既に都市インフラ、ライフラインの老朽化による事故の危険性が現実の問題となりつつあります。東京都も例外ではありません。既存の都市インフラのメンテナンス・維持ができない一方で、更なる都市の膨張を前提とした新たな巨大都市インフラの建設が進められています。これは愚かとしか言いようのない状態です。人口減少、老齢化、経済縮小の将来社会にとってとんでもない重荷になることは明らかです。
インフラストラクチャー=社会基盤の整備事業はすぐれて国や地方自治体の費用負担による公共事業として実施されるため、この国の形をどのようにデザインするのかという問題、つまり政治と不可分です。したがって、防災について政治と切り離して単独で技術的に考えることは現実的ではありません。ここでは限界はありますが、私論としての基本的な考え方を述べておきたいと思います。
客観的かつ普遍的な社会情勢として、人口構成の高齢化、人口減少、経済規模の縮小傾向が挙げられます。したがって、戦後の高度経済成長期のように公共事業によるインフラの建設が、経済の拡大に繋がることは考えられません。このような社会情勢におけるインフラの維持・建設に振り向ける財政負担はむしろ、社会活動の維持や防災のための必要経費というマイナスの側面が強くなります。したがって、巨大な構造物による力任せの防災は不可能になります。
こうした社会情勢に鑑み、防災施設はコンパクト化し、維持・更新しやすいものに置き換えていくことが基本的な方向となると考えます。
兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)、東北地方太平洋沖地震や熊本地震などの巨大災害が起こるたびに、マスコミは防災の強化を叫びますが、それは現実的に無理であり、また得策だとも考えられません。
防災施設に対する考え方は大きく2つの方向性があります。一つは強固で巨大な防災施設を作ることによって、自然災害を制圧するのだという考え方です。もう一つの考え方は、日常生活を十分に保証でき、多少の自然災害には有効だが、一生に一度くらいは自然災害で被災することもやむを得ないが、復旧が容易な防災施設規模に留めるという考え方です。
この2つの方向性のいずれが得策なのでしょうか?例えば、一つは少額の費用で防災施設を作り、20年に一度くらいは災害によって崩壊し、補修しながら運用します。もう一方では前者の5倍の費用をかけて強固な防災施設を作った結果、耐用期間の100年間は災害は起こらなかったが、100年目には老朽化によって作りなおさなければならなくなったとします。この両者の社会的費用を100年間で比較すれば、同一のコストになります。果たして私たちはどちらを選択すべきでしょうか?
私は前者を選ぶべきだと考えます。それは、巨大施設を更新するためには一時に巨額の費用が必要となり、しかも更新に必要な期間が長くなるからです。更新期間中に被災すればその部分が弱点となり被害が大きくなります。また、社会・経済情勢の変化で更新もままならなくなる可能性も高くなります。災害の記憶の伝承のためにもあまり強固な防災施設は好ましく無いと考えます。
一方、強固な施設の周辺ではむしろ被害が増大する可能性があります。また、耐用期間中に強固であるはずの防災施設を破壊するような巨大災害に遭遇した場合、被災しないことを前提に進められた防災対象地域の被災規模が甚大になる可能性が高くなります。
例えば三陸地方は繰り返し津波に襲われたことから、スーパー防潮堤と呼ばれる巨大な津波防潮堤が作られました。
その結果、利便性を優先してスーパー防潮堤のすぐそばまでが住宅地として開発されました。
しかし東北地方太平洋沖地震による津波は防波堤ばかりではなくスーパー防潮堤を破壊し、乗り越えてしまうことになり、田老地区は壊滅的な被害を受けることになりました。
この三陸の例は特殊なものではありません。首都圏などでは都市全体がこの田老地区と同じ状況にあります。日本の大都市は、もともと標高ゼロmに近い河川堆積物によって形作られた海に面した沖積平野に開発されました。更に近年は浅海の埋め立てによって陸地が作られました。こうした土地はその成因から地盤が弱く、堤防と排水施設によってかろうじて維持されています。
