このホームページでは、風力発電や太陽光発電をはじめとする再生可能エネルギー発電は発電技術として無意味であることを主張しています。風力発電では、陸上でさえ経済的に成り立つ可能性がなく、特に自然環境が厳しい洋上風力発電所では、
@風車建設のコストが陸上風力に比べて飛躍的に大きくなる
A常時潮風にさらされる風車では塩の付着によって劣化が著しくメンテナンスコストが大きくなる
ことから、まったく合理性がないことを主張してきました。
さて、福島原発事故を引き起こした東北地方太平洋沖地震の復興という名目で、東北地方を一大再生可能エネルギー発電の先進地にするという名目で、本来の震災・原子力発電所事故の地道な復興事業とはかかわりのない再生可能エネルギーメーカーを肥え太らせるために莫大な国家予算が湯水のように投下されてきました。これについてはすでに何度かこのコーナーで批判してきました。
No.718 (2012/02/07)
震災復興予算を食物にする海洋発電
No.725 (2012/03/07)
震災復興予算を食い物にする洋上風力発電
No.913 (2014/01/04)
震災復興予算を食い物にする「ふくしま未来」
再生可能エネルギーに群がるコングロマリットの正体
冷静に技術的に考えれば、初めからその合理性を疑うべき事業でしたが、参加企業は目先の金儲けのために、震災復興という錦の御旗のもとに大盤振る舞いされる国家予算に群がったのです。その結果が明らかになってきました。昨日の大分合同新聞の記事を紹介します。
大分合同新聞2018年10月27日朝刊
記事によると、7000kW(7MW)出力の風力発電装置の建設コストは152億円=152×108円です。仮にこの風車が正常に稼働したものとして、設備利用率15%、耐用年数15年間とした場合の生涯発電量は次の通りです。
7000kW×15%×24h/日×365日/年×15年=1.3797×108kWh
したがって、この風力発電による発電原価は、ランニングコスト、メンテナンスコストをゼロとしたとしても
152÷1.3797≒110円/kWh
ということになります。私たちが買う電力料金が20円/kWh程度ですから、途方もなく高価な電力ということになります。これは同時に、私たちが使っている火力発電電力に比較して洋上風力発電が圧倒的に大きな資源とエネルギーを浪費していることを示しています。
いい加減に愚かな再生可能エネルギー発電に対して、冷静で科学的・合理的な評価を行うべき時期に来ていると考えます。
このホームページでは、福島原発事故による福島県を中心とする地域の放射能汚染状態に対する国や地方行政の規制基準が低すぎることを繰り返し述べてきました。特に、妊産婦や子供を含むすべての住民の居住地への帰還基準を20mSv/年とする基準はあまりにも高すぎることを批判してきました。また福島を中心とする東北地域の農産品を域外に拡散すべきではないとも訴えてきました。
日本国内ではこのような批判を行うことは福島県やその産業、住民に対する『風評被害』を助長するとして、まるで非国民扱いされる状況が国・行政・マスコミによって作り上げられてきました。
そのような中で、昨晩から今朝のNHKのニュース番組で、「珍しくまともな(笑)」な報道がありました。NHKニュースウェブから紹介します。
国連人権理事会が任命した特別報告者が、25日の国連総会で、福島の原発事故を受けた日本政府の避難解除の基準ではリスクがあるとして、子どもたちの帰還を見合わせるよう求めました。これに対して、日本側は、国際的な専門家団体の勧告に基づいていると反論し、日本側との立場の違いが浮き彫りになりました。
国連の人権理事会が任命したトゥンジャク特別報告者は、25日の国連総会の委員会で、東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、日本政府が避難指示を解除する基準の1つを年間の被ばく量20ミリシーベルト以下にしていることについて「去年、人権理事会が勧告した1ミリシーベルト以下という基準を考慮していない」と批判しました。
これに対し、日本政府の担当者は、この基準は専門家で作るICRP=国際放射線防護委員会が2007年に出した勧告をもとにしており、避難指示の解除にあたっては国内の専門家と協議して適切に行っているとして、「こうした報告が風評被害などの否定的な影響をもたらすことを懸念する」と反論しました。
この反論に、トゥンジャク特別報告者は、同じ専門家の勧告で、平常時は年間の被ばく量を1ミリシーベルト以下に設定していると指摘し、これを下回らないかぎりリスクがあるとして、子どもたちや出産年齢にある女性の帰還は見合わせるべきだと主張し、日本側との立場の違いが浮き彫りになりました。
政府「指摘は誤解に基づいている」
トゥンジャク特別報告者の批判について、政府の原子力被災者生活支援チームは、「ICRPの勧告では避難などの対策が必要な緊急時の目安として、年間の被ばく量で20ミリシーベルトより大きく100ミリシーベルトまでとしていて、政府は、そのうちもっとも低い20ミリシーベルト以下になることを避難指示解除の基準に用いている。また、除染などによって、長期的には、年間1ミリシーベルトを目指すという方針も示している」と説明しています。
そのうえで「子どもなどの帰還を見合わせるべき」という指摘については、「子どもたちに限らず、避難指示が解除されても帰還が強制されることはなく、特別報告者の指摘は誤解に基づいていると言わざるをえない」と反論しています。
このホームページのスタンスとしては、一貫して次のように主張しています。確かに放射線被曝に対しては、急性症状あるいは確定的影響があらわれる閾値と考えられている100mSvよりも低い被曝、いわゆる低線量被曝の確率的な影響については評価がまちまちであることは事実です。科学論争になれば水掛け論になることが避けられません。したがって、科学的議論ではなく、法治国家である日本の放射線防護に対する法体系に沿って対応すべきだと考えます。
日本の放射線防護の法体系では、放射性物質を取り扱う事業所と一般的な市民生活が営まれる地域の境界において1mSv/年を超えてはならないことを求めています。つまり、一般公衆に対する被曝線量は1mSv/年を超えてはならないと定められているのです。これが今回の記事で国連特別報告者の主張の根拠です。
さらに、連続する3か月で1.3mSvを超える場合、年間に換算すれば5.2mSv/年を超えるような場所は「放射線管理区域」に指定して、一般公衆の立ち入りを禁じ、たとえ労働者であっても18歳未満は一切立ち入りを禁じられています。
以上の日本の法体系に照らせば、放射能汚染地域への合法的な帰還基準は、最も高く見積もったとしても、
@成人については、5.2mSv/年未満の地域
A18歳未満の子供、妊娠の可能性のある成人女子については、1mSv/年未満の地域
でなければならないのは当然です。
日本政府担当者が言うICPRの基準は、原子力事故時に対する放射線被ばく限度を法制化していない日本において、事故後の一時的な緊急時に対して緊急避難的に運用すべき基準です。居住地域への帰還はあくまでも日常生活への復帰を意味していますから、ICRPの基準ではなく、あくまでも日本の放射線防護に対する法体系の中で対応すべきものであって、日本の担当者が主張した日本政府や行政の主張は詭弁です。彼らの主張は、福島原発事故による放射能汚染地域の住民は一般の日本国民の持っている「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という生存権を制限される、あるいは日本の国内に無法地帯が存在することを容認しているのです。
まして、国連の1mSv/年という勧告が『風評被害をもたらす』などという主張は、詭弁であり、実際の放射線汚染地域の危険性を隠蔽するための主張であり、断固糾弾すべきであると考えます。
No.1238では琉球大学で開かれる日本科学者会議の全国大会の「E4分科会:辺野古の地盤・環境問題」で講演する掲題の原稿案を公開しました。今回、中本さんがこのホームページの多くの読者を想定して、数学的な表現を除いたうえで、内容の厳密さを損なわない形のレポートに書き直してくださいましたので公開いたします。
厳密な流体力学的な内容については、専門家ではない私たちには理解できない部分が多いのですが、これについては本ホームページで中断している中本さんの連載において平易な解説をお願いしてみようと思います。
われわれは流体力学と如何に付き合うか?
