これまで、二酸化炭素の大気循環モデルとして定常状態を前提としてモデルを提案してきました。定常モデルであろうが非定常モデルであろうが、その本質の意味するところは変わりません。しかし、産総研の阿部のような想像力の欠如した者、あるいは悪意を持って揚げ足取りを生業とする連中も存在しますので、槌田モデルが非定常状態ではどのようになるかを考えてみることにします。
槌田モデルの本質は、定常・非定常に関わらず、大気中の二酸化炭素の一定割合が同じ確率で大気外へ移動することを主張しています。つまり、
Qout=Qstock×r
です。ここでも、Qout、Qstock、・・・は一年ごとの離散量とします。実際には季節変化があるため連続的に変化しますが、詳細なデータは存在しないので、1年毎の塊として扱うことにします。非定常な場合には槌田モデルに現われる変数は時間変数Tに依存することになりますので、次のように表記します。
Qout(T)=Qstock(T)×r(T)
初年度期末の大気中二酸化炭素量は、
Qstock(T1)≡Qstock1=Qstock(T0)×[1−r(T1)]+Qin(T1)×[1−r(T1)]
≡Qstock0×(1−r1)+Qin1×(1−r1)
二年目の期末の大気中二酸化炭素量は同様に、
Qstock2=Qstock0×(1−r1)(1−r2)+Qin1×(1−r1)(1−r2)
+Qin2×(1−r2)
三年目の期末の大気中二酸化炭素量は同様に、
Qstock3=Qstock0×(1−r1)(1−r2)(1−r3)+Qin1×(1−r1)(1−r2)(1−r3)
+Qin2×(1−r2)(1−r3)
+Qin3×(1−r2)
n年目の期末の大気中二酸化炭素量は、
Qstockn=Qstock0×(1−r1)(1−r2)(1−r3)・・・(1−rn)
+Qin1×(1−r1)(1−r2)(1−r3)・・・(1−rn)
+・・・
+Qin(n-1)×(1−r(n-1))(1−rn)
+Qinn×(1−rn)
人為的二酸化炭素排出量を儔としてQinから分離して明示的に表現すると以下のようになります。
Qstockn=Qstock0×(1−r1)(1−r2)(1−r3)・・・(1−rn)
+Qin1×(1−r1)(1−r2)(1−r3)・・・(1−rn)
+・・・
+Qin(n-1)×(1−r(n-1))(1−rn)
+Qinn×(1−rn)
+儔1×(1−r1)(1−r2)(1−r3)・・・(1−rn)
+・・・
+儔(n-1)×(1−r(n-1))(1−rn)
+儔n×(1−rn)
さて、近年の大気中二酸化炭素濃度は増加傾向にありますから、
儔(m-1)<儔m
r(m-1)>rm
としてよいでしょう。大気中の人為的な二酸化炭素量を儔stockと表記すると、n+1年目の期首において、
儔stock=儔1×(1−r1)(1−r2)(1−r3)・・・(1−rn)
+・・・
+儔(n-1)×(1−r(n-1))(1−rn)
+儔n×(1−rn)
+儔(n+1)
儔stockの近似値儔stock'として、n+1年目の値を用いた定常モデルの値を用います。つまり、
儔stock'=儔(n+1)×(1−r(n+1))n
+・・・
+儔(n+1)×(1−r(n+1))2
+儔(n+1)×(1−r(n+1))
+儔(n+1)
≒儔(n+1)/r(n+1)>儔stock
故に、大気中の人為的な二酸化炭素量を儔stockの近似値として、着目年の値を用いた定常モデルの値を用いれば、人為的影響を多少大きめに見積もった近似値を得ることが出来ます。これが前回『現在の大気中のCO2存在量の中で、人為的なCO2は、人為的な年間排出量を7.2Gtとすれば、僅かに7.2×3.45=24.8Gt程度、全体の24.8/760=3.2%程度、濃度にして13ppmに満たないのです。』と述べたことの意味です。
現実的には、二酸化炭素排出量や吸収特性の変化はステップ関数的に飛躍することはなく、徐々に変化すると考えられます。また、二酸化炭素量に関する観測値の精度はそれほど高くはありませんから、現実的には定常モデルを用いた近似値で十分議論が可能だと考えられます。
京都議定書以来、地球温暖化対策を環境問題における最重要課題として、温暖化を回避するためとしてCO2排出量削減が国際的な政治カードとして機能しています。しかし、CO2排出量削減が温暖化防止対策として有効であるためには、様々な前提条件が存在しています。それはそのままCO2地球温暖化仮説の妥当性の問題と重なります。CO2地球温暖化仮説は、自然科学の方法論として全く倒錯しています。
まず、気象現象という巨大空間で起こっている現象については、実験室的な演繹主義的な視点は無効です。まず重要なことは実際に起こっている現象について観測を行うことによって全体像を把握することが必要です。CO2地球温暖化仮説が成立可能であるための最も根源的な前提条件は、大気中のCO2濃度の変動が気温変動の主要な原因であることを観測事実によって示すことです。
この根源的な問題について、CO2地球温暖化仮説を推論させるような事実は存在しません。しかし、逆に気温(海水表面温度)変動が大気中のCO2濃度変動の原因であることを示す事実は数多く存在します。
@アイスコアに残された氷期・間氷期の気温サイクルと同期したCO2濃度の変動
A火山の噴火による気温低下にともなうCO2濃度の低下
Bエルニーニョ後のCO2濃度上昇
CKeelingの大気中CO2濃度の連続精密測定データで示された、気温変動に追従して変動するCO2濃度
まずこの、観測データで示された気温・水温変動が大気中CO2濃度を変動させることを示すデータを覆すような事実がない限りCO2地球温暖化仮説はこの段階で棄却すべきものです。
次に、現在のCO2地球温暖化仮説は「人為的」なCO2排出の増加が大気中CO2濃度の増加傾向の主要な原因であるという炭素循環モデルに基づいています。
CO2地球温暖化仮説の基になる炭素循環モデルでは、人為的に排出されたCO2は自然界のCO2循環とは「独立」に大気中に蓄積し続けるという非現実的なモデルです。
Keelingによるハワイのマウナロアと南極における大気中CO2濃度の連続観測データを見ても明らかなように、遠く離れた両地点でCO2濃度の変動はよく同期しており、これは大気中に放出されたCO2はごく短時間に攪拌されて比較的均一な状態になることを示しています。一旦大気中に排出されたCO2はその発生源が自然現象であるか人為的な排出であるかに関わりなく、同じように循環すると考えられます。
現在、概略として大気中には炭素重量で760Gt程度のCO2が存在し、年間排出量は220Gt程度であり、大気中に存在するCO2量は年間排出量の760/220≒3.45年分に過ぎないのです。現在の大気中のCO2存在量の中で、人為的なCO2は、人為的な年間排出量を7.2Gtとすれば、僅かに7.2×3.45=24.8Gt程度、全体の24.8/760=3.2%程度、濃度にして13ppmに満たないのです。
これは何を意味するのか?仮にCO2地球温暖化仮説が正しかったとしても、人為的なCO2排出量をゼロにした場合でも、削減可能なのは高々13ppmであり、産業革命後に増加したといわれる大気中CO2濃度100ppmのごく一部に過ぎないことを示しているのです。
「人為的」CO2地球温暖化仮説を主張するのであれば、なぜ人為的に排出されたCO2がその他のCO2と全く別に大気中に蓄積されるのかを示さなければなりません。
CO2地球温暖化仮説は以上2点について、事実によってこれを覆せない限り砂上の楼閣に過ぎないのです。
ところが、現在の地球温暖化仮説はこうした観測事実を全く無視して、いきなり大気の温度を放射平衡モデルによって解釈して、CO2は温室効果ガスであるから大気中のCO2濃度が上昇すれば気温は上昇するはずだという「予断」から出発して、更にCO2濃度の上昇は人為的なCO2排出によって説明できるはずだとして、数を合わせるために人為的CO2排出量の半量程度が選択的に大気中に「蓄積」するという無理なモデルをでっち上げたのです。正に倒錯した理論なのです。
それどころか、大気の地球放射吸収特性に関するJack
Barrettの研究からもわかるとおり、大気中のCO2濃度が産業革命以前のレベルでも、地球放射の吸収に有効に働く大気中のCO2濃度は既にほとんど飽和状態にあり、例えCO2濃度が倍増してもその影響は軽微であることが示されているのです。
CO2地球温暖化仮説についての議論は、ここに提出した矛盾点についてCO2地球温暖化仮説を主張する者が事実を以って合理的に説明することが必要なのです。
しかし実際には、CO2地球温暖化仮説を主張する者や、その妄信的な信者は、説明を放棄した上で提出した矛盾点に対して反する様な現象を提示することで指摘そのものを葬り去ろうとしているのです。
