2009年12月19日NHK総合『SAVE THE FUTURE 科学者ライブ 〜グリーン・エコノミーで未来を築け!〜 』
主な登場人物:
井熊 均 (日本総研 創発戦略センター所長)
江守正多 (国立環境研究所 温暖化リスク評価研究室長)
蟹江憲史 (東京工業大学大学院 社会理工学研究科准教授)
西條辰義 (大阪大学 社会経済研究所教授)
西岡秀三 (国立環境研究所 特別客員研究員)
やはり、「原発解体」の方がNHKとして異常な番組だったようです。
冒頭の写真は、今年11月の大分県竹田市の『竹楽(チクラク)』という秋の行事の一場面です。秋の紅葉シーズンの終わりに行われる火祭りです。ただし、それほど古い祭りではなく、私が竹田市に住んでいた10年ほど前に始められた新しい祭りです。もちろん、ご多分に漏れず高齢化・過疎化が進む地方都市の町興しイベントとして始められたという側面もあります。しかし同時に、利用されることが少なくなり、放置された孟宗竹の竹林による里山の侵食を何とか食い止めるという環境保全という確固とした目的を持った祭りでもあります。
年に一度、孟宗竹を切り出し、町中に竹灯篭を並べる夜祭です。城下町である竹田市の中心部の神社・仏閣の参道や武家屋敷跡の土塀の路地を淡い光が照らし出し、まだ落ちきっていない紅葉をことさら赤く見せてくれます。心温まる火明かりです。
昨今では、年末になると都市ばかりでなく田舎の住宅地までがけばけばしい電飾で飾り立てられます。なんと俗悪な光景でしょうか。昨今の流行は、消費電力の小さい発光ダイオードを使い、電源には太陽光発電や風力発電という自然エネルギーによる電力を使う『究極のエコ電飾』のようです。この国の大馬鹿者どもにはつける薬がないようです。
一昨日、昨日と連日で文科省の事業仕分けに対する反論の記者会見が大々的に行われました。一昨日は旧帝大系の大学を中心とした大学の学長、そして昨日はノーベル賞を受賞した自然科学系の研究者たちです。これは、『科学』や『文化』等という言葉に弱く、これを聞くと、途端に思考を停止してしまう頭の弱いマスコミやお人好しの大衆の反応を見込んだ文科省官僚の差し金なのであろうと考えています。
そしてこれに応じたのは、国家の文教予算を貪る現在における特権階級の利益代表である、旧帝大系を中心とする大学の学長連であり、そんな学閥の中の成功者であるノーベル賞受賞者というわけです。
彼らの記者会見を見ていて、その尊大で不遜な物言いに不快感を禁じ得ませんでした。一体何様のつもりでしょうか。彼ら高等遊民が血税を食い物にして優雅な『研究』生活をおくるために一体どれだけの庶民の生活が犠牲になっているのかなど、彼らの眼中には全く見えていないのです。
今回仕分けの対象になった大物事業である次世代スーパーコンピューターやロケット開発などというものは、彼らのオモチャであって、庶民生活には全く無用の長物に過ぎません。
例えば、スーパーコンピューターが無いからといって、基礎科学の水準が落ちるなどということは金輪際ありません。現実を良く見てください。一時期世界最速を誇った地球シミュレーターという超高速の大型コンピューターを持っていたからと言って、日本の基礎科学レベルは世界最高でしたか?つまらぬ気候シミュレーションモデルでコンピューターゲームをしていただけの話しです。しかも自然科学的には全く役にも立たず、人心を惑わしただけでした。
次世代大型コンピューターの実用上の意味としては、臨界前核実験データを用いた核爆発シミュレーションくらいなものでしょう。気候予測などというものは金輪際実現の可能性などありません。むしろ小回りの効かない巨大コンピューターなどウドの大木であり、大多数の研究者にとっては全く縁もゆかりもないし、必要も無いのです。
次世代スーパーコンピューターなど百害あって一利なしです。次世代スーパーコンピューターがなければ基礎科学が駄目になるなどということはありません。むしろ不用意なコンピューターによる数値シミュレーション万能主義が基礎科学を堕落させている最大の原因です。
『科学』や『文化』等という言葉に惑わされてはなりません。文科省予算に巣食う魑魅魍魎の言うなりに予算をつけるなど絶対にしてはなりません。産官学主導の巨大プロジェクトなど不要です。文教予算で本当に必要なのは、能力のある若者が経済的理由で学業を断念せざるを得ない状況の改善であり、国公立大学の学費の引き下げなどの環境整備であろうと考えます。
だいぶ長くなりましたが、『地球温暖化懐疑論批判』における当HPに直接関係する部分(同時に、それは人為的CO2地球温暖化仮説の基本的な理論構成そのものです)についての検討を終えることにします。
明日香グループの人為的CO2地球温暖化仮説は、まず、大気中のCO2濃度モデルによって破綻しており、その結果として大気中CO2濃度の精密観測データと世界月平均気温偏差の関係の解釈でも完全に誤ったものとなっています。つまり、人為的CO2地球温暖化仮説を構成する全てが論理的に破綻していることが明らかになったのです。
『地球温暖化懐疑論批判』という冊子によって、彼らの幼稚な仮説の誤りが白日の下に曝されたことはある意味で非常に重要な成果であると考えます。しかし、このような低レベルの子供騙しの非科学的でみっともない内容の冊子を「文部科学省科学技術振興調節費(戦略的研究拠点育成)プロジェクト”IR3S”サステイナビリティ学連携研究機構」の名の下に、国費を使って作成して日本中にばら撒くという愚かな行為を許した研究者(住氏?)がいるということは、非常に悲しむべきことです。
明日香氏はともかく、その他の著者(本当にここに名前を連ねた方々が直接文章を書かれたのかについては、非常に疑いを持っています。私は、一貫した杜撰で乱暴な論理構成から見て、一人の人物が書いているようにしか思えません。)の方々は、一応気象や環境の研究者ということになっているようですが、もし本当に彼らが研究者として文責を担いつつ参加したのであれば、この冊子によって彼らの研究者としての生命は葬られたように感じます。
いずれにしてもこの冊子は、日本の近代自然科学史における汚点として長く記録されることになるでしょう。
今回、議論18と議論14のみを取り上げましたが、これ以上の検討は事実上必要ないと考えています。今日、問題になっている地球温暖化問題というものは、
@人為的な化石燃料の燃焼によって大気中CO2濃度が増大し、
Aその結果としてCO2の温室効果の増加で気温が上昇している
というものです。議論18の検討によって、大気中CO2濃度の増加の原因は自然変動であることが明らかになり、議論14の検討から、因果関係は逆転して気温の上昇によって大気中のCO2濃度が上昇することが明らかになったのです。つまり、地球温暖化問題とは全くの虚構であり、実在しないことが明らかになったのです。
自然科学者の皆さんが、では現実には気温はどのように決まるのだろうかという問題に取り組まれるのは御自由ですが、私の技術屋としての興味は人為的なCO2放出を原因とする地球温暖化問題というものが実在するのかどうかであり、仮に実在するのならば人間社会はどう対応すべきかという問題でした。
