No.335 (2008/06/17)数遊び その@

線形的自然観による離散データの解釈によって発生する過誤について

1.はじめに

 さて、既にご覧頂いた方もいると思いますが、本編のレポート「離散的データによる自然現象の把握について」において、この間HPで検討してきたKeeling曲線の解釈について、総括的な報告をまとめました。このレポートでは、離散的なデータの解釈と同時に、数値計算、いわゆるシミュレーションの無意味さを述べています。
 数値計算に触れると、議論が「空中戦」の泥沼状態になる可能性があること、また無意味だと言うことを説明する無意味さと言うことから、余り触れたくない話題なのですが、現実には気象予報士と言うセミ・プロの方まで宗教的な信仰がある現状を考ええると、多少触れておかざるを得ないと考えます。
 現在の気候予測シミュレーションは、その構成法則自体に数多くの誤りやごまかしが存在するため、まともな解を得ることなど不可能です。しかし、仮に構成法則が正しかったとしても、数値的なシミュレーションには多くの問題が存在し、気候現象のようなミクロからマクロに至る様々な階層性を含む巨大な問題では、将来的にも時間追跡という形で将来予測を行うことは不可能であり、この種の問題は数値シミュレーションにはなじまない問題であることを、解像度という視点から示してみようと思います。
 ここでは、現在の気候予測シミュレーションの具体的な構成法則の問題点には触れずに、シミュレーション一般の持つ問題点を示すことにしようと思います。既に数値シミュレーションなど無意味だとお分かりの方には、誠に退屈で無意味な議論になると思いますが、頭の体操と割り切って暫しお付き合いください。

 「離散的データによる自然現象の把握について」(以下、”本編”と呼ぶことにします。)において、データの解像度の重要性について触れました。更に、線形的自然観の危うさにも触れました。ここでは、簡単な関数を使って考えてみることにします。

2.解像度の変化で現象がどのように認識されるのか?

 簡単な周期関数としてsin関数を取り上げることにします。

 図の紺色の曲線が観測しようとする関数、ここではsin(x)です。御存知のように、sin関数は、周期2π(約6.28)rad、振幅は±1の周期関数です。
 さて、我々は観測する関数がsin関数だとは知りません。分かっているのはある定点x0における関数値と、そこからサンプリング間隔dxの地点における関数値だとします。
 まず、定点x0=0.サンプリング間隔をdx=2.5πでsin関数を観測した場合、観測値を滑らかな曲線で結ぶと桃色で示した曲線を得ます。これは、周期10πのsin関数つまりsin(x/5)になってしまいました。
 次に、定点x0=0.5πサンプリング間隔をdx=2.0πでsin関数を観測した場合、観測値を滑らかな曲線で結ぶと緑色で示した曲線を得ます。これは、関数値1.0の定数関数になってしまいました。
 同様に、定点x0=0.サンプリング間隔をdx=2.0πでsin関数を観測した場合、観測値を滑らかな曲線で結ぶと青色で示した曲線を得ます。これは、関数値0.の定数関数になります。
 更に、定点x0=1.5πサンプリング間隔をdx=2.0πでsin関数を観測した場合、観測値を滑らかな曲線で結ぶと赤色で示した曲線を得ます。これは、関数値−1.0の定数関数になります。

 ここでは、極端な例として元の関数の周期の倍数をサンプリング間隔としたため、特殊な状況になっています。ここで言えることは、少なくとも観測しようとする関数の特徴的な周期、sin関数では2πですが、それよりも十分小さなサンプリング間隔=解像度の観測データがなければ、観測しようとする関数を十分認識し得ないということなのです。
 離散的な観測データによる自然現象の把握とは、直感的に全体像を把握することのできない時空的な広がりを持つ巨大な問題についての部分的なデータで、その全体像を説明しようとすることです。正に「群盲象を撫ず」という諺がぴったりかもしれません。
 実際の自然現象、例えば気象に関するデータは、時空的に激しく変動する非定常な不規則変動関数だと考えられます。しかも例題のように、観測しようとする関数形が分かってはいないのです。妥当なサンプリング間隔は自明ではなく、時空的なサンプリング間隔を徐々に小さくしていき、サンプリング間隔による観測値の変動がなくなるように試行錯誤することで見つけなくてはならないのです。

 さて、もう少し思考実験を続けましょう。これまでの例では、観測点において関数値そのものが観測できるものとしました。今度は、定点x0においては関数値とその変化率が観測され、その他の観測点では変化率だけが観測できるものとします。元の関数を復元するために、線形近似を用いることにします。つまり、Taylor展開の第2項までを用いて、次式で近似します。

 ここで、関数F(x)=sin(x)、dF(x)/dx=cos(x)、定点aの初期値をx0、サンプリング間隔をdxと考えます。定点x0の観測値から、観測点1のF(x)の近似値F(x1)を次のように推定します。

F(x1)=F(x0)+cos(x0)×dx

同様に、以下

F(x2)=F(x1)+cos(x1)×dx
・・・

 以下に、定点x0=0.0、サンプリング間隔dxを0.1rad、1.0rad、5.0rad、6.0rad、2π(≒6.28)radに変化させた場合を示します。

 

 

 

 

 

 図から明らかなように、サンプリング間隔の変化によって、近似値は大きく変化します。0.1rad程度であれば、まずまずの値と考えて良さそうです。
 1radですと、2πの周期性は再現しているものの、誤差は50%を超えます。さらに間隔を広げていくと、最早2πの周期性も再現できなくなります。特に、元の関数の周期である2πに近づくと、劇的な変化を見せます。サンプリング間隔がちょうどsin関数の周期2πに同期すると、直線になってしまいます。

 対象とする関数の関数値そのものが観測できる場合には、サンプリング間隔が変化することで、曲線の形状は大きく異なるとはいえ、その値は関数値の最大・最小値の範囲に収まります。しかし、変化率という情報から関数値を推定しなければならないような場合にはとんでもなく大きな誤差が生じる可能性があることを銘記しておかなくてはなりません。
 しかし、「実際にはそんな馬鹿な解釈はしないだろう」と思われるかもしれません。しかし、それは今回の例のように単純な1変数の関数で、みなさん御存知の関数であったという先入観があるからです。実際の自然現象では、自由度=パラメーター数は無数に存在しているのです。事はそれほど単純ではないのです。

 例えば、Keeling曲線について、産総研の阿部氏は次のような認識を述べています。

『・・・しかし,それを認めたとしても,図1(Keeling曲線)で0.5 度の気温変化に対応するCO2 濃度変化がわずか1ppm であることからすれば,過去45 年間で増加した64ppm を気温上昇で説明することは,この間に気温が32 度上昇していない以上,不可能である.』
 Keeling曲線では、±0.5℃、±1ppmというオーダーの情報を示しているにすぎませんが、ここで得られる2ppm/℃という比例定数(変化率と考えてよいでしょう。)を基に、64ppmという大きな変動を伴う現象に対して単純に当てはめて論じる阿部氏の議論は、余りにも無謀と言わなければなりません。

 観測値の離散的なデータの解像度と対象とする自然現象のスケールの間には密接な関係が存在します。対象とする現象に対して私たちが必要とするスケールにたいして、解像度による影響がなくなるまで時空的なサンプリング間隔を細分化しなければ正しい認識は得られないことを銘記しなくてはなりません。
 高解像度の観測データに対して統計的な処理をすることによって、現象の変動傾向をある程度平滑化して大きな傾向を把握することと、はじめから低解像度の観測データで現象を解釈するのはまったく意味が違うのだということを理解しなければなりません。

No.334 (2008/06/17)地震・環境・国土利用

 岩手・宮城内陸地震で大きな被害が出たことは既に御存知でしょう。このコーナーでも何度か地震について書いてきました。阪神大震災以降も日本では鳥取県西部地震(2000.10、M7.3)、中越地震(2004.10、M6.8)、福岡県西方沖地震(2005.3、M7.0)、中越沖地震(2007.7、M6.8)そして今回の地震とM7クラスの地震が発生しています。


 この間の巨大地震の経験から、実効性のある地震対応のあり方がはっきりしてきたと考えています。

 まず、いわゆる地震予知を地震防災の基本におくことはまったく効果がないことが第1点です。更に、地震予知失敗のエクスキューズとして開始された「緊急地震速報」もほとんど意味のないことが実証されました。つまり、地震被害の発生する以前において、地震被害を予測して対応すると言う対処法は実質的に不可能あるいは機能しないことが分かったのです。
 次に、地震ハザードマップは、これもほとんど意味のないことが実証されました。最近の巨大地震はいずれも地震発生の危険性が確率的に低いとされた地方で発生しています。
 最後に、都市部で発生した阪神大震災と、過疎地で起こったそれ以降の最近の巨大地震では、人的あるいは社会資本の被った被害規模がまったく違うことが分かりました。

 こうした経験を踏まえれば、地震災害への有効な対処法は既に明らかだと考えます。日本という国の位置を考えれば、地震は必然的に発生しますし、いつどこで発生するかはわからないのです。こういう災害に備える最良の対応は、災害が発生したときの被害を分散させることです。つまり、人や社会資本の集中を避け、出来るだけ分散させることで対処すべきなのです。

