愚かな夢想家=菅直人が退陣したのは誠に結構ですが、今度は恐ろしい人物が総理大臣に就任しました。
既に民主党代表選の前から、野田佳彦の時代錯誤のタカ派的発言に近隣の東アジア各国は警戒の姿勢を示していました。問題の発言は今年の終戦の日8月15日の記者会見で「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」、「首相の靖国参拝は理に適う」という内容でした。
これまであまり目立たぬ地味な実務屋的な印象を持つ野田氏でしたが、実際には前原以上に筋金入りのタカ派であり、自民党の石破とは本質的にかなり近い政治姿勢と見てよいでしょう。彼のこの体質は、彼の経歴からも十分うなずけるものです。
彼は自衛官を父に持つという家庭環境で育ち、おそらくそれを肯定的に捉える世界観が形作られたものと思われます。大学卒業後に、新保守主義的私塾である『松下政経塾』を経て政治家に進んでいます。ご存知のように、松下政経塾の思想的な基幹は、自由主義経済、小さな政府、親米的タカ派ということに象徴されるようです。蛇足ですが、松下政経塾は自民党、民主党の若手タカ派議員を多数輩出しており、近い将来彼らが合同してタカ派的政界再編が起こる可能性も否定できないように思います。
このような思想的な背景を持つ野田佳彦は当然ですが核武装論者です。日本版Wikipedia『日本の核武装論』において「主な核武装論者」にも名を連ねています。
原子力発電との関係では、日本の核武装には高速増殖炉核燃料サイクルないしプルトニウム製造原子炉が必要ですから、彼は積極的な脱原発には否定的と考えて間違いないでしょう。
経済的には市場重視の自由主義経済を重視し、小さな政府を目指していますから、今後弱者切捨ての一般消費税の大増税路線に向かう可能性が強いでしょう。
さて、今回は少し変わった話題です。日本のインターネット情報に対する国家介入についてです。
このHPは開設して12年目に入ります。おかげさまで比較的多くの方に閲覧していただいております。その結果、昨年の初めまでは主要な検索エンジン、例えばYahoo!やGoogleのウェブ検索で“環境問題”というキーワードで検索するとトップ10の上位に常にランキングされていました。また1日のアクセス量はユニーク・アクセスで1000〜2000程度で推移していました。
ところがある時期から、アクセス数が激減して1/10程度に落ち込みました。まあ、内容が面白くなくなった(笑)ということも当然考えられますので、徐々にアクセスが減少することはあるだろうと思います。しかし、あまりにも劇的な減少でしたので、何らかの原因があるのではないかと思いました。
そこで、Yahoo!とGoogleで“環境問題”で検索してみますと、トップ10はおろかトップ100にも引っかからず、見つけることが出来ませんでした。なるほど、どうやらこれが原因のようです(現在はトップ20にまで回復し、アクセス数は500程度にまで回復しました。)。ちなみに新興勢力(笑)であるbingで検索すると、相変わらずトップ10の上位にランキングされていました。
ここでいくつかの事実が明らかになりました。日本では、検索エンジンとして圧倒的に影響力が強いのはYahoo!とGoogleであり、bingはあまり影響力が大きくない(笑)ということ、“何らかの意図”で影響力の強いYahoo!とGoogleからこのHPが削除されたのではないかということです。
被害妄想ではないかと言う方も居るかもしれません。しかし、3月11日の震災・原発事故以降、ネット上において様々な情報管制が行われていることが明らかになってきました。例えば、このHPでも紹介した原発事故直後の槌田敦氏の講演会の動画が、公開後わずか数日で閲覧できなくなったこともありました。
こうした情報管制が行われていることを伺わせる動きに関して、ネット上にも証拠が残っています。例えば資源エネルギー庁のHPに今年度の入札情報が公開されています。主要部分を次に示します。
入札添付の仕様書には業務内容が記されています。主要部分を以下に示します。
この入札において『広告代理店アサツーディーケー(ADK)』が7000万円で落札したそうです。
この資源エネルギー庁以外でも、総務省はインターネットサービス事業者や通信各社に対し、東日本大震災に関するネット上の流言飛語について、表現の自由に配慮しつつ、適切に対応するよう要請したり(2011.4.6)、警察庁は原発問題で、官房長官、原子力安全・保安院、原子力委員会、東電等、関係機関が発表する内容以外の情報を流したものには「デマ・憶測」として摘発するとしたり(2011.4.2)、この国でも国家はネット情報を監視し、密かにそして中国よりもはるかに巧妙に情報操作を行っているのです。
さて、では日本では国家はどの検索エンジンを最も重視しているのでしょうか?日本ではなぜかYahoo!を利用する人が多いようです。おそらく国家もYahoo!を中心に介入することになるはずです。
ところが、皆さんもご承知と思いますが、昨年Yahoo!JAPANは検索エンジンとしてGoogleを使用することにしました。その結果、基本的に両者のウェブ検索のランキングは共通になったのです。しかし、面白い現象があります。共通のはずの両者のランキングは微妙に違うのです。
このコーナーNo.649(2011/08/23)「NHKお馬鹿番組の記録J震災復興特需を食いものにする新エネルギー」についてYahoo!とGoogleについて“NHK
新エネルギー覇権争奪戦”でウェブ検索を行った結果(8月30日朝現在)を紹介します。左がYahoo!の検索結果、右がGoogleの検索結果です。
お分かりのように、Yahoo!のウェブ検索結果ではGoogleではトップにランキングされている当HPの記事だけが存在しないのです。
まあ、このHPが国家から要注意としてマークされているであろうことは想像に難くないのですが(笑)、皆さんもネット上の情報には十分注意することが必要です。ネット上で国家の政策に係るような重要情報を探す場合には、マイナーなウェブ検索サイトを必ずチェックすることが重用だと思われます。
残念ながら世紀の悪法となる「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」が成立しました。既に概要につきましては何度も触れていますが、改めて紹介することにします。まず新聞報道から。
次に経産省のHPからの再生可能エネルギー特措法の概要を紹介します。
『電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法』条文
まず、この法律の名称自体が既に非科学的であることを示しています。条文では第二条4で
『4 この法律において「再生可能エネルギー源」とは、次に掲げるエネルギー源をいう。
一 太陽光
二 風力
三 水力
四 地熱
五
バイオマス(動植物に由来する有機物であってエネルギー源として利用することができるもの(原油、石油ガス、可燃性天然ガス及び石炭並びにこれらから製造される製品を除く。)をいう。第六条第三項及び第八項において同じ。)
六
前各号に掲げるもののほか、原油、石油ガス、可燃性天然ガス及び石炭並びにこれらから製造される製品以外のエネルギー源のうち、電気のエネルギー源として永続的に利用することができると認められるものとして政令で定めるもの』
と定義されています。
高校の物理学を習得している方なら既にご存知の通り、わたしたちの利用可能なエネルギーは不断に、しかも一方的に環境に拡散していく(エントロピー増大の法則)ため、一旦消費したエネルギーを再生することなど不可能なのです。ここに挙げられているものは、むしろ自然エネルギーと呼ぶべきものです。一国の法令の名称にこのような非科学的な名称をつける神経が理解できません。このHPでは再生可能エネルギーという言葉は以上の理由から使わないことにしています。
「そんな名称に難癖をつけても仕方ないでしょう?」という声が聞こえてきそうですが、この非科学的な名称は、内容の非科学性を象徴的に示しているのです。条文の第一条において
『(目的)
第一条
この法律は、エネルギー源としての再生可能エネルギー源を利用することが、内外の経済的社会的環境に応じたエネルギーの安定的かつ適切な供給の確保及びエネルギーの供給に係る環境への負荷の低減を図る上で重要となっていることに鑑み、電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関し、その価格、期間等について特別の措置を講ずることにより、電気についてエネルギー源としての再生可能エネルギー源の利用を促進し、もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。』
