No.393 (2009/03/19)太陽光発電電力高値買取に反対する そのC

 

 今回は、原子力発電と自然エネルギー発電をめぐる社会情勢の変化の歴史を概観しておくことにします。

3.原子力発電と自然エネルギー

3-1 脱原子力発電の潮流

 日本では、1960年に池田内閣の下で所得倍増計画が開始され、60年代はなりふり構わぬ経済成長路線がとられました。それはまた必然的な結果として産業公害の拡大の時代でした。
 米国では一足速く1960年代には工業化された農業の問題が顕在化しつつありました。生物学者・作家のレイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、生態系の農薬汚染についての警鐘を鳴らす啓蒙書として広く知られるようになりました。1970年代に入ると、日本においても公害問題から更に視野が広がり、工業化社会における普遍的な環境問題へと問題意識は深化を見せることになります。
 1970年にローマクラブが組織され、1972年に『成長の限界』というレポートがまとめられ、第二次世界大戦後の工業国の中で野放図に行われてきた工業生産の拡大による物質的な繁栄を目指す路線に対して見直しを行う必要があることが指摘されました。
 その直後、第4次中東戦争を期に中東石油供給量の減少と価格高騰といういわゆる『オイル・ショック』が発生し、石油が有限の資源であることが生活実感を持って認識されるようになりました。
 物理学者エモリー・B・ロビンズは、従来の石油や原子力などの集中的で強力なエネルギー利用の形態を『ハード・エネルギー・パス』と呼び、その対立概念として、分散的、小規模で誰にでも理解できる更新性の自然エネルギーの利用を『ソフト・エネルギー・パス』と呼び、その普及を提唱しました(1976年)。おそらく、現在日本においてソフト・エネルギーとして風力発電や太陽光発電の普及に傾倒している環境NPO関係者の多くが彼の著書に何らかの影響を受けているのではないかと思われます。
 更に、1979年には米国のスリーマイル島の原子力発電所であわや炉心溶融から核爆発になったかもしれないという重大な事故が発生しました。更に、1986年には旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所でも爆発を伴う重大事故が起こり、深刻な人的被害と環境汚染が現実のものとなりました。
 第二次世界大戦後から1970年代中期にかけて、地球の平均気温は長期的な低下傾向を見せ、1970年代には北極海の海氷面積が小氷期に匹敵するほどに拡大していました。この時代は、現在とは全く逆に地球寒冷化が気象現象の重大問題とされて議論されていました。物理学者カール・セーガンは1983年のレポートで『核の冬』の可能性を指摘しました。

 このような社会状況が重層的に起きた結果、1980年代以降は『核』あるいは『原子力』利用に対して否定的な世論が世界的な規模で形成され、米国では原子炉の新設は激減し、西欧では脱原子力発電の運動が広がりを見せ始めることになります。

3-2 自然エネルギー『発電』の台頭と原子力発電の復権

 脱原子力発電の流れは自然エネルギー『発電』の導入へと向かうことになります。日本においても反原発運動を行っていた市民団体の多くが太陽光発電や風力発電の導入へと動きました。これに連動するように革新政党の愚かな政策立案者もこぞって自然エネルギー発電の導入を環境政策の中核に置くことになり、現在に至っています。
 一方1988年のNASAのハンセンが米国上院の議会報告で人為的CO2の増加による地球温暖化の脅威を訴え、CO2地球温暖化が一躍世界的な政治課題に躍り出ることになります。これ以降、人為的CO2の排出量削減は国際政治の駆け引きの中心的な課題となり、各国政府は京都議定書によるCO2削減目標を達成すべく動き始めます。
 その結果、日本では政府・自民党までが自然エネルギー発電を中心とする『新エネルギー』導入を支持することになり、日本の国会は『人為的CO2地球温暖化の阻止と新エネルギーの導入』という問題に対して、正に環境翼賛国会の様相を呈しています。

 しかし、ここで奇妙な現象が起きることになります。そもそも環境保護に関心のあった市民団体や反原発運動を行う市民団体から環境NPOに展開していったグループは、脱原子力発電を目指し、その代替として太陽光発電や風力発電の導入に雪崩れ込んでいったのです。
 ところが、人為的CO2地球温暖化仮説による『温暖化防止のためのCO2排出量削減キャンペーン』によって、新エネルギーの導入が国家的な政策になると同時に、原子力発電が復権することになるのです。
 一説には、ハンセン自身がCO2地球温暖化の脅威を煽ることで原子力発電支持グループの復権のために一役買ったのではないかという話しもありますが、この話しの真偽はあずかり知りませんが、結果として確かに原子力発電所建設は新たな世界的ブームになる様相を呈しているのは否定しがたい事実です。西欧でも一旦放棄した原子力発電を再びエネルギー政策の中核に復権させる動きが起こっています。

 一旦はスリーマイルやチェルノブイリ原発事故を受け、その環境破壊の凄まじさから脱原発を目指したはずの環境保護運動が当初の目的意識を失う中で、皮肉にも今度はCO2排出を削減する温暖化防止・環境問題解決のための原子力発電の導入という形で見事に復権を果たしたのです。ただし、実際には原子力発電の導入によってCO2排出量は増大することは前回述べた通りです。

No.392 (2009/03/18)太陽光発電電力高値買取に反対する そのB

 

2.日本の原子力エネルギー戦略

2-1 核武装と原子力エネルギー戦略

 戦後の日本のエネルギー戦略は、まず主要エネルギー資源の石炭から石油への移行でした。この過程で国内で調達できるエネルギー資源である石炭を封印し、炭鉱は文字通りスクラップされ、殆ど100%海外依存のエネルギー資源である石油依存を強めていきました。

 一方、エネルギーの長期戦略として原子力利用が開始されました。原子力発電の実用化と核燃料サイクルの確立を経て、高速増殖炉・核融合炉の実用化を目指すというものです。しかし、日本における原子力導入の発端は、日本の核武装に執着している中曽根康弘によるものであり、当初から経済性を度外視した軍事目的として始まったものです。
 これは日本に限ったことではありませんが、原子力を利用するためには膨大な社会的・経済的・物理的システムを必要とするため、国家の介入なしには実施することは困難です。これは別の視点から見れば、原子力発電システムとは膨大な資源とエネルギーの投入がなければ維持できないことを示唆しているのです。
 本来の額面どおりのエネルギー政策であるのならば、税金を投入する国家事業として、その石油利用効率や資源利用効率について徹底的に費用対効果を検討すべきものです。しかし、当初から準軍事機密に属する原子力発電の実態は国家の厚い壁の中にあり、未だに詳細は明かされていないのです。
 一方、原子力発電装置を納入するメーカーにとっては、原子力発電市場という特殊な閉鎖された市場は、軍需産業同様にきわめて利益率の高い市場となっています。人為的CO2地球温暖化による恐怖宣伝による原子力市場の拡大を狙って、東芝がウエスチングハウスを買い取ったのは象徴的な出来事でした。

 このように、日本の原子力利用とは長期的なエネルギー政策というのは表向きの看板に過ぎません。そのためエネルギー政策としては全く穴だらけです。

 まず、殆ど100%海外依存の石油エネルギー体制から脱して自前のエネルギーを得るという目的は、高速増殖炉の安定的運用と核燃料サイクル技術の確立が前提の希望的なものでした。しかし、核燃料サイクルの中核をなす使用済み核燃料の再処理は、再処理によって得られるプルトニウム燃料から得られる価値よりも再処理に投入する経費の方が大きくなり、全く成立しない技術だということが明らかになりました。つまり、ウラン燃料はワンスルーで使い捨てにすることが最も効率的なのです。核燃料サイクルが技術的に不可能あるいは無意味であれば、ウラン鉱石は殆ど輸入に頼るしかありませんから、エネルギーの海外依存から脱するという目的は達成不可能なのです。まして、核融合など全く実現の可能性はないのです。

 次に、石油代替エネルギーとして原子力にポスト石油として基本エネルギー資源となることを期待した時期がありましたが、これも全く不可能です。原子力利用は本質的に定地用の熱源としての利用しかありませんから、蒸気タービンの熱源として利用する発電以外に利用法はないのです。
 更に、原子力発電は極めてエネルギー産出比が小さく(詳細については後述)石油に支えられた工業生産システムが存在しない限り、原子力発電から得られる電気エネルギーだけではおそらく原子力発電システムを単純再生産することすらおぼつかず、利用可能な余剰電力を得ることなど考えられないのです。
 もし原子力発電に可能性があるとしたら、石油利用の発電方式として、同量の石油を火力発電と原子力発電に投入した場合において、原子力発電の方がより多くの電気を得ることが出来る場合、石油節約的な発電方式としての存在価値が生じることになります。しかし、後述する通りこれも現実的にはありえないのです。

 以下、発電システムとしての原子力利用について検討することにします。

2-2 原子力発電はCO2排出量削減に有効か?

