長崎の原爆慰霊祭に長崎市はイスラエルを招致しない決定をしていましたが、今朝のニュースで、これに対して日本を除くG7参加6か国米英独仏伊とカナダは、7月19日付の書簡で長崎市が、ロシアと同国を支援するベラルーシを招待していないことに触れ、「イスラエルを同列に置くことは誤解を招く」と懸念を表明し参加をボイコットするという威圧的な行動を行いました。
曰く、イスラエルのパレスチナ難民に対する虐殺行為は「防衛のため」の自衛的な措置であり、ロシアによる侵略とは違うなどという、信じがたいこじつけです。ロシアのウクライナ侵攻は、2014年の米欧の軍事支援を受けたネオナチによる軍事クーデターで成立した米欧傀儡ウクライナ政府による、この正当性のない政権を認めない同国東部ロシア語圏ウクライナ住民に対する虐殺行為に対して、同胞からの依頼を受けたロシアが、彼らを守るために侵攻した防衛的措置であり、イスラエルによる虐殺とは意味が異なります。
6か国の主張は、米欧傀儡ウクライナ政権による東部地区住民に対する虐殺行為を正当化するためには、イスラエルによるパレスチナ虐殺を容認することが必要だからです。
本来ならば、ロシアやベラルーシを招待し、G7参加国の招待を行わない(岸田も呼ばない!)ということが平和を願う式典として正しい判断だと考えます。
以下、天木さんのメルマガの記事を転載しておきます。
2024年08月08日07時51分 配信
今からでも間に合う。このメルマガを読んだ読者は長崎市長にいますぐ激励のメッセージを送ろう
駐日英国大使が、イスラエルを招待しない長崎市の平和祈念式典(ちなみにメディアでは祈念式典と記念式典の双方が使われているようだがここでは祈念式典にしておきたい)には出席できないと、6日に発表したと思ったら、きのう7日には、あのエマニュエル駐日米国大使も同様の発表をした。
そしてきょうの各紙をみれば、何のことはない。
すでに7月19日付で、G7の6カ国とEUの大使たちが連名でイスラエルを招待しないことに対する懸念表明の書簡を送っていたというのだ。
稀代の悪党大使であるエマニュエルが旗を振って、長崎市長に圧力をかけていたのだ。
その圧力にもかかわらず、鈴木史朗長崎市長はイスラエルを招待しない英断を下したのだ。
7月31日の鈴木市長の、イスラエルを招待しない、という大英断の発表の裏には、ここまでドラマがあったのだ。
そして、長崎市長の後ろには、その決断を後押しした長崎市民の、平和を願い、核廃絶を願う強い思いがある。
もちろん、長崎市長と市民の判断は正しい。
世界の多くの国と国民の総意だ。
この長崎市長と長崎市民の英断は、戦後の日本が初めて示した自主的平和外交だ。
そのことについて書くことは山ほどあるが、いまは時間がないから、次のことを一つだけ書いておきたい。
このメルマガを読んだ読者は、さっそく長崎市に電話やメールで応援のメッセージを送ってほしい。
応援であふれ返った長崎市を見て、長崎市長は、勇気づけられ、きょう10時から始まる記者会見で、再び歴史的な説明を行うだろう。
ちなみに、長崎市長はこんなことは決して口に出さないだろうが、私の思いは次の通りだ。
長崎市の決断に反対するなら、大使は出席はないが代理を参加させる、などという姑息な真似をするのではなく、全面的にボイコットして世界の若い物になったらどうか、と。
主催者である長崎市からすれば、むしろこっちの方から参加をお断りしたいくらいだ、と。
果たしてきょう10時からの長崎市長の記者会見とそれを報じるメディアの反応は、どのようなものになるのだろうか(了)
このホームページにリンクしているFacebookで紹介したように、6月30日に開催された河合塾の文化講演会において、筑波大学名誉教授の田中博さん(大気科学)が講演されました。この河合塾の文化講演会では、3年前に私も講演させていただき、その内容はこのホームページに公開しています「温暖化とは何か」にまとめています。2年前には元京大原子炉研究所の小出裕章さんが講演されました。小出さんの講演についてもこのホームページに公開していますので、ご参照ください。
今回の田中さんは、このホームページで公開しているWorld
