No.906 (2013/12/15)一票の格差と選挙制度

 臨時国会における安倍自民党政権の強引な運営や戦前回帰のアナクロニズムに対して、さすがに脳天気なマスコミも少し警戒し始めたようです。現実的には遅きに失した対応ですが…。昨日のTBS系のバラエティ番組「サンデーモーニング」において、毎日新聞の岸井でさえ危機感を表明していました。その中で、選挙制度に触れ、実質的に20%を超える程度の支持率の自民党が圧倒的多数の議席を持って、強引な国会運営を行っていると嘆いて見せ、小選挙区制の見直しに言及しました。

 さて、ここ数年、選挙が終わるたびに一票の格差を問題とする裁判が起こされています。確かに、問題といえば問題なのですが…。しかし、日本の政治状況が単にこの一票の格差の是正で改善されるとは到底思えません。

 まず、いくら有権者が少なくても、最低一人の議席を与えることについては、国会議員に地方代表という性格をもたせる限り、不当とはいえないでしょう。しかし、この制度を残せば、議員定数を削減した上で一票の格差を小さくすることは事実上不可能です。
 次に、小選挙区制度の本質的な問題点については導入当時からわかっていたことですが、圧倒的に死に票が多くなることです。日本のように政党が多数に分かれている場合は特に、議席につながる有効票は投票総数の半分にも満たないというのが現実です。この死票の問題は一票の格差よりも本質的で重大な問題ではないかと考えます。

 一票の格差を小さくし、同時に死票を減らす方法は本質的に一つしかありません。それは、全国を一区とする大選挙区で政党ごとの比例代表選挙制度にすることです。国政選挙は地域との癒着構造を取り除くためにも小さな地方選挙区を排除することが望ましいと考えます。

 しかし、日本の政治状況の本質的な問題点は選挙制度ではどうにもならないように思います。日本では、本来ならば民主主義社会の義務教育期間中に身につけるべき国家の主権者たる国民の義務と権利に対する教育が全くなされていないために、形ばかりの民主的な選挙制度を作ったところで、実質が伴わないからです。ゲームやスマートホンに夢中になって、個に埋没した多くの若者や国民を見ていると、この国は一体どうなるのか、戦慄を覚えるのは私の杞憂でしょうか…。

No.905 (2013/12/11)安倍・秘密保護法・ケネディーと脳天気な日本人

 久方ぶりの、実質的な書き込みです。

 参議院選で自民党が圧倒的な勝ちを収めて、衆参両院で自民党が圧倒的な多数となって迎えた臨時国会の運営は予想通り、有権者の意志など無視した強引なものとなりました。しかし、これは全く驚くに当たらないことであり、自民党に多くの議席を与えた段階ですでに決まっていたことでした。今頃になって、安倍政権の横暴だなどととぼけたことを言うマスコミや脳天気な大多数の学習しない日本人、科学性を失った脳天気な有権者には呆れ果てるばかりです。
 マスコミやそのいい加減な論調に載せられた脳天気な日本人の大多数は、強いリーダーシップを持ち、ことを即決する指導者を求めていました。私は個人や少数者に権力が集中する構造は危険であることをこのHPでも繰り返し述べてきました。その意味でねじれ国会こそ抑止力として重要でした。権力の集中は独善的価値観の独裁者を輩出する土壌になるからです。参議院選の自民党の躍進によって、タガが外れてしまったのです。折しも、第二次世界大戦に向かう戦前のアナクロニズムに染まった安倍晋三という、最悪の総理大臣を持つこの時期に…。
 短命であった第一次安倍政権の段階で、安倍の目指す国家観は既に明らかでした(No.228 (2006/09/25)安倍『美しい日本』の戦慄)。また、第二次安倍政権の言動(No.849 (2013/04/26) 安倍政権の政策を考える@〜)からしても、彼は米国と軍事同盟を作り上げることを最優先課題として、“積極的平和主義”という名の下に、実質的に世界中で戦争をできる国にすることを目指しています。
 こうした彼の目論見の最初に着手したのが、米国との軍事同盟を強固にするために必要な軍事機密の共有であり、それを可能にするための国内法の整備=軍事機密を国民に対して隠蔽することを目指す秘密保護法だったわけです。おそらく彼は、憲法改正を行なわなくても拡大解釈で自衛隊の実質的な軍隊化はすでに問題無いと考え、敢えてハードルの高い憲法改正は後回しにし、実質的な軍事同盟を作ることにしたのでしょう。

 この臨時国会の会期中に米国の新駐日大使としてキャロライン・ケネディが着任しました。彼女を迎える日本国民の馬鹿騒ぎを見て、この国はとことん米国の属国なのだと痛感しました。御存知の通り、ケネディ家は米国の中枢にいる“名家”=支配階級です。正に、米国主流を代表する存在です。米国が外交官としての手腕の未知数の彼女を敢えて日本に駐在させる理由とは、ケネディ家に対する謂われのない尊敬と、上流階級に対するあこがれを利用して、日本国民を懐柔して実質的に米国の政策に服従させるためであることは火を見るよりも明らかですが、こんなことも見抜けない愚かな国民には付ける薬がないのでしょうか…。
 着任早々、東北地方太平洋沖地震の被災地を視察し、被爆地長崎を訪問する一方で、沖縄県選出の自民党議員たちが普天間基地の県内移設を容認する姿勢に転換したことを歓迎し、秘密保護法の成立を喜んでいるのです。
 かつてオバマの登場に米国の核戦略の転換や、米国の関連する世界各地の戦闘行為がなくなるのではないかという頓珍漢な期待を持った日本のリベラル層でしたが、見事に裏切られたことはつい最近のことなのに、既に忘却しているのでしょうか。それどころか、オバマは無人機によるテロリスト掃討作戦によって数百人の民間人の犠牲者が報告されていても、“遺憾”の一言で済ませるような人権感覚なのです。あくまでも米国大統領たるオバマは、米国の国益を再優先する=米国の正義の代表者であり、キャロライン・ケネディはそのオバマの手先となって日本と日常的に交渉を行う外交官であることを冷徹に見てほしいものです。

 最後に秘密保護法について。国家機密の保護は必要だと思うが、今回成立した法案はあまりにも対象範囲が不明確で、適用拡大が懸念されるという理由で反対する方が多いようです。私は、主権者たる国民の知ることの出来ないような国家機密の存在を肯定することそのものに反対です。あらゆる行政情報は公開されるべきだと考えます。

 

No.904 (2013/12/10)HP改装工事がほぼ終了しました。

 既にご承知だと思いますが、HPの改装工事が外観的にはほぼ終了しました。今回の改装の目的は、文書量が多くなってきて、目的の文章が探しにくくなっていましたので、出来るだけ簡単にアクセスできるように整理することです。
 現状で、以前公開していた文章のほぼすべてにアクセスできるようになっていますが、メニューについては今後もう少し時間をかけて整理してゆきます。
 メインメニューは、HPの上の方にある「1 環境問題総論」「2 エネルギー技術」「3 地球温暖化」「4 オゾンホール」「5 HP管理者から」の5項目に集約しました。この5項目からすべての文章にたどり着くようにしています。その他、今日的な話題や重要問題について、直接アクセスできるメニューを幾つか追加しています。
 最も文書の数の多い「HP管理者から」につきましてはもう少し整理に時間がかかると思いますが、徐々に作業を進めていくことにします。
 不具合などがありましたら、お知らせ頂けると有りがたいと思います。よろしくご協力ください。

kondoh@env01.net

No.903 (2013/11/21)部分公開開始!

 既にNo.901でお知らせした通り、現在ホームページのリニューアル作業を進めています。まず、この「HP管理者から」のコーナーから作業を開始し、とりあえずの部分的に公開を開始しました。現状ではメニューボタンはほとんど機能していませんが、徐々に機能を付け加えていく予定です。

 リンクについてはまだ設定されていない部分など、不完全なところがあると思います。お気づきの点やご要望がございましたらお知らせください。

E-mail: kondoh@env01.net

No.902 (2013/11/07)さよなら原発!九州沖縄集会

 東電福島第一原発の事故の処理作業は汚染水問題で泥沼状態が続いているというのに、安倍政権が選挙で圧勝して以来、政府・電力関連企業の原発再開への動きが活発になる一方で、脱原発市民運動は次第に存在感が薄くなっているようです。何とか安倍政権や電力関連企業の横暴を阻止したいものです。
 さて、掲題の『さよなら原発!九州沖縄集会』が来る11月10日(日)10:00から福岡市の舞鶴公園で開催されます。お近くにお住まいの方は是非参加して、脱原発の意思表示をしていただきたいと思います。
 我が『再生可能エネルギー特措法に反対する会』は、当日チラシの配布を行います。当日参加できない方のために少し早いですが、ここに掲載することにします。

クリックするとPDF版を見ることが出来ます。↑

No.901 (2013/11/03)HP大改装工事実施中!

