3.原子力発電の即時停止こそ唯一合理的な選択
3-4 発送電分離と電力市場の自由化
この発送電分離は基本的には電力供給システムの最適化にとって好ましい政策です。しかし、これを実効のあるものにするためにはいくつかの条件があります。
前節で述べた通り、電力供給システムの最適化にあたって留意すべき点は、電力供給のコストとは、単に現在の発電原価に含まれている『電力会社の発電コスト』だけではなく、電力供給のために国庫から投入されている社会的費用までを総合的に最適化することが必要だということです。
電力供給システムを自由な電力市場の中で最適化するためには、これまで国庫から投入されてきた『見えないコスト』を市場経済の中の表の発電原価のコストに編入することが必要です。つまり、発電事業に対する国の介入を完全に排除し、発電に関わる全ての設備を発電事業者の資産に組み入れ、発電事業に関わるすべてのコストを唯一の製品である電力の価格に反映させることです。
@原子力発電事業の“自由化”
現在最も国庫からの支出の多い発電方式が原子力発電です。原子力発電をその他の発電事業と同等に市場経済の中で最適化するためには、その前提として、フロントエンド、バックエンドに関わるすべての原子力関連事業を完全に民営化して採算の取れる事業にしなければなりません。国は事業からは完全に撤退し、監督官庁としてその安全性を含めた適正な運用を監視することに専念することが必要です。
これによってフロントエンドの最終生産物である核燃料価格にフロントエンドの生産コストが適切に反映されることになり、核燃料価格は高騰することになります。さらに、バックエンドの使用済み核燃料を再処理しその過程で生じる高レベル放射性廃棄物を管理、処分する莫大な費用が使用済み核燃料の引き取り費用として電力事業者に適切に負担されることになります。
さらに、原子力発電事業者は、責任をもって重大事故処理を行うために、引当金ないし莫大な保険料支払いが必要になり、これを電力原価に算入することが必要です。
以上を考慮すれば、原子力発電による電力価格は最も高価になると考えられます。つまり電力市場の中で原子力発電は最初に淘汰される発電方式になるのです。
A自然エネルギー発電の“自由化”
自然エネルギー発電の発電費用は非常に高価であることが知られています。更に不安定な自然エネルギーを利用するために供給される電力は制御不能の不安定性を持つ、『低品質のクズ電力』です。このような低品質で高価な電力供給システムは自由な電力市場であれば誰も見向きもしません。それは電力供給システムの最適化という意味で全く正しい判断でもあります。
日本では電力自由化の中で自然エネルギー発電も並行して普及させると言います。これは市場原理ではあり得ないことであって、おそらく強力な国家介入によって電力市場の一定割合を自由競争から切り離して送配電会社に強制的に自然エネルギー発電電力を買い取らせることになるものと考えられます。
さらに送配電会社は押し付けられる低品質のクズ電力のために電力安定化のインフラを整備しなければならなくなるため、発電部門、送電部門の両方で資源とエネルギーの浪費が発生することになります。
電力市場の自由化は例外を設けず、徹底的に市場原理に任せることが必要です。再生可能エネルギー特措法のような市場原理とは真っ向から対立するような制度を廃止することが必要です。
続く→
3.原子力発電の即時停止こそ唯一合理的な選択
3-3 社会的費用の内部化による電力供給の最適化
現在の日本社会において電力の供給は基盤的な要素であり、民間事業でありながら上下水道事業などに準じる形で国庫から多大な援助を受けると同時に、地域独占が認められ、総括原価方式という必ず企業収益が上がる特異な料金設定が認められてきました。
その結果、電力事業は地域の中に競合する事業者がいないために放漫な経営が行なわれ、更に総括原価方式によって発電事業に必要な資産ができるだけ大きな発電方式であるほど利潤が増加するという異常な体質になりました。
註)総括原価方式
電力を供給するために必要な資産などの総額に一定の『報酬率』を乗じた『適正利潤』を原価に上乗せすることが法的に認められている。
放射能汚染の危険性のある原子力発電所が日本という狭小な国土の中に50以上も建設された背景は、原子力発電が最も発電用の資産が大きくなる=最も高コストの発電方式であるからです。経済学の室田武の調査によると、同一量の電力を供給する場合、原子力発電を行うために必要な資産は火力発電の4倍になり、従って、原子力発電は火力発電の4倍の利益を生み出すのです。
本来は、電力供給システムというインフラを安定的に維持していくために許された総括原価方式でしたが、電力会社は儲けを大きくするために敢えて非効率的な発電方式を採用し、無駄な資産をふくらませて国民から高い電気料金を絞りとってきたのです。
さらに電力事業には、原子力発電を実現するためのフロントエンドとバックエンド事業を中心として、莫大な国家予算が注ぎ込まれています。電力供給のための電力会社の負担する発送電事業の直接的経費の他に莫大な社会的費用が発生しているのです。その結果、日本の電力供給システムは非効率的で資源とエネルギーを浪費するシステムになっているのです。
福島第一原発事故のあと、それまで電力供給の30〜40%を担っていた原子力発電がほとんど停止状態にあるにもかかわらず、現在電力供給には何の不都合も起こっていません。言い換えれば日本の国家資金を湯水のようにつぎ込んで整えた原子力発電など、全て無用の長物だったということです。電力会社は原子力を止めてガス火力に切り替えているために燃料費によって莫大な赤字が出ていると言いますが、それは原子力用の燃料費用を前払いしていたものが不良資産化したからにすぎません。原子力発電に対して火力発電の電力原価が高価であるからではないのです。これに騙されてはいけません。
優れた電力供給システムとは、適正な企業活動として電力供給を実現するために投入される鉱物資源とエネルギー資源の消費量を最適化=最小化することです。これは発送電の直接的経費と社会的費用を合計した総費用を最小化することと等価です。
これを実現するためには、電力供給に関わるすべての事業に対する国庫からの税金投入を排除し、すべてを市場経済の中で行なわれる経済活動として行うことが必要です。現在はなし崩し的に人の目につかない所で湯水のように投入されている国費で賄われている社会的費用を電力供給事業に内部化することで商品である電力価格として明らかにすることなのです。
現在の電力料金として徴収されている明示的な電力料金は見かけ上は比較的安く設定されていますが、実際には私たちが国庫に収めている電力料金に反映されていない税金からの莫大な支出があることを確認しておかなくてはなりません。福島原発事故の後も最も高コストの発電方式である原子力発電に対して『経済的であるから再稼働すべきである』という愚かな主張は、電力供給事業に対しれこれまで通り国庫から莫大な税金をつぎ込ませて、重電メーカーと電力会社および関連業界の利益を確保しようという事なのです。
3-4 発送電分離と電力市場の自由化
一昨日、発送電分離などを含む電力の自由化に関する閣議決定が行なわれました。まずその報道内容を紹介しておきます。
電力改革方針を閣議決定=発送電分離と料金自由化
政府は2日の閣議で、電力会社から送配電部門を切り離す「発送電分離」や電気料金の全面自由化を柱とする電力改革の方針を決定した。茂木敏充経済産業相は閣議後の記者会見で「安定供給とコスト削減がきちんと進むかを見ながら改革を進める」と述べ、利用者の不利益とならないように具体化する考えを強調した。
改革は2020年までをめどに3段階に分け実施。政府は閣議決定を受け、全国規模で電力の需給調整をする「広域系統運用機関」の設立に必要な電気事業法改正案の今国会提出に向け、与党との調整に入る。
改革方針は「出力変動を伴う再生可能エネルギー導入を進める中で、安定供給できる仕組みを実現する」とし、電力料金抑制や利用者の選択肢拡大が目的と明記した。(2013/04/02-10:26 jijicom時事ドットコム)
閣議決定の内容が、今後どのように具体化されるかは流動的ですが、その骨子は次の二点です。
これまでの電力十社による送電網、発電事業の実質的な地域独占体制と総括原価方式という特異な電気料金決定プロセスが電力会社の放漫経営を容認してしまったという反省があります。まず、電力の自由化の前提として、送配電部門と発電部門を切り離す事です。送配電部門は安定供給のための『広域系統運用機関』として再編します。
次に、切り離された発電部門については、多様な電源を自由な電力市場を通して調達することによって、効率的で経済的な発電システムを実現することです。
続く→
3.原子力発電の即時停止こそ唯一合理的な選択
3-2 エネルギー供給技術の評価
軽水炉原子力発電の発電原価を60円/kWhだと仮定します。軽水炉原子力発電で日本の最終エネルギー消費量である1.6×1019J=4.444×1012kWhを賄うとすると、年間のエネルギー供給のために必要な総費用は次のようになります。
60円/kWh×4.444×1012kWh/年=266.6兆円/年
つまり、軽水炉原子力発電は、発電方式としてとてつもなく高価であり、従って極めて非効率的で劣悪な発電技術であることを示しているのです。ちなみに最近の日本のGDPは、500兆円/年程度です。
現在の日本の最終エネルギー消費におけるエネルギー源別の比率を図に示します。
電力は全体の20%程度の供給量であり、その売上は17兆円/年程度です。これに対して石油は55%程度の供給量であり、売上は20兆円/年程度です。その他のエネルギー源を加えても、総売上は40兆円/年程度だと推測されます(電力自体が高価なエネルギーであることが分る。)。
軽水炉原子力発電ですべての最終エネルギーを供給する場合、年間の発電原価の総額は266.6兆円/年ですから、エネルギー供給に必要な費用は実に6.7倍以上に膨らむのです。
しかし、現実には電力会社は原子力発電原価は20円/kWh程度としています。あるいは国のエネルギー調査会などは原子力発電原価は10円/kWh以下であると言います。これは何を意味するのでしょうか?
