「名城商学」第48巻第4号1999年3月 名城大学商学会
名城大学 槌 田 敦
§1 環境問題における『常識』を再検討する
§2 物質循環と持続可能性について
§3 人間社会の物質循環を制御し,自然の物質循環に繋ぐ
§4 森林と農地の喪失をどうするか
最近,環境問題の話題は単純になってしまった。『炭酸ガス温暖化防止』『オゾンホール原因のフロン廃止』そして『ごみゼロ社会ヘリサイクル推進』など当面の政治課題に振り回され,「環境破壊とは何か」,「どのようにすれば環境汚染になるのか」,「社会の持続可能性はどのようにすれば得られるのか」などの基本問題は放置されたままになっている。
しかも,これらの『炭酸ガス温暖化』,『オゾンホール』,そして『リサイクル』の議論そのものが間違っている。
この研究ノートでは,自然の循環と社会の循環に注目して,持続可能性の条件(社会の活動を維持する条件)を明らかにしたうえで,最大の環境破壊は世界の農地と森林の砂漠化であることを示し,その原因となっている穀物の過剰生産,自由貿易,累積債務について論ずる。
§1 環境問題における『常識』を再検討する
1-1 炭酸ガス温暖化脅威説について
大気中の炭酸ガス濃度と気温は確かに関係する。たとえば,南極ボストーク基地の氷の分析から過去22万年にわたって大気中の炭酸ガス濃度と気温は同じような挙動を示している。これらの事実から「地球は人間の発生した炭酸ガスで温暖化する」と多くの人々は信じてしまった。
しかし,同時にふたつの現象が生じている時,どちらが原因でどちらが結果かを考える必要がある。または,別に原因があって,両者ともにその結果かも知れないのである。
根本順吉氏の本(1)にも書かれているが,大気中の炭酸ガス濃度の長期観測者で知られるハワイ・マウナロア観測所のC.D.Keelingらの報告(2,3)によれば,気温が上がった半年から1年後,またエルニーニョ発生の1年後に炭酸ガスが増えている。
そして,平均気温の変化は太陽黒点の数の変化と対応している(2)。また,過去350年にわたって北極圏の気温の変化は太陽光の照射量に関係し,大気中の炭酸ガス濃度はそれに遅れて続くことも示されている(4)。さらに,世界各地からの報告によれば,ピナツポ火山の噴火後の2年間,炭酸ガス濃度は増えていない。炭酸ガス温暖化説によれば大気中に溜まるはずの人間の発生した炭酸ガスはこの間どこかヘ完全に消えてしまったことになる。
人間の発生した炭酸ガスが大気中に溜まるとした根拠は,海洋では表層水と深海水の交換がほとんどなく,海洋は大気中の炭酸ガスをほとんど吸収しないと考えられたからである。しかし,表層水には深海水の湧昇によって炭酸ガスと有機物が大量に供給されている。そしてこの有機物は表層水の酸素で酸化されるので,炭酸ガスはさらに追加されている。これは海洋生態系の原料となるが,結局は海洋動物の糞という形で,有機物はふたたび深海に沈降していく。大気と深海水の間で炭酸ガスの交換が少ないとすることは誤っている。
したがって,これらの事実から太陽活動の変化と地球受光能の変化が気温の変化を引き起こし,気温(海面温度)変化が大気中の炭酸ガス濃度の変化を生じさせていることが分かる(5)。炭酸ガスによる地球温暖化を主張する自然科学者は,
これらの事実を無視しているとしか言いようがない。
ところで,炭酸ガスは温暖化ガスである。地表から出る遠赤外線を吸収して地表の放射冷却を防ぐ二次効果は無視できない。しかし,地表を暖めている温暖化ガスの筆頭が水蒸気であることを忘れてはいけない。
熱帯や温帯の夏には大気中の水蒸気濃度が高く,炭酸ガスが多少増えたところでその影響はほとんどない。影響の出るのは,寒帯や温帯の冬である。温度が低いと大気中に水蒸気がほとんどないから放射冷却で寒くなる。ここで炭酸ガスが増えると暖かくなる。このような温暖化では夏の温度は変わらず,冬は暖かくなるのであって,人間にとってけっして困ったことではない。
そして,炭酸ガスで温暖化するとしても平均気温は2度上昇する程度という。それは古代文明の時代の温度になることで,その温度は人類がすでに経験していて,別に大騒ぎするほどのことではない。むしろ,これまでの気象学では,この温度の高い時期をヒプシサーマル(気候最適期)としていたのである。
温暖化で海水が増えるというのも正しくない。南極の周辺は溶けるかもしれないが,温暖化で水蒸気も増え,それが南極に流れこんで氷になることを考えると海水は逆に減ることになる。また,海水の熱膨張とかいうものも影響を受けるのは表層水だけだから,その膨張は5センチ程度にすぎない。
1-2 やはり寒冷化が心配
さらに,陸地の光合成は15度以上でなされる。そして地表の平均気温は15度である。つまり陸地の約半分で光合成ができない。したがって,寒冷化ならば光合成のできない土地がさらに増えて,食料が得られなくなって困るが,炭酸ガス濃度の上昇によるこの温暖化では食料の得られる土地が増えるのであって,決して悪いことではない。
1950年代,暖冬続きで地球の温暖化が問題になった。その頃南極の氷が溶けて海面が上昇し,都会が水没する恐れがあると騒がれた。ところが1970年代に入り,気温が上がらず,地球寒冷化が問題となった。実は,1940年以降,気温が徐々に下がっていることが確かめられた。そこで気象学者の多くは1980年ごろから,寒冬・冷夏がふえ,小氷河期の気候が近づくと予想した(6)。しかし,これは当たらなかった。
ところで,過去2万年の花粉,樹相,氷河からまとめた気温の変化(連邦研究協議会記録,1975)(7)によれば,7千年前に高温期があり,それ以後長期低下傾向にある。とくに注意すべきは,その間に3回,約2千年の間隔で,約2度の温度降下をもたらす小氷期がある。
前回の最高気温期は2千年前であるから,現在が最高気温期であり,間もなく気温が下がっていくとした1970年頃の気象学者の予想は無視できない。したがって,寒冷化こそ注意しなければならないのであって,『炭酸ガス温暖化脅威説』は世紀の暴論ということになる。
それだけでなく,特定の自然科学者の学説を信ずるのならば科学という名の宗教である。社会科学者は,その学説が合理的であるかどうかを自分で判断し,そのうえで環境問題での社会科学的対策を論ずる必要がある。信じあうことにより成り立つ学問などは存在しえないからである。
1-3 オゾンホールのフロン原因説について