 このホームページは開設して早くも14年目に突入しています。だいぶ記事の数も増え、このコーナーも既に900篇を越えました。次々と記事を思いつくままに追加した結果、複雑怪奇(笑)で、どこにどんな記事が潜んでいるのか私自身でも把握しにくくなっています。
 現在ホームページの全面的な構成の変更作業を進めています。そのようなわけで、多少気になる事件もあるのですが、新規の記事を追加するのは最小限にして、当面はHPの改装作業を優先していく予定です。どうかご了承ください。何とか、年内には改装作業を終わりたいと考えていますので、今しばらくお待ち下さい。

No.900 (2013/10/10)JR北海道と福島第一原発


スーパーおおぞら14号トンネル内火災(石勝線占冠〜新夕張間)2013.05.27


高速貨物列車脱線事故(函館本線大沼駅付近)2013.09.19

 JR北海道では事故が頻発しています。同様に、東電福島第一原発においても事故処理の失敗が繰り返されています。この二つの事象には構造的な類似性があるように思えます。

 JR北海道にばかり鉄道事故が集中的に発生することがどうしてだろう?と思われる方も多いかもしれません。

 かつて日本の国鉄は、世界で最も安全で時間に正確な鉄道として知られていました。しかしその独占的な経営と親方日の丸的な不経済で無駄の多い組織として槍玉に挙げられることになりました。輸送手段の鉄道からトラックへのシフトも重なり、財政悪化も深刻でした。そのような中で、中曽根政権の政治改革の一環として1987年4月に分割・民営化が実施されました。分割民営化によって、収益性の改善が最優先され、不採算路線の廃止、安全管理に対する手抜きが懸念されました。
 その後の経過を見れば判るように、過疎地域の不採算路線の多くは廃線となり、一部は第三セクター等によって細々と維持されています。また、人員は削減され、労働強化が進んだものと思われます。
 勿論、かつての国鉄時代はあまりにも非効率的な運営が行われていたことは事実ですが、分割民営化によって収益最優先、その影で人員整理と安全に対する経費の節減が進んだことは事実です。中でも人口の希薄な地域を多く抱える会社ほど経営が厳しくなったのは当然です。ここ九州管内のJR九州は、JR北海道程ではないにしろ、過疎地域で水害などで路線が運休になる度に廃線になるのではないかという不安がつきまといます。
 今回のJR北海道の事故の集中的な発生の本質的な原因は、JR北海道の経営環境が国内JRの中で最も厳しいからです。広大な路線を十分維持・管理して安定的に運営するだけの収益が上がらないことが問題の本質です。例えば大都市を抱える首都圏と比較すれば、同じ収益を上げるために必要な施設、人員はJR北海道の方が格段に大きくなります。しかし、だからと言って不採算路線をすべて廃止し路線を都市部だけに縮小したり、あるいは不採算路線の経費をすべて運賃に反映することが出来ないという状況があることは想像に難くないことです。ではどうするのか?直接車両の運行に関係のない安全管理から手を抜いていくことになったと考えられます。その結果が、線路・車両などの設備の整備・補修作業の先送りとなり、これが限界に達したところで事故が頻発することになったと考えられます。
 このJR北海道の一連の事故に対して、国交省は厳重な注意を行っていますが、JR北海道の経営環境に発する構造的な問題は、現場の管理強化=現場作業員に対するさらなる管理・労働強化では解決できないのではないかと考えます。あまりにも収益性の異なる地域で国鉄を分割民営化したことにそもそも大きな問題があったのです。その結果、経営的に収益を直接産まない、現場を維持するためだけの人員を十分配備できずに、同時に技術的な継承ができず、安全管理・保守点検作業労働の構造的な崩壊が起こっているのだと考えられます。


誤って取り外された放射性物質汚染水の配管 2013.10.09

 一方、東電福島第一原発の事故処理においても作業ミスや事故が頻発しています。昨日も運用中の放射性物質汚染水の配管を作業員が誤って取り外し、6人の作業員が放射性物質に汚染されました。
 東京電力は、福島第一原発事故の発生によって、通常の民間企業であればとうの昔に倒産しており、政府資金の投入で経営を続けられているにすぎない状態です。この期に及んで収益性も何もあったものではありませんが、不採算部門である福島第一原発の事故処理現場に対して十分な資金投入が出来ない状態になっています。しかも現場は被曝労働を強いる過酷な環境ですから、熟練工が育ちにくく、元々労働者から敬遠される現場です。
 その結果、おそらく孫請け曾孫請けの未熟練の労働者が、十分な安全教育や原発の知識もないままに自転車操業的にとりあえず頭数を揃えて作業に投入されている状態であろうと考えられます。このような状況が続く限り、福島第一原発では今後とも事故は継続するものと考えられます。

 JR北海道、東京電力福島第一原発事故処理は、現場をよく把握している有能な技術者、熟練した現場作業員、十分な教育を受けた末端労働者を養成する組織を構築しない限り、本質的な問題解決はありません。その前提となるのは、企業経営としての収益性を度外視して、必要な費用を必要なだけ投入できる経済的な保障を行うことです。
 そのためには、JR北海道は本質的に北海道だけで収益性を確保しながら不採算路線を維持していくことは現実的に不可能ですから、JR他社からの経済的な支援構造などを考えることが必要でしょう。東京電力は既に経営能力も危機管理・技術能力もないことがわかっていますから、速やかに解体し、国の直轄事業として原発処理を行う体制を可及的速やかに構築する以外に道はないでしょう。

No.899 (2013/10/04)東電技術者の底抜けの無能・・・

 No.887 (2013/09/05)恩師との科学・技術・教育放談その一:福島第一原発汚染水処理と企業技術者で触れた故障中の汚染冷却水から放射性物質を除去する装置“アルプス(ALPS)”が、9月27日に再稼働しました。ところが、わずか1日で運転が停止しました。その理由がALPS補修作業中にタンク内で使用したすべり止め用の板状ゴムを回収するのを確認しなかったからだということです…、絶句。なんという馬鹿馬鹿しい話です。
 そして今朝、再々稼働したALPSがまたも停止したということです。“初期不良”という好意的な見方をする方がいるかもしれませんが、過酷な条件下で数十年間運用しなければならないことを考えると、基本的に水冷〜汚染水処理という手法に問題があると考えるべきだと考えます。

 ここまでは、今朝突然入ってきたニュースに急遽触れておきました。今回紹介しようと思ったのは汚水タンクからの漏洩事件についてです。まず今朝の新聞記事を紹介します。

 基本的のこの汚水タンク群の雨水処理には問題があることは既に触れましたので繰り返しません。今回唖然としたのが水位計の問題です。傾斜地に設置されているタンク同士を連通管で連結していたわけですが、水位計を最も標高の高い位置に設置されたタンクにだけ設置していたというのです。さすがに私の娘もあきれ果て、「水位計を一番低いタンクに設置すべきだったことは、小学生でも判る」と言っていました。
 なぜ直接的に最も厳しい条件にある一番低いタンクの水位を計測せずに、一番高いタンクで計測して低いタンクの水位を推測するなどという愚かな設計にしたのでしょうか?セイフティー・ファースト、安全側の設計はあらゆる設計の基本ですが、東電の技術者にはそうした基本さえ失われているようです。

 私の心配は、果たして東電の技術者に限ったことであろうか?という不安です。日本の若い技術者全般にこうした基本的な訓練がなされていないのではないだろうかという、とても恐ろしい“妄想”に悩まされています。

No.898 (2013/10/03)人為的CO2地球温暖化の空騒ぎB
IPCC第5次評価報告書とCO2地球温暖化

 既にNo.897でも少し触れましたが、IPCC第5次評価報告書について少し触れておきます。まず新聞記事を紹介しておきます。

 経済産業省の9月27日の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書第1作業部会報告書 (自然科学的根拠)が公表されました」によりますと、内容的には特に目新しい物はないようです。相変わらず温暖化という自然現象を、観測に基づいた科学的な評価を行うのではなく、数値シミュレーションというお遊びで予測するという基本的な態度は変わっていません。IPCC第4次評価報告書の後に発覚したClimategate事件があったにもかかわらず、世界の大勢は何の反省もせず未だに数値モデルによる将来予測のご宣託をありがたがっているようです。
 ここでもう一度確認しておきますが、IPCCとは科学者の研究組織ではなく国連に設置された「気候変動に関する政府間パネル」という政治的な政策立案のための組織です。その結果、国連で力を持つ勢力の政策によって牛耳られていることを理解しておくことが必要です。
 第5次評価報告書においても、前世紀後半以降の気温の上昇傾向の主要な原因は人為的な影響、中でもCO2の排出による影響としている本質には変更はありません。その上で多少条件の異なるシナリオに基づく数値計算を行っただけです。その他、最近観測されている自然現象を考慮して、多少予測に対して修正を行ったというところです。いくらデータを集積しても、人為的CO2地球温暖化仮説という信頼性の低い色眼鏡で評価しては全てが砂上の楼閣です。
 IPCCの評価報告書の信頼性を担保するためには、人為的CO2地球温暖化仮説を科学的に立証する作業を行うことが必要です。残念ながら、未だかつて人為的CO2地球温暖化仮説を科学的に説明できるような事実は存在しません。IPCCの権威の根源は究極的には、過去の気象現象を再現できるように多くの作為的なパラメーターの調整によって作り上げた張りぼての数値計算モデル=コンピューターゲームの仮想空間における虚像だけです。

