核開発に反対する会ニュース2011.5 No.39からの記事を紹介します。
●同時多発原発災害、特に2号機 槌田敦
●低線量被ばく、権利と義務 原田裕史
低線量電離放射線被ばくの健康影響 規制当局者のために ブリュッセル2010 年
発行:美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会
翻訳:ECRR2010翻訳委員会
による掲題のレポートの日本語版が公開されています。ぜひご覧ください。
http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_dl.htm
あるHP読者の方から、『中部電力が浜岡原発を止めることに伴って、火力発電運転のための費用が発生するので料金値上げというのはおかしいのではないか?』という質問を受けました。
この件につきましては、中部電力は今年度の発電所運営計画で予想していなかった火力発電所を運転するために、当初予算では考えていなかったであろう火力発電所の運転のための燃料調達費を中心とする追加経費が急遽生じたのですから、場合によっては赤字を出さないために料金への転嫁が必要なのかもしれません(ただ、これまでの原発によって暴利を貪ってきたのですから、単年度赤字など価格転嫁することに道理があるとは考えませんが・・・。これは身銭を切って対処すべきでしょう。)。
ただし、これはあくまでも当初計画を変更することによって生じた単年度会計における追加費用であって、原子力発電よりも火力発電のほうが高コストであるということではありません。
さて、産業廃棄物等に対するPPP(Polluter-Pays
Principle)=汚染者負担原則をご存知だと思います。PPPは元々OECDが製品価格の世界市場における公正を求めて、OECD加盟各国政府は基本的に製造者=汚染者に財政補助をせず、汚染防止の社会的費用を正当に製品価格に内部化する=汚染者が費用を負担することを求めたものです。日本ではPPPとは一般的に汚染者=企業が、その製品の製造や使用によって考えられる汚染防止処置を講じ、また何らかの汚染が生じた場合には被災者の救済、環境の復元などの費用を負担するという考え方です。
更にOECDでは、PPPではカバーしきれない製品の廃棄やリサイクルについても製造者が責任を負うEPR(Extended
Producer Responsibitily)=拡大生産者責任の考え方を提唱しています。
原子力発電は、PPPやEPRの考え方から最も遠いところにある産業です。原子力発電では発電所以外に莫大な設備が必要であり、発電という製品製造工程で放射性廃棄物という極めて危険な廃物を副産物として生み出します。もしも、PPPやEPRの原則に基づいて原子力発電を行う電力会社に廃炉の処理費や放射性廃棄物の管理費などに責任を持たせることになればその費用はとてつもない額に膨れ上がり、いや現実的には算定不能であり、電気料金はとんでもなく高いものになってしまいます。
そこで、国はPPPやEPRとは逆行する形で廃炉によって発生する莫大な固体放射性廃棄物や使用済み核燃料、高レベル放射性廃棄物の処理・保管などを電力会社の責任から切り離し、莫大な国費を投入する別組織で処理することにし、電力会社の負担を軽減したのです。
さて、脱原発を行うことになれば、電力会社が先送りにしてきた使用済み核燃料の処理費、何も生み出さない用済みになった原子炉をはじめとする原子力発電所の解体処理費など、本来ならば原子力発電のコストに内部化すべきであった費用が顕在化するために、膨大な追加資金投入が必要になります。
加えて、国が莫大な資金を投入してきた再処理工場などの核燃料サイクル関連の設備は全て不良資産化し、更に電力会社から引き取る膨大な使用済み核燃料や放射性廃棄物処理に莫大な追加費用が発生します。
原子力発電を推進する人たちは、脱原発を実現するためには莫大な追加費用が必要になることを脅し文句にするかもしれません。これはお門違いの話です。
本来ならばこの追加費用はこれまで40年以上にわたって販売してきた原子力発電電力のコストに内部化して高い料金を徴収すべきであったのです。国や電力会社は無理を承知でダンピング販売してきたのです。
それでも原発をまだ続けようというのならば、今度はこうしたコストをすべ原子力発電電力の原価に算入し、更にこれまで未回収の廃炉・使用済み核燃料処理費などを加えて価格を設定しなければなりません。そんなべら棒に高い電力料金を国民が認めるでしょうか?
当然のことですが、原子力発電を続ければ続けるだけこうした廃炉や使用済み核燃料処理、放射性廃棄物処理などの費用は更に膨れ上がるだけでなく、われわれの将来世代に対する放射能汚染の危険性を増大させることになるのです。
確かに国民が好んで原子力発電を推進したわけではありませんが、現実問題としては脱原発を実現するためには莫大な費用が発生することは事実です。おそらく電力会社や国の通常の予算内ではとても処理しきれない額になることは明らかです。私たちは、消極的な理由にしろ、国と電力会社にこの愚かな原子力発電を許したという責任があり何らかの形で費用を負担することは避けられません。
脱原発を実現し、将来世代の放射能汚染に対する負担を少しでも減らすことが私たち世代の責任であり、脱原発にはそれだけの覚悟が必要なことを自覚してほしいと思います。
このところ、また福島第一原発に関する気になる情報が続いています。
まず、11日に3号機の海水取水口近くの立坑(ピット)から高濃度の放射性物質を含んだ水が海に流出していることが確認されました。
根本的な漏水箇所の特定と修復が出来るまで、原子炉に大量の冷却水の注入が続く限り高濃度の放射性物質を含む漏水が続くことになるのは当然です。今回も応急措置として立坑をコンクリートで固めたようですが、いずれまた別の場所から漏水することになるでしょう。
更に本日昼の情報によると、1号機圧力容器の水深が極端に下がっており、核燃料はほとんど崩壊しているのではないかというとんでもない情報が入ってきました。
asahi.com
圧力容器、大量水漏れ 福島第一1号機、燃料大半溶融か
2011年5月12日12時9分
図:福島第一原発1号機の圧力容器の状態拡大福島第一原発1号機の圧力容器の状態
東京電力は12日、東日本大震災で爆発事故を起こした福島第一原発1号機の原子炉圧力容器に、燃料を冷やすために入れている水が容器の5分の1以下しかたまっていないことを明らかにした。燃料が溶けて底の方にたまり、圧力容器の底に穴が開いて水が漏れているらしい。燃料損傷は東電のこれまでの想定以上に進んでいるとみられる。
東電は圧力容器の水位計を修理、改めて測定したところ、値が出なかった。測定限界である原子炉底部から約4メートルの位置より下に水位があることを意味する。圧力容器は高さ20メートルで容積360立方メートル。現在は毎時8トンのペースで、これまで1万358トン以上注水したが、容器の5分の1以下しかたまっていない計算だ。
東電によると、水は格納容器に漏れ出ているとみられる。溶けた燃料が圧力容器の底に落下、その熱で、制御棒を動かす棒を入れる管の溶接部などに亀裂が入り、圧力容器の底から水が漏れている可能性がある。
1号機では、原子炉を安定的に冷やすため、圧力容器から水をあふれさせて格納容器を冠水させる作業をしている。圧力容器底部の温度が現在、100度前後で推移していることから、格納容器にある程度水がたまり、冷却が進んでいるものとみられる。
一方、圧力容器の水位からみて、燃料は3.7メートルある全長のうちすべてが露出している計算になる。空だきの状態が続いていることになり、圧力容器内の温度が100度前後と比較的低いことと矛盾する。
東電原子力・立地本部の松本純一本部長代理は「実際には燃料は形状を保っておらず、大半が溶けて底にたまり、底にわずかにたまった水で冷やされていると考えられる。今のところ核燃料が圧力容器の外に漏れているとは考えていない」と話した。
住田健二・大阪大名誉教授(原子力工学)は「水位からみて、核燃料は形をなしていない可能性が推定できる。これまで水位という非常に大切な情報がわからないまま、ひたすら冷やしてきた。原子炉内部の状態がわかるようになり、作戦が立てやすくなるのではないか」と話す。(坪谷英紀、小宮山亮磨)
もし圧力容器の底に核燃料がまとまって崩落しているとすれば、再臨界の危険性が高いのではないでしょうか?極めて危険な状態が続くことになります。果たしてこのような状態で1号機の建屋内で作業を行ってよいものでしょうか・・・。
格納容器等の合計の容積は7千数百m3と言いますが、現実には水は圧力容器・格納容器にほとんど溜まっておらず原子炉に注入された1万358トンの冷却水の内、大部分が格納容器の外へ漏れ出している可能性があります。しかも圧力容器の損傷がかなり進んでいることがわかりましたので、今後さらに核燃料起源の放射性物質に高度に汚染された漏水が周辺環境にあふれ出る可能性が極めて高いと考えるべきでしょう。
核燃料の冷却と同時に、放射性物質の拡散を押さえ込むため、原子炉建屋・タービン建屋を環境から隔離するための面的なバリヤーを構築する、基本的な計画の練り直しが必要だと考えます。これまでのようなピットにコンクリートを詰めるなど、対症療法的に点で一時的に漏水を止めるような方法ではいつまで経っても根本的な解決には至らないと考えます。
最後は福島第一原発周辺住民に対する継続的な健康調査についてです。
この追跡調査は、ぜひ徹底的に行っていただきたいものです。参加6機関の顔ぶれを見ると、必ずしも期待が持てるとは言いがたいのですが、中には誠実な研究者がいることを信じて、出来る限り客観的で精緻なデータを集積されることを期待したいと思います。
ただ、事故初期段階における高濃度の放射性ヨウ素による(内部)被曝については既にデータ収集に失敗しているので、またしても内部被曝についての疫学的な因果関係の立証は不可能でしょう。
菅直人の唐突な浜岡原発運転停止要請を受け、中部電力は昨日、浜岡原発のすべての原子炉の停止を受け入れました。このこと自体は歓迎すべきことであると考えます。
しかし、浜岡原発「だけ」を運転停止すべきだと判断した菅直人の思考過程、ないしその決定には経団連の米倉が「民主党の時代になって分からないのは結論だけぽろっと出てくる。そして思考の過程が全くブラックボックスになっている。」と嘆く(笑)通り、余りにも唐突で論理的な判断とは思えません。この点についてはNo.597でも触れました。
菅の行動を論理的に解釈すれば(笑)、本音はいまだに原発推進であるが、福島第一原発事故を受けた国民の「一時的な」原発に対する反発の盛り上がりを当面やり過ごすために、反原発勢力が槍玉に挙げている浜岡原発を止めることで反対運動の拡大の気勢を殺ぐ目的であることは明らかです。また、浜岡にしてもあくまでも防潮堤が建設されるまでの停止であり、防潮堤完成後は原子炉を再起動できるという確約の下にこれに応じているのです。つまり、福島第一原発の事故の前後において少なくとも菅政権のエネルギー政策は不変なのです。この点をまず確認しておかなければならないでしょう。
