No.1281(2019/08/30) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うA
JCCCAから広まった温室効果の誤った説明図

 まったくこの連載とは関係ないのですが、このHPのNo.1258で取り上げたスウェーデンの女の子が、予想通り、温暖化論者の操り人形となり、ヨットで大西洋を渡って国連総会に招致されたと話題になっています。哀れなことです。

 さて、前回紹介した私の娘が高校時代に使用していた社会科の本に記載されていた温室効果の説明図は、おそらくJCCCA(Japan Center for Climate Change Actions)全国地球温暖化防止推進センターが発足初期に発表した図表集に掲載されていた、自然科学的に完全に誤った説明であった次の図を写したものだと思われます。
 この図の亜種(笑)は、現在でもいたるところで見ることがありますので、徹底的に自然科学的な誤りを解説しておくことにします(笑)。

 この図は、「太陽からの光」が地表面で反射されて「熱」になり、その一部が温室効果ガスで反射されてそれを大気が吸収している(?)ように見えないこともありません・・・。そして、温室効果ガスで反射されなかった熱の一部が宇宙空間に放出されているように見えます。図で矢印の幅で表されている量は、単位時間当たりのエネルギーの移動量であると考えられます。そのエネルギーの移動量の量的な関係は、

「太陽からの光」=「熱の放出」+「熱の吸収」

のように見えます。したがって、

「太陽からの光」>「熱の放出」

ということになります。
 ここで気体の温度とは何かを示しておきます。気温とは、気体分子の並進運動エネルギーの大きさに関係しています。具体的には、大気の絶対温度Tは、ボルツマン定数をk、気体分子の質量をm、気体分子の並進運動の速度をvとして、次式で定義されます。

T=(2/3k)×mv2/2

 気体の温度Tは気体分子の並進運動のエネルギーに比例するのです。つまり、大気の温度あるいは地表面付近の大気の温度である気温は、大気の内部エネルギーの量に比例するのです。

 ここで注意が必要なのは、大気の温度は「大気の保有するエネルギーの量」(ストック)に比例するのであって、「単位時間に大気が吸収するエネルギー量」(フロー)に比例するのではありません。したがってJCCCAの図は、そもそも地球大気の熱の保有量=ストック量をまったく表現していないので、大気の温度状態を表していないのです。
 JCCCAの図に示された大気が単位時間当たりに吸収する熱が意味するのは、大気の保有するエネルギー量の単位時間当たりの増加量=大気温度の時間当たりの上昇量を示しているのです。つまり図の地球大気は、200年前と現在のいずれも大気の保有するエネルギー量が単調に増加する大気温度の暴走状態を示しているのです。

 一般に、惑星誕生初期でもなければ、大気の温度が暴走状態を示すことは考えられません。地球のように毎年公転周期に応じた安定した温度状態が繰り返される準定常的な状態の惑星であれば、太陽光から受け取るエネルギー量と地球から宇宙空間に放出されるエネルギー量は平衡しています。これは、高校の地学基礎の学習指導要領で教えるべき内容の一つとして次のように記述されています。

「地球全体の熱収支」については、太陽放射の受熱量と地球放射の放熱量が釣り合っていることを扱い、温室効果にも触れること。

 この記述には、地球の熱収支が釣り合うことと温室効果は全く別の現象であり、並立することができるという認識が正しく示されています。
 
このように、高校の教育現場では、「基礎地学」という自然科学分野の教育内容と明らかに矛盾する内容が生徒たちに教えられているのです。教える教師の問題が第一ですが、こうした矛盾について反応しない生徒の質の低下も憂慮すべき事態です。総じて初等・中等教育における理数科教育が失敗しているとしか言いようがないと考えます。

 JCCCAの図やその類似の図で示された、温室効果の増大を太陽放射からの受熱量と地球放射の放熱量の不平衡量の拡大であると解釈した内容は、高校の地学基礎の内容にさえ反する、きわめて初歩的な誤りです。

 さすがにJCCCAもこの初歩的な誤りはまずいと思ったようで、ほどなくして別の図に差し替えていますが、一旦拡散した最初の図は現在でも至るところに見ることができます。しかし、書き換えられた現在の温暖化の説明図も全く意味不明のものになっていますが、いずれ紹介することにします。 


No.1280 (2019/08/29) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂う@
No.1282 (2019/09/01) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うB

温暖化・温室効果に関するペットボトル実験の検証New!


