先に紹介しました福島原発事故の学習会の動画が本日から閲覧できなくなってしまいました。その代り、槌田さんから学習会の折に配布された資料をお送りいただきましたので公開いたします。
尚、資料の末尾に原子力安全・保安院長への槌田さんの手紙を付け加えております。
スリーマイル島酷似事故からチェルノブイリ酷似事故へ
福島原発・同時多発事故の展開
2011年3月18日 核開発に反対する会 槌田敦
テレビ報道では環境の放射線レベルが急性の放射線障害が現れるレベルより小さいことをもって安全なので心配ないと主張している。とんでもない話である。これは、言うなれば外部から一時的に高い放射線の照射を受けるような環境で労働する人などに対する危険度の評価である。
例えば、原子力発電所の稼動中に原子炉周辺で作業をする人、使用済み核燃料の再処理工場で働く人、レントゲン撮影技師、・・・そして現在事故を起こした福島第一原発において献身的な復旧作業を行っている人達に対する安全基準である。
こうした環境で受ける高い放射線は勿論大変危険であることは事実だが、その環境が高い放射線が存在し、その危険性を事前に十分把握された状況で考え得る最大の防御を行い、あくまでも外部から人体に照射される放射線を受ける場合なのである。
こうした人体の外側に放射線の線源=放射性物質があり、そこから放射される放射線によって人体が受ける放射線による影響を『外部被曝』と呼ぶ。
外部被曝の場合、一般的に放射線強度は線源からの距離の2乗に反比例して減衰する。それ故、原発事故の場合、単に原子炉という線源から放射される放射線だけであるならば、放射線強度は急速に減衰するため、線源の放射線強度が分かれば必要な距離を確保しさえすればそれ以上の退避の必要はない。
しかし、ことはそれほど単純ではない。
まず放射能という言葉をよく理解しておかなければならない。放射能の本来的な意味とは放射線を射出する能力を指す。つまり放射能を持つ物質が放射性物質なのである。マスコミ報道などでは無形の能力を示す放射能という言葉を放射性物質と同義で用いているが、ここでは放射性物質と呼ぶことにする。
福島第一原発周辺の時間当たりの放射線量の分布を見ると、必ずしも観測点の原発からの距離にしたがって(厳密には距離の2乗に反比例して)減少しているわけではないことが分かる。原子力発電所の事故によって問題になるのは、通常運転ならば格納容器の内側に封じ込められているはずの放射性物質が環境中に拡散することである。つまり、放射線の線源が周辺環境に撒き散らされてしまうのである。
今回の福島第一原発の事故では数回にわたる水素爆発と考えられる爆発的な現象が発生し、炉心あるいは使用済み核燃料プールの使用済み核燃料からの放射性物質が大気中に吹き上げられた。高空に吹き上げられた放射性物質は大気中に漂い、気象条件つまり風向や風の強さ上昇気流・下降気流の有無などの条件によって周辺大気に不均一に拡散し、やがて地表に降下して表土を汚染することになった。
つまり、現在各地で観測されている放射線量は、福島第一原発の事故現場からの放射線ではなく、観測地点の地表付近(大気や地表面)に存在する放射性物質から放射された時間当たりの放射線量なのである。一つの放射性原子から放出される放射線量は等しいと考えられるので観測点における放射線量は放射性物質の濃度に比例すると考えられる。
既に述べたように放射線量は線源となる放射性物質からの距離の2乗に反比例して減衰する。また、環境から放射線を受ける外部被曝の場合、適切に遮蔽すればある程度危険を避けることが出来る。
No.544で紹介したように、放射性物質の崩壊にはアルファ崩壊、ベータ崩壊、ガンマ崩壊の3種類があり、それぞれα線(中性子・陽子それぞれ2個で構成されるヘリウム原子核)、β線(電子線)、γ線(電磁波)を放出する。質量のない電磁波であるγ線の透過力が最も強く、質量が大きくなるにしたがって透過力は小さくなる(中性子は最も透過力が強いがこれは核分裂反応において放出されるものであり、放射性物質の原子核崩壊では発生しない。もし中性子線が環境で観測されたのであれば、原子炉本体が何らかの損傷を受けていると考えられる。)。
外部被曝に対して、呼吸器や経口、あるいは外傷などを経由して、環境中から体内に放射性物質を取り込む場合がある。体内に取り込まれた放射性物質からの放射線が距離ゼロで細胞をたたくことを内部被曝という。外部被曝と異なり、一旦体内に取り込まれた放射性物質が体外に排出されない限り、そこから放射される放射線を遮蔽する手立てはない。
原子炉事故あるいは劣化ウラン弾による環境汚染あるいは低線量被曝による晩発性の放射線障害と考えられる癌などの発生の多くが内部被曝によるものと考えられる。ただ、疫学的に内部被曝による死亡を証明することは非常に難しい。しかし、チェルノブイリにしろ、アフガニスタンにしろ、急性放射線障害による影響が考えられないような放射線レベルであっても小児癌などが激増していることは事実である。
註)劣化ウラン弾
原子炉ウラン燃料を作る過程で残る分裂性ウランU235の含有率が天然ウランよりも低いウランのことを『劣化ウラン』と呼ぶ。劣化ウランの中にも核分裂性のU235が0.2%程度残留する。劣化ウラン弾はこの劣化ウランを主体とする合金で作られた砲弾であり、通常の砲弾に比較して比重が大きく貫通力が高い。米軍の湾岸戦争・対テロ戦争などで多用され、周辺で奇形児やガンの発症が報告されている。
(出典:『よくわかる原子力』原子力教育を考える会)
さて、福島第一原発事故による時間当たりの放射線量の測定値の上昇に対して政府・東電、そしてNHKを初めとするTVに登場する御用学者たちは放射線量は上昇しているが、“直ちに”健康被害が出るようなレベルではなく問題ないと繰り返している。しかし、時間当たりの放射線量の増加が観測される地域まで、福島第一原発からの放射性物質が到達していることを示していることが重要なのである。
19日に東北・関東の1都5県の水道水から原子炉の核分裂生成物であるセシウムとヨウ素が検出されたことは、福島第一原発起源の放射性物質は既に東北から関東一円にまで拡散していることを示しているのである。
原発事故で放出される主要な放射性物質とその半減期、蓄積される部位などを次の表に示す。
主な放射性核種 | 半減期 | 生物学的 半減期 |
実効 半減期 |
蓄積部位 | 主な放射線 |
ストロンチウム Sr90 | 29年 | 骨 | β線 | ||
ヨウ素 I131 | 8日 | 180日 | 7.7日 | 甲状腺 | β線 |
セシウム Cs137 | 30年 | 70日 | 70日 | 全身(筋肉・生殖器) | β線 |
プルトニウム Pu239 | 24100年 | 肺など | α線 |
1/(実効半減期)=1/(半減期)+1/(生物学的半減期)
大気中や表土に拡散した放射性物質は、生態濃縮、例えば放射性物質を吸収あるいは付着した農産物を摂取することによって、体内の特定部位に選択的に蓄積される。これによって特定部位が集中的に被曝することで遺伝子異常を引き起こし癌などを発病させる。例えばヨウ素は甲状腺に集まり、甲状腺がんの原因になると考えられる。
また、福島県の牛乳に含まれる放射性物質が食物の暫定基準値を大幅に上回ったのも乳牛による生態濃縮によるものと考えられる。
大分合同新聞(2011/03/20朝刊)
現状ではまだ福島第一原発の事故がどのように収束するかは見通しが立たないが、いずれにしろ今後数10年単位の時間が必要となる事故処理、環境汚染の除去を考えるとき、その危険度を評価する場合において、単に環境放射線量だけを問題にするのではなく、放射性物質の拡散による地表面環境の汚染状況を的確に把握することが重要である。
ネット上に学習会の動画がありますので、ご覧ください。
http://www.ustream.tv/recorded/13394149
※上記の動画ファイルは21日から閲覧できなくなりました。その代り学習会の資料を槌田さんから提供されましたので公開いたしますのでご覧ください。
