No.960 (2014/10/27)日本とイスラム・テロは無関係ではなくなった

 先週、カナダで“イスラム国"に賛同する若者が兵士を殺害した上で国会議事堂に侵入し、警察隊との銃撃戦の後に射殺されました。
 この若者の行動の直接的な原因は、カナダが隣国アメリカの主導する“イスラム国"殲滅のための空爆に参加を表明したことに対する抗議です。

 この米国の野蛮な世界戦略の一つである“イスラム国"殲滅に同調する国家連合に日本も名を連ねています。集団的自衛権を容認した日本がいつ空爆に参加するのかは時間の問題のような気がします。

 勿論、“イスラム国"による理不尽な虐殺行為を支持するつもりは毛頭ありません。しかし、イスラム圏にある反欧米思想に対する根強い支持がある根源的な理由は、イスラム圏の国家に対して欧米諸国が行ってきた長年にわたる理不尽な侵略と植民地政策、その後は傀儡政権による民衆に対する弾圧と富の収奪に原因があります。この問題を根本的に解決するためには、欧米諸国がこの地域に対する軍事行動を止めることから始めるしかありません。その上で、対等な国家関係を再構築する以外にありません。
 現状を見て、対症療法的に“イスラム国"を超える軍事力を投入して虐殺によって“イスラム国"を屈服させようなどというのは、見かけ上短期的な平安が得られるかもしれませんが、更にイスラム圏における欧米に対する憎しみを深化させる効果以外には得るものはありません。

 日本は、かつて歴史的にイスラム圏とは独自に良好な関係を保っていました。それが小泉の時代に、米国を中心とする多国籍軍による、誤った現状分析による大義のないアフガン・イラク侵攻に自衛隊を派遣したことから、徐々に関係が悪化し始めました。

 そして、安倍ファッショ政権による米国との軍事同盟化の強化によって、ついに日本もイスラム・テロの標的になる“普通の米国との軍事同盟国"になりつつあります。今の状況では、いつ日本がカナダと同じようにイスラム・テロの標的になってもおかしくはありません。

 このような中で、一時に大量の外国人が日本に入国するオリンピックを開催することには、大きな危険が予想されます。警察隊や自衛隊が治安出動するような事にもなりかねないように思います。なんとも悲しいことです。

No.959 (2014/10/01)住商、敢えなくシェールオイル開発に失敗
愚かな企業技術者集団が国を滅ぼす

 このホームページでは、メタンハイドレート、あるいはオイルサンド、シェールガス、シェールオイルなどの汚れたエネルギー資源開発にはほとんど期待できないことを繰り返し述べてきました(例えば、No.792 (2012/10/07)オイルシェールはエネルギー資源か?など)。冷静に考えれば、石油や天然ガスがまだ豊富にある段階で、敢えてシェールオイルなどの汚れたエネルギーを開発したところで、経済的に成り立たぬことは自明です。それどころか、条件が悪い場合にはもしかすると、エネルギー資源として利用することは無意味であるかもしれません(資源を得るために消費するエネルギーのほうが得られるエネルギーよりも小さい)。

 全く企業技術者は、おそらく文系の無能な連中に牛耳られている会社の愚かな経営戦略に対して、意見を述べることを放棄してしまったのか、あるいは奴らと同じくらい無能なのかは定かではありませんが、役立たずのようです。
 少しまともな技術者が居れば初めから手を付けるはずのないバカバカしいシェールオイル開発に手を出し、哀れ莫大な資金を投入した上に失敗して撤退する住商の記事を紹介します。
 八つ当たりですが(笑)、こんな愚かな大企業を儲けさせるために法人税を引下げて消費税が上げられるなど、ふざけた話です。

参考  エネルギー供給技術の有効性の検討(2012/10/22)

大分合同新聞2014年9月30日朝刊

 

No.958 (2014/09/26)三菱日立パワーの血税を食い物にする技術開発

 三菱と日立の出資による発電関連プラント企業である三菱日立パワーシステムズが、再生可能エネルギー特措法で国民の血税をむさぼるために、事もあろうに今頃になってまたぞろゾンビーのように「太陽熱発電」を墓場から引きずり出そうとしています。こんな開発にまたしてもこの国の愚かな役人どもは開発費用を血税から湯水のように垂れ流そうとしています。

 太陽熱発電といえば、国のサンシャイン計画(1974年〜1992年、事業費4400億円が投じられ、挙句の果てに頓挫した)において、実証実験までやって大失敗した技術です。その理由は単純です。発電効率が悪く、単位発電量あたりの発電施設コストが異常に高価であったことです。この本質はまったく変わっていません。

 ではなぜ今またこんなバカな事業を行うのか?それは再生可能エネルギー特措法によって、高コストのクズ電力に対しても事業としてなり立つような買取価格が設定されて、経済的負担を脳天気な電力消費者に転嫁することが合法化されているからに過ぎません。

 儲かることならば何でもする、企業倫理のかけらもない破廉恥な企業、三菱日立パワーのふざけた姿勢に乾杯!!


三菱日立パワー、太陽熱発電の実証設備 横浜工場に

日経新聞電子版(2014/9/26 21:22)

 三菱日立パワーシステムズは26日、太陽熱発電の実証設備を横浜工場(横浜市)内に設置すると発表した。2016年から1年間、試験運転し、性能やコストなどを検証する。環境省からの受託事業として実施する。契約金は2014年度分で3億4000万円。

 太陽熱発電は太陽の光や熱を使って蒸気をつくり、タービンを回して発電する。太陽光発電に比べ日射量の影響を受けにくい半面、システムが複雑でコストが高いのが課題だ。三菱日立パワーシステムズは熱や光を効率よく集めコストを下げるシステムを開発する。

 太陽熱発電の設置場所は日照時間の長い地域が適しており、国内のほか、米国や中央アジアなどでの実用化を目指す。


 

No.957 (2014/09/22)自然エネルギー発電の「外部」不経済

 まったく、自然エネルギー発電のクズ電力を無理やり使おうとすることほど愚かなことはありません。

 まず第一に、自然エネルギー発電装置それだけでも既存の火力電力に比較して途方もなく高価な設備費用がかかることはご承知の通りです。
 それだけではありません。その高価なクズ電力は予測不能で制御不能です。このクズ電力を既存の高度に制御されている送電ネットワークに接続するためには、調整・バックアップ用の発電装置、蓄電装置、そして付加的な送電線網の敷設が必要なことは既に何度も指摘してきました。

No.869 (2013/06/13) 日本の太陽光発電バブルはいつまで…

 まず、大分合同新聞の記事を紹介します。

 では、九電の発電の実績を見ておくことにします。まず販売電力量と最大電力です。

 2012年度の販売電力量850億kWh程度でしょうか。過去最大は2007年度で881億kWhです。2012年度の最大電力は1,500万kW程度でしょうか。過去最大は2008年度で1,771万kWです。

 次に電源別の発電設備構成です。

 地熱発電・新エネルギーに注目すると、2012年度で2,313万kWの内の1.3%、300,690kWです。そのうち、九州電力の地熱発電容量は212,000kWですから、新エネルギー発電設備は88,690kW、全体の0.38%ということになります(他の統計と少し数値の整合性が取れませんが、とりあえずこのままにします。九電の方、教えてください。)。