この間の一連の考察によって、人為的CO2地球温暖化という問題が実在しないことが明らかになったので、個人的にはこの問題に対する全ての結論が得られたので、これ以上の深入りは行わないことにしたいと思います。
今回で『議論14』についての検討は最後にしようと思います。では前回の続きです。
また、近年のCO2増加が人為起源排出によるものであることをより端的に示すデータとして図9を掲げる。
これは氷床コアからとられた過去40万年のCO2濃度の変化と、マウナロアなどで測定された20世紀後半以降のCO2濃度の変化とをつなげて示したものである。この図9から、近年は過去40万年にない勢いでCO2濃度が上昇していることが分かる。このCO2濃度上昇を環境変動の結果として説明しようとすると、氷期-間氷期サイクルに匹敵する環境変化が産業革命以後に起こっていなければならない。近年温暖化の兆候が検出されているとは言え、それほどまでに大きな変化は観測されていない。産業革命以後のCO2濃度上昇は、人間活動の結果と考えるのが妥当である。
長期変動成分を取り除くと図6のようなCO2濃度と気温のラグ付き相関が見られる理由についても概略を説明しておく。
まず、この場合の気温変動の支配的要因となっているのはエルニーニョである。現在の知見では、エルニーニョ発生で気温が上がったときにCO2濃度が増加する仕組みとして、1高温化がもたらす干魃による陸域生態系の生産力低下、2昇温による土壌有機物の分解促進、3乾燥による森林火災の増加、などが考えられている。なお海洋については、後述するように、エルニーニョ発生年にはCO2放出が低減することが実際の観測によって明らかになっている(本議論の証拠5を参照せよ)。すなわち、エルニーニョによる海面温度上昇はあるものの、「(人為的排出二酸化炭素温暖化説を否定する論者の多くが証拠を示さずに主張しているような)海面温度上昇によって海面からのCO2が放出され、それが大気中のCO2濃度上昇の主な要因となっている」という考えは誤りである(河宮
2005)。
最後に補足するが、世界の「人為的排出二酸化炭素温暖化説」否定論者のうちでも、このグラフ(図6)を使って「温度が原因で濃度が結果」という論を立てるのは、私たちの知る限り、日本の論者のみである。これには根本(1994)の影響力が大きかったと思われる。なお、根本順吉氏の気候変化の見通しおよびその原因に関する見解は、池田(2006)も指摘している。
誤謬E 氷床コアから再現されたCO2濃度と近年の観測データを直接定量的に比較することは出来ない
まず、『また、近年のCO2増加が人為起源排出によるものであることをより端的に示すデータとして図9を掲げる。
これは氷床コアからとられた過去40万年のCO2濃度の変化と、マウナロアなどで測定された20世紀後半以降のCO2濃度の変化とをつなげて示したものである。この図9から、近年は過去40万年にない勢いでCO2濃度が上昇していることが分かる。このCO2濃度上昇を環境変動の結果として説明しようとすると、氷期-間氷期サイクルに匹敵する環境変化が産業革命以後に起こっていなければならない。近年温暖化の兆候が検出されているとは言え、それほどまでに大きな変化は観測されていない。産業革命以後のCO2濃度上昇は、人間活動の結果と考えるのが妥当である。』ということですが、これは明日香グループの皆さんの無茶な主張です。
まず、南極の氷床コアの分析による大気組成の再現は、時間的な解像度極めて低いことを考えておかなくてはなりません。氷床コアとは、南極に降り積もったわずかな雪が自重によって次第に圧縮され、氷になっていくものです。そのため表層に近く、氷になっていない雪は攪拌され乱されているのです。安定した氷床として固定されるまでにはかなりの年月が必要だと考えるべきです。また解像度が低いことによる当然の結果として、極大値は小さめに、極小値は大きめに評価されているのです。この様に時間的な解像度の低い資料から得た数値と、近年の精密観測データを同等のものとして、直接定量的に比較するなど全く無茶な話しなのです。
次に、過去の間氷期と現在の間氷期は自然環境が異なっているのですから、以前と異なる特性を示しても特に驚くにはあたりません。『近年は過去40万年にない勢いでCO2濃度が上昇している』からと言って、それが人為的な化石燃料の燃焼によるCO2である合理的理由にはなり得ません。
『このCO2濃度上昇を環境変動の結果として説明しようとすると、氷期-間氷期サイクルに匹敵する環境変化が産業革命以後に起こっていなければならない。近年温暖化の兆候が検出されているとは言え、それほどまでに大きな変化は観測されていない。』と言うのは、彼らのCO2温暖化仮説が正しいと仮定した場合の話しであり、今はそのCO2温暖化仮説の妥当性を考察しているのですから、これは禁じ手あるいはマッチ・ポンプ(笑)であり、無意味な主張です。氷期〜間氷期サイクルに伴う大気中CO2濃度の変動は、明日香グループ流にいうと大気としての受動的な挙動であるという解釈がほとんど確定している様に聞きます。氷期〜間氷期サイクルが大気中CO2濃度の結果と主張する人がまだいるとは実に驚きです(笑)。
以上より、図9から『産業革命以後のCO2濃度上昇は、人間活動の結果と考えるのが妥当である。』という主張を科学的に支持するような解釈は一切得られません。
誤謬F エルニーニョ海域からのCO2放出だけが海洋からのCO2放出のすべてではない
次に『長期変動成分を取り除くと図6のようなCO2濃度と気温のラグ付き相関が見られる理由についても概略を説明しておく。
まず、この場合の気温変動の支配的要因となっているのはエルニーニョである。現在の知見では、エルニーニョ発生で気温が上がったときにCO2濃度が増加する仕組みとして、1高温化がもたらす干魃による陸域生態系の生産力低下、2昇温による土壌有機物の分解促進、3乾燥による森林火災の増加、などが考えられている。なお海洋については、後述するように、エルニーニョ発生年にはCO2放出が低減することが実際の観測によって明らかになっている(本議論の証拠5を参照せよ)。すなわち、エルニーニョによる海面温度上昇はあるものの、「(人為的排出二酸化炭素温暖化説を否定する論者の多くが証拠を示さずに主張しているような)海面温度上昇によって海面からのCO2が放出され、それが大気中のCO2濃度上昇の主な要因となっている」という考えは誤りである(河宮
2005)。』ですが、これは単に明日香グループの皆さんが「CO2濃度と気温が直接線形関係にある」という誤った評価をしている結果です。
彼らの示す理由1〜3は単なる思い付きで、何の立証能力もありません。
『なお海洋については、後述するように、エルニーニョ発生年にはCO2放出が低減することが実際の観測によって明らかになっている(本議論の証拠5を参照せよ)。すなわち、エルニーニョによる海面温度上昇はあるものの、「(人為的排出二酸化炭素温暖化説を否定する論者の多くが証拠を示さずに主張しているような)海面温度上昇によって海面からのCO2が放出され、それが大気中のCO2濃度上昇の主な要因となっている」という考えは誤りである(河宮
