No.064 (2002/12/19)『大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)』を考える

 幸い、このホームページを訪れる方はだんだん増えてきました。最近特徴的なのは、ヤマハ、トヨタ、ホンダという、このコーナーで取り上げたメーカー各社から相次いでアクセスがあったことです。当事者としてのご意見がありましたらぜひお寄せいただきたいと思います。
 さて、そんな中で、官公庁(国・県・市・町・村)からも日に数十件のアクセスがあります。そこで、環境問題に対する行政の対応について、少し考えてみたいと思います。絶好の題材として、私の住んでいる大分県の環境問題に対する新条例案を題材に考えることにしようと思います。このホームページを訪れてくださっている官公庁の方の参考になれば幸いです。
 まず初めに、条例素案の前文と総則を以下に引用しておきます。

大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)

 大分県は、「環境立県」の目標を掲げ、限りある資源を有効に利用する循環型社会の構築を目指している。今日、@環境をめぐる最大の課題は地球温暖化の問題であり、石油・石炭なの(ママ)化石燃料は、資源の枯渇が懸念される一方、排出される温室効果ガスは地球温暖化の原因とされ、地球環境の保全に深刻な影響を与え始めている。
 私たちは、エネルギーが社会経済の健全な発展と生活の安定のために不可欠なものであることを認識し、限りある資源を可能な限り将来に引き継ぐとともに、各地域での省エネルギー行動やA環境負荷の少ないエコエネルギーの導入・利用を拡げる責務を有している。
 このため、私たちは、地球温暖化の防止と環境負荷の少ない資源循環型社会への転換、地球的な規模で考え地域でできることは地域から行動、地域の特色を生かしたエコエネルギー導入による地域振興、エコエネルギー技術の提供や人材交流を通じたアジア等との連携、県民・事業者等と行政の共働による導入の五つの視点に立って、大分県の自然や産業に根ざした環境に優しいエコエネルギーを育むことにより、人と自然が共生し、環境と調和した社会を築いていく必要がある。
 このような考え方に立って、地球温暖化対策に貢献し、エネルギーの需給の安定を図るとともに、B持続的発展が可能な循環型社会をつくり上げるため、この条例を制定する。

   第1章 総則
 (目的)
第一条 この条例は、Cエコエネルギーの導入促進について、県、市町村、事業者及び県民の責務等を明らかにするとともに、エコエネルギーの導入促進に関する施策の基本となる事項を定めることにより、その施策を総合的かつ計画的に推進し、もって持続的発展が可能な循環型社会の構築並びに現在及び将来の県民の健康で文化的な生活の確保に寄与する ことを目的とする。
(番号は近藤による)

 まず、注目すべきは、このホームページでも分析してきたように、今日の環境問題の中心的な課題を『二酸化炭素地球温暖化脅威論』に矮小化していることです。以下、素案の内容について具体的に考えることにします。

@環境をめぐる最大の課題は地球温暖化の問題であり、石油・石炭なの(ママ)化石燃料は、資源の枯渇が懸念される一方、排出される温室効果ガスは地球温暖化の原因とされ、地球環境の保全に深刻な影響を与え始めている。

 まさにこの部分は『二酸化炭素地球温暖化脅威論』を完全に肯定しています。まず、大分県は『環境問題』とはどのような問題と定義しているのかを説明しなければなりません。次に、地球温暖化が環境問題において最も緊急性の高い問題であることを説明しなくてはなりません。現状、私の知る範囲では、温暖化が明確な原因の環境悪化の具体的事例報告を知りません。まずこれを県民に対して説明する必要があります。
 更に、地球温暖化が、炭化水素燃料の燃焼に伴う人為的に環境に付加された二酸化炭素が原因になっているのかどうかは現段階では一仮説、それも非常に反例の多い信頼性に乏しい仮説に過ぎないというのが科学的な知見です。二酸化炭素地球温暖化を明確に説明できるだけの資料を県民に対して提示する必要があります。

A環境負荷の少ないエコエネルギーの導入・利用を拡げる責務を有している。

 まず第一に、@にも関係しますが、人為的に環境に付加された二酸化炭素が温暖化の原因であり、その温暖化によって環境が悪化することを明らかにしない限り、以下の論議はまったく無意味です。更に、ここでエコエネルギーとして取り上げられている、太陽光発電や風力発電等の自然エネルギーを利用した発電方式がトータルに見て既存の最新式の炭化水素燃料を用いた発電方式に比べて明らかに環境負荷が少ないことを説明しなくてはなりません。これは、費用対効果の問題であり、定量的な評価を行ったうえで、明らかに効果があるのでなければ税の無駄遣いは許されません。

B持続的発展が可能な循環型社会をつくり上げるため、この条例を制定する。

 持続的発展可能な循環型社会の具体的なシナリオを提示しておく必要があります。また、その中において、『エコエネルギー』の利用拡大がこれに資することを明らかにする必要があります。

Cエコエネルギーの導入促進について、県、市町村、事業者及び県民の責務等を明らかにする・・・

 本条例によって、地方自治体のみならず、事業者や県民に対しての責務を課し、財政支出を行うためには、@〜Bについての内容を明らかにするよう県民に対して説明することが不可欠です。

 最低、以上に挙げた問題点についての明確な説明ができない限り、この条例には合理的な理由はありません。現在、この条例素案に対して、大分県に対して以下の提言を行い、回答を求めています。

提言:
大分県エコエネルギー導入促進条例(素案)を白紙撤回すること

理由:
 この条例は、国の施策を越える自然エネルギーの導入促進を目指しているものと考える。これを条例化するに当たっては、国以上に、大分県として独自に環境問題、とりわけ巷に言われる二酸化炭素地球温暖化に対する深い洞察と、エコエネルギーの技術評価を行うことが不可欠の条件だと考える。
 まず前文に述べられている内容の科学的な根拠を明らかにしなければならない。具体的には以下の二点である。

@現在観測されている地球の温度上昇傾向が炭化水素燃料の燃焼によって環境に排出された二酸化炭素の温室効果による。
A素案において「エコエネルギー」と呼んでいる、自然エネルギーによる発電システムが、現状の炭化水素燃料による最新鋭の火力発電施設より明らかに環境負荷が少ないこと。

 @に関しては、未だ二酸化炭素地球温暖化説は一仮説の段階を出ず、反例が極めて多く、とても信憑性のあるものとはいえない。この件に関しては拙ホームページ「環境問題を考える」(http://env01.cool.ne.jp)において詳しく論じているのでそちらをご覧いただきたい。また、二酸化炭素地球温暖化説のほとんど唯一の拠所である、数値実験による気候の長期予測についても、同じくホームページの中で論じているが、例えば数値実験としては最も権威あるもののひとつと考えられる、JAMSTECの地球フロンティア計画において現場で研究に携わっている人でさえ、現状の数値実験結果は定量的な評価は不可能(2℃上昇だ5℃上昇だなどという数字に意味はない)だと述べているのが現状である。大分県はどこまでこのような研究の内容を検討し、二酸化炭素地球温暖化を前提としたこのような条例案を作ったのか、明らかにしなければならない。
 Aに関して、いわゆる自然エネルギーによる発電システムは、そのエネルギー密度の低さから、単位エネルギーあたりの設備が炭化水素火力発電に比べて圧倒的に大きくなり、燃料以外の資源に関しては明らかに資源浪費的な発電システムである。更に、自然エネルギーは時間に対する変動が極めて大きく、制御不能である。このような発電方式を導入するためには、巨大なバッファ=設備が更に必要になり、更にエネルギー効率は低くならざるを得ない。火力発電に比べて、単位発電量あたりの設備が圧倒的に巨大な自然エネルギー発電システムが、石油節約的であるとは到底考えられない。大分県はどのような技術分析によってエコエネルギーが環境負荷が小さいと判断しているのか示さねばならない。
 少なくとも、エコエネルギーに対して大分県独自に、国を超える税金の拠出を行おうとするのであれば、最低この二点について、国の説明を超えるレベルの明確な説明を行うことが必要である。

 以下、大分県からの回答を受け取ってから、更に議論を深めたいと思います。

No.063 (2002/12/05)教育関係の皆様へのお願い

 最近の5000アクセスのうち、アクセス数の多い上位100ネットワークのうち、教育関係(個別の学校・大学は除く)ネットワークからのアクセスは、以下の14ネットワークです。

ふくしま教育総合ネットワーク
北海道教育委員会が運営する教育ネットワーク
前橋市教育情報ネットワーク
大阪府教育委員会が運営する教育ネットワーク
愛媛県教育情報通信ネットワーク
相模原市教育委員会が運営する教育ネットワーク
浜松市教育委員会が運営する教育ネットワーク
練馬区教育委員会が運営する教育ネットワーク
山梨県教育情報ネットワーク
世田谷区教育委員会が運営する教育ネットワーク
大阪市教育センター
愛媛県教育委員会が運営する教育ネットワーク
広島県教育委員会が運営する教育ネットワーク
埼玉県教育情報ネットワーク