 さて、少し報告の内容を見ておきます。前出の経産省のプレス発表によると気温上昇の予測値は、最大の値を示すRCP8.5シナリオで2.6〜4.8℃の上昇とされています。新聞報道でも、最大4.8℃の上昇と紹介しています。
 IPCC第5次評価報告書の政策決定者向け要約からそれと思われる図を以下に示します。

 上図を見ると、気温上昇が最小のRCP2.6からRCP8.5までにはかなり大きな開きがあります。

 気候変動に関する枠組条約締約国会議におけるCO2放出量の抑制政策は実質的に完全に失敗しており、現状はIPCCの想定する最悪のシナリオRCP8.5相当だと思われます。このままでは今世紀末には4.8℃上昇するというのですが、どうも眉唾ものです(笑)。
 2000年以降の実際の気温変動は横ばいから多少低下傾向を示しています。数値シミュレーションの上昇傾向からは年々離れているのが現実です。

 IPCCなどによる気温変動のグラフでは気温変動のトレンドを一本の右上がりの直線で表すことが多いようですが、これはかなり無理があります。

 同じデータについて、私なりのトレンドを記入したのが下図です。
 江戸時代末期は低温傾向で飢饉が頻発しました。その後気温は次第に回復して第二次世界大戦終戦前後に極大になります。その後気温は低下傾向を示し、1970年代後半まで寒冷な時期が続きました。
 1980年〜2000年にかけて急激な気温上昇が20年間ほど継続し、この時期に人為的CO2地球温暖化仮説が大ブームになりました。
 そして2000年以降は気温の上昇傾向は落ち着きを見せ、多少低下傾向を示しています。

 しかし、この期間、人為的CO2排出量は単調に増加しており、大気中のCO2濃度も単調な上昇傾向を示しています。CO2濃度の上昇が気温変動の主要な原因というには無理があります。

 IPCC第5次評価報告書の中でも「太陽放射は20世紀にわたるエネルギー収支の不均衡にほとんど寄与していない。」として太陽活動の影響は小さいとしています。相変わらずIPCCは太陽放射強度にだけに注目しており、太陽活動の活性度、太陽風、太陽−地球系の磁場の影響を無視しているようです。
 例えば、下図は太陽黒点の変動周期(SCL=sunspot cycle)の変動と気温(北半球の地上気温の1951-1980年平均気温からの偏差=NHT=northern hemisphere land air temperature)変動の関係を示していますが、大気中CO2濃度の変動よりも遥かに気温変動をよく説明できることは明らかです。

 この現象を理解するための一つの有力な仮説は、太陽活動が活発な時期(黒点周期が短い時期)には太陽風が強くなり、地球磁場が強固になることによって地球大気に侵入する宇宙線量が減少して雲量が減少し、太陽活動が不活発な時期(黒点周期が長い時期)にはその反対の現象が起こるとするものです。この地球磁場の変動による雲量の変動が地表面に到達する太陽放射量の変動を増幅すると考えられます(スベンスマルク効果)。

参考:●地球温暖化 1.二酸化炭素地球温暖化仮説の3要素

 IPCCによる人為的CO2地球温暖化仮説に基づく気候変動の数値シミュレーションだけを頼みの未来予測は、多くの自然科学的な知見を排除しており、科学の名に値しないものです。IPCCはあくまでも国際政治を牛耳る政治屋と官僚の組織なのです。

 さて、少し違った角度から人為的CO2地球温暖化を見ておくことにします。

 CO2地球温暖化を前提とする、気候変動に関する枠組条約締約国会議における最初の国際的な目標であった京都議定書のCO2排出量削減目標はまったく有名無実に終わってしまったことは周知の事実です。日本は基準年である1990年に対して−6%が2012年末の目標値でしたが、現実は下図の通りです。

 この間、日本政府は政策的にCO2排出量を減らすために自然エネルギー発電・エコカー等を優遇して政策的に導入しましたが、現実にはCO2排出量は全く減らず、CO2排出量は景気動向(GDP)に連動しているのです。リーマン・ショック前後の変動傾向から、CO2排出量を削減するのに最も効果的なのは産業規模を縮小することだということが明らかです。

 つまり、政府の打ち出した自然エネルギー発電やエコカーという技術は、マクロ的に見てCO2排出量削減には役立っていないということです。

 勿論、大気中CO2濃度の上昇は地球温暖化の主要な原因ではありません。化石燃料の消費量を減らすことは悪くはありません。しかし、全く効果がないどころか化石燃料消費を飛躍的に増大させることが必定である非効率的で不安定な自然エネルギー発電などの無意味で高価な技術の政策的な導入は基本的なところから考え直す時期にきています。東北地方の震災復興、福島原発の後処理という国家的な課題を抱えているこの時期に、おもちゃにつぎ込む無駄銭はないのです。

No.897 (2013/09/30)NHKお馬鹿番組の記録23

●2013年9月28日8:15〜
●NHKニュース深読み『人類は"適応"できるのか?進む地球温暖化』
●司会 小野文恵
●パネラー 木本昌秀(東京大学大気海洋研究所 教授)、白井信雄(法政大学温暖化適応プロジェクト特任教授)、室山哲也(NHK解説委員)、桂文珍(落語家)、松本明子(タレント)

 今年の夏の猛暑の影響で、しばらく鳴りを潜めていたCO2地球温暖化が頻繁にマスコミに登場するようになりました。また、IPCC第5次評価報告書が出されることも影響しているようです。
 さて、この種の話題について、だいたいメンバーが定着したようです。NHKの解説委員は新しもの好きオタクの室山哲也、専門家として木本昌秀(東京大学大気海洋研究所)が指定席のようです。
 番組では、相変わらず「数千人の科学者によって数千本の論文をまとめた結果」、「前回報告よりも更に精度の高い予測結果が得られた」という、実に非論理的な数の理論による権威付けで始まり、後はお決まりの対策を取らなければこんな悲惨な未来像になるという、子供だましの脅迫的な内容に終始しました。
 いつまでたってもNHKの科学報道は科学性を獲得できないようです。

No.896 (2013/09/26)
積極的平和主義とは無制限の侵略?

 国連総会に向けてカナダ・米国を訪問中の安倍晋三はとんでも無いことを発言しています。集団的自衛権について、国連の集団安全保障により深く関わる“積極的平和主義”を打ち出しました。ただし、安倍の言う積極的平和主義とは本来の積極的平和の定義とは随分と違うもののようです。
 本来的には『消極的平和とは、戦争のない状態、直接的暴力がないだけの状態。積極的平和とは、構造的暴力のない状態で、経済的・政治的安定、基本的人権の尊重、公正な法の執行、政治的自由と政治プロセスへの参加、快適で安全な環境、社会的な調和と秩序、民主的な人間関係、福祉の充実、個人における幸福の存在などを意味し1969年、平和学者ヨハン・ガルトゥングが提示しました。』とされています。つまり積極的平和とは単に戦争状態がないだけではなく、更に高いレベルの幸福=平和が実現された状態を指す言葉です。
 これに対して安倍の言う積極的平和主義とは、米国との集団的自衛権の行使によって地球上のあらゆる場所の紛争に武力で介入していくことを指しているのです。とんでも無い話です。第二次世界大戦以後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク・アフガニスタンにおける対テロ戦争等という、“米国のための正義”による戦略戦争はあとをたちません。平和憲法によって国際紛争の解決に武力を行使しないことを国是とする日本が、解釈改憲によって最も暴力的な米国と一体になって世界の紛争に介入していくなど、常識的にはあり得ないことです。正に自称右翼政治家安倍晋三の面目躍如というところでしょうか。
 これに関連して、米国との集団的自衛権の地理的な範囲について、範囲を限定することは無意味とし、理論的には世界中どこでも、邦人の人命救助や米軍の補完部隊としてあらゆる場所が集団的自衛権行使の対象地域となると述べています。要するに、米国と一体となって世界中のあらゆる場所で戦争行為を正当化できるとするというのです。かつて1980年代に中曽根内閣においてシーレーン防衛の範囲が大きな問題となりましたが、正に隔世の感が否めません。

