『エコファシズム』=『人為的CO2地球温暖化ファシズム』が体制となった日本や多くの国々では、最早人為的CO2地球温暖化の科学的な検討は棚上げされ、非論理による人為的な温暖化を前提として政策が立案されるようになって久しい状況です。
米国は、京都議定書に対しては共和党ブッシュ政権は参加しませんでした。これは誠に賢明な判断だったと考えています。
ブッシュ政権になるまでのクリントン民主党政権は温暖化の危機を煽っていました。副大統領ゴアの肝いりで制作された『不都合な真実』という人為的CO2地球温暖化仮説の宣伝映画は、あまりにも非科学的で事実の歪曲が多かったため、英国の教育現場では排斥されました。
ブッシュ政権を経て、オバマ民主党政権に移行すると再び温暖化対策を重視する方向に方針が転換されました。そして、今回トランプ共和党政権はどういう判断を下すのか、注目です。なんとか公約通り、パリ協定から即刻離脱してくれることを祈りたいと思います。
さて、私はナイーブに(笑)、トランプが誠実で自然科学を重視する人間などと買いかぶっているわけではありません。ただ、実業家であり現実主義者であることは間違いないであろうと考えています。
米国の温暖化に対するスタンスは民主党政権なのか共和党政権かによって180度変化してきました。これは理由がないわけではありません。共和党政権はどちらかと言えば米国の伝統的な、あるいは旧来の古い体質の濃い政党であり、対して民主党は『進歩的』で新しい都市生活者やエリート層に基盤を持っています。
エネルギー政策においては、共和党は炭鉱や油田という旧来のエネルギー産業をバックボーンにしています。これに対して民主党は原子力や再生可能エネルギーなどの新しい技術をバックボーンにしています。1980年台以降はスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故を経験した結果、原子力は後退し、再生可能エネルギーに中心が移っていました。
そこに米国発の人為的CO2地球温暖化仮説という突拍子もない非科学的な仮説が登場します。民主党支持勢力など新興勢力は人為的CO2地球温暖化仮説を利用して石炭産業や石油産業から再生可能エネルギーや環境技術で経済的な覇権を奪取しようと画策します(例えば、温暖化を吹聴したことでノーベル賞を受賞した米国元副大統領アル・ゴアのように・・・。)。
チェルノブイリ原発事故で原子力に対して危機感を持ったヨーロッパでも人為的CO2地球温暖化仮説に便乗し、再生可能エネルギーへの移行が叫ばれるようになります。これは環境保護派の非科学的な市民運動が環境技術を持つ企業に踊らされた結果だと考えています。
一方、石炭産業や石油産業をバックボーンに持つ共和党政権は、人為的CO2地球温暖化仮説の非科学性を主張して伝統的な石炭産業や石油産業を守ろうとするのです。その結果として、図らずも(笑)、共和党政権は自然科学的に正しい選択をしてきたのです。
トランプ政権が選挙戦の公約通り、炭鉱労働者や油田労働者の救済のためにパリ協定から離脱するかどうかは、米国内における経済的な綱引きによって決定することになるでしょう。注目していきたいと思います。
さて、米国から離れて考えれば、なぜ西欧先進国や日本が非科学的な人為的CO2地球温暖化仮説を信奉しているのかを考えてみます。これもすぐれて国内産業に対する経済効果によって決まっているのです。
多くの西欧諸国や日本といった、工業技術力は高いが、エネルギー資源がさほど豊富ではない国では、石炭や油田に従事する労働者の意見はそれほど大きくなく、むしろ工業製品輸出企業が大きな発言力を持っています。これは米国の民主党支持層と同じ経済的な背景なのです。
また、一般的な家電・機械製品では次第に後発工業国の低賃金による安くてすぐれた製品によって世界市場における先進工業国の相対的なシェアは低下傾向を示しています。そこで、人為的CO2地球温暖化防止のための先端技術を用いた付加価値製品(=高額製品)市場が大きくなれば、先進工業国の経済的優位性が復活する可能性があるのです。パリ協定の発効で、思惑通り、アフリカ地域などで再生可能エネルギー導入量が増加して、マーケットが急拡大し始めているのです。