 原子力発電の運用実態を示す系統的なデータを部外者が入手することは殆ど不可能なため、原子力発電の実績に関する論文は当事者が恣意的なデータ処理をしたものしか存在しません。その結果、論文相互の科学的な整合性を欠いたものが見受けられますが、部外者には検証することが不可能です。ここでは、経済的な情報から原子力発電の性能の実態について推定を試みることにします。

 資源エネルギー庁などの国家機関によれば、原子力発電の発電原価は5.9円/kWhであるとか、高くても10円/kWh以下であるとされてきましたが、これは全く実態とはかけ離れたものです。原子炉設置における公文書である『設置許可申請書』に記載された値を見ると、発電原価の申請値はkWh当たり10円台なかばから20円程度になっています。これは原子炉設置者自身の申請値です。まず、このデータから原子力発電は経済的であるという『原子力神話』の一つは完全に崩壊しました。

 この申請書の発電原価は原子力発電の石油利用効率を判断するにはまだ不完全なデータです。ここに示された発電原価は原子力発電所における発電コストだけを算定したものに過ぎないからです。
 例えば、原子力に対して2003年5月15日に発表された電気事業連合会(電事連)の報告によりますと、40年間の使用済み核燃料の国内再処理費用が約16兆円になるというものです。その内、約7兆円は電気料金に上乗せして徴収(電気料金の引き上げ)するようですが、残りの約9兆円については財源が未定とのことです。電事連としては、この約9兆円を電気事業へ新規参入する企業や国税からの拠出で賄いたいとしているようです。
 つまり、原子炉設置許可申請書に記載された発電原価には少なくとも使用済み核燃料の再処理費用や高濃度核廃棄物処分の費用は含まれていないのです。

 原子力発電を行うために必要な施設はこの他にも数多く存在し、莫大な国費が投入されています。原子力発電システムの本当の意味での社会的コスト、即ち本当のエネルギー産出比を算出するためには、ウラン鉱の精錬から原子力施設・高濃度核廃物などの処分までを含めた全ライフサイクルに関わるすべての施設に関するコストを積算しなければならないのです。

 

 原子力発電を運用するには、上図に示すウラン精錬工場から下流の過程で必要なすべての施設の建設・運用・廃棄までに投入されるコストを算入してはじめて原子力発電の社会的コストが求められるのです。
 これらの詳細なデータは『国家機密』なので現状では確認することが困難です。あくまでもこれは想像の域を出ないものですが、原子炉設置許可申請書に記載された原子力発電所単独の発電単価の少なくとも数倍の経費がかかると考えてもそれ程誤りではないと考えます。ここでは控え目に見て、原子力発電の発電原価を50円/kWhと仮定しておくことにします。
 原子力発電システムからの最終製品である電力の原価の中には製造過程におけるエネルギー・コストが含まれています。原子力発電電力の原価に含まれるエネルギー・コストの割合を20%と仮定すると、50円/kWh×0.2=10円/kWhになります。
 これに対して、石油火力発電の燃料費を含めたエネルギー・コストは重油価格を20円/Lと仮定した場合には5.44円/kWh(発電の熱効率を0.4、火力発電のエネルギー産出比を0.35と仮定した場合の値。)程度です。つまり、原子力発電は石油火力発電に対して発電電力量1kWh当たり約2倍の石油を消費しているのです(CO2排出量も2倍)。 石油火力発電のエネルギー産出比は0.35程度なので、

(原子力発電のエネルギー産出比)=0.35×(5.44/10)=0.19≪1.0

つまり、原子力発電は基本エネルギー資源の必要条件を満たしておらず、石油代替エネルギーにはなりえません。それどころか、発電技術としてみても石油利用効率は石油火力発電以下であり、石油を浪費する発電システムなのです。

 以上の検討より、原子力発電は火力発電に対して経済的な優位性は存在しないだけでなく、石油を浪費していることがわかりました。『電力供給システム』として考える限り原子力発電システムの存在に何の合理性も存在しないのです。原子力発電の存在を許している唯一の合理的な理由は国の軍事政策による核関連技術の維持だけなのです。

2-3 電中研報告の検討

 これに対して、公式な組織から公開されたレポートでは全く異なる結果を与えています。色々と引用されている権威あるレポートとして電中研報告を見ておくことにします。電中研報告(Y99009)『ライフサイクルCO2排出量による発電技術の評価』からのグラフです。これは、発電量1kWh当たりの二酸化炭素排出量ですから、この比率は投入石油量と同じになるはずです。

 

 この結果を見ると、石油火力発電のCO2排出量が742g/kWhなのに対して、原子力発電は28g/kWhになっています。このグラフに対してWikipedia『原子力発電』の項目において次のように論評しています。


1kWhあたりの二酸化炭素排出量

温室効果の原因となる二酸化炭素の排出量が少ないことは、原子力発電の利点の一つとされている。電力中央研究所が平成12年に発表した試算によれば、原子力をはじめとする各種発電方式について、発電所の建設から廃止までの発電量と二酸化炭素排出量を考慮した、1kWhあたりの二酸化炭素排出量は以下の通り。

原子力 22グラム
水力 11グラム
LNG火力 608グラム
石油火力 742グラム
石炭火力 975グラム

原子力発電では核分裂反応に起因する二酸化炭素の排出は全くないが、発電所の建設・運用・廃止や燃料の生産・輸送、廃棄物の処分等に起因する二酸化炭素の排出も上記の試算には含まれているため、若干の排出が見られる。この点は水力発電も同様である。


 おそらく、22グラムは28グラムの誤りであろうと思われます。石油火力の数値は概ね妥当な値です。まず、石油火力発電について簡単に検証しておきます。

 発電用重油の主成分をオクタデカンC18H38(分子量254、比重0.9)だと仮定します。CO2の分子量は44より、発生するCO2のモル数は、742/44=16.7mol/kWhです。C18H38が1mol完全燃焼した場合、発生するCO2は18molです。CO2が16.7mol発生するために必要なC18H38のモル数は、16.7/18=0.93molです。C18H38(重油)0.93molの重さは、0.93×254=236gです。重油の比重は0.9なので、単位発電量当たりに投入される石油の量は、236/0.9=262ml/kWh=0.262L/kWhになります。前述の通り、重油価格20円/Lとすると、1kWh当たりの石油エネルギー・コストは5.24円/kWhとなり、比較的実態に近い値といえそうです。

 次に原子力発電について同様に算定してみます。発生するCO2のモル数は、28/44=0.64mol/kWhです。CO2が0.64mol発生するために必要なC18H38のモル数は、0.64/18=0.036molです。C18H38(重油)0.036molの重さは、0.036×254=9.1gです。重油の比重は0.9なので、単位発電量当たりに投入される石油の量は、9.1/0.9=10.1ml/kWh=0.010L/kWhになります。重油価格20円/Lとすると、1kWh当たりの石油エネルギー・コストは0.2円/kWhとなります。

 まず、国の公式な原子力発電電力の原価である5.9円/kWhとした場合、電中研報告の値による原価に対するエネルギー・コストの割合は0.2÷5.9=0.03=3%になります。
 次に、原子炉設置許可申請書のデータから原価を20円/kWhとした場合は、0.2÷20=0.01=1%になります。
 最後に、ここでの原子力発電電力の発電原価の控え目な推定値である50円/kWhとした場合は、0.2÷50=0.004=0.4%になります。

 前回示した、総務省『総費用に占めるエネルギー費用の推移』からみて、少なくとも現在の工業生産システムの中でもエネルギー消費が大きく高度な生産システムである原子力発電で作られた製品である電力の価格に占めるエネルギー・コストが10%以下というのは到底考えられない非現実的な値です。
 電中研報告(Y99009)の原子力発電におけるライフサイクルCO2排出量は、NEDOによる風力発電のEPTが1年間程度という虚言と同レベルのかなり恣意的なデータ操作によって生み出された値だと思われます。
 またこれに対するWikipedia氏の論評『原子力発電では核分裂反応に起因する二酸化炭素の排出は全くないが、発電所の建設・運用・廃止や燃料の生産・輸送、廃棄物の処分等に起因する二酸化炭素の排出も上記の試算には含まれているため、若干の排出が見られる。』は、工業生産の構造に対する無知をさらけ出しています。

 このように、原子力発電にはCO2排出量を削減するような能力は無く、また電力需要に対する調整能力も低く(というよりも核暴走の危険があって出力調整になじまない)、経済的にも非常に高価であり、エネルギー供給システムとして存続する意義は全く認められないのです。
 国や原子力を推進しようという人たちは、それでも電力供給の数割を担っており、削減は困難などと言いますがそのようなことはありません。