としていますが、既にこのHPでは再三指摘してきたように彼らの言う再生可能エネルギーの導入はこの目的に全く反するものなのです。
さて、冒頭で紹介した新聞記事では、Q&Aで『特別措置法案では軽減措置を定めました。売上高に占める電気使用量が製造業平均の8倍を超える企業は、電気料金の上乗せ分の8割以上を減額します。』としています。そして減額分は何らかの形で国庫から支出する、すなわち国民が負担するということです。なんと馬鹿な話でしょうか。本来ならば大量に電力を使用するものが負担することが当然なはずですが、それを国民に転嫁して大企業を優遇するところにこの国の姿を端的に見ることができます。
ただ、法の条文を見る限り『電気使用量が製造業平均の8倍を超える企業は、電気料金の上乗せ分の8割以上を減額』という文章を発見できませんでした。条文では第三条4で
『4
経済産業大臣は、調達価格及び調達期間(以下「調達価格等」という。)を定めるに当たっては、第十六条の賦課金の負担が電気の使用者に対して過重なものとならないよう配慮しなければならない。』
とあるだけです。
さて、最後に個人住宅用の太陽光発電の導入を考えている方に一言。法では住宅用太陽光発電電力の買取については、買い取り期間を10年間としています。おそらく、電力買取価格は40円/kWh程度になるのではないかと思いますが太陽光発電電力全てを売電したとしても、太陽光発電パネルと家庭用蓄電装置への投資金額を回収することは不可能です。更に、自家消費した残りの余剰電力だけを販売するのであれば、まったく話になりません。
もし本当に環境に良い事をしたいとお考えなら、電力会社や家電メーカーの口車に乗ってオール電化にするような馬鹿なことは止めることをお勧めします。
このコーナーのNo.647「耳障りのよい非科学的な政策・・・」において、福島県の放射性物質に汚染された瓦礫の県外処理という細野原発担当相の発言を批判しました。辞職が決まった菅直人は最後に汚れ役としてこの細野原発担当相の耳障りのよい政策をひっくり返しました。新聞報道を示します。
この菅直人の発言は極めて合理的であり、全面的に支持します。しかしまだ最終処分は県外としていることは不十分でしょう。前回も述べたとおり、福島第一原発事故によって放出された放射性物質はできるだけ拡散せずに、福島第一原発周辺で集中管理することが最も合理的であり、現実的な判断です。
福島県の佐藤県知事は菅直人の発言に不快感を示したようですが、本当は初めから放射性物質の処理は福島県内で拡散せずに行うという方針を国として明確に示すべきであったところを、細野原発担当相が浅墓な発言をしたことが混乱を生じさせたのです。
また、現状では大量に生じた放射性物質で汚染された瓦礫や土壌の処分方法すら決定しておらず、有効な除染方法は確立されていません。例えば校庭の表土を剥がしたところでその表土の処理に苦慮するだけです。結局チェルノブイリの前例からも放射性物質に汚染された地域を無人地帯にして放射能の減衰に任せることが現実的な対応のように思います。
今回は細野原発担当相自身も土壌が高濃度に放射性物質に汚染されている地域からは長期間の退避が必要だと認めました。
菅直人とその政権は最後まで、当面をごまかすその場しのぎのための楽観的な見通しを打ち上げては後で訂正するという繰り返しによって人心を混乱させ、不信感を増幅し続けました。誰が次の政権を担うことになるのか、政策には全く期待していませんが、少なくとも菅直人と彼の政権のような出来もしない安請け合いと不誠実な対応だけは是非とも止めてもらいたいものです。
先日お伝えした大入島の埋め立て事業ですが、大分県は事業の休止を発表しました。まずその新聞報道を示します。
結局港内の浚渫土砂は大入島沿岸ではなく佐伯港の埠頭の埋め立てで処理することで「必要最低限の航路を確保」することが出来たのです。果たして、良好な漁場である大入島沿岸に敢えて浚渫土砂を埋め立てる必然性があったのか、非常に疑問です。環境に対する配慮があれば、このような問題を起こす必要も無かったように思います。
今回、大分県は事業の休止であって、事業そのものがなくなったのではないとしています。何とか事業の完全白紙撤回を勝ち取りたいものです。
再生可能エネルギー特措法をにらんでか、NHKの自然エネルギーを取り扱う特番が立て続けです。大体の内容は予測がつくものの、“怖いものみたさ”でまた見てしまいました(笑)。予想に違わず、実に無内容な番組でした。NHKのホームページからの紹介です。
既に先発する西欧では自然エネルギーの固定価格買取制度が破綻しつつあります。後発の日本であれば、なぜうまくいかないのかを徹底的に分析して同じ轍を踏まぬことが可能ですし、それを求められることは当然です。
NHKのこの無駄な番組は、それにもかかわらず、自然エネルギー発電の本質的な問題である熱学的問題、不安定性の問題、あるいは工業技術としての問題にはほとんど触れられず、相変わらず何ら合理的な説明を行うことなく“自然エネルギー発電=普及させるべき発電方式”という前提に立って、専らどのような政策誘導を行えば自然エネルギー発電が普及するかという問題設定であり、既にこの段階で狂っています。
番組の3人の出演者は野村総研の経済屋、ワークライフバランスという経営コンサルタント(?)会社の社長、作家という、とてもエネルギー問題についての見識が高いと思えないど素人であり、番組は憶測による空論による放談でした。
NHKのエネルギー問題に関する認識の低さは既に何度もこのコーナーで報告しているので今更評価する必要も無いと思います。ただ、番組で紹介されている3.11の震災復興に投下される国家予算を食いものにしようという新エネルギー発電の普及を目指す企業連合、それはほとんど福島第一原発事故を起こした企業連合と重なるのですが、彼らの好き勝手な行動を許さないようにすることは重要です。まず、NHKのHPから紹介しておきます。
震災復興構想会議の『復興への提言〜悲惨のなかの希望〜』や番組で紹介されている相馬市の復興計画の中に自然エネルギー(再生可能エネルギー?)とスマートグリッドの組織的な導入が掲げられていることに非常に違和感を感じます。
これは震災以前から菅直人が固執し、震災当日に閣議決定した再生可能エネルギー特措法を推進する勢力、例えば経済産業省、NEDO(独立行政法人
新エネルギー・産業技術総合開発機構)や内閣府国家戦略室(例えば宮城県の復興構想会議にも参加している三菱総研の小宮山宏)などによって、震災復興計画が利用されていると見るのが自然です。彼らは、ある意味で大盤振るまいになる可能性の高い復興特需予算を、またしても食いものにしようとしているのです。
東北地方の復興とは、豊かな自然環境に根ざした農林水産業を復興させることでしょう。このような地域に太陽光発電や風力発電と高度情報通信網を集積する近代都市を構築するなど、あまりにも異質であり、地域の破壊では無いでしょうか?
番組で紹介されている相馬市の計画は、おそらく新エネルギーを推進する企業やコンサルタントの口車に乗せられて描いたものだと思います。汚染した農地に太陽光発電パネルを設置して水産加工業や野菜工場を建設するなど、経済的に成り立たず常識的には考えられません。よく考えてください。
確かに、震災復興事業として初めは国家予算が投下されることになりますが、その後の運営は当然設置した地方自治体の責任になります。経済的にもエネルギー技術的にも自立困難な太陽光発電による電力供給システムを維持するためには莫大な追加費用が必要になるのです。おそらく太陽光発電パネルの耐用期間が経過した後の更新は不可能でしょう。原子力発電で電源立地の補助金漬けになった自治体と同じような過ちを犯すことになります。
地元住民・自治体の皆さん、どうか震災復興会議や企業のバラ色の復興計画に惑わされずに、地域の自然環境に根ざした本当の地域住民の生活の復興を目指していただきたいと思います。このままではまたしても国家や企業のエネルギー戦略によって地域が振り回され、食いものにされ、荒廃していくことが強く懸念されます。
東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授の掲題のレポート(医学のあゆみ Vol. 231 No. 4 2009. 10.
