1.高速増殖炉核燃料サイクルの崩壊
1-4 破綻した高速増殖炉と核燃料サイクル
前節で紹介したように、これまで不測のトラブルによる影響を受けずに安定して運転し続けることの出来た発電用の高速増殖炉は存在しません。フランスのスーパーフェニックスは既に閉鎖され、日本原子力研究開発機構のもんじゅは事実上は完全に破綻しています(国・自民党政権がもんじゅと核燃料サイクルを残す意図は別稿で触れる。)。
もんじゅは商業用の原子炉ではなく原型炉=実用化前の実験段階の高速増殖炉です。既にこの段階で事故が頻発し、安定運用の技術的な目処はまったくありません。軽水炉よりもはるかに高い技術を必要とする危険な高速増殖炉を更に商業発電用に規模拡大して利用することなど、まさに狂気の沙汰です。
新規科学技術の開発には試行錯誤と失敗と予測もつかない事故の発生がつきものです。例えば、ボーイング787の初期不良の問題がそれを端的に示しています。しかし、高速増殖炉のような危険なシステムでは試行錯誤や失敗は許されないのです。敢えて危険を犯して一度大事故が発生すれば、それで全てを失うことになりかねないからです。もんじゅが大事故を起こせば、近畿から東海にかけての人口密集地域に高い確率で取り返しのつかない被害を与えることになります。
試行錯誤の許されない危険なシステムでは、事実上技術開発は不可能なのです。スーパーフェニックス、もんじゅの事故によって、高速増殖炉の技術的な破綻が明らかになりました。これによって日本の長期エネルギー戦略における原子力発電導入の本質的な前提=“高速増殖炉核燃料サイクルの運用によって自前のエネルギー資源を安定的に手に入れる”ことが不可能になったのです。つまり、この段階で実は軽水炉による発電の存在意義も消滅したのです。
日本の原子力政策は高速増殖炉を含む核燃料サイクルが前提であったので、軽水炉の使用済み核燃料は高速増殖炉用のMOX燃料の原料であり、資産価値があるとされていました。また、日本の自前の再処理工場が運用できるまで高額の再処理料金を支払ってイギリスやフランスに使用済み核燃料の再処理を委託し、既に膨大なプルトニウムを保有しています。
しかし、高速増殖炉が破綻したことによって、軽水炉使用済み核燃料や、イギリスやフランスに高い料金を支払い再処理されたプルトニウムは行き場を失い不良資産化して、電力会社には不良資産の保管のために莫大な費用の支出だけが残ることになりました。しかも使用済み核燃料は引き取り手がないまま中間貯蔵施設に溢れようとしています。
一方、核燃料サイクルのもう一つの中核施設である青森県六ケ所村の日本原燃の再処理工場も事故続きで未だに操業することすら出来ていません。相次ぐトラブルによって既に18回も完成が延期されるという無様な有様です。当初、建設費は7600億円とされていましたが、度重なる事故に伴う支出の増大などによって建設費は当初予算の数倍に跳ね上がっています。
2003年、電気事業連合会は「六ヶ所再処理工場の総費用は約11兆円」と公表しました(内訳:建設費約3兆3700億円、運転・保守費約6兆800億円、工場の解体・廃棄物処理費約2兆2000億円。)。建設費だけでも当初計画の4.5倍になっています。しかし、これは再処理工場が順調に運用できた場合の楽観的な試算であり、実際には更に費用が膨らむと考えられます。
そればかりではありません。再処理そのものが極めて事故の危険性の高い施設なのです。
既に商業発電用高速増殖炉の技術的な実用化の可能性はなくなりました。その段階で軽水炉使用済み燃料の再処理=再処理工場の必要性もなくなったのです。科学的・経済的合理性に基づいて判断すれば、高速増殖炉もんじゅ、六ケ所村再処理工場は即刻操業停止して処分すべきです。
続く→
1.高速増殖炉核燃料サイクルの崩壊
1-2 高速増殖炉はなぜ危険か
発電用高速増殖炉システムの構成を再度示しておきます。
高速増殖炉の特徴は、大きく見て次の3点に集約されます。
@軽水炉の使用済み燃料から抽出された核分裂性のプルトニウムを燃料に用いる。
A高速中性子を効率的にブランケットに吸収させるために一次、二次冷却系に金属ナトリウムを使用する。
B増殖比>1.0
まず第一にプルトニウムの強い毒性が問題です。プルトニウムは化学毒性とともにα崩壊する放射性元素であり、生体内に取り込まれた場合に放射線による生体への強い毒性を持っています。急性毒性と長期的影響を含めた半数致死量(摂取した人数の半数が死亡するような摂取量)は、吸収摂取で0.26mgと言われています(プルトニウム1gでおよそ2000人が死亡する)。
これは、プルトニウムを扱うあらゆる局面において作業員が常に危険にさらされることを意味しています。また、高速増殖炉が事故を起こして環境中にプルトニウムが放出された場合の危険性、そしてその収束作業が極めて困難になることを意味しています。
第二に、高速中性子による連鎖核分裂をさせるために、炉心におけるエネルギー密度が軽水炉に比べてはるかに高く、高い冷却能力を持つ冷却材として金属ナトリウムが使用されます。炉心のエネルギー密度が高いという事自体が危険です。冷却に失敗すると軽水炉よりもはるかに炉心溶融などの重大事故の危険性が高くなります。
さらに、二次冷却系ナトリウムは、水蒸気タービンを回すために蒸気発生器で水を加熱して高温高圧の水蒸気を作りますが、金属ナトリウムは極めて反応性の高い金属であり、水と接触することによって激しい化学反応を起こし水素を発生させ、爆発事故を起こすことになります。特に、蒸気発生器で効率的に熱交換を行うためには、配管は出来る限り薄く、表面積を大きくするために細くすることが必要であり、ピンホールなどの欠陥が生じやすくなります。
高速増殖炉はあらゆる面において軽水炉よりもはるかに危険性の高い原子炉なのです
1-3 まともに動かない高速増殖炉〜「スーパーフェニックス」と「もんじゅ」
前述のとおり、高速増殖炉は軽水炉に比較して格段に高い技術レベルを要求する原子炉です。その結果、重大事故の危険性が高く、同時に経済的にも非常に高価な発電方式になります(エネルギー供給技術として高価であることは総合的なエネルギー利用効率が低いことを示している。)。そのため、高速増殖炉を導入して核燃料サイクルを実現しようとしたのはフランスと日本だけでした。
フランスではスーパーフェニックスという高速増殖炉が作られましたが、1985年の初臨界の後に事故を繰り返し、わずか13年後1998年にに閉鎖されました。現在、商用発電用原子炉として稼働している高速増殖炉は存在しません。地球上に存在する高速増殖炉は日本原子力研究開発機構の熱出力71.4万kWの原型炉「もんじゅ」だけです。
そのもんじゅは、御存知の通り、1995年8月29日に初発電を達成後、同年12月8日にナトリウム漏れ事故を起こして火災が発生、以後14年半にわたって休眠していました。
事故は原子炉格納容器を出た二次冷却系の配管に設置されていた温度計の取り付け部分の破損によって金属ナトリウムが漏洩したことにより、これと水が反応して生じた水素によって火災が発生したものです。
