No.189 (2005/12/14)無意味な温暖化シミュレーション

 さて、二酸化炭素地球温暖化説は、実証的な観測データからはほとんどすべて否定されてしまっているというのが現状です。タイムスパンのとり方を問わず、気温の変動の後を追うようにして大気中の二酸化炭素濃度が変動するという観測データはいくらでもありますが、逆に大気中の二酸化炭素濃度の変動に追従して気温が変動するという実証的なデータを見たことがありません。
 これは圧倒的な温室効果ガスである水蒸気に比較して、二酸化炭素の温室効果があまりにも小さいこと、あるいは特定の狭い波長帯の(15μm付近)の地球放射(赤外線)しか吸収することが出来ないこと、更に既にこの波長帯の吸収に有効に働く二酸化炭素濃度は飽和状態に近いことによるものと考えられます。
 唯一地球温暖化説のよりどころとなっているのは、気候長期予測シミュレーションという幼稚な数遊びの結果が気温の上昇傾向を示していることにすぎません。この幼稚なモデルは二酸化炭素の大気中濃度を人為的な二酸化炭素排出量の一定部分が押し上げることと、大気中二酸化炭素濃度の増加が気温上昇に寄与するという、全く実証されていない仮定の下に構築されたものであり、気候の実態とは全く整合性のないものです。

 さて、この仮定を正しいとすれば、そのシミュレーション結果は既に明らかです。
@大気中二酸化炭素濃度が上昇すれば平均気温が上昇する。
A気温上昇の分布は、大気中水蒸気濃度の低い高緯度地方ほど顕著に現れる。
B気温上昇は大気中水蒸気濃度の低くなる秋から冬にかけてより顕著に現れる。

 平成16年9月16日海洋研究開発機構による「地球シミュレータによる最新の地球温暖化予測計算が完了− 温暖化により日本の猛暑と豪雨は増加 −」からわが国の誇る『地球シミュレーター』の予測結果を下図に示します。

あまりにも予想通りの結果です。しかもこのレポートの中でわざわざ次の二つの注意書きが書き込まれています。

注1:
気温上昇量の絶対値の予測には大きな不確実性があることが知られているので注意が必要である。現在の世界のモデルの結果を総合すると、大気中二酸化炭素濃度を現在の2倍に固定した場合の気温上昇量は1.5〜4.5℃の幅があると言われている。我々の今回のモデルではこの値は4.2℃となっている。

注2:
年々の自然のゆらぎが大きいため、必ずしも真夏日や豪雨が年を追って単調に増加するのではない。また、このことに関連して、特定の年(例えば今年)の異常気象を地球温暖化と関連付けるのは一般に難しい。

 結局この大げさなシミュレーション結果は、大気中の二酸化炭素濃度が上昇すると、定性的に高緯度地方ほど気温上昇が顕著になるということ以外は何も言っていないのです。こんなことはシミュレーションをわざわざ行わなくても、わかりきったことなのです。

 この幼稚な数値モデルを使った、無意味なシミュレーション結果を得るために、莫大な費用をつぎ込んだ(年間の計算機運用の電気代だけでも数億円かかるという)数値計算が行われているのです。こんな結果を自然現象の論拠にしようなどという発想自体が温暖化論の欺瞞性を表していると考えます。

No.188 (2005/12/12)CO2温暖化論者の興味深い生態

 環境経済・政策学会で講演された、『温暖化問題懐疑論へのコメント』の東北大学の明日香壽川氏と気象研究所の吉村純氏に、同レポートの私に関する引用部分に対して、私の反論を示し、これに対する意見を求めておりましたが、結論的には内容に対して全く説明をされないままに意見交換を一方的に打ち切られてしまいました。
 メール交換の全過程を紹介しようかとも考えましたが(二酸化炭素地球温暖化論者の生態を知るという意味では誠に興味深い内容なのですが・・・)、あまりに内容がばかばかしいので、結論だけ紹介することにします。
 吉村氏曰く、気象学会について『「入会を希望される方はどなたでも入会できます」と明記されており、部外者に門戸を閉ざしていることはありません。ご希望でしたらどうぞご自由にご参加下さい。』であり、『気象学会で議論するような問題ではないということですので、専門家の端くれである私としては再コメントする義理はないと判断いたしました。』とのことです。なぜ中傷されている私のほうから説明を求めるためだけに、のこのこ学会費を払って気象学会に参加した上で意見を求めなければならないのでしょうか?
 これは実に奇妙なことです。私に関する引用は環境経済・政策学会の講演で行われたにもかかわらず、気象学会における議論でなければ再コメントする義理は無いとはどういう思考過程なのか、『専門家』ではない私には理解できないことです。あくまでも吉村氏は味方がたくさんいる自分の土俵でなければ説明できないということの様です。
 私の引用部分につきましては、単にグラフの解釈の問題であり、どうこじつけようとも再反論する余地が無いため、これはある程度予想された事態ではありました。ただ万が一、彼らが誠実な研究者であるならば、前言を撤回してレポートの修正を行うことがあるのかもしれないという、淡い希望を持っておりましたが、幻想だったようです。彼らも俗な研究屋(研究を生業として生計を立てる者)に過ぎないことが確認できました。
 また、地球温暖化問題においては『学門』や『研究』と称すれば、論理的な説明も出来ない中傷さえまかり通るとんでもない状況のようです。これでは自然科学的な進歩など無いでしょう。論理的な検証を放棄した二酸化炭素温暖化論は、近い将来自らの首を絞めることになることは避けられないように思います。

 最後になりましたが、環境経済・政策学会の『地球温暖化に関する討論会』の日程をお知らせしておきます。

日時 2006年2月18日(金)13:00〜
場所 高千穂大学(東京都杉並区)

 当日は明日香・吉村『両先生』と槌田敦氏(名城大学)、中本正一朗氏(海洋研究家)の意見交換が行われるようです。残念ながら大分県に住む、日銭を稼いで生計を立てるしがない自営業者の私には参加できそうもありませんが、お近くの方はぜひご参加下さい。当日の討論のレポートなどをお寄せいただければ幸いです。

2006/02/18 環境経済・政策学会「地球温暖化に関する討論会」報告

No.187 (2005/11/30)温暖化をめぐるマスコミの姿勢

 ある掲示板で、温暖化をめぐる新聞記者の「興味深い」記事を知りましたので、紹介しておきます。毎日新聞の2005年11月29日東京朝刊の記事です。少し長くなりますが、全文を以下に引用します。


記者の目:人為的温暖化論は真偽不明=高田茂弘(大阪経済部)

 ◇議定書目標、疑ってみよう――遠い道、絶望する前に

 人間活動による二酸化炭素(CO2)の排出増で大気内の「温室効果」が強まり、地球が温暖化している。これは異常気象、海面の上昇などにつながる恐れが強い。だから、CO2の排出量を減らすべきだ−−。

 97年採択・今年2月発効の京都議定書、環境省主唱の「クールビズ」「ウォームビズ」と「環境税(地球温暖化対策税)導入」は、この「人為的地球温暖化」論がベース。だが私は、関係者のドグマ(教条)と化したその三段論法には疑問が多いと思う。人為的温暖化論は真偽不明で、議定書は非科学的、CO2排出権取引などの「京都メカニズム」は虚構によりかかった一部諸国の妥協の産物ではないか、と考えるからだ。

 デンマークの統計学者、ビョルン・ロンボルグさんは大論争を生んだ著書「環境危機をあおってはいけない」(01年、日本語版は03年=文芸春秋)で、CO2排出の影響が無視していいほどか、それともかなり大きいのかを見極め、対策のコストが見合うかどうかを考えよと主張した。だが、日本では議定書の順守が議論以前の、有無を言わせぬ命題になっている。

 他の多数の関連リポートも踏まえると、少なくとも80年代以降、地球の平均気温が上がっていることは確かだ。大気中のCO2濃度も徐々に上昇中。ところが一方には、ハワイなどで観測された「気温上昇から半年〜1年後に並行してCO2濃度が高まる」という、「常識」とは逆の関係を示すデータもある。気温上昇の結果、CO2が増えるというこの因果関係を温暖化論は無視している。

 ではなぜ、平均気温が上がっているのか。恐らくCO2以外に、太陽エネルギーの周期的な変化、地磁気の変動、雲・微粒子など、多数の要因が度合いは未解明ながらも、複雑に絡み合っているのだろう。特にCO2ではなく、太陽の変化や黒点の動きに温暖化の主因を求める研究者は少なくない。だが、温暖化論者には「太陽活動が気候変動に及ぼす影響は小さい」と、論証抜きでその研究を脇に置く共通の傾向がある。

 02年の「地球温暖化論への挑戦」(八千代出版)で「懐疑派」に注目された帝塚山学院大学助教授、薬師院仁志さん(社会学)は「私はCO2排出増による温暖化論を否定したいのではない。科学的な説明を欠く予想が既成事実化し、自明視されているのが解せないだけだ」と念を押す。

 地球上の二酸化炭素のありかと動きを示す収支試算をみると気付くことがある。大気と海洋間を行き来するCO2は年間600億トン、植物の光合成および呼吸と火事による出入りも同600億トン。これに対し、化石燃料からの排出など、人間活動に起因するCO2は同59億〜67億トン。他に植物や土壌内に2兆トン、海洋に38兆トン、大気に0・73兆トンが存在するとされる(炭素換算=試算はいくつもあり、しかもまちまちだが)。全体から見れば、人間活動による排出分の比率は数%、ある試算では3・5%という。他の収支に増減があれば、容易に相殺されてしまうような比率だ。

 温暖化の速度や気温上昇幅の予測は発表の度に小さくなっている。一方、温暖化やCO2増が農業適地の拡大や生産性の向上をもたらす、という予測は余り語られない。温暖化で増えるという異常気象を「30年に1度」の定義で限るとしても、人類は有史以来、一貫して異常気象の中にあるという見解もある。