 大規模地震が起こるたびに、人工構造物の耐震性の強化が叫ばれますが、構造屋の立場から言えば、巨大地震に対して100%の安全保障などあり得ないのです。関東圏のような面的な広がりを持つ人口過密で社会資本が集積された地域を丸ごと防災都市化することなど金輪際出来ない相談です。例え拠点構造物の耐震化を進めたところで、例えその拠点が無事であろうと、弱点となる部分で各種のネットワークが破壊されれば都市機能は停止するのです。
 巨大都市をそのままにして、そこに如何に耐震対策のために惜しみなく資材を投入したところで、本質的な被害を果たして軽減できる保証などどこにもないのです。

 日本に人や資本の集積された巨大都市が出来上がるには、それなりの必然性が存在します。日本という国が、日本の国土で生産される土地集約的な有用資源生産、つまり農林業をスクラップして、これを「国際分業」の美名の下に鉱工業材料とともに海外調達に切り替え、産業構造を工業生産に特化させたのです。工業に特化した産業の中心を良港のある臨海部の沖積平野に集中させることが最も機能的だったからです。
 その結果、必要性の無くなった地方、特に中山間地域の村落は破壊され、余剰人口は都市へと流れ込んでいるのです。都市を解体させるためには、異常に工業に特化した日本の産業構造、それを支える社会・流通構造を本質的に見直すことが不可欠です。

 前回の『時代に逆行する少子化対策』でも述べたとおり、折りしも、世界市場から食糧をはじめとする資源を自由に買うことの出来る状況はそう長くは続かないことが明らかになりつつある現在、地震を含めた災害対応と環境問題の両面から、国家システムを根本から構築しなおす時期に来ていると考えます。
 税金に絡む利権を中央政府が牛耳るのか、地方ボスが牛耳るのかと言う「地方分権」論議などと言う不毛な議論ではなく、国家百年の大計という視点から、自然環境の物質循環に即した持続可能な国家戦略を具体化することが求められているのです。

 しかし、現実には無能なマスメディアのド素人評論家諸氏は、相変わらず高価な防災対策や耐震構造化を叫び、関連業界の短期的な経済成長を後押しする空しい報道を続けています。馬鹿につける薬はないものでしょうか?

No.333 (2008/06/14)時代に逆行する少子化対策〜政治・経済学者の無能

 日本では、少子化対策が焦眉の課題だという愚かな政策議論があります。

 昨今の食糧価格・石油価格の高騰を含め、地球の表層環境における利用可能な有用資源の枯渇が今世紀の重要な課題です。大局的な視点に立てば、人口抑制こそ今必要な施策であることは論を俟ちません。
 表層的な少子化議論を行う無能な官僚や政治・経済学者の理論的な背景は、社会の活力であるとか、もっと有体に言えば、刹那的な社会保障制度の維持だけしか見えていないのです。本来、政治体制や経済体制というものは、人間社会における実質的・物理的な生産・消費構造を基盤に、これを円滑に運営するための仕組みに過ぎず、上部構造を維持するために論を起こすこと自体が本末転倒した議論なのです。

 現在の日本は、石油などのエネルギー資源は言うに及ばず、食物の大部分を海外に依存する、薄氷を踏むような危うい、正に亡国の国家運営の上に成り立っています。今世紀、これまでのように金さえあれば資源を輸入できると言う状況は続かないと考えるべきです。
 ではどうするのか?本質的には、基本的な生存に必須の資源は日本国土内で賄う体制を構築することが必要です。まず何よりも農業生産を復活させることが焦眉の課題なのです。しかしそれだけでは十分ではありません。同時に、石油消費で膨れ上がった人口を可及的速やかに削減することが必要です。
 江戸末期の人口から考えて、日本国内において必要資源を賄うためには人口は3000万人台まで減らすことが必要であろうと考えられます。その中で、許された生産・消費構造の中で、可能な上部構造を構想し、そういう社会構造にできる限り軟着陸できる方途を示すことこそが政治・経済学の目的であらなければならないのです。

 さて、少子化対策を叫ぶ番組では、よく映し出されるのは地方の農山漁村のコミュニティーの崩壊です。しかし冷静に考えてみてください。現在の人口を1億2000万人とした時、その8割程度がいわゆる都市部の住人です。つまり単純に考えると、地方の農山漁村に暮らす人数は、2500万人程度なのです。しかもその多くは老人であり、地方の社会を支えるのは大変な状況なのです。
 これに対して、江戸末期の日本の人口を3500万人としましょう。当時の都市と言っても、100万都市はおそらく江戸だけであったはずです。江戸・大阪・博多などの大都市に住んでいた人数は数100万人程度ではないでしょうか?仮に都市部人口を500万人だとすれば、3000万人が地方の農山漁村の集落に散らばって住んでいたことになります。何と現在以上に農山漁村人口は多く、しかも人口構成は圧倒的に若かったはずです。

 地方コミュニティー崩壊の原因は、人口減少=少子化ではなく、農林水産業をスクラップして、情報産業も含めて異常に工業化し、同時に人口の大部分を都市部に集積した日本の生産・消費・流通構造の問題なのです。

No.332 (2008/06/13)権力・NHK・司法〜鉄の三角形

 さて、CO2温暖化仮説は、権力に取り入った気象研究者と無能な官僚組織によって作り上げられた虚像です。これに国家権力が事実だとお墨付きを与え、国家権力の広報機関であるNHKが大本営さながらに国民に対して洗脳放送を繰り返しているというのが実像です。

 NHKの戦時下の女性に対する性暴力の実態を報道する番組に対して、取材を受けた団体が事実を歪曲されたとして訴訟を起こしていましたが、原告側の敗訴が確定しました。
 このNHKの対応には国家権力ないしそれに類するものの関与が取り沙汰されており、報道の腐敗構造が原告の訴えの重要な部分です。
 確かに、報道機関の報道権は尊重されるべきものでしょう。しかし、この問題はそういう問題ではありません。本来報道機関は、国家の権力組織である立法・行政・司法あるいは今日ではこれに資本や学会組織を加えるべきかもしれませんが、これらに対するカウンターとして大衆の側に立つ独自性が求められています。この報道機関の独自性を確保する権利が報道権と呼ぶものの実体だと考えます。
 然るに、NHKという組織は完全に権力側に立った広報機関であって、最早、報道機関ではありません。権力側の思惑には自ら服従しながら、本来責任を負うべき大衆の声には耳をかさず、大衆はこれまた国家の権力機関である裁判所に訴えることしか出来ないのです。残念ながら結果は明白です。最高裁は決して権力機関に不利になる判決など出し得ないのです。

 NHKだけでなく多くのマスメディアは確かに巨大な権力組織になりました。しかし、それは国家権力を補完するための権力機関であることを銘記しておきましょう。
 

No.331 (2008/06/09)NHK『SAVE THE FUTURE』へのメール

 NHKとの受信契約を拒否するための題材として記録に留めるために、NHKの掲題の洗脳番組にメールを送っておいたので、備忘録として記しておきます。以下そのメール全文のコピーです。


ホームページ『環境問題を考える』の管理人の近藤です。
■これまでも繰り返し人為的CO2地球温暖化仮説に対する貴放送局の極めて偏向した報道内容を指摘してきました。
■しかしその偏向した報道姿勢は更にエスカレートしています。自然科学的には既に人為的CO2地球温暖化仮説は破綻しているのです。
■貴放送局の放送内容は既に報道ではなく、政府・企業の広報に堕しています。あなた方に公共放送を名乗る資格はありません。
(2008/06/08)


No.330 (2008/06/07)改めてNHK受信契約を拒否する

 ちょうど1年前、NHK「ためしてガッテン!」6月6日放映『常識逆転!地球温暖化ビックリ対策術』というとんでもない番組が放映されました。正に科学の名を借りた洗脳放送でした。
 そして今、『SAVE THE FUTURE』というとんでもない番組が放映されています。

 人為的二酸化炭素地球温暖化仮説という出来の悪い仮説は、数々の自然科学的な批判がなされ、これに対して理論的な反論をすることができないのです。人為的二酸化炭素地球温暖化仮説は自然科学の問題としては完全に論破され、既に完全に誤りであると言う解答の出た問題なのです。
 それにもかかわらず、政府と企業の意向を代弁するために、反対意見をまったく抹殺した人為的二酸化炭素地球温暖化仮説を擁護し、いたずらに危機感を煽る番組を長時間にわたって流し続けているのです。これは、NHKというものが『公共の』『報道機関』などではなく、政府・資本のために奉仕する広報機関、もっと言えば洗脳機関であることを示しています。

 NHKは、比喩的な意味でなく掛け値なしに戦前戦中の大本営発表の再来、エコ・ファシズムの実働部隊なのです。私たちは怒らねばなりません。そしてNHKの犯罪性を告発し続けなければなりません。
 

No.329 (2008/06/03)トヨタの本音『エコ替え』

 気象予報士会や日本地球惑星科学連合大会をよそに、気象学会や愚かな技術官僚の利権によってもたらされている愚かな日本の国家政策に乗って、企業はエコ=CO2排出削減を企業戦略として高額商品を売り抜けようとがんばっています。このごろは、かなり露骨な本音の見える宣伝まで臆面も無くマスメディアに垂れ流しています。
 その代表格は自動車メーカーではトヨタ、家電部門では松下(パナソニックになるのでしょうか?)でしょうか。普段は私と違ってあまり感情を露にしないうちの家内も、最近のトヨタのTVコマーシャルには声を荒げています。
 曰く『まだ乗れるけど、燃費の良い方に替えたんです!』だそうです。これは明らかに大量消費を煽る、本来環境問題を悪化させた企業戦略のエピゴーネンの復活です。ここまで露骨な宣伝は珍しいとはいえ、高額エコ商品の販売戦略は似たりよったりです。
 彼等は、エコの強迫観念を利用して最新の技術を競い、耐久消費財の回転周期を短くさせる超浪費社会を正当化しているのです。地上波デジタル放送のように国家システムを変えて根底から旧システムを一気にスクラップ化する目論見も着々と進んでいます。

 いくら能天気な消費者大衆とはいえ、ここまでコケにされたらいい加減に目を覚ましてもよいと思うのですが・・・、一体大衆の思考停止状態はいつまで続くのでしょうか?