2005)。』というのは誤りです(笑)。彼らの示しているのはエルニーニョの時期におけるごく限られた海域の限られた期間のデータにすぎません。残念ながら詳細な観測データの積上げによって大気と地表環境(海域も含む)との間の炭素循環の全体像を定量的に説明することは不可能です。
勿論私自身現象的に説明できるほどの詳細なデータを持ち合わせてはいませんが、彼らの主張をひっくり返す程度の現象は指摘できる様に思います(笑)。次の図は毎度お馴染みの大気中CO2濃度増分とエルニーニョ/ラニーニャの発生時期を示したものです。
例えば、上図の1997〜1998年に起こっているエルニーニョについて考えてみましょう。
エルニーニョの最盛期は期間の中央、1997年年末の時期になります。次に示す図は、エルニーニョ最盛期、ペルー沖の暖水塊の水温が最高潮にある時期の全海域の表面海水温偏差の分布を示します。
1997年12月の全球平均海面水温偏差の分布:気象庁編集 『海況解析データ』2004年版より作成
図中の緑色の部分はデータ欠損海域を示す
ところが、次の図に示す世界月平均気温偏差(そして全球平均海面水温偏差:図8参照)が極大値になる時期はエルニーニョの最盛期ではなく、むしろエルニーニョの終了時期になるのです。
具体的には世界月平均気温偏差が極大になるのは1998年3月であり、大気中CO2濃度変化率が極大になるのは1998年4月なのです。
その時の全球平均海面水温偏差の分布を次に示します。ペルー沖のエルニーニョ海域の海水温は最盛期に比較してかなり低下しているようですが、全球的に見るとペルー沖以外の海域の水温が全般的に上昇した結果、全球の平均海面水温偏差が極大値を示すのです。
1998年4月の全球平均海面水温偏差の分布:気象庁編集 『海況解析データ』2004年版より作成
図中の緑色の部分はデータ欠損海域を示す
ここから一つのシナリオが考えられます。エルニーニョの最盛期を過ぎるとペルー沖の暖水塊が周辺海域へ拡散することで周辺海域の海面水温が上昇し、その海域の表層水に含まれるCO2をそれだけ急速に放出させることになるのではないでしょうか?
最盛期のエルニーニョ海域では貿易風の弱まりによって暖水塊が滞留するために、海洋中深層からの湧昇による表層水に対する有機炭素の供給が減少することによって確かにCO2放出量がむしろ減少する可能性があります。しかし、周辺海域では徐々に海水温が上昇することで表層水からのCO2放出速度を早くすると考えられます。
エルニーニョが終末期に近づくことによって貿易風は徐々に回復し、まだ比較的に高い海水温のエルニーニョ海域に海洋中深層からの有機炭素の供給が次第に回復するため、この海域でも活発にCO2放出を行うことになるでしょう。また周辺海域の海面水温の上昇は続き、結果としてエルニーニョ終了時期に全球平均海面水温偏差、世界月平均気温偏差、そして大気中CO2濃度変化率が極値を取ると考えられるのです。
『最後に補足するが、世界の「人為的排出二酸化炭素温暖化説」否定論者のうちでも、このグラフ(図6)を使って「温度が原因で濃度が結果」という論を立てるのは、私たちの知る限り、日本の論者のみである。これには根本(1994)の影響力が大きかったと思われる。なお、根本順吉氏の気候変化の見通しおよびその原因に関する見解は、池田(2006)も指摘している。』というのはこれまた全くの余計な文章です。敢えて言わせていただけば、これは欧米の自然科学を絶対視する倒錯した権威主義の書かせた文章の様に思います。無意味です。いや、有害な文章です。
(続く)
前回の続きです。
一方、図8は、季節変動の除去以外には特別なデータ処理を行わず、年平均のCO2濃度・海面水温(SST)の時間変化をもっとも単純な形で比較してみたものである。
この図8から、槌田(2006)や近藤(2006)の主張.と異なり、海面水温の上昇・下降に関わらずCO2濃度は一貫して増加していることが分かる。すなわち、この海面水温の変化に無関係なCO2増加が、人為起源CO2の排出によるものなのである。
なお、このような説明をすると、「図8は人為起源CO2による温暖化説とも矛盾するのではないか?なぜなら、この図ではCO2濃度が上がっていながら、海面水温が下がっている時期がたくさんあるから」という質問を受けることがある。こうした疑問に対しては、次のように答えることができる。すなわち、気候を決める要因の中には、エルニーニョのように周期的に気温・海面水温を上げ下げするものや、大規模な火山噴火のように一時的に気温・海面水温を下げるものが含まれる。つまり、観測される気温・海面水温の時間変化は、CO2濃度の上昇に対応してゆっくり上昇する成分と、上記のような自然変動によって上下動を繰り返す成分とが含まれる。前者による上昇の速さは後者による上下動の速さより遅いため、一時的に気温が下がる時期が多数見られる。したがって、図8の海面水温の時間変化においても、短い周期で変動する成分をのぞいて長期的傾向を見れば、1970年代以降は上昇傾向にあることがわかり、この上昇傾向は、人為起源の温室効果気体排出によるものである可能性が非常に高いと考えられている(議論7に対する反論も参照のこと)。
まず、『一方、図8は、季節変動の除去以外には特別なデータ処理を行わず、年平均のCO2濃度・海面水温(SST)の時間変化をもっとも単純な形で比較してみたものである。』ですが、よほど私たちの行った微分の近似値を求めるという操作が『特別』に異常な操作をしていると印象付けたいようです(笑)。繰り返しになりますので、コメントはしません。
次に『この図8から、槌田(2006)や近藤(2006)の主張.と異なり、海面水温の上昇・下降に関わらずCO2濃度は一貫して増加していることが分かる。すなわち、この海面水温の変化に無関係なCO2増加が、人為起源CO2の排出によるものなのである。』につきましては、前回説明したとおりです。大気中CO2濃度年増分(下図)を見れば判るとおり、激しく変動しており、変動幅は-0.4〜3.8ppm/年に及び、これを単に人為的なCO2放出量による1.5ppm/年で説明することは不可能です。これだけ激しく変動するCO2濃度年増分を単純に平均して、1.5ppm/年の上昇傾向を持つというのは余りにも乱暴な議論です。
また、大気中CO2濃度年増分の変動傾向は図8に示された全球平均海面水温に見事に同期しているのです。参考のために、図8には下図と同様に両曲線の特徴的な変動傾向を示す点の対応関係を落書きしておきましたので参照してください。大気中CO2濃度は『一貫して増加』してはいるものの、決して滑らかに増加しているのではなく、むしろ海面水温の変動に明らかに影響されながら変動していることが分かります。
CO2濃度変化率とCO2濃度曲線の『特徴点』の対応
