昨日のNHKの午後のニュースで、北朝鮮拉致被害者の家族会が拉致被害者を救出するための方針として、これまでの北朝鮮に対する経済制裁などの力による圧力による奪還方針を放棄し、経済制裁の解除等の見返りの供与を含む現実的な対応によって、膠着している拉致被害者返還交渉を打開する方針を決めたという報道がありました。
このHPでは予てから拉致被害者の奪還を本気で考えるならば第二次世界大戦の戦後処理を誠実に行い、平和条約の締結などをとおして日朝関係を改善して対話による交渉を行う以外にないこと、経済制裁や朝鮮戦争の当事国である米韓と一緒になって軍事的な圧力をかけることでは金輪際拉致問題の解決がないことを繰り返し述べてきました。
今回の家族会の感情的でヒステリックな対応からの方針転換はやっと現実に本気で向き合うことに気づいたことを示しており、一歩前進だと考えます。
一方安倍極右政権の北朝鮮の拉致問題に対する対応は、家族会のこれまでの北朝鮮に対する強硬姿勢を利用して、北朝鮮脅威論を煽ることによって日本の軍備増強、平和憲法改正のために最大限利用してきました。安全保障関連法案の成立によって更に日米軍事同盟を強化して、極東地域において実質的な米軍の補完部隊としての活動を拡充する方針をとっています。
おそらく、今回の拉致被害者家族会の現実的な方針転換は、残念ながら、北朝鮮を当面の仮想敵国とする安倍極右政権の軍備増強にとっては利用価値がなく、むしろ反する内容なので、十中八九黙殺されることになるでしょう。
拉致問題も含んで、日本の東アジア地域における真の意味での安全保障(つまり、日本の国土と国民生活の安寧を守る)のためには、近隣国家との緊張関係を緩和することこそ最善の策であることは論を俟ちません。北朝鮮の国家体制などというものは他国の国内問題であって、本来介入するべき事柄とは思えません。
実質的な対北朝鮮関係において日本の安全保障を考えるとき、最も有効なのは、北朝鮮との戦争当事国である米韓とは一定の距離を取って、むしろ中国と協力して米韓と北朝鮮との間の緊張緩和、つまり朝鮮戦争の集結に向けての交渉の仲介を行うことこそとるべき道です。
北朝鮮の最大の関心事は、朝鮮戦争によって米韓が北朝鮮の国家体制を破壊すること、米韓による朝鮮半島全体の支配なのですから、戦争を終決して国土と国家体制の維持を保証すれば緊張は緩和します。
北朝鮮の喉元に米軍の核兵器を突きつけておいて、武装解除を求めるようなやり方ではうまくいくはずがありません。実際、この愚かな政策によって北朝鮮は核兵器保有国になってしまいました。
残念ながら、軍事力を含む力によって世界の中心で輝く=極東におけるトップランナーになること、新大東亜共栄圏を妄想している安倍極右政権下では、拉致問題が解決することはなく、むしろ軍事衝突の火種がくすぶり続けることになるでしょう。
福島第一原発2号機に投入されたロボットによる映像と原子炉格納容器内の空間線量率の計測データが公表されました。先ずは新聞報道から。
計測された最大の空間放射線量率は530Sv/hという途方もない値でした。これを通常よく耳にする単位に換算すると以下のようになります。
530Sv/h
=530×103mSv/h
=530,000mSv/h(53万ミリシーベルト/時間)
=530×106μSv/h
=530,000,000μSv/h(5億3000万マイクロシーベルト/時間)
被爆による確定的影響を積算被曝線量で表した図を次に示します。
この図から、積算被曝線量が3,000mSvで50%の人が死亡し、7,000mSvで100%の人が死亡することが分かります。
今回計測された格納容器内の最高空間線量率530,000mSv/hの環境で1分間に受ける積算被曝線量は、
530,000mSv/h×(1h/60)=8,833.3mSv
つまり福島第一原発2号機の格納容器内に1分間居ればすべての人が死亡するほどの空間線量率であることが分かります。このような環境下では実質的な作業を行うことは不可能です。
既に原発事故から6年間ほどが経過していますから、半減期の短い核種からの放射線は既に減衰しており、現在計測されている空間線量率の今後の減衰はゆっくりだと考えられます。つまり、少々時間が経過しても原子炉格納容器内の空間線量率はそれほど小さくはならないのです。
現在、福島第一原発事故の原子炉の処理は、水冷でメルトダウンした核燃料を冷却し続け、溶け落ちた核燃料の放射能の減衰を待って取り出して処分するというものです。しかしこの処理方針は全く現実的ではありません。
溶け落ちた核燃料の水冷システムはクローズしたサイクルにすることが出来ず、放射能汚染冷却水は増大する一方であり、一部は回収できずに漏洩して海洋に垂れ流されており海洋汚染が続いています。今回計測された空間線量率から考えて、放射能が減衰するまでにかかる期間は途方もなく長いものになります。その結果、汚染冷却水処理もうまくいかない状況では、回収された放射能汚染水も、早晩環境中に投棄されることになるでしょう。
