No.871 (2013/07/04)家庭訪問…高校教育、CO2温暖化仮説、そして参議院選挙

 昨年、娘が県立高校に通うようになって以来、この国の高校教育のあり方についてその実態に触れるにつれ、その絶望的な実体に暗澹たる気持ちになっています。昨年度一年間、『人為的CO2地球温暖化仮説』に対する高校教育における取扱について、教師たちの話を聞こうと交渉を続けて来ましたが、あまりにも無責任かつ不誠実・不まじめな対応にあきれ果てていることは既にこのコーナーでも再三紹介してきた通りです。

 現在の日本では、ほとんどすべての子供達が高校教育を受ける機会に“恵まれて”います。私は、高校教育とは子供が社会に出て独り立ちするために必要な基本的な知識と、解決すべき問題に対処する基本的な思考能力・理性を育成する最後の場だと考えます。現在の社会の特殊性を背景とする浅薄な価値観や権威を固定的に覚えこませるのではなく、むしろこれを変革するための普遍的な思考能力=科学的な合理性・論理性に裏打ちされた検証能力、創造力を授けることこそ未来を担う若者たちに必要な教育です。
 一年間の経験から、現在の高校教育は私の考える高校教育とは程遠いところにあることがわかりました。高校の科学教育は権威による固定的・一方的な情報を覚えこませる宗教に変質してしまい、科学の本質である論理性や批判的精神を封殺しています。
 科学を教える理科や社会科の高校教師たちは、彼らの使用する教科書に記載されている事柄を論理的に理解することすら放棄し、教科書に記載された事柄を判断できるのは権威ある専門の科学者であると、平然と主張する始末です。
 科学がなぜ重要なのか?科学的な合理性・論理性に基づく限り、小学生の答えであろうが高名な政治家や研究者の答えであろうが、同一の回答を得ることができるという普遍性を保証するからです。科学教育を行う教師たちが、教科書の記載事項について論理的に判断できないというのは論理矛盾であり、自己否定です。
 このような愚かで浅墓な教師たちに教育を受ける子どもたちは実に悲惨です。保身のために事なかれ主義に陥った愚かな教師たちは正にこの国の墓穴を掘っている国賊的な犯罪者だと考えます。

 高校ないし教師たちの愚かさを確認するために、PTA主催の進路説明会、学級懇談会というものに参加してみました。予想通り、業者の模擬試験の結果を並べ立て、いかに自らの教育が偏差値を上げるために成果を上げているのかを説明する無意味な会合でした。彼らの主眼は、高校からの有名大学への進学率を上げ、社会的な評価を上げ、生徒を現時点における勝ち組に仕立て上げることであり、そのためのつまらぬ進路指導が横行していることを想像させるものでした。
 家庭訪問のおりに、高校教育とは何か、進路指導とはどうあるべきか、教科書の内容を理論的に理解できない教師に教育を行うことができるのか、といった基本的な問題を提起しましたが、残念ながら議論は噛み合いませんでした。

 さて、数年前に人為的CO2地球温暖化仮説に対する数学教育からのアプローチを紹介しました。槌田さんによる大気中CO2濃度に対する1年毎の離散的なモデルを、時間に対して連続的に変化するモデルへの拡張を示した『CO2循環を理解するための数学的枠組み』(小島順、数学教室2007年8月)です。これは、雑誌『数学教室』に掲載された小島さんの別稿『「数学は役に立つか」という“問い”の意味』を補足するための具体例としてまとめられたものでした。当時は原稿の形で『CO2循環を理解するための数学的枠組み』のみをいただきました。
 今回、『数学教室』誌を入手することが出来ましたので、改めて小島さんの二つの記事をまとめて掲載することにします。特に『「数学は役に立つか」という“問い”の意味』は学校教育の意味を考える上で、とても示唆に富んでいます。









