『石油代替エネルギー供給技術の検討』の連載をとりあえず終了しました。石油代替エネルギーの問題については、既に§2-1あるいは§3-1で取り上げており、今更の感がありましたが、あまりに無責任かつ非論理的な石油代替エネルギー論が蔓延しているために、仕方なく連載を行った次第です。
§3-1の槌田のレポートで示されているように、動力文明として考えると、人類の文明は人力文明→畜力文明→石炭文明→石油文明の4段階が全てです(ただし、現在の石油文明は、石炭・天然ガスを包括しているものとします。)。
工業生産とは、石炭利用に始まる、エネルギー資源の自らの能力による拡大再生産が可能になった時点で成立したものです。工業化以前に、暖を取るために石炭を採取して燃やすような利用があったかもしれませんが、これは工業ではありません。蒸気機関の発明によって、石炭の能力によって自らの『拡大再生産』が可能になり、余剰エネルギーを生産活動に供給できた段階で初めて、工業生産が始まったのです。石炭の利用技術の成熟によって、更に石油や天然ガスという、炭化水素系の燃料資源の総合的な利用が可能になり、現在の石油文明に到達したのです。
工業技術とは、炭化水素系燃料によるエネルギー供給技術と表裏一体であり、究極的には炭化水素系燃料の利用技術であり、石油を中心とする炭化水素系の燃料資源を消費せずに成立することは有り得ないのです。
近年になり、主として電子機械系の応用技術が目覚しい発展を遂げ(とは言っても、本質的な技術革新があったと言うより微細な製造技術の進歩にすぎないようですが・・・)、人々にあたかも科学・工業的な技術は何でも出来るような錯覚を抱かせていますが、エネルギー供給技術においては、産業革命以来、次元を異にするような画期的な技術革新はないのです。
文明を支える動力には、自己の再生産に加えて余剰に供給できるエネルギーがあることが必須条件です。現在検討されている全ての『石油代替エネルギー供給技術』は、石油に支えられた工業生産なしに自己を単純再生産することも出来ません。このような技術をいくら寄せ集めたところで、石油の使用量が削減できる可能性はないことは自明のことであり、まして代替など不可能です。
そもそも、太陽電池や燃料電池などという新技術は、大規模なエネルギー供給システムとして実用化されたのではなく、ある特殊な環境下における使用価値によって存在しているのです。これを全ての工業生産を支える莫大な容量を要する基本的なエネルギー供給システムとして利用するという発想そのものが誤りなのです。
こうした大局的・本質的な問題が理解できず、新物好きで、重箱の隅をつつくような瑣末な新技術に埋没して一喜一憂している『新技術マニア』の皆さんには、どうもこの辺りの事情が『信じられない』様です。彼等にとって、科学技術は信仰の対象なのでしょう。
さて最後に、新エネルギーの主役になった感のある風力発電ですが、その実態について面白い報道があるので、参考のために紹介しておきます。
ニュースワイド:恵山町・風力発電事業破たん1カ月半 /北海道(毎日新聞)
破たん3セクの風力発電施設、町が無償譲り受け(日本経済新聞)
シリーズ:ヒューマンエナジー 「風力発電が破綻?」 (北海道経済産業局)
報道によると、計画段階における杜撰な風況調査が大きな原因として挙げられています。しかし、所詮風任せの不安定な風力発電の持つ本質的な問題が現われたと考えるべきです。引用記事の3つ目が『北海道経済産業局』によるというのも皮肉です。風力発電についての先進地である北海道において、そろそろ風力発電の広告塔としての役目も終わりを迎えつつあるようです。
「風力発電〜水素製造プラント」などという高価なオモチャ作りに熱心な、環境省の無能な『高給』官吏諸君、どう考えますか?「発電用市民風車」を目指すAPUの学生起業家諸君、まだ風力発電計画は健在ですか?「エコエネルギー導入促進条例」を制定した大分県の木っ端役人諸君、赤字再建団体にならないためにも、条例を破棄したほうがよいのではないですか?皆さん、そろそろ夢から醒めて、冷静な議論を始めた方がよいのではないですか?
アンケートの書込みを二つ紹介します。
エネルギー - 2004/05/24(Mon) 21:36:51
自分は役所土木の仕事をやってます。
数年前に、道路の視線誘導標で、太陽光電力の物が高額にもかかわらず採用され、
今は故障したまま眠ってます。
実験室・工場の中での理屈を、外の現場にそのまま持って来ても、こーなるのです。
現場レベルで分かっていることが、どうして大企業本社なり、役所本庁なり、のエラいさんには、分からんのでしょうか・・・。
このサイトに来ると、「バカばかりではないんだ。」と、いつも救われた気分がします。
エネルギー - 2004/06/12(Sat) 05:59:30
先日薩摩半島方面を旅行し、風力発電の風車を目の当たりにしその威容(異様な)に驚くとともにその経済効果を理解できました。道路やダムに風当たりの強い現在、土建業界の生きる道になりそうなものでしょう。建設エネルギーなんて頭の隅にも無いのは間違いありません。太陽光発電もそうですが、若い真面目な人たちが勘違いさせられなければいいのですが。
普通の感覚として、日の光を受けるだけで、今日の莫大なエネルギー消費を賄うとか、回ったり止まったりする『巨大な』風車で電力を賄うということは、考えないのではないでしょうか?日向は暖かいから、タライに水を張って、日向水にして子供を行水させるとか、オランダの風車のように優雅に回って水を汲むとか、唐臼で粉を挽いたり・・・、というのが自然の感覚ではないでしょうか。
工場で電気を作るのと、野外に曝された自然エネルギーによる発電装置は、全く異質のもです。野外で働き、自然環境の厳しさを肌身を通して感じている人に比べて、研究室で数式をいじくっている人は、どうもこのあたりの現実感覚が麻痺しているようです。
偉い先生やマスコミが言うと、何となく太陽の光や風で電力が賄えるのだ思わされ、ごく普通の皮膚感覚が失われてきているように感じます。巨大な風力発電用の風車を見て『異様』と感じる皮膚感覚を取り戻したいものです。日向水や揚水風車、唐臼や芋洗い水車が普通の情景として見られる暮らしに戻ることが一番よいのだと思うのですが・・・。
石油代替エネルギー技術についての連載は、自然エネルギーについての章まで、とりあえずまとめました。このコーナーで触れた石油代替エネルギー技術に対する評価や、このHPに寄せられた疑問などを元にまとめましたが、いかがでしょうか?御意見をお聞かせください。
また、アンケートの書込みを一つ紹介します。
二酸化炭素地球温暖化脅威説批判 - 2004/06/06(Sun)
01:02:30
こんにちは。
太陽電池および風力発電の石油資源割合について疑問があります。他の掲示板でも指摘されていましたが、試算における最初の仮定の大きな錯誤があるように思われます。太陽電池や風力発電における石油割合を「高く仮定」すれば、結論も高くなるに決まっている、との指摘がされていました。石油割合仮定の根拠の記載が是非必要と思われます。
また、その仮定から得た結論も、太陽電池は火力発電の最大6.8倍の石油を使用するというものでしたが、それでは現行の太陽電池の発電コストを大きく上回り解として適当ではありません。
さて、この書込みは、代替エネルギー問題についての、ある掲示板でのやり取りをご覧になって書かれたものだと思います。二酸化炭素地球温暖化脅威説批判の第二部の自然エネルギー技術に対する記述に対する御意見です。御指摘はごもっともです。
まず、何度かこのコーナーでも触れましたが、私自身、エネルギー問題にはあまり興味ないので、これまでのこのホームページにおけるエネルギーに対する議論は多少大雑把になっていることは否定しません。ただ、大雑把な話とはいえ、主張している内容について、基本的な判断を覆すような新事実が無いことも事実です。
まず、石油代替エネルギー技術に対して、未だに信頼に足るエネルギーコスト分析を行ったレポートが皆無であることが混乱の一つの原因です。この点に関しては、エネルギーコスト分析をすれば、石油代替エネルギーの化けの皮がはがれてしまうので、怖くて誰もやらないというのが現実です。
このような状況で、エネルギーコストを推測するのに有効な手段は、経済コストによる推定です。二酸化炭素地球温暖化脅威説批判の第二部では、発電技術のみについてのエネルギーコスト分析の近似値を推定することを試みたのですが、発電原価の何割がエネルギーコストに当たるかという数値の設定が今回問題にされています。この点については、大雑把な話で、この程度のものであろうという推測であることは否めません。ただし、その不確定性は私自身、十分承知しています。この点につきまして、信頼に足るデータをお持ちでしたら、御提供ください。
取り上げた、太陽光発電については、火力発電の数倍(申し訳ありませんが、6.8倍という数字に意味があるとは私自身、考えていません)の石油消費を伴うというもので、多少過大な設定があったとしても石油火力の優位性が覆ることは有り得ません。風力発電に対しては、石油に対するエネルギー産出比は同程度ですが、風力発電の不安定性を考慮すれば、石油火力の優位性は、これまたゆるぎないものです。
この件に関して、掲示板で意見を述べたのですが、残念ながら掲示板の限られたスペースでは十分な説明が行えないため、このホームページで連載記事を書くことにした次第です。エネルギー問題とは、環境問題の本質とはかかわりのない問題であり、私としては後ろ向きの作業だと考えていますので、これまでもあまり気がすすまなかったのですが、この際、一度問題点を整理しておこうと考えています。
私の石油代替エネルギーに対する評価は、この連載で明らかにしてゆきますが、もし、この書込みをされた方、以前の私の記述の中のどの仮定にどのような『錯誤』があり、『現行の太陽電池の発電コストを大きく上回り解として適当ではありません。
』とありますが、太陽光発電の発電コストをお示しいただきたいと思います。太陽光発電についての信頼にたるエネルギーコスト分析のデータをお持ちでしたら、是非御提供ください。よろしく御協力お願いいたします。
まず、アンケートの書込みを一つ紹介します。
地球温暖化 - 2004/05/14(Fri) 09:38:55
先日大学の授業で「二酸化炭素→温暖化」の図式はあくまで仮説にすぎないし「南極の氷は増える!」と知りました。ですがあまりにもその説ばかり有名すぎて簡単には信じれずHPを回っていたのですが、何処も似たような内容で(汗)貴殿のサイトを発見できた事にとても感謝しています。まだまだヒヨコの私でも分かるように丁寧に解説して下さってあり勉強になりました。そして自分の視野の狭さや無知さをひしひしと感じました。将来はこちらの分野に進もうと思っていたので本当にお恥ずかしい限りです。次回の更新も楽しみにしております。
これは、三重大学の学生さんからの書込みです。「その説ばかり有名すぎて簡単には信じれず・・・」とあるように、日本の高校までの教育では、理論的な背景の説明なしに、二酸化炭素地球温暖化説が『定説』として教えられているのでしょう。それはさておき、日本の大学の講義において正面から『二酸化炭素地球温暖化説』に懐疑的な主張をされる教官がいることに、非常にうれしい驚きを感じ、同時に敬意を表したいと思います(もっとも、観測結果を偏見なく解釈すれば、当然の結果なのですが・・・。)。
さて、国公立大学も、良いか悪いかはここでは議論しませんが、行政改革のあおりを受けて、独立行政法人化によって、研究予算の自己調達を意識的に行わなければならない状況になっているようです。地方大学においてはこれは死活問題なのではないでしょうか?