24)を転載します。
チェルノブイリ原発事故を含めて低線量放射線被曝と癌発症に関する統計的なデータからは因果関係の立証が出来ないことを利用して、福島第一原発事故以降にマスコミに登場した御用学者の多くは“心配ない”と繰り返しました。
しかし、このHPでも既に述べてきたように統計的に立証できないということと因果関係が無いということは同義ではないのです。統計的に立証できないということは、因果関係があるかどうかを統計的手法では判別できないという統計学の限界を示しているにすぎないのです。
児玉龍彦/Tatsuhiko KODAMA
東京大学先端科学技術研究センターシステム生物医学ラボラトリー
Vol.28
チェルノブイリ原発事故から
甲状腺癌の発症を学ぶ
―エビデンス探索 20 年の歴史を辿る
福島第一原発以降のこの国の政治家と役人と御用学者の無能には絶望的に呆れ果てています。あるいは自らの責任を隠蔽するための、彼らお得意の“高度な政治的判断”によるサボタージュなのか・・・。おそらくその両方であろうと思われます。
事故当初、心配する必要は無いと繰り返して住民の生命よりも社会秩序を優先した国によって、福島第一原発周辺住民は不用意な被曝をしてしまいました。今頃になってようやく一般住民に対してホールボディカウンターによる被曝検査が行われようとしていますが、事故直後の主要な放射性核種であったヨウ素131は既に検出されないため、今検出されるのは体内に現在蓄積しているセシウム137の崩壊過程からのγ線であり、原発事故以降の累積的な被曝の程度が分かるわけではありません。チェルノブイリ原発事故の経験から、5〜6年後あたりから小児甲状腺がんが急増するであろうと思われます。
福島第一原発周辺は言うに及ばず、福島県だけでなく北関東から東北一円に放射性物質は広く撒き散らされています。私の住む大分県でさえ大気中から福島第一原発起源のセシウム137は現在も微量ながら検出され続けています。
どこに線引きを行うかはともかく、面的に比較的高濃度に汚染された地域は人間の居住には適さないことは当然です。細野原発担当相あるいは国は、強制避難、あるいは避難勧告によって汚染地域から避難している住民が出来るだけ早く元の居住地に戻れるようにしたい、そのために除染を行うとしていますが、狂気の沙汰としか思えません。
既に現在残存している主要な放射性物質の半減期は数十年以上であり、急速に減衰することはありません。更に、既に環境が面的に広範囲に汚染されているのですから、住居や学校などの施設を点として除染したところで無意味です。そのような環境に放射性物質に対する感受性の高い子供たちを戻すことなどとんでもない話です。
細野原発担当相あるいは政治家や役人は、住民に対して早期に自宅に帰れるように対策を行うという耳障りのよい発言をしていますが、それは早く汚染地域に住民を戻すということに外ならず、実質的には住民を不用意に被曝させることになります。国民の安全・健康を本当に考えるならば、批判されても、面的な広がりを持つ環境の放射性物質による汚染レベルが部分的な除染が必要ないレベルにまで低下するまでは居住を禁止することこそ必要です。同時に避難区域の住民に対して自宅には戻れないことを周知した上で、別の場所で新たな生活を開始するための全面的な援助を行うことこそ必要です。
また、細野原発担当相は福島第一原発周辺の放射性物質に汚染された瓦礫を福島県内では処分せず、県外で処分するというとんでもないことを言い出しました。これもおそらく地元住民への“思いやり”なのでしょう。放射性物質はできる限り拡散せずに集中的に管理することが基本です。その意味で、既に高レベルの放射性物質によって汚染されている福島第一原発周辺の地域に集中管理施設を作って管理することが最も現実的です。
放射性物質による汚染、原子力災害は物理的な現象であり、国の事故対応政策は情緒的な判断ではなく第一義的に科学的な分析に基づく合理的なものでなければなりません。菅直人や細野原発担当相のような非科学的な思いつきの判断では大きな間違いを起こすことになります。
菅直人政権の悪しき置き土産としての「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」通称『再生可能エネルギー特別措置法』の成立によって、今後発電原価の高い自然エネルギー発電が組織的に導入される危険性がある。
この再生可能エネルギー特別措置法は自然科学的に不合理なものであり、その結果として経済的に破綻することが明らかである。この種の法令の先進国であるドイツやスペインでは既に制度的な破綻が顕在化しており、早晩法制度そのものが根本的に見直されることになるであろう。
日本における第一次の自然エネルギー発電ブームは1970年代の2度のオイルショック後の1980年代に起こった。オイルショックによって国際石油市場が不安定となる可能性があることから、輸入石油に頼らない給電システムが模索された。
この時期に、通産省主導の国家的なプロジェクトとしてサンシャイン計画が行われただけではなく、当時の運輸省も民間企業と自然エネルギー発電システムの可能性の検討を行った。私が鉄鋼メーカーのエンジニアリング部門に就職したそのころ、運輸省の港湾技術研究所と波力などの海洋自然エネルギーを用いた発電について検討していた。
その中で、太陽熱発電、小規模水力発電、風力発電、地熱発電、潮汐力発電、波浪発電、潮流発電・・・など、まさに現在再び導入が取り沙汰されているほとんど全ての発電方式はすでに検討された。しかしながら、そのほとんど全ては不安定であり、価格的に高価であったため経済的に成り立たないことから実用化されることは無かった。これは自然科学的に見て合理的、理性的な判断であった。
第3回国連気候変動に関する枠組み条約締約国会議=COP3いわゆる京都会議において「京都議定書」が定められ、温暖化防止のために締約国のCO2排出量削減が義務付けられた。この政策の科学的な根拠は、当時において自然科学的に確認されたものではなく、電子計算機の中の玩具のような単純な数値モデルの仮想空間でだけ成り立つ出来の悪い仮説に過ぎなかった。
しかし現実には、京都会議以降、温暖化防止のためのCO2削減は世界政治の主要なカードとして機能し始め、「人類共通の最大の脅威である人為的CO2排出を原因とする気温の上昇を抑えるためには、採算性を度外視してでもCO2排出量を減らすことが重要」であるという、一見科学的に合理性があるように見える主張によって、世界中の国々が思考停止状態に陥った。これによって経済的な採算性を度外視した自然エネルギー発電導入の動きが暴走し始めた。
その後の研究によって人為的CO2地球温暖化仮説は誤りであることが明らかになった。更に、2009年秋、第15回国連気候変動に関する枠組み条約締約国会議直前に、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の主要研究者によって地球温暖化の根拠とされてきた気象観測の基礎データが人為的CO2地球温暖化仮説に都合がよいように大規模に改竄されていたことが明らかになった。Climategate事件である。人為的CO2地球温暖化仮説は自然科学的に完全に破綻した。
この段階で京都議定書の自然科学的な合理性は失われたが、既に世界の政治・経済の主要なテーマとなった「CO2排出量削減」、そしてこれを前提とした産業構造の再編が既定の方針として定着しており、見直しが行われないまま現在に至っている。
環境問題、中でもエネルギー問題とは、政治・経済の問題である以前に自然科学あるいは工学の対象となる問題である。つまりエネルギー問題に対する政策は、自然科学的合理性、あるいは工業生産技術の問題としての合理性が無ければ必ず破綻する。
人為的CO2地球温暖化仮説が誤りであることが明らかになった現在、温暖化防止のために人為的CO2排出量を抑制するという政策の自然科学的な合理性は既に消滅した。故に、温暖化防止のための原子力発電、自然エネルギー発電の導入促進は無意味である。
では現時点における原子力発電あるいは自然エネルギー発電の存在意義とは何であろうか?
原子力発電の本質的な存在意義は、平時において核兵器製造能力を技術的に担保することである。これこそ中曽根康弘らが目的とした本質的な理由である。しかし、日本政府はこの目的を公式には絶対認めようとしない。
国が公式に主張する存在意義は、安全保障面からの化石燃料の代替と自前のエネルギー源の確保である。
核燃料サイクル技術と高速増殖炉技術の確立による自前のエネルギーを得ることが目的の一つにあげられていたが、これは技術的に破綻した。核燃料の再処理は、再処理燃料から得られるエネルギーよりも、再処理に投入するエネルギーの方がはるかに多いことが分かり、無意味であることが分かった。ワンス・スルーでウラン燃料による軽水炉を運用するのであれば、ウランは石油や石炭よりもはるかに早く枯渇する。
更に、福島第一原発事故によってその一端が明らかになったように、原子力発電という放射性廃棄物を不可避的に大量に生み出す発電方式は、その操業中の安全性の確保、事故発生時のリスク、発電後の放射性廃棄物の数万年〜数十万年におよぶ管理などを考えれば、エネルギー収支は明らかにマイナスになり、その発電コストは途方も無い金額になる。とても民生用の電力供給技術として利用する技術的な合理性が存在しない。
日本に核兵器を保有するという目的が無い限り、日本における原子力発電は自然科学的・技術的に合理的な存在理由は無い。
自然エネルギー発電の存在意義とは何であろうか?
