Keeling曲線の解釈についての反論をもう少し検討することにしましょう。
また、河宮(2005)にあるように、エルニーニョなどの自然起源による二酸化炭素濃度変動振幅は0.5ppm程度、変動の特徴的なタイムスケールは数年程度である。例えば、大気大循環モデルを用いた地球温暖化実験において、100年程度のタイムスケールで二酸化炭素濃度が350ppmから700ppmに倍増したときの典型的な昇温幅が2〜6度である(IPCC第三次報告書)ことを考えると、図6の振幅・タイムスケールは非常に小さなものであり、現在起きている温度上昇にはほとんど影響を与えないレベルである。このような場合、二酸化炭素は受動的な大気成分として振る舞い、気温や降水といった環境条件の変動の影響を受けそれらより位相の遅れた変動を示す。一方、20世紀後半に起きている地球温暖化問題の場合は、大きな濃度変化が長期間にわたって続くため放射バランスの変化を通じ気温を能動的に変える要因として働く。
さらに、図6の関係を敷衍して二酸化炭素濃度の長期的上昇を説明しようとすると、25度といった大幅な気温上昇を仮定せざるを得なくなるが、もちろんそのような気温上昇は観測されていない。本稿冒頭で紹介した討論会で筆者らはこの矛盾について槌田氏に問いただしたが、明確な回答を得ることはできなかった(河宮・江守
2006)。
ここで、河宮の気象学会誌『天気』(2005年)の記事を援用して、CO2蓄積仮説ないし人為的CO2地球温暖化仮説による解釈を正当化しようとしているようです。
まず、『例えば、大気大循環モデルを用いた地球温暖化実験において、100年程度のタイムスケールで二酸化炭素濃度が350ppmから700ppmに倍増したときの典型的な昇温幅が2〜6度である(IPCC第三次報告書)ことを考えると、図6の振幅・タイムスケールは非常に小さなものであり、現在起きている温度上昇にはほとんど影響を与えないレベルである。』と述べていますが、今話題にしているのは観測値の解釈であって、数値シミュレーションというコンピューターゲームの数遊びの話しをしているのではありません。検討するならば、Keelingの観測値に基づくこの40年間程度で60〜70ppmの大気中CO2濃度が上昇していること、同期間で気温は0.6℃程度上昇していることの方でしょう。
次に、タイムスケールの違いが現象的にどのような違いがあり、なぜ現在起きている気温上昇に関係ないのか全く説明されていません。ほとんど無意味な文章です。これは説明ではなく彼らにとって望ましい『願望』を表明しているだけです。
次に『このような場合、二酸化炭素は受動的な大気成分として振る舞い、気温や降水といった環境条件の変動の影響を受けそれらより位相の遅れた変動を示す。一方、20世紀後半に起きている地球温暖化問題の場合は、大きな濃度変化が長期間にわたって続くため放射バランスの変化を通じ気温を能動的に変える要因として働く。』とも述べていますが、なぜタイムスケールの小さな現象においてはCO2は『受動的な大気成分(これも意味不明ですが・・・)』として振舞うのか、全く説明されていません。これまた無意味な文章です。
ここで述べている『能動的』とは、CO2地球温暖化仮説に基づき、CO2濃度の変化が温室効果を変化させて気温に影響を与えることを指しているようです。
そうなるとますますここの説明は混迷を深めてしまいます。温室効果の実体とは、CO2が特定波長(地球放射では主に15μm付近)の赤外線を吸収するする性質によって発現します。この電磁波を吸収するという現象は、人為的なCO2であろうが自然起源のCO2であろうが全く関わりなく、しかも大気中のCO2濃度が変化すれば瞬時に発現する現象です。
CO2分子の赤外線の吸収による励起状態から赤外線放出あるいは分子衝突によってエネルギーを放出して基底状態に戻るという現象のタイムスケールと比較して、短いとか長いと言うのならばともかく、ここで言う小さいタイムスケールとは数年スケールの変動ですから、放射現象のタイムスケールに比較すれば十分に長いタイムスケールです。「タイムスケールの非常に小さな現象」などという曖昧なごまかしでは何の合理的な説明にもなりません。
最後の『さらに、図6の関係を敷衍して二酸化炭素濃度の長期的上昇を説明しようとすると、25度といった大幅な気温上昇を仮定せざるを得なくなるが、もちろんそのような気温上昇は観測されていない。本稿冒頭で紹介した討論会で筆者らはこの矛盾について槌田氏に問いただしたが、明確な回答を得ることはできなかった(河宮・江守
2006)。註)』についてです。これは討論会に私は参加していなかったので具体的にどのようなやり取りがあったのか存じません。ただし、この部分の批判は、物理学会誌における産総研の阿部氏の反論と全く同じ論理構造ですので、承知しております。
註)この件につきましては、東大IR3Sに対する名誉既存訴訟の甲11-3号証に説明されているのでご参照ください。後述の産総研の阿部氏と同様に、槌田氏や私は述べてもいない気温偏差と短期的CO2濃度の間に線形の関数関係があると勝手に決め付けた上で、それを否定して見せるというレトリックによる稚拙な批判です。
この批判は、槌田氏や私の主張では、大気中に放出されたCO2は全て同様の振る舞いをし同じ効果を発現させるという主張に対する反論だと思われます。論理構造としては、Keelingの得た気温とCO2濃度の曲線の関係から、物理学会誌(2007年Vol.62,
No.07)において阿部氏は『・・・,図1(Keeling曲線)で0.5 度の気温変化に対応するCO2 濃度変化がわずか1ppm
であることからすれば,過去45 年間で増加した64ppm を気温上昇で説明することは,この間に気温が32
度上昇していない以上,不可能である.』と述べました。
つまり、気温が大気中CO2濃度を変動させる原因であり、しかも大気中CO2濃度が気温の一次関数として表されるという線形の関数関係があるとすれば、もっと大きな気温変動がなくてはならず、槌田−近藤の主張は誤りであるというものです。
これでは反論になっていません。気温変化が原因となってCO2濃度の変動が引き起こされるという因果関係は、両者の間に単純な線形の関数関係がある場合だけではありませんから、直ちに槌田−近藤の主張が誤りという結論にはなりません。阿部氏の意見や明日香グループの批判を『気温と大気中CO2濃度の間の関数関係は、直接的な線形の関数関係ではない』と読み替えれば、私も彼らの意見に100%賛同します。
槌田−近藤の気温と大気中CO2濃度に関する検討は、大気中CO2濃度モデルも含めて、気温と大気中CO2濃度の間にどのような関係があれば全体として整合性が保たれるのかを探求する過程なのです。明日香グループとの討論会の時期(2006年)は、検討の端緒についたばかりの時期でしたので、明快な説明ができる段階には到達していなかったものと想像します。
いずれにしても、Keelingの曲線では大気中CO2濃度の長期的な変動傾向を取り除いているため、曲線に表れていない取り除いた部分について憶測でこれ以上の議論をしても無意味なので、別の分析手法を考える必要があるのです。
(続く)
さて、まずKeelingの示した図とは何なのかをもう少し詳しく見ることにします。
次に示す図は、Keelingによる南極における大気中CO2濃度の観測値と気象庁から公開されている世界月平均気温偏差の観測値を示したものです(いずれも13ヶ月移動平均)。
これを見ると、世界月平均気温偏差は明瞭な数年スケールの不規則変動をしながら、多少上昇傾向(破線で示した回帰直線)を示しているように見えます。これに対して、CO2濃度の観測値は多少蛇行しながらも単調に増加傾向を示しているように見えます。ただし、この図を良く注意して観察すると、気温偏差が大きく上昇すると、CO2濃度の変化もそれにつられるように少し上方に振れることがわかります(例えば図中の赤と青の点を比べてみてください。)。
因果関係は明確ではないが、何らかの物理的な関係が予測される二つの物理量の時系列に沿った連続観測データがあったとします。この場合、因果関係を推定するための有力な手がかりとなるのが特徴的な変化がいずれの物理量の変化に先に生じ、いずれの物理量の変化が後に続くかという時間的な前後関係です。物理量の変化を時系列に沿った曲線として表した場合、特徴的な変化とは曲線の極値、勾配、変曲点等で特徴付けられます。当然、先に変動した物理量の変化が原因となって、それに続く物理量の変化がその結果として表れることになるのです。
前出の図1を注意してみれば、その特徴点を読取れなくもありませんが、CO2濃度の観測値では全体としての上昇傾向に対して数年周期の変動の変動幅が小さく、明確に特徴点を指し示すのはかなり難しいことです。
そこで、KeelingはCO2濃度について、観測値から大局的な上昇曲線に対応する傾向を差引き、数年周期の不規則な変動成分を取り出し、これと世界月平均気温偏差を比較することにしたのです。
その結果、ご存知の通り、世界月平均気温偏差の変動が先に生じ、1年程度後に大気中CO2濃度が変動することが明確に示されたのです。
この結果から確実に言えることは、世界月平均気温偏差の変動の結果として大気中CO2濃度の数年周期の変動が起こっているということです。この点については明日香グループも標準的な人為的CO2地球温暖化仮説も認めることだと思います。
では現象的にこれをどう解釈するか、これについては意見が分かれることになります。その意見の分かれる原因こそ大気中のCO2濃度モデルの問題なのです。
