バカバカしくて見るに耐えない。広告代理店博報堂によるお手盛りのイベントには何の意味もない。単なる税金の無駄遣いである。
7月8日に鹿児島県知事選が行われました。マスコミ報道では現職知事の圧勝という見出しになっていますが、そんなことはありません。鹿児島県は、御存知の通り保守王国であり、今回の知事選挙では共産党以外が全て与党支持という中、川内原発のお膝元の県知事選ということでおそらく九電関連企業も総動員された状況でした。
新人の向原祥隆氏は出版社の代表であり(蛇足ですが、HPで紹介している『九電と原発』を発行されています。)、長年反原発運動に携わってきた方ですが、何の政治的な基盤もない状況で現職が40万票に届かなかったのに対して20万票を超えるというのは、正に快挙でしょう。おそらくこれに恐れをなした体制側の圧力によって、新聞報道の提灯記事は『現職圧勝』という見出しをつけたと思われます。
No.765でも書いた通り、そして今回の鹿児島県知事選挙結果で分かる通り、現在の民意はかなりの高率で脱原発を望んでいるのです。これをすくい取る装置を準備すれば、衆議院のかなり大きな部分を脱原発派の代議士で締めることは夢ではないのです。
消費税問題や社会保障問題は、もはや争点化したところで無意味です。共産党・社民党・みんなの党・小沢新党は脱原発を焦点に据え、この問題で民主・自民・公明を打破することを目指すべきです。脱原発の市民運動と連動して、早急に脱原発を次期総選挙の争点にする宣伝活動を開始すべきだと考えます。
それにしても日本のマスコミや評論家連中の小沢批評には呆れ果てます。小沢新党が消費税反対・脱原発を掲げているのは選挙目当てだと?!何が悪いのでしょうか、間接民主制において選挙において有権者の意志を汲み取ることが唯一にして最大の目標なのですから、正に王道です。問題は現民主党政権のように選挙で言ったこととまったく反対の政策を行う詐欺行為の方なのです。
●2012年7月30日(土)8:15〜9:30
●NHK総合「週刊ニュース深読み 〜ニッポンの電力が変わる?どうなる自然エネルギー」
●出演
司会 小野文恵
NHK解説委員 室山哲也
京都大学大学院経済学部研究科教授 植田和弘
国際環境経済研究所所長 澤昭裕
自然エネルギー発電に対する非科学的なNHKのお馬鹿ぶりには呆れ果てる。相変わらず発電コストが高いことだけが問題であるという認識には科学性が全くない。問題の本質は高い経済コストを誰がどのように負担するかという問題とは次元が異なる。エネルギー技術において経済コストが高いということはエネルギー利用効率が低いこと、劣悪な電力供給技術であることの証であり、利用価値がないのである。オタク解説委員室山哲也のお馬鹿ぶり、はしゃぎぶりは絶望的である。
このような愚かな番組で、視聴者に植田や澤など、自然エネルギー導入を推進する立場の論者による一面的な認識を刷り込むNHKは犯罪的な放送局である。
脱原発を求める大衆行動は70年安保闘争以来の規模になっているようです。しかし、当時に比べて大衆運動に呼応する国会内の勢力はあまりにも貧弱であり、脱原発を求める国会外の大衆の意識と、原発の維持に固執する民主党・自民党・公明党による半ば翼賛国会化した国会内部との意識の乖離はどうしようもない状況です。民主主義を形骸化させているこれら既成の政党は有権者の意見を聞く耳をまったく持っていません。おそらく、このままデモンストレーションを続けても、脱原発の実質的な力にはならないのではないかと思います。
せっかくこれだけ脱原発の意識を持つ個人が居るのですから、これを実質的な力にするための戦略を立てる必要があるでしょう。実質的な力とは何か?これはやはり脱原発を主張する国会議員を大量に送り込むこと以外にありません。
jiji.com
幸い(?!)、既成政党の政党支持率は極めて低く、特定の支持なし層が概ね70%で推移しているのが日本の現状です。その一方で世論調査によると国民の80%程度が原発再稼働に不安感を有しているといいます。このような状況を見れば、次の総選挙において、脱原発に賛同する議員で衆議院の過半数を締めることは数値的には可能なのです。この状況を生かして、次の選挙による衆議院を脱原発を決め、脱原発のスケジュールを法制化することだけに特化した国会にすることを考えるべきでしょう。
では具体的にどのような戦略を立てるべきか?素人が泥縄式に政党を作ることは現実的ではありませんから、総選挙の立候補者に対して、脱原発か原発維持かの一点についてのみをリサーチしてこれを判断基準とし、その結果を小選挙区毎にネット上に公開し、脱原発を主張する立候補者に対して投票行動を集中させることでしょう。仮に小選挙区に脱原発を支持する立候補者が複数立つ場合は調整が必要かもしれませんが…。この種の情報の拡散にはTwitterやFacebookが強力な手段として利用可能でしょう。
現状では、野田政権の寿命はそれほど長くないでしょうから、いつ衆議院の解散が行われてもおかしくない状況です。脱原発運動を実効あるものにするために早急に運動センターを構築し、次期総選挙に向けての体制を作ることを望みます。
御存知の通り、今日、衆議院で消費税増税法案が成立しました。採決前に行われた野田佳彦の演説には呆れました。野田は直前の選挙で公約した内容は情勢が変化すれば無視しても構わないし、議員が勝手に変えても構わないという。こともあろうに公約に誠実たらんとする議員を批判するという厚かましさ。
冗談ではない。日本は間接民主制の国であって主権は国民にあるのです。国民は選挙における候補者の政策・公約を見て投票を行うのです。つまり国民は政策・公約の範囲で議員に権力の行使を信託するのであって、全権を委任しているわけではありません。議員は選挙における政策・公約を無視して個人で判断することは許されません。どのような理由であれ、選挙において主張した政策や公約を大幅に変える行動を取るのならば、議員を辞職して再び有権者に政策を問わねばなりません。
野田が言うように、選挙当時とは世界情勢が変わったから政策見直しが必要というのならば、解散総選挙を行う以外に正当性を主張することなどできません。法案を通してから解散するなど本末転倒したとんでもない対応です。間接民主制の何たるかも分からぬような者に総理大臣を続けてもらってはたまったものではありません。
日本の間接民主制は崩壊したようです。情報通信のハードウェアの普及状況を見ると、そろそろ直接民主制を実施することが可能なのではないでしょうか。金儲けの事しか考えていない愚かな国会議員は全員クビにして直接民主制を実現することは可能です。議決権を持たない複数の政策提案組織がプレゼンテーションを行い、国民がネットワーク投票で議決することで、政策提案と議決権を分離することで利権の集中を回避することも可能なのではないでしょうか?
現状では、民主党を落としてもこれに替わる政党が存在しない、今の政党政治では民主主義を実現することはできません。正に悲劇的な状況です。
いつまで経っても原子力の安全性を監視する新たな組織の構成が固まらないと思っていたら、今度はこの重要な法案がほとんどまともな国会審議もなく成立してしまいました。しかもこの原子力規制委員会の設置の目的を記した第一条に「我が国の安全保障に資することを目的とする」という文言が書き込まれているのです。
日本の法律において、“安全保障”という言葉は実質的に“軍事”ないし“防衛”と同義語であることはご承知の通りです。『日米安全保障条約』とは『日米軍事同盟』の謂であることはいうまでもありません。つまり、“原子力”を“安全保障に資する”とは、要するに“日本の核武装に貢献する”ということに他なりません。
電力供給や商行為としての原子力発電というだけでは、もしかすると脱原発を止めることができなくなると恐れた核武装を標榜する防衛省や野田佳彦を始めとする核武装を目指す超党派の国会議員たちが“安全保障”という文言を滑りこませたのであろうと推察されます。
このHPでは、日本の原子力の本当の目的は核武装であるということを繰り返し述べてきました。日本の外向きの反核運動の脳天気な皆さんからは妄想であるとして一笑に付されてきたのですが(笑)、ついに日本政府は本音を明文化してくれたのです。核武装論はとんでもないことですが、これで日本政府の立場が明らかになったことはある意味、敵の姿がはっきりしたという点では歓迎すべきかもしれません。
さて、昨年はHP管理者からNo.644「長崎平和宣言の無邪気さ…」で長崎の反核運動の脳天気さを指摘しておきましたが、今年の平和宣言はどうなるのでしょうか?