 民主主義においてなぜ科学教育が重要なのでしょうか?近代以前の非民主主義国家では科学は権力を持つ特権階級に独占されてきました。科学の独占は特権階級による富の独占による経済格差を固定化してきました。民主主義によって主権者となった民衆は科学的な合理性・論理性に裏打ちされた判断能力を獲得することによって初めて主権者足り得るのです。
 現在の高校教育における科学性を失った科学教育は、小島さんが書いているように「新自由主義あるいは市場原理的な発想」を基盤に、再び疑わない従順な労働者たる大衆を作り出し、民主主義を形骸化するために機能しています。
 問題はそればかりではありません。こうした中等教育において宗教化した科学教育を受けた『エリート』たちも、実は深刻な問題を抱えています。批判的精神を失った自称“専門の科学者・研究者”たちも普遍的な科学性を学ばなかったことにより、現象を科学的に認識する能力を失っています。
 例えば、電子計算機の仮想空間において気象モデルばかりを相手に遊んでいる気象研究官僚は、「気象シミュレーションの結果と実際の観測データが食い違うのは、観測データが間違っているからだ」などと大真面目で講演していると言います。
 とても残念なことですが、小島さんが「政治家や官僚は信用できないが科学者は信頼できる、などということはあり得ない。体制化された科学者の集団は、大規模な研究資金の流れに拘束されており、そこには様々な利害が反映する。科学者の言うことにも批判的な判断(すなわち科学リテラシー)が要求される。」と述べている通り、専門家と呼ばれる科学者の発言に対してこそ批判的な判断が必要なのです。
 この事は、人為的CO2地球温暖化仮説を主張する専門的気象学者たちがClimategate事件を起こし、あるいは原子力発電所事故を引き起こした原子力関連の研究者たちの行動様式に現れています。
 批判的精神を失った科学は、原子力発電所事故でも明らかなように、長期的には権力者や特権階級自身の首をも絞めることになります。人為的CO2地球温暖化仮説を宗教的に信じ、原子力発電を廃止するためには自然エネルギー発電を増やさなくてはならないなどという、中等教育の内容を正しく科学性を持って身につけた高校生ならばすぐに誤りであることが理解できるような事柄が、科学的なリテラシーを失った近視眼的な視野しか持たない研究者や専門家たちには見えなくなっているのです。このような社会は、やがて衰退するしかないのです。

 このように、初等中等教育における科学教育は、民主主義社会を担う国民が主権者足り得るために習得しなければならない基本的な内容です。残念ながら、こうした初等中等教育における科学教育を、教育を受ける子どもたちの“自己判断”に任せる(それは教育の責任放棄とも言える愚行でした…)方向で行われた自主性を過度に重視した『ゆとり教育』は大失敗であったと言わざるをえません。ゆとり教育によって、国民の平均的な科学的なリテラシーは失墜してしまいました。特に次世代を担うべき若年層の科学的リテラシーが失墜したことは、重大な不利益をもたらすことになりそうです。

 さて、参議院選挙が公示されました。今回の選挙は原子力政策と憲法問題という、もしかすると戦後日本の画期的なターニングポイントになるかもしれない重大な争点を持っています。正に私達はこうした政策を正しく判断することのできる主権者としての基本的な資質として、科学的なリテラシーを必要としているのです。この時に際して、有権者の科学的・論理的判断能力の欠如は致命的な誤りを犯すのではないか、大変憂慮すべき状況です。


 ご承知の通り、このHPでは、高校の科学教育の内容を宗教から科学に引き戻すために『環境問題についての高校教科書の記述を科学する』を開設しています。その中で扱っている人為的CO2地球温暖化仮説の根幹をなす、“人為的なCO2の放出が大気中のCO2濃度の上昇の原因である”とする非科学的な主張を否定するCO2循環モデルについて、小島さんの数学教育からのアプローチを以下に再掲しておきます。







 

