7月に入って梅雨末期の大雨の季節になりました。今年も7月4日以降の大雨で九州地方を中心として甚大な被害が出ています。大分県でも私の住む別府市のすぐ隣の由布市や、日田市や九重町などで被害が報告されています。被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。また犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
最近の大雨や台風などによる『異常??』な水害の頻発に対して、安直に人為的な温暖化の影響に結び付ける風潮があることは、自然科学的な冷静な判断とは言えません。
今回は、日本における水害の構造的な問題について考えてみることにしたいと思います。
日本は、地理的にはモンスーン・アジアに属しています。モンスーンとは季節によって変化する特定の方向に吹く風であり、季節風のことです。
アジアモンスーンは特に規模の大きな季節風です。
「アフリカ東岸からインド洋を経て東アジアまでの約1万kmに渡って、高温多湿な空気の流れが形成される。モンスーン・アジアでは、ある時期を境に気候が急激に変化することから、モンスーンの発生が正確に把握されている。アジアモンスーンの源流は、5月中旬にアフリカ東岸のマダガスカル付近で発現し、湿ったインド洋の空気の供給を受けながら北東に動き、西アジアにも影響を及ぼしながらインドを含めた南アジアに達する。その後もベンガル湾、インドシナ半島、中国南部を経て、日本を含めた東アジアにも及ぶ。梅雨の原因の1つである。
モンスーンが海側から吹くと湿った空気が内陸にもたらされ、強い降雨を伴う雨期となる。逆に大陸側から吹き込むと乾燥した空気がもたらされるため乾期となる(ただし、冬の日本の日本海側のように、大陸由来の乾いた風が短い海域で湿った風に変質することもある)。この働きで、モンスーンは乾季・雨季のある気候を形成するが、全体としては湿潤な気候をもたらすため影響下の地域では熱帯モンスーン気候(Am)や温帯夏雨気候(Cw)、温暖湿潤気候(Cfa)となり、稲作の好適地となる。」
(Wikipediaより)
日本の国土は、アジア大陸の東に位置する付加体による複雑な地質構造で特徴づけられる急峻な地形を持つ弧状列島です。河川は短く勾配が大きいのが特徴です。
日本に住む人々は、狩猟・採集による生活を経て、人口の増加による社会構造の肥大化に従い、農耕文明に移行したと考えられます。前述の通り、モンスーン・アジアにおける主穀は米であり、日本でも稲作、水稲栽培が広く行われることになりました。
水稲栽培を行うためには水が必須です。したがって、水稲栽培を営む村落は水田の適地である低湿地帯の周辺に形成されることになります。
一方、天水頼みで水が十分利用できない山間地や洪積台地では主に畑作が主流であったと考えられます。生産性の高い水稲栽培に比較して、中山間地や洪積台地の畑作を営む集落は相対的に貧しかったであろうと想像されます。
日本の急峻な地形において水の豊かな平地は沖積平野という比較的新しいものがほとんどです。沖積平野とは、扇状地、氾濫原、三角州という、河川堆積物によって形作られた地形です。沖積平野は、急峻な山間部で地表水によって削り取られた土砂が川に流れ込み、河川勾配が緩やかになった場所や閉鎖水域(湖沼)、浅海に土砂が堆積して出来た勾配の小さな平地です。洪水の氾濫によって河道の両岸の広範囲に土砂が運ばれることで氾濫原が作られます。
したがって、沖積平野は水が豊富に利用できる反面、新しい地盤は不安定です。成因から明らかなように、必然的に沖積平野を流れる河川の周辺地域は洪水の常襲地域でもあります。また、沖積平野の周辺部では大雨が降れば土砂災害が繰り返し起こります。この洪水や土砂崩れによって沖積平野は拡大しているのです。
したがって、日本に農耕文明が興ってから、日本人は絶えず水害に見舞われてきたのです。文書記録の残る最も古い水害は858年の「武蔵国水害」だと言われています。また、近世最悪の水害といわれる江戸時代中期、1742年の旧暦8月に千曲川と犀川流域で発生した大洪水である「戌の満水」では、3000人近くがなくなったことが記録されています。
1700年代の日本の人口は3000万人程度ですから、一度に3000人近くがなくなる災害とは想像を絶するものであったと考えられます。
