1.環境問題総論HOME学問を見失い、 迷走する環境論議

早稲田大学現代政治経済研究所研究部会 研究会(98.6.1)講演資料会

学問を見失い、 迷走する環境論議

名城大学 槌 田  敦


【完敗したリサイクル運動】
【資源の条件】
【過剰供給を調節できないリサイクル運動】
【炭酸ガス(CO2)温暖化騒ぎ】
【大気中のCO2濃度は海洋表面の温度で決まる】
【CO2温暖化は2次効果】
【脅しの環境政治】
【活動を維持する条件】
【地球環境の構造】
【深海と生命系】
【環境破壊と環境汚染の定義】
【持続的開発の条件】
【廃棄物問題】
【環境破壊の最大原因は自由貿易】
【まとめ】



  私は、理化学研究所で20年にわたって、資源や環境の問題を熱物理学の応用として研究してきました。その際、事故や放射能の後始末を考えると、原子力は資源ではないと言いましたら、原子力推進の理事会との争いの毎日になってしまいました。
 しかし、友人達の支援でこれをなんとかしのいで、定年後文系に転向し、名城大学商学部と大学院で環境経済論を教えることになりました。
 環境問題は自然科学と社会科学というそれぞれの学問範囲を超えていますから、この両者を同時に考慮する必要があります。しかし、この両者を統合した学問は、まだ一般には認められてはいません。
 そればかりか、この分野では嘘や思い込みが激しく、既存の学問さえ無視して、国家権力が善導する「社会常識」への迎合が目立ちます。

【完敗したリサイクル運動】

 たとえば、資源リサイクルを考えてみます。この運動は、大量消費・大量廃棄という現代文明批判から始まりました。「まだ使えるのに捨てるのはもったいない」というわけです。そして、廃棄物をリサイクルすれば、それを減らすことができると期待され、最終処分場に悩む地方自治体も積極的にこのリサイクル運動に参加するようになりました。
 しかし、この運動は大失敗でした。リサイクルでは、必ずしも廃棄物の量を減らすことにはならないのです。まず、リサイクルしようとしまいと、廃棄物の量は使った資源の量と同じです。
 それに、廃棄物から再生資源を回収するには、石油など別の資源を消費することになりますから、別の廃棄物を発生します。この再生作業でのエントロピー増大を考えますと、リサイクルは余計に資源を消費し、余計に廃棄物を発生することになります。


 したがって、廃棄物をリサイクルすべきかどうかは、再生される資源と消費される別の資源とを比べ、またこの再生作業で生じた新たな廃棄物を考慮しなければ決まりません。それなのに、リサイクルはすべて良いことだと信じている人が多いのです。
 理工の研究者もこれに巻き込まれています。CO2を回収しH2と反応させてメタノールにして利用するという提案が脚光をあび、研究費を稼いでいます。
 エントロピー増大則があるのですから、再生される燃料よりも別のエネルギー資源を余計に消費することになります。しかし、多くの場合、永久機関の説明と同じで、工程を複雑にしてごまかします。しかし、工程を増やすことは、ますます資源の浪費になるのです。
 材料資源のリサイクルでも同じで、無意味な研究が評価されています。リサイクルする方が、原材料から純資源を得るよりコストが高いという場合、リサイクル過程での別の資源の消費が多いからそういうことになるのです。

【資源の条件】

 このようなリサイクル提案はエントロピー増大という熱物理学の法則を無視しているのですが、リサイクル運動は需要と供給という経済学の法則も無視し、社会を混乱に陥れています。
 雑誌、ぼろ布、古鉄などは、再利用可能な資源です。リサイクル運動が始まる前は、回収業者がこれらの廃品を買い集め、再生工場に売って生計を立てていました。リサイクルはすべて、商業の範囲に収まっていたのです。
 しかし、今では、家庭から出るこれらの廃品はほとんどすべて廃棄されるようになってしまいました。いくら集めても回収業者が取りにきてくれません。リサイクル運動で回収品が過剰に供給され、回収業者を廃業に追い込んでしまったからです。
 資源の条件は2つあります。ひとつは、「有用性」です。いくら大量にあっても、有用でなければ資源ではありません。この点、人間の廃品はほとんどが有用です。台紙、ぼろ布、金属類はすべて再利用可能です。生ごみや糞尿も肥料になります。
 しかし、有用牲だけでは資源ではありません。需要がなければ資源ではないのです。ぼろ布や糞尿は、現代日本では需要がなく資源ではありません。
 さらに、需要があっても供給がこれを越えると資源ではなくなります。このことを経済学では「資源の稀少性」と言い、需要を越えて供給された物品を自由財(free goods)と言っています。ここで自由とは無料という意味です。自由財をいくら集めても収入を得ることができませんから、商業は成り立たず有用な物品でも運ぶことができないのです。

