環境問題と科学教育 目的を見失い迷走する教育現場

■ホームページ“『環境問題』を考える”の読者の女性からメールを受け取りました。彼女は自然エネルギー発電の導入に疑問を持って行動されている方です。メールの内容を大雑把に要約すると、自然エネルギーを含めて、環境問題について考える場合、どうしてもネックになるのが自然科学的な内容に対して正誤の判断ができない、誰の発言が正しく信じるに値するのか分からない、という内容でした。

■彼女の住む山口県から北九州にかけての内海では風力発電を大規模に建設しようとする計画が持ち上がっているそうです。福島第一原発事故以降、原発に反対する運動の中には、風力発電をはじめとする自然エネルギー発電は人為的に排出する二酸化炭素を減らし、人為的二酸化炭素地球温暖化を食い止める切り札だという自然科学的・技術的に根も葉もない主張をして、自然エネルギー導入促進運動にすり替え、原発に変わる自然エネルギー利権を食い物にしようとする、飯田某のようなゴロツキが暗躍しています。

■幸か不幸か、私達の生きる現在の社会の問題に対して判断を下す局面において、環境問題、エネルギー問題、経済問題など多くの分野において、自然科学的判断が求められるケースはますます増加する傾向にあります。そのような社会の中で、主権者である私達国民が真に主権者たるには、こうした問題に対して、細部はともかく、概括的に判断できる程度の科学リテラシー(科学を読み書きするように使いこなす技術)を身につけることが必要条件です。その意味で我々自身が不断の努力をしなければなりません。この辺りについては、数年前に数学教室誌に掲載された小島順さんの論考“「数学は役に立つか」という“問い”の意味”が的確に問題点を指摘しています。

■ホームページ“『環境問題』を考える”において、高校の科学教育について継続的に取り上げているのは、一般国民が獲得出来る平均的な科学リテラシーの水準がそこにあるからです。残念ながら、既に「大分県の県立高校における非科学的な科学教育の実態」で報告しているように、科学を教えるべき高校の教師たちは、自ら考えることを放棄しており、残念ながら、使える生きた科学教育を彼らに期待することは、現状ではかなり難しい状況にあるようです。彼らの関心は目前の受験競争だけであり、自らの教育が何のために行われているのか(次世代を担う若者に対して主権者に足る理性を提供すること)を見失いっているようです。

■また、大分県の教育現場の悲惨な現状を象徴するような悲しい事件が起きましたので、コメントは控えて、新聞記事だけを紹介しておきます。

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環境問題と科学教育 目的を見失い迷走する教育現場 への3件のフィードバック

  1. black robin のコメント:

    論考を読みました。

    >「学びからの逃走」の口実としての「役に立たない」

    これはよく言われますね。子供も言いますが、親も言います。
    「原発のこと勉強しても、どうせ無駄でしょ」と311後、私はよく言われました。
    科学リテラシーというのは「批判的な知性」なんですよね。

    福島原発事故後、私の周辺では科学リテラシーがないために、放射能防御の入口には立ったものの、そこから先の原発問題の本質を追求することなく、しなければならない膨大な量の学習を前に諦めてしまい、結局、偽物が旗をふる情緒的な市民運動の後についていくといったようなお母さんが続出しました。

    原発事故後、母親は“市民科学者”や“市民ジャーナリスト”を目指していこうと私は主張してきました。メディアが信じられないことと、御用学者が存在するためです。
    市民で反対運動を行う際に、行政職員に嘘の説明をされごまかされてもわからないし、その嘘に切り込むこともできないからです。
    論理力がないため、偽物の運動家の描き出す間違った運動を信じてしまうという特徴も見受けられました。
    行政に申し入れをしても、その中身をすり替えられてしまうというようなことまで起こりました。情報公開請求をする力がないというのも、国と企業から見れば好都合です。
    「科学」の基礎知識がないことと「言葉」の精査ができないために、ニュースを見てもその欺瞞がわからない。まさにリテラシーなしの状態に置かれている現状です。