これは典型的な詭弁術の手法です。このHPの主張はCO2地球温暖化仮説に変わる気温の変動機構を提示しようとしているのではなく、CO2地球温暖化仮説を検証することが目的なのです。これに対してCO2地球温暖化仮説は近年の気温の主要な変動機構を示す理論として提起されているものなのですから、あらゆる矛盾点の指摘に対してCO2温暖化仮説に立脚して事実を以って合理的に説明できない限り棄却されるのです。
CO2地球温暖化仮説に対して提起されたこれと矛盾する現象が事実である限り、これに反するような現象があろうとも、それによってCO2地球温暖化仮説が正しいことは全く論証できないのです。
CO2地球温暖化仮説を主張する研究者はこのことを十分知った上で、大衆を惑わすためにこの詭弁術を最大限に利用しており、目論見通り、愚かなマスコミや妄信的な信者たちはこれに追従しているのです。その結果CO2地球温暖化を巡る議論は誠に頓珍漢なものになってしまっているのです。
参考
人為的二酸化炭素地球温暖化仮説を否定する
「CO2地球温暖化説は科学ではない」(2006.7.28) 近藤邦明より一部抜粋
前の記事を書いたすぐ後に、「CO2が地球温暖化の原因ではない、に懐疑的な一人」という方からメールをいただきました。
私がこのHPでCO2地球温暖化仮説を批判しているのは、当然のことですがその前提となるCO2地球温暖化仮説が存在するからなのです。このHPでの主張に対して異議を申し立てようとするのであれば、まず行うべきことは、CO2地球温暖化仮説を理解したうえで、このHPの主張がCO2温暖化仮説に対する反論として成り立たないことを論証しなければなりません。
私が奇妙に思うのは、現状では事実で示すことの出来ない、単なる出来の悪い仮説に過ぎないCO2地球温暖化仮説を絶対的な真理であるかのような妄想の上に議論を展開される方がほとんどであることです。
例えば、典型的なCO2温暖化仮説のデマゴーグの主張を見れば明らかですが、彼等の主張は本来事実によって論証すべきCO2温暖化仮説をCO2温暖化仮説が正しいことを前提として説明しているに過ぎないのです。彼等の主張は虚飾を剥ぎ取れば「CO2温暖化仮説は正しい、故にCO2温暖化仮説は正しい」と主張しているだけなのです。
確信犯は別にしても、大衆の多くが彼等の非論理を妄信している状況は残念です。CO2温暖化仮説を妄信する人々の、宗教的な(=論理的な説明を要しない)信念に基づく主張は、事実に立脚した議論において頓珍漢になるのは当然の結果です。
このHPでは宗教論争を行う気は毛頭ありません。あくまでも私達の暮らす実際の現象世界の出来事として議論をしていきたいと考えます。
昨日の新聞やニュース番組で、イージス艦からの迎撃ミサイルで弾道ミサイルを打ち落とすことに成功したという話題がごく普通の出来事のように報道されました。この国は兵器の開発・実験を自然のこととして受け入れるような国になってしまったのです。私が子供の頃には考えられなかったことです。恐ろしいことです・・・・。しかし、もっとも恐ろしいのはこのような事態に反応しない大衆、特に学生を中心とした若者たちの個に埋没した無関心です。
例年通り、今年も血迷った人々が、キリスト教徒でもあるまいにクリスマスイルミネーションの徒花を咲かせています。最近よく聞くのは、「環境に配慮して」エネルギー効率のよい発光ダイオードを使用したイルミネーションを行っているという話題です。何と頓珍漢な連中でしょうか。もともとクリスマスイルミネーションなど全く無用の長物です。イルミネーションなどやめてしまえばよいことです。
商売人はともかく、マスコミや報道機関の無能には、あきれ果ててしまいます。イルミネーションの報道をしたすぐ後に、舌の根も乾かぬうちに温暖化は大変だ、エネルギー使用量を削減しなければなどとしゃべるのですから、彼等の頭の中はどういう構造になっているのか、摩訶不思議です。
頓珍漢といえば、物理学会誌に掲載された産総研の阿部氏の槌田批判のレポートにもあきれ果ててしまいました。彼のレポートは批判のための批判であるのか、はたまた本当に読解力が欠如しているのか定かではありませんが・・・。それは措いても、どう読んでも彼の認識と最終的な結論がどうしても論理的に結びつかないのです。このような非論理的な文章が堂々と掲載され、一方では槌田論文が故なく数年間も掲載拒否される物理学会とは如何なる組織なのか・・・。
物理学会誌でさえそうなのですから、致し方ないと言えばそれまでですが、ネット上には二酸化炭素地球温暖化仮説についての頓珍漢な議論が溢れています。このHPにもよくアクセスがあるのは「教えて!goo」や「Wikipedia」の地球温暖化に関するページからのアクセスですが、ちょっと覗いてみるとかなりひどいものです。ただし、このHPを「懐疑論」として紹介してくれているおかげで、このHPへのアクセスの増加に貢献していただけるという意味では感謝!です。
ただ、出来ればもう少し正確を期して欲しいものです。このHPで批判しているのはあくまでも「二酸化炭素地球温暖化仮説」ないし、それに対する「脅威論」であって、「地球温暖化」ではないのです。近年の気象観測データから、地球の平均気温がこの40年間程度上昇傾向を示しているというのは、都市の高温化という人為的・局所的現象によるノイズを含んでいるとはいえ、一定程度信憑性のある科学的な事実であろうと思います。事実を「批判」するなどおよそナンセンスです。
このHPで批判している、いや正確には否定しているのは、その原因を人為的な二酸化炭素の排出による温室効果の増大によって説明しようとする仮説と、この非科学的な仮説を信じ込ませるために、これまた幼稚な気候予測シミュレーションというコンピューターゲームの仮想現実の脅威的な未来映像を使って脅迫することなのです。
無記名の「教えて!goo」回答者氏や「Wikipedia」編集者氏らは、自覚してかどうかわかりませんが、彼等もまた二酸化炭素温暖化仮説には何の科学的合理性のある具体的な事実や説明がないにもかかわらず、絶対的な真実であると勝手に思い込み、私たちが最も本質的な問題提起をしていることが理解出来ないために、誠に頓珍漢の「懐疑論」を勝手に構成して、勝手に二酸化炭素温暖化仮説を弁護しているようです。
私達の提起した疑問や批判に対して合理的な説明をする義務があるのは二酸化炭素地球温暖化仮説を主張する者の方なのです。こんなことも理解できないようでは、何をか言わんや、ですが・・・。
ここ数年、もっぱら二酸化炭素地球温暖化脅威説に対する検討に大部分の紙面(?)を割いてきました。結論的に、二酸化炭素地球温暖化仮説はコンピューター・シミュレーションあるいは計算機科学の生み出した妄想にすぎないことが明らかになったように思います。
この問題について、以下、脈絡もなく思うことを備忘録としてまとめておくことにします。
物理現象の時空スケールによる4つの世界
私達の身の回りで起こる、あるいは観測される物理現象には様々なスケールの現象があります。観測機器の進歩によって、微細な現象は素粒子に関する現象から、巨大な現象では宇宙空間に望遠鏡を打ち上げて宇宙の果てを見つめて宇宙の創世記を探る研究まで、実に多岐にわたっています。
しかし、地球という惑星から出ることの出来ない私たち生身のごく普通の人間を含む生物にとって、素粒子の世界や宇宙の創生などという問題はほとんど関係のない現象です。
こうした物理現象に対して、槌田は著書「熱学外論」の中において、現象の時空的なスケールから4つの現象世界を分類しています。以下に引用します。
槌田『熱学外論』p.41
c.物理学における四つの世界
物理学では,世界を四つに分け,それぞれの世界で成り立つ原理・法則はまったく別のものだとしている。
まず,第一の世界は原子核の世界である.これは,陽子や中性子などの素粒子から構成される世界で,その原理・法則はまだはっきりと理解されていない.
第二の世界は,原子や分子の世界で,これは第一の世界の集まりであって量子力学が成立し,全ての現象は詳細均衡の法則により可逆的で,エントロピーの増大の原理はそもそも存在しない.
第三の世界はわれわれの大きさの世界である.これは第二の世界の集まりであって,物質,エネルギー,エントロピーという三つの原理が成立する世界である.この世界は星までを含み,全ての現象・変化は非可逆的である.
(中略)
第四の世界は宇宙の世界である.この世界は第三の世界の集まりであるが,その総体を示す法則として,物質,エネルギー,エントロピーの原理がそのまま使えるかどうかはわからない.さらに,別の原理・法則があるかもしれない.しかし,これがわからなくても,現実のわれわれの第三の世界にはまったく関係のないことである.