『オゾンホールのフロン原因説』も正しくない。南極の春先,成層圏のオゾン濃度が少なくなるというのは事実である。しかし,フロンが原因でオゾンが減ったとするのは間違っている(5)。
オゾンホールの発生する春先の南極では太陽光は水平に入射する。そのため太陽光が成層圏大気を通過する長さは垂直入射の10倍以上となり,紫外線は大気中の微粒子によって宇宙へ向けてほぼ完全に散乱され,南極の低層の成層圏にあるオゾン層にはほとんど到達できない。(宇宙から見ると地球は青く,また地表で夕日が赤く見えるのは,太陽光の中の青い光が大気中の微粒子により散乱されるからである。紫外線は青い光よりも波長がさらに短いから,もっと強く散乱される)。
フロンがオゾンを破壊するという反応には紫外線が不可欠である。紫外線の少ない南極の早春,しかもマイナス90度という低温で,比較的安定な分子のオゾンが化学反応で消滅するなどと考えるのは非常識であろう。
フロンが南極のオゾン層を破壊するという説の根拠は,南極の高層成層圏で強い西風が吹き,その極渦がエアカーテンになって南極の成層圏大気を隔離している。オゾンの出入りがないのにオゾンが減るのだからここでオゾンが破壊されていなければならない,と。
この理屈は,西風の原因を考えていない。地球の自転により地球大地は西から東へ動いている。そのため,大気も西から東へ動いている。赤道の大気はもっとも早く動き,極付近の大気はほとんど動かない。そこで大気が赤道から極の方へ流れると,大気の方が大地よりも早く動くことになり,大地から見ると西風となる。(極から赤道の方へ大気が流れると東風となる)。南極の冬,その周辺で高層成層圏の大気が西風であるということは,高層の成層圏大気が赤道から南極へ向けて流れていることの証拠であって,エアカーテンなどという推理はとんでもない空想であった。
高層成層園大気が夏極から赤道を越えて冬極へ流れるのは,夏極では大気中のO2やO3により太陽光の紫外線の吸収で加熱され,冬極では大気中のH2OやCO2やO3から出る遠赤外線の宇宙への放射で冷却されるからである。
また,南極で,
この冷却がさらに進み極成層圏雲ができると,この極成層圏雲は大気よりも重いから落下する。この時,周りの高層成層圏大気を巻き込んで,引きずり降ろすことになる。
オゾン層のあるのは2〜3万メートル程度の低層成層圏であって,5万メートルの高層成層圏にはオゾンはほとんどないから,高層成層圏大気の供給される南極でオゾンが少なくなるのは当然である。犯人とされるフロンガスは濡れ衣を着せられたことになる。(5)
このように,最近の自然科学者による環境論議は学問を見失っている。社会科学者はこのような自然科学者の意見を単に多数だからという理由で信じてはいけない。『炭酸ガス温暖化脅威説』や『オゾンホールのフロン原因説』をいう自然科学者が多数なのは,政治や行政と繋がって研究費が得やすく,また発表の場がたくさんあるからに過ぎないのである。
1-4 リサイクルでは廃棄物問題は解決しない
社会科学の分野でも学問を見失っているという点では同様である。経済学者の提言によりごみゼロ社会を目指して多くの人々が『リサイクル』に取り組んでいる。しかし,実際には,このリサイクルは大失敗であった(8,9)。
それにもかかわらず,この失敗の原因を考えることなく,今でも『リサイクル運動』や『リサイクル行政』が続けられている。やはり経済学者も学問を見失い,失敗の原因を考えることなく,この運動や行政とつながり,「早くしないと間に合わない」とあせって行動するのを黙認しているのである。
リサイクルの失敗は,リサイクル商品の過剰供給が原因である。経済学では,昔,資源を希少性で定義していた。資源の供給は需要を超えてはいけないのである。需要を超えて供給される物品を自由財と言うが,無料の自由財では収入を得ることができないから,これを運ぶ商人がいなくなって,資源の供給が混乱することになる。
たとえば,古紙や古鉄を考えてみる。リサイクル運動のもっとも盛んだった1990年以後,これらのリサイクル商品は過剰に供給され,価格が下がって回収業者の経営は成り立たなくなり,次々と廃業していった。その結果,以前は台所で取引されたこれらの商品は,今では廃棄物処分場ヘ直送されるか,不法投棄されることになった。
リサイクルでは経済学で教えていた資源の定義が無視されたのだが,リサイクル運動の失敗を論ずる経済学者はいなかった。むしろ,リサイクル運動をもっと積極的におこなうため,リサイクル商品に補助金を出して供給すれば解決するかのように言う経済学者ばかりだった。商取引では商品と金銭は逆向きに動く。けれども,リサイクルの場合には,商品に金銭をつけて同じ向きに動かしてもよいと経済学者は言い,これに逆有償という名前さえつけた。
しかし,実は,物品と同じ向きに動く金銭は手数料であって,その物品は商品ではなく,廃棄物である。炭酸ガス温暖化脅威説やオゾンホールのフロン原因説の自然科学者と同様,経済学者も学問を見失ったとしか言いようがない。
1-5 地方自治体のリサイクル行政は失敗の上塗り
地方自治体がリサイクル活動を始めたのは,廃棄物処分場の不足であった。地方自治体は,補助金を出してでもリサイクルすれば処分場に投棄する廃棄物の量は減る。また処分場の建設に要する費用が廃棄物1トンあたり5万円ほどになるが,リサイクルに必要な費用は回収業者に払う補助金を含めトンあたり5千円から1万円程度で済む。そして困っている回収業者を補助金で助けることができる,と主張した。つまり,リサイクルは一石三鳥の妙案だった。
しかし,それは考え違いだった。リサイクルが失敗した原因はリサイクル商品の過剰供給だったのだから,自治体が補助金を出してリサイクルすることは,過剰供給をさらに拡大するだけで,ますますリサイクルの失敗を広げることになる(8,9)。
その失敗は次のような形で現れた。自治体には税収入の豊かなところと貧しいところがある。豊かな自治体ではこのようなリサイクル行政ができて,処分場へ捨てる廃棄物は確かに少なくなる。しかし,貧しい自治体ではそういう訳にはいかない。
以前は貧しい自治体でも,優良リサイクル商品には回収業者が来て買ってくれた。 しかし,
リサイクルによって需要が増えたわけではないので,廃棄物の量は変わらない。豊かな自治体の補助金付きの低級リサイクル商品がリサイクルされる分,貧しい自治体の優良リサイクル商品は廃棄物になる。補助金のつく悪貨が良貨を駆逐することになった。