No.870 (2013/06/20)京都府太鼓山風力発電所の崩壊…

 このHPでは、風力発電についても何度も言及して来ました。風力発電はその形状的な特性から、自然災害によって被害を受けやすい構造であることを繰り返し述べてきました。国内でも落雷によるブレードの破損、強風による倒壊、過大な風による発電装置からの出火など、枚挙にいとまがありません。

 そのような中で、京都府企業局の太鼓山風力発電所については、当初から採算の取れない回らない発電所として何度も紹介して来ました。

APU学生起業家による風力発電計画を考える
No.495(2010/11/19)NHKお馬鹿番組の記録08 風力発電の破綻と太陽光発電
No.379(2009/02/21)新エネルギーは環境破壊 その@〜

 この2月に太鼓山風力発電所の風力発電装置の一つで、強風が吹いたわけでもないのにナセル部分が落下するという前代未聞の事故が発生しました。

 通常、強風が吹いた場合には風力発電鉄塔の最下部に大きなモーメントが発生することで根本から倒壊します。今回の場合は、事故当時に強風が吹いていたわけではなく、破断した位置はナセル直下の鉄塔上端の継手部分でした。

 今回のナセル落下事故の原因は、主塔とナセルとの継手のフランジの溶接部分の繰返し荷重による疲労破壊だと考えられています。今回のラガウェイ社製風力発電装置では、発電機などを収めたナセルと主塔とをフランジ継手でボルト結合していたようです。

 主塔のパイプ本体と接合用のフランジ(桃色で示したツバの部分)の溶接部分は剛性が高くなることによって力が集中することになります。
 風力発電は常に変動する風を捉えて発電するために、フランジ継手接合部分にも絶えず変動する繰返し荷重が作用し続けます。

 例えば上図のように、ブレードに作用する力がP1>P2の場合、フランジ継手にはナセルを後方にずらす力

P=P1+P2

だけではなく、ナセルを鉛直面内で右回転させようとする力

M=P1×L1−P2×L2 (L1、L2はブレードの回転中心からP1、P2の作用点までの距離。Mは右回りを+とする。)

が作用します。P1とP2は常に変動しますから、モーメントMは大きさが変動するだけでなく回転方向が逆転することもあります。
 同様に、ブレードに作用する力はナセルの左右でも異なります。この場合にはナセルを水平面内で回転させる力が生じ、ナセルを主塔からねじ切るような力が作用することになります。

 この結果、フランジの接合部分にはフランジを上下方向に曲げる繰返し荷重と、フランジを溶接線の方向にねじ切ろうとする繰返し荷重が作用することになります。溶接欠陥などがあれば、繰返し荷重によって破断面が次第に大きくなり、今回のように崩壊に至ることになります。
 同様に、フランジ接合用のボルトにも繰返し荷重が作用するため、ボルトの破断も考えられます。

 今回の太鼓山風力発電所の事故をきっかけに行なわれた調査報告によると、太鼓山風力発電所以外でも欠陥が発見され、少なくない風力発電装置が運転を停止することになりました。
 経産省の資料を以下に示しておきます。




 報告にもある通り、太鼓山以外でも欠陥が発見され、運転停止になった風力発電所があるようです。

 写真は、江差(左)と深浦(右)の事例です。太鼓山では、経産省資料にもある通り、落下した3号機以外にも2、4、5、6号機にも亀裂が確認されました。

 ただでさえ赤字に苦しんでいた京都企業局の太鼓山風力発電所でしたが、今回の事故によって、発電事業として完全に破綻することが明らかになりました。
 本HPで検討してきたように、極めて楽観的に風力発電の出力変動を無視した発電出力にだけ注目したとしても、事故がなく順調に耐用年数を経過した場合において風力発電はようやく火力発電と同等のエネルギー産出比を得ることができる程度と考えられます。一度重大事故が発生すればエネルギー産出比は一気に悪化し、化石燃料を浪費することになります。しかも実際には変動するクズ電力は有効に使われることはなく、実質的にはまったく役に立たないのです。