 次に発電電力量の実績です。

 2012年度の発電実績で見ると、地熱・新エネルギーは全体の4%ですから、

約850億kWh×4%=34億kWh

 地熱発電の設備利用率を80%とした場合の発電量は、

212,000kW×24h/日×365日×80%=14.9億kWh

 したがって、新エネルギーの発電電力量は、

(34−14.9)億kWh÷850億kWh=2.2%

 どうでしょうか、僅か電力供給量の2%程度を賄うにすぎない新エネルギー電力を導入するために、電力料金に賦課金が上乗せされ、クズ電力発電事業者の負担すべき費用が消費者に転嫁されているのです。しかも、太陽光発電を現状の倍ほどに増やすだけで、クズ電力のための既存の発電システムによる調整・バックアップ能力は限界になり、その後は更に莫大な資金投入が必要になり、その負担は一般消費者に割り当てられるのです。
 現状では太陽光発電事業者は、クズ電力の予測不能・制御不能という本質的な問題に対する経済コストを「外部」不経済として一切負担せず、電力会社に押し付けています。ふざけた話です。

 問題1:現状では不安定なクズ電力を利用するためのハードウェアによる対応を全て九電が負っていますが、これは不合理です。不安定なクズ電力の発電事業者の責任で電力を安定化させた上で送電線網に接続すべきです。その経済的な負担を全てクズ電力の発電原価に含めるべきです。特に電力の小売を自由化するならば、この原則を貫徹しなければなりません。

問題2:今回の九電の対応は発電事業者との契約だけであり、個人住宅については対象外としていますが、これは不合理です。個人住宅の不安定電力とて不安定なクズ電力であることは変わりません。自前で蓄電装置を準備してクズ電力を全て自己消費するか、逆潮流で送電線に余剰電力を流す事を禁止すべきだと考えます。

 

No.956 (2014/09/19)温暖化幻想〜いつまで現実から目を背けるのか

  温暖化問題についての国連における国際会議が近いらしい。もちろんここで言う温暖化とは、世界政治・経済の駆け引きの駒としての「人為的CO2地球温暖化脅威説」を指しています。決して自然科学の対象としての気象現象ではありません。

 温暖化問題に対する日本の新聞・マスコミにおける報道姿勢には呆れ果てるばかりです。日本の新聞・マスコミの報道姿勢は、戦後の一時期を除いて戦前・戦中と全く変わっていません。彼らは行政を始めとする権力機構あるいは権威組織からの公式発表をそのまま垂れ流すことが「公正中立」の報道だとして、自ら理論的・科学的に検証することを一切放棄しています。
 現在の日本の温暖化に関する報道は、日本の体制の温暖化脅威説に基づくエコファシズム体制による大本営発表であり、自らその内容を検証する作業を放棄した「垂れ流し報道」です。まず大分合同新聞の論説を紹介しておきます。

 なんとも情けない、自然科学的な検証を一切放棄した相変わらず低レベルで無内容な提灯記事です。

 気象観測データから、2000年代に入ってからの気温の変動傾向は、IPCCなどによる気候シミュレーションの将来予測とは大きく乖離し始めています。温暖化信奉者の気象学者や専門家の中には「我々のシミュレーションは正しい、現実の気象のほうが間違っている」などと大真面目で発言する輩もいるようですが・・・(笑)。気象観測データからも気温の上昇傾向の鈍化、寒冷化傾向は明らかです。

 こうした観測データを見て、これまで人為的CO2地球温暖化の巣窟であったJAMSTEC(独立行政法人海洋研究開発機構)の研究者の中にも中村元隆氏のように「最近の地球の気温は70〜80年周期で上下しており、今後寒冷化する可能性が高い。気候の長期予測は不可能」と公言する人物が出始めています。これは人為的に放出されたCO2による地球温暖化を否定する発言です。

 最近の気象観測データを偏見なく見れば、太陽活動は極めて不安定で不活性な時期にあり、気温も低下傾向を示しています。
 近年の気温観測施設の設置場所は、都市化の影響を受けて人工熱源の影響を受けているなど不適切な測定環境も少なくありません。都市化の影響を取り除いた観測点を用いた地球の気温変動の傾向を示しておきます。

 グラフから分かるように、2000年代に入って以降(Period4)の気温は急激に寒冷化傾向を示しています。また、この100年間余の期間の大気中CO2濃度の単調な上昇傾向に比較して気温の変動傾向は著しく異なっていることが分かります。
 最近の気温の変動傾向を見ると、1935年ころに極大値があり、そして2000年に極大値が現れています。この変動傾向に対して、前出のJAMSTECの中村元隆氏は「70〜80年周期で変動している」と述べているわけです。
 気温の変動傾向は太陽活動の活性度の変化によく対応しています。以下に太陽黒点の増減周期長=太陽活性度と気温変動を比較したグラフを示します。いずれも2000年代に入って急激に太陽活動が不活発になっていることを示しています。
 

 さて、いわゆる温暖化対策には莫大な国家予算の投入と、国民に対する経済的な負担を強いるものであり、もし「人為的CO2地球温暖化」がガセネタであった場合、ドブに捨てられた巨額の経済的負担と社会的損失に対して、一体誰が責任を取るつもりでしょうか。

 新聞・マスコミの報道姿勢としては、人為的CO2地球温暖化フィーバーで煽られた拙速な対応を戒め、今一度冷静に根本的な科学的分析を促す記事を書くべきでしょうに…。

 

No.955 (2014/09/14)原発は単なる発電所、自然災害ではない

 さて、川内原発に対して安全審査書が決定されました。政府は規制委員会の田中俊一委員長の「これで原発が絶対安全だということではない」という認識とは全く異なる判断を示しました。政府はこれまで通り、規制委員会の決定=原発の安全性が保証されたという認識で動き出そうとしています。新たな安全神話の誕生というところです。福島原発事故から何も学ばない愚かな行政は何の反省もしていないようです。まあ、政府はある意味確信犯ですから、この問題は議論しても仕方がありません。

 さて、福島第一原発の深刻事故が起こるまでは、日本の原発は深刻事故を起こさないという前提で運用が続けられてきました。その結果、深刻事故時の被害に対する事故処理費を含めた原状回復の費用、被災者に対する保証などについて一体誰の責任において対応すべきかが曖昧でした。
 福島事故においては、空前の事故であったために、被災に対する速やかな対応のために緊急避難的に国庫から大量の資金がつぎ込まれることになりました。しかし、事故の当事者である東電が、未だにでかい面をしてのうのうと生き延びているなど、ふざけた話です。東電はあらゆる自己資産を売却してでも事故処理の費用の一部を負担した上で解散することが当然です。