槌田さんの講演から、福島第一原発事故についてのこれまでの私の記述について異なる部分を以下に要約しておきます。
1.海水注入は好ましくない
これまでこのHPでは、緊急時において海水注入を肯定的に捉えてきました。しかし槌田さんの講演によると、加熱した状態の燃料棒に海水を注入すると、水分は蒸発して燃料棒表面に塩を析出するため、好ましくないことを述べられています。
冷却用の真水がなくなった場合の緊急避難的な炉心冷却材として海水注入は勿論考慮されてしかるべきですが、長期間の海水注入は塩の析出による炉心冷却効率の低下を含め、その後の冷却措置に支障をきたす可能性があるのは確かです。可及的速やかに真水を調達することが必要でしょう。
2.炉心で核爆発は起きない
槌田さんは、冷却プール、原子炉とも再臨界になり核暴走が起こっても、核爆発になる可能性はないと述べられています。
その理由は、核分裂が停止した核燃料の中で起こる原子核崩壊に伴う崩壊熱はかなりの長期間継続しますが、核分裂終了直後で核分裂反応熱の7%程度、1日経過すると0.7%程度と急速に小さくなります。その結果、融点が2800℃と高温である燃料ペレットを溶融させるためには原子炉停止直後の10時間程度が目安であり、それ以降であれば発熱は続くものの、炉心溶融が進むことは考えられないからです。
ただし、高温の燃料被覆管への水の供給によって被覆管の損傷が進めば、燃料ペレットが固体のまま崩壊(崩落)して圧力容器ないし冷却プールの底に溜まって、再臨界に到達する可能性があります。
左図が沸騰水型軽水炉の燃料集合体であり、右図が加圧水型軽水炉の燃料集合体
この場合は、溶融した核燃料のように一気に核分裂反応が進行する爆発的な現象は起こらず、正に原子炉のようなゆっくりとした核分裂反応が進むことになります。しかし、次第に発熱反応が進行することで再び温度が上昇することで燃料が溶融し、圧力容器や格納容器、あるいは冷却プールを突き破る可能性が生じます。
3.冷却プールの冷却には鉛の利用を
過熱し劣化した燃料棒に冷水をかけて急冷することは燃料棒を更に損傷してばらばらにして放射性物質を更に環境中に飛散させる可能性が高いとしています。チェルノブイリ原発で用いた鉛による封じ込めと液体窒素による冷却を推奨されています。
既に、No.537で触れたとおり、やはり菅直人−東電は事故を過小評価し、何とか公表する前に事故処理しようと画策し、初動が決定的に遅れたことが事実として報道されました。以下、読売ONLINEの記事をそのまま転載しておきます。このような自らの無能に気付かぬ愚かなリーダーを戴く日本国民は悲劇です。この人命を軽視し、原子炉を守るという判断を行った問題は徹底的に究明しなければなりません。
政府筋「東電が米支援は不要と」…判断遅れ批判
. 東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故で、米政府が申し出た技術的な支援を日本政府が断った理由について、政府筋は18日、「当初は東電が『自分のところで出来る』と言っていた」と述べ、東電側が諸外国の協力は不要と判断していたことを明らかにした。
政府関係者によると、米政府は11日の東日本巨大地震発生直後、米軍のヘリを提供することなどを申し入れたという。政府は、各国からの支援申し出は被災地での具体的な支援内容を調整したうえで受け入れており、「(断ったのではなく)いったん留め置いた」と釈明する声も出ている。
枝野官房長官は18日午前の記者会見で「政府、首相官邸としてそうした事実は全く認識していない」と否定する一方、米政府からの原子炉冷却材提供の申し入れなどについて「詳細は把握していない。確認してみたい」と述べ、事実関係を調査する考えを示した。
政府・与党内では、政府の初動対応について、「米側は早々に原子炉の廃炉はやむを得ないと判断し、日本に支援を申し入れたのだろう。最終的には廃炉覚悟で海水を注入したのに、菅首相が米国の支援を受け入れる決断をしなかったために対応が数日遅れた」(民主党幹部)と批判する声が出ている。
高木文部科学相は18日午前の閣議後の記者会見で「事実関係は把握していない。しかし、姿勢としてはあらゆることを受け入れるのは当然だ。内外の声をしっかり聞くことは非常に重要だ」と語った。
一方、自衛隊が17日午前に行った大型輸送ヘリによる海水投下の背景には、米側の強い要請があったことも新たに分かった。
日米関係筋によると、自衛隊の大型輸送ヘリによる海水投下に先立ち、今回の事故を「最大級の危機」ととらえる米側は、「まず日本側がやるべきことをやるべきだ」などとして、再三にわたり日本側の行動を強く要請していた。17日午前に予定されていた菅首相とオバマ米大統領の電話会談でも、大統領からの要請があると予想されたため、首相は防衛省・自衛隊に会談前の海水投下実施を求めたという。
日本政府への懸念や不満は、米国以外からも出ている。
今回の事故に関する情報収集や日本政府との意思疎通のため、急きょ来日した国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は、「(日本政府は)情報伝達を質量ともに改善して欲しい。改善の余地はある」と述べており、18日午後に行われる松本外相との会談などでも、こうした問題が取り上げられる可能性がある。
(2011年3月18日15時11分 読売新聞)
この所、一体どこまで退避するのが妥当なのかという質問が多く寄せられています。基本的に今は事故発生の初期段階の急性期ですから、原子炉を取り巻く状況は時々刻々と目まぐるしく変化しています。危機管理の基本は現状で考え得る最悪のケースに対しての安全を確保することです。当然結果的に、『そんなに大げさに退避しなくても良かった』という結果になることもありますが、それは喜ぶべきことなのです。もし退避せずに最悪の状況を迎えた場合の甚大な損失に比較すれば、そんなことは何でもないことなのです。
さて、現状で考え得る最悪のケースとは、原子炉に装荷された核燃料のメルトダウン〜再臨界による核分裂の暴走=核爆発です。その場合、放射性物質がどのような範囲に拡散するかは爆発規模や気象条件によって大きく変わる可能性がありますから、状況が許すならば出来る限り遠くに避難することが望まれます。
昨日米国は日本在住の米国人に対して福島第一原発から半径80km圏内からの退避を勧めているのは、勿論核爆発を想定してのことでしょう。フランスが、国外脱出のためにエールフランスの航空機3機を準備して国外退避を行おうとしているのも同様の判断であることは明らかです。
現在、NHKや民放のTVに登場する御用学者は政府から指示されているためか(?)事故を出来るだけ軽微なものに見せようという意図がありありと見え、また質問を行うアナウンサーや司会者の無能と相俟って正確な情報が得られません。ここで、現在起きていることの基礎的な知識をまとめておくことにします。
1.核分裂反応
原子力発電の燃料の中で起こる主要な反応が核分裂です。通常軽水炉の燃料は核分裂性のウランであるU235が5%程度、残りが非核分裂性のウランであるU238です。U235に中性子が衝突し、U235の原子核が二つ以上の原子核(核分裂生成物)に分裂し、同時に中性子と熱エネルギーが放出されます。このように、一つの原子が二つ以上の核分裂生成物に分裂する核変化を『核分裂』と言います。
原子力発電は核分裂反応で生じる熱によって高圧水蒸気を作り、これを蒸気タービンを介して発電機を駆動する発電方式です。
U235をある量以上集めると、核分裂反応によって生じた中性子が別のU235に衝突して、核分裂反応が連鎖的に継続するようになります。その状態を『臨界』と呼びます。U235の臨界量は50kg程度です。
福島第一原発1〜3号炉は地震直後に制御棒が挿入され、U235の核分裂反応は正常に停止しました。ではなぜ原子炉内が過熱しているのでしょうか?