さて、では自然科学的に見て今回の浜岡原発だけを停止するという判断が合理的であるかどうかを検討することにします。
菅がその根拠としているデータは、地震調査委員会が作成した「全国地震動予測値図」(2010年版)です。報告書の中から今後30年以内に震度6以上の地震の起きる確率分布を示しておきます。
図から、浜岡原発が最も「確率的」にみて危険な原発であることは間違いない事実です。それだけを見れば、今回の菅の判断は妥当であると考えられるのかもしれません。
以前、このコーナーではNo.166「福岡西方沖地震と自然現象の予測(2005/03/28)」でこの地震発生確率分布図に対して言及しています。その中で次のように述べておきました。
(前略)
今回の地震発生と同じ時期に、日本における将来の地震被害に対する危険度をまとめた地図が公表されました。その中では、皮肉にも先の中越地震、そして今回の福岡県西方沖地震は、今回発表された地図における大規模地震の発生危険度はそれほど高くない地域に位置しています。
これを以って、『こんな地図は役に立たない』、という声が早くも聞こえてきそうです。そう言ってしまうのは簡単で、また正しくもあります。この種の地図や地震予知が可能であることを前提とした地震防災対策は全く無意味であろうと考えます。
(中略)
そこで今回公表された将来の地震発生の危険度を示した地図を有効に利用する方法を考えて見ましょう。まず、発生確率がゼロの地点が日本には存在しないということが重要な結果です。つまり日本国中どこでも地震被害を受ける可能性があるということです。次に、地震が発生する時期は全く予測できないということです。以上2点から、地震防災において、地震予知を防災対策の中に含めることには意味がない、むしろ危険だということです。
(後略)
発表されている確率分布図は、確かに過去の観測データを元に統計的な手法で作成された事実です。しかし、自然現象には必ず例外的な事象が起こる可能性を内包していることを常に意識しなくてはなりません。
私の記憶にある近年の大地震(最大震度6以上)だけを見ても、次のようなものがあります。
●1993年7月12日 北海道南西沖地震
●1995年1月17日 兵庫県南部地震(阪神大震災)
●2000年10月6日 鳥取西部地震
●2004年10月23日 新潟中越地震
●2005年3月20日 福岡西方沖地震
●2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震
これらの発生地点は今回紹介した確率分布図ではみごとに
0〜3%の地域で起こっていることがわかります。特に今回の福島第一原発でさえも今後30年間の震度6以上の発生確率は
0.1〜3%だと評価されていたのです。しかし、現実には1年も経たない時期に今回の巨大地震に見舞われたのです。
つまり、過去の観測データによる統計的・確率的な地震評価とは、あくまでも仮想的・平均的な地震の発生確率を示すものであって、これをもって将来の現実空間で起きる地震の発生を評価するのは余りにも無謀なのです。
仮に昨年の段階でこの確率分布図を用いて原発立地点の安全性を評価したとしても、確かに浜岡原発は停止していたかもしれませんが、福島第一原発を停止する合理性は存在しないのです。
逆に、この確率分布図を以って昨年の段階で福島第一原発を停止するという判断を下したとしたならば=今後30年間の震度6以上の発生確率が
0.1%を越える地域の原発を停止するという判断を下したということですから、玄海原発と島根原発以外の全ての日本の原発を停止しなければ科学的な整合性はないのです。
このHPでは繰り返し述べていますが、通常の構造物では、最悪の場合は崩壊の可能性はあるものの、統計的に見た安全性を確保した=合理的な設計を行うことになります。これは費用対効果から考えて妥当な判断だと考えます。
ところが、原子力発電のように絶対事故を起こしてはならないことを目標とする限り、地球上に絶対の安全性を保障しえる場所、構造など存在しないのです。つまり、絶対事故を起こしてはならない構造物は作ってはならない、というのが科学的な判断なのです。
自然エネルギー導入先進国として日本で称揚される機会の多いドイツの「先進的な」自然エネルギー固定価格買取制度についてのレポートを紹介しようと思います。
ホームページ「e-Square」(エネルギー問題に発言する会 http://www.engy-sqr.com/index.html)の私の意見に「ドイツは間違った:全量固定価格買取制度(フィード・イン・タリフ)は正反対の結果」というレポートが紹介されています。
まず、「エネルギー問題に発言する会」ですが、これは原子力発電の推進を目的にする民間の研究会のようです。設立趣旨として次のように述べています。
設立の趣旨と活動の紹介
私たちの暮らしはもとより国の繁栄にはエネルギーの確保と安定供給は必要不可欠です。特に、エネルギー資源に乏しいわが国にとって、原子力発電は、現在は勿論、将来においても基盤エネルギーとしてなくてならないものです。
この思いを世に積極的に発言して行こうと、原子力を中心にこれまでエネルギー産業や技術開発に従事してきた者が集まり、この会を設立しました。
多くの方々にエネルギー問題を正しく理解し、判断していただくよう、私たちOBの知識と経験で協力したいと考えています。
(後略)
この主張にはまったく賛同できませんが(笑)、今回紹介する自然エネルギー発電に対するレポートはまったく正当なものだと考えています。日本の浅はかな自然エネルギー発電信奉者諸君には、このドイツの経験という事実に論理的に反論することは出来ません。
このドイツの大失敗に終わった自然エネルギー発電電力の固定買取制度も、ドイツにもう少し理論的な検討を出来る政策担当者がいたならば、実施する前に問題が明らかになっていたはずですが、ドイツの環境政党である緑の党もおそらく理念先行の非論理的な政党だったのだと考えます。
しかし、こうした他国の経験があるにもかかわらず、この福島第一原発事故後に不勉強なカッコつき「進歩的知識人」の中に無批判に脱原発=自然エネルギー発電推進という愚かな政策を称揚する大馬鹿者がたくさんいる日本はドイツ以上に愚かな国です。
「e-Square」私の意見より
「ドイツは間違った:全量固定価格買取制度(フィード・イン・タリフ)は正反対の結果」
経済産業省は、福島第一原発事故以後も原子力発電をエネルギー供給の中核とする方針を変えないことを早くも表明し、菅直人も浜岡原発以外は運転停止しないことを明らかにした。結局今のところ国の原子力政策は、福島第一原発事故という特殊・一時的・例外的な事故対応以外は一切方針転換するつもりがないことが明らかである。
一方、日本の中核産業からは、早くも菅の唐突な浜岡原発停止要請への不満が噴出し始めている。菅直人の場当たり的な浜岡原発だけの停止措置にさえ露骨な反発をするトヨタなどのメーカーも出る始末である。一見企業と国の政策は対立しているように見えるが、国としてはこうした企業の反発を本心では歓迎しているはずである。当面、福島第一原発の事故対応の一環として、国民のガス抜きのために浜岡原発をスケープゴートに仕立て上げてはいるものの、出来るだけ原子力政策は変えずに推進したいというのが国・経済産業省の目論見であることは明らかである。
さて、一方ではカッコつきの進歩的な知識人達の中には、原発から自然エネルギー発電への転換を、無責任に主張する愚か者たちが続出しているのは、これまた憂うべきことである。原発推進派と自然エネルギー発電推進派が技術論争すれば、電力供給技術としてみれば原発推進派の主張の方が自然科学的・技術的に合理性があることは明らかである。自然エネルギー発電への非科学的で安易な傾倒は、むしろ原発の延命に利することになることを認識すべきである。
こうした事故の現場を置き去りにした愚かな政治・経済論争が行われる一方で、事故現場では気になる事件が起こっている。
まず、今朝の新聞記事から事故現場の状況を見ておこう。このところ、報道では原子炉や放射性物質で汚染された地下水の状況などについての報告が激減している。しかし、状況が劇的に改善しているわけではない。報道はこれらの状況を継続的にフォローしなければならないはずであるが、飽きやすい彼らは物事の重要性よりも話題性ばかりを追う余り、こうした原子炉情報に興味を示さなくなっている。本当に無能な連中である。
1号機では建屋内の換気作業が行われ、これから冷却システム構築のために作業員が投入されることになるという。ある意味で最も作業が順調に進んでいる1号機に関する報道は、重要性の低い情報である。作業が進んでいない原子炉や冷却プールの状況に関する情報こそ重要なのである。
先週あたりから2号機?、3号機の原子炉圧力容器の温度が急激に上昇するという不気味な変化が現れている。今朝の新聞記事を紹介する。
記事から推定すると、3号機圧力容器の温度上昇の原因は二つの可能性がある。一つは冷却水が原子炉に十分に入らなかったことである。ただ、温度上昇傾向が現れた後に給水量を毎時7トンから毎時9トンに引き上げても上昇傾向が続いているというのは不可解である。
単純に考えれば、原子炉内で核分裂反応が起こらなければ核燃料の崩壊熱は徐々に減少するであろう(核崩壊によって生成した二次的な不安定核の崩壊特性にもよるので確実ではないが・・・)から、給水量が増加して温度が上昇するというのは考えにくい。考えられる原因は、給水量は増やしたものの、有効に原子炉内に入る水量が増えていない可能性である。
もう一つは記事でも述べられているが、燃料が崩れて圧力容器の底にたまり、燃料表面積が減少して水が十分に冷却効果を発揮していない場合であろう。この場合、原子炉の底に核燃料がかなり集積している可能性が高く、既に現在核分裂が始まっているかどうかはともかく、将来的にこの傾向=核燃料が崩壊して圧力容器の底に堆積する傾向が続けば、近い将来制御不能な核分裂反応が起こる可能性は高く、非常に危険な状態であろう。
今、東電はとりあえず手のつけられる1号機の冷却システムの構築に作業を傾注しているようであるが、むしろ2号機、3号機といういまだ非常に不安定な原子炉を安定化させる手立てを模索することのほうが重要なように思える。情報が余りにも少ないので、コメントはこの程度にしておこう。
次にもう一つ気になる記事を紹介しておく。
このコーナーのNo.574「震災・原発事故から1ヶ月で見えてきたもの」で触れた問題が早くも現実になってきた。福島第一原発事故の処理は、今後数十年間にわたる被曝労働によって遂行されることになる。残念ながらこのような事故が起きたからには被曝を前提とした作業に今後おそらく延べ数十万人という単位の作業員が投入されることになる。
こうした状況を明らかにした上で、作業内容の熟知、安全教育の徹底を行い、出来る限り現場作業員の不用意な被曝を避け、できる限り身体への影響を減らす作業工程を考えることが国や東電の責任であろう。特に、若い労働者の採用には何らかの制限措置も必要だと考える。
新聞記事のように、末端労働者を偽りの募集要項で募り、いきなり放射線防護服を着用しなければならない環境での労働に従事させている実態に、国や東電の人命に対する感覚が如実に現れていると考えるのは、私の偏見であろうか?