1.序
我々が日常で観測する流体の巨視的現象はしばしば乱流の状態です。ところが、防衛省が行った大浦湾の流れのコンピューターシミュレーションは、海水は上下方向には移動せず、ゆっくり水平方向に流れ、米軍新基地建設工事で発生する懸濁汚濁物質を水平方向に移動させる仕掛けがしてありました。「油を流したような静かな海面」という言葉を思い出すぐらいの、静かな大浦湾で未来にむけた米軍基地を建設するのだと日本政府は希望したのでしょうか。しかし、NHKテレビで「勇敢な海猿」と褒められた国土交通省の屈強な官僚は、「そうではないこと」を知っています。沖縄の青少年少女たちは、「出鱈目なインチキが平気で通用すること」を不思議に思っているのかも知れません。本講演では日本政府の意図を忖度した環境アセス会社の科学者が行った「大浦湾の流動予測」のインチキと「大浦湾の浮遊物拡散」のインチキの背後に隠れている流体力学の現象論の構造を調べ、我々が流体力学をどのように使えば我々が世界を知る(認識する)方法を手に入れられるかを議論します。
2.
流動予測のインチキ――静かな海中における静水圧近似と長波方程式という理想化
防衛省が沖縄県に提出した米軍基地建設工事で発生する大浦湾の汚染シミュレーションでは、風波やウネリやさざ波のような1000秒以下の時間尺度の波動運動を禁止する流体力学方程式(職業科学者界の業界用語では通称“長波方程式”と呼ばれる)が使われています。長波方程式では海から海底までどの深さでも、流体粒子に働く重力と流体粒子に働く浮力が釣り合っています。この時は海面から海底まで全ての深さで流体粒子の上下方向の速度はゼロで、この時の水圧は静水圧とよばれます。従って長波方程式は風波やウネリやさざ波のような1000秒以下の時間尺度の上下運動は発生させません。日本政府の委託を受けた環境アセス会社の科学者は、長波方程式が生み出す水平方向の流れで浮遊物を水平方向に移動させて、浮遊物の流れる軌跡をコンピュータで描いて見せたのです。長波方程式が産みだす水平方向の流れはゆっくりしすぎて乱流拡散には役立ちません。したがって環境アセス会社の科学者が水平方向の流れで移動させた汚濁物質の濃度は誤っています。「ゴミを入れればゴミしかでてこない」という計算科学の諺に環境アセス会社の科学者は気が付いていたかもしれません。本来の自然環境では流体中の浮遊物粒子は3次元の移流や分子拡散はもちろんのこと、水平方向の移流効果の上下方向への差による上下方向の混合拡散のほかに、最も重要な拡散が乱流拡散だからです。
3.
汚濁物拡散のインチキ――流体力学系の構造不安定性が未来予測を無駄にする
日本政府から受託した環境アセス会社の科学者は「米軍基地建設工事中の大浦湾の海水の汚濁防止に努める」ことを目指すから「大浦湾内の汚濁物質濃度が水産用水基準2ミリリットル/m3以内に抑えることができる」と主張します。環境アセス会社の科学者は「汚濁の防止に努める」「懸濁物質」「SS濃度」と言う業界用語をあちらこちらで使い濫用します。
1900年のベナールによる対流実験、アンシュタインのブラウン運動の論理、フォッカープランク方程式の論理から、ランジュバン方程式の思想の奥底に流れる、マクロな古典的多体粒子力学の歴史は、これらの数学的普遍言語の奥底に我々の自然認識法の論理が存在することを示します。我々は米軍新基地建設工事で発生する「汚濁防止に努める」ために、「我々の認識した現象を表現する方法としての普遍言語(その場だけで人を騙す汚い言語ではない言語)」を厳密に定義することから議論を出発します。
環境アセス会社の科学者が言うSSとは何か?―浮遊する実体?実体とは物質か?物体か?粒子か?―粒子ならば大きさは?―まさか海水と化学反応した後の分子?(化学反応するならば2種類以上の成分粒子たちの移流と拡散を含む大変に困難な数理の難問になるのだ)。ここは、長年の現場経験を重ねた土木技術士の観察を基礎にしなければ、御用学者のインチキの水準にまで堕落するから、我々はこの種の堕落を恐れる。我々は「周囲の流体の運動を妨げないが、流体の運動で移動し、拡散する程度の大きさを持つ浮遊粒子集団」にニュートン力学を当て嵌めたフォッカープランクの式の見方に倣って、環境アセス会社の科学者が予言対象にしたSSとはマクロな粒子集団であると見做すことから出発します。
物理の言葉で表現すると集団(アンサンブル)は統計物理の概念です。統計力学はミクロな力学から出発して、マクロな熱力学の現象論と矛盾しないように作られています。マクロな熱力学の時間不可逆性をミクロ力学の時間可逆性から説明するのが統計力学です。我々は統計力学に倣って、ミクロ力学の時間可逆性とマクロ力学の時間不可逆性を抱えているナビエストークス方程式の仕組みを見ようとするのです。
流体中で浮遊物体とは粒子集団で、粒子集団の中の各々の粒子は時間可逆のニュートン力学に従っているのですが、マクロな観測対象としての粒子集団全体は不規則な外力を受けることになります。水面に花粉を浮かべると花粉は水を吸って破裂し、さしわたしが1ミクロン程度の微粒子を吐き出します。この微粒子よりも千倍か一万倍も小さい水の分子は量子力学に従って熱運動しています。多数の水分子たちに蹴とばされた微粒子は平均して10−7秒だけ走って止まり、また蹴られて走り出します。1827年にブラウンが見たのは水面に浮かんだ花粉の微粒子の位置の時間発展の現象でした。これがブラウンの現象論的な記述です。