2.原子核崩壊
核分裂反応が、一つの原子が複数の核分裂生成物に分裂するのに対して、一つの原子が各種の放射線を放射しながら一つの別の原子に変わっていくことが『原子核崩壊』です。この原子核崩壊が起こるときに各種の放射線に付随してエネルギーが放出されます。
原子炉でU235が核分裂すると、核分裂生成物として『放射性核種』と呼ばれる不安定な原子が作られ、これが原子核崩壊することによってエネルギーを出し続けるのです。原子炉において核分裂反応が停止しても、核分裂反応の結果生成された核分裂生成物の原子核崩壊はずっと続くのです。
今、福島第一原発で起こっている事故は、全てこの原子核崩壊による熱を取り除くことが失敗した結果です。ただ、原子炉内に装荷された核燃料で起こっている事象と、使用済み核燃料冷却プール内で起こっている現象は少し状況が異なります。それぞれについて現状と、考え得る最悪の事故について以下に検討します。
3.使用済み核燃料
使用済み核燃料は、放射性のU235が核分裂した原子核崩壊をする放射性の核分裂生成物や、非分裂性のU238が中性子を吸収することによって生成するプルトニウムPu239などが含まれています。
3,4号炉の冷却プールで起こっている問題は、原子核崩壊熱を除熱するための水が減少して、使用済み核燃料が大気中にさらされ、加熱したジルカロイの被覆管が高温の水蒸気と反応して水素を発生すると同時に、被覆管の酸化が進み劣化していることです。
建屋に充満した水素に何らかの原因で着火し水素爆発を起こしましたが、これによって被覆管が破損し、管内の放射性物質やプルトニウムが露出し、一部放出された可能性があります。
今後の展開としては、冷却が失敗して更に被覆管の損傷が進み、放射性物質が更に環境中に放出される可能性があります。クリプトンなどの放射性気体や揮発性の放射性ヨウ素などは爆発的な事象が起こらなくても大気中に放出されることになるでしょう。
固体の放射性物質やプルトニウムが水素爆発で散乱する可能性もありますが、幸い、3,4号炉は既に建屋が吹き飛んでいますから、大規模な水素爆発は考えにくいと思われます。
ただ、非常に確率的には低いと思いますが、燃料が著しく加熱してメルトダウン、核暴走・核爆発の可能性もゼロではないと考えられます。註)
註)
No.546に紹介した槌田氏の見解では、発熱量がそれほど大きくないので燃料のメルトダウンの可能性はないが、空気中に露出した高温の被覆管を放水によって急冷する事で破損し、燃料ペレットがプールの底に崩落した場合、再臨界に達する可能性が考えられるとしています。(2011/03/20追記)
4.炉心溶融
緑色で示すのが圧力容器
1〜3号炉は制御棒の挿入に成功し、核分裂反応の停止には成功しました。しかし、その後の放射性核種の原子崩壊熱の除去に失敗した結果、炉内水位が下がり、加熱したジルカロイの燃料被覆管が数十%破壊されていると推測されており、危機的な状態が続いています。
今後、圧力容器内で水素爆発が起こる可能性はあまり大きくないかもしれませんが、損傷した格納容器内において水素爆発が起こる可能性は否定できません。この際、爆発の規模にもよりますが、圧力容器の弱点部分が損傷する可能性、圧力容器からの放射性物質の漏洩が考えられます。
しかし、最も憂慮されるのは、既にかなり損傷している燃料棒が更に過熱し、ジルカロイの被覆管だけでなくその内側の燃料ペレットまでが大規模に溶融することです。これが大規模に溶融して圧力容器の底にたまり、加熱した燃料によって圧力容器が損傷すると同時に、集まった燃料に含まれるU235などが再び臨界に達し、制御不能な核分裂反応→核爆発にいたるのが原子炉事故において最も恐ろしい事態です。
もし核爆発が起これば、圧力容器も含めて全てが吹き飛んでチェルノブイリ原発と同じような状況が起こることになるでしょう。現状ではその可能性を未だ否定できない状況です。註)
註)
No.546に紹介した槌田氏の見解では、原子炉停止後かなりの時間経過した現状では発熱量がそれほど大きくないので燃料のメルトダウンの可能性は無いとしています。しかし、冷却プールの場合と同様に損傷した被覆管から燃料ペレットが崩落して圧力容器の底に集積することで再臨界に達し、核分裂反応熱によって圧力容器や格納容器を破壊する可能性が否定できません。
(2011/03/20追記)
前述の通り、U235の臨界量は50kg程度ですが、炉心に装荷されている核燃料の総重量は100t以上です。軽水炉の通常のウラン燃料では、U235の濃度は5%程度ですから、仮に100tが装荷されているとすると含まれるU235の重量は5t程度ということになります。これは臨界量の100倍ということになります。これは広島型原爆の100倍程度の量に相当します。
前にも書きましたが、3号機はプルサーマル方式ですから、炉心の一部にMOX燃料を使用しています。MOXに含まれる核分裂物質であるプルトニウムPu239の臨界量は15kg程度、U235の1/3程度の重さで臨界に達することに注意してください。
5.どこまで退避すべきか
以上検討してきた内容をまとめると、現状で想定し得る最悪の事故は、1〜3号炉のいずれかが再臨界に達して核爆発を起こすケースです。
今のところ核爆発を起こさないことが確実に担保できる状況ではないので、危機管理という観点から考えれば、核爆発が起こったとして、その初期段階において安全を確保できるような場所まで避難することが、必要十分条件となるでしょう。
槌田氏の予測では核爆発の可能性は無いとしています。ただし、昨日の報道によりますと福島で牛乳、茨城でほうれん草から食物の放射性物質含有量の暫定基準の数倍の放射性ヨウ素やセシウムという核燃料起源の核分裂生成物が検出されています。また東京都でも水道水からセシウムなどが検出されていますので、福島第一原発起源の放射性物質でかなり広範囲の汚染が始まっていると考える必要があります。(2011/03/20追記)
テレ朝の番組に元東芝の原子炉格納容器設計に携わっていた技術屋さんが出ていた。大学の研究者や評論家とは違った真摯な受け答えに少しほっとした。
彼は、今日午前中の各地の放射線量のデータについて、アナウンサーは健康には問題ないレベルであると話をまとめようとしたところ、『私は放射線の専門家ではないが・・・』と断った上で、急性の放射線障害については問題ないと言うことであって、低放射線被曝の晩発的な障害に対して、被曝線量の閾値は存在しないということを指摘していました。
NHK・民放問わず、放射線量は低くて問題ない、政府の指示する避難体制は十分であると繰り返し述べています。しかしこれはあくまでも急性の即座に身体症状が発現するレベルではないということを言っているにすぎません。バックグラウンドの放射線レベルが上昇することは、生涯的に癌などの晩発性の放射線障害の発現確率は確実に上昇することになるのです。
いずれにしても今回の福島第一原発事故の対応はある程度長期間に及ぶことになるのは決定的ですから、急性的な影響だけでなく現在の状況が継続することを念頭に、勿論パニックになるようなことは望みませんが、条件が許すならば政府の避難体制など無視して、出来る限り遠くへ避難して下さい。特に妊産婦や幼い子供は出来る限り原発から離れることを考えていただきたいと思います。
昨日まで米国は、在留米人に日本政府の避難指示に従うように言っていましたが、本日は福島第一原発から80km以上はなれるように独自の勧告を行ったようです。
今回は、少し感傷的・感情的な内容になるかもしれません・・・。
今の福島第一原発は、中央制御室からの技術の粋を集めた制御システムは完全に破綻し、残された手段は原始的な手法でひたすら水をぶっ掛け、ホウ素をぶちまけるだけという状況になってしまいました。かつて企業技術屋であった者として、今の福島第一原発の状況を当事者としてみている者は、このボロボロに破損した原子炉建屋の惨状に対して断腸の思いであろうと推察します。ただ、その思いの内容は複雑だと思います。
また、現在この時点で事故を収束させようと比喩的な意味ではなく正に高度被曝による生命の危険のある中で命がけの作業を続ける末端の作業員、正に運悪く動員された消防署・警察・自衛隊員の献身的な働きに敬意を表したいと思います(ただし私は絶対平和主義者であり、武装集団としての自衛隊はまったく容認できません。この際この問題と今回の災害復旧は峻別して考えるべきことを明記しておきます)。
これに対して、政府、特に菅直人の無神経な発言、経済産業省(原子力安全・保安院)、東電幹部ないし広報の責任の擦り付け合い、事態を軽微なものに見せようとする欺瞞的な発言の醜悪さは見るに堪えません。
今回進行中の原発事故の直接的な第一の原因は、福島第一原子力発電所が今回の震災・津波災害に対して完全に構造設計、システム設計において失敗していたことです。
構造的には、耐震構造という意味では大きな問題はなかったものの、津波に対してまったく無力でした。システム的には、災害時のライフラインの喪失時の対応が不十分であったことです。
個別には、もう少し発電所を高所に作るべきであっただとか、燃料タンクを含む自家発電システムを強固なものにすべきであったなど、色々な言い訳はありますが、東電や国はこうした不安に対して絶対安全だと言い続けていたのですから、これは言い訳にしか過ぎません。仮にそのような強固な設計をしていたからといって今回の事故を防げたかというと、その保証はないし、今回以上の災害が起こることも考えられるのです。
つまり、今後とも災害時における原子力発電所設備を完全に保つことを保障することは出来ないのです。これはあらゆる構造物に対しても同じです。つまり、何らかの構造を持つシステムは最悪の場合、災害によって破損することを前提に、それを社会的に許容しうるかどうかが決定的な分岐点になるのです。
例えば、通常火力発電所であれば、勿論災害に対して強いことは求められますが、最悪破損してもタービンを停止し、燃料供給を断てば発電システムは確実に停止し、最悪火災を起こしたとしても例えば爆発の直接的な危険のある範囲外に退避し、鎮火を待てばよいのです。
しかし、原子力発電では爆発して原子炉内の核燃料を飛散させることは許されない、あるいはもし起これば国家・社会システムに致命的な影響を及ぼすことになるのです。原子力発電所の特殊性は、本質的に事故を許さない、起こしてはならない途方も無く危険なシステムであるということです。危機管理という側面から考えれば、このような危険なシステムは作らないことが大原則なのです。
ですから、本質的な意味における最大で最も根源的な問題点は、事故の発生を許さない、あるいは事故を起こした場合の被害が国家存亡に関わるような危険なシステムは作るべきではないという判断をしなかったことです。
