインテグレータとする、東京大学、三菱商事株式会社、三菱重工業株式会社、株式会社アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド、三井造船株式会社、新日本製鐵株式会社、株式会社日立製作所、古河電気工業株式会社、清水建設株式会社および、みずほ情報総研株式会社からなるコンソーシアム(以下、「コンソーシアム」という)は、経済産業省からの委託事業である浮体式洋上ウィンドファーム実証研究事業に採択されました。

本実証研究事業は、福島県沖の海域に、浮体式風力発電機3基と洋上サブステーション1基を建設して行います。2011年度中に開始する第1期実証研究事業では、2MWのダウンウィンド型浮体式洋上風力発電機1基と、世界初となる66kV 浮体式洋上サブステーションおよび、海底ケーブルを設置します。2013年度から2015年度にかけて行う第2期実証研究事業では、7MW級浮体式洋上風力発電設備2基を追加設置します。

福島県では、東日本大震災の被害からの復興に向けて、再生可能エネルギーを中心とした新たな産業の集積・雇用の創出に大きな期待を寄せており、本実証研究事業を契機に、風車産業の一大集積地となることを目指しています。本実証研究事業は、"漁業と浮体式洋上ウィンドファーム事業の共存"を大きな一つのテーマとしており、周辺海域の漁業関係者との対話・協議を通じ、将来の事業化を模索していきます。

また、本実証研究事業を行うことで浮体式洋上風力発電のビジネスモデルを確立することは、大規模浮体式洋上風力ウィンドファームの事業展開を実現させることに大きく寄与するものと考えています。更には、世界で初めての浮体式洋上ウィンドファームのノウハウを蓄積し、海外プロジェクトに展開することによって、日本の主要な輸出産業の一つに育成することにも繋がると考えています。





 

No.724(2012/02/19)エネルギー資源の有効性評価
メタンハイドレートは救世主か?

 現在の工業文明を支えている基本エネルギー資源は石油です。それ故、現在の文明を石油文明という呼び方をするわけです。
 こう言うと、すぐに天然ガスや石炭、原子力はどうなのだという声が聞こえてきそうです。文明を支える基本エネルギー資源の条件をもう少し明確にしましょう。
 まず何よりも、エネルギー産出比が1.0よりもはるかに大きいことが必要です。そして消費量が多いことであり、これを代替できるようなエネルギー資源が他にない、あるいはこれがなければ現在の工業文明が成り立たないエネルギー資源であることです。
 エネルギー産出比(=産出エネルギー量÷投入エネルギー量)が1.0よりもはるかに大きいことが必要という条件は、自然科学的、あるいは工学的にみて工業生産を維持するための条件です。基本エネルギー資源は、自ら生み出すエネルギーを使って自らを再生産した上で、更に工業生産を行うために必要な余剰エネルギーを供給することが必要です。その具体的な表現がエネルギー産出比が1.0よりも大きいことです。エネルギー産出比が1.0に近ければ、産出するほとんどのエネルギーが自己を単純再生産するために消費されることになり、大きな工業生産力を維持できません。エネルギー産出比が大きいエネルギー資源ほど優れたエネルギー資源ということができます。
 石油の場合、油井の条件にもよりますが、1単位(カロリー・ベース、以下同様)の燃料石油の投入で50単位程度の原油が採掘できるとします。原油のエネルギー産出比は50ということになります。
 これを例えば原油輸入国までタンカーで運び、製油所で精製して燃料石油に加工した場合、運搬や石油精製工程で自家消費した分を差し引くと、50単位の原油が20単位の燃料石油になったとすれば、燃料石油のエネルギー産出比は20ということになります。
 実際には、油井の掘削条件や産油国と輸入国との位置関係、石油の品位などによって燃料石油のエネルギー産出比は一定ではありませんが、おそらく燃料石油のエネルギー産出比は10のオーダーであろうと考えられます。石油は優れたエネルギー資源です。
 その他にエネルギー産出比から見て優秀なエネルギー資源として石炭があります。石炭のエネルギー産出比は石油に勝るとも劣らぬと考えてよいでしょう。しかし現在、石炭の採掘に石炭燃焼による蒸気機関を利用することは殆ど無く、石油を利用した内燃機関が使われています。石油に比較して固体で扱いづらいために、現在の工業文明において石炭の使用は主に製鉄業における還元剤、石炭火力発電の燃料等の限られた用途に特化しています。石油文明下では石炭も石油製品(=石油の使用によって採掘される)なのです。ただし、石油が枯渇した後には第二石炭文明の時代が訪れる可能性が高いでしょう。
 そして、天然ガスです。天然ガスも石炭同様に石油によって生産されている石油製品です。そのため基本エネルギー資源ではありません。天然ガスは近年コンバインドサイクル火力発電の燃料として使用されている優秀な燃料ですが、問題もあります。メタンは常温で気体であり、そのまま1気圧で利用したのではエネルギー密度が低すぎるので、耐圧容器に充填して利用することになります。しかし、残念ながらこの圧縮行程でかなり多くのエネルギーを消費するために、耐圧容器に充填された液化天然ガスは石油や石炭ほどにはエネルギー産出比が高くないのです。
 では原子力はどうでしょうか?ウラン燃料はエネルギー産出比が1.0を超えることはない(バックエンド処理まで含めて)ので、全く石油文明にぶら下がった穀潰し(ゴクツブシ)であるというのが実態です。自立的なエネルギー資源がなくなった時に原子力文明が成立することはありません。同様に、自然エネルギー発電も勿論エネルギー産出比1.0を超えることはなく、したがって自然エネルギー発電による文明は成り立ちません。
 エネルギー産出比が1.0以下のエネルギー供給技術とは基本エネルギー資源に寄生する技術であり、特殊用途(例えば宇宙空間や絶海の孤島、微弱な電力供給など)に限って利用価値がある技術であって、基本エネルギー資源を代替することは不可能なのです。

 日本の自前のエネルギー資源としてメタンハイドレートが脚光を浴びています。現在、愛知県沖で試掘実験が行われています。メタンハイドレートとは高圧低温下で形成されたメタンの水和物であり、水の網目状の結晶構造の中にメタンが取り込まれたものです。