日本の国益を考えれば、自然科学的な妥当性はともかく、人為的CO2地球温暖化仮説を正しいとしていたほうが儲かるのだからそうしておこう、というのが権力や資本の本音です。
人為的CO2地球温暖化仮説を正しいとしておきたい直接の利害関係者である気象関係の自然科学者は人為的CO2地球温暖化仮説を正しいものだとして吹聴します。しかし、その自然科学的な実体については、かつて東京工大の丸山茂徳さんが「科学者の9割は地球温暖化CO2犯人説はウソだと知っている」(2008年、宝島社)で書いた通り、根も葉もないコンピューター・ゲームの世界の虚構にすぎないのです。
しかし、エコファシズムの完成した今の日本では、「地球温暖化対策」のための研究者には優先的に国家的な研究予算が配分される一方、人為的CO2地球温暖化仮説を科学的に検証しようとすれば、研究予算がつかないどころか、私のように(笑)非国民扱いされ、悪くすれば社会から抹殺されてしまうような状況になっているのです。
「まあ、儲かるのならば、科学的な問題は棚上げして人為的CO2地球温暖化仮説が正しいと信じておけば、八方うまく収まるから放っておけばいいのではないか?」という意見があるのも承知しています。しかし現実には八方うまく収まるわけではなく、一般国民にとっては何のメリットもないどころか、金をむしり取られることになるのです。
日本の大企業は環境技術で大儲けしても、日本国民は彼らを肥え太らせるために法外な対価を支払わされているのです。例えば電力料金。既に昨年の再エネ賦課金として年間1.5兆円以上が電力消費者から徴収されています。また、あらゆる商品が環境性能を謳って割高なものになっています。環境性能を謳った工業製品を買わされる発展途上国も先進国の大企業のカモです。
CO2放出削減技術と言うのも、全くのまやかしです。京都議定書発効以来、各国で環境技術が導入されていますが、一向にCO2放出量は減りません。これは当然です。
今のCO2放出量削減技術というのは、極めて近視眼的なものであって、世界全体の工業の収支から見て、CO2排出量を削減する効果があるかどうかは何の保証もありません。「発電施設からCO2放出を減らします」「自動車からのCO2放出を減らします」といったところで、その代替技術を実現するためには莫大な付加的な石炭や炭化水素燃料の消費が必要になるからです。
例えば風力発電を考えます。定格出力2MWの大型の風力発電装置は、高さが100mを超えるような巨大機械構造物です。設備利用率は平均すると15%程度でしょうか。この巨大な風力発電装置を建設するためには、陸上でも200t以上の鋼材が必要です。海上の浮体構造内なればおそらくその倍以上が必要でしょう。定置用の内燃機関を利用した発電装置ならば、鋼材の使用量は10tに満たないのです。
風力発電と定置型の内燃機関発電機の生涯発電量当たりの石炭ないし炭化水素燃料消費量はおそらく風力発電の方が大きくなるでしょう。更に、鋼材を始めとする資源消費量は爆発的に大きくなり資源浪費を加速することになります。
愚かなパリ協定を有名無実にするために、なんとかトランプ米大統領には頑張って欲しいものです。
福島原子力発電事故処理関連の東電の負担軽減のために、電力小売り自由化で新たに参入した新電力会社の売電する電力に対して、事故処理費用や廃炉費用の経済的な負担を転嫁する方針を経産省が決めました。
このHPでは何度も何度も言ってきましたが、原子力発電は東京電力という電力を販売している一私企業の経済行為としての事業に過ぎません。福島原発事故は東電の一発電工場の事故であり、それによる損害賠償や事故処理は東電自身が100%負担して行うことが筋です。負担できなければ東電は破産宣告して廃業するべきなのです。
その上で原子力発電事故による影響の大きさ処理の重要性に鑑み、国家管理で税金投入によって処理を行うべきものです。事故の責任を曖昧にして東電を救済するために止めどなく電力消費者に経済的負担を強いるなどという対応は商道徳上極めて不健全であり、悪しき前例を作ることになります。こんなことは本来許してはいけないことですが、残念ながらごまめの歯ぎしりです。