もんじゅのナトリウム漏れ事故は原因だけを見ると温度計が変形したという実にくだらない事故です。これは高速増殖炉特有の高度な技術に関わる問題に起因する事故ではなく、単純な冷却材の配管とその付属物に関わる事故です。これが火力発電であれば配管から多少蒸気が噴出したという事故とも呼べない故障で済むことかもしれません。ボイラーを止めて破損箇所を修復するのは簡単な修理作業です。ところが高速増殖炉では放射能漏れを伴う金属ナトリウムの漏洩による重大な火災事故に発展してしまうのです。
このように高速増殖炉では、ごく単純な設備に対してさえ、通常の火力発電は言うに及ばず、軽水炉に比較しても格段に厳しい安全性が要求されます。高速増殖炉のように危険な物質を取り扱うシステムでは、システムの規模が巨大化し複雑になるに従って、こうしたごく単純な配管やその接続箇所というようなごくありふれた部材の欠陥が致命的な事故に発展する可能性が急激かつ不可避的に大きくなるのです。
このナトリウム漏れ事故を起こしてから、まがりなりにも再稼働するまでに足掛け15年もの歳月が必要でした。これは高速増殖炉の技術的な困難さ、事故からの復旧の困難さを端的に表しています。この間、もんじゅの冷却系の金属ナトリウムは固化しないように加熱し続けられ、その費用は年間200億円、15年間で3000億円にのぼりました。そして2010年5月に再起動しましたが、直後から事故が頻発し、同年8月の事故でほぼ臨終を迎えました。
続く→
現在、自民党政権によって、まがりなりにも民主党政権下において国民多数の意見を背景に示された脱原発への道程がまったく反故にされようとしています。福島における原発事故に対して、技術的に未だその収束の方向性すら見えず、多くの被災者が放射線被曝の後遺症の発症に脅かされている中で、経済最優先=短期的経済成長という刹那的な目的のために、電力業界を始めとする大企業ならびに金融資本は原発の再稼働を画策しています。
福島第一原発事故後のこの国の電力会社・国の対応から、そもそもこの国には原子力発電を運用し、適切な事故処理を行うだけの技術も、また事故が発生した場合の責任能力もないことが明らかになりました。このような国が、福島第一原発事故の処理も行なわないままに原子力発電の運用続ける資格などありません。
原子力発電の再稼働を含めた不毛な日本のエネルギー政策議論に対して、原点に戻った議論が今こそ必要であると考えます。
はじめに
原子力発電には純粋な商用発電装置としての科学的・経済的な合理性は存在しません。原子力利用に合理性があるのは兵器としての利用と、原子力潜水艦の動力装置としての利用程度に限定されます。
日本において原子力発電の導入に際して、原子力発電所における巨大事故発生時の被害予測について調査が行われました。東京電力などによって組織されていた原子力産業会議が科学技術庁(現在は文部科学省)の委託によって作成した報告書『大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算』(1959年)がそれです。報告書では東海原子力発電所(出力17万kW、茨城県)が事故を起こして原子炉内の放射性物質の2%が環境中に放出されたと想定してシミュレーションが行われました。被害は気象条件によって大幅に異なりますが、最悪のケースでは人的被害は死亡720人、傷害5,000人、農業制限(放射性物質に汚染される地域の面積)15万km2、被害額3兆7,300億円(当時の国家予算の2倍以上)とされています。
この調査結果から、商用原子力発電所の事故によって狭小な日本の命運を左右するような激甚な被害が生じる可能性が示されました。この激甚な原子力発電所事故発生の危険性を犯してまで商用発電装置として敢えて原子力発電という発電方式を導入することに合理的な理由は存在しません。
当時、日本に原子力発電を強引に導入しようとした政治家たちには非科学的で不合理な『表向きの理由』とは別に、核武装のための技術を獲得するという極めて現実的で合理的な目的がありました。核兵器製造能力を技術的に担保するために原子炉を運転することが必要であり、そのために敢えて事故の危険性を犯してまでも原子力発電の導入を強引に推し進めたのです。
日本の原子力発電における核武装との関わりは本質的な問題ですが、この連載では『表向きの理由』であるエネルギー政策としての原子力発電導入という側面から検討することによって、商用発電装置としての原子力発電導入には合理的な理由が存在しないことを明らかにすることにします。
1.高速増殖炉核燃料サイクルの崩壊
第二次世界大戦後、日本の長期エネルギー戦略において最初に行なわれたことは基本エネルギー資源の石炭から石油へのシフトでした。しかし、石炭とは異なり、日本には有望な油田はなく、ほぼすべてを海外からの輸入に頼らざるをえませんでした。
そこで自前のエネルギー資源を得る技術として登場したのが高速増殖炉核燃料サイクルの実用化を前提とした原子力発電の導入でした。
1-1 高速増殖炉核燃料サイクルのシナリオ
2009年10月、NUMO(原子力発電環境整備機構)による集中的な高レベル放射性廃棄物の地層処分の広告キャンペーンが行なわれました。
No.430 (2009/10/19)
ふざけた『NUMO』の全面広告
No.431 (2009/10/26)
常軌を逸した『NUMO』の謀略広告
その中で、「原子力発電は、使い終えた燃料の約95%がリサイクル可能です。」としています。これが正に高速増殖炉の実現を前提とした日本の長期エネルギー戦略における原子力発電の理論的な背景なのです。
日本国内でもウラン鉱が採れないことはありませんが、原子力発電用の燃料ウランとして利用するにはあまりにも少量で低品位であるために実質的に使い物になりません。日本の原子力発電で使用される燃料用ウランは100%輸入されています。これでは石油と同じです。ではなぜ原子力発電が日本の自前のエネルギーと主張されるのでしょうか?また、ウラン鉱の可採年数(勿論この数値の信頼性は低いのですが)は100年足らずであり、石炭よりもはるかに短いとも言われています。
現在、採掘されている平均的なウラン鉱石の品位は、天然ウラン含有率が0.2%程度です。さらに、天然ウランの大部分は非核分裂性の原子量が238の238Uであり、原子炉用の燃料にはなりません。天然ウランに含まれる核分裂性の原子量235の235Uの割合は0.7%程度に過ぎません(下図の左端の図)。
天然ウランのままでは日本の原子力発電に用いられている軽水炉の核燃料としては使用出来ません。軽水炉ウラン燃料にするためには235Uの割合を4%前後にまで『濃縮』しなければなりません。
このウラン濃縮の過程で235U含有率が天然ウランよりも低い廃物が生じることになります。これを劣化ウランと呼びます。米国ではこの密度が大きい劣化ウランを使って貫通力の大きな『劣化ウラン弾』という兵器を作り、中東で実戦で使用しています。この劣化ウラン弾も広義の核兵器であり、劣化ウラン弾に攻撃された地域では遺伝子異常などによる影響が顕著になっています。