No.895 (2013/09/18)恩師との科学・技術・教育放談その四:
TPP・消費税・経済問題など

 このシリーズも少し間延びしてしまいましたので、今回で最終回とします。

 さて、土木工学という分野は、インフラストラクチャー≒社会資本を建設する技術を取り扱います。建築とは異なり、個人あるいは私企業の要請ではなく、国民総体の福祉のために必要な構造物を作るため、国家あるいは自治体が事業主体となる構造物の建設事業になります。その結果、土木工学あるいは土木事業に対する要請は、その時代背景や国家の目指す方向によって全く異なる内容になります。

 まず、日本の国の目指している方向を概観しておきます。

 現在の日本という国家は、守銭奴のような巨大企業経営者と結託して、経済成長を第一義的に重視する言わば“重商主義的な国家資本主義”社会といったところでしょうか。近年日本では、戦後GHQによって行なわれた財閥解体とは全く逆に、世界市場において勝ち残るためという名目で資本統合が盛んに行われ、世界規模の巨大企業が続々と誕生し、政府との癒着構造が再生し始めています。特に第二次安倍内閣になって、首相の外遊に企業経営者が大挙して同行し、トップセールスがこれみよがしに行なわれるようになりました。
 現在の日本政府の経済政策は、今短期的にみて最も世界市場において競争力のある産業分野で出来るだけ多くの富を稼ぎ出そうということ尽きます。自動車や電気などの工業製品、原子力発電プラント、鉄道システム、上下水道システムなどのインフラ関係のシステム、そして情報・通信関連のソフトなどを政府と企業が結託してできるだけ儲かるような社会・経済構造を作ろうとしています。
 これらの儲けにつながる商品を世界市場で出来るだけ売りやすくしようとする国家戦略の象徴がTPPへの参加です。工業製品など儲かるものを売るためならば、国の基本産業である農林水産業さえどうなってもいいというのが今の日本の国家戦略です。儲けを大きくすれば、世界市場からいくらでも農産品を調達することが出来るという極めて短絡的で愚かな発想です。

 こうした愚かな日本の国家戦略によって、既に国内では大きなひずみが顕在化し始めています。

 まずこのような日本社会の出発点となった出来事の一つが自民党小泉政権下で開始された規制緩和による資本の理論による産業の暴力的な自由化です。これ以後、企業間格差、その影響として所得格差が増大し、日本の貧困率は今や20%に迫ろうとしています。OECD加盟の主要国の中ではついに米国についで2番めの貧困率になっているのです。

 “一億総中流”等と言っていた高度経済成長期はすでに過去のものとなり、今の日本社会はアメリカ同様の弱肉強食の超格差社会になろうとしているのです。
 加えて、労働者の派遣業が合法化され、その上、何度も規制が緩和されています。これは資本の一方的な理論によるもので、業績不振な企業はすぐに労働者を削減し、好調な企業はいつでも安い労働力市場から労働者を集めることが出来るという仕組みです。労働者派遣法は、労働者を労働力としか見ず、労働力を景気の良い企業に流動的・速やかに流し込む社会システムです。労働者派遣法の全面的な解禁で、労働者は人格を持たない労働力として使い捨てにされる社会になったことが、所得格差を更に大きくしています。

 既に非正規雇用の労働者は2000万人に近づき、全労働者数に占める割合は40%に迫ろうとします。“アウトソーシング”等というきれいな言葉で言われるコスト削減の実体とは、使い捨ての労働力を安く買い叩くことです。前述の資本の統合によって弱小企業は廃業を余儀なくされ、職を失った労働者は非正規雇用の労働者へと没落していくことになるのです。こうして所得格差はますます広がっていくことになります。

 高度経済成長期を過ぎ、1980年代になるとそれまでの日本企業の主要な人事システムであった年功序列制度が次第に崩れ、能力給制度が導入され始めました。同時に一つの会社に終身雇用されることも少なくなりました。
 これは、この時期以降急速な労働のマニュアル化・システム化が進められ、同時に事務労働におけるOA化、製造業におけるNC工作機、産業用ロボットの導入が進められました。これによって熟練労働者が淘汰され、労働者はいくらでも取替えのきく単純労働者と、ごく一部の幹部社員への2局分化が進行し、これが労働者派遣法の導入に結びつきました。
 私たちの若い頃は、年功序列や終身雇用制度に対しては“飼い殺し”というネガティブなイメージの方が強かったのですが、今にしてみれば、大変優れた制度であったような気がします。現在のように、経済的なコスト削減にだけ注目した取替え自由の非正規雇用の未熟練労働者ばかりになれば、労働現場における技術・知識の継承が困難になります。
 これに対して、年功序列・終身雇用制度であれば、単に労働者が経済的・社会的に守られるだけでなく、じっくり時間をかけて技能が鍛えられ、技術・知識がしっかり継承され、技術の獲得による達成感が高い職業意識をもたらすことになります。急速な技術革新には不向きかもしれませんが、安定成長期における労働制度として、再評価する必要があると考えます。恩師は、基本的に年功序列制度を基本とし、その中で特異な高い能力を持つ者がいれば、特例として取り立てる制度を設ければ良いと述べていました。

 さて、このような所得格差の広がる社会の税制として、一般消費税の税率を上げることは逆累進税制であり、破廉恥極まりない政策です。企業間の収益格差、所得格差の大きな社会では、高い収益を持つ企業、個人からより多くの税金を徴収すべきであることは論をまちません。法人税率、所得税率の累進構造を強化する事こそ国の行うべき税制改革です。この国では、経済政策だけでなく、税制までもが大企業本位で決められていくのです。
 政府自民党は、一般消費税の引き上げと同時に、消費税2%程度に相当する5兆円規模の財政出動を行うとしています。その内容は公共事業や企業の投資減税を中心にし、実質的に法人税の軽減に資するものということです。どこまで企業を優遇するつもりなのでしょうか。
 既に実質的に産業活動に資する社会インフラは飽和状態にあり、オリンピックを含めていくら公共事業に対して国費を投入したとしても、一時的に土建業者を潤すだけで、国費を投入しただけ国家財政が悪化するだけであることは最早議論の余地はないでしょう。むしろ一時的な好景気はその後の反動で倒産企業を増やすことになるかもしれません。

 さて、日本政府の経済政策は金を稼ぐことだけを考えている、愚かなものだと述べました。本来、国家の基本産業とは、まずは食料生産です。食料生産を他人任せにしている日本の経済政策は、長期的に見れば正に亡国の経済政策です。
 地球の人口の推移をみておきます。

正に人口爆発とでも言うべき状況になっています。現在は70億人程度、今世紀後半には100億人を突破する勢いです。1960年以降の人口の推移を下図に示します。1970年から2010年の40年間で人口はほぼ倍に増加しました。

 同じ期間、穀物生産量もほぼ2倍に増加しています。しかし、工業化が進むに連れて、西欧化した食文化が新興工業国に広がり、人間の摂取する食料の中の食肉の割合が増加していることなどを考えれば、底辺の飢餓状態はこの40年間で確実に悪化していると考えられます。

 農業生産は限界的な農地にまで広がり、農地の酷使によって限界的な農地は砂漠化し、次第に農耕可能な地域が減少することが懸念されます。果たしていつまで世界市場から食料品を必要なだけ買い付けることが出来るのか…。日本の食料自給率は低下の一途をたどっています。

 戦後の日本は工業化を進める一方で第一次産業を犠牲にしてきました。終戦直後には貧しいとはいえ食料自給率は100%近かったものが、現在は40%にまで激減しています。したたかな西欧先進国は、食料生産の重要性をよく理解しており、中でもイギリスは食料自給率の顕著な回復に成功しています。

 日本は国家として既に成熟期から後退局面にあります。人口は明確に減少局面に入り、おそらく3000万人〜4000万人程度まで減少することになるでしょう。労働人口の減少によって国内の産業規模も間もなく縮小し始めることになるでしょう。当面の課題である年金や介護、医療保険制度だけにとどまらず、国の形そのものを根本的に考えなおすべき時期に来ているのです。
 しかし、悲観する状況ではありません。むしろ3000万人〜4000万人という人口は自給的な経済が長期間にわたって安定していた江戸期から明治初期の人口と同じレベルです。科学・技術の進歩を考えれば、江戸期以上に豊かな自給的な食料生産に基づく持続可能な社会を構想することが可能なはずです。
 工業的な生産システムの限界が見え始めている現在、再び豊かな日本の風土の自然環境を最大限に活かした自給的農業の再生による持続可能な社会・経済・政治システムを考える時期に来ているように思います。

