No.1289(2019/09/10) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄 番外編
「検証温暖化」読者からの意見/価値観の相違ではなく科学的必然

 ここ数日、「検証温暖化」の読者の方からメールをいただき、何度かメールの交換をしてきました。幸い、温暖化に関する内容については好意的に評価していただいたのではないか(?)と推測しています。ただし、「苦言」として終章の内容についてご意見をいただきました。曰く、

再生可能エネルギーの低コスト化はかなり進み
(機械・電気等の研究成果)
化石燃料以下の発電コストの風力や太陽光発電も出てきているようです。

石油・石炭・天然ガスが有限ならいつか枯渇しますし
過去にはエネルギーが原因の戦争もおこっているので
世界平和のためにも再生可能エネルギーの促進は必要と思います。

 このホームページの昔からの閲覧者の方はご存知だと思いますが、本ホームページの主題は人間社会の持続可能性について環境問題という視点から自然科学的に議論を行うことです。
 その中で、人為的CO2地球温暖化のバカ騒ぎのおかげで、持続可能な社会について冷静な科学的な検討が行えない状況になっているため、とりあえず温暖化のバカ騒ぎの虚妄をただすべく、仕方なく温暖化問題を扱っているところです。
 「検証温暖化」は温暖化を主題とした本であり、終章の部分で触れたエネルギー問題や産業問題についての記述は十分ではないのは承知していましたので、前著「温暖化は憂うべきことだろうか」「電力化亡国論」などの論考を参照くださる様にお願いしましたが、読者氏には終章の議論は感情的だとも評されました。
 その上で、いただいたメールに対して、私は絶対平和主義者であり、再生可能エネルギーの利用という愚かな技術は利用すべきではない、自給的農林水産業に依拠した社会構造を目指すべきという趣旨の返答を行いました。

 これに対して、最後にいただいたメールでは、

おそらく私と近藤様の価値観は大きく異なると思います。
(金銭的に余裕があれば、冬は快適に過ごせるように暖房したり、国内外を旅行をしたり、国内外の美味しい物を食べたり、高性能のパソコンを購入して高速通信したりしたいですし、もし自分や家族が病気になったら先進医療で治療したいので)今の日本は多様な価値観を持った人が共存して議論できる(思想・言論の自由がある)恵まれた国と思っています。

と、価値観が異なるから、おのずと答えが違うという趣旨のメールをいただきました。

 

 人為的CO2地球温暖化のバカ騒ぎを鎮静化できれば、ようやく1980年代の持続可能社会の構想という問題が議論できるようになります。正にその本題の再確認作業がこの「環境問題と人為的温暖化・再エネの虚妄」という連載の目的です。

 再生可能エネルギーの評価とは、実はずいぶん古い問題です。1980年代、私が会社勤めを始めたころ、配属されたエンジニアリング部門でも国のサンシャイン計画の元、さかんに再生可能エネルギー(当時は石油代替エネルギー)の利用技術についての研究が行われていましたが、ほどなくしてサンシャイン計画は頓挫しました。この過程で、現在言われている再生可能エネルギーのほとんどすべてが試され、その結果失敗したのです。

 一方、1980年前後に、理化学研究所の熱物理学の研究者であった槌田敦さんによって、地球という生命にあふれている孤立した惑星上でなぜ活動が継続できるのか、という物理学者を悩ませていた問題に、初めて明確な理論的な回答が示されました。それが定常開放系の地球の姿です。
 地球は、大気水循環、物質循環によって地球上の諸活動で増大したエントロピーを熱エントロピーに変換して宇宙空間に廃棄する惑星なのです。この地球のエントロピー廃棄機構の処理できる枠内で活動することによって、地球生態系の持続可能性が保証されるのです。

  このホームページでは、地球の持続可能な人間社会の形を模索することが主題です。遅くとも1980年代には、槌田さんや数理経済学の室田武さんらによって、原子力発電や太陽光発電、風力発電の持続可能性が研究され、これらは化石燃料に基づく工業生産システムがあるからこそ実現可能な技術であって、独立したエネルギー供給システムにはなり得ないことが既に示されていました。
 既にそれから40年近くが経過しますが、人為的CO2地球温暖化のバカ騒ぎで息を吹き返した太陽光発電や風力発電システムの度重なる失敗によって、再生可能エネルギー技術に対する槌田さんや室田さんの主張が正しかったことがむしろ明らかになっています。この点についての具体例は、当ホームページの『エネルギー・核開発』の最近の記事をご覧ください。