標準的な人為的CO2地球温暖化仮説では、『標準的な蓄積モデル』で示した通り、大気中のCO2濃度は変動しない自然起源のCO2の循環構造と、人為的なCO2の半量程度が蓄積する構造が独立に存在し、その線形結合として表現されると主張します。
そこで彼らのKeelingの示した曲線に対する解釈は、Keelingの取り除いた長期的な上昇曲線は人為的なCO2の蓄積量を表すものであり、曲線に示されたのは自然起源のCO2の循環構造の気温変動による揺らぎであると解釈したのです。
これに対して、槌田氏や私は循環モデルを支持していますから、一旦大気中に放出されたCO2は対流圏で急速に攪拌され混合が進み、放出源の如何を問わず同一の振る舞いをすると考えます。つまり、Keelingが取り除いた長期的な上昇曲線も、またKeeling曲線に現れた数年周期の変動曲線も共に主に自然起源のCO2濃度の振る舞いを示したものであり、人為的な影響は微々たるものに過ぎない(IPCC2007年の数値に従えば6.4/218.2=2.9%)と考えています。
そこで槌田氏や私はKeelingの示した曲線は、気温上昇が原因となって、その結果として大気中CO2濃度が上昇するという結果を生み出すことを示唆したものだと解釈しているのです。
蛇足ですが、明日香グループの主張に少し触れておきます。彼らの特殊な蓄積モデルは、3つの大気中CO2濃度モデルの中で最も人為的なCO2の影響の少ないモデルであり(過去40年間の蓄積量は1.9ppmにすぎない。No.437参照。)、これに従うならば、槌田氏や私と同じように「Keelingが取り除いた長期的な上昇曲線も、またKeeling曲線に現れた数年周期の変動曲線も共に主に自然起源のCO2濃度の振る舞いを示したもの」と解釈するしか合理的な解釈はないのですが・・・(笑)。彼らの主張は支離滅裂ですから、無視して、今後は標準的な人為的CO2地球温暖化仮説を対象に話を進めることにします。
さて、今回は『議論14』の解説の冒頭部分のKeeling曲線の意味についての記述について少しだけコメントしておきましょう。
反 論
図6は、Keeling et
al.(1989)による一つのグラフを根本(1994)が日本に紹介したものだが、この図をもって二酸化炭素の変動が常に気温に追随すると考えるのは拡大解釈である。なぜならば、このグラフは、キーリングが、二酸化炭素濃度の長期的な上昇傾向(人間活動の影響)を除いた場合の気温上昇と二酸化炭素濃度上昇との関係を明らかにする目的で作成したグラフであり、ある特定の時間スケールにおける気温上昇と大気中の二酸化炭素濃度上昇との相関関係を示したものだからである。グラフでは温度上昇が二酸化炭素の濃度上昇に先行しているように見える理由としてキーリング自身が「エルニーニョによる二酸化炭素濃度上昇を示していると考えられる」と明言している(キーリングがどのような意図で図6を作成したかについては、彼自身の日本での講演録であるKeeling
(1993)、さらに温暖化問題におけるキーリングの業績に関しては、キーリング追悼講演録でもあるHansen(2005a)をそれぞれ参照してほしい)。
なお、関連分野の専門家の多くにとって常識ではあるが、キーリング自身は生涯温暖化論を支持していたことを付け加えておく。槌田(2006)はキーリングが温暖化論支持から不支持の立場に転向したかのような印象を与える記述をしているが、Keeling(1993)は講演録で大気中二酸化炭素濃度の長期的上昇が人間活動の影響であると述べており、槌田(2006)の主張とは相容れない。
これだけの長い文章を書きながら、内容の無いことに笑ってしまいます。『なお、関連分野の専門家の多くにとって常識ではあるが、キーリング自身は生涯温暖化論を支持していたことを付け加えておく。槌田(2006)はキーリングが温暖化論支持から不支持の立場に転向したかのような印象を与える記述をしているが、Keeling(1993)は講演録で大気中二酸化炭素濃度の長期的上昇が人間活動の影響であると述べており、槌田(2006)の主張とは相容れない。』は全く余計な文章です(笑)。
Keelingが人為的CO2地球温暖化論者であり、その彼が言ったことは正しいと言っているだけのように思われます。標準的な人為的CO2地球温暖化論者であるKeelingであれば、長期的上昇は人為的CO2の蓄積だとするのは論理的に整合性があります。ただし、それが正しいかどうかは全く問題が別です。
また、Keelingが作成した図だから彼の解釈だけが正しいのであって、それ以外の解釈は誤り等ということは、自然科学的には全く合理性がないことです。観測者としてのKeelingの功績は賞賛されるべきものですが、そのことと分析者としての彼が言うことが正しいかどうかということに何の相関も存在しないのです(笑)。
槌田氏や私、おそらくこの図を紹介した根本氏も、大気中CO2濃度に対する循環モデルに立脚してこの図を見れば、気温の変動が何らかの原因となって大気中のCO2濃度を変化させていると解釈するのが合理的であると考えたのです。このKeelingの得た曲線は槌田氏や私に『気温の変動が何らかの原因となって大気中のCO2濃度を変化させている』可能性を強く示唆したものであり、この曲線がその後の槌田−近藤の気温とCO2濃度の関係に対する検討の出発点となったのです。
(続く)
さて、前回まで大気中CO2濃度モデルについて紹介してきました。この問題を扱う時、いつも思うのですが、このような子供だましの人為的CO2蓄積仮説などというものが一体いつまで生き延びるのか、情けなくなってしまいます。気象研究の専門家という方々がどうしてこれをありがたがって信奉し続けているのかが、『人為的CO2地球温暖化仮説』に対する私の最大の疑問です。
もし、これは私の勘違いで、明日香さんのグループでは、人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出を特別扱いしなくても、合理的に近年の大気中CO2濃度上昇が説明できる崇高なモデルをお持ちならば、是非お示しいただきたいと思います。その折にはこのHPでも大々的に紹介いたします。連絡をお待ちします。
この「地球温暖化懐疑論批判」の『議論18』について、物理学の松田博嗣先生(註)は環境物理メーリングリストへのメールの中で次のように一蹴されています。
(註) まつだひろつぐ <略歴> 1951年に京都大学理学部物理学科を卒業、1954年同大学助手となる。助教授を経て、1966年京都大学基礎物理学研究所教授。1972年九州大学理学部生物学科教授(数理生物学講座担当)。1987年同大学評議員。翌1988年から1990年まで理学部長をつとめる。1991年3月に九州大学を停年退官、名誉教授となる。1996年から1998年まで早稲田大学客員教授をつとめた。理学博士。
××さん
メール有難う。
「地球温暖化懐疑論批判」読みました。
CO2脅威説の一つは「人の出したCO2は大気に貯蔵され続ける」ということで、槌田さんは数理的にこれを否定しました。これに対する反論が42頁にありますが、反論の数理は誤っています。
温暖化は人類も過去に経験したことであり、メリットもデメリットもあり、緊急の課題ではないと思います。
CO2の増加は緑の増加にプラスに働くのではないでしょうか。
**さんが言われる通り、環境問題が温暖化問題に一極化されて、もっと大事な問題が無視される傾向は全く納得が行きませんね。
松田 博嗣(Hirotsugu Matsuda)
また、沖縄高専の中本教授へのメールでは次のようにも述べられています。
中本さん
メール拝見しました。
私の意見を紹介されることに異議ありません。
研究や発表の自由が不当に抑圧される傾向は誠に残念です。
ご活躍を期待します。
松田 博嗣(Hirotsugu Matsuda)
『崇高な明日香モデル』が存在する場合はさておき、このように『誤った数理』モデルを文部科学省科学技術振興調節費(戦略的研究拠点育成)プロジェクト”IR3S”サステイナビリティ学連携研究機構(東洋大学・国立環境研究所・東北大学・千葉大学・早稲田大学・立命館大学)という公的機関の名の下に、反論を封殺した上で、国税を使って書籍にすることで『権威』によって民衆を惑わすことを意図して作られた国策本であるこの「地球温暖化懐疑論批判」という本の犯罪性を強く感じます。
さて、前置きが少し長くなりました。今回から、少し戻って「地球温暖化懐疑論批判」32頁『議論14』についての検討に入ります。これは、このHPに直接関連する問題なので、当事者としての反論になります。
『議論14』
二酸化炭素の温室効果による地球温暖化はなく、気温上昇が二酸化炭素濃度上昇の原因である(槌田2005b;槌田2006;近藤 2006;槌田
2007)。
この議論の端緒となったのは、ご存知の通り大気中CO2濃度の連続精密観測を行ったKeelingが示した1枚のグラフです。
このグラフの説明は、明日香グループの河宮氏が気象学会誌『天気』において書かれた文章から抜粋しておきます。
ここで,第1図(地球温暖化懐疑論批判では図6に対応:註 近藤)の気温の変化は,Hansen
and
Lebedeff(1988)のデータを一部変更したもので,全球平均の月平均気温をスプラインでつないだものを1951-1970年の平均値からのずれとして示したもの.CO2はマウナロアと南極観測点での平均値で,長期的な上昇曲線と季節変化は抜いてあり,年々変動のみを見ているものです.