(後略)
私たち人間の住む世界は、槌田の分類によると第三の現象世界と考えられます。勿論、第三の現象世界の現象は、そこに含まれている第一、第二の現象世界の影響も受けてはいますが、あくまでも間接的な影響であって、私達の住む世界の物理現象は、主に第三の現象世界の因果律によって既定されているのです。
第三の現象世界=熱力学に律せられた不可逆な世界
私たちの住む第三の現象世界は、原子や分子の巨大な集合体である「物質」と、熱・力学的エネルギーに対する保存則とエントロピーの増大則によって既定された世界です。この第三の現象世界の物理現象を対象とするのが熱力学です。
第三の現象世界=熱力学的世界を最も端的に表す言葉は「覆水盆に返らず」でしょう。これは物理学的にはエントロピー増大の法則と呼ばれています。
これは、第三の現象世界のあらゆる現象は常に系全体のエントロピーを増加させる方向にのみ進行するということです。言い換えれば、熱力学的世界の現象は時間を逆行することが出来ず、現象には必ず時間的に先行する原因と、これに引き続く結果が後から発現することを意味しています。決して結果の後に原因が現われることはないのです。あるいは、元に戻ったように見える現象でも、その現象を含む系全体では必ず何らかの痕跡が残っているのです。
環境問題は熱力学的世界固有の問題
既にこのHPでは、環境問題とは地球の表層環境におけるエントロピーの増加の問題だと述べました。
私達の住む熱力学的世界の生態系の活動は、生態系の物質循環と、生態系の活動によって増加したエントロピーを廃熱として宇宙空間に廃棄することによって定常性が維持されています。
環境問題とは、生態系の物質循環を傷つけ、エントロピーを廃棄する機構を傷つけている、あるいは廃熱として宇宙空間に廃棄することの出来ない物エントロピーの増大=物質による表層環境の汚染です。
それ故、環境問題とは主に熱力学的な世界固有の問題なのです。
二酸化炭素地球温暖化仮説
さて、地球温暖化脅威説の大合唱の原因となっているのが二酸化炭素温暖化仮説です。しかし、このHPで検討してきたように二酸化炭素温暖化仮説は科学とは呼べない、ほとんど妄想の産物です。
まずこの仮説の本質は、極言すると『二酸化炭素は温室効果ガスである』という一点だけだということがわかります。温室効果ガスとは、可視光線を主要部分とする太陽光を透過させて、赤外線である地球放射を吸収する性質を持つ気体のことを指します。
「温室効果」ないし「温室効果ガス」という名称が妥当かどうかはさておき、このこと自体は物理的な事実です。ただし、この気体分子が赤外線を吸収・放射するという現象は、言うなれば第二の現象世界での実像であり、これをわれわれの住む第三の現象世界にそのまま敷衍することには注意しなければなりません。
さて、この温室効果については、様々な俗説が横行していることが温室効果の問題を混乱させているようです。その事例をいくつか検討しておきます。まず最初は「教科書問題」です。
ある出版社の地学TB の教科書より
温室の内部は可視光線によって加熱されるが、温室の内部から放射された赤外線はガラスに吸収され、その一部がガラスから放射されて室内に戻ってくるので、温室内の温度が外より高くなる。このような現象を温室効果といい、大気中に含まれる二酸化炭素や水蒸気などはガラスと同じ作用をしている。
これはかなり無理のある説明です。温室を作っているガラスやビニールはその表面からあらゆる方向に放射しています。温室の内側に放射するのと同様に温室の外側にも放射しています。これでは温室の内外に温度差を生む事を説明できません。
温室は可視光線を中心とする太陽放射を良く透過させ、太陽放射は温室内の地面や物体に当たって熱化します。温まった地面や物体からの熱伝導や赤外線放射が温室内の空気を暖めます。これは温室があろうがなかろうが同じことです(むしろ温室を作っているビニールやガラスがあれば可視光の一部は反射・吸収され、温室内の地面や物体に到達する太陽放射は減少するはずです。)。
本質的に重要なのは、温室によって大気から隔離された温室内の温まった空気は、対流や風によって運び去られることがないために昇温し続けることなのです。
この教科書は一例にすぎませんが、学校現場の教科書の中には二酸化炭素温暖化仮説について、かなり非科学的な主張が事実であるかのような記述があることは、将来的に考えても大きな問題です。
気象現象において「温室効果」とは、地球大気が電磁波のうちの可視光線を中心とする太陽放射を透過させ、地球表面からの赤外線放射に対してはこれを吸収して大気全体を温め、温められた大気が再び赤外線放射するうち、地表面方向へ放射される赤外線によって地表温度が上昇する現象です。
地球大気を構成する気体の内、大気の大部分を占めている酸素と窒素は地表からの赤外線を吸収しません。地球大気のうちで、最大の温室効果を持つ気体は水蒸気で大気中濃度は数1000ppm〜数10000ppm(=1%のオーダー)程度にすぎません。二酸化炭素の濃度は更に小さく、現在380ppm程度といわれています。
この微量の温室効果ガスによって大気全体が温められるのは、温室効果ガスによって捉えられた赤外線のエネルギーが温室効果ガス分子の内部エネルギーを上昇させ、この温室効果ガスと大気を構成するその他の気体分子が衝突することによって、温室効果ガスの内部エネルギーとして吸収された赤外線のエネルギーが受け渡され、大気を構成する気体分子全体の運動エネルギーに変わるためです。
さて、この温室効果、特に最近話題の二酸化炭素の赤外線吸収特性を確認するとして、これまた誠にいかがわしい実験が横行しています。ここでは、電力会社のイベントや学校現場でよく行われている実験を取り上げることにします。
赤外線吸収確認実験 〜ペットボトル加熱実験〜
この実験の発案者は信州大学東京理科大学准教授の川村康文という方のようです(川村著「地球環境が目でみてわかる科学実験」筑地書館)。
このHPでは気象予報士のはれほれ氏が参加した北九州市の公開実験について検討を行いました。実験では一つのペットボトルには乾燥空気を封入し(ペットボトルB)、もう一つのペットボトルには一気圧100%(=1000000ppm)の二酸化炭素を封入し(ペットボトルA)、これに赤外線ランプを照射して気体の温度変化を計測するものでした。
この実験は、二酸化炭素地球温暖化仮説の妥当性を示すことが目的ですから、赤外線としては、地球表面からの赤外線放射を模したものでなければなりません。地球の平均的な表面温度は15℃(=288K)程度ですから発熱体は288K程度でなければなりません。現実問題としては、288Kは室内の壁面程度の温度ですから、これでペットボトルの加熱を観測する実験など始めから成り立ちません(放射強度390W/m2、ピーク波長10μm)。
赤外線ランプの発熱体の温度を1000Kとすると、放射スペクトルのピーク波長は3μm程度、単位面積・単位時間あたりの放射エネルギー量は地球放射の150倍程度(=56700W/m2)にもなります(288Kと1000Kの放射スペクトルを同じスケールで描くと上の図になりますが、これでは288Kの分布が確認できないので、下図に対数目盛りで表示しておきます。勿論、赤外線ランプからの放射光は平行光線ではありませんから、放射強度が150倍になることはありません。)。仮に実験が成功したとしても、地球放射とは全く異なる赤外線ランプの放射する赤外線の吸収による加温実験ということになります。
結果を見ると、双方の温度は同じような上昇傾向を示し、僅かに二酸化炭素を封入したペットボトルの方が温度が高くなるというものです。
これは全くおかしな話です。もしもこの実験がペットボトルに封入した気体の赤外線ランプから照射された赤外線に対する吸収特性を明らかにしようとしたものであるならば、明らかに失敗実験です。なぜなら、乾燥空気には温室効果ガスはほとんど含まれていないのです(実際には380ppm程度の二酸化炭素が含まれていますが、1000000ppmと比較すれば無視しても良いでしょう。)。
つまり実験が意図した通りうまくいったならば、乾燥空気を封入したペットボトルの内部温度がこれほど顕著に上がるはずはないのです。
ここに、実に面白い対照実験結果があります。このHPで取り上げたNHK「ためしてガッテン!」6月6日放映『常識逆転!地球温暖化ビックリ対策術』の中で紹介された実験です。詳細はそちらをご覧頂くとして、結果を示しておきます。
左側の容器には1気圧の乾燥空気、右側の容器には二酸化炭素を充填しています(容器は、薄い樹脂フィルム様の薄膜で作られています。ペットボトルに比べると、赤外線の透過率はかなり良いのではないかと考えられます。)。映像は、容器を透過した波長4.3μm付近の赤外線のエネルギー密度ががどれだけ減衰するのかをサーモグラフィーの映像として捉えたものです。映像からわかるように、乾燥空気を充填した容器については、赤外線はほとんど素通りしているようですが、二酸化炭素を充填した容器は赤外線のエネルギーがかなり減衰しているようです。
最も考えられるのは、赤外線をよく吸収するペット樹脂製のボトルが赤外線を吸収して過熱し、温まったペットボトルからの主に熱伝導によってペットボトル内の気体温度が上昇したのではないでしょうか?あるいはペットボトルを透過した赤外線が温度計を直接過熱した可能性も否定できません。
誠に考えにくいことですが、もし仮にこの実験が意図したとおりペットボトルに封入した気体の赤外線の吸収による温度上昇であったとしたらどうでしょうか?この場合は、現在の地球の150倍程度の放射強度を持つ放射体に対して大気中の二酸化炭素濃度が1000000ppm/380ppm≒2632倍になった場合でも、その結果による気温変化は僅かに1℃程度ということになります。
電力会社のイベントなどで、同様のペットボトルを、何を血迷ったか(笑)、太陽光(主に可視光線)の下に放置するという実験を行った例もあるようですが、これも同じような結果を得ていますので、この実験は『ペットボトルの加熱実験』と考えて間違いないように思います。
このような、一体何を測定しているのかも定かでない愚かな実験が、多くの学校教育の場で実践されていることはほとんど犯罪行為といってよいでしょう。
二酸化炭素の温室効果は未飽和なのか?
前節で紹介した「ペットボトル加熱実験」の結果から、二酸化炭素の温室効果に対する大気中濃度は既に飽和に近く、2倍や3倍になったところで問題にならないことがわかりました(笑)。
さて、冗談はさておき、二酸化炭素地球温暖化仮説の根幹にあるのは、15μm付近の地表からの赤外線放射の吸収に必要な大気中二酸化炭素濃度がまだ飽和に達していないという前提があります。最も、江守正多氏のように、二酸化炭素濃度が増えれば、赤外線吸収に対する濃度が飽和していようがどうしようが、いくらでも気温は上昇して金星のようになるなどと主張するとんでもない方もいますが、これはこの際論外としておきます。
例えば、ニンバスによる地球放射の衛星からの観測結果があります。これを見ると、二酸化炭素の吸収波長帯である15μm付近の赤外線がゼロではありません。では、大気中の二酸化炭素濃度が増えれば更にこの値は小さくなり、宇宙空間へ放出される熱が減り、地球大気が加熱することになるのでしょうか?