更に、溶け落ちた核燃料をどのように回収してどのように環境から隔離するのかも全く具体的な技術が見えません。
つまり、東電や国のやっている事故処理は単なるポーズだけであり、今の事故処理方針では実質的には全く処理の目処などないというのが実態なのです。
水冷方式と核燃料の取り出しで処理するという方法に固執するつまらぬ見栄は捨て、処理方針を変更し、核燃料をドライな状態にして封じ込めるチェルノブイリで行われた石棺方式に準じた原子炉の現場における処理を行うべきだと考えます。
トランプが米国大統領になって2週間程度が経過します。この間、日本のマスメディアはトランプが打ち出す政策について連日ほとんどトップニュースで伝えるような状況になっています。勿論、日本のマスメディアの論調は「過激で米国のこれまでの良識を壊すひどい政策」というものです。
さて、これまでこのHPで取り上げてきたトランプ関連の記事で、私がトランプの政策を全面的に支持していると勘違いしている方もいるようです(笑)。それは大きな誤解です。
私が主張しているのは、米国ないし大多数の米国民は良識的であるというこれまでの誤ったマスメディアの報道が現実ではなかったことがトランプの登場で明らかになったこと、より現実に近い米国ないし米国民の考え方が外から見ていてもある程度見えるようになったことを評価しているのです。トランプは交渉術に長けた政治の専門家ではないですから、政策や発言にストレートに本音が反映されています。
例えば弁護士上がりで交渉術に長けたオバマは就任当初から外向きには反戦、反核のイメージを作りましたが、実際には彼の就任期間中にも中東では無人戦闘機で民間人を含む虐殺を繰り返し、あるいは、今後30年間で1兆ドルをかけて核兵器を近代化するという方針を決めているのです。詳しくは関連記事をご覧ください。
このオバマの裏表のある振る舞いに、例えば愚かな日本の反核運動は、まんまと騙され、オバマ広島訪問時には無様にも涙を流して喜ぶという、茶番までやってしまいました。
その点、トランプは「正直者」(笑)ですから、素直に本音が発言に現れるので、きっと脳天気な日本人であっても、勿論彼の政策に落胆することはあるでしょうが、あまり騙されることはなくなるのではないかと考えます。
さて、現在マスメディアで最も取り上げられているトランプの政策が「特定の国に対する移民・入国禁止」であろうと思います。日本のマスメディアでもこの政策に対する米国民の反対運動のデモの様子が連日報道されています。この報道を目にする多くの日本人は、トランプの政策は米国民の大多数から反対されているにも関わらず独裁者トランプという大悪党が民意を無視して強権を発動しているのだと思うかもしれません。
しかし実体はそうではないようです。米国内の各種の世論調査では、私の知る限り例外なくトランプの移民禁止政策について、反対する米国民よりも賛成する米国民のほうが多いという結果が示されています。例えば、ロイターの世論調査の結果は次の通りです。
ロイターの世論調査では、賛成が49%、反対が41%、分からないが10%という結果です。トランプの政策は米国民に支持されているのです。
つまり、私達が日頃日本のメディアで目にする映像情報は、トランプ反対派の相対的に少数派の抗議行動ばかりが選択的に報道されているということです。
ここで私が言いたいのは、トランプの移民禁止政策の是非ではなく、強大なマスメディアの情報発信力を駆使すれば、現実とは異なる情報・イメージを大多数の国民に植え付けることができるという情報化社会の現実です。
インターネットが発達し、誰もが情報にアクセスしやすくなれば、権力や体制は民衆に対して嘘がつけなくなるなどということが実しやかに語られてきましたが、現実はそうではないのです。強い情報発信力を持つものは、容易に世論を操作して嘘を現実に出来るのが情報化社会の実体なのです。その典型的な例が「人為的CO2地球温暖化」という虚構が現実世界を席巻している現状です。
最後に、現在準備中の人為的CO2地球温暖化を検証する書籍の巻頭言の下書きを紹介しておきます。
はじめに
米国では、大方の「良識的な市民」やマスメディアの予測を覆して、ドナルド・トランプ氏が第45代大統領に就任しました。マスメディアは、選挙戦の段階からトランプ氏の「過激な発言」の多くは取るに足らない暴言にすぎないと論評してきました。確かにトランプ氏の発言は歴代の米国大統領の発言とは随分違うものです。しかし、マスメディアが言うように彼の主張が全く出鱈目で、絶対的に誤りであると言う主張は、慎重に吟味する必要があります。
例えばトランプ氏の暴言の一例として「二酸化炭素地球温暖化はでっち上げであり、二酸化炭素排出を規制する温暖化対策は無意味どころか有害である」という主張があります。これに対してマスメディアは非論理的な放言であるという扱いで紹介し、おそらく良識的な日本人であるあなたもそう考えているのではないでしょうか?