ここで我々は、人間が花粉の微粒子の位置を観測する時間間隔を持ち込みます。人間が観測する時間間隔が花粉の微粒子の走る時間に比べて大きいと想像するのです。ブラウンの現象論的な記述の段階から議論をさらに進めて、我々人間の自然認識の段階では、ある種の一般化(または抽象化)された写し絵を我々が頭の中に描きます。この時、我々は観測対象を理解した(知った、認識した)などと言います。我々が観測するマクロ現象をある一つの枠組みで理解できるような現象の組に分類することで、「我々は世界が分かる、我々は世界を認識した」と言うのかもしれません。アンシュタインのブラウン運動の思想は観測されたマクロ現象論をランジュバンの意味での確率過程として数学的普遍言語で表現されたのです。これが拡散方程式と呼ばれて、大気汚染や海洋汚染などの環境問題の解釈だけでなく、実用的な確率統計の応用に広く愛用されていますが、現実に観測された汚染物濃度に合わないことが多いのです。我々は「拡散方程式は正しいのだが、観測の側に落ち度がある」とか、「現実の自然環境はブラウン運動以外の外部擾乱がある」とか、「浮遊物の存在が外部擾乱をかき乱すのだ」とか言い訳をすることがありますが、ここでは我々が愛用する流体力学系の微分方程式がなぜ「構造不安定なのか?」を問うことにより、マクロ尺度の現象論を流体力学系の数学言語で表現したときに失われた❶マクロ物理の現象論と、失われてはいないが元の流体力学方程式に隠された❷現象論(の脆弱さ)を再発見したいと思うのです。❶「マクロ物理の現象論」とわざわざ言及するのは、流体力学系の中の2つの偏微分方程式が如何様にでも多種多様に現象論を変えてしまうからです。流体力学系で運動量保存を表すナビエストークスの式も、エネルギー保存を表す温度の拡散方程式(いや、物理の言葉では流体の熱伝導式と言った方がいい)も現象論的パラメータを含んでいます。この2つの現象論的パラメータの形を変えることにより、水も、水飴も、空気も、羽田空港の海底地盤も、米軍新基地建設工事中の大浦湾のマヨネーズ状の海底地層も、長い時間尺度で変形する海底地盤や地層も、重力で引き合っている宇宙空間の連続体の物資系でも、流体力学系で扱う対象になるのです。
しかし、流体力学系の2つのパラメータは流体粒子の密度ρと流体粒子の粘性νであるのが物理(モノのコトワリ)です。前者は流体力学系の慣性項に現れるので、偏微分方程式は非線形で時間可逆です。後者は流体力学系の散逸項に現れ、現象論パラメータの大きさ次第で非線形性を短い時間尺度で打ち消す役割りをする場合があるだけでなく、元々の決定論的な力学系の再帰性までをも長い時間では変えてしまう可能性があります。このことは3次元空間ではブラン運動型の拡散方程式の解が再帰しないことから想像されます。ブラウン運動の場合、花粉の微粒子の軌跡の統計分布は(数学言語で表現すると)ガウス分布になります。ナビエストークス方程式の場合は、流体粒子同士の粘性が運動量を散逸させます。この場合には、流体粒子の衝突時に流体粒子が過去を忘れるのか、そして離れた流体粒子同士の運動量に相関があるかが問われます。流体力学系の微分方程式に現れた時間不可逆の散逸パラメータの測定法ははっきりしています。現在我々が最も信頼できるマクロ流体の現象論的流体力学の記述方法は流体粒子の軌跡を追いかける統計流体力学の手法です。
かつてボルツマンが時間可逆性を持つミクロ粒子のニュートン力学から粒子集団の時間不可逆性を導く際に、衝突時の時間空間での相関を無視し、大変な批判を浴びました。乱流粒子の時間空間相関は我々のマクロな軌跡データの統計モーメントに現れます。統計モーメントは1次モーメント、2次モーメント、3次モーメント、、、、のようにモーメントの次数が増えれば増えるほど、短時間での激しい変動を表します。ガウス型で拡散する拡散方程式の解は3次モーメント以上の高次モーメントが消えてしまうのです。このことはブラウン運動をする粒子は過去の記憶を失っているということを意味しています。大気汚染や海洋での拡散実験での浮遊物質濃度はガウス分布から大きく外れます。これは時間空間尺度がズート大きい太平洋の海洋乱流拡散実験や浮遊浮きの軌跡を追跡したデータにも表れています。
ナビエストークスの式の散逸パラメータは流体粒子同士の衝突によって、流体粒子の運動量が系の環境に散逸する性質を表します。流体力学系の方程式が脆弱であるのは❶非線形性と散逸性の矛盾が現象論的パラメータの形式に大変に敏感だからです。矛盾というのは非線形性と散逸性が互いに対立した働きをするということです。例えば、非線形性と散逸性だけを持つバーガーズ方程式では慣性を表すパラメータも散逸性を表すパラメータも、時間空間に依存しない定数ですから、非線形性が散逸性と釣り合うような変数変換が存在します。そして非線形の微分方程式が線形微分方程式になり、並進する段波を表現する厳密解が存在するのです。
しかし拡散係数が時間と場所の関数であったり、浮遊物質が水粒子集団に混ざって移流する場合は、流体の現象論的パラメータに隠された時空依存性が微分方程式の可積分性を変えることがあります。また拡散係数は濃度の流束(フラックス)の性格を引きずるので、拡散係数が時空間で変化する濃度の関数になる場合もあります。散逸項が直ちに非線形性を産みだすわけです。例えば、段波の端と共に並進する点の流束は、段波の並進速度座標に一致するはずですから、段波の波頭の時間発展式を変形バーガース方程式と呼ぶことにすると、変形バーガース方程式は可積分でガウス型ではなく時空を旅する波動型の厳密解が現れるのです。現象論的なパラメータの時空構造が微分方程式の時間可逆性を変えたのです。流体力学系の微分方程式には❷非線形性にも散逸性にも現象論的パラメータが含まれ、❸互いに相手側の微分方程式によって(現象論的パラメータは)時空発展します。現象論的パラメータ推定の仕方によって現象論的な流体力学系を構成する微分方程式の解の性格は多様な変化をするのです。
4. 我々は流体力学と如何に付き合うか?――教訓:数学言語の構造と現象認識の物理様式に見落としはなかったか?