 環境問題という長期的なスパンで対応すべき問題を考える場合、次代を担う子供たちに対する教育は大変重要な意味を持つものだと思います。加えて、義務教育における『総合学習』のテーマとして環境問題が取り上げられる機会が多くなったことも、このアクセス数の多さに反映されているのではないかと思います。
 多分、このホームページに掲載されている内容は、主にマスコミ報道として流布されている情報や、国からの情報に比べると大きく異なっているのではないかと思います。それにもかかわらず、上記のネットワークからのアクセス数は10回〜30回にも及ぶということは、このホームページの内容について興味を抱かれ、ある意味で評価していただいているのではないかと考えています。
 誠にお手数ですが、教育現場における環境問題についてのレポート、あるいはこのホームページの内容についてのご意見やご感想を、ぜひお聞かせいただきたいと考えております。ご協力をお願いいたします。

No.062 (2002/12/04)『地球フロンティア』

 現在、ご承知の通りこのホームページ上で「数値実験による気候の長期予測は可能か?」という公開討論を実施中です。興味をもたれた方は、是非議論に参加してくださるようお願いいたします。最近、海洋科学技術センター(JAMSTEC)からのアクセスが増加していますが、当事者としてのご意見をお聞かせいただければ幸いです。
 さて、「地球フロンティア研究システム モデル統合化領域」研究員の江守さんのレポートで、気候温暖化予測のプロジェクトに参加されている現場の研究者の考え方がある程度わかったように思います。江守さんのレポートから引用すると、数値実験とは、

- では気候なら予測可能かというと、そうではない。気候数値シミュレーションは、モデルの不確実性もさることながら、前提とするシナリオの不確実性も大きいため、予測(prediction)ではなく、見通し(projection)との認識で行われている。ある前提のシナリオ、ある前提のモデルで将来を計算した場合の一例として、将来を考える上で参考にするものである。

- 1つは、気候変化メカニズムの解明である。モデル中で気候が変化したときに、どこで温度が上がるか、雨が増えるか減るかだけでなく、なぜそうなるかを理解する。また、近年観測されている現象との比較などを通して、現実の気候に対する理解を深める。これにより、将来起こりうる気候の変化について、定性的には、少しずつ自信を持った情報が得られるようになると考える。

- 定量的にもできる限り確実であるに越したことは無いが、モデルとシナリオの不確実性を考えると、3℃上昇であるか5℃上昇であるかというモデル結果の具体的な数字に、さほど意味があるとは私は思わない。「±1℃の精度で予測」などとは、私は言ったことも無いし、誰かに言わせたことも無い。

と言うことです。ここで述べられていることは、科学に携わる者として冷静で抑制の利いた意見であり、理解できる内容だと思います(まったく賛同するわけではありませんが・・・。)。内容的な検討は公開討論の場で行いますので、ここではこれ以上深い入りすることは止めておきます。
 さて、では組織としての海洋科学技術センター『地球フロンティア研究推進室』のHPでの公式見解(?)はどうでしょうか?『地球フロンティア研究システム研究基本計画』から見ておきます。

I.研究の大目標
 地球フロンティア研究システム(以下「地球フロンティア」とする)は、地球を一つのシステムとして捉え、大気、海洋、陸域の複雑な相互作用の解明と、これを反映したモデルの研究を行い、地球規模の諸現象の精度の高い予測の実現に資するものとする。

 「精度の高い予測」とは、定量的な評価の対象になりうる『予測』と読み替えても良いでしょう。より直接的に次のような表現もあります。

III.研究課題
3.地球温暖化予測(地球温暖化予測研究)
(1)目標
 地球温暖化の物理的化学的機構の理解、その定量的予測を目標として研究を行う。

 研究組織としての「地球フロンティア」は、現場の研究者とはかなり異なった内容の見解を公式なHPで表明しています。どちらが現実に、より実態を反映しているのかの判断は皆さんの判断にお任せしようと思います。「地球フロンティア」の公の見解は、気候というものは(将来的に)数値実験で定量的に予測可能であり、それを実現することが「地球フロンティア」という組織であると表明しています。無能なマスコミはそれを鵜呑みにして、更に「±1℃の範囲で」と多少脚色して報道しているのが現実のようです。政策立案者さえも「地球フロンティア」の外向きの宣伝文句を鵜呑みにしているという状況のようです。
 「地球フロンティア」という組織にしても、将来的な目標は別にして、現段階での数値実験が気候変動を的確に予測しているとは考えていないことは明らかです。あくまでも数値モデルは検証段階の域を出ず、とても実用に堪えるレベルにないのです。このような段階における、2℃だ、5℃だなどという値をベースに政策議論するなど、とんでもないことです。これでは、エコ商品を売るために産業界に利用されているだけです。
 最後に、少し長くなりますが、研究課題を引用しておきます。

(2)研究課題

 a.温暖化(温暖化に伴う気候変動の予測に関する研究)

  大気中の二酸化炭素の増加に伴う気候変動の物理的機構を理解し、その定量的予測を目標として研究を行う。特に、熱帯性及び温帯性低気圧の振舞、ENSO、モンスーン、梅雨前線等が、温暖化に伴ってどの様に変化するかを研究する。
  研究のもう一つの焦点は、温暖化に伴う海の状態の変化である。例えば、深水形成速度の変化、海表面積の変化等が気候に及ぼす影響、水位の変化等を大気海洋結合モデル等を使って研究する。

 b.炭素循環(大気中の二酸化炭素濃度の定量的予測に関する研究)

  大気中の二酸化炭素濃度の定量的予測を目標として研究を行う。即ち、人為起源二酸化炭素の海洋による吸収量がどのように決まっているかを理解し、海洋物質循環を決めている海洋循環と生物活動とのバランスがどの様なものであるか調べる。
  また、人為起源物質であるフロン・核実験起源の放射同位体炭素のシミュレーションを行い、米国における大型海洋研究(GEOSECS)・遷移トレーサによる海洋の研究(TTO)・海洋大循環実験(WOCE)などで得られた観測との比較を行うことにより、モデルの有効性の検証を行う。

 c.古気候(古気候及び変動のシミュレーションによる物理的化学的機構の解明)

  大気海洋結合モデル、大気大循環モデル等を使って、古気候及びその変動のシミュレーションを行い、その物理的及び化学的機構を解明する。過去に起った大きな気候変動をシミュレートする事により、温暖化研究に使うモデルの感度を検証するのがこの部門の重要な目的の一つである。
  研究のもう一つの焦点は、第四紀の大きな気候変動を説明する天文学的理論の評価である。地球の太陽をめぐる軌道の変化が何故この様に大きな氷床体積や気候の変動をもたらしたかを比較的簡単な大気海洋氷床結合モデルを使って調べる。将来、数百年或いは数千年の間のグリーンランド或いは南極大陸の氷床の変化を予測する事は、重要な研究課題の一つである。

 このプロジェクトは、気候の変動を科学的に予測するのではなく、あくまでも「二酸化炭素地球温暖化」というシナリオに基づいて将来の予測を行うことを目的にしているのです。二酸化炭素による地球温暖化というものは一つの仮説に過ぎないのに、このような予断を持った研究姿勢は科学的とは言えず、とんでもない間違いが起こる可能性を指摘しておきたいと思います。