そこで、この危険極まりない原子力発電という危険システムに対する反対運動を押さえ込むために捏造されたのが『原子力安全神話』であり、これが今回の初期段階における事故対応の失敗に大きく関与していると考えています。
まず、官邸の緊急災害対策本部の11日20時30分の報告文章の一部を示しておくことにします。
お分かりのように官邸は地震発生後1時間程度、15時42分には全交流電源喪失のため、ECCSが機能しないことを把握していました。ここに言う全交流電源喪失は、外部からの供給電力だけでなく、この時点で津波によってバックアップ用のディーゼル自家発電気システムをも喪失したことを示していると考えられます。
少なくとも東電と官邸は、この段階でその後の水位の低下から燃料棒の加熱そして破損という重大事故につながる状況であることを把握していたのです。しかし、この情報は一切報道されず、夜20時過ぎになってはじめて政府会見で枝野が報告することになったのです。
おそらく、原子力発電の推進を温暖化対策の中心的な政策とする菅民主党政権・経済産業省・東電は、原子力の安全神話を守るために、情報管制の元で内々に事故処理を行おうとしたのではないかと推測しています。
この失われた5時間あまりの事故に対する初動対応の失敗が、その後の事故の重大化に決定的に大きな影響を与えたものだと考えます。
その後の事故対応もまったく後手後手の対応が続き、状況は悪化の一途を辿っています。事故発生後の対応についての問題点を考えてみます。
まず原子炉操作についてですが、現場の操作員はおそらく東電の事故時の操作マニュアルに則って対応を行ったはずです。しかし、問題は操作マニュアルでは外部電源とディ−ゼル自家発電システムの両方を失った場合の対応などまったくの想定外であり、おそらく対応の術が無かったはずです。
このような状況にいかに原子炉を操作するかは、東電の原子力部門の技術者の判断に従うしかなかったはずであり、対応の失敗は現場操作員の責任ではないでしょう。この東電技術者の対応は完全に後手後手に回り、失敗し続けました。
まず一つの対応は、電源喪失への対応として電源車を投入することでした。しかし、どういう理由か説明されていませんが、電源車を投入したという情報はあったものの、それによってECCSなど給水システムが復活することは無かったようです。おそらく単に電源を喪失しただけでなくECCSなどの給水システム自身そしてその制御系等も破損していた可能性が高いと考えられます。この段階で、原子炉施設は完全に制御不能の状態に陥りました。後は何らかの外部の有りあわせの(原子炉専用ではないという意)機材で対応するしかなくなったのです。
電源やECCSなどの元々原子炉に付属した設備が利用不能になったとき、これに変わる高圧の給水装置を手配することは事実上不可能ですから、高温高圧の圧力容器にその状態を維持したまま給水を行う可能性はこの段階で失われたと考えます。炉心を冷却するためには速やかに圧力容器内の気圧を下げ、手配可能な外部の給水装置で圧力容器に水を注入することであったと考えられます。
ここでも原子力神話にこだわった結果、圧力容器内の放射性物質を含む水蒸気の排気の判断の遅れが更に状況を悪化させ、またおそらく原子炉の保全を安全に優先した結果、海水注入の判断の遅れが生じたものと考えます。
電源や事故対応設備を失った危機的な状況であるにもかかわらず、東電技術者の安全よりも企業損失を少なくしようという判断基準の誤りが結果的に事故を取り返しのつかないものにした大きな原因であろうと考えます。
また、この間の東電や原子力安全・保安院、政府の不明確な推測だらけの説明で分かるように、原子炉の操作以前に事故によって炉の状況を的確に把握するためのセンサーがまったく機能していないことが明らかになりました。また、事故によってあまりにも炉周辺の放射線量が高くなった結果、目視による確認もまったく出来ない状況となり、正に目隠ししたまま自動車の運転をしているような状態になっており、闇雲に水をかけ、幸運にかけるしかない状況にまでいたったのです。
更に、点検中の4号炉の使用済み燃料の冷却プールの冷却水の喪失の問題は、おそらく東電技術者・現場操作員はまったく想定外の出来事であったのであろうと考えられますが、原子力発電の専門家とすれば考慮すべき基本的な問題であり、これに気付かなかったなどというのは、彼らの無能をさらけ出しています。
挙げ始めれば問題はきりがありません。今回の事故で、改めて原子力発電という超危険システムは、人間の社会システムに内部化することは不可能であることが確認できたと思います。特に、通常操業時でさえ、末端の現場労働者に常に放射線被曝の危険を強い、まして事故時には総理大臣から直接死を覚悟しろなどとまで命じられて決死の覚悟を現場労働者に強要する発電システムなどあってはならないと考えます。
NHKや民放の皆さんには、流言蜚語と言われるかもしれませんが、プルトニウムの毒性についての基本情報を紹介しておきます。判断は読者諸賢にゆだねたいと思います。
まずその前に、福島第一原発3号機のMOX燃料についての数値を示しておきます。3号機は昨年9月にMOX燃料を装架し、10月から営業運転を開始しました。出力は78.4万kw、燃料は約94t/年となっており、実際に装架されている燃料はおそらく数年分であろうと考えられます。ここでは3年分と仮定しておきます。福島の詳細な情報は不明ですが、玄海原発では燃料全体の10%程度をMOXとしているようです。
U238などの通称『劣化ウラン』と、使用済み核燃料の再処理によって得たPu239とで作られるウラン・プルトニウム混合酸化物(Mixed
OXide)燃料、通称『MOX燃料』を軽水炉で使用することをプルサーマル(プルトニウムをサーマルリアクター【thermal
reactor】で使用する方式を表す日本における造語)方式と呼びます。MOXの概要は次の図の通りです。
福島第一原発3号機に装填されている核燃料に含まれるプルトニウム量を前述の仮定の下で推定すると次の通りです。
94t/年×3年×(4〜9%)×10%=1.128〜2.538t=1,128〜2,538kg
ではプルトニウムの毒性です。ここでは、呼吸器からプルトニウムの微細粉末を吸入した場合についての数値を示します。LD50で表される急性毒性による50%死亡確率のプルトニウム量は13mg/人です。仮に2,538kgのプルトニウムが全て飛散したとすると、これは
2,538×1,000g÷0.013g/人=1.952億人
が50%の確率で死亡する、つまり日本のほとんど全ての国民の致死量ということになります。
ここで示した値はあくまでも急性毒性による致死確率です。晩発性の放射線障害による発ガンは13mg/人よりもはるかに少ない量で発現することは言うまでもありません。
参考:『プルトニウムという放射能とその被曝の特徴』小出裕章(京大原子炉研究所)
註)その後ネット上で調べたところ、福島第一原発3号機の燃料配置図を見つけることが出来たので紹介する。
図の一つの四角が一つの燃料集合体を示す。燃料集合体は全部で548体あり、現在(第25サイクル)その内32体がMOXの燃料集合体である。予定では第26サイクルに更に32体のMOXを追加し、第27サイクルには更に80体を追加し、全部で144体の燃料集合体をMOXにする予定であった。MOX燃料集合体は、60本の燃料棒で構成され、その内44本がMOX燃料棒、16本はウラン燃料棒。
既に諸賢はお気づきだと思うが、現在進行中の原発事故報道において、強力な報道管制が行われている。菅民主党現政権・経済産業省・東電を初めとする電気事業者という政・官・民の意向を受け、その下請けたるNHK・民法・新聞など報道各社は、原発事故を出来るだけ軽微なものであるように見せかける印象操作を行っている。
まずよく分かるのが、TV報道におけるカッコつきの『専門家』の人選である。明らかに原子力推進サイドからの論者が圧倒的に多い。事故の初期段階ではそれなりにバランスをとる人選をしていた放送局もあったようだが、次第に排除されている。
その結果、日本の原発事故情報を正確に知りたい主要原発保有国は日本政府や東電の情報の信頼性を低いとして、直接自国の専門家チームの派遣を始めた。また、駐日外交官を引き上げさせる国もあるという。
もう一つこの一両日顕著になってきた報道の特徴は、原発事故に対する流言蜚語に惑わされず、政府や東電による『正確な』情報に従って落ち着いて行動せよというフレーズである。これこそ非常に危険な兆候である。
現状では、福島第一原発1〜3号炉は最悪のケースとしてメルトダウンから再臨界に達して核反応の暴走・爆発の危険性が存在する。特に3号炉についてはMOX燃料を使っているため、プルトニウムの放出が懸念される。4号炉は使用済み核燃料に含まれるプルトニウムを環境に放出する可能性がある。
本来危機管理というものは、現状で想定しうる最悪のシナリオに対して安全を確保する、たとえ結果的に取り越し苦労に終わっても良いので、最大限の対応をとるべきであり、現状の避難体制はあまりにも不十分だと考える。条件が許す範囲で出来るだけ遠くへの避難を行うべきである。
さすがにこうした報道姿勢に批判があったのか、今日のテレ朝の番組では京大の小出さんが電話ではありましたがコメントを行っていました。
福島第一原発は予断を許さない状況が続いています。今後の展開は心配ですが、これまでの事故経過から、系統的ではありませんが問題点を羅列しておきます。
■ハードウェアの問題
@根源的な問題
原発は放射性物質という有害物質を燃料とするため、たとえ通常操業時でも直接人間が装置に近づくことは難しい。事故の場合は更に放射線被爆の可能性が高く、条件が悪化する。
そこで高温高圧、しかも高濃度の放射線に被曝された圧力容器内の過酷な環境の状況をセンサーで監視することになるが、事故の状況によってセンサーは破壊され全く機能していない。これは何も今回の福島に限らず過去の重大原子炉事故では共通した問題である。
原子力の技術的問題は、あまりにも危険すぎて事故状況を再現して、これらのセンサー装置の改良実験を繰り返し行うことが不可能なことであり、本質的に技術改良を確認することが出来ないことである。また、ECCSをはじめとする安全装置についても同様である。
結局今回の事故は連続的な核分裂反応の終了後の燃料の冷却という唯一つの単純な操作を正常に行えないという事故である。事故が起こらない場合でさえ、発電を停止して炉を冷却して安定させるために長い時間がかかるという操作性の悪さが原子力発電の本質的な問題である。
A個別の問題
●災害による原子炉停止のバックアップ電源の喪失。(外部からの送電、自己発電装置)
●ECCS、給水冷却システムの不具合。
●格納容器・圧力容器の排気減圧システムの不備。
■ソフトウェアないし操作・事故対応の問題