※この認識は少し訂正しておきましょう。さすがに露骨なトヨタのCMに対しては、ネット上でも非難が相次いでいるようです。これをきっかけに、もう少し大きな問題に目が行くと良いのですが・・・。省エネ家電で儲ける家電メーカー、風力発電で儲ける重工メーカー、太陽光発電で儲ける電機メーカー、原子力発電で儲ける重工・重電メーカー(トーシバサン?)、バイオエタノールで農業を食い物にする穀物商社など等・・・。

(2008/06/06追記)

参考
No319 (2008/03/26)温暖化対策がCO2を増やす
No.289 (2007/09/06)地球の危機を救うお金の使い方
No.255 (2007/02/02)温暖化対策が飢えを拡大する
No.198 (2006/03/10)CO2削減の本命は原子力
No.175 (2005/06/27)松下電工あるいはトヨタ的生活様式のススメ

No.328 (2008/06/02)日本地球惑星科学連合大会

 2008年5月25日に幕張メッセで開催された、日本地球惑星科学連合大会のセッション「地球温暖化問題の真相」後に行われた自由討論会に参加された気象予報士のはれほれさんの報告が、はれほれさんのブログに公開されています。
 同じくはれほれさんから、この会合の新聞記事を送っていただきました。これもまた日経の本日の記事です。

 

 気象予報士会のシンポジウムの記事、この日本地球惑星科学連合大会の記事と、他の商業各紙では掲載されない温暖化騒ぎにどちらかと言えば否定的な集会の記事を掲載する日経新聞には、目端の利いたデスクがいるようです。そろそろCO2温暖化仮説が転んだ時のための布石を打ち始めているようです。
 それはともかく、少なくともこのような記事が新聞に掲載されるようになったことは、感慨深いものがあります。もしかすると、情勢が変わり始めているのかもしれません・・・。

No.327 (2008/06/02)続報気象予報士会シンポジウムA

 さて、シンポジウムのアンケートの最終結果が気象予報士会東京支部のHPに公開されています。詳しくはご覧頂くとして、感想を述べておきたいと思います。

 全体として、かなり予想と反する内容でした。

 まず年代別の反応として、10〜20代の若者は、マスメディアとおそらく学校教育による温暖化洗脳教育の成果が如実に現われているようで、シンポジウム前に8割が温暖化仮説が正しい、2割がわからないと言う圧倒的な教育効果です。
 意外だったのが30〜40代で、唯一温暖化仮説を肯定する割合が増えています。この理由は私には良く分かりません。 50代以降は、予想通りの反応と言うところです。

  しかし、一番残念なのは、『地球温暖化の要因を探る研究について、今後どのようなことが必要と思いますか』という問いについて、すべてのカテゴリーの参加者がコンピューター・シミュレーションの向上を第1位に挙げていることです。気象についてある程度の見識のある気象予報士の方が、これほどシミュレーションを信奉していることには驚きです。いくら数値シミュレーションには素人であろうと、気象と言う現象の複雑さを考えれば、たかが人間の考えるアルゴリズムでこれを表現できると信じるその感性が、私には理解しがたいものです。

No.326 (2008/05/13)続報気象予報士会シンポジウム@

 シンポジウムの反応についての日経新聞の記事を紹介します。

 

 この記事によりますと、シンポジウム後のアンケート結果として、人為的CO2地球温暖化仮説を支持する割合が52%、不支持の割合が29.6%、分からないが18.4%ということです。この結果は、このシンポジウムに参加された方のかなり多くが気象予報士という、一般の人よりは気象現象を科学的に考えている方が多いということもありますが、予想以上に人為的CO2地球温暖化仮説を支持しない冷静な判断をする方の割合が多いようです。
 「不支持+分からない」を「否定論+懐疑論」と考えれば、人為的CO2地球温暖化仮説擁護論52%、「否定論+懐疑論」48%とほとんど拮抗していると考えられます。これはおそらく数年前であれば考えられなかったような結果のように思います。また、今回のシンポジウムを通して、擁護論からそれ以外に考えを変えた方が4%いるということから、このシンポジウムは概ね成功だったと考えます。

No.325 (2008/05/13)速報気象予報士会シンポジウム

 さて、既に御案内の気象予報士会のシンポジウム「論争・地球温暖化」が去る5月10日に開催されました。私自身否定論の当事者の一人であり、この会の様子には非常に興味があります。私は当日は参加しませんでしたが、このHPに訪れてくださっている閲覧者の幾人かがこのシンポジウムに参加され、断片的な情報を個人的にお知らせいただいております。

 幸い、ブログ「らくちんランプ」を主催していらっしゃるスパイラルドラゴンさんが当日のシンポジウムの模様を記録された貴重な映像をHP上に公開してくださっておりますので、みなさんにも是非ご覧いただきたいと考えます。すべてを見ると数時間に及ぶ記録ですが、非常に興味深い内容ですので、是非ご覧ください。
槌田敦氏講演「人為的地球温暖化否定論」 (39分26秒)
丸山茂徳氏講演「論争地球温暖化 CO2温暖化主犯説に物申す」 (9分41秒)
シンポジウム、「論争!地球温暖化」パネルディスカッション01(38分55秒)
シンポジウム、「論争!地球温暖化」パネルディスカッション02(38分45秒)

 尚、参加された気象予報士の方たちの反応につきましては続報で報告する予定です。

No.324 (2008/04/26)図書館存続を求める署名

 知人から、財政再建を進める大阪橋下府政の下に閉鎖が予定されている、「大阪府労働情報総合プラザ」の存続を求める署名の依頼がありました。私自身はその存在を知らないのですが、貴重な資料が公開されているようです。財政再建という名目で何でも許されてしまう風潮は危険だと思います。私にはこの署名をお願いするだけの知識がありませんので、下記リンクからアクセスされて、賛同できる方は自己責任において署名していただきたいと思います。

大阪の社会・労働関係専門図書館の存続を求める会

No.323 (2008/04/25)気象予報士会シンポジウム

 気象予報士会の地球温暖化に関するシンポジウムが開催されます。否定論の立場から槌田さんが講演し、擁護論(笑)の立場から東北大の明日香氏が講演します。パネルディスカッションには両氏のほかに否定論の立場から東工大の丸山先生、擁護論の立場から河宮氏が参加します。開催予定は以下の通りです。

■【第48回神奈川支部・第39回東京支部 合同例会】
開催日時:
5月10日 時間:13:00〜17:30

場所:
慶應義塾大学日吉キャンパス;来往舎
http://www.keio.ac.jp/access/hiyoshi.html
この中の9番です。

主催:
日本気象予報士会 東京支部・神奈川支部、慶應気象教育研究会

テーマ:
シンポジウム 論争・地球温暖化

講演内容:
(1)人為的地球温暖化否定論
  元名城大学教授 槌田 敦 氏
(2)地球温暖化懐疑論へのコメント
  東北大学 東北アジア研究センター教授 明日香 壽川 氏

パネル・ディスカッション:
槌田氏、明日香氏を含め4名での討論
  →槌田氏、明日香氏に次の2名が加わり、討論
  海洋研究開発機構 グループリーダー 河宮 未知生 氏
  東京工業大学教授 丸山 茂徳 氏

※一般参加が可能かどうかは不明ですが、お近くの方は問い合わせてみてください(center@yoho.jp)。

 槌田さんの講演では、CO2地球温暖化を完全に否定する新たな報告がなされます。配布資料につきましては、近く拙HPに公開予定です。

No.322 (2008/04/24)加速する食糧危機その2 
〜穀物増産が食糧危機を致命的なものにする〜

 バイオ燃料ブームで農業が活気付いている。バイオ燃料用穀物への需要の急増によって、当面穀物生産の需要は増大する一方であり、穀物余りによる価格低下の心配がないために、各国は穀物増産に方針を転換し始めている。利に敏い穀物商社は直接穀物増産事業に手を染めるものが出はじめている。
 バイオ燃料用穀物の需要増大によって、食糧用穀物の高騰、飢餓の拡大が懸念されているため、この食糧増産は「人道的」にも歓迎すべきという愚かな論調がある。

 バイオ燃料ブーム以前ですら、爆発的な人口増加は食糧供給を逼迫させつつあった。食糧供給の逼迫とは、農地の逼迫を意味する。その本質は、物理学的な意味において地表環境における生物資源の物質循環の定常性の破壊なのである。既に前世紀後半から、限界的な農地の放棄と砂漠化の進行が重大な環境問題として認識されていた。
 更に追い討ちをかけるのが高額取引される燃料用穀物増産の動きである。これによって、残されている希少資源である森林の伐採による農地の拡大が加速され、それは砂漠化の加速として現われることは火を見るより明らかである。おそらく、燃料用穀物増産という名目であれば、高収量を実現する遺伝子組み換え穀物の栽培が容認されることになるであろう。
 高収量の作物とは良いものなのであろうか?高収量の作物を栽培するためには、大量の肥料の投下が必要になる。言いかえるとそれだけ地力の低下は早くなり、それに伴って大量の人工的な肥料の追加投入が必要になる。結果として土地は酷使され疲弊し、砂漠化が更に加速されることになる。
 また、高価なバイオ燃料を買うことの出来ない貧しい人々は、薪炭を求めて森林を破壊していくことになるのかもしれない。