    このように市民は理系と文系の、偏差値教育で勝ち上がった為政者どもにやられっぱなしの状況です。
    自分の命、安全に関係する危険施設、迷惑施設かどうかの判断もつかず、無関心か、または不安を募らせ、偽物運動家に潰されるばかりです。

    <下水処理>汚泥を「うまみ」に…食料生産に利用、全国で
    毎日新聞 4月30日(水)
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140430-00000035-mai-soci

     福島原発事故後、日本のどこに住んでいても、放射性物質を含んだ食品が流通し、福島第一原発から1000km以上離れたところでも「食べて応援キャンペーン」をあちこちで見ます。エントロピーの法則では、人間が食べたら、放射能汚染は広がり、下水汚泥に濃縮、拡散していきます。そのような重金属に汚染された汚泥を食糧生産に使うことは命の危険につながると思います。
     原発事故で出た人工放射性物質は生態系の循環に戻してはいけないと思います。
    このニュースも、むしろ「いいニュース」として伝えられています。
     生態系の循環に戻してはいけない汚染物が、循環型社会形成推進と再生可能エネルギーの大キャンペーンの中、環境中にばらまかれていることに恐怖を感じています。

  2. HP管理者 のコメント:

    ■black robinさん、こんにちは。

    ■放射性物質の取扱について、まず一言。放射性瓦礫の広域処理と「食べて応援キャンペーン」は、ともに物理的に放射性物質を人為的に広域拡散することになりますから、放射線防護という視点からは誠に愚かなことです。放射線防護の鉄則は、放射性物質を限られた管理できる、可能な限り小さな空間に閉じ込めること、につきます。

    ■放射性物質による健康被害は確率的であり、希釈したからといって健康被害の起こらない閾値は存在しないと言われていますから、放射性物質を拡散させることは被害の拡大につながるだけです。

    ■“良心的な環境保護運動”ないし“情緒的な環境保護運動”の限界を以前から痛切に感じています。ほんとうの意味で有効で、着実な環境保護運動を作るためには、運動以前の学習が重要だと考えています。あくまでも運動に参加する人が自分の頭で考えて、納得した上で主体的に下から作り上げる運動が必要だと考えます。

    ■考えることは人任せにして、“自分は良いことをしているのだ”という自己満足だけで参加する市民運動は、足元をすくわれることになります。「あの人が正しいと言ったのであって、間違ったことをしたとしても自分には責任はない」というのでは通用しません。

    ■「それでは、市民運動など出来ない」というのであれば、すべきではないのです。少なくとも自らの意志で運動をする=他者に対して何らかの働きかけをするのであれば、自分の発言について責任をもつことが最低の必要条件です。お祭り気分で安直に仲間を誘うような市民運動は百害あって一利無しだと考えます。

  3. black robin のコメント:

    >自分の発言について責任をもつことが最低の必要条件

    学校教育において肝心なところで嘘を教えられているばかりか、その学校教育でさえまともに習得できなかった結果なのだと思います。
    市民のほとんどは自力では学習、検証ができないので端からやる気がないのです。
    だから市民運動が「アースデイに来ない?」「脱原発で有名な○○さんの講演会に来ない?」「映画の上映会やるから来ない?」といった働きかけになってしまうのです。
    私が聞いた話の中には、いわゆるトンデモのような人物の講演会もありました。そのあたりの境界が非常に曖昧になっているなと感じました。
    こういった市民運動の周辺にはマルチなどの健康食品販売者やカルト信者などが必ずいます。その辺が地元のしがらみを作って固めて、自然エネルギーに関する嘘の情報ばかりを共有している実態があります。

    正直、利害関係や、しがらみの方を大事にする市民運動に嫌気が差しています。
    環境問題の本質は何なのか、いのちと環境を守る視点で話し合える仲間が欲しいです。

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