No.061 (2002/12/03)儲かる車『燃料電池車』

 日本を代表する自動車メーカーであるトヨタとホンダが燃料電池車の販売(リース?)を開始しました。今日の朝刊にはホンダの一面広告が紙面を飾っていました。
 いわく『・・・燃料電池乗用車FCXは、水素と酸素を化学反応させてつくった電気で、モーターを回して走ります。ガソリンを一滴も使わず、排出ガスはゼロ。水しか出さない、まさに夢のクリーンカーです。・・・』だそうです。
 ここで言うガソリンとは、二酸化炭素を排出する石油燃料に対して使われた言葉です。主要なエネルギー供給システムを石油消費に支えられた現在の工業生産システムの最先端の技術を、石油を一滴も使わずに実現することなどできるわけはありません。まさか燃料電池車の生産ラインの工作機械がすべて燃料電池を使ったシステムで動いているわけではないでしょう。また、『燃料』である耐圧ボンベに詰め込まれた水素を製造するためには莫大なエネルギー消費が伴うことは周知の事実です。投入されるエネルギーは石油の燃焼エネルギーや核分裂反応によって供給されているのです。こうした『ダーティー』な部分はほかの場所に押し付け、最終的な走るという場面においてのみクリーンであることを『装っている』、極めて欺瞞的な技術体系によって燃料電池車が成り立っていることを確認しておかなくてはなりません。
 ここでは、燃料電池車を例にとって、ある技術の環境負荷についてどう判断すべきかについて考えてみます。燃料電池車に限らず、既にこのコーナーでも触れた電動スクーターやオール電化住宅など、『環境にやさしい』と言われている技術体系も基本的に同様です。前述のように、これらの技術は例外なく、今日の石油消費によって支えられているエネルギー供給システムを前提として成り立っています(原子力発電や自然エネルギーにしても同じです。)。それゆえ、これらの技術を成立させている基本的なエネルギー源は究極的には石油なのです。
 次に、最終的な製品の使用という局面において、利用されるエネルギーは石油以外のエネルギーですが、そのエネルギーは石油の燃焼エネルギーを利用して、例えば燃料電池車であれば水素を製造し、これを耐圧容器に注入して使用しています。これは、走るという目的で直接石油を燃焼する内燃機関で走る自動車に比べて、はるかに多段階のエネルギーの変換過程を要する(=エネルギー浪費的)技術であって、これを成立させるバックグラウンドの生産システムは肥大化し、社会的なインフラ(水素ステーションなど)の追加も必要になります。
 このように、現在いわれている『環境にやさしい』技術体系は、多くの場合、既存のシステム以上に資源浪費的であることはほとんど間違いありません。更に石油節約的であるかも極めて疑わしいと考えるべきです。その反映として、この種の製品は既存の成熟したシステムに比べて例外なく割高であり、燃料電池車などは月額リース料金が80万円から120万円と、べらぼうに高いものになっています。
 環境にやさしいという理由で高額であることが黙認され、国家あるいは自治体からの補助金も手に入れることができるであろう燃料電池車は、自動車メーカーにとっては『おいしくて』笑いが止まらない商品でしょう。メーカーの本音はここにあるのではないですか?
 当面、燃料電池車は、そのクリーンなイメージを利用することにメリットがあり、自前で水素ステーションを持てる経済的に余裕のある(?)官公庁ならびに大企業だけが導入することになるでしょう。大企業のイメージ戦略はともかく、税金でまかなわれている官公庁が、資源浪費的で、なおかつ極めて高価なこの種の製品を導入することは公金の使途としては許されざることだと考えます。役人諸君、少しは冷静に考えなさい!

No.060 (2002/11/26)温暖化による氷河の成長

 私たちの「常識」というものは必ずしも科学的なものではありません。「気温が高くなれば、当然氷は解けるものだ。」という常識も、必ずしも正しいものではありません。このホームページの中でこの問題については繰り返し述べてきましたが、なかなか「常識=先入観」に馴らされたものにとって、これを打ち破って新たな知見を得ることは、予想以上に難しいものです。
 私たち日本人は温帯に住んでいるという生活環境の影響が強く、気温が上がるといえば暗黙の了解として、つい氷点以上の温度帯における気温の上昇をイメージしているのではないでしょうか?しかし、寒帯や極地、あるいは温帯でも積雪地帯ではこの常識はまったく役に立ちません。氷点下の温度帯では、気温が上昇するほど大気の保有する水蒸気量は多くなり、降雪量は多くなると考えるのが科学的な知見です。
 さて、近年の気温上昇が人為的に排出される二酸化炭素の増大によるかどうかはさておき、気温が上昇傾向にあることは事実です。「温暖化脅威論」の一つのシナリオである、温度上昇によって陸地に固定された氷河の量が減少して海水位が上昇するという考えも、「常識」によって多くの人々、しかも科学に携わる人にさえ多く支持されてきました。公開討論@の意見22-2)、22-2')のYokotaさんとの議論はその典型を示しているといってよいでしょう。
 Yokotaさんとの意見交換の段階では、科学的に見ると数℃の気温上昇は極地方の氷河を増大させる可能性が高いことを理論的に考察しただけで、実測データを提示していませんでした。最近やっと実測データを見つけましたので紹介しておきます。富山国際大学の石井吉徳教授(元国立環境研究所長)の運営する環境について考えるサイト「国民のための環境学」の中に、NASAによる観測データが紹介されています。石井氏も述べているとおり、『地球環境の実態は、冷徹な科学の眼で視る必要がある。』のです。
 さて、極地方の陸地に固定された氷河が減っていない(むしろ増えている?)としたら、近年の海水位の上昇の解釈はまったく誤っていたことになります。これはかなり重大なことを意味しています。つまり、地球環境の将来予測モデルの中で、海水位の変動に関して、これまでまったく考慮されていなかった機構が存在することを示していることになるからです。可能性としては、No.059で紹介した丸山先生のインタビュー記事にある、海洋と地殻・マントルとの間の海水の交換の影響や大陸プレートの生成・沈み込みのバランスの変化、造山運動などが影響しているのかもしれません。
 将来予測には、このようにあまりにも不確定な要因が多く存在しています。丸山先生が言っているように、数値実験に比べると古気性の分析のほうが正確に地球環境を記録しているのであり、それ以上に近年の観測データの方が更に正確な地球環境の現実を映し出していることを謙虚に認めることこそ科学的な態度だと考えます。ハワイ島におけるキーリングの気温と二酸化炭素濃度の観測値を見れば、気温変動に遅れて大気中の二酸化炭素濃度の変動が起こっているのであって、人為的な二酸化炭素濃度の上昇によって温暖化するという温暖化予測のシナリオは現実を無視したものだということを繰り返しておきます。

No.059 (2002/11/15)ダイナミックな地球環境の変遷

 私たち人間の寿命は、地球の歴史に比べるとあまりにも短いものです。それどころか、『人類』と呼ばれる種の寿命でさえ地球の歴史に比べればほんの一瞬に過ぎません。そのごく短い人類の歴史の中で、地球環境についての科学的な実測データの量など、ほんの100年オーダーの限られたものに過ぎません。まず私たちの科学の現在のこうした状況を謙虚に受け止めなくてはなりません。
 環境問題における気候変動やオゾンホールについての数値実験による予測は、地球の歴史に比べるとほんの一瞬の実測データを元に外挿的に将来を予測しようというものであり、冷静に考えると残念ながら実用に耐えるような結果を期待するのは初めから無理ではないでしょうか?
 数値実験による地球環境の将来予測には決定的な欠陥があります。まず基本的な問題として、地球という巨大で複雑なシステムをコントロールしている現象が十分に把握できていないことです。さらに、個々の現象が相互にどのような影響を及ぼしあっているのか、これも明らかではありません。このような状況の下で、とりあえず判っている現象だけを取り出して数値モデルを組み立て、現象を予測したところで、これは数の遊びでしかありません。たとえある状況下で『それらしい解』を得たとしても、それは例えばまったく違う問題を解いたのに、たまたま正解に近い値を得ただけかもしれません。ところが将来予測では現実と比較してモデルの誤差を評価することすら出来ません。
 東京工業大学の丸山茂徳先生(地球惑星科学専攻)は、こういう不確定な要因の多い数値実験による温暖化予測を「・・・その理由の一つは、スーパーコンピューターの過信ですよ。僕はあんなものは予測にも何にも役に立っていないと思う。数値実験よりも、古気候の解析の方が、遙かに精度がいいんですよ。 」と述べられております(NetScience Interview Mail のインタビュー記事より)
 丸山先生のお話によると、現在の気候予測モデルでは(たぶん)考慮されていない、地殻内部からの地表へのエネルギーの放出が大きな役割を果たしてきたことが述べられております。私自身、近年の観測データに基づく将来予測には懐疑的でしたが、丸山先生の記事を読んで、私の想像以上に地球環境の歴史的な変遷はダイナミックでしかも急激な変化が起こりうることを再認識させられました。
 古気候のデータ、例えばボストーク基地のアイスコアの分析結果から、目前に迫っている寒冷化に如何に対処するのかを検討することが現段階ではより重要ではないかと思います。

No.058 (2002/11/12)『公開討論』更新のお知らせ

 久しぶりにホームページの更新を行いました。今回は二つの公開討論に、それぞれ新たな意見を公開しましたのでご覧いただきたいと思います。
 公開討論@ 『「CO2温暖化脅威説は世紀の暴論」を考える』では、ホームページ『はれほれワールド』に掲載されていた二酸化炭素地球温暖化論において、多くの人が勘違いしている、あるいは誤解を招きやすい問題について触れた、はれほれさんのレポートをご好意で転載させていただきました。併せて、炭素循環図も転載させていただきましたのでご覧ください。この公開討論も継続していきますので、ご意見のある方は随時お聞かせください。
 公開討論A 『数値実験による気候の長期予測は可能か?』では、地球フロンティア研究システム モデル統合化領域の江守正多さんからの、数値実験の現場における研究の概要と、その社会的な意味についての報告を公開しています。 今後この報告をベースに意見交換を進めていきたいと思いますので、閲覧者各位のご意見をぜひお寄せください。
 蛇足ですが、江守さんの報告にも述べられていますが、気象現象とは比較的短期間の日々の天候の変化であり、長期の現象は気候と呼ぶのが正しい表現です。これまで、このホームページの中では不適切な表現があったと思いますが、今後は厳密に言葉を使い分けるようにしたいと思います。長期予測の対象となるのは『気候』です。