そのうえ,豊かな自治体の処分場は公害対策が完備している。しかし,貧しい自治体では素掘りの処分場である。このことは,公害対策の完備した処分場へ捨てられるはずだった廃棄物が,素掘りの処分場へ捨てられることを意味している。
リサイクル運動やリサイクル行政には,供給を調節する能力はない。その結果,古紙や古鉄などが過剰に回収されて,回収業者の倉庫にあふれてしまった。倉庫代がかさむので,回収業者は,ただ同然の価格でこれらのリサイクル商品をアジアの各国に輸出している。外国でリサイクルされるというわけである。しかし,その輸出はこれらの国々の資源回収のシステムを壊し,回収業者を廃業させることになる。「廃業の輸出」である。
1-6 儲からないリサイクルはしてはならない
昔の経済学が教えていたように,やはり,需要を超して供給したら資源ではない。需要の範囲で供給するのならば,すべてのリサイクルは回収業者にまかせればよい。そうすれば,昔の日本のように良質の商品が有償で回収されることになる。
素人と行政は,
リサイクル活動に一切手を出してはいけない。リサイクルの失敗が分かってすでに10年近くたった。しかし,リサイクル関係の経済学者は,その失敗を認めようとはせず,リサイクル推進を現在も叫んでいる。今後,失敗の歴史をどのくらい続けることになるのであろうか。
リサイクルというのは,人間社会の中だけで資源の循環をしようとするのだが,
それではうまくいかない。リサイクルは,回収業者や製造業者が儲かる場合だけすればよいのである。特に,リサイクル商品の方が高価になる場合,この回収と再生作業に石油や化学薬品などを大量に消費しているに違いないのである。
§2 物質循環と持続可能性について
2-1 活動を維持する条件
リサイクル運動や行政は,『ごみゼロ社会』を目指した。そもそも,これが物理学を無視していて,間違っている(9)。
熱物理学によれば,どのような活動でも必ずエントロピー(汚染)を発生する。このエントロピーをそのままにしておくと,エントロピーが溜まって活動を続けることができなくなる。活動を続けるには,廃物と廃熱を捨てるという方法で,このエントロピーを処分しなければならない。
したがって,人間社会が活動を続ける限り,『ごみゼロ社会』にすることは不可能である。不可能なことを目的にすれば,失敗するのは当然である。
第1図 活動を維持する条件
このことをもう少し詳しく説明すると,どのような活動でも,これを維持するには第1図に示すように3つの条件が必要である。それは,@入力,A出力,B作動物質の循環である。(10)
ここで物質循環とは,物質の力学的運動や物理・化学的変化のつながりである。たとえば,ガソリンエンジンの場合,燃料と空気を取り入れて圧縮する。次に点火して燃焼させ,膨張させて仕事をさせる。そして,排気して,新しい空気と燃料を取り入れて,また同じことをする。
取り入れる空気と燃料はエントロピーの小さい入力であり,排気はエントロピーの大きい出力である。これにより,エンジンはエントロピー増大を免れることができて,活動を続けることができる。
また,
この物質循環によリエンジンの状態を復元することは重要であって,エンジンは,この「復元によりまた同じことをする」という方法で活動を統けることができる。工学者はこれをエンジンのサイクリック運転と言っている。
このエンジンの物質循環は,力を加えれば物が動くなどの力学の法則と温度を上げれば反応するなどの化学の法則の組み合わせでなされている。
これまで,活動はエントロピーの法則によっておこなわれるかのような誤解があったが,エントロピーはその増大則が否定されないかぎり,その他のことは何も主張しない。実際の運動や変化は,エントロピー増大則で実行されるのではなく,力学法則と化学法則によってなされている。
活動が,この力学法則と化学法則による物質循環によって維持されることは,エンジンの研究から得られた結論である。もしもエンジンの活動を維持できなければ飛行機は墜落することになるので,この活動維持の条件を見いだすことはエンジン研究の最大の課題であった。
生命も活動を維持するエンジンである。動物の場合,@入力として空気,水,食料,A出力として,運動,
排気,廃熱,排尿,排泄,B物質循環として血液やリンパ液などの循環や細胞の中の各種の化学サイクルがある。このいずれが止まっても回復しなければ死ぬしかない。生命も,普通のエンジンと同じく力学法則と化学法則による物質循環で活動を維持しているのである。
2-2 地球は熱エントロピー(熱汚染)を宇宙に捨てる星
第2図 地球エンジンの条件
地球環境も同じくエンジンである。地球上にいろいろな活動が数十億年も維持されたのは,第2図に示すように,地球の活動が@入力A出力B物質循環,というエンジンの3条件を満たしていたからである(10)。
@入力としては,気温15度の地表への太陽光の入射である。
A出力としては,マイナス23度の対流圏上空でのH2OとCO2による遠赤外線の宇宙への放射である。この放熱で地球に発生した余分の熱エントロピーを全部宇宙へ処分し,地球のエントロピー増大を防いでいる。
B物質循環としては,地表での加熱と対流圏上空での放熱で回る大気の循環がもっとも重要である。これは地球に存在する空冷の機構であるが,これにより風が吹くという活動が生ずることになる。
これに水の循環が補完している。上空から降りてきた大気は乾いているから,地表の水は蒸発する。この時,地表の熱を奪う。水冷である。
発生した水蒸気は大気の流れに乗って上昇するが,気圧が下がることにより断熱膨張で気温が下がって,結露し雲となる。この雲が発達して,雨や雪が降るという水の循環が,2番目に重要な地球の物質循環である。水蒸気が上空で結露する時その熱を大気に渡す。この熱も大気循環が宇宙に捨てている。
2-3 大気汚染は環境破壊の一例
環境破壊のひとつは,地球に存在するこの空冷と水冷の機構を壊すことである。これが壊れると地球上で発生した熱エントロピーを宇宙に処分できない。そうなれば熱的に一様になって,地球上の活動は止まってしまう。
大気は地表で暖められて軽くなり,上空で冷却されて重くなり,力学的に不安定になるから,循環できる。対流圏大気を汚すと上空が日光で暖められるので,大気は熱的に一様になって循環しなくなる。その結果は,地球上で発生した熱エントロピー(熱汚染)を宇宙に捨てることができなくなり,熱エントロピーは地球に溜まり,状態を復元してまた同じことをすることができなくなり,地球上の活動は止まることになる。