曰く、「自然エネルギー発電は地下資源と違って枯渇することがない無限のエネルギー源である」という。いくら導入コストが高くても、石油、天然ガスや石炭などの節約になると大多数の大衆は信じて疑わない。しかしこの認識は本質的に誤っている。
勿論、自然エネルギー、具体的には太陽放射と地球の天体としての運動によって供給されているエネルギーは、太陽系というシステムが大きく変化しない限り、人類の寿命に対してほとんど無限と言ってよいであろう。しかしこの自然エネルギーと今問題としている自然エネルギー発電とは全く別物である。
自然エネルギー発電とは、自然エネルギーを何らかの工業製品である発電装置によって捕捉して電気に変換する過程である。自然エネルギー自体は前述の通りほとんど無尽蔵にある自由財であるから、自然エネルギー発電の本質とは発電装置の工業的な生産である。
工業生産とは、何らかのエネルギーを使用して生産設備を駆動して製品を製造する過程である。産業革命当時は、石炭火力が用いられ、現在では主に石油火力が用いられている。つまり、あらゆる工業製品は石油を中心とする枯渇性の化石燃料の消費によって製造されているのである。
ここで工業製品の価格について考える。工業製品の価格を構成する要素は、原料費と生産過程で投入されたエネルギー費用と生産設備(工場)の減価償却費用と人件費、それに利潤を加えたものである。
生産設備自体も工業製品である。更に、原料費は原料の希少性と原料生産に投入されたエネルギー費用の二つの要素によって決まる。以上を考慮すると、工業製品価格は単純化すると、原料資源の希少性と生産過程で投入されたエネルギー費用と人件費と利潤によって決まる。つまり工業製品価格の一定割合は投入されたエネルギー費用の対価なのである。
さて、発電とは発電設備を使って電力という製品を製造する特殊な工業生産過程である。原料として投入するのは火力発電では燃料であり、自然エネルギー発電では風力や太陽光などである。投入したエネルギーを発電設備の運用によって電力という形に加工するのが発電である。つまり、エネルギーを投入してエネルギーを生産するのである。その結果、発電技術の優劣はエネルギー産出比=(産出エネルギー量/投入エネルギー量)によって絶対的に評価することが出来る(ただし自由財は考慮する必要は無い。)。エネルギー産出比が大きい発電方式ほど工業的に優れた発電方式である。
石油火力発電について考えてみる。発電電力量1kWh当たりの発電原価は10円/kWh程度であり、その内、燃料重油費用は6円/kWh、残りの4円/kWhは発電設備の運用、保守管理費用と発電設備の償却費などである。この4円/kWhの内の20%を運転や保守、発電設備の製造に投入されたエネルギー費用だと仮定すると、燃料費と合わせた合計のエネルギー費用は6.8円/kWhになる。燃料重油価格を25円/リットル、発熱量を10.5kWh/リットルとして投入エネルギー費用を石油換算のエネルギー量に換算すると10.5×(6.8/25)=2.856kWhになる。エネルギー産出比は1/2.856=0.35である。
自然エネルギー発電の例として太陽光発電を考える。家庭用太陽光発電の発電装置価格を耐用期間中の総発電量で割ることによって発電原価を算定すると50円/kWh程度である。太陽光発電装置価格に含まれる装置製造に投入されたエネルギー費用の割合を20%とすると、投入された石油換算のエネルギー量は10.5×(50×0.2/25)=4.2
kWhになる。エネルギー産出比は1/4.2=0.24<0.35である。つまり同じ発電電力量を得るために太陽光発電は石油火力発電よりも多くの石油を消費する劣った発電方式なのである。
実際に太陽光発電を導入する場合にはこれ以外に電力安定化のための蓄電装置などの付帯設備が必要となり、それを含めたシステムで考えれば更にエネルギー産出比は低下する。つまり、石油火力発電電力を太陽光発電電力で代替することによって多くの大衆の期待に反して石油消費量は飛躍的に大きくなる。
自然エネルギー発電装置が工業製品である限り、電力の原料に自然エネルギーを用いたとしても必ず石油や石炭などの化石燃料を消費している。その量は近似的に単位発電電力量当たりの発電装置価格に比例するとみなせる。故に、高コストの自然エネルギー発電ほど化石燃料を大量に消費し発電装置としての性能も劣るのである。すなわち「いくら導入コストが高くても、石油、天然ガスや石炭などの節約になる」という認識は誤りである。
現在進められようとしている自然エネルギー発電の導入促進において、発電技術の熱学的あるいは工業生産技術的な評価が全く行われておらず、エネルギー技術として失敗することは必定である。
残念ながら「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」の成立は最早覆すことは出来ない。自然エネルギー発電で大儲けをたくらむ勢力は温暖化対策という虚構を用いて国民や無能な役人・政治家を騙して、原子力利権に代わって自然エネルギー発電利権でまたしても血税を貪り、法外な電気料金を掠め取ることになる。心ある熱学研究者や技術者諸君には、原子力村によって失墜した科学・技術者に対する不信の汚名を返上するためにも、3年後の法案見直しに向けて、この期間に徹底的な自然エネルギー発電システムの自然科学的な再評価を行い、この国のエネルギー政策の正常化の礎になることを切望する。
菅直人が自ら首相退陣の条件としていた特例公債法案、再生可能エネルギー特別措置法案、2011年度第2次補正予算が8月末までに成立する見込みとなりました。
菅直人は、個人的脱原発宣言やもんじゅの廃炉、更には核燃料サイクルの見直しなど、耳障りのよい空手形を乱発しましたが、結局、原子力政策については何一つ具体的な成果をあげないまま退陣することが決定的になりました。
このままでは、原子力発電はこれまで通り運用され続けることは間違いありません。更にこれに加えて資源や化石燃料消費を増大させる極めて非効率で不安定な自然エネルギー発電が増加することになります。これでは日本のエネルギー政策は福島第一原発事故以前よりも状況は更に悪化することになります。
菅直人の脱原発宣言と自然エネルギー発電導入拡大に浮かれた能天気な脱原発運動は一体何をやっているのでしょうか!菅直人は一体何をやったというのでしょうか。脱原発について言いっぱなしで実質的な対策を何もしなかった菅直人の無責任さは万死に値すると考えます。憤りを禁じえません。
本当に脱原発を目指すのならば、出鱈目な内容の自然エネルギー買取法案を自らの進退と引き換えに火事場泥棒的に成立させるような真似をするはずがありません。原発の実態を明らかにした上で、脱原発のタイムスケジュールを含めた脱原発の法制化を行うべきです。菅直人が、自然エネルギー発電の特措法以前に、原発の実態を明らかにし、脱原発の大枠を法制化するというのであれば、100%彼を支持するところですが、彼にそんなことを期待することが出来ないのは、3月11日以降の彼の行動を見れば説明する必要も無いでしょう。
原発の実態を明らかにするためにまず最初に行うべきことは、福島第一原発事故を契機に明らかになった不採算部門に投下された巨額の税金の問題や原発の必要経費に計上されてこなかった放射性廃棄物処理費用等のバックエンドの必要経費などの原子力発電の隠されてきた本当の必要経費を洗い出し、本当の原子力発電電力原価を明らかにすることです。
このままでは今まで通りのまやかしの原子力発電原価がそのまま残り、これから始まる廃炉や放射性廃棄物処理の巨大な費用が隠蔽され続けることになります。これが隠しきれなくなって破綻したとき日本の社会システムはとんでもない状況になることは必定です。原発処理のための大増税、あるいは電力料金の高騰を覚悟しなくてはなりません。
これで菅直人が退陣することはまさに最悪のシナリオです。脱原発に関しては具体的な道筋は全く示せぬまま、非効率的で不安定であるがゆえに高価な自然エネルギー発電の導入だけが決まってしまうというのですから・・・。何とか自然エネルギー特措法が成立せずに彼が退陣すればまだ救いがあったのですが、まさに最悪のシナリオで進みそうです。