参考:
No.066(2003/01/05)原子力・H2・核武装
No.296(2007/10/03)シリーズ・テロ特措法批判D武力による日本の防衛は技術的に不可能
No.419(2009/08/25)核傘下の核兵器廃絶運動の怪
No.498(2010/11/30)異様な日本社会 そのE原爆被爆国の核兵器開発
No.655(2011/08/31)野田佳彦/地味な超タカ派政治家
原子力規制委員会設置法案
以下、『原子力基本法の基本方針に「安全保障に資する」と加える改正案の撤回を求める』世界平和アピール七人委員会の文章を引用しておきます。
原子力基本法の基本方針に
「安全保障に資する」と加える改正案の撤回を求める
2012 年6 月19 日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野
池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬
衆議院本会議は、先週の6月15日に「原子力規制委員会設置法案」を可決した。この法案は、政府が国会に提出していた「原子力規制庁設置関連法案」に対立して自民・公明両党が提出していたものであり、この日に政府案が取り下げられて、自民・公明両党に民主党も参加した3党案として、衆議院に提出され、即日可決され、直ちに参議院に送られて、この日のうちに趣旨説明が行われたと報じられている。新聞報道によれば、265ページに及ぶこの法案を、みんなの党が受け取ったのは、この日の午前10
時であり、質問を考える時間も与えられなかったといわれている。
世界平和アピール七人委員会は、この法案の中に、説明なく「我が国の安全保障に資する」という文言が加えられたことについて、ここに緊急アピールを発表する。
国会議事録はまだ公開されていないが、自民党の資料によれば、「原子力規制委員会設置法案」の第1条には、「この法律は、・・・原子力規制委員会を設置し、・・・国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする。」と書かれている。
我が国の原子力関連の個別の法律は、すべて日本国憲法のもとにある原子力基本法の枠の中で作られている。周知のとおり、原子力基本法の基本方針(第2条)は「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。」となっていて、歴代政府は、日本国憲法に抵触しない原子力の軍事利用ができないのは、この法律に抵触するからだとしてきた。
しかし、「我が国の安全保障に資する」という文言は、わが国の独立に脅威が及ばぬように、軍事を含む手段を講じて安全な状態を保障することに貢献すると読む以外ない。このことに気が付いたためと思われるが、今回衆議院を通過した「原子力規制委員会設置法案」の附則第11条は、原子力基本法の一部改正にあてられている。
それによると、原子力基本法の基本方針に、第2条2を追加し、「2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」と改定するというのである。「我が国の安全保障に資することを目的として、安全の確保を行う」という文言は何を意味するのであろうか。具体的になにを行おうとするのか全く理解できない。
国内外からのたびかさなる批判に耳を傾けることなく、使用済み核燃料から、採算が取れないプルトニウムを大量に製造・保有し、ウラン濃縮技術を保持し、高度なロケット技術を持つ日本の政治家と官僚の中に、核兵器製造能力を維持することを公然と唱えるものがいること、核兵器廃絶への世界の潮流に反して、日本政府が米国に対して拡大抑止(核兵器の傘)の維持を求め続けていることを思い浮かべれば、原子力基本法第2条の基本方針の第1項と第2項の間に、矛盾を持ち込んで実質的な軍事利用に道を開くという可能性を否定できない。
国会決議によって、平和利用に限り、公開・民主・自主の下で進められてきた日本の宇宙研究・開発・利用が、宇宙基本法の目的に、「わが国の安全保障に資すること」を含めることによって、軍事利用の道を開いたことを忘れることもできない。
さらに、「基本法」は憲法と個別法の間にあって、個別法より優先した位置づけがされていることを考えれば、個別法の附則によって基本法の基本方針を、討議せずに変更することはゆるされない。
世界平和アピール七人委員会は、原子力基本法と原子力規制委員会設置法に、何らの説明なく「我が国の安全保障に資する」という表現を含めようとする計画は、国内外から批判を受け、国益を損ない、禍根を残すものと考え、可決にむけて審議中の参議院において直ちに中止することを求める。
連絡先:世界平和アピール七人委員会事務局長
小沼通二
メール:mkonuma254@m4.dion.ne.jp
ファクス:045−891−8386
URL:http://worldpeace7.jp
巷では、オウム真理教の最後の手配犯が捕まったことを契機に、マスコミではオウムやマインドコントロールなどについての話題が賑やかです。
しかし、オウムのような特異な小さな集団の暴発的な行動などとるに足らないことだと考えます。より重大なのは今も昔も国家による国民すべてに対する洗脳であろうと考えています。中でも、論理性や個の自立前の初等中等教育における官製教科書を使った教育を利用した洗脳教育は最も罪深いものではないでしょうか?
私は、戦後の日本の教師というものは、戦前・戦中の上意下達の洗脳教育によって無批判に国家戦略に基づいて生徒を戦地に積極的に送り出した経験の反省に立って、自立した教師個人の良心に基づく教育を実践することを重視してきたのだと思っていましたが、これは幻想だったようです。
初等中等教育における社会科や理科の教育課程は国家戦略に使われやすい危険な教科です。常に緊張感を持って教科の内容を検討していくことが必要だと考えます。ある高校の教科書の内容について、温暖化問題やエネルギー問題、あるいはオゾンホールに関する記述を見ることができました。当然ですが日本政府の国家戦略に沿った、必ずしも科学的には正しくない記述が数多く書かれていました。
そこで、高校の理科や社会の先生のお話を伺いたいと考え、物理教師であるという教頭と面会し、理科や社会の教師のお話を伺いたいと申し入れました。まあ、国家の教育機関の末端に位置する管理職=木っ端役人であれば当然といえば当然ですが、学校の教師は教科書に書かれた内容を教えることが仕事であり、教科書の記述に誤りがあるのは私達の責任ではありませんから、教科書検定に異議を申し立てて下さいと、正に教科書通りの木で鼻をくくるような回答で、教師との面談の機会を設定することは出来ませんと取り付く島もありませんでした。
あなたは教科書の記述について疑問を持つことはないのですか?と聞いたところ「ありません」ということでした。重ねて、戦後の日本の教育は戦前・戦中の国家による洗脳機関として生徒に対して一面的な教育を行った反省の上にあるのではないでしょうか?誤りを教科書のせいにして責任回避するのでは、戦前・戦中の教師と同じではないですか?問うたところ、「そうです」という回答でした…絶句。
この国の徹頭徹尾無責任な体制は、一体どこから改革していけば良いのか、途方にくれます。原発事故後、この国では司法機関が崩壊し、原発再稼働の問題では間接民主主義が崩壊し、そして教育も崩壊しています。学問、就中科学の本質とは疑うことによって真理を探求することです。この教頭のような無能な教師に教えられた生徒は、疑うことを知らぬまま、受験秀才になるのでしょう。悲しいことです。
EUの財政はますます不安定化しているようです。ギリシャに続いてスペインもEUからの財政支援を受ける所まで来てしまいました。スペイン国債の金利は危険水域と言われる7%を突破する勢いです。
しかし、これは対岸の火事ではなく、正に明日は我が身の状況です。まず、日本の公債残高の推移を見ておくことにします。
これを、対GDP費で表すと次の通りです。
国際比較から分かるように、日本の国債残高の生産力(GDP)に対する比率は、財政破綻が顕在化しているギリシャやスペインよりもはるかに悪いのです(個人の会計で考えれば、稼ぎの2倍以上の借金を抱えており、生活費を差し引くと借金の返済ができないので、更に別の借金をして金を回しているというところです。)。日本において経済破綻が顕在化していないのは、単に公債の大部分を国内で買い支えているからに過ぎません。しかし、そろそろそれも危うくなってきました。
日本の預金総額の推移を次に示しておきます。
公債残高は1000兆円に迫りつつあります。東北地方太平洋沖地震の復旧や原発事故の収束のため、更には再生可能エネルギーの政策的導入によって、公債発行額は今後さらに急増する可能性があります。一方、預金総額は1000兆円を少し超えるレベルで頭打ちになってきています。今後も預金を食いつぶして生活しなければならない状況が続けば、預金は減少傾向に転換する日も遠くないでしょう。
つまり、これまでは国の借金を身内に金を借りてゴマ化していたものが、ついに身内の財布の中も底をつき、高利のマチ金(海外からの資金)から金を借りなければならなくなる可能性が高くなってきているということです。
なぜこんなことになってしまったのでしょうか?これは頭の悪い経済屋の口車に乗った愚かな政府が、問題を先送りにして、企業の刹那的な利益を確保するような分不相応な財政出動による大盤振る舞いの経済運営をした結果です。
具体的には1980年代、日本は貿易黒字、特に対米貿易黒字が増大し、これを抑制するように求める米国の圧力によって、対米輸出を抑制する代わりに財政出動による公共事業を中心とする内需拡大によって企業利益を確保する方向に転換したことに本質的な原因があります。冒頭に示した公債残高はこれを如実に示しています。
国内投資が加熱した結果、土地価格の暴騰が起こり、これがいわゆるバブル経済を引き起こし、実質的な価値と経済価値のギャップが極限に達したところでバブルが崩壊することになったのです。
公債でかき集めた“借金”した金を財政出動の原資として無理矢理に需要を創出してこれを企業に分配するような財政運営をすれば、いずれ破綻することは自明のことです。高度経済成長期のように、借金して投資した金が経済成長によって実質的な収益を上げる時代は既に過ぎているのです。
一般的な工業製品は既に後発国の低賃金・低エネルギーコストの格安の製品が席巻し、日本製品は太刀打ち出来ない状況になっています。日本の高度な工業的生産技術による高額商品の市場規模は大きくないのです。
バブル崩壊以後の日本の経済運営は、相変わらず借金をしてエコ補助金やエコ税制優遇措置という名目でこれを大企業にバラ撒くという相変わらずの放漫経営です。こうした補助金は刹那的に企業収益として大企業の懐を暖めるだけです。補助金が打ち切られると同時に企業収益が悪化する事になり、企業は更に政府に対して補助金をねだることになるだけです。
