前回、イタリアの科学者が提出した請願書を紹介しました。記事では米国の物理学者ハロルド・ルイス氏が米国物理学会の堕落を非難し、同学会を辞することを述べた文章も紹介されていました。重要な内容なのでハロルド・ルイス氏の文章も紹介することにします。
日本では、世界中で人為的CO2地球温暖化に対して異論は存在しないかのような一面的な報道がされ、ごく少数の異論に対しては「懐疑論者」=「異常者」というレッテルを張り付け、社会的に抹殺しようとしています。例えば東大IR3S/TIGS叢書No.1「地球温暖化懐疑論批判」では、赤祖父俊一、伊藤公紀、渡辺正、丸山茂徳、武田邦彦、槌田敦、近藤邦明などを名指しで、反論の機会すら一切与えずに、一方的に誹謗中傷しています。
しかし、人為的CO2地球温暖化説の方がこれまでの自然科学の歴史的成果を否定するエキセントリックな内容であることは、イタリアの請願書にもある通りです。
もちろん、米国でも人為的CO2地球温暖化説の非科学性についてハロルド氏ばかりでなく良心的な科学者の少なからぬ者が批判しています。残念なのは、トランプ前大統領が在任中にこうした科学者を組織してしっかりとした反論を行わなかったことです。残念です。
以下、ハロルド・ルイス氏の書簡(辞表)を紹介します。
(2010.10.8)
親愛なるCurt (Curtis G. Callan)へ。
私が初めてアメリカ物理学会に入会した 67 年前は、もっと小さく、もっと優しく、まだお金の洪水
(ドワイト・アイゼンハワーが半世紀前に警告した脅威)にも蝕まれていなかった。
実際、物理学を職業として選択することは、貧しく禁欲的な生活を保証するものであったが、それを一変させたのは第二次世界大戦であった。世俗的な利益を求めて、物理学者になる人はほとんどいなかった。35年前、社会的、科学的な争点である原子炉安全性研究の最初のAPS(米国物理学会)による研究の議長を務めたとき、外部には狂信者が大勢いたが、物理学者としての私たちに過度な圧力をかけるようなことはなかった。そのため、私たちは当時の状況を正直に評価することができたと思う。さらにPief Panofsky、Vicki Weisskopf、Hans Betheという、いずれも非の打ち所のない高名な物理学者からなる監視委員会の存在も、私たちに大きな力を与えてくれた。私は、このような厳しい雰囲気の中で、私たちが成し遂げたことを誇りに思っている。結局、監視委員会はAPS会長への報告書の中で、両側から攻撃されることが予測されたこの報告書に私たちが完全に独立した立場で仕事をしたと指摘した。これ以上の賛辞はないだろう。
しかし、今はどうだろう。巨人たちはもはや地上を歩くことはなく、資金の洪水は多くの物理学研究の存在理由となり、多くの研究の重要な糧となり、数え切れないほどの専門職を支えている。やがて明らかになるであろう理由により、長年にわたってAPSフェローであった私の誇りは恥に変わり、喜びもなく、学会からの辞職を申し入れざるを得なくなった。
もちろん、地球温暖化詐欺は、文字通り何兆ドルもの資金で推進され、多くの科学者を堕落させ、APS を怒涛のごとく押し流した。これは、私が物理学者としての長い人生で見た中で、最も大規模で、最も成功した疑似科学的詐欺である。このことに少しでも疑問を持つ人は、クライメイトゲートの文書を読んで、その事実を明らかにすべきである。(モントフォードの本は、事実を非常にうまく整理している)。本当の物理学者、いや科学者なら、このようなものを嫌悪感なしに読めるとは思えない。私は、その反発を科学者という言葉の定義にしたいくらいだ。
では、APSは組織として、この挑戦に直面して何をしたか?それは、腐敗を規範として受け入れ、それに従ったのだ。例えば、次のようなことだ。
1. 約1年前、私たち数人が会員の何割かにこの件に関する電子メールを送った。APSはその問題を無視したが、当時の代表者はすぐに私たちがどこでメールアドレスを入手したのか、敵対的な調査を開始した。APSはかつて、重要な問題についての議論を奨励し、実際、会則にもその主要な目的として挙げられている。今はもうない。この1年の間に行われたことはすべて議論を封じるためのものだった。
2. 気候変動に関するAPSの声明は、数人が昼食をとりながら急いで書いたようで、私が長年知っているAPS会員の才能を代表するものではなかった。そこで、私たちの何人かが、この声明を再検討するよう評議会に申し入れた。この声明文の際立った特徴のひとつは、「議論の余地がない」という毒のある言葉であった。これに対してAPSは秘密委員会を設置したが、その委員会は一度も会合を持たず、懐疑論者と話すこともなく、それでも声明全体を支持した。(彼らは、その論調が少し強いことは認めたが、驚くべきことに、誰も支持していない証拠を表現するために、「議論の余地がない」という毒のある言葉を使い続けた。)結局、評議会はオリジナルの声明を一字一句そのままに、はるかに長い「説明的」な主張を承認し、不確かな点があることを認めながらも、それを払拭してオリジナルを全面的に承認した。この「声明」の原文は、現在もAPSの立場として残っているが、私が考えるに、APSが宇宙の支配者であるかのように、すべての世界政府に対する尊大で愚かなアドバイスが含まれているのである。そうではないし、私たちのリーダーがそう思っているようで恥ずかしい限りだ。これは楽しいゲームではなく、私たちの国の膨大な部分を含む深刻な問題であり、科学学会としての本学会の評判が危機に瀕している。
3. その間に、クライメイトゲートのスキャンダルがニュースになり、主要な警告者たちの策略が世界中に明らかになった。それは私が見たこともない規模の不正行為であり、その巨大さを表現する言葉がない。APSの立場への影響:なし。全くない。これは科学ではない、他の力が働いているのだ。
4. そこで、私たちのうちの何人かは、科学というものを行動に移そうと試みた(結局、それがAPSの歴史的な目的だ)。そして、物理学の最高の伝統である科学的問題のオープンな議論は、すべての人にとって有益であり、国家への貢献でもあると考えて、気候科学に関するトピックグループの提案を理事会に持ち込むために必要な200以上の署名を集めた。APSの会員名簿の使用を拒否されたため、署名を集めるのは容易ではなかったことを断っておく。私たちは、あらゆる点でAPS規約の要件を満たし、私たちが考えていること、つまり、単にこのテーマをオープンにすること、を詳細に説明した。
5. 驚いたことに、規約を無視して、私たちの請願を受け入れず、代わりにメーリングリストの管理権を利用して、気候・環境に関するTGに対する会員の関心について世論調査を行ったのだ。あなたは会員に、まだ定義されていないテーマでTGを形成するための請願書に署名するかどうかを、請願書を示さないまま尋ね、多くの肯定的な回答を得た。(もし、セックスについて質問していたら、もっと興味を示してもらえたでしょう)。もちろん、そのような請願も提案もなかったし、あなたは今、環境の部分を取り下げたので、この問題はすべて無意味になった。(どんな弁護士でも、漠然とした請願書に署名を集めて、好きなように記入することはできないと言うでしょう)。この運動のすべての目的は、私たちの請願を議会に提出するというあなたの規約上の責任を回避することだった。
6. 今現在、あなた方は、私たちの合法的な請願を単に無視して、あなた方自身のTGを組織するために、さらに別の秘密で積み重ねられた委員会を形成している。
APSの経営陣は、気候変動に関する主張の是非について真剣に話し合うことを抑えるために、最初からこの問題を利用してきた。私がこの組織に対する信頼を失ったことを不思議に思わないか?