 

No.1280(2019/08/29) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂う@
科学的に誤った温暖化・温室効果の解説が文部科学大臣賞とは

 私は、「人為的CO2地球温暖化説」問題で最も憂慮すべき実害の一つが、義務教育・高校教育における科学教育を根底から破壊する可能性があることを挙げておきたいと思います。元々理科の教育課程で教えられてきた自然科学の原理と明らかに矛盾する内容を持つ温暖化に対する解説が小中高校で若者たちに繰り返し教え込まれ、科学的な判断に対する大混乱が起こっていると考えています。

 例えば、私の娘が高校生であったころに使用されていた社会科の本に、大気の温室効果の説明において次のような図が掲載されていました。

 これは、自然科学的に全く誤った解説図です。この図では、大気の温室効果が大きくなることによって、地球から宇宙空間に放出される赤外線によるエネルギーの放出が減少するように示されています。温暖化論を唱える気象学者と言えどもこのような主張をしている人はいないと思いますが、教育現場ではこうした自然科学的に明らかに誤った説明が堂々と行われています。
 しかし、同じ高校の地学の教育課程で文科省の学習指導要領によると、「地球の受けとる太陽放射=有効太陽放射と地球から放射される低温の赤外線放射のエネルギーは等しいことを教えること」と記されています。これが自然科学的に正しい主張です。
 蛇足ですが少し説明しておくと、地球に温室効果があっても無くても、そして温室効果が大きくなっても太陽光から受け取るエネルギーと地球が赤外線として宇宙空間に放出するエネルギーは常に平衡しているのです。もし図のように地球から放出されるエネルギーが受け取るエネルギーよりも小さくなれば、地球は「熱暴走」状態となり、限りなく気温が上昇することになり、比喩的な意味ではなく灼熱地獄になってしまいます。

 この教科書会社に対しては、高校を通して訂正を求め、既にこの図は使われていないものと思われますが、実際の教科書は確認していません。

 このほかにも誤った説明や実験が教育現場にはあふれているようです。今回はネット上で見つけたさぬき市立大川第一中学校のパソコン部が平成20年に文部科学大臣奨励賞を獲得したという地球温暖化についてレポートを少し見ておくことにします。

 まず、『温暖化の仕組み』という項目の温室効果ガスの説明です。

温室効果ガスというのは、地表で反射された紫外線の一部を吸収することで熱エネルギーの一部を地球外に放出させずに大気圏内に溜め込み、地球の気温を上げる働きを持つガスの総称である。

 おそらくこれは、何らかの本からの引用あるいは教師の受け売りなのであろうと思われますが、100%誤りです。本HPの読者諸兄には今更説明の必要もないでしょうが、温室効果とは、有効太陽放射(主体は可視光線)によって温められた地表面の温度状態から定まる地表面から放出される赤外線放射を吸収する性質を持つ気体のことです。
 ここの誤りは二つです。
 地表面から反射された太陽放射は主に可視光線であって、赤外線を吸収する温室効果ガスでは吸収されません。勿論紫外線も温室効果ガスでは吸収されません。
 地球からの放射は地表面温度によって定まる赤外線放射です。

 おそらくこの研究レポートはパソコン部の顧問の教師も内容を確認していると考えられますから、その段階で誤りは訂正されるべきものであったと考えます。さらに言えば、このような誤りについて文部科学大臣が奨励するとはあきれ果てたものです。