@初期事故対応の決定的な遅延。既に報告した通り、今回の事故について官邸でさえ11日午後3時42分には全ての交流電源が喪失し冷却機能が喪失したことを承知していたにもかかわらず、おそらく事故を隠蔽し内々に処理しようとしたことによって、決定的に重要な初期段階での事故対応が遅れたものと思われる。
A事故リスク評価の失敗。ECCSが働かなくなった初期段階で、既にその後の展開、つまり
圧力容器内の水位低下→燃料棒の加熱→水素発生(爆発)→燃料溶融(→再臨界→核爆発)
は容易に想像される。安全を第一に確保することを考えれば、廃炉を覚悟で早期に格納容器・圧力容器内の減圧処置と海水の大量注入を行うべきであった。
おそらく原子炉の安全神話=放射能を環境中に出さないことにこだわりすぎた対応によって、現在の危機的な状況を招来した可能性が高い。
■マスコミ・報道の無能
これは皆さんご承知の通りです。御用学者・御用研究者ばかりを使った状況軽視の報道は呆れ果てた。放射線レベルについて、彼らが問題ないと言っているのはあくまでも急性の放射線障害の激甚な影響であって、放射線障害の晩発的な影響を無視しているようである。
福島第一原発は大変な状況になっています。今後どのように展開するか分かりませんが、取り急ぎ友人へのメール(2011年3月14日 15:29)に書いた私のこれまでの所見を備忘録として採録しておきます。
**** 様
早くも『CO2温暖化対策の切り札』=原発を擁護するような発言をする”専門家”や愚かなキャスターもいるようです。
勿論地震はかなり強かったにしろ想定内の地震であったこと、津波に対しての十分対策してきたと東電のHPでは宣伝していたわけですから、地震が大きかったというのは単なるその場しのぎの言い訳ですね。
これまでの経過を見るところ、一番の問題は、原子炉が全く制御できていないこと、リモートセンシング機器が上手く作動しているかどうか分からず、現状を正確に把握することすら上手く行っていないことが明らかです。つまり原子力発電は制御不能のシステムであることが明らかです。
過去の原発事故でもそうですが、緊急停止した炉心をECCS(Emergency
Core Cooling
System=緊急炉心冷却システム)でスムースに冷却できたためしがありません。これはもう本質的な欠陥あるいは対処マニュアルの失敗が明らかです。
おそらく、東電や政府関係機関は、原子力神話を守るために無理な放射性物質の閉じ込めを優先するあまり、事態を悪化させているように思います。
基本的に炉心冷却の失敗は燃料棒の高温化によって水蒸気圧が上昇し、同時に被覆管と水蒸気の反応で水素を発生させるでしょうから、速やかに炉内の減圧を行ったうえで冷却水の大量注入が不可欠でしょう。
早い段階で圧力容器・格納容器内の排気を行い(勿論この段階で放射性物質を環境中に放出することになりますが)冷却水を速やかに注入していれば、今回のようなきわどい状況は招かなかったと思います。今回の対応では、電源が失われた段階から海水の大量注水まで、炉を事故後に再利用したいという下心があったために、真水注入にこだわったり状況を悪化させたものでしょう。
1号機は屋外でセシウムが見つかっていますから、部分燃料溶融は明らかです。3号機は未だ炉心が溶融したかどうかは分かりませんが、注意が必要なのはこの炉はMOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物=Mixed
OXide)を使ったプルサーマル炉ですから、核反応物質が屋外に出る場合は、そこにプルトニウムが含まれることになることです。報道ではこの点について一切口を閉ざしていることに不誠実さを感じます。この点を周りの方や新聞社などにアピールしていただけませんか?
近藤邦明
大変な地震が起こってしまいました。勿論地震直接の被害も甚大ですが、原子力発電所の被災状況の問題がとても心配です。
昨日、15時過ぎにテレビをつけて初めて地震の発生を知りましたが、地震発生地点が宮城〜福島〜茨城沖ということで、真っ先に頭に浮かんだのが女川・福島・東海の原発の被災状況でした。ところが、どうしたことかTVの報道では原発についての被災状況を全く報道しないのです。
これは極めて異例と言ってよいでしょう。通常なら地震当該地域に原発があれば真っ先に報道してきたように思います。これだけ全く報道されないというのはむしろ甚大な事故になっているのではないかと予想させました。
夜になってはじめて政府から原発事故状況の報告があり、原子炉の冷却系統への電力供給が出来ないことが報道されました。そこで、原発関係の情報をネットで探したところ、官邸は15:42分の段階で既にこの事故について把握していたことが分かりました( 官邸の文章は次のURLにアクセスしてみてください。http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/index.html
)。これは明らかに報道管制がしかれ、東電と政府は結託して内々に事故処理が出来ないかどうかを模索した可能性が強いように思われます。これは全くの初動の失敗であったと考えます。
ついに原子炉内圧力を下げるために放射能が原子炉外に放出される事態になりましたが、最悪の事態を何とか回避されることを祈ります。ただ、政府・東電は11日の15:42の段階で情報を公開し、最悪の事態を想定した万全の対応をすべきであったことについて、徹底的な検証を求めるものです。
●地震関連の参考記事
No524 (2011/01/27)暴走する科学技術 そのC
●原子力発電事故の関連記事
No.282 (2007/07/23)原子力発電の脆弱性と経済性
御承知の通りこのHPでは、自然エネルギーの問題として、主に太陽光発電を中心に取り扱っています。その理由は、風力発電については既に使い物にならないことは議論の余地がないこと、既にそれに気付いた方々の風力発電反対の実際の運動やこれを扱ったサイトは数多く存在するため、敢えてこのHPで扱うまでもないと考えているからです。
しかし、マスコミや報道機関の記者どもの底なしの無能は手が付けられないようです。まず昨日の新聞記事を紹介します。
この記事を書いた記者の認識は、風力発電はクリーン(?CO2放出量が削減できる???爆笑)で優れた(石油代替エネルギーとなり得る)発電方式であるという前提で、日本の導入量が少ないことをネガティブな状況として嘆いているのでしょう。
既に風力発電の問題はこのコーナーでも繰り返し取り上げているので詳細には触れませんが、風力発電は極めて不安定であるという致命的な欠陥を持つ発電方式であり、しかも石油浪費的=火力発電以上にCO2を大量に放出する全く役に立たない発電方式であり、その結果として発電コストが非常に高いのです。
この記事では、中国の風力発電の導入量の多さを賞賛しているようですが、全く現実を評価する目を持っていないようです。
これに対して、少し古い記事ですが、『日経ビジネス ON LINE』に掲載された中国の風力発電事情についての中国人記者の報告を少し紹介しておきます。
2009年11月30日(月)
中国で風力発電所が早くも過剰に
送電網の容量不足で風が吹いても開店休業
財経記者 李其諺
11月上旬、中国北部は強い風と寒波に襲われた。吹きすさぶ突風のため、内モンゴル自治区シリンゴル草原に林立する風力発電所の発電ユニットはその多くが正常に運転できなくなり、巨大なプロペラの間を寒風が鋭い音を立てて通り過ぎるに任せていた。
「これほど強い風が吹くと、発電ユニットは(負荷が大きすぎて)運転できず、赤字を垂れ流すばかりだ。そのうえ、このあたりは風力発電所が多すぎる。風
のない日は発電できず、風が吹く日はどの発電所も一斉に発電するため、今度は送電網の容量を超えてしまう」。内モンゴル電力産業協会副理事長の馬占祥は、
そう打ち明ける。
同協会の統計によれば、内モンゴルの風力発電所の総設備容量(フル稼働時の発電能力)は350万キロワット近くに達している。ところが、設備の3分の1は事実上放置されており、その他の設備も稼働したりしなかったりの状態だという。
「風の強い冬場は、本来ならかき入れ時だ。それなのに、風力発電への"風当たり"は強まるばかりだ」と、馬占祥はため息をつく。
500億元分の設備が過剰
内モンゴルで多数の風力発電設備が開店休業の状態にあるのは、決して偶然ではない。実は、中国全土で約500万キロワット分もの風力発電設備が、送電網
に電気を送っていない状態なのである。設備容量1キロワット当たりの建設コストを仮に1万元とすれば、500億元(約6500億円)の資金が遊んでいる計
算だ。
風力発電所にとって、生来の"仇敵"と言えるのが火力発電所である。冬になると、送電網は暖房を供給*する火力発電所からの送電を優先するため、風力発電設備の過剰問題がいっそう浮き彫りになる。
*寒冷地の火力発電所は、発電と同時に地域の工場や団地に暖房用のスチームを供給している。
全国的に見ると、風力発電所の立地は内モンゴル、甘粛、吉林、黒竜江の各省と、東南部の沿海地域に集中している。また、同じ省内でもその分布は偏ってい
る。送電網の末端部で電力消費量が少ない地域や、冬場の暖房需要が大きい地域がほとんどなのだ。特に「三北(西北・華北・東北)」地域では、冬季の暖房需
要が大きいため、風力発電所の設備過剰問題が深刻になっている。
「風力発電所が集中する地域の設備過剰は、既に看過できない段階に入っている」と、中国電力企業連合会の専門家は指摘する。現地の電力需要、風力発電所
の発電能力と送電網の送電容量のアンバランス、季節的な負荷集中などの要因により、風力発電所がフル稼働できる時間が極端に短くなっているのだ。
こうした現実を受け、国務院研究室*は
最近一冊の報告書を作成した。「国として風力発電の発展を奨励する政策を変える必要はない。だが、風力発電は不規則性や間欠性を伴うため、大規模な展開に
は限界がある。政府には計画を合理的に策定し、業界を正しく指導し、風力発電を健全に発展させる一連の政策が求められている」と、報告書の作成にあたった
副局長の範必は指摘する。
*日本の内閣府に相当する国務院の内部に設置された研究機関。総合研究局、マクロ経済研究局など8つの局を置き、中央政府の指導者のために調査や政策提言を行う。
こうした状況を考えれば、日本の風力発電導入量が少ないのは技術的に見て良識的な判断であり、国内の風力発電に対する地元住民の反対運動の成果なのだと、むしろ積極的な評価があってしかるべきでしょう。
しかし日本の科学的な判断の出来ない無能な新聞記者諸君にはこのような理屈は全く理解できず、菅民主党政権の提灯記事を書くのが関の山ということなのでしょう。悲しいことです。
インターネットの普及によって、情報の共有化が進んだといわれます。インターネットの普及はほとんどの場合において積極的あるいは肯定的に捉えられることが多いようです。しかしそうでしょうか?