 CO2の排出削減では、排出権取引など「京都メカニズム」の全過程で毎年、数百億ドル(数兆円)が動くという。コストは各国政府が賄い、関連ビジネスで企業などが稼ぐという構図だ。そもそも議定書が90年比で減らすべきだとした目標の比率(欧州8%、米国7%、日本6%など)に科学的根拠がないことは周知の事実で、国別のCO2排出量や国内総生産(GDP)で計算すれば比率は別の数字になる。環境省の速報値で04年度の国内排出量は90年比7・4%増だったというが、目標との差「13・4%」を減らす遠い道のりに絶望する前に、目標自体を疑ってみる方が健全ではないか。

 温暖化論を巡る取材では「専門家は大半が(人為的温暖化論を)変だと思っている」という声をしきりに聞く。国の政策に採用され、「クールビズ」「ウォームビズ」も当座、省エネに役立つ。反対はヤボだ。そんなところかもしれない。

 だが、現状のままでは、コストと効果を対比する議論なしで、無駄と無理に足を取られてしまうだけではないだろうか。自然科学の研究者には、断定調の結論ではなく、事実と観測に基づいた現時点での客観的な見解を示してほしいと思う。


 内容的には、新聞記事としてはまずまずのものだと思います。ただ、記事はこのようなエコ・ファシズム状態の責任を自然科学者の側だけの問題として提起し、自らを安全圏においている姿勢は許されないと考えます。
 ちょっと横道にそれますが、前にこのコーナーでも触れた「温暖化問題懐疑論へのコメント」もそうですが、私も含めて標準的な温暖化論議に疑問を持つ人のことを「懐疑派」、その主張を「懐疑論」などというカテゴリーに分類されるようになっているようです。これはある意味心外です。懐疑論などというのは情緒的な問題ですが、私たちはあくまでも実証的なデータを以って二酸化炭素地球温暖化脅威説を否定しているのです。
 話を元に戻しますが、二酸化炭素地球温暖化脅威説に対する否定的な見解は今に始まったものではなく、心ある研究者の中ではずっと言われてきたことであり、その気になればいくらでもその情報を入手することは可能だったのです。むしろ問題は、国家や企業の宣伝部隊に堕した新聞を含めた報道機関の無能が、これを無視し続け、自らの判断を放棄して権威機関からの玄関ネタをそのまま垂れ流してきたことによって現在の状況を作り出したのです。新聞・報道関係者の猛省を求めるものです。
 ただ、この無能な新聞・報道機関でさえこのような報道をし始めたということは、二酸化炭素地球温暖化脅威説の基盤はかなり揺らいできているのではないかと考えます。

No.186 (2005/11/26)『温暖化問題懐疑論へのコメント』について

 アクセス解析を見ていまして、このところ東北大学のネットからのアクセスが目立っていました。確認したところ『温暖化問題懐疑論へのコメント』という東北大学の明日香氏と気象研究所の吉村氏の連名のレポートが公開されており、その中で、何を間違ったか当ホームページの主張が俎上に上っていることが分かりました。
 このレポートは、2005年10月に開催された環境経済・政策学会での講演概要に手を加えたもののようですが、名城大の槌田敦教授の講演に対するカウンターという意味合いであるようです。私とともに、槌田教授、横国大の伊藤公紀教授、東大の渡辺正教授が同レポートの中で『温暖化問題懐疑論』として俎上に挙がっております。
 これは、標準的な温暖化問題肯定論と、私たち『懐疑論』との科学的な意見交換の恰好のきっかけだと考え、同レポートの俎上に挙がっている研究者と東北大学の明日香氏にご協力をお願いして、サブサイト『CO2地球温暖化脅威説を考える』を開設しました。どのような展開になるか、いまのところ分かりませんが、めったに見られない議論が展開されるのではないかと期待しています。
 現在、レポートの私に関する記述についてのコメントのみを掲載しておりますが、原稿がまとまり次第順次公開していく予定です。乞う、ご期待!

No.185 (2005/11/01)加速する愚かな環境対策

 ご承知のとおり、このホームページでは毎年年末になるとイルミネーションの批判を続けています。今年もそろそろかと思っていましたら、リンクサイトの一つである猫田さんのホームページに先を越されてしまいました。
 紹介されているイルミネーションは、愚かさはついにここまで来たかと思わせる、凄まじいものです。群馬県の高崎高島屋が「環境に配慮した風力発電を使ったイルミネーション」を10月27日から来年2月14日まで点灯するというのです。風力発電装置はゼファー製の太陽光発電とのハイブリッドタイプのようです。まさに環境を『広告塔』に利用する典型的なケースといえそうです。
 ついでにもう一つ。静岡で、ナタネ油100%でディーゼルのタンクローリーを走らせるとか。これもまさに環境イメージ戦略です。

No.184 (2005/10/30)“CO2地球温暖化脅威説の虚構”脱稿

 既に、「有明海・諫早湾干拓リポート」でご存知の方もいると思いますが、このホームページの幾つかのレポートを中心に、大幅に加筆・修正を行った上で、“CO2地球温暖化脅威説の虚構”という本にまとめる作業を行っておりましたが、やっと脱稿にいたりました。
 主要な内容は次の3点です。

@ 定常開放系としての地球システムと環境問題の構造。
A 二酸化炭素地球温暖化脅威説の検証。
B 石油代替エネルギー技術の有効性の検証。

 主要な内容は、既にこのHPに掲載しているレポートと重複しますが、かなり大幅な構成の変更と幾つかの情報を追加することで、全体としての見通しの良いものになったと考えています。

 11月中旬〜下旬に不知火書房から発刊予定です。詳細な情報はまた報告することにします。

不知火書房 連絡先
〒810-0024 福岡市中央区桜坂3‐12‐78
電話・FAX 092‐781‐6962

No.183 (2005/10/17)小泉という愚かで驕慢な権力者

 戦後最も愚かな首相である小泉がまた靖国神社に参拝。この愚か者は一体何度同じことを繰り返すのか。つい最近違憲判決が確定したばかりだというのに、法治国家の首相が自らこれを破るとはどういう神経か。民意の賛同を得たからと、ろくな審議もせずに郵政民営化関連法案を押し通し、その一方では民意の反対するイラクへの自衛隊派兵については民意など無視して駐留を延長する。この驕慢な二枚舌野郎がわれわれの将来を左右するとは背筋が寒くなる。
 このような首相を持ったわれわれは何と不幸なことか・・・。しかし、この男を首相にしたのは国民であり、結局この国の国民が度し難いという事なのか・・・。いい加減に目を覚ましてくれ。

No.182 (2005/10/11)地域環境問題への回帰のススメ

 最近の環境問題論議は、二酸化炭素地球温暖化『問題』をはじめとする、『地球環境問題』が中心的な話題になっています。産業界や国家は地球環境問題を中心的に取り上げることによって、私たちの身近にある環境問題から目をそらし、地球規模の環境問題こそ重要なのだという雰囲気を醸成することに成功しているようです。
 こうした雰囲気は、環境問題とは一部『専門家』以外には判断のつかない問題であり、大衆はこれに従うしかないという、半ばあきらめに似た状況を環境保護運動にもたらしています。これに乗じて御用学者は、企業や国家にとって都合の良い嘘で塗り固めた情報を大量にばら撒き、環境問題の責任の所在を曖昧にし、こともあろうに環境問題を新たな商売の種にしているのです。
 愚かな環境保護運動の一部には、まんまとこの戦略に陥り、例えば原発反対運動の一部は風力発電や太陽光発電導入促進のお先棒を担ぐ運動にすりかえられてしまっています。
 たとえ地球規模の環境問題と言えども、それは地域的な環境問題の積み重ねの総体なのです。環境問題の本質的な構造を理解した上で、現実社会で生活している私たちは身近な環境問題にこそ立ち向かっていくべきです。諫早湾干拓事業、大入島埋立、川辺川ダム、玄海原発プルサーマル計画などなど・・・。

 最後に、先日槌田敦氏からいただいた私信の一部を紹介しておきます。

 (前略)最近、二つの公害事件が話題になっています。水俣とアスベストです。水俣は公害健康被害保障法で救済されることになったものの、77年に決めた認定基準で当局は裁判を無視してやりたい放題です。一方、アスベストは、1980年代に一旦は深刻な話題になったものの、放置されてしまいました。
 その原因は、国民運動が、80年代の「公害から環境へ」という標語に見られるように、公害(地域環境)は終わった。さあ地球環境だ、とばかりに人々の関心が誘導されてしまったのでした。地域環境問題では、人々はその本質を被害状況から知ることができます。しかし、地球環境は専門家しか分からない問題ですから、専門家のウソを信ずることになってしまうのです。
 当局の誘導に乗せられてうまくすり替えられ、当局の責任を見逃すことになり、公害の被害は拡大するばかりです。「公害を忘れるな」を合言葉として、地球環境から地域環境へふたたび運動を取り戻したいものです。

No.181 (2005/09/30)北極氷原の消失?!

 昨日から今日にかけて、新聞報道あるいはテレビニュース番組でいっせいに北極海の氷の融解についてのNASA発表が流されました。いわく『北極海の氷の面積が(27年前からの)観測史上で最小になった。』、『これは地球温暖化の影響』等などというものです。
 この報道は全く誤りというわけではありません。この記事から、NASAが北極海の氷の面積を観測し始めたのは1978年ということになります。高々27年間の観測に対する形容として『史上最小』などという表現が適切かどうか・・・。まあ、それはともかくその78年前後の北極海の氷状況について考えてみましょう。
 1960年代から70年代は気温の低下が激しく、寒冷化の問題が世界的に注目されていた時期です。この時期の北極圏に関する記述を紹介しましょう。

■1967年に、合衆国の海洋大気庁は、地球上の雪と流氷塊の週間分布図を発行した。勿論それは季節によって変動する。1971年−73年には、北半球の雪と流氷塊は冬の早い時期にできて、1970年にできたものより11%ほど広い面積を覆った。気象の記録によれば、1950年頃から北半球では寒冷化が進んでいる。それは特に北極圏でいちじるしい。(1974年の記述)
■また最近高緯度地方の寒冷化を示すものとして、雪氷面積の増加があげられる。気象衛星エッサの写した写真の解析によって、北極を中心とした氷原の面積が1968年以降急激に増加していることがよくわかる。(1976年の記述)
■米海洋大気局の気象衛星は1967年から北極地方を見張っている。驚いたことに1971年から72年にかけての1年間に、表塊と氷原は12%も広がった。(1976年の記述)

 この時期の北極氷原の異常な広がりは、17〜18世紀の小氷期後期に匹敵するほどまでになっていました。まさに北極の氷原や氷塊に対するNASAの観測はこの異常に北極海の氷原が広がった時期に始まったことになります。
 報道によりますと、1978年から2000年までの間に、氷原あるいは氷塊の面積が20%程度ほど縮小したとしています。1950年代から70年代にかけて北極圏では気温低下が著しく、氷原は拡大傾向にあり、1970年代には1年間で12%もの面積の拡大があったのですから、その異常に拡大した状態から20%程度減少したところで、それほど驚くべきことではありません。

 1970年代の北極海の氷原の異常な拡大は、北極海に面する国の特に港湾都市においては死活問題となる大事件であったのです。それに比べて氷原の縮小、温暖化の進行はこれらの国にとって確実に好条件になっているのです。

 まあ期待しても無駄だとは思いますが、報道機関はもう少し冷静な報道をしなければならないのではないですか?