 もう少し見てみましょう。『温暖化に関する実験』という項目を見てみましょう。その中の『実験1:温室効果は本当にあるのか?』というものです。この種の実験は安易に行われていますが、それほど容易に定量的に計測できるようなものではありません。
 このレポートでは、仮説として、

普通の空気よりも二酸化炭素の多い空気の方が、温度が上昇しやすいのではないだろうか。

として、それを実証するために、

ペットボトルを地球と考える。2つのペットボトルを用意し、1つは二酸化炭素を充満させ、もう1つは普通の空気を入れる。2つのペットボトルを60℃の湯につけて、温度の変化を測定する。

 という実験をしたというのです。ここでは、「温室効果、つまり赤外線の吸収による内部エネルギーの上昇」と「ペットボトルの温水による加熱」が同じ現象だという前提で実験を組み立てています。これはまったく話になりません。
 この実験は、長時間放置すればお湯につけた二つのペットボトルは熱平衡になり、同じ温度になることは明らかです。

 このような目的を解決する実験になっていないという根本的な誤りを、教師や、審査員たちはまったく気づかなかったというのでしょうか?中学校の理科教育はほとんど崩壊しているようです。

 教育現場や文部科学省は、「二酸化炭素憎し」とでも考えているのでしょうか、結果として二酸化炭素に温室効果があることさえ説明できれば、その検証の過程が非科学的であってもかまわないとでも考えているようです。


No.1281 (2019/08/30) 義務教育における非科学的な温暖化教育を憂うA

温暖化・温室効果に関するペットボトル実験の検証New!


 

No.1279(2019/08/26) 今年は少し秋が早いようだ
局地的・短期的な気象現象と地球規模の気象現象の関係は単純ではない

 私の住んでいる別府市の今年の夏は、とても短かったようです。もっと言うと、梅雨も短かった。今年は6月に入っても快適な晴天が多く、梅雨入りは6月末の26日頃であり、平年より21日遅かったそうです。梅雨明けは7月24日頃で、平年より少し遅い程度でした。猛暑日はないまま、旧盆を過ぎると8月20日には庭で秋の虫(アオマツムシ?)の初鳴きを聴きました。
 エルニーニョは夏を前にして収束したようですが、太平洋高気圧は例年より東に偏っているのか、台風が早くから日本列島に近づき、秋雨前線の発生も早いようです。

 さて、最近のマスコミは、気象現象について猛暑の話題ばかりを大きく取り上げます。それは国内だけではなく、世界中から猛暑の話題を探し出しては大きく報道して、人為的CO2温暖化の正当性を強調し、脅威を煽ることに熱心です。その一方で寒波の話題は意識的に取り上げない傾向があるようです。

 私の感覚としては、2000年以降の世界の気象ニュースの中で、記録的な寒波に関するニュースが増加傾向にあるように感じています。酷暑や寒波の個別の報道には私はあまり関心がないので、統計的に厳密に調べたわけではありませんので正確なところは分かりません。
 一方、私の肌感覚(?笑)としては別府市ではこのところ冬の寒さは増しているように感じます。別府市の郊外にある志高湖という人造湖が2000年代に入って既に2回ほとんど全面結氷しているのを見ました。


2011年1月22日別府市の志高湖

 私が見ただけで2回ですから、実際にはもっと回数は多いかもしれません。昨年もほぼ全面結氷した日があるようです。
 私の家では数年前に庭にある水道の蛇口付近が夜間に凍結して破裂し、吹き出した水が芸術的(笑)に凍っていました。別府市内のあちこちで同様の現象があったらしく、水道屋さんを頼むのに苦労しました。
 昨年の冬もとても寒くて、日中でもほとんど氷点下という日が続き、庭には15mm程度の霜柱が融けずに積層する様子が見られました。おそらくこの頃に志高湖が結氷したのであろうと思います。このような冬の寒さは、私の人生の中であまり記憶にないことです。