1m3のメタンハイドレートを1気圧の状態で解凍すると164m3のメタンガスが得られます。技術的な問題は海底深くに存在するメタンハイドレートからどのようにメタンを能率的に回収するかという問題です。メタンハイドレートからメタンを回収するには、加熱する方法や減圧する方法が考えられていますが、今回の試掘では減圧する方法が試されることになります。
 メタン自体は天然ガスと同じですが、天然ガスと異なり、水の結晶構造からメタンを分離して回収する工程で温水の圧入あるいは減圧など、大量のエネルギーを投入しなければなりません。回収したメタンガスは再び耐圧容器に充填することになるため、天然ガスよりもさらにエネルギー産出比が低下することになります。果たしてエネルギー産出比が1.0を十分に上回る可能性があるかどうか、冷静な判断が要求されます。自前のエネルギー資源ということに目が眩んで、それを利用するためにどれだけのエネルギー投入が必要となるのか、という視点を忘れてはなりません。

No.723(2012/02/17)常識の欠如したお人好しの国民
年金・エネルギー問題/無知は犯罪

 現在の日本国民とはなんと非論理的で思考レベルが低いのだろうか?一重に戦後教育の失敗の付けが現れているように思う。あるいは権力者の深遠な計画によって、国民総白痴化を意図的に構築したのであろうか?何れにしてもこの国は近い将来、没落することになるように思う。

 例えば、国会では税と年金の一体改革などという訳のわからぬ主張が、さも当然のように語られている。政府の説明する年金制度の破綻理由は全くの嘘っぱちである。
 日本の年金制度は積立方式であり、自らが現役時代に積み立てた資金運用を国家に付託し、国家は安全性の高い資金運用によって運用益を稼ぎ、現役時代に積み立てた資金プラスαを退職後に受け取るものである。つまり世代間扶養などではなく、将来的に労働人口が減少することによって破綻することなどありえないのである。
 ではなぜ今、年金制度が崩壊の危機に瀕しているのか?これは年金資金を管理する国が資金運用に失敗し、あるいはもっと有り体に言えば横領して本来の目的外の事業に投資した結果、年金資金を目減りさせてしまった結果である。

 人口構成がピラミッド型であった戦後すぐの時代には、年金給付を受ける高齢者に比較して圧倒的に現役労働人口が多かったことによって、給付金支払額よりも年金積立額の増加の方が圧倒的に多かった。その結果、国はどんどん増加する年金資金に目が眩んで、地道な資金運用で将来の年金支払いに備えることを怠り、大盤振る舞いで放蕩の限りを尽くしたのである。その結果、年金資金の原資を割り込むことになったのである。
 そして、戦後の経済発展を担ってきた団塊世代が給付を受けることになった現在、年金資金が原資を割り込んだ結果、本来積立方式であったはずの年金制度では給付金を賄えなくなったため、国家は何ら責任を取らずに、日本の年金制度は現役世代に対する賦課金によって年金給付を賄う賦課方式である、人口の減少によって年金制度が破綻するなどという理論のすり替えを行い、国は自らの資金運用の失敗や横領を糊塗しようとしているのである。戦後日本の年金事業の国家的犯罪行為はOLYMPUSの粉飾決算どころの話ではないのである。
 冗談ではない。国家は国民の積み立てた年金資金を国民に黙って横領し、企業にばらまいたのである。この問題を明確にした上で、国家の責任において年金制度を正常化することが最優先すべきことである。国家や大企業は自ら何ら責任を取らずに、この上消費税増税で横領の穴埋めをしようなどとは、盗っ人猛々しい話しであり、絶対許してはならない、というのが論理的で、常識的な判断だと考える。
 ところがこの国の愚かで非常識な国民は、訳知り顔で「苦渋の選択だが年金制度を守るためには消費税増税はやむなし」などと、物分りの良い思考停止状態になっているのである。やれやれ・・・(苦笑)。

 例えばエネルギー問題。現在、脱原発を訴える大多数の人々は、なんの疑いもなく再生可能エネルギー導入促進を正しいことだと“信じ込んで”いる。脱原発が自然科学的・技術的判断として正しいことは勿論である。しかし、再生可能エネルギーの大規模導入もまた行うべきではないというのが自然科学的・技術的判断である。
 どうも環境団体の皆さんの間には、遠目には牧歌的で優雅で気まぐれに回る風力発電や、クリーンなイメージの太陽光発電に対して、無条件に“環境にやさしい”という宗教的な信仰がある。やさしいなどという言葉自体が宗教性を示しているが・・・。
 環境団体の皆さんの多くは、工業化されすぎた現在の工業文明を超えて、自然との共生を目指すと言う。私もこれには全面的に賛成である。しかしそのために風力発電や太陽光発電を増やすというのでは全く台無しだということが理解できないようだ。
 仮に、とりあえずの目標を生活の豊かさのゼロ成長だとする。その中でエネルギー供給システムだけを火力発電から再生可能エネルギーに変更すると、どうなるであろうか?
 優雅で気まぐれに回る風力発電やクリーンな太陽光発電は、火力発電に比較してとても穏やかな発電装置と言えるかもしれない。ご想像の通り、装置の大きさに対して生み出す電力はとても小さくなる。このような再生可能エネルギー発電装置で、強力な火力発電を代替することなど、とてもできないと考えるのが常識的な判断である。あるいは、再生可能エネルギー発電で火力発電を代替することになれば、日本中が風力発電装置と太陽光発電装置で埋め尽くされるだろうと想像するのが常識的な判断である。これは、言い換えれば電力供給のために必要な工業生産規模が爆発的に増加することを意味している。
 本来ならこれで話は終わりである。ところがこの国の愚かな国民の大多数は再生可能エネルギーを大規模導入すれば工業生産規模が爆発的に大きくなるという矛盾に何故か気づかないのである。
 簡単な例を上げてみる。
 発電装置の出力はW(ワット)あるいはkW(キロワット=1,000ワット)で表される。Wは仕事率の単位であり、1秒間に行う仕事が1J(ジュール)=1N・m(ニュートン・メートル)であることを示している。これは中学校で習う事柄である。つまり、1W=1J/s(ジュール毎秒)=1N・m/s(ニュートン・メートル毎秒)である。
 私達の身近な仕事率の単位に“馬力”がある。馬力には英馬力(PH)と仏馬力(PS)があるが、ここでは仏馬力を考える。1PS=75kgf・m/s(キログラム重・メートル毎秒)である。これは、重さ75kgfの物体を1秒間に1mだけ持ち上げる仕事率である。1kgf=9.806N(9.806m/s2は質量1kgの物体に働く地球の重力加速度)なので、1PS=75×9.806N・m/s=735.5Wである。