これまで見てきたように、軽水炉原子力発電におけるフロントエンド、バックエンド、事故処理費用の引当金などを適切に電力原価に反映すると、軽水炉原子力発電の電力原価は少なくとも電力会社の言う発電原価の数倍になることは間違いありません。ここでは仮に60円/kWhとしています。実際の発電原価との差額は、市場経済を通さずに国家財政から直接原子力発電事業に投入され、あるいは将来世代に対してツケを回しているということなのです。
続く→
3.原子力発電の即時停止こそ唯一合理的な選択
3-1 原子力発電の問題点の整理
これまでの連載で明らかになったエネルギー供給技術としての原子力発電の問題点を整理しておきます。
@高速増殖炉核燃料サイクルの技術的崩壊によって、自前のエネルギーの安定供給という目的は実現不可能となった。(→連載@、A、B)
A軽水炉原子力発電は発電方式として熱効率が低い(=環境の熱汚染が大きい)。軽水炉核燃料サイクルを行ったとしても天然ウランの利用効率は1%未満である。天然ウランの可採年数は100年に満たず、絶対的なエネルギー供給量は石油、天然ガス、石炭に比べてはるかに少ない。(→連載C、D、E、F))
B僅かな電力を100年間程度供給することによって生じる放射性廃棄物の管理期間は数万年から数十万年に及び、莫大な費用とエネルギーの投入が必要となる。(→連載G、H)
C軽水炉原子力発電の原子力発電所における発電原価は事故を起こさずに運転したとしても20円/kWh程度であるが、これに本来発電経費に含めるべきフロントエンド、バックエンドの費用を適切に内部化すれば、軽水炉原子力発電による供給電力の原価は数倍になる。さらに、原子力発電という事故リスクの大きな施設を運用するため、当然企業として準備すべき事故処理費用への引当金あるいは保険費用を含めるとさらに発電原価は数10円/kWhオーダーで上昇する。(→連載F、G、H、I)
日本における、エネルギー政策から見た原子力発電政策推進の前提条件である『高速増殖炉の安定運用によって自前のエネルギー資源を得る』というシナリオが崩壊したため、既に軽水炉原子力発電の存在意義は消滅しているのです。この事実を科学的、経済的合理性から判断すれば、原子力発電は即刻廃止する以外にないのです。
3-2 エネルギー供給技術の評価
工業生産の本質は、工業的に制御可能なエネルギーを利用することによって製品を製造することです。工業製品の価格の主要部分とは原料価格とその加工に投入される工業的生産手段とそれを駆動するエネルギー資源の費用です。原料価格の主要部分とは原料を得るために投入する工業的生産手段とそれを駆動するエネルギー資源の費用です。工業的生産手段もまた工業製品です。つまり、工業製品の価格の主要部分は、製品を得るために投入されたエネルギー資源の費用なのです。
電力供給という工業生産システムは特殊なシステムです。有用なエネルギー資源を原料として投入して、生産する最終製品もまた電力というエネルギーなのです。電力の価格とは電力という製品を得るために投入されたエネルギー量と工業的生産手段の規模を反映しています。勿論発電方式によって工業的生産手段とエネルギー資源量の比率に差はありますが、高額な電力ほど資源とエネルギーを大量に消費しているのです。つまり電力価格が高額となる発電方式ほど資源とエネルギーを大量に浪費しているのであって、電力供給技術として劣った技術なのです。
例えば、最近流行りの自然エネルギー発電による電力が高額なのは、エネルギーの原料である自然エネルギーは自由材であるにもかかわらず、工業的生産手段である発電装置の製造とその運用において莫大な鉱物資源と工業的エネルギーを消費していることを反映しています。
簡単な試算を行ってみます。
日本の年間の最終エネルギー消費量は1.6×1019J=4.444×1012kWh程度です。これをすべて2,000kW(=2MW)級の風力発電装置(年間発電量=2,000kW×12%×24h/日×365日/年=2,102,400kWh/年:ただし設備利用率12%とする)で賄うとした場合、必要な基数は次の通りです。
4.444×1012kWh÷2,102,400kWh/基=2,113,986基
2MW風力発電装置と同等の電力供給能力を持つ145m×145mのメガソーラー発電所ならばが2,113,986箇所≒4.444万km2≒国土面積の12%に太陽光発電パネルを敷き詰めることになります。しかもこれはエネルギーの絶対量だけに着目した少なめの見積であり、実際には更に不安定電力の安定化や電力需要に対応するための巨大な蓄電装置やバックアップ用発電施設、広域大容量送電線網などが必要になるのです。
風力発電や太陽光発電の耐用年数が20年とすれば、1年あたり2,113,986基÷20年≒105,699基/年の風力発電装置あるいはメガソーラー発電所を常に更新し続けることになります。その費用は2MW風力発電の建設費用を3億円とした場合、次の通りです。
105,699基/年×3億円=31.7兆円/年
風力発電装置を維持するためだけの更新費用として毎年これだけの出費が必要になるのです。太陽光発電の場合には更にこの数倍の費用になります。太陽光発電パネルの価格を5万円/m2程度とすると、1年間の更新費用は次の通りです。
5万円/m2×4,4440×106m2×(1/20年)=111.1兆円/年
これを実現するためには、工業生産設備を飛躍的に拡大しなければとても賄うことはできないことは自明です。これによって鉱物資源の消費量が爆発的に増大するだけでなく、石油を始めとする化石燃料の消費量も増加することになるのです。
現実的にはこの工業生産設備の増強と莫大な発電装置と電力安定供給のための付帯設備の生産の経済的な負担だけで現在の日本の国家予算を超えることになり、実現不可能です。
つまり、発電技術の評価は実はとても簡単なのです。出来るだけ安価に安定供給が可能な発電技術ほど優れた発電技術なのです。
続く→
2.軽水炉原子力発電の経済神話の崩壊
2-3 軽水炉原子力発電の経済コスト
(3)原子力発電所事故処理費用と保険
一昨年の福島第一原発の空前の原子力発電所事故によって、日本の原子力発電に深刻事故は起こらないという『安全神話』は崩壊し、事故による社会的な損失の問題についての検討が避けることの出来ないことだという認識がようやく認知され始めました。
日本の原子力賠償に関する法律では、一サイト当たりの保険による損害賠償額の上限は現在1200億円という少額なものに過ぎません。
日本の商業用原子力発電開始にあたって原子力発電の重大事故について検討した『大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算』(1959年)において、損害額は最大で当時の国家予算の2倍以上である3兆7400億円という巨額なものになると算定されました。この巨額の賠償費用を賄うような保険契約は被保険者(=電力会社など)の費用負担が大きすぎ経営的に成り立たないばかりでなく、保険会社にとってもリスクが大きすぎるために通常の保険としては成り立ちませんでした。
そこで、国と電力会社は日本の原子力発電は深刻事故は起こさないという、何の科学・技術的な根拠もない『安全神話』をでっち上げ、この前提のもとに電力会社に対して原子力発電所の通常運転時に発生する可能性のある軽微な原子力損害に対する賠償保険への加入だけを義務付けたのです。
しかし、この現行の原子力賠償に対する安全神話の前提は、福島第一原発の史上空前の原子力発電所の深刻事故という事実によって崩壊しました。福島第一原発の事故が起こってわずか2年が経過しただけでも、既に事故原子炉の安定化作業や放射能汚染地域の除染作業、その他の事故処理作業に対して数兆円から十兆円規模の費用が発生しています。短期的な原子炉本体の廃炉作業でさえ、楽観的な見積でも今後40年以上の時間がかかり、一体いくらの費用がかかるか予測すらつきません。
現在はなし崩し的に国庫から原子力災害の処理費用が拠出されていますが、原子力事故は自然災害ではなく、あくまでも東京電力という私企業の発電事業の失敗による損害であり、そのすべての責任は電力会社にあります。従ってすべての事故処理費用・賠償金の支払いは電力会社の責任において支払われなければなりません(おそらく現実には、最終的には百兆円のオーダーに上るであろうと思われる福島第一原発事故クラスの深刻事故の事故処理費用の支払いを必要とする保険契約を引き受けることの出来る保険会社は存在しないでしょう。)。
電力会社は原子力発電というこれだけの事故リスクを持つ事業を行う以上、原子力事故処理費用を引当金あるいは保険契約による保険金の支払を行うことで準備しておくことが事業を行う前提であり、その費用は電力料金に反映しなければなりません。
福島第一原発事故のあと、国の原子力委員会は事故処理費用を原子力発電原価にどのように反映させるかを試算しましたが、およそ現実離れした試算でした。試算では、原子炉の深刻事故の発生確率を「1/500炉年」として、今回の福島第一原発クラスのモデルプラントの事故処理費用を3兆8878億円としています。モデル原子力発電プラントとして、電気出力120万kW、設備利用率を60%とした場合の発電原価の上昇額を次のように試算しました。
3.8878×1012円×(1/500炉年)÷{(1.2×106kW/炉)×(24h/日)×(365日/年)×60%}=1.23円/kWh
しかしこれはまったく現実を反映していません。まず、日本の原子力発電の深刻事故の発生確率を1/500炉年とした算出根拠は、日本に存在するすべての原子力発電所のこれまでの総運転時間を1500炉年程度とし、その中で深刻事故の発生件数を福島第一原発1,2,3号機の3件としたものです。つまりここで算定した発電コストの上昇は、原子炉を保有するすべての電力会社がその発電出力に応じて福島第一原発事故の処理費用を負担することが前提となっているのです。果たしてそのようなことを認めるでしょうか?