流体力学方程式の現象論的パラメータは解の挙動を本質的に変えます。運動量の保存則とエネルギーの保存則が相手側の現象論的パラメータの構造を変え、微分方程式の数学構造を変えるのです。現象論的パラメータに隠された物理がマクロな現象論を変えるのです。ご都合主義で安易な現象論パラメータを使うことを拒否し、現象認識の(物理)様式と数学言語の普遍構造を見直すことによってはじめて我々は流体力学を信頼することができるのです。
日本科学者会議全国大会「E4分科会:辺野古の地盤・環境問題」講演原稿案
中本正一朗 元地球科学技術総合推進機構主任研究員
参考:流体力学方程式の解説(2017.08.31) 中本正一朗
最近、環境問題として注目されているものに、海洋のマイクロプラスチックごみ汚染の問題が挙げられます。今回は、「環境問題と人為的温暖化・再エネの虚妄」という連載を始めたところですので、かかわりのある問題として“番外編”として、この問題について、少し詳しく触れておこうと思います。
マイクロプラスチックごみの生成過程は、今更説明の必要もないのでしょうが、環境中に投棄されたプラスチック製の容器が、紫外線にさらされ経年劣化し、物理的な外力によって次第に破砕されて細かくなったものです。
日本政府は、マイクロプラスチックごみ対策の一環として、2020年からレジ袋の有料化を義務付けるそうですが、これはまったく無意味な対応です。第一、プラスチックごみ全体に占めるレジ袋の割合は数%程度であり、量的にみて有効ではなく、また、買い物をする消費者としてはその利便性から有料になっても使い続ける可能性が高いからです。
マイクロプラスチックごみが大量に発生する根本的な原因は、現在の工業生産に支えられた市場経済において梱包資材・容器としてプラスチックが使いやすい材料であり、大量に生産されていることです。そして、利用価値を失ったプラスチック容器などの後処理に失敗したことが第二の原因です。
まず、そもそも地球の表面環境の恒常性がいかに保たれているのかを考えることにします。
定常系としての地球(近藤著「温暖化は憂うべきことだろうか」2006年、p.24)
地球は太陽光を熱源として、大気・水を動作物質とする一種の熱機関です。水は地球重力に従って高い所から低い所に流れてやがて海洋に到達しますが、太陽光によって供給されるエネルギーによって蒸発することで重力に逆らって対流圏の上層に運び上げられます。水蒸気は対流圏上層で放熱して凝結して水(氷粒)となり、降水となって再び地上に戻ります。
この大気・水循環の中で物質が循環し、生命活動が営まれています。生命活動を含む物質循環によって増加した排熱は、大気水循環によって宇宙空間に放熱されるため、地表面環境の温度は安定した状態を保つことができます。
植物と動物で構成されている生態系について、もう少し具体的な循環構造を次の図に示します。
生態系の活動(前掲書 p.29)
第一生産者としての植物が大気中の二酸化炭素と水を原料として、太陽光から供給されるエネルギーによって炭水化物を合成します。動物は植物ないし他の動物を食料として摂取して活動を行います。植物や動物の死骸や排泄物は小動物、細菌、バクテリアなどによって二酸化炭素や無機物に分解されて再び生態系の材料として循環し、排熱は大気水循環で宇宙空間に放熱されます。こうして生態系を含む地球の表面環境は不断に更新されながら定常性を保っています。
人間社会も、農耕文明まではこの地球の生態系の一部を構成する存在でした。農耕文明であれば、地球の表面環境の定常性に対して大きな問題は起こらなかったかもしれません。ところが工業文明によって状況は一変します。
工業生産システム(前掲書 p.30)
工業生産では、それまで地表面環境に存在しなかった化石燃料や鉱物資源を掘り出して利用するようになりました。工業生産過程、あるいは工業製品の使用で発生する排熱については、大気水循環で宇宙空間に破棄されます。それでも地表面付近、特に都市部においては熱バランスが変化して局所的な気温上昇を引き起こしています。
しかしもっと大きな、そして本質的な問題が工業生産過程から発生する廃物であり、あるいは使用期限が過ぎた後に廃棄される工業製品です。長期的に見れば、工業生産システムとは、地下資源を掘り出して、これを排熱と廃物(使用期限が過ぎた工業製品を含む)にして環境にばらまくシステムです。工業廃物は元々地表面環境には存在しなかったものであり、生態系の物質循環・処理システムにはなじまず、地表面環境を汚染することになるのです。これが環境問題の本質です。
さて、そこで工業文明を安定的に運用し、継続させるためには何が必要か、ということになります。工業文明と言えども、人間は雑食性の動物であり、生態系なしには生きていくことができません。したがって、工業生産システムと生態系が持続可能な形で共存していくことが必要になります。
問題解決の道は明白です。工業生産によって生じる生態系で処理不能であり、あるいは生態系に負の影響を与える工業廃物を、生態系から隔離することであり、あるいは工業的な手段で生態系で処理可能なものにすることです。前者の典型的なものが「核廃物」です。
工業廃物処理の一つの手段として、廃物を再利用することで環境に廃棄する廃物量を減らす工業的リサイクルという方法がとられています。これは、生態系のように工業生産システムを循環システムにしようという試みです。
工業的リサイクル(前掲書 p.36)
しかし、工業的リサイクルとは、本質的には地下資源を消費しながら行われる工業生産過程の一種であり、原料資源の一部として一旦工業生産システムから廃棄された物を再利用しているだけです。生態系のような循環システムにはなりようがありません。
もともと、有用な工業廃棄物は独自の市場を持って利益を得ながら営まれていました。私が子供のころ、半世紀くらい前までは、「屑屋さん」が時々回ってきて古本や新聞紙、鉄屑、銅線などを有償で買い取ってくれていました。屑屋さんに引き取ってもらえるものであれば、廃棄物も商品として買い取ってもらえたのですから、子供たちも鉄屑を拾うことはあっても捨てるようなことはしませんでした。
