これが、福島原発事故の以前において、菅直人以外の首相の発言であれば、歴史的な発言になったことは間違いないでしょう。
しかし、福島原発事故に対する対応において、今現在も放射性物質による環境汚染の実態の危険を隠蔽し続け、人命を軽視し続けている菅直人という人物が言ったところで、これは単なる延命ないし人気取りのための発言と理解すべきです。行動に論理的な整合性がありません。原発の怖さ・悲惨さを身をもって経験している原発事故被災者住民にすれば何と馬鹿にした発言だと、既に看破していることでしょう。
原発事故前は自民党政権以上に原発を推進すると公言し、事故直後には原発は維持していくといい、事故処理が思うように進まないと見るや、今度は脱原発宣言・・・。なんと軽い判断なのか、呆れ果ててしまいます。
今回の菅直人の発言によって、菅直人の軽薄な人格と『脱原発』という歴史的な重大な主張が一緒くたにされて葬り去られることを危惧します。
国や電力会社によって、原発停止による電力不足の恐怖宣伝が行われてきましたが、現実には自家発電設備を含めれば、原子力発電を即刻全て停止したところで十分な発電設備容量があることがわかっています。電力会社の送電線網を開放することで、電力需要は十分賄うことが可能です。
原発運転再開のための拙速なストレステストの導入など不必要です。まして自然エネルギー発電の導入など百害あって一利なしです。今は、とにかく原子力発電を全て停止した上で、震災・原発事故対応にこの国のもてる全ての機能を傾注すべきときです。
極めて重大な問題である脱原発を含む日本のエネルギー政策の議論は、少なくとも震災・原発事故収束の方向性がある程度目処のついた段階で、十分に時間をかけて議論を尽くすべき問題です。
脱原発は勿論正しい選択です。しかし、これを実現するためには廃炉、使用済み核燃料や放射性廃棄物処理等、まだ全くその技術的な方向性すら確立しておらず、非常に難しい問題を一つずつクリアーしていかなければなりません。また、私たちは脱原発を成し遂げたとしても、放射性核廃棄物とはほとんど永久に付き合っていかざるを得ないのです。
脱原発を含めたエネルギー政策の論議は一朝一夕で結論を出すべき問題ではありません。この震災・原発事故後の混乱した時期に火事場泥棒的に原発に代わる自然エネルギー発電の巨大利権を確立しようとする菅直人のような人物には即刻退陣していただきたいと、切に願います。
読者から太陽光発電についてのメールをいただきました。自然エネルギー発電に興味を持っている方であればおそらく誰でも聞いたことがあると思われる「エネルギーペイバックタイム(EPT)」についてのご質問です。
自然エネルギー発電についてのEPTについてはNEDO(独立行政法人
新エネルギー・産業技術総合開発機構)や産総研(AIST:独立行政法人産業技術総合研究所)が数値を公表していますが、これがとんでもない出鱈目な数値であるため、世間に混乱を引き起こし、脱原発のあとは自然エネルギー発電の導入などという愚かな主張を蔓延させる結果になっています。
まずいただいたメールを紹介します。
件名:ペイバックタイムの考え方について(2011.07.13)
はじめまして。私は現在、●●、■■で「たたかうあるみさんのブログ」という、共産趣味的鉄道オタクブログを運営している****というものです。(HNはもちろん「あるみさん」であります)
http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/
私は槌田先生や近藤先生の主張される「人間活動による二酸化炭素地球温暖化説は間違い」「自然エネルギーを工業的に利用することは、かえって化石燃料使用の増大をもたらす。」という考え方に全面的に同意するものであります。
ところで、拙ブログ記事において「同僚との電気に関する会話」において
http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-ea42.html
ある方から「太陽電池システムに投入するエネルギーより、取り出すエネルギーは少ないというのは間違い、最近の太陽電池では、ペイバックタイムは2年くらい」とのご意見をいただきました。(化学屋さんで、シリコンの溶融をより効率的に行う研究に携わっていたようです。)
私は「ちきゅう座」サイトに転載された近藤先生の記事「脱原発は科学的な必然(上)」のリンクを示し
http://chikyuza.net/n/archives/9835
いかに太陽光電池が石油および工業資源を浪費しているか示しました。(電力生産図)
すると、「その計算の前提のデータは古いのではないか?」と返され、産総研の「太陽光発電のエネルギーペイバックタイムについて」というサイトを紹介されました。http://unit.aist.go.jp/rcpv/ci/about_pv/supplement/supplement_1.html
この図1によりますと、1991年のモジュールと周辺機器への投入エネルギーは、平成19年(2007年)は約1/5にまで減っています。
そこで質問と私の疑問ですが
「脱原発は科学的な必然(上)」で示されたデータはいつのものか?ということと、産総研のデータ比較もひどいもので、91年のいわゆる「メガソーラー」と、家庭用モジュールを比較していること、家庭用モジュールにおける投入エネルギーは、あくまでもそのモジュール単体のみへの投入量であって、これらを「メガソーラー」的以下の、スマートグリッドを利用した「地域(工業的)」発電を安定的に行うために必要なシステムを構築するためのエネルギーが計算されていないのではないか?という疑問です。
ちなみに産総研のデータを近藤先生の電力生産図にいれてみると、投入石油は2円、固体設備は8円となり、10円kW/hで、火力発電と同等、固体設備・廃棄物がやや多くなるかという感じですね。あと、家庭用太陽光電池システムも、200万から4〜50万円ぐらいに値下がりし、今回の震災のような長期間電気が止まるときの家庭用バックアップ程度にはつかえそうです。
この点に関して、近藤先生のご見解をいただきたく、メールした次第であります。お忙しいと思いますので、返事は遅くなってもかまいません。
なにとぞよろしくお願いします。
次に私の返信を紹介します。
**** 様
■はじめまして、HP管理人の近藤です。「たたかうあるみさんのブログ」は時々拝見しております。
■ご質問の件についてお答えします。まず、
> 「太陽電池システムに投入するエネルギーより、取り出すエネルギー
> は少ないというのは間違い、最近の太陽電池では、ペイバックタイムは2年くら
> い」とのご意見をいただきました。(化学屋さんで、シリコンの溶融をより効率
> 的に行う研究に携わっていたようです。)
について検討します。
■EPR(エネルギー収支比)の定義ですが、当該発電プロセスの耐用期間中に投入された全てのエネルギー量の総和(発電装置製造過程で投入されたエネルギーも含む。:近藤追記)に対する、耐用期間(Tlifetime)中に生み出された総電力量の比率ということだと思います。つまり、EPR=Tlifetime/EPTということです。
■さて、まず常識的な判断として、EPTが定義可能、つまりEPR>1.0であるということは、私たちは工業的に利用しうる無限のエネルギーを得たことを意味します。つまり、エネルギー問題は解決したことになります。
■例えば、太陽光発電装置の耐用年数を17年、EPT=2年とすれば、EPR=8.5です。これは、工業的エネルギー1単位を投入することで8.5単位の電力量を得ることを意味します。この8.5単位のエネルギーを太陽光発電装置製造に投入することで、太陽光発電装置8.5単位が製造可能です。つまり、太陽光発電装置が存在しない段階で何らかの工業的なエネルギーを1単位だけ調達できれば、後は等比級数的に供給電力量は拡大できるのです。
■つまり、EPR>1.0などということを平気で言う輩の言うことなど嘘っぱちです(笑)。私たちが唯一つでもEPR>1.0となる技術を持つことができれば、この世からエネルギー問題は存在しなくなります。ただし、装置を製造するための鉱物資源が枯渇すれば別ですが。鉄にしろシリコンにしろ、クラーク数は大きいですからなかなか枯渇しないでしょう。
■知人の化学屋さんは理論的なお話をされているのかもしれませんので、それまでを嘘っぱちなどというつもりはありませんが、少なくとも工業生産プロセスとして現実にものを生産する技術においてEPR>1.0が達成されているとお考えならば、それは大間違いです。太陽光発電パネルの製造においてエネルギーを投入するのはシリコンの溶融工程だけではありません。シリコン鉱石の採鉱、還元、運搬などなど多くの局面でエネルギーを投入しています。
■では、別の角度から検証してみます。私のHPの連載記事において、太陽光発電電力の原価を50円/kWhとしている値は、ほとんど実績であり、大きな誤りは無いと考えます。数値がいつのものかと言われると、何とも言えないのですが(笑)、公開されている数値はかなり酷いものばかりで使う気にはなれません。HPの記事でも書いている通り、日本の太陽光発電の発電実績は100kWh/(u年)程度であり、販売価格として260万円/30uとした値です。最近の相場は3kWシステムで200万円/24uでしょうか?そんなに大きな違いは無いと思います。
■太陽光発電のEPR=8.5だと仮定して、太陽光発電装置価格に含まれる投入エネルギー費用の割合を算定してみます。EPR=8.5より、1kWhの電力量を生産するために投入された工業的エネルギー量は
1/8.5=0.118kWh
■石油価格を25円/リットル、石油の発熱量を10.5kWh/リットルとして石油価格に換算すると、
0.118kWh×(25/10.5)円/kWh=0.281円
■以上から、太陽光発電装置価格に占めるエネルギー費用の比率は
0.281円÷50円=0.56%
■現在の工業製品において、エネルギーの費用が1%以下などということは到底考えられません。エネルギー消費量の大きな素材生産では10%程度がエネルギー費用というのが常識的な数値だと思います。
■もしEPR=8.5が正しいというのならば、太陽光発電装置はとんでもない高値で販売されているということです。
■私のエネルギー産出比の推定では自然エネルギー発電については発電装置価格プラス発電装置運用費用の20%を投入エネルギー費用としています。これはあくまでも目安ですから、異論があるのは当然です。ただ、異論がある場合にはきちんとした裏づけのデータを示してもらうことにしています。残念ながら正面から誤りを指摘されたことはありませんので(笑)、これを否定するだけの根拠を示せる方は居ないのだと納得しています。産総研の数値のようなEPR>1.0などという非現実的な数値は検討するに値しないことはご理解いただけたでしょうか?