さて、安倍政権の数少ない経済戦略の一つとして、事もあろうに自国内で大事故を起こして、その事故処理法さえめどの付かない不完全な原子力技術を、しかもNPT体制に参加していないモグリの核兵器保有国であるインドに対して輸出するというのですから、空いた口が塞がりません。
インドは、御存知の通り、NPT体制には未加盟であるだけでなく、核兵器保有国であることは誰もが知っている紛れもない事実です。つい最近もミサイルの発射実験も行っています。つまり、客観的に核兵器開発の視点から見れば、インドは北朝鮮と全く変わらない無法者国家であり、むしろ核兵器技術では北朝鮮よりも先を行っているのです。
日本政府は北朝鮮にたいしてNPT体制に反して核兵器開発をしている無法国家だと言って批判し続けていますが、これはご都合主義にすぎないことは明白です。要するに、インドは米国が容認しているが、北朝鮮は容認していない、もっと言えばインドは味方だが北朝鮮は敵国だから、という極めて主観的・非論理的な理由で対応を使い分けているだけなのだということが分かります。
日本の核兵器に他する対応は、徹頭徹尾、全く非論理的なご都合主義です。反核運動の皆さん、もういい加減にあなた方の本当の敵は我が日本政府そのものであることに気づいてほしいものです。
米国次期大統領選で日米、そして世界のマスコミがキワモノ扱いし、泡沫候補と扱き下ろしてきたトランプ氏が勝利しました。これは正に千載一遇のチャンスかもしれないと考えています。
トランプのこれまでの言動から、例えば「世界の警察」から撤退して、世界に対する影響力の行使よりも米国の利益を最優先する一国主義を採ることが考えられます。これは誠に歓迎すべきことです。米国の介入によって中東は泥沼状態になり、東アジアでは北朝鮮が軍事国家化を進めてきました。
さて、日本関係では、日米安保に対して日本が更に経済的負担を負わない限り、駐留米軍を引き上げると言っていますが、是非実行してほしいものです。米軍の駐留がなくなり、日米安保条約を廃棄することによって初めて日本は独立国家のスタートに立てます。
更に米国の駐留がなくなった時の防衛政策によって、初めて保守党政権の軍事国家化の野望、核兵器保有への欲求が明確になることも重要です。
米国の核の傘から離脱して、自前の武力だけによって日本を防衛することの莫大なコスト、経済への打撃、非現実性が明らかになれば、憲法9条を徹底的に遵守して等方的な平和外交を行うことこそ最も現実的な防衛政策であることが理解されると考えます。
次にTPPからの離脱と関税障壁の復活については、大歓迎です。関税自主権、あるいは非関税障壁は経済的に弱い国内の産業を守る意味だけでなく、物質循環に依拠した持続可能な社会構造を構築するためには必要不可欠の制度的枠組みです。
安倍政権の新自由主義による巨大資本の暴走を許すことによる経済の膨張と、そのオコボレを頂戴するというトリクルダウンなど幻想であり、環境問題を本質的に悪化させるだけです。この問題については機会があれば稿を改めて検討したいと考えます。
更に、非科学的で愚かな「温暖化防止のためのパリ協定」からの撤退も是非とも実現してほしいと考えます。
いずれにせよ、何かにつけて米国盲従、あるいは米国のせいにすることで、自らの責任を隠蔽してきた日本政府や保守党政権の化けの皮がはがれる可能性が出てきたことは、歓迎こそすれ、忌避すべき理由は何もないように思えます。
昨日、博多駅前の道路の大規模陥没事故が発生しました。原因は地下鉄の博多駅乗り入れに伴う延伸工事の影響と報道されています。
土木屋として、一体何が原因なのかに興味を持ちました。私が現場を離れてから30年も経ち、工法の進歩は著しいと考えていますが、これだけの大規模な事故が起こることは、開いた口が塞がらないというのが正直な第一印象でした。
ところが、この地下鉄の延伸工事の工法としてNATM工法(新オーストリアトンネル工法)で施工していたと聞き、一瞬耳を疑いました。