話を元に戻します。ウランを軽水炉(熱中性子の減速材として原子量1の水素の酸化物である通常のH2Oを用いる原子炉)で燃やすことによって、燃料ウランの組成が下図に示すように変化します。
発電後の使用済み核燃料には、燃えカスである多種類の放射性元素を含む核分裂生成物が4.7%、燃え残りの235Uが1%、238Uから生じた原子量239の核分裂性のプルトニウムである239Puが1.1%程度含まれています。NUMOの新聞広告において「原子力発電は、使い終えた燃料の約95%がリサイクル可能です。」と言っているのは、燃えカスの核分裂生成物=高レベル放射性廃棄物以外の95.3%(235Uが1%、239Puが1.1%、238U等が93.2%)が原子炉の燃料として再利用可能だと言っているのです。
確かに、235Uと239Puは核分裂性元素なので、再処理によって使用済み核燃料から取り出すことが出来るのならば原子炉の燃料として利用可能です。しかし93.2%を占める238Uなどは非核分裂性の元素であるためそのままでは原子炉用燃料には使えません。
そこで高速増殖炉の登場です。高速炉(FR=Fast
Reactor)とは、核分裂によって生じる高速中性子を軽水炉のように減速材を用いて減速することなく、高速中性子をそのまま利用して核分裂の連鎖反応が起きるように設計された原子炉です。高速増殖炉(FBR=Fast
Breeder Reactor)とは、高速炉であり、増殖比>1.0の原子炉です。
註)増殖比:
原子炉内において、核分裂する燃料に対する中性子を吸収することによって新たに生じる核分裂性物質の比率。狭義には高速増殖炉内で消費される核分裂性Puに対する、238Uが高速中性子を吸収して新たに生じる239Puの比率。
高速増殖炉では、燃料として核分裂性Puが16〜21%程度含まれる高速増殖炉用のウラン・プルトニウム混合酸化物燃料=MOX(Mixed
OXide)燃料を使用します。炉心の周囲には非核分裂性の238Uを主体とするブランケットを配置します。炉心の核分裂反応で生じた高速中性子をブランケットが吸収して239Puを生成します。
高速増殖炉では、高速中性子を減速させることなくブランケットに吸収させるため、一次冷却材として軽水を用いることは出来ず、金属ナトリウムを使用します。
高速増殖炉を運転することで、軽水炉では燃料として利用できなかった非核分裂性の238Uを核分裂性の239Puに核変換することが出来るのです。つまり、高速増殖炉を運転すれば、日本国内で新たな核燃料を生産することが出来る=自前のエネルギー資源であるというのが国や電力会社の主張なのです。
試算では、高速増殖炉核燃料サイクルが実現した場合、天然ウランの利用率は60%程度にまで増加するとしています。
NUMOによる『95%再利用可能』というのは誇大宣伝ですが、高速増殖炉核燃料サイクルが実現すると天然ウランの利用率が0.5%から60%、つまり同じ量の天然ウランから実に120倍の燃料を得ることが出来るという、まさに『夢の技術』なのです。
続く→
原発の被災地から離れた九州では、本当に福島の今の状況についての情報が見えません。愚かなマスコミは『アベノミックス』などというふざけた経済政策の報道ばかりで、福島の問題を忘れたかのようです。この国の報道機関や国民意識の度し難い愚かさは手のつけようがないようです。
久々に鐸木さんの阿武隈裏日記の記事を紹介しておきます。
フクシマは福島の問題ではない(2) ― 2013/02/12 21:07
今までここは汚染されていなかった場所だが、汚染された場所から運び込まれた土(除染)のおかげで放射線量が上がった
「フクシマ」は福島の問題ではない。
地球規模の問題、人類がこれからどう生き延びていくかというような大きな問題なのだが、この事態を引き起こした要因を考えていくと、昔からよく言われる「親方日の丸体質」の問題に触れないわけにはいかない。
宮脇昭氏が「震災がれきを活用して東北に『森の防波堤』を」と提唱している。
(日本経済新聞WEB版 2012/2/1)
しかし、この提案が、国にはまったく無視されている。
その裏事情をリポートしているのが、「中央省庁の壁は、防潮堤よりも厚かった──相沢光哉・宮城県議会議員も憤る「森の防潮堤」が実現しないワケ」(2012年12月05日
磯山 友幸 経済ニュースの裏側 現代ビジネス)。
かいつまんで説明すると……、
■宮脇氏の提言:
震災で生じたがれきのほとんどは、家屋などに使われていた廃木材やコンクリート。これらはもともと「自然素材」であり、土に還る。捨てたり焼いたりしないで有効に活用すべき。
海岸部に穴を掘り、がれきと土を混ぜ、かまぼこ状の土塁を築く。そこに、その土地の本来の樹種である潜在自然植生の木を選んで苗を植えていけば、10〜20年で防災・環境保全林が海岸に沿って生まれる。
東北地方の潜在自然植生であるタブノキやカシ、シイ類などは根が真っすぐに深く地下に入る直根性・深根性の木なので、容易には倒れず波砕効果を持つ。背後の市街地の被害を和らげ、引き波に対してはフェンスとなり、海に流される人命を救う。
■相沢光哉・宮城県議会議員の憤懣:
宮脇氏の提言を知り、議会で自民党から共産党までの全議員が全会一致でこの「緑の防波堤」案を採用しようと決めた。
ところがこれに国がストップをかけた。
廃棄物処理法で、木質類は埋めてはいけないと決められているから「そもそもガレキを埋めるという行為自体がダメ」だと言う。
国はあくまでもコンクリートと鉄で作る巨大堤防の建設を進めようとしている。
防潮堤のほとんどは国土交通省の所管。民主党政権で「コンクリートから人」へということで仕事が干上がっていたのが、震災で膨大な予算が付き、目の色が変わった。海岸堤防は国交省のやりたいように進められている。
東日本大震災の大津波では、高さ10メートル以上の大堤防が引き波によってことごとく倒された。
それにも懲りず、平野部では高さ7.2メートル、気仙沼などのリアス式海岸の場所では11.4メートルのコンクリート製の堤防を、引き波でも倒されないようにがっちり作り直すと言うが、高さ7.2メートルの堤防をそのレベルで作れば底辺の厚みは40メートルにもなる。そんなものを太平洋沿岸にズラッと築けば、陸側からは海が見えなくなるし、海側からも陸が見えなくなる。
そんな異常なものの建設が、現実に国の直轄事業で始まっている。
片寄った主張ととるかたもいるかもしれないので、「緑の防潮堤懐疑論」も紹介しておく。
宮脇氏の唱える「緑の防潮堤」に疑問を投げかける人たちの主張をまとめると……、
有機物は埋めればいずれ腐る。その際にガスが発生したり、土地が陥没する。
土木工学的に強度の裏付けがあるのか?
木質瓦礫を含む堰堤を津波が越えれば水が浸透して浮力が生じる。第2波3波に耐えられるのか?