No.180 (2005/09/12)原子力発電は何のため?

 北朝鮮との6カ国協議の米国代表が非常に興味深い発言をしたので紹介しておきます。いわく『北朝鮮がエネルギー供給のために原子力開発を行うと言うのならば、我々はもっと費用のかからない優れた代替案を用意している』と。これは原子力発電と言うものの実態を大変よく表現しているコメントです。
 エネルギー(電力)供給と言う文脈で考えれば、原子力はあまり効率的ではないと言うことを表明しているわけです。つまりエネルギー技術としてのみ考えれば高価=資源浪費的であり、危険な装置なのです。では原子力発電を持つ意味とは??これは米国が一番よく知っていることですが、平時において核兵器開発に必要な原子力関連施設と核関連技術を維持するためにこそ存在価値があるのです。それを知っているからこそ、米国は北朝鮮の原子力の『平和利用』の野望をあきらめさせようとしているのです。
 事実、原子力発電を行っている国の殆どは核兵器保有国なのです。さて、日本の原子力発電の存在意義とは何か・・・、日本だけが例外ではないはずです。

■参考 プルサーマル、もう一つの意味

No.179 (2005/08/25)太陽光発電の将来性について

 西日本のこの夏は、雨が少なく高い晴天率でした。さぞ太陽光発電は快調に働いたことでしょう!

 さて、この間太陽光発電のEPT(No.174、176、177)について何度かこのコーナーで取り上げてきましたが、最終的な総括として太陽光発電の将来性について最後に検討しておこうと思います。
 現在、太陽光発電装置について重箱の隅をつつくような技術開発が続けられていますが、 石油代替エネルギー供給技術の有効性の検討で既に検討しているように、本質的な問題は太陽光発電装置が土地集約的な技術であり、しかも低発電効率であるため、人間の生活の場あるいは農地として貴重な平地を浪費し、山間部の揚水発電所建設による環境破壊を引き起こすことです。更に付け加えれば、石油浪費的な発電システムです。
 しかし、哀れな自然エネルギー信奉者は、未だにNEDO発表の根拠のないEPTの数値にすがって、現実の運用の姿を想像できぬまま、太陽光発電の有効性を主張しています。
 ここでは、太陽光発電の将来的な発電効率の改善の可能性について考えることにします。まず、実験的な研究として鹿児島大学のレポートを紹介しておきます。このレポートには、太陽光発電を実際に運用する場合の注意すべき点が述べられています。太陽電池パネル表面の太陽放射の反射、太陽電池パネルの温度上昇による発電効率の低下、太陽電池パネル表面への塵の付着による影響などです。
 ここでは主に太陽電池の温度上昇による影響から、発電効率の限界を推定することにします。算定条件は、真夏の南中時の全天太陽放射強度を1000W/uと想定し、鹿児島大学のレポートを参考にこの時の太陽電池の温度を60℃(333K)と仮定します。
 太陽光を受けて温まった太陽電池は表面から温度に応じた熱放射(赤外線放射)をします。この放射強度Sをステファン−ボルツマンの式から求めてみます。
    S=c・T4   ただし c=8.2×10-11 cal/(cm2・min・deg4)
     =8.2×10-11×3334cal/(cm2・min)≒700W/u
 つまり、1000W/uの全天太陽放射を受けて温まった太陽電池は、受けた太陽放射のうち700W/uを赤外線放射で太陽光発電装置の外に廃棄しているのです。
 更に、鹿児島大学のレポートによると、太陽電池(あるいはカバー)表面からの太陽放射の反射も少なくないとしています。反射による太陽放射の減少を10%(=100W/u)程度としましょう。
 実際には更に太陽電池と気温との温度差による大気への熱伝導も無視できないでしょう。
 以上をまとめると、真夏の南中時の太陽電池の最大発電能力の上限は、高く見積もっても
1000−(700+100)=200W/u
を超えることは有り得ません。つまり屋外での太陽光発電装置の発電効率は20%を超えることはないのです。
 既に最良の太陽電池の発電効率(たぶん標準状態25℃での値)は20%を超え、屋外運用でも10%程度になっています。つまり、今後如何なる技術開発が行われようと、太陽光発電装置の発電効率は2倍になることはないのです。この程度の改善では、太陽光発電システムの本質的な問題解決には程遠いものです。太陽光発電と言う発想そのものが誤りであったと考えざるを得ません。

No.178 (2005/08/13)郵政民営化よりNEDO解体を

 小泉ファッショ内閣の暴挙によって、衆議院は解散されました。小泉の言う郵政事業民営化など、所詮建前であり、国民の資産を日米の大資本によって食い物にすることこそが目的であることは明らかです。小泉の憧れの米国社会とは、軍事費以外の国家財政を縮小して、弱者を切り捨てていく社会です。
 本来、行・財政改革とは、無駄な行政支出を見直していくことが基本であり、民営化が目的ではないはずです。郵政事業のような、極めて公益性が高く、地方では民間では収益性が低すぎて維持できないような事業こそ公営ないし国営で維持すべきものです。
 無駄な事業はほかにいくらでもあります。まず、国のエネルギー関連の事業・技術開発はその筆頭です。エネルギー技術とは、工業社会を根幹のところで支えている技術であり、工業化社会において優れたエネルギー技術とは経済的に見て廉い技術と同義です。わざわざ国が補助をして割高なエネルギー技術を導入する必然性は全くありません。
 日本のエネルギー政策の失敗は、原子力発電事業によって既に明らかです。更に国は新エネルギー政策でこの失敗を繰り返そうとしています。二酸化炭素地球温暖化脅威説が全くの嘘っぱちであることが明らかになって、もはや新エネルギーの開発理由など瓦解しているのです。
 国は、核廃棄物処理に専念する以外、全てのエネルギー関連の投資的な事業から撤退することこそ、最も効率的なエネルギーシステムの構築に資するものです。
 まずエネルギー関連で整理の筆頭に挙げられるのはNEDO(財団法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)でしょう。平成17年の予算規模では2,377億円がドブに捨てられることになっています。次に原子力発電事業関連の国家支出は、廃棄物処理費用以外は全て凍結すべきでしょう。核燃料サイクルを放棄すれば、それだけで数兆円は浮くのではないでしょうか?また、ITER(国際熱核融合実験炉)からも、勿論脱退しなければなりません。
 エネルギー関連支出など、全く国がやる必要がなく、国民生活にもなんら恩恵をもたらさないこれらの事業から整理すべきです。それが出来ないのは、高級=高給官僚の利権構造の大事な源だからでしょう。こんなことも出来ずに、弱い者いじめの郵政事業民営化をたくらむ小泉など所詮ニセモノです。

No.177 (2005/08/08)EPT再考

 この一月ほど、EPT(エネルギー・ペイバック・タイム)について、はれほれ掲示板で意見交換を行ってきました。その中で新たに得た情報をまとめ、同時にこのコーナーでの過去の記述に関する訂正を行っておきます。
 意見交換の元になった資料は「K.Napp and T.Jester(2001)Empirical investigation of the energy payback time for photovoltaic modules.Solar Energy Vol.71,165-172」です。内容の要約につきましては、はれほれワールドの関連する記述をご覧下さい。
 このレポートは、他のレポート同様、投入エネルギーとして計上されている数値を算出した積算のバック・データがどのようなものであるのか不明であり、また、太陽光発電装置の製造ラインの機械設備製造、施設建設あるいは、実際の太陽光発電装置の建設や運用に必要な付帯的な資材などに投入されたエネルギーの積み残しが少なからずあることは否めません。まずこれをご了承下さい。
 以下、単結晶シリコンを用いた発電モジュールSP75(75W/(527x1200mm))を例に、太陽光発電装置製造に直接かかわる材料の製造・加工に投入されるエネルギーのEPTについて紹介します。
 レポートによると、kWp当たりの投入エネルギーの合計(エネルギー・コスト)は5,598kWhe/kWpであり、kWp当たりの年間発電量を1,700kWh/kWp/年、EPTは、5,598kWhe/kWp÷1,700kWh/kWp/年=3.3年とされています。周辺機器によるエネルギーロス(20%)を考慮した実質的なEPTは、3.3÷0.8=4.1年になるとしています。
 ここに見慣れない単位がありますので、少し説明しておきます。kWheの添え字[e]は、投入エネルギーの電力換算のエネルギーであることを示しています。WpないしkWpと言う単位は、太陽光発電装置の定格出力(意味からするとむしろ最大出力ですが・・・)を表す単位です。独立行政法人産業技術総合研究所のレポートからその定義を見ておきますと、、『Wp(ワット・ピーク)とは、標準試験条件(日射強度1,000W/u、エアマス1.5、太陽電池温度25℃)の状態に換算した太陽電池パネルの最大出力の単位。』と言うことです。(※エアマス1.5につきましては、よく分かりません。ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひご連絡いただきたいと存じます。)
 この件に関しまして、HP管理者からNo.122で触れておきましたが、認識の誤りをはれほれさんにご指摘いただきましたので、合わせて訂正しておきます。ここの標準試験条件に示されている、「日射強度1,000W/u」は正しくは「全天日射量=直達日射量+散乱日射量」であり、No.122で私が述べたのは、ここで言う『直達日射量』に相当するもので、誤りでした。はれほれさんから紹介いただいた全天日射量の実測値のデータによりますと、夏の日差しに対して、全天日射量の最大値はほぼ1,000W/uであって、標準試験条件は、屋外運用時における最大全天日射量を適切に反映しているものです。