このHPのリンクサイトの最初に掲載している「巨大風車が日本を傷つけている」を運営していらっしゃる鐸木さんのブログ「日本に巨大風車はいらない」が久々に更新された。震災以来、安否が不明でヤキモキしていたのですが、ブログの更新を確認して、メールを出すことにした。その返信を紹介しておく。
件名:疲れる日々です (2011.5.7 20:53)
たくきです
> > 地震・原発事故以来とても心配しておりました。久々にホームページが更新さ
> >れており、安堵してメールをしているところです。
ご心配いただき恐縮です。
なんとかやっています。
津波で家族や全財産を流されてしまった人たちに比べれば、どうということのない「被
災」なのでしょうが、相手が人間だったり、目に見えない放射性物質だったりするとこ
ろがとても疲れます。
風力発電問題で相当疲弊していたのに、これですからねえ。
> > 原発の事故はいずれ起こるものとは考えていましたが、ここまで破局的な形で
> >起こることは・・・。絶句です。
本当ですね。私は漠然と、自分が生きている間はここまでの破滅的な事故は起きないと
思っていました。それよりも首都圏直下型地震とか、殺人的なウイルスの蔓延とか、そ
ういう破局の可能性を考えていました。
> > 川内村は20km圏内に入るのでしょうか?けして安全な場所とは思えません。当
> >然ご承知とは思いますが、原子炉の情報にはお気をつけください。
はい。2号機がまた温度上昇しているとのこと、心配です。
昨日、1F(第一原発のことを地元の人たちはこう呼びます)で今も働いているという
26歳の青年と立ち話をしました。
下請けで入っていて、6勤4休と言っていました。事故後、給料が上がったが、将来、責
任が持てないので、恋人との結婚は諦めた、と言っていました。
今の若い世代がなぜこうも淡々と人生を捨ててしまうような生き方を選ぶのか、不思議
です。時代の空気が完全に終末感に包まれているんでしょうか。
> > 蛇足ですが、私は九州工大卒ですが、立派な教師もいたのだと多少母校を見直
> >しました。『原発事故──その時あなたはどうするか!?』(日本科学者会議福岡支
> >部核問題研究委員会・編、1989年、合同出版)は卒業後の出版なのでこれまで知
> >りませんでした。
あれは全ページ印刷して冊子にして手元に置いてあります。
実によく書けていますよね。
ここ数日、村内のあちこちを回って線量計測や土壌サンプル採取をしています。
行政が動かないので、個人でやっていくしかない、と、村に戻ってきた人たちはみんな
覚悟を決めて動き始めています。
それにしても疲れる日々です。
淡々とした文章ですが、最後の「それにしても疲れる日々です。」がすべてを物語っている。26歳の若者が結婚をあきらめて被爆労働に従事するというのが原発労働の実態なのだ。このような過ちを二度と起こさないことが私たちの世代の責任だと考える。
メールの中に登場している『原発事故──その時あなたはどうするか!?』は全文が公開されていますので、ぜひ多くの皆さんにも読んでいただきたい。
鐸木さんはブログで現地での震災と原発事故の状況を紹介していますので、これも新たにリンクサイトに登録していますので、ぜひご覧いただきたい。
昨夜、菅直人は唐突に浜岡原発の停止を中部電力に要請したことを記者会見で明らかにしました。その理由は主に次の2点です。
@福島第一原発事故を受けて、浜岡原発の地震ないし津波に対する安全対策が現状では十分ではない。
A浜岡原発が東海地震の想定震源域の中にあり、30年以内にM8.0クラスの地震の発生確率が87%と際立って高いこと。
大分合同新聞2011年5月7日朝刊
今回の要請について菅は「国民の安全、安心を考えた結果の判断」だとしています。
勿論、浜岡原発が運転され続けるよりも停止されるほうが良いことには議論の余地はありません。ただ、この唐突な菅の対応には額面どおりの説明とは裏腹に、政治的な判断が最優先されたと考えるべきでしょう。彼の原子力への対応はまったく論理的な一貫性がなく、果たして実効性のあるものになるのか、現段階では極めて不透明と言わざるを得ません。
むしろ、菅民主党政権の福島第一原発事故に対する住民の安全性を無視し続ける対応と、事故対応に瑕疵はなかったと強弁する主張との論理的な整合性を考えれば、今回の浜岡原発停止要請は、菅民主党政権の福島第一原発事故対応に対する批判を逸らし、政局を有利にするための単なるスタンドプレーと見ることが妥当でしょう。
菅政権としては、2年程度?(これは、防潮堤建設期間に対応するようです)を目処に、ほとぼりが冷めれば浜岡原発は再稼動するということを前提とした停止要請なのです。
私は、確かに福島第一原発が重大事故を起こしたということは、日本の原子力発電史上で正に画期的な出来事であったと思います。しかしながら、事故が起こったから原発を止めようという主張は、容易に福島第一原発のような重大事故さえ起こさなければ原発は使い続けようという主張に転化する可能性が高く、有効ではないと考えています。具体的には、今回の福島第一原発事故の原因を、原子力発電所建設の設計条件の妥当性の議論に矮小化してはならないと考えるのです。
今回の地震と津波を想定外であったとする東電の主張は、ある意味正当なものであろうと考えます。これに対して、今回程度の地震や津波は当然想定して安全性を確保すべきであった、という主張で対抗するのは、相対的な違いであって、絶対的な違いではありません。もし東電が、「それでは、次に新設する原発はあなた方の納得する設計条件で作ることにします。」といった場合に、これを止める合理性が担保できないからです。
このHPでは何度も言ってきましたが、土木構造屋の立場で言えば、構造物の設計とは、過去の観測データに基づいた統計的な情報から、構造物の重要性に応じた期間を設定して、その中で平均的に起こりうるであろう最大のリスクに対して安全性を確保した構造物を作ることであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
こうして設計された構造物は耐用期間中に絶対壊れないことを保障するものではない、むしろ絶対の安全など保証し得ないことが前提といってもよいのです。耐用期間の絶対の安全性を保障せよといわれれば、事実上設計など出来ないのです。なぜか?