温暖化対策事業は原子力発電以上に人間社会の隅々にまで影響を与え、したがって広範な利権を生み出します。間接的な影響を含めれば、既に日本国内だけでも温暖化対策関連の市場規模はおそらく年間数10兆円の規模に達していると思われます。利権構造に直接関わる二酸化炭素地球温暖化説が正しいと主張する気象研究者や「専門家」の発言を鵜呑みにすることは、とても危険です。本書では、基本に戻って人為的CO2地球温暖化「仮説」について先入観を持たずに自然科学的な検証を試みようと思います。
気象現象に対する常識にはたくさんの誤りがあります。気象現象について議論する前提として、一般的には当然の事実と考えられている「産業革命までの気候は快適であった」、「気候変動は数値モデルによるコンピューター・シミュレーションで実用レベルの予測が可能である」、「20世紀に観測された気温上昇の主要な原因は人為的に放出された二酸化炭素による付加的な温室効果である」、…などは全く現実とはかけ離れた自然科学的な誤りです。
例えば、産業革命前夜はここ一万年余り継続している比較的温暖な間氷期の中では最も寒冷で過酷な時代だったというのが歴史的な事実です。この時代は小氷期と呼ばれています。英国ではテムズ川が結氷し、欧州ではペスト(黒死病)が蔓延し人口が激減しました。まず、あなた自身が自然科学的に検証していない常識による先入観を捨て去ることが必要です。
世界的な規模で地球の気象現象についての観測データや認識が共有され始めてから、まだ100年も経過していません。世界戦争の時代には、気象に関する情報は軍事機密であり、広く公開されることはありませんでした。また、地球全体を俯瞰する気象観測技術が十分には発達していませんでした。
第二次世界大戦が終結し、地球観測衛星を含めた気象観測技術の発達と、気象観測データの世界的な共有によって、ようやく地球規模の気象現象に対する理解が進み始めました。同時に、古気候学の進歩によって、地球に残されている過去の気候変動の痕跡を分析することで、気象観測データの存在していない過去の気候変動の様子も、少しづつ明らかになり始めたところです。
地球規模の気象現象についての学問体系はまだ若く、太陽活動などの宇宙規模の外的な要因から地上の生態系の状態という広範な影響が錯綜する複雑な物理現象の総体である気象現象の全体像を把握することは大変むつかしいのです。気象研究にとって、日々の気象現象の観測を通して自然と真摯に向き合う謙虚さこそ必要です。
第二次世界大戦後、1940年代終盤から世界の産業は急成長を始め、その原動力となる化石燃料の消費が爆発的に増加しました。その一方で1940年台以降、世界的な規模で気温は低下傾向を示しました。1970年代には、北極海の海氷面積が拡大して、北極海に面する港湾が結氷し、海上交通に支障をきたすほどでした。20世紀に世界的に観測された気象に関するビッグ・イベントであった1970年台の寒冷化は、その後1980年台に登場する人為的CO2地球温暖化仮説を真向から否定する歴史的な事実でした。この頃、地球は温暖な間氷期が終わり、再び本来の寒冷な氷河期に突入するのではないかと心配されました。
その後、幸い1980年代には気温は急速に上昇し始めました。1988年6月23日、米議会上院エネルギー委員会の公聴会においてNASAのハンセンは、「異常気象の頻発の原因は地球温暖化であり、温暖化の原因は人為的影響である可能性が高いことが、コンピューター・シミュレーションによって、確認された」と証言しました。このハンセンの発言をきっかけに、マスメディアは温暖化による負の側面、脅威だけを誇張して繰り返し報道し、人為的CO2地球温暖化仮説は自然科学的な真偽の検討を置き去りにしたまま急速に世界中に広がりました。
これを受けて、1992年6月、リオデジャネイロで開催された地球サミット(=環境と開発に関する国際連合会議)において国連気候変動枠組条約が採択されました。1997年12月には第3回国連気候変動枠組条約締約国会議COP3京都会議において、2012年までのCO2などの温室効果ガス排出量削減の数値目標が設定されました(京都議定書)。そして2015年12月、COP21においてパリ協定が結ばれ、世界196か国が温室効果ガス排出削減を行うことなどを取り決め、2016年11月4日に発効しました。
パリ協定で定められた温暖化を阻止するための方策としての温室効果ガス排出量削減の枠組みは、世界の政治・経済における主要な課題の一つとして今後長期間にわたって重大な意味を持ちます。しかし、地球の気候の変動機構は自然科学的に未解明な部分が多いのが現状です。国連気候変動枠組条約の自然科学的な基礎である人為的CO2地球温暖化仮説は、気象現象に対する断片的な知識を基に組み立てられた幼稚な数値モデルによるコンピューター・シミュレーションの仮想空間の中でだけ成立しているおとぎ話にすぎません。20世紀に観測された気温上昇の主因が人為的に放出されたCO2の影響ではない場合、パリ協定は人間社会に計り知れない負の遺産を残すことになります。