特に、昨今流行の『環境工学』関係の国の研究予算の争奪戦は、かなり激烈なのではないかと想像します。過去の『実績』の無い地方大学にあっては、少々目立つ研究テーマを提起しなければ、容易に研究費は回ってこないでしょう。
しかし、同じような指向性の研究をしようとするから大変なのですから、頭を切り替えて、全く逆の発想で勝負してはどうでしょうか?まずは、全くお金のかからない文献調査を行って、『二酸化炭素地球温暖化脅威説』を徹底的に打ち砕くのです。研究成果は、珍しいものが好きなマスコミ・報道機関を使って、どんどん公表します。世論を味方につければこちらのものです。
こうなると、国もこれまで湯水のように垂れ流していた、新エネルギー関連の研究予算を継続することは、世論の目もあって難しくなります。二酸化炭素地球温暖化脅威説を徹底的に打ち砕いた大学は、先駆的な業績によって、研究予算を総取りです?!
ま、この様にうまくいくかは別にして、何も金のかかる研究ばかりが社会的に意義のある研究ではないでしょう。いい加減に国の研究補助金にたかって、嘘と知りつつ行う研究とは決別してはいかがでしょうか。
環境技術や行政の問題点について述べてきましたが、これを許し、環境問題についての誤った認識を広く定着させる上で、マスコミ・報道機関の環境問題報道の責任はきわめて大きいものだと考えます。
環境問題報道に限らず、日本のマスコミ・報道機関による報道内容は、その大部分が国や地方自治体あるいは企業・大学などの権威機関の一方的な情報、いわゆる『玄関ねた』の垂れ流しが大きな部分を占めています。そこには、報道するものとしての主体的な内容の分析や事実の確認といった、基本的な作業が欠落し、報道対象との緊張関係が失われています。
環境問題報道に関しては、繰り返しこのコーナーでも触れてきました。その結果、自ら報道した記事相互の論理的な矛盾すら放置するという、誠に無様な状況が続いています(ただし、彼等自身はそのことに全く無頓着なようですが・・・)。
今回は、2004年4月27日付大分合同新聞夕刊の記事を題材に、新聞報道について考えて見ることにします。
記事の表題は『国内最大の太陽光発電』、副題は「300世帯分を賄う能力」というものです。この記事は、つくば市にある産業技術総合研究所つくばセンターに完成した太陽光発電施設についての報道です。以下、報道内容を記事に沿って見ていくことにします。
一般家庭三百世帯分を賄える出力千キロワット以上の発電能力を備えた国内最大の太陽光発電システムが、茨城県つくば市の産業技術総合研究所つくばセンターに完成し二十七日、設備が公開された。
細かいことを言えば、この部分の表現も正確ではありません。記事の後段で出てきますが、1000kWという出力が平均的な家庭300世帯分の発電出力ではありません。既に繰り返しこのホームページでも触れていますが、太陽光発電や風力発電という自然エネルギー発電システムにおける、『定格発電能力』には、意味はありません。これを野外に設置した場合の実効発電能力が評価の規準になります。
後段で述べているのは、年間100万kWhという発電量が、300世帯分の電力量に相当すると言っているだけです。この値から、逆に平均稼働率をどの程度に想定しているのかを算定してみます。
100%稼働率の場合の1000kWシステムの年間発電量は、1000kW×24h×365=8,760,000kWh=876万kWh。想定している平均稼働率は、100/876=0.114
ということになります。これは、一日の有効な発電時間が3時間※)弱に相当することになりますので、稼働率の見積もりとしては、まずは妥当な値だと思われます。
太陽電池パネルの面積は合計で約六千五百平方メートルに達し、サッカーグラウンド一面分に相当する広さ。
パネルに単結晶シリコン型など四種類の材質を使っており、研究所内に電力を供給するとともに、性能比較などエネルギー技術の評価を行う。
太陽光発電は地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を全く出さないため、電力会社の電気を使うのに比べ、年間でCO2排出を約三百トン削減できる見込みという。
二酸化炭素を全く出さないなどと、マスコミ・報道機関が繰り返し報道した結果、自然エネルギーに対して謂れのない信仰が生まれることになりました。産業技術総合研究センターのホームページでさえ、二酸化炭素を全く出さないなどとは言っていません。
問題は、この『約三百トン』の削減効果というものが実態を反映したものかどうかという評価なのですが、『二酸化炭素を全く出さない』と信じている、マスコミ・報道機関の諸君には思いも及ばないことであり、期待するだけ野暮でしょう。
完成したシステムは、分散型太陽光発電設備といわれ、研究所内の建物や敷地内斜面などに取り付けた太陽電池パネル約五千六百枚と、直流電流を交流に変換する装置二百十一台で構成。費用は約八億円。発電出力はピーク時八百六十九キロワットで、これに既存の設備を加え、千キロワットを超えた。
このシステムで、同研究所つくばセンターの年間電気使用量の0.8%、一般家庭では約三百世帯分に相当する年間約百万キロワット時の電力が供給できるとしている。
この部分がこの記事の核心部分です。今回建設されたシステムには、太陽光発電からの不安定な出力を安定化するためのバッファーは備えられていないようです。『発電出力はピーク時八百六十九キロワット』と書かれていますが、これは誤りです。産業技術総合研究センターによると、太陽光発電の定格出力を表現する単位として、ワット・ピークを以下のように定義しているにすぎません。
Wp(ワット・ピーク)とは、標準試験条件(日射強度1,000W/m2、エアマス1.5、太陽電池温度25℃)の状態に換算した太陽電池パネルの最大出力の単位。
実際に、この定義にあるような条件が満足されるような状況は、起こり得ないと考えられます。
まず日射強度ですが、太陽定数は、1.95cal/cm2・min=1365W/m2 程度ですから、1000W/m2
はその73%強ということになりますが、日本の緯度を考えると、果たしてこれが妥当かどうか・・・。一般的には、太陽光が大気中を通過して地表に到達するのは大気圏外の50%程度と考えられています。
次に、太陽電池温度ですが、仮に1000W/m2の日射を受けたとしたら、とても25℃などという低温ではないと考えられます。太陽電池パネルの温度の上昇は、発生エントロピーの増加を意味しますから、当然発電効率は低下することになります。以上を考慮すれば、定格出力869kWは、かなり水増しした値だと考えられます。
今回建設されたシステムは、定格出力869kWで約8億円の建設費です。同じ建設単価として1000kWでは9.2億円ということになります。年間100万kWhの出力として、耐用年数を20年間と仮定すると、総発電量に対する施設建設単価は、
920,000,000円/(1000000kWh×20)=46円/kWh
となります。これに運転コストなどを考慮すれば、発電単価は50円/kWh程度になるでしょうか。火力発電単価が6円/kWh程度ですから、とてつもなく高価な発電方式ということになります。これは、資源と石油の浪費であることを示しています。
報道内容を元にここで算定した数値は、既にこのホームページで検討してきた結果と大差ありませんので、いまさら大金をつぎ込んで『研究』する意味などありません。また、太陽光発電システムが、環境問題の改善には役立たないことは、もはや疑う余地はありませんから、今更このような無駄な実験をすることに必然性はありません。この産業技術総合研究センターの太陽光発電システムに関する報道で、本来報道すべき事柄は、またしても国やそれにたかる研究者は、無駄な研究のために大量の税金を浪費しているということ以外にはありません。このピントはずれの新聞報道は、マスコミ・報道機関の無能さをまたしても露呈してしまいました。
【補足】
ワット・ピークとは、太陽電池パネルの定格(最大?)出力を表示するために定められた単位のようです。その妥当性について考えてみます。
太陽常数1.95cal/min・cm2は、大気圏外において太陽光の方向に垂直な面の単位面積・時間あたりに供給される太陽光エネルギーです。これをW/m2に換算しますと、前出のように1365W/m2になります。これは、大気による反射・吸収がない場合の黄道面上における南中時の単位面積・時間あたりに地表の受取るエネルギーということになります。
実際の太陽光発電ユニットの例として、住宅用3kWシステムを考えてみます。太陽電池パネルの受光面積は30m2程度といわれます。単位面積あたりの出力は、100W/m2ということになります。もし、ワット・ピークの定義に従うとした場合、太陽電池パネルの変換効率は、100/1000=0.1、つまりこの場合の変換効率は10%ということになります。
現在、最も高性能の太陽電池パネルの変換効率は20%を越えているといいます。仮に変換効率を20%と仮定すると、日射強度は半分の500W/m2ということになります。普及品ということで、太陽電池パネルの変換効率を15%と仮定しますと日射強度は666.7W/m2となります。太陽常数の50%は682.5W/m2ですから、大体この程度と考えられます。
以下、太陽光の地表への到達率を50%として、この発電システムの『ピーク発電能力』を修正してみます。太陽電池パネルの発電特性がどのようなものかは不明ですが、とりあえず供給される太陽光量に線形的に反応するものと仮定します。
869kW×50/73=595kW.