 

http://www.kousou-jma.go.jp/obs_third_div/radiation/obs/gl_obs1.htm

 さて、話を元に戻します。結局、WpないしkWpとは、真夏の南中時における全天日射量=年間最大日射量に対する太陽光発電装置の発電能力を以って、太陽光発電装置の発電容量あるいは装置規模を表す単位と考えられます。例えば、標準試験条件下において、SP75の場合、75W/(527x1,200mm)=118.6W/uの発電能力を持っています。SP75を使って標準的な30uの太陽光発電装置を構成すると、その定格出力は、118.6W/u×30u=3,558Wp≒3.56kWpとあらわされるわけです。
 レポートに示された投入エネルギーの意味は、例えば30uで定格出力3.56kWpの太陽光発電装置を作るために投入されたエネルギー量を、出力1kWp当たりに換算した値です。
 実際には、真夏の炎天下におかれた太陽光発電装置は手で触れることが出来ないくらいに熱くなっていると考えられます。標準試験条件の『太陽電池温度25℃』は非現実的な値です。太陽電池の発電性能はモジュールの温度によってかなり大きく変化します(装置内の発生熱エントロピーの変化)。ある資料によると、概ね1℃の温度上昇で0.5%の発電能力の低下が起こるといわれています。仮に、太陽電池温度が65℃だとすると、屋外環境下におけるSP75の発電能力は、118.6W/u×(100−0.5×(65℃−25℃))/100≒95W/u程度と考えられます。つまり、屋外環境における太陽光エネルギーの電気エネルギーへの最大変換効率は9.5%程度と考えられます。アモルファス太陽電池モジュールではもう少し低い値になると考えられます。
 さて値の妥当性はともかく、レポートの投入エネルギーの意味は分かりました。では、EPTを算定するために必要なもう一つの値、太陽光発電装置が1年間に発電する電力の総量について見てみます。レポートでは、1,700kWh/u/年=1,700kWh/kWp/年という値を使っています。日本における実態は、はれほれワールドによりますと、概ね1,000kWh/u/年=1,000kWh/kWp/年と考えられます。以上の数値を用いて日本におけるEPTへの補正を行いますと次の通りです。

5,598kWhe/kWp÷1,000kWh/kWp/年≒5.6年

 NEDOによるデータに比較すると2〜3倍程度の開きがあります。まずNEDOの試算によるEPTは殆ど信頼できないと断言してもよいでしょう。今回検討したレポートのエネルギー・コストにつきましては、太陽光発電装置の製造ラインの工場施設・設備の建設や製造にかかわるエネルギーなどを含めて、まだまだ積算漏れが多く、実質的なEPTは更に大きくなると考えられます。現在公表されているEPTを背景に自然エネルギー発電の有効性を云々するのは無意味です。

No.176 (2005/07/04)電中研報告書に見るエネルギー・コスト評価のいい加減さ

 この所、発電のエネルギー・コストの問題について考えていました。これまで、どうせまともな資料など手に入らないのだから、やるだけ無駄だと考えていました。結論から言いますと、やはり無駄でした。ただ、この過程で、現在流通しているエネルギー・コストやEPTのいい加減さだけは確認できましたので、これは唯一の収穫でした。

 例えば、電中研の資料を二つ紹介します。一つは既にこのHPでも紹介しています、電中研報告(Y99009)『ライフサイクルCO2排出量による発電技術の評価』からのグラフです。これは、発電量1kWh当たりの二酸化炭素排出量ですから、この比率は投入石油量と同じになるはずです。

 対石油エネルギー産出比の各発電方式間の比は、グラフに示された値の逆数の比になりますので、石油火力を1とすると、風力では25.6、太陽光では14と言う値になります。これは、b.エネルギー・コストないしエネルギー産出比(対石油消費)の(3)エネルギー・ペイバック・タイムでの検討から考えてもちょっと有り得ない数字です。
 もう一つは、はれほれさんから紹介いただいた電中研報告書(Y94009)『発電システムのライフサイクル分析』からの図です(ただし原本のレポートは見つからず、この図はhttp://www.atom.meti.go.jp/siraberu/qa/00/keizai/08-003.htmlに掲載されているものです)。これは、投入エネルギーを100とした場合の産出エネルギー、つまり対石油エネルギー産出比を示したグラフのようです

 前と同じように、石油火力の産出比を1としますと、風力では0.29、太陽光では0.24という数字になります。一体この違いをどう解釈すればよいのでしょうか?電中研のどなたか、ぜひ説明していただきたいと思います。

No.175 (2005/06/27)松下電工あるいはトヨタ的生活様式のススメ

 家電メーカーあるいは自動車メーカーのコマーシャルにはホトホトあきれ果てます。中でも家電では松下電工、自動車ではトヨタの宣伝は特筆に値するものです。この二社の宣伝ほど『環境』を露骨に食い物にしているものはないのではないでしょうか。
 宣伝に映し出されるような生活様式、小奇麗な住宅の屋根には太陽光発電パネル、バックアップには燃料電池、自動清掃機能付のエアコンの効いた部屋で、薄型大画面のテレビを見、雑菌だらけの生ごみは生ごみ処理機で乾燥処理。週末にはハイブリッド車か燃料電池車で快適なドライブ!皆がこんな生活をしたら、環境問題が解決されるとお思いですか?

 この二社に限ったことではありませんが、企業技術者諸君は一体何を考えているのでしょうねー。このHPにも時々訪ねてくれているようなので、よかったらアンケートに書込みでもお願いします。まあ、商売ですから何を作ってもよいですが、環境にいいなどという宣伝文句は止めて欲しいものです。私に権限があれば、詐欺商法・誇大広告・虚偽宣伝で逮捕したいところです。JAROなどという組織は張りぼてで役に立たないようです。

No.174 (2005/06/27)エネルギー・ペイバック・タイム考

 自然エネルギーの導入に熱心な方の中には、『コストが高くても石油節約的』だから行うべきなのだ、という根強い信仰があるようです。私自身は、あまり真剣に考える気もなかったのですが、そういう人たちの中では、自然エネルギーがいくら低効率でも、投入したエネルギーを取り返して、更に余剰のエネルギー『生産』があるのだという暗黙の了解があるようです。その根拠の一つが、エネルギー・ペイバック・タイム(EPT)です。EPTとは、発電システム建設・運用に投入されたエネルギーをどれほどの運転期間で取り返すことができるかと言うものです。
 例えば、火力発電のように、石油の燃焼熱エネルギーを発電機を介して電気エネルギーに変換する場合、その効率が1.0を超えることは物理的に有り得ないのですが、自然エネルギー発電の場合、一旦施設を作ってしまえば、電気の原料は無尽蔵なので、具体的な考察無しで、投入した石油エネルギーは当然取り返して、更にエネルギーを生産できると考えるようです。
 例えば、NEDOのHPでは、風力発電に対して、『風力発電の場合は、年平均風速に影響を受けるが、年平均風速が4m/s以上、あるいは、利用率が 24%以上であれば、EPTは1年以内となる試算例がある。』としています。これが事実であれば、風力発電の耐用年数を20年とすれば、エネルギー産出比(発電量/投入エネルギー)は20という値になります。石油火力発電が0.35程度であることを考えれば、とてつもなく高い産出比です。
 もし仮にこのような高い産出比を有するのであれば、公的補助などなくても風力発電は一気に普及するはずです。しかし実態は、No.173でも触れたとおりです。どうも、公表されているEPTは信頼できるものではないようです。そんな訳で、風力発電についてEPTの簡単な試算を試みた結果を追加しましたので、興味のある方は、b.エネルギー・コストないしエネルギー産出比(対石油消費)の(3)エネルギー・ペイバック・タイムをご覧下さい。

No.173 (2005/06/16)行政の愚行は止まらない!!

 資源エネルギー庁というのは、何たる愚かなお役所なのか、あるいは税金にたかるハイエナなのか・・・!こんな連中を税金で飼っておくのは、ドブ金です。

 このHPで繰り返し述べているように、風力発電をはじめとする自然エネルギーの不安定性は電力供給における致命的な欠陥です。こんなことは分かりきっています。こんな使い物にならない発電システムなど、淘汰されるのが当然です。電力会社が購入を渋るのは、非常に合理的な判断です。
 それを、事もあろうに国民の税金をつぎ込んで、風力発電施設に蓄電装置を取り付けるための補助制度を2006年度から開始すると言うのです。ただでさえ、高(エネルギー)コストで、石油・資源浪費的な風力発電に、蓄電システムなどを加えれば、とんでもない浪費システムになることは明白です。
 この愚かな役所には、科学的・合理的な思考を出来る人間、あるいは誠実な人間がいないのです。本来石油消費の削減あるいは環境問題対策として風力発電を導入しようとした(これも、勿論間違いですが!)目的を忘れ、どんなに高コストであろうと、風力発電を目的量だけ導入することが目的に転化してしまっているのです。
 あるいは、そんなことは先刻承知の上で、風力発電をはじめとする新エネルギー関連企業との癒着で、税金を食い物にしようとしているのか・・・。
 科学のない行政の環境対策は、加速しつつ泥沼に突き進んでいるようです。一日も早くこのような無能役人を処分しないと、とんでもないことになってしまいます。

 話し変わって、今日、何かのTV番組で、現役の製材水車の映像が流れていました。現役の製材水車がまだあるとは思わなかったので、非常に感動的でした。自然エネルギーの導入を考えている諸君、正しい自然エネルギーの利用法とは、この製材水車であったり、製粉水車・風車、陶土を砕く唐臼などこそ本流なのです。これらの装置は、能率こそ工業的な機械に及ばないものの、発熱が小さく、低能率であるが故に、エネルギーの利用効率はきわめて高い装置です。なぜあなた方は工業的な利用しか目に入らないのか・・・、技術の貧困、発想の貧困、都会的快適さの呪縛にとらわれている自分の姿を直視することです!