2018年1月27日の我が家の庭の霜柱

 さて、だからといって温暖化論者の皆さんのように「寒冷化が進んでいるんだ!」(笑)などと言うつもりは毛頭ありません。もとより、私は地球の温度状態が温暖化しようが寒冷化しようが、そのこと自体には何の感慨もありません。
 私が言いたいことは、局所的な地域の気象には地域特有の物理的な条件の影響があるために、全地球的な規模の気象現象の傾向とは異なることの方が一般的であることを強調したいと思うのです。

 現実の地球上では、ほとんど毎日どこかで記録的な暑さが観測される一方で、またどこか別の場所では記録的な寒さも記録されている、あるいは、どこかでは記録的な豪雨に見舞われる一方で、またどこか別の場所では干ばつで被害を受けているというのが気象の常態なのです。平均的な地球の温度状態に対応するような気候変動を示す場所など現実には存在しないのです。
 地球上の場所ごとに異なる局所的な特異な自然条件による影響を受けた様々な現実の気象を、地球の全表面に対して俯瞰的に見たときに初めて現れる全体的な傾向が、言うなら地球規模の気象の傾向なのです。
 したがって、個人の感得できる極小の地域の気象にたいする肌感覚によって、地球規模の気象の傾向を推測することなど、金輪際あり得ないことなのです。

 したがって、どこかの局所的な場所の特異な暑さのニュースをもって、地球規模の気候変動としての温暖化の兆しであるような報道は、自然科学的に見て何の意味もないことだ、ということです。
 たとえ事実として平年値に比べて大幅に高温の日が続いたとしても、その現象が発現した場所の特殊性を考慮した上で個別・具体的に発現の構造を科学的に分析することが必要であり、短絡的に地球全体の温暖化現象と結びつけることは、自然科学とは程遠い態度というしかありません。
 マスコミに登場するお天気お姉さんや似非知識人たちがよく言う「今日の○○地方の暑さは異常です。これも地球温暖化の影響でしょうか」というコメントは自らの自然科学に対する無知、無能さを曝け出しているというべきでしょう。
 ましてやそれが、人為的なCO2放出による低層大気の温室効果の増加の影響なのだと主張することは『風が吹けば桶屋が儲かる』以上に滑稽な主張だということをマスコミの皆さんも、視聴者の皆さんもよく理解していただきたいと思うのです。

 地球全体の温度状態という大きな現象は、局所的な特異な現象や、短期的な気温変動の報道で左右されるような問題ではありません。局所的特異な現象や短期的な変動によって人為的CO2地球温暖化を援護するような報道は、間違いなく信頼に値しない情報だと考えてよいでしょう。

 

No.1278(2019/08/15) 戦前に回帰する日本人のメンタリティー
戦争に突き進んだ過去と酷似する人為的CO2温暖化の狂騒状態

 最近、少し日本の政治状況についての記事をさぼっています。一つにはすでにこれまでの記事で私の述べたいことは言いつくしているため、焼き直しの記事を書くのに疲れたという部分があります。

 さて、今日は第二次世界大戦・太平洋戦争敗戦の日です。相変わらずこの時期は懺悔のTV番組や報道が行われますが、ほとんど無意味です。それは、問題を過去のものとして、いわば物語としての意味しかなく、問題をとらえなおして現在に結び付ける視点がないからです。

 もちろん戦争へ突入した大きな責任は戦前の絶対主義的天皇制の日本の体制の在り方に問題があったのは事実ですが、それを肯定した大部分の国民がいたからこそあのような悲惨な状況になったのです。
 一般の普通の国民の行動を「仕方なかった」と免罪するような総括では何の意味もありません。この点については、何度か紹介した伊丹万作のレポート(昭和21年8月『映画春秋』創刊号)が重要な問題を指摘していると思います。少し引用しておきます。

――このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

――「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかったか」と。たとえ、はっきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがったことを我子に教えなかったといいきれる親がはたしているだろうか。いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持っていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

――だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。

――また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

――「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。

 私は伊丹の主張に100%賛同します。残念ながら敗戦直後の一時期を除き、日本人は東アジア侵略の大罪を忘却し、戦前回帰の覇権主義的な保守党政権をいただき、それを大多数の国民が支持している、あるいは無関心によって間接的に支持しているのです。
 伊丹は過ちを繰り返さないための指針を述べています。曰く、

―― 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

 残念ながら現在の日本人は、敗戦の過ちの本質に学ぶことなく、戦前と変わるところのない「親方日の丸」的メンタリティーに完全に回帰しているのが実情です。
 
その原因となったのが、初等・中等教育における受験偏重の考えさせない詰め込み教育、その反動としてのタガの外れたゆとり教育、そして教育に携わる教師たちの不勉強・不見識です。教師の責任は、万死に値するほど重いと考えます。
 こうした戦後教育の失敗が典型的に現れた事例の一つが「人為的CO2温暖化」に対する妄信です。
 教師たちは戦前・戦中同様に、検定教科書の記載事項を絶対のものと「信じ」、自らの頭で理解し咀嚼することをせずに、単なる知識として子供たちの前に垂れ流しました
註1)
 こうして大多数の国民は、個に埋没して官製の教育、マスメディアの報道に対して、自らの頭で考えることを放棄した思考停止状況に陥り、かつて戦争に突入し、これを後押しした我々の先達の過ちをまたしても繰り返しています。
 戦時中には、侵略戦争に反対して反戦を主張する真っ当な人たちに対して『非国民』というレッテルが張り付けられ、大多数の国民は官憲と一緒になってこれを迫害しました。
 現在、気象研究者や国家が垂れ流す「人為的CO2地球温暖化脅威説」に対して科学的に検証し、その誤りを指摘する研究者や市民に対して「温暖化懐疑論者」=『非国民』のレッテルを張り付けて社会的に抹殺することに対して
註2)、思考停止状態に陥った大多数の国民が、その論理的な内容を検証することもなく、加担している構図は戦時中と酷似しています。
 さらに悲劇的なのは、戦前の「本当の知識人」の多くが戦争に懐疑的でしたが、今日のマスコミに登場する「似非知識人」たちは、知的レベルは戦前の知識人に遠く及ばず、自分の頭で考えることなく「人為的CO2温暖化を肯定すること」=「進歩的で知的であること」だと勘違いして、ファッションとして人為的CO2地球温暖化脅威説の宣伝のお先棒を担ぎ、科学的に異議を申し立てる研究者や市民を迫害する運動を扇動する有様です。

 このような社会状況を見ると、万作が指摘した前大戦で一般大衆が犯した人間としての本質的な過ちについて、残念ながら、大多数の人々は何も学んでいないと言うしかありません。

註1)「大分県の県立高校における非科学的な科学教育の実態」参照

註2) 例えば、国費を使って東京大学IR3S/TIGS叢書No.1「地球温暖化懐疑論批判」という、国家とこれに加担する気象学会の理事である東大教授と東北大学、気象庁気象研究所、国立環境研などの研究者によって、人為的CO2温暖化仮説を科学的に批判する私や槌田敦氏、渡辺正氏らをはじめとする研究者、市民を一方的に批判し、社会的に抹殺することだけを目的にした、科学的に極めて出来の悪い書籍を編纂し、日本中に無料で配布するという行為が行われた。

No.1277(2019/08/12) 解題『検証温暖化』その5
読者からの質問/書き換えられ続ける気温変動曲線

 「検証温暖化」を読んでくださっている読者の方から質問のメールを受け取りました。


近藤様 ご著書「検証温暖化」を読ませていただき、勉強をしている者です。 素人考えですみませんが、1998年以降気温上昇が止まったというhiatusについてですが、2016年以降、再び上昇傾向に転じたのではないかと思えるのですが、いかがでしょうか。添付ファイルをご覧ください。