例えば、独裁国家でも大衆は第三国経由の情報を得ることが出来るために国家や権力による情報の隠蔽は防げると言う人がいます。しかし、人為的CO2地球温暖化仮説とそれに対する批判意見についてみても明らかなように、表層的な情報をつまみ食いする様なネット情報の利用では、この種の複雑な問題については容易に情報操作が可能なことがわかります。
往々にして個人の思考は感情的で妄信的な傾向が強いため、どちらかといえば単純でインパクトの強い情報ほど、より増幅されて急速にネット上に拡散していくようです。この傾向はTwitterやFacebookでは特に顕著なようです。こうした極めて短い文章は、論理的な思考を必要とするような情報の伝達には全く不向きだと思われます。
中東ではインターネットのFacebookによって反政府運動が一気に体制を崩壊に導くという現象が起こっています。反政府感情が蔓延した社会状況の下で、伝達すべき内容は「現政権を打倒しよう」という単純な単一情報であったために、瞬く間に情報が拡散しました。例えて言えば政治的な不満が極限にまで膨張していた風船に突き立てられた鋭い針の役目を果たしたのだと考えます。
Facebookは暴力的な破壊衝動を扇動するという局面では非常に大きな力になったようですが、反体制勢力に一定の政治思想や体制崩壊後の国家の形の設計図がないままに進められた変革は、体制打倒後のこれらの国に長期的な混乱をもたらすことになるでしょう。
このTwitterやFacebookの特性を体制が組織的に政治に持ち込めば、大衆を扇動することによってナチス独逸的な国民の熱狂的支持による権力の集中と全体主義国家が容易に実現されるのではないかと思えて戦慄します。
少し枕が長くなってしまいました(笑)。
さて、ネット上には手軽に情報を得ることの出来る便利なサイトが沢山あります。例えば今回大学入試で話題になったYahoo!の『知恵袋』やネット百科事典『Wikipedia』などはその代表的なものでしょう。ここに上げた二つのサイトの共通性は、利用者も回答者も匿名で参加することが可能なことです。
匿名性というのは個人情報の保護という積極的な側面があることは勿論了解していますが、その反面、情報に対する責任の所在が希薄になり、利用の仕方によっては故意に虚偽情報を広めることも可能なことを理解しておかなければなりません。
例えばWikipediaのような参加型のオープンソースの百科事典において問題となるのが、現在進行形の問題、中でも利害関係の対立や論理的な対立の存在する問題です。こうした問題は、良し悪しは別にして、本質的に多数決で記述内容を決するしかありませんから、結局組織的な動員が可能な体制、あるいは多数派を占める意見をより強く反映することが不可避です。
例えば、現在進行形の自然科学の論争に対する記述は妄信的に信頼することはできないと言うことです。なぜなら、自然科学における正誤の判断は多数決では決することは出来ないからです。
ネット上にある、こうした責任の所在の曖昧な情報を利用する場合、利用者はあくまでも一つの参考意見であることを認識して、本質的には自らの頭で考え判断しなければならないのです。
ところが、ネット情報の利用に長けた今の若者たちの多くは、手軽に使えるこうした情報を自分の頭で内容を吟味せずに、単純にコピーしてレポートを作成することが多いようです。これでは、おそらくその内容の正誤以前に、自らの作成したレポートの内容さえ意識には残らない可能性が高いと考えるべきでしょう。彼らは一体何のためにレポートをまとめるかが理解出来ていないようです・・・。
こうして、ネット情報に過度に依存する特に若い人たちの間には、じっくり情報を吟味して論理的に内容を判断する能力が育たず、知性が崩壊していくことになっているようです。実に恐ろしい状況です。
先日、地元の国立大学の工学部に在籍する若者(?)からネット情報についての意見を求められました。こうした意見を求める場合、まず自らの考えを述べ、それに対しての意見を求めるというのが最低条件であろうし、礼儀であろうと私のような古い人間は考えます。
ところが、ネット情報の利用に慣れた若者は、自ら考えずに即物的な回答だけを必要としているようです。それでも一度は自ら考えた上での意見を聞かせてくださいという趣旨の返信をしたのですが、私の意図は全く彼には響かなかったらしく(苦笑)、誠に頓珍漢な返信が来たので、対話をあきらめました。同じ日本語で会話しても意思が通じ合わないという知性の崩壊を実感した出来事でした。
こうしたネット上の主流の情報をつまみ食い的に利用することに疑問を持たない大衆が増えることによって、むしろ全体主義的な独裁国家が出現する可能性が増大しているように思います。しかもこの場合、大衆は自らの判断で動いていると信じ込んで(錯覚して)いるだけに、強固な全体主義国家になる可能性が高いと思われます。恐ろしいことです・・・。
既に昨日、本編の方に関連資料を公開いたしましたので、ご存知の方も多いのではないかと思いますが、掲題の訴訟を開始することになりました。
訴状を読んでいただければこの間の経緯の詳細が述べられているのですが、この訴訟は槌田敦・近藤邦明連名の気象学会誌『天気』への投稿論文『CO2濃度の増加は自然現象』の取り扱いにおいて起こった事件です。
この原論文の掲載の諾否を判定する気象学会の査読過程において、2名の査読者は論文で報告した事実関係については認めたものの、その現象論的な解釈において著者と“個人的な見解の相違”を理由に掲載を認めませんでした。
そこで私たちは、発見した事実だけでも早急に公開することを重要と考え、原論文を主に観測事実の分析結果のみを論じた『論文1』と、主に現象論的な解釈や関連する問題の考察を論じた『論文2』に分割して投稿することにしました。
昨年結審した講演拒否・第一論文掲載拒否事件は、論文1の査読ないしその結果としての掲載拒否、ないし気象学会大会における講演拒否事件についての裁判でした。
昨年9月に、分割した原論文の後半部分に相当する『論文2』を日本気象学会誌『天気』に投稿したのですが、編集部は一度の査読を以って、著者に改稿の機会さえ与えずに掲載拒否するという極めて横暴な判断を下しました。このような判断は到底受け入れられませんので、査読について再三説明を求めましたが、『天気』藤部編集委員長は合理的な説明を行いませんでした。その結果、残念ながらこの度の第二訴訟の提訴ということになりました。
第一裁判が始まってから現在まで、人為的CO2地球温暖化仮説を巡る状況はだいぶ変わってきました。ご存知のように、東大前総長小宮山宏によってでっち上げられた東京大学IR3S『地球温暖化懐疑論批判』という謀略出版物の発行や、いわゆるClimategate事件と呼ばれる世界的な規模で行われたデータ捏造や論文発表妨害事件など、組織的な研究活動に対する弾圧事件が起こっています。
気象学会を巡る二つの論文発表妨害事件もこの世界的な大きな状況の中で捉えることが必要ではないかと考えています。気象学会を巡る講演拒否・第一論文掲載拒否事件に対する第一裁判は、担当弁護士が原告の思いを十分理解し切れなかったことも災いして、気象学会員である論文著者・講演者に対する気象学会による権利侵害事件という狭い枠組みでの戦いになってしまいました。
この第二訴訟では、日本気象学会や東京大学という準国家組織による、人為的CO2地球温暖化仮説に対する批判意見への組織的な言論弾圧という現実に鑑みて、日本における『学問の自由』(憲法第23条)を中心的な問題として訴訟を進めることになります。
相変わらず電力会社はなり振り構わぬ謀略宣伝を続けています。昨日、九州電力の全面広告が九州地方の新聞各紙に掲載されました。本来、ほとんど地域独占の電力会社が新聞広告を行う必要などないはずですが・・・。
この4月から始まる太陽光発電余剰電力買取費用の料金への価格転嫁を意識し、電力会社が如何に人為的CO2地球温暖化問題に取り組んでいるのかを、これまた電力料金からの新聞紙面買取の費用を使って宣伝しているということでしょう。恐れ入ります。
内容的には、人気タレントやエッセイスト(?爆笑)を使って、九電側のシナリオに沿ったお手盛りの質問に対する自問自答です(笑)。ここでは、核心的な部分である、神津カンナの質問とこれに対する眞部利應九電社長の回答を紹介しておきましょう。まず、神津氏の質問部分『A』を以下に示します。