そのような中で、日本では所得格差がますます大きくなり、貧困率はほとんど世界最高になっているのです。財政出動の恩恵を一身に受けてきた自動車・電気メーカーを中心とする大企業の企業法人税や高所得者層の所得税を格安にしながら、一般消費税を更に引き上げるなどとんでもない話です。正に盗人に追い銭とはこのことでしょう。
このような状況下で再生可能エネルギー特措法によってエネルギー利用効率の極めて低い発電装置にたいして財政的な優遇措置を行い、産業活動の基盤となる資源の一つである電力の料金を高騰させれば、大企業はますます海外への移転を加速し国内産業は空洞化し、中小企業は軒並み倒産することになることは必定です(これは既にスペイン・イタリア・ドイツなどのEU諸国で実証済みです)。その結果、国の財政はますます悪化し破綻することになるでしょう。
いまだに高度経済成長期並みの経済成長の夢を追い求める愚かな経済屋や政治屋の無責任な財政運営を本質的に見なおし、日本という国の身の丈にあった経済規模とそれに見合う本当の意味で持続可能な産業構造を構築すべき時期に来ていると考えます。
本日18時からの記者会見で野田は大飯原発を再稼働すべきであるとしました。理由は二つです。
@原発の安全性は十分確保されている。
A国民生活を守るため。
ふざけるのもいい加減にしてほしいものです。@の理由はまったく客観性のない野田の思い込みです。政府の委員会においてさえ安全性に疑問を呈する委員が存在しています。何の具体的な根拠や安全対策の説明もなく意味不明の安全宣言です。それにもかかわらず『福島のような事故を起こすことはない』というのは、これまでの『安全神話』をそのまま引き継いで、原発政策に何ら変化はないことを表明したに過ぎません。野田という男は民主主義を踏みにじることを何とも思わぬとんでもない独裁者です。
@は科学的に立証不可能であり、これを前提としたAの理由など無意味です。それどころか、多少の不便は起こるとしても、原発がなくても市民の生命を脅かすようなことにならないようにする対策はいくらでも可能です。例えば、夏場の昼間のテレビ放送を停波するだけで、おそらく問題は回避できるでしょう。その他不要不急のサービス産業を重要度の低い方から営業停止してもよいではないでしょうか?要するに本気で電力需要を抑制する対策を考えることもせずに、安易に原発再稼働を強行しているだけのことです。
野田は大飯原発の再稼働は夏場のピーク対策の一時的な再稼働ではなく本格的な再稼働であるべきだとも述べています。原発は将来的にも日本のエネルギー供給の中核であることを表明したのです。つまり、野田民主党政権の原子力政策は脱原発(依存?)ではないということです。
また、野田は火力発電が高コストであると述べていましたが、これはまったくの虚偽です(あるいは無能な野田が電力会社や原子力村の研究者にまんまと騙されているのか…)。原発停止によって生じた火力発電用燃料の計画外の購入経費の増加は、一時的なものに過ぎません。これは原子力発電について既に数年先の核燃料費までを先行投資していたものが、使えなくなった=不良資産化したからに過ぎません。原子力発電のバックエンド経費を考慮するまでもなく、長期的に見れば火力発電のほうがはるかに安上がりであることは明らかです。
こうした嘘で塗り固められた再稼働にまたしても愚かな国民は騙されてしまうことになるのでしょうか。
野田民主党政権は大飯原発の再稼働を強行しようと地均しを進めています。ご承知のように、福島第一原発事故発生以降、日本の原子力発電所における本質的な安全対策はほとんど進んでいません。
原子力発電における科学技術的な問題の専門家でもない政治屋である野田佳彦が『大飯原発の再稼働は私の責任で判断する』と繰り返し述べていますが、なんと馬鹿馬鹿しい茶番劇でしょうか。
大飯原発を野田佳彦の責任において再稼働するとはどういうことでしょうか?その本質は、原子力発電技術の素人である野田佳彦の「原発を運転しても安全である」という非科学的な心証や思い込みによって大飯原発を再稼働させるという以上の意味はありません。
では、野田佳彦の責任によって再稼働した原発が不幸にも事故を起こした場合、野田佳彦は一体どういう形で責任を取るというのでしょうか?仮に総理大臣在任中に事故が起こったとしたら、責任をとって総理大臣を辞任するのでしょうか?すでに総理大臣を辞めて一介の政治屋あるいは単なる民間人になっていたとしたらどうするのでしょうか?せめて腹でも切って自殺でもするのでしょうか…?勿論、野田に切腹するだけの覚悟があるはずもありませんが(笑)、そんなものは屁のつっぱりにもなりません。
現実的には、原発の再稼働のような重大な問題に対して、これを個人の責任で判断を下し、判断が誤りであった場合に個人の責任で現状を回復するなどということは不可能なのです。あくまでも総理大臣の政治的責任とは日本政府という機関の長たる総理大臣が、機関の全権を体現して判断するということであり、判断に誤りがあった場合には日本政府として誤りを正す、あるいは誤りにおいて生じた不都合を現状復帰することで対処しなければならない『はず』です。
ところが、現実の日本の政治家の責任は極めて軽い。例えば、福島第一原発事故対応で多くの国民を被曝させるという大失態、いや大犯罪を犯した菅や枝野は何らの処罰も受けないままに、のうのうと大臣や議員を続けています。日本では、政治屋が責任を取るということは役職を辞任することと同義であり、政府は政治屋個人を切り捨てることで、一切の責任を帳消しにしてしまうのです。誠に便利なことです(笑)。
こんな国で、何の役にも立たない空手形にすぎない野田佳彦の軽い『責任』で大飯原発を再稼働させるなど、勘弁してほしいものです。
東京大学IR3S『地球温暖化懐疑論批判』による槌田敦氏や私を含めた12名の地球温暖化懐疑論ないし否定論者に対する名誉毀損事件の東京地裁における一審における原告槌田敦氏の最終準備書面が5月31日に提出され、6月12日の最終口頭弁論によって結審することになります。
槌田氏から最終準備書面を受け取りましたので、全文を公開いたします。最終準備書面は東大IR3S
を舞台として行われた地球温暖化問題における科学的な論争を権威によって封殺するという野蛮な行為の全貌を総括的にまとめた内容となっています。ぜひ全文をお読みいただきたいと存じます。
平成21年(ワ)第47553号 東京大学事件 2012年5月31日
平成23年(ワ)第10874号 小宮山宏事件
東京地裁第26部 御中
原告最終準備書面
原告 槌田 敦
1.東京大学による名誉毀損事件
東京大学は、2009年10月、『地球温暖化懐疑論批判』という本(甲7、乙1)を発行した。この本は、発行日などを記す奥付がなく、また無料で配布する特殊な本である。表紙上端に小さく「IR3S/TIGS叢書
No.1 文部科学省科学技術振興調整費 戦略的研究拠点育成事業」とあり、裏表紙下端に大きく「東京大学」と記されている。
東京大学は、この本の「はじめに」(甲7、 ペイジ)において、「懐疑的あるいは否定的な言説(懐疑論)」をおこなう者として、原告を筆頭に12名の日本人学者を名指しし、これらの者の学説に対して「三段論法の間違いなどロジックとして誤謬」など9項目の特徴( ペイジ)を貼り付けて、原告らの学者としての名誉を毀損した。
74ペイジにわたる本文においては、原告だけでなく、他の名指した学者にも「本人の確認なしに」(甲17、武田陳述書p4)その学説を36項目の「議論」としてまとめ、これらを間違いと断じた。最初の2項目と最後の1項目には執筆者氏名があるが、残り33項目には執筆者氏名がなく、普通の意味での論文集ではない。この本の中の無署名の学説否定は東京大学の責任ということになる(槌田敦本人調書p9)。
東京大学は、準国家機関であって、表現の自由はない。また国立大学法人法22条、29条により業務の範囲が定められており、その中には学説を否定する業務は存在しない。それにもかかわらず、東京大学は、原告らの学説を否定する本を出版したのである。これは違法行為であって、原告らに対する名誉毀損である。
また、東京大学はこの本において、原告の学説について、議論14「二酸化炭素の温室効果による地球温暖化はなく、気温上昇が二酸化炭素上昇の原因である」は間違いであるとした(甲7、p32)。原告は「二酸化炭素に温室効果がない」とは言っていないから、これは原告の学説の不正確な要約であり、なおさらである。
さらに、原告の論文が学会誌に掲載されないことを例にあげて、「ただ単に論文の要件を満たしていないためであり、学会ファシズムといったような批判は被害妄想と自信過剰の賜物以外の何物でもない」と断じた(甲7、p8右)。これには担当執筆者明日香壽川と書かれているが、かような表現は学術論文に使われる文章としては不適切であり、これを東京大学発行の本に載せたことは、東京大学による名誉毀損である。
そのうえ、この本の「最後に」(甲7、p73)において、「ドロドロとした政治や利益集団」、「相も変わらず足を引っ張っている」、「自己利益だけのために都合よく使われ」、「ボディブロウのように効いている」、「疲れるなと思いつつも」など、悪口雑言で締めくくっている。これは東京大学の品性が疑われる表現であり、この本が学術書でないことを示すだけでなく、懐疑論者に対する東京大学による名誉毀損である。
原告は、理化学研究所において熱物理学(開放系エントロピー論)を研究し(甲14-1〜
-3)、退職後名城大学経済学部において環境経済学(エントロピー経済学)を研究・講義し(甲14-6)、また気象学もその研究分野(甲1〜4、甲14-4、甲16、甲22)とする研究者であり、それぞれ基本的な学説を発表している(甲23、原告陳述書(4))。
この原告に対して、日本の大学の最高峰を自認する東京大学が、『地球温暖化懐疑論批判』という本を発行して、原告の学説に多数の間違いがあると指摘し、さらに原告の学説に対して学者不適を意味する「三段論法の誤謬」など5項目の「特徴」を貼ったことは学者に対する深刻な名誉棄損である。
2.名誉毀損事件の発端は小宮山談話
小宮山被告は、2009年3月まで東京大学の学長であり、大学間の共同利用のための東京大学IR3Sの機構長であった。小宮山被告の政治的立場はCO2排出削減による地球温暖化防止であって、麻生内閣にCO2削減を提案(乙10)した。そして、新成長戦略実現会議の委員(乙10)として温暖化対策を推進した。
小宮山被告は東京大学退任の直前にインタビュウ取材を受け、これを退任後に「温暖化懐疑論に終止符を」という談話(甲7-7)として公表した(乙16)。