このように,大気汚染は熱汚染の原因である。気温の上がり下がりよりも,熱エントロピーの除去ができなくなることが問題なのである。これはヒートアイランドと呼ばれる都市気象ですでに分かっていることだが,最近ではインドネシアやブラジルでの焼畑による熱帯林の大火災の煙で広域にわたって熱帯の大気の状態を変えてしまった。これが最近の異常気象の一因ではないかと考えられる。
また,北極圏の大気は北半球の工場の煙と自動車や北極圏を飛び交う航空機の排気によって汚されている。その結果,北極圏の大気循環は滞ることになり,北極圏の気温を上げることになっている。
空冷を妨げることに加えて水冷を妨げることも環境破壊である。それは大規模な乾式農業と放牧と都市・道路でなされている。これにより世界各地で大気への水蒸気の供給が抑えられ,雨の量が減り,地表で発生する余分の熱エントロピーを宇宙に捨てる機能が阻害されている。
2-4 地球は物エントロビーを熱エントロピーに変換して,捨てる星
エントロピー(汚染)には2種類ある。熱エントロピーと物エントロピーである。地球は,熱放射によって熱エントロピーを宇宙に捨てている。しかし,地球は重力を持っているので,物エントロピーの大きい廃物を宇宙に捨てることができない。
したがって,もしも,地球に大気と水の循環だけしかなかったならば,地表には廃物があふれ,資源は枯渇して,すべての生命は終了することになる。
しかし,地球には,生命の集まりとしての生態系が存在する。この中を養分が循環している。養分というのは肥料分のことだが,これが陸地では土→植物→動物→微生物→土と循環する活動をしている。
この循環では,土から始まって土に戻るのだから,物エントロピーは元に戻り,増えていない。これではエントロピー増大の法則に反しているのではないかとの疑問が生ずる。この問題では,この生態系の循環によって余分の物エントロピーは熱エントロピーに変換されているのである。このことは,堆肥を作る時発熱していることからも分かる。
大気と水の循環は,この熱エントロピーも宇宙に捨てている。このように地球は物エントロピーを熱エントロピーに変えて宇宙に捨てるので,地球には,熱汚染と同様に物汚染も溜まることがなく,これまでいろいろな活動が存在できたのである(10)。
ところで,養分は水に溶けるから植物が吸収できる。しかし,植物は水に溶けた養分をすべて利用できるとは限らない。余った養分は下方へ流れていく。養分は,山から平野へ流れて平野の生態系を作る。そして海面に流れて海洋生態系を作り,結局は海洋動物の糞となって深海へ沈んでいく。深海は生命の墓場なのである。その結果,陸地も海面も養分不足となり,地球上の生態系は消滅することになる。
しかし,地球には大気循環を原因とする深海水の湧昇がある。風が吹くと海流が生ずるが,これにより深海水が涌き上がる。また,極洋の冬,海洋表面の海水はマイナス2〜0度に冷されて重くなって沈み,代わりに0〜3度の軽い深海水が湧き上がってくる。この湧昇によって深海の養分は海面に戻ってくる。
この深海から供給された豊富な養分は世界の海に流れ,そこで海洋生態系が復活し,漁場ができる。これを海鳥などの動物が引き上げ,陸地に糞をして,陸地に養分を補給することになる。これが別の動物により山の上まで運びあげられて,山に緑が復活する。この地球規模の養分の大循環のおかげで,人間社会も存在できることになる。
2-5 環境破壊とは自然の循環を破壊すること
大気の循環と水の循環を劣化・破壊することは環境破壊であると述べたが,この生態系の循環と養分の大循環を劣化・破壊することも環境破壊である。これらの循環を破壊すると,物エントロピーを熱エントロピーに変える機能を損なうので,地球上に物エントロピーが蓄積することになるからである。その結果,地球上の諸活動は滞ることになってしまう。
生態系を壊し砂漠化することは,地表を乾燥させて水冷の機能を壊すだけでなく,物汚染を処理する機能をも破壊してしまう。生態系を壊すことは大気汚染とともに重要な環境破壊である。
そこで, これらの大気の循環,水の循環,生態系の循環,養分の大循環をまとめて自然の循環ということにし,環境破壊を次のように定義する。
「環境破壊とは,自然の循環を破壊することである」
自然の循環が劣化し壊れると,地球上に発生する余分のエントロピーを宇宙に廃棄できなくなり,物や熱の汚染が地表や大気に溜まってしまうことになる。そして,自然は廃棄物から新しい資源を生産してくれなくなるので,資源の枯渇に直結することになる。
現在,多くの人々はあらゆる自然の変化に恐怖を抱いている。しかし,自然環境を大幅に変えた場合でも,自然の循環を損なわなければ,その自然の変化に恐怖を抱く必要はない。 むしろ,人間が積極的に自然を変更して,自然の循環を豊かにすることは悪いことではない。たとえば,人間が草原に水を引いて水田にしても,適切に水管理すれば,自然の循環を草原の場合よりも豊かにすることができる。これは,生態学でいう遷移(succession)であって,この変化は環境破壊ではない(9)。したがって,この条件に反しない限り,持続可能な開発はあり得る。
§3 人間社会の物質循環を制御し,自然の物質循環に繋ぐ
3-1 人間社会もエンジンである
社会の活動の維持,つまり持続可能性は,環境経済学の究極の目標である。しかし,これまで,これを達成する条件が論議されたことはなかった。したがって,これまでの持続可能性をうたう環境経済学の諸論調は単なる願望であって,どれをとっても持続可能性を保証するものではない。その結果,人間の吐き出す炭酸ガスが社会を滅ぼすとか,資源リサイクルで社会の持続可能性が達成されるとかいうような議論がまかり通ってきたのである。
第3図 エンジンとしての社会
人間社会も活動を維持するエンジンである。これは,第3図に示すように,@入力としての資源の導入,A出力としての廃物と廃熱の排出が必要である。Bとしては社会の中を流れる物質の循環が必要である。これは商業による物流がつながって循環になっている。この社会の物質循環も,力学や化学の法則で運動する輸送手段と燃料によって支えられている。