Climate Declarationをどう読むか でも紹介している、日本では数少ない人為的CO2地球温暖化脅威説に反対の立場をとる、しかも国立大学の大気科学のメインストリームの研究者です。少し自慢しておきますと(笑)、このホームページの記事が今回の河合塾の文化講演会の企画に一役買っているそうです。
田中さんは、これまで日本において人為的CO2地球温暖化説を吹聴し、脱炭素化を扇動してきた多くの気象研究者のお一人でもあったわけです。
しかし、自然科学として真摯に向き合った結果、人為的CO2地球温暖化説は間違っていることに気付き、その誤りについて第一線の科学者としての科学的な証拠を示して今回の講演を行われました。
田中さんという、気象研究の「大物」が人為的CO2地球温暖化説に否定的な発言をするということで、私が講演した時とは違って(笑)、講演前から大きな反響があったようです。勿論この講演会を妨害する反応です。
河合塾の担当者によりますと、河合塾に抗議の電話が複数回あり、NPO法人気候ネットワークら8団体の連名で抗議の書面が持ち込まれたようです。
さらには、ネット署名活動「change.org」において、河合塾の文化講演会に反対する署名が開始されました。
https://www.change.org/p/%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%A1%BE%E3%81%AF-%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%87%90%E7%96%91%E8%AB%96%E3%82%92%E5%BA%83%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84
そこには次のような書き込みがあったそうです。
(河合塾は)地球温暖化を取り組むべき課題と認めながら、なぜ、「気候危機は存在しない」という講演を行うのでしょうか。
これに対して以下に示す河合塾の担当者の主張は明確です。
おそらく、そこに、河合塾の「矛盾」がある、弱みがあるという点を衝いてきているのでしょう。「賛同者からのコメント」欄にコメントしている人たちも、そのことを繰り返しています。
ですが、そもそもの建てつけとしても、河合塾が塾として何らかの方針をもち取り組みをしていることと、そうした全塾的な方針や取り組みにさえ疑問があるとして、講師が発案・企画して、それについて本当に正しいか否か、いま一度立ち止まって考えてみよう、考え直してみようということは、学問・科学をする教育機関のあり方として、全くもって矛盾なく両立するわけです。
しかも、「温暖化」の虚と実「気候危機は存在しない」宣言の衝撃!という指摘があること自体を、事実として隠し立てしてはいけないというのが、今回の講演会の主眼なのです。
それらに一切、目を触れさせずに、「疑う余地はない」とだけ信じさせることの、どこが教育的か、と激しく言ってやりたいところですが、そこは穏やかに静かに会場に伝えたいと考えていました。
会場には、さざ波以上のものが立つでしょうが、波風が立たないというわけにもいかないです。波風が立ってこそ(「人為」的に騒いでみせるのではなく、少しでも多くの情報に接すれば人間の「自然」の性としてザワつく、という意味です)、学問、科学、教育ですよね。
河合塾の担当者の教育に携わる者として高い問題意識に敬意を表するものです。
翻って、体制や国家による主流の人為的CO2地球温暖化脅威説を金科玉条のものと崇め、疑問を持つことを許さなくなってしまえば、これは前大戦中の教育者たちの轍をまたしても踏むことだという認識が、既に今日では薄れつつあるということでしょう。
反対署名の賛同者からのコメントのトップにあるのが、かの有名な、私とも因縁浅からぬ国立環境研の江守正多です。彼の書き込みは彼の考え方を明瞭に示しているので、引用しておきます。
田中博さんについて、気象学の研究と教育へのご尽力には敬意を表しますが、残念ながら温暖化と人間活動の関係については標準的な科学の知見と異なる説明をされる可能性が高いと思います。河合塾には受験でもバイトでもお世話になりました。健全な判断力のある組織であると信じています。
つまり江守正多は、標準的な科学だけが科学であり、それに反する内容を持つ理論は誤りであると決めつけるという、反科学の立場にあることを鮮明にしているのです。