(気象学会誌「天気」2005年6月号p.71)
補足説明:
ここで「全球平均の月平均気温」と述べられているが、この表現は正しくない。実際には、気温観測点毎の着目年の月平均気温から過去(1951-1970年の30年間)の月平均気温の平均値を差引いた偏差を求め、これを全球に亘って平均した値だと考えられる。以下の議論では「世界月平均気温偏差」と呼ぶことにする。故にこの値はゼロ点の前後で変動することになる。(近藤)
この図をどう見るのか?ここには、前回まで検討してきた大気中CO2濃度と人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出の関係に対する理解が決定的に影響します。
明日香グループは、『CO2はマウナロアと南極観測点での平均値で,長期的な上昇曲線と季節変化は抜いてあり,年々変動のみを見ている』という記述を『CO2はマウナロアと南極観測点での平均値で,人為的な影響である長期的な上昇曲線と季節変化は抜いてあり,年々変動のみを見ている』という意味であると主張します。
この時点で、明日香グループの主張には既に誤りが含まれています。
誤謬@
前回紹介したように、標準的な人為的CO2蓄積仮説ならばともかく、『議論18』で明日香グループが主張するように、人為的な化石燃料の燃焼から放出されるCO2と自然起源のCO2を区別して取り扱わない限り、「長期的な上昇曲線」で表されるのは主に自然起源のCO2による傾向なのです。前回示した通り、明日香グループのモデルによればKeelingがCO2濃度の連続観測を開始して以降に観測されている70ppm程度の上昇量のうち、人為的な化石燃料の燃焼によるCO2量は、僅かに1.9ppm程度に過ぎないのです。彼らの主張は自己矛盾で論理的に崩壊しているのです。
槌田−近藤の主張は、前回まで紹介してきた大気中CO2濃度については槌田の循環モデルが唯一考えうるモデルであるという前提に立って組み立てられているのです。
(続く)
以上、3回にわたって大気中のCO2濃度モデルについて検討してきました。ここまでの検討では、気温と大気中CO2濃度の関係以前の問題についての検討でした。しかし、ここでの検討は、近年観測されている気温の上昇傾向がCO2温暖化仮説妄信者たちの主張するように、温暖化の原因が果たして人為的なものか否かを検討する前提として決定的に重要な問題なのです。
今回はこれまでの議論を一旦総括しておきます。今回は槌田による循環モデル、標準的な蓄積モデル、明日香グループの蓄積モデルという3つのモデルについて、
@基本的な数値モデル
A現状の地球大気のCO2濃度の状況
B人為的化石燃料燃焼の減少による影響
の3点を示して総括に代えようと思います。
1.槌田による循環モデル
@基本的な数値モデル
吸収率 : r=qout/Q
漸化式 : Qi=Q(i-1)(1−r)+qin(1−r), (i=1,2,・・・)
A現状の地球大気のCO2濃度の状況
(IPCC2007年:qin=218.2Gt/年、qout=215Gt/年、Q=762Gt、qin*=6.4Gt/年、CO2濃度=385ppm)
吸収率 : r=qout/Q=215(Gt/年)/762(Gt)=0.282
大気に含まれる人為的な化石燃料燃焼によるCO2量 : Q*=qin*/r=6.4/0.282=22.7Gt
大気に含まれる人為的な化石燃料燃焼によるCO2濃度 : 385×22.7/762=11.5ppm
B人為的化石燃料燃焼の減少による影響
ここでは極端な例として、qin*=0.Gt/年の場合を考えます。
大気中CO2量 : Q=(qin−qin*)/r=(218.2−6.4)/0.282=751Gt
大気中CO2減少量 : 儔=751−762=−11Gt
大気中CO2濃度減少量 : 385×(−11)/762=−5.6ppm
上図は槌田による級数モデルの経年変化の模式図を示す。離散的な表示なので、ノコギリ状の刃の先端の包絡線が近似的な大気中CO2量Qの経年変化に対応する。
2.標準的な蓄積モデル
@基本的な数値モデル
吸収率(化石燃料の燃焼による部分) : γ*=qout*/qin*
吸収率(自然起源の部分) : γ=(qout−qout*)/(qin−qin*)
漸化式 : Qi=Q(i-1)+(qin−qin*)(1−γ)+qin*(1−γ*), (i=1,2,・・・)
A現状の地球大気のCO2濃度の状況
(IPCC2007年:qin=218.2Gt/年、qout=215Gt/年、Q=762Gt、qin*=6.4Gt/年、CO2濃度=385ppm)
吸収率(化石燃料の燃焼による部分) : γ*=qout*/qin*=3.2/6.4=0.5
吸収率(自然起源の部分) : γ=(qout−qout*)/(qin−qin*)=(215−3.2)/(218.2−6.4)=211.8/211.8=1.0
大気に含まれる人為的な化石燃料燃焼によるCO2量 :
蓄積モデルでは、現在の大気中のCO2量は過去の履歴によって一義的に決定できませんので、ここでは便宜的にKeelingが観測を行った40年間程度の期間について、現状と同程度の状態であったとして、過去40年間に蓄積された量を求めることにします。
儔=40×(qin−qin*)(1−γ)+40×qin*(1−γ*)=40×(218.2−6.4)(1−1)+40×6.4×(1−0.5)=128Gt
式から明らかなように、標準的な蓄積モデルでは蓄積された全てが化石燃料の燃焼によるものです。
大気に含まれる人為的な化石燃料燃焼によるCO2濃度 : 385×128/762=64.7ppm
B人為的化石燃料燃焼の減少による影響
ここでは極端な例として、qin*=0.Gt/年の場合を考えます。経過年数をn年間とする。
大気中CO2減少量 : 儔=n×(qin−qin*)(1−γ)+n×qin*(1−γ*)=0.