地球を宇宙空間から観測した場合の温度は、太陽放射を受ける黒体の放射平衡温度で推定されます。実際にその温度を計算すると255K程度ということになります。つまり、どんなに地球大気の中の温室効果ガスが増えようとも、宇宙空間から地球放射を観測すれば255Kの黒体放射で近似できる程度の赤外線放射があるのです。
ニンバスの観測結果を見ると、波長15μm付近の赤外線強度は、既に255Kの黒体放射の値を下回っているように見えます。つまり、この波長帯の地表面からの赤外線を地球大気は十分吸収しつくしていると考えられるのです。
宇宙空間から地球からの赤外線放射を観測する場合、いわゆる大気の窓領域以外では地球表面からの赤外線放射を直接観測することは出来ません。窓領域であっても、微細な固体浮遊物質があればある程度減衰して観測されることになります。
窓領域以外の地表からの赤外線は主に水蒸気、そして15μm付近では多少二酸化炭素にも吸収され、大気を過熱します。大気は各高度の大気温度に対応する赤外線放射を行いますが、下層大気からの宇宙空間方向への赤外線放射は更に上層の大気に含まれる温室効果ガスによって吸収され、最終的に宇宙空間から観測されるのは上層大気から宇宙空間へ漏れ出す赤外線放射であり、平均的にみれば地球の天体としての放射平衡温度の黒体の赤外線放射に近い分布になると考えられます。
蛇足ですが、ニンバスのサハラ砂漠上空での観測結果は、窓領域以外の全体としての分布も255Kの黒体からの放射よりずいぶん大きな値となっています。これは、サハラ砂漠という非常に乾燥した大気の条件の下では、水蒸気による地球表面からの赤外線の吸収が小さく、地表面からの赤外線放射がそのまま宇宙空間へ漏れ出す「放射冷却」の状態を示しているものと考えられます。
これまでも断片的に述べてきましたが、温室効果ガスといっても、実際には気体分子の種類ごとに吸収する赤外線の波長帯は決まっており、全てが同じではありません。各気体ごとの吸収率をWikipediaの掲載図で示します。
一番上の図は、上から二番目に示す地球大気を構成する主な気体の電磁波に対する吸収・散乱率を、太陽放射あるいは地球表面からの赤外線放射の分布図の各波長における値を100%として、赤は太陽放射の地表への到達量、青は地球放射の宇宙空間への放射量を推定した図のようです(ただし、着色部分には大気からの放射は含まれていないようです。)。
青色で着色されたおよそ8μm〜12μmの波長帯を「大気の窓」と呼びます。
次に各気体ごとの吸収帯域を見ておきます。これを見てすぐわかることは、地球表面からの赤外線放射に関する大気全体の吸収率は、ほとんど水蒸気によるものだということです。僅かに15μmを中心とする帯域に二酸化炭素による吸収帯が重なっている程度です。
ここに示された各気体の個別の吸収率は大気中の気体濃度による影響を考慮していません。この図からは、15μm付近の帯域では二酸化炭素の影響がかなり大きく見えますが、実際には大気中の水蒸気濃度は二酸化炭素濃度に比べて一桁から二桁大きいため、この帯域においても最も吸収率が高いのは水蒸気です(詳細は後述。)。また、ここに示した図には含まれていないものとして、大気中の微細な固体浮遊物質や雲がありますが、これらは大気の窓領域の地表面からの赤外線放射も吸収します。
この波長15μm付近の赤外線に対する水蒸気と二酸化炭素の「重なり」をどのように評価するのかが大きな問題となります。この問題について、TheorySurgery氏の論考に紹介されているJack
Barrettによるレポート「Greenhouse molecules, their spectra and function in the
atmosphere」が重要な示唆を与えています。同レポートからの表を以下に紹介します。
表は、地表〜標高100mまでの大気の、地球表面からの赤外線放射に対する吸収率を示したもので、「%
Absorption」は、各気体分子の赤外線吸収率を示し、「Absorption relative To water vapour =
1」は水蒸気(Water
vapour:288K、湿度45%、7168ppm)による吸収を1.000とした場合の比率を示しています。二酸化炭素については工業化以前の大気中濃度285ppmと濃度が倍増した場合の570ppmの吸収率が示されています。「Total」は、水蒸気と二酸化炭素285ppm、メタン、酸化窒素のそれぞれ単独の赤外線吸収率を合計した値です。
「Combination with 285 ppmv
CO2」は水蒸気、二酸化炭素285ppm、メタン、酸化窒素の混合された大気の赤外線吸収率、「Combination with 570
ppmv CO2」は水蒸気、二酸化炭素570ppm、メタン、酸化窒素の混合された大気の赤外線吸収率を示しています。
さて、Combination with 285 ppmv
CO2の赤外線吸収率72.9%はTotalの86.9%に比べて著しく低い値を示しています。これは、広い赤外線吸収帯域を持つ水蒸気とそれ以外の温室効果ガスの吸収帯域の重なりによる影響だと考えられます。この差86.9-72.9=14%の大部分は二酸化炭素と水蒸気との波長15μm付近の帯域における重なりの影響だと考えられます。つまり、285ppmの二酸化炭素のもつ赤外線吸収能力17%のうち実効的に働いているのはメタンと酸化窒素の影響を考慮しても、高々17-(14-1.2-0.5)=4.7%に過ぎないということになります。つまり、波長15μmの帯域においても、水蒸気による吸収の方が圧倒的に大きいのです。
更に、二酸化炭素285ppmの赤外線吸収率が17%であるのに対して、570ppmの場合は18.5%であり、1.5%の吸収率の増加になります。しかし、その他の温室効果ガスと混合された場合は、二酸化炭素濃度が570ppmに倍増した場合の赤外線吸収率は73.4%であり、285ppmの場合に比較して赤外線吸収率は0.5%しか増加していません。つまり、実際には二酸化炭素の単独の吸収率の増加量の1/3程度しか有効には働かないということです。
さて、少し視点を変えてみます。Jack
Barrettのレポートでは、雲や浮遊粒子状物質は考慮していませんから、大気の窓領域を考慮すると、大気による地表からの赤外線放射に対する吸収率の上限は77.5%(=100-22.5)だとしています。これに対して、僅か標高100mまでの大気で既に72.9〜73.4%が吸収されているのです。大気の赤外線吸収率の上限値に対する比率は工業化以前でさえ72.9/77.5=94%にも達しています。
仮に次の標高100〜200mの大気が同じ比率で地表面からの赤外線を吸収するとすれば、94+(100‐94)×0.94=99.64%≒100%を吸収してしまうことになります。このように、工業化以前の二酸化炭素濃度であったとしても、温室効果に有効に働く二酸化炭素濃度は既に十分であったと考えられるのです。
Jack
Barrettのレポートから、工業化以前の大気においてさえ既に温室効果に有効に働く大気中二酸化炭素濃度は飽和していると見なしてよく、近年の大気中の二酸化炭素濃度の上昇で気温が顕著に上昇する可能性はほとんど考えられないのではないかと思われます。
現実とかけ離れた放射平衡モデル
二酸化炭素地球温暖化仮説を説明する大気のモデルとして「放射平衡モデル」があります。これは、地表と大気の間の放射平衡温度が気温や大気の鉛直温度分布を決めるというものです。
しかしながらこのモデルは実際の気象現象を全く無視した架空のモデルにすぎません。このモデルでは、空間的に移動しない大気を想定して、その放射平衡条件だけで気温が決定できると考えています。
有名な真鍋の放射平衡モデルによる対流圏大気の温度分布は現実とはかけ離れた結果を与えました。
この基本的に誤った仮定に基づく数値計算結果を改ざんするために考えられたのが『放射対流平衡モデル』と呼ばれるものです。これは、放射平衡モデルで計算した大気温度の非現実的な温度勾配を、現象の物理的なモデル化をまったく行わないまま、大気の温度と重力的安定性から導かれた乾燥温度減率や、実際の大気温度の観測結果から得られた湿潤温度減率でいきなり置き換えるというデータの改ざん(これを計算機気象学者たちは『パラメーター化』と呼ぶようです。)によって成り立っています。これは物理現象の数値モデルではなく、単なる数合わせのコンピューターゲームにすぎません。
このような愚かな過ちが起こったのは、冒頭で述べたように、大気の赤外線の放射・吸収現象という槌田の分類によれば第二の現象世界=量子力学的な現象世界における物理的な事実を、単純に熱力学が支配する私達の住む世界の気象現象に安易に持ち込んだことにあるのです。
大気の放射平衡モデルは、空間的に移動しない大気が、地球表面と宇宙空間に挟まれた空間で、赤外線の放射吸収だけを唯一のエネルギーの移動形式だという仮定の下に組み立てられたのです。
しかし、実際の大気の安定性は重力場における気体の運動によって支配されており、温位が高い、あるいは水蒸気濃度の高い大気塊は上昇傾向を持ち、容易に対流運動が生じ、大気は上下方向に活発に移動しています。大気中ではこの巨視的な対流運動による大気の上下運動によって多くの熱が大気上層へと移動するものと考えられます。
大気中では、大気の対流運動、赤外線の放射・吸収、そして伝導という三つの熱の移動形態が混在していると考えられます。この三様式で熱の移動が起こりますが、最終的には大気の重力的な安定条件を満足するような大気の熱力学的な運動によって大気温度の鉛直構造が決まるのです。
確かに、大気に含まれる温室効果ガスによる地球表面からの赤外線放射の吸収は重要です。しかし、それは一次的な地球表面からの赤外線の吸収と、分子衝突による大気全体への熱の分配局面であり、あくまでも最終的な大気の温度構造は大気の重力的な安定性によって決まるのです。
つまり、地球表面からの赤外線放射を吸収できるだけの温室効果ガスがあれば、それ以上いくら温室効果ガスが増えようとも気温が上昇することはないのです。
そして、大気海洋結合モデル・・・
現在の気候シミュレーション用の数値モデルは、海洋や大気の流体としての運動を記述するナビエストークスの運動方程式を、関連する気象要素の状態方程式とともに解くことによって、気象現象を再現しようというものです。残念ながら、極めて幼稚で恣意的な要因に左右されるモデルでは、信頼できる気候予測など出来る可能性はありません。この問題については、沖縄高専の中本氏の連載記事で詳細に報告する予定なので、ここでは割愛することにします。
終わりに
初代地球シミュレーターが近くその運用を終わるといいます。この高価なコンピューターゲーム機の唯一の成果は、その巨大な装置システムによる権威と、CGによる美しい画像によって、陳腐な二酸化炭素地球温暖化仮説を現実の出来事であるように国民に信じ込ませ、環境対策という大企業向けの新たな利権を承認させたことでしょう。
二酸化炭素地球温暖化仮説という非科学的な俗説がいつまで世の中を騙し続けるのでしょうか。
昨年の10月6日にNHKの集金人がやって来たことを御報告した。あれから約1年、昨日またやって来た。
前回来たときに「NHK放送受信契約および受信料支払い拒否の申告」の書面と数々の資料、それに拙著「温暖化は憂うべきことだろうか」を渡していたにもかかわらず、これに対する何の回答・説明もしないままに厚顔無恥にもまた現われた。何と言う不誠実な連中だろうか?!