仮に各電力会社がこれを認めたとしても、事故処理費用の総額があまりにも過小評価されています。事故処理費用を100兆円とすれば、これによる発電コストの上昇は次の通りです。
100/3.8878×1.23円/kWh=31.7円/kWh
現在の原子力発電の発電原価20円/kWhとして、1/500炉年という確立で深刻事故が起こることによって発電原価は2倍以上に上昇するのです。電力の販売価格を25円/kWhと仮定すれば、福島第一原発事故の処理費用だけで日本の商用原子力発電が半世紀をかけて発電したすべての電力の売上を上回ることを意味しています。つまり、福島第一原発事故の事故処理費を原子力発電事業の経費として内部化するだけでも日本における原子力発電事業は完全に破綻するのです。
続く→
2012年度も終わりが近づいて来ました。今年度は娘が県立高校に入学したことを契機に、図らずも高校の教育現場の実体を『教科書問題』という切り口でいやというほど見ることになりました。
既に報告してきた通り、大分県教育委員会ならびに県立高校という組織は前近代的な上位下達の戦前・戦中と何ら変わらぬ組織であることが明らかになりました。学校教育に対して、保護者は一切口を挟まず、学校の言うままに従わなければならないものという意識が貫徹しているようです。「地域に開かれた学校」、「学校と家庭と地域の協同」などという耳障りの良いスローガンは、保護者が権力に対して従順であることを前提に語られるお題目にすぎません。
学校教育現場には、もう一つの組織として教師と保護者によって構成されるPTAという組織があります。PTAという組織は学校とは独立した『民主的な組織』であるように装っています。しかし、その実態は高校の管理職と保護者の一部のボス連が結託して、従順で脳天気な大多数の保護者を利用する組織に過ぎません。
他の学校の実態は知りませんが、おそらくどこでも大同小異であろうと思いますが、本来PTAは組織的には学校とは独立した任意団体であるにもかかわらず、入学と同時にすべての保護者がその会員とされ、会費が徴収されることになります。これはまったく詐欺行為です。
一般的に任意団体とは、その団体の目的について自由意志で賛同する個人が自発的・意識的に入会するものです。そこで、最も基本的な会員の権利は、入会・退会の自由が保証されることです。次に重要なことは、任意団体は会員による民主的な運営を徹底することが必要であり、個別の施策は設立の目的に合致しており、かつ会員の意志によって支持されなければなりません。この民主的な運営を前提として会員には任意団体の施策に従う義務が生じます。
民主的な運営の実体とは、任意団体の施策について会員がいつでも自由に発言する権利を保証し、それを民主的な方法で審議する場が存在することです。
ところが、娘の通う県立高校のPTA規約では、この団体が任意団体であることを明記しておらず、会員の入会・退会の自由という権利はおろか、その手続すら明記されていません。また、会員の基本的な権利であるPTA運営に対して発言する権利もまったく記されていません。それどころか、PTAで何を行うかを審議し決定する手続きに関する規定が一切存在しないのです。
つまり、PTAという組織は学校管理職と一部の保護者が密室で勝手に決めた施策を執行するため、保護者から強制的に会費を徴収する装置にすぎないのです。これはPTA総会のプログラムからも明らかです。PTA総会では会費の決算と予算が報告され、それ以外にあるのは『PTAからの諸連絡』と『学校からの諸連絡』だけであり、一切の審議はないのです。
今回の娘の通う県立高校における教科書問題とこれに対する学校の破廉恥極まりない対応について、次回のPTA総会の議題として提案したいと考え、どのような手続きが必要なのかを問い合わせました。私は手続きだけを問い合わせたにもかかわらず、いつまでたっても返事はなく、確認の電話をしたところ高校の管理職が相談しているので時間がかかるという返事でした。
このように、結局PTAの運営とは高校の管理職が牛耳っていることが明らかになりました。これでは私の議案が取り上げられる可能性はありません。彼らはPTA総会において私の提案する議案を取り上げないことに対する何らかの合理的な理由付けのために無い知恵を絞っているために時間をかけているということです。こうして、PTAにおいても高校教育の根幹に関わる重大問題である教科書問題は握りつぶされてしまいました。
追記:(2013.07.24)
大きな認識の誤りがありました。高校の管理職は、自らを正当化するために『無い知恵を絞る』ことすら全く行なわず、ただ単に何もしていなかった、放おっておけばいずれ諦めるだろう、という対応であったことがわかりました。呆れた連中です。
今回の教科書事件を通して、「教育委員会−学校−PTA」という教育をダメにする悪の枢軸(笑)によって学校現場の問題は刑事事件にならない限り隠蔽され続けることになる事の実体が非常にわかりやすい形で確認できました。いじめによる殺人事件、体罰による殺人事件という陰惨な学校教育における恥部を隠蔽してきた体質は、今回の教科書事件でもそのまま当てはまるのです。
本来ならば学校教育を意識的な保護者の視点から改善する可能性を持つはずのPTAという団体は、実質的には学校管理職の傀儡である保護者代表のPTA会長というお飾りを通して、保護者の発言を封じるために機能しているのです。任意団体であるだけに公的組織である学校以上にデタラメな運営がまかり通る伏魔殿なのです。
現在、PTA退会の手続きを示すように求めているところです。
鐸木さんのブログ『阿武隈(原発30km圏脱出生活)裏日記』から、最新の日記を転載します。この国の行政の不合理で破廉恥な政策、何ら反省せず、誰も責任を取らない体質はまったく変わりません。
2年も経ってまだデタラメが続く「フクシマ」 2013/03/20
14:15
「避難解除等区域復興再生計画」とは何なのか?
3月19日、政府の原子力災害対策本部(本部長・安倍晋三首相)は「避難解除等区域復興再生計画」なるものを発表した。(全容は⇒こちら)
道路や病院などの生活基盤、産業の復旧方針を示したもので、「住民や事業者が帰還を判断する材料としてもらう」(根本匠復興相)とのことだが、とりあえず1Fに近い住民や避難者たちの関心事は、これによって今までの「警戒区域」や「計画的避難区域」といった区域分けが変更されることにある。
これについて、元東電社員の吉川彰浩さんはFacebookにこう書いている。
明日というか、もはや今日だけど
福島県双葉郡浪江町津島に行ってきます。
ここは現時点では宿泊はできませんが、立ち入りの制限はありません。
いつ行ってもいいし、いつ帰ってきてもいい。
検問所もないので、普通の格好で誰でも入れちゃう区域です。
なんで行ってくるかというと、4月より帰還困難区域とされる為、自由に出入り出来なくなるから・・・
ちょうどお彼岸ですし、お墓参りも兼ねて家の大掃除に行きます。
千葉に避難している嫁の両親も一緒です。
今までは、ちょくちょくと何時でもこれたので、帰れなくなった感は薄れていました。
しかし、4月からはバリケードが張られ、指定した日に防護服を着ないと入れません。
区域の扱いは双葉町や大熊町の高線量区域と同じになります。
もう帰れないかもしれない・・・・口には出さないけど両親も感じています。
それに今まで幾度となく出入りしていたのに・・・安全ではなかったということかと
またも裏切られた気持ちになっています。
納得がいかないのですよ。帰れるような雰囲気を出していて・・・・結局後4年は絶対解除しない。
それでもって今日も含め気軽に入れるようにしておいて、今後は入れないようにする。
私も両親も何回も行っています。一度もスクリーニングをしていません。
当然どれだけ被ばくしたかも分かりません。
そこの責任は何処にあるの?自己責任ってやつですか
簡単にまとめると
明日行く津島は双葉大熊の高線量区域と一緒ですが3月中は誰でも入れます。
スクリーニングはやりません。てかありません。
私の住んでいた1Fから数キロのアパートは低線量区域ですが決められた日にしか入ることはできません。スクリーニングも受けます。
これは同じ浪江町内の話です。
4月からは
津島地区は決められた日しか入れません。スクリーニングをやります。
私のアパートの地区は何時でも入れます。スクリーニングをやります。
ほぼ逆転の現象が起きます。
このやり方は誰でも「おかしい」と思いませんか?