『なお、このような説明をすると、「図8は人為起源CO2による温暖化説とも矛盾するのではないか?なぜなら、この図ではCO2濃度が上がっていながら、海面水温が下がっている時期がたくさんあるから」という質問を受けることがある。こうした疑問に対しては、次のように答えることができる。』は滑稽ですね。どのような詭弁で答えても、その内容の合理性を説明しなければ無意味です。
誤謬C 人為的CO2変動と自然起源のCO2変動を分離して扱うことは出来ない
『すなわち、気候を決める要因の中には、エルニーニョのように周期的に気温・海面水温を上げ下げするものや、大規模な火山噴火のように一時的に気温・海面水温を下げるものが含まれる。つまり、観測される気温・海面水温の時間変化は、CO2濃度の上昇に対応してゆっくり上昇する成分と、上記のような自然変動によって上下動を繰り返す成分とが含まれる。前者による上昇の速さは後者による上下動の速さより遅いため、一時的に気温が下がる時期が多数見られる。』は、彼らの人為的な化石燃料の燃焼によって放出されたCO2だけが特別に大気中に蓄積されるという前提と、そのCO2による温室効果の増加に伴う気温の上昇という筋書きで現象を解釈して見せただけで、現象的にどうしてそうなるのかの具体的で合理的な説明は一切されていません。
彼らの主張は、気温変動と大気中CO2濃度変動を時間スケールによって周波数成分に分解し、周波数成分ごとにその原因を別々に説明しようという試みです。
これは数学的に誤っています。周波数分解が許される現象とは、入力と応答の間に線形の関数関係が保証されており、ある周波数成分の入力に対応する応答を線形の関数関係から求めることが可能で、しかも全ての周波数成分に対して求めた応答を線形結合することによって、求める現象の応答が再現できる場合に限られます。
明日香グループが主張するように、気温の構成要素は各周波数成分ごとに異なる物理現象というのであれば、現象の因果関係に線形性はありませんから、周波数に分解する=タイムスケールごとに現象を分解して解釈することに数学的な合理性が存在しないのです。
彼らは、火山現象やエルニーニョ/ラニーニャの周期に連動する気温変動では、気温変動が原因となって大気中のCO2濃度が変化すると主張し、人為起源の化石燃料の燃焼によって放出されたCO2は気温に能動的に働きかけて気温を上昇させると主張します。
まず『議論18』で指摘した通り、人為起源の化石燃料の燃焼によって放出されたCO2だけが全く異なる振る舞いをする=大気中に蓄積するという現象に必然性が存在しません。更にそれを認めるとしても、大気中に存在する人為起源のCO2とそれ以外のCO2が放射現象=温室効果に対して異なる振る舞いをするというのも不合理です。
仮に彼らの主張を全て認めたとしても、そうすると大気中におけるCO2を巡る現象は二律背反の現象が混在することになり、実に複雑怪奇な現象となり、とても線形の関数関係で記述できるものではありません。
人為起源のCO2だけがなぜ選択的に大気中に蓄積されるのか、人為起源とそれ以外の起源のCO2は互いにどのような影響を及ぼしあうのか、その非線形現象をどのように組み立てるのか?例えばCO2が放射現象を通して能動的に働きかけるのかあるいは大気成分として受動的に振舞うのか、その現象を分ける閾値はどのように決まり、具体的にその値はいくらなのか等など・・・を示さなければなりません。
いずれにしても、明日香グループの主張する複雑怪奇な現象は、大気中CO2濃度と気温の関係を線形の関数関係で表現できませんから、現象をタイムスケール毎にわけて考察することは不合理ということにならざるを得ないのです。
誤謬D 人為的CO2地球温暖化仮説は、1940年代から1970年代の気温の低下を説明できない
『したがって、図8の海面水温の時間変化においても、短い周期で変動する成分をのぞいて長期的傾向を見れば、1970年代以降は上昇傾向にあることがわかり、この上昇傾向は、人為起源の温室効果気体排出によるものである可能性が非常に高いと考えられている(議論7に対する反論も参照のこと)。』と、これまたご都合主義の主張です。「短い周期」というのは何年程度の周期であり、どうしてそこで現象的に区別をする必然性が存在するのでしょうか?なぜ「1970年代以降」に話を絞ってしまうのでしょうか?
例えば第二次世界大戦終結後、1940年代後半から人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出量は爆発的に増加することになりますが、次の図に示すように、1940年代後半から1970年代後半にかけて気温は逆に低下傾向を示し、北極海の海氷面積は小氷期に匹敵するまでに拡大していました。
この1940年代から1970年代にかけての30年間の気温の低下傾向とは短い周期で変動する成分ではありません。この時期の気温の低下傾向を説明できないことも人為的CO2地球温暖化仮説の本質的な欠陥の一つです。
(続く)
では、No.440の続きから『議論14』の検討を始めましょう。
以上のようなやりとりがあった後に、近藤(2006)は、彼の図2.14(本稿では図7)を用いてCO2濃度の変化は海面水温変化によって支配されていると述べ、槌田(2006)の主張を支持した。
この図7ではCO2濃度変化の長期傾向は情報として含まれているものの、時間微分と同等の操作を施すことにより見かけ上長期傾向の印象を弱くしている。以下に示すとおり、この図を丁寧に見れば、CO2濃度変化の長期傾向を海面水温の変化によっては説明できないことが明らかである。
まず、槌田(2006)や近藤(2006)の主張によれば、水温が低下した1〜2年後にCO2濃度が下がるはずであることを確認しておく。ここで近藤(2006)の図7で水温のグラフを見ると、水温が上昇している期間と下降している期間を両方含むことが分かる。一方CO2の年増加率のグラフを見ると、負の値には決してならない。これはグラフに示された全期間を通じ、CO2が増加していることを意味する。つまり、水温の上昇・下降に関係なくCO2が増加しているというということを図7は表している。この事実は槌田(2006)や近藤(2006)の主張と矛盾する。なお、図6や図7に見られるような、CO2濃度が気温・水温に遅れて変化する関係は、長期成分を取り除いたり、時間微分に同等な操作をしたりなど、何らかの処理を施して2者の関係を強調しない限り明瞭には見えてこない。
なお、1990年代の平均的な人為起源CO2排出量は6.3GtC/yrである。この排出量のうち半分程度が海洋や森林などに吸収された場合に対応する大気中CO2濃度増加率を計算すると、1.5ppm/yrほどになる。これは図7における1990年代の平均的なCO2濃度上昇率とほぼ一致している。このことは、図7に見られる「水温の上昇・下降に関係ないCO2濃度上昇」が人為起源CO2排出によるものである、という考え方を支持するものである。
明日香グループの主張を詳しく見ていくことにしましょう。
誤謬A 全球平均海面水温偏差が大気中CO2濃度変化率(年増分)を変化させる