 やがて、森林が枯渇して新たに開発する農地面積よりも放棄される限界的な農地面積が上回った時、最終的な局面を迎えることになる。この時、飢餓による人口調整が機能するのであろうか?おそらくそれ以前に食糧を巡る侵略戦争が起こり、戦火と飢餓の蔓延する悲惨な餓鬼道の世界が登場することになるのではないだろうか・・・。

 ここで描いた未来像は悲観的に過ぎると思われるかもしれないが、このまま人口の増加を放置し、高エネルギー消費社会の快適さを万民が欲求するならば、おそらくそれほど的外れな未来像ではない。温暖化対策などという愚かな目的のために、石油代替燃料としてバイオ燃料を増産するなどという、まったく近視眼的な政策から即刻抜け出すべきである。

No.321 (2008/04/17)加速する食糧危機

 毎度おなじみ、愚かなNHKがとんでもない番組をやっています。「街道てくてく旅〜四国八十八か所を行く」という番組です。四国八十八か所の札所を徒歩で回るという番組です。その中継車が視聴者からの廃天ぷら油を集めて、これをバイオディーゼル燃料にして走るという見世物です。
 この中継車「エコロジア号」という奴がすごい(笑)!屋根には恐れ入った事に小型風力発電装置と太陽光発電パネルを設置するという念の入れよう。きっと巨大な蓄電装置も積んでいるのでしょう。

 この廃天ぷら油のバイオディーゼル燃料化という愚かな、あるいは愚劣な行為が、さも環境に良い行為としてもてはやされている状況は看過できないと考えています。
 そもそも、食用油を贅沢に使う天ぷらという料理は高級な料理でした。食用油をふんだんに使った料理が家庭で出来るようになったのは、おそらく戦後の高度成長期以降のことではないでしょうか。
 この贅沢品である天ぷら油を捨てるなどということ自体が食文化の頽廃ではないかと考えています。手前味噌で恐縮ですが、我が家においては廃天ぷら油は存在しません。揚げ物で使用した油を炒め物に使い、減った分だけ新たに油を足して行けば、廃天ぷら油などまったく出ないのです。
 この廃天ぷら油のバイオディーゼル燃料化を事業として行おうとするNPO法人や福祉作業所が少なくないと聞きます。事業化するためには、原料の大量安定供給が必要になります。つまり、あまり汚れてもいない十分使える天ぷら油を、これまで以上に「後ろめたさ」もなく捨て易くすることになるのです。何のことはない、ペットボトルのリサイクル同様、「有効利用」されるのだからどんどん使って、少し汚れたらすぐに捨ててしまうことになり、ますます食用油=食用油用穀物の需要が拡大することになるのです。

 CO2地球温暖化馬鹿騒ぎによって、廃天ぷら油のバイオディーゼル燃料化だけではなく、バイオエタノールに代表される穀物を原料とする石油代替燃料生産の事業化に伴う世界の穀物価格の高騰、先進工業国グループの買占めによって、世界規模の本格的な食糧危機が予想以上に早く到来しようとしています。既に貧困にあえぐ国においては掛け値なしに死活問題になり、暴動や武力衝突が現実になっています。
 反面では、穀物メジャーをはじめとする先進国の巨大穀物商社にとって千載一遇の儲けのチャンスであり、穀物が石油やウラン鉱石と同レベルの戦略物資になり、石油メジャーと肩を並べて世界経済を牛耳る主役に躍り出る絶好の機会なのです。

 CO2地球温暖化は虚構ですが、この馬鹿騒ぎによるバイオ燃料生産という「温暖化対策」による食料用穀物の急激な逼迫は現実の人間の生存条件を直撃するのです。

No.320 (2008/04/08)一喜一憂・・・

 最近、ある読者の方から「地球寒冷化?」と題するメールをいただき、添付ファイルとして次の図が送られてきました。2007年と2008年の1月の気温を比べると、0.595℃の低下になっていることから、「地球寒冷化?」という題になったのでしょうか。

 これに類するデータは気象庁が毎月HP上に公開しています。このHPの一連の気温と大気中CO2濃度に関するレポートに利用しているのはこの気象庁のデータです。気象庁の場合、1971〜2000年の30年間の各観測点の平均気温から、観測月平均気温の偏差(平年差と呼んでいるようです)の平均値を示しています。ちなみにこの2年間のデータは以下の通りです。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2007年 0.45 0.35 0.31 0.32 0.28 0.25 0.27 0.26 0.28 0.26 0.18 0.12
2008年 -0.04 0.04                   (℃)


このデータによると、1月の気温は0.49℃の低下ということになります。頂いたデータよりは多少小さな値です。

 さて、巷では、「この夏は暑いのは温暖化の影響か?」とか、もっと極端には「この数日暑い日が続くのは温暖化の影響か?」などという報道が平気でなされます。また、気温の上昇が原因と思われるような局所的な現象がクローズアップされて、これは温暖化の証拠だと宣伝されます。
 残念ですが、気象現象の長期的な傾向である気候の変動を、私たちが日常的な感覚で知ることはかなり難しい、いやほとんど無理でしょう。気象現象とは極めて短期的、局所的な変動の大きな現象です。おそらく、個別現象に着目すれば、温暖化の影響と思われる現象の数と同じだけの寒冷化の影響と思われる現象を提示することはさほど難しいことではないでしょう。

 無責任なマスコミ報道に一々反応して一喜一憂するのは無意味です。頂いたデータはある特殊な期間の状況を反映したデータであることを考えなくてはなりません。問題は、この傾向が今後も継続するかどうかであって、瞬間値そのものにはさほど大きな意味はありません。
 また、ここ30年間程度、気温は上昇傾向にあることは観測事実であろうと思います。このHPではこの気温の上昇傾向に対して云々するつもりは毛頭ありません。あくまでもここで問題にしているのは、この気温の上昇傾向の原因が人為的に排出されたCO2の付加的な温室効果によるという「人為的CO2地球温暖化仮説」であることを確認しておきます。

No.319 (2008/03/26)温暖化対策がCO2を増やす

 勿論、二酸化炭素排出量を減らすことが近年の気温の上昇傾向を抑制することにつながらないのは、既にこのHPの論考から明らかです。それでも、人間社会の将来にとって石炭ないし炭化水素燃料を節約することは好ましいことであることは事実です。
 ところで、現在の工業生産というものは、究極的には石炭と石油(天然ガスを含む)を燃やすことによって運用されていることを忘れてはなりません。工業生産を基盤とする産業規模の拡大とは、要するに石炭と石油の燃焼量の増加に結びつくのです。冷静に考えてみてください。高価な(=資源浪費的な)太陽光発電や風力発電で得られる低品質の電気エネルギーで工業生産活動を支えようなどとは誰も考えていないのです。

 さて、京都議定書の愚かな取り決めを守るためという「ふれこみで」これまた愚かな二酸化炭素排出削減策の検討をしたレポートが公表されました。まずその新聞記事から紹介します。


CO2排出量:「20年度に最大13%減」 国内負担52兆円に−経産省試算

 経済産業省は19日、温室効果ガスの削減努力に応じた将来の排出量を試算し、発表した。最先端の省エネ技術が最大限普及した場合、二酸化炭素(CO2)の国内排出量を20年度に05年度比13%減、30年度には同22%減まで減らせるとしている。ただその場合、削減に必要な企業や家庭の負担は20年度までに約52兆円に積み上がるとしており、温暖化対策の困難さも改めて示した。

 化石燃料を使う際に出る「エネルギー起源CO2」は温室効果ガスの約9割を占める。経産省は20年度と30年度の排出量試算を3年ぶりに改定し、19日開かれた総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)に提示した。政府は「2050年までに温室効果ガス排出量を半減」とする長期目標を掲げている。

 試算は、05年水準の機器を使い続ける場合(現状維持ケース)▽機器の耐用年数がくれば最新機器に買い替える場合(努力継続ケース)▽最先端の機器を最大限普及させる場合(最大導入ケース)の3パターンに分けた。

 太陽光パネルが新築住宅の約7割に導入されたり、新車販売に占めるハイブリッド車などの次世代自動車のシェアが約5割に達する姿を想定した最大導入ケースでは、20年度の排出量は13%減、30年度に22%減と大幅な削減が達成できる。

 努力継続ケースは20年度に4%減、30年度に5%減となる一方、現状維持ケースだと20年度に5%増、30年度に11%増と増加する。

 経産省は今回初めて最大導入ケースで20年度までの負担額を試算。企業が25・6兆円、家庭が26・7兆円と、社会全体では約52兆円となる。【秋本裕子】

毎日新聞 2008年3月20日 東京朝刊


 20年度までに対05年比で二酸化炭素排出量を13%減にするためには、最新の省エネ製品を最大限に導入して約52兆円の支出増加になるということです。これは絶対ありえない数値であることは明らかです。

 対策の基本的な方向として、次々に最新の省エネ対策製品を導入するということは、言い換えれば、耐久消費財を含めて、あらゆる工業製品を短期間にスクラップ化して新製品を購入させるということです。これは、典型的な資源浪費経済であり、環境問題を本質的に更に悪化させる政策です。そしてこれらの工業製品を増産するためには、大量の石炭と石油消費の増大が伴うのです。