ここで、有用なリサイクルと無意味なリサイクルがあることが重要なポイントです。有用なリサイクルとは、工業生産過程において、バージン資源を利用するよりも低コストで同等の製品価値を生むようなリサイクルです。したがって、商品価値があり、市場が成立するのです。
例えば、鉄屑や銅線であれば、バージン原料を使って製鉄、精錬を行うことに比較すると、ただ溶解するだけで即座に製品となるのですから、とても安上がりです。この安上がりという意味は経済的な意味だけではなく、物理現象として重大な意味を含んでいます。安上がりということは、それだけ製品製造に投入する地下資源量やエネルギー量が節約され、したがって工業生産過程から生じる廃物量も少なくて済むことを意味しているのです。
ところが、環境問題が注目され始めると無意味なリサイクルが始まります。工業的に有用であることよりも廃物量を減らすことに主眼が置かれるようになりました。その結果、無意味なリサイクルは伝統的な屑屋さんのリサイクルとは異なり、ごみを出す方がリサイクル処理業者に処理費を支払う「逆有償」になったのです。
これは当然のことです。工業的にも再資源化に大きなコストがかかり、バージン資源を使うよりもはるかに高コストで、したがって再資源化の過程で多くの資源とエネルギーの投入が必要であり、しかも雑多な混入物のために低品質の製品にしかならないからです。
近年、特に工業製品は複合材料で作られたのもが多く、しかも微細な構造をもったものが多くなっています。リサイクルにはますますコストが大きくなります。
そこで適正なリサイクルとは何かを考えます。これは既にお判りの通り、経済的、物理的に有効なリサイクルが可能な=経済価値のあるリサイクルのみを行い、それ以外の工業廃物はごみとして処分すべきなのです。
さて、やっとマイクロプラスチック問題に戻ってきました。現在の非生物系のごみの多くを容器用のプラスチックごみが占めています。しかもプラスチックは材質がばらばらであり、再資源化には膨大な手間がかかり、しかもリサイクル製品の品質は低品質にならざるを得ません。したがって、仮に需要があったとしてもそれほど多くを処理することは望めません。
現実的には、リサイクル業者の倉庫には行き場のない回収プラスチックが山積みとなり、海外へ輸出していましたが、中国が引き取りをやめるや否や処分のしようがなくなってしまいました。これではやがて不法投棄が拡大してマイクロプラスチックごみは増えるばかりです。レジ袋の有償化など何の本質的な改善にもなりません。
ではどうすればよいのか?答えは明白です。リサイクル資源として活用可能な少量のプラスチックは有償でリサイクルを行い、リサイクル資源として市場価値のないプラスチック廃物は資源ごみではなく、本来のごみとして処理すればよいのです。
回収したプラスチックごみはそのまま埋設処分するのではなく、ごみ発電プラントの燃料として燃やすことで大部分を生態系で処理可能な排熱と二酸化炭素に分解し、おまけに電力を得ることができるのです。残った灰はボリュームが小さくなるので安定化処理して埋設処理すればよいでしょう。場合によっては、ごみ発電燃料として有償で引き取ることも可能かもしれません。そうすれば市場経済の中で商品価値を生むかもしれません。
プラスチックごみを焼却処分するという、きわめて合理的な処分方法に対して足かせとなっているのが「人為的CO2地球温暖化仮説」に基づく『温暖化防止対策』の非科学性ですが・・・。この問題は本編の連載で改めて取り上げることにします。
No.1237 (2018/10/17)
環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄@
No.1245 (2018/11/22)
環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄A
沖縄の中本正一朗さん(元地球科学技術総合推進機構主任研究員、元沖縄高専教授:海洋工学)から、メールと論文原稿をいただきました。中本さんは、ライフワークとして温暖化シミュレーションをはじめとする流体力学シミュレーションの誤りを理論的に明らかにする仕事をなさっています。
尚、いただいた論文はホームページ公開用に編集したため、ページ数など多少変更がありますのでご了承ください。
以下、メールと論文要約を紹介します。論文本編には末尾のリンクをクリックしてアクセスしてください。
皆さま
出来立てほやほやの原稿5枚を添付いたしました。
最初の4枚は12月9日の9時30分から10時まで、琉球大学で開かれる日本科学者会議の全国大会の「E4分科会:辺野古の地盤・環境問題」で講演するための原稿案です。
5枚目は、数学を嫌いな人に読んでいただけるように、数学式を使わないで随筆風に書きました(論文要約として掲載:近藤 註)。
皆様からのご感想をいただけましたら、幸甚です。
追伸:
沿岸海洋学で愛用されている静水圧近似と長波近似した長波方程式を今回は批判しました。
実は、静水圧近似と長波方程式は大気大循環モデルの神髄(基本柱、エッセンス)です。12月の私の(米軍基地建設工事で発生する汚濁シミュレーション批判の)講演で私は
「地球尺度の気候モデルの神髄が静水圧近似で、同時に実用的沿岸海洋学でも神髄(バイブル)も静水圧近似であること」
「流体力学系の2つの連立編微分方程式を構造不安定にする原因が2つの現象論パラメータであること」
という観察に基づいて
「水平尺度の異なる現象の間の数学言語の構造(時間不可逆性)と時間発展式に埋め込まれた2つの現象論的パラメータの物理」
を見直すことによって、我々は
「現象論としての流体力学の誤った使い方を見抜くこと」
そして
「数学的普遍言語で表現した偏微分方程式が不可積分系であっても、現象論の物理(ものごとの論理)が現象論的パラメータを時空依存にすることができるのなら、可積分系になること」
を示しました。その一例は
「並進する段波の端(波頭)での非線形拡散方程式(バーガース方程式)には厳密解が存在すること」
です。
これが意味することは、
「現象論的流体力学の便利な面と、同時に流体力学系の脆弱性です。」