余震で液状化しないか。
広葉樹は深くまっすぐに根を張ると言うが、塩分の多い土壌でもそうなるのか?
……といった意見が見られる。
しかし、こうした懸念が現実になったとしても、莫大な金を投じて巨大なコンクリートの防潮堤を張りめぐらすなどという計画よりはるかにマシではないか。
仮に宮脇提言に多少の弱点があったとしても、それがコンクリートの大防潮堤建設推進を正当化する理由にはまったくならない。
相沢氏も言う。
森を作るわけで、上に家を立てたり道路を造るわけではない。
これから、太平洋沿岸、九州の方まで大堤防の建設が進んでいく。100年に1度の津波だとしても、99年はその高い塀の中で暮らさなければならない。
それだけ犠牲を払っても、100年に1度の津波を抑えられる保証はない。東海、南海地震の津波は30メートルという予測なのだから。
そもそも自然の脅威に対して人工物で対応するということ自体、無理がある。
コンクリートは経年変化する。森は放っておいても更新する。自然には自然で対応するのが本当の知恵。
海はときに災害をもたらすが、普段は「豊穣の海」であり、人間の暮らしに恵みを与えてくれる存在。海を拒むのではなく、海と折り合いを付けて生活していく工夫をするのが当然のこと。
……まったく同感だ。
巨大堤防は凶器にもなりえる。
東日本大震災のとき、逃げ遅れて大津波にのみこまれた人たちの中には「堤防のために逃げ遅れて命を落とした」人たちもいた。
10メートルの大堤防の向こう側は見えない。津波が10メートルの堤防を乗り越えてくるまで、迫る津波が見えなかったのだ。
実際に大槌町ですんでのところで助かった人はこう言っている。
「堤防の内側にいると、海は見えないじゃない。住宅が多い町の方でもそう。だから、震災があった時に、近くにいた人は津波が来ることが分からなかったんじゃないかな。堤防の上を漁船が越えるのを見て気付いた人もいるって聞いたしね。堤防が透明だったら、どれだけの人が助かったんだろうって思う」
(「津波のことは、不思議と思いもしなかった」大槌みらい新聞 配信=2013/01/31記事=田淵 浩平)
地元の人たちは、実際に3.11の大津波で堤防の無力を体験したこともあり、堤防建設に対しては概して懐疑的だ。
しかし、「本音は反対だが復興が人質にとられているから口を閉ざしている」という。(特集ワイド:東日本大震災 巨大防潮堤、被災地に続々計画 本音は「反対」だが…復興が「人質」に 口閉ざす住民
毎日新聞 2013年02月06日 東京夕刊)
「復興が人質にとられている」とはどういう意味か?
「防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえない」
「海辺を利用してきた沿岸部住民で本音で賛成している人はいないだろう」(毎日新聞特集記事より)
つまり、地元の人たちは巨大防潮堤の建設には賛成できないが、それを呑まなければ、破壊されたインフラや産業基盤の復興への予算も削られるので、呑まざるを得ない、というのだ。
こんなバカな金の使い方が許されるだろうか。
最終的な目的は、津波から人命を守ることであって、津波を食い止めることではない。津波が来たときに命を落とさないようにすればいいのだ。
例えば、沿岸の民家、建物には、津波に呑み込まれても溺れないための「漂流カプセル」を備えればよい。
完全防水、その中に横たわればたとえ波にさらわれても呼吸が確保でき、数日間は命を守れる飲料水と栄養物を備えたカプセル。
車には、圧縮空気で瞬時に膨らむ簡易型漂流カプセルを積んでおく。消火栓のように、地域のあちこちにこうした救命用漂流カプセルを常備しておく。
これなら巨大防潮堤よりはるかに少ない予算でできる。防潮堤建設の予算を考えれば、沿岸住民、自治体に国が無償供給してもたっぷりお釣りがくる。
そういう緊急時漂流用カプセルのアイデアや技術開発によるビジネスも生まれるし、海外輸出もできる。
失われた命は戻らないが、流された建造物や資産は時間と共に取り戻せる。であれば、「津波を防ぐのではなく、いちばん大切なものを津波から守る」ことができればいい。
巨大防潮堤を建設すれば、それだけで大きなものを失う。景観や自然環境、暮らしやすさ、自然との共生という文化……そうしたものを失うに値するだけの価値があるのか?
漂流カプセルなら、何も失うものはない。
こんなことくらい、ちょっと考えれば誰でも分かるだろう。
簡単なことをやらないで、バカなことを推し進める背景は、結局「利権」なのだ。
相沢議員もインタビュー記事の中で語っている。
要するに、樹木を育てて防潮堤にするという仕組み、それがまったくダメだとお役所(国交省)は頭から決めてかかる。
国交省がダメなら、林野庁が頑張ってくれたらいいのだが、役所の規模が国交省とは横綱と幕下みたいなもので話にならない。
しかも、「森の防潮堤」は広葉樹を使うというのがポイントだが、林野庁は「海岸線はマツ。山はスギ」という風に針葉樹を植える方針で長年やってきたから広葉樹はやりたがらない。広葉樹は植えれば手をかけなくていいから、林業業者が儲からないから。
コンクリートの堤防であれば県は一銭も負担する必要がない。だから「ぜひ国にやってもらいましょう」となってしまう。
一方、海岸部に住んでいた人はみな津波でやられ、危険区域だからもうそこには住めない。だから、もう海岸はどうでもいいと考えてしまう。
まったく同じ構図が「除染ビジネス」にもある。
森の除染など、誰もできると思っていない。また、本当に除染が必要な場所よりも、緊急性の薄い場所に莫大な金が注ぎ込まれ、費用対効果が極めて低い。中にはやらないほうがよほどいいような「除染」もある。そういうものが一緒くたに国からの金で推し進められている。
これも巨大防潮堤と同じで、「受け入れたほうが金が流れ込む」という地元の思惑と連動している。
合理性のない金の使い方は許さない、という国民の意識が低いから、「親方日の丸」意識が長い間続き、デタラメな税金の使い方であっても異を唱えなくなってしまった。
どうせデタラメな金なら、少しでも自分たちの生活が潤う方向に使わせよう、という「ぶら下がり根性」が染みつく。
それを仕切る地元の顔役が地方議員をやり、利権誘導がうまい人間、あるいは利権誘導によって動かされやすい人間が首長になる。
そういう構図で生まれた「地方経済」は自立性がないから、上からの金が途絶えれば簡単に崩壊する。それが怖くて、ますますぶら下がり体質が強化され、そこに身を寄せる地域住民には暗黙のタブー意識、結束、自由な発言や行動を封じて小さくまとまろうとする村意識が芽生え、強化される。
「フクシマ」を生んだ要因にはこうした構図がある。
原発立地では、このぶら下がり体質がものすごく強い。「フクシマ」以後、目が醒めて自立への道を歩み始めるかと思えば、逆に、ますますこの体質が強まってしまった。
「東北復興」の中でも、「福島の問題」は特にやっかいだ。
都会の人たちにお願いしたい。
「フクシマ」は、自分たちから遠い田舎で起きた地域的な問題ではない。
ましてや、原発の問題は「エネルギー問題」ではない。
東北が大変だから、困っているからお金を出してあげなければ……とか、原発をなくすには代替エネルギーを考えなくては……などという問題ではまったくないのだ。
今、福島をはじめ、東北には莫大な金(もとをただせば税金)が流れ込んでいて、その金の使われ方は合理性を欠いている。そこに問題の根源がある。
「脱原発」を叫ぶ人たちが増えるのは結構なのだが、本当に原発をなくそうと思ったら、中央の権力構造を合理的な方向に改革することから始めなければどうしようもない。なぜなら、原発立地の人たちがいつまでも「ぶら下がり」を続けようとしている限り、「地元の民意」によって原発継続は正当化し続けられるからだ。
税金の使い方に今まで通りのデタラメを許していたら、たとえ原発が全廃されたとしても、同じような失敗が形を変えて次から次へと出てくるだけだ。
★冒頭の写真は川内村の我が家への進入路に置かれた汚染土入りブルーバッグの山(2012/12/03)
●2013年2月16日19:30〜
●NHKスペシャル『シリーズ日本新生 どうするエネルギー政策』
何という低レベルで破廉恥な議論が続くのだろうか。福島第一原発事故に対してまともな処理もできず、誰も責任を取ろうとしないこの国において、原子力を継続することなど、どうして容認できるのだろうか?