 52兆円という巨大な市場が新たに創設されるということは、企業にとっては誠に好ましい『経済政策』です。しかし、この政策によって、石炭・石油消費量が削減されるなどということはあり得ないのです。勿論、部分的なエネルギーコストの改善は否定しませんが、52兆円の巨大市場のを賄う新たなエネルギーの追加支出に比べれば、全く無意味です。

 再度確認しておきます。企業がカッコつきの『温暖化対策』に熱心なのは、経済的に儲かるからなのであって、対策の実効性とは無縁なのです。

No.318 (2008/03/25)槌田英文論文掲載について

 既にこのHPにおいて、利益団体として日本の学会組織の偏向した実態について批判を繰り返してきました。この体質は、体制よりの研究者が非論理によって反対意見を封殺するために、実に有効に機能しています。その反面、日本の思想状況は西欧崇拝の傾向が強くなっているように感じます(明日香壽川らの言動に如実に表れています。)。
 このような状況を鑑みる時、残念ですが反二酸化炭素地球温暖化の主張は、比較的偏見の少ない海外の学術組織に発表し、逆輸入することが戦術的に有効なのかもしれません。
 私は英語がよく理解できないことは、明日香らによって公に知れ渡っていますが(笑)、敢えて槌田敦氏の英文の論文をこのHPに掲載することにしました。

International Journal of Transdisciplinary Research Vol. 3, No. 1, 2008
CO2 EMISSIONS BY ECONOMIC ACTIVITIES ARE NOT
REALLY RESPONSIBLE FOR THE GLOBAL WARMING:
ANOTHER VIEW

 内容的には、既にこのHPに掲載している槌田氏の論考を整理したものになっていますので、敢えて和文は掲載しませんので、御了承ください。

No.317 (2008/03/23)温室効果についての備忘録

 このところ、ネット上などに温室効果についての誤った解説が散見されることが気になっていました。ある掲示板で意見交換をしていたのですが、私はなぜこのような混乱が生じるのか、実際のところ今でも良く分からないのですが、放置しておくことも出来ません。とりあえず、温室効果と呼ばれているものがどういうもので、大気温度に対してどのような影響を持っているのかの概略を、まとめておくことにします。


1.温室における温室効果

 近年のCO2地球温暖化仮説の蔓延で、温室効果という言葉をよく聞くようになりました。しかし、温室効果について、誤った理解や混乱があるようです。例えば、ある高校地学の教科書には次のような記述があります。

 温室の内部は可視光線によって加熱されるが、温室の内部から放射された赤外線はガラスに吸収され、その一部がガラスから放射されて室内に戻ってくるので、温室内の温度が外より高くなる。このような現象を温室効果といい、大気中に含まれる二酸化炭素や水蒸気などはガラスと同じ作用をしている。
(※教科書問題については、角皆静男氏のHPを参照。)

 この説明では、ガラスの可視光線と赤外線に対する反射率・吸収率・透過率あるいは放射率についての具体的な検討がされていません。確かに温室のガラスが赤外線を放射することは間違いではないでしょうが、それが温室内の気温が高くなる主要な原因だということとは全く別問題です。
 通常ガラス表面は可視光線をかなり反射します。また、運用されている温室ではいつもガラス表面を磨き上げているわけではないので可視光線に対する透明度は低くなり、ガラス自身が可視光線を吸収することになります。おそらく運用されている温室では、可視光線がガラス面によって反射・吸収されることで温室内部に到達する可視光線の数割程度が減少していると考えられます(これは温室内に入ると直射日光のまぶしさがずいぶん緩和されることから経験的にも分かることです。)。
 一方、温室内の地表面や物体からは熱伝導と赤外線放射で温室内の空気に熱が放出されます。説明では、この赤外線をガラスが吸収して、これを室内に放射することによって温度が高くなると説明しています。しかし、通常の板ガラスでは赤外線透過率は80%を越えているため、大部分の赤外線は温室外にそのまま出て行きます。また、ガラスに吸収された熱については、ガラス両面から赤外線が放射されるため、温室内に放射されるのは1/2程度になります。
 以上から、温室があるために温室内に到達する可視光線は数割程度減少する一方、温室内から出て行く赤外線放射の大部分は温室を透過して外へ出て行きます。果たしてこれで温室内が室外より高温になることが説明できるでしょうか?

 このように、この教科書の記述は全く現実を反映していない誤った説明なのです。

 地表付近の大気は、地表に到達した可視光線を吸収して暖められた地表面や物体からの主に熱伝導によって暖められます。温室がなければ地表で暖められた空気は密度が小さくなり大気中を上昇します。ところが、温室内の空気は自由に移動することが出来ず、暖められ続けるので、温室外の空気よりも温度が高くなるのです。
 つまり、『温室における本来の温室効果』とは、暖まった空気が移動しないように周囲の大気から隔離することなのです。

2. 温室効果

 既に述べたように、本来の温室における温室効果と気象現象における温室効果とはまったく別の現象であり、『温室効果』という呼び名には問題がありますが、既に普及した呼び名なので、これはそのまま使うことにします。

 地球は主に、太陽からの可視光線を中心とする電磁波=太陽放射を受取って温められています。太陽放射の地球の位置における放射強度は太陽定数と呼ばれ、S=1368W/m2程度です。
 太陽光線に直交する平面に投影された地球の断面積(地球の半径をRとするとπR2)が受取る太陽放射が、地球の表面積(4πR2)に均等に分配されるとすると、平均的な太陽放射強度はS/4=342W/m2(=0.49cal/cm2・min)になります。
 この平均的な太陽放射強度を100(%)とすると、約30%が地球に反射され、残りの70%が地球を暖めます。20%程度は地表面に到達する前に大気に捉えられ、残りの50%程度が地表に到達して熱化します。地表に到達する太陽放射の主要な部分は可視光線です。太陽放射の可視光線の大部分が大気を透過して地表面に到達することが出来るのは、地球大気が可視光線に対して透明(可視光線を吸収しない)だからです。
 太陽放射によって暖められた地表面は、その温度に応じた電磁波を放射します。平均温度15℃程度の地表面は赤外線を放射します。これを地球表面放射と呼ぶことにします。
 地球大気には、赤外線領域の電磁波を吸収する気体が存在します。そのため、地球大気は地球表面放射をほとんどすべて吸収してしまいます。地球大気は地球表面放射に対して不透明なのです。

 太陽放射の主要部分である可視光線に対してはほとんど透明でこれを透過させ、赤外線である地球表面放射に対しては不透明でこれを吸収する大気の性質を温室効果と呼び、その性質をもつ気体を温室効果ガスと呼びます。

3. 太陽放射、地球放射と放射平衡温度

 地球の気温は、日変化や季節変化があるものの、平均するとほとんど毎年同じような状態が繰り返されており、定常状態にあると考えられます。
 地球を暖めている熱源は主に太陽放射です。太陽放射を受けてたえず暖められている地球の大気温度が定常状態にあるということは、太陽放射から受取るのと同じだけの熱エネルギーを地球自身が宇宙空間に放出していることを示しています。ほとんど真空の宇宙空間への放熱は、低温赤外線放射によって行われます。

 次図は、地球を暖めるために有効な太陽放射強度と、地球から宇宙空間へ放出される地球放射強度の日変化を模式的に表しています。

放射強度の日変化

 太陽放射は、日の出から日の入の間だけ存在し、日没以降はゼロになります。これに対して地球放射は、日中は太陽放射よりも多少小さく、逆に太陽放射のない夜間もゼロになることなく放射は続き、日の出前に最低になると考えられます。
 これは、日中は地球大気や固体地球や海洋が太陽放射の一部を熱エネルギーとして蓄積するために、その分だけ地球放射は受取る太陽放射よりも小さくなるためです。日没後には、日中に蓄積した熱エネルギーに見合う赤外線を放射します。
 こうして一日あるいは一年で見た有効な太陽放射量と地球放射量は釣り合っており、これを時間的に均した放射強度が図に示した平均放射強度です。この、平均放射強度に対して、次式に示すステファン・ボルツマンの式から求めた温度が地球の(平均的な)放射平衡温度です。

σ=c・T4

ここに、
ステファン・ボルツマン定数:c=5.67×10-8 (W/m2・K4)
表面温度:T(K:絶対温度)
放射強度:σ(W/m2

実際に計算すると、

σ=342×0.7=239.4 W/m2より、T=255Kになります。

【※放射平衡温度とは、物体の温度がすべて放射過程によって決まる場合に成り立ちます。例えば真空中におかれた物体の温度は放射平衡温度によって推定できます(実際には、黒体は存在しませんのであくまでも近似であり、推定です。)。しかし、地球のように固体地球の周囲が大気に覆われている場合には、熱は放射現象だけでなく大気への熱伝導や潜熱によって放出されるために、放射平衡温度よりも低くなります。温室効果のある場合の地球表面では、143の熱を受取りますが、熱伝導(6)、水の蒸発潜熱(24)があるために、地表面温度は113(=1.13×342=386.5W/m2)に対する温度になります。】