更に、太陽電池パネルの温度上昇による発電能力の低下を10%と仮定すると、
595kW×0.9=536kW
ということになります。単位面積あたりの発電能力は、
536,000W/6,500m2=82.5W/m2.
一日の実効稼働時間を3時間とすると、一日の発電量は、
82.5W/m2×3h=247.5Wh/m2=247.5×3,600J/m2=891,000J/m2.
太陽光によって供給されるエネルギー量に対する発電効率は、
891,000J/m2÷30,750,000J/m2=0.029≒3%.
耐用年数を20年とした場合の総発電量は、
247.5Wh/m2日×6,500m2×365日/年×20年=11,743,875kWh.
この修正した値で発電単価を算定すると、
800,000,000円÷11,743,875kWh=68.1円/kWh.
この結果は、『2001年6月総合資源エネルギー調査会新エネルギー部会報告における試算結果』における試算結果73円/kWhと大きく変わらない結果です(ここでの算定では、ランニングコストを含んでいません。)。
もし仮に、洋上のフロートないし海洋構造物上に太陽電池パネルを設置することになれば、このシステムを維持するための石油利用効率は著しく悪化することになり、更に電力安定用のバッファーを設けることになれば、とてつもなく高価で非効率的なシステムになることは自明のことであり、大規模太陽光発電の研究など、まさに無意味です。
※)一日の平均発電時間について
太陽光発電の定格出力ないしピーク発電量に対する一日平均の稼働率について、このホームページでは3時間程度と推定してきました(例えばHP管理者からNo.089)。ここでは気象データからもう一度検討して見ることにします。以下に示す表は、日照時間の月別の平年値を示しています。
『気象人』the mag for kishojinより
これを見ると、日本各地における日照時間の傾向は非常に大きくばらついていることが分かります。とりあえずここでは、地域的な気象の特徴は考えずに、単純に平均値をとると、月当たりの日照時間は157.8時間程度になります。この値から、一日の平均稼働時間を推定すると、以下の通りです。
157.8時間/月÷30日/月×2÷π=3.35時間/日
一日3時間程度の稼働率という数字は、ほぼ妥当なものだと考えます。
前回述べたように、環境技術の現状は、環境問題の本質や構造を理解していないために、全く実効性がありません。このような技術をいくらかき集めても環境問題が改善されることはありません。それどころか、むしろ環境問題は取り返しのつかないほど悪化することになりかねません。
国や政党の、誠に能天気な政策立案者たちは、このような環境技術を社会に導入することによって、環境問題の改善と同時に『持続可能な経済成長』が可能だと信じています。
環境問題に熱心だと『思われている』ある進歩的な政党は、風力発電に代表されるエコエネルギーないし新エネルギー技術の導入と、土木建設業に変わってIT産業を振興することによって、環境問題を改善し、しかも経済成長が実現できると信じているようです。これは、科学技術に対する無知と信仰でしかありません。
既に何度も繰り返していますが、エコエネルギーないし新エネルギー発電システムは、現在の石油(天然ガス・石炭を含む。以下同様)火力発電システムに比較して、極めて石油および鉱物資源浪費的なシステムです。その結果、現在と同水準の電力供給を行うためには、現在の石油火力発電システムの数倍から数十倍以上のハードウェアが必要になり、同時に石油消費量も増大することになります。
更に、石油を直接燃焼させる移動動力も、すべて電気に置き換える(燃料電池〜電動機システムによる置き換え)ことになれば、迂回過程によって石油利用効率が下がることともあいまって、電力需要が更に数倍から数十倍になると考えられます。
エコエネルギーないし新エネルギーを導入することで、確実に産業規模は肥大化することになり、これは莫大な経済成長を誘発することになります(しかしそのうち、あまりにも無駄な巨大施設建設コストに国家財政は耐えられなくなるでしょうが・・・)。しかし、同時に石油を含む鉱物資源の枯渇を加速し、環境問題が本質的に更に悪化することになることは明らかです。
ここで、どのような『バラ色の未来像』になるかを極端な例で示して見ましょう。例えば、電力を全て太陽電池によって得る場合を想像して見ましょう。少し古いデータですが、日本の場合、エネルギー消費量は全平地面積に降り注ぐ太陽光エネルギーの4%程度です。太陽電池パネルの野外における実効発電能力を高めに見積もって、仮に4%だとします。
現行のエネルギー消費量を賄うためには、国土の全平地を太陽電池パネルで被い尽くすことが必要になります。更に、現在ガソリンエンジンなどで動いている車を燃料電池で置き換えることになれば、エネルギー消費量は数倍から数十倍になるでしょう。また、太陽光発電では、天気が悪い場合や夜間は全く発電できませんから、巨大なバッファーが必要になると同時に、更に効率が低下することになります。
どう小さめに見積もっても、全国土面積あるいはそれ以上の太陽電池パネル面積が必要になります。仮に地表を全て太陽電池パネルで多い尽くすことになれば、国土は常に真っ暗闇になってしまいます。それでは困るということになれば、国土面積程度の巨大なイカダを作ってそこに太陽電池パネルを設置し、バッファーとして揚水発電を行うためのダムを山間部に無数に作りますか?発電システムを維持・補修・更新するために一体どれほどの石油を含めた鉱物資源の継続的な投入が必要になるのでしょうか・・・?
このような巨大システムを作り上げることは現実的には全く不可能です。ここでは太陽光発電システムを想定しましたが、多少程度の違いはあるにせよ、エコエネルギーないし新エネルギー発電システムによって、エネルギー需要を賄うと言う構想は画餅にすぎないのです。また、部分的にこのような技術を導入することは、社会システム全体のエネルギー効率を低下させることになるのです。オール電化住宅、燃料電池車など、とんでもない話であり、補助金によってメーカーを太らせるだけなのです。
もう一つの問題に簡単に触れておきます。IT産業の振興です。IT製品が生活の隅々にまで入り込んだ社会では、供給電力に高い品質が要求されます。これは一方で進めようとしている、変動の激しい自然エネルギー発電の導入に対して高いハードルになることは明らかです。この一事を見るだけでも、科学的な視点を欠いており、政策的に矛盾だらけだと思いませんか?更に、IT産業とは、ほとんど『おもちゃ産業』であって、生活に必須の産業とは考えられません。このような分野を肥大化させようということ自体、果たして政策として適切であるかどうか・・・?また、No.117で触れたとおり、IT産業は石油浪費的で環境負荷の大きな産業であり、環境問題の今日的な問題点のひとつだということも理解されていないようです。
国だけでなく、野党政党の政策立案者諸君にも全く絶望です。
【補足】
ここでは太陽光発電の実績データに基づいてもう少し詳しい値を考えてみます。
まず、太陽光が地球の位置における単位面積あたりに供給するエネルギー量(太陽定数)は、1.95cal/min・cm2です。日本の緯度をN35°※)とすると、春秋分の南中時の単位面積あたりの太陽光によるエネルギー供給量は、
1.95cal/min・cm2×cos35°=1.59cal/min・cm2=95.84cal/h・cm2
春秋分の日照時間を12時間とすると、太陽高度を考慮した1日に受取る総エネルギー量は、
95.84cal/h・cm2×12h×2/π=732.2cal/cm2=3,075J/cm2=30,750,000J/m2
ということになります。
一方、太陽光発電の実績値で見ると、3kWシステム(太陽電池パネル面積30m2)の一日の平均発電量は、
10kWh/30m2=36,000,000J/30m2=1,200,000J/m2
程度です。以上から、太陽光発電の実効効率は、
1,200,000J/m2÷30,750,000J/m2=0.039≒4%
ということになります。
※)実際には、地軸の傾きによってこの角度は少し修正してやらなければなりません。地軸の傾きの影響を考慮すると、南中時の黄道面からの角度は31.8°程度ということになります。大雑把な概算ですので、ここでは35°そのものを使っておきます。
ちなみに、冬至においては、(23.4+35)°=58.4°、夏至では(35-23.4)°=11.6°になります。南中時の太陽高度は、冬至、春秋分、夏至でそれぞれ、(90-58.4)°=31.6°、(90-31.8)°=58.2°、(90-11.6)°=78.4°になります。
太陽高度の季節変化によって、南中時の受光能も大きく変動します。天候、大気中水蒸気量などにも影響されますが、単純に考えると、南中時の夏至における受光能は春秋分の1.15倍、冬至の1.88倍にもなります。更に、日照時間も考慮すれば、一日に太陽光から受取るエネルギー量の差はもっと拡大することになります。
太陽定数をSとすると、南中時の太陽光の放射強度は、夏至、春秋分、冬至でそれぞれ以下のようになります。