いま日本では、なかば宗教化した学校理科教育の成果によって、ほとんどすべての人たち、特に30歳代よりも若い人々は修飾語なしに「温暖化」といえば「人為的なCO2排出による温暖化」であり、それが自然科学的な事実だと信じています。しかし、実際には、人為的CO2地球温暖化仮説を明確に説明できる現象が観測されたことは、いまだかつて一度もありません。また、学校理科教育の教科内容に照らしても人為的CO2地球温暖化仮説は多くの誤りを内包しています。
その一方で、「温暖化は人間社会に対して壊滅的なダメージを与える」という自然科学的な裏付けのない幻想が精緻化したコンピューター・グラフィックスで映像化され、あたかもそれが事実であるかのように大衆の脳裏に焼き付けられ、温暖化の恐怖によって世界が暴走し始めようとしています。
気象現象に対して様々な議論が交わされることが気象現象の理解と気象学の発展にとって重要です。自然科学的に確認されていない一仮説にすぎない人為的CO2地球温暖化仮説が、何らかの意図をもって権力や資本と結びつき、自然科学的に正しいものとして押し付けられ、自然科学的な自由な議論が封殺されている現状は異常です。更に、現実社会の行動規範として科学的な信憑性も定かでない人為的CO2地球温暖化仮説が予防原則の名の下に正当化され、これに基づくパリ協定の内容が強制されている現状は不当であるばかりでなく非常に危険な状態です。パリ協定が本格的に動き始める前のこの時期に、20世紀の温暖化の実像について改めて自然科学的に徹底的な検証を行うことが必要だと考えます。
この週末は寒の内らしく厳しい寒さが日本列島を覆いました。北海道、東北、山陰などの豪雪地帯では、死者を含む人的被害を含む被害が多発しています。心より御見舞申し上げます。
寒波は日本だけではなく、欧州でも地中海周辺国にまで被害が出ているようです。寒波に襲われるたびに思うのですが、生活環境としてやはり温かいほうが絶対いい(笑)と思います。地球環境が寒冷化する脅威を感じます。早く「地球温暖化の脅威」などというバカバカしい議論を止めて、来るべき寒冷化に人類はどう立ち向かうべきかを世界規模で対応を考える議論を開始すべきだと考えます。
さて、恒例の寒中見舞いです。
寒中見舞いにも書きましたが、共謀罪がまた本国会に提出されるようです。国会の勢力分布を考えれば、まず間違いなく本国会で成立するのではないかと考えます。共謀罪が成立すれば、例えば国の温暖化対策に反対するこのHPなどは存続が危うくなるのかもしれません。そうなる前に言いたいことは言っておこうと思います(笑)。
冗談はさておき、盗聴法、機密保護法、共謀罪によって、日本の国民に対する思想的締め付けは、運用次第で敗戦前の治安維持法下の状況と変わらなくなる可能性があります。国民は、「まさかそんなことはないだろう」ではなく、少しでも危険性のある法制度に対しては最悪の状況を考慮して判断すべきです。
さて共産党大会に民進党安住、自由党小沢、社民党吉田が参加しました。共産党は打倒安倍ファシスト政権で野党共闘・連立政権を構想しているようですが、参加した野党3党幹部はこれに応じたかに見えましたが…。早速、民進党蓮舫は共産党との連立政権はあり得ないと否定的な発言をしました。この大馬鹿者は早くも野党共闘壊しです。アベノミクス崩壊寸前の自民党ですが、敵失で安泰ということです。
最後になりましたが、昨年上梓出来なかった人為的CO2地球温暖化仮説を科学的に検討する内容の本を早い時期に刊行したいと思っています。人為的CO2地球温暖化をでっち上げと主張するトランプ氏の登場もあり、タイムリーかもしれません(笑)。
矢ヶ崎さんの論文を掲載したのをきっかけに、改めて現在の東日本の放射能による汚染状況を確認しようと、ネット上を探しましたが、「放射線量等分布マップ拡大サイト」に最新版として公開されているのは1年以上も前の2015年11月4日付けのものしかありませんでした。観測点の点としての情報は最新のデータが公開されているようですが、面的な汚染状況の把握にはあまり適したものではありません。ここでは取り敢えずこの分布図をもとにして考えることにします。
前回触れたように、福島原発事故以前の法治国家としての日本の放射線防護に対する法体系では、一般公衆の居住環境の放射線の線量率は、1mSv/年未満と定められています。
1mSv/年=1m×(1000μ/m)Sv/年×(365日/年×24h/日)=0.11μSv/h
したがって、空間線量分布図において、最低のランクを示す濃い青色の部分だけが一般公衆が居住可能な地域なのです。福島県の大半の地域、そして宮城県、栃木県、茨城県、群馬県にも居住環境として適さない地域が広く分布しています。