No.172 (2005/06/12)「妄想」が世界を動かす時代

 昨日、大分県玖珠町にウィンド・ファームを見物に行ってきました。大雨注意報が出る悪天候で、あまりよく見えなかったのですが、昼過ぎに一旦霧が晴れ、遠望できました。あいにくそれほどよい状況ではなかったこともあり、お見せできるような写真は撮れませんでした(本当はシャッターチャンスはあったのですが、昼食をとってからでいいか、と思ったのが間違いで・・・。)。感想を言いますと、ちょうど裁縫箱の『針山』のように、鏡山に突き刺さった風力発電鉄塔群は、なかなか笑えるものでした。これを壮観だとか威容だという方の感性は、残念ながら私には理解できないものでした。
 さて、はれほれワールドに、『京都議定書発効記念「妄想」が世界を動かす時代』という気象予報士会西部支部でのレポートの概要のスライドが紹介されています。ご一読を!

No.171 (2005/05/30)環境問題と司法の無能

 先日、諫早湾干拓事業の工事差し止めの仮処分が破棄された。今日、高速増殖炉もんじゅの安全審査に関する行政訴訟の住民側敗訴が確定した。日本の司法に対して三権分立の幻想を抱くつもりは毛頭ないが、それ以前に、裁判官には環境問題の本質が理解されるとは到底思えない。環境問題に関する行政訴訟の限界を感じざるを得ない。こうした現状では、国民に残された手段は体を張った実力行使しかないではないか!

No.170 (2005/05/14)APU風力発電計画、その後B
〜APU無責任大学〜

 APUとの話合いの続報です。結局彼らは、一般市民の少数の意見など握りつぶしてしまえばよいと判断したようです。最後まで、ナウシカ・プロジェクトは高元氏とその個人企業「大分新エネルギー(株)」の事業であって、APU立命館アジア太平洋大学とは一切かかわりないという姿勢を崩しませんでした。一般市民の意見など、聞く耳持たぬという誠に不誠実で、あきれ果てた無責任大学だと考えます。これで「地域貢献」などと、全くふざけた事だと考えます。

 さて、それはともかく、今回確認できたことをまとめておきますと、ナウシカ・プロジェクトが『中止』になったか、あるいは『完了』したかは、今のところ確定できませんが、風力発電事業は行われなくなりました。また、このプロジェクトを実際に行ってきた実体である、大分新エネルギー株式会社につきましては、現在どうなっているのか、確認は出来ませんでした。

 せっかくNEDOの補助金という公金をつぎ込んで行われてきたナウシカ・プロジェクトですから、何も成果がないというのは全くもって不幸なことです。ご承知のように、APUないし高元氏はプロジェクト自体をうやむやにしてしまうつもりで、まともに総括を行うつもりなどないようです。
 幸い、NEDOの補助金で行われた風況精査の報告書が公開されていますので、これを元に、近いうちにこのプロジェクトの評価・総括を試みてみようと考えています。とりあえず、報告書全文を公開することにしますので、興味のある方はご覧下さい。

No.169 (2005/05/04)APU風力発電計画、その後A
〜APU風力発電計画批判〜

 先般からお知らせしておりますとおり、APU学生の風力発電による起業プロジェクトについて、APUに確認しているのですが、中間報告です。その前に、関連するアンケートの書込みを一つ紹介しておきます。


エネルギー - 2005/04/29(Fri) 18:48:04
APUにおける風況調査の結果は良くなかったみたいですね。
NEDOからダウンロードしてみてわかりました。
もう、「APU学生による・・を考える」のページ削除されたらどうですか?
近藤さんの印象は新エネルギー業界では悪いですよ!

■APUの件に関しましては、HP管理者からで既に経過を述べていますが、現在APUに情報の確認を行っているところです。確認が取れ次第、しかるべき総括を行ったうえで、一定期間の後にHPを閉鎖することになるでしょう。新エネルギー業界で、まさか私の弱小なHPなどが話題になるようなことはないと思いますが・・・。毛沢東でしたか、敵に嫌われることは良いことだと言ったのは?私も新エネルギー業界に嫌われているのならば、光栄なことだと思います!(HP管理者)


 この書込みをされた方は、文面から見ると『新エネルギー業界』に所属している方のようです。新エネルギー業界の実体は定かではありませんが、いずれ国土交通省か経済産業省,、あるいはNEDOの旗振りによる、エネルギー関連企業の学集会=利権集団が形成され始めているのかもしれません。新エネルギー業界は第2の土建業界になりつつあるのかもしれません。
 この書込氏によりますと、私ないしこのHP(私は新エネルギー業界の方と個人的な面識はありませんので・・・)は、新エネルギー業界では評判が良くないということです。このHPの内容に誤りがあるのであれば、直接的に誤りを指摘することになるのでしょうが、『印象』が良くないということは、むしろこのHPの記述が新エネルギーの問題点の金的を指しているということであろうと理解します。これは誠に喜ばしいことであり、光栄なことだと考えています。

 さて、本題のAPU学生起業家による風力発電計画、ナウシカ・プロジェクトについての問題です。そもそもこの風力発電計画というものは、NEDOとAPU(どちらが主導したのかは今のところ不明です)の合作によって、同大学の学生を巻き込んで、昨今流行の『学生起業』と『市民風車』という、極めて世俗的あるいはマスコミに対して『受ける』広告塔プロジェクトとしてスタートしたものだと考えています。つまり目的は広告塔を建てることであり、それもあってか、報道された当初の事業計画は極めて杜撰なものであり、ちょっとまともに考えればこのような事業が経済的に成り立たないことはほとんど自明であったと考えます。
 NEDOやAPU(高元氏?)は、これを最大限広告塔に利用するために、ご存知のように、しばしばマスコミを利用してプロジェクトの記事を書かせています。報道では、常に『APU立命館アジア太平洋大学の学生起業家による・・・』ことが宣伝されており、APU立命館アジア太平洋大学が深くかかわっていることは明らかなことです。もしこれが、高元氏の個人企業、大分新エネルギー株式会社の単独事業であるならば、こんなに大々的に報道されることはなかったはずです。APUそして高元氏は、互いを利用しつつナウシカ・プロジェクトを悪く言えば『売名行為』のために最大限利用してきたのが実態です。

 さて、今回の風力発電計画の進捗状況についての、APUネットワーク・オフィス広報担当への照会の経過を述べておきます。

 4月21日に、APUのホームページ上からAPUへ問い合わせのメールを入れました。その後返事がないため4月26日にAPU広報宛にFAXを入れましたが、それでも返事はありませんでした。この間、21日、26日には、日頃全くと言ってよいほど当HPへのアクセスの無いAPUからのアクセスが集中していますので、間違いなくAPU側に問い合わせは伝わっていると見てよいでしょう。
 連絡が一向に無いので、4月28日午前中に広報担当に直接連絡を入れましたが、担当者が会議中なので、折り返し連絡をもらうことになりました。しかし、昼を過ぎても連絡はありませんでした。再びこちらから電話すると、一旦会議から戻り、別の会議に入っているという、まことに無礼な回答でした。会議室に連絡して、折り返し連絡を入れるように要求し、やっと連絡が取れました。
 APUネットワーク・オフィス広報担当のイワモリ氏は、既に問い合わせから1週間経っているにもかかわらず、まだ少し時間がほしいと申し出られましたので、取りあえず待つことにしました。遅くとも5月2日には連絡をもらう予定になっていたにもかかわらず、またしても連絡がないため、こちらから確認の連絡を入れたところ、ようやくプロジェクトの担当教官であるマネジメント学部の高元氏(教授)から連絡を入れる手はずになったということです。APUの事務手続きの杜撰さにはあきれ果てたものです。
 高元氏から聞いた説明内容が、もうほとんど喜劇です。いわく、ナウシカ・プロジェクトというのは、あくまでも風力発電が可能かどうかの机上演習であり、当初から風力発電によって起業するという計画はなかった(!)という回答でした。故に、プロジェクトは中止になったのではなく、初期の目標を達成したので、完了したのだと!
 高元氏からこれ以上のことを聞くことはできなかったわけですが、これは詭弁でしかありません。NEDOの補助金というのは、実現性の高いプロジェクトに対して優先的に補助金を出すものであって、学生の机上演習に補助金を出すなど聞いたことがありません。また、昨年度は九州電力の風力発電の系統連携の募集に応募していたはずです。高元氏は、プロジェクトが『中止』、もっと言えば『頓挫』したという、いわば彼の名誉を傷つけるような結果は認められないのでしょう。

 高元氏という方は、厚顔無恥にも、このように詐欺行為を平然と行われる方のようですので、彼に直接事実を問いただすことは無意味なことだと判断し、このような職員の行動に対するAPUの見解を問いただしました。今回の彼の説明が正しいのならば、これまでのマスコミ報道は全て『虚偽報道』であり、これに組織として関与してきたAPUの責任も当然問題にされなければなりません。あるいは、今回の高元氏の説明が虚偽なのか・・・。
 この抗議に対して、広報担当の姿勢が俄かに変化し、イワモリ氏の回答は、ナウシカ・プロジェクトは高元氏の私企業『大分新エネルギー』というAPUとは関係のない私企業の事業であるという説明をはじめました。これでは、APUという大学は無責任なゴロツキ企業と変わるところがありません。現在、私と高元氏とAPU広報との三者による話し合いを提起しているところです。 (続く)