他人の動機について議論するのは常に危険なので、これは推測に過ぎないが、一つ付け加えておく必要があると感じている。APS本部のこの陰謀はあまりにも異様で、単純な説明では済まされない。今の物理学者は昔ほど賢くないという意見もあるが、私はそれは問題ないと思っている。まさに半世紀前にアイゼンハワーが警告した「金」だと思う。何兆もの金が動いているのだ。ましてや、クラブのメンバーになることで得られる名声や栄光(そして、異国の島への頻繁な旅行)は言うまでもない。あなたが理事長を務める物理学教室は、地球温暖化バブルが崩壊すれば、年間数百万ドルの損失を被ることになる。ペンシルベニア州立大学がMike
Mannを、イースト・アングリア大学がPhil
Jonesを赦免したとき、そうしなければ金銭的なペナルティが生じることを知らなかったはずはないのである。昔から言われているように、天気予報士でなくても風向きを知ることはできる。私は哲学者ではないので、賢明な利己主義がどの時点で腐敗と一線を画すかを探るつもりはないが、クライメイトゲートのリリースを注意深く読めば、これが学術的な問題でないことは明らかである。
私はこれに関わりたくないので、どうか辞表を受け取ってほしい。APSはもはや私の代表ではないが、私たちがまだ友人であることを願っている。
Hal
原文出典
https://www.heartland.org/publications-resources/publications/hal-lewis-resignation-letter-from-the-american-physical-society
※ 原文をDeepl自動翻訳で訳出し、一部編集
経歴
・カリフォルニア大学サンタバーバラ校名誉教授、元学長、
・元国防科学委員会委員、技術委員会委員、核の冬に関するDSB研究議長、
・原子炉保障措置諮問委員会元委員、
・大統領原子力安全監視委員会元委員、
・原子炉安全性に関するAPS研究議長 リスク評価検討グループ議長、
・JASONの共同創設者および元会長、
・元米空軍科学諮問委員、
・米国海軍に第二次大戦中所属
参考
アイゼンハワーの大統領退任演説(1961.1.17)において、科学研究と国家や経済との関係についての懸念を表明した。
「・・・歴史的に、自由なアイデアと科学的発見の源泉であった自由な大学が、研究方法における革命を経験してきました。莫大な資金が絡むという理由を一因として、科学者にとって政府との契約が知的好奇心に事実上取って代わっています。」
http://www.americanrhetoric.com/speeches/dwightdeisenhowerfarewell.html
日本語訳:アイゼンハワーの離任(退任)演説(豊島耕一訳)
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Eisenhowers_Farewell_Address_to
_the_Nation_January_17_1961.htm
読者の方から情報提供をいただきました。イタリアの著名な科学者90名以上が、大統領や議会に対して「人為的CO2地球温暖化」の非科学性を訴える請願書を提出したというものです(記事の日付は2019年7月7日)。
https://www.opinione.it/cultura/2019/06/19/redazione_riscaldamento-globale-antropico-clima-inquinamento-uberto-crescenti-antonino-zichichi/
内容自体はこれまでこのホームページで述べてきたものと大きく変わることはなく、高校生ないし大学の教養課程の学生であれば理解できる内容であり、自然科学的にごく当たり前の常識的な内容です。
しかし、そうした主張をすることが憚られるような異様な社会情勢になっているのが現在の人為的CO2地球温暖化の狂騒状態です。イタリアの科学者諸氏の当然の発言が、偏見の目を打ち破る「画期的」な行動に思えるほどにいま世界中の世論は狂ってしまっているのです。
わが科学立国日本の自然科学者が、その良心に目覚めるまでには幾年を要するのでしょうか・・・・?
気候について、現在の対応とは逆に向かうことを求める請願
Clima, una petizione controcorrente
共和国大統領へ
代議院議長へ
地球温暖化防止に関する請願
市民と科学者は、科学的知見に基づいた環境保護政策を採用するよう、政治的意思決定者に強く訴える。特に、公害が発生している場所では、最良の科学に基づいた公害対策が急務となっている。この点で、大陸と海洋の両方の環境システムに広く存在する汚染物質の人為的な排出を削減するために、研究の世界から得られる豊富な知識を活用することが遅れていることは遺憾である。
しかし、二酸化炭素はそれ自体が汚染物質ではないことを認識しておく必要がある。それどころか、私たちの地球上の生命にとってなくてはならないものだ
ここ数十年、1850年以降に観測された約0.9℃の地表の温暖化は、人間活動、特に化石燃料の使用による大気中へのCO2の放出のみに起因する異常なものであるという考え方が広まっている。これは、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が推進する人為的地球温暖化論であり、その結果は、抜本的で費用のかかる緩和策を直ちに講じなければ、近い将来に甚大な被害をもたらすほどの深刻な環境変化となる、というものだ。この点で、世界の多くの国々は二酸化炭素の排出を削減するプログラムに署名しており、また、プロパガンダの奔流によって、個々の加盟国の経済に大きな負担を伴う、これまで以上に厳しいプログラムを採択するよう圧力をかけられている。
しかし、地球温暖化の人為的な原因は、証明されていない推測であり、一部の気候モデル、すなわち大循環モデルと呼ばれる複雑なコンピュータープログラムからのみ推論されている。
それどころか、科学文献は、モデルが再現できない自然の気候変動の存在をますます強調している。この自然変動は、1850年以降に観測された地球温暖化のかなりの部分を説明している。したがって、前世紀に観測された気候変動に対する人為的な責任は不当に誇張され、破滅的な予測は非現実的である。
気候は地球上で最も複雑なシステムであるため、その複雑さのレベルに見合った、適切な方法で対処する必要がある。気候シミュレーションモデルは、観測された気候の自然変動を再現しておらず、特に過去1万年の温暖期を再現していない。中世温暖期、ローマ温暖期、完新世最適温期など、約1000年周期で繰り返されてきた。