 原子力発電所は、勿論その開始にあたって国策として進められたことは事実です。しかし、あくまでも電力会社は原子力発電のリスクを知った上で経済行為として発電事業として原子力発電所を運営しているのです。しかも電力の異常な料金体系によって原子力発電は莫大な利益を上げ、電力会社を肥え太らせてきたのです。
 原子力発電所事故は自然災害ではないのです。たかが私企業の経済行為として行われてきた一発電所の事故の処理費用に対して、国や地方自治体が莫大な税金を投入することなど、資本主義の自由経済の下ではあり得ないことです。電力会社は発電施設事故によって社会的な損失が生じた場合には、その回復・補償のために必要なあらゆる措置に対して発生する経費を全て自己責任において支払わなくればなりません。この原則を原子力発電でも貫徹するべきです
 経済行為としての発電事業において事故を起こした場合の責任は経済行為の主体である電力会社が全て負うべきであり、国や自治体が責任を負うなど見当違いも甚だしいことです。日本において商業原子力発電を再稼働するにあたっては、まずこれを明らかにしておかなければならないと考えます。

 その上で、福島第一原子力発電所事故において、原子力発電所は重大事故を起こしうることが明らかとなりました。その影響は福島県の状況を見れば甚大であることが明らかです(むしろ福島事故は事故の重大さから見れば、東を海に開いた場所における事故であった故に、陸上被害は幸い軽くすんだと言えます。)。
 福島事故を経験した以上、原子力発電所運転について絶対事故が発生しないことを科学的・技術的に保証し得ないのですから、日本における原子力発電を再稼働する前提は、重大事故が発生することを前提にしなければなりません。従って、原子力発電所を運営する電力会社は考えうる最悪の事故状況を前提に、住民避難、事故の被害を原状回復、被災者に対するあらゆる補償などの計画を企業責任において明らかにし、福島事故から見ておそらく数十兆円〜数百兆円になる事故処理費を速やかに支払える(全て自己資金でなくとも保険契約等によって資金調達が出来る保証が必要)ことを確認できない限り、原子力発電所の再稼働を許してはなりません。
 原子力発電の電力原価は、こうした深刻事故対応の引当金や原子力発電所事故に対する莫大な保険金支払い(そして、勿論バックエンドの全ての処理費用を含めて)を必要経費として算定しなければなりません。途方もなく高い電力になるでしょう。これはたかがお湯を沸かすために原子力などという物騒なものを使うためのコストなのです。

 現状では避難計画については原発から半径30km圏内の自治体が主導的に策定し、更にこれに国が積極的に関与することを求めるなど全く頓珍漢な対応です。これらは全て原子力発電所を運営する電力会社の責任において行うべきことです。再稼働の前提として、事故対応のための避難計画の策定、避難施設の整備、事故が起こった場合に発生するあらゆる費用に関する地方自治体や国の出費については全て電力会社に請求して支払わせる契約をすべきです。

 そんな責任を電力会社に負担を求めれば経済行為として成り立たないという方がいるかもしれません。正にその通りです。つまり商業用の発電所として極めて危険な原子力発電などというものを経済行為として行ってはならないということです。

No.954 (2014/09/11)川内原発に新規制基準初の審査書

 昨日、九州電力川内原子力発電所に対する「実用発電用原子炉に係る 新規制基準」に基づく審査書が原子力規制委員会で決定されました。

 今回の審査書では、再稼働において設置すべき施設がまだ出来ていない物や、火山災害に対する不備など様々な問題を含んでいるのはご承知の通りです。
 しかし、仮にこれらの問題をクリアーしたとしても、原子力発電所が絶対安全だと言うお墨付きを与えたものではないことは、田中俊一委員長が述べた通りです。

 別に私は田中委員長の肩を持つわけではないのですが、まず第一に、原子力規制委員会の存在理由は、原子力発電所を運転させないことではなく、原子力発電所を運転するための最低の基準を審査することです。極論すれば、原子力発電所を動かすための委員会なのです。
 新規制基準が示しているのは、絶対的な安全性を保証することではなく、この基準を満足したものは規制対象にしない=原子炉を運転することを妨げないということにすぎないのです。従って、新基準をクリアーしても原子力発電所の深刻事故が起こることを否定出来ないということです。

 原子力発電所に反対する市民運動の皆さんは新規制基準や原子力規制委員会に対して過大な期待を持ちすぎているように思います。原子力規制委員会が組織されたということは、早晩規制基準をクリアーする原子力発電所が現れるのは時間の問題なのです。
 原子力発電運転再開に反対するのであれば、規制委員会に対して期待など持たずに、規制委員会が承認した後を見据えて、如何に反対運動を構築するのかに全勢力を傾注すべきなのです。個別の安全基準に対してその真偽を議論するような方法では絶対に結論は出ない問題です。なぜなら、原子力発電を推進する側が絶対的な安全性を証明できないと同じように、反対する側も絶対に事故が起きることを証明できないからです。

 原発再稼働反対の運動の方向性は、個別の安全基準に注文をつけることではないのです。そんな努力は徒労です。どのような規制基準を設定しようとも、原子力発電所の運転に絶対の安全性は保証できないのですから、それで反対理由には十分なのです。深刻事故が起きることを前提に反対運動を構築することだけが有効だということを認識してほしいと思います。

 

No.953 (2014/09/08)9.6講演・学習会を終えて考えたこと

 9月6日に福岡で二つの講演・学習会に講師として参加してきました。いづれもこじんまりとした参加者20名程度の集会でしたが、密度の濃いものでした。

くらしのエネルギーを比べてみよう
〜火力・水力・原発・太陽光・風力・燃料電池・バイオマス〜

 午前中はエネルギー技術、特に発電技術について何を選択すべきかということがメインテーマでした。しかし、発電技術が特に注目されている背景としては人為的CO2地球温暖化の脅威に対して電力供給がCO2排出量の大きい産業分野であることがその前提にあります。そこで、導入として人為的CO2地球温暖化脅威説の真偽について話すことにしました。
 ご承知の通り、人為的に排出されているCO2が大気中のCO2濃度上昇の主因というのは誤りですから、温暖化を防止するためにCO2排出量を抑制することには何の意味もありません。

 従って、温暖化防止のために発電方式を火力発電から他の発電方式、例えば原子力発電や自然エネルギー発電にシフトするという政策は無意味であり、むしろ有害です。何故か?
 火力発電代替発電技術は火力発電に比較して圧倒的に高コストです。高コストということは、それだけ多くの鉱物資源とエネルギー資源を消費するということを意味しています。

 自然エネルギー発電では、電力の“原料”として自然エネルギーを利用します。自然エネルギーはエネルギー密度が低いため、火力発電に比較して例外なく単位発電量あたりの発電施設規模が大きなものになります。
 一般的に自然エネルギーは時間に対する変動が不規則で予測不能=不安定です。従って、自然エネルギー発電では発電施設の設備利用率が極めて低くなり、エネルギー密度の低さと相俟って、平均的な発電出力に対して巨大な発電設備が必要になります。
 それだけではありません。この自然エネルギー発電による予測不能な不規則変動をする“クズ電力”を直接送電線に流し込むことは出来ません。送電線網全体が不安定化することになるからです。それを防ぐために、自然エネルギー発電を運用するためには更に不安定電力を安定化させるために、蓄電装置とバックアップ用の制御可能な発電装置を準備しておかなくてはなりません
 更に、自然エネルギー発電の地域的な変動を相殺するため、あるいは電力消費地に送電するために、超高電圧の付加的な送電線網を広域で整備することが必要になります。