夏至 s=S×sin78.4°= 0.98S
春秋分 s=S×sin58.2°= 0.85S
冬至 s=S×sin31.6°= 0.52S
昼間の時間をDとすると、Dの値は、夏至、春秋分、冬至でそれぞれ、14.35時間、12時間、9.65時間程度になります。
一日の太陽放射強度の変化を日の出から日の入までを半波長とするサインカーブで表せるものと仮定します(実際には、太陽高度が小さくなると大気を通過する距離が急激に長くなるため、日の出・日の入近くではもう少し小さくなるでしょう)。このとき、一日に太陽放射から受取るエネルギー量は、2×s×D÷πで計算できます。この値を夏至、春秋分、冬至で計算すると以下の通りです。
夏至 0.98S×2×14.35÷π=8.95S
春秋分 0.85S×2×12.00÷π=6.49S
冬至 0.5298S×2×9.65÷π=3.19S
夏至に受取るエネルギー量は、春秋分の約1.4倍、冬至の約2.8倍ということになります。
太陽光発電実績例(中国電力ホームページより)
発電能力の日変動(地球の自転運動による影響)、天候による変動という短期変動に加えて、更にこの季節変動(地球の公転運動による影響)を電力供給システムの中で如何に調整するのか、大きな問題です。いずれにしても巨大なバッファーが必要になり、石油利用効率が極めて悪化することは明らかです。
既に本編で繰り返し述べてきたように、環境問題とは、生態系を含む地球の物理的な諸現象の(準)定常性全てにかかわる問題です。対策を講じる場合、全体的な整合性を如何に満足するかと言う視点が必要です。
しかし、現実には環境問題として認識されている個別事象に対して、環境問題全般を視野に入れた視点が無いために、近視眼的な対症療法に傾倒しています。これでは環境問題の改善はおぼつかないものにならざるを得ません。
最近の環境問題対策の最大の問題の一つが、二酸化炭素地球温暖化説に対する妄信であり、これを無条件に正しいものと『信じて』進められている技術開発です。
まず第一の問題点は、環境問題の今日的な中心課題を地球温暖化問題に矮小化しようという傾向が強いことです。しかも、温暖化の原因を、実証的・論理的な裏付けの無いまま、人為的に排出される二酸化炭素の増加に還元してしまっていることです。近年観測されている温暖化傾向の原因について、最近では環境省すら『・・・二酸化炭素がどのような理由で増え地球が温暖化したのか、逆に、どのような理由で温暖化が進み、二酸化炭素が増えたのかについては、未だ議論が分かれている。』と述べているのです(HP管理者からNo.111)。
しかしながら、国の環境対策、あるいは技術開発の方向性はいまだに、二酸化炭素地球温暖化脅威説を基盤にすえているのです。研究機関にたいする国家補助の多くが、この分野に投下されています。
こうした国の環境政策の下、環境問題対策技術を研究・開発する研究機関や大学においては、当然、補助金の受けやすい研究テーマに流され、その主流は二酸化炭素地球温暖化対策技術の開発へと収斂していくのです。しかし、驚くべきことに、彼等の中には本質的な問題であるはずの地球温暖化という現象の自然科学的な認識が全く無く、地球温暖化に対する認識は、マスコミ報道に洗脳されている一般市民と同レベルにすぎないのです。現在の工学における環境問題の専門家など、この程度のものなのです。
その結果、地球温暖化対策と言いながら、その実態は、工業的なプロセスから二酸化炭素の排出量を『表向き』減らすという、対症療法的技術開発にすぎないのです。
そこで、第二の問題点です。工学者の問題点はそれだけではないのです。前に、「工業的なプロセスから二酸化炭素の排出量を『表向き』減らす」技術と書きました。例えば、エネルギー技術分野では、近視眼的に工業的プロセスの運用段階で直接的に排出される二酸化炭素量を減らすことにだけ注目しています。電力供給分野では、太陽光発電や風力発電という自然エネルギー発電システムがもてはやされ、あるいは燃料電池システムという極めて高価な発電システムが研究されています。
これらの発電技術では、確かに発電段階において炭化水素燃料を用いないため、二酸化炭素を『直接』排出することはありません。しかし、これらのシステムを実現し、運用していくためには通常の工業生産システムによるバックアップが必要であり、大量の鉱物資源と石油をはじめとする炭化水素燃料の投入が必要です。しかも、これらのシステムは、そのコストが高いことからも分かるように、従来の炭化水素火力発電システムに比べて極めて低効率であり、それは同時に、総合的な資源・石油(炭化水素燃料)利用効率が低いことを暗示しているのです。
その他にも、ある電力会社では、炭化水素燃料の燃焼で排出される排気から炭素を燃料として回収しようという、言うなれば永久機関を実現しようという無意味な研究をまじめに考えている者さえいるのです。
工学の現状は、環境問題の全体像はおろか、自ら開発している技術の全体像さえ正確に把握することができないという驚くべき近視眼的な袋小路に突き進んでいるのです。
4月の大分県職員の部長級の人事異動で、私にとっては驚くべき、あるいは非常に落胆せざるを得ないことが起こりました。それは、大分県の環境行政の統括に当たる部署である生活環境部の部長人事です。新たに部長になったS氏とは、多少の面識があります(彼が覚えているか否かはともかく・・・)。
かつて、かの悪法『総合保養地域整備法』、いわゆるリゾート法による乱開発が大分県下でも吹き荒れました。当時は前平松知事の下で、巨大なリゾート構想が乱立しました。多くの構想はその杜撰な計画ゆえに完成を見ずに頓挫しました。完成した施設も、現在多くが悲惨な財政状況にあり、現在の大分県が財政再建団体に転落する危機に直面する一因となりました。当時久住町に住んでいた私は、久住町のリゾート開発計画に反対の立場から、何度か大分県と交渉を行いました。このとき、県側の担当としてリゾート推進室にいたのがS氏でした。
その後、S氏は、サッカーのワールドカップを大分県に誘致する部署に移りました。そしてここでも、大分市内に残されていた里山を切り開いて豪華なサッカー場を建設し、周辺開発によって良好だった自然環境を根こそぎにしたのです。
こうした輝かしい環境破壊の経歴を持つ彼が、今度は生活環境部の部長なのです。冗談ではありません。この人事には、怒りを通り越して、あきれ果ててしまいます。お役人様とは言え、立場によって、一貫性なく、ころころと姿勢を変えるような人物、とても信頼できるものではありません。優れて自然科学的な論理的一貫性を要求される環境行政において、このような人物は全く不適格だと考えます。
さて、またアンケートの書込みを一つ紹介します。この書込みには、正直、唖然とし、非常に落胆しました。
公開討論「大分県エコエネルギー導入促進条例」を考える - 2004/03/22(Mon) 22:52:45
この項目を拝見させていただきました。
近藤様のご意見は合理的かつ理論的なもの
であり、素晴らしいものだと思います。
しかし、行政側の意見として技術発展のため
あえて効率の悪い発電方法だとしてもそれに
取り組む姿勢は大事だと思います。
現代の環境課題は、目先の利・結論だけでは
到底克服できないものと思われます。
このような都市が増え、ますますエコに対する
興味、需要が増えることがまずは先決では
ないでしょうか?
この書込みをした方は、このHPの一体何を読んでいるのか、私には理解できません。このHPは、「§0.はじめに」で述べているように、環境論議には自然科学的論理性が不可欠だという視点で運営している『つもり』なのですが、これが全く伝わっていないことに、愕然とし、落胆しました。
・・・行政側の意見として技術発展のため
あえて効率の悪い発電方法だとしてもそれに
取り組む姿勢は大事だと思います。
エネルギー技術において、効率が悪いと言うことは、致命的な問題であり、そんなものに取り組むことに何の意義もないどころか、環境問題を悪化させることになるのは明白です。
現代の環境課題は、目先の利・結論だけでは
到底克服できないものと思われます。
これは文脈から見て、エコエネルギー技術が高価であるから、それを理由に環境問題を改善する技術として棄却すべきでないこと、現段階での技術レベルで結論付けるのは尚早であると言う主張だと理解します。
まずエコエネルギー技術が高価になる背景が、資源とエネルギーの大量消費にあること、更に自然エネルギーは、その時空的な不安定性という問題は将来的にも解決不能であることが理解されていません。
まして、行政は研究・開発機関ではないのですから、将来性で高価な技術を導入するなどありえないことです。技術的に確立して、明らかに環境問題の改善に役立つことを確認し、費用対効果を明確にした上で、初めて税金の投入が許されるのです。
大分県の対応は、税金を預かり、これを住民に代わって執行する行政として、最低の義務であるエコエネルギー導入における費用対効果の検討を全く行っていないものであり、現時点でこのような事業に対して税金を投下することは、行政としての緊張感を欠いており、あまりにも無責任です。
このような都市が増え、ますますエコに対する
興味、需要が増えることがまずは先決では
ないでしょうか?