 さて、優雅に回る定格出力2,000kWの巨大な風力発電装置の設備利用率が12%だとすると、平均的な実効出力は2,000kW×0.12=240kW=240,000W=(240,000÷735.5)PS=326.3PSである。2,000kW級の風力発電装置の上部工(地上部分の構造)の重量は250t程度である。
 一方、326.3PSというと、ちょっとしたスポーツ車1台の出力である。車一台といえば、車体重量は1〜2t程度というところであろうか。
 つまり、同じ326.3PSの仕事率を得るための装置として、風力発電(上部工250t)は自動車(車体重量2tと仮定)に対して重量比で125倍以上の工業生産物を必要とするのである。風力発電装置というものが、いかに資源浪費的、同時に工業的なエネルギー浪費的な発電装置であるかが、ある程度イメージできたのではないだろうか?
 同じ仕事率を得るために必要な太陽光発電装置=メガ・ソーラーの規模を考えてみる。240kW出力の装置が1年間稼動した時の総仕事量は240kW×24h/日×365日/年=2,102,400kWh/年である。太陽光発電パネルの日本での平均的な運用実績は100kWh/年・m2程度であるから、必要な太陽光発電パネルの面積は

2,102,400kWh/年÷100kWh/年・m2=21,024m2≒145m×145m程度、

野球場ほどの広大な面積になる。定格出力1kWを得るために必要な太陽光発電パネル面積が10m2として、その価格が100万円程度とすると、太陽光発電パネル価格は21,024÷10×100万円≒21億円程度になる。

 日本の年間の最終エネルギー消費量は1.6×1019J=4.444×1012kWh程度である。仮にこれをすべて2,000kW級の風力発電装置で賄うとした場合、必要な基数は

4.444×1012kWh÷2,102,400kWh/基=2,113,986基

ということになる。47都道府県で均等割すると、44,978基/県ということになる。太陽光発電ならば145m×145mのメガソーラー発電所が44,978箇所/県必要ということになる。あるいは4.444万km2、国土面積の12%に太陽光発電パネルを敷き詰めることになる。しかもこれはエネルギーの絶対量だけに着目した少なめの見積であり、実際には更に不安定電力の安定化や電力需要に対応するための巨大な蓄電装置やバックアップ用発電施設、広域大容量送電線網などが必要になる。
 風力発電や太陽光発電の耐用年数が20年とすれば、1年あたり2,249基/県の風力発電装置あるいは2,249箇所/県のメガソーラー発電所を常に更新し続けることになる。これを実現するためには、工業生産設備を飛躍的に拡大しなければとても賄うことはできない。現実的にはこの生産設備の増強と莫大な発電装置生産の経済的な負担だけで現在の日本の国家予算を超えることになり、実現不可能である。

 想像力の乏しいお人好しの皆さんに少し具体的なイメージを作っていただくために、無意味な計算を長々と紹介した。しかし、常識的な感覚を持っている方であれば、こんなことをしなくたって、優秀な火力発電を低効率の再生可能エネルギーで代替するなどということはとても出来無い事だと判断するものである。日本の戦後科学教育は国民から常識的な判断能力すら奪ってしまったのである。
 原発の代わりに再生可能エネルギーの導入を促進するなどという愚かなことを吹聴する人々の行動は、犯罪行為だと考える。

追記(2012.02.18):
ケーススタディ1:九大洋上風力発電

 2011年12月から今年12月までの1年間の予定で、環境省の委託事業として事業費5000万円をかけて博多湾において九州大学の洋上風力発電の“実証試験”が行われている。直径18mの6角形の浮体構造の上に3kW風力発電機を2基設置している。
 洋上ということで、設備利用率を高めの20%として、平均実効出力は 6kW×0.2=1.2kW 程度と考えられる。1.2kW=1.63馬力(PS)であるから、この大げさな実証プラントの出力は50ccの原付バイクのエンジン出力の4分の1程度に過ぎないのである。
 一体この実証試験の目的が何であるのか、私には理解出来ない。風力発電装置が洋上でも発電することは当たり前であり、実証する必要など存在しない。この種の実証試験に目的があるとすれば、費用対効果などの検討から実際のプラントの実行可能性を探る、いわゆるフィージビリティー・スタディ(Feasibility Study)である。しかし、原付バイク1台にも満たない発電装置の試験費用が5000万円など、この段階で無意味と考えるのが常識的な判断である。

ケーススタディー2:兵庫県太陽光発電

 兵庫県が設置した92ヶ所の公共施設の太陽光発電装置の総事業費は34億円である。この太陽光発電による年間発電量は310万kWhである。日本の太陽光発電の平均的な実績を100kWh/年・m2程度とすると、太陽光発電装置の面積は、3,100,000kWh/年÷100kWh/年・m2=31,000m2 程度である。定格出力1kWのために必要な太陽光発電パネル面積を10m2だと仮定すると、92ヶ所の太陽光発電パネルの定格出力は 31,000m2÷10m2/kW=3,100kW 程度と考えられる。以上から、太陽光発電パネルの定格発電出力あたりの単価は 34億円÷3,100kW≒110万円/kW 程度と考えられる

ケーススタディー3:岐阜県の太陽光発電
 このHPの読者の方から頂いた太陽光発電の事例についてのメールを紹介する。


前略

 私の住む岐阜県**町では、町立中学校に取り付けています。
 役場は技術系職員は配属されておらず、主事職の方から訊いたものです。
 細かい計算は私がしましたが、これでよいのかチェックしていただければ 幸いです。
 エントロピー学会のmlで会員に伝えましたが、反応なしです。
 京都大学経済学部の諸富 徹氏は、自然エネルギー推奨とうことで、あちこち講演して歩いています。又、慶応大学経済学部 金子 勝氏も「再生エネルギー法の実施に際して、高い買収価格と短い固定期間を設定することで、再生可能エネルギーへの転換を急がねばならない」(世界2012.3月号)で云っています。