No.168 (2005/04/25)APU風力発電計画、その後

 このHPないし、サブ・サイト『APU立命館アジア太平洋大学 学生起業家による風力発電計画を考える』http://env01.cool.ne.jp/~apu/index.htmで取り上げてきた、APU学生起業家による風力発電計画ですが、当初予定では、この夏から別府市十文字において営業運転を開始することになっていました。
 この件に関しましては、新聞報道では西日本新聞の掲載記事http://www.nishinippon.co.jp/news/World/Asia/warera/kiji/ren6.htmlを最後に、その後の報道はないようです。
 当初予定通りであれば、既に風力発電鉄塔が姿を見せても良い時期ですが、今のところそのような構造物が十文字に建設されている様子はありません。
 ネット上の情報を探して見ますと、APU学生の掲示板への書込みがあったのですが、文面から推測しますと、どうなっているのか、彼らにも正確な情報はないようでした。たまたま、ある掲示板で知り合った若者が、この春APUにめでたく入学されまして、彼からの最近の報告によりますと、どうもナウシカ・プロジェクトは中止になった様だとの情報を頂きました。プロジェクト・リーダーは某ベンチャー企業にご就職だとか・・・。
 今のところ、非公式情報だけなので、去る4月21日に、APUのHPから、風力発電計画の状況について、メールで問い合わせをしております。メール送信後、全くと言ってよいほど普段はアクセスのないAPUのネットワークから、何度かアクセスが記録されていますので、メールは確かにAPU側に届いているようですので、近いうちに確認情報が得られると思います。確認情報を得た後に、改めてこの風力発電計画の総括を行いたいと考えております。

No.167 (2005/03/30)環境破壊企業によるおもちゃ博覧会

一体いつまで・・・

 ご承知のように、愛知県で国際博覧会が開催されています。あまりにも愚かな催しなので、触れることさえ憚られるのですが、全く触れないわけにもいきませんので・・・。

 戦後、わが国におけるこの種の催しの先駆となったのは、1964年の東京オリンピックでしょう。その後この系譜は1970年の大阪万国博覧会を経て、今回の愛知万博まで連綿と続いています。この間、沖縄海洋博をはじめ、多くの地域で環境破壊が起こり、廃墟となっている場所も少なくありません。長野オリンピックでは私企業の代表が自らの企業グループの利益のためにあからさまな誘致を行い、国立公園の線引きさえも変更させたとか・・・。
 既に高度経済成長期は過ぎ去った今、一体いつまでこのような打ち上げ花火のような一過性のイベントを貴重な税金を使って続けるつもりなのでしょうか?この一点に限ってさえ、徹底的に批判されるべきものだと考えます。

自然・環境をテーマにした環境破壊イベント

 さて、今回の愛知万博のテーマは自然や環境問題だそうです。笑わせてはいけません。そんな博覧会場が、里山の豊かな森を切り崩して建設されたのです。地元の反対運動によって、幾分かは当初計画が見直されたとはいえ、その本質は変わっていないことは建設前後の現地の風景をご覧になれば一目瞭然です。

 (例えば、『愛知万博中止の会』HP の■すでに破壊が始まっている愛・地球博!どこに愛が?〜海上の森エコミュージアムネット他 既に開始されている万博関連事業による自然破壊の現状(画像)) bP bQ bR bS bT bU bV 2003.4.18 upをご覧下さい。)
二酸化炭素地球温暖化を食い物にする企業集団による販促展示会

 展示内容に触れるのは、ほとんど無意味ですが、要するに、このHPで扱ってきた環境を食い物にして、市場を拡大させて大儲けをたくらむ、エネルギー・電気・自動車・IT・マスメディア企業の最新作のおもちゃを展示した、合同販促展示会というのがこの『博覧会』の本質です。博覧会などというような代物ではありません。
 目玉の一つとして持ち込まれた冷凍マンモスですが、要は客寄せパンダにすぎません。哀れです。

宮崎駿という人物のスタンス・・・

 もう一つの目玉が、『五月とメイの家』なのだそうです。ご存知、宮崎駿氏の映画『となりのトトロ』の主人公の家を再現したものです。
 さて、宮崎駿氏の一連の映画は、日本の昔の田舎を題材にした、自然回帰をテーマの一つにしているように感じます。その反面、現実社会における企業主義との結託に、居心地の悪い違和感を感じているのは私だけでしょうか?勿論、宮崎氏本人は環境保護を訴える運動家ではないのでしょうから、売れる商売のネタとして環境を売り物にすることを誰にも攻められないでしょうが・・・。
 今回の愛知万博への『五月とメイの家』の展示は、私の宮崎氏に対する評価を決定させました。彼は単なる企業経営者であり俗物です。環境保護運動とは全く縁もゆかりもないということです。環境保護運動の中にある彼に対する幻想は、幻想でしかなかったのです。
 彼の影響力を持って、『こんな環境破壊イベントには参加しない』と表明すれば、それなりに社会的な影響があったのでしょうが、御伽噺は御伽噺でしかないようです。

相変わらず、無能なマスコミ・報道機関

 最後に、恒例ですのでマスコミ・報道機関の諸君について。NHKのように完全に主催者側にいるメディアから、この馬鹿騒ぎに関するまともなコメントが出るはずはないのですが、その他のメディアからも、今のところこの博覧会の自然や環境というテーマについて、正面から評価するような報道は皆無です。勿論評価に値するような内容は無いのですが、それならそれを報道することが彼らの使命のはずです。どんな馬鹿騒ぎといえども、血税を投入した大規模事業なのですから、厳しい検証の目を向けるのが当然です。
 まあ、それほどの倫理観・職業意識があるのなら、今日の環境問題に対する無様な報道姿勢は無いはずですから、無理な期待でしょうが・・・・。

No.166 (2005/03/28)福岡西方沖地震と自然現象の予測

 昨年の中越地震に続き、九州北部で大きな被害を伴う地震が発生しました。少しでも早い復興をお祈りいたします。

 今回の地震発生と同じ時期に、日本における将来の地震被害に対する危険度をまとめた地図が公表されました。その中では、皮肉にも先の中越地震、そして今回の福岡県西方沖地震は、今回発表された地図における大規模地震の発生危険度はそれほど高くない地域に位置しています。
 これを以って、『こんな地図は役に立たない』、という声が早くも聞こえてきそうです。そう言ってしまうのは簡単で、また正しくもあります。この種の地図や地震予知が可能であることを前提とした地震防災対策は全く無意味であろうと考えます。

 さて、自然現象の予測といっても、色々なものがあります。例えば、人為的に何かを行う場合のその影響評価、例えば関空の埋立における圧密沈下の予測や、諫早湾干拓事業における有明海・諫早湾の潮流変化の予測などです。更には、最近巷を騒がせている二酸化炭素地球温暖化説における気候の長期変動の予測、あるいは今回のテーマの日本における地震の発生予知など、色々なものが考えられます。
 ここに挙げた例の中で比較的簡単な予測である、圧密や潮流変化の問題についての事前予測は全くの失敗に終わったことは既に紹介しました。これらの予測は、別にいい加減な予測を行ったのだとは考えられず、それなりに周到な準備を行い細心の注意を払って行われた検討の結果でした。しかし、それにもかかわらず現実は異なる結果をもたらしました。
 ここから学ぶべきは、『たとえ単純な自然現象の予測と言っても、たやすいものではない』ということです。現状の人間の科学・技術的な能力で自然を正しく抽象して、将来像を正しく予測できるなどという思い上がりを排することこそ重要な科学的な教訓です。
 地震とは、高々地球表層を覆っているプレートの熱化学・力学的な挙動の問題です。しかし、その困難さは圧密や潮流変化の予測とは比べ物にならないものです。地震の発生地点とその強さを個別に特定して予測するということは、将来にわたって不可能です。どんなに技術が進歩しても、今回公表された、発生確率の分布図以上のものを提供することは出来ないのです。
 現在の社会は、科学・技術に対して謂れのない信頼・幻想を持っているようです。もはやこれは宗教的な信仰に近い危うさを感じます。我々は、科学・技術の限界を知った上で、正しい判断を行わなければなりません。
 そこで今回公表された将来の地震発生の危険度を示した地図を有効に利用する方法を考えて見ましょう。まず、発生確率がゼロの地点が日本には存在しないということが重要な結果です。つまり日本国中どこでも地震被害を受ける可能性があるということです。次に、地震が発生する時期は全く予測できないということです。以上2点から、地震防災において、地震予知を防災対策の中に含めることには意味がない、むしろ危険だということです。
 このように、いつ・どこで・どの程度の危険が生じるか分からない自然災害に対する対処法は明らかです。リスクの分散です。社会的な重要度の高いシステムや人・物の集積を避けることです。具体的には、巨大都市の解体と、人口の分散が最も効果的です。
 巨大地震の発生確率の低くない東海地方を中心とする巨大都市群をそのままにして、役にも立たない地震発生予知を防災対策の基本におくような無駄な防災対策にすがっていても、これはほとんど宗教的な信頼に過ぎないことを知らなければなりません。

No.165 (2005/03/12)CO2温暖化を食い物にする企業

 京都議定書の発効に伴って、これを達成するための対策論議がにぎやかなことです。報道によりますと、『環境相の諮問機関「中央環境審議会」は8日、京都議定書の削減目標を達成するには2006年からの5年間に、社会全体で最大14兆円の追加費用がかかるとする試算結果を盛り込んだ答申をまとめた。』とのことです(3月8日読売)。

 さて、現在検討されている温暖化対策とは、個別の技術的な問題はこの際触れませんが、現行の社会システムを温存したまま、更に『対症療法』的に、新たな温暖化対策のための工業的なシステムを追加することです。その経済コストが、今回の試算によると官民合わせて14兆円になるというわけです。
 これは、別の見方をすれば、温暖化対策特需で14兆円という巨大な工業製品市場が創設されることを意味しています。これは温暖化を食い物にしようと虎視眈々と狙っている、重工・電気・自動車メーカーをはじめ、エコ・ビジネスへの参入を目論む企業にとって垂涎の的であることは疑いようがありません。今後熾烈な争奪戦が展開されることになるでしょう。