 

 一次エネルギーで見れば、原子力は全体の1割程度に過ぎず、その気になりさえすればいつでも削減可能なのです。原子力発電及びその関連システムを早急にスクラップすれば、一次エネルギー需要は相当削減することが可能であり、京都議定書の達成目標はそれだけで達成できる可能性さえあるのです。

No.391 (2009/03/17)太陽光発電電力高値買取に反対する そのA

 

 今回は、エネルギー問題を議論する上で基本的な事項や言葉を定義しておくことにします。

1.エネルギー問題における基本事項

1-1 主要エネルギーの変遷

 文明の生産力は利用できる動力に大きく依存します。

 私たちの文明は、有史以来、長らく薪や炭に代表される更新性の生物資源(=今風に言えばバイオマス)と家畜の利用によって成り立っていました。その後、風車や水車の発明で自然エネルギーが利用されるようになりました。大きな転機となったのが石炭燃焼による外燃機関である蒸気機関の登場であり、これが産業革命を成立させた本質的な技術です(蒸気機関は燃料の燃焼によって得られる熱エネルギーを動作物質=水蒸気を介して運動エネルギーとして取り出す装置です。)。産業革命以降の枯渇性のエネルギー資源に依存した動力文明の下で行われる加工製品の生産を工業生産と呼ぶことにします。

 石炭使用によって文明の利用できる動力あるいはエネルギーは飛躍的に大きくなりました。しかし、石炭という有限の枯渇性資源に依存するという本質的な工業文明の限界の問題が生じることになりました。
 外燃機関は燃料の燃焼装置と動作物質(蒸気機関では水あるいは水蒸気)の循環装置が別に存在するため、装置が比較的大規模になるため、定地用の動力あるいは比較的大きな運搬手段、船舶や蒸気機関車として利用されることになりました。

 動力装置の技術的な大きな飛躍が石油の利用による内燃機関の登場です。ガソリンエンジンやディーゼルエンジンに代表される内燃機関の特徴は、燃料を燃焼させる容器内の燃焼ガスそのものを動作物質として運動エネルギーを取り出すため、燃焼装置と動作物質の循環装置を分離していた外燃機関に比較して小型・軽量化が可能だったことです。ただし、1サイクル毎に燃焼ガスとともに熱を廃棄してしまうため、熱効率はそれほど良好ではありません。
 内燃機関による動力装置の小型・軽量化は、小型の移動手段である自動車の普及に決定的な影響を与えました。また、内燃機関の普遍的な普及は、燃料資源として石炭から石油へのシフトを急速に推し進めることになりました。
 日本では第二次世界大戦敗戦後、1950年代から急速に石炭から石油への依存度を高め、1960年代には国内炭鉱をスクラップ化する動きが強まり、炭鉱における労働争議が頻発しました。しかし、1970年代には日本国内の炭鉱はほぼ壊滅状態になったと考えられます。

 

1-2 基本エネルギー資源とエネルギー産出比

 私たちの生きる現在の基本的な燃料資源は、依然として石油を中心とする炭化水素燃料資源(以下、石油と総称する)と石炭資源です。

 基本的な燃料資源=エネルギー資源の必要条件とはなんでしょうか?簡単に言えば『そのエネルギー資源を利用可能に加工するために投入したエネルギー量に比較して、結果として得られる利用可能なエネルギー量の方が大きいこと』です。ここで、エネルギー産出比を以下の様に定義します。

(エネルギー産出比)=(利用可能エネルギー量)/(投入エネルギー量)

 つまり、基本エネルギー資源の必要条件は(エネルギー産出比)>1.0と書き表すことが出来ます。しかし、これだけでは現在の巨大な生産力を持つ文明を担うのに十分な条件とは言えません。なぜなら、(エネルギー産出比)≒1.0だとすると、殆どエネルギーの単純再生産であり、得られたエネルギーをすべてエネルギーを生産するために消費してしまい、他の工業生産に振り向ける余剰のエネルギーが生み出せないことになるからです。
 詳細なデータはありませんが、おそらく(石炭や石油のエネルギー産出比)>10.0≫1.0程度であろうと考えられます。もし仮に、『石油代替エネルギー』資源と言うものが存在するのならば、少なくともエネルギー産出比は10のオーダーを確保できなければ、現在の産業構造は維持できないのです。

1-3 迂回過程と電気エネルギー

 基本エネルギー資源の変化とは別に、エネルギーの最終的な形態の変化も起こりました。電気エネルギーとは、基本的なエネルギー資源によって得られた有用エネルギーを利便性を高めるために形態を変化させたものです。電気は使用段階で照明、動力、電子機器の駆動など様々な利用が可能です。
 『発電』という言葉に対して大きな誤解があるようです。発電とは電気エネルギーを生産するのではなく、何らかの別のエネルギー資源から得られる有用エネルギーを電気に変換しているのです。

 物理化学的な変化の過程において、効率は常に1.0よりも小さくなります。それは、私たちの住む分子を最小単位として、その巨大な集合としての物質から構成された熱学的な世界では、エントロピー増大の法則に従って、変化のために投入されたエネルギーや物質の一部は必ず環境中に散逸するためです。
 発電という変化の過程を考えてみましょう。石油火力発電の概略は次の通りです。

燃焼熱↑→熱機関↑→力学的エネルギー↑→発電機↑→電気

※『↑』は環境への熱エネルギーの散逸を示す。『→』は有効なエネルギーの流れを示す。

 標準的な石油火力発電では、石油の燃焼エネルギーという投入エネルギー量に対して、最終的な生産物である電気エネルギー量の熱量ベースの比率は0.35〜0.40程度だと考えられます。これは、石油火力発電の各段階における変換効率の積として表されます。

 水を加熱して湯を沸かすという目的のために、石油の燃焼熱を石油ボイラーで直接利用する場合と、石油火力発電によって得た電気を使って電気給湯器で利用する場合について考えます。同じ目的、ここでは湯を沸かすという目的を遂行するために石油ボイラーと電気給湯器を利用する二つの手段があるわけです。
 一般に同一目的の実現のための手段が複数ある場合、より複雑な過程を『迂回過程』と呼びその過程の複雑さの程度を『迂回度』と呼ぶことにします。着目する全過程に含まれる各素過程の効率は常に1.0より小さく、総合的な効率は各素過程の効率の積で表されるので、迂回度が大きいほど総合的な効率は指数関数的に小さくなります。
 湯沸しの場合、石油ボイラーの効率を0.9だとすれば、投入された石油の燃焼エネルギーの90%が湯を沸かすための熱として利用できます。これに対して電気給湯器では最大でも、石油火力発電所において投入した石油の燃焼エネルギーの35〜40%以下しか湯を沸かすための熱として利用できないのです。

 つまり、一般的に電気エネルギーでなくても実現できる目的に対して、迂回過程を経た電気エネルギーを使うことは社会全体のエネルギー利用効率を低下させることになるのです。オール電化あるいはエネルギー供給における電力化は社会全体のエネルギー利用効率を著しく低下させるのです。

1-4 工業的生産と価格

 工業的な生産とは、エネルギー資源を使って製品を加工製造することです。

 嗜好品や好みやブランド名によって製品価格が大きく異なる工業製品、あるいは未公開の新技術によってアドバンテージを持つような特殊な工業製品を別にすれば、工業製品の経済価値とは、製品の原材料価格と加工・製造過程で投入されたエネルギー量を反映していると考えられます。原材料価格は資源の希少性、物理・化学的な特性と同時に、原材料を得るために投入されたエネルギー量を反映しています。
 つまり、工業製品の経済価値を決定する普遍的な要素の一つが原材料の収集から加工・製造過程で投入されたエネルギー資源量なのです。
 各業種によって、製品の経済価値に含まれる投入エネルギー量の対価=エネルギー・コストの割合には標準的な値が存在しています。

 現在の工業生産の最も普遍的な基本エネルギー資源は石油です。工業生産におけるエネルギー・コストは石油換算の経済価値あるいは熱量ベースの石油消費量として評価するのが妥当であろうと考えます。

 

 以上でエネルギー問題の議論において最低必要な事項の説明を終わります。次回から具体的な検討に入ることにします。

No.390 (2009/03/16)太陽光発電電力高値買取に反対する その@

 

0.はじめに

 このHPでは、新エネルギー政策に対して一貫して反対の態度を表明しています。これに対して、国・企業・マスコミの合作の虚構に基づいた新エネルギー導入推進のキャンペーンによって一般国民、善意の市民、『環境NPO』の多くが感化され、盲目的に支持しているのは非常に危うい状態です。
 まず最初に提起しておきたいことは、エネルギー政策とは、科学に裏打ちされた技術の問題であり論理的な考察の対象とすべき問題であり、感情や信念はこの際すべて排除した上で議論することが必要だと言うことです(この際、科学的認識レベルの低いNHKを始めとする日本のマスコミ情報は一旦捨象することが必要です。)。