この一年間でも、環境問題に対するNHKの非科学的捏造報道は後を絶たない。ますます契約する気は失せる一方である。
ホームページ規模もだいぶ大きくなり、管理能力の低い管理人のおかげで、なかなか思うような記事にたどり着けないのではないかと思います。恥ずかしながら、自分の書いた原稿も一体何処にあるのか探すのに苦労する始末です。
『項目別索引』も一度作ったままあまりメンテナンスをしていないので、ここからはたどり着けない記事もあるのではないかと思います。とりあえず、左側のメニューとトップページからは全ての記事にアクセスできるようにしているのですが・・・。
そこで、今回次善の策としまして、『サイト内検索』を行うCGIを取り付けましたので、御利用いただければ幸いです。この検索は全文検索なので、検索語句を一つでも含む文章は全てピックアップされますので、出来るだけ複数のキーワードを指定して絞り込んでみてください。
このCGIをテストしていて気付いたのですが、名前を変えてファイルに上書きして使っているファイルでは、検索結果にあがってくるファイルのタイトルと実際のタイトルが違っているものがかなりあるようです。時間があれば全て修正すればよいのですが、当面はこのまま運用いたしますので、御了承ください。
ヒートポンプの効率改善
ここでは、ヒートポンプの効率を改善することを考えます。これまで考えてきたヒートポンプは、圧縮機に対する入力としての仕事を電動機で得ることを前提として考えてきました。その過程をもう一度確認しておきます。
燃焼熱↑→熱機関↑→力学的エネルギー↑→発電機↑→電気↑→
電動機↑→力学的エネルギー↑→ヒートポンプ↑→熱
この図を見て分かるように、電動機ヒートポンプでは、燃料の燃焼熱を熱機関を用いて力学的エネルギーに変換し、発電機を回して一旦電気に変換した後に、また力学的なエネルギーに戻すという無駄なプロセス(水色の着色部分)が含まれています。この各段階で有効なエネルギーの一部が廃熱として捨て去られています。
そこで、この無駄なプロセスを省くとヒートポンプの効率はかなり改善することが出来ます。改善されたヒートポンプの素過程の概略は次の通りです。
燃焼熱↑→熱機関↑→力学的エネルギー↑→ヒートポンプ↑→熱
しかし、家庭で使用するためには熱機関は小型化が難しいので現実的ではないかもしれません。そこで熱機関の代わりに熱化学機関、例えばガソリン・エンジンやディーゼル・エンジンで置き換えてやるのが現実的です。
熱化学機関↑→力学的エネルギー↑→ヒートポンプ↑→熱
発動機(ここでは熱化学機関)からの廃熱は、力学的なエネルギーを得るには低温すぎるのですが、水を加熱する給湯器の熱源として用いるには十分な温度を持っています。発動機ヒートポンプでは、発動機の冷却を水冷にしてやれば、これを給湯器の熱源として回収出来るという利点があり、システムに投入された燃料に対する熱効率は飛躍的に改善されることになります。
前回の冒頭で述べたとおり、迂回度を減らすことによってシステムの効率は改善されるのです。したがって、電気を使わなくてすむことは電気を使わずに行うほうが圧倒的に効率が良くなるのです。つまり逆に考えれば電力化は一般的にエネルギー利用効率を落とすのです。
熱エネルギーの『質』を考える
熱エネルギーはエントロピーを持つエネルギーであり、エントロピーの大きな熱=低温の熱ほど利用価値が小さいことを既に述べました。ここでは熱を力学的なエネルギーに変換する熱機関の効率について考えてみることにします。
熱機関、ここでは水蒸気タービンの熱効率を考えます。水蒸気タービンとは、作動物質として水を利用する熱機関です。通常の火力発電で用いられる水蒸気タービンでは、500〜600℃、200〜300気圧程度の高温高圧水蒸気を利用し、100℃程度で廃熱します。
熱機関のエネルギー収支とエントロピー収支は次の式で与えられます。
Q1 = Q2
+ w
Q1/T1
+ gs = Q2/T2
ここに、
Q1,T1
:高温熱源の熱量及びその温度
Q2,T2
:廃熱の熱量及びその温度
gs :熱機関のエントロピー発生量
w :熱機関から得られる仕事
この2式から熱機関から得られる仕事量を求めると次のようになります。
w = Q1{(T1−T2)/T1}−T2・gs
上式の右辺の第一項は、熱機関で得られる理想的な仕事量(力学的エネルギー)を示し、熱機関に投入された熱量Q1の係数η0={(T1−T2)/T1}=(1−T2/T1)は理想状態の熱効率です。これはカルノー・サイクルの熱効率として知られていますが、現実にはこの過程を実現するため(発生エントロピーgs=0にすること)には無限大の時間を要することになり実現不可能です。熱機関の効率改善とは、発生エントロピーを出来るだけ小さくすることです。
火力発電の高温水蒸気温度をT1=600℃(=873K)、廃熱温度をT2=100℃(=373K)として理想状態の熱効率を求めると、
η0=(1−T2/T1)=(1−373/873)≒0.57
になります。実際の火力発電では、熱効率はη1=0.4
程度です。実際の熱効率と理想的な熱効率の比を求めるとη=η1/η0=0.4/0.57≒0.7になります。便宜的にこの数値は一定としておくことにします。このとき、熱機関から得られる仕事量は次の式で求めることが出来ます。
w = Q1(1−T2/T1)-T2・gs≒η・Q1(1−T2/T1)=0.7Q1(1−T2/T1)
上式から分かるように、熱機関で得られる仕事量は、熱機関に加えられる高温熱源の温度と廃熱の温度によって決まり、温度差が大きいほど熱効率が高くなります。作動物質が水である蒸気タービンでは廃熱の温度は100℃程度ですから、熱効率を上げるためには高温熱源の温度をいかに高くするかが問題になります。
例えば、高温熱源の温度を200℃(=473K)まで下げると、得られる仕事量は
w =0.7Q1(1−T2/T1)=0.7Q1(1−373/473)=0.15Q1
にまで減少します。これが『低温の熱ほど利用価値が低い』という意味なのです。
第二種永久機関は可能か?
さて、HPの読者からの疑問に答える準備が出来ました。実際に頂いた疑問は、エントロピーによるエネルギーの質の違いという視点を持っていなかったために、熱と力学的仕事が同じ単位で表されることからこれを混同していましたが、この点を多少整理してもう一度疑問点をまとめておきます。
ヒートポンプを用いることによって投入仕事wを得るために投入する電力量(≒w)に対して、q1=COP・wの熱量を得ることが出来ます。q1=COP・wがヒートポンプに投入された電力量wを得るために必要な熱量Q1よりも大きければ、電力の拡大再生産が可能ではないか?