しかし,それだけでは社会の物質循環は成立しない。輸送手段と燃料が存在するだけでは,商品は移動しない。社会の物質循環では,力学法則と化学法則のほかに,需要があれば供給すると儲かるという商業の法則が満たされてはじめて物質が移動する。これがつながって循環となるとき,社会の物質循環ということになる(9)。
「儲ける」ことをさも悪いことのようにいうリサイクル運動は,この点でも間違えている。
この物流が混乱すれば,社会の活動は維持できない。たとえば,不況とは,需要に比べて供給が多いことにより,社会の物質循環が混乱する問題である。この不況を解決するには,まず供給を需要の範囲に抑え,また需要を増やすことが必要である。しかし,一般におこなわれている不況対策はこの逆をしている。
今回の不況は,消費税の導入,低金利,規制緩和によって,供給を増やし,需要を少なくして一挙に始まった。これらの政策は好況の時にする政策であって,世界的な不況が予想される時にする政策ではない。そして,不況が始まったのに,消費税を増税して需要をさらに減らし,金利を極限のゼロに近づけ,規制緩和を拡大して過当競争させ,供給をさらに増やした。この過剰供給を減らさなければならないのに,貸し渋り対策でさらに供給を増やした。
不況では,供給を増やさず,需要を増やすことが大切である。この需要を増やすには,ケインズの言ったように「穴掘りをさせて,また埋め戻し,賃金を払う」のがよい。これは確実に需要になる。しかし,穴を掘って埋め戻すことは環境破壊である。
このような環境破壊をせずに不況対策をするには,たとえば国立銀行を作って,民間銀行から資金を借り,失業者に生活必需品を購入できる程度の失業資金を貸し付けるのがよい。これにより供給を増やすことなく,生活必需品などの基礎的需要が増え,社会の循環はふたたび健全に回り出すことになり,自然に職も増えることになる。
失業資金として貸し付けた分は,仕事を得て収入を得た時に返金させる。好況になってからの資金の回収は,需要を抑えることを意味し,社会エンジンの活動を制御する施策のひとつとなる。
3-2 不況の次の物価高を考える
不況で気をつけなければならないのは,不況の次の段階である。それは,生活必需品の生産者が不況による価格低迷に耐えられず離職し,生活必需品の品不足となって,物価高騰の段階へ移行することである。そのためにも,不況時にも生活必需品などの基礎的需要を確保し続けることが必要なのである。
また,生活必需品の相当部分を海外に頼っている日本の場合,世界的な不況で生活必需品の輸入価格が下がって,国内の生産者がこれに耐えられず,離職するようなことになってはならない。国内生産者がいなくなった後に,海外での生活必需品の品不足になれば,混乱は止めようがない。
生活必需品の輸入価格が下がった場合は,輸入関税を高くしてその価格を守ることが必要である。食料など生活必需品については,消費者にとっても「安ければ良いというものではない」ということに,国民合意をとりつけたい。
さらに,不況が長引くと戦争を誘発することに注意しなければならない。昔の戦争ならば,「国破れて山河あり」だった。戦争は自然環境にはほとんど影響しなかった。第二次世界大戦後,食料など生活必需品の生産はただちに再開され,経済復興を支えた。
むしろ,
日本の戦国時代のように,その間,肥料を得るための柴刈りや草刈りという環境破壊がないので,傷められた山河は戦争で回復した。世の中が平和だとしばしば大洪水に見舞われたが,大きな戦争が続くと洪水は少なかったという。
しかし,次の戦争で人間が環境破壊を中断するとはとても考えられない。もっと環境破壊を進めてしまい,復興は困難を極めるだろう。戦争につながる不況を早急に終らせるためにも,需要と供給の関係にもっと注意を払う必要がある。
3-3 徴税と規制で社会のエンジンを運転する
これまでは,好況に浮かれてさらなる成長を求め,安売りの過当競争をさせてさらに供給を増やした。人間社会を適切に維持するには,需要と供給の関係という商業法則による物質循環を健全な状態に保つことが必要である。その意味で,需要を超えて供給させないようにするため,「社会というエンジンを制御・運転する方法」としての徴税政策と生産規制・商業規制が必要である。規制は必要があるからなされてきた。これを理由なく全廃することは間違いであり,
むしろ環境を守るために新しい規制が必要となっている。
ところで,一部経済学者の提案により,商業法則を無視して国家が事業をする社会主義的計画経済社会の建設が提案され,その実現が試みられたことがあった。
しかし,その壮大な実験が大失敗に終わったことは記憶に新しい。この大失敗について,提案者の後継者たちからの反省的分析がなされていない。
一方,資本主義と呼ばれる現代社会で,補助金による計画経済が進められてきた。ここでも補助金により国家が商業法則を無視して商品を供給し,その結果過剰供給で社会を混乱させた。リサイクル行政の失敗もこの一例である。補助金が悪いという議論は多数あるが,過剰に供給し,また虚構の需要を作るという観点では議論は不十分である。
行政の仕事は,税金や罰金を徴収し,経済を規制することだけに限るべきである。行政は直接事業をしてはいけない。
また,行政は,子供,老人,病人,失業者など自立できない個人を個別に援助するのはよいが,自立する成人や法人を補助金を用いて援助してはいけない。このようなけじめのある行政により,社会の物質循環,つまり経済は健全に運転され,社会は維持されることになる。
以上まとめると,社会エンジンを維持・運転する(持続可能性)ための社会の循環に関する第一条件は,
「需要と供給の関係に留意し,社会のエンジンを運転・制御すること」
ということになる。
3-4 社会の循環を自然の循環に繋げる
人間社会が廃棄物を出すことを率直に認めるべきである。そのうえで,社会が自然から貰う資源と,社会が自然に返す廃棄物で,社会と自然が繋がり,第4図のように大きな物質循環になることが大切である。人間社会の中だけのリサイクルではなく,自然との間のサイクルである。この条件が満たされるとき,人間社会の発生するエントロピーはすべて宇宙に廃棄されて,地表に溜まることはない。
第4図 自然の循環と社会の循環を繋ぐ資源と廃物・廃熱の循環
つまり,社会エンジンを維持・運転する(持続可能性)ための入力と出力に関する第二条件は,
「社会の循環が,資源の導入と廃物・廃熱の排出により,自然の循環とつながり,大きな物質循環を構成すること」
となる。