* 下図に示すGISP2の氷床分析から得られた気温変動(青線)は、約3000年前のミノア温暖期、約2000年前のローマ温暖期、約1000年前の中世温暖期という約1000年周期の気温極大期がみられる。Humlumらの太陽活動、月の運動から求めた気温変動モデル(緑線)は、西暦2000年頃、中世温暖期から約1000年経過した気温極大期が現れることを示している。(註 近藤)
また、これらの過去の時代は、太陽活動の千年周期と相関がある一方で、CO2濃度が現在より低いにもかかわらず、現在より気温が高かった。これらの効果は、モデルでは再現されない。
1900年以降に観測された温暖化は、実際には1700年、つまり過去1万年で最も寒かった小氷期の最小値に始まったことを忘れてはならない(天体物理学者がマウンダー太陽極小期と呼ぶ、太陽活動の千年最小値に対応する)。その後、太陽活動は千年周期で増加し、地表を温暖化させている。
さらに、このモデルは既知の60年の気候振動を再現することができない。例えば、温暖期(1850-1880)、冷涼期(1880-1910)、温暖期(1910-40)、冷涼期(1940-70)、60年前と同様の温暖期(1970-2000)などがそれである。その後の数年間(2000年〜2019年)は、モデルが予測した10年あたり約0.2℃の上昇ではなく、2015年から2016年にかけての瞬間的な温暖化を誘発したような、エルニーニョ南方振動と呼ばれる赤道太平洋の急激な自然振動によって散発的に中断された実質的な気候安定が見られたのである。
** これは太陽の黒点数の約11年の変動周期が5つまとまってその極大値の包絡線が55年程度の変動周期を持つことに対応している。この黒点数の変動は発見者の名前から「吉村サイクル」として知られている。(註 近藤)
また、ハリケーンやサイクロンなどの異常気象が驚くほど増えているとニュースでは伝えている。逆に、これらの事象は、多くの気候システムと同様に、前述の60年周期で変調をきたしている。例えば、北米の大西洋熱帯低気圧に関する1880年からの公式データを見ると、このデータには60年にわたる強い振動があり、これは大西洋十年振動と相関していることがわかる。観測された10年ごとのピークは、1880-90年、1940-50年、1995-2005年で互いに互換性がある。2005年から2015年まで、この周期に従ってサイクロンの発生数は減少している。したがって、1880-2015年の期間では、変動するサイクロン数と単調に増加するCO2との間には相関がないことがわかる。
気候系はまだ十分に解明されていない。CO2が温室効果ガスであることは事実だが、IPCC自身によると、大気中のCO2が増加した場合の気候感度はまだ極めて不確実であるという。大気中のCO2濃度が産業革命前の約300ppmから600ppmに倍増すると、地球の平均気温はわずか1℃から最大5℃上昇すると試算されている。
この不確実性は大きい。いずれにせよ、実験データに基づく最近の多くの研究では、CO2に対する気候感度は、IPCCのモデルによる推定値よりもかなり低いと推定されている。
したがって、前世紀以降に観測された温暖化を人間のせいにするのは、科学的に非現実的である。従って、警鐘を鳴らすような予測は、その結果が実験データと矛盾するモデルに基づいているため、信憑性がない。すべての証拠が、これらのモデルが人為的な寄与を過大評価し、自然の気候変動、特に太陽や月、海洋の振動によって引き起こされる変動を過小評価していることを示唆している。
最後に、メディアは、人為的な原因に関して、次のようなメッセージを流した。
現在の気候変動は、科学者の間でほとんどコンセンサスが得られているため、科学的な議論は終了しているはずです。
しかし、まず知っておかなければならないのは、科学的手法では、推測を科学的な定説にするのは事実であって、支持者の数ではないということだ。
いずれにせよ、同じように主張されるコンセンサスは存在しない。実際、気候学者、気象学者、地質学者、地球物理学者、宇宙物理学者などの専門家の間でも意見はかなり分かれており、多くの専門家が、産業革命前、そして戦後から現在までに観測された地球温暖化には、自然が大きく寄与していることを認めている。また、何千人もの科学者が、人為的な地球温暖化説に反対であることを表明する嘆願書に署名している。その中には、物理学者で元米国科学アカデミー会長のF・サイツが2007年に提唱したものや、2009年の報告書で「気候変動に関する政府間国際パネル(NIPCC)」が「気候は人間の活動ではなく、自然が支配している」と結論づけているものがある。
結論として、化石燃料が人類のエネルギー供給にとって極めて重要であることを考えると、気候をコントロールするという幻想のもとに、大気中への二酸化炭素の放出を無批判に減らすような政策に固執しないことを提案するものである。
推進委員会
1. Uberto Crescenti (G. D'Annunzio
University, Chieti-Pescara応用地質学名誉教授、元Magnifico Rettore、イタリア地質学会会長)。
2. Giuliano Panza
(トリエステ大学地震学教授)、リンチェイとアカデミア・ナツィオナーレ・デッレ・サイエンスのアカデミアン、アメリカ地球物理学連合の2018年国際賞。
3. Alberto Prestininzi
(ローマ、ラ・サピエンツァ大学応用地質学教授、国際学術誌IJEGEの元科学編集長、Research Centre for
Geological Risk Prediction and Control所長。
4. Franco Prodi (フェラーラ大学大気物理学教授)。
5. Franco Battaglia
(モデナ大学物理化学教授):Movimento Galileo 2001。
6. Mario Giaccio
(G.ダヌンツィオ大学キエーティ・ペスカーラ校エネルギー源の技術と経済学教授、前経済学部長)。
7. Enrico Miccadei
(G.ダヌンツィオ大学(キエーティ・ペスカーラ)物理地理学・地形学教授
8. Nicola Scafetta
(ナポリ・フェデリコ2世大学大気物理学・海洋学教授)。
12月を目前にして、また日本各地でエネルギーの浪費以外の何物でもない電飾が点る時期になりました。ことの科学的な正当性の当否は一旦置くとして、「人為的CO2地球温暖化」を防止するための「脱炭素化」を訴える報道の舌の根も乾かないうちに、「冬のイルミネーションがきれいですね!」などと宣う非論理性、支離滅裂さにあきれ果ててしまいます。本来ならば「脱炭素化を目指しエネルギー消費を減らすためにはイルミネーションのような不要不急のエネルギー消費は控えましょう」というべきでしょう。