震災から2年経った今のお話です。
被災者の受難は続きます。これは私の例ですが、津島地区の何千人の方が同じ思いをされています。
原発避難の問題はまだまだ現在進行中です。
上の話、福島の土地勘がないかたのために少し解説を加えると……、
津島というのは、ジャニーズの子たちが農作業や酪農を体験する番組『ダッシュ村』があったところ。
浪江町というのは東西に細長い地形で、東端は太平洋に面し、西端は1Fから30km圏外にまで伸びている。で、津島は西の外れあたりにあって30km圏外。2011年3月の時点では何の避難指示も出ていなかった。
僕は2011年5月25日、獏原人村のマサイさん、自然山通信のニシマキさん、きのこ里山の会の小塚さんらと一緒に、この津島を通って飯舘村←→川内村を往復した。途中、線量計が30μSv/hを超える数値を示す場所もあった。
りました。
(詳細は⇒表日記を参照してください)
浪江町では、海岸沿いが汚染が低かったのだが、津波で大きな被害を受けた。請戸(うけど)地区などは壊滅状態。
で、絶対に忘れてはいけないことは、こうした海岸沿いで津波に呑み込まれた地区には、3.11直後、多数の人たちが動けなくなって孤立していたのに、1Fから10km圏だ20km圏だというだけで自衛隊さえ救援に入らず、見殺しにされたという事実。
ずっと後になってから収容された遺体の中には、溺死ではなく、衰弱死、餓死した遺体が複数あった。彼らは水に浸かったわけではなく、車の中や自宅の二階などに閉じ込められ、動けなくなり(骨折したり疲れ果てたり避難経路を断たれたりして)、そのまま救助を待っていたのに1週間経っても10日経っても誰も助けに来ないまま衰弱死、餓死したのだ。
実際には線量は全然大したことはなかったのに、政府が出した避難命令を、救助にさえ入ってはいけないと現場が解釈したためにこうした悲劇、というより惨劇が起きた。
また、浪江町では当初、30km圏外の津島を避難場所に指定して、多くの住民を、浪江町の中でも最も汚染された場所に移動・避難させた。津島は「浪江町で」というよりも、1Fから出た放射性物質が最も多く沈着した場所のひとつ。有名になった飯舘村の役場があるあたりなどよりはるかに線量は高い。
わざわざそんな場所に住民を誘導して、何日もそこで住民に大量被曝をさせてしまったのだ。
SPEEDIのデータをはじめ、すでに実際に線量を測っていてそこが危険地帯であることは文科省や福島県のモニタリングカーが3月12日の時点で把握していた。福島県は国よりも先にそのことをいちばんよく知っていたのに、周辺自治体に通達さえしなかった。この犯罪は未だにあやふやにされ、責任者が処分されたというニュースもない。
「区域分け」を巡る悲劇は他にも山ほどある。
南相馬市は当初、警戒区域、緊急時避難準備区域、無指定区域の3つに分断されたが、20kmの線引きをされたすぐ外側では普通にコンビニが営業していて人々が生活していたのに、20kmにかかった区域の人たちは強制的に家から追い出された。線量は大して高くなかった海岸沿いの地域の話。
しかも、20kmの外側の地域では、線量が低い海岸沿いの小学校から、わざわざ線量の高い北西方向(30km圏外)の小学校に毎日100万円かけてバスで通学させられるというとんでもないことも行われていた。もとの場所の学校にいたほうがはるかに被曝量が少なくて済んだのに、金をかけてわざわざ子供たちの被曝を増やしたのだ。(国会の参考人招致で児玉さんが叫んでいましたね。「こんなバカなことは一刻も早くやめてください!」と)
……このへんのことは『裸のフクシマ』にも書いたが、「津島」という地名を聞いたら、こうした事実をぜひ思い出していただきたい。
新しい区域分けの図を見れば分かるが、浪江町、双葉町、大熊町などは、事実上もう人が普通に暮らせる町にはならない。
浪江町は全面積の約8割が、5年以上帰れない「帰還困難区域」に指定された。
原発爆発から2年以上経ってこういう区分けを言い出す国。すでに住民の多くは、国のとぼけた指示やら無策のために、あびなくて済んだ初期被曝を受けて、これから先、一生不安なまま過ごさなければならない。
「再生計画」という名の元に、「区域ごとに目指すべき復興の姿」を提示しているそうだが、この地域最大の魅力であった自然環境は徹底的に汚され、さらには今後、除染や復興名目でわけの分からない公共事業が加速される。
//短期的(2年)には「避難指示が解除された区域を復興の前線拠点とし、解除が見込まれる区域の復旧につなぐ」、中期的(5年)には「避難解除区域を拡大し、地域全体の復興を加速」、長期的(10年)には「若い世代も帰還する意欲が持てるよう、原発事故により失われた雇用規模を回復する」としている。(産経新聞)//……そうである。
しかし、周辺自治体の人たちの関心は、もはやもっぱら賠償がどうなるか、だろう。
「帰還困難区域」に指定されると、国の賠償基準では事故から帰還まで6年以上かかると土地や建物などの不動産を全額賠償することになっているという。
これに対して、富岡町、浪江町は、全域一律全額賠償を求めて「事故から6年間は帰還しない」と表明していた。
30km圏内で汚染が薄かった地域(今回の再編で無指定になった地域。広野町、川内村、田村市などの一部)では、今後は賠償金支払期間をどこまで延長させられるか、賠償金が切れても、次は除染ビジネスやメガソーラー、風力発電などの公共事業や企業誘致でどれだけ地域に金を取り込めるのかという視点で動いていく。実際、すでにそうなっている。
一方で、ヨウ素131でかなりの初期被曝を受けたであろうことが分かってきたいわき市の住民や、30km圏内の一部地域よりはるかにひどい汚染を受けた福島市や郡山市など都市部の人たちへの賠償は打ち止め、逃げ切り作戦に徹している。都市部の人たちの精神的苦痛、生活へのダメージに対して、30km圏の人たち並みに賠償したら賠償金総額が一気に膨れあがってしまうからだ。
「復興」事業名目の金と違って、純粋な賠償金は企業が儲からない。金(もちろん出所は税金!)は極力公共事業的な使い方に集中させて、原子力ムラ同様の利権集団の「再編」「復興」を図る……。
「フクシマ」は福島の人心や自然をいったいどこまで殺し続けるのだろうか。
結論をまとめる前に、今朝の新聞から福島第一原発のトラブルの記事を紹介しておきます。
この記事にはありませんが、この種の電源トラブルは過去にも複数回起こっており、冷却システムの安定性には不安がつきまといます。今回は原子炉冷却系ではなく使用済燃料プールの冷却系の問題でしたが、今後長期間にわたって冷却を安定的に継続することが必須ですが、増大する放射能汚染水の問題とも併せて、冷却システムの根本的な見直しが必要であろうと考えます。
同じ紙面に、南海トラフ巨大地震の被害予測の特集記事が掲載されていました。被害総額は200兆円を超えるとされています。土木屋として言わせてもらえれば、この種の恫喝的な報道はあまり感心しませんが…。
特集記事の中で興味深かったのが上の記述です。曰く『原発事故が起きれば影響は甚大で、被害予測が困難なため』被害総額の算定には算入しなかったとのことです。
ある意味でこれは正直な告白だと思います。現在継続中の福島第一原発事故について、その事故の収束のために今後必要な費用、国民の健康被害をも含めた人的・社会的な被害の全貌とその対応のために必要な社会的な費用の総額は予測がつかないというのが現実です。
さて、結論です。福島第一原発事故を経験して、未だ破損した原子炉に対する事故処理の具体的な方法すら何ら決まっておらず、放出された放射性物質による環境汚染、健康被害に対する対応も含めて、原子力発電所事故が一度起こった場合の私達の社会が支払わなければならない代償は極めて大きく、僅かな電力を得るためにこのような社会的なリスクを抱え込むことは愚かとしか言いようがありません。
福島第一原発事故処理の目処も全くつかない現状で、『安全性の確認された原発から再稼働する』などという非科学的で愚かな政策を打ち出す安倍・自民党政権、そして日本の大企業経営者たちの感覚は、福島第一原発事故の経験から何も学ばず、事故以前の極めて不公正な電気料金体制を温存することを前提としたものです。この愚かな政権に対して、参議院選挙で『NO!』の判断を下すことが必要だと考えます。
続く→
福島第一原発事故による放射能汚染の状況を見ておきます。
新聞記事には2011年5月と11月、そして2012年11月の福島県内の空間放射線量率の分布図が掲載されていました。図の緑〜赤に着色された空間線量率が0.5μSv/時間を超える範囲は、概ね日本の放射線防御に関する法律では『放射線管理区域』に相当します。福島第一原発事故による放射能汚染地域以外であれば、このような場所に一般公衆は立ち入ることを禁止されており、18歳未満であれば仕事であっても立ち入ってはならない場所だということを確認しておきたいと思います。放射線管理区域に相当する地域の広がりはほとんど変化していないようです。
新聞記事によりますと、空間線量率は当初の予測よりも速く減衰しているとしています。おそらく当初予測とは、環境に放出された放射線核種の種類と量から空間放射線量の減衰を予測したものと考えられます。
日本のように急傾斜地が多い多雨地域では放射性物質は地表水に洗い流され、急速に分布を変えることになります。比較的流されやすい形で分布していた放射性物質がこの2年間で分布を変えたものだと考えられます。
しかし、逆に考えれば、流された放射性物質が高濃度に集積された部分が生じていることを意味しています。上空からの面的な調査ではホットスポットの出現はおそらく捕捉されていないでしょうし、報道された広域の空間線量マップにはあらわれることもないでしょう。そのため、広域的な空間線量マップだけで単純に生活環境が改善したと考えるのは早計です。