 私の住む**町で、役場が設置している太陽光発電実績データー頂いてきました。これを見て、こういうもの役立つかについて考えてみる必要があります。

● 設置箇所  ******中学校
● 稼動開始年 2003年(暦年)
● 設置費用  4515萬円      
● 太陽電池容量 30kw

太陽電池モジュール
・ 種類 屋根材―体型結晶シリコン電池
・ 枚数 510枚
・ 外形寸法 2000×237mm/枚
・ 重量 6.0kg/枚
・ 有効免責241.74m2

● 発電実績  2005年  30,160kwh
売電は僅少で、ほぼ全量 自家消費
町が中部電力から購入している電力料金 18円/kwh

太陽光発電で電力料金どれほど節減できたのか。 30,160×18=542,880円

 元をとるには、4515/54.3=83年

役場には、技術系(電気)職員はいないので、主事職の方から聞いたものです。

パネルの耐用年数 標準で20年であると、納入業者は云っていました(Panasonic住宅用太陽光発電システム)。発電量 だいたい三万kwh/年で推移しています。

 ゴミになった場合どうするのか、再活用出来るのか訊いてみましたが、分からないといことでした。


 メールで送っていただいたデータから、定格発電出力1kWあたりの太陽光発電装置価格は、4,515万円÷30kW=150.5万円/kWである。公共事業ということ、メールによると役場に技術職員がいないことなどから、メーカーの言い値でかなり高めの設置費用になっている。
 耐用年数を20年とした場合の総発電量は30,000kWh/年×20年=600,000kWhなので、このシステムで発電した電力の単価は4,515万円÷600,000kWh≒75円/kWhであり、仮に固定価格買取制度で47円/kWhで全量売電しても元は取れずに大赤字になる。

 このような高価な発電装置で電力を賄えば国家財政は破綻するしかない。

No.722(2012/02/14)大飯原発安全審査についての抗議文

 既にご承知のように、原子力安全・保安院は、聴聞会の異議を無視して審査書を強引にまとめ、2月13日、原子力安全委員会へ提出しました。何とも出鱈目な連中です。福島第一原発事故の反省など彼らには全く無いようです。
 この暴挙に対して、聴聞会の委員であった井野博満・後藤政志の両氏が緊急の抗議声明を発表しましたので、紹介しておきます。

関西電力大飯3・4 号機ストレステスト審査書提出に抗議する緊急声明

No.721(2012/02/13)反核・反原発を希求する方からのメール

 このHPでは、一貫して反核・反原発の立場を主張してきました。しかし、福島以降、新たに反原発に興味を持たれた方には知らない方も多いのではないかと思うのですが、この反核・反原発という立場は体制側からだけでなく、反核市民運動の側からも攻撃されているのが実情です。
 このHPの立場は、『反核・反原発・反自然エネルギー発電』ですから、反核運動だけでなく、反原発ないし脱原発運動からも攻撃されることになります。HP管理者からNo.709でも生協運動の非科学性を検討していますが、日本の市民運動の非科学性の現状は絶望的です。テレビのCMで電気自動車の宣伝に登場している坂本龍一という三流文化人の発言をありがたがるようなレベルではどうしようもありません(笑)。

 反核運動に対する昨年の記事、HP管理者からNo.644「長崎平和宣言の無邪気さ・・・」に対して、反核・反原発運動に携わっている方からメールをいただきましたので、全文を紹介いたします。
 ただし、前述のとおり、反核・反原発の立場は反核市民運動からの嫌がらせを受ける危険性が高いため、匿名での掲載となりますので、ご了承ください。


件名: 賛同します。「長崎平和宣言の無邪気さ・・・」に対して

管理者 近藤邦明様
鹿児島在住の者です。
「長崎平和宣言の無邪気さ・・・」を読み、共感しましたのでメールいたします。
ここ数年長崎に行き、長崎の核兵器廃絶運動の欺瞞に対し、はらわたがにえくりあがるような怒りを覚えております。
川内原発を抱える鹿児島の私たちが、原発は原爆の材料を作ると言えば、「原発反対と言うな。」「玄海原発がなければ長崎は電気が使えない。」
鹿児島にも被爆者はいますが、長崎と鹿児島の被爆者は格が違う。長崎の被爆者は有名だ。
それどころか、「核兵器廃絶」で利益を得ている。
3・11で、その核兵器廃絶運動団体は(全国放送されて有名)、原発ムラの中にあったとわかりました。

長崎で脱原発に取り組む方は、長崎の核兵器廃絶運動団体にはよくあることだと。長崎の核兵器廃絶運動団体はそんなものですよと。長崎ではこれまで、反原発運動をすること自体が難しかったそうです。原発反対と言うと、核兵器廃絶運動に取り組む人はそっぽを向いたと。

長崎市の外郭団体、平和推進協は数年前、被爆者に劣化ウラン弾や原発に触れるなとおふれを出し、この夏も平和宣言に脱原発を入れることに反対しました。

3・ 11以降も長崎県、長崎市、平和推進協は長崎大学といっしょになって、この夏も東京で「核の平和利用」なんて講演会も主催しているし。

長崎9条の会の呼びかけ人で、核兵器廃絶地球市民ナガサキの会長である原爆病院の医師がNHKで「100ミリシーベルト安全。ヨウ素もセシウムも安全。危ないのはプルトニウムだけ」というので調べてみると、原子力委員会で、原爆体験者訴訟で国側証人だし。

三菱造船が長崎で一番大きい企業なので気をつかっているとか。

核兵器廃絶と反原発に取り組んでいる、長崎の元報道関係者に因ると、「祈りのナガサキ」というのは、恐ろしい核兵器を落としたアメリカにおそれを感じ、アメリカにはさからわないという意味だと教えていただきました。