 こうした風力発電の実態をまじめに総括することもなく、今度は陸上よりもさらに絶望的にエネルギー産出比の小さい洋上の大規模な風力発電施設を建設するなど、正に亡国のエネルギー政策であることを知るべきです。

No.869 (2013/06/13)日本の太陽光発電バブルはいつまで…

 当地大分県は再生可能エネルギー発電量が日本一であり、大分県はこれを売り物にしようとしています。ちなみに大分県の再生可能エネルギー発電量を押し上げているのは、発電量日本一の九州電力の八丁原(はっちょうばる)地熱発電所(約112,000kW)があるからです。

 大分県では、再生可能エネルギー特措法を追い風に、再生可能エネルギー発電の導入促進を図っています。その一つが高度経済成長期に巨費を投入して開発した通称「臨海工業地帯」という工場誘致用の埋立地への太陽光発電施設の誘致です。これは、御多分にもれず、企業誘致に失敗して塩漬け状態になっていた遊休地にメガソーラー発電所を建設するものです。
 その一つが5月に竣工しました。その紹介記事を示しておきます。

 記事から単位発電能力あたりの設備建設費用は次の通りです。

80億円÷26.5MW=8,000,000,000円÷26,500kW=301,887円/kW≒30万円/kW

 既にこのHPでは、スペインや独における再生可能エネルギーの政策的な導入によるバブルの崩壊や、電気料金の高騰について報告して来ました。再生可能エネルギー特措法による太陽光発電などの急激な導入量の増大というバブルがいつ破綻するのか、日本は時限爆弾を抱えてしまいました。

 新聞記事から、現在の日本における単位発電能力あたりの設備建設費用を推計すると次の通りです。

1兆9100億円÷530万kW=1.91×1012円÷5,300,000kW=360,377円/kW≒36万円/kW

 近年、太陽光発電装置価格は大きく値崩れして、かつて世界一の太陽光発電装置メーカーであった独Qセルズ社が倒産したのと同じように、今度は中国の世界最大の太陽光発電装置メーカー「尚徳太陽能電力(サンテックパワー)」が倒産の手続きに入ることを決定したそうです。無理なダンピング販売は続きません。日本製の太陽光発電装置の適正価格は60万円/kW前後というところでしょうか。

 結局、太陽光発電装置は市場経済の中で自立的に存在できる技術には成り得ないことが明らかになったと言ってよいでしょう。このHPでは繰り返し述べてきたように、太陽光発電装置のエネルギー産出比が火力発電を凌ぐことが出来ない=単位発電量あたりの化石燃料消費量が火力発電よりも多いということを反映しているのです。太陽光発電のクズ電力を無理やり“スマートグリッド”で運用すれば、更に絶望的で、金輪際化石燃料消費の節約になることなどありえないのです。そろそろいい加減に目を覚まさなければ、日本の産業構造はボロボロになってしまいます。

No.868 (2013/06/11)日本が紛争地帯に直接介入を始める日

 安倍晋三はG8サミットにおいて、内戦状態の続くシリアの反政府勢力に対して物資の支援を行うことを表明する方針を固めたそうです。なんという浅墓なことをするのでしょうか。日本国憲法は紛争の解決手段として武力を行使することを否定しているのです。その日本が他国の内戦の一方の当事者に加担して物資の支援を行うなど到底許されることではなかったはずです。
 いよいよ日本という国は他国の政治に直接介入を開始しようとしているのです。また、自民党防衛族は政府に対して敵基地に対する攻撃能力の保持、米国海兵隊的な機動部隊の保持を要望しました。自民党安倍政権は日本を米国同様、防衛の名の下に他国を攻撃することを容認する国にしようとしているようです。