中世以降、土木技術の発展に伴い、次第に治水工事が行われるようになりました、有名な戦国武将武田信玄による信玄堤や霞堤など優れた構造が作られました。また、江戸時代にはそれまで水田として不適であった湿地の排水工事によって新田の開発が盛んにおこなわれ、大河川の流路変更という大土木工事も行われました。こうして治水事業の進展によって、洪水被害はある程度減少しました。
こうした土木技術の発展によって、それまで経済的・社会的に利用されてこなかった湿地帯までが水田や住宅地として利用されることになりました。
明治以降の近代日本では、次第に産業構造が農業から工業へシフトし、工業用水の得やすい沖積平野、特に臨海部では農地に代わってに商工業施設が集積されるようになりました。更に、人口の急増と農村から商工業地帯への人口の流入が加速しました。
その結果、かつては利用価値のなかった低湿地や、沖積平野の縁辺部の山際の危険な場所にまで住宅や商工業施設が建設されるようになりました。
こうして土木技術の発展に伴い、沖積平野、中でも氾濫原は経済的に高度に利用されるようになったことによって湿地帯の遊水機能は失われ、皮肉にも、一たび外水氾濫(河川水の氾濫)がおきると甚大な被害が起きるようになりました。
治水工法の画期となったのは明治以降、西洋の土木技術が導入され始めてからだと考えられます。近代日本の治水は、河川断面を大きくし、蛇行する河川をできるだけ直線化することによって流水抵抗を減らすと同時に河川勾配を大きくすることで水を流す能力を大きくし、ダム−連続堤によって河川を堤外地に囲い込みを行うことが主流となりました。しかし、皮肉にもこのことが潜在的に水害の激甚化をもたらすことになりました。治水事業によって改修された河川は大量の水を速やかに排除することになります。河川改修によって雨の降り始めから河川の増水のピークが到達する時間が短くなり、流水速度も速くなりました。
今回の九州豪雨の人吉盆地のようにすり鉢状の地形を持つ河川の中流域の平野部では、周辺の急峻な山からの雨水や土砂が一気に集まるため、特に水害に対する危険度が大きくなります。また、盆地内の河川改修は、下流側の狭隘な渓谷がボトルネックとなってむしろ氾濫域を大きくする可能性があります。同時に下流の渓谷部の氾濫も激甚なものになります。
輸入された土木技術によって、伝統的な石、土砂、木材による構造物に比較してより強固で大規模な構造体を作ることが可能になりました。そのおかげで、水害(主に外水氾濫)の発生する頻度は減少することになりました。
強固な治水構造物に対する過度の信頼によって、構造的に水害の危険性のある氾濫原の高度利用が更に進められることになりました。第二次世界大戦後の急激な経済成長によって、商工業・物流・人口の沖積平野に更なる集中が生じました。また、物流の自動車への転換に伴って道路舗装が加速され、沖積平野の緑地は減少し、地表面は不透水性の舗装と排水設備の完備された乾燥した環境に急速に変貌しました。
こうした河川周辺の沖積平野の「都市化」によって、平常な日常生活では快適な環境になりましたが、水害に対する潜在的な危険性は更に増大しました。
ダム−連続堤による治水の目指したのは、本質的に河川を堤外地(河川の両岸の堤防の内側)に囲い込むことが目的であり、それが破綻した場合、例えば堤防の決壊や連続堤を乗り越えるような大量の雨水が河川に集中した場合、堤内地には急激に河川水が流入し、あっという間に氾濫原の広範な地域が水没することで激甚な被害をもたらすことになります。
快適性をもたらした都市部の舗装された地表面と排水設備を完備した環境は、氾濫原やその集水域に振った雨水を速やかに河川に流し込むことを目的としています。大雨が降った場合には一気に河川に雨水が集まるため、都市化以前よりも水嵩の増加が速くなるばかりでなく、ピーク時の流量も大きくなります。河川周辺の都市化が進めば進むほど、一たび洪水が発生すると被害は激甚化することになります。
臨海部の巨大都市では乾燥化による気温上昇によって局地的な豪雨、いわゆるゲリラ豪雨が頻発するようになり、内水氾濫(河川水の氾濫ではなく堤内地に降った雨による氾濫)もひどくなっています。
日本のように急峻な地形で、しかも大量の雨が降る場所では、ダム−連続堤システムというハードウェアに対していくら国費を投下しても、河川を完全に堤外地に囲い込むことは不可能なことを理解しなければなりません。また、日本のダムは治水単独目的のダムは存在せず、何らかの利水目的を持っています。そのため雨期に対して予め湛水量を減らしておくことができません。このことが、一たびダムの運用を間違えると大雨の時にダム堤の崩壊を防ぐために緊急放流することになり、下流域の水害を助長することもまれではないのです。