これまた、エコエネルギー技術の本質的な問題を全く理解していない主張です。この方は、需要が増えれば製造コストが削減できて廉くなると考えているようですが、残念ながら問題の本質は別のところにあるのです。
例えば、燃料電池システムでは、多段階のエネルギー変換によるエネルギー・ロス、水素のエネルギー・コストの高さ、取扱いの難しさが本質的な問題です。自然エネルギーでは、エネルギー密度の低さ、時空的な不安定性が致命的な問題なのです。これはいずれも自然科学的かつ普遍的な問題であり、需要増大・製造プロセスの改良で超えられる問題ではないのです。大分県のような無謀な都市が増えれば、ますますエネルギー分野における環境問題は悪化することは避けられません。
この書込みでもわかるように、現在の行政官のエコエネルギーをはじめとする、環境技術に対する評価は、最も重要な自然科学的にみた論理的な分析が全く欠落しています。費用対効果すら明らかにされない事業に対する税金の投入は、住民に対する明らかな背任行為だと考えます。現在の『環境』行政は、住民に代わって貴重な税を執行するものとしての緊張感が全く欠落していると考えます。
このところ、環境問題をめぐって、落胆させられることが多すぎて、一体何から書くべきか迷った結果、このコーナーを一月間更新しないという結果になってしまいました。とりあえず、思いついたことから少しづつ書くことにします。
まずその前に、昨日4月8日以来、報道を独占している、イラクにおける邦人拘束について、触れておきます。ついに、小泉氏の米国盲従のイラク政策の最初の犠牲者として、民間人3名がイラクの反米組織によって拘束されました。自衛隊イラク『派兵』以降、再三日本を標的とした攻撃が予告されていました。これはイラクの反米組織としては当然の行動です。毛沢東の言葉でしたか『敵の敵は味方』であり、逆に『敵の味方は敵である』と認識されるのは当然の結果であり、予測可能であった事象です。
小泉氏ないし現政権は、米国の圧倒的な武力が、イラクの反米組織を圧倒し、『民主政権』=『米国傀儡政権』が成立するであろうという楽観的な読みの上で、国連が米英侵略軍の罪の追及を放棄し、現状を容認したことを受け、米ブッシュ政権に対して、ここで『点数稼ぎ』をしておくことが、フセイン後のイラクにおける日本の権益拡大に有利と見て、政治的判断で派兵に踏み切ったのです。
現在、日本政府は『テロには屈しない』という建前で、自衛隊の撤収には応じないという姿勢をとっていますが、これはいくつかの点で大きな間違いを犯していると考えます。
まず第一に、今回の米英を中心とする連合国の一方的な開戦・侵略そのものが、全く正当性を欠いたものであり、更に国連を含めて『国際社会』にこれを制止する能力がないことが示されたのです。本来最初にすべきことは、このコーナーでも何度か述べましたが、米英連合軍を無条件に撤収させ、国際法に則り彼等の行動を厳正に裁くことです。同時に、イラク国民の自決権を保障した形で新たな国家建設が進められることです。
第二に、米国をはじめとする圧倒的な軍事力を持つ連合国の正規軍による武力行使は良いが、イラク人の民兵によるゲリラ的な報復のための武力行使=テロは卑劣であるという認識には全く論理性がありません。連合国の侵略によって、イラクの正規軍は解体されたのですから、現状における連合国軍に対する武力的な抵抗は全てテロであるということにならざるを得ません。正規軍の武力行使であろうが、テロによる武力行使であろうが、武力を以て相手を屈服させようという行動はいずれも非難されるべきです。まして今回の場合、最初に武力による侵略を行ったのは米英を中心とする連合国側であり、より責任は重大です。
形骸化しているとはいえ、国是として国際紛争を解決する手段として武力行使を禁じている我国は、武力行使の一方の当事者である米国の支援のために、自衛隊を派兵したこと自体が誤りであり、速やかに自衛隊を撤収し、民間人の犠牲者を出さないことが最善の策だと考えます。
この事件に先立って、小泉氏の靖国参拝に対して、福岡地裁が違憲であるという判断を下しました。下級審ではありますが、首相の靖国参拝が違憲であるという審判は確定する可能性が高いようです。これに対する小泉氏のコメントは、彼の外交感覚を判断する上で、重要です。曰く『個人の判断で靖国参拝することに対して、他国がとやかく言うはずがない』というものです。彼は一国の首相であり、東アジアの国際関係において、常に火種となっている靖国問題に対して『敢えて火中の栗を拾う』ような行動は、対米妄信的な政治姿勢とは際立った対比を見せているように感じます。この問題は、小泉氏がどう考えようが、現実的に近隣諸国に対して不快感を持たれ、東アジアにおける日本の国際関係を悪化させていることは否定のしようのない事実です。
イラクにおいても、日本は復興のための支援をしているのだから、日本に対するテロは卑劣であり、これに屈してはならないと考えているようですが、イラクの反米組織にとっては、米国の軍事的占領政策の一環を担っていると理解されていることは当然です。
外交に限らず、相手側の主張を理解しようとせず、自らの独断的な価値基準によって行動することは、圧倒的な力(武力・経済力・政治力)を持つものの驕りであり、非常に危ういといわざるを得ません。小泉氏は、確信犯であり、彼にはこのようなことは金輪際理解不能でしょうから、一刻も早く退陣願うしかないと考えます。
最後になりましたが、3名の民間人の方が、一切の流血なしに無事救出されることを願いたいと思います。合掌。
だいぶ長くなってしまいましたので、本題については次回以降に述べることにします。
2004年3月8日付大分合同新聞夕刊に、【ワシントン7日共同】として『パソコン1台の製造に水や燃料1.8トン消費』という記事が掲載されました。この記事の論調としては、「パソコンとはそんなに多くの資源・エネルギーを消費するのか!」と言う、多少驚きをもった内容のように感じました。
しかし、これは当然の結果であり、さして驚くには値しないことです。まず定性的な議論を少し。工業生産とは、原料資源を燃料や水という『低エントロピー資源』を用いて加工する過程で、原料資源の不純物を取り除き、秩序を持った製品を作り出すことです。この過程で、投入された原料資源と製造に投入されたエネルギーや水などのエントロピーに加えて、更に生産過程で発生した新たなエントロピーが生じるため、総体として工業生産過程はエントロピーの増大過程になります。製造された製品は、秩序を持った低エントロピー状態にありますから、増大したエントロピーは環境中に捨て去ることになります。その実体が、廃熱であり、二酸化炭素であり、あるいはその他の産業廃棄物です。
パソコンをはじめとするIT関連製品は、工業製品の中でも極めて高度な秩序を持っています。これは換言すると、工業生産過程において、それだけ多くのエントロピーを徹底的に取り除き、環境中に捨て去ることを意味しているのです。この意味で、IT製品は、他の工業製品に比べて製品単位重量あたりのエントロピー発生量が極めて大きい、つまり環境負荷の大きい工業製品なのです。
しかも、IT産業における技術革新は急速であるのは事実ですが、それに加えて産業界の需要拡大の意図によって、必要以上の新製品投入を繰り返し、実際には使用可能であっても、短期間に陳腐化し、廃棄され、微細構造を持つ故にリサイクルしにくい廃棄物を大量に生み出しているのです。IT化の推進は環境問題という視点から、極めて重大な問題の一つであることを確認しておかなくてはなりません。
さて、今回の記事から少し具体的な数字を挙げておきます。記事によりますと「17インチディスプレーを持つパソコン1台を製造するには、240キロの化石燃料と1500キロの水、22キロの化学物質が必要」であり、「パソコン生産に必要な化石燃料は最終製品の重さの10倍で、自動車や冷蔵庫が製品のせいぜい2倍程度しか必要としないのに比べ、製造過程で環境への影響が非常に大きい」と述べています。これは前述のように当然の結果です。ここで注意しておきますが、LCA分析では、積算漏れがあるのが常ですから、実際にはこれよりも大きい可能性も否定出来ません。
この記事の内容をもう少し詳しく見ておきます。パソコンはじめIT機器の中心はLSI(大規模集積回路)です。IT機器が他の工業製品に比べて化石燃料の消費が極めて大きい原因の一つは、LSI基盤となるシリコンウエハーの製造工程が極めて大量の電気を消費することです。
さて、そこで太陽光発電です。太陽光発電の心臓部は太陽電池パネルです。それは一般的にシリコンウエハーで作られています。LSIにおいては、微細な回路製造技術によって集積率の向上が行われていますが、太陽電池パネルは、受光面積を確保しなければならないため、そのようなことは出来ません。シリコンウエハーを大量に必要とする太陽光発電システムが、製造段階で極めて大量の石油消費が必要なことは当然のことです。更に、その用途からして、常に屋外で紫外線を浴びることになれば、その寿命もそれほど長いとは考えられません。
結果として、太陽光発電システムはその耐用期間中に、エネルギー供給技術としての最低の条件である、システムの製造・運用に投入されたエネルギーを回収することすら出来ないのです。それどころか、石油を中心とする化石燃料の節約にすらならないのです。これが、太陽光発電システムが高価であることの本質的な理由であり、それ故環境問題の改善に資することは出来ないのです。
さて、二酸化炭素地球温暖化について、金星の大気組成のように二酸化炭素が多ければ、気温が高いではないかという例えがされる場合があります。この問題について少し考えて見ることにします。
ご存知のように、金星は地球と同程度の大きさの星です。太陽からの距離は地球の約0.7倍程度です。下層大気組成は二酸化炭素が96.5%程度です。大気圧は90気圧にもなります。金星表面温度は470〜500℃程度と言われています。この温度では例え90気圧という高圧であっても、地表に水が存在することは出来ません。ちなみに金星大気の水蒸気濃度は0.1〜0.001%程度です。
これらの情報から、かなり大胆な仮定に基づく金星大気の熱収支を考えて見ることにします。
太陽輻射から金星の球面の単位面積あたりに受ける平均エネルギー量はちょうど地球の倍くらい、約1cal/cm2・min程度でしょう。反射率が78%と言いますから、0.78cal/cm2・minは反射され、金星を暖めるのは0.22cal/cm2・min程度と言うことになります。地球の場合は、0.34cal/cm2・min程度ですから、地球よりも小さいことになります。
金星の大気システムの特性を以下のように仮定します。
1)入射する太陽放射(0.22cal/cm2・min)はすべて金星大気によって吸収される。
2)金星大気には地球のような大気・水循環に変わるような熱処理機構がない。
3)金星放射は100%金星大気に捕らえられる。
さて、金星の平均表面温度は470℃(743K)程度と言いますから、ステファンーボルツマンのT4則に従うとして、放射強度は、25cal/cm2・min程度、実に地球放射の45倍程度と言うことになります。金星には、地球のような大気・水循環システムのような効率的な熱処理機構がないとしますと、金星放射のほぼ100%が金星大気に吸収され、再放射によって金星表面に戻ってくることになります。金星からの宇宙への再放射は、金星の地表から大気への熱伝導だけであり、これが大気上層からの放射で僅かに宇宙空間に漏れ出し、その大きさが、太陽放射の有効吸収量0.22cal/cm2・minとバランスしていると考えられます。
仮に金星に地球のような冷却機構が存在すれば、より多くのエネルギーが金星大気上層から放出されることになり、熱平衡は破れて金星は更に冷却され、現在よりももっと低い温度で熱平衡になるでしょう。
『金星大気の鉛直温度構造 -- 観測結果とその理解 --』と言うホームページ
によりますと、金星の下層大気(地表から50kmまで)では、温度分布は、平均温度減率が7.7K/km程度のほぼ線形的な値を示していると言います。
出典/『金星大気の鉛直温度構造 -- 観測結果とその理解 --』
これは、仮に金星大気を全く断熱状態にした場合の温度減率8.9K/kmに近い値なので、下層大気は比較的安定であろうと述べています。地球大気の対流のような熱を運ぶ顕著な大気の動きはないのだろうと考えられます。実際の温度減率が断熱状態よりも小さいのは、金星地表からの大気への熱伝導のためだと考えられます。
また、下層大気の温度は、緯度による変化が少なく、太陽放射の緯度による高度変化の影響は少ないと述べられています。これは、金星放射25cal/cm2・minが太陽輻射の有効吸収量0.22cal/cm2・minに比較して圧倒的に大きいことと、太陽輻射のほとんどが金星表面に到達する以前に金星大気に捕らえられるためだろうと考えられます。
地球の場合は、冷却の過程において、幸運にも、水が宇宙空間に散逸する前に地表に雨となって到達できる環境気温になったおかげで、大気・水循環が形成され、これによって更に冷却速度が速まったのではないかと考えられます。また、雨に溶かし込まれた二酸化炭素が鉱物として地表に固定され、大気中の二酸化炭素濃度が急激に低下し、同時に大気圧が減少したものと考えられます(参考HP『大気の組成の謎』)。
地球を生態系の存在する穏やかな環境にした最大の仕組みは、大気・水循環が存在することなのだと考えられます。逆に、金星が高温・高圧で生物が存在できない星になったのは、大気・水循環が形成される前に水を失い熱平衡に達したためだと考えられます。この意味でも、『環境』問題を考えるとき、最も重要な視点は、地球を地球たらしめている生態系の栄養循環を内包する大気・水循環を如何に健全な形で維持していくか、と言う問題だと考えます。
■ステファンーボルツマンのT4則
黒体の輻射強度S(cal/cm2・min)は、絶対温度T(K)の4乗に比例する。
S = cT4
ここに、c = 8.2×10-11 cal/cm2・min・deg4.