ここの疑問点で見落とされていた視点は、熱の温度の問題です。言い換えれば熱エネルギーの持つエントロピー量による『質』についての視点が欠落していたのです。
前回示したように、現状の熱効率の電動機ヒートポンプでは、得られる高温熱の温度T1が88.3℃以上になれば、発電に投入された燃料の燃焼熱を直接用いたほうが効率が良いことを示しました。88.3℃では水を沸騰させることが出来ませんからそもそも水蒸気タービンは成り立たないのです。
では、電動機ヒートポンプから通常の火力発電と同程度のT1=600℃の高品質の熱エネルギーを得る場合のCOPを求めてみると以下の通りです。
COP = 0.54{T1/(T1−289)}=0.54{873/(873-289)}=0.8
社団法人日本冷凍空調工業会のHPで示された発電効率0.37を用いると、電動機ヒートポンプから得られた高温熱で得られる電力量は、
w'=0.8w・0.37=0.296w≪w
となり、永久機関どころか1/3以下にまで減少してしまうのです。
例えば、熱機関として作動物質として水以外を用いることも考えられますので、高温側温度をT1、低温度側温度をT2とした一般的な議論をしておきます。前回示したヒートポンプの給熱量と今回示した熱機関の仕事量の式
q1=0.54{T1/(T1−T2)}w 電動機ヒートポンプからの熱量
w=0.7Q1{(T1−T2)/T1} 熱機関を用いた発電電力量
から、q1=0.378Q1となり、電動機ヒートポンプから得られる熱で投入した仕事を再生産することは出来ないことが分かります。
現状では、まったくお話にならないのですが、それでも発電効率や電動機ヒートポンプの改良で、発生エントロピーを極限まで減らした場合はどうなるのでしょうか?これは両システムの発生エントロピーをgs→0とした場合の極限として表すことが出来ます。この時の熱機関を用いた発電装置の発電量はw
= Q1{(T1−T2)/T1}、ヒートポンプの供給熱量はq1
= {T1/(T1−T2)}wになります。この場合、次の等式が成り立ちます。
Q1=q1
つまり、発生エントロピーをゼロとした極限状態において初めて単純再生産になるのです。一般的には、Q1>q1であって、電動機ヒートポンプでは、投入熱エネルギーQ1に対して、供給熱エネルギーq1の方が大きくなることはないのです。永久機関は存在しないし、したがって電力を拡大再生産することは有り得ないのです。
ヒートポンプの実像
2回にわたってヒートポンプについて考えてきました。結論的には冷却ないし比較的低温の熱を供給する場合において有効な技術であり、それ以上ではないことが分かりました。
具体的に利用の妥当性のある電気器具は冷蔵(冷凍)庫とエアコン(冷暖房機)だけであり、これは当初からヒートポンプを利用している技術です。
給湯器に関しては、電熱器を用いる従来の給湯器に比べれば確かにエネルギー節約的ですが、灯油やLPガス、天然ガスを用いる瞬間湯沸かし器タイプの給湯器に比べると明確な優位性は存在しません。
特に、ヒートポンプを利用する場合、瞬間湯沸し器タイプの給湯器は作れないでしょうから、タンクに溜めた温水からの環境への放熱を補うために常時運転が必要になり、しかも装置構造が複雑であることも含めて、おそらく灯油やLPガス、天然ガスを用いる瞬間湯沸かし器タイプの給湯器の方がすぐれていると考えられます。
更に、電動機ヒートポンプはあまりにも迂回度の高い技術であり、条件が許すならば熱化学機関を用いた発動機ヒートポンプを用いる方がはるかに効果的であることを付言しておきます。家庭で利用するには振動音、排気ガスなどの処理の問題などが考えられますが、事業所などでは可能な技術であろうと考えられます。
最後にもう一度確認しておきます。電気を使用しなくても実現できることは電気を使わないことが最も省エネルギー的なのです。電力化はエネルギー資源と鉱物資源の利用効率を低下させます。COPなどというイカガワシイ数値に惑わされないでください。
先日、このHPの読者から、『ヒートポンプを用いれば利用可能なエネルギー(ここでは主に電力)を拡大再生産できる』のではないかというメールをいただきました。単純に考えれば、これは永久機関が可能ではないか?という、実に古典的な問題提起です。これは熱学的には単一の温度の大気の熱エネルギーから仕事を取り出す第二種永久機関の可能性の問題であって、結論的には既に答えの出ている問題であり、『否』です。
このような古典的な疑問がまたぞろ顏を出すところに昨今の環境技術の錬金術的な胡散臭さを感じます。おそらくこの方も含めて、多くの方が電力会社や家電メーカーの宣伝文句に惑わされているのだと思います。
ここではヒートポンプを例題に、この問題を考えることにします。
エネルギー技術を見る視点
このHPでは既に『石油代替エネルギー供給技術の有効性の検討』においてこの問題を検討していますので、簡単にまとめておきます。
1)目的を達するために複数の手段がある場合、迂回度の高い過程(冗長な過程)ほど効率は低下する(エントロピー増大則)。
2)1)の帰結として、電力化は社会のエネルギー利用効率を低下させる。
3)エネルギー技術を評価する場合、最も本質的なエネルギー投入段階まで遡って検討する必要がある。現在の工業生産システムは主に石油(炭化水素燃料資源一般を含む)あるいは石炭によって運用されているので、最低でも石油ないし石炭の投入段階まで遡った検討が必要。
以上3点に注意してエネルギー技術を見れば、大きな過ちを犯すことはありません。
ヒートポンプの理論 〜企業の宣伝HPから〜
まずはじめに、企業の説明を見ておくことにします。ここでは、社団法人日本冷凍空調工業会のHPの説明の一部を紹介しておきます。
http://www.jraia.or.jp/product/heatpump/saving_01.html
熱エネルギーと力学的エネルギー
さて、前節で紹介した説明には『虚偽』は含まれていません。ただし、大きな誤解を生む要素がある、というよりは故意に混乱させようとしているいう意図があるようです。
御存知のように、初等物理学で習う(今はどうなのでしょうか・・・?)4.2J≒1calという関係が知られています。この関係を用いると熱エネルギーと力学的エネルギーは同じ単位で表すことが出来ます。
しかし熱エネルギーと力学的エネルギーは質的に大きく異なっています。熱エネルギーはS=Q/T(ここに、Qは熱量で単位はJあるいはcal、Tはその温度で単位は絶対温度K、Sはこの熱量の有するエントロピー)というエントロピーを持つエネルギーです。しかし力学的エネルギーはエントロピーを持たないエネルギーです。
その結果、力学的エネルギーは熱エネルギーに100%変換することが可能ですが、熱エネルギーを力学的エネルギーに変換する場合にはエントロピーを除去するために必ず『廃熱』という形で環境に熱を捨てなければならないため100%を力学的エネルギーに変換することは出来ないのです。詳細につきましては後述するとして、ここでは熱エネルギーと力学的エネルギーは質的に異なるという点を理解しておいてください。
エントロピーについて少し触れておくと、エントロピーの大きなエネルギーほど利用価値の少ないエネルギーと理解すればよいでしょう。100℃(=373K)、100calの熱と、0℃(=273K)、100calの熱のエントロピーを比較すると、前者のエントロピーは100/373=0.268cal/K、後者は100/273=0.366cal/Kです。つまり100℃の熱=高温の熱ほど有用なエネルギーということが出来ます。
地球の表面環境では大気温度は平均的に15℃(288K)程度であり、地球大気全体に含まれている熱エネルギーは膨大な量になります。しかし、この大気に含まれる熱エネルギーは温度が低く拡散したエネルギー(=エントロピーの大きい熱エネルギー)なので、利用価値は余りありません。また、熱エネルギーは温度差がなければ力学的なエネルギーとして取り出すことが出来ません。そのため、残念ながら大気に含まれる熱エネルギーを利用することはそれほど簡単なことではないのです。
ヒートポンプの説明の中に示されているCOP(Coefficint Of
Performance)なる横文字の魔術に惑わされている方が多い様です。メールを送られてきたHP読者の方も、COP>1.0であることを『エネルギーの拡大再生産』が可能と解釈したのであろうと思います。
また、説明では『COP=3.7』としていますが、これでは説明不足です。この値は大気温度と供給熱の温度によって大きく変動する数値なのです。
確かに、電気によって熱を供給する場合、通常の電熱器ではCOP<1.0、ヒートポンプは理論上COP>1.0なので、ヒートポンプのほうがすぐれているように見えます。しかし、供給熱の温度が高温になるほどヒートポンプのCOPは小さくなり1.0に近づきます。おそらくある温度を越えれば、装置の複雑さまで考えた総合的なエネルギー利用効率では電熱器のほうが有利になるはずです。それ故、調理用のIHヒーターにヒートポンプ利用の調理器具が取って代わることはないのです。
どのような技術にも適用限界があるものです。ヒートポンプは電気冷蔵庫、エアコンにおいては有効ですが、特段画期的な技術ではなく、あまり大きな期待をすべきではありません。
電動機ヒートポンプ
さて、熱エネルギーの特性が分かったところで話を元に戻します。まず社団法人日本冷凍空調工業会の説明で問題となるところは、ヒートポンプへの入力するエネルギーとして力学的エネルギーから話を始めているところです。これでは現実のエネルギー的な評価は出来ません。『エネルギー技術を見る視点』3)で述べたように、工業的な技術を成立させている本質的なエネルギーとは石油あるいは石炭の燃焼熱のエネルギーです。まずここまで遡って議論を始めることにします。
社団法人日本冷凍空調工業会の説明にあるヒートポンプは、電動機から得られる力学的な仕事を利用しています。電動機を動かす電気は火力発電所で作られています。電気を作るまでの素過程の概略を示すと以下の通りです。
燃焼熱↑→熱機関↑→力学的エネルギー↑→発電機↑→電気
※『↑』は環境への熱エネルギーの散逸を示す。『→』は有効なエネルギーの流れを示す。
次に、ヒートポンプで大気から高温熱を取り出すヒートポンプの素過程の概略を次に示します。