まず一つには、想定した以上の自然現象が起こる確率は決してゼロではないので、可能性として設計条件を上回る過酷な条件が起こりうるのです。第二に、条件が想定範囲内であったとしても、設計時に想定した以外の破壊モードによる事故の発生も完全には防げないのです。人間の技術や能力には限界があるので、すべてを網羅できると考えるのは思い上がりです。第三に、必ず施工ミスや構造の欠陥は付き物であり、これも完全になくすことは不可能です。
構造物に絶対の安全を要求することは正にバベルの塔を実現せよというのと同じであり、理想ではありますが、見果てぬ夢なのです。
つまり、構造物である原子力発電所に対して自然現象に対して100%の安全性を求めることは不可能なのです。それ故、設計条件に対して想定外であるとか想定内という議論はもはや意味を持ちません。「原子力発電は自然災害によって壊れる可能性はゼロではない」というのが最も科学的な結論なのです。一方、人間社会では原子力発電という危険物を内包するシステムには重大事故を起こしてはならないという要求があります。この矛盾した問題を解決する方法は明らかです。原子力発電所を作らなければよいのです。
さて、現実の問題に戻りましょう。日本は4つのプレートがぶつかり合うところに位置しており、至る所に活断層があります。日本ではいつどこで巨大地震が発生してもおかしくはないのです。勿論最も危険性が高いと予測され、人口密集地に比較的近い浜岡原発を緊急に停止させるという判断は間違いではないでしょう。しかし、そのほかの原子力発電所はお構いなしで運転を続けるというのは論理的な整合性はありません。可及的速やかにすべての原子力発電所を停止し、廃炉にすることが将来的なリスクを最も小さくする最善の方法であり、そのほかに選択肢はありません。
今回の菅直人の浜岡原発停止の要請はおそらく政治的な意図に基づくものでしょうが、私たちはこの機を最大限に利用して、まずは浜岡原発の廃炉を目指し、脱原発を全国に広げていく契機にしたいものです。
2回にわたって太陽光発電を中心に自然エネルギー発電の特性について検討してきました。制御不能な不規則変動する自然エネルギー発電は、発電システムそのものの機能としては原子力発電よりもはるかに劣る劣悪な発電装置であることがわかりました。これを大規模に電力供給システムに「敢えて」導入する場合には、何らかの巨大なバッファー=蓄電装置および制御機能を追加して出力を制御しなければ運用できないことがわかりました。
「自然エネルギー発電+蓄電・制御システム」=自然エネルギー発電システムのコストは、おそらく石油火力発電の10倍以上となり、単位発電電力量当たりの石油消費量は石油火力発電の数倍に達することは避けようがありません。このような非効率的でレア・アースなどの希少資源を含む有用資源を大量に浪費する発電システムで石油火力発電システムを代替することには何の科学的な合理性も存在しません。
ではなぜ今、自然エネルギー発電の導入に政府や企業は熱心なのでしょうか?それは電力生産図を見れば一目でわかります。前回示した太陽光発電システムの電力生産図を再掲しておきます。
石油火力発電を太陽光発電システムで代替する場合には、石油火力発電の
22円/6.8円=3.24倍の石油を消費し、88円/3.2円=27.5倍の工業生産品が必要になるのです。これによって発電施設の製造・建設の市場規模が27.5倍に膨れ上がるだけでなく、実は石油消費も3.24倍に膨れ上がるため、石油元売各社にとっても自然エネルギー発電の導入は市場の拡大になるのです。何のことはありません。結局自然エネルギー発電も原子力発電と同様に企業利益を膨らませる効果があるからこそ国や企業によって推進されているのです。
ここでただ一つ問題になるのが膨れ上がった電力供給費用を誰に支払わせるか、という問題です。これは言うまでもなく電力消費者である国民からの電気料金、あるいは税金で支払われるのです。
通常の市場であれば価格競争によって非効率的な自然エネルギー発電が普及することはありません。そこで、国は設置者に対する財政補助(税金の投入)を行い発電電力を高値で電力会社に買い取らせ(電気料金の値上げ)ることにするのです。そしてこうした措置を国民に納得させるための嘘が「原子力安全神話」に代わる「自然エネルギーは石油を消費せずCO2を削減する」という新たな神話なのです。
某情報関連産業の社長が自然エネルギー普及のための財団の設立を主張していることを高く評価する愚かなカッコつきの「知識人」が少なくないようです。
某氏の会社は電気・情報・通信産業の浪費を食い物にして暴利を稼ぎ出している会社です。このような会社の社長が本気で省エネルギー社会やつつましい社会を構想することはありません。某氏の狙いは、新参者の彼の会社ではさすがに巨大なハードウェアを要する重厚長大な国家ぐるみの原子力ビジネスには参入は難しいけれども、太陽光発電など個人レベルの分散した発電ビジネスには十分食い込める可能性があり、しかも分散型エネルギー発電と抱き合わせで導入が考えられている「スマートグリッド」が彼の本業の情報通信ビジネスの利益拡大に直結すると考えているからです。この彼の態度は企業経営者として当然でしょう。
某氏の行動に対して、人間社会にとってすばらしい自然エネルギー発電の導入を主張する某氏は大変すばらしい、などという頓珍漢の評価しか出来ない日本の思想状況を憂うのみです。
以上、12回にわたって原子力発電、そして同じ構造を持つ自然エネルギー発電から脱することこそ自然科学的な必然であることを述べてきました。脱原発は当然として、拙速な原子力代替としての自然エネルギー発電導入に走る前に、願わくば、自然エネルギー発電の自然科学的な検討を行うことを切望します。
前回は自然エネルギー発電の例として太陽光発電について紹介しました。前回は太陽光発電電力について、その絶対量についてだけ評価してきました。しかし、社会を支えるエネルギーとしての電力には高い質が要求されます。高い質とは、需要に対して過不足なく電力を供給することです。そのためには、出力を完全に制御できることが必要です。
電力供給のためのエネルギー源として自然エネルギーが持つ致命的な欠陥とは、発電量が予測不能で制御不可能だという点です。現在の自然エネルギー発電を巡る論議でこの問題があまりにも軽視されています。
実際の自然エネルギー発電の発電特性はどのようなものかを以下に示します。
左が晴天時の太陽光発電出力であり、右が風力発電の出力例です。太陽光発電では天候によっても大きく出力が変動します。風力発電は、太陽光発電以上に短い周期で激しく出力が変動することがわかります。いずれもこの不安定な出力のまま高品位の送電線網に接続して効果的に運用することは難しいと考えられます。
現在、戸建て住宅用の太陽光発電システムは通常の送電線網に系統連携して運用されています。家庭内で余った電力は、形式的には売電メーターを通して送電線網に逆流して電力を供給しているように見えます。しかし実際には太陽光発電のような不安定な電力を当てにすることは出来ませんから、電力会社は太陽光発電電力を無視して発電を行います。太陽光発電から送電線網に逆流した余分な電力は送電線網の中で熱化して消えてしまうだけです。太陽光発電電力は余りにも量が少ないため、無視しても送電線網全体にそれほど大きな悪影響は与えません。
風力発電の場合には少し事情が異なります。最近の大型風力発電装置では1基で1MWクラスのものもあります。そのため、送電線網に与える影響を無視することは出来ません。そこで、風力発電が集中している地域では既に送電線網の系統連携では処理しきれない悪影響が生じる可能性が出てきたため、電力会社は風力発電事業者に対して電力品質の低下が考えられる場合には、解列、つまり送電線網から風力発電を切り離すことを要求しているのが実態です。
そのため、風力発電ではかなり以前から蓄電装置との併用による出力の平滑化の検討が行われています。シミュレーションの一例を下の図に示します。
図からわかるように、蓄電装置との併用で高周波成分が均されて比較的滑らかな出力変動になっていることがわかります。しかし、発電出力が制御不能であること、直近の未来の出力がどのように変化するかを的確に予測することが出来ないという本質的な問題は回避できないことに変わりありません。
風力発電用の蓄電池のデータを表に示します。価格を見ると、43〜76万円/kWとかなり高価です。
菅民主党政権は太陽光発電を政策的に導入するために、同時に戸建て住宅用の蓄電装置の導入と「スマートグリッド」の導入を考えています。これは前に紹介した風力発電に対する蓄電池併用による出力平滑化を太陽光発電にも導入しようとするものです。風力発電でも述べたように蓄電池とスマートグリッドを導入したところで、太陽光発電の出力が制御不能であり、未来の発電量が予測できないという問題は避けようがないのです。
今回の大震災で、電力不足対応ということで戸建て住宅用の蓄電装置が前倒しで販売され始めたことをNo.579「原発事故を商売の種とは・・・」で紹介しました。記事で紹介したエリーパワーは2kWh蓄電装置を100万円台前半で販売するとしています。概ね60万円/kWh程度というところでしょうか。
現在戸建て住宅用太陽電池パネルと同時に導入しようとしている蓄電装置は150万円程度といいますから、容量は2〜3kWhという規模だと推定されます。ただし、蓄電装置の寿命は一般的にそれほど長くなく、太陽光発電パネルの標準的な耐用期間17年間の内には1回更新することが必要になるでしょう。
戸建て用3kW太陽光発電パネルを蓄電池と併用して17年間運用する場合のコストは次の通りです。
260万円+150万円×2=560万円
耐用期間中の総発電量は 51000kWhなので、蓄電池併用の太陽光発電の電力原価は次の通りです。
560万円÷51000kWh=110円/kWh
途方もなく高価な電力です。この数値を元に電力生産図を訂正すると以下の通りです。
太陽光発電に蓄電装置を併用すると、発電原価は2倍以上になります。この場合、単位発電電力量当たり太陽光発電は石油火力発電の 22円/6.8円=3.24倍の石油を消費することになります。「スマートグリッド」という情報通信網を付加すれば更に発電原価は上昇します。
ここで特に注意してほしいのは、不規則変動をする自然エネルギー発電電力を平滑化するための蓄電装置を追加するためのエネルギー・コスト、ここで示した太陽光発電の場合では蓄電池150万円×2=300万円だけで1kWh当たり石油換算で