4.下層大気の温度構造

 地球大気に相変化する水蒸気がないと仮定した場合に、下層地球大気が安定な成層構造を持つための条件から求めた温度分布直線(乾燥直線)の勾配を(乾燥)断熱温度減率と呼びます。地球大気では、9.8℃/kmです。
 乾燥直線は、下層大気の重力的な安定性を保つ大気温度の「上限値」を示しています。もし乾燥直線よりも高温になったり、温度勾配が大きくなると、大気は不安定になり、下層の大気がより上層へ移動し、大気温度の鉛直分布を乾燥直線以下に回復します。つまり、乾燥直線よりも大きな温度勾配を持つ気温分布は、地球大気では定常状態としては存在し得ないのです。
 乾燥直線は大気の安定を保つ上限値を示しているものであって、より小さな勾配であれば可能な大気の鉛直温度分布は無数に存在します。水蒸気を含む平均的な地球大気の温度減率(=湿潤温度減率)は6.5℃/km程度です。
 水蒸気の分子量は18で、平均的な下層大気の分子量29よりも小さいために、水蒸気を多く含む大気は軽く、上昇傾向を持ちます。水蒸気は地表で蒸発する時に周囲から熱を吸収し、大気中を上昇して断熱膨張して冷却されて再び液体に戻る時に周囲の大気に熱を放出します。この水の相変化によって結果的に地表付近は熱を奪われ、上空は温められることになります。その結果、水蒸気を含む地球大気の鉛直温度分布は乾燥断熱温度減率よりも小さくなるのです。
 湿潤温度減率は乾燥断熱温度減率とは違い、絶対的な意味はありません。条件が変化すれば、いくらでも変わる可能性があるのです。あくまでも、6.5℃/kmという値は、現在の気温や湿度、地球の放熱形式などによって定まっている値です。

5.温室効果の昇温効果

 地球放射を宇宙空間から観測すると、平均的には255Kの物体から放射される赤外線放射に近い分布を示します。

 現在の地球大気は、温室効果ガスの存在によって赤外線に対して不透明なので、地球表面放射をほとんど吸収してしまいます。つまり、地球表面放射は地球の宇宙空間への放熱としてはほとんど(大気の窓領域を除いて)無効なのです。
 地球の宇宙空間への放熱は、主に対流圏上層の大気からの赤外線放射で賄われているのです。その結果、大気上層の温度が有効な平均的太陽放射に対する放射平衡温度255Kになるのです。大気温度が255Kになるのは標高約5000mです。
 温室効果の存在する地球大気は、地表面で加熱され、対流圏上層で放熱するという構造を持っています。その結果、湿潤温度減率で表される鉛直温度分布になるのです。

 では、仮に地球大気に温室効果がない場合にはどうなるのかを考えてみます。

 温室効果がないと地球大気が赤外線に対して透明になり、地球表面放射がそのまま宇宙空間に放射されることになります。この場合、有効な太陽放射と地球表面放射が釣り合うため、平均的な地表面の温度≒気温が放射平衡温度255Kになるのです。温室効果の存在する現在の平均気温を15℃=288Kとすると、33℃の低下になります。「温室効果の昇温効果は33℃」というのはこのことを指しています。
 もう一つの大きな違いは、温室効果ガスがある場合には大気は地表面で加熱されて大気上層で放熱しますが、温室効果がない場合には大気は地表面で加熱されて地表面で放熱することになります。

参考:下層大気の温度分布の詳細

 温室効果のある場合の地表〜地球大気の熱収支の概略を次図に示します。

 地球大気には8〜12μmの赤外線を透過させる大気の窓領域があるため、厳密にはこの波長域の地球表面放射は宇宙空間に放出されています。大気の窓領域を通して宇宙空間に放出されるエネルギーは、平均太陽放射の6%(20.5W/m2,288K)程度です。
 残りの64%(219W/m2)程度が大気上層からの赤外線放射で放熱されます。その温度をステファン・ボルツマンの式から計算すると、250K程度になります。地球大気の温度が250Kになるのは標高約5900mです。
 これに対して、地球大気に温室効果がない場合は、地球表面放射がそのまま有効な平均太陽放射(342×0.7=239.4 W/m2)と釣り合うことになります。この時の地表面の温度は239.4W/m2に対する放射平衡温度である255Kになるのです。
 次図に、地球大気に温室効果がある場合とない場合の下層大気の鉛直温度分布の概略を示します。

 

No.316 (2008/03/18)NHKが、またまた来た!!

 NHKの集金人がまたまたやってきた。今回は少しインターバルが短いようだ。相変わらず、私の提出した資料に対する回答を持って来るつもりもないようだ。受信契約は任意の契約なのだから、契約できないのは彼等の勧誘努力が足りないからである。本当に契約して欲しいのならば、まず私の主張に対する回答を持って来ることだ。

 まさかそんなことはないと思うが、もし資料を紛失したのならば、ここからダウンロードしていただきたい。

No.315 (2008/03/15)日本を駄目にするお金の使い方

 日本をはじめとするいわゆる先進国と呼ばれる国の、必要以上に肥大化した工業生産による物質的な自家中毒症状は悪化の一途をたどっているようです。使える工業製品を早期にスクラップして、新機能を備えた新製品への買い替えが、『環境政策』という名目で強力に推し進められています。
 反面、こうした豊かな国の中には、驚くべきことに、路上生活者が増加し、簡単な医療もまともに受けられずに飢えて死ぬ人が増加しています。
 そのような中で、多くの国民は更なる経済成長を求め、そのおこぼれに預かろうと群がっています。経済繁栄の中の貧困や餓死が象徴するように、経済成長は国民の健康的な生活や安定した生活とは結びつかず、泡銭を増やし、使い道に困った金は無駄なもののために浪費されるのみです。

 日本の国際宇宙ステーションへの投資額は1兆円を超える額に上るようです。このような巨額の税金をつぎ込んでやることといえば、無重力状態の中でブーメランを飛ばすとどうなるか?とは悪い冗談でしょう。
 東京都は、無能な知事の思いつきの銀行ごっこが焦げ付き、その尻拭いのために数百億という税金がつぎ込まれようとしています。
 道路特定財源の無駄遣いもあきれ果てるばかりです。わずか300名規模の会議の運営費用が6000万円とは・・・、絶句。
 その一方では、国の無能な政策の度重なる被害を被り、わずか数百億円の債務のために、崩壊しようとしている夕張市に代表される破産寸前の地方自治体はいくらでも存在します。

 この国の政治・経済・倫理観は病みきっているように感じます。もうそろそろ目覚める時ではないでしょうか?

No.314 (2008/02/23)CO2温暖化論争は決着した

 さて、『一段落・・・』を書いた後、槌田さんと二酸化炭素濃度の継続的な上昇傾向の原因は何なのかについて意見交換をしていました。
 実は、槌田さんのレポート『CO2温暖化説は正しいのか?』の中で述べられている「現在の気温が基準温度よりも0.3℃高温である」という主張に対して、私の示した図は世界平均気温偏差の年増分(単位は℃/年)を表したものであるから、0.3℃高いと言うことは無理ではないかと異議を申し立てていました。
 そこで、槌田さんから、それでは世界平均気温偏差そのものとCO2濃度年増分を比較してみようと言う提案があり、データを整理しなおしてみました。その結果を最新レポート『気温上昇と大気中CO2濃度上昇の観測値および考察』にまとめました。
 結論的には、世界平均気温偏差そのものの変動とCO2濃度年増分の変動が、位相のずれなく同期して変動していることがわかりました。現象的には、例えば海洋表層からの二酸化炭素放出という化学反応の反応速度=単位時間当たりの放出量が環境の温度に比例するということに対応すると解釈できます。これはごく自然なことです。
 また、世界平均気温偏差とは、対象期間の平均気温からの観測値のずれですから、これは当然平均値=気温偏差のゼロ点の周辺で周期的な変動を示す関数として現われますから、微分や積分操作で位相がずれますが、その変動傾向はあまり極端に変わることはなかったのです(例えば、sin関数の微分がcos関数であることを考えてみてください。)。
 そのため、気温偏差の年増分を積分することによって得られる気温偏差を表す曲線は、やはり平均気温の周辺で変動する関数となりますから、結果的には位相が少しずれるだけで振幅に大きな変化はなかったのです。

 CO2濃度はCO2濃度年増分の積分値になりますから、それだけ位相は後にずれることになります。つまり、CO2濃度年増分と同期している気温偏差の変動から遅れてCO2濃度が変化するのです。これは、気温変動が原因となってCO2濃度が結果であることを明確に示していることになります。
 また、Keelingが取り除いたCO2濃度の長期的な増加傾向、あるいは私のグラフにおけるCO2濃度年増分の曲線の振幅の中心となった1.5ppm/年という値は、今回の分析で得たグラフのCO2濃度年増分がゼロとなる気温が-0.45℃程度であることから、この間の世界平均気温が、CO2濃度が定常状態にあると考えられる気温レベルよりも0.45℃程度高温であったことを示しています。

 これで、Keelingの報告以降続けられてきた気温とCO2濃度の問題について、すべての現象が合理的に説明されたのです。気温が原因となってCO2濃度は結果であり、CO2温暖化仮説は完全に否定されたのです

No.313 (2008/02/14)一段落・・・

 ちょうど2年ほど前、2006年の2月にこのHPで「大気中二酸化炭素濃度と海面水温・気温の関係」というレポートを公開しました。そこの主題は、気温あるいは海面温度の変動と大気中の二酸化炭素濃度の変動の因果関係を明らかにすることでした。
 そもそものきっかけは、大気中二酸化炭素濃度の精密連続観測を行ったKeelingのあの有名なグラフの見事な2者関係を見たからです。