それはさておき、論者の人選からして、まともな議論になるわけがない、ただ時間だけを空費する虚しい番組です。
このコーナーでは、No.756(2012/05/30)「福島県の子ども」の病死者数について/低線量被曝の顕在化?において、福島第一原発事故後の福島県の子どもたちに低線量被曝の影響が出始めていることを報告しました。しかし、報道管制された日本の無能な報道機関はこの種の重要な情報を隠蔽し、殊更復興を印象づける報道に終始しています。福島の事故がなかったような顔で経済原理を最優先する原発稼働再開論議が行われる有様です。
今回は明確な放射線被曝の影響が出始めていることを武田邦彦氏のブログから転載しておきます。
原子力と被曝 福島で甲状腺ガン50倍。国は子どもの退避を急げ!
2013年2月14日、福島県健康管理委員会が3人目の甲状腺ガン(いずれも子ども)の発生を報じました。また7人が「ほぼ甲状腺ガン」と診断されています。男子3名、女子7名です。
甲状腺ガンは18才、40才ぐらいから増えるガンで、女性に多いのが特徴です。福島では18才以下の子ども18万人の対象のうち、3万8千人が検査していますので、国立がんセンターのデータでは、10万人に0.6人程度なので、3万8千人なら「0.2
人」が平均的ですから、その約50倍に当たります。
通常はお医者さんというのはできるだけ病気にならないように、注意をされるのが普通ですが、福島の医師団だけは「病気になる危険を冒せ。病気になってもかまわない」という態度に終始しています。
今回も「被曝による甲状腺ガンは4,5年かかる」と説明していますが、それは「医学的」に間違いです。というのは、「平均して患者が増えるのが5年目から」というのと、早期にガンにかかる子どもがいつからでるかというのは違うからです。
チェルノブイリの患者発生のグラフは上の通りです。このグラフを見ると1988年4月の事故から4年目から甲状腺ガンの子ども(18才以下)が増えていますがチェルノブイリの近くのウクライナ、ベラルーシに限って言えば、明らかに2年後には増加傾向にあります。
このことは、平均して甲状腺ガンがでるのは4年目からだが、早期にガンになる子どももいるということを示しています。すでに3人が手術をしたと報じられていますが、実に可哀想です。
国は直ちに次の事が必要です。
1)高濃度被曝地の子どもを疎開させる(除染は間に合わない)、
2)汚染された食材の出荷を止める、
3)ガンになった子どもを全力で援助する、
4)除染を進める。また親も含めて移動を促進する。
5)「福島にいても大丈夫だ」と言った官吏を罷免し、損害賠償の手続きを取る。
日本の未来を守るために、大至急、予防措置を取ることを求めます。
(平成25年2月14日)
武田邦彦
北朝鮮が去る12日に3度めの核実験を行いました。昨年のロケット発射実験の成功を勘案すれば、北朝鮮が近い将来ICBMを含む核保有国になることは、おそらく避けようのない事実です。
地球上にまた愚かな核保有国が生まれることは悲しい出来事です。しかし、残念ながらNPT体制下において現在でも米国、ロシア、中国などの核保有国が武力を背景にして国際政治を牛耳っているのは否定しがたい事実であり、米国から理不尽な圧力を受け続けてきた国の一つである北朝鮮が、これに対抗するために核武装しようとする論理は実に明確だと考えます。これは一人北朝鮮が悪いと言うよりは武力で動く世界政治というシステムの問題であって、北朝鮮が悪いのと同時にその他の“合法的核兵器保有国”も同罪であることを確認しておかなければ片手落ちです。
では、この現実に対して日本はどう対処するのが最も現実的なのでしょうか?好戦的で幼稚な安倍晋三や石破茂、石原慎太郎らは、おそらく日本の軍備増強、あるいは核兵器の保有を主張するかもしれません。こうした軍拡構想は抑止力としては意味があっても、一旦本当に戦火を交えることになればまったく無意味です。特に日本のように狭小な国土に高い人口密度で人が暮らしている国では何の意味もありません。
確かに莫大な火力で北朝鮮を壊滅させるような先制攻撃を行うというのであれば日本を戦火から守ることは出来るでしょう。しかしこれでは日本は凶悪なアメリカと同じ侵略者に成り果てることを意味していますから、現実にはそのような愚かなことは出来ないでしょう。
では、専守防衛という日本の国是を全うするとします。この場合、最低でも北朝鮮からの第一撃を被ることを意味します。脳天気で非科学的な軍事オタクは、ミサイル防衛網を充実すれば北のミサイルを撃ち落とせるなどと信じているかもしれませんが、それは不可能です。日本と北朝鮮の地理的な近さを考えれば、本気になればレーダー網に掛からない攻撃方法はいくらでも存在します。
第一撃で致命的な被害、たとえば原子力発電所の崩壊や巡航ミサイル型の核兵器による攻撃を受けてしまえば、たとえその後の報復攻撃で北朝鮮を殲滅したとしても、日本の国土を防衛したなどとは言えません。『刺し違え』た所で、そんなことは為政者の自己満足であって、生活者である国民にとっては悲惨な現実が残るだけです。
つまり、日本の防衛力が意味があるのは抑止力としての意味であって、実戦で使用する段階では既に国土は破壊されているのです。使うことに意味のない日本の防衛力ならば全て廃止して、軍事力以外の外交によって日本国土の安寧を獲得することが最も現実的で賢い方法です。
北朝鮮が日本を敵視する最大の理由は日本が日米軍事同盟で米国の東アジアにおける軍事拠点であるからです。よって、第一にすべきことは日米軍事同盟を離脱して、軍事的な敵対政策を止めることです。そしてアジアの隣国として早急に戦後処理を行い、戦争状態を終結して平和条約を締結し、協力関係を結ぶことです。
国の為政者が第一に重視すべきは国民の安寧を確保することであって、そのためにはなりふり構わずでいいのです。メンツに拘る必要などないのです。メンツのために犬死するなどまっぴらです。
●2013年2月10日21:00〜
●NHKスペシャル『“核のゴミ”はどこへ』
今更何を言っているのか、あきれ果てた愚かな日本のマスコミの無能には既に腹もたちません。
福島の悲惨な事故を経験して尚、この国の原子力政策はその科学技術的な問題、健康被害の問題を無視した経済の論理が最優先されることによって動いているのです。
既に高速増殖炉核燃料サイクルという日本の原子力政策の根幹の技術は実質的に破綻しており、もはや軽水炉使用済み核燃料の再処理は、経済的にもエネルギー供給技術としてもまったく意味のない軽水炉用MOX燃料の製造しか意味のない施設になっているのです。
日本の高速増殖炉核燃料サイクルの実現に基づいた核エネルギー政策の破綻によって影響を受ける国策核関連民間企業の『経済的破綻』を先送りするという愚かな目的のために、エネルギー政策が縛られ、無意味な原子力発電が再開されようとしているのです。