科学立国が叫ばれて久しい我が国ですが、このような非論理的で支離滅裂な発言にだれも頓着しないという不条理がまかり通る現在の思想状況は、誠に危ういとしか言いようがありません。洗脳と思考停止が社会を覆いつくした太平洋戦争当時の思想状況はかくあったのではないかと想像します。
「温暖化対策としての脱炭素化」は無意味ですが、脱炭素化=化石燃料消費を減らすというのであれば、少なくとも無駄なエネルギー消費は極力控え、出来るならばこれまで化石燃料消費に基づく工業的エネルギーで作動する電子制御機械=メカトロニクスを人の労働に取り戻すことこそ必要なはずですが、まるでエネルギー問題はないように更なるメカトロニクスの生活への普遍的な導入を目指すこと自体が非論理的でバカバカしいというしかありません。
少し前置きが長くなりました。
さて、掲題の件です。前にもこのコーナーで触れたように世界的な原油価格の高騰が継続しています。庶民生活にとってガソリン価格の上昇による直接的な経済負担の増加に加えて、すべての消費財の価格の高騰が始まりつつあります。この点については「温暖化の虚像」6章161頁の「温暖化対策が工業に支えられた社会を壊す」に書いたように、工業化社会の基本資源であるエネルギーの供給コストが上昇すればあらゆる社会サービス価格が高騰することは当然です。
今回の原油価格の高騰による全般的な物価上昇と同じことが「脱炭素化」ではさらに極端な形となって現れることになります。今回の原油価格の高騰程度では、エネルギー価格が上昇したとしてもエネルギー供給そのものは維持されます。しかし、再生可能エネルギーの全般的な導入を行えば、エネルギーの供給自体が不可能になり、工業生産システムが破壊されることになるのです。
今朝のNHKのニュース番組で、「グリーンフレーション」=「グリーン(環境技術)」+「インフレーション」、つまり脱炭素化による物価高騰を乗り越えて脱炭素化を進めなければならないという愚かなことを主張していましたが、それは理論的に不可能なのです。有効なエネルギー供給ができないという再生可能エネルギーの自然科学的な本質的問題が全く理解されてないようです。
前回の記事で少し言及しておきましたが、このところ化石燃料価格が暴騰しています。とても素朴な経済の仕組みとして、相対的に需要に対して供給が不足傾向にある場合に市場価格は高騰することになるでしょう。
したがって、化石燃料価格の高騰は@化石燃料は非常に利用価値が高くA世界の需要に対して供給量が不足気味であるということです。
具体的には現在の工業生産によって成立している人間社会、世界経済において、化石燃料は必要不可欠なエネルギー資源であることを物語っています。もちろん、短期的には石油産出国が意図的に生産量を絞っていることはありますが、化石燃料なしには現在の工業文明が成り立たないことが本質的な背景です。
仮に国連などが示す予定通りに2030年には化石燃料消費を半減させ、2050年に化石燃料消費がゼロになるような情勢であれば、化石燃料は無価値なものとなり価格は暴落することになるでしょう。産油国は価格を下げてでも消費量を維持しようと必死になるはずです。
現実には、少し原油生産量を減らしただけでこの価格暴騰です。化石燃料に対する需要は増大することはあっても減少する可能性は今のところ全く見えないということです。
上図に示す通り、化石燃料の消費量は第二次世界大戦後一貫して高い増加傾向を続けています。原子力は実際には化石燃料から製造される二次エネルギーであり(「温暖化の虚像」128頁参照)、水力は地域的に限られたエネルギー源であり、世界のエネルギー供給は概ね化石燃料で賄われていると考えて大きな間違いはありません。
温暖化が叫ばれ、再生可能エネルギー発電の導入が開始されてから四半世紀が経過していますが、化石燃料消費は一向に減少する兆しさえ見せていません。
国・地域別の一次エネルギー消費の動向を上図に示します。ロシア、欧州、北米のエネルギー消費の動向は横ばい傾向にありますが、顕著な減少は全く見られません。これはこれらの国々の工業生産が成熟期に入り、飛躍的な生産増加が起こらない状況を反映しています。
一方アジア大洋州のエネルギー消費の増加は極めて顕著です。これは近年、世界の工場として工業生産拠点がエネルギー費用、人件費の安いアジア地域に集中している結果です。
上図は世界の太陽光発電モジュールの生産量です。ほぼ9割近くがアジア地域で生産されているのです。アジア以外の国でも生産拠点はアジアにおいている企業が少なくありません。つまり、世界の太陽光発電パネルは安価な化石燃料火力発電電力の得られるアジア地域において化石燃料を大量に消費しながら生産されているのです。
このように、欧米や日本などでは顕著なエネルギー消費、つまり化石燃料消費の増加傾向はないものの、設置する太陽光発電モジュールをアジア地域で製造させることで当該地域の化石燃料消費を急激に増大させているのです。全体として、太陽光発電の導入によって世界の化石燃料消費量が増加傾向を示している蓋然性が極めて高いことを示しています。少なくとも、太陽光発電の導入量の増加によって世界の化石燃料消費量が減少したことを示す統計データは存在しないのが現実です。
このように、太陽光発電だけでなく、高価な再生可能エネルギー発電の導入拡大は、化石燃料消費を削減することは不可能であることを現実社会の消費動向によって示されていると考えます。
英国で気候変動に関する枠組条約第26回締約国会議COP26が開催されています。
会場の外では、今年も日本からの若者たちを含めた環境保護運動関係者が化石燃料の使用中止を求める愚かなデモンストレーションを行っているそうです。最早ハロウィンもかくやと思われる年中行事になった感があります。
彼らは本当に真剣に環境問題に取り組んでいるのでしょうか?
● 産業革命以降の大気中CO2濃度の上昇が人為的な影響が主因であることを自然科学的に説明できるのでしょうか?
● 大気中のCO2濃度の上昇が気温上昇の主因だということを自然科学的に説明できるのでしょうか?
● 自然エネルギー発電の導入で化石燃料の消費を伴わない工業生産が可能だということを自然科学的に説明できるのでしょうか?
この素朴な私の三つの疑問に対して、若者たちが自らの言葉で答えてくれるのであれば、私は喜んで彼らを応援しましょう。
このところ、石油をはじめとする化石燃料価格が高騰しています。私はこの一事を見るだけでも、工業化社会の脱炭素化など不可能であると、現実がすでに証明していると思うのですが、若者諸君はどう考えるのでしょうか?