更に、利便性を求めて地表面を不透水性の舗装で被覆した結果、地表面から速やかに雨水が排水されるようになりましたが、排水された雨水が一気に河川や排水口に集中するようになった結果、洪水の到達時間が短くなると同時にピーク流量が大きくなりました。その結果近年都市型の局地的な豪雨の発生とも相まって、都市型洪水が頻発するようになっています。今度は都市型洪水に対応するために地下に巨大な洪水調整ダムを建設する、という都市インフラの肥大化の悪循環に陥っています。
こうした都市インフラの建設に伴い、増々都市への人・物・金・情報の集積が進んでいます。確かに経済を優先すれば狭い範囲に社会システムを集積することが有利ですが、それは自然災害に対する安全性とバーター関係にあるのです。
おそらく、東海沖でプレート境界型の巨大地震が発生すれば、首都圏をはじめ関東から東海地方の太平洋に面した巨大都市群は甚大な被害が発生することになるでしょう。地震予測が正しいとすれば、東海沖の巨大地震は今後30年間で高い確率で発生することになります。おそらくこのままでは巨大災害を避けることは最早不可能です。これはやむを得ないでしょう。このような情報を発信しながら、一方で東京にオリンピックを招致して更なる都市開発に税金をつぎ込み都市を肥大化させるなど、ほとんど狂気の沙汰です。馬鹿馬鹿しい!
持続的な国土防災という観点からは、計画的に巨大都市を解体して機能を分散すること、沖積平野はなるべく避け、都市機能の重要部は多少の不便はあっても洪積台地などの丘陵地帯に移設することなど、基本的に災害の起こりにくい土地を利用することを基本とし、人工的な防災構造物をできるだけ必要としない土地利用のあり方を基本にすべきだと考えます。
防災施設の規模は、理想として単位被災額あたりの建設費用を最小化することですが、構造物の耐用期間、対象とする期間の取り方、そして第一に将来の自然現象の発生規模、時期を的確に予測することが不可能であるため、どのような規模の自然現象を設計対象とするのかは現実的にはさほど大きな意味はありません。防災構造物であらゆる自然現象に対して絶対の安全を確保することなど不可能なのです。
基本的には構造物に対する防災上の安全基準を現状よりも強化する必要はないと考えています。徒に基準を強化したところで巨大ゼネコンを肥え太らせるための巨大構造物による防災施設建設が行われるだけで、長期的に見て総体的な災害規模を小さく出来る保証などありません。巨大防災構造物頼みの浅墓な都市計画・国土利用を根本的に見なおすべきだと考えます。
例えば、都市の洪水に対するスーパー堤防など愚かとしか言いようがありません。これだけの用地を確保できるのならば、既存の構造物を撤去・移転さて、跡地を遊水地にしてしまうほうが賢明です。このような巨大な断面を持つ連続堤を構築するには一体何年かかるのか…。完成するまでは弱点部位に被害が集中する事にもなります。
以上総括すると
@ 原発のような事故を起こすことによって致命的な被害が発生する可能性のある施設は建設してはならない。
A 自然現象に対する防災は、まず土地利用の段階で十分な検討を行い、防災施設規模は必要最小限に留める。
B 構造物について設計段階で想定している自然現象の規模、それを超える規模の自然現象には堪えられないことを住民に周知すると同時に、その場合の避難行動を明確にする。
C 災害が起きた場合の迅速な国を挙げての救援・復興体制というソフトウェアを整備すること。
以上が防災の基本であろうと考えます。
【完】
熊本地震のような大規模災害が発生するたびに防災基準の強化や防災設備の拡充が話題となります。特に東北地方太平洋沖地震以降、異常とも思える自然災害に対する恐怖宣伝と防災施設の拡充がマスコミで叫ばれるようになりました。