私は鋼構造物の上部工(地上構造物)の設計が専門でしたので、トンネル工法にはそれほど詳しくありません。ただ、35年ほど前、学生時代の友人のマスター論文のテーマがおそらく導入直前(?)のNATM工法における地山の応力解析であったために概要はよく聞かされていました。
通常NATM工法は山岳トンネルなど比較的しっかりした地山にトンネルを掘削する場合に用いられます。図に示すようにトンネル先端の切羽部分を少し掘削すると地山の崩落を止めるために吹付けコンクリートとロックボルトによって安定化させ、必要であれば鋼製の馬蹄形の支保工を組み、更に掘削を進めるというサイクルを繰り返します。
お分かりのように、この工法を用いるためには地山が強固で、ロックボルトを固定できることが条件です。
ところが、今回の福岡の地下鉄工事現場は博多湾に近く川に挟まれた場所であり、河川堆積物が厚く堆積している場所です。素人ながら、このような場所ではシールド工法を用いるのが常識的な選択だと考えますが、なぜ敢えてNATM工法を用いたのか、理解に苦しむ所です。
フィリピン大統領の一連の発言について、日本の大多数のマスコミ報道は、『暴言』であるかのように一面的な報道をしています。
詳しくフィリピンの内情を知っているわけではありませんが、国内の麻薬取締において強硬な手段を用いているとの報道がありますが、それに対して国民が圧倒的な支持を与えているのですから、他国がとやかく言う問題ではないでしょう。西欧的な一面的価値観からの批判は大きなお世話でしょう。
彼の発言は、米国に飼いならされてしまった多くの日本国民から見ると、多少過激と見えるかもしれませんが、独立国家であるならば、駐留米軍に立ち退きを要請することは当然の権利であり、中国に接近する外交を展開することも何も問題はありません。
おそらく歴代比政権は旧宗主国である米国の無理難題に対してご無理ごもっともで従ってきたのかもしれません。ドゥテルテ氏は米国の属国扱いに対して反対し、フィリピン国民の独立と尊厳を守るための行動をしているという点で、極めて首尾一貫した発言をしていると考えます。
ドゥテルテ氏いわく、
「アメリカは言う通りにしなければ支援を止めると言っています。まるでフィリピンが『首輪をつけた犬』かのような扱いです。『犯罪者に噛み付くのをやめなければ、餌はやらない』と」
「大統領の立場を追われても構いません。命を失ったとしても、想定内の結果として受け入れます。しかし、フィリピン国民の尊厳を損ねることだけは絶対にしません」
「我が国はアメリカの支援がなくとも、生き残ります。生活の質は下がってしまうかもしれませんが、生き抜きます」
「アメリカにも他の国に対しても、『フィリピン国民には尊厳がある』と証明したいのです」
ドゥテルテ氏の発言、そして行動は、日本の国会での審議前に米国議会に対して憲法違反の安保関連法案の成立を約束するような売国奴安倍晋三や日本国政府の態度よりも、一国の指導者として遥かに尊敬に値すると考えます。
日本の米国に対する忠犬ぶり、傀儡ぶりをまざまざと見せつけたのが、国連の核兵器禁止条約制定交渉の開始に対して反対票を投じた事件でした。どんな理由をこじつけようとも、核廃絶運動に棹さす行動を正当化することなどとても出来ません。見事な忠犬ぶりには拍手を贈りたいと思います。
モントリオール議定書とは、「オゾン層を破壊するおそれのある物質を指定し、これらの物質の製造、消費および貿易を規制することを目的とし、1987年にカナダで採択された議定書。(Wikipedia)」です。
しかし、オゾンホールの成因がCFCフロンによって大気中のオゾンO3が破壊された結果であるという決定的な科学的な裏付けは存在しません。このHPで検討してきたように、オゾンホールの成因は南極の春先の特異な気象現象であると考えるのが妥当です。
モントリオール議定書は、『予防原則』の名の下に、科学的な真偽の追求を放棄することによって成立した現在における科学の仮面をかぶった魔女狩りでした。その実は、ある世界的な化学メーカーの開発したフロン代替物質を独占的に販売するための謀略であったと考えられます。フロン使用禁止によってその代替としてスプレー缶に可燃ガスが使用され、それによって起こった事故も少なくありません。