【過剰供給を調節できないリサイクル運動】

 善意のリサイクル運動は、糞尿を除く一切の有用な廃品を過剰に供給し、回収業者を廃業させてしまいました。リサイクル運動がもっとも盛だった1989年から92年にかけて、PTAや町内会による古鉄やガラスびんなどの回収作業は次々と中止になりました。回収しても業者が来てくれません。
 このようにして、資源回収の機構を破壊した結果、一般家庭で発生する新聞紙やダンボールなどの有用古紙もほとんどすべて焼却処分されることになりました。生き延びた回収業者の倉庫には、地方自治体と企業の事務所からの逆有償による品質の悪い台紙であふれています。
 商品とお金は交換によって逆向きに流れるのですが、逆有償の場合お金は品物と同じ向きに流れます。つまり、逆有償とは手数料であって、運ばれる品物は資源ではなく廃棄物です。逆有償というようなことばを発明し、これを資源を有効利用する方法のひとつと説明した経済学者は、希少牲という資源の条件を忘れており、間違ったことを教えていたのです。そして、いくら逆有償でリサイクルしたつもりでいても、需要以上のリサイクルは絶対に不可能です。
 このようにして、余剰になった古紙はただ同然で東南アジアに輸出されています。生き残った回収業者にとって倉庫代を払うよりましだからです。ところが、これによって東南アジアでの古紙のリサイクルは不可能になり、東南アジアの回収業者を廃業させることになります。
 古鉄の場合、回収業者が廃業した結果、古鉄価格は乱高下しています。古鉄の供給が不安定になってしまったのです。そのため、製鉄業では安定供給を求めてアメリカから高価な古鉄を購入しています。
 日本の古鉄は、廃自動車や廃自転車のように不法投棄されるか、処分場に直行することになり、環境破壊をさらに深刻にさせてしまいました。リサイクルの結果、廃棄物は逆に増えたのです。
 さらに、逆有償で無理に集められた日本の古鉄は、古紙と同じで、韓国や台湾に廉価で輸出され、この地の経済を破壊しています。
 逆有償は、過剰供給をさらに拡大し、廃品の中でも良質の商品を回収できず、廃棄物にしてしまう最悪の行為です。なんと馬鹿なことをしたのでしょうか。その原因は、リサイクル運動が「現代の正義」となったからです。正義の前では学問は無視され、学問を無視した行為は失敗を繰り返すことになるのです。
 素人や行政は、リサイクルというような商業活動に介入してはいけません。その事業はすべて回収業者にまかせるべきです。そうすれば、昔のように台所での取引で始まる資源回収が可能になります。
 ところで、私は資源回収を否定しているのではありません。戦後、化学工業では、アメリカの巨大企業が特許のほとんどを支配していました。そのうえ日本の化学工業は空襲により工場を完全に破壊されていました。それなのに、見事に復活したのは、資源回収に成功したからです。アメリカでは捨てられる廃棄物でも、日本では需要を探して、加工して副産物に変えて販売し、儲けたのでした。
 つまり、廃棄物に需要を探しだして儲ける。これがリサイクルの基本です。儲け度外視のリサイクルは、需要のない物品を供給することになり、無意味なばかりか有害なのです。
 回収業は純粋の商業です。その隣で善意の素人が、無料で物品を供給したことはまったくの営業妨害でした。さらに、その隣で地方自治体や企業が逆有償で物品を供給し、回収業者を廃業させ、物資の流れを混乱させてしまったのです。
 回収業者は、これらの営業妨害に強く抗議すべきでした。しかし、リサイクルという「正義」に反対することはとてもできない相談だったのです(文末の参考文献「エコロジー神話の功罪」参照、以下同様)。