電気↑→電動機↑→力学的エネルギー↑→ヒートポンプ↑→熱
この二つの過程を直結することによってヒートポンプの本質的な効率を論じることが可能になります。
温度条件によるCOPの変化 〜ヒートポンプの適用限界〜
さて、ヒートポンプについて熱学的に考えてみることにします。熱学の基本的な条件は、エネルギー保存則とエントロピー増大則です。ヒートポンプについてこの二つの条件を表すと次式になります(槌田『熱学外論』p.111)。
q2 + w = q1
q2/T2
+ gs = q1/T1
ここに、
q2,T2
:低温側の熱量及びその温度
q1,T1
:高温側の熱量及びその温度
gs :ヒートポンプのエントロピー発生量
w :ヒートポンプに加える仕事
高温熱を取り出す場合は、上の2式からq2を消去して、
q1 = {T1/(T1−T2)}(w−T2・gs)
となります。ヒートポンプから得られる高温熱エネルギーq1は、ヒートポンプにおけるエントロピー発生をゼロとすると、
q1 = {T1/(T1−T2)}w
となります。社団法人日本冷凍空調工業会のHPの給湯器の定格運転の条件、外気温度(=低温側温度)T2=16℃=289K、給湯温度(=高温側温度)T1=65℃=338Kだとすると、
q1 = {338/(338-289)}w = 6.9w
つまり、ヒートポンプに投入した仕事の6.9倍の熱量が得られることになります。これは、ヒートポンプの理想的な効率であり、COP=6.9に相当します。実際のヒートポンプは、HPのデータではCOP=q1/w=3.7となっていますので、ヒートポンプにおける発生エントロピーは小さくないようです。
発生エントロピーは装置の特性と外気温と供給熱の温度によって変化することになりますが、ここでは、実際のCOPと理想的な場合のCOPの比率を便宜的に発熱効率η=3.7/6.9=0.54に固定して推定することにします。ηを用いると、実際の発熱量は次の式で与えられます。
q1 = {T1/(T1−T2)}(w−T2・gs)
≒ 0.54{T1/(T1−T2)}w
∴COP = q1/w = 0.54{T1/(T1−T2)}
外気温度T2をT2=16℃=289Kに固定すると、
COP = 0.54{T1/(T1−289)}
になります。
ヒートポンプを利用したほうが、燃料の燃焼熱を直接利用するよりも有効である範囲を求めることにします。社団法人日本冷凍空調工業会のHPによりますと、現在の発電の効率は37%ですから、COP=1/0.37=2.7以下であれば燃焼熱を直接用いた方が省エネルギーになるということになります。この温度を求めるとT1=361K=88.3℃になります。
沸騰水を得るためにはヒートポンプを用いるより、燃料の燃焼熱を用いるほうがすぐれているのです。つまり、調理用の器具程度の温度を得ようとすれば、最早ヒートポンプを使用する意味はないのです。勿論、省エネルギーという観点からは、ヒートポンプよりも更に効率の低い電熱器を用いる調理器を使う意味は全くありません。
省エネルギーという観点から電熱器を用いる合理性は全く存在しないのですが、とりあえずここでは熱を得るために電気を使用するという条件下で、ヒートポンプと電熱器による効率の分岐点を推定しておくことにします。
COPが1.0になる温度T1を求めると、T1=628K=355℃になります。通常の電熱器ではCOP<1.0ですが、ここではこれを便宜的にCOP≒1.0だとすると、355℃程度がヒートポンプの使用限界と考えてよいでしょう。実際には通常の電熱器に比べてヒートポンプは装置の機構が複雑になりますから、装置製造に関わるエネルギー投入を含めた総合的な判断としてはそれほど妥当性を欠くものとは考えられません。この特性から、ヒートポンプを調理用の電熱器の代替とする可能性もありません。
以上検討してきたように、ヒートポンプを高温熱を供給する装置とした場合に有効な範囲とは極めて限られていることが分かります。ヒートポンプが有効なのは冷却装置と低温熱の供給、具体的には暖房、給湯(?)程度に限られるのです。給湯に関しては熱湯(沸騰水、100℃)の供給や寒冷地の使用などの条件下では、最早ヒートポンプを利用すべき妥当性は失われますので『?』です。結局、ヒートポンプが確実に有効である電気器具とは、冷蔵庫とエアコン程度しか存在しないのです。それ故この二つの電気製品は早くからヒートポンプを使って製品化されていたのです。
蛇足ですが、給湯器に関しましては、従来の電熱器を用いた電気温水器に比べれば省エネルギーですが、石油やプロパンガス、天然ガスの燃焼熱を直接用いる瞬間湯沸かし器に比べれば明らかに、あるいは普遍的にすぐれているとはいえないのです。
(続く)
全く個人的な、感傷なのですが・・・。
本日、TBSのNEWS23の冒頭で、筑紫哲也はこの番組で取り上げてきている地球温暖化問題について、番組にも登場した法螺吹きゴアがノーベル平和賞を受賞したことを引き合いに出し、温暖化問題が重大問題であることを示した、との見解を述べました。何と愚かな・・・。
筑紫哲也と本多勝一はいずれもその前身は朝日新聞の記者であり(おそらく同期入社か?)、日本の新聞記者としては最も知られた二人であろうと思います。
朝日退社後、筑紫は御存知の通りTBSという商業マスコミに転進し、本多はジャーナリズムを追及するため、あらゆる権力から自由な雑誌を標榜し週刊金曜日を創刊しました。この段階でジャーナリストとして、いずれがよりまともかは明白に勝負がつきました。
筑紫といえども、ノーベル『平和賞』という、かつてキッシンジャーや佐藤栄作が受けた賞の欺瞞性に気付かないわけはないと思いますが、完全に体制に魂を売り渡したのか、はたまた目が曇ってしまったのか・・・。いずれにせよ、ジャーナリストとしての命脈は完全に尽きているようです。
本多とは環境問題に関して過去に直接的な『付き合い』がありました。社会・政治問題に対してあれほど鋭い洞察力を発揮する彼が、環境問題に関してはなぜか非論理的な主張に与することに唖然としました。日本で唯一、環境問題を科学的な視点から論じる可能性のある報道人と期待していただけに、非常に落胆したものです(彼は確か、薬学を修めた理系人間のはずです。)。
その後、週刊金曜日を見たこともないのですが、本多は明確にノーベル賞に否定的な評価を下していますが、今回の法螺吹きゴアのノーベル平和賞受賞に対してどのような見解を取るのでしょうか?ミーハー的に多少興味をそそられるところです。
昨日の報道によると、今年のノーベル『平和賞』に、法螺吹きゴアとIPCCが選ばれたそうです。この受賞に対して疑問の声を上げている方もいるようですが、私は心から拍手を送りたいと思います。
そもそもノーベル『平和賞』というものは、米国・西欧先進国の価値基準において、自分たちの僕としてよく働いた者に対して与えられてきた『ご褒美』です。もともと、極めて偏った政治的判断基準で選定されるものであり、崇高な平和主義とは全くかかわりのない賞なのです。
その意味で、法螺吹きゴアとIPCCの受賞は、ノーベル『平和賞』に誠にふさわしい判断だといえます。これによって、法螺吹きゴアとIPCCの主張はますます政治的な意味の強いものであり、自然科学とは無縁であることが明らかになったことは、まことに喜ばしいことです。
(さすがにノーベル賞といえども、明確に科学的誤謬を含む法螺吹きゴアやIPCCの主張を科学分野で顕彰することはためらわれたのだと、善意に解釈したいものです・・・?)
案の定、自民党・福田政権の支持率の回復と、世論調査のテロ特措法への支持の漸増傾向を受けてか、小沢・民主党の主張が微妙に揺らぎ始めているようです。まあ予想通りの行動ですが、残念ではあります・・・。
米国・西欧諸国による侵略が残したもの
最後に少し違った角度から西欧諸国・米国の世界侵略が与えた影響を考察して、このシリーズを終わることにします。
既に触れたように、大航海時代から始まる西欧諸国の世界侵略の歴史とは、近代科学の成立とキリスト教的西欧合理主義を背景とした富の蓄積と生産活動の工業化、そして資本主義的市場経済の世界化の歴史だと考えられます。言い換えると、今日の人間社会の抱える最大の問題の一つである環境問題の普遍化の歴史です。
ここでは、西欧の世界侵略の歴史の評価ではなく、その結果として世界に広がった様々な影響と環境問題の関係について問題を提起しておきたいと思います。
資本主義経済
資本主義、ないしこれを構成する金融システムは、西欧の産業革命という技術革新による加工製品の大量生産の開始とともに経済システムとして確立したと言ってよいでしょう。
資本主義的な経済システムとは、本質的には、ある経済活動に投下した資本が利潤を生むことによって投下資本以上に増殖することを前提として成り立っています。つまり、資本主義的な経済システムを維持するためには、経済=産業規模は常に拡大すること、多少インフレ傾向を示すことが必要なのです。
産業≒工業生産の無限の拡大再生産によって成り立つ資本主義経済とは、本質的に「無限連鎖講」いわゆるネズミ講と同じ構造を持っているのです。それ故、最終的には破綻することは明らかです。
ではどういう形で破綻するのか?『最もうまくいった場合』は、工業に利用する資源の枯渇によって工業生産が縮小局面に至ることによる破綻です。
しかし実際にはそうはならないでしょう。既に前世紀から問題になっている環境問題と総称されている工業生産に伴う物エントロピーの蓄積による自然環境の汚染、過度の自然環境に対する収奪的な利用による生態系の生産と消費のバランスの不安定化=物質循環の破壊によって、工業用資源の枯渇以前に、生物としての人間の生存環境の悪化によって破綻する可能性が最も高いでしょう(あるいは愚かにも戦争によって破綻する可能性も低くありませんが・・・。)。
工業生産による経済規模の拡大再生産を前提として成り立つ資本主義経済は、必然的に環境問題の発生を引き起こす経済システムです。環境問題を本質的に解決するためには、工業生産の安定化、さらには縮小が必要であり、その実現のためには、おそらく、資本主義経済システムに替わる経済システムへ移行することが必要でしょう。