また、肝心のオゾンホールの拡大による健康被害など、これまでに全く存在しないのが現状です。「南極に近いオーストラリアではオゾンホールの拡大によって紫外線が強くなっているのでサングラスや帽子の着用で防いでいる」というような記述が、高校の社会科の教科書や副読本にまことしやかに記載されていましたが、根も葉もない流言であり、この種の記述が削除されることになりました。
このモントリオール議定書が現代における第一の魔女狩りであり、これに味をしめた先進国グループが次の標的としたのが京都議定書における二酸化炭素を中心とする温室効果ガスの排出量削減です。これが第二の魔女狩りです。
例えば日本では、温暖化対策としての二酸化炭素排出量削減を謳った環境製品の市場規模はおそらく年間数10兆円になっていると思われます。国家予算においても年間10兆円に迫るものと思われます。電力料金に上乗せられている再エネ賦課金額は昨年実績で1.5兆円を超えているのです。
『温暖化対策』を謳うことで、通常の市場価格よりも割高な製品が国家補助を受けながら確実に販売できるのですから、温暖化対策商品を製造販売する企業にとっては笑いが止まりません。企業にとっては、人為的な二酸化炭素による地球温暖化の科学的な真偽など、どうでも良いのです。
そしてこの度、第三の魔女狩りの標的にされたのが代替フロンです。まず新聞報道を紹介します。
さて、ここでも魔女狩りの常套手段である恐怖宣伝が行われています。例えば、『地球温暖化を引き起こす度合いが二酸化炭素(CO2)の数百〜数万倍高い』と説明されています。これは一体何を言っているのか意味不明です。
気体が赤外線を吸収したり放出する能力=赤外活性は、気体の分子構造によって決まる特定の波長の赤外線だけを吸収します。したがって、二酸化炭素と代替フロンHFCとは分子構造が異なるために、吸収する赤外線の波長帯域が異なるため、何倍などという比較は無意味です。
更に、気体の赤外活性は、大気中の濃度で変化します。濃度を指定しなければ対象の気体分子による赤外線の吸収率=射出率(<1.0)はわからないのです。
まず、フロン類と代替フロンと目されている物質の大気中濃度を気象庁のホームページから紹介します。
現在の二酸化炭素CO2の大気中濃度は400ppm程度です。ppmという単位は百万分の1=×10-6を表すので、400ppm=4×10-4という割合を意味します。
これに対して、フロン類、代替フロンの大気中濃度は最大で100pptのオーダーです。pptという単位は兆分の一=×10-12を表すので100ppt=1×10-10という割合です。
新聞記事にあるHFCについては、HFC-134aが最高で80ppt=8×10-11です。これは大気中のCO2濃度の
80ppt/400ppm=8×10-11/4×10-4=2/10,000,000=1/5,000,000=五百万分の一
だということが分かります。大気中濃度と赤外活性が比例すると仮定すれば、全く問題にならないオーダーであろうと考えます。
では、代替フロンHFCの赤外線放射・吸収スペクトルを確認しておきます。
代替フロンの赤外線吸収帯域は、大気の窓領域に複数存在することが分かります。したがって、サハラ砂漠や両極地方など、大気中の水蒸気濃度が極端に低い地域で代替フロンの濃度がCO2と同程度にまで増加すれば、多少温室効果が大きくなる可能性があります。しかし、熱帯や温帯の夏のように大気中の水蒸気濃度が高い場所では雲や水蒸気クラスターによって大気の窓は塞がれていますので、それほどの影響はないものと考えられます。また、代替フロンの大気中濃度は極めて低いため、実質的な影響はありません。
サハラ上空の地球放射の大気の窓領域のスペクトルを見ても、代替フロンによる赤外活性を示す兆候は全くありません。
上図はマウナ・ケアで観測した波長10μm(波数1000 cm-1)付近の大気の窓領域の赤外線の透過率ですが、代替フロンによる吸収(=透過率の低下)は見られません。
