No.1450(2022/12/30) 環境問題・資本主義・自由貿易・ウクライナ㉘
工業文明の持続可能性について/SDGsは自然科学的に実現不可能J

4−6 工業文明は化石燃料の枯渇で終焉を迎える

(2) SDGsは非論理的な政策目標

 いま世界中が人為的CO2地球温暖化脅威説に対する「対策」として脱化石燃料化ないしこれを含むSDGs (Sustainable Development Goals) を実現しようとして暴走を続けています。
 そもそも、SDGsという目標設定そのものが非論理的です。

Sustainable=持続可能な
持続とは、「ある状態を長く保ち続けること、長く続いていること」という意味です。
Development=開発
開発とは、「新しいものを作り出すこと。また、対象に働きかけて機能や能力を獲得・発展させたり、人間の役に立つ状態に作り変えたりすること。」という意味です。

 地球生態系のような代謝を含む系の状態を状態量Xで表すことが出来るとします。Sustainableとは、Xという状態を長く保ち続けることができることです。数学的に表現すれば、Xの時間tに対する変化率がゼロであることです。つまり、

Sustainableな状態=dX/dt=0 あるいは X=const

 一方Sustainable Developmentというのは一定の変化が継続することです。したがって、

Sustainable Development=dX/dt≠0=const あるいは lim(t→∞)|X|=∞

 つまり、SustainableとSustainable Developmentは排他的な対立概念なのです。工業化社会が一定の開発行為を長期間継続すれば無限大に発散することになります。しかし、地球は物質的に閉ざされた有限の系ですから、いずれどこかで工業化社会を含む地球生態系は崩壊することになります。有限の系ではSustainable Developmentは物理的に実現不可能なのです。

 地球という物質的に閉ざされた有限の系において、持続的な開発行為、具体的には工業生産規模の拡大を継続し続けることは理論的に不可能です。この点については既に検討したように、化石燃料の枯渇によって工業生産は終焉を迎えるのです。
 したがってSDGsという持続的な工業生産の増大によって好ましい社会を実現するというのは、実現不可能な目標設定なのです

(3) SDGsの本質

 SDGsとして挙げられている17の政策目標を以下に示します。

 ここに掲げられている目標は、総花的な望ましいバラ色の未来像を羅列したものです。しかし現実の政策目標として冷静に見れば、多少浮世離れした小学生の努力目標のようで、その実効性はかなり怪しいと言わざるを得ません。
 人間社会の持続可能性が取りざたされるようになった根本的な原因は、人口増加・工業生産の肥大化を含む人間社会の膨張が地球の生態系に悪影響を与え始めていることです。根本的な原因である、人口や工業生産規模の抑制について一切言及がないことにSDGsの欺瞞性が現れています。

1. 貧困をなくそう
2. 飢餓をゼロに
3. すべての人に健康と福祉を
4. 質の高い教育をみんなに
5. ジェンダー平等を実現しよう
6. 安全な水とトイレを世界中に
8. 働きがいも経済成長も
10. 人や国の不平等をなくそう
11. 住み続けられるまちづくりを
12. つくる責任つかう責任
14. 海の豊かさを守ろう
15. 陸の豊かさも守ろう
16. 平和と公正をすべての人に
17. パートナーシップで目標を達成しよう

 以上の14項目については、西欧キリスト教的な「善意(偽善?)」の価値観による一方的な精神論であり、ほとんど無意味な実効性のない努力目標です。個別に検討は行いませんが、全てを満足しようとすれば支離滅裂な事態になることは必定です。