 さて、洞爺湖サミット後、米政権の交代に伴う新環境・経済政策である『グリーン・ニューディール』政策に対して、『世界市場における環境技術の覇権争い』に乗り遅れまいとして、我国政府も新エネルギー等の国家的な導入に本格的に取り組み始めています。その中心となる政策が原子力発電と太陽光発電の普及・拡大の国家的な推進だということが明らかになってきました。

 この政策は、国家・マスコミによって国民向けには『今日最大の環境問題である人為的CO2地球温暖化を解決して、環境を良好な状態で次世代に引継ぐため』とアナウンスされ、善良な市民や『環境NPO』の多くはこれを科学的・技術的に検討することなく額面どおりに受け取り、盲目的に支持しています。
 しかし、原子力発電や太陽光発電を導入することによって人為起源のCO2排出量が削減できる可能性はなく、むしろ石油消費は増え、本質的な環境問題の原因である工業生産規模は爆発的に大きくならざるを得ず、これに伴って鉱物資源の消費量も爆発的に大きくなり、工業による環境汚染は激化することが避けられないのです。

 多くの国民は、環境問題対策だからという理解の下に、国の推し進める新エネルギー政策の実現に必要な社会的な費用負担の増加(環境税や太陽光発電高値買取に伴う電力料金の増加)を受け入れようとしています。
 しかし、実際には新エネルギー政策の実施は人為的CO2排出量を増やし、工業生産規模を爆発的に大きなものにし、環境問題を本質的により一層悪化させるものなのです。
 新エネルギー政策の本質的な意味とは、ポスト大型公共事業としての公的・準公的資金の投入による重工・重電メーカーを中心とする企業に対する新たな国内市場の創出により、経済規模を拡大すると同時に環境技術によって世界市場の覇権を確立すること、そしてこうして形作られる経済システムに巣食う新たな利権構造を構築することなのです。

 この連載では、太陽光発電電力の高値買取制度を中心に、日本のエネルギー政策の問題点を示すことにします。出来得れば、このHPに対して批判的な意見をお持ちの善意の市民の皆さん、『環境NPO』の皆さんにこそご覧頂きたいと考えています。どうか最後までお付き合いいただきたいと衷心よりお願いいたします。

No.389 (2009/03/05)新エネルギーは環境破壊 そのI

 

 今回は、新エネルギーについて、特に今後大規模導入が懸念されている風力発電と太陽光発電を例に、果たしてその導入の目的である石油消費量の削減に役立つのか、あるいは本当に環境問題の改善に役立つものなのかという基本的な視点から検討を行ってきました。
 今なぜこのような視点からの検討を企図したかといえば、国策として風力発電や太陽光発電に対して財政的・制度的優遇措置をとることによって生じる社会的負担の増加を国民に負担させることになるにもかかわらず、未だかつてその効果について科学的・客観的に説明されたことがないためです。

 善意の庶民や環境NPOの中には、『自然』エネルギーを使うのだから無条件に石油消費量は削減され、環境に優しいのだという殆ど『宗教的』な信念の下に、その本質についての冷静な判断をしないままに、妄信的に行動しようという動きがあることに強い危機感を覚えます。新エネルギーとは『技術』の問題であり、科学的な裏付けのない情緒的あるいは宗教的な情熱で行動するべき問題ではないのです。

 ここで検討してきた内容が勿論100%正しい判断であるとは考えていませんが、風力発電や太陽光発電を含めた『新エネルギー』全般について、今回示したような視点からの冷静な議論を始める契機になればと祈念しています。

 最後に、環境問題におけるエネルギー問題についての考えを幾つか紹介しておこうと思います。

■新エネルギー政策の本質

 現在の工業生産に依存した(殆ど中毒症状ですが・・・)社会を動かしている基本的なエネルギー資源は石油(ここでは天然ガスを含む炭化水素燃料の総称としてこの言葉を使います。)です。あらゆる工業製品の経済価値は石油消費量を強く反映していると考えられます。
 このような状況下では、石油という枯渇性の希少資源は出来るだけ節約することが経済的な優位性につながることになります。つまり、工業技術は必然的に生産過程で消費する石油に由来するエネルギー消費を節約する方向で改良されていくことになり、それに成功したプロセスだけが市場の中で生き残っていくのです。

 しかし、市場経済から外れた技術は必ずしもこの限りではありません。エネルギー産業における原子力発電を見ればわかるとおり、高価なだけでなく、消すことの出来ない極めて毒性の強い廃棄物を生み出すにもかかわらず、社会的に淘汰されずに存在しています。これは通常の市場の中ではあり得ないことです。
 今回は原子力発電については詳しく触れていませんが、原子力関連施設の莫大な赤字やこれから本格化する廃炉処分、放射性毒物の処分費用は本来、原子力発電のコストとして計上すべきものであり、これを含めれば原子力発電のエネルギー・コストはおそらく太陽光発電以上に大きくなるはずです。つまり、原子力発電は火力発電以上に石油を消費しているのであり、原子力発電を全廃して石油火力発電で置き換えるほうが圧倒的に石油消費量は削減できるのです。
 原子力発電が社会的に存在している理由は、経済性でもなければ石油消費量が削減できるからでもありません。まず第一の条件は、電力供給が殆ど国家によって統率された地域独占企業という閉鎖的な経済環境にあり、第二に国家の(軍事)政策によって原子力の使用を強制しているからに外なりません。
 大衆にとって火力発電の電力であろうが原子力発電の電力であろうが受ける便益には変わりありません。それにもかかわらず原子力発電を導入するために膨れ上がった余分な社会的費用は何の便益も受けない大衆からの税金や電力料金として徴収され、これが原子力発電施設を納入する重電・重工メーカーなどに流れ込むのです

 原子力のような特殊な例を除外すれば、一般的に市場の経済原理の中で生き残る技術こそが、総合的かつ社会的に最も石油節約的な技術体系になるのです。電力供給においても国家介入を完全に排除することが最も石油節約的、見方を変えれば最も石油利用効率の高い発電システムになるのです。

 新エネルギーは一般に高コストで市場で競争すれば既存の火力発電に太刀打ちできませんから、趣味的な導入あるいは特殊条件の下での限定的導入はともかく、一般的・経営的に大規模に導入することはあり得ません。これは別の視点から見れば、石油利用効率あるいは資源利用効率が低いことを反映しているのです
 今回検討した結果によれば、比較的経済的な風力発電でさえ、石油火力よりも石油利用効率において劣る可能性が高く、その上資源利用効率が圧倒的に低く、更に制御不能で扱いづらいことなどを総合的に判断すれば、風力発電が普及することはあり得ないのです。
 このような状況下で、風力発電や太陽光発電などの新エネルギーを無理やり大規模導入するための大義名分が、人為的CO2地球温暖化仮説による脅迫なのです。しかし、実際には新エネルギーの導入で石油消費は増加し、重工業部門はますます肥大化するのです。つまり新エネルギー政策の本質とは、重工業メーカーのパイを大きくするための社会的費用の増加分を人為的CO2地球温暖化仮説による脅迫で大衆を欺いて負担させることなのです。

■環境問題と新エネルギー

 環境問題とは、現在社会が優れた石油エネルギーに過度に依存し、工業生産を肥大化させてしまったことが原因です。今では、農業生産物までが石油製品になろうとしています。
 環境問題の本質的な解決のためには工業への依存を少なくし、生態系に基盤を置いた社会構造を取り戻すことが必要です。そのための基本的な方向は、石油消費によって成り立つ工業生産規模を縮小していくことと同時に、これまでの工業的な社会で傷ついた生態系の豊かさを回復することです。

 新エネルギー技術が工業の産物である限り、それは石油消費の下で成り立つ技術であり、石油エネルギーを『代替』することなどはじめから期待出来ないのです。それどころか今回検討してきたように、新エネルギー技術とは石油利用効率の低い工業製品によって成り立っており、工業生産規模を飛躍的に肥大化させるだけでなく石油の浪費を加速し、本質的に環境問題を更に悪化させるのです。
 環境問題の改善のためには、エネルギー分野では新エネルギーだけでなく原子力発電や燃料電池に代表される石油やその他鉱物資源を浪費し、生態系に悪影響を及ぼす技術こそ真っ先に廃棄すべきです。

 環境問題を改善するために今なすべきことは、新エネルギー技術の開発ではなく、既存の工業生産システムを縮小していくことなのだという基本的な視点が必要です。都会的で便利で快適な現在の生活環境を更に工業的に豊かにしながら、同時に環境問題を解決するなどということは不可能なのだというところから議論を始めなければならないのです。