この取材で「温暖化はウソだといった懐疑論も鳴り止みませんね」という記者の問いかけに対して、小宮山被告は「日本では懐疑論の本が非常に売れていて不思議」として二酸化炭素による温暖化論の反対が根強いことを問題視し、懐疑論者の言う「温暖化の原因は水蒸気」とか、「太陽の活動が活発に」などに反対した。
これに対して、記者は「議論は収束するのでしょうか」とさらに問いかけた。小宮山被告は、これに対して「言おうと思えばなんでも言えるのです。まるでゲリラ戦です」と答え、ゲリラ戦だから議論はこのままでは収束しないという認識を示した。
そのうえで、小宮山被告は「でも、こういった議論はもう打ち止めにしたい」と述べ、その方法として、「私が代表を務めるIR3Sという大学研究機関をネットワークした組織で、懐疑論に反論する本を5月(予定)に出版します」と述べたのである。
原告は、小宮山被告に対し、この談話について「議論は打ち止めにしたいということか」と求釈明書(11年6月)により質問した。これに対して、小宮山被告は「議論により決着を図るという意味です」と答えた(乙10)。しかし、「言おうと思えばなんでも言える」ゲリラ戦では、議論による決着は不可能だから、これでは記者の「収束するのか」という質問に答えたことにならない。
そこで、議論を「打ち止めにする」ための秘策として、小宮山被告は「東京大学IR3Sによる本」を出版すると述べたのである(甲7-7)。つまり、この談話は東京大学の権威を使うという宣言である。記者はこれを聞いて小宮山被告の論旨を納得し、この談話記事となったと思われる。
この「議論により決着を図る」という文には主語がない。そのため、「(東京大学が懐疑論者と議論をすること)により決着を図る」という意味か、または「(東京大学が権威を使って議論すること)により決着を図る」という意味か、つまり東京大学が議論「する」という動詞が他動詞なのか自動詞なのかで2通りの解釈が可能になる(明日香調書p20)。
小宮山被告の本人尋問は省略されたが、もしもなされていれば、この前者の解釈では懐疑論者のゲリラ戦により決着することはないから、後者の解釈として東京大学の権威を使って押さえ込むという秘策であることの自白となると思われる。
この本が懐疑論者との議論のための本ではないことは、次の事実から明らかである。原告は、『地球温暖化懐疑論批判』の出版後に、濱田総長気付けで議論14と議論18の名無しの権兵衛氏に質問した(甲11-1、-2、-3)。しかし、執筆者らからは一切返事がなかった。
ところで、この名無しの権兵衛氏は、公表された別論文から河宮未知生氏と江守正多氏と推定できたので、両氏にも直接質問書を届けた(甲11-4)。しかし、両氏からは「違うとも、違わないとも」何の連絡もなかった。おそらく執筆者に対して、「ゲリラ戦」にならないよう言いっ放しにするという約束で、東京大学がこの本を出版することにしたのであろう。そのためには執筆者が無署名になっていることは都合がよい。
このようにして、小宮山被告は、東京大学学長であった間に東京大学による『温暖化懐疑論批判』の本の発行を決めて、「東北大の明日香教授と(本学の)住教授が中心となってきちんと反論」(甲7-7)するように指示したのであった。この東京大学という権威の活用が、本件名誉毀損事件の発端である。
小宮山被告がなぜこのような指示をしたのかと言えば、小宮山談話でも述べているように、@「日本では懐疑論の本が非常に売れていて、テレビでも話題に上がって」(甲7-7)いることへのいらだちの現れである。これに加えて、A寒くなりそうなのにCO2で温暖化するという説、そしてB思うように進まない温暖化説という現実もある(槌田調書p10、11)。思うように進まないことにはふたつあって、ひとつはIPCC内部で発生している不正の発覚(甲5-1〜6)であり、もうひとつは温暖化対策の切り札だった経済政策の失敗である(甲24)。
このような背景があって、小宮山被告は、このままでは地球温暖化説は社会から受け入れられなくなると予想して、これに先手を打つために東京大学発行の本の出版を決意したと思われる(槌田調書p21)。
3.本件名誉毀損事件における明日香被告の役割
一方、明日香被告は、懐疑論に反対するために、私的印刷物であるコメントシリーズを発行していた。最初のコメントVer.1.1(甲7-2)は2005年発行のもので、環境経済・政策学会における原告の講演に反対するために作成した。2006年に発行したVer.2.0(甲7-3)は執筆者の数を増やし、原告との公開討論会のために作成した。ここまでは原告との議論を目的とする印刷物であり、それぞれ原告に手渡している。
2008年に発行したコメントVer.2.4(甲7-4)では、執筆者は8名、分量は58ペイジと増やした。これには「自信過剰」など科学論争には関係のない悪口が書かれている。これは1998年に環境経済・政策学会に提出した論文(甲2)の原稿が一旦は不採用になったことを指すと思われる。このコメントVer.2.4は原告らと議論するためではなく、原告らを貶しめるための印刷物であって、原告には届けられていない。
このコメント
Ver.2.4が、小宮山談話にある東京大学IR3Sの5月に発行する本の原型となったと思われる。住被告に尋問がなされれば明らかになったであろうが、このVer.2.4が東京大学教授である住明正被告の注目するところとなり、小宮山被告に東京大学発行の本とすることを決意させたと思われる。
しかし、小宮山談話の存在は、Ver.3.0(甲7-5)を発行した5月の段階になっても明日香被告に知らされてはいなかった(明日香本人調書p19)。そして、このVer.3.0は小宮山談話にある東京大学の本ではなく、形式としては明日香私的印刷物のままであった。
このVer.3.0では、その「はじめに」において、Ver.2.4には存在しない「三段論法の間違い」など9項目の特徴を原告らに貼り付けた(甲7-5、p8)。
このVer.3.0は原告に届けられておらず、原告はその存在を知らなかった。しかし、仮に届けられたとしても、これは私的印刷物の範囲を出ず、また明日香被告らが個人的に貼った特徴(レッテル)では社会的に影響力がなく、これで名誉毀損を争っても単に言論の応酬ということになるだけである。したがって、この存在を知ったとしても原告は問題にはしなかったであろう。
ところが、2009年10月、東京大学はこのVer.3.0の内容をほぼそのまま本件『地球温暖化懐疑論批判』という本(甲7)として発行した。明日香被告は、この段階で私的印刷物の編集・発行の責任者から、東京大学の発行する本の編集責任者となった。
原告は、この『地球温暖化懐疑論批判』という本において、それぞれの議論の執筆責任者氏名を明らかにするよう編集責任者の明日香被告に求めた(甲10-1)。そして、返事がないので、議論14について執筆者と議論するための質問書を執筆者である「名無しの権兵衛さん」に届けるよう求めた(甲10-2)。これに対し、明日香被告は「基本的には全員で書いている」ことを理由に執筆責任者の名前を明らかにすることを拒み(甲10-3)、結果としてこの本の内容のすべてを東京大学の責任としたのである。
ところで、清水被告側代理人の尋問に対して、明日香被告は「(この本は)みんなで書きましたので共著ということになっています」と陳述した(明日香調書p10)。しかし、篠田裁判官の尋問に対し「だれかが中心に原稿を書いて、それに対してまたみんなで議論したということです。なので厳密にみんなが集まってということはほとんどやっていませんし、基本的にはメールベースでやっています」(明日香調書p54)と証言を翻した。
つまり、それぞれの「議論」には、中心人物(執筆代表者)がいて、その原稿に「みんな」が意見を述べて原稿を修正するという通常の著述作成と同様の方法をとっていたことを自白した。「議論」の執筆責任者名を隠したのは、原告らの追及に耐えられないので、これを回避するため東京大学の蔭に隠れるための方便であった。
さて、明日香被告の重要な証言は、「発行所はどこでもよかった」(明日香調書p17、乙11)である。もしも問題の本が民間出版社の発行であるなら、原告も対等に民間出版社を利用して反論することが可能であるから、名誉毀損問題も回復できて事件にならないようにすることができる。
しかし、東京大学発行では、東京大学の権威に加えて、発行の資金、配布ルートに決定的な格差が存在し、東京大学の影響力も甚大で、この名誉毀損は原告にとって回復不可能となる。明日香被告は東京大学発行の本によりこのような状態になることについて注意義務を果たさなかった。
なお、この『地球温暖化懐疑論批判』(甲7)という本は、東京大学IR3S発行の本ということになっている。明日香被告の所属する東北大学は、協力機関ではあるが、構成機関ではない。そして、この本の基本的部分は、Ver.2.4を発行した2008年にはほぼ完成しており、ここまでの段階では東京大学の寄与はないから、この本を、東京大学IR3Sの研究成果ということはできない。
Ver.3.0以後、東大大学院生山本政一郎氏の関係する新聞記事の批判(議論29-5)について、「東京大学の研究成果ですか」との尋問に対して、明日香被告は「多分私の研究成果です」、「だから東京大学には関係ないです」と答えている(明日香調書p29、30)。
そして、この議論29-5以外には、明日香グループと東大の関係はなく、この『地球温暖化懐疑論批判』という本を東京大学の研究成果と主張することは「詐欺」に等しい行為と言えるから、この本の発行と配布は国立大学法人法第22条、29条で定める業務に違反する。明日香被告の私的印刷物ならば見逃されることも、東京大学がすれば重大な名誉毀損となることについて、明日香被告は注意していなかった。
4.本件名誉毀損事件における住被告の役割
上記、コメントVer.3.0(甲7-5)は、小宮山談話(7-7)にある5月発行という条件を満たしている。しかし、東京大学が発行した書籍ではなく、明日香私的印刷物のままである。このいきさつは、日本気象学会評議員会議(2009年3月)の議事録(甲19)における住被告の発言により明らかになる。
この評議員会議では、地球温暖化問題について、気象学会の関与のあり方が議論となった。藤谷理事長代理は「学会として積極的に参画する必要がある」(同p27)と述べた。新野理事長も「今後積極的に提言等を出していく体制を整える」(同p31)と述べた。
しかし、中島委員は「温暖化でも紙上でいろいろな先生が正しいとか、間違っているとか議論をやっている。そこへ気象学会が、温暖化の議論はこちらが正しい、という軍配をあげることをするのはいかがなものか」(同p31)と反対した。これに対し、三上委員は「書店に行くと地球温暖化に疑問を呈したり、でたらめであると主張する本がざっと見て半分ある。・・・この研究者の孤軍奮闘ではどうしようもない」(同p33)と執行部提案を支持した。