追記(2013.06.12)
 テロとは非合法組織が暴力などを行使して、恐怖心に訴えて特定の主張に従わせようとすることです。その意味で主張の如何を問わず、暴力などを伴う反政府運動はすべてテロなのです。明らかにシリアにおける反政府運動はテロです。
 一方で日本は米国主導の“テロとの戦い”を支持するとしていますが、今回安倍晋三はテロリストであるシリアの反政府勢力に物資援助をするというのです。完全な論理破綻です。前にも述べましたが、米国の言う“テロとの戦い”とは米国にとって都合の悪い非政府組織による暴力を伴う反米活動を弾圧することを正当化するための詭弁にすぎないのです。今回の安倍晋三の行動はこれを追認する行動に過ぎません。

No.867 (2013/06/11)藤田祐幸講演会のお知らせ

 福岡の「地球のめぐみ」から藤田祐幸氏の講演会の案内が届きましたのでそのまま掲載しておきます。

No.866 (2013/06/07)人為的CO2地球温暖化の空騒ぎ@ 
〜エベレスト氷河の後退?

 さて、このHPでは人為的CO2地球温暖化仮説に対する自然科学的な検討は既に尽くしていますので、今さらあまり付け加えることはありません。結論をまとめておくと@人為的な影響によって大気中のCO2濃度が顕著に上昇することはあり得ませんし、ACO2濃度の上昇によって気温が顕著に上昇することもありません。B産業革命から前世紀まで続いた継続的な気温上昇は、小氷河期からの気温の回復という自然現象です。

 さて、今世紀に入ってから、長らく続いてきた気温の上昇傾向は消え、全般的には多少下降傾向が見え始めています。これは太陽活動が不活発な状態が続いているからです。もしかするとマウンダー極小期のような無黒点期を迎え、小氷期が到来する可能性も指摘されています。この状況を冷静に見れば、人為的CO2地球温暖化などというものはコンピューター空間における虚像であったことを最早認めざるをえないのです。
 それでも、日本の報道や似非知識人の大多数は人為的CO2地球温暖化を未だに信奉し、おりに付け人為的CO2地球温暖化対策を忘れてはならないなどと、とぼけたことを言い続けています。現実を見ない彼らを説得することは容易なことではないようです。
 そこで、人為的CO2地球温暖化あるいはそれに関連する事柄についての報道に対しては、今後“人為的CO2地球温暖化の空騒ぎ”という不定期連載で簡単にコメントすることにします。今回はその1回めとしてエベレスト氷河の後退について触れておきます。まず新聞記事を紹介しておきます。

 さて、冒頭でも触れましたが、今世紀に入ってからの気温変動は、最先端の気候数値モデルによるシミュレーション結果とは大幅にかけ離れて来ています。日本の気象研究官僚の中にはシミュレーションと実測値が食い違うのは実測値のほうがおかしいからだなどということを平気でおっしゃる方もいるようです。
 次に示す図は、世界の主要な44の気候モデルを使ったシュミレーションによる気温変動の予測と実測値を比較したものです。


http://www.drroyspencer.com/2013/04/global-warming-slowdown-the-view-from-space/

図中の黒の実線は数値モデルの平均値を示したものです。数値モデルと実測値との差は次第に拡大していくように見えます。
 次に示す図は、IPCCによる過去140年間の地球の気温の変化を示した図です。

赤で囲んだ1945年〜1980年にかけては気温が低下傾向を示し、1970年代後半には北極海の海氷面積が小氷期に匹敵するほどの広さにまで拡大し、北極海に面する港湾に甚大な被害が生じました。その後1980年〜2000年にかけての20年間は気温は顕著な上昇傾向を示し、時を同じくして人為的CO2地球温暖化仮説が一躍注目されたわけです。
 記事によりますと、近年のエベレスト氷河の減少速度は、1958年〜1975年における平均的な氷河の減少速度の6倍程度になっていると報告しています。「近年」というのはどの期間かよくわからないのですが、ここでは一応1976年以降と考えることにしましょう。
 IPCCの過去140年間の気温変動のグラフから分かるように、1958年〜1975年という期間は全般的に気温は低下傾向を示しており、この半世紀では最も寒冷な時期に当たります。この時期のエベレスト氷河の後退速度と比較して、明らかな気温の上昇傾向を示したその後の期間の氷河の後退速度を比較すれば、後者の速度が著しく大きくなるのは当然の結果であり、特に驚くに値しないことです。
 いずれにしてもこれは自然現象ですから、人間はこれを甘受して何らかの対応をとるしか無いのです。砂漠化が進行するような無理な土地利用を避け、水源を涵養するような土地利用や農法を考えることが人間の知恵なのです。