便利だと言うのは
「2つの現象論的パラメータを決めてやれば、液体でも気体でも、水飴でも、羽田空港の底の軟弱地盤でも、辺野古の米軍新基地建設予定のマヨネーズ状の海底地層も、宇宙空間に充満するモノもシミュレーションできる」
ことで、脆弱だというのは
「流体力学系の微分方程式の可積分性が、2つの現象論的パラメータの大きさと形状(時空依存性)にたいして不安定だ。つまり、数学的普遍言語表現が脆弱だ」
ということです。
槌田敦さんはこのことを直感的に見抜いていたのかもしれないと私は今ごろになって想像しています。2006年に高千穂大学で開かれたCO2温暖化公開討論会で槌田敦さんは物理の直観を発揮して、
「気候温暖化シミュレーションの神髄は対流圏の断熱減率だ」
と鋭く激しく指摘しています。そして物理学会の領域13環境物理分野では
「温暖化シミュレーションは似非科学」
とまるで「ワンフレーズ・コイズミ」のように簡単な言語を使って批判しました。しかし、政界で小泉純一郎が起こしたような小泉効果は出ませんでした。
また東大総合文化研究科大学院を卒業した直後に、旧科学技術庁の地球シミュレーターの運転をしていた江守正多氏(現環境研究所)は、高千穂大学での公開討論会で槌田さんが指摘したことの物理(ものごとの論理)を理解する努力をしないままに、職業科学者世界で成長したために、現在はNHKテレビや日経新聞やインターネット動画では、人を見下す芸能タレント並みの役割を果たします。
私が沖縄に移住した2006年以来、私は、この国の巨大マスメデアが、
「国策巨大研究事業としてのCO2温暖化は生涯にわたる善良な国民再教育」
と称して、朝から晩まで、洗脳(パブリック・リレーションと呼ばれるプロパガンダ)しまくるのを見て来ました。私は
「これらのPR番組で活躍する科学者たちは、現象論としての流体力学の形成過程を学びたくないのだ」
と思うようになっていました。
この国の科学者たちが、地球科学や海洋気象科学などの特に実用を重要と巨大国策研究をしているうちに、いつのまにか御用学者に転落していく仕組みを、1990年以来私は見て来ました。
そして現在2018年に私は、国策科学が流体力学を歪曲するのは、単に科学者の良心の問題だけでなく、
「現象論としての流体力学の中に誤って利用されやすい欠陥(理由)がある」
ような気がしているのです。
私は地球温暖化の旗振りをしているスクリップス海洋研究所のサマービル教授を良く知っています。
しかし私は、政治的発言が中心になるサマービル教授ではなく、現実に観測された現象論から始まるMITのリンツエン教授の議論に説得されています。
2006年の槌田さんの鋭い直観が、この国で広く大衆に伝わらなかったのは、槌田さんが使った「気候温暖化シミュレーションは似非科学」という指摘の深層を流れる現象論的な自然認識の思想を我々が十分に理解できなかったことにも原因があるのだと私は思います。
これは特にIPCCで大活躍したモーリス・ストロングMauris Styrong
https://www.youtube.com/watch?v=Qu_XGuP_LY8&list=PLEF14D72CA3E89F08&index=4
https://www.youtube.com/watch?v=1YCatox0Lxo&list=PLEF14D72CA3E89F08
やポール・エーリック教授Ehrlich
https://www.youtube.com/watch?v=ZS6EGoTuWNY
ホルデレン教授Holdren
https://www.youtube.com/watch?v=ttvCwQuFhk8
https://www.youtube.com/watch?v=irdSTt4dO0w
の行動を見て私が学んだからです。
辺野古に米軍新基地建設工事の環境アセスを実施した環境アセス会社「イデア」の科学者はおそらく理学部の気象学や海洋学や工学部の土木工学や海洋工学や沿岸海洋学、もしかしたら物理学科の人たちかもしれません。
この環境アセス会社「イデア」は、環境保護運動や盛んになる1990年代までは旧名称「新日本海洋気象株式会社」を名乗って、国立大学の停年教授や、停年した国家官僚たちを雇用したはずです。
中本正一朗
論文要約
1.歪曲された現象論
平坦な海底で、しかも浅い海で、海面から海底まで風でかき混ぜられた直後に、上空の風がぴたりと止んだ時の海の状態を、昔の人たちは凪(なぎ)と呼んでいました。凪の日は大気もまた穏やかで、上空に吹く水平方向の微風が海面上の水粒子を水平方向に静かに移動させます。沖合からは潮汐流が大浦湾の海面から海底までの水柱を水平方向に移動させます。職業科学者を含む有識者階級たちは「複雑な現象から本質を抽出する」、「観測事実から本質を取り出す」などと言い訳して世界を捻じ曲げる技法を振り回す事件は過去2000年の歴史に度々ありました。日本政府から受託した環境アセス会社の科学者は「米軍基地建設工事中の大浦湾の海水の汚濁防止に努める」と言い、「米軍基地建設工事で生じる汚濁物濃度を水産用水基準2ミリりットル/m3以下に抑えることができる」と主張します。防衛省が沖縄県に提出した公有水面埋め立てに関する環境影響調査報告書(以下では環境アセスと略称します)には、米軍基地建設工事で発生する懸濁物濃度をコンピュータシミュレーションで推定した方法が書かれています。「大浦湾の太平洋側からの影響を遮断した閉鎖湾内の海水粒子に潮汐を引き起こす体積力と、海上の風が産みだす、水平方向の流れが原因で米軍基地建設工事で生じる汚濁物濃度が変化する」というのが(日本政府の意図を忖度した)環境アセス会社の科学者が採用した大浦湾の汚濁物予測方法です。しかし、現実の米軍基地建設工事で発生した汚濁物質は長波方程式が産みだす水平方向の流れで水平方向に移動するだけではありません。水平方向の流れしか産まない環境アセスの長波方程式では風波やウネリやさざ波などの運動で生じる上下方向の流れは表現できません。従って、微小時間の微少運動で上下左右に拡散する現実の大浦湾の浮遊懸濁物の濃度は表現できません。
2.