 さて、しばらく閉鎖されていたホームページ『はれほれワールド』ですが、新装公開の準備が進められているようです。楽しみに待ちたいと思います。

No.057 (2002/10/22)危険な米国エネルギー戦略

 アメリカの同時多発テロに対するアフガニスタン報復攻撃後に、唐突な形でイラクへのアメリカの軍事侵攻問題が浮上してきたとき、多くの人が「一体なぜ今イラク問題が?」と考えたのではないでしょうか。このところの報道でやっとその真意が明らかになったように思います。要するに、アメリカ合衆国の世界支配体制をエネルギー供給面でも確立しようという実に手前勝手な野望を実現することが狙いなのでしょう。
 産油国としてイラクはかなり大きな影響力を持っています。しかしながら、現状ではアメリカ石油資本はイラク原油に対して、他の西欧先進国に比べてもほとんど影響力がありません。そこでアフガニスタンへの報復攻撃という、表向き『テロ国家に対する制裁』という大義名分の下、これを口実にアメリカの意にそぐわないイラクを軍事的に攻撃することによって現体制を倒してアメリカ傀儡政権=『民主政権』を樹立することによって、一気にイラク原油に対する支配力を拡大しようと考えていると思われます。
 どのような国家体制の国であったとしても、他国に対して現実に武力侵攻するなどの行為をしない限り、予防的にこれを先制攻撃することなど許されるはずはありません。これではあらゆる侵略戦争が肯定されてしまうことになります。また、国家体制がいわゆる西欧的『民主主義』でないからと言って、これを非難することは主権の侵害です。アメリカの意に沿わない政権ならば、その国の反政府勢力を軍事的にてこ入れして政権の打倒を目指すなど、それこそテロ行為の幇助です。
 核兵器は当然全廃すべきですが、現在の核保有国(=国連安保理の常任理事国)を除外した核拡散防止条約や核査察は、現有核保有国の軍事的な優位性を固定するものであり、まったくの片手落ちです。この状態で、実際に戦術核の使用を視野に入れたアメリカの凶暴な対テロ攻撃の標的とされている諸国の核査察だけが問題視されることには論理的な説得力はないと考えます。なんと勝手な理論でしょうか。
 残念ながらこの凶暴かつ身勝手なアメリカの世界戦略の中において、わが日本政府はその露払いとして使われているのが現状です。注目されている日朝交渉ですが、日朝間には日本帝国主義の占領政策下での朝鮮人民に対する残虐行為・強制連行の歴史、そして日本人拉致事件という非常に大きな歴史的に解決すべき問題がありますが、これをアメリカの世界戦略の駒として使うことは断じて許されないことだと考えます。
 あくまでも日本は主権国家であり、東アジア諸国の一員であるという立場から東アジア地域の緊張緩和を第一に行動すべきです。そして、米軍駐留の大義名分を廃し、在韓・在日米軍基地を撤収することこそがこの地域の緊張緩和・安定のために必要なことです。日本の沖縄県を中心とする基地問題を本質的に解決するためにも、日朝交渉の行方は極めて重大な意味を持っています。両国政府が過去の歴史を率直に認めた上で、緊張緩和の建設的な議論が行われることを切望します。

No.056 (2002/10/17)マスコミ・報道機関の皆様へ

 No.55で紹介した江守さんのお話から、気候の数値実験の現場と、これに関するマスコミ報道の実態の一部が垣間見えたように思います。これまで、このコーナーにおいて科学報道におけるマスコミ・報道機関の報道姿勢をかなり厳しく指摘してきましたが、少なからずそのことが『実証』されたのではないかと考えています。
 「環境問題」という問題は、第一義的には自然科学の対象となるべき問題ですが、同時にこれは現在に生きる人間すべてに関わる問題です。この文脈において、環境問題とはこれまでの自然科学や政治・経済の課題とは大きく異なる特殊な問題です。
 その結果、環境問題における報道は、これまでの細分化された自然科学の個別領域の専門誌ではなく、一般紙誌やテレビを中心とするマスメディアで取り扱われる対象となったことは、ある意味で必然的な結果です。しかしながら、この種のメディアは自然科学に関する報道がいかにあるべきかという、基本的な報道姿勢の検討を行わぬまま、あるいは体制が整わぬままに、従前の手法を環境問題にも当てはめてしまっているのではないでしょうか?
 公開討論@コメント18・19で触れたとおり、この種の問題は多数決で結論を出すべき問題ではありません。また、政治・経済問題のようにアメリカを代表とする先進国グループの軍事力・経済力によるパワー・ポリティックスによる正しさなどまったく無意味だと言うことを銘記して対処しなくてはなりません。
 しかし、現実にはこのコーナーでも何度も触れているNHKの科学報道の杜撰さ(いみじくも、江守さんのメールにもNHKの報道の杜撰さの一例が引用されていますが・・・。)などは、CGを多用した派手な演出にばかり力を注ぎ、科学報道とエンターテイメントを同レベルで扱っているとしか思えません。このような科学報道しか情報源をもてない状況下の世論を背景として、環境問題に対する政策論議が進行することは、極めて危うい状況だと考えます。
 このホームページをご覧のNHK・共同通信社を始めとする報道機関・マスメディアの皆さん、この問題について公開討論において、ぜひ現場のご意見をお聞かせいただきたいと思います。

追記

 環境問題のマスコミ報道に大きな影響力を持つと思われ、またこのホームページを閲覧いただいたことのある共同通信社とNHKに対して、公開討論への参加をお願いするメールを送りました。以下に共同通信社に宛てたメールを公開いたします。

共同通信社 御中

from 近藤邦明

 はじめまして。私は、HP『環境問題を考える』の管理をしている近藤と申します。現在、HP上で「数値実験による気候の長期予測は可能か?」と言うテーマで意見交換を実施中です。日頃から、新聞を始めとする報道における環境問題の取り扱いについて疑問を持っております。『HP管理者から』と言うコーナーでこの問題について繰り返し取り上げております。No.40、42では貴社からの配信かと思われる記事にも言及しております。
 この間、気候の数値実験について、国立環境研究所の研究員の方と意見交換を行う過程で、数値実験の現場の認識と、私たちが日頃新聞報道から受け取る情報の間には大きな乖離があるのではないかと言う疑問はほとんど確信に近いものになりました。
 『HP管理者から』No.56で述べましたとおり、これは大変大きな問題だと考えております。つきましては、すでに何度か当HPを閲覧いただいており、また科学報道の現場において大きな影響力を持つ貴社のお考えを、ぜひお聞きしたいと考えます。できましたら、公開討論にご参加いただき、この辺りの報道のあり方についてのご意見をお聞かせいただきたいと存じます。よろしくご検討ください。

No.055 (2002/10/15)気候予測数値実験・外論

 気候の長期予測に関する公開討論を実施中ですが、この公開討論では『地球フロンティア研究システム モデル統合化領域』研究員の江守さんに参加いただくことで、現場での実際の状況を知ることが大きな目的の一つです。公開討論の本編では、数値実験についての議論が中心になりますが、メール交換による打ち合わせ段階で、現場の研究者の立場や問題意識について意見交換を行うことができました。江守さんの要望もあり、この過程をこのコーナーで公開することにします。
 なお、この中でも江守さんが触れていますが、No.48、No.49の記述については、少なからず誤解からの発言が存在する可能性がありますが、その点も含めて今後の公開討論本編での意見交換をご覧いただき、閲覧者個人個人で判断していただきたいと思います。


近藤邦明さま

基本的には、議論に応じさせて頂くつもりでおります。
これだけ批判的に書かれている中にのこのこ出て行くのですから、それなりの覚悟を持って望みます。発言される方もそれなりの覚悟で応じて頂きたい。

議論を始めるにあたって、以下の3点を希望します。

1. 発言に責任を持って頂くため、発言者は所属と実名を明らかにして頂きたい。(一般論ですが、インターネットメディアが匿名メディアである故のモラルの低い発言の存在にはしばしば閉口します)

2. 議論の発散を避けるため、議論の内容の範囲を、「気候モデルを用いた将来の気候変化見通しの研究」に関する
a. 技術的な不明点に対する質疑応答
b. 可能性、有効性に関する議論
に限る。

3. 消耗な議論を避けるため、お互いの「信じて疑わないもの」が異なることにより、議論が並行線を辿る(いわゆる「宗教論争的」議論)と「私が」判断した場合は、一方的に議論から降りることがある。「科学的」思考、認識の様式を共有できていないと判断した場合もこれに含む。