また、比較的流されやすい形態であった放射性物質はすでに多くが流されたと考えられますので、今後の空間線量の減衰速度がこれまで通り、予測よりも速く減衰することは考えにくいかもしれません。
空間線量分布の解釈については、新聞報道のように予測よりも減衰速度が早いという楽観的な解釈ではなく、空間線量の分布から放射性物質が地表水によってどのように移動しているのかを分析する情報として冷静に解釈することが重要だと考えます。
いずれにしても急傾斜地・森林の多い地域では、今後も放射性物質は次第に高度の低い平らな地域、つまり人の居住環境や農地へと移動することになりますから、上空からの面的で広範な空間線量だけでなく、地上観測によるホットスポットを含めた詳細な空間線量分布の調査も同時に行うことが必要でしょう。
続く→
福島第一原発事故は、未だかつて経験したことのない空前の巨大原子力発電所事故であり、すべての事故処理が手探りです。その結果、原子炉本体の処理に取り掛かる以前の原子炉内で崩落した核燃料を冷却するだけでも大変な問題であり、現在行なわれている水冷方式ではこの先安定的に冷却し続けることが出来るかどうかさえわからないというのが実情です。
崩落した核燃料の冷却、そして原子炉本体の事故処理には試行錯誤で技術開発をしながらの長期間の作業が続くことになり、その費用の総額は一体どこまで膨れ上がるのか、現状ではまったく予想できないのです。
新聞報道によると、福島第一原発が事故を起こさなかった場合の1〜4号機廃炉の引当金の総額はわずか1870億円にすぎません。おそらくこの金額は、原子炉から使用済み核燃料を取り出し、原子炉建屋を解体処理する作業が順調に進んだ場合の希望的な数値であろうと考えられます。ここには解体作業後の低レベル放射性廃棄物や使用済み核燃料・高レベル放射性廃棄物の管理費や処分の費用はまったく含んでいないと考えられます。
事故を起こした福島第一原発の処理作業には、おそらく短期的には今後数十年から100年という期間において数十兆円オーダーの費用が必要だと考えられます。超長期間にわたる放射性廃棄物の管理・処分まで含めると、一体どれだけの資金が必要となるのか予測出来ません。この事故による国土の汚染とその処理のための巨額の出費は長期的に日本の国土と経済を疲弊させることになります。
続く→
このところ、新聞やテレビの報道番組ではここぞとばかりに震災・原発事故特集番組が組まれています。しかしその多くが、特にテレビの報道(?)番組は、非礼を覚悟で言わせてもらうと、お涙頂戴の物語や、復興に頑張ってますの類の情緒的な内容が多く、マスコミの視聴率稼ぎの道具にされているようで見るも無残です…。日本の報道の質の低さには呆れ果てます。そのような中から、いくつかについて触れておきます。まず福島第一原発の現状についてです。
このHPでは既に何度も取り上げたことですが、原子炉格納容器が破損した状態で圧力容器や格納容器に崩落した核燃料を水冷で冷やし続けている現状は、状況を悪くするばかりです。高レベルの放射能を含んだ冷却水の一部は原子炉の外に絶えず漏れだし、汚染水は増え続ける一方です。更に、地下水の放射能汚染、海洋への放射性物質の漏洩が続いています。
冷却方法を見なおさない限り、汚染水の増加は早晩管理不能になり、海洋投棄するしかなくなることは目に見えています。
現在、放射能汚染水処理プラントを建設中ですが、どこまで使い物になるのか不明です。また、処理プラントでは化学的には水と同じ性質を持つ放射性元素である3重水素(陽子1+中性子2=質量数3の水原子の放射性同位体=トリチウム:β崩壊、半減期12.32年)は捕捉できないために、処理施設がまともに動いたとしても海洋投棄する計画です。
破損した原子炉の処理については、更に状況は不透明です。一応の工程表は書かれているようですが、実際の作業をどうするのかはまったく具体性のないままです。現在の計画では、格納容器や圧力容器の破損箇所を修復して原子炉内を水で満たして崩落した核燃料の取り出し作業を行うとしています。しかし、毎時数十シーベルトという殺人的な環境下では生身の人間は作業できず、破損箇所の修復などというデリケートな作業のすべてをロボットによる遠隔作業で行うことなど果たして可能かどうか、大いに疑問です。
現実的には、当面は何らかの水冷以外の冷却方式による冷却システムを導入して、環境をドライ・アップして放射能の周辺への拡散(=地下水や海洋への放射性物質の漏洩)を止める物理的な障壁を構築することが早急の課題です。そして崩落した核燃料は取り出さずに原子炉を封印する、チェルノブイリ原発と同様な方法で管理していくしかないでしょう。こうして稼いだ時間で、すべての技術を結集して長期的に安定な管理技術の開発を行うことが必要です。
続く→
2.軽水炉原子力発電の経済神話の崩壊
2-3 軽水炉原子力発電の経済コスト
(2)公害・PPP・原子力発電
前節において、電力会社の申請している原子力発電の発電原価である概ね20円/kWh程度という数値には、フロントエンドの核燃料加工工程のコストが適切に反映されていないことを紹介しました。同時に、莫大な費用になると考えられる原子炉の廃炉、あるいは使用済み核燃料・放射性廃棄物のバックエンドの処理方法は、核燃料サイクルの問題も含めて、方針すら定まっておらず、その帰結として科学・技術的な具体的な検討もなされていません。
原子力発電というシステムあるいはその技術的な特殊性は、それによって人間社会が便益を享受する期間と、原子力発電の結果として生じる社会的な負担の継続する期間に時間的なズレが生じるばかりでなく、負担の継続する期間が桁違いに長期間にわたることです。
経済的に利用可能なウラン鉱石の可採年数から見ると、原子力発電という発電技術の寿命はたかだか100数十年程度に過ぎません。単一の原子炉について見れば、その耐用年数は40年程度です。しかし、その運転によって生じる高レベル放射性廃棄物の危険性がなくなるまでに必要な期間は十万年のオーダーになります。
つまり、現在の電力会社は、高々100年間程度の短期間の一次エネルギーのごく一部を賄うにすぎない原子力発電の運転によって生じる危険な放射性廃棄物の管理責任と同時にその必要経費の支払いを、まったく便益を受けることのない将来世代に、ほとんど未来永劫にわたって押し付けることによって原子力発電電力をダンピング販売しているのです。
かつて近代工業の黎明期の乱暴な企業経営では、たびたび公害問題が起こりました。日本でも足尾鉱毒事件の鉱毒に象徴される鉱工業生産施設からの廃棄物による環境汚染が繰り返し起こりました。
前近代的な企業経営では公害に代表される企業活動による社会的不利益は『外部不経済』と呼ばれ、企業経営者はそのコストを負担することはありませんでした。
日本では、戦後の1960年代の高度成長期に数多くの公害問題が顕在化し、自己主張し始めた国民の運動により公害訴訟が行なわれるようになりました。このような中で、汚染物質の排出を伴うような事業に対する汚染物の排出基準が強化され、『汚染者負担原則』あるいは『公害発生費用発生者負担の原則』いわゆるPPP(Polluter-Pays
Principle)が1972年にOECDによって定められました。これは、元々経済的な公平性を確保することを目的として定められたものですが、結果として公害企業に対してその汚染物質の処理や被害に対する救済費用を企業活動の一部として内部化させる事になりました。
ところが現在、原子力発電では放射性廃棄物の保管・処理・処分に対して電力会社は責任を負わず、国家資金を注ぎ込んだ国策企業や将来世代に管理責任と費用負担を肩代わりさせようとしているのです。電力会社は、PPPに代表される現代的な企業の社会的な責任を放棄した前近代的な会社経営によって、法外な企業収益を上げる一方、目に見えない形で現在に生きる国民から富を収奪し、将来世代に対して莫大な費用負担を強制しているのです。
原子力発電電力という商品の原価は、原子力発電関連事業に投入された莫大な国家資金(税金)と放射性廃棄物の保管・処理・処分に必要な将来的な費用を経費に算入することによって初めて適正なものになるのです。
続く→
2.軽水炉原子力発電の経済神話の崩壊
2-3 軽水炉原子力発電の経済コスト
これまでの検討で、日本の長期エネルギー戦略における原子力発電は、その戦略の中核であった高速増殖炉核燃料サイクルが破綻し、プルサーマル発電を含む軽水炉の運用による軽水炉核燃料サイクルもまたエネルギー供給技術として科学的・経済的合理性がないことが明らかになりました。
それでも企業や日本政府は『安上がりの電力供給技術である原子力発電を一刻も早く再稼働すべきである』と主張しています。しかし、これは社会的な責任を有する近代的な企業経営からは程遠い電力会社の無責任な原子力発電電力のダンピング販売の結果にすぎません。ダンピング販売による損失は国庫からの財政支出で穴埋めされ、あるいは将来世代への負債として日本経済を長期的に破壊することになります。
ここでは、軽水炉原子力発電を実現するための社会的な費用負担を明らかにすることで、原子力発電電力のダンピング販売の実態を明らかにすると同時に、軽水炉原子力発電を継続することに科学的・経済的合理性がないことを示します。
(1)原子力発電原価
現在の原子力発電の発電原価は20円/kWh程度といわれています(例えば1990年4月運転開始の柏崎刈羽5号機の原子炉設置許可申請における発電原価は19.7円/kWh)。電力会社の電力の発電原価とはあくまでも電力会社の保有する発電所の運転経費から算出されたものです。しかしそれは果たして妥当といえるでしょうか?