以上の検討から、今回のモントリオール議定書改正による代替フロンの規制強化は、あまりにも現実と乖離した机上の空論に立脚した濡れ衣であり、第一、第二の魔女狩り同様の過剰反応というしかありません。
これまでの経験から、代替フロンの規制強化によってまたしてもボロ儲けを企む何者かによる謀略ではないのかと疑いたくなります(笑)。
今日、たまたま参議院予算委員会のテレビ中継で民進党の福山哲郎の質問を見た。民進党に限らず、日本の全ての政党は非科学的な人為的CO2地球温暖化説の信奉者であり、どうしようもないエコファシズム国会であることは既に何度も触れた通りです。それでもエネルギー政策には各党のばらつきがあるようです。
民進党はその支持団体に電力総連や電機連合を持つためか、電気エネルギー政策、とりわけ脱原子力に対しては消極的なようです。
今日の参議院の予算委員会での質問で、福山哲郎は原発の安全対策について、地方自治体任せにするのではなく国がもっと主体的に係るべき=金を出すべきだという論陣を張っていました。彼の主張は一見原発の安全対策の充実という国民側の要請のような振りをしていますが、金の流れだけを見れば、原発を稼働させたい民間企業にすぎない電力会社に対して安全対策費用を国庫で負担させ、結果として再稼働を促進することは疑いようのないことです。
本来、民間の営利企業である電力会社の一事業所にすぎない原子力発電所の運用に関わる安全対策費用は原発運転のための必要経費であり全て電力会社の負担によって行うべきものです。避難施設建設や避難計画も全て電力会社の経済的負担で行うべきものです。あるいは、不幸にも原発事故が置きた場合には原状復帰作業のすべての費用、住民に対する損害賠償などの全てを電力会社が負担すべきことは当然です。
福島第一原発事故では緊急避難的に国費投入が行われていますが、これは全く不合理です。福島原発事故を経験した上で尚、原発の再稼働を行うというのならば、原発運転に対する安全対策、事故保証を全て電力会社が負担するという運営スキームを電力会社が了解しない限り原発の再稼働を許してはならないと考えます。
しかし現実には、福島原発事故では東京電力の責任追及は極めていい加減であり、あれだけの事故を起こしておきながら東電幹部の誰ひとりとして刑事訴追を受けることもなく、責任の所在をあいまいにしたまま国費がとめどなく投入され続けています。
厚顔無恥にも福島第一原発の廃炉費用をすべての電気利用者から徴収する準備が進められようとしています。何とふざけた話でしょうか。
追記(2016.10.06)
東電の負担軽減のために、全ての国民から資金を調達する議論が進められています。このHPでは予てから、脱原発にかかる費用負担ないし、その実施主体は国とし、最終的にはすべての国民がその対価を負担するべきだと述べてきました。しかし、その大前提となるのは、東電の原発以外のすべての資産を売却させ、その売上を全て廃炉のための国家基金に供出させ、東電を解体することが前提です。あれだけの大事故を起こしながら身銭を切らずに利益を出して高給を貪るなど、断じて許せないと考えます。
ファシスト安倍晋三や日本が世界を牛耳るべき大国だと考えている愚かな政治家や官僚たちは、国連の安保理事会の常任理事国である第二次世界大戦の戦勝国グループの仲間入りをすることで、初めて日本が「世界の一等国(笑)」として認められるのだという大時代的な妄想に取り憑かれているようです。こうした考え方は、日中戦争や太平洋戦争を正当化した日本人の選民意識に基づいた八紘一宇や大東亜共栄圏を構想した日本軍国主義の考え方と本質的に同じです。
なぜ国連の安保理事会が機能しないのか?それは安保理常任理事国は第二次世界大戦に勝ったが故に、第二次世界大戦以前の力による世界政治という基本的な立場を変えること無く、未だに軍事力による支配構造を肯定しているからに他ならないと考えます。
安倍晋三を始めとする国連安保理常任理事国入を考える政治家や官僚は、武力による力による世界支配を考えている国連安保理常任理事国の仲間入りするためには、日本自らが攻撃能力を持つ再武装が必要だと考えているのでしょう。そのためには、日本国憲法はじゃまになるというのが改憲の一つの理由です。