また、外水氾濫に備えて堤防の嵩上げを行い、堤内地を不透水性の表面舗装で覆うことは、皮肉にも内水氾濫を助長、長期化させます。
水害も含めていつ、どこで起こってもおかしくない、避けようのない自然災害に対する対策の要諦は、危険の分散です。これは、具体的には国家の社会・経済システム、人口の分散です。この意味で大都市への一極集中は最も馬鹿げた防災の対極にある国土利用です。
日本では水害をなくすことはできません。まずそれを前提に、物的資源、人的資源の分散化を図ることが重要です。重要構造物はできる限り水害の危険性の小さい場所に建設することです。可能であれば居住地は浸水の可能性の低い場所に移転することです。その上で水害発生時の避難のための時間を出来るだけ長くとれるような治水システムにすることです。
私が土木工学を学び始めた40年ほど前にはすでにこうした認識がありました。同時に、ダム―連続堤による河川の堤外地への囲い込みの限界を理解した上で、むやみに堤防の嵩上げを行わず、不連続堤と河川周辺に遊水地を設ける流域貯留を進めるべきであるという認識もこのころには土木屋の間では共有されていました。
このことは戦後の高度経済成長期の野放図に進行した大都市部への社会・経済機能の集中、人口の田舎から都市への流入によって、国土利用のアンバランスが顕在化し始めた1970年代にはすでに国も認識していました。私が大学で土木工学を学んでいた1977年には「第三次全国総合開発計画」が策定され、都市への過度の集中を見直し、地方への「定住構想」を軸とする国土利用計画がまとめられました。更に1987年の四全総ではさらに積極的に「多極分散型国土の形成」を基本理念とする国土利用がまとめられました。
しかし現実には、地方への人口定着のために全国を高速道路網や高速鉄道によって結ぶこと、道路網を整備することが進められましたが、全く逆効果となりました。交通網の充実は地方への定着ではなく、いわゆる「ストロー現象」によって、地方から加速度的に人口や資財が都市部に集中することになったのはご承知の通りです。 既に、三大都市圏の人口は日本の人口の50%を超えています。、
地方においても中山間地から平野部の市街地に人口が集中することになりました。総務省統計局の報告によると、「平成22年国勢調査による総人口(1億2805万7千人)を市部・郡部別にみると,市部人口は1億1615万7千人と総人口の90.7%を占め,一方,郡部人口は1190万1千人(9.3%)となっている。」のです。
その結果多くの中山間地は限界集落となり農地や二次林の荒廃が進み、平野部では危険な場所にまで宅地開発が進むことになりました。こうして経済優先の土地利用や社会構造によって、水害の激甚化、影響の拡大が生じています。
このように、現在の日本の土地利用は水害に対する防災面からは全く悲観的な状況に陥っています。日本社会や日本人は、「いつ起こるかわからない」水害時の危険性よりも、日常の利便性や経済的効率を優先して、河川周辺の平地に集中を続けています。水害そのものは避けようのない自然災害ですが、経済を優先した土地利用が水害の被害を拡大し激甚化させているのは人災と言ってよいでしょう。
国はこれまでも、防災面も含めて、国家システムの分散化の方向性を繰り返し示しましたが、経済活動や利便性を優先する社会状況の前に、有効な改革を行うことはできませんでした。
最近、2017年7月の九州北部豪雨、2018年7月の西日本豪雨、そして今回の九州豪雨と立て続けに豪雨災害が起きていることを踏まえて、国の治水対策も改めてダム−連続堤に頼った方針から遊水機能の積極的な利用を考慮した流域を含めた面的な洪水対策を打ち出しています。
これは極めて妥当な方針ですが、これまでも繰り返し議論されながら実行することのできなかったことでもあります。本気で治水対策の抜本的な変更を目指すのであれば、国家100年の計として、社会・経済構造の改造までを視野に入れた、強い政治主導の国家政策を打ち出さなければならないでしょう。さもなければ、すでに都市部の河川周辺は隙間なく利用されているため、大規模な土地利用の改変を必要とする流域貯留を含めた治水対策は、残念ながら今回も掛け声倒れになる可能性が高いのではないかと考えています。
さて最後に、危機感を煽る温暖化と水害についての過熱報道について少し触れておきます。
以前から、温暖化によって豪雨災害が増えるという報道が繰り返されていました。九州北部豪雨のころからでしょうか、「温暖化による異常な豪雨は予測すらできない」ということを堂々と発言する気象研究者がマスコミに登場し始めました(笑)。