まず、これでよろしいかどうか、ご意見下さい。

次に、私の立場についてです。私の見解と、「国立環境研の」見解の関係について、以前からお尋ね頂いており、納得を頂いておりませんでしたので、少し言い方を変えて説明してみます。(これで納得頂けるかは分かりませんが)私が一個人として発言していると言ったのは、私が所属組織と無関係な一個人として発言していると言っているわけではありません。当然、所属組織の一員である私の発言です。しかし、同じ組織の中には別の意見を持った人も居るかもしれません。その意味で、私は組織のコンセンサスを取って発言しているわけでも、組織から判断を完全に委任されて発言しているわけでもない、という点をご了解頂きたいということです。
「国立環境研の」見解というものがあるかということで言えば、例えば研究所のホームページにお問い合わせ頂いた場合、普通は該当分野担当の研究者が回答します。しかし、それは普通、上の意味における個人による見解です。これを研究所の見解と呼ぶことも可能でしょう。ですが、組織の構成員のコンセンサスを持って研究所の見解と呼ぶことにすれば、今回の問題については、「国立環境研の」見解は現時点では存在していないと思います。

最後に、蛇足ですが、以前、千葉県の環境情報誌(「エコマインド2001」)に「環境教育」についての文章を寄せたことがあります。著作権を委譲した記憶はないので全文を添付しますが(この文章につきましては、公開討論の参考資料として転載します。/近藤註)、2のところを読んで頂ければお分かりのように、私は、近藤さんのように、マスコミや政府が広報する環境に関する言説を盲信せず、疑おうとする立場を全面的に支持するものです。ただし、ある言説を盲信することと、その言説を盲目的に否定すること(あるいは、それに反対する別の言説を盲信すること)とは全く同レベルのことにすぎません。ホームページをご覧になる方々が、自分の頭で物事を判断しようという意志がある限りにおいて、私は正直な情報提供を惜しまないつもりです。
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江守 正多 (EMORI Seita) 地球フロンティア研究システム モデル統合化領域
2002年9月24日 0:11着


江 守 様

from 近藤邦明

 メールを拝見いたしました。今回の議論は、江守さんに参加いただき、直接数値実験に参加されている方からのご意見をお聞かせいただくことが最も重要なことの一つだと考えておりますので、出来る限りの対応をするつもりですので、ご協力をお願いしたいと思います。以下、いただいた内容についての私の考えを述べます。

----- Original Message -----
件名 : Re: 温暖化数値実験に関するHP上公開討論について

> 近藤邦明さま
>
> 基本的には、議論に応じさせて頂くつもりでおります。
> これだけ批判的に書かれている中にのこのこ出て行くのですから、それなりの
> 覚悟を持って望みます。発言される方もそれなりの覚悟で応じて頂きたい。
>
> 議論を始めるにあたって、以下の3点を希望します。
>
> 1. 発言に責任を持って頂くため、発言者は所属と実名を明らかにして頂きたい。
> (一般論ですが、インターネットメディアが匿名メディアである故のモラルの
> 低い発言の存在にはしばしば閉口します)

 この点(匿名メディアである故のモラルの低い発言の存在)につきましては、私も同じように感じています。受け取った意見の中に不適切なものがあれば、私の責任で取捨選択するつもりです。ただ、所属につきましては、なかなか判断が難しいと考えています。メディアの性格上、さまざまな人が意見を寄せられる可能性がありますが、たとえば私などの場合、社会的に言えば何らの組織にも所属していない一零細個人事業者でしかありませんが、このような場合はどうお考えでしょうか?どのように対応すれば江守さんの納得が得られるのか、指示いただきたいと存じます。

> 2. 議論の発散を避けるため、議論の内容の範囲を、
> 「気候モデルを用いた将来の気候変化見通しの研究」に関する
> a. 技術的な不明点に対する質疑応答
> b. 可能性、有効性に関する議論
> に限る。

 了解しました。江守さんにご参加いただく範囲はこれで結構だと思います。ただ、討論全体の範囲といたしましては、現在の温暖化議論をめぐる社会情勢にも触れる可能性はありますので、その辺の議論までは拘束されないと言うことでお考えいただけないでしょうか?

> 3. 消耗な議論を避けるため、お互いの「信じて疑わないもの」が異なることに
> より、議論が並行線を辿る(いわゆる「宗教論争的」議論)と「私が」判断した
> 場合は、一方的に議論から降りることがある。「科学的」思考、認識の様式を
> 共有できていないと判断した場合もこれに含む。

 2とも関連しますが、江守さんに参加いただく範囲において、了解しました。ただし、前述のように、社会的な意味あい等についてはいろいろな考え方がありますので、この部分につきましてはご考慮ください。『議論が並行線を辿る(いわゆる「宗教論争的」議論)と「私が」判断した場合は、一方的に議論から降りることがある。「科学的」思考、認識の様式を共有できていないと判断した場合もこれに含む。』という事態は避けたいと存じますので、江守さんにかかわる内容の意見につきましては、HPに公開する以前に江守さんに事前に照会するということでいかがでしょうか?

> まず、これでよろしいかどうか、ご意見下さい。
>
> 次に、私の立場についてです。私の見解と、「国立環境研の」見解の関係につ
> いて、以前からお尋ね頂いており、納得を頂いておりませんでしたので、少し言
> い方を変えて説明してみます。(これで納得頂けるかは分かりませんが)
> 私が一個人として発言していると言ったのは、私が所属組織と無関係な一個人
> として発言していると言っているわけではありません。当然、所属組織の一員で
> ある私の発言です。しかし、同じ組織の中には別の意見を持った人も居るかもし
> れません。その意味で、私は組織のコンセンサスを取って発言しているわけでも、
> 組織から判断を完全に委任されて発言しているわけでもない、という点をご了解
> 頂きたいということです。

了解しました。

> 「国立環境研の」見解というものがあるかということで言えば、例えば研究所
> のホームページにお問い合わせ頂いた場合、普通は該当分野担当の研究者が回答
> します。しかし、それは普通、上の意味における個人による見解です。これを研
> 究所の見解と呼ぶことも可能でしょう。ですが、組織の構成員のコンセンサスを
> 持って研究所の見解と呼ぶことにすれば、今回の問題については、「国立環境研
> の」見解は現時点では存在していないと思います。

 この点につきましては、直接今回の議論とは別の問題になるのでしょうが、社会的な意味において、国立環境研究所は国民に対して何らかの見解は示すべきだと考えています。見解が存在しないと言うことは極論すれば国立環境研究所の存在する意味がないことと等しいことです。今回の議論は別にしても何らかの説明があってしかるべきであると考えています。機会がありましたら、お手数ですが江守さんからも国立環境研究所にお伝えください。江守さんが討論にご参加くださいますことに対しては、心から感謝いたします。しかし、現段階の対応は、最初に私が国立環境研究所に対して送ったメールについては、その対応を江守さんにだけ任せ、それは個人の見解であると言うのでは、国立環境研究所の社会的な責任を完全に放棄していると言ってよいのではないでしょうか?これは今回の議論とは別の私の『私見』です。

 以上、ご検討いただきたいと存じます。
2002年9月24日 9:19



近藤邦明さま

誠意ある対応を取って頂き、ありがとうございます。

所属の明記につきましては、発言者が責任を持って発言していると私が判断できる限りにおいて、うるさいことは言わないつもりです。新聞の投書にあるような、学生、会社員、公務員などのカテゴリーでもかまわないと思います。ただ、発言の内容が、個人の具体的なリアリティーに基づけば基づくほど、具体的にカミングアウトして頂き、そのリアリティーの背景を他の論者が理解できる方が、議論の深さという点で望ましいと思います。反面、所属を見ただけでその人の立場を勝手に想像しない(邪推しない)、という注意も必要になりますが。

議論の範囲などについて、私の今回の責任の範囲外と判断した場合には、単に私からのコメントを控えた上で、全体の議論は続行しても構わないと思います。事前の照会は、手続きが繁雑になるので無くても結構と思います。ただ、近藤さんが議論の円滑な遂行を管理する上で、取り扱いに迷う内容などあった場合、ご相談頂くことはもちろん結構です。

国立環境研の見解については、私もこれは一般論として重要な点かもしれないと思い、とりあえず国立環境研の上司には既に報告しています。ことの成行きによっては、タイミングを見てさらに所内での問題共有を働きかける必要もあるかと感じていますが、そうした場合でも時間のかかることになると思いますので、さしあたっては現在のような回答でご理解頂けますようお願いします。
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江守 正多 (EMORI Seita) 地球フロンティア研究システム モデル統合化領域
2002年9月24日 9:53着


江 守 様

from 近藤邦明

 メールを拝見いたしました。これまでの打ち合わせの線で公開討論の準備に入りたいと思います。貧弱な知識しかありませんが、一般の国民意識の総括的な疑問や考えと言う意味で、まず、私の意見を導入として意見交換を始めたいと思います。遅筆ですので、今しばらく時間をいただきたいと思います。