 例えば「10. 人や国の不平等をなくそう」を考えてみましょう。西欧先進国の平均的な幸福な生活を世界中の辺境の地にまで不偏的に拡大しようとすれば、そのためのハードウェアを製造するためには工業生産規模を爆発的に拡大することが必要であり、そのためには自然環境に対して破壊的な影響を与えることになるでしょう。
 また、生活レベルの格差・不平等は、西欧先進国の価値観による自由貿易の強制などによる暴力的な世界経済の運営によって、旧植民地・旧東欧諸国などから富を収奪することによって生じています。同時にこれによって環境が酷使され破壊されているのです。
 現在のウクライナ戦争の背景にあるのも、米国ネオコンに典型的に見られる西欧先進国キリスト教的価値観を絶対視する選民思想です。西欧先進国は自らの優位性を守るために、ロシアないしその同盟国、アジア文化圏、アフリカ文化圏、イスラム文化圏を徹底的に敵視し、あるいは利用し、同等の立場で遇する意思は毛頭ありません。

 ここに挙げた14項目の目標の実現を毀損しているのは、西欧先進国が普遍的な価値と呼ぶ自由主義、自由貿易、グローバリズムという、西欧先進国中心主義であり、西欧先進国によってまとめられたSDGsは西欧中心主義の放棄を想定していません。したがって、ここに挙げられた14項目の目標はエクスキューズのための画餅にすぎないのです。

 SDGsの実質的な具体性のある行動目標は以下の3項目です。

7. エネルギーをみんなにそしてクリーンに
9. 産業と技術革新の基盤を作ろう
13. 気候変動に具体的な対策を

 3項目が上がっていますが、その本質は、化石燃料を使用しない無限のエネルギー供給システムを構築すること、そして人間社会の隅々にまで情報技術を徹底的に導入し、機械化することです。つまり、流行のGX(Green Transformation) と DX(Digital Transformation) がSDGsの本質なのです。

(続く)

 

No.1449(2022/12/26) 寒波の冬に非科学的な温暖化脅威論を考える
本当に怖いのは温暖化のバカ騒ぎの中で迎える化石燃料の枯渇と地球の寒冷化

 日本はこのところ強い寒波に覆われています。当地別府市でも市の西方にある鶴見岳は雪をかぶっています。当地で12月に雪を観測することはさほど珍しいことではありませんが、今回のように12月に比較的長期間にわたって寒波が続くことは珍しいと言ってよいでしょう。

 さて、温帯に属する日本でも冬季の寒さによる人的・社会的被害が起こります。今回の寒波では東北から北海道にかけて大きな影響が出ています。

 

 この冬の寒波による影響は日本だけにとどまりません。11月にはお隣の韓国でも広範囲に寒波が襲いました。また、北米大陸でも猛烈な寒波が襲っているようです。


大分合同新聞2022年12月25日

 

 さて、世の中では相変わらず人為的なCO2放出による温暖化の脅威を吹聴する世論が大勢を占めています。なんとバカバカしいことでしょうか。

 今回の寒波の影響を見るだけでも人間の生存にとって温暖化よりも寒冷な気候の方がはるかに致命的であることがわかるのではないでしょうか?現在、人は化石燃料によるエネルギー供給によって比較的簡単に暖房することが出来るために、今回のようなエネルギー供給システムの崩壊を伴う異常寒波を除けば、寒さに対する脅威を忘れてしまっているのでしょう。

 生身の人間を一切の工業的なエネルギーを消費せずに自然環境中に置いた場合、赤道直下の高温の環境と氷雪に閉ざされた寒冷な環境ではどちらが生き延びることのできる可能性が高いかを考えれば答えは明白です。
 現在の地球の温度状態は、両極地方に極冠が発達した氷河期にあります。北半球の高緯度地方の氷雪気候を含む寒帯では農業生産は行えず、亜寒帯は限界的な農地であり、農業生産性は高くありません。
 単純に、地球環境が温暖化することは可耕作地の増加を意味し、生態系の第一生産者である植物にとって好ましい変化であることは明白です。
 愚かな温暖化脅威論の信奉者は、直近の気温極小期であった14〜19世紀の「小氷期」の気温に比べて僅か数℃上昇することによってまるで灼熱の地獄が誕生するという、北欧のどこかの国の無知な少女の愚かなプロパガンダに洗脳されてしまっています。大人気ないヒステリックな反応です。