大気中CO2濃度減少量 : 385×0./762=0.ppm
上図は標準的な蓄積モデルの経年変化の模式図を示す。大気中CO2量Qを表す包絡線は直線となる。図の緑色の線は人為的な放出量を示す。緑の線よりも上の部分は自然起源の放出量であり、着目年次に完全に吸収されてしまう。人為的な放出量qin*は、放出年次に50%だけが吸収された後は変化しない。故に、Qの増加量は全て人為的な影響ということになる。
3.明日香グループの蓄積モデル
@基本的な数値モデル
明日香グループの蓄積モデルの特徴は「人間活動によって放出されたCO2分子が選択的に吸収されるという主張は含まれていないことに注意」で述べられている通り、標準的な蓄積モデルでは自然起源のCO2と人為的な化石燃料の燃焼によるCO2に対して別々の吸収率を設定したのに対して、これを区別しないということを主張しています。つまり、標準的な蓄積モデルにおいて、『γ*=γ=qout/qin』で置き換えることによって得られるのです。
吸収率 : γ=qout/qin
漸化式 : Qi=Q(i-1)+qin(1−γ), (i=1,2,・・・)
A現状の地球大気のCO2濃度の状況
(IPCC2007年:qin=218.2Gt/年、qout=215Gt/年、Q=762Gt、qin*=6.4Gt/年、CO2濃度=385ppm)
吸収率 : γ=qout/qin=215/218.2=0.9853
大気に含まれる人為的な化石燃料燃焼によるCO2量 :
蓄積モデルでは、現在の大気中のCO2量は過去の履歴によって一義的に決定できませんので、ここでは便宜的にKeelingが観測を行った40年間程度の期間について、現状と同程度の状態であったとして、過去40年間に蓄積された量を求めることにします。
儔=40×qin(1−γ)=40×218.2(1−0.9853)=128Gt
明日香グループのモデルでは、放出源ごとのCO2を区別しないので、この内、化石燃料の燃焼による部分は、
儔*=128×6.4/218.2=3.75Gt
大気に含まれる人為的な化石燃料燃焼によるCO2濃度 : 385×3.75/762=1.9ppm
B人為的化石燃料燃焼の減少による影響
ここでは極端な例として、qin*=0.Gt/年の場合を考えます。
吸収率 : γ=qout/qin=215/(218.2−6.4)=1.0151
1年当たりの大気中CO2減少量 : 儔=qin(1−γ)=211.8×(−0.0151)=−3.2(Gt/年)
つまり、200年余りで大気中のCO2濃度は0ppmになります。明日香グループのモデルでは、大気中のCO2濃度が0ppmになった段階でγ=1.0に変更するのでしょうか?その意味でも明日香グループの蓄積モデルは完結しておらず、支離滅裂と言わざるを得ません。
大気中CO2濃度減少量 : −385ppm(???)
明日香グループの蓄積モデルでは、放出源を区別しないので、蓄積されたCO2量に含まれる人為的なCO2量は放出量全体に占める人為起源の放出量の比率にしたがうことになる。
4.結論
以上、4回にわたって大気中CO2濃度についてのモデルを検討してきました。今回紹介した3種類のモデルのうち、いずれが最も自然現象としての大気中CO2濃度を表現するモデルとして適切であるかが問われているのです。とりあえずモデルとして完結しているのは槌田の循環モデルと標準的な蓄積モデルであろうと考えられます。
明日香グループのモデルは、自然起源のCO2放出と化石燃料の燃焼によるCO2放出を区別しないと主張していますが、それでは彼らの言うように、近年観測されている大気中CO2濃度上昇の主要な原因が化石燃料の燃焼であるという主張を説明することが出来ないのです。つまり彼らの主張は論理的に破綻しているのです。
また、彼らのモデルでは、化石燃料の燃焼をやめると、大気中のCO2濃度は産業革命以前の状況どころか、0ppmになるまで減少し続けるという、およそ不合理なモデルであり、検討に値しません。
次に標準的な蓄積モデルですが、これは従前から言われているように、数値モデルとしてはそれなりに完結しているのでしょうが(?)、自然起源のCO2と化石燃料の燃焼によるCO2を区別しなければならないという極めて不自然なモデルであり、やはり自然現象を表すモデルとしては不適切だと考えます。
以上から、大気中のCO2濃度を表すモデルとしては、槌田による循環モデルが最も適切であると考えます。『人為的』CO2地球温暖化仮説を信奉する研究者は、この問題を克服できない限り、『人為的』という表現を使うべきではないでしょう。槌田の循環モデルによって、人為的CO2地球温暖化仮説は葬られたのです。次回からは、槌田−近藤による気温と大気中CO2濃度の関係についての問題に話題を進めます。
(続く)
さて、前回までの検討から、明日香グループの蓄積モデルが破綻していることを示しました。
今回は、彼らの意図を慮って(笑)、それなりに完結したモデルを示すことにします。ただし、そのためには、彼らの但し書きを取り消さなくてはなりません。つまり、人為的な化石燃料の燃焼によって放出されたCO2だけが『選択的に』特殊な挙動をするということを受け入れることにします。
そのため、人為的な化石燃料の燃焼によって放出されたCO2とその他の『自然』起源のCO2とに対して、別々の吸収率を設定することにします。ここでは区別を明確にするために、人為的な化石燃料の燃焼によって放出されたCO2に関しましては*をつけて表すことにします。即ち、
■『自然』起源のCO2に対する値 :
γ=(qout−qout*)/(qin−qin*)=1.0
■人為的な化石燃料の燃焼によって放出されたCO2に対する値 :
γ*=qout*/qin*=0.5
この表記を用いることによって、彼らのモデルの漸化式を書きなおします。
Qi=Q(i-1)+(qin−qin*)(1−γ)+qin*(1−γ*), (i=1,2,・・・)
このように、選択的蓄積仮説は自然部分と人為部分の線形結合で表現されることになります。右辺第1項の残存率は、(1−γ)=0. になるため、結論的に次の関係を得ます。
Qi=Q(i-1)+qin*(1−γ*), (i=1,2,・・・)
明日香グループは、人為的な化石燃料の燃焼によって放出されたCO2だけを特別扱いすることを避けたかったのでしょうが、『人為的な化石燃料の燃焼によって放出されたCO2が近年観測されているCO2濃度上昇の原因』と言う彼らの主張を正当化するためには、従来通り『人為的CO2選択的蓄積仮説』以外に可能なモデルは無いのです。このモデルに対して、IPCC2007年の数値を当てはめると、以下の通りです。
qin*=6.4(Gt/年)、 ∴qout*=qin*・γ*=6.4×0.5=3.2(Gt/年)
qin+qin*=218.2(Gt/年)、 ∴qin=211.8(Gt/年)=qout
さて、問題は現実社会の問題として、CO2地球温暖化対策として、「人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出量を減少させよう」と叫ばれているわけですが、この選択的蓄積仮説を使って、その効果を検討してみましょう。
極端な例として、人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出量qin*をゼロにした場合にはどうなるのでしょうか?前出の関係式から、数値は次のように変わります。
qin*=0.(Gt/年)、 ∴qout*=qin*・γ*=0.×0.5=0.(Gt/年)
qin=211.8(Gt/年)=qout
qin*=0.(Gt/年)になった年を初年度としてn年後の大気中CO2量を計算すると以下の通りです。
Qn=Q0+qin(1−γ)+qin(1−γ)+・・・+qin(1−γ)=Q0
つまり、大気中CO2濃度は定常状態になり、全く変化しないのです。
残念ながら、人為的な化石燃料の燃焼量を減らしても、大気中のCO2濃度を減少させることは不可能という結果にならざるを得ないのです。
(続く)
さて、前回の続きです。前回は、明日香グループの支離滅裂な主張に付き合って(笑)、思いつくままに批評を加えたので、多少支離滅裂になってしまいました。今回は少し反省して、整理して批評することにしましょう。
まず、『議論18』における明日香グループの槌田批判が全く頓珍漢なものになっている根本的な原因は、そもそも彼らは特殊なCO2蓄積モデルについて議論しているのに対して、槌田はCO2循環モデルを提案しているのであって、モデルが異なるのですから数学的な表現が異なるのは当然なことなのだということを理解せぬまま、彼ら明日香グループが思いつきの行き当たりばったりの批判をしていることに原因があります。
彼らが誤りだといっているのは槌田の循環モデルを全く理解していないことに原因があります。あるいは槌田が彼らの蓄積モデルを誤解していると『誤解』したことに原因があるのです。ここで問題を整理しておきましょう。槌田のモデルを批判しようと考えるならば、
@循環を表すモデルの数学的な表現が誤っている点を指摘する
Aそもそも循環モデルがCO2濃度を表現するモデルとして誤っている(明日香グループの蓄積モデルが正しい!)