今年も広島に続いて長崎で原爆慰霊祭が行われました。このHPでは、日本の核開発を無視してきた日本の核兵器廃絶運動の無邪気さについて批判してきました。核の平和利用というカムフラージュの下、日本の原子炉は超兵器級の即時にプルトニウム爆弾への転用可能な高純度プルトニウムを製造し、今現在も保有していること、超兵器級プルトニウム増産を目指す核燃料サイクルをいまだに放棄しないこと、この問題を見て見ぬ振りをしてきた日本の核兵器廃絶運動は世界的な信用は得られないことを述べてきました。
福島第一原発事故によって、核の平和利用というものの空疎な実体の一部が垣間見えた直後の今回の原爆慰霊祭の平和宣言に多少関心がありましたが、残念ながらいまだに目覚めていないようです。冷静に考えれば、核兵器保有国で無いにもかかわらずこれだけ数多くの危険な原子力発電所を保有する国は日本の他にはありません。核兵器も保有せずにこれだけの危険を犯す合理的な意味は存在しないのは当たり前のことです。
長崎における平和宣言を新聞記事から紹介しておきます。
いまだに日本の原子力発電をエネルギー技術としてしか見ていない点は本質を見誤ったままです。
すでに電力不足が宣伝されてきた夏も盛りですが、福島第一原発を失った東電は、水害で水力発電所を停止することを余儀なくされた東北電力に電力を逆に提供した上で十分に余裕があることが事実によって証明されました。脱原発を実現したからといって、拙速に自然エネルギー発電を導入する必要などどこにも存在しないのです。それどころか自然エネルギー発電などという資源・化石燃料浪費的なエネルギー供給システムを導入することに科学的な合理性は存在しません。これでは原発の安全神話に騙されてきたのと同じ過ちを繰り返すことになります。
オバマ政権の登場を歓迎した日本の反核運動に対しても批判してきましたが、いまだにオバマ政権に対する幻想を持ち続ける田上氏の能天気さには幻滅してしまいます。米国の正義とは米国のみが圧倒的な核兵器を含む軍事力によって世界秩序を制御することだということをいい加減に理解すべきでしょう。
このHPで継続的に報告しています大分県佐伯市の大入島沿岸の埋め立てに関する大分県の公金支出差し止めを求める訴訟の第一審判決が出ました。大分合同新聞の記事を以下に示します。
この埋め立てに関して、地元住民の漁業権を含む自然環境からの利益を守るという争点の訴訟についてはすでに住民側敗訴が残念ながら確定しています。地元住民の生存権よりも公共事業を優先するという判断です。
今回の訴訟は、行政の公金支出の妥当性を争点とする裁判です。残念ながら現在の日本の裁判所には行政行為の本質に迫るような判断を期待することはかなり難しいと言わなければなりません。
大入島の埋め立ての問題も含めて、公共工事を環境問題との関係で、工事に関してよほど行政の事務手続き上の誤りが無い限り、必要な手続きを踏んだ事業を裁判によって差し止めることはほとんど不可能だというのが日本の現状です。何か有効な手立ては無いものでしょうか・・・。
核開発に反対する会ニュースNo.41に福島第一原発事故に対する槌田敦氏の分析が掲載されましたので紹介します。
未だに国や東電による情報隠蔽によって、必ずしも十分な判断材料が得られているわけではありませんが、かなり状況が明らかになってきたと考えます。公開されている爆発時の写真や動画から見ても、1号機は建屋上部が吹き飛び、水蒸気様の白煙が立ち上ったことからもおそらくは水素爆発であろうと考えられます。
しかし同じ爆発でも黒煙を上げた3号機の爆発は明らかに違う種類の爆発です。しかも高レベルの放射性物質に汚染された瓦礫の散乱などを考えれば核爆発を疑うことが妥当です。
更に、海水注入によって起こった2号機の圧力容器の破損を伴う爆発は水蒸気爆発と考えるのが妥当です。
それにしても福島第一原発事故発生後、既に5ヶ月が経とうとしているにもかかわらず、原子力発電所の敷地内の汚染状況すら公表せぬ(調査すらしていないのか?)東電や国の隠蔽体質にはほとほと呆れ果てています。重大事故であったにもかかわらず、問題ないとして嘘をつき続けた事故当初の東電と国の対応が、多くの高レベルの被曝者を多数生み出したことは、殺人と呼ぶのが最もふさわしい罪状だと考えます。
このコーナーNo.626「工業技術評価:風力発電を例に」で紹介した九大の風レンズ風車の実証実験が行われるという記事が掲載されましたので、まず紹介します。
博多湾で洋上風力発電、九大と福岡市実験へ
九州大学応用力学研究所と福岡市は21日、弱い風でも効率的に発電できる「風レンズ風車」を用いた洋上風力発電の実証実験を今秋に博多湾で行うと発表した。風レンズ風車の洋上実験は初めて。福島第一原発事故を受け、太陽光や風力など自然エネルギーが注目されており、高島宗一郎市長は「福岡発の技術として世界に広がることを期待したい」としている。
同研究所によると、福岡市東区西戸崎の沖約600メートルの博多湾内に、風レンズ風車(直径3・6メートル、定格出力3キロ・ワット)2基を取り付けた六角形の台(直径18メートル)を浮かべる。風や波の影響や塩害への耐久性などを1年ほどかけて調べる。発電量は標準家庭1世帯の年間使用量の約75%。環境省の委託事業で費用は約5000万円。市は周辺海域で操業する漁協などに実験を周知して理解を求める。
風レンズは、日光を集めるレンズのように、風を効率よく集めるために開発されたリング状の特殊なカバー。同研究所では将来的に、大型の風車10基以上を玄界灘に浮かべる構想を持っており、大屋裕二教授(風工学)は「5年以内の実用化を目指したい」と話している。
(2011年7月21日 読売新聞)
実証実験プラントの諸元は次の通りです。
●風力発電装置:直径3.6m風レンズ風車×2基
●定格出力:3kW×2
●総費用:5,000万円
さて、このおもちゃのような実証プラントは、No.626「工業技術評価:風力発電を例に」で紹介した構想図とは異なり、通常の風力発電同様の1本の柱構造で支えられています。
これは小型であるから可能な構造形式であり、大型化したときには構造的に耐えられないことは想像に難くありません。
さて、問題のこの実証プラントの発電電力の原価、ならびにエネルギー産出比を推定してみます。推計の条件はかなり甘く、次のように設定しておきます。
●耐用年数:20年間
●設備利用率:25%
以上の条件下における、耐用期間中の総発電電力量は次の通りです。
3kW/基×2基×24h/日×365日/年×20年×25%=262,800kWh
この5,000万円には運転期間中のメンテナンスコストも含んでいるものと仮定すると、実証プラントの発電電力原価は次の通りです。
50,000,000円÷262,800kWh≒190円/kWh
これはべら棒に高い電力です。LNG火力の発電原価6.5円/kWhとすれば、実に30倍の価格です。
これは、東芝や三菱や日立など重電メーカーにすれば、単位発電電力量あたりでは原子力発電プラントの数倍の売り上げを得ることが出来る、実においしい発電方式だということです。
発電原価の20%が投入エネルギー費用だとすれば、38円/kWhになります。燃料石油を25円/リットル、その発熱量を10.5kWh/リットルとすると、1kWhの発電を行うために必要な投入エネルギー量は次の通りです。
38円÷25円/リットル×10.5kWh/リットル=15.96kWh
以上からこの実証プラントのエネルギー産出比は次の通りです。
エネルギー産出比=(産出エネルギー量)/(投入エネルギー量)=1kWh/15.96kWh=0.062
最新のコンバインドサイクル火力発電のエネルギー産出比は0.6程度にまでなっています。つまりこの実証プラントは単位発電電力あたりで、コンバインドサイクル火力発電の約10倍の化石燃料を消費しているのです。
このような、冷静に考えれば火力発電の代替システムとして全く無意味な発電システムの実証実験に対して研究予算をばら撒く国や、発電システムの新規性だけしか見ていない愚かな研究者たちによって自然エネルギー発電利権の構造が形作られていくのです。
補足:九大水素製造装置の爆発事故について(2011.08.11追記)