この問題について、住被告の次の発言は本件との関連において重要である。すなわち、「温暖化に関する懐疑論に関しても、明日香(壽川)さんたちの非常によくまとめたホームページが存在するので、印刷してもっと配布しようと考えている。しかし、組織としてそういう意志決定、価値観を伴うような決定をするのは問題があるので個人がやるしかない。学会としては議論の場を提供するというようなフレームワークにならざるを得ない」(p34)と述べた。つまり、住被告は東京大学で生じている例をあげて、気象学会での取り上げ方に意見を述べたのであった。
このように住被告のこの発言では印刷し配布するのは東京大学でも、内容と形式は明日香被告のホームページということになり、組織が関与する限界を示したのである。この気象学会評議員会における住被告の発言は、小宮山談話がなされた時期と同じ3月であって、小宮山被告に指示された東京大学発行の本をどのようすべきかと悩んだ住被告の心情を表している。その結果が、5月発行の明日香私的印刷物
Ver.3.0(甲7-5) となったものと思える。
ところが、住被告は、東京大学では気象学会と同じような議論をしていないという(乙18)。その結果、東京大学IR3Sでは5月に発行したコメントVer.3.0に加えて、ほぼ同じ内容のものを東京大学の本(甲7)として、10月に再発行したのである。
このとき、住被告は東京大学IR3SディレクターとしてIR3Sの判断に同意したという(乙13)。住被告の気象学会で述べた心情と住被告の東京大学での行動は明らかに矛盾し、学者としての清実さが問われる。
何故、住被告は東京大学の責任が問われないよう努力しなかったのであろうか。住被告がコメントVer.3.0の発行で東京大学の寄与を止めておけば、本件名誉毀損事件はなかったのである。気象学会での発言のようにしなかったことには理由があった筈で、住被告の本人尋問がなされていればそのいきさつを明らかにすることができたであろう。
本件『地球温暖化懐疑論批判』という本に記載されている9項目の特徴については、住被告の書いたものか、それとも明日香被告の書いたものかには問題が残っている。明日香被告は、その本人尋問において、9項目の特徴について「みんなで書きました」と述べた(明日香調書p16)。ここで「みんな」とは執筆者全体を指しており、住被告の責任ではないと言う。ところが、明日香被告は、本人尋問の最終段階で「みんな」ではなく「中心人物」がいて、それが原案を作ったと証言を翻えした(明日香調書p54)。この場合は、9項目の特徴の原案を住被告が作成したか、明日香被告が作成したかのどちらかということになる。
この9項目の特徴について、平成22年8月に作成した被告準備書面(3)の記述では、その代表例として9項目中8項目は住陳述書(乙9)に記載されており、残り1項目だけが明日香陳述書(乙8)に記載されている。つまり、9項目の内8項目の特徴は住被告が書いたので、その責任をとって8項目の特徴が真実であると住被告が書いたと推察される。特に問題となっているH「三段論法の誤り」については、明日香被告はその陳述書では何も述べていない。つまり明日香被告は、特徴Hについて何の責任も感じておらず、明日香被告はその作成に参加していないことを示している。
そして、9項目の特徴の内項目Gを除くものは住被告の書いたとすると、小宮山談話(甲7-7)にある「東北大の明日香教授と住明正教授が中心となってきちんと反論しています」のとおりに作業が進められたことになる。しかし、明日香証言でいうような9項目の特徴は執筆者みんなで書いたことになると、住被告は問題の本の「創刊にあたって」を書いただけで「きちんと反論」の部分が欠如することになる。
この9項目に対する責任感のあるなしは、住陳述書(乙9)の文章の「勢い」からも分かることである。明日香陳述書(乙8)では、項目G「温暖化対策の取り決め」を除き、その「勢い」がまったく感じられないから、項目G以外は明日香被告が書いたものではない。
本件名誉毀損事件の中心課題である「9項目の特徴」の作成責任者は誰か、という問題は住被告の本人尋問があれば明らかになる筈であった。
5.原告に貼り付けた5項目の特徴の虚偽について
名誉毀損事件では、一般に、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損」する被告の行為が問われる。まして「その事実が虚偽」である場合はなおさらである。そこで、被告側はその摘示した事実は少なくとも「真実である」と主張することになる。
本件の場合、原告に対して摘示した事実は住陳述書(乙9)と明日香陳述書(乙8、19)により、次の5項目である。
特徴@「既存の知見や観測データを誤解あるいは曲解している」(住、議論14)
特徴A「すでに十分に考慮されている事項を、考慮していないと批判する」(住、議論
26)
特徴C「定量的評価が進んできている事項に対して、定性的にとどまる言説を持ち出 して否定する」(住、議論17、明日香、議論26)
特徴F「問題となる現象の時間的および空間的なスケールを取り違えている」
(住、議論14、明日香、議論31)
特徴H「三段論法の間違いなどロジックとして誤謬がある」
(住、議論18、明日香、議論18)
ここで、議論14、17、18、26、31は、原告の学説を対象にしている。
特徴@について、原告準備書面(3)(p3中段)で述べたように「原因は結果よりも遅れることはない」という時間の流れに沿って理解しており、誤解・曲解は存在しない(槌田調書p1)。
特徴AについてIPCCの説では水蒸気の効果を90%と固定し、CO2の効果だけを論じている。CO2に温暖化効果のあるのは水蒸気濃度が薄く放射冷却のある場合だけで、水蒸気濃度が高ければCO2の効果は隠れてしまう(槌田調書p3)。このことが考慮されていない。
特徴Cについて、住被告はIPCCでの計算を強調するが、これによれば森林は増えることになる。しかし、FAOは森林は減ったとしている。定性的考察で否定されるような定量的考察は無意味である(槌田調書p4)。また、明日香被告は、常にCO2に温暖化効果があるかのように主張するが、上述特徴Aで述べたとおりである。
特徴Fについて、住被告は原告らの研究を数年規模の研究というが、原告らは35年間のデータにより論じている(槌田調書p6)。また、明日香被告は、人間が困る寒冷化は数万年後の話というが、原告は数百年規模で気候変動があると考えている(槌田調書p6)。そして、原告は空間的取り違えなどしていない。
特徴Hについて、住陳述書(乙9、p5)では、大前提、小前提、結論らしきが示されておらず、何が言いたいのか不明である。明日香本人尋問でも、明日香被告が何を言っているのか分からないことになり(明日香調書p40〜47)、「三段論法の誤謬について、住発言を支持するという陳述書を書くのか書かないのかどちらですか」という原告の尋問(明日香調書p47)で、いやがる明日香被告は「三段論法の誤り」について無理に陳述書を書かされることになった。
そのため、自分は関係者ではないということだろうか、提出された明日香陳述書(乙19)の記述はまったくの投げやりで、この項目Hについて住陳述書を引用さえせず、「住陳述書を支持する」という約束を果たさなかった。そして、この明日香陳述書(乙19)により、明日香被告は、「三段論法とは、ふたつの前提だけから結論を得る」ことについて、無知であることを示してしまった。
その結果、特徴Hにある「三段論法の誤謬」について、「何が三段論法の誤謬なのか」について住被告の陳述書(乙9)の意味不明の記述がそのまま残されることになった。つまり、原告の学説に「三段論法の誤謬」が存在することの証明に失敗し、東京大学がこの本において学者失格を意味する「H三段論法の間違いなどロジックとしての誤謬がある」とのウソのレッテルを原告に対して貼り付けたことが明らかになった。これは東京大学による名誉毀損の上塗りである。
6.本件名誉毀損事件における濱田被告の役割
本名誉毀損事件の最重要の責任者は濱田被告である。東京大学学長でもあり、また東京大学IR3S機構長でもある濱田被告が、東京大学による名誉毀損事件にならないように注意すれば本件はなかった。
そこで明日香被告にも尋問したが、明日香被告に対して濱田被告から、この東京大学発行の本『地球温暖化懐疑論批判』(甲7)の編集に関する注意は何もなかったという(明日香調書p35〜36)。
そして、原告の質問(甲8-1)に対する東京大学IR3Sの回答では、「IR3S叢書はIR3Sに所属する研究者の研究成果」(甲8-2)と書いてある。この『地球温暖化懐疑論批判』の原稿となる明日香コメントVer.2.4は、東大との接触以前に書かれたものである。それなのにこの明日香コメントを東大の研究成果であるかのように記述をしている。
その後、濱田被告は、東京大学に対して折衝を求めた原告に何の回答もせず(甲9-1〜
9-5)、名誉毀損事件にしないための努力を一切しなかった。
濱田被告が、@コメントVer.3.0にある9項目の特徴を削除させ、A住被告には、9項目の特徴ではなく、学者らしい「きちんとした反論」を書かせ、B各論文に作成者氏名を書かせ、C学術論文としては不適当な語句を削除させ、D東京大学の発行ではなく、東京大学出版会など民間出版社の使用の指示をしていれば、東京大学による名誉毀損事件はなかったのである。濱田被告が本件の最大の原因者とする理由である。
7.名誉毀損の成立と効果
すでに述べたように、東京大学は、準国家機関であって表現の自由はなく、また国立大学法人法22条、29条によって、学説批判をしたり、また特徴を学者の議論に貼り付けたりする業務を許されていない。したがってそのような業務を為せばそのまま東京大学による名誉毀損となる。
そして、学説批判や特徴が間違っている場合は、その名誉毀損はより深刻になる。学説批判の内容を科学的に論ずることは本件民事裁判の対象外であるから、あえて問題にしなかったが、原告に貼り付けた特徴の間違いについては十分に指摘した。
その中でも、原告の議論に「三段論法の誤謬がある」との指摘について、執筆者の可能性のある住被告(乙9)、明日香被告(乙19)は、両人共に、初等論理学でいう三段論法とは何かも知らないで、原告の議論に三段論法の間違いがあるとの特徴の貼り付けた(明日香調書p42〜47)ことがあきらかになった。
すでに述べたように東京大学は巨大な権威、出版配布能力、そして影響力を持っている。その東京大学が原告ら12名の懐疑論者をやっつけたということで、kikulogというブログ(甲12)はやんやの喝采である。
2009年秋に、原告を囲み地球温暖化を考える座談会が企画された。通説のCO2が原因で温暖化するというのとは逆に、槌田の言う温暖化が原因でCO2が増えたというのを聞いてみようということになった。ところが、東京大学との争いになったということでキャンセルになった(槌田調書p16)。また、東京工大大学院や学芸大学で科目講義の1時間分をもらって「温暖化によるCO2増加」を講義していたがそれもなくなった(同)。現在も続いているのは文系の私立大学での1時間講義だけである。