といういずれかの方法になると考えられます。
前回紹介したとおり、槌田の示した循環モデルないしその数学的な表現である級数モデルは、一般的に物質の入出力のある定常系の数学的なモデルとして、ごく普通に採用されているものであって、離散的な表現として、間違いはありません。
故に、明日香グループが槌田の循環モデルを批判するならば、その方法はAに従って、モデルの基本的な考え方そのものの誤りを指摘する必要があり、また、明日香グループの蓄積モデルがより優れていることを論証するのでなければなりません。
前回も示した通り、明日香グループの主張を全て満足するような難解で複雑なCO2蓄積モデルを構想することは、浅学非才な私には無理なのですが、彼らの示した式が正しいものとして、彼らのモデルを類推することにします。もし誤りがあれば、明日香さん、何時でも指摘してください(笑)。
1.槌田による循環モデル
1-1 基本的な条件
槌田による循環モデルの基本的な条件は、大気中に存在するCO2は、地表環境の放出源の如何、放出年次の如何を問わず、環境条件によって定まる同一の吸収率で地表環境に吸収されるという条件です。
1-2 数学的表現
大気中に存在するCO2の炭素換算重量をQ(Gt)、1年当たりの地表環境から大気へのCO2放出量をqin(Gt/年)、1年当たりの大気から地表環境へのCO2吸収量をqout(Gt/年)とします。槌田モデルにおける吸収率は次式によって定義します。
r=qout/Q (1/年)
ある着目年次の当初における大気中のCO2量の初期値をQ0(Gt)とし、期間の初めに着目年度の地表環境からのCO2放出量が加わるものとすると、大気中のCO2の総量はQ=(Q0+qin)になります。しかしその1年間で大気中から地表環境へqoutだけCO2が吸収されます。よって、着目年度期末において大気中に存在するCO2量は次の式で表されます。
Q0+qin−qout=Q0+qin−Q・r=Q0+qin−(Q0+qin)・r=Q0(1−r)+qin(1−r)=Q1
この関係を漸化式で表すと次の通りです。
Qi=Q(i−1)(1−r)+qin(1−r), (i=1,2,・・・)
2年目期末の大気中に存在するCO2量は、
Q2=Q1(1−r)+qin(1−r)
={Q0(1−r)+qin(1−r)}(1−r)+qin(1−r)
=Q0(1−r)2+qin(1−r)+qin(1−r)2
i=n年目期末における大気中に存在するCO2量は、
Qn=Q0(1−r)n+qin(1−r)+qin(1−r)2+・・・+qin(1−r)n
ここで、循環モデルがなぜ等比級数の和になるのかを考えてみましょう。循環モデルでは、大気中に存在するCO2は放出源や放出年次に関わらず、一旦大気中に放出されてしまえば皆同じように振舞うと考えられます。去年放出されたものであろうが一昨年放出されたものであろうが、区別をつけることは出来ません。
そうすると、r<1.0である限り、必ず過去に放出されたCO2も大気中に残存しています。吸収されずに残ったCO2も、大気中に存在し続ける限り、吸収率rで毎年吸収され続けるのです。その数学的な表現が級数という形になるのです。
2.明日香グループの蓄積モデル
明日香グループの言う蓄積モデルは、かなり不可解ですが、彼らの示した数式を正しいものとして推測することにします。
2-1 数学的表現
明日香グループの蓄積モデルでは、吸収率γは、地表環境から放出されるCO2量qinの内のqoutだけが吸収されるとした場合次のように定義します。
γ=qout/qin
彼らの蓄積モデルのn年目期末の大気中に存在するCO2量は次の式で表されます。
Qn=Q0+qin(1−γ)+qin(1−γ)+・・・+qin(1−γ)=Q0+n・qin(1−γ)
この彼らの式を元に、敢えて漸化式に書き直してみます。1年目の期末の大気中CO2量は、
Q1=Q0+qin−qout=Q0+qin−qin・γ=Q0+qin(1−γ)
この関係を漸化式で表すと次の通りです。
Qi=Q(i−1)+qin(1−γ), (i=1,2,・・・)
この表示を槌田の循環モデルと比較することによって、その違いが明らかです。以下、2年目、3年目期末の大気中CO2量を示しておきます。
Q2=Q1+qin(1−γ)={Q0+qin(1−γ)}+qin(1−γ)
=Q0+qin(1−γ)+qin(1−γ)
Q3=Q2+qin(1−γ)={Q0+qin(1−γ)+qin(1−γ)}+qin(1−γ)
=Q0+qin(1−γ)+qin(1−γ)+qin(1−γ)
つまり、明日香グループの蓄積モデルは、着目年に地表環境から放出されたCO2量qinの一部だけが地表環境に吸収され、着目年より前に大気中に蓄積されていたCO2は一切地表環境に吸収されないことを主張しています。これが槌田の循環モデルとの決定的な違いなのです。
2-2 モデルの意味
明日香グループの蓄積モデルと循環モデルの違いは一目で分かります。彼らのモデルでは、地表環境から放出されたCO2は初年度に吸収率γで地表環境に吸収された後は地表環境に一切吸収されないということを示しています。これについて、彼らは議論18において『すなわち、槌田氏が主張しているような「ある年に人間活動によって放出されたCO2は、その年のうちに3割が吸収され、次の年には残りの7割のうちの3割がさらに吸収されるという過程が無限に繰り返される」という意味ではない。』と述べていますので、この解釈で間違いないと考えられます。
もう一つ特徴的なのは、前回も述べましたが、この蓄積モデルでは、定常状態を表す条件はγ=1.0=qout/qinであり、その時の大気中CO2量Qはqout、qinとは全く独立に任意の値を取ることができるのです。
3.考察
3-1 二つのモデルのグラフ
以上示した二つのモデルについて、qin、r、γが一定の場合の経年変化を示したのが『議論18』の図14です。このグラフから二つのモデルの特徴が良く判ると思います。
槌田モデルは、急速に定常状態に収束していきます。これに対して明日香グループの蓄積モデルは線形的に増加し続けることになります。
初期状態としてある定常状態Q0にある系があったとします。そこから、qinが少しだけ増加したとします。槌田モデルではQの増加に伴ってqoutが増加し、急速に新たな定常状態に収束します。
これに対して明日香グループの蓄積モデルでは、定常状態から少しでもqinが増加すると、Qは永久に増加し続け、無限大に発散することになります。
自然現象を考えた場合、定常状態から多少の変動があったとしても、急速に新たな定常状態に収束するのが一般的な応答です。明日香グループのモデルも含めて、蓄積モデルではほんの少しでもqinが増加すると定常状態に収束することなく発散してしまうことになります。これは自然現象を表すモデルとしては致命的な欠陥である様に思います。
3-2 大気中に存在する人為的な化石燃料の燃焼によるCO2はどの程度なのか?