近藤様が「検証温暖化」において様々な角度から述べられたように、人為放出CO2による温暖化はありえないと私も思いますが、ただ、メディアも含めて一般の人たちには、やはり平均的な気温上昇のトレンドが最も即時的で説得力を持つと思います。
そうした観点からIPCC第5次報告書(概要編 sr15_chapter1.pdf )の13ページの図の薄い灰色のobservations rangeを見ますと、下記のように1998〜2015年のHiatusは明らかですが、2016年からは再び上昇傾向に転じたように見えます。もちろん単調上昇ではなく2018年には急低下をしてはいますが、1998年以前からの長期トレンドとしては図中のtotal forced temperature change の橙色カーブのように気温上昇は引き続いていると主張できる余地があります。
近藤様はこれをどうお考えになりますか。


 読者氏がおっしゃる様に『メディアも含めて一般の人たちには、やはり平均的な気温上昇のトレンドが最も即時的で説得力を持つ』こともあるのかもしれません。今回は近年の気温変動曲線について、私の考えを述べておくことにします。

 この図を見た第一印象は、「データ改竄もここまで来たか」というものでした。この図では20世紀の大きな気温変動のトレンドがほとんど消し去られています。19世紀末から1940年代にかけての気温上昇傾向、1940年代から1970年代にかけての気温低下傾向、1970年代から2000年にかけての気温上昇傾向、そして2000年代からの気温低下傾向…。見事に消し去られています。

 この種のデータは、気温観測データの存在しない時代における間接資料からの気温復元ではありませんから、年を経るにしたがって新しいデータが付加されることは理解できれますが、過去のトレンドが変化するなどということは起こりえないはずなのですが、毎回変化しているという摩訶不思議なことが起きています。このHPで取り扱ってきたIPCCを出典とすると思われるデータはかなり変化してきています。

 これは2004年の記事で使ったグラフです。1890−1910年付近の気温極小期から1940年代の気温極大期、1970年代の気温極小期とその後の気温上昇というトレンドが読み取れます。

 これは2010年の記事で紹介した同種のグラフです。このグラフでは1940−1970年代の気温は横ばいとなり、それ以後単調な気温上昇を示しています。

 そして今回の冒頭のグラフです。1940年代以前もそれ以降も、一時的な気温低下を除いて、全体として20世紀を通して気温は上昇傾向を示しているように見えます。

 このように観測データに対して様々な補正(改竄)、データの恣意的選択、データ処理の技巧によって、過去の気温変動のトレンドまでが何度も書き換えられていては、まともな科学的評価には堪えられないというしかありません。

 そのような中で、近年、GHCNの生データによる気温の変動を再現しようとする努力が行われています。

 上図は「検証温暖化」の中でも紹介している図です。1880−1890年代の気温極小期から1940年代にかけての気温上昇期、1940年代から1970年代にかけての気温下降期、1970年代から2000年にかけての気温上昇期とその後の気温低下というトレンドが分かります。

 No.1273で紹介したNASA/GISS]の気温変動も1940年頃の極大、1970年代の極小、2000年頃の極大とそれ以降の気温低下傾向というトレンドが明瞭です。

 上図はNASA/GISSの気温データベースから都市化の影響を排除するために都市部のデータを除いた人口1000人以下の町の気温観測点のデータをまとめたものです。これも前の図と同じ傾向を示しています。

 このように、無補正の気温データで得られた結果と、IPCCの作為に満ちたデータのいずれがより地球の実態を示しているのか、答えは明らかではないかと考えます。

 ちなみに、気象庁のデータベースから日本の地方都市の気温の変動傾向をいくつか紹介します。

浜田市の年平均気温偏差

潮岬の年平均気温偏差

高田市の年平均気温偏差

 東アジア大陸沿岸の孤島列島である日本というモンスーンアジアの特殊性がありますが、やはり2000年以降は気温の低下傾向が明らかです。

 

 現状のIPCCレポートの内容は、誠に残念ですが、自然科学的にはまったく信頼できないと考えます。

 