今後日本経済は少子化・高齢化の影響で縮小し、税金の歳入は必然的に縮小傾向になり、更に社会保険関係の支出の増大と膨大な赤字国債の償還、軍事費の増大(?!)によって社会インフラの建設・維持に投入される国費は縮小することになりますから、土木屋の立場から言えば、如何に社会インフラ規模を縮小した上で必要最低限の防災機能を維持するかが焦眉の課題です。求められる防災機能に対する費用の最適化が必要です。
これまで述べてきたように、一般論として、自然災害は、巨大直下型地震を含めて、いつどこでどの程度の規模で発生するかを事前に的確に予測することは不可能です。確率論的な予測は実は個別具体的な防災とは結びつかないのです。あくまでも、過去の経験と社会的に支出可能な防災費用とを勘案して、防災基準を設定することが出来るだけです。
したがって、防災基準の想定を超える自然現象が発生した場合には防災施設は破綻するものだということを一般住民に周知すること、その上での避難行動を準備することが必要です。
自然災害はいつどこでどの程度の規模で発生するのかわからないという特性から、これに対処するためにはリスクを分散して被害を最小化することが必要になります。具体的な災害規模の尺度としては人的損失と非人的損失が考えられます。非人的損失は、物的な損失だけではなく情報の損失も重要です。
まず、近年のマグニチュード7クラスの直下型地震による被害規模の概要を下表に示します。
大都市圏で起きた兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)と、地方で起きた新潟県中越地震・熊本地震を比較しています。表から明らかなように、最も地震加速度の小さい兵庫県南部地震による被害が群を抜いて大きいことが分かります。
実に当たり前のことですが、大都市圏=人・物・資本が集中する場所で災害が発生すると災害規模が大きくなることを如実に示しています。
防災上、自然災害リスクを最小化するための最も基本的な対策は、出来るだけ巨大都市圏を作らずに全国に人・物・資本を分散するような国土利用を実現することが望ましいのです。
戦後日本は、全総、新全総、三全総を通して、一貫して交通網等の整備・高速化を行ってきましたが、同時並行的に進んだ第一次産業のスクラップ化、工業生産への過度のシフトによって地方村落の崩壊とストロー現象による都市部への人口集中が顕著になりました。
1987年に策定された四全総では過度の大都市集中を是正し「多極分散国土の構築」を2000年度をめどに達成するとしましたが、地方農山村の主要産業である農業の衰退という根本的な問題を是正しなかった結果、更に大都市部への人口集中が進みました。
こうして出来上がった巨大都市は、一見とても活力にあふれているようですが、実際は例えるならば高度な生命維持装置で生きながらえている重病人のような状態です。網の目のように張り巡らされたライフラインによる莫大なエネルギーと物資の供給によってかろうじて生きながらえています。快適な都市環境を維持するために地表面をドライにして地下に巨大な都市の排泄物の除去システム=排水網や貯水設備を備えています。
このような巨大都市に巨大災害が起こればとてつもない被害が発生することは明らかです。プレート境界型の巨大地震、それに伴う巨大津波が大都市圏を襲えば、これを防ぐ根本的な手立てなど存在しないのです。
例えば東京都はオリンピックを誘致して更に都市インフラの拡充を行おうとしていますが、私にはほとんど狂気の沙汰としか思えません。それどころか、大都市圏ではあまりにも肥大化したインフラの老朽化が進み、現在の産業規模を持ってしてもこれを十分に維持・更新することは難しい状況になりつつあります。まして今後社会インフラの建設・維持に支出できる資金の減少が明らかですから、このままでは必然的に都市の防災機能は低下することが予測されます。
最新の地震発生予測から、今後30年間にプレート境界型巨大地震による巨大な揺れや津波に襲われる可能性の高い(26〜100%)関東圏や東海圏において更なる人モノ資本の集中を伴うような開発計画を国が率先して行うなど愚かというしかないでしょう。