★蛇足ですが、産総研といえば温暖化問題で阿部修治が何度か槌田論文に噛み付いています(http://www.env01.net/global_warming/report/buturigakkai/abe201004.pdfなど)が、あまりに低レベルな思考能力しかないのであきれています。産総研の皆さんがそうだとは断言できませんが、少なくともEPRやEPTに対する認識はあまりにも酷い(笑)。
■不安定な自然エネルギー発電システムを運用するためには、蓄電装置やバックアップ用の発電装置、制御システム、更に規模が大きくなれば揚水発電所や高圧送電線網などを新たに建設しなければなりません。これらの全てに投下される工業的エネルギーを算入した上で火力発電のエネルギーコストと比較することが必要なのです。多少発電装置の生産プロセスが改善されたからといってもそんな影響は微々たる物です。その簡単な例を示したのが蓄電池併用の太陽光発電の発電原価計算です。
> ちなみに産総研のデータを近藤先生の電力生産図にいれてみると、投入石油は2
> 円、固体設備は8円となり、10円kW/hで、火力発電と同等、固体設備・廃棄
> 物がやや多くなるかという感じですね。あと、家庭用太陽光電池システムも、
> 200万から4〜50万円ぐらいに値下がりし、今回の震災のような長期間電気が止
> まるときの家庭用バックアップ程度にはつかえそうです。
■勿論、太陽光発電装置プラス蓄電池システムは独立電源として使用できるのは当然です。問題は、どのような局面で使うかということです。
■例えば、定期便の就航していない絶海の孤島でどうしても電気が必要だという場合、大陸からケーブルで送電するよりも自然エネルギー発電プラス蓄電装置の方が有効=省資源・省エネルギー的である可能性は存在します。また、宇宙空間では太陽光発電が有効なのも理解できます。
■しかし、今問題にしているのはごく普通の送電線も既にある普遍的な社会の電力供給システムとして敢えて自然エネルギー発電を使うことに意義があるかどうかという問題です。通常の発電装置として導入する場合において最新の火力発電(コンバインドサイクル:熱効率60%程度)よりも更に省資源的である場合に限って、自然エネルギー発電システムの導入に意味が存在します。
■今後ともご健闘をお祈りいたします!
EPRという言葉をこのホームページでは使っていません。『エネルギー産出比』という言葉で表しています。EPRについてはNEDOやAISTから1.0以上の値が報告されており、このHPで紹介しているエネルギー産出比と同じものとはとても思えないからです(笑)。何かとても作為的な、私には思いもつかない算定方法があるとしか思えませんが・・・。ここでは、EPR=(エネルギー産出比)であることを前提として説明します。
EPR>1.0の意味について考えます。これは、発電のために投入した全て(発電装置・施設の製造建設、運用、廃棄の全工程を含む)の工業的エネルギー量よりも、運用期間中に発電した電力量のほうが多いことを意味します。自然エネルギー発電の場合には電力の直接の原料となる太陽放射や風力はほとんど無限にある自由財なのでEPRの算出において考慮する必要はありません。
EPR>1.0であれば、その発電装置を単純再生産した上で余剰電力があることを示します。つまり、その発電装置は拡大再生産することが出来るのです。メールにあるようにEPR=8.5とすると1世代目の発電装置によって2世代目には8.5倍になり、3世代目には8.52=72.25倍になり・・・、太陽光発電装置を作る原料資源が枯渇しない限り、あるいは建設用地が枯渇しない限り無限に拡大することが出来るのです。
つまり、EPR>1.0の発電技術を手に入れることが出来れば、エネルギーはほとんど無尽蔵に利用できることになり、この世からエネルギー問題はなくなるのです。
しかし、残念ながら現実的には太陽光発電も含めて全ての発電技術はEPR≦1.0なので無限の電力を生み出す装置は存在しないのです。したがって、EPT≧Tlifetimeとなります。しかし、EPTが耐用期間よりも長くなるということは論理矛盾です。したがって、EPTを定義できる発電技術は存在しないのです。
仮に、太陽光発電についてEPR=8.5であった場合の太陽光発電パネルの価格を推定してみます。太陽光発電で1kWhを生産するために投入されるエネルギー量は、
1kWh÷8.5=0.118kWh
石油価格を25円/リットル、石油の発熱量を10.5kWh/リットルとして石油価格に換算すると、
0.118kWh×(25/10.5)円/kWh=0.281円
太陽光発電パネルの価格の内、20%が投入エネルギー費用だとした場合、発電電力1kWhの原価は、
0.281円÷0.2=1.41円
これはとても安い電力なので、国による高額固定価格買取制度など必要ありません。家庭用3kWシステムの17年間の運用期間中の総発電量を51000kWhとしてこの太陽光発電パネル価格を計算すると次の通りです。
1.41円×51000=71,910円
同様に太陽光発電パネルの価格の内、10%が投入エネルギー費用だとした場合でも143,820円にすぎません。しかし、実際の3kW太陽光発電パネルの販売価格は200万円を超えています。太陽光発電パネルメーカーは暴利を貪る悪徳業者ということになってしまいます(笑)。
おそらく、太陽光発電パネルメーカーはそれほど悪徳業者ではないでしょうから、やはりEPR=8.5という数値が現実とはかけ離れたとんでもない値だということなのです。
このところの日本政府、というよりは菅直人という大馬鹿者とそれをもてあまして右往左往する内閣官房や民主党執行部のドタバタ騒ぎには呆れ果て、コメントするのも情けない、状況は酷くなるばかりです。私の知る限り、最低の内閣です。
勿論、原発は廃止すべきものだと考えています。しかし原発を巡る菅直人の対応はそれ以前に政策間の整合性が無く、全てに具体的な実効性が無い、行き当たりばったりの支離滅裂です。全く実務能力の無い無能な夢想家であることがはっきりしました。
一方で海江田をはじめとする経産省には早急に原発を再開するように指示しておきながら、一旦再開がほぼ決まったところで今度はストレステストを持ち出す・・・。とても正常な判断能力があるとは思えません。混乱は増すばかりです。とにかく、論理的な思考能力のあるまともに議論を行える首相でなければどのような政策論議も不可能だと思いますが・・・、何か打つ手は無いのでしょうか。
さて、以前報告した玄海原発再開に向けてのケーブルテレビの地元説明会に対して、九電のトップが原発再開を容認する組織的な電子メールの送付を社員や関連企業に指示したことが明らかになりました。しかし、元々この説明会そのものがセレモニーであり、それほどとやかく言う問題ではないような気がします。ただ、この事件によって地元への説明会が実施されることになったのだとしたら、この内部告発は奏功したといってよいでしょう。
大分合同新聞2011年7月9日朝刊
その説明会では、このやらせメール事件と菅直人が突然持ち出したストレステストについての発言が集中したようです。以前にも書きましたが、福島第一原発事故を経験した現時点において、今更原発推進側と原発の安全性の論議を行っても仕方の無いことです。原発を運転する限り、事故は避けることができないのです。事故が起こらないことを証明することは誰にもできないのです。
ストレステストと言ったところで、実際に状況を再現して実物でテストするのではなく、所詮は机上あるいは計算機の中のシミュレーションにすぎませんから、何ら安全性を『確認』することなどできません。こんな問題を議論するのは時間の無駄です。
今必要なのは、福島クラスの事故が発生することを前提として、通常操業時にはどのような監視体制をとり、事故発生時には初動としてどのような対応をとり、周辺住民の安全をどのように確保するのか?事故を起こした原子炉をどのように安定させるのか、周辺への放射性物質の拡散をどう押さえ込むのか、除染はどのように進めるのか、・・・などなどについて、個別具体的に確認することです。
しかし現実には、福島では今なお事故は収束せず、この先どのように原子炉を安定化させていくのか何も決まっていないのですから、こうした事故対応を議論する段階にはいまだ至っていません。このような段階で新たな安全基準だとか緊急安全措置だとか言ったところで、それには何の実効性も無いのです。
このような状況で運転再開を前提とした説明会を行うこと自体が時期尚早なのです。それでも原発推進派は今後この種の説明会を再開待ちの原発のある地元で開催することになるでしょう。その場合の有効な戦略を立てなければなりません。
繰り返しますが、今更原発の安全論争をしても、所詮水掛け論になるだけで意味のある結果は得られません。原子力発電所は事故が起こることを前提として、できるだけ具体的な事柄について、具体的な数値を求めるような議論を行うべきです。例えば以下のような項目です。
1.原発の操業コストに関して
●当該原子力発電所の使用済み核燃料の量の確認。
●使用済み核燃料をどのように処理するのか。
●その費用はいくらかかると見込んでいるのか。
●その費用を電力料金に反映させているのか。
●原発事故が起こる可能性があるのだから、福島の状況から通常操業時に原発を中心として半径100km程度の範囲で常時放射線量を測定することが必要。その費用はどの程度必要か。
2.原発事故への対応に関して
●事故発生時の住民の避難対応・避難施設の準備が必要。その施設規模・具体計画、費用を示すこと。これを電気料金に反映した場合の金額を示すこと。
●福島レベルの事故が発生した場合の賠償の範囲の明確化と賠償金支払額の見通し、これを保険ないし自己資金で賄うことを前提に、これを原発のコストとして電気料金に反映さた場合の金額を示すこと。
●事故を起こした原子炉をどのように処理するのかの具体的な方法と事故処理に必要な費用を算出し、これを電気料金に反映した場合の金額を示すこと。
ここでは思いつくままに列挙しましたが、できるだけ具体的な事象に対して言い逃れのできない明確な回答を要求していくことが必要です。理念的な空中戦に終わることは断じて避けるようにしていただきたいと思います。
日本の新聞(大衆紙)報道は、歴史的に見て、大衆にとって重要な情報を配信するというよりも、時の権力の意思を代弁して大衆を扇動することに機能してきたように感じます。太平洋戦争における報道、戦後の一億総懺悔、東京オリンピック、原子力平和利用、高度経済成長賛美、・・・・、人為的CO2地球温暖化脅威説、そして今回の自然エネルギー発電導入。
残念ながら日本の新聞報道は一貫してその軸足を大衆ではなく権力の側に置き、科学性・論理性が欠如しているというのが不変の特性のようです。