【炭酸ガス(CO2)温暖化騒ぎ】

 環境問題では思い込みばかりで、嘘が多いのには困ってしまいます。たとえばCO2による「温暖化」で大騒ぎしています。人間社会の発生するCO2で気温があがり、海水が増えるというのです。そのようなことにならないようにするため、CO2を出さない原子力の復活が画策されています。
 しかし、これは大嘘です。原子力もウラン濃縮や設備の建設などでCO2を大量に発生します。その量を計算しますと、通常火力とほとんど変わらないことになるのですが、それが隠されています。
 ところで、CO2は温暖化ガスですし、事実大気中のCO2濃度と気温は関係があります。しかし、どちらが原因でどちらが結果なのでしょうか。これについては、根本順吉著「超異常気象」(中公新書、1994、P212−216)に紹介されていますが、ハワイのマウナロア観測所でCO2の経年変化を丹念に測定したキーリングの報告があります。
 これによりますと、1958年から現在まで気温の上がった半年後にCO2が増えています。また、エルニーニョ発生の1年後にCO2が増えています。そして、91年にはピナツボ火山が爆発しましたが、92年と93年の2年間、人間がCO2の放出を止めたわけではないのに、CO2は増えていないのです。微小の火山灰が成層圏にばらまかれ、太陽光の入射が妨害されたからです。
 つまり、CO2で温暖化したのではなく、温暖化したからCO2が増えたのです。原因と結果が逆でした。地球の温暖化の原因は太陽運動と地球の受光の仕方の変化でした。
 そもそも、人間の発生したCO2がすべて大気中に溜まるとすると、現状の2倍の増加になるはずです。つまり、これまで人間の発生したCO2の半分が行方不明だったのです。このCO2の行方不明は20年も前から指摘されていました。これを放置したまま、CO2温暖化論という学説が誇張されてきたのです。

【大気中のCO2濃度は海洋表面の温度で決まる】

 大気中のCO2濃度を議論するのであれば、地球全体での炭素の循環を考えなければなりません。CO2だけでなく有機物も考える必要があります。この炭素の循環のもっとも太い輪は海洋にあります。
 まず、風や気温という気象現象による海水の上下循環です。そのひとつは赤道付近で、貿易風により西向きの海流が生じますが、その東端で深海水が湧昇します。太平洋ではペルー沖です。
 中緯度では赤道に向かう風は海流を作りますが、この海流は地球の自転についていけず、西向きに方向を変えます。その結果、海流と陸との透き間を埋めるため、深海水が湧昇します。太平洋ではカリフォルニア沖やチリ沖です。
 さらに、極洋では、冬に海面の温度は−2℃、探海の温度は0〜3℃です。上が冷たく下が暖かいので対流が生じ、深海水が湧昇します(海水が最大比重になる温度は海水の氷点の−2℃です)。
 深海水は養分とCO2濃度が高いので、この深海水が海流で運ばれる海域では光合成が盛んに行われ、漁場となります。このようにして海洋生態系ができあがるわけですが、この海洋生物はいずれ死体や糞になります。この有機物は海水より重いので深海に沈降し、酸化されてCO2やその誘導体になります−海の炭素循環の成立です。
 その結果、大気中のCO2濃度はこの海洋生態系を含む海面のCO2濃度と温度で決まるのです。人間の発生するCO2は莫大とはいえ、海洋生態系の炭素循環に比べれば問題になりません。これまで人間が放出したCO2の半分が行方不明とされてきたのは、この深海水の湧昇と真の沈降という海洋の炭素循環が過小評価されてきたからでした。
 海面の温度やCO2濃度は太陽活動やその受光の仕方で決まります。大気中のCO2濃度の変化は、人間活動が原因ではなかったのです。

【CO2温暖化は2次効果】

 ところで、このCO2は遠赤外線を吸収する温暖化ガスです。したがって、これが増えると気温が上がるという二次効果は確かに存在します。これがどのような効果をもたらすのかも考えることにしましょう。
 温暖化ガスの筆頭は、なんといってもH2Oです。多くの説明ではこれが無視されています。地表から出る遠赤外線の95%は、大気中のH2Oや雲、ほこり、その他の微少成分によって吸収されます。問題は宇宙へ直接逃げる残りの5%の変化なのです。
 熱帯では気温が高いので、大気中にH2Oが多く、多少CO2が増えても影響はほとんどありません。温帯の夏は熱帯と同じです。
 温帯の冬には大気中のH2Oが少ないので、晴れた夜放射冷却により気温は下がります。そこで大気中にCO2が増えると放射冷却が妨害されて暖かくなります。寒帯では、温帯の冬と同じでCO2が増えると暖かくなります。
 暑さは変わらず、寒さが緩和されるということは、極地に暮らす動物を除き、ほとんどの動植物にとって快適な気候になることを意味します。これがゆっくり変わるのであれば別に問題はありません。そのことは、5千年以前、長期間続いた古代文明当時、気温が現代より2℃高かったことでも明らかです。困ったことではなかったのです。