巨大インフラという生命維持装置に頼りっきりの巨大都市は解体することを考えるべき時期に差し掛かっているのが現在です。国土の防災から、長期的に行うべき最も本質的な施策は、巨大都市圏の解体と機能の分散、地方・農山村の復興です。
相変わらず、日本の保守政治家のカネまみれ体質は変わることがありません。
口利き疑惑の甘利は大臣を辞職して病気療養という名目で何処かの病院に逃げ込み、不起訴が決定するやいなや政治活動を再開。参議院選挙のどさくさに紛れて『公約』したはずの疑惑についての説明は一切行わないままであり、マスコミも忘れたように追求の手を緩めてしまいました。
舛添のセコイ公費の私物化問題ですが、ドタバタ劇が続いた挙句、一度は乗りきれると踏んでいた与党である公明党と自民党による裏切り=『ハシゴ外し(笑)』で、舛添が辞職を申し出る形で終結しました。舛添も甘利同様、疑惑の説明は一切行わないままであり、疑惑追求のために特別委員会設置を求めた共産党による極めて真当な要求は与党自民・公明などの反対で否決されてしまいました。何とふざけた議会でしょうか。
舛添下ろしは、公明党や自民党が民意を汲んで不信任案を提出したわけではなく、舛添と同じ穴の狢であり、政治資金を自由に使い続けたい保守党議員が、保身のために行った決定であることを主権者は銘記しておかなければなりません。
彼らの思惑は、第一に直近の国政選挙である参議院選挙に対する保守党に対するマイナスイメージを最小限にするために、出来るだけ早期に桝添を切ることでした。そしてもう一つは、より本質的な問題ですが、舛添を晒し者にして彼の行った行為の追求が続けば、政治資金規正法の規制強化の国民世論が強くなり、悪くすると政党交付金制度にまで国民主権者の目が向くことになることを恐れたからです。
東京都知事は猪瀬、舛添という自民党の都合の良い人間がトップダウンで据えられた結果、今回のような状況になりました。果たして、この事態に対して東京都民はしっかり学習しているのか、甚だ心許ない限りです。その一方で、早くも保守党を始めとして次期都知事候補の名が取り沙汰されていますが、相も変わらず人寄せパンダが候補者になりそうです。このような状況が続くのは本質的に主権者側が愚かであることの反映にほかなりません。『政治が悪い』と無責任なニュースキャスターよろしく第三者的にぼやくのは簡単ですが、そんな政治をのさばらせている本質的な問題とは、自らの投票権を放棄し、あるいは思考停止状態て保守政党に貢献している主権者自身であることを学ばないかぎり、政治状況が本質的に変わることはないと考えます。
既に参議院選挙は目前ですが、安倍ファシスト政権は、これまでの直近2度の国政選挙において争点を隠し、秘密保護法と安全保障関連法という戦後日本の形を根底から覆す危険な法案が成立しました。安保関連法強行採決から1年が経過し、安倍ファシスト政権の暴挙から何も学ばない脳天気な大部分の国民は既に去年の熱狂を忘れ、この所自民党政権の支持率は上昇を示しています。
二度あることは三度、今回の参議院選挙で自公が勝利すれば、憲法改正が現実の問題となります。どうも脳天気なこの国の主権者たちは今回も安倍の二枚舌にまんまと騙され続ける可能性のほうが強いように思えてなりません。
勿論、未来永劫日本国憲法に一切手を触れるなと言うつもりはありません。しかし、憲法を改正する政権の満足すべき最低の条件は、憲法を尊重して遵守することです。口先だけのレトリックで閣議決定で勝手に憲法解釈を都合よく読み替え、憲法違反の安保関連法を作るような政権には憲法を託すことなど到底出来ないことだと考えます。
このホームページでは、No.1104、No.1105で米国の核戦略を紹介し、日本の平均的な世論に背を向けて(笑)、No.1106においてサミット後に広島を訪問したオバマの発言を批判的に評価してきました。このホームページの評価はあまりにも捻くれたエキセントリックな評価だという声も無くはありません…。