このような民間企業救済の引き換えに国民の安全を犠牲にするような愚かな原子力政策には徹底的に反対していかなくてはなりません。
2012年2月12日追記:
エネルギー供給技術として、日本の原子力発電に対する基本方針である高速増殖炉を含む核燃料サイクルの実現は破綻しました。これによって、エネルギー効率・経済効率から見てまったく意味のない軽水炉用MOX燃料を含む軽水炉核燃料サイクルの『高速増殖炉核燃料サイクルへのつなぎ』という存在理由も消滅しました。
故に、使用済み核燃料の再処理は即刻中止すべきです。同時に高速増殖炉核燃料サイクルが破綻したことによって、エネルギー効率の低い軽水炉原子力発電を続ける正当性も消失したのです。
こうした現実を科学的合理性から判断すれば、エネルギー政策として選択すべき方向は自明です。原子力発電から即刻撤退することだけが唯一の選択肢です。
残念ながら既に作り出してしまった使用済み核燃料を含む大量の放射性ゴミは無毒化することは不可能です。無毒化出来ない限り、このような猛毒性を持つゴミをNUMOが計画しているような人間社会から見えないような地下に埋設処分することは極めて危険な処理方法です。
放射性毒物が生態系に与える毒性が消滅するまでには万年オーダーの時間が必要になります。万年のオーダーにわたって放射性毒物を生物環境から完全に隔離する構造物を作ることを保証する技術は存在しません。おいそれと人間の手の届かない地下深くで放射性毒物の漏洩が起これば手の施しようがなくなります。
放射性廃棄物は地上付近において常に放射能の漏洩を監視できる環境下で管理していくことが最も現実的です。ではどこに保管施設を作るのか?放射性物質の拡散を抑えるためにも放射性物質を発生させた原子力発電所の敷地内に於いて、保管施設を建設して管理すべきなのです。
この半年間、娘の通う大分の県立高校に対して、教科書の記述に対する疑問点について担当教師からの説明を受けたいということで要望していますが、未だ実現していません。なんという風通しの悪い閉鎖的な学校であり、厚顔無恥で傲慢な教師たちなのか、半ばあきれ果てています。一旦はもうやめようかとも思いましたが、万策尽きるまでやらなくては子どもたちに申し訳ないと思い直し、今新たに闘士を掻き立てています。
ここで一旦これまでの経過をまとめ、今後の展望をまとめておくことにします。
1.これまでの経緯
娘が高校に入学したことをきっかけに、問題が多いと予てから言われている高校の理科(たとえば、『高校地学教科書の誤りと問題表現(03.5.9)海洋教育問題研究部会長 角皆静男
』)や社会科の記述について、実際に娘の通う高校の教科書について確認することにしました。娘のクラス担任にお願いして、理科・社会の教科書における環境問題関連の教科書記述のコピーを見せていただくことにしました。その結果、予想通り、環境問題に関して非科学的な記述が多数あることを確認しました。
学校教育において、学校・教師・保護者は協力して子どもたちの学習環境をよりよいものにしていくことが責務だと考えます。また、大分県は『新大分県総合教育計画(改訂版)』(2012年3月)において、開かれた学校、学校・家庭・地域の連携を謳っており、また、PTAの規約では
とされ、学校と家庭=保護者との協力を謳っています。
以上に鑑み、教科書の記述に科学的に問題のある記述があるという情報を提供することが保護者としての責務であると考えました。そこで、娘の担任を介して高校に対して、理科・社会科の担当教師から該当部分の説明を受けると同時に意見交換を行う機会を作って下さるように申し入れを行いました。
こうして、2012年6月18日に高校の二人の教頭と会うことになりました。ところが、教頭は「高校の教師の職責は検定済みの教科書の内容を、たとえ誤りがあったとしても、そのまま教えることであり、その記述に疑義を差し挟むことはない。従って、教科書の記述に疑義を呈する保護者に対して説明を行う機会を作ることはしない。」という認識を示しました。検定済みの教科書の内容を無批判にそのまま教えることしか出来ないのならば、戦前戦中の国定教科書を使った教育と同じではないですか、と問うたところ、一人の教頭はこれを肯定しました。
この学校側の対応には納得出来ませんでしたので、PTAの会合でこの問題を提起したい旨をクラス担任に相談したところ、既に議題が決まっており十分な時間は保証できないという婉曲な否定の回答がありました(この件については、後で確認したところPTAの保護者側役員には相談することなくPTAの学校側役員が勝手に判断したことがわかりました。)。
これを受け、再度クラス担任に対して次の文章を提出しました。
その結果、今度は教師たちとの意見交換の機会を設定するという対応が示されました。これは最初に教頭と面談した時と客観的な情勢に何の変化もないにもかかわらず、なぜ今回は意見交換の場を設定することを容認したのかを確認しておかなくてはならないと考え、2回めの面談を申し入れ、2012年7月19日にクラス担任同席の上で二人の教頭と再度面談することにしました。
2回めの面談ではこれまでの経緯をまとめた次の資料を示しました。
この経緯を示した上で、PTAの会合で議題として取り上げる時間がないという判断について問うたところ、保護者側の委員には何ら相談することなく、高校が勝手に判断して通知したことが判明しました。また、なぜ1回めの面談では意見交換の場を設けることを否定し、今回はそれを容認することにしたのかの理由の説明を求めましたが、最後まで合理的な説明はありませんでした。
この間の経緯を考えれば、高校はPTAの公開の席上で問題化されることを嫌がり、とりあえず意見交換の場を設けることで問題の幕引きを画策したものと考える他ありません。
この日の面談において教師との意見交換の場を設けること、日程調整は教頭に一任することで終了しました。ところがその後2ヶ月経過しても連絡がないため、クラス担任に再び手紙を渡し確認したところ、11月7日という日程が決まりました。
事前に教科書記述の問題点をまとめた資料を担当教師に配布しました。意見交換会当日は担当教師から私の疑問点に対する回答を聞くつもりでいました。ところが最初のテーマであるオゾンホールの問題について担当の公民の教師は『教科書に書いてあるとおりです』というだけで何ら私の疑問に答えようとしませんでした。そこで、再度私の主張を説明した上で再度質問しても『私は科学者ではありませんから判断出来ません』という回答しかありませんでした。
それでも一時間ほど疑問点を示して判断を求めたのですが、ついに教科書の記述についての説明を彼らの口から聞くことは一切ありませんでした。彼らはただ、『教師は科学者ではないので教科書の記述に対して判断することはない、分からない』と繰り返しただけでした。自らの教える教科の記述が科学的に正しいかどうかも判断できずに彼らは一体何を生徒に教えるのか、私には理解不能です。