 こうした自然エネルギー発電システムで火力発電を置き換えることになれば、おそらく電力原価は少なくとも火力発電の数倍から十数倍に跳ね上がることになります。またこの巨大な自然エネルギー発電システムを構築して運用するためには、置き換えるべき火力発電で消費する石油以上に多くの石油を消費することになります。従って、自然エネルギー発電で火力発電を代替することは、工業生産規模を爆発的に大きくするだけでなく、石油消費量の増大につながるため、無意味です。

 原子力発電については、もはや検討する必要もないでしょう。事故処理、バックエンドの処理費まで含めれば最も高価な発電システムであり、出来るだけ早急に全てスクラップして、核廃物の処理技術開発に国家として全力で取り組むしかありません。

 電力業界が原子力発電から撤退できないのは、核燃料サイクル、そして原子力発電から撤退することになれば、これまで莫大な資産であった使用済み核燃料が全て不良資産化する、それどころか処理費さえ見当がつかないほど金のかかる、処分に困る放射性ごみになってしまい、原子力発電を行っている電力会社は全て倒産してしまうしか無いからです。
 しかしこのまま原子力発電を破綻するまで利用し続ければ、その時の社会的な負担は更に大きくなります。電力会社の倒産を含めて、原子力発電の後始末のためにどこから金を持ってくるかは十分考える必要がありますが、とにかく出来るだけ速やかに原子力発電から撤退することが社会的な負担を小さくする最善の道なのです。

 この講演会の最終テーマはどのような発電方式が優れていて、どのような発電方式が劣悪であるかを判断することでした。結論的にはとても簡単です。発電原価の安い発電方式ほど優れた発電方式であり、高価な発電方式ほど劣悪な発電方式だということです。現状では、優れているのは石炭火力、ガス火力、石油火力(勿論ガスタービンと蒸気タービンのハイブリッドシステムを含みます)であり、劣悪な発電方式は原子力、太陽光・風力など不安定な自然エネルギー発電です。

 午前中の講演会には、行政の方、地方議員の方が数名参加されていました。今回の話を行政に反映していただきたいと切に願うものです。

温暖化?寒冷化?CO2温暖化はうそ?

 そして午後の集会では、温暖化問題がテーマでした。実際には政策決定のベースにある人為的CO2地球温暖化脅威説について興味をもつ方が大半であったのではないかと思います。

 講演会では、まず地球の気温の歴史的な変動を示し、現在が地球史上5番目の氷河期のただ中にあることを示し、地球の歴史からは非常に寒い時期だということを示しました。幸い、氷河期の中の間氷期にあって、比較的過ごしやすいのが現在であって、過去の歴史から見るとおそらく今後寒冷化する可能性が高いことを話しました。
 現状は氷河期であり、ここで多少温度が上昇してもさして問題はない、むしろ好ましいことだと考えられると話しました。温暖化の脅威を吹聴する人の中には数度の上昇で地球の生物システムが破局を迎えるような脅しをしているようですがそんなことはありません。
 かつて巨大恐竜が闊歩していた中生代ジュラ紀(約2億130万年前〜約1億4500万年前)の平均気温は現在よりも少なくとも10℃程度高温だったようです。当時は巨大肉食恐竜が存在していたのですから、これを支える生物相は非常に豊かだったでしょう。ちなみにジュラ紀の大気中CO2濃度は1000ppm程度だったようです。
 更に遡って、現在私達が石炭としている鉱物資源の元になった巨大シダなどが繁茂していた古生代石炭紀(約3億5920万〜2億9900万年前)も現在よりもはるかに高温であり、大気中のCO2濃度は数1000ppmもあったようです。

 石炭紀では大気中のCO2が急激に減少する一方、大気中のO2が急激に増加しています。これは、この時期の光合成反応が極めて盛んで、大気中のCO2が取り除かれると同時に、光合成の廃物であるO2が大量に大気中に放出されたためだと考えられます。

 そんなに昔の話をしなくても、例えば古代4大文明の栄えた6000年ほど前は気候最適期と呼ばれ平均気温は現在よりも2〜3℃程度高温であり、この時期は農業生産に適していたために文明が興ったと考えられます。また1000年ほど前は中世温暖期と呼ばれ、平均気温で現在よりも2℃ほど高温であり、日本でも平安文化が華やかでした。その後寒冷化すると農業生産が減少し飢饉や政情不安による一揆が頻発することになりました。世界史的にはモンゴル帝国の南進、例えば元寇もユーラシア大陸北部の寒冷化に関連しています。

 このように、現状では温暖化は好ましいものであって、脅威ではないのです。また現在の大気中のCO2濃度は、光合成をする植物にとっては薄すぎ、CO2濃度が上昇することは好ましいことです。従って、CO2地球温暖化が事実であれば、非常に歓迎すべきことというのが現実です。

 その後、地球の長期的な気温の変動機構の主要なものを3つ挙げました。地球のマントルの対流パターンによる地表面への放熱の変化、地球の天体としての軌道要素の変動に関する変化、そして太陽の活性度の変化がそれです。

 そして最後に人為的CO2地球温暖化仮説の真偽について説明しました。

 最初に、人為的CO2地球温暖化仮説の最も基本にある“人為的なCO2の放出が近年観測されている大気中CO2濃度上昇の主要な原因”だという仮説が誤りであることを示しました。現在の大気中には概ね7620億トンほどのCO2(ただし炭素重量、以下同じ)が存在し、年間地球表面から2182億トンほどのCO2が放出されています。つまり、大気中のCO2は年間放出量の3.5倍程度に過ぎませんから、急速に入れ替わり、蓄積されるということはありません。しかも、人為的なCO2の年間放出量は64億トン、全放出量の3%程度に過ぎません。従って、たとえ人為的なCO2放出をゼロにしたとしても、大気中CO2濃度は3%程度しか削減できないのです。現在の大気中CO2濃度を400ppmとすれば、3%は12ppmです。産業革命以前の大気中のCO2濃度は280ppm程度といいますから、増加した120ppmの内、人為的な影響は12ppm、残りの108ppmは自然変動ということです。

 さてここで会場から面白い意見が出されました。某大学の物理か何か、自然科学系の元教授だったという人物ですが、彼は標準的な人為的CO2地球温暖化仮説の信奉者らしく、私の説明は彼の常識とは大きく違う、科学者の95%以上が人為的CO2地球温暖化仮説を支持している、人為的なCO2が大気中に蓄積して大気中のCO2濃度が上昇すると言うのです(笑)。私は、科学は多数決ではありません、私の説明のどこがおかしいか指摘してくださいと再三求めたのですが、彼は多くの科学者が正しいとするものと違うと言うばかりで全く具体的に問題点を説明しないまま、ただただおかしい、説明はもういいと述べました。