本日発表されたストックホルム平和研究所の世界の核兵器を巡る情勢についての年次報告書について、あの天下のNHKが次のように報道していましたので、紹介しておきます。
核軍縮進展の見通し悲観的 スウェーデン研究機関
6月13日 7時13分
スウェーデンの研究機関は、世界の核兵器に関する調査結果を発表し、核弾頭の数の減少スピードは遅いうえ、アメリカやロシアが核兵器の近代化を進めていることなどを挙げ、核軍縮の進展に悲観的な見方を示しました。
世界の軍事情勢を分析しているスウェーデンのストックホルム国際平和研究所は13日、世界の核兵器についてまとめた調査結果を発表しました。
それによりますと世界で保有されている核弾頭の数は、ことし1月の時点で、1万5395発と推計され、去年の同じ時期に比べて450発余り減少したとみられるということです。
ただ、減少のスピードは遅いうえ、世界の核弾頭の9割以上を保有しているアメリカとロシアは、核兵器の近代化を進めていると指摘しています。
アメリカのオバマ大統領は先月、被爆地・広島を訪問して核廃絶への決意を改めて示しましたが、ストックホルム国際平和研究所はアメリカが今後30年で核兵器の近代化に総額100兆円以上を投じると見込まれていると指摘し、「核兵器を削減するという公約とは対照的だ」として、疑問を投げかけています。
また、中国が核兵器の近代化を進めながら徐々に数を増やしているほか、インドやパキスタンも保有数を増やしているとしています。
さらに北朝鮮については核弾頭およそ10発分に相当する核物質を保有していると推計していて、「核軍縮の進展に向けた見通しは依然として悲観的だ」と指摘しています。
各国の核弾頭保有数の推移
ストックホルム国際平和研究所によりますと、アメリカと旧ソビエトとの冷戦が終結した直後の1990年には、世界の核弾頭の数は合わせておよそ6万発に上っていました。
その後、1991年にアメリカと旧ソビエトが合意した条約、START1=第1次戦略兵器削減条約に基づく削減で、2000年にはおよそ半数の3万1000発余りにまで減りました。また、2010年には2万2000発余りまで減っていました。
その後、2010年4月、アメリカとロシアが調印した新たな核軍縮条約、新STARTのもとで削減の取り組みが進められました。
前の年にはオバマ大統領がチェコの首都プラハで演説し、核兵器のない世界を目指す決意を示していました。
ストックホルム国際平和研究所によりますと、両国が保有する核弾頭の数は、ことし1月の時点で、アメリカが去年より260発少ない7000発、ロシアが去年より210発少ない7290発になったとみられるということです。
一方で、アメリカとロシア以外では削減が進まず、NPT=核拡散防止条約に加盟する国では、フランスが300発、中国が260発、それにイギリスが215発を保有しているとみられるということです。
また、NPTに加盟していない国では、パキスタンが110発から130発ほど、インドが100発から120発ほどとそれぞれ去年より10発増えたと推計し、イスラエルも80発ほどを保有しているとしています。
さらに、核開発を推し進める北朝鮮については、核弾頭10発分に相当する核物質を保有しているとみられると指摘しています。
日本人、特に核兵器廃絶運動の皆さんは、オバマの甘言に騙されることなく、まずは参議院選挙で足元の日本のファシスト安倍晋三を打倒することから地道な運動を作り上げていただきたいと思います。
少し時間があきましたが、連載を再開します。今回は、ちょうど政府地震調査研究推進本部から全国地震動予測地図2016 年版が公開されましたので、紹介しておくことにします。
まず、今後30年間に直下型地震で震度6以上の地震を観測する確率の分布図を紹介します。
図をクリックすると大きな図を見ることが出来ます(以下同様)。
図から、直下型地震で今後30年間で震度6弱以上を観測する確率は、大部分で3%以下です。最大でも26%までです。