これは、九州大学の洋上風力発電プロジェクトにおいて、洋上風力発電プラントに水素製造プラントを併設して、発電した風力による電力で海水を電気分解して水素を製造することによって、風力を水素として蓄積して燃料電池等に利用しようという発想であったと思われます。
自然エネルギーの不安定な電力で水素を製造するというアイディアはかなり前からあるわけですが、水素製造過程でエネルギー損失が生じますが、更に問題なのは気体水素を高圧タンクに詰め込む際のエネルギー損失が大きすぎ、おそらく製造した気体水素の持つ有効なエネルギーの半分以上が消費されてしまうのです。
これでは実用上全くこのアイディアは使い物になりません。そこで九大の研究チームは電気分解そのものを高圧の条件下で行い、水素ガスの圧縮工程によるエネルギー損失を回避しようと新たな電気分解プラントを構想しました。そのプラントの実証実験中に爆発事故が起こり、おそらくこのプロジェクトは頓挫したままだと思われます。事故報告のレポートを紹介しておきます。
九州大学水素ステーション事故調査報告書(第3報)要約版 平成19年3月30日
九州大学水素ステーション事故調査委員会
福島第一原発事故の後、脱原発を支持する国民世論が予想以上に増えたことは、不幸中の幸いです。しかし、この期に乗じてポスト原発利権としての自然エネルギー発電利権を確立しようという勢力が勢いを増していることには警戒すべきです。
知人が九電本社前の脱原発テント村に参加しているのですが、ここに集う人の大部分が疑いも無く脱原発と自然エネルギー発電導入促進をセットとみなしているようです。蛇足ですが、太陽光発電パネルのチラシまで置いてあるそうです(笑)。
このところ、「ちきゅう座」という意見交換サイトにこのHP掲載記事をいくつか転載していただいております。しかしちきゅう座に寄せられているレポートの中にも科学・技術的な判断を放棄したまま脱原発と自然エネルギー発電導入促進をセットとして捉えている主張が散見されます。
この憂慮すべき状況に警鐘を鳴らす意味でちきゅう座に投稿した拙文を以下に紹介しておきます。
<近藤邦明(こんどうくにあき):「『環境問題』を考える」管理者>
福島第一原発事故以降のエネルギー問題に対する主要な論調は、脱原発=自然エネルギー発電導入拡大のようです。この安直な判断は非科学的であるが故に、エネルギー政策としてほとんど失敗が確定的な選択であり、憂慮しています。
まず脱原発について。これは100%正しい選択です。
その意味は第一に、原子力発電という発電技術は、最も高価=資源・エネルギー浪費的な発電技術だということです。
第二に、福島原発事故で明らかなように、事故発生時の人的・社会的損害が大きすぎるために、民生部門におけるエネルギー供給技術として一般的に利用することは不適切であるからです。
第三に、使用済み核燃料、高レベル放射性廃棄物の本質的な処理方法がついに技術的に確立できなかったために、将来において必ず環境を汚染するからです。
つまり、脱原発という主張は社会・経済システムにおける政策判断である以前に科学的な必然性によって裏打ちされている正しい判断なのです。
しかし、脱原発=自然エネルギー発電導入拡大は全く意味が異なります。なぜ今、脱原発と自然エネルギー発電の導入がセットとして主張されているのでしょうか?
それは、『最大のCO2排出量削減の切札であった原子力発電に代わるCO2排出量削減のための発電技術が必要だから』というものです。これは自然エネルギー発電利権を食物にしようとする人々から仕掛けられた『原子力安全神話』に代わる『自然エネルギー発電神話』であり、三重の意味で誤りです。
第一に、この主張の前提にあるのが、『人為的CO2地球温暖化脅威説』ですが、これは既にちきゅう座の記事としても5月25日に掲載された槌田敦の物理学会誌掲載論文『原因は気温高,
CO2濃度増は結果』で詳述されている通り、自然科学的に誤りであることが明らかになっています。ここでは詳しく触れませんが、人為的なCO2排出量は近年の気温上昇傾向とは無関係なのです。つまり、温暖化防止という目的でCO2排出量を減らすというのは無意味なのです。
第二に、原子力発電はCO2排出量の削減に効果は無いのです。原子力発電は電力会社の会計には含まれない原子力関連の不採算部門に対して莫大な国費=税金を投入した上、使用済み核燃料や放射性廃棄物処理費用を全く計上してこなかったために、見掛け上安い電力だとして国民を欺いてきました。しかし、これらの費用を考慮した原子力発電電力価格は最も高価なのです。こうした原子力関連の全工程に投入される石油・石炭などの化石燃料消費量を発電所運用期間中の発電電力量あたりに換算すれば、火力発電以上に石油や石炭を消費することになるのです。ちきゅう座7月22日掲載の拙文『ウランとLNGの燃料費試算』で紹介したとおり、軽水炉核燃料サイクルで軽水炉プルサーマル発電用のMOX燃料を製造した場合、その製造コスト≒投入エネルギー費用は火力発電の燃料費の3倍程度にもなるのです。つまり、『原子力発電はCO2排出量を増加させる』発電方式なのです。
第三に、現状では最新鋭の火力発電以上に石油・石炭などの化石燃料の消費量の少ない自然エネルギー発電システムは存在しないのです。つまり、自然エネルギー発電システムの導入によって、化石燃料消費量は増大し、したがってCO2排出量も増加するのです。付言すれば、ちきゅう座5月20日掲載の拙文『脱原発は科学的必然(上) (下)』で示した通り、工業生産規模も飛躍的に増加することになるのです。現時点において、CO2排出量を減らすことを目的にするならば、原子力発電の減少で補うべき電力があるのならば最新の火力発電所の建設で代替することこそ最も合理的なのです。
私は自然エネルギー発電一般を全て無意味であるというつもりは毛頭ありません。科学的、技術的に公正に検討した上で、優れた発電システムであることが実証された発電システムは随時実用に供していけば良いのです。しかし現状の太陽光発電や風力発電のように低効率で不安定であるが故に資源とエネルギー浪費的で使い物にならない発電装置を、敢えて莫大な税金を投入してまで導入することは明らかに政策的な誤りなのです。
ポスト原発利権として、自然エネルギー発電利権を手に入れようとする人たちの主張をもう少し分析します。彼らは工業生産の技術的な構造を全く理解していないのです。
自然エネルギー発電ロビーの旗手の一人である環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也は『読売』7・14朝刊で「原子力や化石燃料を用いた発電コストは、安全対策や原油価格高騰で確実に上昇する。その意味で、日本は今後、脱・原発依存、再生可能エネルギー推進の道
を歩むべきで、首相がその方向性を明言したことは評価できる。短期的には省エネや埋蔵電力の活用で乗り切り、5〜10年後には自然エネルギーへの転換を進めるべきだ。太陽光や風力による発電は普及すればコストは下がる。ただ、エネルギー政策の転換は国民が納得した上で、推進することが必要だ」と述べています(ちきゅう座8月2日掲載の池田龍夫の記事参照)。
太陽光発電装置をはじめとする自然エネルギー発電システムを構成するモノは最先端の工業製品です。工業生産の基本エネルギー資源である石油・石炭などの化石燃料価格が上昇すれば、当然工業製品全ての価格が上昇するのです。自然エネルギー発電装置価格も当然、化石燃料価格に連動して上昇するのです。
更に、飯田は普及量の拡大によってコストは下がるという言い古された陳腐な主張をしていますが、それは飯田の主観による希望的な観測にすぎません。風力発電にしても太陽光発電にしても、今後画期的な技術的なブレークスルーはほとんど考えられません。特に枯れた技術である風力発電においては、可能性は無いと考えて間違いありません。
更に、自然エネルギー発電の致命的な欠陥は発電効率の低さばかりでなく、予測できない変動にあります。大規模に自然エネルギー発電を導入したうえで電力供給システムを安定運用することは技術的に極めて困難な問題であり、供給電力の安定化のためだけにも莫大なインフラの追加が必要になります。自然エネルギー発電装置+電力安定供給システム=自然エネルギー発電システムが最新の火力発電よりも石油・石炭などの化石燃料の節約になる可能性は将来的にも皆無です。