そもそも原告は被告東京大学から博士号を与えられている。その原告の学説が東京大学により否定されたのである。原告がこれを受け入れず東京大学と争ったことが伝わると、原告の出身した理学部小谷研究室のOBたち(多数の東大教授と国立大学教授を含む)のように、原告周辺の国立大学や公立大学の学者たちは原告から離れていった。小谷研OB会からの連絡は、集まりの案内や会員の消息を含めて一切来なくなった。破門状態である。東京大学の権威を使うという小宮山被告の秘策は成功したのである。
東京大学の出版と配布の能力は言うまでもなく原告をはるかに超えている。東京大学は、『地球温暖化懐疑論批判』という本を出すのに文部省から得た約358万円を使用している(乙12、濱田陳述書)。原告にはそのような資金はない。東京大学はこの本を全国の大学事務室にまとめて郵送し、各事務室は関係教授に配布している。原告にはそのような配布ルートはないから、どうすることもできない。
ところで、このような被害を原告に与えるために、東京大学は以下に述べる10項目もの〈無理〉を重ねねばならなかった(甲20、槌田陳述書(2))。
無理@、原告を含む懐疑論者に対して東京大学が直接人身攻撃する無理
無理A、東京大学が学位授与以外の人物評価する無理
無理B、科学者失格を意味する「三段論法の間違い」を貼り付ける無理
無理C、学説に9項目特徴の貼り付けて、学問の自由を攻撃する無理
無理D、表現の自由がないのに、学者(国民)の表現の自由を攻撃する無理
無理E、学説非難という国立大学法人法で許可されない業務をする無理
無理F、住被告という大学教授の主張を曲げさせた無理
無理G、濱田被告に清実な対応をさせず、名誉毀損事件にしてしまった無理
無理H、東京大学との関係を示すため元大学院学生に経歴詐称させた無理
無理I、民間出版社による本ではなく、東京大学の出版に固執した無理
小宮山被告、明日香被告、住被告、そして特に濱田被告は、これらの行為が無理であることが分からない訳ではない。それにもかかわらず、「温暖化懐疑論に終止符を」という本の東京大学による発行という小宮山談話の実現を目指したところに、本件名誉毀損事件の本質がある。
8.憲法23条(学問の自由)、憲法21条@(表現の自由)の危機
原告陳述書(3)(甲21)でも述べたが、理工系学者の学問の自由は風前の灯火となっている。原告は、勤務先の理化学研究所において、核融合研究を否定する論文を書いたことで、懲戒処分を受けた(同p1)。
勤務先の名城大学経済学部では何事もなかったが、環境経済・政策学会では、後には提出論文はそのまま掲載されるのだが、一旦は採用拒否という事態が続いた。これが明日香被告が『地球温暖化懐疑論批判』で「被害妄想や自信過剰の賜物」などと評した出来事(甲7、p8右)である。理工学部と経済学部共催の原告最終講義では「CO2温暖化批判」をしたところ、その世話をしてくださった理工学部教授は同僚から吊るし上げられたという(甲21、原告陳述書(3)p2)。
気象学会は、原告らが発見した「気温がCO2濃度増の原因」についての論文とその考察という論文を、気象学会は掲載拒否した。CO2温暖化説にとって都合が悪いので「発見した事実」も発表させないのである。東京地裁に提訴したが、第一事件は学会側にも科学的根拠があることを理由に、第二事件は司法対象ではないことを理由に棄却した(甲21、原告陳述書(3)p3)。これらの裁判は不毛であった。
これに対し、物理学会は原告の論文をすべて採用した。しかし、いずれも編集委員会での内紛となり、その採用時期は極端に遅れた。
国立大学(理工系)では、文部省や科学技術庁の方針に逆らう者は万年助手(助教)のまま定年を迎える。原告も理化学研究所での身分は研究員のままであった(甲21、原告陳述書(3)p4)。すべて憲法23条(学問の自由)が保障されていない。
そして、本件では、東京大学は、懐疑論との「議論を打ち止めにする」(甲7-7)ため、東京大学の権威を利用して科学論争に直接介入した。これは東京大学による憲法23条に対する攻撃と同時に、東京大学による憲法21条(表現の自由)に対する攻撃でもある。
以上は、理工系の場合であるが、文系でも政治に関係する研究では、学会は政府の方針にしたがって、学問に介入する。原告は、エントロピー経済学の立場から、貿易による物流を研究した。その結果、自由貿易という物流は失業の基本的原因となることを突き止め、これを商業学会誌に投稿した。ところが、学会はこれを受付ないのである。この論文が間違っているからではない。理由を示さず受付けないのである。この論文を採用すれば、自由貿易という国家の基盤が理論的に崩されるからである。
理工系、法律経済系を問わず、国家の方針に逆らう学者の発表は許されない。その結果、政治による研究費配分になびく学者ばかりとなって、政府の方針の合唱が学界を占めることになる。このように真実が曲げられる社会の行く末は絶望的である。
その例が福島原発事故である。研究費や地位を目指して多数の理工系や法律経済系の学者が原子力推進に群がった。そして反対派は排除されて一握りの少数派となった。その結果、安全対策が軽視されて原発事故となった(甲26)。そして、福島県100万人の県民が大災害を受けた。
それから1年が過ぎ、未だ福島事故を考慮した安全基準ができていないのに、多数の政府寄り経済学者の助言を得て「原発止めては生活成立せず」との野田首相の国会答弁となった(12年5月29日)。原発事故で生活の成立しなくなった福島県民を無視し、原発事故の反省などまったくない首相に私は絶望した。この首相を支えているのが、多数派の学者である。
では、どのようにすればよいのか。本件東京大学による名誉毀損事件について、原告と同様に9項目の特徴で名指しされた武田邦彦中部大学教授と池田清彦早稲田大学教授に、本件についての意見をそれぞれ陳述していただいた。ここで、学問の自由こそが、この絶望を着実に解決する有効な方法であることを示すために、両教授の陳述書の一節を引用せていただく。
武田邦彦陳述書(甲17、p8)
(前略)具体的には、東大に名指しで人物を批判されると、「あの学者は怪しい」、「研究費の配分は見送ろう」、「公的な役割は控えてもらいたい」、「論文をそのまま通しにくい」、「再就職の斡旋はしにくい」などが生じる。このようなことは歴史的にも社会的にも当然のことであり、このような暗いことが行われないように、憲法で「学問の自由はこれを保証する」と定めていると考えていた。
従って、著者は小宮山宏のコメントと本書の配布は、学問の自由の保証という憲法の理念を裏切る、学者にとってあるまじき重大な違法行為であると考えている。
(中略)
このような状況にもかかわらず、学問の本質の一つが「懐疑」である。仮に歴代の東大総長が小宮山宏と同じように、特定の研究の「懐疑論」に「終止符」を打つために次々と「東大の組織活動」を利用して、「出版物を無料で頒布」し、懐疑論者に対する人格攻撃を行うことになると、東大組織の価値観に合わない研究テーマが組織と国費による爆撃を受けて、日本の学者は実質的に学問の自由は奪われるだろう。
池田清彦陳述書(甲18、p5)
(前略)日本政府が温暖化論に見切りをつけることを恐れるかなりの数の御用学者たちは、人為的温暖化論に批判的な研究者に対して感情的な批判と言論封殺をやめようとしません。その好例は前記『地球温暖化懐疑論批判』の出版と、近藤邦明氏と槌田敦氏が日本気象学会に投稿した論文「大気中のCO2濃度増は自然現象であった。U.関連する事実と理論についての考察」に対する掲載拒否でしょう。
開かれた社会にあっては国立大学や学会などの公的機関は、論争中の科学陣営の一方のみに肩入れして、他方の言論を封殺することはもとより許されることではありません。このような異常な事態は速やかに改善されるべきものと考えます。
9.結論
本件は、東京大学により原告の学者としての社会的評価を貶められた事件であり、民法709条(不法行為による損害賠償)、710条(財産以外のみ損害の賠償)、723条(名誉毀損における現状回復)を求める裁判である。
加えて本件は、国家権力に迎合する者たちが憲法23条(学問の自由)に違反し、憲法21条(国民の表現の自由)を侵害した事件であり、彼らとのたたかいにより憲法を自ら守ることを決意した者の記録である。
本件訴状(平成21年(ワ)第47553号および平成23年(ワ)第10874号)において請求した慰謝料150万円(総額)は、『地球温暖化懐疑論批判』の出版・配布に要した金額の半分にもならないが、これにより『東京大学の「地球温暖化懐疑論批判」に回答する(仮題)』という本を発行する。
この本において、気象学会が採用拒否した論文『大気中のCO2濃度増は自然現象であった』(甲16)も発表し、第10回口頭弁論(槌田調書p17)で述べたが、近藤邦明氏と原告が発見した事実「気温と大気中CO2濃度変化率の関係」(甲22、図3)を公開する。この事実は、CO2温暖化説を完全に否定することになる。
この本を全国の大学図書室に寄贈するなどして、学者としての名誉回復を多少なりとも図ることとしたい。
以上
これまで政府・民主党の大飯原発早期再稼働に明確な反対を主張していると見られていた関西広域連合でしたが、夏場の電力不足を回避するためには再稼働やむなしという姿勢に一転したことに対して、脱原発運動の中から落胆と失望の声があがっているようです。
中でも、大阪市長橋下徹をヒーロー視する愚かな認識しかなかった人々の間では落胆が大きいようです。私はむしろ、橋下らしい身の処し方だと納得したのですが…(笑)。
これまで橋下が原発再稼働反対の理由としてきた内容に対して、野田民主党政権の基本的な対応は何ら変化しておらず(規制庁はできず、福島原発事故の原因究明に基づく安全対策はまったくなされておらず、大阪市民の8割以上は再稼働の危険性を危惧している…等々。)、原発再稼働容認に転じる客観的な状況の変化は存在しません。つまり、今回の橋下の変化は『君子豹変す』というような立派なものではないのです。
橋下の処世術については前にも触れましたが、自分の主張を通すためには利用できるものはなんでも使い、決して負け組には与しないということだろうと思います。
今回の大飯原発再稼働については、大阪市民を含めて、直接的に大飯原発の経済的な恩恵にあずかるおおい町以外の地元住民の圧倒的多数が早期の原発再稼働に反対であるという情勢から、おそらく橋下としては当初はこの世論に乗れば大飯原発再稼働は阻止できると考え、これを積極的に利用してヒーローになろうと考えたのでしょう。