ここで神津氏は、菅民主党政権のCO2削減政策の中核でもある太陽光発電と原子力発電について質問を行っています。
本来、不安定な太陽光発電はこのコーナーNo.458で紹介した元北電室蘭支店長の伊東仁氏が言うように電力事業者にとって効率的な電力供給の障害です。それにもかかわらず、九電が直轄で巨大太陽光発電施設『メガソーラー』を建設した背景は、第一に今回の新聞広告のように正に広告塔としての役割と、原発と同じように割高な発電施設を保有することによるレートベースの水増しによる適正利潤=企業収益の拡大を目指したものでしょう。
せっかくですから、この際、九電の大牟田メガソーラーの概要を紹介しておくことにします。
平成22年11月15日
九州電力株式会社
メガソーラー大牟田発電所の営業運転開始について
当社は、地球環境問題への対応、国産エネルギー活用の観点から、当社初となるメガソーラー大牟田発電所の建設を平成22年1月から進めてまいりましたが、地元大牟田市の協力のもと順調に工事が進捗し、本日、使用前自主検査を完了し、営業運転を開始いたしましたのでお知らせいたします。
メガソーラー大牟田発電所は、九州最大のメガソーラー発電所となり、年間の発電電力量は一般家庭約2,200世帯が昼間に使用する年間電力量約320万kWhに相当します。また、CO2排出量の抑制効果は年間約1,200トンになる見込みです。
当社では、メガソーラー大牟田発電所の安定運転に努めるとともに、今後も再生可能エネルギーの開発・導入を進め、低炭素社会の実現に努めてまいります。
発電所名 | メガソーラー大牟田発電所 |
開発地点 | 福岡県大牟田市新港町1番地37(港発電所跡地) |
敷地面積 | 約8万平方メートル(ヤフードームとほぼ同じ広さ) |
出力 | 3,000kW |
運転方法 | 全自動無人運転(最寄りの新小倉発電所にて遠隔監視) |
連系先 | 港変電所66kV母線(特別高圧連系) |
発電所全景
この九電の広報も全くの謀略記事です(笑)。九電は大牟田メガソーラーの年間発電量予測値を320万kWh、それによるCO2放出削減量を1,200tとしています。この数値は、このコーナーNo.428『CO2排出削減量とは何か?』で紹介したとおり、年間発電量にCO2排出係数を掛けた値に過ぎず、8万平方メートルにも及ぶ巨大な太陽光発電施設および付帯設備建設・運用になどに必要な石油消費を全くカウントしていない無意味な数値に過ぎません。
簡単に試算してみましょう。No.428で紹介した商用電力のCO2排出係数0.378kg-CO2/
kWhを用いて大牟田メガソーラーのCO2放出削減量を算定すると次の通りです。
3,200,000kWh×0.378kg-CO2/
kWh=1,209,600kg-CO2≒1,200t-CO2
未だにこのような数値で電力利用者を欺き続けようというのですから、その厚顔無恥さには何の反省も無いようです。
さて、神津氏の質問に戻りましょう。彼女の質問は噴飯ものです。
太陽光発電について、彼女はその広大な施設規模に驚き『期待に胸が膨らむ』そうです(笑)。冷静に考えるならば全く逆であり、ピーク発電能力で僅か3000kWの発電能力を得るためにこのような広大な施設が必要だということは、如何に太陽光発電が非効率的であるかを象徴的に示していることが理解できないようです。
また、原子力発電の実態についても何も理解していないことが分かります。『安全・安定運転に対する使命感』などと言う精神論はこの際何の役にも立たないことです。
さて、このお手盛りの質問に対する眞部社長の回答『B』を次に紹介しておきます。
眞部氏の回答は全て虚偽です(笑)。太陽光発電のCO2放出削減効果については前述の通りです。原子力発電は非効率的で火力発電に比較して圧倒的に発電コストが高く、単位発電電力量当たりの総合的なCO2放出量も火力発電を大幅に上回ります。少なくともCO2放出量削減にはまったく寄与することは無く、まして温暖化の対策になろうはずはありません。核燃料サイクルは技術的に完全に破綻しており、『エネルギーセキュリティ』上でも全く無意味です。
厚顔無恥な彼らの頭の中にあることは、無能な国の政策に便乗して如何に儲けるか、ということであることを確認しておきたいと思います。
●2011年2月27日(日) 午後9時00分〜9時49分総合テレビ
NHKスペシャル “日本人はなぜ戦争へと向かったのか” 第3回 "熱狂”はこうして作られた
●キャスター:松平定知
まず、NHKのHPからの紹介文を引用しておきます。
「坂の上の雲」の時代に世界の表舞台に躍り出た日本が、なぜわずかの間に世界の趨勢から脱落し、太平洋戦争への道を進むようになるのか。開戦70年の年に問いかける大型シリーズの第3回。
日本が戦争へと突き進む中で、新聞やラジオはどのような役割を果たしたのか。新聞記者やメディア対策にあたった軍幹部が戦後、開戦に至る時代を振り返った大量の肉声テープが残されていた。そこには、世界大恐慌で部数を減らした新聞が満州事変で拡販競争に転じた実態、次第に紙面を軍の主張に沿うように合わせていく社内の空気、紙面やラジオに影響されてナショナリズムに熱狂していく庶民、そして庶民の支持を得ようと自らの言動を縛られていく政府・軍の幹部たちの様子が赤裸々に語られていた。
時には政府や軍以上に対外強硬論に染まり、戦争への道を進む主役の一つとなった日本を覆った“空気”の正体とは何だったのだろうか。日本人はなぜ戦争へと向かったのか、の大きな要素と言われてきたメディアと庶民の知られざる側面を、新たな研究と新資料に基づいて探っていく。
この番組自体は、このコーナーNo.427で紹介した“原発解体”と同様、単独で評価すれば、『お馬鹿番組』などではなく、NHKらしくない(笑)実に真っ当な内容の番組でした。奇しくも、前回このコーナーで取り上げたナチス独逸による大衆の扇動にも関連する問題が提起されていました。
乱暴に要約するならば、当時の報道を担っていた新聞と最新のメディアであったNHKのラジオ放送が陸軍と結びつき、国益の美名の下、大衆を扇動する事実とは乖離した謀略宣伝を繰り返し伝えることによって、国民を扇動して自ら戦争へ向かわせたということです。NHKは当時、ナチス独逸のゲッペルスの宣伝手法を研究していたようです。
今回のNHKの番組や新聞報道でも、時としてまともな報道が行われることがあります。しかし、そのようなまともな報道は、ほとんどの場合現在の体制にはほとんど関わりの無い過去の事件に対する報道に限られています。
結局、戦後のごく一時期を除けば現在も含めて、相変わらず日本における新聞報道・テレビ・マスメディア(インターネット情報も含む)で流される大部分の情報はその時の体制について致命的なダメージを与えるような内容は流されず、事実報道についても体制側の視点からの極めて偏向した内容になっています。
その際たる例の一つが“人為的CO2地球温暖化”に関する報道です。この報道では戦時中の陸軍に変わって、関連行政機関・気象研究者グループ・利益を享受する企業が報道・マスメディアと結託して虚偽の情報宣伝によって国民大衆を扇動して、国の温暖化関連の財政支出を積極的に支持するように仕向けています(例えばNo.530で紹介した共同通信の配信記事などを見れば明らかでしょう。)。
温暖化報道の中で、NHKをはじめとする報道機関やマスメディアの対応は戦中の大本営発表と同様に、体制側の玄関ネタを垂れ流すのみで自ら情報を検証することを放棄しており、その本質は正に第二次世界大戦へと国民を駆り立てたかつての新聞やラジオ放送と全く変わっておらず、戦時中の過ちに対する何の反省も無く『国益』のために科学的な批判意見をも封殺し、あるいは批判的な意見を非国民として誹謗・中傷しているのです。
このような状況の中で、NHKの日頃の偏向した報道姿勢を棚に上げて、第二次世界大戦においてNHK自らが行った謀略放送を批判してみせた今回の番組は、NHKの現在の全体的な報道姿勢の中で見れば、エクスキューズのための見世物であって、その意味において視聴者を馬鹿にした『お馬鹿番組』だと考えます。
日本の政治状況は混迷を極めています。その原因は、有権者を裏切った民主党菅政権の理念のない対米従属・大企業優遇経済政策・現状追認の変節にあることは明らかです。菅個人の政治的な無能と頑なさと相俟って、菅・民主党政権は近い将来崩壊することは明らかです。