 その後、C.D.Keelingの研究と私と槌田さんの研究によって、気温変動の後に結果として大気中CO2濃度が変化することを示しました。

 ここでまた元大学教授は、放出されたCO2は短期的ではなく20年先の気温変動に影響を与える、今人為的なCO2の放出を止めたとしてもその影響が20年先まで残るなどというとぼけたことを発言しました(笑)。
 これに対して、「先程述べたように大気中のCO2は急速に入れ替わっており、今大気中にあるCO2は20年先には既に大気中に存在しない。無いものの影響が残ることはない」と説明しましたが、彼は何の理論的な説明もせずに20年先まで影響が残ると繰り返す始末でした(笑)。
 疑問点について理論的に意見交換するならばともかく、お前の言っていることは私の常識や、彼の言う95%以上の科学者に支持されている人為的CO2地球温暖化仮説と違うから間違いだなどという批判のための批判は会を混乱させるだけなので、退席してもらうことにしました。

 この元大学教授とのやりとりは内容的には無意味なものでしたが、これを見ていた他の参加者にとっていわゆる大学教授の権威などというものが信頼するに値しないものであることを実際に目の前で経験していただけたことは、別の意味で大変有意義だったと考えています。

 

 実は、私の中では、人為的CO2地球温暖化脅威説やエネルギー技術に対する検討はすでに結果の出ている問題であって、今更なにかすることが有るのだろうか?という認識でした。
 今回二つの講演・学習会に参加して、行政の現場や環境問題に取り組んでいる方たちの生のお話を聞いてみて、今正に人為的CO2地球温暖化仮説を無条件に正しいものとして温暖化防止政策、自然エネルギー政策が猛威を振るっていることを痛感しました。
 圧倒的に少数派である人為的CO2地球温暖化を否定し、自然エネルギー発電に反対するまともな社会運動にとって、今ほど人為的CO2地球温暖化脅威説の虚構性を明らかにし、自然エネルギー発電がいかに社会システムに悪影響を与えるものかを示す情報が必要なのだと了解しました。今後何らかの対応を考えたいと思います。

 

No.952 (2014/09/04)人為的CO2地球温暖化の新しき旗手木本昌秀

 前回、久々にNHKの「人為的CO2地球温暖化」関連のお馬鹿番組シリーズについての書き込みをしましたが、そのNHKスペシャル「巨大災害」に登場していた東京大学の木本昌秀が大活躍のようです(笑)。昨日は気象庁が、今年の8月が異常気象であったという正に異常な記者会見を行いましたが、ここにも異常気象分析検討会の「専門家」として東大の木本昌秀が登場して語っていました。どうやら、新しき人為的CO2地球温暖化教の旗手としてマスコミは東大の木本に白羽の矢を立てたのかもしれませんね。

 今年の8月は昨年とは一転して天候不順で日照不足、低温傾向ですが、これも全て人為的CO2地球温暖化のせいという、バカバカしい説明がまかり通る、情けない日本の状況です。愚かなマスコミ・報道機関、そして愚かなマスコミ芸者としての文化人・評論家・・・、嘆かわしい限りです。

No.951 (2014/08/30)NHKお馬鹿番組の記録24
NHKスペシャル「巨大災害」〜不安を煽る前のめりの環境科学を憂う

 シリーズの久々の更新です(笑)。今年は当初から世界各地で大寒波の報道があり、春先にはエルニーニョが発生しそうなので夏は冷夏になると言われていました。その後一転してエルニーニョの発生は遅れそうなので平年通りの夏になると訂正されました。しかし実際には太平洋高気圧は弱く、7月から日本本土に上陸する台風が続き、8月を通して日本列島に沿うように前線が停滞して記録的な雨量が観測されました。
 昨年とは一転、今年の夏は日照時間が極端に少なく、おそらく西日本では平年よりも涼しい夏となったのではないでしょうか。日照不足による農業被害が懸念されます。当地では、昨年は連日のように猛暑日が続きましたが、今年は私の記憶では未だに1日も記録されていないのではないでしょうか。

 2000年以降、気温の上昇傾向が影を潜め、地球温暖化シミュレーションの予想から大きく乖離し始めています。

 その一方で、日本では国策として人為的二酸化炭素地球温暖化対策として、二酸化炭素排出量抑制のために自然エネルギー発電の政策的導入のために国民に負担を押し付け、次世代環境対策車の主流という触れ込みの燃料電池車の普及に対して1台あたり200〜300万円!もの血税を湯水のように投入するなど、とんでもない亡国の政策が行われています。

 気温の上昇も落ち着いているのになぜ環境対策と称して莫大な血税を投入するのか?という疑問に対して、日本政府や温暖化を唱える気象学者に多少焦りがあるのでしょう。そのような状況のなかで、さすがはNHK(笑)、彼らの主張を擁護するために企画されたのが掲題のNHKスペシャルの「巨大災害」シリーズなのであろうと思います。

 NHKのHPから紹介します。


巨大災害 MEGA DISASTER
地球大変動の衝撃
第1集 異常気象
"暴走"する大気と海の大循環

2014年8月30日(土)
午後7時30分〜8時43分

大気と海、そして地下のプレートやマントルの大循環など、地球に備わるダイナミックな変動メカニズムから、将来起こりうる巨大災害 MEGA DISASTERの脅威に迫る大型シリーズ。「異常気象」「スーパー台風」「巨大地震」「火山大噴火」を4回に渡って放送する。

第1集は、異常気象。豪雨や熱波が各地を襲い観測記録の更新が続く日本、今年250年ぶりの大洪水に見舞われた英国、500年ぶりと言われる大干ばつが続く米国カリフォルニア州など、世界で気象災害が激しさを増している。その原因と指摘されているのは、赤道から極域へと熱を運ぶ地球の“大気と海の大循環” の異変。熱循環システムを支える一つである中緯度帯の “偏西風”が大蛇行し、異常気象を引き起こしているのだ。産業革命以降、100年以上続いてきた地球の平均気温の上昇。今年、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は報告書で、地球温暖化は疑う余地がないと指摘し、この先も温度上昇は続いていくと予測している。そのとき世界は、どのような事態に見舞われるのか。科学者たちは、熱を運ぼうとする海と大気の働きが激しさを増し、これまでよりも強烈な熱波や激しい豪雨などの気象災害の発生を危惧している。東南アジアでは海面上昇に豪雨が追い打ちをかけ沿岸部の町を破壊、ロンドンや東京などの大都市もこれまでの水害対策が通用せず未曽有の被害が予想されている。番組では、地球の“大循環”を可視化し、最新の観測データやシミュレーションが明らかにしつつある将来の気象災害の姿を見つめる。


 内容的にはこれまでのNHKのスタンスと基本的に同じです。激甚な自然災害の例を列挙して不安を煽り、最終的にこれらの巨大災害の原因は全て人為的二酸化炭素地球温暖化が根本的な原因である、とするものです。
 今年初めのNHKの番組では気候シミュレーションによる将来予測は不可能だという内容が紹介され、NHKのスタンスが多少改善されるのかとも思いましたが、やはりそれはないようです(笑)。

 初回の番組で紹介されていた事実として目新しい物は、深海の温度の上昇が顕著になっているという内容くらいでした。これについてはその場所・規模についての説明がなく、また、その発生機構は未解明ということでした。研究はまだ緒についたばかりという感触でした。
 総じて、「“暴走”する大気と海の大循環」という大げさなタイトルとは裏腹に、それほど驚くべき内容とは思えませんでしたが…。偏西風の蛇行が大きくなり、その状態が継続するブロッキング現象が異常気象や自然災害を誘発することは以前からよく知られていることであり、今更どうこう言うことではありません。