■自然エネルギーの利用

 環境問題の解決の基本的な方向は『脱工業化』であり、より具体的には脱石油エネルギーです。石油は大変優れた資源ですが、今後ますます希少なものになって行きますから、出来る限り節約した上で有効に使うべきものです。ポスト石油文明において、主要な動力は畜力(牛馬など)と自然エネルギーになることは必然的な方向です。
 しかし、自然エネルギーの利用は工業的な利用ではないのです。新エネルギー政策における自然エネルギー利用の失敗の最大の要因は、制御できない自然エネルギーを無理やり完全な制御が必要な電力供給システムに組み込もうとしたことです。
 自然エネルギーを有効に利用するためには、制御できないなりにうまく利用することが必要です。工業化以前にはそうした技術が既に存在していました。

 風力発電と同じ風車の利用であれば、粉挽き用の風車であったり、揚水用の風車が存在していました(現在でも一部には存在しています)。

 

木製風車

 完全に非工業的な技術で作られた風車によって、風任せで風のあるときに粉をひき、揚水すれば良いのです。この風任せの利用法こそ、自然エネルギーを最も有効に利用する技術です。
 また、この伝統的な風車活用技術において優れている点は、風の運動エネルギーを運動エネルギーのまま利用する点です。風力発電では運動エネルギーを電気エネルギーに変換して利用することによってエネルギー変換の損失が生じるのに対して、伝統的な風車では機械的な摩擦以外に損失は無いのです。更に、電気のように遠隔地への伝達のための付帯的な設備も不要で、風車で受取ったエネルギーは風車小屋で利用すればよいのです。

 日本において普遍的な動力源であったのは水車の利用です。これは水が豊富で傾斜の大きい地形という環境からの必然的な結果だと思われます。

粉挽き水車 sisioumarul氏による

 日本の水車利用技術は様々なものがあります。一般的には粉挽き用の水車と水路から田んぼへ水を汲み上げる揚水水車が多かったと思われます。小さなものでは里芋の皮をむく芋洗い水車もあります。更に、大きな動力を得られるところでは製材用の水車もあります。

陶土を粉砕する唐臼(鎌倉・もやい工藝 仕入れ日記2006.12より)

 水のエネルギーを利用するという意味では、水車ではありませんが、唐臼と呼ばれる動力装置もあります。これは日本庭園などにあるシシオドシ(鹿威し)と同じ構造で、音を鳴らす代わりに臼で粉をひくのに使われています。大分県日田市の小鹿田焼の窯元では陶土を砕くために利用されているのが有名です。

 将来的に、脱工業化社会において利用される自然エネルギーの利用法は、おそらくここにその一部を紹介したような伝統的な利用法の延長線上にあるものだと考えます。ただ、現状ではこれらの伝統的な自然エネルギーの利用技術は効率は良くても、石油を自由に使える工業化社会の必要とする『能率』と『規模』を満たすことが出来ず、現状で速やかに広がっていくことはありません。
 しかし、こうした技術を維持・発展させておくことが脱工業化社会の実現のためには是非必要なことです。環境NPOの方々には、風力発電や太陽光発電による『市民発電所』を作ることを考えるよりも、こうした経済性を度外視しでも本当に残すべき施設や技術の維持や研究にこそ助力して欲しいと考えます。

■原点に戻った議論を・・・

 新エネルギーについて10回にわたって連載を続けてきました。新エネルギー導入の本来の目的とは、CO2地球温暖化仮説(科学的な真偽についてはここでは触れませんが・・・、)に基づいて、二酸化炭素排出量を削減して環境をより良い状態で将来世代に引継いでいこうということのはずです。
 この連載の検討を通して、現在進められようとしている新エネルギー政策は、本来の目的とはかなりかけ離れ工業振興策にすぎないという実態が見えてきたと思います。

 もう一度原点に戻って新エネルギーに対して冷静な評価をすべき時期に来ているのではないかと思います。

 最後に、白滝山の風力発電建設による里山の惨状をつぶさに見てきた方から頂いたメールの一部を紹介し、連載を終わることにします。


 最初は麓の小規模の物から始め徐々に規模を拡大、最終的に600m級の山の尾根づたいに20基建てられ、周辺の小規模の物と合わせると40基程度が稼働しております。
 もともとこの地域は原子力発電所の建設を住民運動にて撤回させた経緯があり、逆にそれがエコロジーとか環境に優しいなどの言葉に弱い体質がありました。

 結果、発電事業者は何の抵抗も受けることなく建設を進め、現在に至っております。
 また工事は外部から全くシャットアウトされた状態で進められているので山の麓から見ると1本また1本と建ってゆく姿しか見ることができず、わたしたちの撮影した写真で初めて山頂の様子に気付かれた方も多いようです。
 風力発電で作る電力と二酸化炭素の関係について、あるいは風力発電がどれだけ環境に寄与出来るのかはわたしたちは専門家では無いので計ることは出来ません。

 しかし、あの白滝山の惨状を見る限りでは、わたしたちは何を捨てて何を得ようとしているのか?疑問に思わざるを得ません。

 是非ともより多くの人々に風力発電の現状を知って頂き、本当のクリーンエナジーとは何なのか?を論議して頂きたいと思います。

■関連ホームページ
あの雲の 彼方へ・・・
http://news.ohmynews.co.jp/news/20080128/20225
南豆の和〜美しい自然と共に暮らそう〜


 

No.388 (2009/03/03)新エネルギーは環境破壊 そのH

 先日、HP閲覧者の方から太陽光発電の実績データを提供していただきました。ここでは風力発電とともに導入が実施段階になっている太陽光発電について考えることにします。

■太陽光発電の発電能力

 太陽光発電の日本における平均的な発電実績は、100kWh/(m2年)程度のようです。今回ご自宅の太陽光発電の実績を提供していただいた情報によりますと、運用の実績は次の通りです。

太陽光発電システム概要 1.116m2×24=26.8m2
発電実績 31,400kWh/(9年)=3,489kWh/年=130.2kWh/(m2年)=0.357kWh/(m2日)=0.015kW/m2

 平均的な太陽放射を春秋分日で代表出来ると仮定して考えてみます。春秋分日の南中時の太陽放射強度を1118W/m2、日照時間を12時間、日の出から日の入までの放射強度の変化をサイン曲線で近似すると、春秋分日の1日の単位面積の地表面が受取る太陽放射エネルギー量は、時間軸とサイン曲線の間の面積

 

1118W/m2×2×12(h/日)÷π=8,541Wh/(m2日)=8.541kWh/(m2日)

になります。情報提供していただいた御宅の発電実績の太陽放射に対する平均的実効発電効率は、

0.357kWh/(m2日)÷8.541kWh/(m2日)=0.04=4%

程度ということになります。

 通常、定格出力は太陽放射強度を1000W/m2に対する発電能力で表しています。この太陽光発電システムの定格発電能力はおそらく3kWであろうと思われます。この場合、単位面積当たりの定格発電能力は、3kW/(26.8m2)=0.112kW/m2=112W/m2です。太陽放射強度1000W/m2に対する定格発電能力は、

112W/m2÷1000W/m2=0.112=11.2%

です。発電能力が放射強度と線形関係にあると仮定すると、定格出力に対する実効効率は、4÷11.2=0.36=36%程度です。これは天候などによる影響だと考えられます。

■太陽光発電のエネルギー産出比

 最も普及していると考えられる家庭用の3kW太陽光発電システムの価格は200〜300万円程度です。ここでは250万円としておきます。3kWシステムは耐用期間中に平均的に3000kWh/年程度の発電を行っているものとします。耐用期間を17年と仮定すると、総発電電力量は、

3000kWh/年×17年=51000kWh

です。単位発電電力量当たりの設備費用は、

2,500,000円÷51000kWh=49円/kWh

になります。

 太陽光発電パネルの原料であるシリコンは豊富にある資源です(クラーク数で第2位、25%程度)。それにもかかわらず電子部品や太陽光発電パネルの材料としては非常に高価です。これは、不純物を取り除く精錬過程で大量のエネルギー消費が必要だからです。太陽光発電パネルの価格に含まれるエネルギー・コストは平均的な素材よりも遥かに大きいことが予想されます。
 前述の通り、太陽光発電の発電電力量当たりの原価は49円/kWh程度であり、風力発電の更に倍程度と非常に高価です。多少控え目な値ですが、原価の20%がエネルギー・コストだと仮定すると、

49円/kWh×0.2=9.8円/kWh

となります。つまり、同量の電力を供給するために太陽光発電は火力発電の石油消費量の9.8円/kWh÷4.97円/kWh=1.97≒2倍程度が必要なのです。エネルギー産出比は0.178程度になります。