 『これからの環境教育』は興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。「環境科学教育」の落とし穴につきましては、私もほとんど同じ考えだと思います。まさに、『環境問題を考える』というHPも、大きなくくりとしては環境教育の一環だと考えています。有意義な意見交換になることを期待しております。よろしくお付き合いいただきたいと存じます。
2002年9月24日 13:09


近藤邦明さま

議論を始めるにあたって近藤さんの方からご意見をまとめて頂けるとのこと、大変歓迎いたします。
ひとつ確認させて頂きたいのですが、HP管理者からNo.48, 49 に書かれている事項で、今度の近藤さんのご意見に含まれていないものがあれば、No.48, 49 のうち、その部分のご意見は取り下げられたと理解してよろしいでしょうか。
No.48 には技術的な誤解がいくつかありますが、それは私の説明不足によるものもあると思いますので、必要に応じて補足説明したいと思います。
むしろ誤解が気になっているのは No.49 の方で、特に、

> 江守氏は、こうして「イカサマ」によって得られた結果をどう解釈するのかは、
> 解釈する側の問題であると受け取れる発言をしていますが、

とありますが、業界内でも、私ほど「モデルの結果をどう解釈するかまでモデル研究者が責任を持って考えよう」という意見を持っている研究者はいないと自任しておりましたので、これは心外でした。インタビューの全編と、リンクされている発表資料をご覧頂ければ、ご理解頂けるものと信じております。
他に、
http://www.jamstec.go.jp/frsgc/jp/news/no17/JPN/p6.htm
なんてのもあります。

私の研究者としての社会的信用と、個人としての尊厳に関わると思いますので、特にこの点についてはそちらの態度を明らかにして頂くことを強く希望します。
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江守 正多 (EMORI Seita) 地球フロンティア研究システム モデル統合化領域
2002年9月25日 22:33着


江守 正多 様

from 近藤邦明

 メールを拝見いたしました。公開討論に当たっては、出来るだけ客観的(客観と言うものが存在するのならば)な事実に基づいた率直な意見交換をすることが有意義な意見交換の前提だと思います。これまで、同じ場でお話してきたわけではありませんので、多少言いっぱなし的な思い込みによる誤解があったかもしれません。討論に入る前に、出来るだけその種の誤解を解いておくことが重要だと思います。

 まず、HP管理者からでの私の発言について、説明したいと思います。このコーナーの冒頭で断っているのですが、極論するとこのコーナー自体が管理者の特権と言うか、思い込みの言いっぱなしのコーナーです。あまり論理的ものではなく、多分に感情的な発言を含んでいますが、その点はお許し願いたいと存じます。
 江守さんのインタビューでの発言に対するコメントについてですが、これは発言者の立場の捉え方に、私と江守さんとでは少し違ったところがあるからだと思っています。この間のメールのやり取りでもわかるように、私を含めて一般の人間から見れば、やはり江守さんの発言には機関を背負った発言であると言う認識はあるのです。江守さんのインタビュー以外の場における発言や、メールに添付していただいた文章から、江守さん個人はシミュレーションの結果の解釈について慎重であらねばならないと言う気持ちが強いことは十分理解しているつもりです。また、そういう方であり、その研究者としての誠実さゆえに今回の討論にも是非参加いただきたいと考えました。
 しかしながら、インタビューの中でも言われていたように、シミュレーション結果について機関としてはそれが現実の現象の実態を捉えた『正しい』ものであると思われるような形で公表し、数値が一人歩きしている現状に対して、それを看過し、シミュレーションの背景についてどのような制限があり、限界があるのかを十分説明していないことは事実です。この点については、江守さんの個人の研究者としての尊厳とは別の次元で批判されて当然のことだと考えております。このような考えから、当初私が意見を求めたのは国立環境研究所に対してであり、江守さん個人ではなかったのです。
 さて、公開討論では、HP冒頭でも江守さんは個人の立場で参加いただくということを明記しておりますし、機関の問題については江守さんに言及していただくつもりはありませんので、これで了解していただけないでしょうか?ただし、成り行きによっては公開討論の中でこの問題に話が及ぶことは十分考えられますが、その点についてはご了承ください。この点につきましては、むしろ国立環境研究所の広報辺りからのコメントがいただきたいところですが・・・。

 なお、江守さんの研究者としての立場を明らかにする参考資料として、インタビュー以外の場でのご発言について、冒頭で紹介しようと思いますが(実際にはリンクを張りたいと思います)、ご了解いただけますでしょうか?ご検討ください。
 具体的な話なのですが、冒頭で私のほうから問題提起を行うと予告しておりますが、まずはかなり大雑把にシミュレーションの現状がどうなのかと言う話になると思います。私、そして多くのHP閲覧者は専門家ではありませんので、誠にお手数ですが、研究者としては当たり前だと考えられている点も含めて、全体像が理解できるような説明をいただきたいと考えております。詳しくわかりやすくと言うのは難しい注文だと思いますが、よろしくお願いいたします。個人的な理由で、最初の私の問題提起は10月上旬から中旬ぐらいになると思います。

 以上、よろしくご検討ください。
2002年9月26日 13:07


近藤邦明さま

今回頂いたメールで、こちらもようやく近藤さんのおっしゃること、国立環境研の見解に拘っておられる理由が、はっきり分かった気がします。要するに、個々の研究者は正直かもしれないが、組織としては欺瞞をしているではないか、ということですね。
逆にお伺いしたいのですが、組織が「温暖化はシミュレーションにより高い精度で予測可能」と言っているという印象は、具体的にどのような情報源から受けておられるのでしょうか。組織の発言と言っても、既にお話ししたように、実際には担当者が発言したり、発言の内容を考えたりするのですから、例えば国立環境研の場合には、それほど不誠実なプロパガンダは過去にもやっていないのではないかと思っていたのですが。こちらの注意不足の面が往々にして考えられますので、この点に付いては率直に、情報を頂きたいという思いです。

私が今想像できることを少し書きます。

1. 組織の名称、研究テーマ名や研究発表のタイトルで「予測」と言っている この点、私自身はよく悩むところなのですが、「見通し」とか言っても一般の方が最初に聞いたときにイメージが湧かないので、大見出し的なところは「予測」を使ってしまうということは、意識的に行っています。それで、少し説明を読むと不確実性のことがすぐに書いてある、となるように私は意識しているのですが、業界全体としては必ずしも徹底してはいないでしょうね。
また、研究組織やプロジェクトにお金を付ける官庁の役人が、「予測」というイメージでやっているという問題は感じます。ここで、研究者が予算を獲得するために、役人に向かっては「予測」可能と嘘を言っている、という印象が、まさに近藤さんらの批判の対象であるというのは容易に理解できます。しかし、私のまわりの多くの研究者は、役人が誤解していると思えば、機会あるごとに不確実性の説明をしていると思います。逆に、不確実性の話をしょっちゅう聞かされる役人の方からすると、研究者は不確実だというばかりで、積極的なことを全然言ってくれない、という不満があるはずです。それではいけないだろうということで、最近は、不確実性を出来る限り定量化した上で、予測についてもある程度積極的な情報を出していこう、という流れがあるように思います。日本では遅れていますが、先日、イギリスの研究機関と共同研究を前提に情報交換を行った際に、彼らは明確にこのような方向に進んでいる印象を受けました。不確実性の定量化と言っても、今のところモデル間の違いくらいしか情報が無く、それは明らかに本来的な意味での不確実性を意味しないので、今後の課題ではあるのですが、少なくとも、研究者が表向きには不確実性の問題を隠蔽しているということは全く無いと思います。

2. マスコミが、あたかも「予測」可能のような報道をする
私自身のところに取材が来たときには、不確実性についてできる限り説明するのですが、時間の都合と繁雑な説明を嫌うことから報道の時点では省略されてしまうことがままあります。それについては、「これからの環境教育」に書いた通りで、私自身はそのあたりのコミュニケーションの難しさに苛立ちを感じています。
また、私自身がテレビを見ていて、「こんなこと誰が言ったんだ?」と驚くことがあります。例えば7月30日朝のNHK「おはようにっぽん」で、地球シミュレータを取材したレポーターが、「±1℃の精度で温暖化の予測をする予定」と言っていましたが、地球シミュレータで地球温暖化実験を行うプロジェクトの中心にいる私が、全く聞いたことが無い数字であり、驚きました。おそらく地球シミュレータ側のどなたかの勇み足かと思っていたのですが、近藤さんのHPにも±1℃という数字が批判の対象として登場していましたね。これはどこかのHPかパンフに書いてあるのでしょうか。それとも同じテレビ番組が情報源でしょうか。私自身は、これにも苛立ちを感じています。