No.1276(2019/08/06) 環境問題と人為的温暖化・再エネの虚妄M
再生可能エネルギー発電は資源を浪費する「再生不可能発電」

 しばらく「検証温暖化」の発刊に関連する書き込みが続きましたが、忘れられないうちにこちらの連載も再開しておきます。

 さて今回は、再生可能エネルギー発電が技術的に意味のあるモノなのかを検証することにします。

 前回までの検討から、再生可能エネルギー発電と呼ばれている技術は、単にエネルギーの材料が自由財である自然エネルギーというだけであり、再生可能エネルギー発電を成立させている本質である工業的な装置システムの製造・運用においては莫大な化石燃料を消費していることを示しました。したがって、再生可能エネルギー発電を「CO2を排出しないエネルギー」などという認識がそもそも自然科学的に誤った、全く見当はずれの評価なのです。
 付け加えるならば、「CO2を出さない=クリーン」などという認識も大間違いです。CO2は自然界には不可欠な有用資源であり、忌避すべきものではないことを強調しておきたいと思います。

@再生可能エネルギー発電は温暖化対策として無意味

 これは、連載『解題「検証温暖化」』の中で触れたように、そもそも人為的に放出されたCO2による温室効果は低層大気の全温室効果のわずか0.15%にも満たないのであり、まったく問題になりません。仮に再生可能エネルギー発電がCO2をまったく放出しないとしても、温暖化対策としての意味はまったくありません。

 

A再生可能エネルギー発電は鉱物資源・化石燃料を浪費する

 ここでは具体的な数値を示して考えることにします。再生可能エネルギー発電として、普及している風力発電と太陽光発電を例に考えてみます。

 まず、標準的な陸上風力発電装置として、2MW出力の風力発電を考えます。日本における標準的な設備利用率を15%とすると、実効発電能力は平均300kWです。2MW風力発電装置の鋼材使用量は250t程度です。

 次に、太陽光発電について考えます。日本における標準的な発電実績を120(kWh/年m2)=13.7(W/m2)程度とします。この太陽光発電パネルで300kW発電システムを作る場合の必要面積は、300(kW)÷13.7(W/m2)=21898(m2)=148m×148mになります。太陽光発電の架台や基礎を含めた鋼材使用量を10(kg/m2)程度とすると、総重量は219t程度になります。

 一方、内燃機関を使った300kW定置型発電装置の重量は6t程度です。例えば、1馬力(PS)=0.7354kWですから、300kW=408馬力です。定格出力400馬力程度の船舶用ディ−ゼルエンジンは3t程度ですから、これに発電装置を加えれば6t程度になるのでしょう。

おそらく最新のハイブリッド型の大規模火力発電装置の300kW出力当たりの重量はこれよりも小さくなるのではないかと思われますが、ここでは6tという値を用いることにします。

 陸上風力発電では、内燃機関火力発電装置に対して250t÷6t=41.7倍の鋼材を必要とします。太陽光発電でも219t÷6t=36.5倍の鋼材を必要とします。さらに太陽光発電では太陽光発電半導体素子の製造自体が大量のエネルギーを必要とします。
 以上から、既存の火力発電による電力供給システムを再生可能エネルギー発電システムで代替するためには、例外なく電力供給分野が必要とする工業生産量が爆発的に大きくなることを示しています。これは、再生可能エネルギー発電システムを導入することによって鉱物資源消費量が爆発的に増加すること=鉱物資源を浪費することを示しています。

 そればかりではなく、工業生産分野において、再生可能エネルギー発電システムの製造のために必要な製造設備、消費エネルギー量が爆発的に増加することをも意味しています。その結果、電力の原料として再生可能エネルギーを利用することが、無条件にCO2放出量の削減につながる保証はどこにもないのです。本来ならば、CO2放出量削減の目的で再生可能エネルギー発電を導入するというのであれば、最初に確認しておくべきことが全く行われていないという、誠に杜撰で非科学的な「CO2温暖化対策」と言わねばなりません。