江守の主張についてはこのホームページでも何度か取り上げていますが、ほとんど科学の名に値しない素人の思い込み程度の内容です。例えば、以下の記事をご覧ください。
彼に科学の第一線でけん引してこられた田中氏に対して物申すなど、噴飯ものの所業と、私は考えます。
さらに昨日いただいた情報によると、Xにおいて河合塾の文化講演会を批判するスレッドが立っているそうです。
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%A1%BE&ei=UTF-8&ifr=tl_sc
書き込まれている内容は極めて幼稚で見当違いのものばかりです。Xのような短文のSNSでは論理的な情報は顧みられず、単純化された情報ばかりが流れ、認知バイアスに取り込まれた愚かな若者たちは無責任な未確認情報を拡散してしまうようです。
ただ悪質なのは、文化講演会の批判から企業としての「河合塾」の排斥的な議論が行われていることです。
河合塾が企業として今の状況にどう対応されるかは定かではありません。願わくは、河合塾は科学・教育の立場から、科学に対する妨害に対して断固立ち向かうものであるとして、妨害行為を一蹴することを期待したいと思います。
この河合塾の文化講演会を巡る状況を見ると、日本社会がまたしても前大戦に突入していった時期と同じように、単一の思想しか受け付けない全体主義、ファシズムに覆われようとしていることに恐怖します。
NPO法人気候ネットワークとは、以下のような組織です。
代表の浅岡氏は弁護士です。
このような世間的には民主的市民運動、リベラルと考えられている組織や、マスコミ、愚かな若者たちは、温暖化問題を除けば、多様な意見・少数意見や正論を守ることを正しいというものが大多数です。
彼らは、自ら行っている人為的CO2地球温暖化に対する対策を推し進める行為が正しいものと宗教的に「信じ」て行動しています。そこで、正しい自らの行動に反する行為や主張は科学でさえその存在を許さず、力によって排除することも許されていると考えているのです。彼ら自身は恐らく自覚がないのでしょうが、これは明らかなダブルスタンダードであり、思想信条・言論の自由を否定する行為です。このように国家や体制のみならず、大衆が自ら国家や体制の手先となって単一の考え方だけを正当化する社会はファシズムです。
自らが民主主義や思想信条・科学の自由を圧殺する行為を行っていることに、彼らは全く思い及ばなくなってしまっているようです。これこそがファシズムなのでしょう。
環境団体や若者たちの行動を見ていると、かつての国防婦人会やナチスの少年兵たちの盲目的な行動が彷彿されます。恐ろしいエコ・ファシズムの時代の到来です。
先週、岸田は米国訪問時にNATOの首脳会議に参加し、今後も連携してウクライナ支援にあたっていくこと、地域を超えた安全保障協力を訴えたそうです。
そもそも日本の憲法では禁止されている多国間の集団的自衛権の行使を前提としたNATO軍事同盟と「地域を超えて協力する」ということは、米欧のロシア、中国、イスラムを軍事的に包囲する世界戦略に組み込まれることを意味します。
日本政府は東アジアの軍事的緊張関係が高まっていると国民に吹聴していますが、緊張を高めているのは正に米国ないし日本をはじめとする米国隷属国家が軍事的圧力を高めていることだという認識が全く欠落しています。
例えば日本の報道は現在行われている中ロの合同軍事訓練は彼らの海洋進出が緊張を高めると報道していますが、翻って、日米をはじめとすり軍事同盟国の大規模海上演習は平和の維持のためとごまかし、愚かな国民はこれを鵜呑みにする始末です。
日本はどうあがいても東アジアに位置する国であり、海を隔てて隣接する大国である中国、ロシアとは長く付き合っていくことが不可避なのですから、米欧に振り回されるような国家運営はいずれ破綻することになるのは明白です。
天木直人さんのメールマガジンの記事を二つ紹介しておきます。
2024年07月13日09時25分 配信
中国、ロシア、北朝鮮、イランを敵視し続ける日本のメディアの危うさ
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
なぜメディアは岸田首相の米・NATO首脳会議参加を批判しないのか。
それは、ウクライナ戦争や台湾有事でロシア、中国を敵視して来たからだ。
