chantooさんの問題提起について、少しづつ思いつくことを書き留めていこうと思います。まず、最新のエネルギー技術についてコメントする以前に、エネルギー技術と人間社会・文明との関係について考えることにしたいと思います。
人間の利用できる動力の大きさが食料生産に携わる人口を規定し、食料生産から開放された人間が食料生産以外の生産活動に携わり、都市社会を形成し、“文明”を築くことになります。文明とは、食料生産を主とする生物としての人間が生きるために必需の生産活動以外の余剰の生産活動によって生み出された物や、精神的、文化的な非物質的なもの、社会・政治・経済制度の総体と言えばよいでしょうか。
サルから人間になったばかりの頃には、道具や高度な意思疎通能力=言葉を身につけたとはいえ、利用できる動力は自らの肉体だけであり、ほとんど狩猟・採集による自給自足的な暮らしであったと考えられます。まだ文明と呼べるほどのものはなかったでしょう。
学習によって狩猟・採集のための道具が進化したでしょう。更に、食料用の植物を栽培することを始めました。特に重要だったのが長期間の保存に耐える穀物栽培の開始です。貯蔵可能な穀物によって、“富”の蓄積が可能となり、食料生産以外への労働の分化=職業の分化が起こり、階級が分化することになります。人力文明の始まりです。
次に動物を飼いならして家畜とし、食料にすると同時に動力として利用し始めました。畜力の利用によって、食料生産性は飛躍的に大きくなりました。また、余剰生産物の増大と船や荷車の発明によって、食料を始めとする物資の広域流通量が飛躍的に大きくなりました。これが畜力文明です。おそらく、副次的には水車や風車などの自然エネルギーの利用が開始されたのもこの頃でしょう。
畜力文明において、更に道具と技術が進化し、富と自然科学的な知見の蓄積が起こりました。自然エネルギーの中で比較的安定的に動力の供給を行える水力は、工場生産機械の動力としても利用されました。機織り機の動力や製材所の帯鋸の動力などに用いられました。鉱山における坑内の排水にも水車の動力が使われました。
鉱物資源として特に重要だったのが鉄です。鉄は鋳物や鋼に加工され、色々な道具に用いられました。鉄の製造は鉱物として採取した鉄鉱石=酸化鉄を還元することによって生成されます。還元剤として木炭が使われていましたが、鉄の生産が増大することで欧州の森林が大規模に破壊されてしまいました。17世紀に石炭を乾留したコークスを還元剤に利用する製鉄法が開発され(1621年ダッド・ダドリー:英国)、18世紀のはじめに実用化(1709年エイブラハム・ダービー:英国)されました。
そして自然科学と技術の進歩によって18世紀に動力文明における画期的な出来事が起こりました。石炭の燃焼熱を用いた外燃機関=蒸気機関の発明です。人間は初めて自ら制御できる動力装置を手に入れたのです。蒸気機関は工場用動力を始めとして様々な方向に分化します。鉱山の排水ポンプの駆動にも用いられました。ここに、石炭を用いた蒸気機関によって石炭を拡大再生産するという、エネルギー資源の拡大再生産システムが初めて登場したのです。
18世紀の産業革命の本質は石炭火力を用いた外燃機関の登場でした。これが石炭文明です。その後、揮発性の石油を用いる内燃機関が開発されました。内燃機関は小型化が可能で、移動用動力として決定的に重要でした。また、石炭が個体で取扱いにくかったのに対して、液体の石油は取扱いやすい燃料です。その結果、石炭を利用する蒸気機関の用途は限られて行き、次第に石油を利用する内燃機関に取って代わられ、動力装置の主役は石油内燃機関になりました。これが現在の石油文明です。
石油文明の特徴は、内燃機関は動力として小さなものから大きなものまで幅広いあらゆる用途に適用が可能となり、工業技術の進歩とも相まって、最早、主要な動力供給システムとしての人力や畜力は必要とされなくなったことです。石油文明下では、工業製品ばかりでなく石炭も農産品も石油を消費して作られる石油の二次製品だと言えます。
今回は、人間社会の利用する動力装置=エネルギー供給システムと文明社会の関わりについて考えてみました。エネルギー供給システムの能力や特性が文明社会の在り方を規定しているのです。エネルギー技術を考える時、単にエネルギー効率だけでその優劣を判断することは出来ないことをご理解いただきたいと思います。
次回は、ポスト石油文明について考えることにします。
参考:「研究ノート 石油文明の次はなにか」 槌田敦 名城論叢2001年3月