少し前になりますが、ホームページの読者の方から「太陽光発電は発電段階で化石燃料を消費しないのに、化石燃料を節約することにならないのか?」というご質問をいただきました。
このホームページでは太陽光発電を含めて、再生可能エネルギー発電は化石燃料の節約にならないし、まして化石燃料による現在のエネルギー供給システムを代替して工業化社会を支えることは出来ないと述べてきました。
今回読者の方から最新の実績のデータを提供いただきましたので、改めてこの問題を検討することにしました。以下、読者の方のご質問に対する回答を紹介します。
●● 様
まず、工業化社会についての基本的な姿勢について述べておきたいと思います。これは、拙著「温暖化は憂うべきことだろうか」に書いた最も私の基本的なスタンスです。槌田敦さんと共にエントロピー学会を退会した本質的な原因は、工業に対する更なる依存性を高めるような方向に反対であること、そして人為的CO2地球温暖化が虚構であるという認識の二つでした。
私たちの重要なテーマの一つがポスト石油文明において化石燃料に代わって工業を支えうるエネルギーが存在するのかという問題でした。1980年代に、いわゆる石油代替エネルギーに対する検討作業が槌田さん(当時理化学研究所)と、室田武さん(当時一橋大学経済学部教授)によって行われました。
当時ちょうど私は鉄鋼会社のエンジニアリング部門に配属されたころであり、そこでも通産省がらみで盛んに石油代替エネルギーについての検討が行われました。サンシャイン計画の大失敗でわかるとおり、全ての石油代替エネルギー(主に発電技術)はあまりにも高価であって工業生産を支えるエネルギー供給技術として使い物にならないということが結論付けられました。それは、エネルギー供給システム全体としてのエネルギー産出比が1.0未満であるということです。
工業文明を支えることのできるエネルギーとはエネルギー産出比が1.0(1.0はエネルギー供給システムを単純再生産できることを示します)を大きく上回っていることであり、それは石炭、石油、天然ガス、いわゆる化石燃料以外にあり得ないということでした。
では人類文明を持続させるためにはどうすればよいのか?その答えは既に歴史的に証明されています。人類の数万年に及ぶ社会生活の中でここ200年間程度を除けば、地球の表面環境で供給される生物資源=更新世資源を利用して持続してきたのです。
とはいえ、いきなり工業化以前の生活に回帰することは現実的ではありません。そこで槌田さんは工業的な技術を使って、ポスト石油文明に備えて、生態系を豊かにし、工業に対する依存度を小さくする「後期石油文明」を経て、生態系に依拠する人間社会に軟着陸するという構想を示しました。私もこの考えに賛成です。
この立場から、エネルギー消費をさらに肥大化させるメカトロニクスの導入、IT技術の更なる普遍化という技術開発の方向には基本的に反対です。むしろ、これまでの工業文明の中で機械労働に置き換えてきた作業をできるだけ人間労働に取り戻すことが必要です。同時に、かつての過重労働や搾取という労働者と支配階級の関係を止揚する社会構造を構築することが必要です。
この基本的な問題は、長くなってしまいますのでこの辺でやめて、以下今回の本題に入っていこうと思います。
まず、エネルギー問題についての基本的な考え方ですが、再生可能エネルギー発電システムによるエネルギー供給では、エネルギー産出比が1.0を超えることは技術的に不可能だと考えています。
ここで注意しておくべきは「再生可能エネルギー発電システム」とは、単一の再生可能エネルギー発電装置のエネルギー産出比が1.0を超えるかどうかという矮小な問題とは次元が異なります。あくまでも社会の必要とするエネルギー供給システムの全て、あるいは基幹を再生可能エネルギーに基づく電力で賄うことを想定した場合の総合的な評価が私の興味の対象です。
現在の日本の最終エネルギー消費に占める電力の割合は30%程度ではないでしょうか。それ以外は化石燃料によって賄われています。化石燃料によって賄われている70%程度のエネルギーを電力によって置き換えることが必要になります。これだけで電力需要は現在の3倍以上に拡大します。現在の電力需要を賄うためだけでも再生可能エネルギー発電には莫大な設備したがって費用が必要です。その3倍を代替するためには途方もない資源が消費されることは明らかです。2050年までに脱炭素化を成し遂げるなどということは技術的に不可能です。
再生可能エネルギー発電システムを成立させるためには、直接関連するハードウェアとして、発電装置の製造・建設、供給電力を適切に調整するためのバッファー装置の製造・建設、全国土を覆う高規格送電線網の建設、そしてこれらの装置システムを製造するための爆発的な工業生産量の肥大化を賄うための工場生産設備の製造・建設・運用などが新たに必要になります。
しかしそれだけではありません。これまで化石燃料によって駆動していた機械設備の全てを電力で駆動できるものに変えることも必要になります。これは技術的な可能性も含めてそれだけでも大きな問題をはらんでいます。
こうして再生可能エネルギーを大規模導入するほど、社会の必要とする電力量は際限なく膨れ上がることになります。エネルギー産出比が1.0未満であれば、いくら再生可能エネルギー発電の導入量を増やしても、社会に対して供給できるエネルギーはマイナスなのです。つまり再生可能エネルギー発電はエネルギーを消費するだけで一切生み出さないということです。
以下、もう少し具体的に考えてみましょう。再生可能エネルギー≒自然エネルギーの基本的な特性として、
@どこにでも普遍的に存在する
例えば、2MW風力発電装置の設備利用率は15%程度です。つまり2MWを超える発電を行うことができる発電機を使用しながら実質的には「平均的」に300kWの出力しかないのです。2MW陸上風力発電装置は、全高120m程度、鋼材重量300t程度の施設規模になります。化石燃料を用いた定置型の内燃機関を用いる発電方式ならば、300kWの定格出力の発電システムは6t程度です。単純に考えれば、火力発電を風力発電で代替するためには工業生産量が重量比で50倍になることを示しています。
太陽光発電について考えてみます。日本の太陽光発電の実績は150(kWh/m2年)程度です。平均発電能力に換算すると、
150 kWh/ m2年÷365日/年÷24h/日=0.017kW/ m2=17W/
m2
程度です。300kWの平均発電能力を得るために必要な面積は、
300kW÷0.017kW/ m2=17647 m2=132.8m×132.8m
太陽光発電ユニットの重量は12kg/ m2程度、太陽光発電ユニットを設置するための構造物の重量を10kg/ m2程度とすると300kW出力の太陽光発電設備の総重量は
22
kg/ m2×17647 m2=388234kg=388.2t
程度になります。重量的には風力発電と同程度か多少大きい程度ですが、太陽光発電用半導体の製造には大量の電気エネルギーが必要なので、風力発電よりも大量のエネルギーを消費することになります。
こうして莫大な工業製品を投入して再生可能エネルギー発電で得られる電力は制御不能な「クズ電力」です。実際に利用できるのは300kWをさらに下回ることになります。このクズ電力を使用するためには全国をネットワーク化する高規格電線網や電力安定化のための設備、余剰電力を何らかの形で蓄積し、必要に応じて給電する装置システムなどが必要になります。こうしたシステムを製造、建設、運用するための「自家消費」を加えると、エネルギー収支はマイナス、つまりエネルギー産出比が1.0未満になることは避けられません。