構造不安定な現象論としての流体力学
自然界の流体運動ではサインコサインの波(正弦波)を眼にすることはありません。浜辺で見る海は、遠くからうねりが押し寄せ、波頭が崩れて白波が立ちあがります。風が強くなると流体粒子の粘性は海底の砂も引きずります。雨が降ったり、河川の流入や、朝から昼、昼から夜,夜から翌朝へ日照が変化すると、流体粒子の密度ρも時間と空間で変化します。湾内に浮遊する粒子集団の拡散シミュレーションを国家官僚から受託した環境アセス会社の科学者は流体力学方程式の2つのパラメータが引き起こす困難を知っていたのかもしれません。彼らが書いた環境アセスには、流体力学方程式から計算したままの流速を移動係数にして、浮遊する物体の大きさや種類を無視したままで拡散係数を定数に設定し、コンピュータ計算を行い、湾の大部分で浮遊物濃度を水産基準以下に抑えることが可能であると主張しています。そこでは、湾の工事で発生する浮遊物が水平方向の潮汐流だけで移動し、湾の乱流拡散係数を場所にも時間にも無関係な一定値にしていますが、その根拠は環境アセス報告書にどこにも書かれていないのです。物理の眼鏡で見る限り、流体力学系は流体の密度パラメータρが意味を持つ貫性項の非線形性と、粘性パラメータνが意味をもつ粘性項の散逸性を含んだ(本来の自然現象論ではρとνが時間と空間に依存する変数係数の)連立微分方程式です。流体力学系の連立微分方程式が構造安定であれば心配はいりません。構造安定とはパラメータの微少変化にたいして流体力学系が安定している(結果が大きく変化しない)ということです。ところが、流体力学系の連立微分方程式(の結果)を不安定にする2つの原因は、非線形性と散逸性です。さらに厄介なのは、運動量保存則の中で非線形性は慣性項に由来し、散逸性は粘性に由来するので、運動量保存則の不安定性は2つの現象論的パラメータ(流体密度ρと流体の粘性ν)の微少変化が多重に輻輳(制御工学業界用語で表現する正のフィードバック)されることになります。ということは、現象論的なパラメータを2つ変えるだけで、多数多様な流体(たとえば空気、水、水飴どころか、時間空間尺度を解釈しなおせば、関西空港の地盤や、大浦湾海底のマヨネーズ波の地層や、宇宙空間を満たす巨視的物体まで)のゆっくりした流れを記述できるということです。しかし、ナビエストークス方程式がミクロな古典的多体粒子力学(原子論モデル)から厳密に導かれていないとこを覚えておくべきです。現象論的パラメータは調節パラメータではありません。流体密度ρも粘性係数νも測定方法は確立されています。いったん決めたパラメータを用いてコンピュータ計算した結果を、現実の観測結果に合うように、あとからパラメータを勝手にいじくる人がいますが、「パラメータを勝手にいじくることは現象論としての流体力学を台無しにしているのだということ」をいつになったら気が付くのでしょうか?
論文本編
中本正一朗 元地球科学技術総合推進機構主任研究員
参考:流体力学方程式の解説(2017.08.31) 中本正一朗
さて、先日大分県で最も四国電力伊方原子力発電所に近い大分市佐賀関の関崎に行く機会がありました。ここから眺めると豊予海峡を挟んで目の前に佐多岬半島を見ることができ、その稜線に林立する風力発電風車まで肉眼で確認できるほどの近さです。
関崎眼前の豊予海峡は瀬戸内海と太平洋の結節点の一つであり、海流が早く全国的にも知られるブランド魚「関サバ・関アジ」の獲れる豊かな海です。
伊方原発で事故が起こった場合、原発よりも佐多岬半島の先端に近い地域に住む住民は海路で大分市に避難することになっています。
佐賀関を訪れた目的の一つは、かつてリゾート開発による乱開発に対する反対運動に参加していた時の旧知の友人に久々に会うことでした。二十数年ぶりに会い、しばし楽しく語らったのですが・・・。
すでに何度かこのコーナーでも書きましたが、かつてのリゾート反対運動の参加者の多くは地球温暖化のバカ騒ぎにまんまと騙され、ある者は再生可能エネルギーの導入に積極的に奔走しています。関崎で会った友人の仕事場の辺りにも太陽光発電所を作らないかという話を持ち掛けてきたそうです。友人はきっぱり断ったそうですが、近くに代替地を見つけて太陽光発電所が建設されているようです。
蛇足ですが、この「ある者」は、伊方原発運転差し止めを求める大分県の裁判の原告の一人であるというから嗤ってしまいます。とにかく目立つのがお好きなようです。
さて、だいぶ前振りが長くなりました。このホームページにおけるカッコつきの『温暖化』=「人為的に放出された二酸化炭素による大気の付加的な温室効果によってかつて経験したことのないような急激かつ人類にとって脅威となる温暖化」についての議論は尽くされ、評価も確定したと考えています。このあたりでもう一度このホームページの原点に戻って、なぜ環境問題についてのホームページを開設しているのか、という本質的な問題意識を整理するとともに、温暖化バカ騒ぎと再生不可能な再生可能エネルギーの虚妄について、環境問題という視点から整理しておこうと考えます。不定期の連載として開始しようと思います。
最初に、そもそもこのホームページを開設した経緯について少しふれておきます。
だいぶ古い話になりますが、まだ私が鉄鋼メーカーに勤めていた35年ほど前に、室田武氏(当時一橋大学経済学部教授)の「雑木林の経済学」という本をたまたま手にし、その本の論理的な支柱が槌田敦氏(当時理化学研究所・熱物理学)の開放系に対するエントロピー理論に基づく「資源物理学」という理論体系であることを知りました。その後、槌田氏、室田氏、玉野井芳郎氏(東京大学・経済学)らによってエントロピー学会が創設され、私も会員となりました(その後、温暖化に対する認識の違いから、エントロピー学会を退会することになりました。)。
一方、私は現在の「週刊金曜日」が本多勝一によって創刊(1993年?)された、まだ週刊ではなかった当初からの読者でした。環境問題などの記事に対して読者欄に投稿することも少なくありませんでした。
1999年頃だったでしょうか、週刊金曜日でも温暖化に関する議論が掲載されるようになり、その解決策として、飯田哲也による再生可能エネルギーに関する特集記事が掲載されました。
しかし、当時すでに槌田敦や室田武の理論的な考察によって、太陽光発電や風力発電などの「再生可能エネルギー」と呼ばれる技術は、間接火力発電にすぎず、化石エネルギーを代替する能力はないこと、むしろ資源の浪費を加速するものであることが指摘されていました。
そこで、編集委員?であった本多勝一に飯田の論考に対するカウンターとして、槌田敦、室田武を論者とする特集企画を提案しました。本多はこの企画を了承し、私がコーディネーターとなって、企画の立案、槌田敦と室田武に対する打合せの全権が委ねられました。打合せが終わり、あとは両氏が原稿を書くばかりとなったのですが、当時の週刊金曜日編集部中枢に巣くっていた飯田シンパ?による横槍で、この企画は頓挫することになりました。本多に対して繰り返し考え直すように説得を試みましたが、企画が復活することはありませんでした。