このような明確な二者関係―大気中の二酸化炭素濃度の変動は気温変動の後に発現する―があるにもかかわらず、巷では全くこれと逆の二酸化炭素地球温暖化仮説が信じられていることへの疑問でした。
 このグラフは、気象研究者である根本順一氏の著書「超異常気象」(p.213、中公新書、1994年)に紹介され、一般に知られるようになりました。しかし、既にNASAのハンセンによる米議会報告を受けて二酸化炭素地球温暖化仮説が気象学会の標準的な理解となっていたために、長らく学術的に無視され続けていました。
 私は東北大の明日香壽川が言うとおり英語は出来ませんので、Keelingの原著は読めませんでしたので、Keelingのデータ処理の詳細を知ることは出来ませんでした。そこで、一番問題であったのが、彼の取り除いた二酸化炭素濃度の長期的な変動傾向の実体でした。これがわからない限り、Keelingのグラフを再現することは出来ません。
 しかし、幸いにしてKeelingのグラフの基になった彼の連続二酸化炭素濃度観測値のデータや、世界平均気温偏差のデータ(気象庁「全球平均海面水温偏差」、「世界平均気温偏差」)は入手することが可能でした。このデータを基に、Keelingとは異なり、データの「年増分」言わば微分値に着目してデータの整理を行いました。

 その結果、Keelingのグラフ同様、気温変動の後に二酸化炭素濃度が追随して変動することがわかりました。さすがにこの結果を見た時には我ながらひどく興奮したのを覚えています。
 この結果は、ある意味驚異的なことだと思います。世界平均気温偏差とは、世界中に散らばる気温観測点について、観測値の各地点の過去の平均気温からの偏差気温を求め、これを全観測点について平均した値です。世界的に平均化された気温変動と、ハワイのマウナ・ロアにおける特異な二酸化炭素濃度の観測値がこれほどまでに明らかな対応関係を示すと言うことは、この二者関係は普遍的な関係と考えてよいであろうと考えました。
 Keelingのグラフや私の求めたグラフについて、その後標準的な二酸化炭素地球温暖化仮説を主張する研究者から幾つかの批判が行われています。例えば、気象学会誌「天気」2005年6月号に掲載された河宮未知生(海洋開発研究機構)の主張は以下のようなものです。

問題とされている図に関してまず注意しなければいけないのは,質問中でも指摘されている通り,二酸化炭素の長期的な上昇傾向が除いてあるという点です.地球温暖化の原因となるのは正にこの長期的上昇傾向です.それが取り除かれたこの図で表されているのは自然起源の変動であり,人間活動に端を発する地球温暖化とは比較的関連の少ないものと言えます

 河宮の主張は標準的な人為的二酸化炭素地球温暖化仮説の主流の意見だと思われます。その論点は以下の通りです。
@Keelingのグラフで取り除かれた二酸化炭素濃度の長期的傾向は人為的な二酸化炭素排出に対応する。
A近年観測されている気温の上昇傾向は、@の取り除かれた二酸化炭素濃度の変動によるもの。

 また最近では、物理学会に発表された槌田敦の「CO2を削減すれば温暖化は防げるのか」(日本物理学会誌 Vol.62, No.2, 2007)に対する産総研の阿部修治の反論「CO2増加は自然現象だろうか」(日本物理学会誌 Vol.62, No.7, 2007)に見られるものです。

― 図1で0.5 度の気温変化に対応するCO2 濃度変化がわずか1ppm であることからすれば,過去45 年間で増加した64ppm を気温上昇で説明することは,この間に気温が32 度上昇していない以上,不可能である.
― 「気温が変化しないという原因により,CO2 が増加するという結果がもたらされた」などという因果関係はありえないら,1.5ppm/年の定常的CO2 増加は気温上昇以外の原因によることを,これらの図はむしろ示している.

要約すると論点は以下の通りです。
B二酸化炭素濃度の変動が気温の変動の結果であるならば、現在はもっと高温でなければならない。
C気温が変化しなくても二酸化炭素濃度は増えるので、気温変動が二酸化炭素変動の原因ではない。

 この間、これらの疑問についてこのHPで検討してきました。その結果は既にこのHPで公開している以下のレポートで示しています。

人為的二酸化炭素地球温暖化仮説を否定する 近藤邦明 (HP管理者)
大気中に含まれる人為起源二酸化炭素量の推計 近藤邦明 (HP管理者)
気温・海面水温と大気中二酸化炭素濃度の観測値の解釈 近藤邦明 (HP管理者)New!
二酸化炭素温暖化仮説とエントロピー 近藤邦明 (HP管理者)New!
「CO2地球温暖化説は科学ではない」(2006.7.28) 近藤邦明より一部抜粋
Keelingのグラフ解釈に対する考察 近藤邦明 (HP管理者/2007/02/26追記)

 既に公開しているレポートは、個別の問題について断片的にまとめたもので、全体像がわかりにくいように思います。内容的な検討は一段落し、私としましてはKeelingのグラフ解釈に始まる一連の問題は既に解決したと考えています。今年一年でこれらのレポートをまとめなおして、人為的二酸化炭素地球温暖化仮説に対する本HPの立場を総括することにしようと考えています。

No.312 (2008/01/22)祭りの後・・・

 

 さて、この巨大なお花畑を皆さんはどのようにご覧になるのでしょうか?「きれいだな」と感じる方も多いでしょう。 この写真は阿蘇くじゅう国立公園にある「くじゅう花公園」と呼ばれる観光施設です。この施設は、ほとんど忘れ去られつつある総合保養地域整備法(1987年)、そう、あの悪名高きリゾート法によって行われた開発の一つの「遺産」です。
 この写真が都市公園ならば「わあ、きれい」と無邪気に言えるのかもしれませんが、私には醜悪・俗悪な景色にしか見えません。この地域はもともと、久住山南麓から阿蘇外輪山に広がる世界でも有数の規模を持つススキの単相草原でしたが、畜産振興のために国費を投下して牧野改良が行われました。それでも、この公園が建設された場所には春にはキスミレ、リンドウやエヒメアヤメ、秋にはヒゴタイやワレモコウなど控え目で可憐な花が数多く見られました。それを引き剥がして、何とも俗悪・極彩色のお花畑が出現したのです。
 私事になりますが、ちょうどこの悪法が成立した時、私はちょうど東京の会社を退職して久住町(現在竹田市久住町)に移住したところでした。私は土木屋として金のために環境を食い物にする仕事に嫌気が差して、豊かな自然の残る場所に暮らしたいと言う思いでした。
 ご多分に漏れず若者の流出が続いていた久住町では、追い討ちをかけるように、安い外国産牛肉の流入で畜産業は厳しい状況に陥り、そんなところに当時の金余り日本のリゾート開発の魔の手が伸びてきました。そんなわけで黙っていることも出来ず、反対運動とまでは行きませんでしたが、ごまめの歯軋りで声を上げることになりました。まあ、新参のよそ者の力など、全く役に立ちませんでしたが・・・。そんな訳で、この久住の状況については個人的に多少特別の思い入れもあります。
 花公園は1993年オープンと言いますから、早くも15年の歳月が流れました。大分県内も含めて、日本中でリゾート開発のツケが地元住民を苦しめています。多くの自治体がリゾート開発のために起債した地方債の返済に今苦しんでいるわけです。久住地区のリゾート開発ではおそらく最も知名度の高いと思われるこのくじゅう花公園も、約22億円の債務によって再生手続きを要請しているのです・・・。
 当時は、日本国中の自治体がリゾート開発の熱狂の渦に巻き込まれ、冷静な判断を失っていたように思います。このお祭り騒ぎはあっという間に過ぎ去り、無残な残骸が放置されている場所も少なくないはずです。

 熱狂のネタは違いますが、ある意味、今の「二酸化炭素地球温暖化」の熱狂振りは、当時を髣髴とさせるものがあります。しかも今度の狂乱状態は一国の枠を乗り越え、全世界規模にまで広がっています。この二酸化炭素温暖化狂騒状態は、その非論理性から破綻することは確実です。しかもリゾート開発を上回る、社会システムと国民全員を完全に巻き込んだ大狂乱状態に突入しようとしています。

 二酸化炭素地球温暖化という世紀のお祭りが終わった後には、一体どのような負の遺産が残されるのか、想像するのも恐ろしいような気がします・・・。

No.311 (2008/01/22)倒錯した環境対策

 年が変わって、二酸化炭素温暖化の狂騒は更に激しさを増し、まるで毎日がお祭り騒ぎです。

 これを象徴するような出来事がありました。再生紙の古紙配合率偽装という誠に滑稽な『事件』(笑)です。朝日新聞1月17日の掲載記事によりますと、当初メーカー側は品質維持のためと説明したそうですが、『報道陣から「品質重視より、高い古紙配合率をアピールして契約をとるための利益重視だったのではないか」と追及されると、「品質重視と言うのは後の話」』とこれを認めたようです。
 ここには二つの問題があるように思います。まず、無能な記者諸君の質問にいみじくも現われていることですが、『高い古紙配合率』=『セールスポイント』、つまり現在の日本社会では『エコ』が最大の宣伝材料になっているという実態です。そうです、企業は今環境に優しいエコ商品と言うのが最大の販売戦略となり、企業は儲かるから似非エコ商品を乱発するのです。トヨタ、松下、電力各社など最も環境破壊的な大企業がこぞってエコを叫ぶのは、愚かな国の優遇政策を利用し、補助金=血税をむしりとり、単純に儲かるからなのです(環境税の新設など言語道断、絶対に反対です。社民党諸君、よく考えなさい。)。
 また記事によりますと、日本製紙は昨年、製紙において古紙を利用する方が製造工程における二酸化炭素排出量が増加すると言う理由で、100%古紙による再生紙の製造中止を発表したそうです。その他に古紙再生ではバージンパルプを利用する場合に比べて漂白のためなどに多量の化学物質を使用するため、通常の製紙工程よりはるかに環境破壊的なのです。製紙メーカーはこれを正直に公表して古紙配合率を低下させることを公にすべきだったのです。今の二酸化炭素温暖化の幻想による狂騒状態にある社会的雰囲気は、これを躊躇させ、何のための古紙再生なのかという原点を完全に見失わせているのです。
 偽装をした製紙会社も愚かですが、その状況を作っている二酸化炭素温暖化狂騒状態、それを作り出したマスコミ諸君の愚かさこそ、もっと追及されるべきでしょう。

 この事例でもわかるように、現在の温暖化対策は『環境によいだろうと思われる』ことを宣伝に利用することが目的になり、その実質的な科学的な裏付けなどどうでもよいのです。これは何も製紙業界だけの問題ではありません。ハイブリッド車や太陽光発電、原子力発電は環境にそんなによいのですか???