 ことさらに自然災害を人為的二酸化炭素地球温暖化に無理やり結びつけて論じるNHKのスタンスは何の反省もないようです。これは日本の人為的二酸化炭素地球温暖化を主張する、例えば番組にも登場していた東京大学の木本昌秀らの科学者たちのスタンスを反映したものなのでしょう。
 彼らの常套手段は、素人に対して、自然現象を針小棒大に紹介して、このままでは将来大変なことになるという恐怖宣伝で先導することのようです。その道具が伝家の宝刀、数値シミュレーションです(笑)。まあ、今さら彼らを揶揄してもしかたのないことです。

 さて、環境科学分野において自然現象を緻密に観測して事実を解明していくことは大事なことだと思います。こうした仕事に携わる地道な研究者の仕事には敬意を表するものです。
 ただ心配なのは、研究者の中には、こうした地道な観測・研究の結果をつまみ食いして、不完全な数値モデルによるシミュレーションによる未来像を描き出すことにばかりに没頭して、それが科学だと勘違いしている似非科学者=シミュレーション科学者がはびこっていることです。彼らのシミュレーションは殊更に悲惨な未来像を描き出し、それが嫌だったらもっと我々に研究費をよこせ(笑)と官僚や国民を恐喝しているようです。
 環境科学の地道な研究は必要だと思いますが、あくまでもそれは現象をどう理解するか、その構造を理論的に明らかにすることですが、地球の未来像を予測することとは全く別の問題です。
 地球環境の将来像を全体として予測するということは、少なくとも現状における地球環境を構成する全ての因子についての理解が完了していなくてはなりません。現状ではまだわからないことだらけであり、とてもまともな数値モデルなど構成することなど出来ません。
 仮にすべての因子について理解できたとしても、その莫大な因子が互いにどのように関連しているのかを明らかにし、更に環境に影響を与える外部因子がどのように変動するのかを完全に予測できなければ将来予測のシミュレーションなど不可能です。つまり、外的因子の将来予測が不可能である現実から、環境科学における未来予測は論理的に不可能です。
 数値シミュレーションに可能なことは、システムに対してある限られた条件を人為的に設定し、その条件下で特定の因子を変化させた場合にどのようにシステムの応答が変化するか、という程度であることを自覚しなければならないでしょう。註)

註)例えば、1〜2日間程度の短期的な気象予報は、現状の観測データを初期条件として、時間因子を変化させた場合の変動シミュレーションです。ご承知のようにこの短期的な気象予測ですらそれほど精度は高くありません。週間予報の1週間先の天気はほとんど信頼するに値しないことはご承知の通りです。

 現在のシミュレーション科学者は自分が神にでもなったようなつもりでいるようであり、未来が予測しうると“信じている”ようです。これは既に科学の領域ではなく宗教的信念の領域であり、この余りにも前のめりの環境科学のあり方に強い危機感を抱いてしまいます。

 木本昌秀は、番組の終わりに、番組で紹介した激甚な災害が起こらないようにするためには、二酸化炭素排出量を減らすことだというまとめだったことには笑ってしまいました。

 蛇足ですが、この番組の司会をしていたのがタモリだというのは困ったものです。彼にはアンダーグラウンドの芸人であって欲しかったですね。権力の巣窟たるNHKに取り込まれて、真面目な顔してこの番組を進行している姿は幻滅です。茶々を入れて番組をお笑いにしてくれたら…、(笑)。無理でしょうね。反逆のコメディアンの冥福をお祈りします。

 

No.950 (2014/08/25)愚かな税金バラ撒き亡国の燃料電池車の補助金政策

 安倍内閣あるいは経産省の役人の愚かさ・非論理性には手が付けられません。花火を打ち上げたアベノミクスは、単に為替政策と企業に税金をバラ撒いただけの一時的な経済浮揚の効果しかないこと、本質的に失敗であったことが明らかとなりました。安倍独自の経済政策といえば、欠陥原子力発電システムの海外への売り込みと兵器輸出解禁による世界の武器市場への参入という悪徳商人のお先棒を担いだことくらいです。

 さて、今回は政府が自動車業界の口車(もっと言えばトヨタの口車?)に乗せられて、彼らの言う次世代の自動車技術となる燃料電池車の普及のために莫大な国税を投入するという話題です。

 このHPではエネルギー供給技術としての燃料電池は、一般的な環境においては全く使いものにならないことを既に検討しています(→石油代替エネルギー供給技術の有効性の検討 2-4燃料電池)。
 工業生産システムとは、工業的なエネルギー供給技術を基にモノを製造するシステムです。エネルギー供給は工業的なエネルギーを投入して有用なエネルギーを生産するシステムです。従って、概ね、着目するエネルギー供給システムの価格が安いほど優れたシステムであり、高価なシステムほど劣悪なシステムだということを示しています。

 さて、大きな意味で自動車の駆動系の技術とはエネルギー供給技術の優劣で判断が可能です。現在の自動車における駆動系は内燃機関と電気モーターの2種類です。電気モーターで駆動する自動車には、電気自動車、(シリーズ)ハイブリッド車、そして燃料電池車があります。その違いは、

電気自動車:蓄電池による電力の供給
シリーズハイブリッド車:内燃機関による発電+蓄電池
燃料電池車:燃料電池による電力の供給+蓄電池

 価格は、シリーズハイブリッド車<電気自動車<<燃料電池車であり、燃料電池車は圧倒的に高価=圧倒的に劣悪は自動車技術あることを示しています(→自動車駆動系の評価)。更に、燃料電池車の燃料である圧縮水素は極めて高価であり註)、水素ステーションの設備にも莫大な費用がかかります。総じて、燃料電池車が一般的な移動手段として定着させるためには莫大な社会的な費用負担を強いられることになります。

註)例外的に産業廃棄物として安価に水素を得られる場合もあるが、水素を製造し、これを燃料電池車に車載できるように300気圧程度に圧縮するためには莫大なエネルギー損失が発生し、結果的に圧縮水素燃料は極めて高価にならざるを得ない。

 このような劣悪な自動車を“普及”させるために、日本政府は燃料電池車一台当たり200万円もの莫大な血税を散財しようとしています。これは、血税を自動車会社にバラ撒くだけの愚かな政策であり、亡国の経済政策です。

 

No.949 (2014/08/25)福島原発・放射性物質の拡散が止まらない

 東京電力福島第一原発における重大事故が発生して既に3年半が経過しようとしています。しかし、事故収束作業の初期段階である放射性物質の封じ込めは未だに目処がつかない状況が続いています。この間の東電ないし国による収束作業の様子を見ていて、あまりにも安易で行き当たりばったりの対応には唖然とするばかりです。