ところが頑なな(笑)原発早期再稼働を目論む野田民主党政権の姿勢は、橋下の予想以上に強硬であり、地元住民の反対の意志を無視してでも産業界の意向にそって原発再稼働を強行することが明らかになったことで、このまま反対すれば何も得るものはなく100%負けになると読んだ橋下は、今度は民意を無視して原発再稼働容認に転んだというところでしょう。
あくまでも私の偏見に満ちた個人的感想ですが(笑)、要するに節操のない俗な政治屋だというのが橋下の実像なのであろうと考えます。
福島第一原発事故が発生して1年以上が経過し、放射性物質による汚染地域における影響が懸念されます。チェルノブイリに比べてはるかに人口密度の高い日本で、汚染地域からの避難行動が十分に行われていない状況では、早晩大きな影響が現れるものと考えられます。
ネット上に、政府の人口動態調査に現れた福島の子供たちの現状についてのレポート『「福島県の子ども」の病死者数について』が公開されています。本文はリンク先をご覧いただくとして、グラフを引用しておきます。
この統計値は、放射線の影響に注目したものではなく、一般的な政府による人口動態調査の結果を示したものと思われます。結果から、福島第一原発事故の低線量放射線被曝の影響と思しき傾向が推定される結果がすでに現れているのです。この結果を踏まえて、徹底的な追跡調査が必要だと考えます。
レポートにも書かれていますが、政府の立場である「福島の汚染状況では身体的な影響が現れるはずはない」という姿勢で調査を行わないなどということは、許されないことです。
電力各社の値上げ申請の妥当性を検証する経済産業省の審議会「電気料金審査専門委員会」に於いて、電力会社の利益の大部分が家庭用電力によっていることが報道されましたが、このことに驚いたというような趣旨の報道が多いことに『驚き』ました(笑)。
家庭用電力の価格が20円/kWh程度なのに対して、企業向け電力の価格は10円/kWhそこそこというのは周知の事実でしょう。一方電力原価はやはり10円/kWh程度でしょうから、企業向け電力はせいぜい足が出ない程度であることは当たり前、利益は家庭用電力から得られているのは当然の話しです。
このことに対して、報道では企業用電力価格は市場原理で決まり、家庭用電力価格は総括原価方式で決まるからと言っていますが、本当でしょうか?電力会社は年間の発電経費+レートベースに対する一定割合の利益を加算してその年の売上の総額を決めている(=総括原価方式)はずです。その利益分をどのように配分するかは各電力会社の思惑次第でしょう。企業向け電力は他社との価格競争からそれほど高額にすることはできないので、利益分はほんの少しだけ、利益の大部分は家庭用電力に載せましょうと判断しているだけでしょう。第一、家庭用電力価格にしても一律ではなく、消費電力量によって単価が異なるのですから。
何れにしても、こんなことは今更驚くに当たるような事柄ではありません。本当に知らなかったとすれば単に無能・怠慢だということです。
少し脱線してしまいました(笑)。本題です。ドイツ政府が太陽光発電導入から一転、導入量を抑制する方向に政策転換したことはすでに報告しました。
ドイツ政府が再生可能エネルギー発電電力に対する全量高額固定価格買取(FIT)を始めたのは、高額買取によって太陽光発電パネル導入量が増加し、それによって技術開発や生産プロセスの効率化によってパネル価格がどんどん安くなることを期待して、国内太陽光発電パネル製造メーカーを育成して戦略的な輸出商品にするという腹づもりがあったからでしょう。
ところがその目論見はもろくも崩れ去ったのです。太陽光発電装置の導入量は増えましたが、同時に国内の電力価格は高騰することになりました。ドイツの家庭用電力価格は日本をはるかに越えて世界最高価格になってしまいました。産業用電力価格もFIT導入後に急上昇を示し、導入以前の3倍以上になり、日本とほぼ同レベルになっています。
エネルギー集約的、もっと言えば電力集約的な製造業である太陽光発電パネル製造では、電力価格の高騰はそのまま製品価格の高騰に繋がってしまうのは当然でした。一方、新規技術開発や製造プロセスの効率化には限界があり、思うように生産コストは下がりませんでした。
一方、先進国の太陽光発電パネルの政策的な導入を睨んで、中国を中心とする発展途上国では安い電力と労働力を使って格安の太陽光発電パネルが大量製造され、西欧諸国に売り込みを開始しました。これによって、西欧諸国の太陽光発電パネルメーカーの売上は激減し、スペイン・イタリアやドイツではメーカーの倒産が相次いでいるのです。その象徴が、一時期は世界最大のシェアを誇ったドイツの太陽光発電パネルメーカーの最大手であるQセルズの破産です。
これは、太陽光発電装置の製造プロセスはすでに枯れた技術となっており、発展途上国においても製造可能であり、同時に今後いくら莫大な技術研究や開発に資本投下してもその効果はほとんど期待できないことを意味しています。
例えば、ソーラーカーレースに用いられる、高性能の太陽光発電パネル価格は、10u程度で1千万円のオーダー(普及タイプの10倍以上!)とも聞きますが、その発電能力は家庭用の太陽光発電パネルとそれほど大きな違いはないのです。
ドイツ政府が太陽光発電導入促進政策を放棄した背景には、単に経済指標の悪化があるばかりではなく、太陽光発電技術の画期的な技術開発によるブレークスルーは今後期待できないと判断したからにほかなりません。
さて、我が日本の民主党政権は、来る7月から再生可能エネルギー発電電力に対する全量高額固定価格買取制度を開始します。我が国でも、当面の高価格買取で導入量を増やすことで、製品価格が低下することを見込んでの制度導入ですが、この目論見はすでに破綻することが見えています。西欧諸国の経験に学ばないこの国の愚かな政府・国民は度し難い愚か者ということです。
●2012年5月26日(土)8:15〜9:30
●NHK総合「週刊ニュース深読み 〜宇宙ビジネス最前線」
●出演
司会 小野文恵
NHK解説委員 室山哲也
JAXA、東大の研究者?
宇宙ビジネスなど、なんと愚かな…。NHKのオタク解説委員室山はどうしようもない愚か者です。JAXAや東大で宇宙開発を推進する立場の人間だけを集めた言いたい放題のプロバガンダ番組です。これでは原発推進の旗振りをしてきたNHK(かつては現職の局長を原子力文化振興財団の理事に派遣していた)と同じで、原発を宇宙開発に取り替えただけの一方的報道姿勢は変わるところがありません。報道機関ではなく、政府・企業の広報機関です。
市議会全会一致で東北地方太平洋沖地震瓦礫の域外焼却処分の受入を決めた北九州市で、試験焼却をするために宮城県の瓦礫を積んだ6台のトラックが5月22日に北九州市の集積場に入りました。
震災瓦礫の域外での焼却処分にはどう考えても合理性があるとは思えず、市民が反対するのは当然の反応だと考えます。市議会の拙速な判断について、地元住民に対して納得の出来る説明を行わないまま試験焼却を強行しようとする行政のやり方は、これまでどうりの強権的な原子力行政のやり方と同じで、何の反省もないようです。大分合同新聞の2012年5月23日朝刊の記事を紹介します。
記事の状況説明が不適切で、具体的にどのような状態の空間線量率(相変わらず記者のレベルが低く、果たしてガイガーカウンターで空間線量率が計測できるとは思えないのですが…)かはよく分からないのですが、0.6μSv/h程度が検出されたとしています。この値は年間積算線量に変換すると次のとおりです。
0.6μSv/h×24h/日×365日/年=5,256μSv/年=5.256mSv/年
5.2mSv/年という値は、一般公衆や非放射線業務従事者の立ち入りを禁止しなければならない放射線管理区域に指定すべき線量レベルです。
実際には通常の焼却ごみと混ぜて焼却すれば基準値以下になるとか、色々な理由付けはあるでしょう。しかし、福島原発起源の放射能にほとんど汚染されていない地域にわざわざ石油を使って放射能汚染物質を持ち込み、焼却することでこれを拡散することになることは疑いのない事実であり、実に愚かとしか言いようがありません。
政府の言い分は極論すれば、「核のゴミで東北だけが汚染するのは不平等なので、日本国中に汚染を広げてみんなで分かちあいましょう!」という愚かな精神論です。本来ならば、汚染はできるだけ限定された地域に集積して集中管理し、汚染されていない環境をしっかり守ることこそ重要です。
5月26日 追記
武田邦彦氏のブログから、関連記事を転載します。
(速報)北九州報告・・島田市と併せて
(思想を含まず、科学的に整理しました)
北九州市で瓦礫が焼却されました。前後の線量率変化を整理してみます。まず観測点1では、次のようになったようです。
焼却開始前の線量率 北九州市民家 最低0.05―平均0.06―最高0.09μS/h
2012年5月23日から24日 日明焼却場で瓦礫焼却
同年 5月24日から25日 新門司焼却場で瓦礫焼却
焼却後線量率 北九州同一箇所 最高0.14μS/h
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北九州市はやや自然放射線が高いところですが、福島原発事故前は0.04μS/hだったと推定されます。従って、事故後、いろいろなものが運搬されて約1.5倍になっていると思われます。それに今回、瓦礫を焼却したので、データからはさらに少し上がっています。推定では2倍程度になったと考えられます。
すぐ逃げなければならないということはありませんが、瓦礫の焼却は中止した方が良いでしょう。
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一方、他地区に先行して瓦礫焼却を行った島田市ではセシウムの漏洩が見られています。
この表は実測を元に島田市の方が計算したもので、瓦礫の中に含まれるセシウム137が34.3万ベクレル、そのうち、最終的に無管理状態で空気中に飛散したのが11.2万ベクレルで、捕捉率は32.7%で、瓦礫の中に含まれていたセシウムの約3分の1が島田市の大気に出ています。
一般ゴミの場合の固形物の捕捉率は99.9%ですから、セシウムが捕捉しにくいことがわかります。セシウム134はこれより少し少なく、ストロンチウム、プルトニウムは測定されていません。
また、島田市の瓦礫焼却による島田市の空気中の放射線量については、京都大学の方が測定を行っており、次のグラフが公開されています。
これによりますと、島田市の松葉に付着した放射性セシウム量は焼却によって平均1キログラムあたり3ベクレルほど上昇しています。牧之原市、静岡市については変化が少なく、ハッキリはわかりません。
以上のことから、島田市においても瓦礫の焼却を続けると汚染の拡大が心配されます。特にセシウムの他にストロンチウムやプルトニウムを含むものが東北の海岸線などからもたらされた場合の影響はまったく不明です。