また、この分布図は意図的に隣接する山形県、新潟県、山梨県、埼玉県、千葉県、東京都など、人口密度の高い地域を含む周辺地域の線量分布が空白にされていますが、おそらくこれらの県にも居住不適地が散在していると考えられます。
国やマスコミの情報操作によって福島県以外の東日本に住む住民の大半は、脳天気に、こうした現状すら知らずに自分には福島第一原発事故の影響など関係ないと思いこんでいるのです。
更に、1.3mSv/3ヶ月=5.2mSv/年=0.59μSv/hよりも高い線量率を示す地域は、放射線管理区域に指定して、一般大衆の立ち入りを禁止し、18歳未満の若年者は一切立ち入ってはならないのです。福島県内には放射線管理区域に指定すべき地域が広範囲に広がっていることが分かります。このような場所に子供を含めた住民を帰還させるなど人命軽視の棄民政策というほかありません。
放射線被曝と健康被害との因果関係、特に低線量の長期間被曝による健康被害の発現については、個人差が大きく、その実態を定量的に把握することは現状ではかなり難しいのは確かです。それでもチェルノブイリ原発事故ではかなりの情報が公開されたおかげで、低線量の放射線被曝の影響が客観的、定量的なデータとして知られるようになりました。
少ない事例ですが、日本でも放射線被曝労働の労災として認定された事例では、10件中9件までが積算被曝線量100mSv以下であり、最低ではわずか5.2mSvの被曝で白血病を発症しています。これは、20mSv/年の地域に3ヶ月間あまり生活することで被爆する線量です。放射線に対する感度の高い子供たちが20mSv/年という高線量率の環境で暮せば一体どのような影響が出るのか、恐ろしいことです。
チェルノブイリ原発事故後は、チェルノブイリ法によって、0.5mSv/年以上の地域には放射線被曝により危険であることを知らせ、5mSv/年以上の地域では、居住も生産活動も行ってはならないとして住民を保護すると同時に、汚染地域から放射性物質が域外に拡散することを防止しました
それに比べて、悲しいことですが、我が日本政府は自民党保守政権だけでなく、民主党政権下においてさえ情報が隠蔽されました。日本政府は一貫して情報を隠蔽してまともな検査を行わないまま、放射線による健康被害はないと言う無責任極まりない対応をしています。東北地方一円の放射能汚染状況を見れば、健康被害がないことのほうが不自然です。日本政府は、放射線被害が目に見えないことをいいことに情報を隠蔽して、南京大虐殺や朝鮮における慰安婦問題同様、福島第一原発事故による放射線被害を歴史から抹殺しようとしているのです。
また、除染などによって取り除かれた放射性物質に汚染されたゴミを福島県外で処分する=放射性物質を域外に拡散するなどという非科学的で愚かな方針を出しています。放射線による健康被害はいくら線量レベルが低くなっても総線量に比例した確率的な影響が現れると考えられています。影響に閾値がある毒物とは異なり、いくら拡散しても影響が減ることはありません。
一方、放射線の強さは発生源からの距離に対して指数関数的に減衰します。従って、放射性の毒物は出来る限り狭い範囲に囲い込んで管理し、人の居住環境から隔離することが有効です。
従って、福島原発事故で放出された放射性物質は、悲しいことですが既に放射性物質で高度に汚染されてしまった福島県の原発立地点の周辺に集積して管理し、その場所から居住地域を出来る限り遠ざけることが処分の基本的な考え方です。
更に、国の人命軽視の棄民政策によって放射能汚染地域に住むことを余儀なくされた住民の生活を支えるために、放射能汚染地域で産出した農産物・魚介類を域外住民に積極的に購入させることによって、日本国中の放射能非汚染地域の住民にまで食物連鎖による放射性物質の拡散、内部被曝を強要しているのです。
このように、商業原子力発電所事故に対する日本政府の対応は、情報を隠蔽して国民を騙し、経済的援助を打ち切ることで居住環境に適さない放射能汚染地域に住民を半ば強制的に帰還させ、放射性物質を非汚染地帯に拡散させるという、非人道的な棄民政策、非科学的な政策を取り、事故を過小評価し、事故処理に対する加害責任者である東京電力の経済的負担を軽減するとともに国家的支出を小さくしようとしているのです。福島第一原発の事故処理は、人命=国民の生存権よりも企業利益や国の経済的負担の削減を優先しているのです。
さて、福島第一原発事故の最大の教訓とは何でしょうか?それは、原子力発電所事故は、考えうる安全対策を行ったとしても思わぬ状況において起こり得るということです。
福島第一原発事故を経験した日本において、原発を再稼働させるのであれば、勿論安全基準を厳しくすることは当然ですが、その上で原発を運転する限り深刻事故は起こり得るという前提で、事故処理の指針を明確化し、それを実現するための経済的負担を原子力発電事業者に無限責任として負わせることを明確化することが必要です。それを行わない限り新安全基準は新たな原発安全神話になってしまいます。