このような一連の対応から、高校はとりあえず無意味な説明会を開くことで保護者を黙らせ、すべての幕引きを図ったのであろうと考えられます。この保護者との信頼関係を著しく傷つける破廉恥な対応は容認することはできません。
そこでこれまでの経緯を大分県教育委員会高校教育課の理科・社会の指導主事に連絡し、大分県の見解をただすことにしました。
12月21日に両指導主事と面会し、教科書の記述についての見解を確認しました。その結果、大分県の見解は『高校教育は基本的に学習指導要領に基づき教科書検定を受けた教科書の記述に沿った授業を行う。しかし、現場の教師は教科書の記述に誤りがあれば教科書出版社に対して誤りを指摘することが出来る。ただし、国内の教育の統一性を維持するために、学校における指導は教科書が書き換えられてからの対応となる。』というものでした。十分ではありませんがそれなりに納得できる説明でした。この認識について、後日、娘の通う高校に対して指導するということを確認しました。
この大分県の認識をもとに、校長に対して一連の高校の対応についての見解を聞くことにしました。
2013年1月21日に校長と話し合いを持ちました。
●校長の見解録音データ(個人を特定するデータ、及び校長がオフレコとした部分は編集しています)
この話し合いの合意事項を覚書にまとめることにしました。校長との話し合いを踏まえて作成し提示した覚書の文案を以下に示します。
ところが、校長は一切の事前通告も無しに、面談の際の合意事項をすべて反故にし、覚書をかわさないばかりでなく、高校として教科書問題に関して今後一切の対応を行なわないと一方的な通告をして来ました。
2.保護者を敵視する愚かな高校経営
これまでの教科書の記述に対する高校との交渉の経緯から、大分県の言う「開かれた学校」や「学校・家庭・地域との連携」や「学校と保護者の信頼関係の構築」などというものは単なるお題目に過ぎず、高校という組織は実質的には極めて強権的で閉鎖的な特殊社会であることが明らかになって来ました。高校経営は『由らしむべし知らしむべからず』という前時代的な意識が支配しているようです。
おそらくこの体質は娘の通う県立高校の個別特殊なケースではなく、大分県立高等学校あるいは国内の大多数の高校でも同じなのであろうと考えられます。現在世間を騒がせているいじめや体罰の問題に対する対応とまったく同じ隠蔽主義がこの国の教育現場の実体なのだと考えます。
大学を卒業してそのままこのような特殊社会に生きてきた教師は極めて傲慢であり、他人からの指摘を許容しない反面、自らの担当する教科の内容について何も本質的に理解しようとしていないのです。このような愚かな教師たちによって教育される子どもたちを、私たち保護者はなんとしても守るために努力しなければならないと考えます。
彼らは教科書の記述に対して生徒から疑問を投げかけられた時に一体どう対応するのでしょうか?教科書の記述を論理的に理解していなければ教育など出来ないことは明らかなことです。『私は科学者ではないので判断しないし、正しいかどうかなど問題にしません。ただ教科書に書いてあるから指導するだけです』と生徒にも説明するのでしょうか?
3.今後の対応
既に高校の自浄能力に期待することは不可能であることがわかりました。今後は何らかの外からの強制力を利用して彼らに反省を求めることになると考えます。
昨年来、娘の通う県立高校の使用する教科書の内容について理解できない記述があるために、説明を求めて来ましたが、その後の驚くべき経過を報告しておくことにします。
昨年2012年12月21日に大分県教育委員会高校教育課の芝崎(地歴公民)、鬼塚(理科)両指導主事に面会し、高校教育における教科書の記述について話を聞くことにしました。
県教委の認識は、『高校教育は基本的に学習指導要領に基づき教科書検定を受けた教科書の記述に沿った授業を行う。しかし、現場の教師は教科書の記述に誤りがあれば教科書出版社に対して誤りを指摘することが出来る。ただし、国内の教育の統一性を維持するために、学校における指導は教科書が書き換えられてからの対応となる。』というものでした。十分ではありませんがそれなりに納得できる説明でした。この認識について、後日、娘の通う高校に対して指導するということを確認しました。
大分県教育委員会の指導を踏まえて、高校の校長に対して話し合いの申し入れを行いました。
2013年1月21日に校長と話し合いを持ちました。その時の録音データです(ただし、個人を特定するデータ、及び校長がオフレコとした部分は編集しています)。
録音にも記録している通り、この日の合意事項について覚書(案)を作成し、校長に提示しました。
ところが、一週間以上経過しても何の連絡もないためにこちらから1月29日に校長に連絡を入れました。校長は席を外していたということで折り返し連絡するということで、ようやく本日連絡がありました。なんと、その内容は話し合いの経緯・合意を一切反故(ほご)にして、今後一切の対応を行なわないというまったく一方的な最後通牒の言い渡しでした。
何という破廉恥な行為でしょうか。このような対応は教師以前の人間同士の信頼関係をまったく無視した卑劣極まりない行為だと考えます。人間として失格であると判断せざるを得ません。
道義的にはまったく許容できない対応ですが、ここまで腐った学校制度に個人として対峙していくのは限界のようなので、この件については、経緯を報告した上で対応を終了することにします。
個人的な感想ですが、なぜ高校の教師たちはここまで落ちぶれてしまったのでしょうか。録音を聞けばお分かりだと思いますが、校長は基本的に私の認識とさほど大きな違いはありませんでした。それが、いざ覚書をまとめる段になると話し合いを一切なかったことにしてしまうこの無様で情けない対応になる・・・。彼は一体何を恐れ、何を守ろうとしているのでしょうか?教師たちはおそらく文部行政を恐れ、県教委を恐れ、自分の出世栄達ができなくなるのではないかと恐れているのでしょう。教師が本来恐れるべきは、自らの教育が生徒たちに誤った認識を生涯にわたって植えつけてしまうこと、これ以外にないはずです。教師の本分を忘却してしまった教師たちに最早何ものも期待しないようにしましょう。
アルジェリアで日本人10名を含む人質が死亡するという悲惨な事件が起こりました。事件で亡くなられた方に対し、衷心から哀悼の意を表します。
しかし、マスコミの取り扱いはまったく見当はずれであり、この事件を政治的に利用し、自衛隊拡大に向けようとする自民党政権の危険な策謀について注意を喚起しておきたいと思います。