こうして考えてみるに、「温暖化はシミュレーションにより高い精度で予測可能」と受け取れる言説は確かに流布していると思います。しかし、少なくとも私の周りを見る限りでは、これは研究者、あるいは研究者の集団である限りにおいての研究機関が積極的に流しているのではなく、マスコミや役人は放っておくとそのように誤解しがちであり、研究者はむしろその誤解を解くよう説明に努力している、という印象です。ただ、誤解した役人が研究機関や研究プロジェクトを代表したように発言することも考えられ、そのような場合が近藤さんらの批判の対象にあたることは理解できます。

長々と、「研究者層」のみを弁護する言説のようになってしまいましたが、私の正直な印象を述べたつもりです。

議論を始めるにあたって、インタビュー以外の私の発言を紹介して下さることは、歓迎します。不確実性の問題とは直接関係無いですが、官庁組織との関係で、こんなのもあります。
http://www-cger.nies.go.jp/cger-j/c-news/vol12-5.pdf (p.15-16)
また、シミュレーションについての疑問点への説明も、できる限り一般の方に分かりやすくなるように努力するつもりです。

最後に、やりとりを繰り返すほどに、近藤さんはきちんとしたコミュニケーションのできる方であることが分かってきましたが、せっかくそういう方であれば、「管理者から」の中でのカタルシスのためのような放言をされるのは、残念ですので、お止めになっては如何かと思います。わざと挑発して書くことで、私のようなのがのこのこと釣れてきたのが作戦だとしたら、すごいなと思いますけど。
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江守 正多 (EMORI Seita) 地球フロンティア研究システム モデル統合化領域
2002年9月27日 3:19着


江 守 正 多 様

from 近藤邦明

 メールを拝見いたしました。ありがとうございます。誤解を解くことができたのではないかと思います。
 さて、温暖化予測値の一人歩きについてですが、確かに江守さんのおっしゃるとおり、現場の研究者や、あるいは機関がまったくでたらめなことを発表しているとは考えていません。私自身、分野や立場は違いますが、かつてはそちら側にいた人間ですので研究者個人の誠実さはある程度信じています。たとえばかつての私の仲間たちの中で地震予知分野にいるものがいますが、彼らも本質的には地震の実用的な予知が可能だと能天気なことは考えていないのですが、マスコミ報道では、ほとんどそのようなことは話題に上りません。あくまでも予知可能を前提として防災対策が作られてしまっているのが現状です。
 そこにはいろいろな要因があると思います。まず一つは、これが最も世論に与える影響が大きいと思うのですが、マスコミの科学報道の杜撰さだと考えています。江守さんもご指摘のとおり、たとえばシミュレーションの結果について、どのような仮定の下でどのような限界があるのかと言う条件をまったくすっ飛ばして結果のみを報道すると言うのはその典型だと思います(私も含めて一般の人にとって、問題が自分の専門分野や、それにかかわって仕事をしている場合を除いて、ほとんどの情報源はマスメディアからの報道になります。そしてそれを正しいものだとして受け入れることになります。)。
 そしてもう一つは、誠に泥臭い話ですが、組織として予算獲得を考える場合、事務方としては敢えてそのような形で『誤解』させておいたほうが都合がいい場合があるのも事実ではないかと考えます。
 しかし、ことは国家、大袈裟に言えば人類の将来に対して大きな影響を与えるかもしれない事象であることを考えれば、できるだけ正確な情報を開示した上で判断すべき問題だと思います。たとえ現場機関としては正確な発表をしたとしても、報道によってそれが歪曲され、あるいは正確な情報が伝わっていない場合、現場の機関としてはそれを正していく努力をすることが社会的な責務ではないかと考えています。残念ながら現状では日本のマスコミの絶望的な状態があるので、確かに現場機関の側からすれば余計な仕事かもしれませんが、あらゆる契機を捉えてそうした努力をしていくことが重要だと考えます。その意味でも、今回の意見交換はマスコミと言うフィルターを通さない形で実態を知るかけがえのない機会だと考えます。

 さて、『HP管理者から』についてですが、このコーナーは江守さんのご推察どおり、反応を期待して、敢えて少し挑発的な書き方をしていることは事実です(ただし、私の精神的なカタルシスを得るためではありません。)。特に、環境問題に対するマスコミ報道については今後とも「挑発」を続けていこうと考えています。でたらめを書くつもりは毛頭ないのですが、このコーナーは環境問題の(主にマスコミ報道という)通説に対するカウンターに徹する意味で存在しています。ご理解いただきたいと存じます。

 快諾いただきましたので、リンクを張らせていただきます。ありがとうございました。
2002年9月27日 12:21


近藤邦明さま

「HP管理者から」の考え方について、了解しました。
私の印象を言うと、挑発するのは結構ですが、あまり過激に過ぎると、一般のまともな訪問者に「偏っている」との印象を与え、引いてしまう人も多いのではないかとの危惧を未だ強く持っております。しかし、あまり平凡な意見だけ書いてあるHPでも注目されないので、そのあたりはトレードオフなのでしょうね。
私個人への攻撃については、

> あまり論理的ものではなく、多分に感情的な発言を含んでいますが、その点は
> お許し願いたいと存じます。

との発言を持って、一応の和解が得られたものと理解しましたので、それ以上は個人の戦略の問題として、とやかくは言わないことにします。
いずれにせよ、今後の建設的な議論を楽しみにしております。私自身としては、近藤さんのおっしゃるように、マスコミのフィルターを通さずに、気候シミュレーションの現場からの発言を不特定多数の方に聞いて頂くことは有意義と考えていますし、それはインターネットメディアの利点と理解しています。また、そのような説明を行うことは大切な税金を使って研究するものが当然行うべき営為と思いますので、むしろこの場を利用させて頂くつもりで積極的な説明を心がけたいと思っています。
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江守 正多 (EMORI Seita) 地球フロンティア研究システム モデル統合化領域
2002年9月28日 3:28着


 以上、少し長い引用になりましたが、この間の江守さんとの意見交換の過程で、気象長期予測の現場と私たちが『マスコミ報道』として得ている情報の間には、マスコミ・報道機関によるかなり大きな情報の歪曲ないし、重要情報の欠落があることが確認できたことは重要だと考えます。公開討論において、さらに論議を深めたいと思います。多くの方の参加をお願いいたします。

No.054 (2002/10/11)クリーンエネルギー幻想

 この秋、ヤマハ発動機が、原付市場に電動スクーターを投入することが報じられています。相変わらず無能なマスコミ各社の報道は、大方『環境にやさしい』、『無公害』スクーターの登場として好意的な扱いのようです。この電動スクーターを例に、この種の環境にやさしい技術の本質について考えてみます。
 さて、このスクーターの「売り」の一つは、もちろん電動機で動くので『無公害』であり、もう一つは、同一の距離を走る場合のコストが従来のガソリンエンジンの半分で済むという2点です。これらの点について考えてみます。
 まず、無公害についてです。確かに走行時においてこのスクーターから排出されるのは電動機からの廃熱だけであり、ほとんど無公害と言っても良いかもしれません。しかし、バッテリーに充電される電気は一体どのようにして供給されているのでしょうか?これは従来の発電施設で得られているわけですから、火力発電ならば主に重油を燃焼し、原子力発電ならば核分裂反応の熱を利用しているのです。これらの施設が環境負荷の大きな発生源であることはご承知のとおりです(このからくりは、燃料電池車が二酸化炭素を排出しないという欺瞞と同種のものです。現在有望視されている炭化水素『燃料』を利用する燃料電池は改質器から消費する炭化水素量に見合う二酸化炭素を発生しています。)。
 このように考えれば、この電動スクーターを走らせることによって、利用した電力に見合う重油が燃やされ、あるいは核廃物が生産されていることは疑いようのないことです。電動スクーターが無公害であると言うのはまったく近視眼的な評価に過ぎません。環境全体から見れば、環境負荷の発生地点が変わっただけのことです。
 次にコストです。従来の小型スクーターはガソリンエンジンで走っているので、コストとはガソリン代のことです。電動スクーターの走行のためのコストは電気代です。たとえば、電動スクーターで火力発電によって得られた電気を使用するとします。この場合燃焼するのは主に重油です。ガソリン価格は100円/g程度であるのに対して、重油価格は20円/g程度でしょうか。ガソリンは重油の4、5倍の価格です。電力に関してはこのほかに設備費がありますから、単純な比較はできませんが、走行コストがたとえ半分だとしても、電動スクーターを走らせるためには、従来のガソリンエンジンのスクーターの消費するガソリンと同等程度(あるいはそれ以上?)の重油を燃焼することになるでしょう。
 この点から考えても、電動スクーターが明らかに従来のガソリンエンジンのスクーターよりも『環境にやさしい』などとは到底言えません。
 そして本体価格です。従来のスクーターが10万円を切る価格帯になっているのに、この電動スクーターは20万円程度の価格設定です。これはこの電動スクーターが従来のガソリンエンジンに比べて希少資源を多く利用していることを示唆していると考えられます。そして、決定的な理由は『環境にやさしい』を謳い文句にすることによって、高価な商品を受け入れる消費者意識を利用して、低迷する原付市場において高収益性の新製品を実現することです!これが電動スクーター投入のほとんど唯一の理由かもしれません。
 電動スクーターを離れて、もう少し大きな視点から石油消費について考えて見ます。石油製品は、原油を分溜することによっていくつもの製品が作られています。重たいアスファルトから軽いガソリン・石油ガスまで色々な物に分けられています。これらの石油製品は現在の工業生産システムの中で、色々な用途で使い分けられています。このような状況の中で、たとえば、ガソリン消費だけを増やしたり減らしたりすることは出来ません。ガソリン消費が増えてガソリンを増産すれば、同時にそれは他の石油製品の増加につながります。現在の工業生産システムは、無駄を省くことに徹していますし、余ったからと言って石油製品を環境中に捨てることはできません。
 結局増産された石油製品は工業生産システムの中ですべて消費されることになるのです。石油の消費量を減らすためには、石油に支えられた現在の工業生産システム全体を縮小する以外に方法はないのです。