追 記 (2004/02/29)
金星の写真を見ると、一面に濃密な雲が被っているので、太陽放射はほとんど金星地表面までは届かないだろうと、勝手に思い込んでいました。HP『金星大気探査計画』から、金星の外観と地表付近の写真を紹介します。これを見ますと、金星地表は想像していたよりだいぶ明るいようです(赤く見えるのは短波長側が大気に吸収されているためでしょう。)。
米探査機ガリレオによる金星の写真(左)と、旧ソ連探査機ベネラによる金星表面の写真(右)
はれほれさんに教えていただいたところによりますと、金星に吸収される太陽放射(0.22cal/cm2・min)の内、88%(0.19cal/cm2・min)は大気に吸収されますが、12%(0.03cal/cm2・min)は金星地表面まで到達するということです。その結果、金星大気の温室効果は、太陽放射の地表吸収分だけ減少することになります。これを考慮すると金星大気の温室効果は、
25 - 0.03 = 24.97(cal/cm2・min).
ということになります。厳密に言えば、更に金星表面からの熱伝導も考えなくてはなりませんが、いずれにしても大雑把な仮定の下の概算ですし、金星放射が圧倒的に大きいので、細かい話しはこれ以上必要ないと思います。
ご存知の通り、このホームページではアンケートならびにご意見の書き込みをお願いしています。アンケートと共に書き込まれるご意見の中に、相変わらず『地球温暖化は大変な問題だ』という趣旨のものが多くあります。このホームページでは、『二酸化炭素地球温暖化脅威説批判』に端的に現われていますが、二酸化炭素の増加による地球温暖化説には否定的な立場をとっております。
誠に申し訳ないのですが、このホームページのレポートを読まれていないと判断されるご意見につきましては、基本的に削除しておりますのでご了承ください。また、当然のことですが、全く無意味な書き込みにつきましても即刻削除しております。アンケート、ならびに書き込まれたご意見が建設的にこのホームページの内容を更に充実させるものであることを期待しておりますので、ご協力をお願いいたします。
最近の書込みから二つ紹介します。
地球温暖化 - 2004/02/21(Sat) 15:21:51
環境科学のテストがあるのですが「地球の温暖化について書け」なんて問題がでたら何と答えたらよいのやら...もちろん授業では二酸化炭素の話をしていました。
文面からしまして、これは理工系の学生さんの書込みだと思います。この文面で見る限り、『環境科学』の講義において、未だに二酸化炭素増加による地球温暖化が既定事実として教えられているものだと思われます。個人的には、これは工学における大きな問題だと考えます。それはさておき、自然科学を志す者であれば、自らが合理的・論理的であると考えることを正面から主張すべきだと考えます。自然科学の真偽と、年齢や立場の『上下?』などは無関係です。論理の検討において、いずれがより真実に近いのかを検討することによって、自然科学が進歩するのだと考えます。この書込みをされた学生さんに、自らの主張を堂々と主張することを切に望みます。
さて、最近ではさすがに、二酸化炭素地球温暖化仮説あるいは脅威説の不確かさに気づいたのか、行政において、あからさまにこれが正しいと述べる論調は少しトーンダウンしてきたようにも感じます。環境省のホームページでも、当面南極の氷河の後退はあり得ないと書いてあります。まあ、これは当然といえば当然で、小学生でもわかることですから・・・。しかし、残念ながら『良識ある大人』やマスコミの皆さんには、こんな単純なことが未だに理解されていないのが現状です。もう一つ書き込みを紹介します。
二酸化炭素地球温暖化脅威説批判 - 2004/02/22(Sun)
17:12:17
槌田先生には20年以上前からのエントロピー論や石油文明への警鐘について、関心を持って見てきました。最近の資源・リサイクル問題や地球温暖化論は、根拠無しのタブー化(善意からくるファッショ化)されており、かなりまともな知識人ですら二酸化炭素地球温暖化を無批判に受け入れて唖然とします。最近池田清彦(生物学者)や池田信夫、山形浩生などが批判に回ってまともな議論が始まりつつあります。槌田先生はその嚆矢です。私も周りの人に槌田論文を紹介しています。希望としては海面上昇などレスターブラウンなどの出鱈目に逐一反論していただけたらと思います。友人等との議論で槌田論文のみではなかなか反論できないので。
この書込みにあるように、世論の主流は相変わらず二酸化炭素地球温暖化脅威説であり、『良識的知識人』(私は「かなりまともな知識人」とは思いません。あくまでもカッコつきの知識人だと思っています。)の多くも、その自然科学的背景を問わずに妄信している状況です。間違っていたら謝罪いたしますが、この点に関しては、日本の保守政党はもとより、民主党はじめ、社民党、共産党においても、ほぼ二酸化炭素地球温暖化脅威説を肯定しているようで、まさに翼賛国会の様相を呈しています。この書込みにもありますが、『エコ・ファシズム』状態だと思います。ただ違いは、保守政党は対策として原子力(発電)政策を継続することを主張し、野党は自然エネルギー(発電)への転換を求めている点でしょう。原子力の特殊な毒性や核兵器開発の問題を別にすれば(勿論これも重大な問題なのですが)、エネルギー政策としてのみ考えれば、どちらも大きな誤りを含んでいます。野党の皆さんが非科学的な状況は、誠に憂慮すべきだと考えます。
この書込みでは、こうした世論の誤りを逐一正していくことが重要だというご指摘です。非常に良く解るご意見なのですが、このホームページ上でこれを行うことは現実的にはかなり難しい(能力的にも、時間的にも)と考えています。幸い、温暖化問題につきましては、薬師院仁志氏の好著がありますので、ご参考にされてはいかがでしょうか?