長崎新聞は、あの山下俊一を、福島を救うヒーローのように報道しているし。

3年前でしたか、長崎で核兵器廃絶というテーマでの全国大会に鹿児島から参加した私たちは川内原発3号機増設反対の署名をお願いして回りました。多くの方が快く署名してくださり、熊本の方は用紙をくれ、熊本の仲間の分を集めてくるから。
原発に反対ではないと署名拒否した数人は、長崎の人でした。

注)山下俊一:
長崎大学医学部教授であるが、3.11東北地方太平洋沖地震後に発生した福島第一原発の事故を受けて、放射線被曝に関する専門家という触れ込みで福島県立医科大学副学長に就任、放射線の“安全性”を吹聴している人物。(近藤)


 

No.720(2012/02/12)太陽光発電を推進する方からのメール

 このホームページでは『1.はじめに』や『意見・質問募集』にも書いているとおり、ホームページの記述内容に対して閲覧者からご意見をいただくことで、更に内容を充実させていくことを目的に運営しております。匿名を希望される方や、何らかのやむをえぬ事情(例えば身体的な危害が加えられる危険がある、など。)がある場合には公開を差し控えることはありますが、メールは原則的に実名でこのホームページに公開することを前提に募集しております。ご理解とご協力をおねがいいたします。

 さて、太陽光発電の導入促進を目指す組織に参加されている方から、このホームページの記述(HP管理者からNo.390〜398)に対するご意見をいただきました。このHPの主張を明らかにする上で必要な内容と考えましたので、メール公開の確認を行いましたが、残念ながら拒否されました。そこで、メールの内容を私の方で整理した上で、それに対する架空の問答として以下にまとめておくことにします。

(近藤)


【意見1】
 太陽光発電装置は個別に見れば発電出力が激しく変動するが、多くの装置をまとめて巨視的に見ればその変動はゆるやかな変動になるため、電力供給網に対して悪影響を及ぼすものではない。蓄電池は将来的に劇的に安くなるため、太陽光発電装置普及の制約要因にはならない。

【回答1】
 私がここで問題にしている太陽光発電の問題は、あくまでも太陽光発電を日本の電力供給システムにおいて一つの中核的な電源として用いる場合であり、個人が趣味的におもちゃのような太陽光発電を、既存の送電線網に接続して運用することによって自己満足を得るような場合は想定していません。私は個人で身銭を切ってする趣味を云々するような無粋なことをするつもりは毛頭ありません。趣味とは本来無駄なことですから。
 現在行われようとしている再生可能エネルギー特措法による太陽光発電電力の高額固定価格買取制度は、太陽光発電を主要電源の1つとして日本の電力供給システムに組み込むことを想定していることは、すでにご承知の通りです。

 太陽光発電出力の「激しい」出力変動という表現は個別の発電装置を念頭に記述したものです。不規則変動する発電装置を個別で運用することは最も非効率的なことは言うまでもありません。仮に、単一の太陽光発電装置や風力発電装置を、既存の送電線網に接続せずに、スタンドアローンで運用する場合には、個別の太陽光発電装置や風力発電装置と最低でも同等以上の出力制御可能なバックアップ用の発電装置を備えた上で、蓄電装置も併用しなければならないでしょう。このような愚かな運用は通常考えられません。なぜなら、このシステムではバックアップ用の発電装置だけで電力を供給すれば、不安定な自然エネルギー発電装置と蓄電装置はまるごと不要になるからです。
 ではどうするか?制御不能で不規則変動する個別発電装置をネットワーク化してやることになります。ネットワークに接続する個別発電装置数が増大すれば、その変動が時間に対して緩やかになるのは当然です。
 しかしながら、ここにも大きな問題があります。不規則変動する電源のネットワークを大きくするために、既存の安定した電源による電力供給ネットワークでは必要なかった大容量の広域の送電線網を追加建設しなければならなくなります。これには莫大な建設資材とエネルギー投入が必要になります。スペインでは財政破綻のために追加の送電線網が建設できずに大規模停電の危険性が増しているようです。
 制御不能な不規則変動といっても、全く傾向のない、言わばホワイトノイズのような出力分布であればむしろ全体の発電出力が一定値に収束して良いのでしょうが、太陽光発電や風力発電は気象条件という外的な強制力が働くために、ランダムにはならず、不規則変動とは言え極めて明確な傾向を持つ、偏った分布になるのです。
 気象条件によって例えば太平洋側で晴天・強風が吹くと同時に日本海側では曇天で風が弱いなどなど、地域的な傾向が生じます。そのため、広域で電力を融通し合うために大容量の(出来れば送電ロスを少なくするための超高電圧の)付加的な送電線網が必要になります。
 出力変動が時間的に緩やかになった所で、その変動の振幅、周期あるいは広域の分布の偏りが予測不能・制御不能であることには変わりなく、出力の不規則変動の問題は自然エネルギー発電の致命的な欠陥です。自然エネルギー発電を電力供給システムに大規模に組み込むためには発電装置以外に付加的な蓄電装置、バックアップ用の安定で制御可能な発電装置、広域の巨大送電線網が追加的に必要になるのです。勿論、スタンドアローンで運用する場合よりは多少調整量は減らせますが、大勢に影響はありません。

 スペインの場合、総供給電力の9%程度を風力発電の不安定電力で供給しているに過ぎないにもかかわらず、すでに火力発電や揚水発電による調整能力が限界に達し、広域の電力ネットワークによる電力融通の容量も限界に達しつつあるというのが実態です。
 太陽光発電の導入促進を目指す方の多くが、暗に電力会社の運用努力で太陽光発電電力の変動を吸収することを求めているようですが、あまりにも身勝手な理論です。本来、買電する電力会社には、敢えて不安定電力を購入して電力会社の犠牲(莫大な資源やエネルギー消費の負担)でその不安定性を解決する責任はありません。電源を代替するというのならば売電側で安定な電力として電力会社に供給すべきであり、それは勿論売電側の自己負担です。
 出力変動を吸収するための付加的なシステムの出費を自然エネルギー発電の売電側が持つか買電側の電力会社が持つかなどということは問題にしていません。社会全体として同量の電力供給を行うために必要な資源・エネルギー消費量の最適化の視点から考えるべきだということです。
 固定価格買取制度はすでに始められようとしているのです。我々はこの制度を手持ちの一般的な技術によって評価しなければなりません。『蓄電池はそのころ劇的に安くなる』などという実現もしていない希望的な技術評価は無意味です。本当に優れた技術が実現された時点で、初めて社会システムに導入すべきなのです。少なくとも現在の標準的な『太陽光発電+蓄電池システム』は高価過ぎて評価の対象にすることも愚かです。本当に総合的に電力供給システムとして評価して、火力発電システムよりも優れた太陽光発電システムが実現できたのであれば、その時点で導入すれば良いのであり、勿論そのようなシステムが技術的に確立できるのであれば私も導入に大賛成です。