庶民の立場から、日本が国連の安保理の常任理事国になることなどには何の興味もないし、メリットなどありません。むしろ世界の中でなるべく控えめにして安穏に暮らせることこそ望むところです。
また、国連安保理改革とは、第一に第二次世界大戦戦勝国の特権の剥奪=常任理事国制度の廃止こそ必要です。
仮に、日本が安保理の常任理事国になるのならば、その存在価値は現在の常任理事国と異なる価値観、絶対平和主義の現憲法を擁護することこそ必要であり、米国の縮小コピーの日本が国連安保理に参加したところで何の意味もありません。
さて、安倍晋三は国連演説で北朝鮮を名指しで最も強く批判し、北朝鮮の野心をくじくために強い措置をとるように国連の議論を安保理事国としてリードすると、誠に勇ましい演説を行いました。彼の演説は威勢はいいものの何の実効性もないのは既に立証されています。長年経済制裁を行ってきたものの、北朝鮮は着々と兵器開発を続け、核やミサイル技術は実戦配備段階に今一歩の所まできてしまいました。
安倍晋三の国連演説は、日本が北朝鮮の敵対勢力であることを自ら手を上げて示し、そればかりか世界の世論を主導して対北朝鮮制裁を強化すると表明したのですから、北朝鮮としても対応を硬化させることは当然すぎる帰結です。何と愚かな発言でしょうか。
もしここで、中国と協力して米韓による軍事演習などの挑発行動を諌め、北朝鮮問題を対話によって解決する道筋をつけることができれば、日朝関係は劇的に改善されたはずなのに…。
一方、米国は第二次世界大戦、ベトナム戦争の経験を生かすどころか、基本的に同じスタンスの世界戦略を続けています。朝鮮半島では、ベトナムで米国が参戦したのと同じ文脈で、米国の言いなりになる韓国にテコ入れして朝鮮半島を韓国の下で統一することを目指しているのです。そのためには北朝鮮の体制を崩壊させることを目指しているはずです。したがって米国は、北朝鮮の現状を固定する平和条約の締結など受け入れられないとして、北朝鮮の平和条約締結交渉の呼びかけを拒否しているのです。
北朝鮮にすれば、みすみす自ら米韓の軍門に降るはずはなく、徹底的に抗戦するということになるのが自然です。米国は核拡散防止を呼びかけながら、自らは今後30年間で100兆円をかけて核兵器の近代化を進めるとしています。その米国と戦争状態にある北朝鮮にすれば、対抗措置として核兵器技術開発を行うことは防衛的な意味で当然の行動であり、北朝鮮の核開発だけが非難される謂れはないと考えるのが当然です。
もちろん、私は核戦争などまっぴらです。北朝鮮に核開発は自粛して欲しいのと同時に、米国も核兵器を放棄すべきだと考えます。本当に、日本政府が東アジアの平和の維持、日本の安全を確保したいと考えるならば、中国が主張しているように、むしろ米韓に北朝鮮に対する軍事的挑発を自粛させ、北朝鮮との平和条約締結交渉を開始するように促すことこそ必要だと考えます。
追記 2016.09.27
昨日の臨時国会の冒頭の衆議院における安倍晋三の所信表明演説の録画を見て慄然としました。内容は空疎なものでしたが、『世界一』、『世界の中心で輝く』・・・というフレーズを連呼する姿は、戦前の日本民族の優位性という選民意識に基づいた八紘一宇、大東亜共栄圏に典型的な大国意識によって、国民を煽動した姿と重なっています。
この空疎で内容の無い、しかし扇情的な安倍の演説、そしてこれに呼応する議場の自民党議員の姿は、かつてのナチスのヒトラーの演説に歓喜する政治家や群衆の姿、はたまた軍国主義日本の翼賛国会の様子を彷彿とさせるものでした。
極め付きは、国家防衛に取り組む公務員に感謝しようと安倍が言った時に、自民党議員が総立ちになり拍手が鳴り止まなかった時の映像でした。小沢一郎が論評した通り、あたかも北朝鮮や中国の集会のような状況であり、国会が冷静な議論の場から国民総決起集会の場に変わってしまったようでした。どうも日本の国会はかなりきわどいところまで来ているように思えてなりません。