まず、彼らは『この図7ではCO2濃度変化の長期傾向は情報として含まれているものの、時間微分と同等の操作を施すことにより見かけ上長期傾向の印象を弱くしている。』として、微分という操作を批判しているのですが、これは噴飯モノです(笑)。私たちは時系列に沿って二つの物理量を表す曲線の特徴的な変動の詳細な関係を明らかにするために微分操作(=年増分を求めた)を行ったわけですが、これは数学的にごく普通に行われる操作であって、『印象を弱くする』などという情緒的な問題ではありません。
彼らの『つまり、水温の上昇・下降に関係なくCO2が増加しているというということを図7は表している。』という主張は、無茶な批判です。ここに示した二つの曲線の変動傾向を見れば、この両者の間には何らかの関係性が存在し、その発現する時間的な前後関係から気温(ないし表面海水温)の変動が大気中CO2濃度を変動させると考えるべきです。ただし、2006年当時は、その具体的な関係性は完全には解明できていなかったことは事実です。図7、そしてこれに続く世界月平均気温偏差の年増分と大気中CO2濃度年増分のグラフを詳細に検討することによってその後の結論に至ったのです。詳細についての経緯は既にNo.442、No.443に述べましたのでここでは省略します。
彼らの批判、『まず、槌田(2006)や近藤(2006)の主張によれば、水温が低下した1〜2年後にCO2濃度が下がるはずであることを確認しておく。ここで近藤(2006)の図7で水温のグラフを見ると、水温が上昇している期間と下降している期間を両方含むことが分かる。一方CO2の年増加率のグラフを見ると、負の値には決してならない。これはグラフに示された全期間を通じ、CO2が増加していることを意味する。』は、彼らがKeelingのグラフに対して示した解釈『さらに、図6の関係を敷衍して二酸化炭素濃度の長期的上昇を説明しようとすると、25度といった大幅な気温上昇を仮定せざるを得なくなるが、もちろんそのような気温上昇は観測されていない。本稿冒頭で紹介した討論会で筆者らはこの矛盾について槌田氏に問いただしたが、明確な回答を得ることはできなかった(河宮・江守
2006)。』と本質的に同じ内容です。つまり彼らは、ここでも全球平均海面水温偏差年増分と大気中CO2濃度年増分との間に直接的な線形の関数関係があることを前提に批判を試みているわけです。既に述べた通り、私もこの『全球平均海面水温偏差年増分と大気中CO2濃度年増分との間に直接的な線形の関数関係がある』とすることは不合理であるという主張には全く同意しています。
彼らはこれを以って気温あるいは海面水温と大気中CO2濃度には関連性はないと強弁する(笑)のに対して、槌田−近藤はこれだけ関連性が強いと考えられる現象を解明するために更に検討を進めることにしたのです。残念ながら、明日香グループの皆さんは2006年当時からこの問題を放置し、私たちの結論については知らぬふりを決め込んで無視しているのですが・・・(笑)。
私たちは、このグラフや世界月平均気温偏差の年増分と大気中CO2濃度年増分のグラフを詳細に検討した結果、世界月平均気温偏差あるいは全球平均海面水温偏差そのものが大気中CO2濃度年増分(後に変化率)と直接同期している=直接的な線形の関数関係で近似できることを発見したのです。
『なお、図6や図7に見られるような、CO2濃度が気温・水温に遅れて変化する関係は、長期成分を取り除いたり、時間微分に同等な操作をしたりなど、何らかの処理を施して2者の関係を強調しない限り明瞭には見えてこない。』については、既に述べたように、私の用いた年増分を求めるという操作に対する批判のつもりなのでしょうが、前述の通り、数学的にごく普通の操作であり、批判される謂れはないと考えています(笑)。むしろ変動傾向を明確に示したということで評価されるべきでしょう。
誤謬B 大気中CO2濃度年増分は激しく変動している
次に彼らは『なお、1990年代の平均的な人為起源CO2排出量は6.3GtC/yrである。この排出量のうち半分程度が海洋や森林などに吸収された場合に対応する大気中CO2濃度増加率を計算すると、1.5ppm/yrほどになる。これは図7における1990年代の平均的なCO2濃度上昇率とほぼ一致している。このことは、図7に見られる「水温の上昇・下降に関係ないCO2濃度上昇」が人為起源CO2排出によるものである、という考え方を支持するものである。』述べていますが、これはかなり強引な主張です。彼らの主張のロジックでは、大気中CO2濃度は安定的に放出される人為的なCO2放出量の半分程度が大気中に蓄積されているため、その結果として『単調』にCO2濃度は増加しているというわけです。
図7は、13ヶ月の移動平均を取った曲線ですが、単純にKeelingによる観測値をもとにCO2濃度の年増分を求めたのが上の図です。これを見ればお分かりの通り、大気中CO2濃度年増分を平均すれば年率1.5ppm程度の上昇ですが、実際には激しく変動しており、小さい方では例えば1971年や1974年には瞬間値として負の値を示しており、逆に大きい方では1998年には年率3.8ppm程度の上昇を示しており、その変動幅は4ppm/年(1.5ppm/年の2倍以上の変動幅!)にもなるのです。むしろこのことからも大気中のCO2濃度年増分は人為的なCO2放出の単純な影響ではあり得ず、自然変動の影響が顕著だと考えるべきです。この激しい変動は大気中CO2濃度の経年変化を見ただけでは分かりにくいことですが(笑)、年増分を求めることによって明らかになったのです。そして、大気中CO2濃度の変動という現象を考える時、このCO2濃度年増分の激しい変動の原因を検討することこそ重要なのです。
(続く)
今回は、世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度変化率の散布図の意味を考えることにします。このテーマについては、既にこのコーナーのNo.420において考察していますので、以下、関連部分を再掲しておきます。
2.大気中CO2濃度を表す関数
ここで、大気中のCO2濃度を表す関数Fを形式的に次のように表すことにします。
F=F(T,X1,X2,X3,・・・・)
ここに、
T:世界月平均気温偏差(℃)
X1,X2,X3,・・・・ :大気中CO2濃度に影響を与える環境条件を表す変数
更に、T,X1,X2,X3,・・・・という変数は、時間tの関数です。
大気中CO2濃度を表す関数Fの時間変化率dF/dtは、単位時間に大気に供給されるCO2量qinと大気から地表環境へ吸収されるCO2量qoutの差に比例します。比例定数をCとすれば、次のように表すことが出来ます。
dF/dt=C(qin−qout)
大気中CO2濃度の時間変化率は、関数Fの時間微分なので形式的に次のように書き表すことが出来ます。
dF/dt=∂F/∂T・∂T/∂t+∂F/∂X1・∂X1/∂t+∂F/∂X2・∂X2/∂t+∂F/∂X3・∂X3/∂t・・・
3.散布図と回帰直線は何を表すか?