さて、そこで朝日新聞の自然エネルギー発電に対する報道の内容を検証することにします。進歩的・良識的なイメージで売っている朝日新聞ですが、かねてから人為的CO2地球温暖化脅威説を正しいとして、自然エネルギー発電に対して最も積極的な導入促進の立場をとっています。
今回、2011年6月27日から「電力の選択
ポスト3.11」という連載記事が掲載されました。第1回の記事で朝日新聞の立場が明確に現れているようです。“政策見直し
経産省抵抗”、“自然エネルギーの将来性”という見出しが紙面に躍っていました。
朝日新聞の立場は、原発事故の遠因ともなった電力会社の発送電を含めた独占体制を批判的に捉えているようです。原発事故を契機にこうした電力会社の既得権益を排除する発送電の分離を含む電力供給の自由化、自然エネルギー発電を含めた電源の自由化・分散化という方向性を打ち出しているようです。
この朝日新聞の立場は、いわゆる反原発運動や進歩的知識人などの立場に近いように見えます。しかしその本質は、福島第一原発事故によって揺らぎ始めた従来の古い体質の重厚長大産業とこれを牛耳ってきた自民党−経団連グループから主導権を奪取したいと考える新興勢力である孫正義のソフトバンクを筆頭とする電気・情報・通信産業グループに軸足を移そうとしているというのが実態でしょう。
1.原発と自然エネルギー発電
原子力発電と自然エネルギー発電に注目が集まることになった六つの大きな出来事がありました。
一つは1970年代のオイルショックです。この事件を契機に石油が有限の地下資源であることが認識されました。日本ではこの事件の後、工業生産プロセスの省エネルギー化が進みました。同時に原子力発電が急激に増加し、また新たなエネルギー源として太陽光などが注目され、国はサンシャイン計画という自然エネルギー利用の実用化プロジェクトを開始しました。自然エネルギーの工業的利用の実験研究は、あまりにも効率が低く不安定であったためにサンシャイン計画は見るべき成果を残すことができないまま頓挫しました。
第二、第三の事件は1979年の米国スリーマイル島原発事故、1986年のソ連チェルノブイリ原発事故です。この二つの原子力発電所事故によって世界的に脱原発の世論が高まり、米国では新規の発電用商用原子炉が全く建設されない状況になりました。また、欧州では脱原発を国策とする国が現れました。
そして第四の事件が、人為的CO2地球温暖化脅威説の蔓延と1997年のCOP3(第3回国連気候変動枠組条約締約国会議)京都議定書によるCO2排出量削減の義務付けです。この京都議定書によって原子力発電所が息を吹き返し新たな世界的建設ブームとなり、一旦脱原発を目指した国の中にも原子力への回帰の動きが起こりました。同時に欧州では自然エネルギー発電を拡大する動きも加速することになりました。
このような中で、朝日新聞を含む日本の主要新聞は、人為的CO2地球温暖化脅威説の宣伝活動に主要な役割を果たしてきました。とりわけ朝日新聞は突出して温暖化対策として自然エネルギー導入促進を扇動しています。
日本ではほとんど報道されることが無かった、しかし非常に重要な第五の事件があります。それは2009年11月にIPCC(気候変動に関する政府間パネルIntergovernmental
Panel on Climate
Change)の主要研究者の電子メールがハッキングされたClimategate事件です。この事件の重大性は、ハッキングされた電子メールの中に国連気候変動枠組条約の科学的な基礎である多くの気象観測データが人為的CO2地球温暖化脅威説に都合が良いように改竄されていることなどが記されていたからです。
人為的CO2地球温暖化脅威説はそれ以前から多くの問題が指摘されており、自然科学的にはほぼ誤りであることが明らかになっています。日本でも、この人為的CO2地球温暖化脅威説の直接の利害関係者である日本気象学会に参加する研究者を別にすれば、物理学、化学、地球物理学などの自然科学の多くの分野の研究者から誤りが指摘されています。しかし、このClimategate事件について、日本の主要新聞はほとんど報道を行わず、Climategate事件という大事件があったことを知らない日本人が大多数なのです。
そもそも、現在の原子力発電建設ブームと自然エネルギー発電導入の動きは、人為的CO2地球温暖化脅威説が自然科学的に正しいものとして、その対策としてのCO2排出量削減を目指して始まったのです。その人為的CO2地球温暖化脅威説自体が誤りである可能性が高いという重大な問題をきちんと報道しない日本の新聞各紙の責任は大きいと考えます。これは、温暖化対策を国策として進める日本政府や主要新聞の大広告主である電力会社などの大企業にとって都合の悪い報道を自粛した結果なのです。ここでも新聞各社は大衆の知る権利よりも国家や企業の利益を優先する判断をしたのです。
新聞報道も含めて人為的CO2地球温暖化脅威説に対する自然科学的な議論を尽くしていたなら、原子力発電の増設や自然エネルギー発電の導入などという愚かな政策が取り上げられる合理的な理由など無かったのです。この基本的な問題はいまだに結論が出されずに店晒しにされています。
そして第六の事件が今回の福島第一原発事故です。
2.自然エネルギー発電に対する非科学的な報道
日本の自然エネルギー発電に対する一般的な評価は「環境に良いのはわかっているが、導入コストが高いことだけが問題である」というものです。この段階で既に科学的な判断が放棄されているのが自然エネルギー発電に対する評価の特徴です。
ここで言う「環境に良い」とは、具体的には今後導入が考えられる最新の火力発電に比較してCO2排出量が削減できるということが最低の条件です。しかし、実際には風力発電や太陽光発電を大規模に電力供給システムとして導入した場合、明らかに最新の火力発電以上に石油を消費し、その他の鉱物資源については少なくとも数十倍の浪費になります。
詳細は既に何度もHPの別の記事に書いてきましたので、要点だけ列挙しておきます。
●自然エネルギーは空間的な密度の低い拡散したエネルギーなので、これを集約して工業的に意味のある有用なエネルギーにするためには例外なく単位発電電力量あたりの発電装置規模が飛躍的に大きくなる。
●自然エネルギーは予測不能な非定常な変動をするため、電力の安定供給のためにはバックアップ用の発電装置、蓄電装置、制御装置、揚水ダム、高圧送電線網の追加建設などの付帯設備が必要になる。
●以上の自然エネルギー発電装置およびバックアップ用の発電装置、蓄電装置、制御装置、揚水ダム、高圧送電線網等を含めた“自然エネルギー発電システム”によって電力を供給するためには莫大な工業製品の製造と巨大施設建設が必要である。製造・建設過程で消費された石油量に自然エネルギー発電システムの運用に必要な石油量を加えた総石油量を単位発電電力量当たりの石油消費量に換算すると、最新の火力発電の単位発電電力量当たりの石油消費量を大きく上回る。
自然エネルギー発電は導入コストが高いことだけが問題なのではなく、こうした巨大で不安定・低効率の発電装置を作り、運用するために石油などの工業的なエネルギーや鉱物資源を大量に必要とし、その結果として必然的に導入コストが高くなるのです。
朝日新聞の記事は、こうした自然エネルギー発電システムについて最も本質的に重要な技術的な問題点を隠蔽したまま、自然エネルギー発電が普及しないのは全て電力会社の既得権益の独占と電力供給制度の問題であるとして問題を摩り替えているのです。
不幸にも自然エネルギー発電が日本の主要発電システムとして導入されることになれば、国民はいつ停電するかもわからない低品質の電力を本来ならば払う必要も無い法外な料金で強制的に買わされることになるのです。
また、国内の自然エネルギー発電装置製造メーカーや関連する一部企業は短期的には活況を呈しますが、長期的には多くの製造業は電力料金の安い海外へ流失し、国内産業は壊滅的な打撃を受けることになります。自然エネルギー発電が日本社会を崩壊させることになるでしょう。
3.朝日新聞の連載記事を検証する
朝日新聞の連載記事について、主に技術面から見た問題点を指摘することにします。
一回目の記事におい次のような記述があります。
原発が国策による「大規模・集中型」なら、自然エネルギーは地域や個人も参加する「小規模・分散型」だ。
朝日新聞の記事では、自然エネルギーが小規模・分散型であることを肯定的に評価しているようです。しかしこれは実態とはかけ離れた認識です。
風力発電では現在1基当たり1000kWクラスが最小規模です。仮にウィンド・ファーム形式で集中的な風力発電を導入すればこれは正に大規模・集中型の発電施設です。また、太陽光発電においてもメガ・ソーラー発電所も増えつつあります。
既に北海道電力では風力発電の不安定電力が送電線網に悪影響を及ぼす可能性がある場合には送電線網から切り離す「解列」を行うことになっています。更に風力発電の導入量を増やすためには津軽海峡を渡る高圧送電線網を追加して、電力消費量の大きな本州の送電線網に繋げることが必要といわれます。
自然エネルギー発電という不安定電力を大規模に導入するためには巨大な電力需要を賄う送電線網が存在することが必要なのです。風力発電に限らず、不安定な自然エネルギー発電電力が増えれば増えるほど電力の大消費地との高圧送電線網が必要になるのです。
不安定な自然エネルギー発電は小規模・分散型では運用が出来ないため、大規模・集中型の送電線網に「寄生」することによって始めて存在が許される「お荷物」なのです。自然エネルギー発電の大規模導入は広域の高圧送電線網によって大消費地とつなぐことによって成り立つ正に「大規模・集中型」の発電システムなのです。
連載二回目には、一回目に評価した小規模・分散型の特性とは正反対の主張をする支離滅裂振りです。例えば次のような記述があります。
そう(北電が電力品質に悪影響を与えない範囲で風力発電を受け入れていることを指す。:近藤註)であれば、電力需要が多い東京、中部、関西に電気を送れないか。風がよく吹くのは、北海道や東北、九州。需要が比較的少ないこれらの地域で需給バランスを図るよりも、地域の垣根を越えれば風力を受け入れやすくならないか。
つまり、北海道・東北・九州と関東・中部・関西の間に広域大容量高圧送電線網を追加してはどうかというのです。このような大規模高圧送電線網を整備するために一体どの程度の事業費が必要で、どれだけの石油をはじめとするエネルギーと鉱物資源が必要になるのかに朝日新聞の諸君は全く思いが至らぬ愚か者のようです。
この例でもわかるように、不安定な自然エネルギー発電電力の導入量が増えると、不安定電力を利用するための追加施設がますます大規模化するために発電原価はむしろ上昇すると考えるべきです。それに従って国民の電力料金負担はますます大きくなるばかりです。