 本来ならば詳細な積み上げによって、再生可能エネルギー発電電力のCO2当量を算定することによって、CO2削減効果を評価すべきところですが、あいにくその種のデータは公表されていませんので、ここからは大雑把な推定を行うことにします。ここでは、エネルギー費用によって投入化石燃料消費量を比較することを考えます。

 まず基本になる火力発電について考えます。発電原価を10円/kWh、その内、燃料価格を6円/kWh、設備建設費、運用・維持管理費の合計を4円/kWhとします。設備建設費、運用・維持管理費の中にもエネルギー費用が含まれています。ここでは仮に20%と仮定しておきます。設備建設費、運用維持管理費の内のエネルギー費用は、4円/kWh×20%=0.8円/kWhです。したがって、合計のエネルギー費用は6.8円/kWhです。
 陸上風力発電は、発電原価を25円/kWhとします。風力発電はエネルギーの原料は風力という自由財なので火力発電における燃料費に相当する部分は0円/kWhなので、設備建設費、運用・維持管理費が25円/kWhです。風力発電についても設備建設費、運用・維持管理費の20%をエネルギー費用と考えると、25円/kWh×20%=5円/kWh程度になります。

 しかし不安定な風力発電電力はそのままでは使い物にならず、電力供給システムに接続するために付加的な蓄電装置や広域高規格送電線網、バックアップ用火力発電などが必要になります。それを加味すれば、更にエネルギー費用が大きくなるため、陸上風力発電のエネルギー費用の合計は火力発電と同等あるいはそれ以上になる可能性が高いと考えられます。

 陸上風力発電よりもはるかに大量の設備建設費、運用・維持管理費が必要となる洋上風力発電や太陽光発電ではさらにエネルギー費用が大きくなります。

 したがって、化石燃料火力発電システムを再生可能エネルギー発電システムで代替するためには、鉱物資源消費が爆発的に大きくなると同時に、火力発電と同等あるいはそれ以上の化石燃料消費が必要となると考えられます。

B再生可能エネルギー発電は再生不可能

 これまで見てきたように、再生可能エネルギー発電は、化石燃料を基盤とする現在の工業生産システムの中においてさえ、現在の化石燃料による電力供給システムの消費する化石燃料を節約する可能性もありません。それどころか有用鉱物資源を浪費し、化石燃料消費を加速するものです。

 現在の工業生産システムにおいて電力化されているエネルギー供給は全エネルギー供給の半分にもなりません。一次エネルギーを電力に変換するためには大きなエネルギーロスを伴います。現在のすべての社会サービスの質・量を落とさずに、使用するエネルギーをすべて電力に転換し、しかもそれを資源利用効率、エネルギー利用効率の低い再生可能エネルギー発電ですべて賄うためには工業生産量は爆発的に肥大化することになりますが、低効率な再生可能エネルギー発電でそれを賄うことは到底できません。
 再生可能エネルギー発電が再生産できるということは、社会のすべてのエネルギー供給を再生可能エネルギー発電で賄うことと同じことであり、実現不可能です。
 更に、現在の工業生産プロセスの中には化石燃料を用いずに電力だけで代替することが技術的に困難なものもあります。再生可能エネルギー発電という技術は、化石燃料によるエネルギー供給に支えられた現在の工業生産システムであるからこそ実現されている技術なのであって、化石燃料によるエネルギー供給の限界を超克する技術にはなり得ません。再生可能エネルギー発電は自力では再生不可能な技術なのです。

 今回見てきたように、再生可能エネルギー発電は、現状でも化石燃料による電力供給システムよりはるかに大量の鉱物資源を浪費し、化石燃料による電力供給システムと同等かそれ以上の化石燃料の消費が必要であり、利用すべき必然性がありません。メーカーにとって化石燃料による電力供給システムよりも沢山儲けることができるという経済的な理由が唯一合理的な説明なのです。


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