 まず、除染作業についてです。
 既に事故当初から繰り返しこのHPで述べてきたことですが、広大な山林や原野の除染が出来ないのですから、居住地域の除染の効果は限定的なものになるのは当然でした。一旦居住地域や道路という放射性物質に汚染された地域の中の点や線を除染したところで、周辺から再び放射性物質の流れ込みが起こり、放射線量は再び上昇することになるのは予想できたことです。
 高汚染地域の中の居住地域の除染の効果は小さく、ほとんど無意味です。賽の河原に石を積むような無益な施策につぎ込む金はドブに捨てるようなものです。その上、このドブ銭にたかるような急造の悪質な除染業者は除染作業も出鱈目なようです。
 計画性のない除染作業は、除染によって取除かれた表土などの除染廃棄物の管理方法すら未だに定まらず、除染廃棄物を詰めたバッグは野積みにされている状況です。過酷な屋外に野積みされたバッグは劣化が激しく、既に破れ始めているという状況が新聞にも報じられました。

こうした除染廃棄物を詰めたバッグの破損によって、二次的な放射性物質の拡散が始まっているのです。
 報道によると、こうした除染廃棄物の中間貯蔵施設すら決まっていない段階で、最終処分場を福島県以外の宮城県ほか5県に作るという話が持ち上がっているようです。なんという愚かな話でしょうか!
 残念ですが、福島県は既に放射性物質によって強く汚染されています。放射性物質を含む廃棄物は汚染がひどい福島県にこそ最終処分場を作るべきです。あまり強く汚染されていない地域に、わざわざ汚染物質の貯蔵施設を作って放射性物質による新たな汚染の危険性を広げるなど非論理的です。こういう事こそ、政府は批判を受けても論理的に説明した上で福島県に納得させるべきです。

 次に原子炉本体からの放射性物質の封じ込めの問題です。予想通り、場当たり的な凍土壁による高レベル放射性物質汚染水の封じ込めは早くも失敗しつつあります。次から次に新たな対策が提案される原子炉からの放射性物質封じ込めの対策ですが、このようなことを繰り返していては状況は悪くなるばかりです。

 破損した原子炉からの放射性物質の漏洩の本質的な問題は、原子炉の圧力容器、格納容器、そして建屋に破損がある状態で、核燃料冷却のために大量の冷却水を流し込み続けていることです。つまり、核燃料の水冷システムが循環システム=閉鎖システムに出来ないことが問題の本質です。冷却システムから回収することの出来た放射性物質に汚染された排水から放射性物質を取り除く装置であるALPSは未だにまともに稼働していません。

 いくら対策をとったとしても、圧力容器、格納容器に穴が開いた状態では放射性物質汚染水は今後も増え続けるだけであり、早晩汚染水の貯蔵限界によって水冷システムは破綻し、汚染水の海洋投棄が始まるのは時間の問題です。

 この問題を本質的に解決するためには、これも繰り返し述べてきたことですが、水冷システムに変わるドライな冷却システムへの変更などの本質的な検討が必要だと考えます。

No.948 (2014/08/19)大分県高体連には県立高校は加盟できない

 娘が高校に通うまでは、高校に関連する様々な団体について、深く考えることはありませんでした。県立高校やPTAと関わる間に、県立高校をめぐる様々な組織について否応なく関わることになりましたが、制度設計が出鱈目です。よほど頭の悪い役人や教師たちが揃っているのか…、なぜ今まで問題にならなかったのか不思議です。一般の社会では到底通用しない出鱈目な理屈がまかり通っているのが今の大分県の高校教育の現場のようです。

 大分県高等学校体育連盟(以下高体連と呼ぶ)という任意団体?について考えることにします。規約によると、この組織の目的は、

(目 的)
第2条 本連盟は、大分県内高等学校体育の健全な発展を図ることを目的とする。

ということになっています。高体連は任意加盟の団体ですから、ここでいう「高等学校体育」とは、高等学校の教育課程における体育とは考えられません。つまり、高体連が対象としている「高等学校体育」とは高校において行われている課外活動としての体育系の部活動だと考えられます(これは申請用紙の様式からも確認できます)。
 また、組織と加入、そして会費支払については次のように規定しています。

(組織及び加入)
第5条 本連盟は、県内公私立高等学校及び特別支援学校で、本連盟に加入を希望する学校をもって組織し、理事会の承認を得て所定の会費を納入しなければならない。

 高体連という任意団体は、高校を単位として加盟する組織だということです。しかし、この基本的な制度設計にそもそも大きな問題があります。私立高校であればそれほど大きな問題はないかもしれませんが、加盟校の大多数を占める県立高校では大きな問題になります。

 県立高校では、高校の運営に必要な経費は大分県の県費と条例で定められた入学金及び授業料で賄うのが建前です。その性格から、すべての生徒に対して平等な教育を施すことが原則です。
 ところが課外活動である部活動は、高校施設を使って行われてはいますが、生徒の中の有志だけが参加するものです。現状は、文部科学省においても、課外活動である部活動を公的高校教育との関係においてどのように位置づけるのかということが明確には整理されていません。
 課外活動である部活動を、教育課程を実践する組織である公立高校の管理下におくことに本質的に矛盾があります。
部活動は課外活動であり、文字通り高等学校で行うべき教育=教育課程の外で行われる活動であり、本来高校教育の範疇には入らないからです。
 その結果、実に奇妙なことが起きます。県立☓☓高校◯◯部といえば、組織的には県立☓☓高校の中にあるように思えますが、○○部の活動費を公費である県立☓☓高校の会計から支払うことが出来ないのです。
 そこで、場当たり的に、部活動とは本来何の関わりのない任意団体であるPTAが、例えば生徒会費や体育文化振興会費という費目で資金を集めて、部活動費を捻出するという出鱈目な措置が取られています。

 これまでこのHPで見てきたようにPTAとは実質的には県立高校の傀儡組織であって、県立高校としては出来ないような行為を代行させるためのでっち上げ組織であり、実質的にPTAの実権はPTA会計責任者であるPTA副会長=県立高校の校長が持っているのです。要するに、現在のPTAの本質とは、大分県の公費ではない、県立高校が自由に使えるお金の集金装置=財布だということです。

 少し脱線しましたが、話を元に戻します。この本質的な矛盾を抱えた県立高校の部活動は様々な問題を引き起こすことになります。その一つが高体連への加盟問題です。
 既に見てきたように、大分県高体連は高校単位で加盟する組織であり、加盟を希望する高校は次の様式の加盟申請書を提出します。

 高体連の理事会の承認を受けて会員となった県立高校は規約に定められた会費の納入義務があります。県立高校が高体連の会費を支払うということは、公費から高体連会費を支払うことになります。高体連とは高校の教育課程の外で行われる課外活動の一つである体育系の部活動に関わる団体、つまり県立高校の一部の生徒に関わる団体であり、その会費を公費から捻出することになります。県立高校の一部の生徒に関わる費用を公費で賄うことは公費の使途としては適切ではありません。
 従って、厳密に解釈すれば、県立高校は高体連の会費を支払うことが不可能=高体連に加盟することは出来ないのです。