No.865 (2013/06/06)NHKお馬鹿番組の記録21 〜無駄の増大による経済成長

●2013年6月6日10:05〜
●くらし解説『eスポーツと日本のゲーム業界の凋落』
●司会 岩渕梢、中谷日出 解説委員

 ここ数年間、地球温暖化問題や原発事故という喫緊の課題についての考察が中心になっていましたが、環境問題を巡る全般的な状況はこの間も益々悪化の一途をたどっています。環境問題といえば地球温暖化問題や原発事故ばかりが注目され、全般的な環境の悪化についての話題が殆どなくなってしまいました。状況はさらに悪化しているようです。

 環境問題とは、人間社会の活動が生物としての人間の生息環境を悪化させる問題です。より具体的には主に地下に埋蔵されているエネルギー資源や鉱物資源を大量消費することによって行なわれる工業的な生産活動、そして植生を破壊しながら行なわれる地表面環境の破壊などがあります。
 日本でも1970年代にはこうした工業生産による経済成長路線による地球の生物環境の悪化について、本質的な議論が真剣に開始されようとしていました。しかし、1990年代に加熱した土地・金融投資によるバブルが弾けて以来、地球温暖化問題という虚構の環境問題以外の本質的な議論は影をひそめ、経済成長最優先の政治・経済路線が復活し、地球温暖化対策までが経済成長のための道具となってしまいました。
 地球の生物環境を健全な状態で維持していくためには、人間社会による工業的な生産活動や陸上環境の破壊を伴う開発行為を必要最小限にすることが必要です。
 しかし、現在の日本の政治・経済政策は、何でもいいから売れるものを作って売ることによって経済成長することだけが目的化してしまった結果、非常に異様な形になっています。既に生活をする上で必要最低限の機能を持つ必需品を売るだけでは後発の工業国との価格競争に負けて大きな儲けは生まれないため、愚かな消費者の飽くなき欲望を喚起することによって、できるだけ特殊で無駄な消費を拡大し経済を膨らませようとしています。
 安倍政権は米国の真似をして、経済関係者を多数引き連れて海外訪問を行い、政・官・民が一体となってトップセールスで経済成長を図ろうとしています。このような経済膨張政策は破局的な終焉を早める愚かな行為です。また、政・官と民の異常な接近は戦前同様の政商を生み出し、米国ばりの帝国主義的な国家体制の復活を予感させます。少し話が横にそれましたが、この問題は改めて考えたいと思います。

 掲題の番組では、麻生政権以降、日本の経済成長の中核としてゲームやアニメーションに対して国家的なテコ入れを行うという愚かな政策が始められましたが、その延長線上で、世界のゲーム市場における日本の凋落を憂い、失地を挽回するために日本国内でも『eスポーツ』という新たなゲーム形態を普及させよ!、という内容でした(この中谷という解説委員は室山と並ぶどうしようもない解説委員のようです。)。愚かなことです。いい大人が、金を儲けるためというだけの目的で、子どもの遊びを社会に広げ国民を『シャブ漬け』状態にしている現状は経済的のみならず、文化的にも国家の堕落だと考えます。
 本題から外れますが、漫画やアニメーション、ゲームというサブカルチャーとは、社会的・文化的には本来、マイノリティーによる反体制的なものでした。体制に取り込まれたサブカルチャー(とは、呼べないか…)には最早国家を変革する力も失われているのでしょう。