 では、この温暖化対策=二酸化炭素排出量削減対策の実効性について考えてみます。そもそも、石油をはじめとする炭化水素系の燃料(以下石油と呼ぶ)消費が増大した理由は、現行の石油消費に頼った工業生産システムの肥大化に原因があるわけです。現在提案されている温暖化対策とは、全て工業技術によって成り立っています。温暖化対策によって、工業製品市場が新たに14兆円規模で肥大化するといっているのです。これは明らかに論理矛盾であって、温暖化対策による工業生産規模の拡大によって、更に石油消費は増大することは明らかです。
 京都会議開催以後、官主導で広告塔的な温暖化対策が行われてきたわけですが、意に反して二酸化炭素排出量はこの間も増大し続け、2010年までの削減目標値は14%にまで増大しているのが実態なのです。この間の経験から、現在の基幹工業生産システムを放置したまま、更に工業的な温暖化対策システムを社会に付加すれば、更なる石油とその他資源の浪費を加速することになることが実証されたのです。
 本気で二酸化炭素排出量を削減しようと考えるならば、基幹工業生産システムの縮小を視野に入れない限り実現不可能なのです。工業生産システムに起因する石油消費の増大を温暖化対策技術という工業技術の追加によって達成しようなどということは誠に馬鹿げたことと言わなければなりません。

No.164 (2005/03/11)大入島埋立現地リポート

 既に何度か報告しております、大分県佐伯市の大入島の埋立問題について、『有明海・諫早湾干拓リポート』で数回にわたって現地リポートを掲載します。
 現在の状況は、1月に地元住民の方の反対運動の高まりによって、一旦工事は中止されていますが、いつ再開されるか分からない状況が続いています。この間、大入島埋立問題に関する目立った表面上の動き、あるいは報道は影を潜めておりますが、水面下では工事再開の方向であらゆる方策が検討されていることは、想像に難くありません。

 さて、このHPでは、『はじめに』で「・・・環境問題にかかわる個別の市民運動などの運動論や理念を持ち込む事は、自由で論理的な議論を保証する妨げになる可能性がありますので、このホームページではこの種の話題は取り上げませんので、予めご了承ください。」と述べております。
 大入島の問題は、明らかに埋立工事反対運動です。しかし、大入島周辺の豊かな海洋生態系を破壊する埋立工事に対する反対運動は、科学的な裏付けがあり、そこに観念的な運動論を差し挟むものではありません。諫早湾の干拓事業同様、今後の日本における環境問題の本質的な解決のための方向性を模索する上で、大変重要な事件だと考えています。

 以上の理由から、このHPは、大入島埋立に対する反対運動を全面的に支持していきたいと考えております。ご協力をよろしくお願いいたします。

大入島関連記事
■44.大入島埋立を許すな! "緊急アピール"
■50.大入島埋立を許すな!A(現地レポートNo.1)
■HP管理者からNo.160 大入島緊急リポート

No.163 (2005/02/23)風力発電の『解列』の意味

 ご承知のように、京都議定書が発効して以来、何かと騒がしい状況が続いています。無能な自治体はこぞって、更なる石油代替エネルギーの導入を推し進めようとしています。企業も、例えば最も二酸化炭素地球温暖化を積極的に宣伝に利用している企業の一つである松下電器などは、家庭用燃料電池システムを売り出すとか、その他の企業でも灯油を使った燃料電池システムの『実用化』を目指すなど、とんでもない事業が進められようとしています。

 さて、このような中で、電力各社は、風力発電に対して『解列』の動きを明らかにし始めています。これに対して、風力発電の導入に積極的なグループからは、自然エネルギー導入に逆行する動きだという、誠に非科学的な情けない批判があるようです。
 これまで、電力各社は、風力発電導入において、既存の電力供給ネットワークとの『系統連携』で対応してきています。これは、風力発電をはじめとする自然エネルギー発電という制御不能な『低品質』の電力を、基幹電力供給ネットワークに直結するという、、非常に無謀な方法でした。この方法は、既存の電力供給システムに制御不能な変動分を押し付けるという形で、過大な負担をかけ、発電効率の低下を招くものです(例えば§6.風力発電の二酸化炭素排出量削減の有効性の検討)。
 しかし、変動の激しい風力発電の時間変動に既存発電システムが即応することは無理ですから、実際のところは風力発電が瞬間的に過大な出力を供給すれば、送電ネットワークの中の発熱で消費され、逆に出力が低下すれば供給電力が低下していたはずですが、いずれにしろ、微々たる風力発電の電力供給など、結局のところほとんど有効に利用されてはいなかったのでしょう。
 ところが、京都議定書の発効に伴って、今後地方自治体などによって更なる風力発電の導入が予定されており、このまま系統連携による導入を進めれば、電力品質の低下は避けられません。電力の安定供給を社会的な責務として担う電力各社にとっては、これは重大な問題であり、更なる風力発電の導入に対しては、既存電力供給ネットワークとはオフライン化(=解列)することを考え始めたということです。
 風力発電をオフラインで運用する、あるいは風力発電システムからの発電出力を安定化させて系統連携を続けるためには、既にこのHPで検討してきたように、何らかの蓄電システムないしバックアップ用の発電装置を風力発電システムに組み込むことが必要になります。これまでの風力発電事業者は、電力各社の『好意』によって、本来自ら準備すべきこれらの施設に対する責任を全く放棄していたのであり、風力発電とは発電システムとしては不完全な欠陥システムだったのです。勿論これによって、これから風力発電を行おうとする事業者の負担は、格段に大きくなりますが、これが正常な形なのです。この負担増の重みをこれまでは電力各社に押し付けていたということを冷静に受け止めなくてはなりません。
 技術的に考えると、蓄電システムだけで安定化させるという方法は、かなり難しいのではないかと考えられます。現実的には、風力発電装置と同等の発電能力を持つバックアップ用の発電装置を用意し、急激な出力変動分を吸収するためにバッファーとして更に蓄電装置を組み込むことが必要になるでしょう。
 しかし、これは極めて馬鹿げた話です。なぜなら、それならばはじめから風力発電装置を持たずにバックアップ用の発電装置だけにしておけば、蓄電システムは必要ないのです。つまり、風力発電をしないことが最も優れているということになります。

 風力発電の積極導入を考えている自治体などにおいては、この『解列』について冷静に受け止め、風力発電の本質を冷静に考え直していただきたいと切にお願いしたいと考えます。

No.162 (2005/02/18)アンケートについてのお願い

 ご承知のように、このHPではアンケートを実施しています。併せて、このHPの内容に対する短い感想やご意見を記入する仕様になっております。書込みに関しましてはコメントを付けて出来る限り残すようにしておりますが、アンケートの注意事項にも書いてありますとおり、不適切な内容、明らかに誤りと考えられる内容は、無条件に削除しております。削除された場合に、何度も同様の書込みを行うことはお控えください。
 また、アンケートの書込みは、環境問題の具体的な内容に関する意見交換を行う場ではありません。環境問題に関する意見を述べたい場合、あるいは意見交換をご希望の場合は、メールにてご意見をお寄せください。いただいた全てのご意見をHPに反映することは出来ませんが、一定程度の水準に達している、あるいは意見交換を行うことによって、環境問題の理解を深めるために有意義と判断した場合には、HPの公開討論やHP管理者からのコーナーで取り上げていきますので、ご協力をよろしくお願いいたします。

No.161 (2005/02/03)二度嗤い、京都議定書

 今年の冬は、近年になく積雪の多い年のようです。ここ別府市でも、昨年末の積雪以来、鶴見岳の雪が消えぬまま節分を迎えました。

 さて、2005年1月31日付大分合同新聞夕刊に次のような見出しの記事が掲載されました。『温室効果ガス、50年まで 日本、70%の削減必要』。これは、東京工業大学と国立環境研究所の共同研究チームの「数値実験」の結果のようです。記事によりますと「地球温暖化による社会経済への深刻な影響を防ぐには、日本は2050年までに、温室効果ガス排出量を1990年レベルから最低でも70%は削減することが必要になるとの研究結果を、東京工業大学の蟹江憲史・助教授と国立環境研究所の共同研究チームが31日までにまとめた。」ということです。
 このホームページでは既に京都議定書の二酸化炭素排出量の削減目標など「屁のつっぱりにもならない(No.151)」ことを主張してきました。マスコミ・新聞報道の諸君が後生大事にしてきた京都議定書の削減目標はわずか5%程度の削減目標だったわけですが、この事態をまた何の反省もなく追従して報道する姿勢は、嗤うしかないでしょう。彼らには、環境問題を科学的に報道する能力が全くないのです。彼らの報道とは科学的視点ではなく、専門家ないし権力による主張を追従することしか出来ないのです。
 さて、少し内容について検討しておきます。今回の研究結果は、例によって数値モデルを使ったシミュレーションによるもののようですが、これについても既にこのホームページで検討してきたように、その信頼性はきわめて低いものであって、正しく将来を予測するものではありません。元になっている、地球大気の温室効果による気温上昇というシナリオそのものが信頼性の低いものであり、また、温室効果による温暖化が必ずしも地球生態系の脅威となるかどうかも判断の分かれるところです。まあ、マスコミ・新聞報道の諸君はさておき、一数値実験の結果などに右往左往することをそろそろ止める時期に来ているのではないでしょうか?
 さて、もう一嗤いです。記事の末尾に述べられた蟹江さんの主張が振るっています。いわく、『・・・削減達成には革新的技術の実用化が不可欠だ』そうです。二酸化炭素排出量を70%削減し、しかもこれを『革新的(工業)技術』をもって達成しようというのですから、あきれてしまいます。蟹江さんの主張が工業的な技術ではないのでしたら、以下の主張は誤りですが・・・。
 工業というものは、石油をはじめとする炭化水素燃料の消費によって動いているのです。もし、工業技術をもって70%の二酸化炭素排出量の削減を目指すというのであれば、石油に代わるエネルギー供給技術の確立が不可欠なのですが、既にこのHPで検討したように、今言われている石油代替エネルギーシステムは全て石油の消費を前提にしか成り立たないものであり、電力供給に限ってさえ、石油火力より明らかに石油節約的になる発電方式など皆無なのです。二酸化炭素排出量を70%本気で削減しようとするならば、工業生産を縮小する以外に方法はありません。なぜこんな当たり前のことが偉い先生や環境省の連中には分からないのか、私にはそれが不思議です。