さて、ここでは二つのモデルを使って、IPCC2007年による炭素循環図の数値(qin=218.2Gt/年、qout=215Gt/年、Q=762Gt)を使って実際の大気中CO2濃度について考えてみることにします。
槌田モデルについては前回既に算定していますので、その値を再度示しておきます。吸収率はr=215/762=0.282です。現在の大気中に含まれる人為的な化石燃料の燃焼によるCO2量は22.4Gt、CO2濃度で11.3ppmに相当します。現状で人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出をゼロにした場合、大気中CO2の減少量は11Gt、CO2濃度で5ppmになります。
明日香グループの蓄積モデルについて算定します。吸収率はγ=qout/qin=215/218.2=0.9853(明日香グループが言う0.5とは全く異なります。)になります。人為的な化石燃料燃焼によるCO2放出量は6.4Gt/年です。仮に、この状態が過去40年間継続しているものとすると、この期間中に大気中に蓄積されたCO2量は、
40×218.2×(1−0.9853)=128.3Gt
その中で、人為的な化石燃料燃焼によるCO2量は次式で計算されます。
40×218.2×(1−0.9853)×(6.4/218.2)=3.76Gt
になります。現在の大気中CO2濃度を385ppmだとすると、人為的な化石燃料燃焼によるCO2の濃度は、
385×(3.76/762)=1.9ppm
になります。明日香グループは、Keelingが観測を始めて以降に増加した大気中CO2濃度70ppm程度は全て人為的な影響と言いますが、彼らのモデルを使って実際に計算するとわずか1.9ppmにすぎないのです。これは槌田の循環モデルよりもはるかに小さな値になります。それは違うと言う声が聞こえてきそうです(笑)。
なぜこういう結果になったのか?これは彼らの但し書き(人間活動によって放出されたCO2分子が選択的に吸収されるという主張は含まれていないことに注意)に従って、qinに対してCO2放出源によって区別せずに共通の吸収率γを用いた結果です。
つまり、人為的な化石燃料の燃焼によるCO2に対して『選択的に』その半量程度が大気中に蓄積するとしない限り彼らの主張は成り立たないということなのです。具体的には、人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出量6.4Gt/年に対してだけ特別な吸収率γ=0.5を設定してやらなければ実現できないのです。
明日香グループは但し書きまで書いたように、人為起源のCO2だけを特別扱いすることはあまりにも不自然なのでこれを避けようとした節がうかがえますが、これがかえって混乱を招いたと言うことでしょう。
3-3 結論
以上の検討を総合して、仮にCO2地球温暖化仮説が現実であるとしても、近年観測されている大気中CO2濃度の上昇量はどのようなモデルを用いても人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出の影響は極めて小さい。故に、ここに『人為的』CO2地球温暖化仮説は否定されたのです。
(続く)
さて、今回から数回にわたって、『地球温暖化懐疑論批判』の槌田-近藤の気温と大気中CO2濃度の関係についての考察に対する「批判」の内容について紹介するとともに、これが全く頓珍漢な主張であることを示すことにしましょう。
この気温と大気中CO2濃度の議論が行われるきっかけとなったのが、良くご存知のC.D.Keelingが南極とハワイのマウナロアにおいて大気中CO2濃度の連続精密観測を行い、そのデータの蓄積があったからです。その意味でKeelingの果たした功績は非常に大きなものです。ただし、観測者としてのKeelingの功績はともかく、得られたデータについての彼の解釈が自然科学的に正しいか、となると話は全く別問題です。これを同一視してしまうところに明日香グループの思考停止ぶりが現れているようですが・・・。
Keelingは、彼の大気中CO2濃度の連続観測データと人為的な化石燃料の燃焼によって大気中に放出されるCO2量を比較して、人為的なCO2放出量の半量程度が大気中に蓄積したとすると良く説明できると考えました。この辺りについては私は原著を読んでいないために、Keelingが言った内容が単に量的に見ると大気中CO2濃度の上昇量が人為的CO2放出量の半量に相当する量だと言ったのか、あるいは人為的CO2放出量の半量が蓄積したことによって大気中CO2濃度の上昇が起こったと言ったのか定かではありません。ただし、人為的CO2蓄積仮説(以下蓄積仮説と呼ぶ)を信奉する方々は後者であると信じています。即ち、
『近年観測されている大気中CO2濃度の上昇は、人為的な化石燃料の燃焼に伴うCO2放出量の半分程度が大気中に蓄積された結果である』
と主張するのです。
槌田-近藤の主張の根幹にあるのは、人為的に放出された化石燃料燃焼に由来するCO2の、しかも半量だけがどうして大気中に蓄積され続けるのか、その合理的な説明が全くなされていないことに対する疑問に端を発しているのです。
大気を巡る炭素循環について考えることにしましょう。皆さんご承知の通り、地表環境(海洋も含む)と大気(主に対流圏大気)の間には大きな炭素の循環構造が存在します。地表環境に存在する炭素は鉱物的なものなどの無機炭素と生態系や土壌などに含まれる有機炭素が存在します。大気中の炭素は主に気体の二酸化炭素=CO2です。
地表環境からは生態系の呼吸あるいは風化作用などによって絶えずCO2が大気に放出されています。同時に大気中に含まれるCO2は地表生態系の光合成や、雨水あるいは海洋への溶解などによって地表環境へ吸収されています。人為的な化石燃料の燃焼が小さかった産業革命以前においても、膨大な炭素が地表環境と大気の間で循環していました。
産業革命以前の大気中CO2濃度が定常的であったとされていますが、これを現象的に解釈すれば、地表環境と大気との間に炭素循環がなかったわけではなく、平均的に見ると地表環境からのCO2放出量qinと大気から地表環境への吸収量qoutがほとんど均衡していたからなのです。その結果として、大気中にはCO2が定常的にQだけ存在していたということなのです。定常状態では大気中に存在する炭素量Qの一定割合r(仮に吸収率と呼ぶ)が地表環境に吸収されていたのですから、次の等式が成り立つことになります。
qout=Q・r=qin
大雑把な数値で恐縮ですが、産業革命以前の状態ではqin=qout=200Gt/年、Q=600Gt程度、つまり吸収率r=1/3=0.333程度であったと考えられています。実際には、この式に示されたqin、qout、rそしてQは不変ではなく、環境条件の変化によって常に変動しているのです。
では、現在の炭素循環はどのようになっているのでしょうか?これについて明日香グループの好きなIPCCの2007年の報告からの数値を気象庁がまとめた図をHP管理者からNo.421から再度紹介しておきます(数値は炭素重量)。
この図に示された数値をまとめると以下の通りです。
陸域のCO2放出量=1,196+16=1,212億トン/年=121.2Gt/年=qin1
陸域のCO2吸収量=1,200+26+2=1,228億トン/年=122.8Gt/年=qout1
海域のCO2放出量=706+200=906億トン/年=90.6Gt/年=qin2
海域のCO2吸収量=700+222=922億トン/年=92.2Gt/年=qout2
化石燃料燃焼によるCO2放出量=64億トン/年=6.4Gt/年=qin3
以上をまとめると、大気へのCO2流入量は、
qin=qin1+qin2+qin3=218.2Gt/年
同じく、大気からのCO2流出量は、
qout=qout1+qout2=215Gt/年
大気中に存在するCO2量は、Q=5,970+1,650=7,620億トン=762Gtですから、
r=215/762=0.282
ということになります。
ではここで、『地球温暖化懐疑論批判』の42頁の『議論18』記述を具体的に見ていくことにしましょう。
「人間活動によって放出されたCO2のうち、約3割が海洋や森林に吸収される」@(5割と言った方が実態には近いが、槌田氏の議論に合わせて3割という値を使う)という表現がよくなされる。これは丁寧に言い換えれば、A「森林や海洋はCO2を放出したり吸収したりしているが、地球全体では現在正味で吸収となっている。その1年間の吸収量は、同じ年に人間活動によって放出されるCO2量の約3割にあたる」という意味である(人間活動によって放出されたCO2分子が選択的に吸収されるという主張は含まれていないことに注意)。すなわち、槌田氏が主張しているような「ある年に人間活動によって放出されたCO2は、その年のうちに3割が吸収され、次の年には残りの7割のうちの3割がさらに吸収されるという過程が無限に繰り返される」という意味ではない。
@(5割と言った方が実態には近いが、槌田氏の議論に合わせて3割という値を使う)
これは全く明日香グループの勘違いです(笑)。批判するためには相手の主張を良く理解しなければ、全く頓珍漢なものになってしまいます。
明日香グループがここで述べている5割という数値は、彼らの蓄積仮説では、人為的な化石燃料燃焼によるCO2放出量の5割程度が蓄積する(=逆にいうと、5割が吸収されている)と考えているということです。IPCC2007年報告の数値を使えば、年間のCO2増加量は、
qin−qout=3.2Gt/年=0.5×6.4Gt/年=0.5qin3
になると言っているわけです。