第三回はスペインの自然エネルギー発電導入の事例紹介です。全文を転載しておきます。
この記事は、スペインは如何に自然エネルギー発電の導入がうまくいっているのかを紹介し、「日本には解決するだけの技術はある。あとは意志の問題だ。」とまとめています。なんと愚かなことでしょうか。
自然エネルギー発電の導入を行うべきか否かの判断は技術的に可能かどうかという問題ではなく、それによって石油消費量を削減することが可能かどうかなのです。朝日新聞の記事は完全に論点を見失っています。
記事は読んでいただくとして、スペインの実情と問題点を紹介することにします。
スペインの電源別電力構成比の内、風力発電は9%程度を供給しています。ここに記された最大電力4500万kWは2007年の実績ですが、風力発電の1560万kWは設備容量なので注意してください。スペインは欧州の大きな送電線網に接続することで、不安定電力を安定化するために国内消費だけでなく隣国のフランスやポルトガルと電力を融通しあっています。
スペインの実情は能天気な朝日新聞の記事とは異なり、RE(再生可能エネルギー)大量導入時の課題として不安定電力の問題は大きく、大規模停電の危険性をあげています。
ここに挙げられている課題は重要です。
2007年のスペインの風力発電電力の供給量は9%程度ですが、既に火力発電による調整能力(下げ代)の不足が生じ、風力発電の過剰な電力供給が処理できなくなったために、風力発電の発電量を抑制せざるを得なくなっているのです。つまり過大な風力発電設備の導入によって風力発電の設備利用率は低下するのです。
また風力発電の導入増大に対応するために広域大容量の高圧送電線が必要だが建設が困難であり、この点からも風力発電の発電量を抑制せざるを得ないようです。
これ以上の風力発電の導入を行うためには新たに瞬間予備力機能等の新たな機能を追加したり揚水発電所の建設が必要となるとしています。
このように風力発電など自然エネルギー発電の大規模導入における問題点は全てその制御不能な不安定性にあります。日本における自然エネルギー発電の議論では発電量ばかりが注目されて、供給電力の不安定性という質の問題があまりにも軽視されています。
確かにスペインは日本に比較して自然エネルギー発電電力の割合が高いのは事実です。しかし、朝日新聞の記事では既存の火力発電の発電効率を犠牲にした無理な導入が、実質的に石油消費の削減に結びついているかどうかは全く検討されていません。この点をまず明らかにしない限り能天気に「日本には解決するだけの技術はある。あとは意志の問題だ。」と結論付けるのは無責任極まりないと考えます。
報道に必要なのは、先発国の経験から問題点を抽出することです。朝日新聞の記事のように、表面的に成功している部分だけを取り出して紹介するなど、太平洋戦争時の大本営発表を垂れ流したのと同じ、ほとんど謀略宣伝と言ってもよいでしょう。
発送電分離
福島第一原発事故以降、電力会社の地域独占に対する批判の声が上がっています。電力会社が管轄地域で大部分の電源と送電線網の両方を保有していることに問題があると指摘されています。朝日新聞の連載記事では第二回に触れられています。
発電と送電を分割し、発電部門を徹底的に自由化することは発電の効率化あるいは経費節減に有効だと考えます。ただし、送電部門はどのような発送電のシステムを構想するかによもよりますが、単純に自由化を行えば、安定電力供給に問題を生じさせる可能性があるので注意が必要でしょう。
朝日新聞の連載記事では次のように述べています。
しかし技術が進み、小規模でも効率よく電気を供給する方法が生まれた。そこで送電と発電の部門を分け、発電事業の新規参入を認めて争わせれば電気料金が下げられるという考えが出てきた。
(中略)
欧州では、多くの国で送電会社が国有化されるなどして送電網の公共性が重視された。結果として、政府が決めた自然エネルギーの普及策が反映されやすくなった。
ここで朝日新聞は何を主張しているのかよくわかりません。彼らは自然エネルギー発電を小規模・分散型の発電システムだと認識しています。しかし既に検討してきたように、自然エネルギー発電は不安定なため、小規模な送電線網では運用は難しく、大規模な送電線網の存在が必要ですから、ここで言う「小規模でも効率よく電気を供給する方法」の範疇には含まれません。
また、電力の価格・品質で自由競争を行えば、太陽光発電や風力発電は高コストで不安定なため真っ先に市場からはじき出されます。
こう考えると、発電部門の自由化と自然エネルギー発電の導入は実は全く逆の方向性であることがわかります。発送電分離を行って、しかも自然エネルギー発電を普及させるためには、電力市場を自由化するのではなく、国家が強力に介入して自然エネルギー発電電力を優先的に市場価格を無視した高額で強制的に送電企業に買い取らせること(Feed-in
Tariff)が必要になります。その結果、送電企業が民間であれば、電力料金は下がるどころか大幅に上昇することになります。また、自然エネルギー発電量の多い地域では送電を引き受ける企業は価格競争に敗れて淘汰されることになり、やはり自然エネルギー発電は普及することはありません。
つまり、自然エネルギー発電を普及させるためには、自然エネルギー発電会社の電力を優先的に高額で買い取らせるという強力な国家の市場介入と、採算性を度外視した国営あるいはそれに準じる大規模な送電会社を国家の財政投入で運営する以外に無いのです。
「欧州では、多くの国で送電会社が国有化されるなどして送電網の公共性が重視された。結果として、政府が決めた自然エネルギーの普及策が反映されやすくなった。」ではなく、これ以外に高コストで不安定な低品質電力である自然エネルギー発電を普及させることなど不可能なのです。
再生可能エネルギー特別措置法案
これは言うまでも無く日本版のFeed-in
Tariffです。自然エネルギー発電電力に対して市場価格を無視した高額固定価格で全量を買い取る制度です。これは発送電分離でも触れましたが、市場に対する国家の強力な介入であり、発電事業の自由化とは真っ向から対立する法案です。
こうした国家による市場への介入は健全な技術開発を妨げ、低効率で不安定な自然エネルギー発電の本質的な技術的問題点を隠蔽することになります。更に、原発利権に代わる発電事業者と国家の間に巨大な利権構造を生む温床になることは明らかです。
こうした愚かな法案が提出されるということは、菅民主党政権には自然エネルギー発電を技術的に評価できる能力が無いか、あるいは承知の上である特定の企業グループに対して利益供与を行うことを狙っているのかいずれかです。この法案を、自然エネルギー発電導入促進の立場から好意的に報道する朝日新聞もまた、愚か者であるかあるいは「特定の企業グループ」との繋がりを深めようとしているのかのいずれかです。
スマートグリッドと孫正義
連載の最終回において、“自然発電
世界では成長産業”という大見出しが掲げられています。朝日新聞の記事の内容は、成長産業であるという表面上の現象だけに目を奪われて内容を分析することなく、おいしい分野に日本は出遅れていると言っているだけの無内容なものです。
例えばスペインで太陽光発電が急拡大したのは国による高額買取制度という永続性の無い無理な財政措置が招いたバブルであり、買い取り額を減額した結果2008年以降は急速に市場が縮小しました。そのほかの先発国の経験からも、比較的豊かな国が理念先行でかなり無理な高額買取制度などの優遇措置を行ったことによって市場が形成されたものであり、既に多くの国で制度的なほころびが生じはじめています。
それは本質的に自然エネルギー発電というものに技術的・経済的な合理性がないため、いくら補助金を投下しても独り立ちすることができず、長期的には国家財政を脅かすことになるからです。自然エネルギー発電市場は自然環境に配慮する余裕のある比較的な豊かな国に一時的に発生したものであり、普遍的な世界標準となることはあり得ません。
連載を通じて、朝日新聞の記事は自然エネルギー発電導入を扇動するための能天気な薄っぺらな内容ばかりで、このような内容を信じて自然エネルギー発電の導入に向かえば、原子力発電がそうだったように取り返しのつかない過ちを犯すことになるでしょう。私たちは、先発国の失敗にこそ学ぶべきなのです。
さて、目端の利く経営者である孫正義は、民主党の再生可能エネルギー特別措置法案の閣議決定、そして福島第一原発事故直後に自然エネルギー発電へいち早く参入する意思を表明しました。これは再生可能エネルギー特別措置法によって生まれる巨大な利権構造を見越して、民主党政権あるいは経産省に深く食い込むとともに自然エネルギー発電と同時に導入されることが予想されるスマートグリッドという全戸に繋がる情報通信網を手に入れることを目論んでのことです。
蛇足ですが、耕作放棄地を太陽光発電所にするという孫の「電田プロジェクト」は正に亡国の発想です。日本にとって本質的に重要な食糧生産の場である農地は農地として復活させることこそ重要なのであって、わずかばかりの低品質電力を生産するために使うべきものではないと考えます。
震災後、カッコつきの進歩的知識人の中には、孫正義の行動を日本の将来のエネルギー政策を率先して導入しようとする先進的な動きだとして称揚する愚か者が多数現れました。また、朝日新聞も同じようなスタンスを取っているようです。朝日新聞は新たなパトロンとして電気・情報・通信に食い込むために今回の連載記事を企画したのかもしれません。
このところ、菅直人の愚かな自然エネルギー導入への執着を批判するレポートを集中的に公開しています。この問題に対して、あるHP読者からご意見をいただき、何度かメールの交換を行いました。HPにおいてもできるだけ具体的に説明を尽くしているつもりなのですが、なかなか思うように伝わっていないようです。
このHPの目的はできるだけ多くの方に科学的な合理性に基づく情報を理解していただくことなので、真摯なご意見に対してはできる限りの対応を行いたいと思います。ただし、はじめから議論になりそうもない意見につきましては黙殺いたしますので、ご了承ください。
では、最初にいただいたメールを紹介します。
件名:質問があります。
2011.07.02
はじめまして、近藤様。
「環境問題を考える」拝見いたしました。
No611 「自然エネルギー発電のコスト試算」について質問があります。
2020年代の計算をするのなら「年間太陽光パネルの供給量」+「コストダウン」も
考慮しなくてはいけない気がします。
例えば、10年後の供給量が3倍になり、コストがダウン1/3になる可能性もあります。
現時点で10%全てを賄えるわけではないのでその辺はどうお考えでしょうか?