60円/kWh×20%=12円/kWh
の追加費用が発生するのです。蓄電装置を追加するためのエネルギー・コストだけで石油火力発電の総エネルギー・コストである6.8円/kWhを大きく上回るのです。つまり、どのように低発電コストの自然エネルギー発電であったとしても、発電出力が不規則変動をする限り、単位発電電力量当たりの総エネルギー・コストが石油火力発電よりも安くなることは絶対にあり得ない=石油消費を減らすことは出来ないということです。
(続く)
1.太陽光発電の効率
太陽光発電パネルの太陽放射から電気への変換効率は標準条件(放射強度1000W/u、太陽光発電パネル温度25℃、エア・マス1.5)の下で現在20%程度を実現しています。
物体は、温度によって電磁波を放射しています。表面温度25℃=298Kの物体は赤外線を放射し、そのエネルギー密度は黒体に対するステファン・ボルツマンの法則によって、次のように推定できます。
σT4=5.67×10-8×2984=447W/u
今、1000W/uの太陽放射を受ける25℃の太陽光発電パネルの理想的な発電効率ηはエネルギー保存則から次のように算定されます。
η=(1000W/u−447W/u)/1000W/u=55.3%
現在の実効発電効率は20%程度ですから、さらに改良の余地があるように見えます。
しかし、これはあくまでも実験室的な環境下における値であって、実際の屋外の大気にさらされた自然環境下で太陽光発電パネルを運用する場合はまったく条件が異なります。
太陽放射強度1000W/uとは夏場の真昼の太陽光に相当します。このような炎天下に物を放置すれば非常に高温になることは当然です。太陽光発電パネルの表面温度は60〜65℃にも達します。T=65℃=338Kの場合の太陽光発電パネル表面からの赤外線放射強度は次のように算定されます。
5.67×10-8×3384=740W/u
更に、大気にさらされた太陽光発電パネルの表面には細かい塵などに覆われるため、太陽放射は10%程度低減します。これらを考慮すると、屋外における最大発電能力は次のように算定されます。
1000W/u×(1.0−0.1)−740W/u=160W/u
つまり屋外環境における発電効率の上限は16%程度ということになります。現在の太陽光発電パネルの屋外の実績では概ね10%程度の変換効率を達成していますので、技術改良による変換効率の改善幅はほとんどないと考えられます。
2.太陽光発電パネルの発電能力の実績
日本で運用されている太陽光発電パネルの運用実績では、発電能力は100kWh/(u年)程度と言われています。現在最も普及している戸建て住宅用3kW太陽光発電システムの有効受光面積を30u程度、その価格を260万円としておきます。
この太陽光発電パネルの耐用年数を標準的な17年だとすると、運用期間中の総発電電力量は次の通りです。
100kWh/(u年)×30u×17年=51000kWh
この戸建て住宅用3kW太陽光発電システムによる電力の単価は次の通りです。
2600000円÷51000kWh=50.98円/kWh
参考に資源エネルギー庁による推定値を次の表に示します。ここでの推定値はほぼ妥当なものだと考えられなす。
3.太陽光発電の石油使用量の推定
太陽光発電のエネルギー・コストはかなり前から推定されています。少し古いデータですが、室田武の研究によると「・・・ただし、太陽電池による太陽光発電のような技術について、設備の製造・維持に要する貨幣コストの概略は知られているから、そのデータを頼りにしてエネルギー・コストを推定してみると、いちおう妥当と思われる耐用年数の仮定のもとで、電力産出一単位あたりの石炭・石油エネルギー投入量は、太陽光発電のほうが火力発電より、少なくとも三倍程度高い。」(室田武著「新版
原子力の経済学」日本評論社、1986年)と述べています。
ここでも、前節で導いた経済コストを頼りに太陽光発電のエネルギー・コストの算定を試みることにします。算定の前提条件を以下に示します。
太陽光発電について
●太陽光発電の発電効率 10%
●電力原価 50円/kWh
石油火力発電について
●石油火力発電の発電効率 40%
●石油火力発電の発電原価に占める燃料費の割合 60%
●電力原価 10円/kWh
共通の仮定
●燃料石油価格 25円/リットル
●燃料石油エネルギー量 9Mcal/リットル=37.8MJ/リットル=10.5kWh/リットル
●発電施設建設・運用コストの内のエネルギー費の割合 20%
以上の条件で計算した電力生産図を次に示します。
電力生産図の左から右への流れが電力の原料から製品である電力への流れを示します。石油火力発電では発電の効率は40%ですから、1kWhの電力を生産するために投入される石油は2.5kWhになります。つまり電力1kWh当たりの燃料石油価格は次の通りです。
25円/リットル×2.5kWh÷10.5kWh/リットル=6円
電力生産図の縦方向の流れは、燃料費以外のコスト、つまり発電施設の建設・運用に投入されるエネルギーや資源の量を示し、これを耐用期間で均等に償却するとした場合の発電量1kWh当たりの費用を示します。発電設備建設・運用コストは10円−6円=4円になります。この内20%が発電施設建設・運用にかかわるエネルギー・コストになり4円×20%=0.8円になります。以上を合計すると、石油火力発電の電力1kWh当たりに投入される石油換算の総エネルギー費用は6.8円/kWhになります。
太陽光発電では電力の原料は太陽光という自由財なので経済コストは0です。よって、電力の経済コストはすべて発電設備建設・運用にかかわるコストになります。太陽光発電の電力1kWh当たりに投入される石油換算の総エネルギー費用は
50円/kWh×20%=10円/kWhになります。
以上の検討から、単位発電電力量当たり、太陽光発電は火力発電の
10/6.8=1.47倍の石油を消費するのです。
更に注意すべきことは、単位発電電力量当たり太陽光発電は火力発電の4.17/1.83=2.28倍の廃熱を環境中に放出するのです。また、耐用期間経過後には経済価値で40/3.2=12.5倍の固体廃棄物が生じることになります。
このように、太陽光発電という資源・エネルギー浪費的な低効率の発電装置を利用するためには、電力の原料としての燃料は0であるにもかかわらず、石油火力発電の約1.5倍の石油を消費し、2.28倍の廃熱を放出し、12.5倍の固体廃棄物を作り出す、極めて環境破壊的な発電システムなのです。
(続く)
さて、これまでの議論から、原子力発電という技術がまったく科学的な合理性のないものであることを理解いただけたのではないかと考えます。つまり、原子力発電の表向きの導入理由
―― 安くて安定、しかもクリーンな発電方式というのは建前にすぎず、本当の目的=核武装準備を国民に隠蔽して原子炉の導入を正当化してきたのです。
今回の震災による福島第一原発事故によって図らずも原子力発電の隠蔽されてきた実態の一部が垣間見えてきたことによって、やっとこの事実に気づき始めた国民世論は少し脱原発というものに現実性を感じ始めたのではないでしょうか。
しかし、脱原発を目指すためには代替エネルギーが必要であるという、今度は原子力利権に代わる新たな利権に群がる勢力が早くも蠢きはじめています。
例えば、かつて脱原発運動であった市民運動がいつしかNPO法人格の取得と引き換えに体制に取り込まれ、風力発電や太陽光発電の導入促進運動に変質してきた実態をいくらでも見つけることが出来ます。
これは、残念ながら反原発運動が感情的・情緒的な非科学的な市民運動であったことと大きく関係しています。これまで見てきたように、原子力発電を自然科学的に冷静に検討すればとても発電装置として利用できるような代物ではありません。同様に太陽光発電や風力発電という自然エネルギー利用による発電装置は極めて不安定でとても使い物にならないことは明白です。
福島第一原発事故後、無能なカッコつきの『進歩的知識人』の多くが原発憎しで自然エネルギー発電を導入すべきだという愚かな主張をし始めています。
ここでは原発の停止に対する代替エネルギーとして注目され始めている自然エネルギー発電導入に科学的な合理性がないことを示すことにします。
まず、日本の一次エネルギーの動向を示すことにします。
日本のエネルギー消費は第二次世界大戦後に急激に増加し始めました。特に1960年代から1970年代のオイルショックまでの期間に急激に増加しました。その大部分が石油消費の拡大によることがわかります。
現在の一次エネルギーの構成はやはり40%以上が石油であり、次いで石炭、天然ガスが続いています。原子力は増えたといっても一次エネルギーに占める割合はわずかに10%を少し超える程度にすぎないのです。蛇足ですが、この程度のエネルギーなら、その気になればいつでも削減することは可能です。
さて、これに対して近年鳴り物入りで導入が進められてきた風力発電や太陽光発電などの自然エネルギーですが、これは図の「その他」の中の一部にすぎず、おそらく1%にも満たないのです。
次に、日本の最終エネルギー消費の動向を次に示します。
図からわかるように、最終エネルギーに占める電力の割合は20%程度にすぎません。たとえ現状の電力をすべて炭化水素燃料による火力発電以外で代替したとしても、最終エネルギーの60%程度は相変わらず石油に支えられているのです(次回に詳細に説明しますが、実際には自然エネルギー発電を増やせば増やすほど炭化水素燃料の消費は増大します。)。
本当の意味で社会システム全体の脱石油(炭化水素燃料)エネルギーを目指すのであるのならば、基本的に次の二つの必要条件を満足しなければなりません。
@社会を構成するシステムすべてを電気で駆動できるものにすること。
Aすべての鉱工業生産システムを駆動するために一切石油燃料を使用しないこと。
現在言われている石油代替など、単に発電システムの非炭化水素燃料化にすぎず、脱石油ということの意味をまったく理解していない近視眼的なものです。
さて、はじめに示した一次エネルギー供給とここに示した最終エネルギー消費の総量を比較してみます。例えば2004年度では一次エネルギー供給は23,057PJ(ペタ・ジュール=1015J)、最終エネルギー消費は16,024PJです。この差はいったい何に起因するのでしょうか?