しかし槌田が述べている約3割というのは、人為的なCO2放出を含めた大気と地表環境の炭素循環における地表環境の吸収率r=0.282のことであり、全く意味が異なっているのです。槌田はCO2蓄積説を否定しているのであって、もともと人為的CO2放出量の5割が地表環境に吸収されるなどという主張には与していないのです。正に頓珍漢なコメントです。
A「森林や海洋はCO2を放出したり吸収したりしているが、地球全体では現在正味で吸収となっている。その1年間の吸収量は、同じ年に人間活動によって放出されるCO2量の約5割にあたる」という意味である(人間活動によって放出されたCO2分子が選択的に吸収されるという主張は含まれていないことに注意)。
これはまた、困ったことを言い出しました(笑)。明日香グループの蓄積説は一般的なものとは異なるようです。これはどちらかというと産総研の阿部氏の説に近づいたようですが、はっきり言ってむちゃくちゃな(笑)理論です。
まず、但し書きにわざわざ(人間活動によって放出されたCO2分子が選択的に吸収されるという主張は含まれていないことに注意)と書いてしまいました。これをそのまま素直に受け止めれば、IPCC2007年の数値を使えば、年間に大気中に放出される218.2Gt/年の内の3.2Gt/年分だけが大気中に蓄積するという意味になります。ということは、ここに含まれる人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出の影響は、
3.2×(6.4/218.2)=0.094Gt/年
ということになります。これでは明日香グループが主張するように、Keelingが観測を初めて以来増加した70ppm程度の増加が人為的な影響という主張を全く説明できないのです。
明日香グループが主張するように、近年観測されている大気中CO2濃度の上昇が人為的な化石燃料の燃焼によるという主張と整合性を保つためには、あくまでも人為的に放出されたCO2の5割程度が選択的に蓄積されなければならないのです。彼らの主張は論理的に破綻しているのです。
ではもう少し検討を進めましょう。まず最初に、明日香グループの特殊なCO2蓄積仮説の話は一旦おいて、一般的なCO2蓄積仮説について考えることにしましょう。
産業革命以前では、地表から大気へ放出されるCO2量と大気から地表へ吸収されるCO2量が均衡して、大気中のCO2濃度は定常的であったと考えられています。CO2蓄積仮説では、産業革命以前の定常的な『自然の』炭素循環構造は維持されたまま、これとは別に人為的な化石燃料の燃焼によって増加した付加的なCO2放出の一部が大気中にとどまり、大気中のCO2濃度を上昇させると考えました。
これについてKeelingの観測結果から、人為的CO2排出量の50%程度が大気中に蓄積するとされました。では、残りの50%は一体どこに消えてしまったのでしょうか?これがいわゆるミッシングシンクと呼ばれるものでした。これについては未だに合理的な説明が存在しません。
さて、では明日香グループの特殊なCO2蓄積仮説です。彼らはミッシングシンクの問題は存在しないとします。その回答はここに記されているように、『人為的な化石燃料の燃焼によって増加したCO2量の半量程度に見合うCO2が地表環境に吸収されている?!』というものです。
何だ、簡単なことではないかと言ってはいけません。もしこれを認めるのならば、人為的な化石燃料の燃焼によって増加したCO2の挙動は自然の炭素循環と全く同じ構造であるということなのです。当たり前のような気がしますが、この主張は蓄積仮説にとっては致命的な汚点(笑)なのです。しかも明日香グループがここで但し書きしたように、一旦大気中に放出されたCO2が、他の放出源からのCO2と区別せずに地表環境に吸収されるというのであれば、これは最早全く自然の炭素循環とは区別できないということなのです。それ故、従来の一般的な蓄積仮説ではミッシングシンクの問題を残しながらも、安易に地表環境に吸収されるとはしなかったのです。
明日香グループの主張では、人為的放出量に見合うCO2については、初年度の吸収率がr=0.5であり、二年度以降はr=0であるということになります。これまた実に恣意的で不合理な仮定です。なぜ初年度と2年度以降の地表環境のCO2吸収率rが異なるのか、またその値が適用されるのが人為的な化石燃料燃焼に伴うCO2放出量だけなのか?この主張には何の現象的に必然的な理由は存在しないのです。
大気中に存在するCO2は、放出源の如何、あるいは放出年次の如何を問わず、同じように吸収率rで地表環境に吸収されると考える以外に合理的な解釈は存在しないのです。
では、炭素循環過程に基づいた定常状態を表す槌田の級数モデルについて紹介することにしましょう。議論を簡単にするために、1年毎の離散的な表現を用いることにします。初期状態において大気中に含まれているCO2量をQ0(Gt)
とし、残存率を(1−r)とします。地表環境から大気に放出されるCO2量をqin(Gt/年)
とします。
期末における大気中のCO2の残存量は、その年の初期値に年間放出量qinを加えた大気中CO2総量に残存率(1−r)を乗じた値になります。具体的には1年目期末では、
Q=(Q0+qin)(1−r)=Q0×(1−r)+qin×(1−r)
2年目期末では、1年目期末の値Q=Q0×(1−r)+qin×(1−r)に更に2年目分の年間放出量qinを加えた総量に残存率(1−r)を乗じた値になります。
Q={Q0×(1−r)+qin+qin×(1−r)}(1−r)=Q0×(1−r)2+qin×(1−r)+qin×(1−r)2
以下同様に考えて、n年目期末の残存量は次の通りです。
Q=Q0×(1−r)n+qin×(1−r)+qin×(1−r)2+・・・+qin×(1−r)n
(n+1)年目期首の大気中の二酸化炭素量はn年目期末の式にqinを加えることによって求められますので、等比級数の和の公式より次式で計算することが出来ます。
Q=Q0×(1−r)n+qin×{1−(1−r)(n+1)}/r
大気中のCO2量Qの定常状態は、n→∞の極限を求めることによって次のように表すことが出来ます。
Q=qin/r(=qout/r)
つまり、初期状態Q0の如何に関わらず、定常状態に達したときの大気中のCO2量Qは、地表環境からの入力qinと地表環境の吸収率rで決まるのです。これが冒頭に示した関係式の現象的な背景なのです。
大気中に放出されたCO2が放出源の如何にかかわらず一様に混合しているとすると、現在の大気に含まれる人為的な化石燃料燃焼によるCO2量を求めると、762×6.4/218.2=22.4Gtになります。現在の大気中CO2濃度を385ppmとすれば、これは、385×22.4/762=11.3ppmに相当します。
では、IPCC2007年の状況から、人為的な化石燃料燃焼によるCO2放出6.4Gt/年がゼロになった場合、つまりqin=qin1+qin2=211.8Gt/年になった場合について、大気中に存在するCO2量Qはどのように変化するのでしょうか?定常状態に到達しているものとして、その値を求めると次の通りです。
qin=211.8=0.282Q ∴Q=211.8/0.282=751Gt
つまり、人為的な化石燃料燃焼によるCO2放出の減少の効果は、大気中のCO2量を762Gtから751Gtに減らすのです。その割合は僅かに(751−762)/762=1.4%、現状の大気中CO2濃度を385ppmとすれば380ppmに減少するに過ぎないのです。ここで重要なことは、この結果は人為的な化石燃料燃焼によるCO2が大気中に一様に拡散していようが、あるいは偏在していようが結果には一切関わりないのです。
結論として、現在の大気中に存在する人為的な化石燃料の燃焼によるCO2量がどの程度であるのかに関わらず、地表環境と大気の間の炭素循環構造が成立している限り、人為的な化石燃料の消費を幾ら抑制してもその効果は微々たるものであり、大気中のCO2濃度はほとんど変化しないのです。
明日香グループの主張は、近視眼的に揚げ足取りをしているだけですが、全体として整合性のある大気中CO2濃度モデルを提起することの出来ない、めちゃくちゃな主張と言わざるを得ません(笑)。
彼らのいう正しい理論では、
したがって、人間活動によって放出されるCO2量をQ、森林や海洋による吸収量のQに対する割合をrとし、Qとrは時間変化しないと仮定すれば、大気中に残存するCO2量の正しい計算法は、
Q×(1−r)+ Q×(1−r)+ Q×(1−r)+...
ということになる。この数列の和は収束せず、人間活動によるCO2放出が続く限り大気中のCO2量は増えていくことになる。
だそうですが、これは全く噴飯モノです。
まず、最初に注意しておかなくてはならないのは、記号の問題です。彼らの表記のQはこれまで用いてきた表現を使うと人為的な化石燃料の燃焼によるCO2放出量であるqin3に相当するものです。次に、彼らの定義するrは炭素の循環構造で定義した大気中のCO2存在量に対する地表環境の吸収率rとは異なり、あくまでも人為的な化石燃料の燃焼によるCO2量であるqin3に対する地表環境の吸収率です。以下この違いを明示的に示すために、明日香モデル吸収率をγと書き表すことにします。この表現を使って彼らの主張を書き直してみると、
したがって、人間活動によって放出されるCO2量をqin3、その中で森林や海洋による吸収量のqin3に対する割合をγとし、qin3とγは時間変化しないと仮定すれば、大気中に残存するCO2量の正しい計算法は、
qin3×(1−γ)+qin3×(1−γ)+qin3×(1−γ)+...