薬師院仁志著『地球温暖化論への挑戦』(2002年2月/八千代出版)
エネルギー問題についてのアンケートの書き込みを紹介します(これは、ある教育関連のネットワークを通して書き込まれたものです。学生さんなのか、職員の方かは不明です。)。
エネルギー - 2004/02/06(Fri) 14:07:32
バイオマスや、太陽光発電、風力発電でもろくなエネルギーが得られないのなら、人類は石油のかわりに何を使えばいいのだろう。
このエネルギー『枯渇』問題は、環境問題ではありません。しかし、環境問題におけるエネルギー問題を語るとき、必ず引っぱり出される話題なので、少し触れておこうと思います。
現在、エネルギー資源として利用されている石油や石炭などの、いわゆる『化石燃料』が、文字通り、かつての生物体(バイオマス)が、地中において地殻運動による途方もない長い年月をかけた変成作用によって生成されたものだとします。化石燃料は、大昔の生物死骸が億年単位の長い年月をかけて、徐々に変化してやっと出来上がったエネルギー資源ということになります。
最後の氷河期が終わり、6000年ほど前に3大農耕文明が起こり、徐々に科学・技術が進歩し、ついに18世紀になって、工業的な動力文明に至ります。人類が化石燃料を利用し始めて僅か300年ほど、本格的に世界中の隅々で一般的なエネルギー資源として利用され始めてまだ100年にもなりません。
数億年かかってやっと出来上がった化石燃料のストックを、工業化社会は、わずか数百年から数千年程度で食潰そうとしています。単純に考えると、化石燃料の生成速度の1,000,000倍の速度で消費していることになります。これでは、たとえ現在も化石燃料が生成されつつあるとしても、化石燃料の枯渇は避けようもないことです。
産業革命以降、科学技術の進歩には目覚しいものがあります。しかし、工業化社会を成立させている基盤となるエネルギー供給は、一貫して化石燃料(石炭から石油・天然ガスへの移行はありますが)によって賄われてきています。石油代替エネルギーについては、このHPでも検討してきましたが、この化石燃料によるエネルギー供給構造を根本から革新するような、画期的なエネルギー供給技術が実現される可能性はないと考えてよいでしょう。つまり、化石燃料の限界が、今日的な工業化社会の絶対的な限界です。
アンケートの書込みに対する回答としては、石油を含む化石燃料に変わるような工業的なエネルギー資源は存在しない、ということです。
しかし、400万年とも500万年ともいわれる人類の歴史において、現在のように工業的なエネルギーを利用した時期は今しかないのであり、工業的なエネルギーが利用できないことが人類の滅亡には結びつきません。石油が枯渇しても、生態系の物質循環に依拠しながら生き延びる社会を構想することが、人類の長期的な生存戦略として重要だと考えます。
ただし、化石燃料に支えられた工業生産を失えば、地球の生態系で扶養できる人の数は激減することになるでしょう。特に、前氷河期が終わって既に1万年、近い将来次の氷河期に突入することになります。亜寒帯・温帯の農地の多くは耕作不能になると考えられますから、農業生産も激減します。
人類の当面する最大の課題は、次の氷河期に向けて、如何に人類の社会構造をこれに対応できるものに再構築していくか、ということです。氷河期の厳しい自然環境の変化に対応するために、化石燃料を温存しておくことは、大きなアドバンテージになると考えられます。
こうした事態に備えて、現在のエネルギー・資源多消費(=浪費)型へ突き進む人間社会のあり方を、長期的な生存戦略の下に再構築することが人間の知恵だと思いますが・・・。エネルギー資源の争奪に走る、米国をはじめとする軍事力による正義がまかり通る今の世界情勢を見ると、残念ながら、軟着陸は無理なような気がします。このままでは、寒冷化をきっかけにする、今度は農地争奪の領土再分割の世界大戦が起こる可能性が高いだろうと思います。
二酸化炭素地球温暖化脅威説、あるいは新エネルギー論議に対して、とりあえず最低限、述べるべきことは述べたのではないかと考えています。このHPで述べてきた主張に対して、決定的な反論はありませんので、それほど大きな誤りはないのではないかと考えています。異論がある方は、ご意見をお寄せください。尚、ホームページ『はれほれワールド』において、『地球のエネルギー収支について』という新しいレポートが掲載されましたので、ご覧ください。
さて、これでやっと本質的な環境問題について考える準備が出来ました。§2-1環境問題総論で触れたとおり、環境問題の本質は、定常開放系である地球のエントロピー廃棄機構を人為的に阻害する問題です。もう少し具体的には、地球の定常性を保障してきた各種の循環構造の破壊です。
循環構造の一番外側にあるのは、太陽光エネルギーで駆動される大気循環です。そしてその内側にあって大気循環を補完するのが水循環です。この二つの基本的な循環の中で、生態系の栄養循環を中心とする物質循環があリます。もともと人間社会も生態系の栄養循環の中の一要素でした。ところが、世界市場を前提とした工業化社会における大規模・長距離の物流と工業生産物が、この生態系の栄養循環を乱すことになり、環境問題となって現われているのです。
この工業化社会の物流による生態系の物質循環の乱れが、最も身近で端的に現われた問題の一つがゴミ問題です。昨今、行政から提起されるゴミ問題に対する目標には、初めから失敗がわかりきったものばかりで、実効性がありません。例えば、闇雲なリサイクルによって資源を有効活用し、ごみゼロ社会を目指すなど、不可能なことです。これは永久機関の実現を目指すことと同じで、熱学的にありえない目標です。
今回、槌田敦氏等、名城大学の研究グループによる、定常開放系である地球のエントロピー廃棄機構を視野に入れた熱学的視点からゴミ問題を考察した3篇の論文を公開します。今すぐこれらの論文にまとめられた手法をそのまま実際に導入することは無理かもしれませんが、ゴミ問題でお悩みの地方自治体の担当者の皆さんにとっても、本質的な問題点を明らかにした、示唆に富む内容ではないかと思います。是非ご覧ください。
このHPで取り上げてきた、別府市のAPU立命館アジア太平洋大学(以下APUと略称)の学生起業家諸君の風力発電計画ですが、去る2003年12月16日にプロジェクトの代表者と話し合いを行いました。その話し合いにおいて、驚くべきことに起業当時において、新聞報道とは異なり、環境問題や風力発電の問題について考えたこともなかったという回答を得ました。起業当初は、丘の上に立つAPUの強い風を起業に結び付けてはどうかという、短絡的な発想だけであったといいます。
そのような状況で、話し合い時点では学生諸君に環境問題ないし風力発電の問題点について、私たちの疑問に答えるだけの用意がない状況でしたので、疑問点をまとめた資料を渡し、内容についての具体的な話し合いは二回目以降の継続的な話し合いで行うことにしました。また、話し合いの成り行き次第では、風力発電計画からの撤退もありうるという、非常に前向きな回答を得ることが出来ました。
ところが年が明けると、どのような外的な圧力があったのか(本当は大体わかるのですが)、学生諸君の対応は一転し、一回目の話し合いを全く反故にして、二回目以降の話し合いを一切拒否するとの通知を受けました。これは、彼らの『APUの学生や別府市民の方々に環境問題について考える契機を提供』するため、別府市民からも風力発電会社に出資という形で参加を募るという目的から考えて、納得できる対応ではありません。
こうして、残念ながらAPU風力発電計画を冷静な話し合いの中から解決の糸口を見出すという道は絶たれてしまいました。しかし、問題を曖昧にしたまま計画が実行されることを看過することは出来ませんので、今後は、少し対決的な対応を余儀なくされそうです。
この件に関しましては、今後、多少反対運動的な色彩が強くなることが予想され、このサイトの目的とは相容れない恐れがありますので、新たに『APUアジア太平洋大学 学生起業家による風力発電計画を考える』という別サイトで扱っていく予定です。出来れば多くの皆さんのご協力をお願いいたします!また、この件で、要らぬ揚げ足を取られることは避けたいので、一部レポートの表題が変わっている部分がありますので、ご了承ください。
ついに自衛隊本体に防衛庁長官の派遣命令が下されました。おりしも23日には、イラクの大量破壊兵器捜索の米国調査団の前調査団長だったデービッド・ケイCIA特別顧問が、イラクには大量破壊兵器は存在せず、旧フセイン政権による差し迫った脅威はなかったことを言明しました。つまり、米国によって行われたイラク攻撃は全く正当性を欠いた、予断によるものであった事が明らかになったわけです。大義のない攻撃によって、一国の体制を破壊した米英連合軍の行動は、国家の自決権を侵害する重罪『侵略行為』であり、現在まず裁かれるべきは米英両国です。本来ならば、米英ならびにこれに加担した諸国の軍隊は即刻イラクから撤退すべきです。
しかしながら現実には、米英を主体とする連合軍による『侵略戦争』の最終段階として、連合国(=米国)傀儡政権樹立に向けての占領政策の一翼を担うために、我国の自衛隊が戦後初めて戦闘地域に派遣されることになったわけです。自衛隊の役割は、米英を中心とする連合軍の占領政策の一環として、戦闘で破壊されたインフラを再建することによって、占領政策を円滑に進めることです。
このイラク侵略戦争は、当初から建前だったとはいえ、イラクによる大量破壊兵器の脅威を取り除くと言う、大前提が崩れてしまったにもかかわらず、既成事実の積み重ねによって、なし崩し的に米英はじめこれに追随する国々に都合の良い政権を樹立し、その新生イラク政権の経済的利権を独占しようという企みに摩り替わっています。
『二酸化炭素地球温暖化脅威説』をめぐる状況は、このイラク戦争と酷似した構造を持っています。まず、誰かが大声で『人為的な二酸化炭素の増加で地球が温暖化して大変なことになる』と騒ぎ立て、IPCCという国際的な権威組織のお墨付きを出して既成事実化しました。
二酸化炭素地球温暖化脅威説が正しいことを前提に、脅威を取り除くためには二酸化炭素の排出量の削減を行うことが必要だと言うことになり、すべての政策がその方向で動き始めてしまいました。
ところが、肝心の人為的な二酸化炭素の排出が単純に大気中二酸化炭素濃度の上昇につながるのか、二酸化炭素の大気中濃度の上昇が、近年観測されている温暖化の主因なのか、更に、二酸化炭素の温室効果による温暖化が生態系にとって本当に差し迫った脅威なのか、という根本的な問題は全く理論的に説明できていないのが現状です。
二酸化炭素地球温暖化脅威説を支持している日本政府の公式な自然科学的な認識の現時点での到達点をまとめた資料として、『地球温暖化研究の最前線 ―環境の世紀の知と技術
2002―』(総合科学技術会議環境担当議員・内閣府政策統括官 共編/財務省印刷局/2003年3月/1500円)が発行されています。