No.864 (2013/06/03)安易な方向に向かう福島第一原発事故処理

 福島第一原発事故の処理を見ていると、あまりにも杜撰な対応が続いていることに怒りを通り越して絶望的な気持ちになります。仮設配電盤短絡事故、汚染水地下貯水槽の漏洩事故…。あまりにもふざけた対応に唖然とします。

 さて、原子炉が損傷して以降、放射能に汚染された冷却水が格納容器から建屋、そして周辺地下水汚染を引き起こし、今なお海に垂れ流されています。このHPでは事故直後に原子炉周辺を囲い込むように面的なバリアーを早急に設置することを提案しました(No.609(2011/05/22)原子炉の冷却と放射性物質の拡散)。2年以上も経過しているのに、未だに垂れ流し状態に何の対策もとらないでいる神経を疑ってしまいます。
 最近になってようやく地下水の流入・流出を止めるための対策が話題になっています。その報道を紹介します。

 以前に失敗した放射能汚染水の地下貯水施設もそうでしたが、ゼネコンによる施工が簡単で手っ取り早い安易な構造物の提案には呆れています。どうも信頼性よりもとりあえず対策をしているという姿勢を示すことばかり考えているように思えてなりません。
 原子炉の処理に取り掛かるまでには数十年の冷却期間が必要とされています。これは最早仮設の一時的なシステムではなく、恒常的なシステムとして計画しなければなりません。東電の意向なのか提案を行うゼネコンの意向なのかは定かではありませんが、何故か信頼性よりも施行の手軽さを優先しているとしか思えません。
 今回提案されている凍結工法は、地盤を掘削して構造物を構築する期間だけ一時的に水を多く含む不安定な地盤を凍結させて地盤を固化し、同時に漏水を防止しながら工事を行うための補助工法です。



鹿島建設のHPより

 記事にもある通り、長期間の実績はありません。確かに施工自体は地盤を凍結させるための冷媒を循環させる凍結管を施工するだけですから、比較的短期間に施工することが可能ですが、これを長期間、安定的に運用できるのか、その止水能力の信頼性はどうなのか、まったく未知数です。地下貯水槽の失敗の二の舞にならないように工法は慎重に検討すべきだと考えます。

No.863 (2013/06/02)地震予知と防災

 このHPでは、防災計画に利用できるようなレベルで巨大地震の発生をピンポイントで予測することは不可能であると繰り返し述べてきました。これは、専門家の間では、はるか以前から常識であって、今さら改めてニュースになるような事柄ではありません。しかし、これまで専門家たちは『金さえつぎ込めば地震予知は可能』と口裏を合わせて国民を騙し、国家から資金を引き出してきました。
 しかし、阪神大震災、そして東北地方太平洋沖地震という巨大地震においてさえ、まったく予測できないことを露呈してしまった結果、ようやく公式に地震予知は不可能と認めざるを得なくなったということです。地震の発生、しかも巨大地震では、その発現周期は人間のライフサイクルに比較してあまりにも長いため、その発生を確率論的に論じた所で、人間社会の防災計画に利用できるようなレベルでピンポイントで予測することなど不可能なことは、当初からわかりきったことだったのです。科学には出来る事と出来ない事があるのです。

 東北地方太平洋沖地震のあと、地震・津波に対する防災計画の見直しが必要だと言う世論が大きくなっています。心情的にはわからないでもありません。しかし、土木構造の設計に携わっていた技術屋としては、現実的にはいつ来るか(来ないか)もわからない巨大地震などの巨大な災害に対して、『万全な備え』を行うなど、二つの意味で非現実的で愚かだと言わざるをえません。
 まず、我々の人類文明が経験した天変地異など、地球の歴史から見れば瞬間の出来事であり、考えうる最大の巨大自然災害などたかが知れています。それどころか、“たかが”東海・東南海・南海地震が連動してM9レベルの地震が発生したとして、これに対して万全な備えを人間の土木技術で構築することは不可能です。
 次に、もし本気で考えうる最大の巨大自然災害に対して考えうる最大限の防災構造を建設しようなどとすれば、国家財政は破綻してしまうことは目に見えています。