私たちが自然現象についての観測する場合、極めて複雑な地球環境システムからのごく限られた時空的に離散的な情報を得ることしか出来ません。今、私たちが対象としている観測データは大気中のCO2濃度と世界月平均気温偏差という二つの物理量です。
大気中CO2濃度は前述の通り、世界月平均気温偏差Tだけではなく、地表環境の様々な条件(X1,X2,X3,・・・・)によって変化すると考えられます。ここでは、単純化するために世界月平均気温偏差Tとそれ以外の地表条件を単一の変数Xによって表せるものとして議論を進めることにします。つまり、
dF/dt=∂F/∂T・∂T/∂t+∂F/∂X・∂X/∂t
次の模式図は、世界月平均気温偏差Tと地表環境条件Xによって定まる大気中CO2濃度の時間変化率dF/dtを表す曲面を示しています。解曲面とX軸に直交する平面(例えば平面ABba)の交線は直線(例えば直線ab)になるとしておきます。勿論、一般的には交線も曲線とすべきですが、観測対象期間の世界月平均気温偏差Tの変動幅が十分に小さければ、交線を直線で近似することが出来ます(実際には、我々の分析対象期間中のTの変動幅は0.7℃程度です。地球上で観測される気温の範囲は概ね-90℃〜50℃程度、変動幅では140℃程度ですから、これに比較して0.7℃の変動幅は十分小さいと考えます。)。
さて、私たちの得た散布図とは、時刻tにおける世界月平均気温偏差Tと地表環境条件Xで表されるX-T平面上の点P(T,X;t)に対応するdF/dtの解曲面上の点p(T,X;t)をX軸に直行する平面上に投影した点の集まりです。
点PはX-T平面上の任意の位置を取ることが出来ますが、現実には地表面環境の条件は短期間にはそれ程大きく変動することはないでしょう。私たちの分析対象期間である34年間の平均的な環境条件をX=X0の直線で表すことが出来るとすれば、点Pは直線X=X0の周辺で主にT軸の方向に移動することになると考えられます。
仮に、分析対象期間の点Pの軌跡が直線X=X0上だけを移動するならば、世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度変化率を表す曲線は完全に同期し(両曲線が完全に相似形になる)、散布図は直線ab上の点の集まりになります。しかし実際にはこの期間においても地表環境の条件Xは多少変動しているので、散布図の点は直線ab近傍に分布することになると考えられます。
例えば、世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度変化率の経年変化のグラフにおいて、ピナツボ山の噴火という環境条件の激変のあった時期を含む1989〜1993年の観測データは、環境条件を表す変数Xの変動が大きいために二つの曲線間に大きな開きが生じ、散布図上では回帰直線からの隔たりが大きくなっていると考えられます。
実際には世界月平均気温偏差以外の環境条件を表す数量X1,X2,X3,・・・を今のところ特定して定量的に数値化して観測できていません。そこで、私たちは観測データの中で気温以外の環境条件が大きく変化したと考えられるピナツボ山噴火前後の時期などのデータ(散布図において点で示すデータ)を除外して回帰直線を求めることにしました。つまり、回帰直線を求めた元になるデータでは平均的な環境条件X0からの偏差が小さく、∂T/∂t≫∂X/∂tであり、近似的に∂X/∂t≒0
とすることが出来ます。よってこの直線が表す意味は、
dF/dt≒∂F/∂T・∂T/∂t=dF(T,X=X0)/dt=2.39T+1.47
であり、分析対象期間の平均的な環境条件X=X0に対する大気中CO2濃度の時間変化率の世界月平均気温偏差に対する特性の一次近似を示したものなのです。
4.結論
以上の考察から、私たちの得た回帰直線を次のように解釈できると考えます。
『この第6図(散布図)において、第一次近似として実曲線の部分だけを用いて回帰直線を作ると、大気中CO2濃度変化率がゼロppm/年となるのは気温偏差がマイナス0.6℃程度のときである。このことから、1971年から30年の世界平均気温は大気と陸海の間でCO2の移動が実質的にない温度よりも0.6℃程度高温であり、この図の範囲での結論として大気中CO2濃度が毎年上昇していることが示される。』
(以上No.420より関連部分の再掲)
今回示した内容は、気温と大気中CO2濃度の関係についての新しい情報は何もありません。自然現象を観測した二つの変量の間の散布図の意味について、本来ならばわざわざ説明することもないのですが、人為的CO2地球温暖化仮説を妄信する気象学会などの自称『研究者』の皆さんはこうした基本的な事柄に余りにも無頓着なので、敢えて説明を加えることにしました。
少し紹介しておきますと、気象学会誌『天気』の編集部の方々は、今回示した槌田−近藤の検討結果は、例えばKeelingの示した曲線に表れている数年周期の『自然変動』についての分析であって、より長いタイムスケールの気温上昇とは無関係だと主張します。
Keelingの曲線に表れた数年周期の変動とは、地球の気候システムの外的要因、例えば太陽放射や宇宙線量の変化や、内的要因である火山活動や地表面状態の変化や地球磁場の影響などの変動によって気温が変動しているために発現したのです。
私たちが示したのは、その地球システムの状態によって決まった気温と、それに連動する大気中のCO2濃度がどのような関係にあるのかを明らかにしたのです。勘違いしてもらっては困るのですが、槌田−近藤の明らかにしたのはあくまでも『気温と大気中CO2濃度の関係』であって、気温がどうしてこのような周期性を持って変動するのかを問題にしている訳ではないのです。
問題は現象の変動のタイムスケールではなく、気温と大気中のCO2濃度が同様の変動傾向を示すことなのです。私たちが得た最終的な結論である『散布図において、第一次近似として実曲線の部分だけを用いて回帰直線を作ると、大気中CO2濃度変化率がゼロppm/年となるのは気温偏差がマイナス0.6℃程度のときである。このことから、1971年から30年の世界平均気温は大気と陸海の間でCO2の移動が実質的にない温度よりも0.6℃程度高温であり、この図の範囲での結論として大気中CO2濃度が毎年上昇していることが示される。』を得た散布図には、現象のタイムスケールは関係していないことを理解していただくために、敢えて今回の説明を加えることにしました。
以上で、Keeling曲線に端を発した、槌田−近藤の気温と大気中CO2濃度に対する検討過程のアウトラインの報告を終えることにします。最後に内容を総括しておきます。
@大気中のCO2濃度は、槌田の提案している循環モデルに従って変動している。故に、大気中CO2濃度に及ぼす人為的な化石燃料の燃焼の影響は、大気に放出されるCO2の総放出量218.2Gt/年に対する化石燃料燃焼による放出量6.4Gt/年の割合であって、高々3%に過ぎない。近年観測されている大気中CO2濃度の上昇傾向の主要な原因は自然起源のCO2による。故に、仮にCO2地球温暖化仮説が正しいと仮定した場合でも『人為的温暖化』仮説は否定される。温暖化対策としてのCO2放出量の削減は無意味である。
AKeeling曲線を求めるために取り除かれた長期的なCO2濃度の上昇傾向と、曲線に表れた気温とCO2濃度の関係は、共に主に自然起源のCO2の変動傾向を示している。