【脅しの環境政治】

 環境問題というのは、人々を脅して政治の方向を決めるのに有効です。
1970年代には、地球寒冷化説を利用して、石油の枯渇が宣伝され、原子力が本格的に採用となりました。寒くなるのに石油が枯渇するのでは子孫が凍えるから代替エネルギーは原子力、というのに人々は騙されたのでした。
 そして1990年代には、温暖化説で落ち目の原子力の復活を訴えています。温暖化を防ぐには、CO2を発生しない原子力しかないと全力投球です。
 このような政策の変更に学者も庶民も右往左往しています。庶民はともかく、学者がだらしないのです。専門領域以外のことは、他の分野の学者の言うことを信ずるしかないと思い込んでいます。信ずることにより成り立つ論理は学問ではありません。
 その結果は、リサイクル運動の失敗で説明しましたが、自分の専門分野の学問さえ放棄することになります。理工系の学者はエントロピーの増大を忘れ、経済学者は需要と供給の関係を忘れて、社会の正義というリサイクルに迎合してしまいました。
 そして70年代に寒冷化説を唱えていた多くの気象学者は温暖化論の激しさに黙ってしまいました。発表する場を温暖化キャンペーンに奪われてしまったということもあります。
 リサイクルや地球温暖化といったことで大騒ぎしている間に、環境破壊や環境汚染はどんどん進行しています。環境破壊の結果としての生物資源の枯渇は飢饉という大問題を発生します。しかし、そのことを論ずる場が、これらの騒ぎで奪われているのです。

【活動を維持する条件】

 環境問題を解決するため、「持続可能な開発」いうことばが目立ちます。このままでは、環境破壊や汚染で人類社会は終了するのではないかと不安が募るからです。リサイクル運動にしても、炭酸ガス温暖化論にしても、人間の活動で環境を破壊し、人間社会の存続が危ない、と感じたから人々に受け入れられたのです。
 しかし、何を、どのようにすれば持続可能になるのか、について明確にしないまま、このことばが使われています。
 そのため、多くの論者は、持続可能な開発などあり得ない、と内心では悲観しつつ、それでは希望がないと口先だけで持続可能な開発を語っているのです。そのことは、どの論文を読んでも、「論文の提案どおりにすれば、持続可能になる」とは書いていないことからも明らかです。
 そこで、「持続可能」の条件、厳密には「活動維持」の条件を考えることにしましょう。
 活動維持は、エンジンの研究でもっとも大切なことでした。エンジンが止まると飛行機は墜落します。物理学者と工学者は、これを次のようにまとめました。
 活動を維持するには、まず、@資源が必要である。次いで、A廃物と廃熱の廃棄が必要である。しかし、これだけでは不十分で、さらに、Bエンジンの中に物質循環が必要である。これをサイクル運転と言っています。

その基本は「エントロピー論」です。低エントロピーの資源を導入し、高エントロピーの廃物と廃熱を排出することにより、そのエントロピー差だけ活動できます。
 そして、この活動を維持するのに、エンジンの中に物質循環が必要なのです。この物質循環により、エンジンの物質状態を復元して、また同じことをする。これが活動を維持する条件なのです。
 生命も、一種のエンジンです。動物の場合、食料や水をとり入れ、排泄物や熱をはき出しています。これにより血液循環などの物質循環で身体の状態を復元して、昨日と同じように今日も活動できるのです。
 人間社会も動物と同じで、一種のエンジンです。このエンジンの活動を維持しているのは社会の中の物質循環で、これは商業活動が担っています。
 そして、人間社会に資源を供給し、廃物と廃熱をひき受ける環境が必要です。この環境も活動を維持しているエンジンでなければなりません。
 限界はもちろんありますが、環境のエンジンにはまだゆとりがあり、「持続可能な開発」は可能です。ところが、この環境のエンジンを人間社会が次々と破壊・劣化しています。ここに問題があるのです。