ということになる。
となります。まず、γの定義が槌田のrの定義、ないし一般的な流入・流出のある系の定常状態を表すモデルとは全く異なります。槌田の級数モデルが間違いだというのではなく、明日香グループのモデルが極めて特殊で、そもそも考え方が全く違っているのです。
彼らのモデルでは、大気中のCO2濃度の定常状態はγ=1によって表現されます。彼らのモデルでは、地表環境と大気の間のCO2の移動量の差(qin−qout)によって大気中のCO2量が増減することは、槌田モデルと共通です。しかし決定的に異なるのは、定常状態における大気中のCO2存在量Qと地表環境と大気間のCO2移動量であるqoutあるいはqinとの関係です。
槌田モデルではQとqinあるいはqoutの間には密接な関係があり、吸収率を介して常にqout=Q・rという関係が成立し、定常状態においては更にqin=qout=Q・rの関係が成立するのです。
これに対して明日香グループの蓄積モデルでは、大気中のCO2存在量Qは、地表環境と大気間のCO2移動量であるqoutあるいはqinと全く独立であり、どのような値でもとることができるのです。これは非常に考えにくいことです。
地表環境の吸収率rは、現象的には地表環境の生態系の光合成速度、あるいは地表水面あるいは海面における吸収特性によって大枠が決まると考えられます。この両者は大気中のCO2分圧=大気中CO2濃度に概ね比例することが知られています。現象的に見ても、地表環境のCO2吸収率rは地表環境から大気中に放出されるCO2量qinではなく、大気中のCO2分圧=大気中CO2濃度つまりQに比例すると考えるのが合理的なのです。
次に、前述のように明日香グループは(人間活動によって放出されたCO2分子が選択的に吸収されるという主張は含まれていないことに注意)と但し書きしたのですから、CO2は放出源別に区別せず同様の挙動を示すと主張していると考えられます。つまり、化石燃料燃焼以外の放出源からのCO2もまた吸収率γ=0.5で地表環境に吸収されるということになります。つまり、IPCC2007年の数値を用いれば、地表環境から大気中へ放出されるCO2量であるqin=218.2Gt/年すべての内の5割程度が大気中に蓄積すると考えるべきでしょう。そうすると、大気中のCO2量は1年間に100Gt以上も増加することになってしまいます(笑)し、地表環境の吸収量qout=215Gt/年と全く整合性が取れません。整合性を取るためには、吸収率はγ=qout/qin=215/218.2=0.985でなければなりません。
このように、明日香グループの主張は部分的には辻褄があっているように見えても、『あちら立てればこちら立たず』(笑)で、全体として整合性のあるモデルなど全く定義できない支離滅裂な主張なのです。
(続く)
さて、掲題の本が手元に届きました。私は槌田氏の分と併せて2冊を送っていただきましたが、沖縄高専の中本氏は教材として50冊を発注されたそうですが、快く対応してくださったようです。届いた本はA4判のとても綺麗な冊子でした。
昨日、別件の用事があったために槌田氏と電話でお話ししましたが、件の本について『めちゃくちゃだね』と笑ったところです。明日香さんたちもだいぶあせっているのか、みっともない本を出してしまったものです。老婆心ながら、このような本を明日香氏個人ならいざ知らず、公的な機関の名の下に印刷物として残すことは、日本の自然科学者の汚点となるのではないかと思います。自分たちの都合の良い様につまみ食いしただけの揚げ足取りの本を出すために国税が使われたと思うと、釈然としませんが・・・。
ご覧になった方は既にご承知だと思いますが、この本自体が明日香氏がネット上で公開している『温暖化問題懐疑論へのコメント 明日香壽川・吉村純(2005年度環境経済・政策学会発表資料修正加筆版
Ver.1.12005年10月20日)』の焼き直しであるためか、このHPの私の大昔のレポートの内容や著書『温暖化は憂うべきことだろうか』(不知火書房:2006年)の記述について詳細に読み込んで(笑)、何点か引用されて『批判』しています。
最近も彼らはこのHPにアクセスしており、2006年以来このHPで検討してきている気温と大気中CO2濃度の関係についての一連の論考についても熟知しています。勿論、現在係争中の気象学会誌『天気』論文の存在、そして物理学会誌で行われているこの問題を巡る槌田−阿部(産総研)論争(笑)についても知っています。
それにもかかわらず、彼らは気温と大気中CO2濃度に関する一連の検討の結論である『気温が大気中CO2濃度の時間変化率を制御している』という主張には一切触れずに知らぬふりをしてしまっています。
前回このコーナーで紹介した、この問題についてただ一つ引用している『温暖化は憂うべきことだろうか』の図2.14に対して、阿部氏やネット上のMANTA氏の主張を援用して批判を試みるだけに終わっています。
ちなみに、物理学会誌においては、槌田氏による気象学会誌『天気』論文の紹介論文である『原因は気温高、CO2濃度増は結果』はすでに査読を終え、掲載が決定されているのですが、物理学会としてはこの論文を単独掲載することを嫌って、カウンター論文の執筆を産総研の阿部氏に依頼して、同時掲載すると言う方針なのですが、阿部氏の論文がいつまでたっても提出されないために長らく『店晒し状態』が続いています。想像するに、阿部氏も批判のしようがなく苦慮されているのだと思います。昨日電話で話した折に、槌田氏は『物理学会誌は阿部論文が提出されないことを理由に槌田論文の掲載を見合わせる可能性が高い』という感触を持っているということです。物理学会も気象学会同様、腐りきっているのでしょうか・・・。
さて話を戻します。こうした状況から、槌田-近藤による気温と大気中CO2濃度の関係について、正面からこれを論破することが出来ないと考えた明日香グループは、都合の悪い結論については知らぬふりを決め込み、議論を避けた、つまり事実上の『敗北宣言』がこの本の内容だと理解しています。
HP閲覧者から、前回このコーナーで触れた「頓珍漢な議論」について、具体的な例を示して欲しいと言うご要望がありましたので、次回は気温と大気中CO2濃度に関する問題について、多少具体的に紹介しようと思います。
(続く)
文部科学省科学技術振興調節費(戦略的研究拠点育成)プロジェクト”IR3S”サステイナビリティ学連携研究機構(東京大学、京都大学、大阪大学、北海道大学、茨城大学)から、反・CO2地球温暖化懐疑論をテーマにした書籍、IR3S/TIGS叢書No.1『地球温暖化懐疑論批判』が刊行されました。
執筆陣は、このHPでもお馴染みの面々の揃い踏みです。
東北大学 明日香 壽川
気象研究所 吉村 純
海洋研究開発機構 増田 耕一
海洋研究開発機構 河宮 未知生
国立環境研究所 江守 正多
国立環境研究所 野沢 徹
国立環境研究所 高橋 潔
海洋研究開発機構 伊勢 武史
国立極地研究所 川村 賢二
東京大学 山本 政一郎
この書籍は、国税を使って作られたもので、希望者には無料配布されます。国税の有効利用の為に皆さんも是非入手することをお勧めいたします。入手方法ですが、下記URLにアクセスして、
http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/sosho
ページ右上の『問い合わせ』をクリックしてフォームに従って、「IR3S/TIGS叢書No.1『地球温暖化懐疑論批判』希望。」と書き、郵送先を連絡してください。
内容につきましては、既に有名な著者の方々の日頃の主張はご存知の方が多いと思いますので、特に目新しいものはそれ程ありません。驚いたことに、このHPの私の主張なども取り上げていただきまして、感謝しております。
ただ、つまみ食いの揚げ足取りであったり、彼らの理解能力の限界から、折角立派な本にした割にはレベルが低いのが残念です。しかし、人為的CO2地球温暖化妄信者の主張が一つにまとまった『好著』であることは間違いありません。折角無料で配布されていますので、国税の有効利用のためにも是非あなたも1冊お手元においてはいかがでしょうか?すぐにご覧になりたい方は、前掲のURLからPDFファイルをダウンロードできますので、お試しください。
このHPのオリジナルの主張に対する批判を紹介しておきます。
p32〜:Keelingのグラフについての解釈が記されています。ここで、槌田-近藤による月平均海面水温偏差の時間変化率と大気中CO2濃度の時間変化率を併記したグラフが引用されました。この本が私たちの検討結果のグラフを引用した最初の書籍になります。さすが、です。ただしコメントは頓珍漢ですが・・・(笑)。
p42〜:大気中のCO2濃度についての槌田の級数モデルを誤りだと紹介しています。しかし彼らの主張を見ていると読んでいるこちらが赤面してしまいます。こんなことを書いてしまって、研究者生命に関わらないのでしょうか?
後は冊子を入手された上で、このHPの主張、例えば、
の各レポートと読み比べていただき、判断していただければよいかと思います。
(続く)
「地球温暖化懐疑論批判」発行の経緯と経歴詐称の意味 (2010/03/15)