大部分の確率3%の場所とは、平均的に1000年に一度程度起こる地震だということです。3%〜26%の場所とは、平均的に100〜1000年に一度起こることに対応します(下表参照)。
次に、プレート境界型、直下型を含めすべてのカテゴリーの地震を総合した確率分布を示します。
プレート境界型の巨大地震の影響で、太平洋側に面した地域の確率が軒並み高くなることが分かります。関東から四国の太平洋側では、震度6弱以上の地震発生確率が26〜100%の間にあります。これは極めて高い確率です。もし、この予測が『正しい』とするならば、国は直ちに対象地域の住民の移住を開始すると同時に、都市機能の移転を行うべきでしょう。更に首都圏、東海地方に人・モノ・資産・情報を集積するような政策は極めて愚かという他ありません。この問題は次回以降に検討します。
最後に、今後30年間に観測される確率が6%となる震度の分布図を示します。これは、平均的に500年に一度程度発生する地震の強さと考えることが出来ます(前出の表参照)。
これを見ると、500年程度のスパンで見れば日本中で震度5程度の地震を経験することを示しています。タイムスパンを長くすれば、日本中で震度6以上地震を経験することになるでしょう。
G7に参加するオバマの思惑は、日米軍事同盟の強化、就中、普天間基地辺野古移転、これに伴うオスプレイの日本本土配備をスムースに実現するための日本政府へのテコ入れと、オバマの個人的な希望である大統領退任の花道を飾るために、米国核戦略に影響を及ぼさない形で広島を訪問することでした。
ここに、沖縄において米軍族による女性殺害・死体遺棄事件が発生したことによって、オバマにとって誠に厄介な日本訪問になりました。ところが、強い抗議を示す沖縄の地元はともかく、日本政府は地元の強い要望を黙殺して、早々と日米地位協定の改訂を米国に求めて政治課題にすることを放棄することを発表しました。
そして、G7前日に日本入りしたオバマと安倍は早速談合を行い、沖縄の米軍族による殺人死体遺棄事件について、日本国民を如何に懐柔するかを協議した上で記者会見を行いました。
打ち合わせ通り(笑)、安倍は記者会見で誠に威勢よく米軍族による殺人死体遺棄事件を批判して、オバマに対して強く抗議するふりをしましたが、肝心の日米地位協定(米軍人に対する治外法権特権を規定した協定)の改定については一切触れず、地元沖縄県の要求をオバマに伝えることすら行いませんでした。
一方オバマも、沖縄の事件に対する人ごとのような『哀悼』を表明する一方、現行の日米地位協定は日本の国内法による事件処理を妨げるものではないと、地位協定の改定に応じないことを明言しました。
この問題について、安倍政権は被害を受けた沖縄の窮状に向き合うのではなく、米国政権の都合の方を慮って、地位協定改訂の交渉を実現する努力を一切しないまま、これまでも繰り返されてきた在留米軍の綱紀粛正を要望するだけでお茶を濁しました。翁長沖縄県知事が言う通り、日米地位協定の改訂の出来無いような日本政府では、日本は真の独立国とはなれない、日本は戦後70年が経過した今も実質的に米国の統治下にあるということです。
そして、G7後のオバマの広島訪問は更に目を覆うばかりの『惨劇』でした。
オバマの広島におけるとても文学的で要点のわかりにくい冗長なスピーチ(笑)は、一般論として、戦争犠牲者に対する哀悼の意を示した上で、現実の世界では、パクス・アメリカーナ=アメリカの意向に従う形での世界平和に対して抵抗する『邪悪な』国や組織による武力による抵抗が無くならないかぎり、米国は武力行使を否定しないし、武器の一つである核兵器を廃絶することはないことを表明したものです。
オバマの主張は、NPTにおいて公式に核保有国であると認められている国連安保理常任理事国の核保有という特権を認めた上で、米国等の核による恐喝で世界を支配する構造を維持した上で、それ以外の国や組織に対する核拡散を防ぐことが当面の課題であると表明しただけでした。オバマは広島のスピーチで北朝鮮などへの核拡散を批判しながら、米国および国連安保理常任理事国の核保有を正当化し、米国核戦略の正当性を主張したのです。