【地球環境の構造】

 地球環境エンジンの場合、もっとも大切な物質循環は、大気の循環です。太陽光が地表を暖めると、これに接する大気が暖まり、軽くなって上昇します。この大気は上空で熱を宇宙に放熱して、ふたたび地表に戻ってきます。大気の循環の成立です。入力は太陽光で、出力は宇宙への放熱です。
 下降してきた大気は乾いていますので、地表に存在する水は蒸発します。これは大気の流れに乗って上昇し、断熱膨張で冷却されて露点に達し、熱を大気に渡して、雨や雪になってふたたび地表に戻ってきます。水の循環の成立です。大気の循環はこの熱も宇宙に捨てます。
 この大気と水の循環が生産するエントロピーの減少は−41cal/deg・cm2・yearで、地球上での諸活動はこの値に達するまでの活動が許されています。つまり、大気と水の循環の存在が地球上の諸活動の原因であり、その活動の上限なのです(槌田敦「熱学外論」(1992)朝倉書店p128)。
 しかし、この大気と水の循環は、熱の形のエントロピーを処分できるだけです。もしも、地球上にこれだけしかなかったならば、大気と水以外の物質はエントロピー最大の状態として重力分布することになります。これでは、地球上に生命は存在できません。
 これを解決しているのが、養分と炭素の循環です。陸圏でも水圏でも水に溶けている養分が植物に吸収されて、光合成により生体物質になります。これは動物と微生物を経て、陸圏や水圏に戻るという循環になっています。また、炭素について、大気圏や水圏のCO2と生態系との間で循環が成立しています。
 これまでの生態学でも、養分や炭素の循環は重要な指標でした。しかし、それは物質収支の成立を示すためのものでしかなく、生命活動を保証する地球環境エンジンの条件として理解されたことはありませんでした。
 これらの物質循環により生態系の状態は元に戻ります。これはエントロピー増大の法則に反しているように見えます。しかし、この循環により生態系の中で生じた物エントロビーは熱エントロピーに変換され、大気圏や水圏に移ります。結局は宇宙に廃棄されるので、地球は熱と物のエントロピーの増大から免れ、その活動を続けることができたのです。

【深海と生命系】

 しかし、これだけでは完全ではありません。陸上では、養分は水に溶けるから植物が吸収できますが、植物の必要以上に水に溶けている養分は重力で下方に流されてしまいます。莫大な量の河川水が海洋に流れ込んでいますが、このなかに溶けている養分の量も莫大です。
 そして海に流れ込み、植物とプランクトンに始まる海の生態系になります。そしてすでに述べましたが、養分と炭素は死体や糞になって、深海に落下します。深海は0〜3℃と冷たく安定で、地球上の生命の墓場なのです。
 深海水の炭素・窒素・燐の比(CNP比)はプランクトンのCNP比106:16:1とほぼ一致しています。深海には莫大な量の生体物質のなれの果てが、養分や炭素の重力分布として存在しているのです。
 しかし、大気圏での大気と水の循環は、すでに述べましたように3種類の深海水の湧昇を引き起こします。この海水の循環により、海洋での養分と炭素の循環が成立し、海洋生態系が支えられています。
 そして、海洋の養分は鳥や魚など動物により陸上に引き上げられ、また海洋の炭素はCO2として海面から大気に供給され、陸の生態系を育てています。


【図 エコロジー神話の功罪 p143から】

 まとめますと、地球の諸活動は、大気圏での大気と水の循環による熱エントロピーの処分で支えられています。そして、大気圏、陸圏、水圏にまたがる養分と炭素の循環が大気と水以外の物エントロピーを熱エントロピーに変換しています。これらの物質循環が、地球上の物質が重力分布に陥ることを防ぎ、地球上の活動を維持しているのです。これらの循環を自然の循環ということにします。

【環境破壊と環境汚染の定義】

 環境破壊とは、これらの自然の循環を破壊・劣化することです。
 大気の循環は、地表を太陽光が熱することで大気が加熱され、大気上空で宇宙に放熱されて冷却されることで始まります。CO2は太陽光に透明なので、多少増えたところで大気の循環を妨害することにはなりません。むしろCO2の増大は生態系を豊かにします。したがって、仮に人間社会により多少のCO2が増加したところで、環境破壊ではないのです。
 単なる環境変化に脅える必要はありません。人間活動による自然改造でも、自然の循環を破壊しないかぎり環境破壊ではないのです。むしろ、この自然改造で自然の循環が豊かになることもあります。たとえば、草原を水田に変えるという自然改造は自然の循環を豊かにします。
 また、環境汚染は、自然の循環の能力の外に廃棄物を捨てると発生します。
 その意味では、最近のアマゾン、インドネシアなどの熱帯林の火災は深刻です。この大規模火災による煙により、熱帯の大気圏は不透明になり、地表への太陽光の入射は妨害されます。
 その結果、熱帯での大気循環と水循環が滞り、貿易風が弱まり、冷たい深海水の湧昇が抑えられます。これはエルニーニョ現象の増強です。ここでも、通常の説明は原因と結果を取り違えていると考えられます。