気象予測が当たらないのは温暖化問題が言われ始める以前からのことです。なにも温暖化が原因で気象現象の方が異常になったから予測できなくなったわけではありません。さらに言えば、気象現象は、いかに私たち現在に生きている生身の人間にとって初めて経験するような稀な現象であったとしても、自然科学的に必然的で合理的な結果です。したがって異常気象という表現は本質的に間違っています。どんな豪雨であっても自然科学的に正常な物理現象なのです。
現在の気象予測は、彼らに言わせれば人為的な地球温暖化によってもたらされている現在の気象データをもとに将来予測を行っているのですから、温暖化の影響は既に「織り込み済み」です。したがって予測が当たらないということは、温暖化による異常気象だからではなく、単に今の気象予測技術、就中、気象予測プログラムが気象現象を正しく表現していない、あるいはプログラムの能力の限界にほかなりません。
今回の一連の豪雨が発生するつい一週間前には、今年の梅雨は平年より早めに開けるという予測をしており、4日の集中豪雨については前日の直前の予想でさえ実際の降雨量の半分程度と予測していました。いずれにしても、現在の気象予測技術では一週間先の予測だけでなく、たとえ前日予測であってもピンポイントで正確な降雨量を予測することは、不可能であることだけは事実が証明しています。
今回の豪雨は、アジアモンスーンがアフリカ東海上ないしインド洋において大量の水蒸気を南アジアからアジア大陸東岸の日本方面に供給しているのが原因の一つです。更に、日本付近において大陸側の高気圧と太平洋高気圧の勢力が均衡し、日本上に梅雨前線が長期間停滞しているところに、大量の水蒸気を含む大気が流れ込んだことなど複合した条件が重なり、たまたま九州方面で活発な積乱雲が連続的に発生する状況になったことが豪雨を引き起こしたのです。これは温暖化が直接の原因ではありません。
九州北部豪雨のころから、温暖化による脅威の補強のために、温暖化による異常気象現象であるかのように「線状降水帯」という言葉が頻繁にマスコミに表れるようになりました。しかしそんなことはありません。昔から同じような場所で集中的に雨が降ることによって豪雨災害が起こることはよくあることであり、その多くは今風にいう「線状降水帯」が生じていたからにほかなりません。
気象現象に対する一般書の中でも体制化された積乱雲の連続発生のことは紹介されています。体制化された、直線状に積乱雲が発達する形式には二通りがあるようです。一つは「スコールライン」と呼ばれるもので、雲の進行方向に対して直角方向に積乱雲が連なる形式です。
スコールラインは雲の進行方向に直角に発達しているため、降水の面的な範囲は広くなりますが、短時間で移動するため同じ場所での降雨の継続時間は短くなります。蛇足ですが、「線状降水帯」という言葉はこの「スコールライン」の直訳なのかもしれません。
これに対して、雲の進行方向と積乱雲の発生方向が一致する場合があります。これをテーパリングクラウドと呼びます。こちらは直訳すれば「楔(クサビ)型雲」というところでしょうか。
テーパリングクラウドは、ある一定の気圧配置や水蒸気の状態が継続して、同じ場所で継続的に上昇気流が発生し、積乱雲が形成され、それが風によって風下側に移動していくことによって直線状の同じような場所で豪雨が降り続くことになります。豪雨災害をもたらしているのはこの「テーパリングクラウド」です。
マスコミは温暖化と線状降水帯による『異常な豪雨』をパッケージのように伝えていますが、これは全く牽強付会(笑)な非論理的な主張です。
もちろん、地球レベルで考えれば、大気温度が上昇すれば水循環が活発化することで降雨量が増加するのは当然であり、正常なことです。しかしながら局地的な豪雨という微気象と温暖化が直結することはありません。
ましてや、最近の豪雨災害が人為的なCO2排出の影響によるなどという主張は根も葉もない虚言です。なぜなら、豪雨をもたらすアジアモンスーンのような水蒸気密度に富んだ大気では、CO2による温室効果など全く機能しません。湿潤な夏の気候とCO2の温室効果は無関係だからです(日本の夏の暑さの原因はヒートアイランド現象)。
すでにご承知のように、昨年末の容器包装リサイクル法(容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律)省令の改定によって、2020年7月1日から、一部を除いて、レジ袋の有料化が義務付けられることになりました。当地では、既にレジ袋の先行有料化を実施していた店舗も少なくありませんでしたが、7月1日からはすべての店舗に対して義務付けられることになりました。