この差は上図に示すエネルギー転換に伴う転換損失によって失われているのです。エネルギー転換部門の転換損失で注目すべきは一次エネルギーからの電力への転換損失の大きさが際立っていることです。
No.589「そのE 原子力発電は最も低効率な汽力発電」で触れたように、発電という操作は莫大なエネルギー損失を生むプロセスです。効率の高い炭化水素燃料による火力発電でも、平均的な発電効率は40%程度であり、低効率な原子力発電の平均的な発電効率は30%程度なのです。
資源エネルギー庁の2004年の統計値から総合的な一般電気事業の発電効率を算定することにします。図から、発電過程に投入された一次エネルギー量は8,312PJであり、これによって生み出された電力量は3,363PJです。発電効率は次の通りです。
3,363PJ/8,312PJ=40%
この発電過程で(8,312PJ−3,363PJ)= 4,982PJ
が廃熱として消え去ってしまったのです。エネルギー転換部門における損失の合計は6,871PJですから、発電過程で全損失の
4,982PJ/6,871PJ = 73% を占めているのです。
以上の検討からわかるように、電力は最終エネルギー消費量として高々20%程度を占めるのにすぎないのですが、エネルギー転換部門での損失の73%を占めるのです。つまり、電力を使えば使うほど最終エネルギー消費で同じ効果を得るためにそれだけ一次エネルギー供給量は増大することになるのです。
これは当然のことです。例えば家庭でお湯を沸かす場合、ガス湯沸かし器を用いる場合、その熱効率は90%を超えています。つまり、1単位の熱をガス湯沸かし器に投入すれば、0.9単位の熱が湯を沸かすために有効に使われることになります。
これに対して、オール電化の電気熱温水器であれば、火力発電所で1単位の熱を投入することで、0.4単位の電力を得ます。これを家庭まで電線で送り、電熱器で熱に変換する場合、湯を沸かすために有効に使われる熱量は0.3単位程度になります。つまり、電気熱温水器はガス湯沸かし器の3倍の一次エネルギーを消費することになるのです。
以上の簡単な検討からもわかるように、電気エネルギー以外で実現できる機能を敢えて電気エネルギーで実現することによって、社会全体の総合的なエネルギー効率は著しく低下するのです。
次に、一次エネルギーの中で発電過程に投入されるエネルギー量=電力化率の変化を示します。
2000年以降、日本の一次エネルギー消費はほとんど横ばいになっています。現在の電力化率は概ね40%程度です。これまで検討してきたように、最終エネルギー消費における1単位の電気エネルギーを減らすことによって、一次エネルギー供給量は2.5(≒8,312PJ/3,363PJ)単位減らすことが出来るのです。
社会全体の総合的なエネルギー効率を高めるためには、出来る限り電力に頼らない社会システムを作り上げることなのです。
(2011.05.21追記)
ここで簡単なモデル計算をしてみます。
現在の一次エネルギーの内訳を一番上のグラフであらわせるものとします。最終エネルギーの比率は、電力用以外の一次エネルギーの転換損失は小さいので無視しています。
最終エネルギーとして電力によって賄われている2単位の半分を電気以外のエネルギーで置き換えることが出来るとします(例えば、オール電化によって導入された電気温水器など、電気の低温熱源としての利用です。)。この置き換えによる一次エネルギー量の変化を一番下の図に示します。
電力用以外の一次エネルギー量は8単位から9単位に増加します。その代わり最終エネルギーの電力が1単位減少するので電力用の一次エネルギーは2.5単位減少します。その結果、合計で一次エネルギー量は1.5単位減少することになります。
具体的に2004年度の数値を当てはめてみましょう。電力消費は3,363PJでしたから、これを2単位とすると1単位=1,682PJです。したがって、最終エネルギーの電力量を半分にすることによって、
1,682×1.5=2,523PJ
だけ一次エネルギー量を減らせるのです。これは一次エネルギー全体の
2,523PJ÷23,057PJ≒11%
に当たり、これによって原子力発電(2,688PJ)をほぼ全廃することが出来るのです。
このように、暴利を貪ってきた電力会社による『オール電化』キャンペーンによって、日本の社会的なエネルギー効率が著しく悪化しているのです。また、温暖化対策として注目されている電気自動車の普及促進も最終エネルギー形態の電力化の促進ですから、本質的に日本社会のエネルギー効率を更に著しく悪化させることになることは説明の余地はありません。
(続く)
報道によるとビン・ラディン氏が米特殊部隊によって殺害されたという。この報道を受けた米国民、若者を中心とする群衆が日曜の夜中というのにホワイト・ハウス前で大騒ぎする姿が・・・。なんとおぞましく野蛮な国なのであろうか。このような行動を肯定的に報道する日本のメディアは更に狂っているように思う。
思えば9.11を利用してアフガニスタン、イラクという二つの国家が濡れ衣を着せられたまま体制を破壊され、多くの国民が米国を中心とする西欧の国家連合の軍隊によって劣化ウラン弾を打ち込まれ、無人爆撃機で爆撃され殺害された。日本政府はこの誤った戦争に加担したにもかかわらずいまだに何の反省の説明もない。不条理な世界である。
1.巨大自然災害と社会の対応
土木構造物を設計する場合、対象となる設計条件とは正に自然現象そのものといってよいでしょう。構造物に求められる寿命とその間に考えうる最も過酷な自然条件を想定して設計条件を設定して構造物を設計することになります。この場合、考えうる最も過酷な自然条件とは、過去の自然現象の観測データから構造物に求められる寿命を再現期間の上限とする最大の現象ということになります。
例えば、ある構造物の耐用年数を50年間とすれば過去の観測データの統計から、平均的に見て50年に1度くらいに発生する大雨、台風、豪雪、地震・・・を対象としてそれに十分耐えうる構造物を設計することになります。現実問題として、何らかの設計条件を定めなくては設計は出来ませんから、こうした統計的な手法を用いることは妥当であろうと考えていますし、それ以外に合理的な手法はありません。
しかし、注意しなくてはならないのは、過去の観測データを平均的に取り扱う統計的な手法を用いる限り、現実の世界では必ず例外が起こりうるのです。もしかすると明日にでも千年に一度の規模の巨大地震が発生してもおかしくはないのです。しかし、それは科学技術の限界であり仕方のないことですから、甘受するしかありません。
ただ、これまで特に日本では耐用期間中は絶対安全であるという誤った説明が行われてきていることは大きな問題だと考えています。この誤った説明や認識から、大きな自然災害、例えば兵庫県南部地震(阪神大震災)や東北地方太平洋沖地震が起きるたびに設計条件を見直す動きが起こります。
設計条件を見直すこと自体は否定はしませんが、いくら基準を厳しくしたとしても、それによって自然災害よって土木構造物が絶対壊れなくなるということは保障できないことを理解しておかなければなりません。いくら15m規模の津波に耐えられたとしても、それを超える津波が来ないという保障はどこにもないのです。15mを超える津波が襲ってきた場合には甚大な被害が生じることになります。このように、ハードな対応によって自然災害を完全に回避することは現実的には不可能なのです。
人間のライフサイクルはせいぜい50〜100年程度です。これに対して自然災害、それも今回の東北地方太平洋沖地震のような巨大地震などの大災害の発生するサイクルは数百年〜数千年あるいはそれ以上かもしれません。更に数万年の期間で見れば今回の地震さえありふれたものかもしれません。しかも、1万年に一度の巨大自然災害が明日起こったとしても不思議ではありません。
このような、人間のライフサイクルに比較して著しく長い周期で発生するような極めて稀な巨大な自然現象に対する備えを人間の社会システムに内部化して対応することはどのように資源と金をつぎ込んだとしても技術的に不可能なことを理解しなければなりません。
2.原子力利用技術のタイムスパン
原子力発電は、発電施設の耐用期間として40年程度を想定しています。ところが、原子力発電の操業中に生み出される高レベル放射性廃棄物の保管期間ははるかに長い年月になります。
図からわかるように、高レベル放射性廃棄物の放射能の減衰には非常に長い期間が必要になります。発電停止後に取り出した使用済み核燃料は高い放射能レベルを持っている=盛んに発熱するため、冷却プールで水冷で冷やし続けられます。その後、現在の国や電力会社の計画では使用済み核燃料を再処理して、取り除いた核分裂生成物をガラス固化体にして、数十年間冷却しながら保管し、その後にNUMOが盛んに宣伝しているように地下埋設処分で1000年程度管理するという筋書きになっています。
しかし、図からわかるように、1000年程度では高レベル放射性廃棄物の残留放射能レベルはウラン燃料の100倍のオーダー程度にまでしか減衰しません。ウラン燃料と同程度にまで減衰するには1万年オーダーの時間が必要になることがわかります。
このように、わずか40年程度の運用期間に私たちの世代が少しの電力を得ることによって、数千年〜数万年もの期間にわたって人体に悪影響を及ぼす放射性廃棄物の管理を続けなくてはならなくなるのです。
しかしながら、数千年〜数万年の期間において環境から放射性廃棄物を隔離し続けるような構造物を作ることは現実的には不可能です。NUMOは地下数100mのところにガラス固化体を埋設処分しているとしていますが、日本のようないたるところに活断層の走るような場所では必ず埋設施設は破綻し、地下水を汚染することになると考えるべきでしょう。
また、人間の社会的な記憶もあいまいなものです。1000年先の私たちの子孫が忘れ去ったころに地下水を放射能で汚染して影響が広がることになるのかもしれません。
私たち人間に利用が許される技術とは、基本的に人間のライフサイクルで完結できる程度のタイムスパンに収まるものでなければならないでしょう。
3.人間のライフサイクルを超える現象にどう対処すべきか?
以上、人間のライフサイクルを超えるような現象の二つの例を考えてきました。いずれの場合もその解決の方策を人間社会の中に内部化して完全に克服することは不可能です。しかし、この二つの問題に対処する方法は根本的に異なります。
まず、巨大地震をはじめとする天変地異に対する対処方法を考えます。この種の自然現象はその発生を予測することも発生を止めることもできません。今回の東北地方太平洋沖地震については、この時期にこれほどの規模の巨大地震が起こることは正に想定外であったのかもしれません。しかし、東北地方太平洋沖地震よりも更に巨大な地震が来る可能性も当然存在します。
構造物の設計条件として想定外であるか想定内であるかという問題はそれほど本質的ではありません。私たちの技術は全能ではないのですから、構造物は必ず崩れることがあるのです。それを理解した上で再現期間が50年程度という「ほどほど」の条件に対して、つまり人間の一生に一度くらい経験するであろう自然条件を設計条件として採用するのが妥当であろうと考えます。運悪く想定を超える自然災害が発生すればこれは甘受するしかないのです。
ただし、そのリスクを出来るだけ小さくする国土利用や社会構造を構築すべきです。具体的には人口と社会システムを出来るだけ広範囲に分散すること、出来るだけ狭い範囲で社会システムが完結することが最も現実的な対処方法です。現在のように能率を優先するあまり、限られた臨海部に人・物・情報・社会機能を高度に集積した巨大都市を作るなど最も愚かなことです。
次に、原子力発電システムの問題です。