 日本のように一方で経済合理性を最優先して東京を始めとする人、物、情報、政治・経済システムが極度に集中した巨大都市を臨海部に作っておきながら、自然災害に対する防災を云々するなど噴飯物です。
 防災の考え方を根本から考えなおすべき時期に来ていると考えます。考えうる最大の巨大自然災害に巨大なハードウェアによって備えるのではなく、我々の国の国家財政において継続的に無理なく維持できる程度の“身の丈にあった”防災システムを構築し、出来るだけ人、物、情報、政治・経済システムを分散させておくことが現実的な対処法です。想定以上の巨大自然災害が発生した場合は不運であったと観念して、皆で助けあって乗り切るしか無いのです。

 ただし、原子力発電所のような危険施設はこれまで述べた一般の防災用の土木構造物とはまったく別の問題です。本来ならば、絶対的な安全性が保証されなければならない原子力発電所のような物は作ってはならなかったのです。しかし既に作ってしまったからには、将来世代に出来るだけ迷惑をかけないように、廃炉や高レベル放射性廃棄物の処理施設に対しては考えうる最大限の安全対策を行うことが必要です。しかも、壊れることを前提に、維持管理のしやすい場所に施設を建設することが必要です。一度事故が起これば対応のしようのない地下埋設施設などは絶対に採用すべきではありません。

No.862 (2013/05/29)原研の度重なる不祥事に思う事

 つい先日、(独)日本原子力研究開発機構、通称“原研”の鈴木篤之理事長が高速増殖炉「もんじゅ」の1万件近くに及ぶ点検漏れの責任をとって辞任しました。そして今回は東海村の実験施設において施設外への放射能漏れ事故を起こしました。原発関連の実験ではありませんが、相変わらず、事故の発生の報告は1日以上経過した後になりました。
 福島第一原発事故以降、この国の原子力政策、あるいは現場技術者たちの危機管理能力の低さがあらゆる場面で露呈しています。

 京大の小出さんが述べているように、組織が弛緩しきっているのだと思います。
 ただでさえ、福島第一原発事故を期に放射能漏れに対する注目が集まっているにもかかわらず、もんじゅの点検漏れ、今回の放射能漏れと不祥事が相次いでおり、本質的に日本の現場研究者、技術者の能力の低下が起こっているように感じます。このような状況で、原発を再稼働させるなど、狂気の沙汰です。これではいずれ地震ではなく、人為的な運転ミスによる原発の過酷事故が起こる日も遠くないように思います。

 日本は技術立国だと信じている人も多いようですが、日本の初等中等教育における基本的な科学教育の失敗によって、日本の若い研究者や現場技術者の基本的な自然科学に対する理解は崩壊しつつあるようです。例えば、気象研究者の中には温暖化シミュレーションと現実の気象観測データに整合性がないことを、“観測結果の方ががおかしい”などと公言する者も居るのです。この国の工学や自然科学に携わる研究者、技術者の立て直しには長い時間が掛かりそうです。

No.861 (2013/05/27)6.2 NO NUKES FESTIVAL


 来る、2013年6月2日に鹿児島市で川内原発の再稼働反対の集会が開催されますので紹介します。最も早く再稼働が予想される原発の一つである九州電力川内原子力発電所の再稼働の中止を求める集会です。

 チラシでお分かりの通り、この集会の主催者たちの認識は、脱原発=自然エネルギー発電導入促進ですから、困っているところです(笑)。この種の情緒的な反原発運動は、物事を科学的に判断する能力がない、あるいは最初から自然エネルギー発電は環境に良い物だという宗教的な思い込みがあるようです。
 とはいえ、原発を再稼働させないことが最重要課題ということで、この集会で「再生可能エネルギー特措法に反対する会」のビラを配布することにしました。

 

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