(完)

No.894 (2013/09/12)無意味な除染は止めて現実的な対応を

 このHPでは、これも繰り返し述べてきたことですが、放射性物質に高いレベルで汚染された地域の“除染”は技術的に不可能であり無意味であることを主張してきました。また、汚染地域内の点や線の除染もまた無意味であることを述べてきました。

No.668 (2011/10/03) 除染対象地域の拡大、その現実性は?
No.667 (2011/09/30) 緊急時避難準備区域一斉解除 国は住民を見捨てた
No.666 (2011/09/29) 広大な放射能汚染地域 除染は可能か?福島市の選択

 原発事故から2年半が経過し、汚染地域の除染の問題がやっと認められ始めました。まず新聞記事を紹介しておきます。

 記事の内容を見ると、「何を今更、最初からわかりきっていたことじゃないか!」とマスコミ報道の無能さに怒りを覚えますが、まとめておきます。

 基本的に高レベルの放射性物質汚染地域では、除染しても居住環境の受忍レベルである1mSv/年にまで線量レベルを下げることが出来ないことが明らかになりました。また、汚染地域の中の住居とその周辺20mの範囲という点や、通学路などの線を除染しても周辺環境から再び放射性物質が侵入して再び線量レベルが上昇してしまうため、一旦除染が終わった地域も居住環境の線量レベルを回復し得ないことが明らかになりました。この2年半に除染につぎ込まれた多くの労力と資金はゼネコンの懐をふくらませただけで、実質的には無駄に費やされてしまったのです。

 この期に及んで、環境省は除染によって目指す線量レベルを20mSv/年という値にするという愚かなことを言っています。基本的に国は除染を行った場所には住民を帰宅させる方針ですから、除染の目標値は居住環境の受忍限度である1mSv/年でなければなりません。住民の主張は極めてまっとうな要求であり、無理を言っているわけではありません。
 20mSv/年という値は、事故直後の緊急避難的なやむを得ない場合の受忍限度であり、これを帰宅のための居住環境の線量の受忍限度とするなど、とんでもない話です。第一、一般公衆の立ち入りを禁止し、18歳以下ではあらゆる人の立ち入りを禁止する必要のある放射線管理区域の設定基準でさえ5.2mSv/年という値なのです。これを超えるような場所に一般公衆が生活するなど、日本の放射線管理の法体系から逸脱した不法行為です。

 無駄な除染は止めて、立ち入り禁止区域を設定し、立ち入り禁止区域内の住民に対しては帰宅不能であることをできるだけ早く通知し、新たな生活を構築できるように助成する事こそ必要です。何の保証もない帰宅の希望を持たせ続けて仮設住宅での避難生活が長期化することで住民は疲弊するばかりです。

No.893 (2013/09/10)原発事故に対する検察判断の利用法

 すでに福島第一原発事故に関連して、日本の司法が全く機能していないことを何度も触れてきました。東電や国の関係者42人と東電に対する告訴を検察は全て不起訴とすることを決定しました。まずjiji.comの記事を紹介しておきます。


福島原発事故、全員不起訴=東電元幹部や菅元首相ら−検察当局

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発された勝俣恒久前会長や菅直人元首相ら当時の東電幹部と政府関係者など計42人と法人としての東電について、検察当局は9日、不起訴処分にした。検察は事故原因を津波と断定した上で、「誰も想定していなかった規模の地震と津波が発生することを具体的に予測するのは困難だった」として、対策を講じなかった東電などの責任は問えないと判断した。告発した市民団体は検察審査会に審査を申し立てる。
 東電の事故調査報告書によると、福島第1原発1〜4号機は、東日本大震災で最高約15.5メートルの津波に襲われ、全交流電源を喪失。水素爆発などの事故につながった。東電は震災当時、高さ約6メートルまでの対策しか取っていなかったが、2008年に、福島県沖で大地震が発生した場合、最高15.7メートルの津波が発生すると試算していた。
 試算の根拠となった02年の政府の地震長期予測は、研究者の間でも賛否が分かれており、翌年には政府自ら裏付けが不十分であることを公表していた。このため検察は、専門家の間では福島県沖での地震や津波の可能性が一般的には予測されていなかったと判断した。
 また、東日本大震災はこの長期予測で発表された地震規模よりはるかに大きく、検察は「長期予測の精度が高いとは認識されておらず、その長期予測でも想定されなかった規模の地震と津波を具体的に予想することはなおさら困難だ」と結論付けた。その上で東電の勝俣前会長や清水正孝元社長ら旧経営陣と、原発の安全審査を担う旧原子力安全委員会の班目春樹元委員長らを嫌疑不十分とした。
 一方、事故発生直後の対応について告発された菅元首相と枝野幸男元官房長官、海江田万里元経済産業相については、「(爆発を防ぐため蒸気を外部放出する)ベントの実施命令が遅れたとは認められない」などとして、嫌疑なしとした。(2013/09/09-21:47)


 この不起訴はあまりにも酷いとしか言いようがありません。数十万人の住民が住む場所を奪われ、その過程で多くの人々が生命と財産を失ったにもかかわらず、その事故の原因となった原子力発電所の経営者とこれを進めた国の役人の誰一人として罪に問われないとはどういうことなのでしょうか。
 小さな町工場が事故を起こして周辺住民に被害をもたらせば経営者や安全管理者はその刑事責任を問われます。ところが国家戦略として推進された国策企業東電による原発による事故の責任は誰も取る必要がない…、誠に国民を馬鹿にした話です。
 不起訴理由は、東北地方太平洋沖地震とそれに付随する津波は予測し得なかったので国や東電に責任はないというものです。しかしこの説明は不当です。
 日本政府の原子力政策の根本は、“日本の原子力発電所はいかなる自然災害に対しても重大事故を引き起こすことはない”という前提で組み立てられています。この基本的な立場に従って事業者である東電は原子力発電所の建設にあたって、いかなる自然災害に対しても安全な原子力発電所を作ることが求められており、そのために適切な設計条件を設定しなければならなかったのです。また、東電の設計に対して安全審査を行う国も当然この点について適切な判断を下す責任があったのです。
 通常の土木構造物であれば、構造物の重要度に応じた耐用期間を設定し、その期間に対して過去の自然現象の統計的なデータから確率的に起こりうる最大の事象を対象に設計し、それを超える自然現象に対しては壊れても仕方がない、という設計思想です。しかし、原子力発電所は耐用期間中に絶対重大事故を起こしてはならないのであり、根本的に設計思想が異なるのです。
 無能な検察、あるいは国や東電を免責するために、敢えて通常の構造物と同じ設計思想にもとづいて、予測し得なかった自然現象に対しての責任は問えないとしたのです。

 この検察の判断は、これまでの日本の原子力政策の建前に従えば、不当な判断です。しかし、考えようによっては今後の原発の運転再開を阻止するための強力な武器にすることも出来そうです。
 つまり、検察は原子力発電所設計において、場合によっては想定を超えるような自然現象などが発生しうることを認定したわけです。これは、原子力発電所の設計において予測しうる最大の自然現象に対して最善の設計を行ったとしても、その絶対的な安全性を保証できるものではない=原子力発電所は事故を起こしうるものであるということを認定しているのです。これは日本の原子力政策を180度転換することを迫っています。
 細心の注意をはらった設計をしても原子力発電所は事故を起こしうるのであり、原子力発電所の運転再開においては、最低でも福島第一原発事故程度を想定して、電力会社の責任において事故発生を前提とした監視体制や避難施設の整備、医療体制の整備を行い、実際に事故が発生した場合には電力会社の責任において被災者に対するあらゆる保障と事故処理が速やかに実行できるだけの経済的・技術的な準備が担保できない限り運転再開には同意しないことにすればよいのです。

No.892 (2013/09/10)日本のマスコミ報道のバランス感覚

 東京のオリンピック招致決定の前後、マスコミ報道は挙って東京招致を煽り立て、これに否定的な主張はほとんど見受けることがありませんでした。昨日までは東京オリンピック開催のお祭り騒ぎ、株価上昇のニュースばかりでした。
 そして本日辺りから、おそらくオリンピック東京開催歓迎一辺倒のマスコミ報道に対する視聴者や読者からの反発もあったのでしょうが、ようやく懐疑的な内容が掲載され始めました。
 大分合同新聞の紙面をみてみます。まず一面です。

 一面でも昨日までのお祭り騒ぎ一辺倒は影を潜め、“オリンピック特需”によって震災復興の土木事業の遅れを懸念する記事が掲載されました。
 そして6、7面ぶち抜きで福島第一原発事故復旧作業の問題についての特集記事が組まれていました。