事故処理指針の基本となる考え方は、事故処理は事故以前の状態への原状復帰が原則だということです。福島のように1mSv/年を超えるような場所に住民を強制的に帰還させることは許さず、あくまでも日本の放射線防護の法体系に従って対処することを原則としなければなりません。また、被災住民に対する生活の自立までの援助、健康被害に対する治療費は全て例外なく加害責任企業ないし、国が無限に保証しなければなりません。こうした原発再稼働のための当然の条件が満たされない限り、原発の再稼働には断固反対します。
おそらく、こうしたまともな原発事故処理指針を作れば、原発事故処理費用は福島第一原発事故処理費用を遥かに上回ることになります。福島第一原発事故では、住民帰村の基準を20mSv/年というとんでもなく高い値に設定し、しかも山林の除染は行わず、生活支援を打ち切るとしても20兆円を超える事故処理費用になると試算されています。まともに対応すれば100兆円のオーダーで事故処理費を投入しても原状復帰は技術的に困難でしょう。
国は、このような事故処理を原発事業者に義務付ければ、原発再稼働に対するインセンティブは消滅すると主張するでしょうが、それは日本国民に生存権を保証するために、そして長期的に見た日本の利益にとって、原子力発電は割に合わない不経済で劣悪な発電方式であるということです。
現在、原子力発電所再稼働反対の住民訴訟が起こされています。しかし、その争点は相変わらず操業期間中の原子力発電所の安全性の技術的な問題になっています。これは不毛な水掛け論であり、戦略として誤りであると考えます。
司法とは、対象とする行為が日本の法体系に対して適法であるかそうではないかという判断しかできません。手続き論として国の安全基準にそって原発操業開始の手続きを踏めば、これを司法が差し止めることは論理的に不可能です。司法に安全基準の自然科学的・技術的な内容にまで触れて判断を求めることは無理です。そればかりでなく危険なことだと考えます。もしこれを許せば、司法が自然科学の正誤の判断ができることになってしまいます。
原発を操業する限り、深刻事故が起こらないことを科学的に立証することは不能ですが、その逆に必ず事故を起こすことを立証することも不能ですから、安全論争で原発運転再開差し止め訴訟に勝つことはありません。
しかし、事実として絶対安全と言われてきた日本の原発が既に重大事故を起こしたという事実があるのですから、もはや原発操業中の安全性の議論には触れる必要はありません。原発が操業する限り深刻事故が起こることを前提として、原発が深刻事故を起こした場合において、日本の原子力防護の法体系に則して加害企業の責任において、住民の安全確保、被災地の原状復帰(居住環境を1mSv/年未満にすること)、被災者に対する生活援助、医療費について無限責任を負うことを経済的に担保できるのかどうかを争点とし、これが担保できないのなら再稼働に同意しないというのが、現実的な戦略であろうと考えます。
現在福島で行われているような人権を蹂躙した安上がりな事故処理を行うことは、生存権の侵害であると同時に、原発事故被災地域では日本の法律の適用から除外されるという法の下の平等の原則に反するという点を問題とし争うことが現実的だと考えます。
残念ながら現在の日本という国は、一応は国民が主権を持つ立憲主義の民主主義国家・法治国家ということになっていますが、その実態は建前とは裏腹に、国家権力が憲法や自ら定めた法律を無視して国民の主権を蹂躙している=棄民政策を行っているのが実情です。
国家権力がそうした横暴な政治を行う手法は悪質であるばかりでなく、とても巧妙です。国家が明らかに目に見える形で直接大多数の国民と対峙するような統治の手法を採れば、流石に政権を維持することができなくなる恐れがあります。そこで、国民の中にある意見の違いを巧みに利用して、国民を分断しているのです。
例えばこのHPで継続して取り上げている温暖化問題ないしエネルギー問題です。繰り返し述べているように、温暖化問題の本質は自然科学の問題です。自然科学的に見れば人為的に放出されたCO2が主因となって大気中のCO2濃度が上昇して、その付加的な温室効果で気温が上昇する事はあり得ません。
しかし、国家権力は温暖化問題=環境問題を改善することに異を唱えることは非国民であるかのようなキャンペーン、例えば東大IR3S「地球温暖化懐疑論批判」などを利用して科学的な論争を一方的に非難し反論することすら許さずに個人攻撃にすり替えて、抹殺しようとします。環境問題を憂う国民の中に温暖化問題を利用した分断を持ち込みました。人為的CO2地球温暖化仮説を批判するものは反環境保護派であるという分断です。
それに派生するエネルギー問題です。日本政府は人為的CO2地球温暖化仮説によって、石炭や石油・天然ガス利用は悪であり、CO2を放出しないエネルギー=再生可能エネルギーや原子力発電の利用を進めなくてはならないという主張です。言い換えれば、反原発運動は温暖化対策に反対する運動であるというレッテルが貼り着けられたのです。