【意見2】
 2011年3月現在で4.5kW太陽光発電装置を176万円で購入できた。2012年では太陽光発電パネル価格が4.5kWシステムでは54万円、インバーター14万円、架台8万円、電気工事費12.6万円、合計で88.6万円で設置できた。将来的には更に安くなる。

【回答2】

 私は個別の特異な例を参照していません。エネルギー白書2010年版(上図)のデータから見て70万円/kWというのが妥当な数値でしょう。この値は2000年以降ほとんど変化していませんので、すでに生産技術の改善は尽くされたように見えます。3kWシステムで210万円というところでしょうから、それほど大きな問題はありません。前述のとおり、将来の可能性で現在を評価するのは無意味です。

 直接的な積み上げデータのない状況で異なる発電装置間のエネルギー・コストを比較する場合は幾つか注意する点があります。
 まず、原・燃料価格の乱高下の影響を受ける期間のデータは工業生産全体にその影響が伝播する速さや影響の大きさにばらつきがある点です。このところリーマンショック以降、燃料価格は乱高下しており、今また中東情勢の影響を受けようとしており、ここ最近のデータは非常に使いにくいと考えています。
 次に、エネルギー価格は国によってかなり異なります。税制や輸入環境によって一律ではありません。特に電力料金は国によってかなり大きな違いがあります。太陽光発電パネルの製造には電力料金が大きく影響します。更に為替レートの恣意的な操作の影響も無視できません。
 以上から、製品価格からエネルギー・コストの比較を行う場合には、同一国の製品について主要な原・燃料価格の安定している時期のデータを使うべきです。紹介されている格安太陽光発電装置は、おそらく輸入品ではないかと推測されます。このところ円の為替レートは実力以上に強くなっていますので、特に輸入品価格は割安になるためエネルギー・コストの比較には不適切です。


【意見3】
 現在の太陽光発電パネルの性能は0.6平方メートル当たり90W=150W/m2程度であり、将来的には更に倍になる可能性がある。

【回答3】
 私のホームページや著書において、太陽光発電の実績として100kWh/(年m2)、つまり1平方メートルの太陽光発電パネルの年間発電量が100kWh程度という数値を使っています。定格出力1kWが10平方メートル程度とすれば年間1000kWhの発電が行えるということです。
 最近の記事、HP管理者からNo.704に最近の標準的なモジュールの実績を検討していますが、私の主張を大きく変更しなければならないような変化はないと考えています。

 HP管理者からNo.395において理論的上限値は、Wp(ワット・ピーク)の算定基準である標準状態の受光放射強度である1000W/m2の場合についての現実の温度状態における最大発電量の上限値を求めたものです。1000W/m2はほぼ真夏の南中時の値です。太陽高度が低くなれば、勿論、放射強度も低下し、パネル温度も低下します。


出典:別荘で太陽光発電を(http://fuji-dreamhouse.seesaa.net/archives/201007-1.html)
【システム】SHARP SUNVISTA 4.0kW (25枚構成)
※ 赤線が受光日射強度(kW/m2)のようです(右目盛)。発電出力(緑)とパネル温度(青)について、左目盛の説明なし。

 太陽光発電パネルの快晴日の発電出力の時間変化は太陽高度が高いほど出力が大きくなっています。つまり、太陽高度が低くなって表面温度が低くなって変換効率が多少上昇しても、放射強度自体も小さくなるため、トータルでは太陽高度が最も高い時=パネル表面温度が最も高い時に最大の発電能力になっているということです。
 放射強度1000W/m2の場合に於いて、50cm×120cm=0.6m2で90Wの出力であれば、90÷0.6=150W/m2ですから、発電(変換)効率15%ということです。HP管理者からNo.395において理論的上限は16%(65℃)〜20.3%(60℃)と述べていますので、まずは妥当な数値です。逆に、私の主張からはどんなに技術が進歩しても『0.6m2当たり180W発電する(変換効率=30%)ように』なることは熱学的にありえないことを主張しているのです。


【意見4】
 将来、太陽光発電電力価格は4.7円/kWh〜8円/kWhという火力発電以下になる可能性がある。
 現在の石油や天然ガス価格は高騰し、火力発電の熱効率を50%とすると、石油火力は13円/kWh、天然ガス火力は8円/kWhになっている。

【回答4】
 これも実現してもいない無意味な前提条件の計算です。特にコメントの必要はありません。

 蛇足ですが、前述のとおり近年の石油や天然ガス価格は経済的な思惑などで乱高下しているので瞬時値で判断するのはどうかと思います。
 参考のために示しておくと、2011年5月の日本のLNG価格は約250USドル/1000m3程度です。1USドル=80円とすると、

(250×80円)÷(11.9×103kWh)=1.68円/kWh
(ここに、11.9×103kWhはLNG1000m3の発熱量です。)