ではポスト菅民主党政権を担う勢力は何か?小沢は名古屋の河村や大阪の橋下らを取り込もうと画策しているようです。河村や橋下などに対する期待は、日本の戦後政治の中でも類を見ない理念なき無能なリーダーである菅直人への失望の裏返しとして、強い指導力を持つリーダーを待望する気分が醸成されたことが大きな要因ではないかと思います。
河村、橋下・・・らは地方自治において、ある意味巧みに有権者を扇動しながら議会を形骸化させトップダウンの強権的な政治体制を構築し、結果として迅速な社会構造の変革を実現しようとしているようです。
確かにこれまでの地方議会がまともに機能していたとは言いがたいのは事実であり、馴れ合い議会の中で遅々として進まぬ社会構造の変革に絶望した有権者が、颯爽とこれを切り捨て、即断即決で実行に移すリーダーに期待を抱くことになったのではないでしょうか。
しかし、この彼らの手法は、確かにまともな施策を実行する場合には一見素晴らしいように感じますが、政治システムとしてみると非常に危険です。歴史上、国家レベルで彼らの手法を理想的に実現したのは、外でもない、熱狂により国民を扇動し、圧倒的な国民の支持を背景に進められたヒットラーのナチス独逸の政治運営です。日本の戦後政治では、小泉政権がこれに近いことを行いました。
私たちは冷静に判断しなければなりません。馴れ合いの議会制民主主義は改革しなければなりませんが、それは議会を形骸化し強権的なリーダーへの権力の集中ではなく、あくまでも議会の改革で成し遂げるべきでしょう。確かに議会重視の政治は強権的な独裁政治に比べて政策決定に長い時間がかかるのは事実ですが、これは安定した国家運営を行うためにはむしろ大きな長所であり是非とも守るべきだと考えます。
しかし、現状では社民党・共産党は党勢から見て主要な政治勢力になることはほとんど不可能な状況であり、菅民主党の失敗でいわゆる草の根的民主主義も指針を失い崩壊しつつある現状では、河村、橋下的な新勢力や松下政経塾の流れを汲む新保守主義的なタカ派・強権的な政治改革への圧力が強くなりつつあるようです。実に不気味で異様な日本の政治状況です。
一昨年の年末に発生した、いわゆる“Climategate事件”によって、人為的CO2地球温暖化についてのIPCC発表をはじめとする報道内容の信憑性の問題が世界的に大きな問題となりました。
しかし、残念ながら日本ではこの問題についての報道は極めて限定的であり、事件後に拙速に開催された日本学術会議によるシンポジウムにおいても十分な事実関係の検討を行わないまま『誤りは一部の特殊な問題であってその影響は限定的であり、人為的CO2地球温暖化についての情報は正しい』という結論づけることになりました。その結果、日本では未だに大部分の人々が人為的CO2地球温暖化仮説を宗教的に信仰しています。
日本のマスコミ・報道機関の記者諸君は、全く反省せずに非科学的で扇動的な記事を書き続けていることは、ほとんど犯罪と言ってよいでしょう。共同通信社配信の記事を紹介します。
さて、まずこの記事のタイトル『75%消滅の危機 サンゴ礁温暖化で』を見てどう思われるでしょうか?このタイトルだけを見たとすれば、『人為的CO2地球温暖化の影響でサンゴ礁の75%が消滅する危機に瀕している』と理解するでしょう。
ところが記事を読んでみると、サンゴの生息調査の結果で『沿岸開発、農地からの土砂流出、爆破漁業によってサンゴ礁の60%が脅威にさらされている』ことが分かったのであって、調査結果からは人為的CO2地球温暖化の影響によって直接脅威にさらされているサンゴ礁の報告などどこにもないことが分かります。
僅かに温暖化についての言及は、海水温の上昇や酸性化によってもしかするとサンゴ礁のリスクは多少増えるかも知れないと言う、単なる推測を述べているに過ぎないことが分かります。
なぜこのような調査結果から『CO2排出削減などの対策強化を訴えている』等という結論が導かれるのでしょうか??この調査結果を冷静に判断するならば、まず初めに着手すべきは沿岸開発の抑制ないし技術的な再検討であり、農地からの土砂流出の抑制であり、爆破漁業の禁止でしょう。
愚かなマスコミ・報道機関の記者諸君には論理的な思考能力がないか、あるいは嘘を知りつつ大衆を扇動するペテン師かのいずれかということになるのでしょう。
前回は、今回から国家プロジェクト以外について扱うと述べておきましたが、大事なプロジェクトを一つ忘れていました。それは軍需技術です。
戦後長らく、日本は平和憲法の下で軍隊を持たない国家であるという建前でした。ある意味、当時における日本の技術者の誇りであったのは、日本の科学技術は軍事技術ではなく、純粋な民生技術として発展してきたことでした。
しかし、日本の軍事国家化が進み、臆面もなく日米韓軍事同盟が平然と語られるようになり、科学技術は急速に軍事産業との融合が進み始めました。前世紀終盤、最も発展した科学技術分野である情報通信・メカトロニクス(機械工学と情報通信工学の融合)は最先端の兵器産業と極めて親和性の強い分野であり、実際にその融合は急速に進んでいます。
米国では最も危険な『仕事』である兵士を危険から解放するために、メカトロニクスの利用で機械兵器の無人化、戦闘のテレビゲーム化が進んでいます。これは恐るべきことです。無人の機械兵器によって戦争相手国の人々を効率的に殺戮する技術なのです。兵士はコンピューターのオペレーターあるいはコンピューターゲームのプレーヤーになるのです。
無人偵察機”プレデター”
武装ロボット”TALON”
「Special Weapons Observation Remote
Reconnaissance Direct Action System(SWORDS)」(Wikipediaより)
日米軍事同盟の強化は装備の共通化が不可避であり、早晩日本の情報・通信・機械産業は同様の殺戮兵器の開発に向かうことは避けられないでしょう。その端緒を示す記事が新聞に載りましたので紹介しておくことにします。
大分合同新聞2011年2月11日朝刊
宇宙航空技術と軍事技術の融合は、高速増殖炉からの高純度プルトニウムを利用することで、容易に核弾頭を搭載する大陸間弾道弾(ICBM)の実装に結びつくことになるでしょう。
科学技術と軍事技術の融合は、考えうる最も醜悪で反社会的な技術の一つであろうと考えます。菅民主党政権は日米軍事同盟の深化のために、武器輸出制限を緩和し、米国並みの“死の商人”になる道を歩み始めようとしているのです。
私は、見世物としての相撲やスポーツ番組は嫌いではありませんし、むしろ愚劣なテレビ放送の中では好きな番組の部類に入ります。しかし、だからといってこれに対して幻想も持っていません。要するに娯楽として面白いというだけであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
この数日、NHKのニュース番組も民放のニュース番組もトップでこの問題を扱っているようですが、相撲の八百長など、どうでも良い問題です。一体いつから相撲の勝負が公正なものでなければならないという認識になったのでしょうか?私は相撲の歴史に詳しいわけではありませんが、そもそも相撲とは宗教儀式であったのでしょうから、宗教そのものが言うならば八百長ですから、そこに近代スポーツ的な勝負の公正さ(私は近代スポーツが公正なものだとも考えていませんが・・・)を求めること自体に無理が有ると考えます。
歴史的に見ても、江戸時代まで遡れば落語のネタになるほど、相撲興行に八百長・賭け事は付き物というのが一般的な認識であったと思われます。そうでなくても、宗教儀式として行われる相撲では吉凶の判断として、しばしば勝敗が定められていたとも聞きます。
どういう経緯でこれが国家的に庇護される『国技』として優遇されたのかの経緯は知りませんが、少なくとも政教分離を建前とする近代法治国家が、宗教儀式を庇護すること自体に問題が有るように思います。
今回の八百長問題(?)で問題にすべきは、刑法犯としての賭博行為が組織的に行われ、例えばその胴元が暴力団などの非合法組織であって、その資金源になっていたかどうかということであり、それ以上の『道義的』問題をトップニュースで扱うことなど全く不要だと考えます。少なくとも大の大人が目くじら立てて、道義的な問題を議論するという類の問題ではないでしょうし、こんなことに一生懸命になる日本という国の行く末が心配になります。
このようなどうでも良い問題を扱う暇があったら、日本のマスコミ・報道機関の記者諸君は、愚かな菅内閣の愚かな政策をもっと批判的に報道すべきであろうと思います。