北朝鮮を拉致問題やミサイル発射で北朝鮮敵視してきたからだ。
そしてホメイニ革命後のイランを悪だとしてきたからだ。
すなわち、米国に言いなりになって、ロシア、中国、北朝鮮、イランを独裁体制、悪の枢軸などと国民に先入観を持たせてきたからだ。
そしてイランについて特筆すべきことがある。
ライシ大統領が飛行機墜落事故死した後の選挙で、改革派の大統領が選ばれた。
私はこれを歓迎した。
今度は米国がイラン国民の期待に応えて、改革派の大統領に助けを差し伸べる番だと思ったからだ。
ところが、日本のメディアは一斉に社説でこう書いた。
イランは米国と融和せよと。
最初は日経だった。
その時私はツイッターで、違う、書くべき相手は米国だと。
米国は改革派の大統領を選んだイラン国民と融和せよと。
しかし、その後もメディアの社説はイランに注文をつけ続けた。
そして、ついにすべての社説がそう書いて終わった。
しかし、この日本のメディアの要求を裏切るように、カービー大統領補佐官はすかさずコメントを発した。
イランと協議する状況にはないと。
つまり、米国は大統領が改革派になっただけでは十分ではないと言っているのだ。
ホメイニ革命を否定する対米従属のイランになるまで、米国はイランを敵だとみなすと言っているのだ。
改革派を選んだイラン国民も、そのうち米国に裏切らたことに気づき、再び硬化するだろう。
そうなることは分かりきっているのに、日本のメディアは読売、朝日から産経、東京まですべてイラン新政権に米国との融和を求めた。
日本のメディアもまた日本政府と同様、日米同盟重視である証拠だ。
日本が太平洋戦争に突き進んだ時、朝日をはじめすべてのメディアはそれを煽った。
国民はそれにつられて戦争に向かった。
今のメディアを見ていると、再び過ちを繰り返そうとしているように思えてならない。
国民の支持を失った岸田首相に外交・安保の首脳外交を白紙委任している今のメディアは危ない。
国民は騙されてはいけない(了)
2024年07月15日09時35分 配信
老いた大統領の再選が悲劇生んだ
天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説
きょうのメルマガのタイトルは、きのう7月14日に起きたトランプ暗殺未遂事件のことではない。
いつか書こうと思って残していた7月5日の産経新聞の記事の見出しの言葉である。
トランプ暗殺未遂事件についてはまだその全貌が明らかにされていない。
米国大統領選に及ぼす影響もふくめ、この事件については当分の間、メディアが様々な事を報じ続けるだろう。
それにともなって、新たにいろいろなことがわかってくるだろう。
だからいま私が書くことは何もない。
その代わり、これを書くことにする。
7月5日の産経新聞が、「老いた大統領の再選が悲劇生んだ」という見出しの記事を掲載していた。
モスクワ特派員を経験して、今は外信部長兼論説委員という肩書の遠藤良介記者が書いた記事だ(緯度経度)
その要旨はこうである。
高齢の弱弱しい大統領が、民主主義の危機を訴えて再選された前例がソ連崩壊直後のロシアにもあった。
それがエリツィン初代大統領と、共産党のジュガーノフ党首が対決した1996年の大統領選であると。
当時、エリツィンの支持率は1桁というありさまで、90年代の急進的な市場経済化が国民生活を直撃し、大混乱を招いたからだと。
対する共産党は1995年末の下院選を制して勢いに乗っていたと。
この状況に焦ったのが国営企業の民営化など市場経済で巨万の富を得たオルガルヒ(新興寡占資本家)たちだったと。
オりガルヒは、アルコール依存で心臓の弱っていたエリツィンを説得し再出馬させ、大金を投じて傘下のテレビ局を動員し、「共産主義に逆戻りしたら大変なことになる」と有権者の危機感を掻き立てたと。
エリツィン再選を果たしたオリガルヒらセミヤ―(家族)と呼ばれるエリツィンの取り巻き連中はますます政治を牛耳り、操り人形になったエリツィンは退任後の自らの安全を確保してくれる人物として連邦保安局(FSB)長官だったプーチンを後継者に選定したと。
しかし、そのプーチンは旧来のオリガルヒを排除、屈服させて強権支配を打ち立て、民主主義を根絶やしにし、ウクライナを侵略して無辜の人々を殺戮していると。