程度です。LNG火力発電の熱効率を50%とした場合のLNG火力発電電力の燃料費は次の通りです。

1.68円/kWh÷0.5=3.36円/kWh


【回答5】総括
 回答1〜4で示したとおり、私の主張は何ら変更の必要はなく、太陽光発電のような資源とエネルギーを浪費する発電システムを大規模に導入するなど全く非科学的な選択だと考えます。
 原発が極めて危険で発電装置としても無意味なのは当然であり、同様に自然エネルギーもまた無意味だというのが私の主張です。
 太陽光発電装置は工業製品であり、工業生産の基本的要素であるエネルギー価格が高騰すれば太陽光発電装置価格も連動して高騰します。スペインでは太陽光発電装置を政策的に導入して、太陽光発電装置メーカーを輸出産業として育成しようとしました。ところが自然エネルギー発電を導入すれば電力価格が高騰し、したがって生産プロセスで大量の電力を消費するためスペイン製の太陽光発電装置は高価になり価格競争に敗れ、輸出するどころかスペイン国内の太陽光発電パネル需要までが、安い電力を調達できる海外の安い太陽光発電パネルメーカーに食われることになりました。
 生物が太陽光をそのまま利用することと、工業製品で捕捉して利用する太陽光発電は全く異なるものであり、比較の対象になりません。石炭・石油・天然ガスなどの優秀なエネルギー資源が掘り出されなくなった段階で工業生産は不可能になり、工業製品である太陽光発電も利用できなくなっるというのが理論的な帰結です(これを否定するためには、太陽光発電装置からの電力だけで同等の太陽光発電装置を再生産した上でさらに余剰のエネルギーを供給できることを示さなくてはなりません。)。


 

No.719(2012/02/10)地震研究者よ、守銭奴=気象研究者の轍を踏む事なかれ!

 この国の政策は、国民の恐怖心を煽ることによって、冷静な判断能力を伴わないある種の熱狂、狂気によって駆動されているように見えます。日本は資源小国であり原子力発電がなければ停電してしまうだとか、前世紀の気温上昇の主因は人為的な化石燃料の燃焼に伴う付加的なCO2放出による大気の温室効果の増大によるものであり、CO2放出量を減らさなければ気温上昇によって人類に壊滅的な悪影響をおよぼすことになるから原発や自然エネルギー発電が必要である、などなど・・・。
 これらの主張はことごとく非科学的で根拠薄弱な主張に過ぎませんでしたが、権力や企業は御用学者を動員して国民の恐怖心をたくみに煽ることによって冷静な思考を停止させることに成功し、まんまと大金を儲けて売り抜けようとしています(東電は失敗したようですが・・・。)。
 御用学者は権力や企業に擦り寄ることによって潤沢な研究費を引き出すことに成功しました。気象研究者は気象学会ぐるみで未だに人為的CO2地球温暖化脅威説を錦の御旗に、原発がこけたら次は“再生可能エネルギー”とタッグを組んで研究費をクスネ取ろうと画策しています。付け加えれば、利に聡いソフトバンクの孫正義のような企業経営者や飯田哲也のような詐欺師まがいの似非専門家が跳梁し始めています。
 冷静に現実を見てください、日本のみならず欧州でも異常寒波で激甚な災害が起こっているというのに温暖化対策が焦眉の世界的政治課題だなどとは正に狂気であり、喜劇を通り越して悲劇的ですらあります。

 このような恐喝的手法を用いてきたもう一つの分野として地震防災研究があります。たしかに日本は世界有数の地震頻発国であり、地震防災は大きな課題の一つです。戦後の日本において、地震研究者らは資金を投入すれば巨大地震の発生を予測して、これを防災対策に生かせるという触れ込みで、莫大な国家予算を食いつぶしてきましたが、半世紀に及ぶ研究の結果、防災対策としての地震予知はできないことが明らかになり、これを糊塗するために形ばかりの緊急地震速報を出すことにしました(緊急地震速報は地震予知ではなく、単に地震が発生したことを速報するものです。)。私のかつての同僚たちにも地震研究に携わる者がおり、そうした専門家の間では防災に役立つようなレベルの地震予知が不可能なことは常識でした。
 残念ながら、3.11東北地方太平洋沖地震においてもその前兆を明確に指摘することすら出来なかった事実が、地震予知研究は完全に失敗に終わったことを証明したのです。

 3.11東北地方太平洋沖地震発生以後、日本周辺のプレートのバランスが変化していることは確かなように思います。もちろん地道な地震研究は基礎研究として継続すべきものだと考えますが、徒らに巨大地震で国民の恐怖心を煽っている状況に、気象研究者と同じ過ちを犯す危険性を感じています。地震防災は容易に巨大土木事業に結びつく可能性があります。経済産業省や土建業界は地震防災特需を狙って地震研究者たちを使って世論を煽動しつつあるように感じます。
 防災施設はある程度は必要ですが、人のライフサイクルを超えるような時間スパンで再帰するような巨大な自然災害に対する絶対的な安全性を保証する防災施設を構築することは、どんなに莫大な費用を投入しようと技術的に不可能なのです。防災施設の建設は有限の国の財政規模に鑑み、適切な費用対効果を徹底的に検討すべきものです。これを無視した短期的な経済活性化のために行われてきた、必然性の低い内需拡大の“ためにする土木事業”が現在の国家財政の破綻寸前の状況を引き起こした経験に学ばなければなりません。
 地震研究者が潤沢な研究予算に目が眩んで、温暖化において気象研究者が演じたような醜悪な姿にならないことを衷心より祈っています。

追記(2012年2月16日):東大地震研のドタバタ劇
 先月、東京大学地震研究所の研究で、“東日本太平洋沖地震以後の地震観測結果から、『首都圏直下においてM7以上の地震が4年以内に起こる確率が70%』である事がわかった”という報道が一斉に行われました。この報道はいろんな方面で物議を醸しましたが、東大地震研は2月になって50%以下に訂正しました。なんというドタバタでしょうか(笑)。
 まずこの種の報道においていつも感じることですが、本質的に予測科学は、名称とは裏腹にほとんど科学性のないものであることにいい加減に気づくべきです。
 今回報道された内容は、過去の地震データを整理して得られた純粋統計的な関係式であるグーテンベルグ・リヒターの関係式によって単純に計算した結果に過ぎないのです。