名称からわかるように、そもそも容器包装リサイクル法とは商品の容器や包装用に消費されている工業製品、具体的には紙、プラスチック製品の再利用を促進することによって家庭ごみの減量化を図ることを目的に制定されたものです。
今回の改定では、特にプラスチックの消費量の削減を目的にレジ袋の有料化を定めたものですが、その他にマイクロプラスチックごみによる海洋汚染・生態系汚染問題の改善、更には人為的地球温暖化対策という目的も挙げられています。
今回の改定の『実効性』については疑問がありますが、既にネット上の多くのサイトでも取り上げられているので、ここではあまり触れないことにします。
結局、レジ袋の有償化は、これまで企業の販売経費であったレジ袋代を消費者に転嫁し、同時に「レジ袋型」のプラスチック袋という商品の販売を促進するものであり、実質的なプラスチック製品の削減やごみの削減効果の実効性の怪しい政治的なパフォーマンスといったところでしょうか(笑)。
今回の改定で、一部のレジ袋は有料化の対象外とされています。経産省のガイドラインからその関連部分を紹介します。
プラスチック製買物袋有料化実施ガイドライン
令和元年12月
経済産業省環境省
(前略)
A省令に基づく有料化の対象外となる買物袋
下記のいずれかの要件に該当し、かつ、それぞれ下記に定められる内容が表示されている買物袋については、対象外とする。ただし、こうした環境性能が認められる製品については、環境価値に応じた価値付け等を進めていくことが必要であり、消費者との間のみならず企業間においてもその価値が適切に評価された上で適正な価格が支払われることが期待される。また、下記に定められる内容の表示が適切に行われているかを確認するため、無作為に抽出したサンプルを対象に検査を実施する場合があり、必要と判断された場合は、指導等の対象となり得ることがある。
a. プラスチックのフィルムの厚さが50マイクロメートル以上のもの
厚さが50マイクロメートル以上の袋は、繰り返し
使用することが可能であり、プラスチック製買物袋の過剰な使用抑制に寄与するものとして、省令に基づく有料化の対象外とする。これを
提供するに当たっては、次の点について表示することとし、消費者が他のプラスチック製買物袋と区別できる必要がある。必要な表示:フィルムの厚さが50マイクロメートル以上であり、繰り返し使用を推奨する旨の記載若しくは記号例)「この袋は厚さ50μm以上であり、繰り返し使用することが推奨されています」
b. 海洋生分解性プラスチックの配合率が100%のもの
海洋環境下で微生物の酵素の働き又は加水分解により低分子化された後、微生物によって代謝され自然界へと循環する性質を持つプラスチックの重量が、プラスチック製買物袋のプラスチックの重量の100%を占めるものについては、海洋プラスチックごみ問題対策に寄与することから、省令に基づく有料化の対象外とする。その機能については、科学的根拠に基づく共通の技術評価手法によって、第三者から認定又は認証を受けているものである必要がある。これを
提供するに当たっては、次の点について表示することとし、消費者が他のプラスチック製買物袋と区別できる必要がある。
必要な表示:海洋生分解性プラスチックの配合率が100%であることが第三者により認定又は認証されたことを示す記載又は記号
c. バイオマス素材の配合率が25%以上のもの
バイオマス(動植物に由来する有機物である資源(原油、石油ガス、可燃性天然ガス及び石炭を除く。)をいう。)を化学的方法又は生物的作用を利用する方法等によって処理することにより製造された素材の重量が、プラスチック製買物袋のプラスチックの重量の25%以上を占めるものについては、バイオマス素材がカーボンニュートラルな素材であり、地球温暖化対策に寄与することから、省令に基づく有料化の対象外とする。
(後略)
さて、ここでは少し違った視点から今回のレジ袋の有料化について考えることにします。
既に繰り返しこのホームページで述べてきたことですが、過度の工業的リサイクルはむしろ環境に与える負荷を増大させることになります(この点の詳細については、本HPの「環境問題総論」の記事をご参照ください。)。
工業的リサイクルは経済行為である以上、経済合理性に基づく需要を超えた無理な廃棄物の資源化は、経済価値の消失を意味し、それは不法投棄の温床となります。プラスチック製品の再資源化はあくまでも有効需要の範囲内でなければなりません。