 温暖化の脅威が話題になるのは、ほとんど夏の酷暑の時期です。しかし、本当に人為的に放出されたCO2による付加的な大気の温室効果の増加が原因である温暖化であるならば、温帯の夏の気温上昇とは関係がないと断言できます。温帯の夏や熱帯、亜熱帯の湿潤な大気であれば、水蒸気による圧倒的な温室効果があるため、CO2濃度の上昇による大気の温室効果の上昇は起こりません。
 仮に、CO2による大気の温室効果の影響が観測されるとすれば、日本の天気予報でご存じの「放射冷却現象」が観測される時期、つまり気温が低下して大気中の水蒸気濃度が低下する秋から冬の時期に限られるのです。
 つまり、CO2による付加的な温室効果による気温上昇は、温帯の寒冷な時期、ないし一年間を通して冷涼な高緯度地方ほど顕著になるのです。
 仮に人為的なCO2放出による地球温暖化が実在するとすれば、地球の寒冷期あるいは寒冷地の気温の上昇によって地域的・時期的な気温較差が小さくなり穏やかな環境になることを意味し、それは総じて地球の生態系にとって非常に好ましい変化です。
 しかし、残念ながら人為的なCO2放出によって大気中CO2濃度が顕著に上昇することはありません。また、その蓋然性は極めて低いのですが、仮に、大気中CO2濃度上昇による大気の付加的な温室効果の上昇による気温上昇が実在したとしても、それは好ましい変化なので特段対策をとる必要性はありません。
 どうしてこんな当たり前のことが理解を得られないのか、私には全く理解不能です。

 温暖化するにしろ寒冷化するにしろ、それは自然現象なので私たちはその所与の環境で暮らしていくしかありません。ただ心配なのは2000年以降、気温は世界的に低下傾向を見せているようであり、私の個人的な印象として、世界的に寒波による自然災害が急増しているように感じます。1980年代からの今回の気温上昇は既に極大値を過ぎ下降局面に入ったように思われます。
 今後の気温低下が小氷期並みの数100年規模で継続することになると、この寒冷な期間中に化石燃料の枯渇が現実のものになる可能性が高いということです。人類はこうした事実を直視して、エネルギー多消費型の工業生産の増大を前提とする愚かなSDGsなどという非現実的な目標は早く捨て去り、まず第一に人口を緩やかに減少させ、農業生産の減少、エネルギー資源の枯渇に対応できる人間社会の構造を構築する準備を始めるべき時期が近付いていると考えます。

 

No.1448(2022/12/18) 崩壊した平和主義・民主主義・法治国家、日本
日本国民の意思よりも米国の世界戦略に配慮する稀代の愚か者、売国奴岸田文雄

 既にご承知の通り、戦後日本の在り方を示した平和憲法の精神を180度覆す内容を持つ安全保障関連三文書の改定が「閣議決定」されました。軍事力によって日本の国土や国民の命が守れないことについては既にこのHPでは語りつくしてきましたので、ここでは繰り返しません。この間の拙速な動きに対して、簡単にコメントしておきたいと思います。

 今回閣議決定された三文書の内容は、憲法に記された平和的な外交によって国家の安寧を目指すことを放棄して、再び軍事力による国際問題の解決に道を開くものです。日本の軍備拡張は東アジアの緊張を高め、周辺国の軍拡競争を激化させるものです。
 最高法である日本国憲法に反する内容を含む国家の重大な政策変更について、憲法改正を行わず、選挙によって国民の意思を問うこともなく、国会における審議すら一切行わずに「閣議決定」するなど、法治主義・民主主義を破壊する行為です。ファシスト岸田文雄は、日本国憲法や日本国民の意思よりも米国の世界戦略を優先したのです。