log n = a - bM,ここに、n:地震観測データ数,aおよびb:定数,M:マグニチュード

報道された結果の違いはこの関係式に用いた観測データの観測期間の違いに過ぎないようです。このような単純な関係式によって、地震という極めて複雑な物理現象を、しかも首都圏直下のという但し書き付きの特定の地震についてのまともな予測ができるなどと考えるほうがどうかしています。
 せめてこれを報道するならば、“東大地震研が、昨年3月11日から9月10日に首都圏で約350回発生したM3以上の地震の観測結果をグーテンベルグ・リヒターの関係式に当てはめたところ、首都圏直下においてM7以上の地震が4年以内に起こる確率が70%という結果を得た。”とでもすべきところです。
 では、一方的に報道機関の無能だけがこの混乱の原因なのでしょうか?そんなことはありません。東北地方太平洋沖地震以後の極めて特殊な不安定状態にある現在の首都圏の限られた期間の地震観測結果をグーテンベルグ・リヒターの関係式に用いれば、近い将来に巨大地震が高い確率で発生するという結果が得られることは当然すぎることです。それを承知でこのような無意味な計算結果を報道にリークした東大地震研の研究者の中には、首都直下型地震の危険性を煽り、研究費を引き出す意図があったことは否めないでしょう。
 グーテンベルグ・リヒターの関係式は過去に蓄積された膨大な地震観測データを統計的に処理する(=現象的な発生機構を捨象する)ことによって得られた関係式であって、巨大地震直後の言わば異常状態のデータに対する関係式ではありません。ですから、東大地震研の計算そのものがグーテンベルグ・リヒターの関係式の不適切な使用であり、本来、無意味なのです。その結果、利用する地震観測データの観測期間を12月31日までに広げて再計算しただけで全く異なる結果になってしまったのです。つまり、70%であろうが50%であろうが無意味な結果であるというのが科学的な評価です。

No.718(2012/02/07)震災復興予算を食物にする海洋発電

 今朝のNHKの朝のニュース番組で、岩手県で震災復興予算をターゲットにした海洋発電研究の拠点を作るというプロジェクトが進んでいることが報告されました。既に宮城県などでは太陽光・風力発電を用いるスマートシティー構想によって復興予算を重電・重工・情報通信・土木関連企業が食物にしようとしています。
 放送では、英国の先発プロジェクトが紹介され、海洋発電研究拠点を作ることで、関連企業の研究開発コストが削減され、関連企業の関係者の流入による経済効果が紹介されていました。
 結局のところこの経済構造は原発の誘致と全く同じことです。復興予算という税金の大盤振る舞いで研究施設を作って企業の負担を減らし、外部からの人の流入による経済効果で地元が潤う・・・。元々地元にあった社会経済システムを育成するのではなく、木に竹を接ぐようないびつな経済政策なのです。
 放送では横浜国大の中原裕幸教授(統合的海洋教育・研究センター特任教員/「海洋産業の活動状況等に関する調査委員会」2008/11〜2009/03、委員、内閣官房総合海洋政策本部事務局)が登場し、岩手県沿岸が如何に海洋発電資源に恵まれているかを紹介していました。既に何度かこのコーナーでも触れましたが、この種の海洋発電技術については既に1980年代に日本でも検討が行われ、いずれも使い物にならないという結論が出た問題です。
 第一に、海洋エネルギー(温度差は除く。温度差発電は低効率過ぎるために無意味。)は非定常・不規則変動が付き物であり、安定エネルギー供給には全く不向きです。
 第二に、海洋という苛酷な環境では機械装置の劣化が極めて激しく、耐用年数が必然的に短くなる、あるいは維持コストが膨大なものになるのです。
 既にこのHPでは何度も言及していることですが、工業的エネルギー供給技術においてコストが高いということは即ちエネルギー・資源利用効率が低いことの反映であり、エネルギー供給技術として致命的に劣っていることを示しているのです。
 海洋発電が技術的に発電できることは当たり前であり、この種の技術開発の問題はフィージビリティー・スタディー(費用対効果などの検討による事業としての実行可能性の検討=Feasibility Study.)そのものであり、そこに巨額な費用が必要ということは、すなわち無意味な技術ということの表れなのです。
 1980年代に比べて、現在はこの種の技術に革新的なブレーク・スルーが起こったのかといえば、そんなことは全く無いのです。1980年代に比べて、国の政策立案者の技術的評価能力が低下し、無意味な技術開発計画に対しても温暖化対策や再生可能エネルギーという修飾語さえついていれば、更に震災復興のためなどと言われると、技術的な内容の評価もなしに、大盤振る舞いで予算措置を安易に行うようになったからにほかなりません。
 この種の報道を聞くたびに、技術屋あるいは工学研究者の倫理的な堕落に落胆するばかりです。

最後にこの件の新聞報道(河北新報)を紹介しておきます。


岩手県、海洋エネ拠点構想 北部で風力、中南部は波力

 岩手県が、東日本大震災で被災した沿岸地域で、洋上風力や波力など海洋エネルギーの国際的な実験フィールドの整備構想を進めている。英国の実証試験場「ヨーロッパ海洋エネルギーセンター」(EMEC)を見本に、「日本版EMEC」を実現し、新産業創出や企業集積で復興を目指す。

◎英の実証試験場モデル

 海洋エネルギーの実証試験場の誘致は、県が復興計画で掲げたプロジェクトの一つ。県沿岸部のうち、遠浅の北部で着床式の洋上風力発電、リアス式海岸の中南部では波力や潮力発電の利用を想定する。
 モデルとするのは、海洋エネルギー利用先進地の欧州の中でも、実証実験の拠点化が進む英国のEMECだ。
 2004年、英国政府の出資などで設置されたEMECは、スコットランドのオークニー諸島に潮力や波力を利用した発電機と、その関連施設群を整備。発電事業の商業展開を目指す各国の企業、開発者たちが活用し、関連企業の集積、雇用増といった経済効果が出ているという。
 県は、実証試験場の設置に向け、漁業権や港湾関係の規制といった制度上の課題を検討するよう国に提案。県は2月に発足する復興庁の12年度予算で、約1億円の復興調整費を要望しており、県沿岸部で可能な発電量や採算性などを検証する。
 県科学・ものづくり振興課の佐々木淳総括課長は「東北の復興を象徴するリーディングプロジェクトとして、国主導で進めてほしい」と話す。
 こうした動きに対し、国は内閣官房総合海洋政策本部に、各省の担当者を集めた海洋エネルギーの検討委員会を設置。導入までの課題の洗い出しをしている。
 同本部の神門正雄内閣参事官は「政府を挙げて海洋エネルギーの導入を進める。そのためには実験場が不可欠であり、岩手を含め立地場所を検討する」と強調する。国内適地の選定に向け、12年度に各地の調査事業に着手するという。

2012年02月06日月曜日


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