これによって、人為的CO2地球温暖化を妄信的に信じる者の中にも分断が起こりました。CO2放出量を減らすためには、新安全基準に合致した原発なら再稼働容認するという者と、CO2放出量を減らすことと同時に原発も止めなくてはならないと主張する者の分断です。
また、沖縄の基地問題も然りです。日本政府の主張は、日本の安全を守るためには日米安全保障条約による米軍の駐留と自衛隊による軍事力の補完が必要であるというものです。したがって、在日米軍基地は必要であるという主張です。
これによって、沖縄駐留米軍基地は必要であると考える日本本土の多くの国民と犠牲を強いられる沖縄県民との間が分断されるのです。
そして矢ヶ崎克馬さんのレポートのテーマは東電福島第一原発事故をめぐる被災地域住民とその他の日本国民の中に持ち込まれた分断です。
既にこのHPでも再三触れてきたことでもありますが、放射能被害はその確定的・急性的な影響が現れるのは積算被曝線量100mSv程度とされていますが、それ以下の低線量の被曝においても確率的な影響があるとされています。低線量被曝については個人差が大きく未だ明確でない部分も多いのは事実ですが、低線量被曝による人的被害が起きているのは事実です。過去の放射線被曝労働に関する労災認定においても5.2mSvの被曝で亡くなられた方もいます。
これを前提に、日本の放射線防護に対する法体系では、住民の居住可能環境の放射線レベルは1mSv/年未満であることが定められています。また、1.3mSv/3ヶ月=5.2mSv/年を超えるような場所は放射線管理区域にして一般人の立ち入りを制限し、18歳未満については就労することも禁止されています。
ところが、福島第一原発事故では、なんと20mSv/年を目処に避難指示を解除=経済的援助を打ち切り帰村を強制しているのです。しかも、国は山林の除染は事実上断念し、除染は居住地域の周辺だけにしているのです。これらが許されているのは、安倍自民党政権が改憲において真っ先に書き加えたい条文の一つである『緊急事態条項』を先取りする形で「原子力緊急事態宣言」がなされ、法を無視する権限も含めて超法規的権限が内閣総理大臣に集中できる体制となっていることによります。
放射能汚染は福島に限定されてはいません。高汚染地帯の人々が切り捨てられ、日本全住民に対する法的保護がないがしろにされているのです。とりわけ福島県民は日本の放射線防護の法体系から露わに除外されている=分断されているのです。福島県は無法地帯なのです。このような場所に放射線に対する感度の高い子どもたちを帰還させるなど本来許されてはならないことです。
日本政府は、放射能汚染という特殊公害が目に見えないことをいいことに、東電を救済し、自らの責任を隠蔽・回避するために日本の放射線防護に対する法体系を無視して『規制緩和』することで原子力災害をないものにしようとしているのです。これによって、福島県民を放射能高汚染地域に住み続けさせる棄民政策を正当化し、原発事故処理費用の国家負担を軽減し、東電を救済しているのです。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故後の旧ロシア政府の対応は、福島第一原発事故後の日本政府の対応に比べて、遥かに誠実でした。残念なことですが、日本政府の対応は旧ソ連以上に国民をないがしろにした非人道的な棄民政策が今も続いているのです。
すでに民間の研究で福島県内における放射線被害による健康被害は小児甲状腺がんの激増などで明らかなのにもかかわらず、公式には御用学者によって影響はないものとされています。
また、こうした国家ぐるみの隠蔽工作に気づいて自ら避難する住民には、生まれた場所を見捨てる裏切り者のレッテルを貼り、経済的援助も行わないという差別が行われます。
また、国は放射能汚染による実害を「風評被害」と言い、マスコミを使って福島の被災地産の農作物や水産品を積極的に購入して福島を応援しようという大キャンペーンを行っています。
冷静に見れば福島県ないしその周辺は今でも高度に放射能に汚染されており、そこで生産したものを域外に販売することは放射性物質の域外拡散になることは科学的な事実です。こうした事実を主張すれば「風評被害」を助長するとか福島県民に対する差別であるなどという風潮を作り出し、国民を分断しています。
こうした国家権力による国民分断統治は、情報の隠蔽と虚偽情報の流布によるマスメディアを使った情報操作によって行われています。私達国民がこうした国家の横暴、棄民・分断政策に対抗していくためには、徹底的に自然科学に基づいた分析能力を身につけることが必要だと考えます。
能書が長くなりましたが、矢ヶ崎克馬さんのレポートを紹介します。
放射能公害下で命を守る連帯を 矢ヶア克馬(琉球大学名誉教授)New!