それでも、「自然エネルギー発電システムが火力発電よりも化石燃料消費が小さくなる可能性がゼロだとまでは言えないではないか」という意見を寄せられる方がいます。勿論可能性がゼロとは誰にもいえません。
しかし、現時点では明らかに自然エネルギー発電システムは火力発電に劣る極めて高価なシステムなので導入の合理性は存在しません。このような段階で性能的に劣る発電装置を莫大な税金を投入し、消費者に多大な経済的負担を押し付けて拡大する政策を選択することは許されないことです。国家レベルで政策的に自然エネルギー発電システムを導入することに合理性があるのは、明らかに自然エネルギー発電システムが火力発電システムよりも実質的に優れていることが確認された場合に限られます。
それではこの分野の技術開発の世界競争に出遅れてしまうという主張もあります。私はこの分野自体、将来的にもモノにはならないと思いますので、そのような心配は杞憂だと考えています。莫大な投資をして失敗するよりも、投資を行わないほうがよいに決まっています。もし、それでもかすかな希望に賭けたいと言うのならば、国庫から研究・開発費を支給すればよいことです。
しかし本当は、日本のCO2排出量を減らすことが第一の目標であるのならば、自然エネルギー発電システムを海外からすべて購入することが一番合理的なのです。なぜなら、国内で自然エネルギー発電システムを製造すれば、工業的生産過程で莫大な化石燃料の投入が必要ですが、海外製品を購入するのならば、必要なのは札束だけです。発電用の化石燃料の代わりに自然エネルギー発電システムを購入すればよいのです。
ただし、たとえ輸入したとしても今のような不安定なシステムでは国内で運用するためには追加の化石燃料消費が発生しますので、あくまでも海外で安定運用可能な自然エネルギー発電システム技術が確立された場合に限られることは言うまでもありません。
つまり、自然エネルギー発電技術に関しては技術開発も製品製造も全て海外に任せて、将来的に火力発電に比較して絶対的に優れている自然エネルギー発電システムが完成した段階で日本はシステム全体を購入することが最もCO2排出量削減という目的の達成のために合理的な判断なのです。海のものとも山のものとも知れない現段階で自然エネルギー発電システムに莫大な国費を投入し、消費者に負担を押し付けることなど断じて許されないことです。
大衆は産業革命以後に成し遂げられてきた工業的な成果に目がくらみ、科学技術は何でも出来るという非科学的な信仰に侵されています。その愚かさにつけこんで原子力発電利権屋や自然エネルギー発電利権屋が跳梁しているのです。
第二次世界大戦末期のマンハッタン計画という大量殺人兵器製造プロジェクトにおいて、おそらく人類史上初めて開発目的と開発スケジュールを定めた巨大技術開発が行われ、その成功経験が莫大な資金と人員を投入すればなんでも出来るという妄信を生んだのです。
正に日本の原子力開発もマンハッタン計画に始まるプロジェクト主義の悪しきエピゴーネンでした。日本が原子力発電を導入した当初に描かれた放射性廃棄物の無毒化や核燃料サイクルの安定運用の技術開発は半世紀経った今、不可能であることが明らかになりました。自然エネルギー発電を推進しようとする人々もこれらの原子力発電の積み残しの問題を批判します。
ところが彼らは、自然エネルギー発電に対しては、今はまだ低効率で使い物にならないかもしれないが将来的にはうまくいくという何ら合理的・科学的な裏づけの無い空手形を切って、正に原子力発電と同じ轍を踏もうとしています。発電効率の低い問題や不安定性の問題はいずれ克服できるから先行投資すべきであると・・・。なんとご都合主義の非科学的な主張でしょうか。原子力発電の失敗から得た、プロジェクト主義の失敗した場合の代償は計り知れないほど大きいという教訓を私たちはよく考えなくてはなりません。
脱原発を実行したとしても、エネルギー供給に致命的な欠損が生じないことは既に確認されました。自然エネルギー発電利権に群がる連中の口車に乗って、拙速な判断をすることがないように切望します。優れた発電システムは電力市場から国家的な介入を完全に排除することによって経済合理性によって最適なシステムが生き残ります。
エネルギー政策において国家が成すべきことは、脱原子力発電を成し遂げ、廃炉、放射性廃棄物処理など、ほとんど未来永劫に続く原子力発電の負の遺産の後始末に国家として如何に対処すべきかを技術的な側面・社会的な側面の両面から検討することです。自然エネルギー発電につぎ込むようなドブ銭はもはや日本には残されていないのです。
2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響」参考人説明より 児玉龍彦(参考人
東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)
の動画です。東大にも良心を持つ研究者が残っていたようです。児玉氏の参考人説明を、議員たちはどのように聞いたのでしょうか?復興構想会議の能天気な自然エネルギー特区構想など、ふざけた事を言っていないで、まず目の前にある行うべきことを真剣に考えて欲しいものです。
2011.07.27
国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦
児玉氏の発言動画および全文【阿武隈(原発30km圏内生活)裏日記】
説明資料
説明資料要旨
参考人説明の中で特に注目すべきことは、このHPでも繰り返し述べてきたように、国の言う放射線量の基準値は、あくまでも外部被曝についての数値であり、体内に取り込まれた放射性物質による被曝は全くこれとは別であり、しかも生態濃縮され、特定部位に蓄積される傾向があるので、放射線量が国の言う基準値以下であっても晩発的な発癌のリスクは確実に存在するという点です。
追記:
福島原発事故直後の槌田さんの講演学習会の動画といい、今回の児玉さんの衆議院での説明の動画といい、この国ではいつの間にかネット上から抹殺されるようです。考えようによっては中国以上に陰湿な思想統制国家といえそうです。必要だと思う資料は見られるうちにダウンロードすることが必要なようです。(7.31)
LNG価格について、少し新しいデータを見つけたので再計算しておきます。
この数値はUSドル/1000m3です。LNGの組成は一定ではありませんが、40〜46MJ/m3程度ですから、ここでは43MJ/m3として試算します。LNG1000m3の発熱量は次の通りです。
43MJ/m3×1000m3=43×109J=(43×109)÷(3.6×106)kWh=11.9×103kWh
図から今年5月の日本のLNG価格は約250USドル/1000m3程度です。以上から、1USドル=80円とすると、
(250×80円)÷(11.9×103kWh)=1.68円/kWh
程度です。LNG火力発電の熱効率を50%とした場合のLNG火力発電電力の燃料費は次の通りです。
1.68円/kWh÷0.5=3.36円/kWh
2009年の原子力発電の供給実績は2.774×1011kWh程度です。これを全てLNG火力で代替した場合の追加燃料費用は次の通りです。
3.36円/kWh×2.774×1011kWh=0.932×1012円=0.932兆円
ここ数日、日本の新聞・マスコミ報道では中国の高速鉄道事故の問題が大々的に取り上げられている。曰く、国家・行政による事故隠し、情報隠蔽だと・・・。
これは、どうも日本政府と企業圧力によってマスコミが組織的にこの問題を大きく取り上げているのではないだろうか?日本の過去の鉄道事故ではもっと慎重に事故分析を行った、これに比較して中国の対応はあまりにも酷いなど等・・・。
確かに、今回の事故に対する中国の事故分析は杜撰であり、明らかに証拠隠滅の疑いがあることもよくわかる。しかし、日本では世界中に放射性物質を撒き散らし少なからず直接的な影響を与えた福島原発事故について、いまだに積極的な解明を行わず、賠償責任を極小化する狙いのためか事故の影響を出来るだけ軽微に見せかけようとする民主党・菅内閣の対応は中国にも勝るとも劣らぬ対応ではないのか?