No.160 (2005/01/26)大入島緊急リポート

 一部全国紙にも記事が掲載されたようですので、既にご存知の方もいらっしゃるものと思いますが、大分県の南部に位置する佐伯市の沖に浮かぶ大入島(おおにゅうじま)で、地元住民の反対を押し切って、1月24日に埋め立て工事が開始されました。地元住民の反対運動によって、2日目以降の工事は一旦中止されています。

 この事業は、『国が1995年度から進めている佐伯港港湾整備事業の一環。事業主体は県で、佐伯港に水深14メートルの岸壁を整備する際に出るしゅんせつ土砂や、国道217号バイパス工事の建設残土など73万立方メートルを、大入島の石間浦沖6.1ヘクタールに埋め立てる(大分合同新聞1月24日朝刊)』です。

作業船を取り囲んだ漁船など(大分合同新聞1月24日夕刊)

 この問題は『有明海・諫早湾干拓リポート』No.34 不知火海を死に追い込む"大築島"埋立計画と類似の問題です。地図で見る限り、大入島の限られた地域の事業に見えますが、こうした事業が徐々に海の生態系に影響を及ぼし、やがて豊かな海を取り返しのつかない状態にする可能性があります。
 佐伯港の港湾事業や航路の水深確保そのものが果たして絶対に必要なものであるかも重要な問題ですが、それが避けられないにしても、海洋生態系に与える影響を考慮した上で、沿岸埋め立て以外の土砂処理の方法を考えるべきです。
 大分県は、一方で『エコ・エネルギーの導入促進』や『二酸化炭素地球温暖化防止』などと言う全く実効性の乏しい『環境立県』を目指す一方で、大入島では確実に海洋生態系を破壊する事業を強行すると言う、なんとも情けない環境意識しか持ち合わせていないことに、大分県民として強い憤りを感じます。

 なお、この問題につきましては、次回『有明海・諫早湾干拓リポート』で、より詳細な情報を報告する予定です。

No.159 (2005/01/13)初嗤い・京都議定書

 昨年末から引っ掛かっていた問題と、『有明海・諫早湾干拓リポート』の1月分の編集作業がひと段落しました。ちょっと宣伝しておきますと、『有明海・諫早湾干拓リポート』No.36として、私も寄稿させていただいておりますので、ご覧いただければ幸いです。

 さて、今年は環境対策の愚かな国際条約として、将来に『記念』すべき京都議定書の発効の年になります。京都議定書に記された二酸化炭素の削減による効果について、No.151から再録しておきます。

■水蒸気以外の温室効果: 10〜30%
■水蒸気以外の温室効果のうち二酸化炭素による温室効果:: 50%
■人為的排出による二酸化炭素の1年間の増分: 3Gt/750Gt
■京都議定書削減目標値: 5%程度

∴(1年間の温室効果削減量)=(0.1〜0.3)×(0.5)×(3Gt/750Gt)×(0.05)=(1〜3)×10-5

 ここに示した値は、今後大気に付加される二酸化炭素量の温室効果が、線形的に現れると仮定した場合の『大き目の』推定値です。実際には、既に地球放射の95%程度を捕捉していると考えられる地球大気の温室効果ガス濃度は、飽和状態に近いので、追加される温室効果ガスの実質的な効果は徐々に低下するものと考えられます。たとえ京都議定書の削減目標値が達成されたところで、その効果が観測値に現れる可能性はほとんどないと断言しても良いでしょう。
 2005年1月4日付大分合同新聞に日本政府の京都議定書達成計画の記事が掲載されました。これによりますと、政府は二酸化炭素排出量の1990年レベルに対する削減量の目標値を「2.0%減」から「0.4%増」へと変更するそうです。まあ、元々効果のない対策ですから、目標値を変えたところで実質的にはどうということはないですが、少なくともご都合主義の国の環境対策の実態が非常に分かりやすい形で国民の前に示されたことは良いことだと思います。
 これに対しての新聞の『解説』がとても嗤えるものでした。マスコミの諸君は、未だに二酸化炭素排出量の削減で温暖化に歯止めがかかり、京都議定書の削減目標は守るべきものであると言う前提で考えているようです。
 もし、大気中二酸化炭素濃度をコントロールして、二酸化炭素の温室効果の減少分で、地球の平均気温を数℃下げようとすれば、一体どの程度の削減量が必要なのかを、まず検討することが必要でしょう。仮に、人為的な二酸化炭素排出量を1年間ゼロ(削減量100%)にしたところで、大気中の二酸化炭素の削減量は3Gt/750Gt=0.004(0.4%)に過ぎないのです。全温室効果に対する削減効果は、0.02%〜0.06%。
 自ら考えることの出来ないマスコミ諸君の無能さ加減は、実に嗤えるものです。

No.158 (2005/01/12)訂正・自然エネルギー発電評価

 今年はじめての更新になります。いつもならば今年の目標を掲げるところですが・・・。

 昨年末から年頭にかけて、このHPの閲覧者の方と太陽光発電の評価について、メールで意見交換を行っていました。その過程で、もう一度自然エネルギー発電のエネルギー産出比について見直す機会を得ました。

 モデルケースとして、次のような発電システムを取り上げます。投入エネルギーないし燃料は全て石油だと仮定します。
@運用期間中の平均エネルギー産出比0.35の標準的な火力発電システム
■発電コスト : 7円/kWh (その内燃料費が60%)
∴燃料費=7×0.6=4.2円/kWh
■設備建設・運転・保守に投入されるエネルギーコスト(燃料費以外の費用の20%と仮定)
7×0.4×0.2=0.56円/kWh
■単位発電量当たりの石油コスト
4.2+0.56=4.76円/kWh
燃料の占める割合=4.2/4.76=88%
燃料以外の割合=12%

A運用期間中の平均エネルギー産出比0.35の自然エネルギー発電システム

 以上の二つのモデルのエネルギー産出比の構成を次の図に示します。

 投入エネルギー(石油)量と、最終的に産出される電力量を『総量』で比較すると、当然のことながらエネルギー産出比を0.35で同じと仮定しているのですからいずれの発電システムでも同じです。これでは見かけ上、自然エネルギー発電における電力の『原料』であるはずの自然エネルギーは何も生み出していないのと同じです。

 この二つの発電システムの違いは、投入される石油の使途の構成にあります。火力発電では投入する石油の大部分が発電のための燃料として消費されるのに対して、自然エネルギー発電では発電のための燃料として石油を消費しませんから、全て設備の建設や運用・保守(以下”自家消費分”と言う)に投入されることになります。
 投入された石油に占める自家消費分は施設規模に反映されることになります。モデル・ケースでは火力発電では投入石油の12%であるのに対して、自然エネルギー発電では100%になります。つまり、同量の電力を供給するために自然エネルギー発電の方が圧倒的に大量の資源を消費し、したがって、発電システムから排出される廃物量や廃熱量が大きくなると考えられます。

電力生産図

 生産図では、横方向に『原料』から『製品(ここでは電力)』への流れを示し、縦方向に生産システムに投入され、消費されるエネルギー資源、その他資源の流れを示す。投入されたエネルギー資源は最終的に廃熱として環境中に廃棄され、その他資源は施設の耐用年数が経過すると固体廃棄物となる。
 自然エネルギー発電として、風力発電を例に取る。風力発電の平均的な発電コストは25円/kWh程度であり、その内の石油コストを20%程度と仮定すると、5円/kWh程度であり、石油火力とほぼ同等と考えられる。ここでは対石油エネルギー産出比を火力発電と同じ0.35と仮定する。
 まず石油火力発電では、石油0.88が発電のための原料としてシステムに投入される。発電の熱効率を40%程度とすると、60%(0.88×0.6≒0.53)は廃熱として環境中に廃棄され、最終的に0.35の電力を生産する。更にシステムの運用のために自家消費される石油(≒0.12)が廃熱となり、合計0.65が廃熱として環境中に捨てられる。また、火力発電所の設備を作るために、1単位の資源が投入され、廃棄される。
 これに対して、風力発電では『原料』として風の運動エネルギー(風力)を捕捉し、これが発電機を介して電力に変換される。運動エネルギーはエントロピーを持たないエネルギーであるが、発電装置の摩擦や振動によってロスが生じ、これが廃熱となって環境中に廃棄される。その値をαで表しておく。最終的に風力発電においても0.35の電力が生産される。
 ここで多少説明を加えておくと、生産図に示した風力は風力発電のブレードを介して捕捉できた正味の運動エネルギーである。風力発電装置のブレードの回転面を通過する風力とは全く別物である。
 風力発電では、システムの運用のために自家消費される石油(=1.00)とαが廃熱として環境中に廃棄される。また、自家消費するエネルギー量に応じた資源が設備建設に投入されるとすると、1.00/0.12≒8.3単位の資源が投入され、耐用年数経過後に固体廃棄物として廃棄される。

 発電システムで消費される石油以外の資源量、あるいは発生エントロピー量まで視野に入れて評価すれば、圧倒的に火力発電の方が優れた発電方式だと考えられます。更に自然エネルギー発電固有の時間的不安定性やそれに伴うバックアップ施設の必要性を加味すれば、風力発電の利用は全く無意味です。また、太陽光発電など全く論外であることは今更説明の必要はないでしょう。

【参考】コンバインドサイクル発電
 最新の火力発電方式では、ガス・タービンの廃熱を蒸気タービンの熱源にすることによって、熱効率で50%以上を達成していると言う。既存火力発電の設備更新の選択肢として、風力発電と競合するのはこのコンバインドサイクル方式の火力発電になると考えられる。コンバインドサイクル火力発電システムはどこにでも建設可能であり、送電ロスも小さい。また、需要の変動に対する熱効率の変動も比較的小さいと言う。時間変動に対するバック・アップ施設の必要な風力発電システムを選択することは考えられない。

三菱重工高砂製作所HPより

 それにもかかわらず、風力発電を導入しようとする背景は何であろうか?これまでの検討で明らかなように、自然エネルギー発電は、燃料として石油を消費しない代わりに火力発電に比較して、圧倒的に施設規模が大きくなる。発電施設を生産する装置メーカーにとって、これは市場の拡大を意味しており、非常に魅力的な発電方式であるはずである。この辺りに真相があるのではないだろうか?。

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