 これまでは家庭用の太陽光発電システムについて検討してきましたが、大規模な専用の太陽光発電所の建設コストは更に高くなります。少し古い資料ですが、小規模太陽光発電システムでは45円/kWh程度ですが大規模太陽光発電施設では70円/kWh程度と見積もられていました。冒頭の写真の大分市の施設の実績は、

太陽光発電パネル面積  553u
発電出力           70kW
施設建設費         300,000,000円

ですから、前節の発電実績データを元に耐用年数を20年として試算してみると、

総発電電力量=130.2kWh/(m2年)×553u×20年=1,440,012kWh
∴300,000,000円÷1,440,012kWh=208円/kWh

になります。この事業は地方自治体による経済性や発電効率を無視したモニュメント的な施設であるため、かなり高いものになっていますが、少なくとも大規模施設によって発電原価が高くなることを示しています。
 これは、家庭用の太陽光発電システムの場合、発電装置を設置するための構造物を必要としないのに対して、専用の大規模太陽光発電所では太陽光発電パネルを設置するための構造物が必要になるためです。かつて、洋上に浮体構造物を作って太陽光発電パネルを設置するという荒唐無稽な構想がありましたが、あまりにも高価なものになることから頓挫したようです(しかし、この発想は前回示した九大による洋上風力発電でまたしても息を吹き返しています。エネルギー技術者とは過去の貴重な経験に学ばない人種のようです。)。

■太陽光発電導入の経済効果

 太陽光発電電力の原価の高さから、途方もない設備規模が想像されます。例えば、風力発電で検討した様に、実効出力で200kWを賄うために必要な太陽光発電パネル面積を求めると、

200kW÷0.015kW/m2=13,333m2

およそ115m四方、野球場一面程度の太陽光発電パネルが必要になります。

 風力発電で検討したように、火力発電を風力発電で置き換える場合、設備の経済規模は8.3倍程度になりました。太陽光発電は更にその2倍以上(49/24.7=1.98倍〜70/24.7=2.83倍、平均2.4倍程度)になります。

 つまり、火力発電を太陽光発電で置き換えることによって、同量の発電電力量を得るために、石油消費量は2倍程度、設備規模は20倍程度になるのです。

■発電効率の改善の可能性

 太陽光発電は風力発電とは異なり、比較的新しい技術ですから、もしかすると技術的なブレーク・スルーがあるかもしれないという方もいるでしょう。この点について熱学的に検討することにします。

 南中時、太陽放射強度が1000W/m2の時、太陽光発電パネルの表面温度は60℃以上になるといわれています。また、太陽放射は太陽光発電パネル表面で10%程度が反射されるといいます。これ以外にエネルギー損失がないとして理論的な最大発電能力を求めると次式の通りです。式の第一項は表面反射を除いた太陽放射の有効な入射量です。第二項は60℃の太陽電池パネル表面から放射される赤外線の放射強度です。

最大発電能力=1000W/m2×(1-0.1)−5.67×10-8×(273+60)4 W/m2=900W/m2− 697W/m2=203W/m2

 つまり、どのように技術を改良したとしても発電効率の最大値は203/1000=0.203=20.3%を越えることは出来ないのです。現在の発電効率は前述の通り11.2%程度になっていますので、最大でも20.3/11.2≒1.8倍にしかならないのです。エネルギー産出比は0.178×1.8=0.32です。
 つまり、今後太陽光発電にどのような技術改良を行ったとしても、そのエネルギー産出比は石油火力発電の0.35を超えることはなく、したがって将来的にも太陽光発電の導入によって石油消費を削減することは理論的にあり得ないのです。

■太陽光発電出力は制御不能

 蛇足ですが、太陽光発電出力の時間変動を図に示しておきます。風力発電ほどに短時間の激しい変動はありませんが、それにしてもかなり大きな変動があることがわかります。天候による影響も非常に大きいことがわかります。更に、太陽光発電は夜間は全く発電できないことも大きな制約となります。

 制御不能な自然エネルギーを利用する限り、風力発電にしろ太陽光発電にしろ本質的に制御不能であることは変わりありません。電力需要に対して安定した電力供給を行うことを前提とする限り、この種の制御不能な発電システムを需要の数10%まで増やすなどということは現実的には不可能なことを理解しなくてはなりません。
 もし、無理やりに増やそうとすれば、短時間の発電出力の平滑化用の蓄電装置などでは到底間に合わず、揚水発電所などの巨大なバッファ施設が必要になり、エネルギー・コストはますます大きくなることは避けられないのです。

No.387 (2009/03/02)新エネルギーは環境破壊 そのG

 前回まで、新エネルギーの例として風力発電について紹介してきました。風力発電は、新エネルギーの中で比較的に石油利用効率の高いシステムなので、多少詳しく検討して来ました。その意味は、新エネルギーの中で風力発電は、同量の石油を投入した場合において産出されるエネルギー量が既存の石油火力発電と競合する程度の位置にあると言うことです。
 しかし、前回までの検討で明らかになったように、風力発電を石油利用効率という尺度だけから見て、平均的に現状において高々石油火力発電と同程度の電力量を供給できるにすぎないのです。供給電力の質、具体的には供給電力の避けがたい制御不能な変動や、工業生産規模の肥大化、つまり廃棄物量の飛躍的な増大などを総合的に判断すれば風力発電の大規模導入には全く合理性は無いと考えます。
 風力発電愛好者の方に言わせれば、条件によっては石油利用効率で石油火力発電をしのぐケースもあると言われるかもしれません。勿論それはありえることです。しかし、大規模に電力供給システムに導入するためにはあくまでもその平均的あるいは総合的な特性から判断すべきことです。また、設置場所や年毎の環境条件に左右されるような不安定性を持つ電力供給システムをあえて大規模に導入することが合理的であるためには、石油利用効率において既存の火力発電による石油利用効率を遥かに凌ぐものでなければ検討の余地は無いのです。

■風力発電建設による環境破壊

 これまでの検討では、発電装置としての風力発電の性能について検討して来ました。しかし、風力発電と言う、石油やその他鉱物資源利用効率の低い、したがって発電能力に比較して巨大な設備規模の必要な発電装置と言う特性から、その存在自体が環境破壊を引き起こしている点も考えておく必要があります。

 風力発電は、大気の流れの運動エネルギーを利用する発電方式ですから、出来るだけ風の乱れの小さいスムースな流れを得られる場所に建設されることになります。
 そのような条件から立地場所として適しているのは、近くに山の無い出来るだけ広い平坦な場所、これは広い平野部の海岸線等が考えられます。しかし、日本のように平野が少なく海岸線に山が迫っているような地形ではむしろ山の稜線沿いに建設されることの方が多いのかもしれません。しかし、人里はなれた急峻な山の稜線では建設コストの上昇で経済的に成り立たなくなりますし、その結果として風力発電のエネルギー産出比の低下につながります。
 このような条件から、風力発電の建設場所としてあまり人の居住地域から離れていない里山の見晴らしの良い稜線に建設されることが多いようです。風力発電装置は巨大な構造物ですから、建設のためのアクセス道を含めた里山の自然環境の破壊も無視できません。
 通常私たちが地上から小高い山の稜線に並ぶ風力発電の風車群を見上げてもその実態はなかなか全体像がつかめません。大規模風力発電建設について、上空からの全貌を捉えた貴重な写真がネットワーク上に公開されていますので、管理者の了解を得てその一部を紹介します(「あの雲の 彼方へ・・・」のカテゴリーから白滝山を参照。)。場所は、山口県の白滝山です。

 

 

風力発電風車は全部で20基。

 

中央に組み立て前のブレードが並ぶ。

 

山の中に巨大な「広場」が出現している。

 

風車建設用の作業道と大型のクレーン。

 上空から見ると風車建設工事による里山の破壊は凄まじいものです。山の稜線付近に作業用の大型車両(数10mのブレードを運べる大型トレーラーなど)が通れる幅の未舗装の裸地が切り開かれるのですから、雨による土砂の流出や地山の崩壊が懸念されます。おそらく、風力発電が稼動している限り、この作業道は風車の維持や事故時の対応のために道として維持され、林地に戻すことは無いでしょうから、耐用期間中の稜線からの土砂の崩壊と流出はかなりの量になることが予想されます。
 麓の村落の豊かな自然を育んできたであろう里山をこのように破壊してまで風力発電という不安定で質の低い電力しか供給できない発電施設を建設することにどのような合理性があるのでしょうか?私にはどうしても理解できません。