週刊金曜日という不偏不党の自由な議論の場を目指すとしたメディアでさえ、決して不偏不党ではなく、実際には自由な議論はできないことを痛感し、自ら情報発信の手段を持つ以外に方法はないと考え、2000年6月にこのホームページを開設することになりました。
このようなわけで、このホームページの開設当初から、再生可能エネルギーの非科学性についての論議が、中心的な問題の一つであったわけです。これは、人為的CO2地球温暖化問題とのかかわり以前の工業技術の限界の問題として重要な検討課題でした。
その後、単なる気象学の出来の悪い仮説の一つにすぎなかった人為的CO2地球温暖化説が、研究費をだまし取りたい気象学者や、これと結託して大もうけを考える資本とによって、ついには国連を動かしてCOP3京都会議において数値目標を設定した具体的な政治課題に祭り上げられることになり、再生可能エネルギーも改めて脚光を浴びることになり、日本においても国家予算を浪費しながら政治的な圧力で強制的に導入が行われることになったことは、ご承知のとおりです。
さて、現在の国連気候変動に関する枠組条約締約国会議では、京都議定書に代わるパリ協定によって、批准国では2020年以降の数値目標が設定されています。日本は2030年までに2013年比で26%温室効果ガスの削減がうたわれており、日本政府は2050年には「実質的」な二酸化炭素放出量ゼロを目指すなどという途方もない大風呂敷を吹聴しています。こんなことを信じているのは日本の能天気でナイーブな庶民くらいなのではないでしょうか。
しかしながらこうした目標は画餅にすぎず、工業生産に基づいた経済成長とは全く自然科学的・技術的に整合性のないものです。現実的には温暖化対策を口実にして、むしろ工業生産規模を拡大させ、高額な環境技術=利益率の大きな工業分野の拡大を正当化し、経済的な負担を消費者に転嫁しながら企業収益を増大させることを目論んでいるとしか考えられません。その詳細については今後の連載で明らかにしていくつもりですが、今回は大局的な数値を紹介しておくことで現実を認識していただきたいと思います。
まず最初に見ていただきたいのは世界の一次エネルギー消費量の推移です(実績と予測値)。
下図は同じく一次エネルギー消費の1971年以降の詳細な変動傾向(実績と1930年までの予測値)です。「KTOE」とはK(キロ=103)tonne of oil equivalent=キロ石油換算トン(熱量換算)であることを示しています。
図からお分かりのように、産業革命以降、化石燃料を中心とする一次エネルギー消費は単調に増加傾向を示し、特に第二次世界大戦後に急激に消費量が拡大していることがわかります。
20世紀末に人為的CO2地球温暖化が叫ばれるようになり、京都議定書発効以降、再生可能エネルギーの導入が各国政府によって半ば強制的に行われるようになっても、一次エネルギー消費ばかりでなく、その中に占める化石燃料消費量も単調に増加し続けていることがわかります。
2007年から2010年にかけて一時的・例外的に下降傾向を示したのは、リーマンショックによる世界同時株安による不況の影響で世界的に工業生産量が一時的に縮小したことを反映しています。
2030年までの予測値においても一次エネルギー消費量の増加傾向には全く歯止めがかからず、増加の一途をたどることが予測されています。
さらに、一次エネルギー消費の内訳をみても、化石燃料消費量が占める割合は80%を越えており、その割合が再生可能エネルギーの導入によって近年急速に低下しているような気配はまったくありません。これが現実なのです。
ちなみに、化石燃料の中でも二酸化炭素放出量が多いとして目の敵にされている石炭ですが、その消費量の推移は2000年以降むしろ増加傾向が加速しているのです。
つまり、仮に人為的CO2地球温暖化が事実であったとしても、再生可能エネルギー導入によって、化石燃料消費を削減することで、温暖化に歯止めをかけるというシナリオは既に破綻しているのです。これは、すでに1990年代に槌田敦や室田武が考察したとおり、再生可能エネルギーは化石燃料消費なしに独立したエネルギー供給技術となることができないというきわめて当たり前の単純な主張が正しいことを事実が証明しているのです。
もしも本当にIPCCが警鐘を鳴らすように、CO2放出量が削減できなければ今世紀末には破滅的な高温化によって人間社会が脅威にさらされるというのであれば、化石燃料消費が増加傾向を示している現在の状況を看過できないはずであり、各国はもっと危機感を持って、何をおいても温暖化対策を国際政治の最優先課題として取り組むはずであり、それが責務でしょう。実際の現在の対応を見れば、要するに、「二酸化炭素放出による温暖化の脅威」は温暖化ビジネスを正当化するためのキャッチフレーズにすぎず、国家や企業は本気で信じているわけではないことを示しているということです。
現状の温暖化バカ騒ぎは、国連を舞台とする『人為的CO2地球温暖化』という大仕掛けの舞台装置による詐欺によって、問題の単純な本質を見失った愚かな大衆がまんまと騙されているということなのです。
それでは日本の国内事情はどうでしょうか?再エネ賦課金が導入され、積極的に再生可能エネルギー発電が導入され、再エネ賦課金の徴収量は毎年倍増してきましたが、一次エネルギーに占める再生可能エネルギーの割合はいまだに1割にも満たず、化石燃料が9割程度を占めているのが現状です。
しかし、この程度の再生可能エネルギー導入量でも、すでに電力会社は電力供給の安定供給を維持するためには、何らかの付加的な蓄電システムや高規格の広域送電線網の増強なしでは、再エネ発電の量的な制限が必要だとしています。
こうした再エネ発電を利用するためのインフラ整備のためにはさらなる化石燃料消費・その他資源消費量の増加が伴い、総合的な再エネ発電の発電効率はさらに低下することになり、とても化石燃料消費量を削減することなどできないことは明白であり、破綻は明らかです。
註)電力化率
一次エネルギーの内で発電に投入されるエネルギーの割合です。上図では、2014年度の電力化率は25.3%です。最終エネルギー消費に占める電力の割合を電力化率で近似出来るものとすると、電力供給量に占める再生可能エネルギー発電電力量を多めに見積もって5%とすれば、最終エネルギー消費に占める再生可能エネルギーの割合は25.3%×5%=1.265%程度です。したがって、仮に供給電力量の20%を再生可能エネルギーで賄ったとしても、最終エネルギー消費に占める再生可能エネルギーの割合は5%程度にすぎず、大部分は化石燃料で賄われることになるのです。
このような愚かな政策が推し進められている背景には、人為的CO2地球温暖化のバカ騒ぎと、これによって冷静で科学的な判断を怠ったことによって、非科学的な再生可能エネルギーが独り歩きしてしまったからです。
次回からは、環境問題を考える基本的な視点を再確認し、基本的な問題点を明らかにしていこうと思います。よろしくお付き合いください。
No.1239 (2018/10/24)
環境問題と人為的温暖化説・再エネの虚妄 番外編