HP管理者からNo.611「自然エネルギ-発電のコスト試算」についてのご意見です。この方のご意見は、太陽光発電には、将来的な技術的なブレーク・スルーの可能性があるから、現状の技術で費用を推定するのは妥当なのか、と言うものです。この件につきましては、No.626「工業技術評価:風力発電を例に」で書いたとおり、将来的な「可能性」では評価に値しないのです。あくまでも政策としての予算を推定するには現有の技術だけで判断すべきです。いただいたメールに対して、次のような返信を送付しました。
(青文字が近藤の書き込み)
件名:Re:質問があります。
2011.07.02
******* 様
> >
例えば、10年後の供給量が3倍になり、コストがダウン1/3になる可能性もあります。
■まず、将来的な技術の進歩は成功した段階で考慮すべきことです。可能性で見切り発車することで原発のような間違いが起こるのです。この件については次の記事をご覧ください。
No626 (2011/06/27)
工業技術評価:風力発電を例に
■コストの件については、次の3つの記事をご覧ください。まず第一に、屋外環境における太陽光発電の太陽放射から電気への変換効率の上昇はほとんど限界に来ています。後は、生産プロセスの改善の可能性はあるかもしれませんが、「供給量が3倍になり、コストがダウン1/3」は何の保障もありません。供給量と生産プロセスの改善には直接何の関係もありません。
■No.595、No.624で触れていますが、自然エネルギー発電の本質的問題である不安定な太陽光発電を運用するためには蓄電装置をはじめとする多くの付帯施設が必要になります。家庭用蓄電池の併用だけでも太陽電池パネルの2倍以上の費用になりますが、メガソーラー発電施設などを作ることになれば揚水発電所の建設なども視野に入れることが必要になるでしょう。
■これらを含めた太陽光発電システムの中において、太陽光発電パネルだけが多少改善されてもシステム全体のコストは大きく変わりません。むしろ不安定な電力が増えれば増えるほど、送電線網の受ける負担も増大し、ますます付帯設備が大きくなります。
No594
(2011/05/03)
連載 脱原発は科学的な必然
そのI 太陽光発電は石油消費を加速する
No595
(2011/05/04)
連載 脱原発は科学的な必然
そのJ 不安定電力はエネルギー効率を落とす
No624 (2011/06/22)
自然エネルギー発電幻想
> > 現時点で10%全てを賄えるわけではないのでその辺はどうお考えでしょうか?
■???意味が良くわかりません。
近 藤 邦 明
この返信に対して、再度いただいたメールは以下の通りです。
件名:Re:質問があります。
2011.07.03
丁寧なご回答ありがとうございました。
お察しのように細かい計算も得意ではなく、アバウトな人間のアバウトな質問でした。
私が聞きたかったのは10年後の未来の可能性を否定されるような意見があったように思いましたので質問させていただきました。
>
>屋外環境における太陽光発電の太陽放射から電気への変換効率の上昇は、ほとんど限界に来ています。
すみません。私は専門家ではないのでわかりません。これ以上、変換効率の上昇する可能性は本当に無いのでしょうか?
> > 「供給量が3倍になり、コストがダウン1/3」
> >現時点で10%全てを賄えるわけではないのでその辺はどうお考えでしょう
> >か?
すみません。質問の仕方が悪かったみたいです。
「供給量が増える=コストが下がる」という意味ではなく「今より供給量が増えたり、今よりコストダウンが可能になったり」とでもいいましょうか?
例えば「現時点では太陽光発電を普及しようにも生産が全く追いつかない」とか「10年前の太陽光発電の価格が今より高かったのならば、10年後は今より安くなってる可能性はある。」みたいなことです。
2020年代迄に太陽光発電で10%を賄うという話なのにまるで今すぐにでも10%にするかのごとく計算をされているので、それは供給量的にもコスト的にも不可能では?という意味でした。
現時点の金額で計算して「供給電力の10%を太陽光発電で賄うための低めの推定金額は160兆円程度ということになります。」低めの推定金額というと10年後はさらに価格が高騰するというふうに受け取れますがそれでいいのでしょうか?
ちなみに現在太陽光発電は1kw当り平均約70万円と聞いていますが、3kwで260万では少々高い設定に思えますがどうなんでしょうか?
私は「自然エネルギーは善」と思っているわけではありません。
ただ可能性を模索している段階なのかなと思っています。
出来れば、近い未来に小さな単位(各家庭)で「スマートグリッド」なるものがもっとお手軽な値段で自産自消が可能ならばそれもいいのかなと思っている程度です。
家で発電した電気をそのまま家で使ったり、電気自動車などに蓄電したりなどして家庭では原発に頼る事なく生活が出来れば、原発とは縁が切れるのかも知れない程度の思いです。
売電による全量買取制度などで送電網に不安定な負担をかけるやり方や、消費者にその分の電気代を薄く負担させるやり方も腑に落ちないと思っています。
残念ながらHPを細かく閲覧することは少々無理なので、最後に近藤様の将来のエネルギー源は何が理想なのかをお聞かせ願えますか?
このメールに対する私の返信を紹介します。
件名:Re:質問があります。
2011.07.03
****** 様
■前回紹介した記事をご覧いただいていることを前提にお返事します。
> >
私が聞きたかったのは10年後の未来の可能性を否定されるような意見があったように思いましたので質問させていただきました。
■繰り返しになりますが可能性とは実現されていないことを示しているのであって、可能性で政策を論ずるのは無意味です。もし現実に改良が進めばその段階で政策なり、予算案を見直せばよいだけのことです。
> >
すみません。私は専門家ではないのでわかりません。これ以上、変換効率の上昇する可能性は本当に無いのでしょうか?
■No.594でエネルギー保存則から、太陽光発電の太陽放射に対する電力への変換効率の理論的上限値を示したとおりです。技術屋は自分の専門分野について視野狭窄に陥っていますが、エネルギー問題を扱うのならば、エネルギー保存則やエントロピー増大の法則、熱効率の法則は「法則」であって、これに反するような技術開発はできないことはわかりきっているのですが、これを見失って愚かな技術開発をしています。
> >
すみません。質問の仕方が悪かったみたいです。「供給量が増える=コストが下がる」という意味ではなく「今より供給量が増えたり、今よりコストダウンが可能になったり」とでもいいましょうか?例えば「現時点では太陽光発電を普及しようにも生産が全く追いつかない」とか「10年前の太陽光発電の価格が今より高かったのならば、10年後は今より安くなってる可能性はある。」みたいなことです。
■了解です。これも可能性の問題のようですので答える必要は無いと考えます。
> >
2020年代迄に太陽光発電で10%を賄うという話なのにまるで今すぐにでも10%にするかのごとく計算をされているので、それは供給量的にもコスト的にも不可能では?という意味でした。
■現段階で菅直人は2020年代の早い時期に20%と言っているのですから、その現実的な可能性を検討したのが最初にあなたが取り上げられた記事です。その条件として半分を太陽光発電で賄うとして総費用がどの程度になるのかを試算しただけです。繰り返しますが、予算の推定値はあくまでも現在達成されている技術で検討すべきです。
> >
現時点の金額で計算して「供給電力の10%を太陽光発電で賄うための低めの推定金額は160兆円程度ということになります。」低めの推定金額というと10年後はさらに価格が高騰するというふうに受け取れますがそれでいいのでしょうか?
■違いますよ。No.595で試算しているように、No.594で推定した太陽光発電電力原価50円/kWhに対して、家庭用蓄電池を併設しただけでも原価は110円/kWhにまで2倍以上になります。更に、スマートグリッドの導入や、不安定電力増大に伴う送電線網の強化や揚水発電所建設などの付帯設備の増大が必要になるのです。これらを考慮すれば、とても2倍などでは収まらないのです。太陽光発電パネルの価格が上昇すると言う意味ではありません。
> >
ちなみに現在太陽光発電は1kw当り平均約70万円と聞いていますが、3kwで260万では少々高い設定に思えますがどうなんでしょうか?
■これはどの時点でと言う問題もありますのでご了承ください。ただ付帯設備を含めた太陽光発電システムの中で太陽光発電パネル価格が多少下がったなどというのは微々たる問題だと考えています。本質は不安定の低品質の電力を無理やり利用しようとしていることの無駄です。
> >
私は「自然エネルギーは善」と思っているわけではありません。ただ可能性を模索している段階なのかなと思っています。
> >
出来れば、近い未来に小さな単位(各家庭)で「スマートグリッド」なるものがもっとお手軽な値段で自産自消が可能ならばそれもいいのかなと思っている程度です。
> >
家で発電した電気をそのまま家で使ったり、電気自動車などに蓄電したりなどして家庭では原発に頼る事なく生活が出来れば、原発とは縁が切れるのかも知れない程度の思いです。
■ここに大きな思い違いがあると考えます。自然エネルギーを工業的に利用するためには膨大な工業的なエネルギーの投入が必要なのです。価格が高いと言うことはすなわち大量のエネルギーを投入していることを示しています。ただでさえ高い太陽光発電電力を使うために更にスマートグリッドと言う全国規模の情報通信網と言うハードウェアを整備し、レアメタルを大量に必要とする蓄電池を各戸に備え、さらに不安定電力の調整のために広域大容量の送電線網を建設し、場合によっては揚水発電所を新たに建設することも必要になうかもしれないのです。これらの莫大なエネルギーは、石油火力発電で同等の電気を供給するよりも遥かに多くの石油と莫大な鉱物資源を浪費することになるのです。
■効率の悪い自然エネルギー発電を大規模に利用することはとても「お手軽」では無く、これまでの原発同様に国家政策として巨額の資金をつぎ込んで巨大な国家プロジェクトとして行わない限り成り立たないのです。そこにはもしかするとこれまでの原発以上の利権が発生するでしょうから、利に聡い孫正義は果敢に食い込もうとしているのです。
> >
残念ながらHPを細かく閲覧することは少々無理なので、最後に近藤様の将来のエネルギー源は何が理想なのかをお聞かせ願えますか?