■風力発電の絶望的な定向進化

 風力発電の技術開発はますます大規模化、複雑化、つまりますます石油利用効率の悪化へ向かって定向進化し始めたようです。これはかつての公共土木事業と全く同じです。九大を中心としたグループが洋上に大規模な風力発電を建設し、発電した電力を使って水素を製造して利用するという途方もない計画を進めています。これはおそらく今後しばらくの間はCO2を排出しないというイメージを与える研究開発プロジェクトには国家予算が優先的かつ甘い審査で投入されることを見込んだ研究であろうと考えられます。
 冷静に判断すれば、陸上建設においても石油火力発電よりも明確に石油消費量を削減できる可能性のない風力発電を、洋上に浮体構造を建造してその上に発電用の風車を建設するとなれば、設備建設費用は飛躍的に上昇し、莫大な石油浪費になることは避けられないでしょう。

 

 

社民党のホームページより

 更に風力発電電力を水素製造に投入すれば絶望的に石油利用効率を落とすことは避けられません。これは既に迂回過程において説明した通り、プロセスが複雑化し長くなるほど効率は指数関数的に低下することになります。
 蛇足ですが、九大ではおそらくこのプロジェクトとも連動していると思われますが、水素キャンパス構想というものが存在し、その基本的な技術開発として、水素利用の一つのネックであった水素圧縮工程によるエネルギー損失を減らすことを目的に、高圧の下で水の電気分解を行い、外から仕事を加えることなしに高圧水素を製造する技術の確立を目指していましたが、爆発事故を起こし研究は頓挫したと聞きます。

 こうしたビッグ・プロジェクトは計画の大きさに目を奪われ、その基本的な目的が覆い隠されてしまうことがあります。例えば現在でも原子力発電は安上がりであるなどという全く現実とはかけ離れた評価を信じている日本人がほとんどです。本当にこの風力発電をベースにした巨大プロジェクトは石油消費の削減になるのかどうかという本質的な検討ではなく、ただ単に作ることが目的になっているとしか考えられません。
 ここに示した美しい図は、社民党のHPに掲載されていたものであり、『脱原発の切り札』というキャッチフレーズが虚しいものです。社民党の科学的なレベルの低さをさらけ出していることが残念です。

 研究者にとって、誰も行っていない巨大プロジェクトを主導することに魅力を感じることは理解できますが、少なくとも研究内容について誠実な検討を行う事が前提です。重工・重電メーカーのお先棒を担いで、本質的な目的であるはずの石油利用効率の検討をおろそかにしてはならないと考えます。

No.386 (2009/03/01)新エネルギーは環境破壊 そのF

 風力発電や太陽光発電などの自然エネルギーを『原料』とする発電であれば、無条件に石油(ここでは天然ガスを含む炭化水素燃料の総称としてこの言葉を使います。)や石炭の消費量が減り、CO2排出量が削減できると言う『幻想』に囚われてしまっている人が多いようです。これは、現在の工業生産の構造に対する無理解に原因があります。
 ここでは、まず工業生産の仕組みを示し、風力発電をはじめとする非効率的な新エネルギーを導入すること、つまり『グリーン・ニューディール』政策がどうして経済拡大政策として機能するのかを示すことにします。

■工業生産の構造

 現在の工業に支えられた社会を駆動している基本的・本質的エネルギーは何でしょうか。石油?石炭?原子力??・・・。最も簡単なのは、基本エネルギーのない社会を想像してみることです。
 一番影響の少ないのは原子力であることは明らかです(原子力がすべてなくなっても全く困らないし、むしろ喜ばしいことです。)。次に石炭でしょうか(石炭は製鉄業における還元剤としての別の意味で重要です。)。エネルギー源として最も本質的なものは石油であることは明らかです。故に、現在の工業生産の構造を考える場合、工業プロセスに投入されるエネルギーは石油換算で考えることが必要です。

 例えば、燃料電池の効率を考える場合、通常、燃料としての高圧水素ガスに対する効率(0.6程度?)で示されることが多いのですが、これでは全く無意味です。高圧水素ガスは工業製品であり、莫大な石油消費の上に生産されているのです。工業生産プロセスにおける燃料電池の本質的な効率を考えるのであれば、投入エネルギーの考察は石油投入にまで遡らなければならないのです。

 

 上の図は、石油火力発電の発電効率を0.35として、水の電気分解法で水素を製造する場合について、燃料電池への投入石油量100に対する供給電力量を示したものです。この場合のエネルギー産出比は0.118〜0.088程度という事を示しています。燃料電池の実態は、極めて低効率な『間接石油火力』発電なのです。

 ここでもう一つ重要なことは、工業的なプロセスは物理学的・熱学的法則に従うため、あらゆる工業的なプロセスの効率は100%未満なのです。その結果、同じ効果を生み出す複数の手段がある場合、単純な過程ほど効率がよく、複雑な過程ほど効率が悪くなるのです。この場合、より複雑な過程を『迂回過程』と呼び、その程度を『迂回度』と呼びます。一般に迂回度が高いほど効率は低いのです。
 前出の燃料電池の発電プロセスでは、既に石油火力発電において一旦35の電力を生み出しているのであって、本来ならばこの時点で電力を供給するのが最も効率的なのです。燃料電池では、この電力を水の電気分解プロセスに投入し、更に発生した水素ガスを高圧で圧縮して高圧水素ガスにした上で燃料電池に投入して再び電気に変換するという『迂回過程』を通過する結果、電力供給量は11.8〜8.8にまで低下してしまうのです。
 このように、エネルギー効率を犠牲にしてまで複雑な過程を付加することに合理性が存在するのは、エネルギー効率以外の特別の使用価値がある場合です。例えば、宇宙船における電力供給においては有効なのかもしれません。
 しかし、排出CO2量を減らすという目的であれば燃料電池は全く無意味なのです。なぜなら、石油火力発電では投入石油に対するエネルギー産出比は0.35であるのに対して、燃料電池では投入石油に対するエネルギー産出比は0.118〜0.088であり、燃料電池のほうが単位供給電力量当たり(0.35/(0.118〜0.088))=2.97〜3.98倍のCO2を排出するのです。

 しかし、まだこれだけでは十分な評価とは言えません。燃料電池という装置そのものが工業製品であり、その製造過程で大量のエネルギー(≒石油)が消費されているのです。これは工業製品のエネルギー・コストとして計上されるものですが、更にこれを加えることが必要です。

 現在の工業生産過程とは、すべての生産プロセスが究極的には石油の消費によるエネルギーの供給によって支えられているのです。

■生産図

 単一の工業生産過程についての物質とエネルギーの流れを次の図に示します。これを『生産図』と呼ぶことにします。

 

 生産図の左から右への流れは、原料が加工工程を経て製品になる流れを示します。縦方向の流れは、製品を加工するために投入される低エントロピー資源、エネルギー、生産設備が劣化して廃物になる流れを示しています。
 原料は、生産設備の中で低エントロピー資源によって不純物を取り除かれ、純度の高い製品に加工されます。生産設備(設備の維持・補修を含む)は供給されるエネルギーによって運用されています。ここに示すエネルギーには、低エントロピー資源と生産設備に含まれるエネルギー・コストを含めることにします。

 発電とは、生産物が電力である特殊な工業生産過程の一つです。以下に火力発電と風力発電について、いずれについても石油消費に対するエネルギー産出比を0.35とした場合の『電力』生産図を示します。

 

 発電過程では、原料エネルギー(石油燃焼熱あるいは大気の運動エネルギー)から電気へのエネルギー転換の過程で生じる廃熱が通常の生産過程における不純物に相当するため、この二つをまとめて表示しています。

 上の図に示す石油火力発電では、生産過程に投入される石油1単位の内、0.88がタービンを回すための燃料として利用され、0.12が発電設備の建設・運用のためのエネルギーとして利用され、結果として0.35の電力を供給しています。
 これに対して風力発電では、電力の原料となるのは風力であり、投入される石油1単位はすべて風力発電装置の建設・運用のために利用されています。設備の建設・運用に消費されるエネルギー量は設備規模を反映すると仮定すると、風力発電の単位発電電力量当たりの設備規模は火力発電の1/0.12≒8.3倍ということになります(ただし、この“設備規模”は経済価値を尺度とすると考えた方が現実的です。たとえば前回の鳥取県放牧場風力発電所の1000kW級の例では、固体重量は160t程度であり、同等の出力のディーゼル発電装置重量は4t程度ですから発電能力当たりの重量比で40倍にもなります。)。