 化石燃料消費に支えられた工業化社会とは、西欧先進国グループにおいてわずか200年程度の歴史しかありません。人類の4万年の歴史においてわずか200年程度を占めているだけにもかかわらず、既に資源枯渇の問題が浮上しようとしています。有用エネルギー資源があと100年もつのか500年もつのか定かではありませんが、早晩枯渇することは必然的です。
 また、化石燃料なしに工業文明が支えられない=現在の再生可能エネルギー利用も継続不可能であることは、明らかです。
 したがって、人間社会の持続可能性を考えるためには、主要な資源は有限の地下資源に頼らない、地球生態系の中で更新利用の出来る生物系の資源によって構成する以外にないのです。持続可能な社会を求めるのであれば、自給的な農林水産業に依拠した社会を構想すること以外に道はないのです。これは価値観の相違ではなく、自然科学的必然なのです。
 
10万年程度続くであろう次の氷期の大部分を将来世代は化石燃料に頼らずに乗り切らなければなりません。少しでも早くエネルギー多消費型の社会を脱し、更新性の資源に依拠した来るべき氷期に耐えうる生活様式を構築し、不測の事態に備えるべく出来るだけ多くの化石燃料を温存することが必要であろうと考えます。

 No.1268 (2019/07/03) 『検証温暖化』の発刊に当たって キリギリスになってしまった裸の王様を目覚めさせるためにでも触れましたが、現実を見ずに刹那的な享楽の世界を謳歌して、「あとは野となれ」というのか、しっかりと現実を見たうえで持続可能な社会像を構想し、その実現に着手するのか、道は二つです。
 


No.1237 (2018/10/17) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄@
No.1239 (2018/10/24) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄 番外編
No.1245 (2018/11/22) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄A
No.1249 (2019/01/11) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄B
No.1251 (2019/01/16) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄C
No.1252 (2019/01/20) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄D
No.1253 (2019/02/05) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄E
No.1256 (2019/03/08) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄F
No.1259 (2019/03/28) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄G
No.1262 (2019/04/24) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄H
No.1263 (2019/05/16) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄I
No.1264 (2019/05/30) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄J 
No.1265 (2019/06/09) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄 番外編
No.1266 (2019/06/19) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄K
No.1267 (2019/07/01) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄L  
No.1276 (2019/08/06) 環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄M  


 

No.1288(2019/09/10) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うH
自然科学の基本原理さえ見えなくさせてしまう温暖化による洗脳

 さて、これまで地球大気の温室効果ないしCO2地球温暖化の原理、その派生的な問題として小中学校の児童生徒を対象として行われているペットボトル実験という見世物について数回にわたって検討してきました。

 結論的には、教育関係者が自然科学的な思考能力を完全に喪失していることが明らかになりました。現象を自然科学の原理や法則に基づいて理解することなく、外形的な問題としてしか見ない、空疎な人間ばかりが教育者になっているようです。いや、それは教育関係者ばかりでなく大方の大人たちがそうなっているのだと思いますが・・・。
 このような愚かな教師たちに教育された若者たちがどのようになるのかは、推して知るべし、でしょう。近年、若者の科学離れが著しく、論理的な思考能力が低下しているのは当然の結果でしょう。

 原因は、人為的CO2地球温暖化に対して、大多数の大人たちが「余人には理解できない高度な問題」という先入観によって思考停止状態に陥っているからでしょう。
 その背景には科学者という権威に対する妄信があります。偉い気象研究者の先生が「産業革命以降、人為的な影響で大気中のCO2濃度が上昇している」という、私たちが教えられてきた自然科学では説明できない主張をしているということは、人為的CO2地球温暖化とは、これまでの自然科学や論理的な思考方法が役に立たない現象なのだという認識を大衆に植え付けたのかもしれません。権威主義に侵されている大衆は、専門家の権威によって、簡単に洗脳されてしまったのです。

 科学教育とは何のために行われるのか?それは、私たち大多数の凡人でも科学的な判断が行えるようにするためです。ある問題に対して、科学の方法に則った論理的な結論であれば、凡人であろうと高名な科学者であろうと同じ結果が得られるようにすることこそ科学教育の目的です。

 徒に高名な学者や専門家の主張を無条件に信ずること、論理的に説明できない外形的な現象を「信じる」ことは、科学教育から最も遠い、いわば宗教的な信仰に過ぎません。

 人間形成の最も根幹部分を形成するであろう初等中等教育現場で自然科学教育に携わる教師の皆さんの覚醒を願います。


No.1280 (2019/08/29) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂う@
No.1281 (2019/08/30) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うA
No.1282 (2019/09/01) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うB
No.1283 (2019/09/02) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うC
No.1284 (2019/09/03) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うD
No.1285 (2019/09/04) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うE
No.1286 (2019/09/05) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うF
No.1287 (2019/09/06) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うG


 

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