エリツィンの再選でよかったのか、その後の歴史を見るとき、他の道はなかったのかと思わざるを得ないと。
以上が、「老いた大統領の再選が悲劇生んだ」という記事の要旨だ。
遠藤記者と産経は親米保守でプーチン嫌いだ。
だからプーチンとプーチンのウクライナ侵略を悪く書いている。
しかし、この遠藤記者の記事で分かることは、米国の資本主義導入がソ連を潰し、その後もロシアを解体しようとしているということだ。
それに立ちふさがったのがプーチンだということだ。
資本主義のうまみを知ったオリガルヒがプーチンに切り捨てられ、今度はウクライナの操り人業であるゼレンスキーを使って米国のディープステートと一緒になってプーチンを潰そうとする。
メディアを使って世論を操るところまでそっくりだ。
遠藤記者と産経がそれを知らないはずがない。
それでも遠藤記者と産経は米国とウクライナを支援し続けるつもりなのだろうか。
遠藤記者と産経が知っているぐらいだからすべての日本の記者とメディアはそのことを知っているはずである。
それでも日本の記者とメディアはウクライナ戦争で米国とウクライナ側に立ち、プーチンのロシアを潰そうとし続けるのだろうか。
なぜなのだ(了)
先週の日曜日に行われた東京都知事選挙において、自民党、公明党に支えられた小池百合子が再選されました。実に姑息な選挙でしたが、情けないのはそんな小池にもう一度都政を預けてしまった東京都民自身でしょう。
ここでは小池の都知事としての評価に触れるつもりはありません。日本における民主主義の崩壊の一つの側面として、都知事選挙を振り返っておこうと思います。
今回の都知事選は50名以上の立候補者が乱立したという意味でも異例でした。立候補者の中で本気で都民に対して政策を訴えるものは少数であり、都知事選を売名の道具として利用し、自身のSNSの閲覧回数を増加させ、個人的な収益を得ることを目的とした候補者も多かったようです。
正に都知事選挙を舞台として売名を行い、自らの幼稚な行動をSNSで公開してアクセス数が増えたと能天気に喜ぶ類の人物が登場するようになったということです。
この種の確信犯的な候補者の問題はあるものの、これは今回の主題ではありません。
注目したいのは、選挙によって得票数の上位になった候補者たちの行動と選挙後の評価です。まず、7月8日の大分合同新聞の記事を紹介します。
当選した小池百合子もSNSないしAIを利用していましたが、中でも特に注目すべきは東京都とは縁もゆかりもない広島県安芸高田市の前市長であった石丸伸二です。安芸市議会において「居眠り議員は恥を知れ」との発言がSNSで拡散し、マスコミもこれを取り上げて一躍全国区の知名度を獲得しました。
新聞記事でも石丸自身の言葉として伝えられているところによると『有権者は政策を見ていないので、人柄や期待感』をアピールすることが重要だとの認識のようです。実際、「恥を知れ」以外に石丸氏が具体的に都政において何を実行するのかを主張されていたのか殆ど伝わってきません。
インターネットの普及によって、情報拡散手段としてSNSが、特に若者を中心として大きな影響力を持つようになった結果、緻密に構成された政策綱領を読む有権者は激減し、SNSのごく短く簡潔な文章で印象操作を行うことが大きな影響力を持つようになっています。『AI百合子』のようなものまで登場し、選挙そのものが劇場化し、アニメ化し、幼児化しているようです。
こうした傾向は、都知事選挙ばかりでなく、日本社会全般に普遍化しつつあります。重大な問題に対しても、大衆の認知バイアスを利用して単純化した大量の繰り返し情報による洗脳が横行し、緻密で論理的な主張は正しくても受け入れられにくい社会になってしまっています。
注目を集めているAIという技術は、体制の主流の情報によって判断した内容を「正解』と判断する技術です。したがって、AIの判断は主流・体制にとって都合の良い判断であり、必ずしも判断の理論的な正しさを担保するものではありません。しかし、大衆は既にAIの判断を半ば神格化して信じるようになっています。
SNSの多数を占める意見やAIの判断が絶対視される社会は極めて大きな危険性を内包しています。今回の都知事選挙はこうした状況の縮図を見ているように感じます。