B気温は大気中CO2濃度そのものを直接変化させるのではなく、大気中CO2濃度の時間変化率を変化させる(同期する)。大気中CO2濃度は、大気中CO2濃度の時間変化率を時間によって積分した値になるため、大気中CO2濃度の時間変化率の変動傾向(それは気温の変動傾向に同期しているが、)に対して特徴的な周期の1/4だけ後に変動するものとして観測される。また、大気中CO2濃度は、時間変化率の『積分値』であるために、時間変化率の変動は平滑化され、微小な変動として現れる。つまり、気温の変動が原因となって大気中CO2濃度の時間変化率が変化することによって大気中CO2濃度が変動するのであって、大気中CO2濃度が地球大気の温室効果を変化させて気温を変動させているのではない。よって、『CO2地球温暖化仮説』は虚像に過ぎなかったのである。
CO2濃度変化率とCO2濃度曲線の『特徴点』の対応
さて、だいぶ長くなりましたが(笑)、これで準備が出来ましたので、次回からは『地球温暖化懐疑論批判』の『議論14』の関連する部分に対しての検討に戻ることにします。
(続く)
気温の平均変化率のゼロ点=気温の極値が大気中CO2濃度変化率の極値に一致する、つまり「気温が大気中CO2濃度変化率と線形の関数関係にある」ことを確認するために、世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度変化率を比較するグラフを作成したのが次の図です。
予想通り、世界月平均気温偏差の極値と大気中CO2濃度変化率の極値の発現は、見事に同期することが確認できました。
この結果から、二つの懸案についての解答が得られました。
@気温と大気中CO2濃度の関係は、気温が大気中CO2濃度そのものではなく、時間変化率を制御している(直接的な関数関係がある)。
Aその結果、大気中CO2濃度変化率の積分値である大気中CO2濃度の変化は、代表的な変動周期の1/4だけ時間的に後に現れることになる。これがKeelingの曲線において気温変動に対して大気中CO2濃度の変動が1年間程度遅れる原因であった。
上の図は、大気中CO2濃度変化率(灰色で着色)と大気中CO2濃度の1969年以降の増加量を示したグラフです。着目点の大気中CO2濃度の増加量は、着目点から左側の大気中CO2濃度変化率の灰色に着色した部分の面積を積分することによって求められるのです。
次に私たちは、気温と大気中CO2濃度変化率の関係をもう少し定量的に把握するために、34年間余りの分析対象期間中の400点余りのデータを散布図にまとめることにしました。この散布図は、横軸に世界月平均気温偏差、縦軸に大気中CO2濃度変化率をプロットしたものであり、観測値を時系列に従って表記したグラフとは異なり、現象の発現のタイムスケールとは全く関係のない普遍的な関係を示したものであることに注意してください。
こうして得られた散布図の回帰直線
y=2.39x+1.47 (ppm/年)
は、世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度変化率の間にある関数関係の第一次近似を与えることになります。この式から、この間の平均気温からの気温偏差が0℃(x=0)の時、大気中CO2濃度変化率は1.47ppm/年であり、大気中CO2濃度は年率1.47ppmの割合で増加していたことが分かります。
次に、大気中CO2濃度変化率がゼロ(y=0)になる気温偏差を求めると次の通りです。
0=2.39x+1.47 ∴x=-1.47/2.39≒−0.62
つまり、分析対象期間において大気中CO2濃度が単調に増加してきたのは、平均気温が大気中CO2濃度が定常状態(=大気中CO2濃度変化率がゼロ)になる気温よりも0.62℃だけ高かったからなのです。
(続く)
前回は海面水温と大気中CO2濃度のそれぞれの年増分を比較した結果とその解釈を示しました。今回は、世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度について、それぞれの平均変化率を比較した結果を示すことにします。「年増分」と「平均変化率」の詳細については註を参照してください。簡単にいえば、年増分は後退差分であり、平均変化率は中央差分です。
世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度の変化率
世界月平均気温偏差とは、海域も含めた地球表面付近の温度状態を示しますから、その7割程度は前回用いた海洋の表面海水温と共通のデータになるため、前回示した曲線と同様の結果になります。
前回示した海洋の表面水温と大気中CO2濃度それぞれの年増分の比較、そして今回示した世界月平均気温偏差と大気中CO2濃度の平均変化率の比較から、Keelingが示した気温変動の1年程度後に大気中CO2濃度が変動するという関係を、大気中CO2濃度の長期的な上昇傾向を取り除くことなく確認することが出来ました。
更に、Keelingの取り除いた大気中CO2濃度の長期的な上昇傾向が、具体的には年率1.5ppm/年程度の勾配を持つこともグラフから直接確認することが出来ました。
次の段階として、気温とCO2濃度の間にある関係を具体的に明らかにすることです。これまでのKeelingの曲線についての考察から、気温と大気中CO2濃度の関係は直接的な線形の関数関係では説明がつかないことが明らかになっています。
もう一つの問題として、気温の変動から大気中CO2濃度の変動が表れるまでの期間が1年間程度というかなり長期間の遅れがあるのはなぜなのでしょうか?
二つの現象に何らかの物理的な関係が想定され(例えば時系列に沿って変動を描くと同じような変動傾向を示す)、二つの現象の間には明確な時間遅れがある場合、この二つの物理量の間にはどういう関係が想定されるのでしょうか?
最も単純なのは、一方の現象が原因となって他方の現象が発現するまでの過程が極めて複雑で、定量的な変化が観測されるまでに長時間を要する場合です。この場合には、二つの現象の間には時間遅れが存在するだけで、線形関係として観測されるでしょう。気温と大気中CO2濃度の関係については、Keelingのグラフに対する考察からこの関係は否定されました。
更に考えられるのは、一方の現象が原因となって他方の現象の時間変化率が変化し、時間変化率の積分的効果として表れる他方の現象が定量的に観測されるまでに遅れ時間が生じる場合です。
この点について、槌田氏は次のように述べています。
「これまで気温の微分(年増分)がCO2 濃度の微分(年増分)に1 年ほど先行すると解釈してきたが、この図において気温の微分がゼロの時、CO2
濃度の微分は極値を取っているように見える。気温の微分がゼロということは、気温が極値であることを示すから、気温とCO2
濃度の年増分が直接対応するのではないかと思われる。つまり気温そのものがCO2
濃度上昇の原因である」(文中の「年増分」は「変化率」と読みかえてください。:近藤註)
槌田氏の指摘は、例えば上の図に書き加えた赤い線で示す気温変化率のゼロ点に大気中CO2濃度変化率の極値が対応しているのではないかということです。気温変化率のゼロ点とは、その原始関数である気温そのものの変動を表す曲線の極値に対応します。結局、気温と大気中CO2濃度変化率の極値が同期しているのではないか、つまり、気温が大気中CO2濃度変化率を制御しているのではないかというのが槌田氏の主張です。
この指摘は、例えば前回示したエルニーニョ/ラニーニャの発生と大気中CO2濃度年増分の変動を示したグラフからも類推されることです。つまり、海水温が上がると、大気中のCO2濃度が上がるのではなく、CO2濃度の年増分=変化速度が大きくなると考えられるのです。
(続く)
註)平均変化率のデータ処理について