 岸田文雄は、日本が米国の東アジアにおける軍事戦略と一体化することで日本の国土や国民の命が危険にさらされることを承知の上で、軍事費倍増を自身の「朝貢外交」における米国への「手土産」とするために閣議決定で安全保障関連三文書の改定を強行したのです。岸田文雄は、日本の国土や国民を米国の世界戦略実現のための犠牲として差し出し、見返りに自身の政権基盤の安定を米国に保証してもらおうという卑しい考えの愚か者です。
 この岸田の行動は、オレンジ革命以降、旧東欧諸国を新植民地化することを目指す米国ネオコンの世界戦略に協力することで、米欧の威を借りてウクライナを統治してきた正に現キーウの米欧傀儡ウクライナ政権と同じ行動です。それは、とりもなおさず将来的に日本に今のウクライナ危機を招来する可能性を開いたことを意味しています。岸田文雄は、掛け値なしの売国奴です。
 

  しかし、最も愚かなのは岸田文雄でも、好戦的な政治屋たちでもないと考えています。本当の愚か者は、政治に対する無関心から折角の平和憲法や民主主義を生かすことをせずに、かつて破滅的な戦争に突入していった軍閥の暴走を止められなかった当時の日本国民と同様、「平和ボケ」して小泉―安倍―岸田政権の軍事国家化への動きに対して反応することがなかった大多数の日本国民自身であろうと考えます。

 以下に三文書改訂を報じた2022年12月17日の大分合同新聞の記事を紹介しておきます。

 

 

No.1447(2022/12/16) 環境問題・資本主義・自由貿易・ウクライナ㉗
工業文明の持続可能性について/SDGsは自然科学的に実現不可能J

4−6 工業文明は化石燃料の枯渇で終焉を迎える

 読者の方からメールをいただきました。同じ疑問をお持ちの方も多いのではないかと思いますので、検討を進める前に紹介しておきたいと思います。


近藤様

「工業文明は化石燃料の枯渇で終焉を迎える」との主旨。理解できました。

水素が石油に代わる。
50年後には、核融合発電で海水から水素を得るので、海に囲われた日本は資源大国になる。水素が石油に代わって工業化社会を支える。
と言う、糸川英夫博士の本を読んだのが46年前のこと。

核融合発電の実用化の見通しは今も見えていないので、糸川博士の予想は外れでした。
化石燃料も枯渇しないでまだ当分ある。

近藤様は核融合発電も否定されていますが、
人類が工業文明の終焉を受け入れるは考えられません。
100年後に化石資源を使い果たすとしたら、どうでしょう。


人が住む地球上の環境は様々ですから、暮らし方も様々でしょう。
日本は森林資源が豊富ですから、バイオマスエネルギーの活用が期待できると思いますが、
数日前の新聞でバイオマス発電事業からの撤退が報じられていました。
理由は、木材価格の高騰で間伐材が入手できなくなったというのです。

苫目地氏の試算では、暖房用の熱は人工林の循環で賄えるそうです。


 まず、お便りのご意見の中で「人類が工業文明の終焉を受けいれるは(ママ)考えられません。」と書かれていますが、これは受け入れるかどうかではなく、必然的にそうならざるを得ないことであって、人類の意識とはかかわりのない問題です。
 人類が知性を獲得しているならば、冷静に現状を自然科学的に把握した上で、可及的速やかに化石燃料文明後=工業文明後の可能な人間社会の形を考察することこそ肝要です。

 次に核融合による無限のエネルギー供給という幻想についてです。太陽では自身の持つ強力な重力場によって安定的な核融合反応が持続的に生じています。この核融合反応を地球という小さな重力場で安定的に継続して実現することには無理があります。核爆発による一時的な強力な圧縮・高熱を用いる水素爆弾以外に「実用的」な技術は存在しません。
 もし地球上において核融合反応が安定的持続的に継続できる「場」を作り出そうとすれば、その場を形成するために莫大な資源と工業的なエネルギーの投入が必要になります。この問題は既に1970年代に理化学研究所の研究員であった槌田敦によって検討され、エネルギー産出比が1.0を超えることはないので無意味であると結論されました。槌田はこの研究を基に資源とエネルギーの有用性について「資源物理学」あるいは「槌田エントロピー理論」として知られる理論体系をまとめました。
 付言すれば、地球上における核融合は太陽のように水素Hの核融合ではなく、重水素D(=2H)と三重水素(トリチウム、放射性元素)T(=3H)を用いるD-T反応です。トリチウムは自然界にはほとんど存在しないため核融合で用いるには原子炉で工業的に生産することが必要です。核融合炉は決してクリーンなエネルギーではなく、膨大な高レベル放射性廃棄物を作り出します。
 さらに、核融合は本来超高温熱を供給するだけの言うならばボイラーの熱源にすぎません。高温熱から有用な仕事を取り出すためには冷却することが不可欠になります。これによって、生み出された熱エネルギーの多くが廃熱として環境中に拡散することになります。
 これらを考慮すれば、熱核融合炉を工業的に利用するなどというのは愚かな発想だということがわかります。
 核融合に対する幻想の根源にある誤りは、供給される熱エネルギーの大きさばかりが強調される一方で、それを実現するための設備建設や運用に対して投入される莫大な資源や工業的なエネルギー量に対する考察を怠っているからです。つまり、これも再生可能エネルギーに対する幻想と本質的に同じ構造を持っているのです。