元立憲民主党参議院議員であった蓮舫の獲得票数は、小池に迫るどころか何の政策も持たない石丸にも及ばぬものでした。これに対して、大衆へのアピールの失敗、イメージ戦略の失敗などという声が上がっているようですが、むしろこれは有権者の幼児化が招いた結果であり、決して蓮舫の主張が否定されたわけではなく、受け入れられなかったわけではありません。憂慮すべきは有権者の意識レベルの幼児化であると考えます。
しかしこの傾向は今後ますます大きくなっていく可能性が高く、社会はますます酷い方向に向かっていくことになるように思います。恐怖です。
前回、米国に隷属する岸田保守党政権について触れました。私にとってこの不愉快な時期に、またしても岸田政権による沖縄駐留米軍の兵士による少女暴行事件の隠蔽という、極めて不愉快な事件が発覚しました。また、その公表の時期が沖縄県議会選挙後という「絶妙のタイミング」であることに政治的に利用した意図が明かです。
この件について、天木さんのメールマガジンの記事を以下に転載します。
2024年06月28日08時15分 配信
今度ばかりは怒りをぶつける相手は
米軍ではなく岸田政権とその加担者たちだ
三日続けて米兵の沖縄少女暴行事件について書く。
私にとってそれほど関心が高いからだ。
そして、これが最後だ。
これ以上私が何を書いても、何も変わらないと思うからだ。
しかし、この問題をうやむやにして終わるなら、沖縄問題は今後何があっても抑え込まれてしまう。
そのことだけは警告しておかなければいけないと思って最後にひところ書きとどめておきたい。
きのう沖縄在住の知人に第一報を報じた「沖縄の民放」とはどこだと聞いた。
その知人は、確かテレビだったという。
やはりそうだったのだ、と私は思った。
琉球新報や沖縄タイムズではなかったのだ。
これはどう考えてもおかしい。
こんな重大な事件を、警察が現地新聞に知らせないはずがない。
知らせなくても現地新聞は取材して沖縄県民に知らせなくてはいけない。
事件が起きた直後の去年の12月の時点で報じなくても、起訴された今年3月以降は報道できたはずだ。
しかもその時点で外務省は米国に抗議したという。
それにもかかわらず、6月末まで一切の報道がなく、誰も知らなかったというのだ。
沖縄のテレビが6月25日に報じて始めてすべてのメディアが報じたというのだ。
もしそうなら、一番恥をかかされたのは現地新聞であり大手新聞であり大手メディアだという事になる。
ところが、彼らはこんな事件が発覚しても大騒ぎしない。
隠ぺいした外務省や岸田政権を責めない。
悪いのは、日本の主権を無視した在日米軍であり、だから日米地位協定の改定が必要だと繰り返すだけだ。
流される沖縄住民の声も、また起きたか、だから米軍は沖縄には要らない、というお決まりの反応ばかりだ。
なぜ隠されていたのかという声は流されない。
沖縄県が謝罪を要求した相手は米軍の責任者であり、しかも米軍の責任者は、経緯を説明したが謝罪はしなかったと、メディアは批判的に書いている。
これもまたお決まりの米軍批判だ。
しかし、今度ばかりは、怒りの矛先は米軍ではない。
その事実を知っていながら周到に6月末まで隠し続けた岸田政権と外務省と彼らに協力した大手メディアだ。
6月中旬には沖縄議会選挙があり、6月23日には沖縄慰霊の追悼式があった。
その前に知らせて大騒ぎになれば政府、外務省にとって面倒なことになった。
隠し続けるわけにはいかないからその二つが終わった流す。
大手メディアのどこかが第一報を流すと、スクープ報道した者が抜け駆けして喧嘩になる。
いずれにも属さないマイナーなローカルテレビなら、抜け駆けしても仕方ないというわけだ。
なぜ公表が遅れたか、そう聞かれて、警察や外務省や林官房長官の言い草がふるっている。
事件の性質上、被害者のプライバシーを優先したと。
これまでは被害者のプライバシーを優先しなかったとでもいうのか。
被害者のプライバシーを優先しながら公表して来たではないか。
今度の少女暴行事件の隠ぺいは、政府・外務省の意図的隠ぺいに大手メディアが結託して協力した結果起きた一大スキャンダルだ。
今度ばかりは、怒りの矛先は米軍ではなく政府・外務省と大手メディアに向かわなくてはいけないのである。
この事件をこのまま終わらせるようでは、もはや沖縄は何をやっても救われない。
日本の政治家たちは沖縄を救おうとしないまま沖縄は見捨てられるだろう。
怒れ、沖縄、その時は今だ(了)