世界平均気温偏差とKeelingによるCO2濃度観測値は月毎の離散的なデータである。これらのデータをつないだ曲線を時間変数をtとして仮に関数F(t)とする。関数F(t)の着目する年月tnにおける微分係数を次式(中央差分)で近似する。
上式において区間幅を1年間(12ヶ月)にしたのは、世界平均気温偏差と大気中CO2濃度の季節変動の影響を取り除くためである。
僥の物理的な意味は、世界平均気温偏差あるいは大気中CO2濃度の1年あたりの平均的な変化率、あるいは関数F(t)で表される曲線の着目年月における勾配である。世界平均気温偏差についての単位は℃/年であり、大気中CO2濃度についての単位はppm/年である。今回の分析では、1年間当たり12点(月毎)について僥を計算し、これを結んだ曲線を示す。
図4 変化率の定義
これまでこのHPでは着目年月tn+6の観測値から1年(12カ月)前の観測値を差し引いた値
を「年増分」として用いてきたが、年増分を積分すると観測値そのものとの時間的な対応関係に6ヶ月の位相のずれが生じるため、今回新たに変化率を導入した。定義から明らかなように、これまでの年増分は6ヶ月遡った時点の変化率と等しい。気温とCO2濃度の年増分どうし、あるいは変化率どうしの相対的な位相差は変化しない。
まず、前回までのKeeling曲線に対する槌田氏あるいは私の解釈についてまとめておきます。
槌田氏と私は、大気中のCO2濃度は、槌田の循環モデルに従っていると考えていますので、大気中に存在する人為的な化石燃料の燃焼によるCO2の影響は放出量全体に占めるその割合に比例すると考えている(6.4/218.2=2.9%)ので、近年観測されている大気中CO2濃度上昇の大部分は自然変動だと考えます。
その結果、Keelingの取り除いた大気中CO2濃度の大局的な上昇傾向は主に自然変動であり、また、Keeling曲線に現れている数年周期の変動も自然変動の特性を表すと解釈します。
以上より、Keeling曲線は、気温の変動が何らかの原因となり、その結果として大気中のCO2濃度が変動していることを示唆するものだと解釈します。ただし、産総研の阿部氏や明日香グループも指摘している通り、『気温とCO2濃度は直接的な線形関係で表わすことは出来ない』と考えます。
このKeelingの曲線をきっかけに、槌田氏と私は、気温と大気中CO2濃度の関係を明らかにする検討を開始しました。気象学会誌『天気』の河宮の主張にあるように、人為的CO2地球温暖化仮説を支持する研究者は、Keelingが取り除いた大局的なCO2濃度の上昇傾向こそ人為的な影響だと主張しました。そこで我々は、長期的な上昇傾向を取り除くことなく気温とCO2濃度の関係を分析する手法を考えました。
その手法が、気温と大気中CO2濃度を直接比較するのではなく、それぞれの年増分を比較することです。
まず、大気中のCO2濃度の年増分を求め、これとエルニーニョ/ラニーニャの発生時期を比較する図を作成しました。
Mauna Loaにおける大気中二酸化炭素濃度増分の経年変化
(出典:『温暖化は憂うべきことだろうか』近藤/不知火書房2006年)
この図から、1992年前後を除いて、エルニーニョが発生すると大気中CO2濃度の増加速度が上昇し、逆にラニーニャが発生すると増加速度が低下することが分かりました。1992年前後の値について他の場合と異なるのは、この時期に起こったフィリピンピナツボ火山の爆発によって大気中に膨大な火山灰が放出された影響であろうと推測しています。
この結果から、海水の表面温度の変動が大気へのCO2放出速度に大きな影響を与えていることが推測されましたので、次に、海水の表面温度と大気中CO2濃度のそれぞれの年増分を比較する図を作成しました。これが『地球温暖化懐疑論批判』議論14で取り上げられた図です(『温暖化は憂うべきことだろうか』図2.14 近藤/不知火書房2006年p76)。
さて、ここで図の意味を説明しておきましょう。『年増分』というのは、着目する物理量の過去一年間の増加量を示しています。例えば、大気中のCO2濃度を記号「F」で表せば、着目年月「t」における年増分「僥」は次の式で表せます。
僥=F(t)−F(t−1)、ただしtの単位は年数とします。
これは、凾煤1年間当たりのFの変化率ですから、近似的に次の関係になります。
僥/凾煤:(t)−F(t−1)≒dF/dt
つまり、大気中CO2濃度の年増分とは、数学的には原始関数である大気中CO2濃度を表す曲線の微分係数の近似値を表しているのです。高校の数学で学んだように(笑)、関数の微分係数の変化を調べることによって、元の関数の変化の状況を詳しく知ることが出来ます。
まず、海面水温偏差の年増分についての曲線(図7では青で示された曲線)について考えて見ましょう。この曲線は0(℃/年)の前後で変動しています。高校数学で学んだように、微分係数は原始関数を表す曲線の勾配を表し、微分係数が0の時、原始関数、ここでは海面水温偏差は極値を示します。時間軸の方向に曲線をたどったとき、年増分が+側から0に向かう場合には「極大値」であり、−側から0に向かう場合は「極小値」です。
このような、平均値の周辺で変動する関数では、微分操作を行うことによって、特徴的な周期の1/4だけ位相が進むことになります。同一の時間軸に対してグラフに描けば、原始関数と微分係数を表す曲線は同じような変動傾向を示しながら、微分係数を表す曲線は、原始関数を表す曲線を時間軸の逆方向に1/4周期だけ戻したような曲線として描かれることになります。このことは、周期2πの関数であるsin関数を微分するとcos関数になることを思い出せばよいでしょう。
d(sin(t))/dt=cos(t)=sin(t+π/2)
次に、大気中CO2濃度の年増分の曲線(赤の曲線)について考えてみましょう。この曲線は概ね1.5(ppm/年)の周辺で変動しています。0と交わることがありませんから原始関数である大気中CO2濃度は単調に増加することが分かります。大気中CO2濃度の年増分が1.5(ppm/年)の周辺で変動していることから、大気中CO2濃度を表す曲線の平均勾配が概ね1.5(ppm/年)であることが分かります。
さて、大気中CO2濃度を表す曲線の特徴的な変化=大局的な増加傾向からの変動幅について考えてみましょう。大気中CO2濃度の年増分が1.5(ppm/年)の線と交わる時、原始関数である大気中CO2濃度を表す曲線は大局的な増加傾向を表す曲線と平行になり、大気中CO2濃度の年増分を表す曲線を時間軸に沿ってたどった場合、1.5よりも大きい方から1.5に近づく場合はプラス側の振れ幅が最も大きくなり、1.5よりも小さい方から1.5に近づく場合にはマイナス側の振れ幅が最も大きくなります。
上図で考えてみましょう。大気中CO2濃度の年増分が1.5(ppm/年)程度を中心に変動しているということは、大気中CO2濃度を表す曲線の回帰直線を求めた場合、その勾配が概ね1.5(ppm/年)であることを示しています。上図の青の点で示した大気中CO2濃度の大局的な上昇傾向からプラス側に振れた点は、大気中CO2濃度の年増分を表す曲線が1.5よりも大きい方から1.5に向かう場合に対応するのです。
つまり、『地球温暖化気議論批判』の図7において、海面水温偏差年増分を表す曲線と0℃/年の交点と、大気中CO2濃度年増分を表す曲線と1.5ppm/年との交点の発現状況を比較することによって、それぞれの原始関数である海面水温偏差と大気中CO2濃度の特徴点の発現状況がわかるのです。この図7の範囲において、『海面水温の変動が何らかの原因となって大気中CO2濃度を変化させている』と解釈できるのです。
(続く)