No.053 (2002/09/25)自己紹介・・・


 以前から時々、このホームページは一体誰がどのような立場で運営しているのかと言うメールをいただくことがあります。あるいはもっと端的に、「近藤とはどういう人間なのか、管理者の自己紹介もない」というメールをいただくこともあります。その都度、出来る限りの説明をしているのですが、何度も同じことを繰り返すのもあまり賢い対応とも思えませんので、この際この点について少し説明しておこうと思います。
 このホームページは、私(近藤)がまったく個人で運営しています。これまで、リゾート法がらみの乱開発に反対する立場から活動したことがあります。このあたりの経緯は、§1の拙文に一部触れた部分がありますので繰り返す必要もないと思います。
 リゾート開発やダム開発など、当面する環境破壊に対して、その現場で声を上げていくことは大変重要なことだと考えます。ただ、こうした活動に参加した経験から、こうした個別の問題についての活動と同時に、環境問題の全体像がどのようなものであるかを明らかにすることが、根本的な問題解決には必要なのではないかと考えるようになりました。
 幸い(?)、リゾート法がらみの乱開発が沈静化したことで少し時間が出来ましたので、環境問題の全体像について考え、それを既存メディアの中で投稿という形で述べていこうとしました。§1の拙文もその一環なのですが、この連載記事の中で、エネルギー問題に触れることがあったのですが、案の定、雑誌の出版社に対して、スポンサーであった九州電力から圧力がかかることになりました。幸いそのときの編集長氏はそれに屈することなく掲載を続ける判断をされましたが・・・。
 そのような中で1999年に、当時は比較的良識的な活字メディアだと考えていた「週刊金曜日」という雑誌から、環境問題についての特集の企画をしないかという提案があり、槌田敦氏と室田武氏にご協力をお願いして、10ページほどの企画を立てることになりました。ところが直前になって、何らかの圧力で、この企画は週刊金曜日編集部からはなんの合理的な説明もされぬまま、強引に打ち切りになりました。
 この間の詳しい経緯は省略しますが、環境問題を正面から自由に論議するためには、体制側だけでなく、環境保護の活動を行っている民間グループの側からも一定の距離を置かない限り実現は難しいという現実を突きつけられました。こうした経験からの結論が、§0「はじめに」で述べたこのホームページ運営のスタンスであり、このホームページそのものです。
 このホームページの内容は、複数の考えがあるテーマでは出来るだけ双方の意見を掲載すべく努力はしていますが、必ずしも成功しているとはいえない部分もあると思いますが、この基本姿勢だけは守っていきたいと思っていますし、常に自戒しつつ運営に当たっていきたいと考えています。この点につきましてのご批判・ご意見がありましたら忌憚なくお聞かせ願いたいと思います。
 以上が私なりの自己紹介ですが、いかがでしょうか?ちなみに、直接このホームページの趣旨に関係のない、私はどこに住んでいて、職業・肩書は何、家族は何人などと言う類の自己紹介は無意味だと考えております。肩書による権威付けや、権威主義は往々にして意見の本質に対する判断を誤らせるものだと考えております(ただし、寄稿いただいたレポートにつきましては、その著作権を明確にすると言う意味で、できるだけ詳細な肩書や出典を示すようにしています。)。

No.052 (2002/09/20)原子力はもうこれくらいで・・・

 東京電力を皮切りに、原子炉点検記録の改ざんが発覚しています。最近このホームページへの東京電力からのアクセスが多いのはそのためでしょうか?もしこれを見られましたら、当事者としてのご意見をお聞かせいただきたいと思います。
 さて、日本の原子力行政ならびに産業の閉鎖性から、原子力に関する情報は非常に一方的であり、よほど隠しようのない事故でもおきない限り、なかなか外からはうかがい知ることが出来ませんでした。今回の発覚も下請企業からの内部告発によって始めて明らかになったものです。しかも告発から数年も後に!
 ただでさえ昨今の世論の高まりによる原子力施設の新規建設の難しさを考えるとき、これを機に情報開示が急速に進むことは考えにくい状況ではないかと思います。関係自治体による監視強化、情報開示についての強い要請を行うことが必要だと考えます。
 今回の検査結果の改ざんの背景は、原子力発電について、当初言われていた『経済性』や『低コスト』という神話が崩れ始めたことにあると考えます。再処理コストの増大、原子力発電施設からの廃物処理(廃炉を含む)コストが予想を上回るものになること( と言うよりは、現段階ではコスト計算さえ不能でしょう )、さらに再処理されたプルトニウムが使いようのない不良資産化している状況などなど・・・。この上、原子炉の稼働率が低くなることは業界にとってはどうしても避けたい事態であったはずです。
 今回の発覚で、原子力施設の新規建設はますます難しくなり、それに伴って発電コストはさらに増大することはほとんど疑う余地はありません。また、核廃物の処理方法は確立されることはありませんから、この状態でさらに原子力発電を続けて核廃物を増やしてしまうことは、もう「やけくそ」としか言いようがありません。『見識ある』国ならびに電力業界の皆さん、そろそろ原子力の火遊びから撤退しようではありませんか。

 さて、「地球フロンティア研究システム モデル統合化領域研究員」の江守さんの NetScience Interview Mail でのインタビュー記事の配信が完結しました。かねてからお伝えしていたように、公開討論の第2弾としまして、『数値実験による地球温暖化予測は可能か?(仮称)』を行いたいと思います。江守さんのインタビューを通読した上で、率直なご意見や疑問をお寄せいただきたいと思います。

No.051 (2002/09/02)気になること、あれこれ

 最近気になったことをまとめてコメントしておきます。

 環境と開発に関するサミット。これはほとんど骨抜きになって、実効性をとやかく言っても仕方ない状況です・・・。排出権取引のアホらしさ、これはもう世界市場における単なる新しい利権の争奪戦です。遅ればせながらアメリカ資本もそのおこぼれを狙って、参戦を画策し始めているようです。また、EUのクリーンエネルギー利用率の義務付けという提案も、結局のところ風力発電システムを始めとする『クリーンエネルギー産業』のパイの拡大による産業規模の拡大戦略です。途上国グループの早期脱退を願います。
 タマチャン騒動。たった一匹のあごひげアザラシで日本国中大フィーバー。この国は何が重要なことなのかを冷静に判断する能力がなくなったようです。こんなことを連日報道する日本の報道機関は、報道機関に値しないと思います。更に、行政のいい大人が集まって対策を考えるなど、開いた口がふさがりません。税金の無駄遣いです。
 防災の日。東海地震の危険地域の見直しが行われようとしています。未だに地震の発生が規模・時期を含めて予測可能であるという前提で考えられている東海地震に対する対応には絶望してしまいます。例によってNHKでは防災の日に誠に無意味な、東海地震に対する対応の検証番組が放映されました。この地域で地震が発生したとしても、その規模は現在『予測されている』ものより小さいかもしれないしまた、大きいかもしれない。時期については予測などほとんど不可能と考えて間違いないでしょう。直前の前兆くらいは捉まえられるでしょうが、そんなのは素人でもわかるでしょう。危ない、助かりたいと思ったら、行政などの言うことは聞かずに、なるべく早く危険な地域や都会から逃げ出すのが一番です。行政は個人の人命を保証することは出来ませんし、そんなことは考えていません。
 長野県知事選、田中氏再選。田中氏の不信任をした議員諸氏は、圧倒的な支持で再選された田中氏に対してどのように対応するつもりなのでしょうか?それはさておき、環境を中心的な争点として行われた知事選で圧倒的な支持で当選した田中氏は、この国で初めて環境政策を具体化する機会を得たわけです。環境政策のプロトタイプとして実りのある県政が実現されることを切に祈りたいと思います。ただ、心配なのは氏の周辺に環境問題について、どのようなブレインがいるのかという点ですが・・・。

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