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瓦礫の中には放射性物質が含まれており、受け入れ瓦礫ばかりで無く処理プラント(放射性物質を取り扱う許可を得ていないプラント)内で1キロ100ベクレルを超えることは法律的に認められていません。従って、北九州市も島田市も法律違反であることは間違いありません。
文科省が公開している1キロ100ベクレル(正式には1年10μS/h)を超えるものを扱った場合の罰則を文科省の図をそのまま示しておきます。
このように「福島原発以前」なら、北九州市長も島田市長も懲役か罰金になる可能性のある行為ということになります。今朝、テレビを見ていましたら、「瓦礫の搬出に反対する人は論理的ではない」との発言がありましたが、その理由は「測定しているから」ということですが、測定値を見ると「法律違反」ですから、「お上が測定しているから、庶民は文句を言うな」というのでは封建主義のようなものです。
瓦礫を引きうけるとその土地が汚染されるのは当然で、「東北の人の恩に報いるために、自分たちの子どもを被曝させる」ということですから、まさに「国のために死んでくれ」を連発した戦争前に戻ったようです。
なお、福島のお母さんは「自分たちの苦しみを他県のお母さんに経験させたくない」と瓦礫の搬出に反対しています。誰のために、何のためにやっているのか、市長の腹の中が見えるようです。
(平成24年5月25日)
このHPで時々記事を引用させていただいているはれほれ氏のブログ「悪魔のささやき」(名前だけ聞くと、ちょっと怪しげですが・・・笑)に興味深い二つの話題を見つけましたので、紹介しておきます。
このHPでは、人為的CO2地球温暖化脅威説に対しては、すでに結論が得られたと考えていますので、裁判報告以外ではあまり記事を書くことが無くなって来ましたが、巷では相変わらず人為的CO2地球温暖化脅威説の猛威はおさまることを知らず、原発の代替には自然エネルギー発電などという愚かな世論形成に重大な影響を及ぼし続けています。
まずひとつは、宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校(公立の中高一貫教育学校のようです)の六年生(高校三年生に相当)の平成17年のレポート“「地球温暖化」の真実〜温暖化は本当に起こっているのか〜”についてです。平成17年(2005年)といえば京都議定書が発効した直後の時期ですから、公立の高校理科教育の中で、日本政府の主張に疑問を呈するような研究テーマを選択したこと、それ自体が画期的かつ野心的なものだと思います。
それほど長いレポートではないので、原文を読んでいただくとして、感想を述べておきたいと思います。勿論高校生のレポートということで、仮説のたて方が荒っぽく、検証のために集めたデータも必ずしも十分とは言えず、十分仮説を検証するに足る内容とは言い難いものではあります。また、結果の解釈にも疑問が残ります。
しかし、彼らのレポートは自然現象の観測データを収集して、その関係性を探るという自然科学の本質的な方法論を確実に踏襲していることは間違いありません。その意味で彼らのレポートは自然科学のレポートとしては必要条件を満足していると言ってよいでしょう。
もう一つの話題は、はれほれ氏の記事『高層気象観測データと気候モデル』に紹介されている職業的気象研究者の発言です。記事から関連部分を引用しておきます。
IPCCやモデラーなどが脅しに使用しているこの温度上昇の必殺技が観測事実と矛盾することになるが、温暖化論者はラジオゾンデによる観測データはunreliableという得意の決まり文句で無視を決め込むのだろうか。(笑)また彼らの理論によると熱帯対流圏上層に温度の高い領域、hot spotの出現が必須であるが、これも観測では認められていない。これについて日本気象学会九州支部第11回 気象教室において気象研究所の吉村純は「それは観測が間違っている」と言い放った。私のような凡人は自分が建てた仮説が観測結果と違うとき、仮説が間違っているのではないかとまず考えるのだがどうもモデラー連中の思考過程は違うようだ。あくまでも自分の理論に絶対の自信を持ち、自己の理論に都合の悪い観測結果は無視する。彼らにとってコンピューターの中だけが世界の真実なのだろう。(笑)とはいえ、また温暖化論に必要不可欠の「水蒸気フィードバック」理論の重大な矛盾が観測データから突き付けられたことになる。もういいかげんに目をさまして現実を見つめてはどうだろうか。
少し補足しておきますと、ここに登場する吉村純は、悪名高き明日香グループの当初からのメンバーであり、環境経済・政策学会での温暖化についての槌田氏と明日香の議論の「続きは気象学会でやりましょう」と提案した男です。彼は気象学会を開かれた学会であり誰でも発言できると言っていましたが、学会員になった槌田氏に対して論文発表の機会を与えないばかりか、年次講演会の発表まで拒否するという、とんでもない組織であることがその後判明したのですが・・・(笑)。結局のところ彼は味方の多い気象学会で槌田氏と私の主張を握りつぶそうとしたということのようです。彼は、現在係争中の東大IR3S『地球温暖化懐疑論批判』という冊子の著者の一人としても名を連ねています。怨み言が長くなってしまいました(笑)。
最近の若い研究者に典型的に見られる傾向のようですが、過去に得られた知見を元に演繹的に数値モデルを構築して、巨大なコンピュータを回して得た計算結果こそ信頼出来る科学的な結論だという妄想に侵されているようです。
自然科学の基礎的な知見とは、できるだけ単純に管理された条件下で単一の現象を分析的に観察することで得たものです。個別の単純な事象が表現できることと、多くの錯綜する現象の相互作用として観測される実際の地球環境で起こる自然現象はまったく別の現象であることが理解できないようです。気象のような極めて多くの要素を含む錯綜する自然現象を、基礎的な知見を組み合わせた単純な数値モデルで再現できると考えること自体が、すでに誤りなのです。
吉村純のような、数値モデルの計算結果と現実の観測結果が食い違うとき、数値モデルの方が正解であり観測結果が誤りであるなどということを公言する者は、最早自然科学者ではなく、電子計算機の虚像空間に遊ぶコンピューターゲーマーと言うべきでしょう。ゲーマーと気象観測データの解釈を議論すること自体が無意味だったのだと、やっと理解できました(笑)。
吉村を始めとする若い研究者の自然科学者としての質が低いのはどうしようもないのですが、気象研究者の名誉のために一言付け加えておくと、例えば東大の住明正等は人為的CO2地球温暖化仮説が科学的に誤りであり、数値モデルの限界も十分承知のうえで、これを政治的に利用して研究予算などを得ようとしているのだと推測しています(彼は気象学会の理事会において、組織として人為的CO2地球温暖化仮説が正しいと主張することに対して否定的な立場を表明していました。)。住は小宮山宏(当時東大総長)の指示を受けて明日香や吉村などの思慮の浅い鉄砲玉を使って東大IR3S『地球温暖化懐疑論批判』という冊子を作りながら、自分の手を汚さないように直接その内容に関わらないように立ち回っています。おそらく彼はこの冊子に直接関われば、自らの気象研究者としての信頼性が失墜する危険性を承知していたからだと考えます。
結論です。宮崎県の高校生と気象研究所の吉村純を比較すれば、宮崎の高校生の方がはるかに自然科学の方法論というものを正しく認識していると考えます。
原発の再稼働に向けて、着々と地ならしが進められているようです。マスコミは電力使用制限に反対する製造業者を盛んに登場させるなどして、危機感を煽り、原子力の運転再開を求める世論に誘導しようとしているようです。
国は、福島第一原発事故の情報を隠蔽してまともな科学・技術的な分析さえ行っていません。それにもかかわらず、既存の原発の安全性について運転再開に問題なしという、何ら裏付けのない意味不明の安全宣言を出すしまつです。再び原子力安全神話の第二幕の幕開けです。
そしておおい町では大飯原発の運転再開について、地元住民の中には原発運転再開による交付金の支給を望む意見が多いとして、町議会は圧倒的多数で運転再開に同意することにしました。原発交付金依存症に陥った地方自治体が更生することは難しく、またそこに付け込む国や電力会社は卑劣極まりない連中です。
なんという愚かで学習しない人々でしょうか。本来ならば、国家の大計を預かる政府ならば、刹那的な経済発展よりも将来を見据えた長期的な展望を持ってこの原発問題に真摯に向き合うべきですが、民間企業の顔色をうかがい、原発立地自治体に金をばらまいて、拙速な原発再稼働を画策するなど、愚か者の極みです。
生命や環境の問題よりも刹那的な経済活動を優先する拝金主義のこの国はいずれ汚染にまみれて滅亡することになるのでしょう。
大飯原発:再稼働判断は「今月中」 町議会容認で町長
毎日新聞 2012年05月14日 20時23分(最終更新 05月14日 20時39分)
関西電力大飯原発3、4号機の再稼働問題で、福井県おおい町議会は14日、全員協議会を開き、11対1の賛成多数で再稼働を容認した。議長から報告を受けた時岡忍町長は記者会見し、「考えをまとめねばならない。今の状況では即容認というわけにはいかない」と慎重な姿勢を表明。判断のめどは「今月中」とした。
時岡町長が今月7日、議会に住民の意見の集約を要請。議会は作業部会を設置し、町民対象の議会報告会での意見や先月開いた住民説明会での国の説明内容を検証していた。
この日の全協では、各議員が日ごろ聞いた住民意見を基に再稼働への見解を表明。「慎重意見は思いのほか少なく、原発停止による町税収や交付金の減少を危惧する声が多い」「十分な安全性が担保されていることを認める。日本経済の活性化のためにも動かしてほしい」など容認論が相次いだ。反対した議員は「財政問題も安全が前提とならないと議論にならない。原発が止まっても、廃炉作業があり、雇用はゼロにはならない」と述べた。
新谷欣也議長は町長に「住民の意見や生活の実情などを総合的に判断すると、原発の安全確保を最優先とする政府の求心力に期待し、同意する」などと報告した。
時岡町長は会見で、残る課題として再稼働に慎重な周辺自治体の動向を挙げ、「批判の電話が役場に殺到している。容認を判断すれば悪者扱いになり、町民もこれに加担したことになる」と話した。時岡町長は国の対応を見極め、安全性を検証している同県原子力安全専門委員会の判断も待って最終判断する方針。同委は8日に審議を終え、政府の安全確認を追認する方向で報告書を作成中だ。
西川一誠知事は同委や同町、県議会の意見を聞き、再稼働の可否を判断する。県議会は9日に国から説明を受けており、再稼働への手続きが進んでいる。西川知事は14日、町議会の判断について、「(状況を)聞いてみないと分からない」とし、具体的な言及を避けた。【松野和生】