マスコミの諸君は、中国の列車事故を批判的に報道するなら、同様に福島原発の政府対応にこそもっと鋭いメスを入れるべきであろう。中国の列車事故処理に比べて日本の対応はまだましであるという免罪のためにこの事故報道を利用してはならないであろう。
さて、今NHK総合で『双方向解説 どうする原発・エネルギー政策』という番組が、NHKの無能な解説委員を集めて放映されています。NHKの解説委員のレベルの低さには、ほとほとあきれています(笑)。
No.634『ウランとLNGの燃料費試算』において、短期的に原発をLNG火力で代替する場合の燃料費の増加について試算しました。そこにおいてすら、現在巷間言われている3〜4兆円の増加(番組で解説委員は3.5兆円と言っていました。)については過大な評価であることがわかりました。
さて、福島の原発事故を経験した現在、エネルギー政策として今後とも原子力を使っていく場合には、これまで電力料金に反映されてこなかった隠蔽されてきた巨額の税金の投入、また全く考慮されてこなかった使用済み核燃料・廃炉・放射性廃棄物処理などのバックエンドの膨大な費用を原子力発電電力原価に反映させなくてはなりません。
また、原発事故が起こることを前提にした原発周辺の放射線レベルの日常的な監視体制の確立、事故発生時の避難施設の整備、事故処理、賠償金支払い等の費用も原発運用のための必要経費として原子力発電原価に反映させるべきであることは当然です。
こうして算定された原子力発電の原価に比較すれば、火力発電の燃料費の増加などほとんど無いに等しいものです。長期的なエネルギー政策における政策判断として原子力と火力を比較する場合には、少なくともこれまで行われてきたようなフロントエンドの限定されたコストだけによって算定された原発電力原価と火力発電電力原価を比較するなど、全く福島の経験を無視した非現実的な数字のマジックなのです。
今朝のNHKの番組に出演したこの男の名前は記憶しておかなくてはならない。この男の理論であれば、食品を食べて急性の放射線障害がでない限りその食品は安全ということのようである。
唐木英明
東京大学名誉教授(農学博士)
日本学術会議副会長
内閣府食品安全委員会専門委員
このようなとんでもない男が日本学術会議の副会長なのだから、日本学術会議に何かを期待することなど不可能であろう。
原子力発電所を止めて火力発電で代替すると、電気料金が高くなるという話しが聞かれるようになってずいぶん経ちます。私自身は、安全に比べれば金で解決のつく問題など大したことは無いと思っています。それでもあんまりふざけた金額だけが一人歩きしているのは気分がよくないので、少しだけ確認することにします。
まず、今言われている追加経費の話は、原子力発電所の燃料費に比較して火力発電の燃料費がどれだけ高いかという話ではないことを確認しておかなければなりません。
現在の電力料金には、既に数年先までの原子力発電用のウラン燃料の費用が加味されて決まっています。ご存知のように、日本は自前で原子力発電用のウラン燃料をほとんど作っていません。海外に濃縮ウランあるいはウラン燃料そのものを外注して委託生産しているのです。この委託してまだ製造されていない燃料費までが総括原価のレートベースに加味されて電力料金が決まっているのです。
そこで、仮に原子力発電を停止すると、ウラン燃料費は既に電力料金に含まれていますから、それに加えて火力発電用に予定していなかった燃料費が発生することになるのです。今話題になっているのは正にこの燃料費用がいくらになるかという話なのです。
本来なら、電力会社の内部事情で原子力発電から火力発電に発電方式を変えるのですから、既に発電経費に含まれている原子力発電のウラン燃料費を含めた運転経費、事業報酬のレートベースに含まれるウラン燃料費は差し引いた上で料金を計算しなおすべきです。これを明らかにせずに、追加費用だけを電気料金に加算して消費者に転嫁するというのは燃料費の二重徴収であり、言語道断です。
まず以上の点を確認したうえで、実際に燃料費がどの程度かかるのかを推定してみます。火力発電用燃料として、LNGを利用するLNG火力について試算します。
LNG価格は現在8USドル/100万BTU程度です。
100万BTU≒293kWh程度です。つまり、1USドル=80円とすると
80×8円/293kWh=2.18円/kWh
程度です。LNG火力発電の熱効率を50%とした場合のLNG火力発電電力の燃料費は次の通りです。
2.18円/kWh÷0.5=4.36円/kWh
2009年の原子力発電の供給実績は2.774×1011kWh程度です。これを全てLNG火力で代替した場合の追加燃料費用は次の通りです。
4.36円/kWh×2.774×1011kWh=1.209×1012円=1.209兆円
巷間言われている3兆円とか4兆円という数値はかなり大袈裟な数値のように思えます。
さて、次にウラン燃料費です。これは具体的なデータが無く、はっきり言って全くわかりませんが、わかっているところまでなるべく確からしい数値を示すことにします。
まず、日本の場合、イエローケーキを買い付けて転換・濃縮・再転換・燃料成型までの全てを行っているわけではありません。それどころか、ウラン燃料の製造はほとんどを海外に依存しています。六ヶ所村の濃縮工場はご存知の通りまともには動いていません。
ウランの世界市場では、通常イエローケーキと呼ばれる70%ほど天然ウランを含むウラン精鉱の形で取引されています。ウラン鉱石の平均品位は0.2%弱程度であり、そのままで取引するにはウランの含有量が少なすぎるので、ウラン鉱山に隣接する粗精錬工場でイエローケーキに加工されます。
天然ウランの組成は235Uが0.7%、238Uが99.3%程度です。軽水炉用のウラン燃料の235U含有率を5%と仮定します。100万kW級原発の年あたりのウラン燃料は30t程度といいます。日本の原発を100万kW50基と仮定すると、年間に必要なウラン燃料は30t×50=1,500tです。ここに含まれる235Uの重量は次の通りです。
1,500t×5%=75t=75,000kg
一方、イエローケーキAポンドに含まれる235Uの重量は、
0.454A(kg)×0.70×0.007=0.00222A(kg)
以上から、1年間に必要なイエローケーキの重量A(ポンド)は次の通りです。
A=75,000÷0.00222=33,783,784(ポンド)
イエローケーキの市場価格は次の通りです。
このところかなり大きく価格が変動しているようですが、2007〜2009年の平均値として、次の値を用いることにします。
(136+40)/2=88ドル/ポンド
以上から、1年間あたりのウラン燃料の製造に必要なイエローケーキの購入価格は次の通りです。
33,783,784(ポンド)×88(ドル/ポンド)×80(円/ドル)≒2,378億円
さて、この2,378億円分のイエローケーキからウラン燃料を製造する転換・濃縮・再転換・燃料成型に更にどれだけの費用が掛かるのか何とも言えませんが、加工工程の複雑さを考えれば数倍〜十数倍?の価格になってもおかしくないように思いますが、その詳細は不明です。また、ここで求めたイエローケーキの重量は、ウラン燃料を製造する転換・濃縮・再転換・燃料成型の各工程の235Uの歩留まりを100%とした場合の必要最少量です。実際にはこれよりもかなり多くのイエローケーキが必要になります。
通常、軽水炉ウラン燃料費は2億円/t程度だと言われます。ウラン燃料の年間必要量を1,500t/年とすると、1年間当たりに必要な軽水炉ウラン燃料費は3,000億円ということになります。これはイエローケーキの購入価格である2,378億円から考えてあまりにも廉いように思いますが・・・。
いずれにしても、全ての原発をLNG火力発電で代替した場合に掛かる実質的な追加燃料費は1兆円を超えることはあり得ないということになります。
さて、もし仮に日本がウラン市場からイエローケーキを購入して、自前でウラン燃料製造を行う場合はどうなるでしょうか?転換過程で膨大な低レベル放射性廃棄物が生じ、濃縮過程では膨大な劣化ウランが生じることになります。これらの廃棄物を日本国内で処理する場合、保管・処理に対する費用は莫大なものになりますから、ウラン燃料費は暴騰することになります。
そのためにもモンゴルに放射性廃棄物の捨て場と、米軍用の劣化ウラン弾の製造工場が欲しいと言うのが本音なのかもしれません。
ちなみに、使用済み核燃料再処理によって製造される軽水炉用のMOX燃料価格は25億円/t程度だと言います。この価格のほとんど全ては加工費ということになります。もし仮に(そんなことはあり得ませんが)50基の軽水炉燃料を全てMOX燃料にすると、年間燃料費は
3,000億円×25/2=3.75兆円
になります。これでは燃料費でも全く火力発電に太刀打ちできないということです。この燃料費でLNGを購入すれば3倍程度の電力量を供給することが出来ます。プルサーマル発電そして軽水炉核燃料サイクルなど全く無意味なのです。
最後に確認しておきますが、今回検討したのは、あくまでも緊急避難的に原子力発電を火力発電に切り替えた場合の短期的な追加燃料費を推定したものです。原子力発電電力を総合的に評価するためには更に原子力発電所建設・運用費用や使用済み核燃料保管・処理費用、廃炉費用、放射性廃棄物保管・処理費用などのバックエンド費用を考慮することが必要であり、これらを含めると原子力発電は最も高価な発電方式であることは言うまでもありません。