この第二条件に反した社会の活動では,その発生するエントロピーは,自然の循環により宇宙に捨てられることがなく,地球上に溜まることになる。したがって,
この第二条件の系として,
「環境汚染は,自然の循環の能力の外に廃物を捨てると生ずる」
が導かれる。この環境汚染は,社会の循環ばかりか,自然の循環をも阻害して,人間社会の存立基盤を壊すことになる。
3-5 廃棄物の処理法は野生動物に習う
では,廃棄物をどのようにして自然の循環に返せばよいのか。
現状では,最終処分場に廃棄している。これでは自然の循環はその廃棄物を処理できない。結局は,汚染物質は処分場からあふれ出して環境に広がることになる。
この問題を考えるには,野生動物が廃棄物をどのようにしているのか,よく観察することである。彼らの廃棄物は,莫大な食べ残しと糞尿と死体であるが,彼らはその廃棄物をそのまま自然環境に放置している。廃棄物の処理はそれでよいのである。
これらの廃棄物は,別の生物の資源になっている。そして,その廃棄物はまたその次の生物の資源となり,結局は生態系の循環になっている。廃棄物を出すことは,生態系の活動を維持し,これを豊かにするために必要であって,けっして悪いことではない。
第5図 生態系の循環
これを図示すると,第5図のようになる。この生態系の循環は,入力として太陽光と水を得て,出力として水蒸気と廃熱を出して回っている。廃棄物はそのまま別の生物の資源だから,ここには廃棄物問題はまったく存在しない。
人間社会もこの生態系の中に入り,資源と廃棄物で他の生物群とつながることが大切である。図中の生物群Aの代わりに,人間社会と置き換えてみればよい。人間も,石油文明の始まった今から30年ほど前までは,このような物質循環の中にいた。それが,今では何故できなくなってしまったのか。不可能になったのかそれとも,方法を間違えたのか。
3-6 廃棄物処分場は一切不要
人間の廃棄物も,野生動物がしているようにできるだけそのままの形で自然に放置することが正しい。そのまま放置できない時は,自然の循環に受け入れられる形に変えて,自然の循環に引き取ってもらえばよい。そうすれば廃棄物処分場は一切不要となり,処分場をめぐって争う必要はなくなる。
そのためには,廃棄物を次のように処理すればよい。
@ 生ごみ
野生動物がしているようにそのまま生態系に返し,野生動物の餌にする。山や森の空き地に野生動物の餌場を作り,そこに生ごみを放置する。カラスやタヌキがやってきて,処理してくれる。この野生動物の糞により付近の山や森は見違えるほど豊かになる。野生動物の残した廃物は集めて焼却し,灰は土に返し肥料とする。
生ごみで堆肥を作るという提案もあるが,生ごみの中に含まれる肥料分はわずかであり,投入する労力のわりには得られる肥料は少ない。しかし,生ごみには,野生動物を育てる有機物が豊富に存在しており,これをもっと利用すべきである。この方法は,広い山や森を持つ地方の市町村で可能である。
小都市では野生動物が少なく,この方法はそのままでは実行できない。その場合は,空き地を探して網で囲い,大量に得られる生ごみでニワトリの放し飼いをするとよい。鶏肉,鶏卵,鶏糞が得られるから,地場産業になる。これは,つい最近までどこの家庭でもしていたことである。それを近くの大養鶏場で再現するだけのことである。
大都市の場合はそれも不可能であるから,生ごみの処理には方法Bを使う。
A 糞尿
空き地に池や田圃を作り,そこへ流せばよい。鯉や稲などの水性の動物や植物が処理してくれる。これは日本では最近まで普通の方法であった。問題は,寄生虫と病原菌であるが,超音波殺菌など科学技術で対策可能である。臭いは嫌気的状態で発生するから,十分に空気と触れさせて好気的状態にすることでほとんど問題は生じない。
B 死体,大都市の生ごみと糞尿
死体については,風葬(鳥葬)がもっとも合理的で,動物の方法と同じであるが,これをどこでもするという訳にはいかない。そこで,死体,大都市の糞尿や生ごみは焼却する。廃棄物に含まれる炭素や水素は焼却で炭酸ガスや水蒸気にして大気に返す。窒素成分は焼却で気体の窒素になる。その他の成分は化学処理する。
リサイクル運動をしている人達は焼却に反対するが,焼却は物エントロピーを熱エントロピーに変換して,自然に返す有効な方法である。最近,焼却技術は進歩したので,
この管理さえしつかりすればダイオキシンなど発生することはない。
この焼却で生ずる灰は,毒性物質を含まない場合,焼結して固化しレンガにする。ガラス固化してもよい。毒性重金属を含む灰は,熔融固化して不溶性の人工の砂や石にする。
このようにして得たレンガや人工砂などは土木材料として使用できる。たとえば海に運んで陸地を広げ,また人工湾・人工干潟・人工藻場の材料にできる。もともと固体として自然環境から得た物なのだから,無害の固体にして自然に返すのもひとつの物質循環である。
C 下水道
液体廃棄物をすべてまとめて末端の処理場で処理しようとするのが間違いの元である。生活排水はできるだけ発生源の近くで処理すべきである。そしていきなり川へ放流するのではなく,土壌に染み込ませる方法を取り入れる。
要するに,どぶの復活である。ミミズなど土壌生物がこの汚染水を処理してくれるので,付近の土壌は豊かになる。蚊の発生を抑えるため,水溜まりが生じないようにするか,生じても短時間で消えるようにする。このようにして浄化された排水は地下水となり,河川や海岸の湧き水となる。
D 重金属など毒物
ヒ素やカドミウムや水銀などの毒物になる鉱物はできるだけ使用を制限する。多少混ざった毒性物質は,不溶性の硫化物に変えたり,熔融固化することにより無害化できる。ここでは科学技術が有効である。
E 放射能
自然の循環には,この放射能のエントロピーを処理する能力はない。ただ放射能自身の崩壊で,安定原子核と熱になるのを長時間待つだけである。したがって,原子力を利用すれば,放射能が地球に溜まるばかりである。放射能を消滅する研究は失敗した。
そこで放射能の発生は完全に禁止する必要がある。未だに原子力発電にこだわる人は,科学技術の限界を無視している。
すでに作ってしまった放射能は,仕方がないので半減期の10倍の時間保菅する。これには防水が必要であるが,地上の建物の中に保管することで解決できる。現在,地下に埋めるなどの乱暴な方法がとられているが,至急中止すベきであろう。
ただし,