No.310 (2008/01/12)炭素循環概念模型の視覚化

 このところ、槌田による大気中の二酸化炭素濃度の概念模型の数学的な表現について紹介してきました。なかなか数式だけではイメージしにくいのではないかと思います。そこで、小学生や中学生程度を対象に、槌田モデルを視覚的に説明するための実験モデルを考えてみました。
 用意するものは、タライとそれよりも小さい透明の水槽とポンプです。タライは地表環境、透明水槽は大気、そして水が二酸化炭素を表します。透明水槽の底面に穴を開けて次の図のように組み立てます。

 

 ポンプを作動させると、Qin>Qoutの間は徐々に水槽内の水位hが上昇します。水深hが大きくなるにつれてQoutが次第に大きくなり、やがてQin=Qoutとなって水深は一定になり、定常状態になります。
 さて、定常状態になった状態を産業革命以前の炭素循環だとします。実際には地表環境、海水の状態など炭素循環に関わる色々な要素の変化があるはずですが、まずここでは、現在と産業革命以前の炭素循環の違いをQinの人為的な排出量の増加だけだとします。
 産業革命以前と現在の自然起源二酸化炭素排出量は変化せず、210Gt/年程度(炭素重量、以下同様)とします。現在の人為起源の二酸化炭素排出量は7.2Gt/年程度、全二酸化炭素排出量の7.2/(210+7.2)=0.033=3.3%程度です。
 これを実験モデルで再現するためには、ポンプ出力を217.2/210=1.034倍、つまり3.4%程度だけ大きくしてやることに対応します。産業革命以前の大気中の二酸化炭素濃度を285ppmとすれば、人為的な排出7.2Gt/年の増加で濃度は285×1.034=294.7ppmに上昇します。増加量は10ppm程度に過ぎないのです。
 これは、例えば実験モデルの産業革命以前に対応する定常状態における水深が285mmだとすれば、ポンプ出力を1.034倍にすると徐々に水深が増え、10mm程度上昇した位置で再び定常状態になることに対応します(この程度の変化ではモデル実験のrはほとんど変化しないと考えて良いでしょう。)。これは感覚的にもごく当然の結果です。
 さて、ポンプ出力を1〜1.034倍まで、徐々に増大させると、水深はこれに伴って徐々に増加し、ポンプ出力が1.034倍になった段階で、ほとんど同時に定常状態になり、やはり10mm程度上昇したところで止まります。つまり、ポンプの出力変動の履歴は最終状態に影響しないのです

 標準的な二酸化炭素地球温暖化仮説、例えば東北大学の明日香壽川の『地球温暖化問題懐疑論へのコメント』では、産業革命以降の人為的な化石燃料の燃焼による二酸化炭素の排出によって、現在の大気中には350Gtが蓄積されていると主張しています。彼等の主張は、人為的な二酸化炭素排出量の1/2程度が選択的に大気中に蓄積され続けた累計として近年の二酸化炭素濃度の上昇を説明しようとしています。
 まずこのモデルが不合理であるのは、自然起源の二酸化炭素と人為起源の二酸化炭素がまったく別の挙動を示すことを容認している点です。例えば、近年のKeelingによる南極とハワイにおける二酸化炭素濃度の精密連続観測データから、この遠く離れた二地点の濃度が極めてよく同期した変動を示すことからも、大気は攪拌されてごく短期間で二酸化炭素濃度は一様な状態になると考えられるのです。一様になった大気中の二酸化炭素のうち、人為起源の二酸化炭素と自然起源の二酸化炭素が独立して別々の挙動をすることはあり得ません。つまり二酸化炭素の蓄積を認めたとしても、人為起源の二酸化炭素だけが選択的に蓄積されることはありません。大気中の二酸化炭素の一部が蓄積されようが否かに関わらず、大気中のあらゆる二酸化炭素は全く同じ確率で蓄積されるものは蓄積され、循環するものは循環するのです。
 人為起源の二酸化炭素の選択的蓄積説は、エントロピーの立場から見ると、一旦大気中に放出された二酸化炭素が分子拡散や乱流拡散、地球規模の大気循環で攪拌され、一様になる=拡散エントロピーが極大になった状態から、人為起源の二酸化炭素を再び選別して選択的な操作を行うことを意味し、明らかにエントロピーの減少過程であり自然には起こりえないことです。
 更に、産業革命以前の大気では、自然起源の二酸化炭素排出量210Gt/年程度に対して、大気中の二酸化炭素濃度は285ppm程度で安定していたとすれば、210Gt/年程度の二酸化炭素は地表環境に還流していたはずです。この循環構造を持っていた二酸化炭素の挙動が、わずか数%程度の排出量の増加で本質的な構造が変化することなど考えられません。この点からも人為的二酸化炭素蓄積説は不合理です。

 さて、現在の大気中二酸化炭素濃度は380ppm程度、炭素重量で760Gt程度と言われています。前述のように、現在の大気中二酸化炭素濃度は、人為起源の二酸化炭素排出量の増加だけでは到底説明できません。
 二酸化炭素排出量は自然起源のものが210Gt/年程度、人為起源のものが7.2Gt/年程度とすると、現在の大気中の二酸化炭素濃度を説明するためには、二酸化炭素の交換率はr=(210+7.2)/760=0.285ということになります。
 炭素重量で2Gtの二酸化炭素量が1ppmに対応するとすれば、産業革命以前の定常状態では、交換率はr=210/570=0.368程度であったと考えられます。この交換率rの変化が近年の大気中二酸化炭素濃度上昇の主要な原因だと言うことになります。つまり近年の大気中二酸化炭素濃度の上昇は、交換率rの継続的な減少傾向を反映していると考えられます。
 これはモデル実験で考えると、水槽の底面に空いた穴の断面積が減少しつつあることに対応します。水槽の底面の穴に流量を調整できるバルブを付加することによって、あらゆる条件に対応可能な槌田モデルを表現する実験装置が完成します。

追記:
このレポートに大幅に加筆して本編に『大気中CO2濃度モデルの視覚化』を公開しましたので、併せてご覧下さい(2009/06/12)New!。

No.309 (2008/01/07)今年もよろしくお願いします!

 さて、洞爺湖サミットの年が明けました。戦争参加法案の参議院無視の成立や愚かな温暖化対策の対外的公約を控え、冗談でも『おめでとうございます』などと言えるような状況ではありませんが・・・。

 洞爺湖サミットを控え、NHKは言うに及ばず、民放各社も正月から二酸化炭素地球温暖化に関する特番が目白押しです。しかしどれもこれも全く見当はずれ、正に頓珍漢な内容ばかりで、見る気にもなりません。マスコミや報道機関の中では、二酸化炭素地球温暖化仮説の科学的な妥当性についての議論は終ぞ行われぬまま、既に政治課題へと変質してしまっています。
 これは、彼等は『温暖化対策』の自然科学的な妥当性を判断する能力をついに獲得できなかったことを意味し、これから行われるであろうゼネコンばら撒き政治のエピゴーネンたる環境対策事業への税金のばら撒きの本質的な意味や問題点を解明できぬまま、同じ轍を踏むことになるのでしょう。

 このHPは、公権力及び左右の迫害(笑)にめげずに、あくまでも現実に起こっている自然現象に軸足を置いた立場から情報を提供して行きたいと考えています。

 さて、お気づきの方も多いと思いますが、内容の一部をPDFファイル形式で公開する試験をしています。これは、かつては重くて開くのに時間のかかったPDFファイルでしたが、通信環境の改善でかなりスムースに読めるようになったこと、そしてPDFファイルを生成するフリーのソフトウェアが手軽に入手できるようになったことによります。
 どれだけの方がこのHPの内容を印刷して読んでくださっているかは不明ですが(笑)、多少重いのは仕方ありませんが印刷時に書式が崩れる事を防げる利点があります。頻繁に訂正や追加のなくなった、ある程度まとまった本編のレポートにつきましては、少しづつPDFファイルに変換して行こうと考えております。もし不都合な点がありましたら御連絡いただきたいと思います。

 最後になりましたが、今年もよろしくお付き合いください。

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