 こうした報道を東京オリンピック開催決定前に組織的に報道していれば、あそこまで傲慢で脳天気にオリンピックを東京に招致しようという世論が形成されたでしょうか?
 今回のオリンピック招致報道にかぎらず、日本のマスコミ報道機関の常套的なやり口は、体制にとっての重大な目的が決定するまでは体制側の玄関ネタの報道を流し、大勢が決まった後になるとようやく最早手遅れで意味のないカウンター記事を掲載し、全体として“賛成・反対の双方の報道をしている”という中立性を演じてみせるのです。このバランス感覚には呆れ果てます。残念ながら日本のマスコミ報道機関は三権にぶら下がっているだけで(地道な取材はせずに、本当にぶら下がり記事ばかり書いてますね…笑)、民衆の側に立つという第四権力の矜持は無いのです。

No.891 (2013/09/08)オリンピック招致と原発事故処理

 残念ながら2020年のオリンピックの東京開催が決まりました。勿論、競技者が自国開催を喜ぶことは理解できます。また東京が自前の泡銭だけを使って催しを誘致するのは東京都民が賛成するならば、自己責任で勝手にやれば良いことで、他人がとやかくいうことではないかもしれません。
 しかしながら、日本は今、東北地方太平洋沖地震の被害を受け、東京の繁栄を支えてきた福島第1原発事故によって、住む場所を失った人々が存在します。国策で進められてきた原子力発電によって東北の多くの人々が苦しみ、原子炉の崩壊によって放射性物質を世界中に拡散し続けています。
 オリンピックの東京開催には日本政府が全面的に介入し、国税も少なからず投入されることになります。更に既にNo888 (2013/09/06)オリンピック招致の馬鹿騒ぎで述べた通り、大手ゼネコンは危険な原子力発電所事故処理や震災復興事業よりも割の良いオリンピック関連事業にシフトすることになることは明らかです。現状でさえ人手の足りない原発事故処理現場で働く現場労働者をどのように確保するのか、オリンピックの東京開催が影を落とすことになります。原発事故処理の最前線の被曝労働者は、極めて劣悪な労働環境がますます悪化することになるでしょう。
 ことは単に東京という都市が催し物を誘致することだけではないのです。日本という国が今最優先で取り組むべき課題はオリンピックなのか、震災復興・福島第1原発事故の収束なのかという問題なのです。ネット上には、「オリンピックも震災復興・福島第1原発事故の収束も両方をやればよいではないか」「オリンピック招致が震災復興・福島第1原発事故の収束作業を加速することになる」等という脳天気な書き込みもありますが、福島の原発事故処理現場では既に作業員不足が深刻な問題になっているのです。“オリンピック特需”が始まれば、震災被災地復興や原発事故処理現場ではますます人手を集めることが難しくなるのです。
 そんな中でオリンピック招致のIOCにおける最終プレゼンテーションにおいて、安倍晋三は「福島第1原発事故の汚染水はコントロールされている」と述べたそうです。ふざけるにも程がある、あまりにも原発事故の被災地の現状を無視した出鱈目な発言です。福島の原発事故被災者の方の憤りは如何ばかりか、怒りを禁じえません。
 

No.890 (2013/09/07)恩師との科学・技術・教育放談その三:
震災と老朽化する巨大都市インフラの放棄

 恩師の専門分野は鋼構造、中でも吊り橋や斜張橋を代表とする長大橋の風に対する動的な安定性に関する構造の研究です。大学が北九州市にあるため、私の友人も含めて多くの卒業生が北九州市の技術官僚をしている関係もあり、恩師は今も北九州市道路公社の保有する若戸大橋の維持管理を検討する委員会の一つの座長を務めています。

高塔山から見た若戸大橋

 若戸大橋に少し触れておきますと、1958年に着工され、1962年に開通した日本で最初の本格的な吊り橋形式の長大橋です。当時は東洋一の吊り橋として一世を風靡しました。大学に入った頃、すぐ近くにある若戸大橋を徒歩で渡って、対岸の若松の高塔山公園で新入生の歓迎会を行っていました(現在は自動車専用)。
 在学中は、ちょうど本州四国連絡橋の建設が開始されており、本四公団との共同研究で道路鉄道併用の吊り橋である備讃瀬戸大橋の耐風安定性について風洞実験を行っていました。

 さて、東北地方太平洋沖地震以後、この国の地震防災が注目されています。まず確認しておきますが、地震防災と言っても、根本的な防災など不可能です。第一に、避難行動に利用できるほどの精度・時期に将来の巨大地震の発生を予測するという『地震予知』は不可能です。第二に、よしんば地震の発生を予知できたとしても、人的な被害を“ある程度”少なくすることは出来ても、インフラ・社会システムの物理的損害は回避し得ないのです。
 日本の本格的なインフラ整備は戦後の復興期に開始されました。そして1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万国博覧会とたて続けに巨大プロジェクトが実行され、急激にインフラの整備が進められました。引き続く田中内閣の日本列島改造論に始まる国の財政出動による巨大公共事業の創出、そして不動産バブルへとつながりました。この急激なインフラ整備において、自然環境が少なからず破壊されることになりました。
 日本のインフラ整備は戦後1960年代に始まる高度経済成長に乗って、とにかく早く作ることが目的化し、将来的な維持管理、あるいは撤去することに対しての技術的な検討をほとんど行ってきませんでした。
 戦後の日本社会は経済的な膨張と効率化のみを追い求めた結果、人・物・情報・資本が無計画に集中する異様な巨大都市が出現し、それを維持するための生命維持装置たるインフラ整備が泥縄式に行なわれてきました。
 私が大学生であった頃、国土形成計画法(旧国土総合開発法)の下に1977年に福田内閣で策定された第三次全国総合開発計画、通称“三全総”では定住圏構想が打ち出され、都市への人・物・資本の過度の集中を抑制することが盛り込まれました。その後「四全総」でも多極分散型の国家像が提案されましたが、結局は失敗を繰り返し、人・物・資本の都市への集中は止まらず、計画性のない出鱈目な巨大都市が出現する一方、第一次産業の衰退によって地方でも人・物・資本は県庁所在地などの都市部に集中し、限界的な集落が激増することになりました。
 日本は国家として既に高度成長期を過ぎ、人口も明確に減少局面に入っています。産業も早晩縮小局面に入っていくことになることは避けられません。戦後の高度成長期を通して、維持管理や撤去を考えずに闇雲に作られてきた都市インフラも時を同じくして一気に老朽化が顕在化してきています。恩師は、高度成長期に急造された、将来的な維持管理や撤去を無視して行なわれた乱暴なインフラ建設のつけが今一気に押し寄せ始めているのだと言います。

首都高速羽田1号線

 高度成長期を通して作られてきた巨大都市の生命維持装置たる巨大インフラの老朽化を補修しながら将来的にも現在の規模・機能を維持していくことは技術的・能力的・経済的に困難です。老朽化したインフラを無計画に巨大化・密集化した都市空間の中で補修し更新することは、十分に空間的な余裕のある場所で新規建設するよりも遥かに技術的に困難であるばかりでなく、莫大な費用を要することになります。
 東京に代表される巨大都市は地上・地下を含めて最早ボロボロであり、一見派手な経済的繁栄を誇っているように見えますが、裏側を見れば破綻寸前のインフラという生命維持装置でかろうじて生きながらえているだけの瀕死の重病人といったところです。高度成長期を過ぎ、縮小局面を経て安定した持続可能な社会システムに至る過程において東京に代表される巨大都市は過去の遺物でしかありません。このボロボロの巨大な遺物に、今更莫大な資本を投下して健全な規模・構造を持つ新たな都市を再生することは、税金の無駄遣いであろうと考えます。この期に及んで東京オリンピックの誘致など、狂気の沙汰です。
 単にハードウェアの問題だけではなく、日本の国としての産業・経済・社会構造の根本的な見直しが必要です。日本という国の自給的な一次産業を基軸とした生産構造に基づく、おそらく人口3,000万人〜5,000万人程度の適正人口を想定した持続可能な長期的なグランドデザインを示し、都市住民を地方に分散させ、災害に対するリスクを分散することが必要です。巨大都市の中心部には徒に手をかけずに、出来るだけ速やかに放棄するのが最も効率的ではないかと考えます。
 地震災害の予測シミュレーションでは首都圏を襲う直下型大地震によって万人オーダーの犠牲者と10万人オーダーの負傷者が発生し、都市インフラが壊滅的な被害を受けるという結果が公表されています。これは今後“防災施設”建設にいくら資金を投入したところで甚大な被害は避けようがないのです。埋め立てで海側に拡大してきた首都圏臨海部のインフラは地盤の液状化現象によって壊滅状態になり、地中構造物も破壊されることになります。
 人・物・資産の地方への分散を目的とする政策立案に既に何度も失敗してきた我が無能な政府の役人や政治家たちに、有効な政策が打ち出せるのか…。また脳天気でわがままな都市住民は、大震災が来たところで自分だけは助かるとでも思っているのか、あるいは死んでも良いと達観しているのかは私のような凡人には想像がつきませんが、自ら都市生活を放棄することは残念ながら極めて考えにくい。
 本来ならば、巨大都市の中心部は可及的速やかに放棄して、地方に人口を分散移動させ、その後に震災を迎えるのが望ましいのですが、刹那的な経済膨張ばかりに気を取られている守銭奴のような国家運営と脳天気な大多数の都市住民には理解されそうもありません。不謹慎かもしれませんが、首都圏をスクラップするような地震が発生することが、最良の動機付けになるのかもしれません。
 これからのインフラの補修・維持は、長期的な展望に立って、本当に残していくだけの価値のあるものに対して集中的な資本の投資を心がけるべきでしょう。