この議論は戦争やテロがないことを前提にしている。しかし,この前提が正しいとはとても考えられない。原子力が科学技術だと誤解して,このようなものを利用してしまったことを悔やむ外はない。ドイツが原子力を止めることを決めた理由のひとつがこの問題である。
以上述べたように,これらの廃棄物問題は,自然のエンジンと社会のエンジンを繋ぐ政策をとることで解決できる。廃棄物処分場はまったく必要がない。
§4 森林と農地の喪失をどうするか
4-1 森林と農地め喪失こそ最大で,深刻な環境破壊
現状では,
環境問題は炭酸ガス温暖化とオゾンホールとリサイクルの話題がほとんど独占しているが,最大の環境破壊は,世界的な農地と森林の喪失である。この原因は,過剰農業,過剰放牧,過剰伐採といわれているが,そもそもなぜ過剰になるのか,ということの議論が欠けては,植林などという方法によって解決できるわけがない。
砂漠化を進めているのは,穀物の過剰生産と穀物の自由貿易と累積債務である。(9)
まず,科学技術はアメリカなど先進国で穀物の過剰生産をひき起こし,穀物の価格を下げてしまった。その結果,まだ穀物を生産できる農地であっても,採算がとれなくなって放棄されている。この放棄された農地は風水害で荒地となり,砂漠化している。
また,先進国での穀物価格の低下は,農民を離農させ,失業問題になった。農民の失業は社会問題であるとともに,農業の崩壊はその国の安全保障問題でもある。そこで農民の離農を抑えるため,この過剰穀物の対策として,先進国アメリカやヨーロッパでは補助金をつけて過剰穀物を輸出している。日本では将来戦争がないと多くの人達が信じているため,先進国の中では,唯一,穀物の生産を他国に頼る国となっている。
農産物の代表的輸出国アメリカの穀物生産量は,人口を養う約5倍である。そのうち1は国民が食べ,
3は家畜の餌にし,残りの1を輸出している。これは補助金をつけて,さらに安い価格で輸出している。これだけの多量の過剰生産を戦略物質として位置づけることはできないから,これは単純に失業問題である。また援助物資という形で輸出される穀物も,実は失業対策であった。
1996年の世界の小麦の貿易量は,FAO資料によれば9800万トンであった。その輸出国の筆頭はアメリカ(32%)で,これにカナダ(17%),オーストラリア(15%),フランス(15%),ドイツ(4%),イギリス(4%)が続く(『世界国勢図会98/99版』)。これらの先進農業国だけで小麦の輸出量の90%に近くなっている。
これらの先進農業国の穀物の輸出攻勢を受けて,途上国の穀物生産は壊滅状態になった。アジアは軒並み自給の不可能な国になってしまった。
アフリカでは,昔は小麦を食べなかった。しかし,たびたびの飢饉の際。援助物資の小麦で食の嗜好が変わり,都会の住人に小麦を食べる習慣ができてしまった。
そうなると農家がミレット(きび)などの雑穀を生産しても,都市の住民は買ってくれない。やむなく農業を放棄して,都市のスラムの住民になり,援助穀物により生活することになる。先進国の失業対策は,途上国への失業の輸出を意味している。そして,放棄された農地は,風水害によって荒地となり,砂漠化することになる。
先進国の科学技術による穀物の過剰生産と穀物の輸出は,世界の人々を飢えから解放すると期待された。しかし,事実は逆で,先進国でも途上国でも有用な農地を砂漠化し,将来の飢えの原因を作っている。
4-2 累積債務問題が砂漠化を加速
砂漠化には,植民地から独立国になったことによる政治問題も関係する。植民地時代,植民地政府は綿花やコーヒーなどを栽培させた。それでも,労働力としての農民を確保するため,自給のための穀物用農地は保護していた。
ところが,独立で状況は一変する。独立した政府に,先進諸国から多大な資本の貸付が行われた。ところが,1982年以降,債務の返還と利息の支払いで,資金は途上国から先進国へ流れることになった。
世界の富は貧しい国から豊かな国へー方的に流れている。途上国ではこの債務や利息の支払いのために,毅物生産をやめてコーヒーなどの換金作物を作っている。しかし,多くの途上国では換金作物を売った額の半分近くをこの返済に当てている。
このような無理をして換金作物を作るため,農地は荒れる一方で,ますます途上国の砂漠化が進むことになる。
肥料を買う余力のない途上国の農民が,都市のスラムへ行かないで,先進農業国の穀物に対抗して農業を続けようとすれば,まだ肥沃な土地のある森を焼き,開墾するはかない。しかし,そのようにして得た農地は2,3年で養分がなくなり,生産性がちるのでそこを捨てて,また別の生産性の高い森林を焼くことになる。
日本へ輸出する木材の過剰伐採も森林を破壊する要因であるが,それ以上に焼畑の方が深刻である。スマトラ島のように,焼畑の火が森林火災の原因となって森を大規模に失うこともある。放牧でも森を焼いている。このようにして利用した森林の跡地はすべて砂漠化している。
4-3 自由賀易でも,富は貧しい国から豊かな国へ流れる
すでに述べたように,途上国の森林と農地の破壊は穀物貿易と累積債務が原因であった。これに加えて,穀物に限らず自由貿易が,途上国の富を一方的に先進国へ流す原因となっている。このことはまだ知られていない事実である。なぜそのようなことになるのか,これをまず証明する(9)。
国際経済論の教科書を開くと,自由貿易は貿易する双方の国にとって利益になると書いてある。しかし,国際経済論の教科書には,その主役である貿易商の役割についてはほとんど記述がない。ここに,現在の国際経済論の欠陥がある。
貿易を考える上で,分かり易い例として,金と銀の相対価格を考える。A国では金1キロと銀5キロが等価でその国の貨幣で一定の金額だとする。一方,B国では金1キロと銀10キロが等価でその国の貨幣で一定の金額だとする。
A国の商人が金1キロを持ってB国にやってくる。これを売ってその国の貨幣を得て,これで銀10キロを買う。これを本国に持って帰って売り,その貨幣で金を買うと金は2キロになる。
同様に,B国の商人が本国で金1キロを銀10キロに替えてから,A国へ行き,これを売って金2キロと交換して本国に帰る。金はやはり2倍になる。自由貿易では,どちらの国の商人も同じだけ儲けることができる。
しかし,
この自由貿易には,非常に興味深い結果が存在する。この例ではどちらの場合も銀10キロがB国からA国へ流れているが,A国の商人の貿易では金1キロがA国からB国へ流れるのに対して,B国の商人の貿易では金2キロがA国からB国へ流れることになる。自由貿易では自国の商人が貿易する方が断然得なのである。これを自由貿易の非対称ということにしよう。