火力発電であれば火力発電所の建設・運転・維持・燃料費から発電原価を算出することは妥当です。火力発電所の燃料である石油・天然ガス・石炭は火力発電所の専用の燃料ではなく、産業一般で利用するものです。それ故、火力発電であれば燃料市場の適正価格で購入することによって、燃料は再生産されます。
しかし原子力発電では事情がまったく異なります。原子力発電では、ウラン鉱石の採掘から燃料成型までのフロントエンドのすべての工場施設は、原爆製造を別にすれば、原子力発電のための専用施設です。
通常、ウラン市場における取引はウラン鉱山に併設される精錬工場でウラン含有率を60%程度にまで高めたウラン精鉱、通称『イエローケーキ』の状態で行なわれます。ウラン精鉱はウラン市場で取引されていますから、原価割れで販売されることはないと考えられます。
日本の場合は原子炉用燃料に利用出来る規模と品位を有するウラン鉱山は国内にないため、原子力発電を行うためには世界市場からイエローケーキを購入して、これを転換工場、濃縮工場、再転換工場、ウラン燃料工場で加工して原子炉用の核燃料に成型して使用することになります(実際にはフロントエンドの工程の大部分は海外に依存しているのが現状です。)。この全ての工場は原子力発電のための専用工場なのです。
軽水炉で発電を行った後の使用済み核燃料の処理方法は未だに確定していませんが、いずれにしてもバックエンドのすべての処理工程もまた原子力発電専用の後処理施設になるのです。
以上からわかるように、日本で軽水炉原子力発電を行う場合、電力会社の保有する原子力発電所というものは長大な原子力発電システムの中の一工場にすぎないのです。
日本の原子力発電の発電原価は、ウラン市場からのイエローケーキの購入費、転換工場以降のフロントエンドのすべての工場の建設・運用・廃棄、原子力発電所の建設・運用・廃炉、その後の使用済み核燃料の保管・処理に関わるバックエンドのすべての施設の建設・運用に係る経費を全て積算した上で、供給電力量当たりの費用を算出することによって求めなければなりません。
ところが、日本では原子力発電は国策として進められ、フロントエンド、バックエンドの施設に対して莫大な国家資金が投入されています。軽水炉用核燃料製造の各工程の中間製品は閉鎖的な特殊な原子力市場の中で売買価格も公表されないまま、国家資金投入によって製造原価を無視した価格で取引されています。その結果、本当の意味での軽水炉用核燃料価格はまったくわからなくなっているのです。軽水炉核燃料のダンピング販売を穴埋めしているのは、知らぬ間に投入されている国民から徴収した税金からの資金投入なのです。
さらに、バックエンドの費用に関しては、その核燃料サイクルの問題を含めて放射性核廃棄物の処理方法は決定しておらず、数万年に亘ると考えられる高レベル放射性廃棄物の保管・処理費用は電力会社の費用負担から切り離され、現在の原子力発電の経費にはまったく含まれていません。
冒頭に示した電力会社の原子炉設置許可申請で提示されている発電原価とは、電力会社の保有する原子力発電所とその運転経費から算定されたものです。それだけでも既に1990年には概ね20円/kWhに達していたのです。日本の保有するすべてのフロントエンドとバックエンドの原子力発電関連施設の建設・運転・維持・廃棄のすべての費用を積算すれば、原子力発電の実態の電力原価はさらに数倍に跳ね上がると考えられます。
続く→
2.軽水炉原子力発電の経済神話の崩壊
2-2 軽水炉原子力発電の実像
(3)エネルギーコストを無視した愚かなプルサーマル発電
『エネルギー白書』(2011年版)の“A核燃料サイクルの現状”では、軽水炉核燃料サイクルについて述べています。軽水炉核燃料サイクルとは、軽水炉使用済み核燃料の再処理によって抽出した核分裂性のウランとプルトニウムをウラン燃料やMOX燃料にして軽水炉で再利用することです。
プルサーマル発電とは日本の造語であり、再処理プルトニウムを熱中性子炉(サーマルニュートロン炉/Thermal-neutron
reactor)で使用する発電方式のことです。熱中性子とは核分裂で生じる高速中性子を黒鉛や水によって減速したものです。日本の軽水炉は熱中性子炉の一種です。つまり、プルサーマル発電とは、MOX燃料を軽水炉で利用して発電することをさしています。
核燃料サイクルの本質は高速増殖炉によって、非核分裂性の238Uに高速中性子を吸収させることで核分裂性の239Puを『増殖』することです。高速増殖炉を除いた核燃料サイクルは無意味なのです。ここでは軽水炉核燃料サイクルの実態を確認することにします。
軽水炉核燃料サイクルとは、軽水炉の使用済み核燃料を化学処理して燃え残りの235Uと239Pu取り出すことにほかなりません。
使用済み核燃料は、軽水炉の運転によって235Uと239Puが核分裂したことによってできた核分裂生成物が4.7%程度と、燃え残りの235Uが1%程度、239Puが1.1%程度を含んでいます。その他に非核分裂性のウランを93.2%程度含んでいます。
高速増殖炉が運転出来れば238Uを主体とする非核分裂性ウランを核分裂性の239Puに核変換することで利用可能となるというのが核燃料サイクルの基本的なシナリオでした。しかし、高速増殖炉が技術的に破綻したことで、使用済み核燃料を再処理して得られるのはそれぞれ1%程度の235Uと1.1%程度の239Puだけになったのです。これでは落穂拾いのようなものです。
軽水炉における天然ウランの利用率は、天然ウランに含まれる235Uの割合を0.7%、軽水炉核燃料に含まれる235Uの割合を4.5%、運転中に核分裂を起こす235Uの割合を(4.5−1.0)%とすると次のようになります。
天然ウラン利用率=0.7%×{(3.5%)÷(4.5%)}≒0.5%
軽水炉核燃料サイクルを1回実施した場合(プルサーマル発電を含む)には、天然ウランの利用率は0.75%程度になると言われています。もし核燃料サイクルを1回実施する毎に同じ割合で利用率が高まるとすれば、n回実施した場合の利用率は等比数列の和の公式から次のように求めることができます。
利用率(n)=0.5(0.50+0.51+0.52+…+0.5n)=0.5(1−0.5n+1)/(1−0.5)<1.0%
つまり、軽水炉核燃料サイクルだけであれば、天然ウランの利用率は最大でも1.0%に満たないということなのです。しかも、サイクルを繰り返す毎に利用率の増加量は指数関数的に小さくなります。
軽水炉の使用済み核燃料の再処理は、使用済み核燃料を細かく剪断して、これを溶液に溶かし、この混合物を含む溶液を化学的・物理的な長大なプロセスによって235Uと239Puを分離・抽出する過程です。
再処理過程で莫大な高レベルの放射性廃物が生じ、しかも液体の高レベル放射性廃物は環境への拡散の危険性が増大します。また、最処理の過程は絶えず放射能漏れ、放射線被曝の危険がつきまといます。その結果、六ケ所村の再処理工場は度重なるトラブルを繰り返し、まともに操業することができません。再処理の長大な加工工程や、放射性廃棄物の管理のためには莫大な費用がかかり、同時に莫大なエネルギーを消費します。
軽水炉用ウラン燃料の価格は公表されることはありませんが、2.7億円/トン程度だと言われています。これに対して、再処理の費用などから必要経費を算定したMOX燃料価格の推定値は25.5億円/トン程度だと言われています。MOX燃料の原料は軽水炉の使用済み核燃料ですから原料費はただです。MOX燃料価格の主要部分は使用済み核燃料の再処理と燃料加工の費用であり、その工程がいかに複雑で大量のエネルギーを消費(浪費?)するかを示しています。
100万kW級の軽水炉の年間の運転に必要な核燃料の量は30トン程度だといわれます。これをすべてMOX燃料で運転していると仮定すると、年間の核燃料費は25.5×30=765億円=7.65×1010円になります。100万kW軽水炉が稼働率60%運転した場合の年間発電量は次の通りです。
1×106(kW)×24(h/日)×365(日)×0.6=5.256×109(kWh)
1kWh当たりの燃料費は次の通りです。
7.65×1010円÷5.256×109(kWh)=14.6(円/kWh)
火力発電の1kWh当たりの燃料費を6円程度と考えれば、再処理を行なわずにその費用で燃料重油を購入したほうが2倍以上の電力を得ることが出来るのです。
軽水炉使用済み核燃料の再処理には莫大な費用とエネルギーが必要であり、再処理・MOX燃料製造過程で投入するエネルギー量の方が、得られるMOX燃料による発電量よりも大きくなるといわれます。軽水炉核燃料サイクルは科学的にも経済的にもまったく無意味なのです。それどころかMOX燃料の比率を増やせば増やすほど原子力発電の発電原価は高くなるのです。