再生可能エネルギー発電技術についての評価です。これは、本来ならば、材料資源の採掘から精練、そして製造過程、建設、耐用期間中の運用、運転終了後の廃棄処理などの全ライフサイクルに投入する工業的エネルギー量を積算し、これに対する耐用期間中に供給するエネルギー量の比率であるエネルギー産出比を算出することが必要になります。
室田さんが1980年頃に、製造・運用過程の消費エネルギーを積み上げで分析した結果として、太陽光発電装置単独のエネルギー産出比は0.1程度であり、少なくとも太陽光発電は石油火力発電の3倍以上の化石燃料を消費するという結果を得ていました。
研究者である室田さんとは異なり、私には生産過程を精査して積み上げでエネルギー投入量を算定する術はありません。そこで、経済統計から、工業生産の製品原価に対するエネルギー費用の割合から、製品原価からエネルギー費用を推定する簡易的な方法を使っています。その結果、再生可能エネルギー発電の発電原価の20%程度を投入エネルギー費用とするのが現実的だと考えています。ただし発電方式によってこの値は異なり、生産過程で大量のエネルギー投入が必要な太陽光発電ではおそらくもう少し高い割合にしてもよいだろうと考えています。
室田さんが分析していた当時、太陽光発電電力単価は70円/kWh程度であり、火力発電電力原価は10円/kWhよりも少し安い程度でした。太陽光発電の電力原価とは、太陽光発電施設製造のための初期費用およびランニングコストを生涯発電量で除したものと考えられます。したがって、発電原価の25%、17.5円/kWh程度が投入されたエネルギー=化石燃料の対価だと考えられます。
火力発電では燃料として化石燃料を使用するので事情が異なります。原価の60%程度がボイラーで消費される燃料費の対価であり、残りの40%程度が発電施設建設ないしランニングコストだと考えられます。したがって、火力発電の投入エネルギー費用は、
10円/kWh×(0.6+0.4×0.2)=6.8円/kWh
になります。太陽光発電は火力発電に対して17.5/6.8=2.6倍の化石燃料を消費していることになります。室田さんの積算値から考えて悪くない推定値だと考えています。
技術改良が進んだ結果、現在では名目発電量に対する化石燃料消費量はかなり少なくなりました。ただ問題は、2000年代にはいると、エネルギー多消費型の太陽光発電ユニット製造工場の生産拠点が先進国からエネルギー価格の安い中国・アジア地域移ったこと、また政治・経済的な要因で化石燃料価格が乱高下することになり、電力原価に対するエネルギー費用から製品製造に投入された化石燃料の量を推定することが難しくなっています。
2010年代からの急激な太陽光発電ユニット価格の低下の要因は、技術改良の影響も多少あるものの、中国・アジア地域の安いエネルギー(特に電気料金)・人件費による製造、ないし為替の影響が大きく影響しています。
このことは、太陽光発電パネル製造がいかに電気を大量に必要とするのかを物語っています。
先進工業国では、カナダは電力価格が安いため(おそらく豊富な水力発電電力でしょう)、太陽光発電パネル製造が盛んです。
しかし、カナダの太陽光発電パネル大手のカナディアンソーラーでさえ、現在では生産拠点をアジアに移しています。
Panasonicは価格競争を勝ち抜くために2012年にマレーシアに工場を作ったわけですが、マレーシアの電力価格は日本の1/3以下です。それでも結局価格競争に勝てずに2021年にマレーシア工場も閉鎖されることになりました。それほどアジア産太陽光発電パネル価格は圧倒的に安いのだと考えられます。
ここで●●さんのお宅のシステムについて考えてみましょう。
パナソニック太陽電池モジュール VBHN244SJ33
質量:14kg
公称最大出力:244W
30枚
定格出力 244W×30=7.32kW
北緯35.5度
1366W/m2×0.7×cos35.5°=778.5W/m2
快晴の春秋分日の太陽放射エネルギー量
これを快晴の平均日のエネルギー量とすると、快晴日が1年間続いた場合の地表面に届く太陽放射エネルギー量は
5.947×365=2170.7kWh/m2年
変換効率を19%とすると晴天率100%の年間発電量は
2170.7×0.19=412.4 kWh/m2年
年間発電量の実績を約7000kWh/年だとすると、
7000kWh/年÷30枚÷1.283m2/枚=181.9kWh/m2年
これは非常に良い実績だと思います。設備利用率は
181.9÷412.4=44.1%
さて、●●さんのご質問の件について検討することにします。まだ運用中ですので、あくまでも推定ですが、●●さんのお宅の太陽光発電システムの耐用年数25年間の運用期間中の年間平均発電量を7000kWh/年×80%=5600kWh/年だと仮定します。耐用期間中の総発電量は5600kWh/年×25年間=140000kWh
2,520,720円÷140000kWh=18円/kWh
投入エネルギーの対価を原価の25%とすると、
18円/kWh×25%=4.5円/kWh
つまり、電力1kWhを生産するために化石燃料を4.5円程度消費しているということになります。
ここで問題になってくるのが太陽光発電パネルの価格が、海外生産の低エネルギー料金・低人件費の下で製造された標準的な価格の影響を受けていることです。日本の市場売電価格は20〜25円/kWhなのに対して、例えばマレーシアでは6円/kWh程度と3倍以上の開きがあります。この比率を単純に適用すれば、太陽光発電に占めるエネルギー費用は4.5×3=13.5円/kWhということになります。現実にはそこまで差はないと思いますので、ここではとりあえず控えめに2倍程度、9円/kWh程度と推定しておきます。
ここの推定は勿論どんぶり勘定ですが、要するに太陽光発電でも火力発電と同じ程度以上の化石燃料を消費しているということです。つまり、化石燃料によって成り立っている工業生産システムの下で太陽光発電を導入しても化石燃料の節約効果さえほとんど期待できないということです。
ただ、海外生産であれば、化石燃料を消費するのは外国ですから、その意味で日本国内における化石燃料消費は削減できます。しかしそれは化石燃料消費が日本から外国に付け替えられただけで世界の化石燃料消費が削減されるわけではなく、むしろ増加することになります。
さて、●●さんのお宅ではおそらく自家消費した余剰分を売電する形で電力供給ネットワークに接続しているはずです。本来必要な需要に対応するための制御された電力にするための出力変動制御についての設備・費用は全て電力会社に肩代わりしてもらっているのです。電力制御にどの程度の費用が掛かるのか?例えば家庭用太陽光発電システムだけで全ての家庭用電力を賄うことを考えれば、少し実感できるのではないでしょうか。
電力ネットワークから切り離して運用するためにはバッファーとして蓄電装置などの追加設備費用が必要になります。発電量が気象条件に大きく影響される太陽光発電電力で完全にスタンドアローンで完結するためには非常に大容量の蓄電システムが必要になります。とても電気自動車1台程度では賄えません。その機械装置の製造ないし運用に必要なエネルギー消費を考えれば、火力発電電力よりも大量の化石燃料が消費されることは容易に想像できるのではないでしょうか?