■次の記事をご覧ください。
No.615
(2011/06/04)New!
自然エネルギー考
■末尾の文章を引用しておきます。
「確かに、ポスト石油(天然ガスなどを含む)・石炭エネルギーを考えたとき、自然エネルギーを賢く使うことが重要になります。しかしそれは現在提案されている風力発電や太陽光発電という工業的な技術ではなく、伝統的な粉挽き風車、揚水水車、日向水、パッシブソーラーなどの技術の延長線上にあると考えます。」
近 藤 邦 明
メールの内容からお分かりのように、自然エネルギー発電に対して一般的に大きな誤解があります。それは、自然エネルギー発電は無条件に良いものだという思い込みです。誤解を恐れずにもう少し具体的に言えば、「自然エネルギーを使えばCO2は発生しない=石油を消費しない」というまことに愚かな信仰です。そして、「問題は導入コストが高いだけだ」と言う頓珍漢な評価です。
自然エネルギー、具体的には風や日差しはどこにでも普遍的に存在しています。確かに人間も含めて地球の生態系はこれらの恩恵を受けています。しかし、風や日差しはそのままでは工業的には無価値であり、それ故経済価値は無く自由財なのです。
この風や日差し=太陽放射を利用して工業的に有用な=経済価値のあるエネルギーに加工するためには膨大な工業生産手段を投入しなければなりません。つまり、太陽光発電電力や風力発電電力を供給している本質とは太陽光発電装置あるいは風力発電装置という電力の生産手段である工業製品の製造なのです。
工業製品とは、石油を中心とする工業的エネルギーを使って原料資源を精錬し加工し組み立てたものです。工業製品の製造は不可避的に大量のエネルギーを消費しているのです。
自然エネルギー発電に対する第一の誤解は、無条件に石油の消費量が減少するという思い込みです。自然エネルギー発電とは工業製品である発電装置を使って自由財である自然エネルギーを捕捉することで発電を行うことであり、発電装置の製造において大量の石油をはじめとする工業的エネルギーを消費することによって成り立っているのです。つまり自然エネルギー発電も大量の石油を消費するのです。
自然エネルギーはどこにでも普遍的に存在する低密度のエネルギーであるため、単位発電電力量あたりに必要な発電設備は従来の火力発電などに比較すると圧倒的に大規模になります。例えば、No.615
(2011/06/04)「自然エネルギー考」で紹介した横浜市のハマウィングという風力発電装置の実効出力は250kW程度でしたが、その総重量は238tでした。これと同等の発電能力のディーゼル発電機やガスタービン発電機の重量は6t程度です。また太陽光発電で同量の発電量を得るためには150m×150m程の太陽光発電パネルが必要になるのです。これだけ巨大な発電装置という工業製品を作るためには莫大な工業的なエネルギーの投入が必要になります。
更に、自然エネルギー発電の出力は予測不能で非定常に変動するため、これを利用するためには自然エネルギー発電装置の他にバックアップ用の発電装置・蓄電装置や制御装置などの付帯装置が必要です。更に大規模な導入を目指せば、揚水発電所や大域での高圧送電線網の建設なども必要になります。
これらの付帯設備を含めた自然エネルギー発電システムの構築には莫大な工業的なエネルギーと資源の投入が必要になります。
その結果、自然エネルギー発電システムの大規模導入は、従来の火力発電に比較して圧倒的に大量の石油をはじめとする工業的なエネルギーを消費し、同時に希少資源を含む大量の鉱物資源をも浪費することになるのです。
第二に誤りは、自然エネルギー発電はコストが高いことだけが問題だという認識です。工業製品の製造コストと石油をはじめとする工業的なエネルギーの投入量は密接に関係しています。石油やその他の資源を大量に浪費する結果としてコストが高いのであり、それは発電装置として致命的に劣っていることを示しているのです。
既に5月ころから取り沙汰されていた話題ですが、新聞に記事が掲載されましたので紹介しておきます。
建前としてCFS(包括的燃料サービス)は、新興国への原子力発電の売り込みをにらんで、新興国向けの原子力発電所用のウラン燃料の加工と使用済み核燃料処分をウラン産出国でもあるモンゴルで一括して行うという構想です。
しかし、色々な意味でこれは非常に危険な構想です。
まず、モンゴルに原子力関連の施設が集中するということは、核拡散防止のためにほとんど軍事施設並みの警備体制が不可欠になります。その警備の中核には当然世界の警察を気取る米軍が進駐することになります。この構想に日本が民間レベルで参入するといっても、これは事実上日米軍事同盟としての対応が必要になります。これまで以上に日本が米国の核戦略に否応なしに組み込まれていくことになるでしょう。
また米国は、原子力発電を導入する新興国のエネルギー政策に対して強力な介入を行う可能性があります。
更に、日本や米国において行き場のなくなっている高レベル核廃棄物の捨て場としてモンゴルを利用しようとしているのではないかという問題です。
東芝は自らも無関係ではないはずの福島で史上最大の原子力災害を起こしたことなど他人事のように海外への原子力発電所の売込みを続けようとしています。何という無責任で反省の無い企業でしょうか。
菅直人という稀代の愚か者がこの時期に総理大臣でいるということは、何という巡り合わせだろうか。この期に及んで「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」の成立を総理辞任の条件にし、これが通らねばこの法案を争点に解散をちらつかせるとは!
このような愚かな総理大臣が居座り続けることなど国会の制度では想定していなかったのだと思うが、皆が見放している総理大臣を辞めさせる手続きがないというのは困ったものだ。
この緊急時にどさくさに紛れて不要不急の法案である「電気事業者による再生可能エネルギー電気・・・」を政治の駆け引きに使うなど、なんとふざけた態度であろうか。今は震災・原発事故対応に集中すべきときである。
原発は全て止めても何とかなる、いや何とかすればよいだけのことである。本気になれば、午後のテレビ放送を全て停波にすればそれですむことである。
確かに菅直人という名前は日本の憲政史に名を留めることになるであろう、最も愚かで傲慢な総理大臣として。
このHPでは一貫して風力発電の導入に反対しています。その理由は、現在考えられている火力発電に対する代替自然エネルギー発電システムは石油利用効率において火力発電に対して劣るからというごく単純な技術的な判断です。
これに対して自然エネルギー発電導入に熱心な方からは、自然エネルギー発電を排除しようという「ためにする議論」であるというご批判を受けることがありますが、お門違いです。もし明らかに自然エネルギー発電システムのほうが優れているということを実証していただければ、即座に宗旨替えをいたします。
自然エネルギー発電に熱心な方の反論でよく見られるのは、実験室レベルではこのような結果が出ているだとか、将来的には技術的なブレークスルーが「あるかもしれない」というものです。このあたりが現実にものを作ってきた技術屋としての判断と全く違う部分です。
現実にモノを作る技術屋としては、現在手持ちの技術で何ができるかが問題なのであって、将来どうなるかなど現実的には全く利用価値は無いのです。それは試行錯誤が許される研究者が実験的に研究すべきことであって、現実の社会システムを作るのとは全く異なります。
この違いは、誤解を恐れずに極論すれば物理学と工学の違いです。物理学は経済価値を無視した理論的な研究を行います。これに対して工学は、勿論物理学的な背景に立脚した上で、それをどう形にして実際のモノとして組み立てるのかが問われ、その経済効果が問われるのです。その意味で、工学と物理学は似て非なるものなのです。
少し抽象的な話になって来ましたので、風力発電についてこれまで横軸型の主流であったプロペラ型風車と現在九州大学が開発を進めているリング状の乱流発生装置=風レンズを備えたプロペラ型風車について、いずれが工業的な技術として優れているかを検討することにします。
まず、No.615「自然エネルギー考」で取り上げた横浜市のハマウィングの実績を例に風力発電電力についての電力生産図を示します。
ハマウィングの発電電力原価は34円/kWh程度でした。風力発電の場合、この費用は全て風力発電設備の建設・運用に係る費用です。この内、20%を建設・運用に投入されたエネルギー費用と仮定すると6.8円になります。燃料石油を25円/リットル、その発熱量を10.5kWh/リットルとすると、石油6.8円は2.856kWhに相当します。ハマウィングのエネルギー産出比は次の通りです。
エネルギー産出比=1kWh/2.856kWh=0.35
これは標準的な石油火力発電と同程度の値です。
さて、ここで現在風力発電に対する技術的なブレーク・スルーだともてはやされている風レンズ風車について紹介します。
上図に示すように風車の後流にリング状の障害物を設置することでいわゆる後流渦を発生させることによって、主流に対するプロペラの回転半径よりも広い面積の風を引き込む(図では流線が風車の回転軸側に曲がっていることに対応)ことによって、同一半径のプロペラに対して捕捉する運動エネルギー量を大きくしようという試みです。例えば小型風レンズ風車の実物の構造は次の写真に示すとおりです。
風レンズの形状によって異なりますが、報道では同じ直径のプロペラ風車の数倍の出力が得られるとしています。さて、あなたはこの風車を有効だと考えますか?もし私が企業の風力発電のプロジェクトリーダーであれば、即座に却下します。
基本的に、風レンズ風車の技術開発の方向性に誤りがあります。現実のモノを作る設計者は、目的を達成するために投入する総費用(これはそのまま資源量とエネルギー量を反映します)の最適化を目指します。
これに対して、この風レンズ風車の開発の方向は同一直径のプロペラを使う風車のエネルギー捕捉量を増やすことを目指しています。それは実験室的あるいは趣味的には面白いかもしれませんが、実用上の意味はありません。問題は総費用の最適化なのです。
確かに、小型のおもちゃのような風力発電であれば、有効であるかもしれません。ここではあくまでも発電出力がMWクラスの大型風車を想定して話を進めます。
まず、風レンズ風車の構造的弱点です。MWクラスの風力発電風車の直径は小さくても60m程度はあるでしょう。例えば風速70m/s程度を想定して直径60mのリング状の風レンズ自体の構造を保つための剛性を維持することはかなり厳しい問題です。風レンズは自然風の中に強制的に後流渦を生じさせる装置ですが、風レンズの受ける抵抗は非常に大きく、これを支える下部構造には非常に大きな負担がかかります。