二酸化炭素地球温暖化仮説の科学的な妥当性はさておき、『産業活動から排出される二酸化炭素を削減する』という目標に対して、日本を含めて先進工業国は、工業的な技術によって温暖化防止対策をすることによって経済成長することが出来ると主張しています。
彼等の主張する非科学的な対策、例えば自然エネルギー発電や原子力発電の利用を増やし、社会システムを電力化するという対策は、確かにその非効率性によって産業規模の拡大をもたらしますが、それは本質的な環境問題を悪化させることになります。勿論、二酸化炭素排出量も増加します。
『温暖化防止対策』ないし環境問題対策として、こうした対策は無意味ですが、民衆を騙して、更なる経済成長を続け、資本主義体制を維持するには有効な方法です。
自由主義経済と世界市場
自由主義経済とは、社会主義的な計画経済の対立概念であり、『市場原理』によって需要・供給・価格が決定されるとし、経済的な生産・消費活動に対して出来るだけ政策的な介入をしないという経済のあり方です。
しかし、自由主義経済とはある商品の生産に対して強者(すぐれた商品を低価格で生産できる者)に対しては非常に好都合ですが、弱者に対してはその存在すら許さない非常に苛烈な経済システムです。『最良のモノは、良いモノを駆逐する』のです。
このような自由主義経済の物流の範囲を全世界にまで広げたものが世界市場と考えられます。世界市場では、工業製品価格が市場価格の主要な決定要因になります。工業製品に比較して原材料資源は相対的に低価格です。また、工業製品に比較して農産品や木材などは低価格で取引されます。自由主義経済・世界市場の形成は、先進工業国にとって圧倒的に有利な市場になります。
先進工業国は、世界市場で原材料資源あるいは農産品・木材などしか販売するもののない発展途上国から原材料資源・農産品などを安く買うことが出来ます。自由主義経済による世界市場とは、先進工業国が世界中から原材料資源を安く調達して、加工した工業製品を世界中で売りさばく『自由』を保証する経済システムです。
自由主義経済・世界市場による地域経済の破壊
資本主義自由経済、あるいは商品経済のあまり普及していなかった地域、現在の発展途上国にこうした経済システムが浸透して、世界市場に組み込まれることによって大きな影響を受けました。
まず、世界市場に組み込まれる以前には、こうした国々は自給自足的な生活様式が中心であり、部分的に物々交換が行われていたでしょう。
こうした国では当然ですが、世界市場で販売すべき工業製品はありませんから、販売するものは工業用原材料資源と農林水産物になります。こうした商品は、当初買い手である先進工業国の言い値で買い叩かれていたと考えられます。その後次第に資源ごとの世界市場による取引によって標準的な価格が形成されたと考えられます。
しかし、原材料輸出国間の価格競争から、原材料資源価格は工業製品に対して相対的に低く抑えられ、先進工業国にとって有利な価格を形成しています。また、原材料輸出国の労賃は安く、労働環境は必然的に劣悪なものになります。
次に、世界市場に組み込まれた発展途上国の国内経済も資本主義的な貨幣経済が支配することになります。例えば農作物は自ら消費するだけでなく商品となり、物々交換ではなく貨幣を仲介とした商品経済へ移行することになります。
発展途上国も世界市場で得た資金によって自らも買い手となり、世界市場から物資を購入することになります。世界市場から国内産よりも安くて高品質の食料を購入する輸入業者が現われたとします。これを国内で販売することによって大きな利益を手にします。しかし同時に国内の『自給的』農家は農産物を作っても売ることが出来なくなります。国内経済は貨幣経済に移行しているため、現金収入を得られない自給的農家は困窮し、ついには離農して都市のスラムの住人へと没落していくことになります。
また、資本を蓄積した発展途上国の『資本家』の中には没落した自給的農家の土地を買い集め、輸出用の農作物を大規模に栽培するものも現われます。発展途上国では、輸出用の作物、例えば広大なコーヒー園があるのに国民の多くが飢餓状態にあるという、異常な状況が生まれています。外貨を稼ぐことを急ぐあまり、収奪的な生物資源の利用によって(森林の乱伐や農地の酷使)国土を疲弊させている国も少なくありません。
更に農業を徹底的に破壊する要因の一つが、食糧支援という無料の食物供給です。確かに自然災害などによる一時的に飢餓状態にある状況に対して緊急避難的に食糧を援助することは否定しません。しかし、前述のように経済の構造的な問題として自給的農家が成り立たない状況で、都市のスラム化、失業と貧困の蔓延、そして飢餓状態が慢性的な国に対して、経済構造を放置したまま食糧支援を行えば、更に国内産の農産物は売れなくなり、没落する農家の増大につながります。
工業生産による世界経済の膨張
世界市場が破壊するのは発展途上国の地域経済だけではありません。先進工業国においても相対的に競争力の低い産業分野は生き残ることが出来ません。日本では、ここ半世紀ほどの間の農林漁業の衰退が顕著です。日本は自然環境に恵まれ、例えば農産品の品質はきわめて高いのですが、安い労賃の海外で生産された農産品を石油を使って輸入するよりも高価なため、価格競争に敗れて衰退の道をたどっています。
さて、先進工業国の主要産業である工業製品の製造もまた、資本主義・自由主義経済の世界市場の中で熾烈な開発競争を続けなくてはなりません。資本主義の前提=経済規模の拡大再生産と、自由主義経済の世界市場の中で生き残るためには、常に売れる新製品を市場に投入し続けなくてはなりません。
資本主義経済では、社会的な必要性があるから工業製品を作るのではありません。資本主義経済を維持するためにより多くのものを売ることが必要なのです。あるいは他の先進工業国や工業化されつつある発展途上国との競争に負けないために生産を続けるのです。それ故、社会的に見て適切な工業生産量のレベルを調整する能力は無く、ひたすら膨張を続けることになります。この無原則的な膨張圧力が、正に大航海時代以降の世界侵略の本質的な原動力になったのです。そして、環境問題の本質的な原因です。
世界市場と物質循環
世界市場における、物質の大量・広域移動は人間社会を含む生態系の物質循環を著しく傷つけ、人間社会の持続可能性あるいは環境の悪化の原因です。特に、農林水産物の広域・大量移動は、生態系の物質循環を著しく不安定にします。
大量の農産物を輸出する国では、地表環境から大量の有機物が失われることになります。そのままではすぐに地力が疲弊するため、化学肥料の多投に頼ったり、あるいは森林を破壊して新しい農地を切り開いたりすることになりますが、やがて回復不能な不毛な沙漠になってしまいます。
一方、大量の農産物を輸入する国では、自然環境の分解機能を越えた有機物の流入で、環境の富栄養化が進み、水環境の悪化などとして現われることになります。
世界市場と資源利用効率
世界市場は世界規模であらゆる物資が移動することになります。物資の移動には石油が消費されることになります。
例えば、食料について地産地消、究極的には自給自足、それも自然農法による自給自足であれば、食糧生産において石油の消費はありません。
農産物に限らず、多少品質が落ちても、小さな経済圏で生活必需品を賄うほうが石油や原材料資源を含む資源の消費を減らし、総合的な資源利用効率は高くなります。
地域内の物質循環の回復
環境問題とは、既にこのHPで説明してきたように、工業生産の過度の肥大化による物質による環境の汚染と、大気水循環および物質循環、特に生態系の物質循環の破壊です。
これまで見てきたように、環境問題とは正に資本主義の下の自由主義経済と世界市場の普遍化、流行の言葉で言えばグローバリゼーションの物理的な発現に他なりません。環境問題を本質的に解決し、持続可能な人間社会を実現するためには、工業生産を必要最小限まで縮小するとともに、地域の生態系の物質循環を回復することが必要です。
社会・経済システムとして考えた場合、最終的には資本主義経済を解体することが必要ですが、当面すぐにこれを実現することは不可能です。
資本主義経済体制下で、まず世界市場に制限を加えることが必要です。国家にとって最も重要であリ、生態系の物質循環に直結する産業である農水産物=食糧は、基本的に自国内で賄うことを前提に産業構造を再構築することが必要です。そのためには、各国は自国内の農水産業を保護するために、輸入農水産物に対して高率の保護関税を課税する権利を得なくてはなりません。
WTOという組織は自由主義経済の下の世界市場を無制限に拡大し、地域経済・生態系の物質循環を破壊する先進工業国の国家利益を代表する組織です。環境問題を解決するためには、WTOの主張する自由主義的世界市場の制限こそ必要です。
世界市場からの離脱は、世界市場から得られる豊かさや便利さを失うことを意味します。しかし、本当に環境問題の解決を目指し、持続可能な安定した社会を構築することを目指すのならば、世界市場から離脱して、地域の物質循環に見合った豊かさに満足する自己完結的国家を目指す覚悟をしなければなりません。
環境問題を超克するために・・・
西欧諸国による大航海時代に始まる世界侵略の歴史と、それによるキリスト教的人間中心主義(=自己中心主義)を背景とする西欧合理主義、資本主義的自由経済の世界化の過程は歴史的な必然であったかもしれません。
しかし、例えばアニミズム的な自然に対する畏れを持つ思想風土の下に近代科学を利用していれば、現在とは違う形の環境と共存する社会が出来たのかもしれない、と思うことがあります。
現実の世界は、今のところ資本主義的自由主義経済の支配する環境破壊的な世界体制が主流となっています。しかし、これまで見てきたようにこの体制を普遍化することでは本質的に環境問題を解決することは不可能であり、その意味で失敗といってよいと考えます。
米国・先進工業国グループは、今なお工業生産を主要産業とする資本主義体制の維持を目指しています。米国とそれに同調するグループが、『テロとの戦い』を大義名分にアフガニスタン、イラクへ大義のない軍事侵攻をして、その実、中東地域の石油権益を掌握しようとしている状況がこれを如実に示しています。この体質は大航海時代以降の侵略戦争の体質をそのまま引継いでいるのです。
環境問題を超克するためには、独立国家あるいは民族の経済・社会・文化的な措置も含めた自決権を尊重する新たな国際関係を確立することが必要だと考えます。