等価交換のはずの自由貿易では,財は貿易商のいない貧しい国から貿易商のいる豊かな国へー方的に流出する。かつて日本は長崎貿易で,日本の金銀が外国へ流出する一方だったが,それは鎖国のためオランダや清の貿易商が貿易したからで,
この非対称性の結果だった(9)。
豊かな国は,
この貿易商に高額の所得税または事業税をかけてその利益の分け前を得ることができる。したがって,豊かな国は貿易商も国もともに利益を得ることができる。しかし,貧しい国は,気が付かない間に富を豊かな国の貿易商に盗まれることになるのである。
第三国のC国の商人が貿易する場合には,手持ちの金1キロを持ってB国へ行き,銀10キロと替えて,A国へ行き,金2キロと交換してC国に帰る。A国でもB国でも,等価交換だから得はしていないかも知れないが,損はしていないと思い込んでいる。しかし,実は,第三国の商人の一方的利益となっている。現在では,
この第三国の商人とは多国籍企業のことで,穀物貿易では貿易の77%をカーギルなど大企業5社が占めて,大儲けしている。
貿易商に一方的に利益を持っていかせないようにするには,輸出入どちらに対しても関係国は関税をしっかりかける必要がある。関税には単に産業保護のための税金ということ以上に,自国の富を貿易商から守るという意味もあったのである。
以上の議論から,関税は,所得税または事業税と同質の税金であることが分かる(9)。この徴税額を決めることは,国家,つまりは国民の固有の権利である。
しかし,WTOは,貿易障害の撤廃と関税の大幅引き下げを主張している。これは貿易商の利益を擁護する一方的な主張であり,このような貿易商の代弁者による国際機関や条約は廃止されなければならない。これが,貧しい国をますます貧しくさせ,その国の環境破壊の根本原因になっているからである。
累積債務についても,「国家は倒産しない」という前提で,金貸し業が貸し付けを増やし続けた結果である。そして,IMFやせ界銀行が,累積債務を口実にこれらの国の政治に介入している。形を変えた植民地支配である。この介入によって,最近,ロシア,タイ,インドネシアなどが大型の通貨危機に襲われることになり,この影響で世界の環境破壊はとどまるところがない。
4-4 砂漠化という最大の環境破壊をどのようにするか
以上述べたように,世界砂漠化の出発点は,穀物の過剰生産であった。これは科学技術の向上の結果であり,人力で穀物を生産する代わりに石油に働かせて穀物を生産した結果である。
この過剰穀物について,先進農業国がとっている輸出という解決方法は正しくない。穀物の過剰供給を抑えるには,(1)生産調整,(2)他用途での使用,(3)備蓄,(4)焼却処分などの諸対策について議論を深める必要がある。
この中でも,焼却など廃棄処分により穀物価格を維持することは良い方法であって,農民と穀物の生産手段を失わずにすむ。食べ物を捨てることの抵抗感は感情的には理解できるが,これは「金の卵とこれを生む鶏のどちらが大切か」という問題である。
過剰の穀物は発電用燃料として利用してもよい。これは植林して燃料にするのとなんら変わらない。また,他の動物の「食べ残し」と同様に,野山にばら撒き,野生動物の餌にして,森林を育てるのに利用してもよい。江戸時代の植林の方法に,はげ山にひえや麦を撒くというのがあった。野鳥が肥料つきで種を運んでくれる。このようにして過剰穀物を処理できれば,世界の砂漠化は防がれ,人間が植林せずとも,森林を復活することができる。
自由貿易の非対称性については,問題の存在を指摘したばかりである。各国がこの非対称性に気づき,ふたたび保護貿易に戻すことができれば。持続可能性の第一条件と第二条件を適用して農地と森林を回復することができる。
しかし,累積債務については,IMFや世界銀行の支配下に入った国々の場合,自立して保護貿易政策をとることは不可能である。この場合,債務不履行宣言をしてIMFや世界銀行の支配から独立し,この措置を国際世論として定着させる必要がある。つまり,国家を一旦倒産させて債務から解放させ,次に新生国家として再建することを世界が認めるのである。
ともかく,このままでは世界中で過剰に生産された穀物により世界の農地と森林を失い,これを農耕できない荒地や砂漠にするのは確実である。この時,地球寒冷化が襲うであろう。われわれが,炭酸ガス温暖化やオゾンホールやリサイクルなど,
どうでもよい問題に夢中になり,この穀物の過剰生産,自由貿易,累積債務をなすすべなく見逃したばかりに,子孫は飢えと寒さに苦しむことになる。
以上述べたように,環境経済論の議論すべき対象は広い。それは,それぞれの分野の専門家のいう見解をそのまま鵜呑みにできないからである。専門家の説明にはまず疑うことが必要で,その中に潜む矛盾を見つけたら,次は自分で考えなければならない。そのようにして得られた新見解は,多くの人との討論で正しいかどうか検証されることになる。
(1999年1月5日 記)
引用文献
(1) 根本順吉『超異常気象』中公新書(1994年)
(2) Keeling, C.D. et al. Aspects of Climate
Variability in the Pacific and the
Western Americas (ed. Peterson, D.H.) PP.165-236 (Geophys, Monogr. 55,
Am. Geophys. Union, Washington DC, 1989)
(3) Keeling, C.D. et al. Nature 375 668 (1995)
(4) Overpeck, J. et al. Science 278 1251 (1997)
(5) 槌田 敦『地球は興味深い熱学系』日本物理学会誌53巻p.616 (1998)
(6) 朝倉 正『異常気象と環境汚染』NHKブックス(1972)
(7) R.A.プライソン,T.J.ムーレイ『飢えを呼ぶ気象』
根本順吉,見角鋭二訳,古今書院(1976)
(8) 槌田 敦『環境保護運勘はどこが間違っているのか』宝島社(1992)
(9) 槌田 敦『エコロジー神話の功罪』ほたる出版(l998)
(10)槌田 敦『熱学外論−生命・環境を含む開放系の熱理論−』朝倉書店(1992)。