資料1 日本で進む異常人口減少
資料2 沖縄に於ける原発事故の健康影響
資料3 日本における病院患者の増加
資料4 原子力緊急事態宣言下の人権と健康被害
資料5 放射能公害から命を守る提言
※資料4は「季論21 '16秋」に掲載された論考ですが、矢ヶ崎さんから掲載許可を得て公開しています。総括的な文章になっていますので、是非目を通してください。
久々のNHKお馬鹿番組の記録シリーズです。あまりバカバカしくて一々取り上げるのを止めていましたが、安倍政権による報道メディアへの弾圧で、昨年は多少骨のあるテレビ番組のキャスターの首が根こそぎ据え替えられてしまったおかげで、一段とテレビ報道の安倍政権べったり感が増してきました(笑)。
さて、昨日、1月6日夜のNHKの報道(?笑)番組「ニュースチェック11」を見ました。
この番組の二人のキャスターの安倍政権ベッタリは、まったくジャーナリズムとしての批判精神のない無内容なコメントばかりを垂れ流しているようです。戦前回帰のファシズム政権である安倍政権に対して、日中戦争、太平洋戦争に協力した報道の反省が影も形もなくなってしまった、体制に対する批判的視点、庶民の視点を失った無意味な報道の典型を見る気がします。
昨日特に気になったのが、韓国内で起きた慰安婦像の市民団体による日本総領事館前への設置に対する報道です。まず本題に入る前に、慰安婦問題の経過をまとめておきます。
安倍政権において韓国における慰安婦問題に対する最終的な決着として、2015年12月28日の日本の岸田文雄外務大臣と大韓民国の尹炳世外交部長による外相会談後に行われた共同記者発表で、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認すると表明し、共同声明が出されました。その具体的な合意内容は、
岸田外相は「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」と強調、「安倍晋三首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」と語り、尹外相は「両国が受け入れうる合意に達することができた。これまで至難だった交渉にピリオドを打ち、この場で交渉の妥結宣言ができることを大変うれしく思う」と述べ、韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円拠出し、両国が協力していくことを確認した。会談では、日韓両政府が今後国際連合などで、慰安婦問題を巡って双方とも非難し合うのを控えることも申し合わせが行われた。
同日、日韓首脳電話会談で安倍晋三内閣総理大臣は、朴槿恵大韓民国大統領に対して「慰安婦問題を含め、日韓間の財産・請求権の問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で、最終的かつ完全に解決済みとの我が国の立場に変わりないが、今回の合意により、慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に」解決された」ことを確認した。
と言うものです。これに関連して、韓国政府は、ソウル特別市の在大韓民国日本国大使館前にある慰安婦像について「日本政府が、大使館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行うなどして、適切に解決されるよう努力する」と尹炳世外交部長が発言した。(以上、wikipediaより)
つまり、先の戦争において、日本軍の関与によって多くの韓国人女性が慰安婦として苦痛を受けたという歴史的な事実に対して、日本政府はこれを認め、謝罪し、日本と韓国という国家間の関係において決着したことを表明したのです。ただし合意文書は存在しません。
今回問題になっている慰安婦像の撤去について韓国政府は、韓国内の慰安婦問題についての市民団体と協議を行い、撤去することが出来るように「努力する」と述べているに過ぎません。
さて、民主主義国家であれば個人や市民団体が国家政策とは異なる主張をし、国内の法律に照らして適法な範囲であればどのような政治的な発言や表現をしようとも、自由であるべきです。たとえ、日本と韓国という国家間で慰安婦問題についての政治的決着がついたとしても、前大戦中における日本軍による韓国女性を貶める行為があったという歴史が消えてなくなるわけではありません。個人や市民団体が歴史的な事実である慰安婦問題を取り上げ批判すること、その表現の一環として慰安婦像を設置することは、韓国内において適法であれば、これに対して日本政府がとやかく述べるような問題ではありません。
例えば、日本の反核運動の市民団体が、広島や長崎に原爆を投下した米国の行為を批判し、被曝少女像を米国大使館前に建てようとした時に、米国政府が日本政府に対してこれを阻止するようにねじ込んだらどうするのでしょうか?ふざけたことを言うなと一喝すべきだと考えます。
安倍晋三や稲田朋美、あるいは安倍政権を支持する政治家や、戦前の国家神道や軍国主義、天皇制を復活させたいと考える日本会議やそれに類する似非国粋主義者たちは、日中戦争、太平洋戦争は美しい日本による聖戦であったとして美化するためには、醜い部分には頬被りしたい、隠蔽したいと考えているのです。例えば南京大虐殺や慰安婦問題は、できれば無かったことにしたい、歴史から抹殺したいと思っているのです。
安倍政権は2015年の合意発表で、慰安婦問題は政治的に決着した=歴史的に抹殺できたと考えたいのです。安倍とすれば日本政府は金まで支払ったのに、一向に慰安婦問題を歴史から抹殺できないことに苛立っているのでしょうが、実に傲慢な態度というしかありません。
今日の大分合同新聞の記事を紹介します。
今回の少女像問題に対する日本政府の韓国政府の主権をないがしろにするような無謀な要求と対応は、韓国を見下した安倍政権の傲慢さの現れです。強い日本を演出したい安倍は北方領土問題で相手にされなかった対ロシア外交での減点を対韓国外交で挽回しようと躍起だということです。これに失敗すると安倍政権の支持層、つまり日本会議や神社本庁などに対して示しがつかないことに苛立っているのです。
本筋から逸れてしまいますが(笑)、記事によると、今回の日本政府の対応は事前に米国様の了承が得られたから実施に踏み切ったということです。安倍政権の米国隷属ぶりがよく分かります。
さて、本題です。このように、慰安婦問題に対する日韓政府の合意発表の内容では、日本総領事館前の慰安婦像を撤去するという約束など行われていません。まして慰安婦像を設置したのは韓国政府ではありませんから、韓国の個人や市民団体の行為が合法であれば、いくら安倍晋三や彼のお友達には不快であったとしても、とやかく言える問題ではありません。
NHKニュースチェック11のキャスターである桑子真帆や有馬嘉男はこうした韓国政府の主権を脅かすような安倍政権の傲慢な要求には全く触れず、韓国内で韓国政府が市民運動を弾圧することこそ当然であるという内容のコメントを平気で述べるのです。手の着けられない癒着ぶりというほかないでしょう。
しかし、これも買いかぶりかもしれません。もしかするとこの愚かな二人のキャスターは自分が話している内容の意味、あるいは自分の演じてる役割すら理解していないのかもしれません。