6月23日は沖縄戦の慰霊の日です。毎年この頃から8月の原爆投下、敗戦記念日まで、私にとって極めて不愉快な季節が続きます。
この時期、やたらとマスコミ、報道機関では平和がいかに大事か、人命が如何に尊いのかという至極まっとうな主張をこれでもか、というほどに繰り返し叫びます。それは結構なことです。
しかしながら振り返ってわが日本国はますます軍備を増強して戦争準備に前のめりに突き進みつつあります。ことに「平和主義者」「反核兵器」の岸田文雄が総理大臣に就任して以降の米軍との同化政策には唖然とするばかりです。
このような状況下でマスコミ、報道機関はこの岸田の出鱈目な対米隷属の軍備拡張政策に対して正面からこれを批判する姿勢は見られません。曰く、東アジアの緊張が高まっているので防衛力の強化は必要、というのです。馬鹿なことを言ってはいけません。世界で最も凶暴な米国がアジアの大国である中国を挑発し、これに同調して日本が軍備を増強することが緊張を高めているのです。まさにマッチポンプです。
そればかりでなく日本国民自身がこうした日本政府の米国と一体となった軍事力の増強によって国家の平和を守るなどという愚かな政策に対して極めて鈍感になってしまっています。
この時期マスコミ、報道機関は、数少なくなった戦争経験者に、お決まりの様に「戦争は繰り返してはならない」と言わせます。こうした「平和国家」としてのエクスキューズのために利用されているこの種の映像に登場する老人たちは、痛ましいとしか形容できません。
残念ながらこうした行事は何の実効性もない季節的な「風物詩」と化してしまったようです。
24日の大分合同新聞にもこの種の記事が掲載されましたが、また一過性のものとなるのでしょう。
正に平和ボケしまった日本において、現実感をもって戦争を繰り返したくないと考えているのは、今また軍事施設の増強が進められている沖縄の方々のごく一部なのではないでしょうか。
各国の為政者たちは言います、「平和を守るためには防衛のための軍事力の強化が必要だ」と。ナイーブで愚かな国民の多くはこれに同調してしまっています。果たしてそうでしょうか?
この際、戦争当事者のいずれに非があるかという問題は棚上げしておきます。
突き詰めれば、戦争という行為は侵略する側であろうと侵略される側であろうと、あるいは戦争に勝った側であろうと負けた側であろうと、当事国の国民にとっては要するに殺し合いであり、生命が失われるのです。
平和を守るために戦争をするということは、自国の人命を守るためには他国の人を殺すことが正当化されるということです。防衛力とは防衛の名のもとに他国の人を計画的に大量に殺戮する能力のことを意味します。
一般的な社会においては人命程尊いものはなく、絶対に殺人を犯してはならないと言われます。その同じ国の国民が自国の平和を守るためであればで他国民を計画的・大量に殺人してもよいなどというのは非論理的であり、理解不能です。防衛力を増強するということはそういうことです。
さらに、現在の戦争ではいくら軍備を強化しても、当事国のいずれか一方が完全に無傷でいられるなどということは技術的にあり得ないのです。要は殺し合いであり、戦争当事国の一般市民の生命が失われることになるのです。
むしろ軍備を増強するほど戦争は大きくなり、ウクライナ紛争で分かるように欧米諸国が兵器を供給するほど戦場は拡大、長期化し、市民の犠牲者は増え続けるのです。
平和を守る方法、戦争で誰一人死者を出さない方法はただ一つです。戦争を完全放棄すること、正に日本国憲法を文面通りに実行することだけです。勿論何もしないというわけではなく、国際紛争を回避するためにあらゆる外交努力を行うことこそ必要です。戦争を避けられないということは防衛政策の敗北です。例えば紛争当事国の一方であるウクライナに対して、15世紀以来、武力によって世界を蹂躙し続けている凶悪な欧米に加担して援助を続けるなど、愚かとしか言いようがありません。日本が平和を希求するのであれば、一日でも早く停戦し、紛争を終結することにこそ努力すべきです。
日本という国はアジア大陸の沿海にある島国です。日本の平和を守るためには、海を隔てて接する中国、韓国、北朝鮮、ロシアという近隣諸国と良好な関係を築くためにあらゆる外交努力をすること、自衛隊を武装解除すると同時に世界で最も凶悪な戦争国家である米軍基地を縮小することこそ必要だと考えます。