(続く)

No.889 (2013/09/06)恩師との科学・技術・教育放談その二:
初等・中等教育の崩壊

 恩師の住んでいる玖珠町(16,815人:2012年1月1日現在)では、今の公教育の限界を認めた上で、民間の力を教育に活かす動きがあるようです。恩師はコミュニティー・スクールで数学の講師をやっているようです。まあ、私と違って国立大学の名誉教授という肩書があるせいでしょうが、町長とも教育について時々意見交換をしているようです。
 一般的に、小学校・中学校までの学校教育は比較的に風通しが良く、地域との連携にも積極的なようです。私の住む別府市でも、小中学校の教師たちは比較的柔軟な思考ができるようで、私もかつて娘の通っている中学校では理科や社会科の教師と環境問題について不定期の勉強会を行い、夏休みの理科教師の研修会で話をさせてもらったこともありました。
 ところが、これが高校になるととたんに閉鎖的で強権的になり、保護者をないがしろにする傾向が強くなるようです。これは行政区が市町村から県になることにも少なからず関連しているように思います。この間の娘の通う県立高校や県教育委員会との事件以前から、高校の閉鎖性あるいは傲慢な態度についての話はよく聞いていましたが、この2年間でその実態をいやというほど実体験することになりました。
 私の経験した高校の対応――保護者からの教科書の記述についての説明の要望に対して一切説明することを拒否し、検定済みの教科書に誤った記述があったとしても教科書通りに教えるのが教師の職務であるという認識であり、県教育委員会は高校教師には教科書の内容を理論的に説明する能力はないなどとして高校の対応を支持するとしたこと――を話したところ、当然のことですがあきれ果てていました。現在の大分県の高校教育現場の実態は、世間的には非常識極まりないものであることを、彼ら自身が認識できないほどに閉鎖的な特殊社会になっているのです。

 さて、恩師は数学の講師をしているのですが、現在の数学教育・科学教育では論理的な思考過程が軽視され、解答を得ることばかりを求める傾向が教育を崩壊させていると述べていました。その根本的な原因は、大学入試が画一化されると同時にマークシート方式が導入された共通一次試験からであると。
 科学教育の本質は、問題を論理的に考察して解を求めていく過程、手段、方法論を学ばせることであって、その結果として最終的に何らかの解に到達すること、そしてその達成感を経験することが重要であると考えます。考える過程で手を動かし、図を描き、論証するための文章を書くことによって理解が深まるのです。
 恩師が参加し始めた当初、学校現場では多くの問題数をこなすことが目標に挙げられていたといいます。玖珠町のコミュニティー・スクールの数学の授業ではたくさんの問題を“こなす”ことよりも精選された問題をじっくり考えることを提案して授業を行っているそうです。その成果かどうか、定かではありませんが(笑)玖珠町は全国学力テストで、県内では最高レベルになっています。

 自然科学教育は、ゲーム的な問題やマニアックで特異な難問を解くことに意義があるのではなく、基本的な理論を理解し、それを元に論理的な推論を行う過程が重要なのです。
 環境問題についての現在の大分県の高校教育現場のように、教科書の記述に対して論理的な説明を求めてもこれに答えることの出来ないような非科学的な科学教育を可としていては、日本の科学教育の崩壊は止めようもありません。

(続く)

No.888 (2013/09/06)オリンピック招致の馬鹿騒ぎ

 今週末に2020年の開催地が決まるらしい。日本は東京招致のために東京都の猪瀬、政府自民党・安倍らが公費をつぎ込んで馬鹿騒ぎをしている。
 一方、福島第一原発の事故処理では失敗に次ぐ失敗で、原子炉の水冷システムはほとんど破綻し、汚染水処理は泥沼状態、手の付けられない状況になりつつあります。本来ならば、日本のあらゆる物的、人的、経済的資産を投入して、最善の対応をしなければならない焦眉の課題であるのに、会社の維持に汲々とする東電の愚かな経営陣はいかに手を抜くかということばかりに心を砕き、いずれ政府がなんとかすると高をくくっているし、日本政府は原子力事故をいかに軽微なものであるかと見せかけることばかり考えているという、誠に悲惨な状況です。
 今回のオリンピック招致の目的の一つが、東北地方太平洋沖地震ならびに福島第一原発事故から復興する日本の姿を世界に知らせ、同時に被災地を元気づけることだそうです。
 ふざけてはいけません。震災・原発事故の爪あとは深く、そう簡単に復興などと言っていい状況ではありません。福島第一原発事故に関しては、2年半が経過し、ますます状況は混迷を深め、事故処理の最初の段階である放射性物質の封じ込め、原子炉の安定冷却にすら全く目処がつかない状況は周知の通りです。この悲惨な福島第一原発の事故現場の姿を世界に知らせることが出来るのでしょうか?
 オリンピック招致は、脳天気な被災地以外の大多数の日本の国民にこの悲惨な被災地の現状から目を逸らさせるための装置です。そればかりではありません。日本の土木建築の処理能力には限界があり、仮に東京オリンピック招致が成功した場合、競技施設、周辺施設、噂によるとリニア新幹線工事の前倒しなど、金に糸目をつけない割の良い公共事業が増発されることになり、大手ゼネコンは危険で汚い原発事故処理からオリンピック関連の工事にシフトすることは火を見るより明らかです。震災被災地復興、原発事故処理には物的、人的、経済的資産の投入が削減され、あるいは非正規雇用の未熟練工による工事の質の低下が避けられないことになります。

 たかが一時の娯楽のための催しの誘致、それによる一時的な経済バブルのためのオリンピック招致には断固反対です。何とか日本が開催地に選ばれないことを祈るしかありません。

No.887 (2013/09/05)恩師との科学・技術・教育放談その一:
福島第一原発汚染水処理と企業技術者

 ここ数日、二つの台風が九州周辺を通過したことで大気が劇的に入れ替わったようです。北の寒冷な大気を引き込んだようで、一気に秋の様相を見せています。このまま秋になるということはないでしょうが、季節は確実に変わりつつあるようです。秋の虫も鳴き始めました。

 今月の1日、雨の中を、家内と娘を連れてドライブに出ました。旧緒方町にある家内が懇意にしている造り酒屋さんが、数年前からこの時期にごく少量ですがぶどうジュースを絞り始めました。これを手に入れるべく、雨の中を車を走らせた次第です。“幻”のぶどうジュースを4本手に入れ、その足で玖珠町に住む私の大学の恩師の家に向かいました。恩師は既に大学を退官し、奥様の実家のある玖珠町に家を建て、畑を耕しながら地元のコミュニティー・スクールの講師などを引き受けながら、悠々自適、ほぼ自給自足の日々を送られています。
 恩師の家についたのが昼を少し回った時間であったため、図々しくも昼食を御馳走になることになりました。テーブルには残り物という野菜を中心とした惣菜が並びました。恩師は糖尿病を持っているため、米は食べず、自家農園で栽培する小麦でパンを作っているとのことです。実は妻と一緒に恩師をそそのかして水田で自家用のコメを作れないものかと考えていましたが、夢はあえなく潰えました(笑)。