 以下、読者からのご意見に対する私の返信を紹介します。


■■ 様

> 水素が石油に代わる。
> 50年後には、核融合発電で海水から水素を得るので、海に囲われた日本は資源大国になる。
> 水素が石油に代わって工業化社会を支える。
> と言う、糸川英夫博士の本を読んだのが46年前のこと。

> 核融合発電の実用化の見通しは今も見えていないので、糸川博士の予想は外れでした。

●1970年代終盤には理化学研究所で熱核融合炉の可能性について研究していた槌田敦さんは、トカマク型の熱核融合炉について、この連載で再生可能エネルギーの可能性を検討したのと同じように(勿論私のような大雑把などんぶり勘定ではなくもっと緻密な検討ですが)、核融合炉を運用するために投入するエネルギーと核融合炉から取り出せるエネルギー量を比較して、エネルギー産出比が1.0を超えることがないということを物理学会の論文として提出しました。この研究をベースに槌田氏の資源物理学ないしエントロピー論の基礎が完成しています。

●エネルギー産出比1.0以下の核融合で供給される電力で海水から水素を取り出すなど全く役に立ちません。また、熱核融合はH−H反応ではなくD−T反応(デューテリウム:重水素とトリチウム:三重水素による核融合反応)であり、軽水素Hでは反応しません。核融合炉を運用するためには原子炉を稼働して自然界にほとんど存在しないトリチウムを工業的に製造しなければなりません。

主流の物理学者や技術者たちは原子力、核融合、再生可能エネルギーなどについて資源を利用するために投入する莫大なエネルギーを完全に見落としている、あるいは故意に捨象することで、産出するエネルギーの大きさばかりを誇張して政治家や大衆をだまして研究費を国費から盗み取っているのです。

●1980年代の石油代替エネルギーブームの失敗、そして現在の再生可能エネルギー導入による莫大な資源の浪費の実態が槌田さんの資源物理学の正しさを示しています。

> 人が住む地球上の環境は様々ですから、暮らし方も様々でしょう。
> 日本は森林資源が豊富ですから、バイオマスエネルギーの活用が期待できると思いますが、
> 数日前の新聞でバイオマス発電事業からの撤退が報じられていました。


●勿論工業文明後の人間社会は人力、畜力、薪炭、そして自然エネルギーを利用することになるでしょう。それは工業文明下のエネルギー多消費による無国籍的共通技術ではなく、各地の自然条件によってさまざまな形態があるはずです。バイオマス発電のように木材などを工業的な技術で利用すればたちまち森林資源の枯渇に繋がり、生態系が破壊され持続可能性は失われることになるでしょう。
 ポスト工業文明下では、風力については中世ののどかな田園風景に見られる揚水風車や粉ひき風車など、水力は揚水水車や製材水車、各種の粉砕作業に対する水車の利用などが復活することになるでしょう。能率を競うのではなく、自然の変動に逆らわない効率的な穏やかなエネルギー利用による産業構造を模索することが必要だと考えます。
 科学技術者は、エネルギー多消費型の工業的な経済膨張政策につながるメカトロニクスの技術開発から、そろそろポスト化石燃料文明を見据えた科学技術の研究にシフトしていくべきだと考えます。私のホームページは、本来そうした議論の場になることを願って開設したのですが、いまだ温暖化などという愚かな問題に関わらなければならないことは忸怩たる思いです。