したがって、日本で行われている公的資金を投入することによって、本来ゴミとして廃棄されたものを膨大なコストを投入して分別して再資源化するという「逆有償」によるリサイクルは経済合理性に反する行為であり、破綻することになります。
公的資金を投入して過度なごみの分別と再資源化によって、日本国内では処理しきれないリサイクル用の紙やプラスチックが山積みとなり、最終的には中国や東南アジアに『ゴミ輸出』することで「最終処分」するという有様です。そして、最終的に需要のないリサイクル資源は中国や東南アジアにおいて不法投棄され、環境を汚染することになります。勿論、日本国内でも過度の再資源化の強制は不法投棄を助長することになります。
では、どうすればよいのか?経済合理性にかなう価値のある廃物は、業者が有償で資源として買い取ればよいのです。それ以外の経済活動において需要のない廃物は本来のごみとして処理すればよいのです。ゴミをゴミとして捨てることを許さない制度が不法投棄を助長するのです。
現在日本で行われている公的資金を投入することによって行われている過度の廃物の再資源化による過剰供給を根本的に見直すことこそ必要であり、レジ袋の有償化など、無意味です。
さて、近年、人為的CO2地球温暖化脅威論が蔓延したことも、過度のリサイクルを後押しする要因になっています。温暖化の脅威を防ぐためには人為的に放出されるCO2量を減らすために石炭や石油燃料消費を削減することが重要であり、同様の理由から石油製品であるプラスチックごみを焼却処分することに対して否定的な見解が幅を利かせています。そのためにもプラスチック使用量を減らし、リサイクルを推進せよ、というわけです。
しかし、前回触れたように、人為的に放出されているCO2の温室効果は地球大気の温室効果の内、高々0.15%にも満たないものであって、地球の表面環境の温度状態に脅威となるような悪影響を与えることなど自然科学的にはあり得ないことです。この意味から「地球温暖化防止のためにレジ袋の有償化」などというのはお門違いです。
不毛といえば、今回の容器包装リサイクル法省令改定において、有料化の対象として一部のレジ袋を除外したのも合理性を欠いたバカな話です。消費者としては、レジ袋の厚さが50μmより厚かろうが薄かろうがそんなことに頓着していません。バイオマス含有量25%以上なら地球温暖化防止に有効だからなど、まったく非科学的な主張です。
しかし、それにも増してこの点について疑問を呈した国連の主張もバカバカしく不毛な主張です。新聞記事を掲載しておきます。
前回、IPCC2007年報告の図について『上図からだけでも、人為的な影響よりも、地表面環境の温度変化による主に海洋からのCO2放出量の変動が近年の大気中CO2濃度変動の主要な原因だということがわかります。』と書きました。
このホームページを以前からご覧の方にとっては自明のことですが、初めてご覧になる方にとっては説明不足であったと思いますので、捕捉しておきます。まずIPCC2007年報告の図を再掲します。
前回触れたように、黒の文字と矢印で示したのは産業革命以前の炭素循環です。赤で示したのはその後現在(図がまとめられた当時)までの変化量です。
産業革命以前の炭素循環
地表面環境から大気への年間CO2放出量qin(炭素重量:Gt/年)の内訳は次の通りです。
海洋からの放出量 qin1=70.6 Gt/年
呼吸による放出量 qin2=119.6 Gt/年
したがって、
qin=qin1+qin2=190.2 Gt/年
地表面環境の大気からの年間CO2吸収量qout(炭素重量:Gt/年)の内訳は次の通りです。
海洋による吸収量 qout1=70.0 Gt/年
総一次生産(光合成) qout2=120.0 Gt/年
風化による吸収量 qout3=0.2 Gt/年
したがって、
qout=qout1+qout2+qout3=190.2 Gt/年
一方、大気中に存在しているCO2の量Q(炭素重量:Gt)は、
Q=597.0 Gt
でした。
大気中ではCO2が生産されることはないので、地表面環境の炭素循環を考えるとき、独立変数となるのは地表面環境からの年間CO2放出量qinです。大気中に存在するCO2量Qや地表面環境による吸収量qoutは従属的に変化すると考えられます。
化学平衡と反応速度