上に、現在構想中の洋上風レンズ風車のイメージとハマウィングの写真を示します。ハマウィングのスレンダーなプロポーションに対して、風レンズ風車はかなり無骨なプロポーションになります。この風レンズ風車を陸上に建設するとして、通常のプロペラ風車に対する性能、仕様を推定してみます。ここで示す数値はあくまでも私の構造屋としての感覚ですが、とりあえず検討の方向性としてお考えください。
<ハマウィングの仕様>
●定格出力1980kW(設備利用率12.9%:平均実効出力1980kW×12.9%=255kW)
●ローター直径80m
●総重量238t
これに対して、ローターの直径80mとした風レンズ風車の仮想の仕様を次のように推定しておきます。
●定格出力4000kW(設備利用率12.9%:平均実効出力4000kW×12.9%=516kW)
●ローター直径80m
●総重量1000t
風レンズ風車の耐用年数を20年として、建設費・維持費は総重量に比例すると仮定します。ハマウィングの20年間の総費用は1,500,000,000円なので、この風レンズ風車の総費用は次の通りです。
1,500,000,000円×1000t/238t=6,302,521,008円
20年間の総発電量は次の通りです。
516kW×24×365×20=90,403,200kWh
この仮想風レンズ風車の発電電力原価は次の通りです。
6,302,521,008円÷90,403,200kWh≒70円/kWh
仮想風レンズ風車の電力生産図を次に示します。
エネルギー産出比は次の通りです。
エネルギー産出比=1kWh/5.88kWh=0.17<0.35
以上から、風力発電装置の工業生産システムとしての評価としては、通常のプロペラ形式の風力発電のほうが圧倒的に優れているというのが結論です。ハマウィングの2倍の出力が欲しければ、風レンズ風車を使うよりもハマウィングと同等の風車を2基作るほうが工業的には遥かに優れた判断なのです。蛇足ですが、この風レンズ風車を洋上に建設することになれば、更にエネルギー産出比が低下することは説明するまでもありません。
今回示した試算は、勿論厳密なものではありませんが、定性的に誤りはありません。一般的に技術に対する社会の評価は、兎角その技術の実現する内容にばかり気をとられて、それを実現するためにはどれだけの資源とエネルギーが投入されたのかという問題を見逃しがちです。その結果、原子力発電は安価な発電装置であるとか、自然エネルギー発電は無条件に良い技術などという頓珍漢な評価が行われるのです。
勿論、現在九州大学で研究されている風レンズ風車の特性に関する研究が無意味などと言っているわけではありません。ただ理論的な研究と現実社会の発電システムとして採用すべきかどうかを議論する場合には両者をを峻別しなくてはなりません。特にエネルギー技術において決定的に重要なのは、結果を得るための投入エネルギー量と最終的な供給エネルギー量の絶対的な比率なのです。この視点を忘れるととんでもない結果を生むことになることを理解していただきたいと思います。
現実社会の発電装置として、風レンズ風車は通常のプロペラ風車よりも工業技術的に劣る技術であるというのが私の最終判断です。
停止中の原子力発電所の運転再開を目指して、九州電力玄海原子力発電所のある佐賀県で国の現地説明会が開催されました。
しかし、この説明会は地元の一般住民の参加は許されず、あらかじめ国の選んだ7名の住民に対して経済産業省原子力安全・保安院の担当者がケーブルテレビのスタジオにおいて説明を行い、これを放映するという方法で行われました。
国は何というふざけたことをやるのでしょうか。この説明会は、地元玄海町の岸本町長が原子力発電所運転再開を容認する立場を示していることから、地元説明会を行ったという実績を作ったうえで早急に運転再開を実現し、他の原子力発電所運転再開の突破口にしようと考えているのでしょうか。
一方、当地の至近の原子力発電所である四国電力の愛媛県の伊方原子力発電所3号機では7月10日の運転再開に備えて6月24日からMOX燃料を含む核燃料の装荷が開始されました。
また、6月24日未明に福井県の日本原研の高速増殖炉「もんじゅ」において炉内に落下していた炉内中継装置の引き抜き作業が行われました。まだ国はこの傷だらけの老朽高速増殖炉に執着しているようです。もんじゅの状況は昨年運転再開時よりも更に悪化しているのは明らかです。再稼動は非常に大きなリスクがあります。
こうした一連の国の動きを見る限り、彼らは福島第一原発事故から何も学んでいないようです。
No.618、No.621の2回にわたって欧州の自然エネルギー発電電力の高額の買取制度の破綻について紹介してきました。こうした失敗が起こる本質的な原因について整理しておくことにします。
日本において自然エネルギー発電導入を進めようとする人々は、不思議なことに、自然エネルギー発電が従来の火力発電に比較して技術的に何がどのように優れているのかを全く説明しようとしません。
彼らの主張は、自然エネルギー発電は良いに決まっているというところから出発しています。後は普及させるだけであり、『普及させる上での問題』は発電コストが高いことだけであるというのです。故に、彼らは自然エネルギー発電の技術的な問題を検討するのではなく、もっぱら高コストの発電システムを導入するための経済制度=高額買取制度を創りさえすれば問題が解決すると主張します。
しかし、電力という工業製品が高価格であるということは、エネルギー供給技術として致命的な技術の問題があるからなのです。
1.自然エネルギー発電の本質は装置製造
自然エネルギー発電が無条件に環境に良いと考えるのは非科学的な幻想です。まず、火力発電と自然エネルギー発電の定性的な特性を簡単にまとめておきます。
火力発電は発電設備があっても燃料が無ければ何も生み出しません。また、石油などの優れた燃料資源を利用するため単位発電電力量当たりの発電施設規模はごく小さいものですみます。火力発電で本質的に重要なのは電力の原料である燃料資源の存在です。
これに対して、自然エネルギー発電は電力の原料である自然エネルギーは地球上のどこにでもほとんど無尽蔵に存在する自由財なので枯渇することはありませんが、それだけでは何の価値もありません。自然エネルギー発電では発電装置を工業的に生産することが発電の本質なのです。どこにでもある低密度で拡散したそのままでは工業的に価値のない自然エネルギーを工業的に利用できるほどに集約するためには、単位発電電力量当たりに必要な
発電施設規模が必然的に非常に大きなものになります。自然エネルギー発電施設という巨大な工業製品を作る過程で莫大なエネルギーが消費されているのです。
自然エネルギー発電であるから無条件に工業的エネルギー≒石油消費量を減らすことが出来るという太陽崇拝あるいは自然エネルギー信仰によって思考停止状態にあるのが現在の日本の世論の大勢であり、非常に危うい状況です。これでは再び原子力発電の安全神話を信じたのと同じ誤りを犯すことになります。
2.工業生産過程
最初に一般的な工業生産過程について検討します。工業生産とは、原料を工業的なエネルギーを利用して製品に加工するプロセスです。現在の工業生産システムを支える基本的なエネルギー資源は石油です。
図に工業生産過程の生産図を示します。横方向の流れは原料資源から製品が製造される過程を示します。縦方向の流れは、製品を作る過程で消費される石油を中心とするエネルギー資源や副次的な資源、そして製造設備の減価償却に相当する設備の損耗を示します。
工業生産過程に投入された原料は、工業的なエネルギーや工業用水や有機溶剤など(低エントロピー資源)を使用して不純物を取り除き、加工・組み立てられて最終製品になります。工業生産過程に投入されたエネルギーや副次的な資源は廃熱や廃物(高エントロピー状態)になります。
例えばゲーム機を製造する場合、鉱物資源を原料に最終的にゲーム機を生産します。消費者はゲームを楽しむという使用価値を得るためにゲーム機を購入します。この場合、原料である鉱物資源と消費者の得る使用価値=ゲームを楽しむこと、には直接的な関係が存在しません。そのためゲーム機の価格を高いと感じるか安いと感じるかは消費者の価値観によって異なり、絶対的な尺度は存在しません。複数メーカーが同等製品を販売している場合には相対的な製品価格によって高いと感じたり安いと感じたりすることはありますが、それは使用価値の絶対的な価値を評価したものではありません。
製造コストを安くするためにはどうすればよいでしょうか?生産図からわかるように、生産過程で最終的な製品になる部分以外の縦方向の消費の流れを出来るだけ少なくすることが製造コストを安くすることであり、同時に省資源的な優れた工業生産システムなのです。
3.電力生産における絶対的判断基準=エネルギー産出比
次に電力生産について考えます。電力生産という工業生産過程は、原料としてエネルギー資源(石油・LNG・石炭・ウラン・バイオマスなど)あるいはエネルギー(太陽放射・風など)を投入して、最終製品である電力もまたエネルギーだという特殊な工業生産過程です。その結果、電力を作る全生産過程で消費された工業的エネルギーの総量と製品としての電力量を熱量あるいは仕事量として同一の物理的尺度で絶対的に比較することが可能です。エネルギー製造過程の優劣を判断する尺度としてエネルギー産出比を定義しておきます。
エネルギー産出比=(産出エネルギー量)/(投入エネルギー量)
例として石油火力発電の生産プロセスを検討することにします。現在、石油火力発電電力の発電原価は10円/kWh程度です。この内、燃料費用は60%程度、6円/kWhです。
残りの4円/kWhは生産設備=発電所建設費用を耐用期間で均等割りした1kWh当たりの償却費用と、発電所運用で消費されたエネルギー費用の合計です。生産設備もまた工業製品ですから、償却費用の中には生産設備製造・建設に投入されたエネルギー費用を含んでいます。ここでは、4円/kWhの中に含まれるエネルギー費用の合計を20%と仮定しておきます。つまり、4円/kWh×20%=0.8円/kWhがエネルギー費用、残りの3.2円/kWhが生産設備の材料費用だとします。
エネルギー量を石油価格換算で表すことにします。燃料石油価格を25円/リットル、燃料石油発熱量を10.5kWh/リットルとして石油火力発電プロセスの生産図を示します。
現在、平均的な火力発電の熱効率は40%程度です。生産図から熱効率を求めると、
熱効率=1kWh/2.5kWh=40%
ですから、この電力生産図は妥当な数値を表していると考えてよいでしょう。次に、生産プロセスで消費されたエネルギーを含めたエネルギー産出比を求めると次の通りです。