私は土木屋であり、政情不安定な中東に赴任した学生時代の友人が何人かいます。昨年は30年来の友人が、20代の前半からの長きにわたった中東での仕事からやっと国内に戻って来ました。湾岸戦争やイラク戦争では戦火に巻き込まれる可能性もあり、砂漠を車で避難したこともあると聞いています。個人的にはこのような危険な地域で何とか『事故』に巻き込まれないで欲しいと願っていました。
しかし、彼らは、日本企業が利益を得るために紛争地帯であるということを承知の上で敢えて受注した事業に参画するために、人に強制されたわけではなく、自らの意志で赴いているのです。その意味で今回のような事態は当然予想の範囲内での出来事であり、それを織り込んで利益があるという判断のもとに事業に参画しているのです。ニュース番組の愚かな司会者は「日本を代表して現地の産業のために尽力してきた・・・」などというまったく頓珍漢な偶像美化するようなコメントが見られるのは情けない限りです。
戦闘に巻き込まれることを本当に避けようと考えたならば、このような紛争地帯の事業を受注すべきではないし、さらに個人レベルで本当に嫌であれば会社をやめるという選択肢も当然あるのです。それをせずに、戦火に巻き込まれたのは正に会社や彼らの自由意志であり、その現状分析の甘さによるものです。
敢えて自らには関わりのない政治的紛争地帯に儲けのために個人(法人も含む)として自ら好んで参加したのですから、これは戦争行為とはまったく異なるのであって、日本の軍隊である自衛隊とはまったく関わりのない問題です。もちろん戦火に巻き込まれて命を落とすことは悲劇ですが、それは自己責任に帰すべきものです。まして紛争当事者でもない日本や西欧諸国がアルジェリア政府のとった無謀な行動を避難することなどお門違いでしょう。また、日本にとって今回の人質事件の背景などあまり意味のないことです。ゲリラ側の意図は政治交渉にとって最も効果的な人質を確保することが目的であり、その標的として日本人を始めとする技術者が狙われたということが全てです。
この事件を受けて、自民党の石破などは海外への自衛隊派遣の口実作りに利用しようとしていますが、とんでもない話です。自衛隊は企業のボディーガードではないのです。今回の事件は紛争地帯に自己責任でボランティアで参加しているNPOと同じなのです。
蛇足ですが、昨日政府専用機が犠牲者を乗せて帰国した折、NHKはじめ大手キー局は意味もなく飛行機の着陸以後の映像を長々と流していましたが、この無意味な報道機関の姿勢には、日本の報道の質の低さを象徴しており、情けなくなってしまいました。
●2013年1月22日
●10:00NHK総合ニュース
日本の南極観測においてアデリーペンギン十数羽に小型カメラを設置した映像を元に、その生態についてのレポートを発表するというもの。コメントが無茶苦茶である。この映像によって温暖化による南極の海氷が減少した場合の悪影響が少しづつわかるというのだ??!
この記録は世界初という希少性で報道されたのであるから、これ以前に記録はないのである。比較の対象が存在しないのに温暖化の影響という変容が解明されるのであろうか?第一南極の海氷は増加傾向にあるのであって、見当はずれもいいとこである。相変わらずNHKのお馬鹿番組は続く。
National Geographic News October 15, 2012
アメリカ国立雪氷データセンター(NSIDC)が10月11日に発表したところによると、衛星データが示した2012年9月末の南極大陸周辺の海氷面積は、この領域での観測史上最大となる1944万平方キロを記録したという。
南極周辺の海氷面積は継続的に増加傾向を示している(出典:気象庁)。
長らく講演会や学習会に参加することからは身を引いていましたが、そうも言っていられない状況になって来ました。福岡の環境啓発団体『地球のめぐみ』主催、不知火書房協賛の掲題の講演・学習会に講師として参加することになりました。今回は1回めということで多少手狭な会場なのですが、お近くの方はぜひご参加ください。
講演のテーマは“「原発ゼロ』の筋道”としていますが、環境問題の本質とは何か、その中におけるエネルギー問題という視点からの内容を考えています。
私自身も関係者の一人である、人為的CO2地球温暖化仮説を巡るすべての裁判が集結しました。この間、この問題をめぐって気象学会を被告人とする第一、第二裁判、そして今回東京大学前学長小宮山宏等を被告とする裁判が終結しました。
この三件の裁判から、国家ないしそれに同調する者の組織的な犯罪に対して日本の司法はまったく機能せず、それどころか国家体制を維持するための機関として機能していることがよくわかりました。後に示す槌田氏の総括的文書にも書かれていますが、証人尋問という原告の立証手段を封じて、証拠はないという判決を下すという暗黒裁判がこの国ではまかり通るのです。
裁判には負けましたが、裁判記録に体制的科学者たちの出鱈目な理論が記録として残されたことに意義があると考えます。また、彼らの主張している人為的CO2地球温暖化仮説を科学という立場から葬り去る作業は今後とも続けて行かなければならないし、人為的CO2地球温暖化仮説の下に生じた社会的な損失については政治の場で明らかにし、その責任を追求して行かなければならないでしょう。
近年で最悪の気分の年明けです。衆議院選で戦前の亡霊たちの影を引いたアナクロニズムの極右政権が成立したことによります。これで原発の再稼働・新設・核燃料再処理続行がほぼ決定的になりました。加えて米国傀儡の似非国粋主義冒険主義的極右である安倍、麻生、石破、ネオ・ファシズムの橋下とによって日本の外交・防衛政策は危機的な状況に向かいそうです。
彼らは参院選大勝までは爪を隠し、国民に対してひたすら景気の良い経済政策で薔薇色の夢を見させるつもりです。しかし安倍財政出動によるバラマキ政策はカンフル剤として経済を活性化することは不可能であることはこの間の各種補助金政策で明白です。高コスト化した日本の製造業は、特殊分野で生き残ることはできても大量消費財で大きく儲けるようなことには成り得ないのです。補助金を打ち切ればすぐさま売れ行きは落ち込むことは過去の経験から明白です。財政出動は生命維持装置に変質していることを理解しなければなりません。これに加えて再生可能エネルギーの大規模導入に走れば、日本経済の崩壊は決定的になるでしょう。
取り返しの付かない窮地に至る前に安倍政権が崩壊することを祈る今日この頃です。しかし行くところまで行かなければこの国の愚かな国民には理解できないのかもしれません。考えない国民を育てた教育制度によってこの国は自壊することになるのでしょう。本来教育とは反体制的な学生を生もうとも、本当に優れた学生を育て未来に希望を託すものだと思います。それを怠ればどうなるのかを考えるべきだと考えます。