 前回までの検討で、工業文明は現実的には化石燃料文明であり、化石燃料の枯渇によって終焉を迎えることを述べました。唯一枯渇することのないと考えられる自然エネルギーについては、工業的に利用する限り、エネルギー産出比が1.0を超えることがないため、有効に利用できるエネルギーを供給することが出来ないことを示しました。

 現在、化石燃料の枯渇とは別の目的、つまり人為的CO2地球温暖化の対策としてCO2排出をなくすために工業生産の脱炭素化と持続可能な工業的な発展を目指すとしてSDGsという無謀な目的が提案されています。
 次回からSDGsを進めることによって、目的とは裏腹に地球環境が破壊され、飢餓と貧困が蔓延を招来することになることを示すことにします。

(続く)

 

No.1446(2022/12/12) 情報技術によって崩壊する民主主義
民主主義による軍事独裁国家化を可能にするための国民を奴隷にする洗脳技術

 情報社会が普遍化すればあらゆる情報にだれでもアクセスできるようになるので、最早権力の暴走など起こらない、などという楽観論が一世を風靡しました。

 ところが実際はどうでしょうか?高度に発達した情報社会とは、資金力、組織力を持つ者=国家体制による大量情報(偽情報を含む)によって世論がコントロールされる一方、体制にとって不都合な情報は隠ぺいされ、あらゆるプライベートな情報までが監視され、体制に対する批判的な主張はアクセス不能にさせられ、まるで無かったことにされてしまう社会です。これが現実です。このホームページも2010年から突然一般の人の目にはつかないようにアクセスに制限がかけられています。

 これは中国や北朝鮮の話ではありません。私たちの日本であり、米欧諸国の問題です。
 例えば「人為的CO2地球温暖化脅威論」に対して批判的な情報は徹底的に排除され、あるいはアクセスしにくくさせられています。マスコミ報道は、建前として自由に意見が述べられる社会を目指すと言いながら、人為的温暖化は誤りであると主張する者はまるで非国民であるように批判し、社会的に抹殺している現実があります。
 そしてロシアのウクライナ侵攻報道も全く同じ構造を持っています。平均的な日本人は過去8年間にわたる米欧傀儡ウクライナ政権によるウクライナ東部地区に対する虐殺と米欧による虐殺幇助の事実については全く情報が遮断され、ロシアが悪いのだという洗脳報道がまかり通っています。そして「ロシアや中国は何をするかわからないから日本は防衛費を二倍にして世界の軍事大国になりましょう」と言うプロバガンダが行われ、岸田ファシスト政権はいよいよ軍備拡大に着手しようとしています。

 情報社会は権力による思想のコントロールが大衆に気づかれないまま極めて効率的かつ簡単に行える社会なのです。コントロールされた大衆による見せかけの民主主義によって、私たちはまた軍事大国化の道に今踏み込もうとしているのです。

 一昨日の大分合同新聞の一面の記事を紹介しておきます。日本国家は大っぴらに税金を使って国民を戦争に動員するために、情報技術を駆使して洗脳する研究を既に開始しているのです。

2022/12/14 追記

 岸田は、防衛費捻出のための増税に応じることが国民の責任であると主張しました。ふざけるのも大概にして欲しいものです。
 政府とは国民の負託を受けて政策を実行するものです。国民が求めているのは平和な生活を維持することであって軍事力を増強することではありません。国は、国民の平和な生活を続けたいという要望を実現するために最も経済的・社会的な負担の少ない方法でこれを実現することが責務です。それは軍事力の増強ではなく、外交的な手段によって平和を実現することであり、それを成文化したものが憲法9条です。

 軍備増強のための軍事費増大ありきの財政負担議論以前に、今一度平和国家日本というものについて考えることこそ国民の責務であろうと考えます。

 

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