 さて、では現実にはいかなる魔法=誤魔化し(笑)を使って県立高校は高体連に加盟しているのでしょうか?大分県教育庁による「学校私費会計取扱要領」の中に大分県の公式見解の屁理屈が記載されています。同要領6頁において、高体連会費を学校取扱金とすることが記されています。県立高校はこの大分県教育庁の指導によって、高体連会費を学校取扱金であると称して保護者から強制的に徴収しています。
 しかしこれは誠に不合理なことです。学校取扱金の定義は次の通りです。

1.学校取扱金とは
 学校取扱金とは、学校の教育活動上必要とする費用のなかで、受益者負担の考えに基づき、各学校において計画・決定を行い保護者(生徒)から集金し管理する経費を言います。

 県立高校や大分県はこの定義に基づいて、高体連会費は学校取扱金であり、保護者(生徒)からの預かり金であるというのです(私の県立高校に対する審査請求に対する大分県教育庁による「裁決書」教委高第1284号による。)。しかしこれは全く現実を無視したものです。
 まず、学校の教育活動に課外活動である部活動が含まれるのでしょうか?更に、高校の体育系の部活動にだけ関わる組織である高体連の会費というものが、果たして県立高校の教育活動上必要な費用でしょうか?
 更に、預かり金は、金員を支払う当事者と、金員を受け取る者の間に何らかの支払い契約ないし義務がある場合に、支払事務の便宜をはかるなどの理由でその仲介をする者が支払い当事者から一旦金員を徴収して管理している支払い前の金員のことを指します。
 高体連会費の場合では、会費を支払う当事者である保護者(生徒)と、金員を受け取る高体連の間に何らかの支払い契約ないし支払義務がある場合に、仲介者である県立高校が保護者(生徒)から一旦金員を徴収して管理している支払い前の金員だということになります。

 しかし、既に述べたように、大分県高体連は高校単位で加盟する組織であって、規約第5条に定められた通り、加盟した学校に会費の支払い義務があるのです。高体連への加盟契約の当事者は高校であって、この契約に保護者(生徒)は一切関わりがありません。つまり保護者(生徒)に高体連会費の支払い義務はありません。
 また、学校取扱金は「受益者負担」の経費とされていますが、当該県立高校の生徒であっても、体育系の部活動に参加していない生徒にとって何ら受益は存在しません。
 更に、学校取扱金は強制的に徴収される費目であり、「学校私費会計取扱要領」9頁において、期限までに支払われない場合には催告を行い、組織的に集金するように求めています。とんでもないことです。

 この件について、高体連の事務局に確認したところ、会費を支払うのは各加盟高校であること、高体連が直接加盟高校の保護者(生徒)に対して金員の支払を求めることはないことを確認しました。その上で、加盟高校が高体連会費の支払いに充てる金員を集めるときに、当該高校の保護者(生徒)に協力を求める助けになるように高体連の意義や活動内容を記した印刷物を配布しているということでした。

 今回は高体連の問題を取り上げましたが、事情は高文連も同じです。このように、県立高校における課外活動の不明朗な位置付けに始まる混乱は大きな問題です。
 一般の保護者の大多数はナイーヴで世間知らずであり、大分県や県立高校が不必要・不当な金を徴収するわけがないという思い込みで、何も疑わずに言うなりに金員を支払ってきたのです(私自身、教科書問題でPTAを辞めるまではその一人でした。)。
 県立高校や大分県教育庁は、そんな保護者をいいことに、不明朗さを逆手に取って、あたかも高体連の会費は県立高校に生徒を通わす保護者ないし生徒は払わなくてはならない必須の費用だと思い込ませて、まるで詐欺師のような真似を平気でし続けてきたのです。

 今回、この問題を取り上げたのは、先般提出していた娘の通う県立高校の不当な対応に対する大分県教育庁に対する審査請求の「裁決書」が出されたのですが、その出鱈目さについて考える一つの材料を提供することが目的です。次回は裁決書における大分県教育庁の論理構造を分析することにします。

 追記:2014.08.20

 この記事を書いている途中、一昨日、私の本を出して頂いている福岡の不知火書房の米本氏から電話がありました。そのなかで、熊本県で奇しくも私と同年齢の男性がPTA会費の返還を求める訴訟を起こした記事が朝日新聞に出ていたという話題が出ました。
 この男性の行動は、実に勇気のある筋の通った立派な行動だと思います。私は、県立高校・PTA関連の不当な金員の徴収について、大分県教育庁に審査請求を行い、裁決書によって全て却下されました。本来ならば、手続き上、次にすべきことは行政訴訟を起こすことです。
 しかし、私はそれほど根性がありませんので(笑)、訴訟をおこすことは考えていません。まあ、根性なしという以外にも訴訟を起こさない理由があります。
 まず現実的な問題として、娘はもうあと一年もせずに高校を卒業します。訴訟を起こせば彼女の卒業までには結論を得られないのは明らかです。
 次に、県立高校やPTAの問題は、ごく普通の保護者の多くが直面することになる問題ですが、訴訟という手段はごく普通の保護者にとってはあまりにも敷居の高い(経済的・時間・労力においても)手段であり、しかも過去の判例から、保護者が勝つ可能性は極めて少ないと考えられるからです。
 私は訴訟を起こすよりも、現在大分県教育庁・県立高校、そしてその傀儡組織であるPTAの行っている出鱈目な行動を明らかにした上で、本来保護者が持っている権利を行使することのほうが、有効だと考えているからです。
 これまでの大分県教育庁、県立高校との交渉経過から明らかになった権利、彼らも認めざるをえない主な権利を列挙すると以下の通りです。

■PTAは県立高校とは独立の任意団体である。
■従って、PTAは入会する必要もないし、いつでも如何なる理由でも辞めることが出来る。
■PTAの会員であったとしても、会費以外の費目は払う義務はない。
■高体連・高文連会費は保護者に支払義務はない。

 これらの権利を行使することで、大分県教育委員会や県立高校の出鱈目な行動はかなりの部分で改善することが出来ます。こうした情報を広げて保護者(生徒)のなかで広く共有していくことが有効だと考えています。

 最後に、朝日新聞電子版の記事を以下に紹介しておきます。


PTA強制加入は「不当」 父親が会費返還求め提訴

籏智広太 2014年7月3日07時35分

 子どもが通う小学校のPTAが任意団体であるにもかかわらず、強制加入させられたのは不当として、熊本市内の男性(57)がPTAを相手取り、会費など計約20万円の損害賠償を求める訴訟を熊本簡裁に起こした。男性が2日に会見して明らかにした。
 訴状によると、2009年に2人の子どもが同市内の公立小学校に転校した際、PTAに同意書や契約書なしに強制加入させられ、会費を約1年半徴収されたと主張。これまでもPTA側と話し合ってきたが、平行線だったという。
「PTAは原則、入退会が自由な団体なのにもかかわらず、なんの説明も受けなかった」と指摘。12年に退会届を出したが、「会則の配布をもって入会の了承としている」などとして受理されなかったといい、「憲法21条の『結社の自由』の精神に反している。会則には入退会の自由を明記するべきだ」と訴えている。
 PTAの「自由な入退会」をめぐっては、NPO法人が4年前、横浜市で開いたシンポジウムをきっかけに議論が広がった。札幌市や岡山市などの一部の小学校では、すでに周知が始まっている。(籏智広太)


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