まず地震によって誘発された原発事故の問題について考えます。自然現象で触れたように、想定を超える天変地異は不可避的に起こりうるのです。今回の原発事故で東北地方太平洋沖地震は想定を超えていたであるとか、いや当然この規模の地震は想定しておくべきであったなどという議論が盛んですが、私には不毛な論争としか思えません。
土木屋としては、いくら適切な設計条件を想定したとしても、構造物は基本的に必ず壊れるものなのです。それはまったく予想も出来ない巨大な天変地異が起こる可能性が否定できないこと、あるいは想定内の自然現象であったとしても設計段階で想定した以外のモードで崩壊が起こる可能性を排除できないからです。
今回の原発事故の本質的な問題は巨大地震によって破損したという問題ではなく、原子力発電というシステムが事故を起こしてはならない、あるいは事故を起こした場合における危険性があまりにも大きく、そして事故の収拾が極めて難しいシステムであったということなのです。
次に高レベル放射性廃棄物の処理・保管の問題です。これはまだ未経験の分野ですし、数千年先の状況など知るすべもない事柄です。おそらくまったく高レベル放射性物質の漏洩が起こらないということはあり得ないでしょう。
原子力発電システムの全ライフサイクルも人間のライフサイクルに比較してあまりにも長いため、人間の社会システムに内部化して利用することなど到底出来ません。ただし、自然現象は人間によって防ぐことが出来ない現象ですが、原子力発電はそうではありません。原子力発電所がなければ事故は起こらないのです。事故を完全に防ぐことが不可避であれば、一度事故が起こったときに致命的な影響を与えるような危険なシステムは利用しないことが最善の策なのです。
今回の事故の本質的な問題は、一度事故が起これば致命的な災害になることを予測できた原子力発電という極めて危険なシステムを敢えて利用してきたこと、原子力政策そのものが誤りだったのです。
原子力に対する今後の対応はもはや明白です。可及的速やかに原子力発電を停止することです。ただ残念ながら既に膨大な高レベル放射性廃棄物を作り出してしまった私たちの責任として、これを出来るだけ後世に負担をかけない形で保管する技術を国家の総力を上げて研究開発することが必要です。
(続く)
前回まで見てきたとおり、原子力発電は技術的に見ると極めて非効率的で扱いづらい、それ故非常に高コストな発電装置です。通常の社会システムであればこのような愚かな発電装置が採用されることは理論的にありえません。このような発電システムが採用されるためには、電力会社による地域独占体制と独占価格の容認、そして国家による政策的な後押しが必要不可欠です。
ここまで無理をしてまで原子力発電を導入してきた本当の理由は、効率的な発電による安価な電力の安定供給という表向きの説明とはまったく異なる理由であることは明らかです。
それでも、原子力の危険性に気づいている国民は少なくなかったため、原子力発電所立地サイトの地元地方自治体には莫大な資金が投入され、反対の声を押さえ込んで無理やりに建設が行われてきたのです。その財政的な裏づけが『電源立地地域対策交付金・補助金制度』です。制度の概要は次のように述べています。
制度の概要
この交付金・補助金は、発電用施設の周辺地域における公共用施設の整備等を促進し、地域住民の福祉の向上をはかり、発電用施設の設置及び運転の円滑化に資することを目的とし、当該都道府県市町村等へ交付されます。
例えば資源エネルギー庁の『電源立地制度の概要 地域の夢を大きく育てる』という冊子の中に、原発を誘致した場合の交付金の試算額が紹介されています。
この試算では、出力135万kWの原子力発電所を誘致した場合の交付金のモデル計算が示されています。この試算では交付金の総額は1215億円に上ることが示されています。確かに、財政規模の小さい地方の市町村にとって、正に喉から手が出るほど欲しい金額かもしれません。
しかし、今回の福島第一原発事故でわかったように、一度重大事故が発生してしまえばその被災総額は交付金など吹き飛んでしまう莫大なものになります。それどころか、金銭的には取り返すことの出来ない多くのものを失ってしまうことになるのです。
原発事故の責任は第一には戦後歴代政権・国によって強引に推し進められてきた原子力発電政策に本質的な原因があり、更にその国家政策に便乗して暴利を貪ってきた電力会社、そしてその関連企業にも大きな責任があります。しかし、危険を知りつつ安直に電源立地の交付金目当てで原発を誘致してきた自治体やその住民にも責任の一端があることは冷徹に見ておくことが必要でしょう。
なぜならこの問題は過去の問題ではなく、今後の原子力発電政策において、原子力発電所を新たに建設が計画されている場所の地元自治体・住民が建設に賛成しなければ原子力発電の拡大を止めることができるのですから・・・。
(続く)
原子力発電とは発電装置の類型としては汽力発電の一種です。汽力発電とは何らかの高温の熱源を用いて高温高圧の水蒸気を発生させ、これによって蒸気タービン(羽根車)を回転させ、この回転力で発電機を回して発電する装置です。高温熱源の種類によって石炭火力、石油火力、LNG火力、原子力などがあります。
高温熱源から仕事=運動エネルギーを取り出す装置を熱機関と呼びます。一般的に熱機関とは動作物質を介して高温熱源(T1)から受け取る熱エネルギー(q1)から有効な仕事(w)を取り出し、残りの廃熱(q2)を低温熱源(T2)に捨てることによって定常的な運動を続けます。熱機関の理想的な効率ηは一般的に次のように表すことが出来ます。
η=w/q1= 1−T2/T1
つまり、熱機関の効率は高温熱源の温度T1と低温熱源の温度T2によって決まり、T1とT2の温度差が大きいほど高い効率を得ることが出来ます。
そこで、熱エネルギーを出来るだけ高い効率で運動エネルギーに変換するためには高温熱源の温度を出来るだけ高くすることが必要になります。しかし、熱機関を構成する装置の安全性から、限りなく高温熱源の温度を高くすることは出来ません。
通常の火力発電では高温熱源の温度T1=600℃=873K程度にまで上げられています。低温熱源の温度T2=80℃=353K程度だと仮定すると、この蒸気タービンの効率の上限η1は次のように計算されます。
η1=1−353/873=0.60
実際の発電装置には摩擦をはじめとするエネルギー損失があるため、電気への変換効率は40%を少し超える程度だといわれています。つまり、通常の火力発電では投入された熱エネルギーの内、40%程度が電気に変換され、残りの60%の熱エネルギーは環境に廃熱として捨てられているのです。電気エネルギー1単位を製造するために熱エネルギー1.5(=60/40)単位が環境中に捨てられるのです。
これに対して原子力発電では高温熱源の温度T1=300℃=573K程度に抑えられています。これは、原子力発電は熱源として危険な核分裂反応を利用するため、環境中に原子炉内の放射性物質が漏洩することが許されない建前なので、炉内の温度・圧力を高くすることが出来ないのです。
低温熱源の温度T2=80℃=353K程度だと仮定すると、原子力発電の蒸気タービンの効率の上限η2は次のように計算されます。
η2=1−353/573=0.38
実際の電気への変換効率は30%程度だといわれています。つまり、原子力発電では投入された熱エネルギーの内、30%程度が電気に変換され、残りの70%の熱エネルギーは環境に廃熱として捨てられているのです。この場合、電気エネルギー1単位を製造するために熱エネルギー2.333(=70/30)単位が環境中に捨てられるのです。
つまり、同じ電気エネルギー1単位を製造する場合、原子力発電は火力発電の1.56(=2.333/1.5)倍の廃熱を環境中に放出する低熱効率の発電装置だということです。同じ発電能力の火力発電所と原子力発電所があった場合、原子力発電所は火力発電所の1.56倍の廃熱を周囲の環境に捨てなければならないのです。
補足)可逆機関と非可逆機関
ここで言う熱機関の理想的な効率とはカルノー・サイクルという仮想の可逆的な熱機関の効率です。可逆ということは言い換えるとその過程の発生エントロピーが0であるということです。カルノー・サイクルは熱エネルギーの力学的エネルギーへの変換効率の最大値を示しますが、それを実現するためには無限の時間を要します。つまり、時間当たりの仕事量で表される能率は0なのです。現実的には能率が0の熱機関は役に立ちません。
エントロピーを発生する現実の熱機関について熱効率を示しておくことにします。
高温(T1)の熱エネルギーq1を受け取った熱機関が、有効な力学的エネルギーwを取り出し、低温(T2)の熱エネルギー=廃熱q2を環境中に捨て去るとします。
このシステムについてのエネルギー保存則は次のようにあらわされます。
q1=w+q2
力学的なエネルギーはエントロピーを持たないので、この変化によって熱機関で新たに発生するエントロピーをsとすると、次のように表すことが出来ます。
s=(q2/T2−q1/T1)>0
この二つの式からq2を消去して整理することによって、この熱機関の効率は次のように表されます。
η=w/q1=(1−T2/T1)−(T2×s)/q1
右辺の第1項はカルノー・サイクルの熱機関の理想効率であり、第2項は(T2×s)/q1>0なので、熱機関の発生エントロピーsの大きさに比例して熱機関の効率が低下することを示しています。
参考)コンバインド・サイクル
火力発電では、熱効率を更に高めるためにコンバインド・サイクルを導入し始めています。
コンバインド・サイクル火力発電は、従来のガスタービン(ジェットエンジン)発電と汽力発電を組み合わせた発電方式です。概念図を上に示します。燃料(灯油やLNG)を燃焼させて一番下のガスタービンを駆動して発電機を回し、ガスタービンの高温廃熱をボイラー(熱交換器)の熱源として高温水蒸気を発生させて水蒸気タービンを回し汽力発電を行う発電システムです。ガスタービンの高温熱源温度と最終的な蒸気タービンの廃熱温度の差を大きく出来るので、従来の汽力発電、ガスタービン発電を単独で運用するよりも高い熱効率が得られます。最新のシステムでは熱効率は60%を超えているようです。
(2011/04/30 追記)
(続く)
原発事故が発生して1月半が経過し、ようやく周辺地域の放射線量分布図が文部科学省から公開されました。
1枚は線量の測定値をマッピングしたもの(上)で、もう1枚は年間積算線量の推定値を示したものです。測定値の分布図は今後定期的に更新されるようです。
ただ、積算線量の分布図は、測定値からそのまま積算線量を推定したものではなく、『原子力安全委員会が試算した際の推計方法である屋外滞在(8時間)と屋内滞在(16時間)における木造家屋の低減効果(0.4)を考慮して推計する(0.6をかける)方法を採用』しています。どうしてこのような積算線量を小さく見せかけるための小賢しい操作をするのか、これは危険側の数値を与えるものであり誤解を与えるものです。この種の情報はもっとも大きな安全側の数値を公表するべきものです。
原子力安全保安委員会の操作の逆変換をするためには積算線量のコンターの数値に24/(8+16×0.6)≒1.36を掛けることで正しい値が求められます。
いずれにしても、あまりにも情報が公開されるのが遅すぎます。また、最も影響を受けやすい成長期の子供たちの生活する小中学校の退避基準がやはりこの原子力安全委員会の補正方法を用いた上での20mSv/年というのはとんでもない数値でしょう。20mSv/年は放射線を扱う職場の労働者の受忍基準であり、これを成長期の子供の生活する環境の基準とするなど、常識的には考えられないことではないでしょうか。昨日のニュース番組で教師が積算線量計を持ちながら体育の授業を行う小学校の光景が放映されていました。なんと異様な光景でしょうか。
この国の為政者たち、御用学者たちの人命軽視の姿勢には憤りを禁じえません。福島の皆さん、そして父兄の皆さん、あなた方の子供たちを守るためにもっと怒ってください!