戸建て用の太陽光発電パネルの設置では、下部構造の大部分を家自体が担いますが、太陽光発電所ではそうはいきません。太陽光発電パネルを設置する広大な敷地の整備、太陽光発電パネル設置のための専用の下部構造を建設するためにも多くのエネルギーが消費されます。これも供給電力に対するエネルギー消費量を増加させます。
私の家から見える隣町のメガソーラー発電所はカナディアンソーラーの安い発電パネルで建設されたものですが、九電への売電価格は40円/kWh程度です。電力会社はこの高価な再生可能エネルギー発電電力を購入するために電力料金に再生可能エネルギー発電促進賦課金を加算して徴収しています。再生可能エネルギー発電促進賦課金額は再エネ電力1kWh当たり36円程度になっています。したがって、電力会社の再生エネルギー発電電力購入価格の平均価格は46円/kWh程度なのであろうと推定しています。
以上から、再生可能エネルギー発電システムの基幹電力としての大規模導入は化石燃料消費を増加させ、工業生産規模を爆発的に大きくするだけだということです。また、エネルギー産出比が1.0未満であれば、再生可能エネルギー発電システムを単純再生産することができず、有効なエネルギー供給は不可能です。
ただ一言付け加えておくと、太陽光発電がすべて無駄というつもりは毛頭ありません。例えば卓上計算機や腕時計など、移動可能で小電力を必要とする装置の電源としてはとても便利だと考えます。
また辺境の地や絶海の孤島などでは利用価値があると考えます。このような場所では送電ケーブルの敷設に莫大な費用が生じる(=莫大なエネルギー消費が必要)ため、あるいは発電用燃料の輸送が難しいため、太陽光発電の導入の合理性が生じます。
要するに、私たちは化石燃料という優秀な資源を節約するために利用環境に合わせて合理的な発電方式を選択すべきであるということに尽きます。ここでも「科学的合理性」が選択のポイントであると考えます。
ただ、発電所から送電線で簡単に電力供給ができるような場所において、わざわざ不安定なクズ電力しか製造できない再生可能エネルギー発電を使用する科学的な合理性がないということに尽きます。
● 電気自動車については、化石燃料消費を減らす可能性はほとんどありません。特に再生可能エネルギー発電電力を用いれば、化石燃料消費は増加することになります。特殊環境下(排ガスを出してはならない屋内環境など)における限定的使用には合理性はありますが、自動車一般を電動化することは、化石燃料の浪費でしかありません。詳細については次のレポートをご参照ください。
「温暖化にかこつけてのイノベーション」には基本的にすべて反対です。脱炭素化とデジタル化が社会を滅ぼすことになると考えます。
2021.10.5
近藤邦明
長らく続いた安倍政権に対しては既に言うべきことは言いつくしていたので、このところ政治についてはほとんど扱ってきませんでした。ようやく、安倍政権が終わったと思ったところが、自民党総裁選に出馬した候補者たちは、相変わらず安倍・麻生という中半犯罪者の顔色を窺って政策を変容させる体たらくであり、あきれ果てたものです。自民党には自浄能力など全くないことを再確認させられました。
さて、今後21世紀の長期間にわたって最も社会・経済・庶民生活に大きな影響を与えることになるのは「CO2温暖化対策」への取り組みだと私は考えています。
脱炭素などできると考えている自然科学者、工学研究者が存在するとは考えたくない、それはほとんど悪夢ですが、現実には嘘と知ってかどうか真意を測りかねていますが、政治・経済・工業の全てが「脱炭素社会実現」に向けて暴走を始めようとしています。
与野党全ての政党は更なる工業生産の拡大に基づく経済規模の拡大と国民給与所得の増加を進めるとしています。温暖化対策と社会システムの電子化とは更なる工業生産規模の拡大に直結することであり、本質的に環境問題をさらに激化させ、工業化社会の破局的な終末を引き寄せるものだと考えます。
国会は正に「温暖化対策推進翼賛会」となっており、将来的に最も国民生活に対して甚大な影響を与える問題に対して、すべての政党が同じ方向を向いており、私にとって選択肢が存在しない状況になっています。一体何を選択肢にすべきなのか?
しかし、「人為的CO2地球温暖化」などという与太話に対して、自然科学者はいつまで口を閉ざしたままなのか?「脱炭素社会の実現」などという錬金術と永久機関の実現に等しい目的に向かって破滅の道を突き進む恐ろしい時代になりつつあります。誤った「環境ファシズム」の時代はいつまで続くのか・・・。
「真鍋叔郎」、「ノーベル物理学賞」というキーワードのためか、久々にアクセスが多くなりました(笑)。
多くの日本国民は、真鍋のノーベル物理学賞受賞で、気候シミュレーションっていうのはやっぱり正しいのだろうという思いを強くしたのではないでしょうか?
もちろん、「大気海洋結合モデル」という発想、つまり直接的には大気の物理的性状の表れである気象現象も、海洋とのエネルギーや物質交換の影響を受けるという考え方は正しいことは言うまでもありません。
しかし、現実には例えば海洋の中の全ての物理・化学・生物現象が定量的に把握できているわけではありません。
よく知られている現象であるエルニーニョ、ラニーニャ、南方振動などの現象の発現機構が完全に解明されているわけではありません。当然量的な把握、将来的な発現の予測も不可能です。このように、気候現象に深く関係する現象の解明が行われていない現状で、長期的な気候変動を予測することは原理的に不可能です。
そればかりではなく、基本的な問題として、大気の全ての状態を全く矛盾なく一意的に決定できるだけの完備された数学モデルを構築することさえ不可能です。
さらにコンピューターシミュレーションの技術的な問題として、極めて非線形性の強い気象現象の途方もない回数の繰り返し計算を含む数値シミュレーションでは誤差の蓄積が不可避であり、また正解は一つではありませんから、とてもまともな予測をすることは出来ません。総じて地球の気象現象のような複雑な現象を丸ごとコンピューターシミュレーションで正しく将来予測することは不可能です。
以上は数値計算の一般的な問題として素人にも分かる事柄です。ごちゃごちゃ言ったところで、現在の気象予測数値モデルシミュレーションは実際の気象現象と大きく食い違う結果しか出ないのですから、結局のところコンピューターの仮想空間の中の数遊びに過ぎないというのが私の結論です。ちょっと考えてみてください。あなたは1週間先の天気予報を「信じる」ことができますか?