オバマが大統領就任後に米軍が行ってきた虐殺行為を見、広島のスピーチをどう読めば、オバマが平和主義者であり、核兵器削減の強力な支援者であるなどと読めるのか、理解不能です。スピーチ後にオバマと握手し、涙を流して抱き合う被爆者の姿はブラックユーモアで無ければ惨劇と呼ぶしか表現のしようを思いつきません。
日本の最早手の着けられない米国盲従のマスコミ・報道機関によるオバマに対する太鼓持ち報道はバカバカしくて反吐が出そうです。
G7についても少しだけ触れておきます。安倍は、現在の世界の経済状況をリーマン・ショックと同様の危機的状態であるという認識をG7参加国で共有するという脚本を示したわけですが、これは他の参加国によって否定されました。当然です。日本以外の参加国は安定した経済成長を維持しており、ゼロからマイナス成長を示しているのは、アベノミクスが失敗であったことが明らかな日本だけです。
安倍はG7という道具立てを使って、アベノミクスが破綻したことを糊塗するために世界的な経済危機にあると強弁することで、国内向けに消費税増税の先送りとさらなる財政出動を合理化することを目論んだわけです。こんな具合ですから、G7など全くの茶番劇であり、実効性のある協議など何もなかったというのが現実です。
アベノミクスとは、財政出動と金融緩和という短期的な景気浮揚策と構造改革によって日本経済を成長軌道に乗せて、企業業績の上昇による税収増で財政を好転させるというストーリーでした。ところが、財政出動を行い、金融緩和で資金をじゃぶじゃぶにしても日本の経済指標は好転せず、アベノミクスは破綻しました。財政状況はさらに悪化しています。
財政規律を重んじるならば、消費税増税の是非はさておき、財政支出を圧縮すると同時に税収の増加という経済政策の見直しをすべき段階です。しかし、安倍は自らの経済政策の無能ぶりを糊塗するために、G7を使って日本経済の不調は世界経済の危機的状況が原因だとして、更なる財政出動を合理化しようとしているのです。
G7参加国の中で最も財政状況の悪化している日本が経済政策としてさらなる財政出動を行うなど、冷静に考えれば狂気の沙汰です。財政出動の財源は赤字国債であり、将来世代の税収を前借りして食い潰すことにほかなりません。既にアベノミクスの破綻で分かる通り、現状の日本経済では財政出動しても新たな経済成長にはつながらず、単に税金を食い潰すだけに終わることは明らかです。これはさらなる財政出動を求める中毒状態を作り出し、財政破綻は現実となる可能性が近づいています。
さて、G7前後の社会状況を反映した共同通信社による世論調査の結果が公開されましたが、全く目を疑う内容です。
誠に脳天気な日本国民は、オバマの広島訪問に対して圧倒的な支持を示しています。オバマ米国政権の狙いは大成功だということです。日米地位協定を改訂すべきという回答が71%という多数を占めているにもかかわらず、これを否定しているオバマの広島訪問に対する支持回答が多いのは理解不能です。アメリカの軍事戦略と核兵器政策、沖縄政策は一つの問題であることが理解されていないようです。オバマのリップサービスは、あくまでも、米国の世界戦略、日本における駐留米軍政策を円滑に行うためであることは分かりきっています。したたかなオバマは脳天気な日本人を見事に懐柔する一方で、地位協定の改定はせず、核使用を続けるフリーハンドを縛るような言質は一切取らせませんでした。
一方、安倍政権、その米国への隷属ぶりを見せつけました。いくら米国を批判するような威勢のよい発言をしても、実質的には地位協定の改定は求めず、ひたすら米国の善意を信じるというのですから、噴飯物です。更にG7を通して、アベノミクスの破綻はますます明らかになりました。
このような客観情勢にもかかわらず、内閣支持率が55%に上昇するというのですから、この日本という国の脳天気な国民の考え方は、私には理解不能です。おそらく夏の参議院選挙でも自民党が圧勝する可能性が高いのではないでしょうか?