気体と液体が接触したモデルを考えます。Xは気体の種類であり、[X(液体)]は気体Xの液体中の濃度を示し、[X(気体)]は気体Xの気体中の濃度を示します。v1は気体Xの液体への溶解速度、v2は気体Xの液体からの放出速度を示します。k1とk2は温度や気圧などの条件によって定まる比例定数であり『速度定数』と呼ばれるものです。
可逆反応において、特殊な状態として
v1=v2
になる場合を『化学平衡』と呼び、見かけ上、Xの濃度変化がなくなります。
ここでは気体XがCO2であり、液体は水(海)です。CO2の水への溶解反応は発熱反応です。したがって、反応系の温度が上昇すると逆反応である水からのCO2放出が増加する方向に平衡状態が遷移します。つまり、大気中のCO2濃度が上昇します。
さて、大気中のCO2濃度は高々300−400ppm程度なので、大気中のCO2存在量Qに比例すると考えて差し支えありません。また、qinとqoutはそれぞれv2とv1に比例します。
以上をまとめると、大気中CO2濃度が平衡にあると見なせる大気では比例定数をrとすると次の関係が成り立ちます。
qin=qout=r×Q, ∴Q=qin/r
実際には、海洋だけではなく、陸上においても地表面環境と大気の間でCO2が循環しています。陸上のCO2放出源は生態系における呼吸であり、吸収源は一次生産=植物の光合成です。いずれも気温が上昇すれば活発になり、吸収反応である光合成はCO2の大気中濃度に比例して増加するため、海洋部分と同じ構造を持っています。したがって、上式は陸域を含む地表面環境についても成り立ちます。
産業革命前の平衡状態
産業革命以前の平衡状態についてまとめておきます。
qin=qout=190.2(Gt/年)
Q=597.0(Gt)=qin/r=190.2(Gt/年)/r
∴r=190.2(Gt/年)/597.0(Gt)=0.3186(1/年)
産業革命以後の変動
さて、もう一度IPCC2007年報告の図に戻って、産業革命以後の変化についてまとめておきます。
地表面環境から大気への年間CO2放出量の増加の内訳は次の通りです。
海洋からの放出量の増加
qin3=20.0 Gt/年
土地利用の変化による放出量 qin4=1.6 Gt/年
化石燃料の使用による放出量 qin5=6.4 Gt/年
したがって現在の年間CO2放出量は、
qin=190.2 (Gt/年)+qin3+qin4+qin5=218.2 (Gt/年)
地表面環境の大気からの年間CO2吸収量の増加の内訳は次の通りです。
海洋による吸収量の増加 qout4=22.2
Gt/年
陸の吸収量
qout5=2.6 Gt/年
したがって現在の年間CO2吸収量は、
qout=190.2 (Gt/年)+qout4+qout5=215.0 (Gt/年)
以上から、産業革命以前と現在の炭素循環の最大の変化は、海洋における年間CO2循環量が20Gt程度増加したことであることがわかります。
これは、大気と海洋を巡る炭素循環が近年の気温上昇によって活発化すると同時に、CO2の海洋への溶解反応が発熱反応であり、環境の気温上昇によって、ルシャトリエの法則に従って、吸熱反応が進む方向、つまり大気中CO2濃度を上昇させる方向に平衡状態が遷移した結果なのです。
数値的には多少違っていますが、大気中のCO2濃度変化はそれほど早くありませんから、分析上、qin=qout=218.2
(Gt/年)として議論を進めます。
IPCC2007年報告の図から、現在の大気中に存在するCO2量は
Q=597(Gt)+165(Gt)=762(Gt)
さて、産業革命以前の比例定数rが変化しないものとして、大気中のCO2量を求めると次の通りです。
Q=qin/r=218.2(Gt/年) / 0.3186(1/年)=684.9(Gt)<762(Gt)
したがって、産業革命以降の大気中CO2量の変化は、単に地表面環境からの年間CO2放出量が増加しただけではなく、地球の表面環境の気温や植生などの変化によって、比例定数rが変化した結果であることがわかります。現在の比例定数rを改めて計算すると以下の通りです。
r=218.2(Gt/年) / 762(Gt)=0.2864(1/年)
人為的なCO2放出が与える影響
では、現在の大気中のCO2存在量762Gtの中に占める人為的に放出されたCO2の影響を考えることにします。これまでの議論から、
Q=qin/r=(qin1+qin2+qin3+qin4+qin5)/0.2864
qinは、各放出源からの放出量の線形結合で表されます。したがって人為的なCO2放出による影響は
qin5/0.2864=6.4/0.2864=22.35(Gt)
したがってQに占める割合は