気象学者氏に言わせると「計算に合わない現実の気象の方がおかしい」のだそうですが、そんなことはないのです(笑)。
気象研究者ではないという意味で素人の私の意見はどうしても「眉唾モノ」と思われるかもしれませんので、この辺でやめておきます。
この問題については、JAMSTEC(海洋研究開発機構)において、大気海洋結合モデルの海洋部分のプログラム開発の元リーダーであった元沖縄高専教授である中本正一朗さんに近いうちにコメントしていただく予定です。乞う、ご期待!
参考: §5.
数値シミュレーション
4. 二酸化炭素地球温暖化仮説と巨大マスコミと学者たち 沖縄高専 中本正一朗
本日夕方、真鍋叔郎プリンストン大学上席研究員がノーベル物理学賞を受賞したことが報道されました。授賞理由は大気海洋結合モデルによる気象予測のコンピューターシミュレーションモデルを作り、CO2による温暖化を予測する基礎を作ったということです。
物理学賞をコンピューターモデルを作って受賞するということには、私自身はとても違和感を感じます。しかし、ノーベル賞というもの自体が極めて政治的、思想的に偏っていることはご承知の通りです。今回の真鍋の受賞は気象予測による二酸化炭素地球温暖化の信憑性を高めるためという、IPCCないし国連などによる政治的圧力があったのではないかと考えています。
現実的には、人為的CO2地球温暖化は存在しませんから、全くお笑いなのですが、これによって日本ではしばらく気象関係者・マスコミなどによって人為的CO2地球温暖化フィーバーが繰り広げられることになることは間違いないでしょう。
IPCCの新報告書が発表になるというアナウンス以降、温暖化の脅威を煽る非科学的で感情的な報道が過熱しているようです。
8月29日のTBSの朝の報道バラエティー番組「サンデーモーニング」の中で、『グリーンランドの標高3000m付近の高山で観測史上初の降雨が観測された』ことが温暖化の脅威を示す事実として紹介されていました。
私が最初に思ったことは、「グリーンランドの標高3000m付近の気象観測はいつ始まったのだろう?」という疑問でした。
そもそも現在の気象観測データと比較し得るような系統的な気象観測が始まったのはそれほど古い話ではないはずです。長くても200年程度、しかもごく限られた地域でのデータがある程度でしょう。日本ではさらに観測期間は短いでしょう。
つまり、直近の気候温暖期であった1000年ほど前を中心とする中世温暖期については、最早比較し得るデータなど存在しないのです。ましてグリーンランドの辺境の標高3000mの場所の観測データなど記録があるはずもないのです。
近年、やたら自然災害や稀な気象現象が頻発しているような非科学的な報道が横行しています。しかし、その多くの部分は数百年以前には人さえ住んでいなかった辺境の地や自然環境の厳しい所にまで人間社会が進出し、それに伴ってそれまでには存在しなかった気象情報がもたらされるようになり、さらに近年の情報メディアの発達によって世界中に情報が届くようになったことに依ります。
冷静に考えてみてください。統計上30年に一度程度観測される稀な気象現象である気象用語の『異常気象』は毎日地球上のどこかで必ず起こっているのであり、温暖化の脅威を思わせる異常高温現象を殊更報道したい者は世界中からこの種の観測結果を探し出しては報道しているのですから、この種の情報が報道される頻度は間違いなく増加傾向にあります。それが果たして地球の歴史から見て異常であり、人間社会にとっての脅威であり、まして人為的に放出したCO2の結果であるかは全く別次元の問題です。
このような条件をすべて無視して、「観測史上初」という言葉それ自体が人為的CO2地球温暖化による異常気象、人間社会にとっての脅威に直結して語られているのです。本来ならばこうした過熱報道に対して「専門家」の立場から、科学的分析によって戒めるべき気象研究者たちの大多数が、更にこれを煽っているのですから全く話になりません。彼らに自然科学を語る資格はないと考えます。
サンデーモーニングのネタ元であるCNNの報道をホームページから紹介します。
グリーンランド山頂に降雨 観測史上初
(CNN) 標高3000メートルを超すグリーンランドの山頂で、14日に降雨が観測された。雪ではなく雨が降ったのは、観測史上初めてだった。
山頂の気温は先の週末にかけ、氷点下を超えて上昇した。氷点下を上回ったのはこの10年足らずで3度目。同地は暖気の影響で豪雨に見舞われ、氷床の上に70億トンもの水が降り注いでいた。
米国立雪氷データセンターによると、降雨量は1950年に記録を取り始めて以来、最も多く、15日に失われた氷の質量は平年の1日平均の7倍に上った。
米国立雪氷データセンターの研究員テッド・スカンボス氏はCNNに対し、この現象はグリーンランドの温暖化が急速に進んでいる証しだと述べ、「これは単純に気候パターンが変動する中で10年か20年温かさが続くといった現象ではない」「前代未聞だ」と指摘した。
米国立科学財団のサミットステーションは、グリーンランドの氷床で最も標高が高い場所にあり、ここを拠点として北極圏の天候や氷の変化を観測している。1989年からは職員が常駐。今回の豪雨の大部分は、グリーンランド南東の沿岸部からサミットステーションにかけての一帯で観測された。
米国立科学財団のジェニファー・マーサー氏は、豪雨の影響でサミットステーションの運営も変更する必要が生じると述べ、「同ステーションの運営史上、経験したことのない気象現象を考慮する必要がある」と説明。「氷の融解、強風、そして今回の雨といった気象現象が、過去10年の間に平常とみなされる範囲を越えて発生している」「その発生頻度は増す一方のようだ」と話している。
CNNの報道によると『米国立雪氷データセンターによると、降雨量は1950年に記録を取り始めて以来、最も多く、・・・』ということですが、これはどこの降雨なのか明確には書かれていません。記述では過去にも降雨があり、その中で最も多いというのですから、どうも今回の標高3000mの場所そのものではないようです。また降雨を観測し始めたのは70年ほど前だということも分かります。
さらに読み進めると『米国立科学財団のサミットステーションは、グリーンランドの氷床で最も標高が高い場所にあり、ここを拠点として北極圏の天候や氷の変化を観測している。1989年からは職員が常駐。』ということですから、正確には1989年以降初めて降雨を観測したというのが事実のようです。
ホームページ上で公開しています「温暖化の虚像」について、誤植がありましたので、おしらせします。訂正版を公開しておりますので、お手数ですが再度ダウンロードしてください。尚、併せて訂正箇所を正誤表として公開していますので、ご確認ください。