【持続的開発の条件】

 すでに述べましたが、人間社会も商業活動による一種のエンジンです。これが環境から資源を取り入れ、廃物・廃熱を環境に返すことによって自然の循環とつながって大きな循環になるとき、人間社会の発生する熱と物のエントロピーはすべて宇宙に捨てられることになります。

 つまり、商業活動で成り立つ人間社会の廃棄物が上手に自然の循環に返されて循環になることで、人間社会の持続が保証されるのです。人間社会の範囲でリサイクルするのではなく、自然全体でのサイクルを考えるのです。
 ここで江戸社会が参考になります。日本は、400年前まではげ山ばかりの荒れ果てた国土でした。それが、江戸以後の米や肥料を運搬する商業が野生動物と連携して、環境に養分を供給し、国土森林率66%という豊かな山を持つ現代日本にしたのでした。

【廃棄物問題】

 これまで、多くの人々によって語られてきたエントロピー問題といえば、人間はエントロビーを発生してはいけないという主張ばかりでした。エントロピーを発生してもよいのです。それを上手に自然の循環に返すことができれば、自然の循環が宇宙に捨ててくれるのです。
 このように社会を維持するための条件が分かれば、廃棄物問題は意外と簡単です。農村や小都市の生ごみや糞尿は衛生問題に注意して、できるだけ加工せず野山や海に返し、野生動物のえさにします。野山は野生動物の糞で豊かな森林になるのです。
 野生動物のえさにできない廃棄物や野山から遠い大都市の生ごみや糞尿は、すべて高温で完全焼却します。これによりほとんどの廃物の成分は大気圏に返すことができます。残った固形物は、毒性がまったくない場合は焼結固化してれんがにします。少し毒性を含む廃棄物は熔融固化して人工砂とし、毒性を閉じ込めます。これは溶鉱炉技術で実績があり、信頼牲は高いと考えます。
 このようにして得たれんがや人工砂はそのまま陸圏や水圏に返すことができます。廃棄物処分場など要らないのです。地下から掘り出した固体を利用し、ふたたび無害の固体にして環境に返すのであれば、これも一種の物質循環といえます。もちろん、このれんがや人工砂は、建設材料としても利用できます。また乱開発で壊した環境を復元する材料としても使えます。

【環境破壊の最大原因は自由貿易】

 最大の環境問題は地球の砂漠化です。これは砂漠に木を植えることでは解決しません。その原因が自由貿易という経済活動だからです。
 自由貿易で供給される安くてうまい先進国の穀物は、痩せた農地でほそぼそと農業を営んでいる途上国の零細農民の生活を破壊し、離農させました。
 放棄された農地は砂漠になっています。また、収穫を上げようとして、無理な焼き畑をおこない、森林も砂漠に変えています。
 このままでは世界中の砂漠化により、世界的飢饉の発生は必至と考えられます。この自由貿易による砂漠化という大問題が、リサイクルや温暖化というどうでもいいキャンペーンで薄められ、議論から遠ざけられているのです。
 ところで、大学の国際経済学では自由貿易は輸出国、輸入国ともに利益になると教えています。そして、関税なき貿易の自由化へ向けて、世界秩序を作るべきだとしています。
 しかし、経済学者リカードに始まる200年来のこの理論はまったくの嘘でした。カギは国際経済学で貿易商の存在が隠されていることにあったのです。これを取り込んで理論を作ると、自由貿易では輸出国、輸入国ともに利益があるのではなく、貿易商だけが儲けることになることが簡単に証明できました。
 現代の貿易商とは、多国籍企業のことですが、これがWTOなどの国際機関を牛耳り、自由貿易を各国に強制しています。これによる環境破壊こそが最大問題です。これを解決するには、ふたたび管理貿易に戻す必要があります。
 理学から商学に転向した私にとって、国際貿易論はリサイクル論につづくふたつ目の仕事でした。学問の題材は問題のあるところにはどこにでも転がっているのです。

【まとめ】

 学問とは、失敗を繰り返さないための行動原理です。人間社会を襲う環境問題は、この学問を確立し、これを人間社会の行動指針とすることで解決できます。


参考文献 槌田敦「エコロジー神話の功罪」(1998) ほたる出版


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