このように科学的に冷静に分析すれば軽水炉核燃料サイクルには合理的な存在理由はないので、米国のように使用済み核燃料の再処理を行なわず、ワンス・スルーで使い捨てにすることこそ最も合理的で現実的な考え方なのです。
日本では高速増殖炉が破綻したにもかかわらず軽水炉核燃料サイクルを続けようとしています。これは一つには日本政府や電力会社による長期エネルギー戦略の中核に位置づけてきた高速増殖炉核燃料サイクルの破綻を隠蔽し、これまで無為に投入され浪費された国家資金に対する責任を隠蔽しようとする目論見からです。しかし、無意味な軽水炉核燃料サイクルを継続すればするほど電力供給による日本の経済的な破綻は致命的なものになるのです。
そしてもう一つの理由は、言うまでもなく、再処理によって兵器用プルトニウム製造能力を維持するためです。
続く→
自衛隊の次期主力戦闘機F35の製造において、部品製造を武器輸出三原則の対象外にするという官房長談話が出されました。
msn 産経ニュース
F35の部品製造、武器輸出三原則の例外 官房長官が談話
2013.3.1 12:11 [自衛隊]
菅(すが)義偉(よしひで)官房長官は1日午前の記者会見で、航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)として導入する最新鋭ステルス戦闘機F35Aライトニング2に関し、紛争当事国への兵器輸出を禁じた武器輸出三原則の例外扱いとする談話を発表した。開発の中心である米政府の「厳格な管理」を前提に、日本企業による部品製造への参入を認めた。
談話では、国内企業の参画が「戦闘機の運用・整備基盤を国内に維持する上で不可欠であり、日米安保の効果的運用に寄与する」と指摘。F35の第三国への輸出について「米政府の一元的な管理の下で、海外への移転は厳しく制限される」として、武器輸出三原則には抵触しないとの見解を示した。同時に「平和国家としての基本理念は維持する」と明記した。
政府は野田佳彦政権下の平成23年、兵器の国際共同開発・生産に参加できるように三原則を緩和。これを受け、24年には日本企業の参画を念頭に、4機のF35を28年度までに取得する契約を米政府と交わし、最終的に42機を調達する方針を打ち出した。さらに日本以外の国が調達する機体についても製造参画する方向で、日米両政府が調整を進めている。
ただ、F35はイスラエルも導入を予定していることから、同国に日本製部品を組み込んだ機体が輸出されれば、三原則に抵触しかねないとの懸念が政府内で浮上。このため、今回の談話で改めて例外扱いとする見解を示すことにした。
これだけ武装し、兵器製造に関わりながら日本は平和国家という神経が理解できません。平和国家日本は既に存在しない。
去る2月14日に大分県教育委員会の教育改革・企画課の総務・広報班の松原弘之主幹と高校教育課の高校教育指導班の岩武茂代参事と面会し、娘の通う県立高校の校長が一旦合意した事柄を「気が変わった」という一言で全て反故にするという破廉恥極まりない、保護者を完全に馬鹿にした対応について説明し、それと同時に大分県教育委員会の『新大分県総合教育計画(改訂版)』(2012年3月)の中で推進するとしている「学校・家庭・地域が、それぞれの教育力の向上を図るとともに、相互に連携・協力して子どもの健やかな成長をはぐくむ」ことを実践するという観点から合意事項を誠実に履行するように指導してくれるように要請しました。
しかし、2月27日に高校教育指導班の岩武茂代参事から受けた連絡は、私の要望はまったく無視して、問題を教科書問題にすり替え、大分県教育委員会は高校の教師は教科書については誤字・脱字程度以外は一切判断できないとする高校側の主張を全面的に支持する立場であり、保護者の教科書の記述内容に対する疑問には一切対応しないことは正当であるという判断だと述べました。
さらに、校長が合意事項を反故にした件については、校長の主張を一方的に信じ、合意事項を反故にしたことについての合理的な説明は既に尽くしているとしました。
あきれ果てました。やはり予想通り、県教育委員会高校教育課と高校は同じ穴の狢であり、『新大分県総合教育計画(改訂版)』などというものは単なるお題目にすぎないことがわかりました。
結局、彼らの主張は大分県の県立高校の教師たちは教科書の記述内容については一切判断できる能力を有さず、誤りがあろとも何も考えずにそのまま生徒たちに教えるということが正しいということです。また、保護者の意見など聞く耳持たず、教師の言うことを聞けということです。まさに戦前・戦中教育と何ら変わっていないというのが、残念ながら大分県の高校教育の現実なのです。
私は、教科書の問題は、まず現場の教師たちと話しあい、問題点が明らかになればその時には教科書出版社に問題提起するなど次善の策を、と考えていました。しかし現実は悲しいものでした。それでも教科書の誤りをそのままにすることも出来ないので、どう対処すべきかを確認することにしました。本日、文部科学省の初等中等教育局教科書課の松田氏に説明を受けました。
松田氏によると、検定教科書に明らかな誤りがある場合は、教科書出版社には訂正する義務があるので、教科書出版社に申し立てをしてくださいということでした。申し立てても出版社が訂正を行なわないようであれば、初等中等教育局の教科書課宛に資料を送っていただければ、内容確認の上、出版社に対して指導することが出来るということでした。法的な根拠は以下の通りです。
教科用図書検定規則(平成元年文部省令第二十号)
第三章 検定済図書の訂正
(検定済図書の訂正)
第十四条 検定を経た図書について、誤記、誤植、脱字若しくは誤った事実の記載又は客観的事情の変更に伴い明白に誤りとなった事実の記載があることを発見したときは、発行者は、文部科学大臣の承認を受け、必要な訂正を行わなければならない。
2 検定を経た図書について、前項に規定する記載を除くほか、学習を進める上に支障となる記載、更新を行うことが適切な事実の記載若しくは統計資料の記載又は変更を行うことが適切な体裁があることを発見したときは、発行者は、文部科学大臣の承認を受け、必要な訂正を行うことができる。
3 第一項に規定する記載の訂正が、客観的に明白な誤記、誤植若しくは脱字に係るものであって、内容の同一性を失わない範囲のものであるとき、又は前項に規定する記載の訂正が、同一性をもった資料により統計資料の記載の更新を行うもの若しくは体裁の変更に係るものであって、内容の同一性を失わない範囲のものであるときは、発行者は、前二項の規定にかかわらず、文部科学大臣が別に定める日までにあらかじめ文部科学大臣へ届け出ることにより訂正を行うことができる。
4 文部科学大臣は、検定を経た図書について、第一項及び第二項に規定する記載があると認めるときは、発行者に対し、その訂正の申請を勧告することができる。
松田氏と多少雑談ですがということで大分県の高校や教育委員会の対応を説明しました。まあ現場から遠い官吏ということもあるのでしょうが、彼は教科書の内容を理論的に理解してない教師が教育を行うことは出来ない、第一義的には現場の教師が保護者の疑問に耳を傾けるべきだと思うと言われました。今回の件は正にいじめ問題と同じで保護者個人が学校や教育委員会にいくら訴えても、事件にでもならない限り揉み消してしまおうとするのが今の高校の教育現場の実態ですと話しましたが、松田氏は教育改革が叫ばれており、改善したいと思いますということでした。残念ながら職掌が違うため、県教委や高校に対する指導を要請することはできませんでしたが・・・。
今後は学校との無駄な時間の浪費はやめ、教科書出版社に申し立てを行うことにしましょう。
2.軽水炉原子力発電の経済神話の崩壊
2-2 軽水炉原子力発電の実像
(2)ウラン鉱石の枯渇で終焉を迎える原子力
1章で見た通り、夢の高速増殖炉核燃料サイクルは実現不可能であることがわかりました。その結果、軽水炉原子力発電はウラン鉱石の枯渇によって終了することになります。エネルギー資源の可採年数の信頼性はそれほど高くありませんが、現状の確認された埋蔵量に対する主要なエネルギー資源の可採年数は概ね次の図に示す通りです。
出典:資源エネルギー庁
この図からわかるように、ウランの確認埋蔵量に対する可採年数はたかだか85年程度であり、ポスト化石燃料として工業化社会を支えることはないことがわかります。特に注意が必要なのは、可採年数とは確認埋蔵量を年間生産量で割ったものに過ぎませんから、年間生産量≒年間消費量が少ないエネルギー資源の可採年数は大きくなっているのです。