 昼食を御馳走になりながらの取り留めもない無責任な放談を少し紹介しようと思います。

その一:福島第一原発汚染水処理と企業技術者

 このHPでも再三取り上げている福島第1原発事故の冷却システムないし、放射性物質汚染水処理システムについてです。我々土木屋の感覚から言えば、東電による汚染水処理に対する対応は理解不能なものばかりです。
 当初、汚染冷却水は浄化システム(フランス、アレバ社製?)で放射性物質を取り除き、循環冷却システムを構築すると言っていました。しかし、既に原子炉圧力容器、格納容器、そして原子炉建屋が破損していたわけですから、必然的に注入した冷却水の大部分が原子炉建屋周辺に流失していたわけで、クローズした循環冷却システムなど出来るわけがないことは、わかりきっていたのです。つまり、放射性物質汚染水は周辺環境に流失し続けることはわかりきっていたのです。
 放射性物質の発電所外部への漏洩を防止するために、まず最初にすべきことは緊急避難的には直接漏洩箇所、例えばピットの漏洩箇所を塞ぐこと、汚染水をポンプアップして保管することですが、それと並行して汚染水が漏洩する範囲を可及的速やかに囲い込む永久構造としての遮水壁を構築することでした。
 当初の冷却システム構築の段階で東電中枢の無能な技術屋たちは、原発事故の重大性を認識できずに、長期間を見通す具体的な全体像をまともに立案できずに、場当たり的な“とりあえず”、“手っ取り早く”、“安上がりな”対症療法を繰り返し世論をかわすことばかり考えていたことによって無様な対応になったと考えます。孔の開いたバケツに水を注ぎ込めば漏洩汚染水は止めどなく増加することはわかりきったことだったのです。
 泥縄式で作った、管理型のゴミ処理場の構造を流用した地下貯水槽はすぐに破れ、ボルトによるフランジ継手で組み立てた鋼製タンクも漏洩を繰り返しています。当然です。これらは元々まともに作ったところで数十年から数百年に及ぶ耐用期間など望むべくも無いものであり、放射性物質汚染水の貯蔵施設として用いるべき構造物ではなかったのです。計画段階で構造物に求められる機能と採用された構造形式に全く整合性がなかったのです。これは設計段階における、全く初歩的かつ重大な過ちでした。
 現状での基本的な問題点は二つです。第一に、放射性物質汚染水を原発敷地外に流失することを防ぐバリアー=閉鎖型の遮水構造物が無いことです。第二に、仮に遮水構造を構築できたとしても増え続ける汚染水を処理する装置が技術的に確立できなければ水冷システムは近い将来破綻することです。
 第一の問題点については現在凍結工法が模索されていますが、これは永久構造物ではないので、信頼性に不安が残るものです。これがうまく行ったとしても、第二の放射性物質汚染水の浄化システムが安定的に機能するかどうか、全く不確定であり、現状では状況が好転する保障は一切無いようです。これまでの浄化システム“サリー”や“アルプス”は事故続きでまともに動いていないようです。
 私の個人的な見解ですが、最早水冷システムは技術的に完全に破綻していると考えます。水冷方式では、どうしても水によって放射性物質を拡散してしまうために、取扱が増々難しくなります。放射性物質の毒性は希釈による閾値が存在しませんから、基本的に拡散しないように閉鎖空間に閉じ込めることが管理の原則です。これ以上状況を悪化させないためには冷却方式を根本的に見直し、ドライな冷却システムを考えるべきでしょう。

 技術的な問題はさておき、どうして東電の技術屋はここまで無様な対応を繰り返すのかが話題になりました。恩師は、電力会社の経営陣は第一に会社経営を考え、また東電の技術屋トップがおそらく電気屋集団であり、電力供給の現場を支えている周辺技術の技術屋、例えば土木屋などと効果的に連携できていないからではないかと述べていました。確かに、それなりに優秀な土木屋もいるはずですが、あまりにも愚かな対応を続けている現状は、そうした技術屋たちの声がまともに取り上げられない構造があるように感じます。

(続く)

No.886 (2013/08/29)人為的CO2地球温暖化の空騒ぎA

 人間社会とは単純で短絡的なもの、そして騙されやすいもので、寒くなると『地球寒冷化』論が流行り、暑くなると『地球温暖化論』が流行ります。今年の日本の夏は異常な暑さが続いています。しばらく“鳴りを潜めて”いた人為的CO2地球温暖化論やIPCCに関する報道がポツポツ出始めています。まず新聞記事を一つ。

 IPCCの最新報告を扱ったものですが、相変わらずCO2地球温暖化仮説に基づく数値シミュレーションをありがたがって、コンピューターゲームを盲信しているようです。
 地球の平均気温がこの200年間程度の期間、上昇傾向を示してきていることは観測事実(ただし、Climategate事件で明らかになったように部分的な観測データの改竄が発覚していますが…)であろうと思われます。しかし、IPCC報告が言うように気温上昇の主要な原因が「人間活動が95%以上の確率」というのは全くの戯言というしかありません。なぜなら、IPCCの言う人間活動による原因とは、化石燃料の消費に伴うCO2放出量の増大だからです。
 このHPでは、IPCCの示している炭素循環図から、この200年間程度の期間の大気中のCO2濃度の上昇の主要な原因が人為的な化石燃料の消費ではないことを高校生レベルの理科の知識で十分説明できることを示しています。

IPCCやその主張を支持する人々は、まず人為的CO2地球温暖化仮説の根底にある仮定である、この200年間程度の期間で観測されている大気中のCO2濃度の上昇の主因が人為的な化石燃料の消費であることを合理的に説明しなければならないのです。現状では、人為的CO2地球温暖化仮説は砂上の楼閣、あるいはコンピューターゲームの仮想現実にすぎないのです。
 このHPのスタンスは、繰り返しになりますが、地球の平均気温がこの200年間程度の期間上昇傾向を示していることは事実であろうと考えますが、その原因を取り違えると、人間社会の対応は全く異なったものになり、特に自然科学的な合理性を欠いた人為的CO2地球温暖化仮説に基づく対応は人間社会に大きなダメージを残すことになることを危惧している、ということです。
 仮に、気温の急激な上昇によって人間社会が被害を被る可能性があるとしても、その原因を自然科学的に誤った「人為的な化石燃料の消費」であるとした対策では、何の解決にもならないどころか、むしろ人間社会に対してダメージを与えることになるのです。
 例えば温暖化対策としての原子力発電の増設計画です。日本では福島第1原発事故によって、民主党政権で立案された原子力発電増設計画は頓挫しましたが、民主党政権から替わった安倍自民党政権はできるだけ早く原子力発電を再稼働させ、それどころか日本の主力の輸出プラントとして原子力発電を政府が先頭に立って海外へ売り込むという愚かな政策をとっているのです。
 国連気候変動枠組条約締約国会議(COP19)を利用して、原子力発電の再稼働を早めようとする経産省・自民党政権の目論見を示す記事を紹介しておきます。


 さて、昨日のNHKクローズアップ現代で『連鎖する“異常気象”地球でいま何が』という番組が放映されました。

 番組の冒頭で、1988年6月23日に行われた米国上院のエネルギー委員会の公聴会で気候シミュレーションによって、温室効果の増大と温暖化と異常気象を結びつける人為的CO2地球温暖化仮説を全世界に広める火付け役となった元NASAの研究員であったハンセンが登場しました。彼は今年の猛暑を予言(笑)していたとしています。しかしハンセンの予言が具体的にどんなものであったのかを番組では取り上げませんでした。ただ、地球大気のエネルギーバランスが異常になっているということです。番組の構成としてハンセンを登場させることで権威付けでも狙ったのでしょうか(笑)。
 番組ではこの夏の猛暑について、現象的な説明が行なわれました。概要は既にこのコーナーでも紹介したのと同じで、フィリピン沖の海面水温が少し高く、太平洋高気圧の勢力が強かったこと、そこにチベット高気圧が東に張り出していたことをあげています。
 目新しい言葉として盛んに“テレコネクション”という言葉が使われていました。番組では日本において猛暑をもたらした気圧配置の本質的な原因を、北大西洋西岸の海面水温の上昇によって、亜熱帯ジェット気流の蛇行が生じたことをあげています。この北大西洋西岸の海面水温の上昇が遠く離れた日本の猛暑をもたらしたとして、これをテレコネクションという言葉で表したようです(笑)。
 地球の気象現象は地球の表面を覆う一繋がりの大気の中で起こる現象ですから、日本で観測される気象現象は地球大気の全ての現象と繋がっているのは当たり前のことです。仮に、全く空間的に繋がりのない二つの地点が影響しあっているというのならば、これは正に驚くべきことですが、大気で繋がった二つの地点、それも亜熱帯ジェット気流でしっかり結びついた二つの地点の間に関連があるのは当然すぎるくらい当然のことです。気象研究者たちが何を今更テレコネクションなどという言葉を持ち出すのか、よくわかりません。これも素人を煙に巻く虚仮威し(コケオドシ)です。
 また、この番組で原因とした北大西洋西岸の海水温がなぜ今年は上昇したのか?亜熱帯ジェット気流の蛇行と北大西洋西岸の海水温上昇のいずれが原因でいずれが結果なのか?とても原因を解明した内容にはなっていませんでした。
 そしてスタジオにコメンテーターとして登場した東大の木本昌秀は何ら具体的な自然科学的な合理的な説明を行なわないまま、この異常気象が人為的CO2地球温暖化によって発生したのだと断言する始末です。あきれ果てたものです(笑)。

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