2.原子力発電原価が安く見えるからくり
2-1 裏づけのないコスト計算
前回までその一端を見てきたように、原子力発電の実態は極めて非効率的で高コストな発電方式です。マスコミ・報道機関を買収した電力会社と国家が共謀して流してきた謀略宣伝によって私たちは原子力発電電力は安いのだと信じ込まされてきたのです。地域独占価格の電力料金では比較の対象がありませんから、私たちは気づかないまま、原子力発電の高い電力を購入して電力会社は法外な利益を享受し続けてきたのです。
既に紹介したように電力会社が原子炉設置許可申請において申請している原子力発電電力原価が20円/kWh程度になっているのもかかわらず、相変わらず資源エネルギー庁が公開している国の公式な発表としての原子力発電電力の原価は5.9円/kWh程度になったままです。
『原子力発電コストの内訳』を見ると、計上されている項目から見てこの試算では核燃料サイクルを前提として算定されていることがわかります。ここに計上されている核燃料サイクルコストは実態とかけ離れた低い数値が並んでいます。
核燃料サイクルの一方の中核施設である青森県六ヶ所村の再処理工場はトラブル続きでいまだに完成せず、建設費、運用費用などの費用の合計は当初予算を大幅に上回り11兆円を超えると予測されています。また、バックエンド費用の合計は19兆円にも上ると予想されていますが、これも机上の楽観的な仮定に基づくシミュレーションにすぎず確実な数値ではありません。今回の福島第一原発の事故の短期的な処理だけでも数兆円の追加は避けようがありませんから、バックエンド費用は更に膨れ上がることは間違いありません。
まず第一の問題点。おそらく、ここでいう核燃料サイクルは軽水炉核燃料サイクルだけではなく高速増殖炉核燃料サイクルが実現した場合を想定しているものと思われます。しかし、現実には核燃料サイクルの基幹施設である青森県六ヶ所村の再処理工場はまともに動いておらず、軽水炉核燃料サイクルすら実現していません。この前提はまったくの空論であり、ここに示された費用は裏づけのない希望的なものに過ぎません。
第二の問題点。バックエンド費用については一応廃炉の費用や廃棄物処理・処分の項目も挙がっていますが、この二つの項目についてはやっと原子炉の解体実験が行われている状況であり、現在まだ放射性廃棄物の最終処分方法さえ決まっておらず、したがって費用を算定することは出来ない状況です。
この実態をまったく反映していない原子力の発電原価5.9円/kWhの最も本質的な理由は、日本の原子力発電において、その経済性を担保する技術である高速増殖炉を含む核燃料サイクルの実現が前提となっているからだと考えられます。
2-2 核燃料の『増殖』とは何か
日本の原子力発電は、ウランU235を燃料とし、中性子の減速材として水(通常の水を「軽水」と呼ぶ)を使用する軽水炉が中心です。更に軽水炉には沸騰水型と加圧水型の2種類があります。今回事故を起こした福島第一原発は沸騰水型の軽水炉です。
現在ウラン燃料を製造するために採掘されるウラン鉱の平均的な品位は0.2%程度といわれています。
天然ウランは主にU238(99.274%:非核分裂性)とU235(0.720%:核分裂性)で構成されています(上図の右端の図)。軽水炉の核燃料にするためには核分裂性のウランU235の濃度を3〜5%程度にまで「濃縮」しなければなりません。
こうして作られた核燃料を軽水炉で使用することで使用後の核燃料の組成は次の図のように変化します。
上の図では、使用前の核燃料のU235の濃度は4.5%、U238の濃度は95.5%としています。この燃料を軽水炉で使用することによっていくつかの反応が起こります。
まず、核分裂性のU235は核分裂反応によって大部分が核分裂生成物になり、1%ほどがU235のまま燃え残ります。
U235の核分裂によって発生した中性子の一部は非核分裂性のU238に吸収され、U238は放射性のU239に変化します。U239は2度β崩壊を繰り返し、2.5%のプルトニウムPu239に変化します。Pu239は核分裂性物質であり、軽水炉運転中に1.4%程度は核分裂し核分裂生成物になり、使用済み核燃料中には1.1%のPu239が残ります。
その結果、使用済み核燃料の組成は核分裂性のU235が1%、核分裂性のPu239が1.1%、核分裂生成物4.7%、非核分裂性のU238が93.2%になります(多少図の数値には食い違いがありますが、有効桁数の問題でしょう)。
使用済み核燃料を再処理しない場合には、ウランの利用率は次のようになります。
0.72%×(3.5%÷4.5%)=0.56%
通常、ワンススルーの軽水炉ではウランの利用率は燃焼度によって異なりますが0.5%程度といわれています。
軽水炉のワンススルーのウランの利用では、使用済みの核燃料中に核分裂性のU235とPu239が残留しており、更に大部分を占めるU238がまったく利用されないため、これを何とか利用できないかというところから考えられたのが使用済み核燃料の再処理であり、核燃料サイクルなのです。
軽水炉の使用済み核燃料から燃え残りのウランU235と軽水炉運転中に生成したPu239を抽出してこれを再び核燃料の原料として使用します。抽出したU235は軽水炉用のウラン核燃料に使用し、Pu239はMOX燃料に使用されることになります。
再処理を1回行い、再処理燃料を軽水炉(プルサーマル方式も含む)で利用する場合、ウランの利用率は、ワンススルーの場合が0.5%程度であったものが0.75%程度にまで上がるといわれています。
しかし、再処理は当初想定していた以上に手間がかかり、費用は同等のバージン・ウラン燃料価格よりも高くなり、しかも再処理によって得られる燃料よりも再処理過程で消費されるエネルギーのほうが多くなることがわかりました。つまり、エネルギー収支から判断すれば軽水炉核燃料サイクルはまったく無意味なのです。
再処理の工程を以下に示しておきます。
使用済み核燃料を切断し、これを硝酸に溶解して溶液中から核分裂生成物を取り除き、ウランとプルトニウムを分離抽出することになります。
もし軽水炉核燃料サイクルだけで運用するならば、エネルギ−収支はマイナスになります。また再処理過程で放射性物質を溶出するため液体の廃棄物処理は更に困難になり、加えて再処理の過程で莫大な低レベル放射性廃棄物を生み出すことになり、廃棄物処理費も更に高コストになります。
結局、軽水炉核燃料サイクルを実施すればするほど、原子力発電は高コストな発電方式になるのです。また、軽水炉核燃料サイクルでは、高々ウラン利用率は0.75程度ですから、国の言うエネルギー安全保障上自前のエネルギーを原子力で賄うなどという構想は到底成り立たないのです。
国や電力会社の言う核燃料サイクルの技術の核心とは高速増殖炉核燃料サイクルなのです。しかし、世界中で商業発電の高速増殖炉は1基も存在せず、日本では、日本原子力研究開発機構の熱出力71.4万kWのナトリウム冷却高速中性子型増殖炉である原型炉「もんじゅ」があるだけです。しかし、もんじゅは1995年8月29日
初発電達成後に1995年12月8日ナトリウム漏洩事故を起こし、15年間にわたって長らく休眠していましたが、昨年再始動した直後に事故が頻発し、昨年8月の事故でほぼ臨終を迎えました。
高速増殖炉は一次、二次冷却系に金属ナトリウム(図中のオレンジ色の部分)を使用するなど、軽水炉とは比較にならない危険性を持つ原子炉です。言うまでもない高速増殖炉核燃料サイクルのもう一つの中核技術である高速増殖炉も技術的に実現されることはありません。
高速増殖炉核燃料サイクルが運用出来たとした場合の国の「机上の空論」のシナリオでは、炉心周辺部に装荷されたブランケットと呼ばれる非核分裂性のU238が、炉心中央部に配置されたPu239の核分裂で生じた高速中性子を効率的に吸収してPu239になり、炉心中央部で核分裂して消費されるPu239よりも中性子を吸収して生成するPu239の方が多くなり、合計のPu239が増加する=増殖すると主張しています。
彼らのシナリオでは、高速増殖炉核燃料サイクルが実現した場合、ウラン利用率が一気に60%程度にまで上昇するとしています。軽水炉のワンススルーの場合のウラン利用率は0.5%程度ですから、実に同量のウランから60%÷0.5%=120倍のエネルギーを得られることになるわけです。
つまり、高速増殖炉核燃料サイクルが実現すれば、原子炉を運用することで国内でプルトニウムを増殖させることが出来る=自前のエネルギー資源を得ることが出来るばかりでなく、核燃料費用が限りなく安くなると言うのです。
しかし、現実には高速増殖炉核燃料サイクルどころか軽水炉核燃料サイクルの実現も危ういのです。むしろ、高速増殖炉核燃料サイクルは実現の可能性がないのですから、無意味な軽水炉核燃料サイクルから早急に撤退することがもっとも現実的な選択です。
六ヶ所村で再処理するまでもなく、既に日本はイギリスやフランスに委託した再処理によって有り余る使い道のないプルトニウムを保有しているのです。本来ならば、高速増殖炉で使うはずであった再処理プルトニウムですが、昨年8月のもんじゅの事故による回復不能の損傷によって高速増殖炉実現の可能性が失われたため、行き場を失ったプルトニウムを無理やり軽水炉で利用するという無謀な計画がプルサーマル発電なのです。このような合理性のない愚かな、面子にこだわった形だけの核燃料サイクルなど、早く止めなくてはなりません。
電気事業連合会・NUMO(原子力発電環境整備機構)や電力会社の宣伝で、「使用済み核燃料の95%がリサイクル可能です」というフレーズを良く見かけます。これはここで紹介した高速増殖炉核燃料サイクルが実現すれば、使用済み核燃料に含まれる核分裂生成物を除いた残りの約95%(U235が1%、U238が93%、Pu239が1%)が再処理燃料として利用できる、非分裂性のU238が高速増殖炉でPu239に100%核変換できることを前提に述べられています。
原研や科学技術庁は、たとえ高速増殖炉核燃料サイクルが可能だとしても、ウラン利用効率は最終的に60%程度と見積もっているわけで、95%がリサイクル可能というのはあまりにも過大な表現であり、『見果てぬ夢』なのです。
(続く)