■石油利用効率の低いシステムほど経済規模が大きくなる

 前節で示した電力生産図から、火力発電と風力発電では、供給する単位発電電力量当たりの石油消費量は同じです。ところが発電設備について、風力発電は火力発電の8.3倍の施設規模になります。
 つまり、火力発電を風力発電で置き換えると、発電に関わる石油消費量は変化せず、発電施設を供給する重電・重工メーカーなどの市場が8.3倍になることを示しているのです。
 石油利用効率の低い発電方式を用いるほど発電に関わる経済コストが大きくなり、経済規模=工業生産規模が大きくなるのです。ですから、重電・重工メーカーにとっては出来るだけ石油利用効率の低い発電方式への移行が市場の拡大という恩恵に直結するのです。

 しかし、通常の市場経済であれば、そのような石油利用効率の低い=高価格の電力を販売することは出来ません。それは石油利用効率の良い火力発電電力に経済的に太刀打ちできないからです。この経済性と言う価値尺度を『合法的』に反故にするために機能しているのが『石油火力発電はCO2を大量に発生するから地球を温暖化させるのだ』という人為的CO2地球温暖化脅威仮説なのです。
 効率的な石油火力発電を風力発電をはじめとする低効率な発電装置に置き換えることによって発生する社会的費用の増加分を、温暖化仮説によって消費者・大衆を恐怖によって扇動することによって、増税(例えば炭素税)や電力料金への価格転嫁(例えば太陽光発電電力の高値買取と料金への上乗せ)によって賄うことを認めさせようとしているのです。こうして集めた金を重電・重工メーカーに供給することで市場を肥大化させるのです。

 つまり、『グリーン・ニューディール政策』とは、『CO2による地球温暖化を食い止める』と言う大義名分の下に、非効率的な工業生産システム(例えば新エネルギーや燃料電池車)の導入を正当化し、発生する社会的費用の増加分を消費者・大衆に負担させることによって、重電・重工メーカーをはじめとする製造業の市場=経済を拡大する政策なのです。
 しかしその実態は、これまで見てきたように風力発電では石油消費に対するエネルギー産出比においても火力発電より低くなる可能性のほうが高く、単位発電電力当たりのCO2排出量はむしろ風力発電の方が多くなるのです。更に工業生産規模の肥大化は本質的な環境問題の更なる悪化をもたらすものなのです
 おそらく、米国の石油メジャーがオバマの『グリーン・ニューディール政策』に強硬に反対しないのは、これによって石油消費が削減されることはない、あるいはむしろ石油消費は増えると判断した結果だと考えます。

No.385 (2009/02/27)新エネルギーは環境破壊 そのE

 さて、ここまでの検討で風力発電の実像が明らかになってきたと思います。

 風力発電の特性は、自然風という制御不能でエネルギー密度の低い大気の運動エネルギーを利用すると言うことにつきます。
 その結果、不安定なエネルギーを捕捉する為に、発電装置は最大のエネルギーに対応する規模が必要ですが、運用期間の大部分はその発電能力よりはるかに低いレベルの運転しかできない(平均的な設備利用率は20%程度か?)ために供給発電電力に対して過大な設備を必要とします。更に、元々自然風のエネルギー密度は低いため、発電機を駆動するためにエネルギーを捕捉するための機構が極めて大規模になります。
 こうして、通常の工場生産による火力発電に対して、発電電力量当たりの施設規模が圧倒的に大きなものにならざるを得ないのです。その結果、電力の材料になる大気の運動エネルギーという自由材を原料としながら、これを電気エネルギーに変換する装置=風力発電装置のエネルギー・コストが大きくなる結果、生産される単位電力量当たりの石油消費量において石油火力に勝るとは言い難いのです。
 更に、蓄電装置を併設したとしても出力を制御することは不可能であり、将来的にも電力需要の数10%をこれで賄うことなど技術的に不可能なのです。

 風力発電が火力発電に対して圧倒的に大きなものになるといっても具体的なイメージがつかみにくいかもしれません。ここで簡単な比較をして見ることにします。
 例えば、鳥取県放牧場風力発電所の定格出力1000kWの風力発電装置について考えてみることにします。この例では、ブレードの長さは29.8m・総重量は4.5t、ナセル(発電機部分)総重量は42.2t、タワー総重量は112.7tです。

 平均的な設備利用率を20%とすると、その出力は 1000kW×0.20=200kW になります。もう少しなじみのある単位で表してみましょう。私たちが日常使う動力装置である自動車のエンジン出力の単位である馬力で考えてみましょう。日本の計量法では、『1馬力=735.5W=0.7355kW』と定義されています。これを用いると、200kW=272馬力になります。
 つまり、この高さ100mにも達する巨大な1000kW風力発電装置は自動車1台分のエンジン程度の出力しか発生していないのです。自動車のエンジンに、これに見合う発電機を付加する事でこの風力発電と同等、いや発電出力の安定性を考えればそれ以上の高品質の電力を供給できるのです。風力発電装置と言うものが如何に資源を大量に必要とする発電装置であるかがわかると思います。

参考写真:YANMAR製のディーゼル常用発電機。『定格出力』200kW出力でサイズは軽自動車ほど、重量は3.9t。

 ではこの風力発電装置に関わるエネルギー・コストを再び考えることにします。まず連載の初回に示した試算の結果を示しておきます。

定格出力 1,000kW
設備利用率 25%
初期費用 300,000,000円/1,000kW(内50%NEDO補助)
発電経費 278,145,000円/(1,000kW×17年間)
耐用年数 17年
売電価格 11.5円/kWh
電力原価 15.5円/kWh

 この試算はかなり楽観的な条件でしたので、実際の既存風力発電施設の実績を元に多少修正することにしましょう。具体的な数値を示したデータが少ないのですが、ネット上で集めた実績を次の一覧に示しておきます。

 

 まず、設備利用率については、風力発電の故障の多さから、耐用期間中全てを通算して25%と言うのは平均的に見てかなり高目の数値のようです。北海道経済産業局の報告から、計画設備利用率から5%程度低い値というのが妥当な数値でしょう。ここでは一覧表の実績のある施設の平均値として設備利用率を18%としておきましょう。
 同じく実績から、初期費用は3.02億円/1000kW程度なので、これは試算の値はそのまま使えそうです。耐用期間中の総発電量は利用率を18%として次の通りです。

1,000kW×24(h/日)×365(日/年)×17(年)×0.18=26,805,600kWh

 発電電力量当たりの初期費用=設備費用は次の通りです。

302,000,000円÷26,805,600kWh=11.2円/kWh

 次に、発電経費については、北海道経済産業局の報告から、突発的な事故の発生の多さを考慮して、30%割増することにすると次の通りです。
1.3×278,145,000=361,588,500円/(1,000kW×17年間)

 発電電力量当たりの発電経費は次の通りです。

361,588,500円÷26,805,600kWh=13.5円/kWh

 この数値は、独立行政法人経済産業研究所の戒能一成氏による『電源構成試算モデルと発電コスト比較について』(平成15年7月)で示された数値(小規模15.5円/kWh〜大規模11.9円/kWh:平均13.7円/kWh)から見ても妥当な値だと考えます。

 以上から、風力発電の発電単価は(11.2+13.5)=24.7円/kWh≒25円/kWh程度だと考えられます。以上の結果を表にまとめると次の通りです。

定格出力 1,000kW
設備利用率 18%
初期費用 302,000,000円/1,000kW(内50%NEDO補助)
発電経費 361,588,500円/(1,000kW×17年間)
耐用年数 17年
売電価格 11.5円/kWh
電力原価 24.7円/kWh

 風力発電の電力原価に占めるエネルギー・コストを20%とすると、

24.7円/kWh×0.2=4.94円/kWh

になります。
 これに対して火力発電の電力原価は7.3円/kWh程度であり、原価の60%が燃料費、残りの40%の費用の内の20%がエネルギー・コストとすると、燃料費とその他のエネルギー・コストの合計は、

7.3円/kWh×0.6+(7.3円/kWh×0.4)×0.2=4.97円/kWh

となり、差がないことがわかります。つまり、風力発電の発電電力量当たりの石油消費量は、燃料費を含めた石油火力発電とほとんど同じなのです。

 ここの検討では、供給電力の品質について考慮していません。今後、組織的・大規模に風力発電を無理に増やそうとすれば、系統連系からの解列による設備利用率の低下、あるいは解列を回避するための風力発電電力の平滑化のための追加的な設備費用の増大が避けられません。つまり、今後の風力発電電力のエネルギー・コストは更に大きくなるのです。
 これに対して、火力発電では設備更新時には、ガス・タービンと蒸気タービンを組合わせたいわゆる『コンバインド・サイクル』と呼ばれる熱利用効率の高い最新の火力発電設備に置き換わるため、燃料費を含めた単位発電電力量当たりのエネルギー・コストは低下することになります。
 これらを考慮すれば、石油利用効率が低く、その上低品質で制御不能な上に高価=資源利用効率の低い風力発電をあえて導入することには全く合理性は無いのです。

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