下図に世界の一次エネルギー消費量を示します(エネルギー白書2012年版)。
図からわかるように、一次エネルギー消費に占める原子力の割合はわずか6%に過ぎません。この年間消費量から、各資源の確認埋蔵量によって供給可能な一次エネルギー量の比率は次の通りです。
石油:天然ガス:石炭:ウラン(原子力)=(40.6×33):(65.1×21):(155×27):(85×6)
=1:1.02:3.12:0.38
つまり、絶対的な供給エネルギー量で比較すれば、石油のほうが原子力よりもはるかに大きな供給能力を持っているのです。
エネルギー供給面から客観的に評価すれば、ウラン=原子力というエネルギー『資源』は工業化社会を支えるエネルギーとしては特殊であまり重要ではないことがわかります。高速増殖炉核燃料サイクルの夢が潰えた今、エネルギー安全保障という意味からも敢えて原子力に固執する理由はなくなりました。
それ以前に、原子力発電は、他のエネルギー資源によって支えられた工業生産システムがなければ、自前の供給電力だけでウラン鉱石を採掘して核燃料を加工し、発電設備を建設することすら出来ない寄生技術に過ぎないのです。ポスト化石燃料文明後のエネルギー供給システムには成り得ないのです。
続く→
2.軽水炉原子力発電の経済神話の崩壊
2-2 軽水炉原子力発電の実像
前節で見てきたように、日本の軽水炉原子力発電は技術的にまったく不完全であり、また福島第一原発事故で明らかになったように電力会社や国には原子炉の運転技術も事故処理技術もまったく未確立であり、とても原子炉を商用に利用する資格のないことがわかりました。
ここでは、原子力発電の本質的な意味と、技術的な問題点を確認しておくことにします。
(1)危険で低効率な湯沸し器
原子力発電というと、何かとても先端的な発電方式のような印象を与えます。しかし、その本質は18世紀にジェームス・ワットによって考案された蒸気機関と変わっていません。当時の熱源が石炭の燃焼熱であったのに対して、原子力発電では核分裂で生じる熱を使っている点が異なるだけです。
逆に見ると、たかが発電機を回すためのお湯を沸かすのに、事故が発生すれば放射能による環境の汚染によって、長期間にわたって人命を脅かし、生態系を破壊するような熱源を利用するなど、狂気の沙汰です。
火力発電や原子力発電のように、高温高圧の水蒸気を作って水蒸気タービンによって回転運動を取り出して発電機を回して発電する方式を汽力発電と呼びます。汽力発電の効率(投入した熱エネルギーqinに対して、どれだけが電気エネルギーqoutに変換できるかの比率)を理想的な熱機関(カルノー・サイクル)の熱効率から推定してみます。理想的な熱機関の効率ηは、高温熱源の温度T1(絶対温度:K)と熱機関からの排熱温度T2(K)を使って次の式で表すことができます。
汽力発電の効率=qout/qin≒η=1−T2/T1
つまり、高温熱源の温度T1と排熱温度T2の温度差が大きいほど効率が高くなるのです。
火力発電と原子力発電の高温熱源の温度T1=蒸気温度の例を下表に示します。
原子力発電と火力発電の排熱温度をいずれもT2=80℃=353Kだと仮定します。
原子力発電の例として柏崎刈羽1号基の理想的な効率を求めると次の通りです。
η=1−353/(282+273)=0.364
これに対して火力発電の姉崎1号基の理想的な効率を求めると次の通りです。
η=1−353/(538+273)=0.565
実際には熱機関からのエネルギーの損失があり、また発電機の効率を乗ずることが必要です。その結果、原子力発電の発電の効率は0.3=30%(≒1100MW/3293MW)程度、火力発電の発電の効率は0.4=40%(≒600MW/1450MW)程度だと考えられます。
つまり、原子力発電では投入した熱エネルギーの内、70%は排熱として環境に捨てられているのです。電気エネルギー1単位を得るために70/30=2.33単位の排熱を捨てているのです。火力発電では電気エネルギー1単位を得るために60/40=1.50単位の排熱を捨てているのです。同じ電気エネルギー1単位を得るために、原子力発電は火力発電の2.33/1.50=1.55倍の排熱を環境中に捨てているのです。
このように、原子力発電は汽力発電として極めて低効率な発電装置であり、環境の熱汚染は火力発電の1.5倍以上になるのです。
なぜ原子力発電はこれほど低効率なのでしょうか?これは蒸気温度が低く設定されているからです。勿論、原子炉の能力からは蒸気温度を更に高めることは可能ですが、原子力発電では敢えて効率を犠牲にしてまで蒸気温度を低くしているのです。つまり、原子炉を熱源に使用しているため、原子炉ないし冷却系に欠陥が生じた場合に原子炉内の放射性物質が環境中に漏洩して放射能汚染が起こる危険性があるため、蒸気温度・圧力を高めることが出来ないからです。
続く→
2.軽水炉原子力発電の経済神話の崩壊
これまでの議論から、将来的にも高速増殖炉を含む核燃料サイクルが実用化することがないことが明らかになりました。日本の長期エネルギー戦略における原子力の基本前提が崩壊したのですから、本来であれば軽水炉による原子力発電について根本的な見直しが必要です。ここでは、日本の軽水炉原子力発電の現状を確認し、その科学的・経済的な合理性を検討することにします。
2-1 軽水炉原子力発電の概要
現状について、国は『エネルギー白書(2011年度版)』の中で次のように述べています。
A核燃料サイクルの現状
核燃料サイクルは、原子力発電所から出る使用済燃料を再処理し、未使用のウランや新たに生まれたプルトニウム等の有用資源を回収して再び燃料として利用するものです(第213-2-6)。
(出所) 原子力・エネルギー図面集2011年版に加筆
原子力発電の燃料となるウランは、最初、ウラン鉱石の形で鉱山から採掘されます。ウランは、様々な工程(製錬→転換→濃縮→再転換→成型加工)を経て燃料集合体に加工された後、原子炉に装荷され発電を行います。発電後には、使用済燃料を再処理することにより、有用資源であるプルトニウムとウランを回収します。このプルトニウムについては、プルサーマルと呼ばれる方式で現在の軽水炉で利用されたり、高速増殖炉等の研究開発に利用されたりします。
また、原子力発電に伴って生じる放射性廃棄物については、適切な処理・処分を行います。核燃料サイクルの各工程について以下に示します(プルサーマルの場合)。
(ア)製錬
ウラン鉱山からウラン鉱石を採掘して、ウラン鉱石を化学処理してウラン(イエローケーキ、U3O8)を取り出す工程です。我が国では、ウラン鉱石をカナダ、オーストラリア、カザフスタン等から調達してきました。現在、国内ではこの行程は行われていません。
(イ)転換
イエローケーキを次の濃縮工程のためにガス状(UF6)にする工程であり、我が国ではこの工程を海外にある転換会社に委託してきました。
(ウ)濃縮
核分裂性物質であるウラン235の濃度を、天然の状態の約0.7%から軽水炉による原子力発電に適した3%〜5%に高める工程で、我が国では、日本原燃(株)が濃縮事業を行ってきました。日本原燃(株)のウラン濃縮工場(青森県六ヶ所村)は1992年3月に年間150トンSWU註)の規模で操業を開始し、設置許可上年間1,050トンSWUの規模になっており、現在は新型遠心分離機への置き換え工事のため操業を停止しました。なお、濃縮の工程は国内需要の大半を海外の濃縮工場に委託してきました。
註)SWUとはSeparative Work
Unitの略でウランを濃縮する際に必要となる仕事量の単位(分離作業単位)のことをいいます。
(エ)再転換
成型加工工程のためにUF6をパウダー状のUO2にする工程であり、我が国では、三菱原子燃料(株)(茨城県東海村)のみが再転換事業を行ってきました。なお、国内で賄われる以外の分は、海外の再転換工場に委託してきました。
(オ)成型加工
UO2粉末を焼き固めたペレットにした後、燃料集合体に加工する工程で、我が国ではこの工程の大半を国内の成型加工工場で行ってきました。
『エネルギー白書』の記述から、国や電力会社は原子力を『純国産のエネルギー資源』と言いますが、その実態は、燃料の採掘から加工のほとんど全ての工程を海外に依存し、フロントエンド(ウラン鉱石の採掘から核燃料成型までの工程のこと。発電以降の核燃料再処理や廃棄物処理などに関する工程をバックエンドと呼ぶ。)の内の最終段階である燃料の成型加工工程だけがほぼ国内で行われているのにすぎないことがわかります。原子力発電を政策的に導入し始めて半世紀が過ぎても、日本の原子力発電はまったく技術的に自立できていないのです。
続く→