エネルギー産出比=1kWh/(2.5kWh+0.33kWh)≒0.35
つまり、石油火力発電では石油1単位を投入することで0.35単位の電力を生産するのです。
次に、自然エネルギー発電の例として太陽光発電について示します。太陽光発電電力の原価は、No.594において国内の運用実績から算出したように50円/kWh程度です。太陽光発電における電気の原料は太陽光という自由財なので、費用は全て太陽光発電装置の償却費用です。太陽光発電の償却費用の内、20%を太陽光発電パネル製造・建設に投入されたエネルギー費用、太陽光発電パネルの太陽光に対する変換効率を10%として電力生産図を示します。
工業生産プロセスとしての発電システムの優劣を判断する場合、太陽光や風力というどこにでもある自由財は考慮する必要はありません。工業生産過程としてのエネルギー産出比はプロセスで投入された工業的なエネルギーに対する産出エネルギーで比較すればよいのです。太陽光発電のエネルギー産出比は次の通りです。
エネルギー産出比=1kWh/4.17kWh≒0.24<0.35
太陽光発電では石油1単位を投入することで0.24単位の電力を生産するのです。これは、太陽光発電は石油火力発電よりも石油利用効率が劣ることを示しています。
二つの生産図を比較すると、太陽光発電過程では縦方向の矢印で示す資源の消費量が圧倒的に大きいことがわかります。太陽光発電は石油消費量だけでなく、その他の鉱物資源をも大量に浪費する極めて非効率的な工業生産プロセスなのです。その結果として太陽光発電電力の原価は極めて高いのです。つまり、自然エネルギー発電電力が高価であると言うことは、発電技術として劣ることを示しているのです。
4.不安定電力による追加エネルギーコスト
これまでの議論で、電力という製品を製造する発電という工業生産過程の評価方法を示しました。この評価方法は電力だけでなく、最終的な製品の使用価値がエネルギー(運動エネルギー、熱エネルギー、光エネルギーなど)である場合に一般的に適用可能です(例えば、運用コストが非常に高い燃料電池車はガソリン・エンジン車よりも劣る工業技術です。)。
前節で検討したように、一般的に自然エネルギーは地球上のどこにでも存在しますが、同時に拡散した密度の低いエネルギーです。それ故そのままでは工業的な利用価値が無いため自由財なのです。この自由財に手を加えて工業的に価値のある電力を得るためには、膨大な工業的な生産手段が必要になります。これが自然エネルギー発電の克服不可能な一つの致命的な欠陥です。
それでも、単に発電原価が高いだけであるのならば、経済的に有り余る金の投資先に困っている国であれば自然エネルギー発電を主要な発電システムとして使うことも一つの選択肢です(勿論、この場合CO2放出量も石油消費量も増加します。)。
しかし、自然エネルギー発電にはもう一つの致命的でより本質的な欠陥があります。それが予測不能な非定常な変動です。社会的に要求される電力供給には需要に即応すること、つまり社会の要請にしたがって完全に制御することが求められます。しかし、自然エネルギーの変動は非定常で予測不能であり、ましてこれを制御することは不可能です。無制限に資金を投入することができたとしても、自然エネルギーだけで全ての電力供給を賄うことは技術的に不可能なのです。
自然エネルギー発電では、気象条件によって激しく変動し、発電量がほとんどゼロになる場合も想定されます。こうした状況に対するバックアップのために既存の発電所を廃止することはできないのです。現実的には、既存の発電所を残したまま自然エネルギー発電を併設し、条件の良いときには自然エネルギー発電で電力を供給し、発電できないときには既存の発電所を動かすという『お天道様まかせ、風まかせ』の運用を行うというのが実態です。
つまり、自然エネルギーが非定常で予測不能の変動をするという避けがたい性質から、自然エネルギー発電の導入とは、既存の電力供給システムを置き換えるのではなく、既存の施設を温存したまま更に自然エネルギー発電施設を付け加えることになるのです。社会の保有する全発電設備容量は自然エネルギー発電設備を導入した分だけ増加するにもかかわらず、供給電力量は変化しないため、結果として発電設備の設備利用率が低下することになります。
しかし、問題はそれだけではありません。自然エネルギー発電のバックアップ用の発電所は、自然エネルギー発電の非定常な予測不能の出力変動と電力需要とのギャップを穴埋めする運転を求められる結果、無理な出力変動を強いられることになります。バックアップ用の発電所の発電効率は通常の運転とは比較にならないほど低下することになります。
以上から、自然エネルギー発電を導入する場合の経済コストを正当に評価するためには、自然エネルギー発電装置を導入・運用するための直接的な費用に加えて
@バックアップ用発電所建設・運用に係る費用
A蓄電装置、揚水発電所などバッファー施設の製造・建設・運用に係る費用
B自然エネルギー発電を運用することによって既存発電所が受ける負担増による発電効率の低下に係る費用
を加えなくてはなりません。
これらの付帯的な費用を含めた“自然エネルギー発電システム”全体の導入費用に対してエネルギー産出比を算定することによって、はじめて既存の発電所を代替する場合の技術的な優劣の判断が可能となります。
例として戸建て用太陽光発電装置に蓄電装置を併設した場合についてのエネルギー産出比を算定します。
戸建て住宅用3kW太陽光発電装置260万円と蓄電装置150万円程度を設置するものとします。ただし蓄電装置の寿命はそれほど長くないので太陽光発電装置の標準的な耐用期間17年間の内に1回更新すると仮定します。戸建て用3kW太陽光発電装置と蓄電装置を併用して17年間運用する場合の総費用は次の通りです。
260万円+150万円×2=560万円
耐用期間中の総発電量は 51000kWhなので、蓄電装置併用の太陽光発電の電力原価は次の通りです。
560万円÷51000kWh=110円/kWh
太陽光発電装置と蓄電装置を併用すると、発電原価は2倍以上になります。太陽光発電システムは単位発電電力量当たり石油火力発電の 22円/6.8円=3.24倍の石油を消費することになります。「スマートグリッド」という情報通信網を付加すれば更に発電原価は上昇します。この太陽光発電システムのエネルギー産出比は次の通りです。
エネルギー産出比=1kWh/9.24kWh≒0.11≪0.35
ここでは太陽光発電を例に自然エネルギー発電による発電原価が非常に高くなる構造を示しました。不規則変動をする自然エネルギー発電をその変動を緩和するための付帯装置まで含めたシステムとして導入する場合、単位供給電力量当たりの石油消費量が火力発電を下回るような自然エネルギー発電技術は存在しないのです。
5.デンマーク・マジック
現在、電力供給において自然エネルギー発電電力の割合が最も高いのがデンマークではないでしょうか。公式には電力需要の20%程度を風力発電で賄っていることになっています。
しかし、この数字には巧妙なトリックが仕組まれています。欧州は、国境を越えた広域の送電線網が存在し、また欧州は自然エネルギーの導入に積極的であり、太陽光発電や風力発電による電力=グリーン電力市場が存在します。
デンマークは自国の電力需要の20%程度に相当する電力を風力発電で発電しています。しかし、風力発電による激しく変動する電力を自国の小さな送電線網の中で処理することはできません。デンマークは風力発電電力の大半をグリーン電力の購入に積極的な欧州の巨大電力市場で売りさばいているのです。デンマークの風力発電は実質的には自国の電力需要の1.7%(1999年)〜3.3%(2003年)程度を賄っているに過ぎないのです。
では足りない電力はどうしているのでしょうか?デンマークは海外に販売した風力発電電力よりも多い安定電力を欧州の電力市場から買い付けて国内の電力需要を賄っているのです。
つまり、デンマークの総電力供給量の中で見かけ上風力発電電力が高い割合を示しているのは、周辺に風力発電の不安定電力を吸収できる巨大な送電線網と市場が存在するからなのです。これはデンマークという大陸の小国だから実現できたことです。デンマークの風力発電は、実質的には自国の電力需要のわずか数%を満たす程度の規模なのに、その不安定電力と電力需要とのギャップを調整するために既存の火力発電所は全く閉鎖できずに、全力で運転されているのです。
現在では欧州の巨大な総電力供給量に対する不安定な自然エネルギー電力の割合はまだまだ小さいので、その狭間でデンマークのような小賢しい帳簿上の処理で自然エネルギー発電の割合を高く見せることができます。しかし、仮に全ての国が10%オーダーで自然エネルギー発電を開始すれば最早他国の不安定電力を購入しようとする国は無くなり、欧州全体の電力供給が不安定化する可能性が高くなるでしょう。
現在のデンマークの状況を見て、日本でも技術的には総電力需要の20%程度は自然エネルギー発電で賄うことが可能だと判断することは誤りです。日本の電力供給量はデンマークとは比較にならないほど大きく、しかも不安定電力を海外に販売することも出来ないし、海外から安定電力を購入することもできません。全て自前で不安定電力と電力需要の調整まで行った場合、電力価格は高騰し、しかも大規模停電の可能性が高くなるのです。
6.徹底的な電力自由化を求める
一般的に市場への政治介入による特例的な優遇措置は健全な技術発展を阻害することになります。例えば日本の電力各社による地域独占販売、送電線網の独占もその一つです。電力各社が原子力発電という極めて危険で高コストの発電方式をこれまで維持することができたのはこの地域独占体制があるからです。
福島第一原発の事故を契機に、電力各社の特権を排除して電力の自由化、発電と送電を分離して開放することが求められています。この件に関しては依存ありません。
しかし、その一方で政治介入によって太陽光発電や風力発電という極めて低品質の不安定電力に対して市場価格の数倍の固定価格による全量買取を電力会社に義務付けるとはどういうことでしょうか?これでは電力自由化の方向と論理的な整合性がありません。
医療や福祉分野などはともかく、利潤を生む電力供給という分野であれば、電力供給の安定性を確保することは必要ですが、それ以外は一切市場に任せて自由競争を行うことが技術的な向上と省資源化、その結果としてのコスト低減に最も寄与することになるのです。電力供給の徹底した自由化を求めます。そして、
「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」に断固反対します。