22.35/762.0=0.0293=2.93%
にすぎません。
産業革命以前の大気中CO2濃度を280ppmとすると、
597(Gt)/280(ppm)=2.132(Gt/ppm)
つまり大気中のCO2量の2.132Gtが濃度1.0ppmに相当することになります。したがって、IPCC2007年報告の現在の大気中CO2濃度は次の通りです。
762.0(Gt)/2.132(Gt/ppm)=357.4ppm
産業革命以前から現在までの大気中CO2濃度上昇量は
357.4(ppm)−280.0(ppm)=77.4(ppm)
現在の大気中CO2濃度に占める人為的な影響は次の通りです。
357.4(ppm)×0.0293=10.47(ppm)
したがって、産業革命以前から現在までの大気中CO2濃度上昇量である77.4ppmの内、人為的な影響は10.47ppm、率にして0.135=13.5%に過ぎず、85%以上は自然増加だったのです。
あるいは、たとえ人為的なCO2放出量をゼロにしたとしても、大気中CO2濃度は10ppm程度しか減らすことはできないということになります。
さて、地球大気の全温室効果のうち、CO2による効果は5%程度です。今回の検討から、現状では大気中CO2濃度に占める人為的な割合は2.93%でした。したがって、たとえ人為的なCO2放出をゼロにしたとしても、地球大気の温室効果に与える影響は
5%×2.93%=0.1465%
の減少にしかすぎません。温暖化対策としてのCO2放出量の削減は全く効果がないと考えられます。
NHKニュースによると、JAXAの地球観測衛星『いぶき』からのリモートセンシングによる観測結果の分析から、今年の1−4月期の首都圏における大気中に放出されたCO2量が減少したことがわかったと報道されました。NHKのネット記事から紹介しておきます。
これは当然のことであって、わざわざニュースにするほどのこともない内容です。コロナ感染症に対する対策として行われた経済活動の自粛、外出・移動規制によって経済・商業活動が激減したことから、現在の社会の動力源である化石燃料消費が減ったのですから、当然CO2排出量が減少したのは当然です。
だからと言って、大気中CO2濃度が低下するかといえば、その可能性は皆無であろうと考えます。これまでも繰り返し述べてきたように、地球の表面環境から大気中に放出されている人為的CO2量は、全体の3−4%にすぎませんから、これが多少減ったとしても大気−地表面環境の炭素循環を劇的に変化させる要因にはならないからです。
上図はIPCC2007年報告に掲載されていた地表面環境における炭素循環の概要です。黒の文字、矢印で示されているのは産業革命以前の炭素循環であり、赤で示されているのはその後現在までの変化量です。
上図からだけでも、人為的な影響よりも、地表面環境の温度変化による主に海洋からのCO2放出量の変動が近年の大気中CO2濃度変動の主要な原因だということがわかります。
最近の温度変化と経済活動のいずれが大気中CO2濃度の変動に大きく作用していたかを見ておくことにします。
上図は近年の大気中CO2濃度の変動を示したものです。
近年の世界的な温度変化に対して大きな影響を与えた自然現象の代表的なものが1991年のフィリピンのピナツボ山の大噴火です。火山灰は成層圏にまで吹き上げ、数年間にわたって有効太陽放射が減少した結果、全世界的に気温の上昇傾向が抑えられることになりました。その結果、海洋からのCO2放出量が押さえられ、大気中CO2濃度の増加傾向が明らかに鈍りました。
一方、世界的に経済活動が低下し、したがって化石燃料消費が減少したリーマンショック以降の数年間について見ると、大気中CO2濃度の上昇傾向が明らかに鈍化するような気配は見られませんでした。
これらの結果から、気温変動は明らかに大気中CO2濃度変動の原因であるが、人為的なCO2排出量の変化がCO2循環に与える影響は小さく、大気中CO2濃度を劇的に変化させる可能性がほとんどないことがわかります。
もちろん、経済活動の停滞によって、人為的に放出されるCO2量が減少するのは事実です。しかし、それは大気中CO2濃度の変動には大きな影響を与えないということを観測事実が示しています。今回のコロナ感染症の蔓延による経済活動の落ち込みはリーマンショックを超える第二次世界大戦後最大の落ち込みといわれています。今回の大気中CO2濃度に与える影響を見ることで、人為的なCO2放出量削減対策の有効性に対する認識を検証する好機になるのではないでしょうか。