しかし、残念ながらこの資料は、本来最も重要なはずの、人為的に大気中に排出された二酸化炭素が、現在言われている地球温暖化の主要な原因であるかどうかという、科学的な考察に割かれた部分は、僅かに第2部1章の1節〜3節のわずか15頁に過ぎません。その説明の中において、人為的な大気中二酸化炭素濃度の上昇が、近年観測されている気温の上昇傾向の原因である論理的な説明ないし、それを裏付ける決定的な観測結果はついにどこにも記されていません。
3節冒頭で、説明抜きでいきなり『地球の温暖化は、化石燃料を消費したり森林を伐採するなどの人間活動により、大気中二酸化炭素などの温室効果ガスが蓄積されて引き起こされる。』と述べられています。
ところがそのすぐ後に、このHPでも何度か紹介している南極ドームふじにおけるアイスコアの分析による過去30万年の気温と大気中二酸化炭素濃度の変動を示したグラフを示し、『・・・二酸化炭素がどのような理由で増え地球が温暖化したのか、逆に、どのような理由で温暖化が進み、二酸化炭素が増えたのかについては、未だ議論が分かれている。』と述べています。そしてこれが、大気中二酸化炭素濃度と気温の関係に直接言及した唯一の文章なのです。つまり、この資料においては、大気中二酸化炭素濃度の上昇と気温上昇の関係は解らないというのが唯一の見解だということです。
蛇足ですが、アイスコアの分析による気温と大気中二酸化炭素濃度の変動については、その主因はミランコビッチ・サイクルであり、気温変動の結果として大気中二酸化炭素濃度が変動するという解釈が一般的であることは、既にこのHPで触れたとおりです。
この資料集の他の部分は、砂上の楼閣ですので、特に触れる必要もないと思いますが、興味のおありの方は、原著をお読みください。
昨今の二酸化炭素地球温暖化脅威説ですが、現実にはこの程度の『裏付け』とも呼べないものに過ぎないのです。にもかかわらず世界は二酸化炭素排出量削減の合言葉の下、各国企業は、役にも立たない新エネルギー・クリーンエネルギー開発をビジネスチャンスと見て、熾烈な技術開発競争で、更なる工業の高度化を行い、持続的な経済成長を続けようと猛進しているのです。
イラク侵略戦争と言い、二酸化炭素地球温暖化脅威説と言い、このような出鱈目な事がまかり通る、なんと非科学的で不条理な世界なのでしょうか。
昨年の環境に関する観測結果の大きな話題として、このコーナーでは取り上げていなかったものに、オゾンホールの過去最大規模の拡大があります。忘れないうちに書き留めておこうと思います。
昨年、オゾンホールが過去最大規模になったことを受けて、ある方から「大変心配だ」というメールを受け取りました。それに対する私の返信を以下に引用しておきます。
Aさん
はじめまして。さて頂いたメールを拝見いたしました。Aさんはオゾンホールの問題と、たぶんフロンの使用を結びつけて、環境問題としてのオゾンホール拡大の問題を思い浮かべられているのだと思います。
しかし、このホームページの主張は全く違います。ホームページの槌田さんの論文や私のコメントなどに目を通していただきたいと存じます。
もう少し冷静かつ論理的に物事は判断しなくてはなりません。環境問題は優れて自然科学の問題なのです。今回報道された記事だけからも、むしろオゾンホールの拡大縮小はほとんどフロンとはかかわりない可能性が高いことを示していると考えます。
まず、フロンの使用は段階的に削減されてきています。このような状況下で、昨年は非常にオゾンホールは小さくなり、今年は非常に大きくなった。このような短期間で急激な縮小・拡大を示すオゾンホールの挙動を、フロン原因説で説明することは不可能です。
次に、オゾンホールの拡大によって影響を受けるのは南極大陸など、極めて生命密度の低い地域であり、たとえオゾンホールが出来たところでそれほど地球生態系に大きな影響はないものと考えられます。しかも、オゾンホールが出来るのは、南半球の春先のもともと紫外線量の少ない一時期に限られるのです。オゾンは、大気中の酸素に『紫外線』が作用することによって合成されます。オゾンが少ないと言うのは、紫外線量が少ないことを意味しているのです。
(以下省略) (2003/10/10)
2002年には、オゾンホールは極端に縮小し、観測史上1991年以降の最小となったと言われています。その原因として南極上空大気の気温や大気バランスなどの気象条件が挙げられています。ところが昨年2003年は、一転してオゾンホールは過去最大規模になりました。その原因は、またしても南極上空大気の気象条件によって説明されています。
このように、気象条件によって極端な拡大・縮小を示すオゾンホールという現象を、徐々に変化する大気中フロンの濃度上昇によって説明することは不可能だと考えます。このようなドラスティックな変化を示す現象において、フロンの大気中濃度の影響という継続的で微弱な変化を、他のノイズから分離して観測することが果たして可能なのでしょうか?
継続的なオゾンホールの拡大が観測される時期には、「これは大気中フロンの濃度上昇の影響だ」と言いながら、短期的に急激な変動を示すと「気象条件の影響だ」などと言うご都合主義の説明は、とても科学的とはいえないものだと考えます。
いずれにしても、現状では地球生態系にとって致命的な脅威となるような可能性は皆無ですから、このような眉唾の議論に振り回されることなく、環境問題からオゾンホールを葬り去ってしまいましょう。
寒中お見舞い申し上げます。今年もよろしくお付き合いいただきたいと思います。
さて、年頭に当たって、また今年の目標を挙げておきたいと思います。昨年中は、「地球温暖化脅威説」ないしこれを前提とする「エコエネルギー」について、総論的な総括を、不十分だとは思いますがとりあえず、示すことが出来たのではないかと考えています。今年は、出来ればもう少し具体的な問題に対して、実践的なレポートを増やして行きたいと考えています。それと、長年の懸案である、「環境教育」についても、何らかの形で取り組んで行きたいと考えております。教育現場に携わっている方、是非ご協力いただきたいと存じます。
昨年末から、ある掲示板において、このホームページの内容、特に新エネルギーに対する認識が取り上げられて、意見交換がされています。はじめに問題提起された方は、自然エネルギーは環境問題に対して有効ではないかという認識から話しを起しているようです。こうした、『善意の新エネルギー期待派』の皆さんが、このHPの記述に対してどのように反応し、どのように結論付けられるのか、私としては非常に興味深いので、しばらく注視していきたいと思います。そのうちこのHPでも紹介することがあるかもしれません。
さて、新年最初のアンケートの書き込みを紹介します。
エネルギー - 2004/01/12(Mon) 00:08:03
世界では、石油に代わるエネルギーとして期待されているのがバイオマスと言われています。率直に言って、エネルギーを考える中でバイオマスが語られていないのには問題があると思います。エネルギーだけでなくバイオマス製品としても期待され、すでに製品化になっているものはたくさん出てきています。バイオマスに目を向けてみてください。
この方はまだ読んでいないようですが、§2-2の「クリーンエネルギー社会」のシナリオを検討するの中で、バイオマスについても簡単に触れています。バイオマスなどと言っていますが、そんなに目新しいものではありません。要するに生物起源の物質の総称に過ぎません。薪、炭などは代表的な『バイオマス』起源の燃料です。
まず大きな間違いは、環境問題ないし人間社会の持続性という議論において、これを工業的なエネルギー問題と同一視するという、とんでもない勘違いがあると考えます。人間社会の持続性を考えるとき、最も重要なのは、現在の工業生産を維持することではなく、生態系の物質循環を如何に健全に保ち、あるいは豊かにしていくかという問題です。人間が生態系から獲得する生体物質で最も重要なのは、食糧です。既に人口の急激な増加によって、食糧生産の場が絶対的に不足する時代がすぐそこにまで来ている現状で、工業的なエネルギー供給のためにバイオマスを大規模に利用するなど、全く愚かなこととしか言いようがありません。
バイオマスの、生態系のバランスを維持しつつ行われてきた、歴史的なエネルギー利用法としての、薪や炭の利用を否定するつもりはありません。しかし、これを工業を支えるエネルギー源として大規模に利用することは、直接的な環境破壊につながるものだと考えます。歴史的に見ても、例えば西欧では製鉄を行うために、大量の森林資源を食潰し、ヨーロッパ大陸の広範囲で森林が消失しています。
もう少し具体的に見ておくことにします。次の図はおなじみの炭素循環図です。
上図に赤色で示されている通り、年間の炭化水素燃料(化石燃料)の燃焼による二酸化炭素に含まれる炭素量は約6Gt(=ギガトン=1,000,000,000トン)程度といわれています。これに対して、バイオマスと考えられる地上生物に含まれる炭素量(ストック)は約550Gt、生物死骸に含まれる炭素量(フロー)は年間約60Gtです。つまり、平均的に炭素量として年間約60Gtの地上生物が新たに生まれ、それに見合うだけ死んでいることになります。
この60Gtの炭素に対応する生体物質=バイオマスのうち、多くは食糧になり、また植物を育てるための土壌を形成することになります。もしここから工業的なエネルギーを得るために、炭素量にしてGtオーダーでバイオマスを利用することになれば、生態系の物質循環は急速に衰えることになると考えます。
バイオマスは勿論化学工業の材料資源として利用できることは明らかなことです。しかし、これも工業的なエネルギーとしての利用同様、大規模に化学工業原料として利用することは、生態系の破壊に直結します。
以上のような考えから、バイオマスの大規模な工業的な利用は、環境問題を本質的に悪化させるものだと考えます。現在の社会システムの中において、全く無為に放置・廃棄されているバイオマスがあるのなら、これを有効利用することは、勿論悪いことではないでしょう(本質的には、バイオマスは、生態系の物質循環の中で利用すべきものです。)。しかし、石油代替を視野に入れた、エネルギー源としてのバイオマスの利用や、工業原料としての利用を考えると、とても廃物利用では量的にお話にならないのです。書き込みを頂いた方、どのようにお考えでしょうか?
【追記】
バイオマスを燃料として利用する場合、「大気中への二酸化炭素放出量が増加しない」という説明がされる場合があります。これは、植物系のバイオマスを使った場合、植物は大気中の二酸化炭素を固定するからだと言うことでしょう。しかし、炭素循環図からわかるように、生物死骸の多くは土壌へ堆積してその後徐々に風化作用などによって二酸化炭素として大気中に放出されます。これを横取りして燃料として使用すれば、速やかに大気中へ二酸化炭素が放出されることになります。こうした炭素循環のバランスをこわすような組織的な生物死骸の大規模な燃料化を進めれば、大気中に放出される二酸化炭素量は明らかに増加します。また、石油をはじめとする使いやすい炭化水素燃料を代替しようとすれば、バイオマスを人力で集めてそのまま薪として燃やす場合とは違って、何らかの工業的な処理を加えることが必要になりますから、炭化水素燃料使用量を削減したよりも大量の二酸化炭素がバイオマス燃料供給システムから排出されることになることは確実です。(2004/01/26加筆)